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『上代和歌史の研究』との対話上 野   誠

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(1)

〔  〕75

  書  評 

高松寿夫著

﹃上代和歌史の研究﹄との対話

上  野    誠

研究観の相違

  半年前のこと︒とある新聞のインタビューに答えて︑私はこう述べた︒﹁万葉研究の歴史は︑千年を越え︑さまざまな方法が試行錯誤されてきた︒だから︑万葉研究は︑源氏物語研究と並んで︑もっとも成熟した古典研究である︒そうであるからこそ︑もっともっといろいろな方法が試されていいのではないか?﹂と︒私は万葉研究の膨大な 000注釈や研究の蓄積を︑そう理解しているのである︵もちろん︑今も︶︒が︑しかし︒多くの研究者から︑反論を食らった︒大別すると意見は二つに分かれる︒一つは︑個々の作品を読めば︑問題は山積しているではないか︒そういう︑楽観論は改めるべきだ︑という意見︒もう一つは︑読みというものは時代によって変わるのだから︑蓄積されて成熟して深まってゆくと考えるのは誤りだ︑という意見である︒最低月に一回は会い︑互いの思考パターンは知り尽くしていると考えていた研究者と︑これほど研究観が違うとは?

﹁史﹂の構想

  冒頭において︑私事を縷々述べたのはほかでもない︑評書の構 想に︑筆者の研究観のようなものが見事に体現されていると思ったからである︒評書は題名のとおり︑上代の和歌史全体を見通すべく執筆された本である︒ただし︑その﹁和歌史﹂は﹁史﹂全体を通観するものとしては描かれてはいない︒もちろん︑﹁第六部 上代和歌史素描││結論に代えて﹂では︑個別の論を振り返りながら︑その流れを俯瞰しているが︑本書の本願は別のところにある︒個別の作品の作品論を積み重ねることによって︑時代時代の諸相を描き︑﹁史﹂を記述しようとするところにこそ︑本書の本願とするところはあるのではないか︒五部までの合計二十三章は︑個別の作品の作品論として︑それも高い精度を持った作品論として︑違和感なく読むことができる︒本書は︑﹁史たるものの記述とはかくあるべし﹂などと声高に叫んだりはしない︒﹁史﹂の記述は︑個別の作品の諸相を読み取ることによって自ずから明らかになるものである︑というのが本書が選んだ方法である︒ために︑一部から五部は︑基本的には一般的な﹃万葉集﹄の四期時代区分に沿って︑進んでゆくことになる︒   第一部  第一期││初期万葉

   第二部  第二期││人麻呂とその周辺

   第三部  第三期︵1︶││律令制安定期の和歌

   第四部  第三期︵2︶││聖武即位と行幸従駕歌

   第五部  第四期││上代和歌の終末

   第六部  上代和歌史素描││結論に代えて

(2)

〔  〕76

この区分について︑﹁はじめに﹂において︑定説化した四期区分に従うことを述べた上で︑筆者は次のように自らの立場を明らかにしている︒

  ⁝⁝通説的な区分では︑平城京遷都をもって第二期から第三期へ移行するとするが︑本書では︑むしろ持統朝と文武朝との間に移行を認める立場に立つ︒歴史上の大きな出来事である平城遷都をもって区切りとする定説も︑充分に意味ある認識と考えるが︑むしろ和歌史上の画期としては︑持統朝から文武朝の間により大きなものを認め得るというのが本書の認識であり︑それに基づく区分である︵その﹁画期﹂の詳細に

ついては︑本書第三部第一章に述べた︶︒もっとも︑本書の目指すところは︑各期の分断された状況分析ではなく︑全体をひとつの﹁流れ﹂と捉えるところに存する︒四期区分は目安ていどに認識しており︑むしろ︑各時代の和歌史的状況が︑どのように絡み合いながら次の展開につながって行くのかに︑本書の関心はある︒

  ここに著者の立場は明確に示されている︒平城遷都という政治史的画期よりも︑和歌史の状況による区分を優先させるという立場である︒つまり︑政治史に依拠しない自立的和歌史を構想するというのが︑本書の立場なのである︒持統朝から文武朝に画期を設定するという考え方を選択したということは︑簡単にいえば人麻呂以前と以後とに和歌史を区分する立場を選択するということになる︒

  そこで︑第三部第一章を紐解いてみると︑高市黒人の登場から 説き起こされ︑次に文武朝までの和歌史的状況が整理されている︒ここで主として問題とされるのは人麻呂以降の長歌の衰退と︑短歌の歌人・黒人の登場である︒本章の章題は﹁文武朝の専門歌人  高市黒人﹂であり︑黒人は﹁文武朝の歌人﹂として位置付けられている︒ここでいう専門歌人とは︑橋本達雄などが提唱した﹁宮廷歌人﹂同様に︑宮廷内において歌をもって奉仕する立場をいう︒つまり︑持統朝から文武朝への画期は︑人麻呂から黒人へという専門歌人の交代と︑専門歌人を取り囲む状況の変化として︑著者は認識しているのである︒著者は︑大宝律令の完成・施行を﹁六世紀末以来の近代化のひとまずの達成を見た時期﹂とした上で︑

  ⁝⁝完成された制度の下では︑ことさらな儀礼の意義の喧伝よりも││それはすでに制度として自明のものである││安定的な体制の維持が目論まれる︒この状況こそが︑まずは人麻呂的な長歌の衰退を招いたものであろう︒そして︑安定的な体制の維持の演出としては︑場を同じうする者同士が︑共有すべき抒情や価値観に基づいて︑銘々が和歌を詠出するという︑不特定多数による短歌の競作というあり方が︑主流となったものと考えられる︒と述べている︒著者は︑長歌に代表される人麻呂的なるものの退場と︑抒情的な短歌を歌う黒人の登場をもって期を画し︑画期の理由を政治的状況によって説明しようとするのである︒これは矛盾ではないか?  政治史に依拠しない自立的和歌史を希求しつつ︑やはり政治史との関わりのなかで状況を説明してゆく︑とい

(3)

〔  〕77

うのは矛盾ではないか?  第三部が﹁第三期︵1︶││律令制安定期の和歌﹂と命名されている事情もここにあるのである︒もし︑評者がこう問いかけたら︑いったい著者は何と答えるだろう︒

  しかし︑この問いに著者は用意周到に︑反論を用意しているはずだ︒自立的和歌史の構築を希求するとはいえ︑歌人も作品もその時代の状況の中で存在しているのであり︑むしろことさらに自立的な和歌史を希求する方が実態に合わないのではないか︒そもそも︑資料の少ない古代の研究においては︑美術史にしても︑建築史にしても︑政治史に依拠・依存しない史の記述などありえない︒たぶん︑そう反論するに違いない︒私は︑本書を読み通して︑本書の立場をこう読み取った︒

自立的和歌史と状況依存的説明

  和歌には和歌の︑政治には政治の︑美術には美術の︑それぞれの史的展開というものがあるのであり︑それを流れとして捉えたい︒こういった希求がなぜ起こるかといえば︑ともすれば作品を政治的時代状況の中に当てはめて︑作品そのものが持っている指向性を無視してしまうことが多いからである︒簡単にいえば︑状況依存的説明である︒女房文学は摂関政治体制を母胎としている︒ために摂関政治体制と共に勃興し︑その没落と共に終末期を迎えた︒大状況として︑そこに誤りはない︒しかし︑そう記述したからといって︑個別の作品が指向し構築した作品世界が︑どのように変化したかを明らかにできたわけではなし︑それは一種の状況依存的な説明でしかない︒つまり︑作品の内部に切り込んだ 説明にはなってゆかないのである︒と同時に︑この議論では個性というものを扱うことができない︒加えて︑実際の史的展開は︑単純に一方向に進んでゆくものではないので︑状況依存的説明をすればするほど︑矛盾は大きくなっていってしまう︒たとえば︑大伴家持の長歌への固執をどう考えるかなどなど︒しかし︑一方で︑いかなる歌人も︑いかなる作品も時代状況の中で存在しているはずなのである︒  とすれば︑残された選択肢は︑次の一つしかない︑と思う︒それは︑自立的な﹁史﹂の記述を指向しつつ︑どのあたりで状況依存的説明と折り合いをつけるかということである︒文学史の構築を目指す研究者は︑いつもこの自立的な﹁史﹂の記述と︑状況依存的説明の間に悩み︑そして独自の立ち位置を設定するのを常とする︒かつての北山茂夫や吉田義孝の人麻呂論は︑時代状況の中で人麻呂を捉えようとする論であった︒対して︑橋本達雄を中心とする宮廷歌人論は︑それぞれの時代状況を勘案しつつも︑作品読解から導き出される個の表現のありようを見つめ︑それらの作品を繋ぐ自立的和歌史を構築していったのである︒本書の座標軸  本書が個別の作品読解を通じて︑その作品間の流れを探るいわば作品論を積み上げるかたちで紡いでゆく和歌史であることは︑冒頭に述べたところである︒そこで︑本書の立ち位置を明確にするために︑近時の人麻呂を扱った二書との比較を行ってみたい︒

  一つは︑村田右富実﹃柿本人麻呂と和歌史﹄︵二〇〇四年一月︑

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〔  〕78

和泉書院︶であり︑もう一つは菊地義裕﹃柿本人麻呂の時代と表現﹄︵二〇〇六年二月︑おうふう︶である︒村田書の立場は第五章第二節の﹁文学史としての人麻呂﹂に明示されている︒ここで村田は︑﹁生身の人間﹂に還元しない︑﹁文学史上の個性﹂の探求こそ︑本書の本願とするところであったと再確認する︒それは︑第一章第一節の﹁文学史上の個性としての人麻呂﹂で述べた自らの立ち位置を確認してのことである︒つまり︑村田は作品から読解できる個性の文学史と︑その時代状況とを厳密に区別して︑その混線を避ける立場をとっているのである︒したがって︑村田書において︑人麻呂の表現を時代状況によって説明することは行われない︒というより︑意図的に忌避されている︒

  対して︑菊地書は︑これとは反対に時代状況を勘案して︑そのなかで人麻呂の表現を考えてゆこうとする立場である︒菊地はいう︑﹁本書では全体にわたって︑表現の分析に際しては歌の﹃場﹄に留意するという態度をとっている︒それは︑歌の﹃場﹄はその﹃発想﹄を導き︑﹃発想﹄は作品の﹃素材﹄﹃様式﹄の選択をもうながすとみるからである﹂と︒もちろん︑菊地は実際には作品の読解から﹁場﹂を理解する手続きを踏むとし︑﹁作品の﹃場﹄に作品を据え︑それを歴史・文化に位置付けて理解するという方法﹂によって︑人麻呂の表現の文学史的把握を図りたい︑としている︒﹁場﹂は広くいえば状況なので︑菊地書は人麻呂をやはり時代状況のなかで考えるという立場を取っているのである︒

  おそらく︑著者が選んだ立場は︑この中間に位置するものと見てよい︒ちなみに︑評者は純粋論理的には村田の立場を支持する が︑実際の研究では状況依存的説明に陥っていることが多いことに日々悩んでいる︑というのが実情だ︒今︑対話を  作品論の積み上げによるゆるやかな文学史の構築なかで︑著者は﹁美景意識の形成﹂や﹁留守歌の展開と終息﹂︑﹁王権不在の長歌﹂︑﹁公宴における視線共有﹂という問題を提起している︒これらの問題提起は︑今後の和歌史研究に刺激を与えるものであろう︒それらの諸点についても︑いろいろと著者に聞いてみたいところである︒  評者はとある学界時評で︑研究者間の対話が成り立たない状況を批判したことがある︒今回︑本書に対峙してみて︑著者が微妙なバランスで自らの立ち位置を摸索し︑方法論を練っていることが手に取るようにわかった︒そして︑評者の立ち位置も確認することになった︒学会では︑懇親会を除いてなかなか互いの深奥を語ることはないのだが︑今あらためて高松さんとゆっくり話してみたい︑と思う︒それは今︑研究の場にいちばん必要なのは対話だ︑と思うからだ︒  ところで︑高松さん︑冒頭の研究観の違いはどう思った?  この書評に︑誤読はありませんか?  次は︑馬場で飲みながら⁝⁝︒

︵二〇〇七年三月 新典社 A5判 五五六頁 税込一四七〇〇円︶

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