SARS 後中国における危機管理政策の変容に関する分析と議論
― 自然災害時の危機管理(2003年−2008年)を中心に ― 李 国輝
*
Analysis on the transformation of crisis management policy in China after SARS:
Focusing on crisis management of natural disasters (2003-2008) Guohui L i *
Abstract
In November 2002, the world’s first SARS case appeared in China. The purpose of this paper is to analyze how the SARS affected the crisis management after the SiChuan earthquake. Specifically, from the perspective of policy learning, what changes have been made in the crisis management policy of large-scale natural disasters in the period from the SARS crisis to the Sichuan earthquake on May 12, 2008? How are the changes related to the SARS crisis? And what effect did the changes in the crisis management policy have on the government response at the time of the Sichuan earthquake?
Through this research, it is found that China’s disaster emergency plan and related regulations are constantly improving after SARS. We can also find that in the management of disaster information, China has become more and more focused on the concept of openness and respect for the right to know. The Communist Party of China, governments at all levels, and the media and the public have all participated in policy learning. The motivation for policy learning is mainly due to the failure lessons of the SARS period.
Moreover, the pressure from the international community also promoted Chinese policy learning. With regard to the constraints of policy learning, in addition to the complexity of the natural disaster itself,the most important is the constraints from the Chinese political system. Changes in the crisis management policy of natural disasters caused by lessons learned from SARS have directly influenced crisis management measures and countermeasures at the time of the Sichuan Earthquake.
* 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程:PhD Program, Graduate School of Asia-Pacific Studies, Waseda University
Email : [email protected]
*UDGXDWH6FKRRORI$VLD3DFL¿F6WXGLHV:DVHGD8QLYHUVLW\
-RXUQDORIWKH*UDGXDWH6FKRRORI$VLD3DFL¿F6WXGLHV No.37 (2019.3) pp.17-37
1.はじめに
2002
年11
月16
日、世界で初めてのSARS
症例(重症急性呼吸器症候群severe acute respiratorysyndrome)が中国の広東省で発生した。SARS
発生当初は、中国政府のSARSの伝染性に対する理解不足や情報隠しなどの原因で、危機管理対策の導入が遅れることになった。そのため、SARSの 流行を防ぐ機会を失い、SARS危機が中国全土に拡大することとなった。その後、SARSの流行は、
香港、ベトナム、カナダ、台湾などの
29
ケ国・地域に広がる。その結果、世界では8,098
人の症例 が報告され、うち中国だけで5,327
人が感染(死亡者数は349
人)する事態となった(WHO 2003)。五年後の
2008
年5
月12
日、中国中西部に位置する四川省汶川県でマグニチュード8.0
の地震 が発生する。この四川大震災においては、共産党と国務院は、地震発生直後から、迅速な指示を 出し、国内の関連省庁による緊急災害救助活動を促進する。また、中国政府にとってマイナスイ メージをもたらすような報道を避ける従来の方針を変更して、早急かつ開放的に震災情報を発信 する透明性の高い情報開示を行った。外国記者の被災地域への立ち入り取材も初めて認められて いる。そして、国際社会の物的人道支援に加えて、建国以来初めて、人的な国際人道支援も受け 入れたのである。この四川大震災において中国政府のとったより開放的な危機管理政策は、中国 政府が災害危機管理という民生分野の問題を全体主義の時代のように無視することが許されなく なっていると認識し始めたことを示している(Dennis 2009)。そして、このような認識はSARS で得た教訓と密接に関連していると考えられる(1)(Paik 2011,p.453)。2002
年に起きたSARS
危機は、2008年の四川大震災において中国政府のとった災害危機管理 政策にどのような影響を与えたのだろうか。具体的には、SARS危機後から2008
年5
月12
日の 四川大震災までの期間に、大規模自然災害時の危機管理政策において、如何なる変化があったの か。その変化はSARS危機とどのようなつながりがあるのか。そして、その危機管理政策の変化
は、四川大震災の時の政府の対応にどのような影響をもたらしたのだろうか。政策変化の分析に おいては、政策学習理論の視点が有用である(宗前 2008)。本稿では、政策学習の視点から
SARS後の中国における自然災害時の危機管理政策の変化を分
析する。本稿の構成は、まず次の第2
節で危機管理概念を紹介し、第3
節では先行研究のレ ビュー、第4
節で、研究調査と分析枠組みについて説明する。続いて、第5
節において、SARS 後の中国における自然災害時の危機管理政策の変化について概説する。第6
節と第7
節では、自 然災害時の危機管理政策の変化に関与するアクター分析及び自然災害時の危機管理政策の変化要 因の分析を行う。第8
節と第9
節において、自然災害時の危機管理政策の変化をもたらした経験 や教訓および災害危機管理政策の変化にともなう制約について分析する。最後に、第10
節で結 論と今後の課題について提示する。2.危機管理概念
危機と危機管理の概念は、もともと企業管理の分野で発展してきたものである(Stephen 1985;
Fink 1986)
。企業とはレベルは異なるかもしれないが、国家も戦争危機、金融危機、エネルギー危機、洪水、地震、鳥インフルエンザなどによる危機に直面し、より包括的で広範囲にわたる危機 管理能力を必要としている。国レベルにおける公共の危機管理政策に関する研究は徐々に増加す る傾向にある(Michael 1989;Barton 2008)。本稿では自然災害に対する危機管理政策に焦点を当
てた研究である。自然災害は「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異状 な自然現象により生ずる被害をいう(被災者生活再建支援法
2
条1
号)」などと定義される。(1)危機の概念
国際標準化機構(ISO)は、リスクマネジメントのガイドラインの中で、リスクを「目標に対 する不確かさの影響(Effect of uncertainty on objectives)」と定義している。ここに言う「影響」
には、目標に対するいい影響も悪い影響も含まれている(小林 2011、p.16)。
リスクが顕在化した時、リスク管理がうまくできないと、リスクが危機へと発展する可能性が ある(Heath 2010,p.9)。企業管理における危機は、「リスクが顕在化し、企業の資産、事業活 動、関連の利害関係者の生命・健康などに重大な被害・損失を与える事態(五木田 2010、
pp.111-164)」とされる。公共の危機とは、「社会システムの根底にある価値観や規範に深刻な脅
威を与え、極端なストレスや不確実性を伴い、重大な決定を必要とする状況(Rosenthal 1997,pp.277-304)」と考えられる。ハーマン(Herman)によれば、危機には「優先度の高い目標が脅
かされていること」、「対応可能な時間が限られていること」、「意思決定機関の予想外のこと」、という三つの特徴が見られる(Herman 1969,pp.205- 310)。
(2)危機管理の概念
大泉光一(2004、p.170)によれば、危機管理は「可能な限り危機を事前に予知し、その未然 防止を図るとともに、万一発生した場合に損失を最小限にとどめるためのあらゆる活動」とされ る。クームズ(Coombs 2012)によると、危機管理プロセスには、危機前(Precrisis)と危機対 応(Crisis response)と危機後(Post-crisis)の
3
段階がある。井上(2015、p107)は危機前の 段階をリスクマネジメントの領域、発生時の有事段階とその後の事後段階を危機管理の領域と位 置づける。本稿は自然災害発生直後の有事段階における中国の危機管理政策及び緊急対応の変化 に焦点をあてたものである。3.先行研究
自然現象による災害は公共危機の一つである。自然災害は、中国の経済発展と社会の安定に対 する重要な制約要因となっており、防災・減災や災害緊急対応は政府の重要課題の一つでもあ る。自然災害時の中国の危機管理政策に関する先行研究は、多く蓄積されている。本節において は、これらの先行研究を以下のように分類して紹介する。(1)自然災害における中国の危機管 理メカニズム;(2)災害危機管理の一環として、国際災害援助受け入れをめぐる中国政府の対 応;(3)自然災害時の危機管理における市民社会組織とメディアの役割;(4)自然災害時の危 機管理における人民解放軍の役割。
(1)自然災害における中国の危機管理メカニズム
自然災害における危機管理とは、壊滅的な自然の力に対する予防、避難、救済などの対応だけ ではなく、制度構築、政治的闘争、そして様々な関係者間の利益の再分配なども含む概念であ る。孫(2004)は
1949
年の建国以前と建国以降の中国の災害管理システムについて調査し、災害救援情報、資金、資材に関する中国の災害管理体制の問題点を分析した。蒋(2009)は
1978
年以降の中国における自然災害に対する緊急対応活動を整理し、改革開放以後の中国政府の災害 救援や減災活動の発展経緯について詳らかにした。イイ(Yi 2015)は中国の災害危機管理シス テムを構成する法律や組織体制を調査し、その変化と発展についてまとめた。陳(Chen 2016)は中国の防災における問題点を整理し、災害危機における政府の対応能力を制約する政治的要因 について分析した。彼は現代中国の災害危機管理において、多元化、分権化が進んでいると指摘 している。ソニー(Sonny 2014)は、四川大震災を事例として、震災後の最初の
72
時間における 中国政府の対応、人民解放軍の動員とその直面した困難を明らかにし、震災後の危機管理の実態 を分析した。どのように効果的な自然災害救援システムを構築し、自然災害による危機管理を改 善し、被災者の基本的な生活を保証するのかに関して、張(Zhang 2000)は中国の自然災害の救 援体制の問題点と改善点を指摘している。(2)国際災害援助の受け入れをめぐる中国の対応
国際災害援助の受け入れに関しては、改革開放以来、国際社会の人道支援に対する中国政府の 対応の変遷を概観したいくつかの研究がある(蒋 2009;孫 2004;韓 2010)。これらの研究によれ ば、建国以来、中国政府は長期にわたって国際緊急援助の受け入れを拒否する政策を取っていた。
徐々に受け入れ政策が前向きになってくるのは
1978
年の改革開放政策への転換以降のことであ る。1978年まで中国はなぜ国際支援を一切拒絶する政策を取っていたのか。この問題に関して、当時の中国政府は国際支援の受け入れを自力更生と社会主義制度の優位性を否定するもので、国 家の名誉を傷つけるものだと考えていたとする学説がある(范 2000、p.153)。中国が長期にわた り国際人道支援受け入れを敵視する態度を取った原因は冷戦下における東西二大陣営の対立、イ デオロギーの相違などの要因も考えられる(韓 2010)。パイク(Paik)は、四川大震災時の中国が オープンな受け入れ政策を採用した要因について、「当時の中国に国際社会からの政治圧力はな く、国内には激しい政治闘争はない、中国政党の合法性はイデオロギーよりもむしろ経済発展に 拠っていた(Paik 2011,pp.439-462)」と述べている。四川大震災における援助受入れ政策に関し て、張(2011)や鄧(2013)は、災害後の開放的な援助受け入れ政策が、中国の責任ある大国の イメージにプラスの影響をもたらしたと指摘している。デニス(Dennis)は、四川大震災時、中 国政府が開放的な国際支援受け入れの姿勢を示すのは、胡錦濤政権が集権時代のように人民の福 祉を軽視することはできないという認識を持っていたためであると指摘している(Dennis 2009)。
(3)危機管理における市民社会組織とメディアの役割
今日の危機管理において、市民社会は、自然災害時の緊急支援や救済活動において重要なアク ターとなっている。共産党を中心とした中央集権的な政治体制の制約を受けているとは言え、中 国においても民間の非営利組織としての性格を持つものは存在している。これらの組織は災害危 機管理の一翼を担うものとして、活発な活動を行っている(自治体国際化協会 2014)。中国の災 害ボランティアには、「政府主導型ボランティア」、「動員型ボランティア」、「自主参加型ボラン ティア」という三つの形態がある(仲 2016)。兪ら(2012)は四川大震災を「地震発生直後の段 階」、「震災緊急救援の段階」および「減災と復興の段階」という三つの段階に分け、各段階にお
いて「国家」と「社会」が果たしたそれぞれの役割とその変容を考察している。大谷ら(2014)
は四川大震災を事例として、中国の災害
NGO の役割と活動を考察する。曾ら(2012)は、自然
災害対応型社会システムにおける企業の役割と動きに重点を置きながら分析を試みる(曾2012)。シイュ(Xu)は災害後に中国の市民社会が直面する道徳と政治的ジレンマに注目する。
彼は市民社会の災害危機管理への関与が単なる被災者への同情の発見ではなく、権威主義的な政 治的文脈によって制約されると指摘している(Xu 2017)。
自然災害に伴う危機管理において、メディアはどのような役割を担っているのであろうか。中 国のメディアは通常、自然災害を克服するための国民の団結や共同努力を重んじる民族主義的文 化を強調するプロパガンダとして機能している。張(Zhang 2017)は中国のメディアがどのよう にこの民族主義的文化の強調を通じて、災害救済を促進しているのかについて分析を行ってい る。地震の直後に中国のメディアは国民の団結と調和を鼓舞したが、時間の経過とともに、被災 地の地方政府に対し、批判的な言動を見せるようになり、政府に対する市民の信頼を揺るがせる 可能性もあった。地震の直後には政府や軍隊の救援活動に対する民衆の支持が高まったのだが、
この支持率はすぐに地震前のレベルに下回ったという指摘もある(Pierre 2009)。
(4)災害危機管理における中国人民解放軍(PLA)の役割
軍隊は、災害救助活動において重要な役割を果たしており、災害危機管理においてなくてはな らない存在である。中国では、1949年以来、中国人民解放軍(People s Liberation Army,以下
は
PLA)が、中国国内の自然災害への対応において中心的役割を担ってきた。近年、安全保障の
脅威としては非伝統的な分野に属する自然災害を、軍事的側面から捉える必要があるという認識 が中国の指導者と
PLAの間で高まっている。林(2012)は市場化と都市化に伴う中国国内の災
害リスクの増大がPLAの役割の変化を促進する要因となっていると主張している。ジャン(Zhang 2014)は、救援活動において
PLAが重要な役割を果たしていることを認めながらも、軍
隊への過度の依存は、市民社会に基づく効果的な国家災害管理システムの健全な発展にとって潜 在的な脅威となり得ると警告している。以上、先行研究の分析を通じて、中国政府がどのような危機管理システムを構築しているの か、そして中国政府が国際災害援助の受け入れをどのように決定されているのか、その歴史的・
政治的背景について概観してみた。また、自然災害の危機管理における軍隊、市民社会組織、メ ディアなどの役割についても考察を加えた。これらの研究は、中国における自然災害時の危機管 理政策に関する静態的な記述だと考えられる。自然災害時の危機管理政策の変化と発展に言及し た先行研究も幾つか存在しているが、これらの研究は変化そのものを説明するにとどまってい る。危機管理政策がどのようなプロセスを経て最終的に改変されたのかについての分析はなされ ていない。これらの先行研究では、危機管理政策の変化に関与するアクターや政策変化の背後に ある動機などを包括した政策決定プロセスにまで踏み込んだ分析はなされていない。
本稿は、SRAS危機後から四川大震災の発生前までの期間における自然災害に対する中国の危 機管理政策の変化に注目し、「政策学習」の観点から政策変化のプロセスを分析することを目的 とするものである。
4.研究調査と分析枠組み
(1)研究調査
本稿の研究方法としては、一次資料の収集・分析と聞き取り調査を実施する。まず、中国政府の 公文書に関して、筆者は主に
2003
年から2008
年5
月までの時期における自然災害時の危機管理政 策に関する法律、法規、法令、部門規定などを収集した。この期間に公開された中国側の最高指導 者や政府関係者の言論およびレポートなどの資料を収集した。また、この時期の中国の災害政策を めぐる日本語、中国語と英語の記事を参照し、情報源が確認できるものを選択し活用している。一次文献資料調査としては、筆者は日本と中国の大学、研究機構や図書館において文献資料を 可能な限り収集した。2016年
9
月、国家図書館、山東省図書館、山東大学の図書館を中心に、一次文献資料調査を行った。文献・資料収集の補足として、聞き取り調査を実施した。主に中国 で関連政府機構(中央・地方)、関連
NGO、関連研究者を対象として、半構造化インタビューと
非公式の会話などの方法を用いて二回のインタビューを行った。(2)分析枠組み
政策変化は政治の世界においては日常的な現象といえる。政策分析に関する従来の政治学研究 は権力の対立を軸とするアプローチをとり、政策の変化は政治的対立や政治権力の駆け引きの産 物として理解されていた。1974年ヘクロー(Heclo)は、従来のアプローチと異なる政策学習と いう視点を政策変化の分析枠組みとして導入する。ヘクローの政策学習理論によると、政府は、
社会経済環境の変化に注目しつつ、これまでの国内政策の結果や経験から学習を積み重ねて、既 存の政策を調整していると考えられる。ヘクローは「政策の変化は、政策立案者が政策学習を通 じて得た経験や教訓から学んだ結果として起こる。」と述べている(Heclo 1974,p.305)。しか し、ヘクローは、具体的な分析のメカニズムを示しておらず、関連する概念の定義や区分なども 不明瞭であった(平松 2002)。
1988
年、ホール(Hall)は政策学習の理論をさらに発展させた社会学習理論を提唱した。ホー ルは、学習は「政府の最終目標をより良く達成するために、過去の政策の成果と新しい情報に基 づいて政策目的や技術を調整する意図的な試み」であると主張する(Hall 1988)。ホールは社会 経済環境の変化とそれによる政策の失敗を社会学習の契機とし、社会学習の三つの特徴について 次のように述べている。第一に、政策決定プロセスにおいては、過去の経験が最終的な政策決定 に影響する主要な要素となる。第二に、政策学習の過程では、当該政策に関係するエリート官僚 が、政策の方向性を決める上で重要な役割を担う。第三に、国家は能動的な存在であり、社会的 圧力から相対的自律性を持って行動する。加えて、彼は社会学習は三つのレベルにおいて政策の 変化をもたらすものと考えている。第一レベルは、政策手段の構造の変化である。第二レベルは 政策手段の構造と政策手段そのものの変化である。第三のレベルは政策手段の構造と政策手段と 政策の全体的な目標の変化である。ホールは第三レベルの変化を「パラダイムシフト」とも呼ん でいる。政策が第一レベルと第二レベルにおける政策変化は漸進的なものであり、政策を質的に 変革させるものではない。この二つの学習段階における政策学習の主体は政策分野の官僚と専門 家である。第三レベルにおける学習主体は政府、メディア、及び政府外部のステークホルダーを 含む多様なアクターである(Peter 1988)。ローズ(Rose)は、1991年に「教訓導出学習」の概念を提示した。「教訓導出学習」理論はプ ログラムや改革の移転の可能性に着目するものである。すなわち、他人の教訓や経験から自分自 身の欠点や誤りを補う方法を学ぶものである。彼は各国の置かれている環境が異なるとはいえ、
同じ政策分野において類似の問題や課題に対処する場合は、お互いの経験を共有することにより 相互学習を促進することが有効であると考えている。そして、「教訓導出学習」においては、現 状に対する「不満」が学習の契機となると考えている。「教訓導出学習」には次の四つの方法が あげられる。一つ目は、すでに他国が採用している政策や計画などをそっくり模倣することであ る、二つ目は、すでに他国が採用している政策や計画などを特定の状況に応じて微調整すること である。三つ目は、他の二つ以上の地域で採用されているポリシー・オプションを組み合わせる ことである。四つ目は、他国の経験に学び、なおかつ自国の知識や独自のアイデアを用いて、自 国に合った新しい政策を再構築することである。
政策学習理論によれば、政策学習の参加者は、以前の政策から得られた結果や教訓、そして他 の国々から得られた経験から学び、既存の政策を積極的に調整して政策の変更を行っている。こ の 政 策 学 習 理 論 に 政 策 移 転 と い う包 括 的 な 分 析 枠 組 み を 提 案 し た の は、ド ロ ー ウィッツ
(Dolowitz)とマーシュ(Marsh)である。ドローウィッツとマーシュは、ローズと同様に、異な る国がお互いの経験から学習することが可能であると考え、1996年と
1998
年に政策移転理論を 提唱した。彼らによると、政策移転は、ある政治的背景(過去または現在)を持つ政策、行政的 取り決め、制度およびアイデアに関する経験や知識が、他の政治的状況における政策、行政的取 り決め、制度およびアイデアの発展に寄与するプロセスである。ドルーウィッツとマーシュ(2000)は政策移転の分析枠組みとして「政策移転の理由」、「政策移転の主体」、「政策移転の内容」、「政 策移転経験の経験・実施例」、「政策移転の程度」、「政策移転の制限」「政策移転の表現」「政策の 成否につながる政策移転」という八つ側面を導入する。具体的には、「政策移転の理由」とは、
アクターがなぜ政策移転に関わっているのかを示し、「政策移転の主体」は政策移転のプロセス における主要な関与者を指している。「政策移転の内容」と「政策移転の表現」は、どのような 政策移転が行われたか、そして移転された政策がどのような形で具体化されるのかを意味する。
「政策移転の経験・実施例」は他国における経験の分析と学習である。「政策移転の制限」は、政 策移転のプロセスを制限する要素が何であるのかを指す。「政策の成否につながる政策移転」は 政策移転のプロセスが政策の成否にどのように関連しているのかを意味する。「政策移転の程度」
は、政策がどの程度、移転されたのかを示す。この分析枠組みは、異国間の政策学習プロセスだ けでなく、国内の各地域や各分野における政策学習プロセスにも適用することが可能である。
本研究では、主にドローウィッツとマーシュの分析枠組みを参考にして、SARS後の中国にお ける自然災害時の危機管理政策の変化を分析する。まず、「政策移転の内容」と「政策移転の表 現」に関連して、SARS後の中国における自然災害の危機管理政策の変化を概説する。第二に
「政策移転の主体」として、中国の自然災害時の危機管理政策の変化に関与するアクター分析を 行う。第三に「政策移転の理由」として、SARS後の中国における自然災害の危機管理政策に変 化をもたらした要因を分析する。第四に、「政策移転の経験」から学ぶために、自然災害の危機 管理政策の変化をもたらした具体的な経験について分析する。第五に、「政策移転の制限」とい う側面から、中国の自然災害危機管理政策の変遷過程における制約要因を分析する。最後に、
「政策成否につながる政策移転」について、SARSの教訓をもとに変更を余儀なくされた中国の 自然災害時の危機管理政策が、四川大地震時において実際にどのように機能して、どのような結 果をもたらしたかについて分析する。
5.SARS 後の中国における自然災害時の危機管理政策の変化
2002
年11
月16
日、広東省佛山市でSARS
の最初の症例が発生した(2)。SARS流行の初期段階 においては、地方政府の対応能力の不足や中国政府の不適切な政策や情報統制により、SARSの 感染が拡散し、SARS状況の危機が中国国内にとどまらず、海外へも波及していく。SARSの後 期、中国国内において上意下達型の緊急管理体制が形成された。しかし、その管理体制は必ずし も制度化されたものではなく臨時的な性格の強いものであった。SARS後、政府の災害危機管理 政策に注目する研究がいくつかなされている(3)。この間、中国政府の災害危機管理政策も大きな 変化を遂げる。本節においては、SARS後の中国における自然災害に対する危機管理政策の変容 を、災害危機管理メカニズムの構築と災害時における情報管理という二つの側面から考察する。(1)危機管理メカニズム構築と展開
①危機管理メカニズムの構築の契機(2003年)
2003
年7
月28
日、SARS予防管理全国会議が北京で開かれ、胡錦濤国家主席による緊急対応を 含む災害管理メカニズムの構築にかかわる指示が出される(中共中央文献委員2016)
。2003年10
月
11−14
日に開かれた中国共産党第16
期中央委員会第3
回全体会議において、中国共産党中央委員会(以下は中共中央)は「社会主義市場経済体制整備の若干の問題に関する中共中央の決定」
が採択される。この決定には「政府の公的緊急事態やリスクへの対応能力を向上させるためには、
早期警戒と緊急メカニズムの確立と改善を迅速に行う必要がある」という指摘が含まれていた(中 国共産党歴次代表大会データベース)。上記
2
回の会議から、胡錦濤主席を含む中共中央がSARS
後においても、災害危機管理メカニズムの必要性と重要性に留意していたことがうかがえる。中 共中央の決定に応じて、2003年12
月には国務院の中に応急計画作業部会が設置されている。②危機管理メカニズム構築の展開(2004年−2008年)
2004
年1
月、国務院弁公庁は各省庁と委員会を招集し、災害応急計画の準備に関する会議を 開いた。同年3
月、国務院は河南省鄭州で省・市および大都市の緊急対応計画に関するシンポジ ウムを開催する。2004年3
月4
日、全国人民代表大会において、自然災害、治安事件、伝染病の 大流行などの緊急事態によって引き起こされる治安危機に関連する中華人民共和国憲法の改正案 が可決された(全国人民代表大会2004)。2004
年4
月、国務院弁公庁が「突発事件応急マニュア ル編成ガイドライン」を発表する(4)(国務院弁公庁2004)
。2004年9
月の中国共産党第16
期中央委 員会第4
回全体会議において、中共中央は党の統治能力を強化する観点から、災害や危機管理メ カニズムの確立を加速することの重要性を強調している(中国共産党歴次代表大会データベース)。2005
年4
月、すべての災害関連省庁が含まれる中国国家減災委員会が設置される。この委員 会は国務院が主導する各省庁間の調整機関である(5)。国家減災委員会は国務院の承認を得て2005
年に専門家委員会を設けた。専門家委員会は災害管理分野におけるシンクタンクとして、政策諮問、理論的指導、国家総合防災に関する科学技術の研究や促進を支援している(6)。国務院
は、2004年
4
月「突発事件緊急対策マニュアル編成ガイドライン」を発表し、関係省庁はこの ガイドラインをもとに、緊急時の対応計画を策定するようになった。例えば、中国国家地震局は2005
年に「地震応急計画」を改訂し、「地方の地震緊急特別計画の改訂のためのガイドライン」を発行し、地震に対する緊急対策を確立するよう地方政府に対する指導を行った。2005年
5
月14
日、民政部の「自然災害救助応急計画」が国務院に承認され、民政部は2006
年6
月にこの応 急計画にもとづいて「自然災害対応の作業手順」を改訂している。2006
年2
月、国務院による「国家突発公共事件総合応急対策計画」が公布された。総合的な 危機管理計画として、公共緊急事態の分類、国務院の組織体制および作業メカニズムなどについ て明らかにし、災害予防、予測および早期警報、情報報告、情報発信、緊急対応と処分、復旧と 復興など災害管理の仕組みを規定している。また、この計画は各地方政府を指導する際の規範文 書でもある。2006年4
月10
日、緊急事態管理における国務院の役割を強化するために、国務院 に応急管理弁公室が設置される。応急管理弁公室は国務院の危機管理の日常業務を担当し、緊急 事態への対応、情報集約および包括的な調整の任務を遂行する。「国家突発公共事件総合応急対 策計画」を全面的に実施するため、2006 年7
月6
日に国務院は「応急管理の全面的な強化に関 する意見」を発表する。2006年8
月、中国共産党第16
期6
回中央委員会総会において、中共中 央は「政府は統一領導、相互調整、分類管理、分級責任、及び属地管理を主とする応急管理体制 を構築する」と政府の役割を規定している(宮尾 2012)(7)。恒久的な危機管理制度を構築するためには、関連する法制度の整備が必要となる。「国家突発公 共事件総合応急対策計画」は法律ではなく、時期が限定された活動計画にとどまる。2007年
8
月30
日、第10
期全国人民代表大会常務委員会第29
回会議で「中華人民共和国突発事件対応法」が 可決される。これの法律は、各種緊急事態における緊急予防、緊急対応、早期警報、救助、復旧、再建に関する詳細な対策を規定する。2007年
10
月、中国共産党第17
回全国代表大会において、危機管理メカニズムの構築が初めて党代会の報告に書き入れられた。党代会の報告は社会建設を 加速する上で重要な課題として危機管理メカニズムの構築を取り上げている(人民日報
2007)
(8)。③自然災害の危機管理メカニズムの理念
2003
年以前に公布された災害管理に関する法規は、「社会建設安全の保護」、「社会主義近代化 建設の円滑な進展の保証」、「国家経済社会開発のニーズへの適応」といった概念その根底にある と考えられる(9)。SARS
後(2003−2008年)に策定された危機管理政策は、自然災害における人権保護にも対応 する内容となっている(10)。人権保護の範囲については、伝統的な災害の法律によって保護され ている生命と財産権だけでなく、食料、水、住宅、健康そして人々の知る権利に対する保護も包 含している。(2)災害時における情報管理政策の変化
①災害情報管理政策の背景
中国政府は長い間、自然災害による被害者数を国家秘密のカテゴリーに含めていた。 2000年 に民政部の発行した「民政事における国家機密と機密水準の範囲に関する規定」には、「自然災 害に起因する飢饉、物乞い、死亡者数などの関連資料が「秘密事項」である」ということが記載
されていた(民政部法規弁公室
2001)。災害情報発信に関しては、中国政府は新華社通信などの
公式メディアを通じてのみ災害状況を発表した。他の非公式な情報源からの災害情報へのアクセ スは国家機密の盗難または漏洩とみなされ、通常は長期懲役に処せられた(蒋 2014)。災害報道 の場合、メディアは政府機関の災害救助活動や災害救助活動に従事する善良な人々や明るい事柄 に関する報道に焦点を当てることを求められた。災害状況に関するすべての数字は報道される前 に宣伝部門による審査を通らなければならなかった(王 2009)。例えば、SARSの発生は中国の 両会(11)の会議期間であったため、中国宣伝部はメディアにSARS情報の報道を停止するよう指示 している(Kleinman 2006;郝 2005)。②
SARS
後における災害情報管理政策SARS
は中国の災害関連政策に多大な教訓をもたらした。SARS後、中国共産党と政府は緊急 事態に関する情報公開を強化し始め、知る権利を含む人権保護の問題にも注目するようになっ た。2003年、中国共産党中央委員会は、「人権の尊重と保護」の内容の追加を含む憲法改正案を 提案した。2003年8
月には、中国共産党中央委員会弁公庁(弁公庁は日本の官房に相当する)と国務院弁公庁が「国内突発事件をめぐる報道の改善と強化に関する通知」を発表した。この通 知は、災害報告、災害報道及び緊急調整の仕組みを確立し、改善を図る必要性を明確にしてい る。また、この通知において、初めてメディアの早期警戒機能とサービス機能が追加され、イン ターネット報道などの効用が高く評価されている。
2004
年2
月、国務院は「国内緊急事態のプレス・リリースの改善と強化に関する意見」を採 択する。この意見において、「緊急事態のプレス・リリースの改善と強化は、党と国家全体の活 動に資するものであり、国民の重大な利益を守る助けとなり、社会の安定と国民の安定に寄与す る」という認識が示された。国務院はすべての関連部門にプレス・リリースシステムの確立と改 善を要求しており、タイムリーかつ正確にニュースを伝達するために宣伝部門と協力するよう求 めている。また、情報管理を強化するために、SARSの後、一部の国務院省庁では報道官制度を 導入している。2004年には、国務院新聞弁公室、中央省庁、そして省レベルの地方政府という 三つのレベルをカバーする報道官制度の構築が図られた(12)(富窪 2009)。情報伝達の仕組みを完 備するために、2004年2
月17
日、民政部は「自然災害状況の統計制度に関する通知」を発表す る。「自然災害状況の統計制度」は災害報告の即時性を強調している。この統計制度は、県レベル の民政部が管内で発生する災害状況を理解し、習得することを要求している。死傷者や大規模な 物的・財的損失をもたらす災害については、県レベルの民政部門において、災害後3
時間以内に 報告書に記入し、地方(市)レベルの民政部門に報告する義務がある(民政部救災救済司 2005)。2005
年9
月12
日、国家保密局と民政部は北京で記者会見を行い、「民政事における国家秘密 と秘密水準の範囲に関する規定」の改定により、自然災害による死者数がもはや国家機密では なくなったことを発表する(宋 2005)。「国家突発公共事件総体応急計画」は公的緊急事態の情 報公開に関する規定を明確にし、関連部門に、緊急事態の発生後、適時、正確、客観的かつ包 括的な方法で災害情報を公開することを求めた。2006年9
月6
日、民政部は「災害による被災 者数の統計と公開に関する通知」を公布した。被災者数に関する情報の透明性を一歩前進させ るために、この通知は被災者数の範囲と情報公開について具体的な規定を設けている(民政部 法制弁公室 2006)。2007
年1
月17
日、国務院の第165
回常務会議は「中華人民共和国政府情報公開条例」を可決 した。2008年5
月1
日「中華人民共和国政府情報公開条例」が公布され、災害報道における中国 のメディアに対する法的保護がさらに強化された。この条例は「政府情報は公開を原則とし、非 公開を例外とする」という基本理念を確立し、重要な緊急事態を報道するための法的根拠を提供 するものである(岡村、刈田 2008)。2007年8
月30
日、第10
期第29
回全国人民代表大会常務 委員会は「中華人民共和国突発事件対応法(以下、突発事件対応法)」を可決した。「突発事件 対応法」は中国における防災と災害救援に関する最初の包括的法律であり、2007年11
月1
日に 発効している。「突発事件対応法」は国民の知る権利を満たすために災害情報を適時に公開する ことを政府に求めている。「突発事件対応法」においては、「報道機関が許可なく緊急事件の情報 を公表することができず、緊急事態が発生している地方政府は報道機関の関連報道を管理すべき である」としていた規則を削除し、代わりに「機構または個人が緊急事態または緊急対応活動に 関する誤った情報を作成または公表することは許されない」と規定している。6.自然災害時の危機管理政策の変化に関与するアクター
以上は
SARS
後の中国における自然災害に対する危機管理政策変化の実態を概説した。本節で は、自然災害の危機管理政策の変化に関与するアクターについて説明する。(1)中国共産党
中国建国以来、中国共産党は唯一の与党として、中国社会の中で「中核的地位」を確保し、
「指導的役割」を果たしてきた(小島 1999)。中国共産党の最高権力機関は党の全国代表大会(党 代会)である。党代会は五年ごとに開催されることになっている。閉会期間中、党の中央委員会 や中央政治局と中央政治局常務委員会を中心とする党の中央機関は年に一、二回の総会を招集す ることになっている。これらの中央機関の中で、一番重要な中枢的役割を担うのは中央政治局常 務委員会である。この常務委員会は党主席、副主席、総書記などの最高指導者たちによって構成 される。例えば、2003年から
2008
年は、「胡錦濤が政治局常務委員会の長であり、いかなる重 要決定も胡錦濤の支持が必要とされる」(岡部 2011、p.8)。中国共産党は政策学習における最も 重要なアクターである。胡錦濤主席は、2003年
7
月28
日の全国SARS防止会議において、SARSの教訓に学ぶ必要性と 緊急時の応急管理メカニズムの重要性を強調し、SARS終了直後の第16
期中国共産党中央委員会 第3
回総会において、応急管理メカニズムの改善を促した。応急管理メカニズムの改善について は、2004年の第16
期中央委員会第4
回総会および2006
年の第16
期中央委員会第6
回総会にお いても、言及されており、2007年の第17
期中国共産党全国大会では大会報告書に応急管理メカ ニズムの構築が明記された。緊急時における応急管理メカニズムが中国党大会の報告書に記載さ れるのは中華人民共和国建国以来初めてのことであり、これによって、中国共産党は緊急時や災 害時における危機管理メカニズムの制度化を完了する。(2)政府機関
青山(2013)が指摘したように、中国の中央指導部は国家戦略の原則や基本方針などを決定
し、具体的な政策やその実施は各省庁がその責任を担っている。こうした中国の実情を踏まえ て、ここでは災害応急政策の改善をめぐる関連省庁レベルにおける政策学習について考察する。
国務院は行政の最高機関であり、対外政策と国内政策を遂行する権限と責任を与えられている。
国務院は総理、副総理、国務委員で構成される。また、様々な行政業務を担当する部・委員会な どが設置されている。災害管理に関する政策学習は、国務院が率いる政策ネットワークの中で行 われる。SARS危機の後でも、関連省庁と関連局が動員され、緊急災害政策を策定している。
具体的には、全国
SARS
防止会議での胡錦濤主席の要請を契機とする第16
期第3
回中央委員会 の決定に基づき、2003年12
月に国務院弁公庁が応急対策計画業務グループを作る。2005年12
月には、国務院弁公庁に危機管理弁公室が設置され、中央政府レベルの業務体制が整備される。SARS
後数年の間に、国務院によって応急計画の策定と改訂、災害情報のプレス・リリース制度 の構築、人々の知る権利の保護などが実施されたのである。国務院の指示に従って、関連省庁は政策学習に継続的に参加し、当該分野の応急政策を策定し ている。国務院の省庁の中でも民政部はいち早く政策学習に参加し、2004年に、「自然災害情報 の統計制度」に関する通知を出す。民政部は「国家自然災害救助応急計画」の作成も主導し、そ の後自然災害による死亡者の情報に関する機密事項指定の解除を行っている。災害管理業務にお ける民政部の職務をより明確にするため、2006年に自然災害に対処するための作業手順の再改 訂も実施した。
国務院以外のもうひとつの政策学習主体として、全国人民代表大会及び常設委員会が挙げられ る。全国人民代表大会(全人代)とその常設委員会は中国における立法権の最高機関であり、
「その会期中において外交問題に関係する活動報告を聴取、承認し、外交問題について質問・意 見を述べる」権限を持っている(小島 1999、p.136)。また、民生政策などに関する議題も検討 し、民生問題をめぐる法律を起草・制定することができる。SARS後、全国人民代表大会は、災 害管理の法的側面についての議論を加速させた。2004年
3
月、全国人民代表大会は、自然災害、治安事件、疫病の発生などの重大な治安危機における緊急対策に関する討議を行い、災害予防と 救済のための法律や規定を憲法において保証する中華人民共和国憲法修正案を可決した。2007 年
8
月30
日、第10
期全国人民代表大会常務委員会第29
回会議において、自然災害を含む突発 事件への対応を定めた「突発事件対応法」を採択している。(3)危機管理政策に影響を与える他のアクター
中国共産党、政府機関に加えて、災害危機管理政策に影響を与えている重要なアクターとして は、研究者、メディア、ネチズン(ネット−シチズン/net citizen)が挙げられる。
SARS
危機の後期には、中国の閉鎖的な情報管理によって引き起こされた感染リスクの拡大に 対して、一部のメディア、研究者及び市民が警鐘を鳴らし始めた。これらの外部アクターは政府 の災害管理政策に対して批判的な見解を表明する状況も見られた。2003年4
月9
日、中国青年報 は「情報公開と社会安定性」という見出しで、SARSの問題について、「社会的安定のためにも、政府は民衆に不満を表明する場を与えるべきである」、「人民大衆により広範な発言権と知る権利 を保障しなければならない」などと重要な指摘を行った(中国青年報 2003)。2003年
4
月14
日、人民日報も「SARSは人々の安全と健康に影響を及ぼしている。政府は人々の健康と安全を一番
に優先すべきである。」とコメントした。雑誌の『財経』は「SARSは中国を変えなければなら ない」と題するSARS特集を出している。この特集には、周瑞金、呉敬漣と王元化といった著名 な専門家による情報開示の重要性を指摘する記事も含まれていた(13)(財経 2003)。白鋼教授(中 国社会科学学院公共政策研究センター所長)もSARS危機によって市民の知る権利に対する関心 が前例のないレベルまで引き上げられたと述懐している(楊 2003)。
SARS
危機以後、特に大規模な災害が発生した場合における国民の知る権利に対する要請は高 まっており、政府はそうした国民の関心事に関する情報を迅速に公表し、国民の安全と利益を守 ることを求められるようになった。また、多くのネット−シチズンたち(インターネットなどの 情報ネットワークを自由に使いこなす人)がワイボ(ツイートに相当する)やBBS(Bulletin
Board System
/電子掲示板)などのソーシャルメディアを使って、政府の業務を監視したり、政府の災害政策の不備について意見を述べたりするようになった。天涯
BBSを例にとると、
SARS
に関する投稿件数は8,141
件、四川大震災に関する投稿件数は418,495
件に上っている(14)。7.自然災害の危機管理政策の変化における原動力
著者の聞き取り調査において、災害管理政策の変容の要因が主に
SARSによる国内教訓と国際
的圧力に起因するものであることが示唆された。(1)SARS による国内教訓
SARS
の初期段階において、加藤(2008)が指摘したように「SARS危機のように人命に関わ る問題であっても必要な情報を得られない国民は適切な対応をとれなかった。政治の安定が人権 に優先され、日常的な情報統制によって党・政府に都合の悪い情報が公開されないため、国民の 党・政府に対する不信感がより増幅した」。政府の情報隠ぺいのために、様々なニュースが「非 公式」チャンネルを通じて広まり、社会不安を引き起こし、経済分野の混乱にもつながった。財政部の金人慶部長は
SARS の影響で 2003 年の中央政府の税収は 200
〜300
億元減少するとい う予測を公表している(中国新聞網 2003)。SARS
は、危機管理における中国政府の欠点を露呈した。当時、政府の危機管理には、組織的 かつ制度的な法的裏付けはなく、統一的な対策の実施と調整のためのメカニズムに欠けていた。そのため、危機に直面して、一部の政府機関は迅速な判断と対応を行うことができなかった。
SARS
危機によってもたらされた教訓と学習効果により、SARS後中国政府は従来の危機管理政 策から決別し、その改革に取り組むようになったのである。(2)国際社会の圧力
国内の教訓に加えて、国際社会の圧力が中国の災害情報管理を開放する原動力となった。 前 述したように、中国政府においては、自然災害による被害者数と災害状況に関する情報は伝統的 に国家機密のカテゴリーに含められるものであった。国家的な災害情報の閉鎖性のため、国際社 会は災害救援に関する中国政府の行動に高い評価を与えることはなかった。 そして、災害情報 の隠ぺいともとられる中国政府の態度に対して、国際人権機関は、人権に関わる問題として疑問 を投げかけた。特に
SARS
に関する情報隠しは中国政府にとって国際的な信用危機をもたらした(顧 2011)。中国政府の不適切な対応(情報隠ぺいと感染症対策の遅れ)に関して、中国政府は
WHO
などの国際機関や国際社会から多くの批判を受けることとなった(RFA 2004;AP 2003)。2003
年4
月16
日の記者会見でWHO
は「国際社会は全く中国の統計を信用していない、と政府 には伝えてある。今こそ信頼構築作業を始めなければならない」と厳しい言葉で、中国政府を批 判した(竹腰 2003)。著者のインタビューに対して政府関係者は「改革開放の深化と国際減災活 動の進展に伴い、災害情報管理における中国政府の従来のような閉鎖的政策は、減災と災害救援 における国際交流と協力を阻害し、必ずや国際社会の厳しい批判を受ける。」と述べている(15)。SARS
後、情報公開の推進は胡錦濤体制の主要な政策課題の一つとみなされ、関連制度や法規に 関する整備が進められた。8.自然災害の危機管理政策の変化に関する経験・実施例
ヘクロとホールの政策学習理論において、「学習の対象」として想定されているのは自国での 過去の政策がもたらした結果である。ローズの「教訓導出学習」は同様な政策問題に直面した他 国や他地域において実施された政策とその教訓を「学習の対象」とする。中国の危機管理の場合 には、自然災害時の危機管理政策の「学習の対象」として、SARS危機における経験と危機管理 政策における他国の既存の経験が生かされている。
(1)SARS 危機における経験
SARS
危機は、中国の危機管理における歴史的な転換点に起こった出来事だったと言える。SARS
危機は中国政府の危機管理において多くの問題を露呈させることになった。例えば、不完 全な公共危機管理システムの問題であり、閉鎖的で統制的な災害情報管理システムの問題である。公共危機管理システムの不完全性については、危機管理のための法律、規制及び計画の欠如、
専門の危機管理組織や異なる政府部門間のコミュニケーションや調整メカニズムの不備などが挙 げられる。SARSの教訓に基づき、SARS後、中国政府は公共危機の事態に対処するための関連 法案や規制の整備に取り組むようになっている。例えば、2004年の中華人民共和国憲法の改正 や「突発事件応急マニュアル編成ガイドライン」「自然災害救助応急計画」などの策定などが挙 げられる。SARS後、中国政府は、危機管理のための専門的な機関を設立する必要があることを 認識した。そのような機関は、危機管理における調整と協力のメカニズムを構築する上で重要で ある。例えば、国務院は
2006
年に応急管理弁公室を設立し、2005年4
月、すべての災害関連省 庁が含まれる中国国家減災委員会を設置した。危機的状況での政策立案にはさまざまな分野の専 門家の参加が必要であることから、国家減災委員会は国務院の承認を得て2005
年に専門家委員 会を設置している。SARS後、自然災害に関して国民の知る権利についての認識や要請が高まる につれ、政府は災害情報の開示や伝達に向けての一連の措置を講じている。(2)他国の既存の経験
中国の災害管理政策に関する学習対象については、SARSから学んだ教訓に加えて、国際社会 経験を参考としている事例も見られる。2003年の全国
SARS
防止会議で、胡錦濤国家主席は、応 急管理メカニズムの構築のためには外国の有用な経験に注意を払うべきであると述べている(中共中央文献研究室 2013)。2006年
2
月に公布された「国家突発公共事件総合応急対策計画」は米 国の連邦緊急事態管理庁や日本の中央防災会議の関連資料を参考にして作成された(顧 2011)。また、「突発事件対応法」の起草もアメリカ、ロシア、ドイツ、日本などの関連法制を研究した 後、策定されたものである(宮尾 2012)。
9.自然災害の危機管理政策の変化における制限
政策学習によって体得された知識や教訓はそのまま政策に反映されるわけではない。いろいろ な要素が政策知識の投入に影響している。本節では、「自然災害の複雑さ」と「中国政治体制」
という二つの面から、自然災害の危機管理政策の変化における制限を分析する。
(1)自然災害の複雑さ
自然災害の危機管理政策は様々な自然現象に起因する災害を対象としている。中国の広大な領 土と複雑な気候条件や社会構成のために、中国は多種多様な自然災害に直面し、その頻度も高 い。これらの突発的な災害は、不確実性と予測不能性という特徴を持ち、災害政策学習を困難に している。また、自然災害発生後、一つの機構で災害に対応することは困難であり、各省庁が協 力して災害救助活動にあたる必要がある。同時に、参加主体が多様化し複雑化することからくる 主体間のコミュニケーションや調整能力が重要になってくる。
(2)中国の政治体制の制限
自然災害の複雑さに加えて、政策学習の障壁の一つとして制度上の制約がある。政策学習され た知識はそのまま政策につながるわけではなく、政策決定過程での「政治」、とりわけその制度 に制約される(秋吉 2012;James 2009)。秋吉(2012)は制度による制約を「政策決定の場」「拒 否点」「政策遺産」という三つの制度要因に分類する。中国の場合には、中国共産党が国家の意 思決定システムにおいて主導的地位を占めており、すべての国家機関は中国共産党の直接指導の 下、それぞれの与えられた機能・役割を果たしている。この意思決定システムにおいては、共産 党と他の意思決定者との間に平等な関係は存在しない。具体的には、中国の危機管理における政 策学習は胡錦涛国家主席の指示に基づいて、中国共産党が主導して実施されるものである。共産 党の要請に応えて、中央政府は関連省庁を動員し、国家の災害管理政策の策定や改訂を行った。
そして、中央政府は、地方政府に国家の災害管理政策に適合する地方政策を策定するよう指導す る。SARS後の中国の災害管理政策の学習プロセスはトップダウン方式で行われたといえる。
専門的な災害管理政策学習は、主に国務院が率いる小規模の政策ネットワークを通じて行われ た。一部の研究機関や研究者もメディアなどを通じて政策提案を行っているが、実際の政策立案 に及ぼした影響を測ることはできない。他にも政策学習に関する外部アクターとして、民間の災 害関連組織(NGO)の存在があるが、その影響力は災害政策の実施段階に限定される傾向があ る(16)。また、災害危機管理に関する政府の行動を監視する上でネチズンやメディアの役割も限 定的である。
災害管理政策の理念については、従来の国家中心から人権保護や国民中心の理念に移行しつつ あるように見える。しかし、中国政府が伝統的に維持してきた国家中心の安全保障政策の概念か
ら人間中心の安全保障へと転換するにはまだまだ時間を必要とするであろう。中国政府は災害関 連情報を公開すると宣言しているが、実際には閉鎖的な情報管理モデルが依然として根強く、情 報に関して開放的な文化が浸透するには至っていない。国務院は
2007
年4
月に「中国の政府情 報公開条例」を公布している。中国における「条例」とは、行政機関である国務院が憲法及び法 律に基づいて定める行政法規であり、今後、情報公開を確保する法律の制定が待たれる。10.結論と今後の研究課題
以上のことから、SARSの教訓を学習した結果、中国の自然災害分野における危機管理政策は
SARS
後に大きく変化を遂げたことがわかった。本稿では、政策学習の理論を組み合わせて、危 機管理政策変化の実態、危機管理政策変化の関与者、危機管理政策変化の背後の要因などの側面 から、SARS教訓の政策学習プロセスの分析を試みた。そして、危機管理政策の変化から、自然 災害の危機管理メカニズムの改善につながったことを理解できた。それと同時に、災害情報管理 においても、中国政府が国民の知る権利保護に注目するようになり、災害に関する情報公開を進 めるようになったことが明らかにされた。自然災害に対する危機管理政策変化の関与者は、第一 に中国共産党、第二に関連政府機関、そして、第三に研究者やメディア、ネチズンといった外部 アクターという三つのカテゴリーに大別される。自然災害時の危機管理政策変化の契機は、主にSARS
の流行に対する不適切な危機管理によってもたらされた負の教訓に拠るところが大きい。国際社会からの圧力や国際協調の必要性も政策学習や政策移転の原動力になっていると考えられ る。自然災害時の危機管理政策変化の制約については、自然災害そのものの複雑さや関与するア クターの多様性に加えて、中国政治制度の制約があげられる。中国のトップダウンによる意思決 定モデルは、外部アクターによる政治参加や監視を制約している。加えて、関連する法律の欠如 も危機管理システムの制度化や広範な国民による政策学習の妨げとなっている。
SARS
の教訓などに起因する自然災害の危機管理政策の変更は、四川大震災時の危機管理対策 や対応に直接的な影響をもたらした。例えば、SARS後、応急管理計画の策定が中央政府レベル と地方政府レベルで実施された。国家地震局は国家地震緊急計画を改訂し、災害や被害の規模に より地震災害を1
級−4級に分類して、各級の発動条件や対応組織の体制を規定した。四川大震 災後、中国政府はその計画に従って1
級の地震分類を発動し、対応体制に迅速に移行できた。地 震救助のための意思決定が迅速になされたことで、緊急対応時間は大幅に短縮された。四川大震 災では、国務院に「四川大震災専門家委員会」が設置され、公式の諮問機関として、災害後の緊 急事態管理の決定について科学的な根拠を提供した。四川大震災のわずか
18
分後、中国地震台網は新華社を通じて国際社会に地震情報を伝えた。地震の
1
時間後、国家地震局は地震の規模を確認するために記者会見を開いた。2時間後、国家 地震局は2
回目の記者会見を開き、インターネット上の地震に関する誤った噂を否定する。政府 の公式メディアは震災をめぐる特別な同時放送を実施した。このようにして、公衆の知る権利が 充足された。これらの措置は、SARSの教訓に基づいた危機管理政策の変更と密接に関連してい る。さらに、上記から、共産党と政府機関に加えて、研究者、メディア、そして一般市民もSARS
の教訓の学習に関わっていることがわかった。SARS以後、これらの人々は政府の緊急対 応についてのモニタリング能力を高め、政府の不適切な対応について批判的な見解を表明することも起きている。これらの外部アクターが政府の政策決定にどの程度の影響を与えたかを明確に 示すことはできないが、災害時において今後政府が外部アクターの声を無視することはできない だろう。
政策学習理論は政策の変容を分析する上で、実践的で現実的な枠組みを提供するものである。
政策学習理論は主として意思決定者や意思決定機関による行動に焦点をあてるものであり、政策 形成や変化の過程で発生するパワーゲームの影響や様々なグループ間の相互作用は分析に含まれ ていない。したがって、政策学習によって得られた知識や経験がどのように実際の災害危機管理 政策の変更をもたらすのかという問題に関しては、分析が不十分であり、今後の研究がまたれ る。また、四川大震災後の危機管理政策の策定における政治プロセスについては、SARSの教訓 や経験に加えて、当時の国内外における政治・経済・社会的な環境を考慮し、国内的要因と外交 的配慮などを総合的に分析する必要がある。今後の重要な研究課題と考える。
(受理日 2018年
10
月30
日)(掲載許可日 2019年
1
月26
日)注 記
(1)四川大震災後における緊急災害応急政策はSARSの教訓と密接に関連しているということが著者の調査 で、証明された。
(2)佛山市は広東省の地級市である。広州市は広東省の省都である。
(3)中国知網を例として、SARSから2008年5月12日までの期間において、危機管理をめぐる研究は4,142件 がある。
(4)このガイドをもとにして、国務院の関連部署が、緊急事態の性質、種類および実際の状況に応じて、内 容の増減または修正できる。
(5)委員会の主な任務は「国家減災ガイドライン・方針・計画の策定、主要な防災活動の調整、地方の防災 活動の指導、防災の国際交流と協力の促進」である。
(6)専門家委員会は、2005年の設立以来、全国規模の総合防災・減災計画、災害評価、防災教育などの分野 で、重要な役割を担ってきた。専門家委員会は国内災害関連分野の99人の専門家や学者で構成されてい る。委員会には「緊急対応」「戦略的政策」「リスク管理」「宇宙科学技術と情報」などの4つの小委員会 がある。
(7)中央委員会総会において、中共中央は「社会主義調和社会構築の若干の重大な問題に関する決定」を採 択した。この決定は調和社会の構築と応急管理対策の改善に結びつけている。
(8)報告書の第8部分は「社会的管理を改善し、社会の安定と統一を維持するためには、緊急時の応急管理 メカニズムを改善することは必要である」と指摘した。
(9)『水 庫 大ඍ安 全 管 理 条 例』(1991年) 第1条;『防 洪 法』(1997年)の 第1条 と『水 法』(1988年 実 施,
2002年修正)の第1条。
(10)『突発事件応対法』(2007年)第1章の第1条;『国家自然災害救助応急預案』の第1章の第1条;『国家突 発公共事件総体応急預案』の第1章の第1条。
(11)両会は全国人民代表大会と中国人民政治協議会議である。