客観的帰属論の理論史的考察(一)
その他のタイトル Dogmengeschichtliche Betrachtungen uber die Lehre von der objektiven Zurechnug (1)
著者 山中 敬一
雑誌名 關西大學法學論集
巻 44
号 6
ページ 991‑1071
発行年 1995‑03‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/00024622
客観的帰属論の理論史的考察曰
目 次 一 は じ め に
① 現 代 客 観 的 帰 属 論 の 源 流
② 本 稿 の 目 的 ニオーストリア民法における違法性連関の理論の展開
① は じ め に
②カール・ヴォルフの違法性連関論 引アルミン・エーレンツヴァイクの違法性連関論
'ヽ
りヴァルター・ヴィルプルクの違法性連関論 . , .
⑤ そ の 後 の 展 開 三ドイツ民法における規範目的論の展開
m
は じ め に
② 規 範 目 的 論 の 発 祥
③エルンスト・ケメラーによる展開
④ヘルマン・ランゲによる展開
客観的帰属論の理論史的考察日
⑥判例による保護目的論の採用
⑥規範目的論と相当説のその後の展開
⑦ドイツ民法における保護目的帰属基準の展開
③ 小 括
⑨わが民法における保護目的論 四ドイツ刑法における客観的帰属論の展開
①一九世紀における﹁帰属﹂の概念
②ラーレンツの客観的帰属論︵以上本号︶
③ホーニッヒの客観的帰属論︵以下次号︶
④ヘルムート・マイヤーの客観的帰属論 固ハルトヴィッヒの帰属論
固エンギッシュの行為の危険と危険の実現の構想
五オーストリア刑法における違法性連関の理論の展開
六 七
0年代のドイツ刑法における客観的帰属論の展開
七 ま と め
山 中
二七
︵九
九一
︶
敬
大いに変化してきているのである︒ 現代客観的帰属論の源流
︵九
九二
︶
現在のドイツ刑法における客観的帰属
(i mp ut at io ob je kt iv a, ob je kt iv e Z ur ec hn un g)
論の源流を求めるとき︑それ
は︑遠く古代ギリシアのアリストテレスにまで遡る︒アリストテレスは︑すでに︑なぜある事象が何人かに帰属され
(l )
うるのか︑あるいはされえないのかという根拠について根本的な問いを発していた︒アリストテレスによれば︑徳は︑
人間の内部から発現する態度
(H ab it us
)について判断されるものであるが︑内部的態度は︑その意思に遡及する︒称
賛と非難がなされる対象は︑この人間の意思に基づく態度であり︑これが︑帰属論の出発点である︒そして︑この出
発点は︑現在の帰属論にも大きな意義をもっていると評価されている︒しかし︑現代の客観的帰属論は︑たとえその
名称は︑ギリシアの時代から︑中世を経て︑プーフェンドルフやカント︑ヘーゲルの哲学にまで至る﹁帰属論﹂の思
想に負うているとしても︑古い﹁帰属論﹂がそのまま連綿と直線的に現在に繋がっているわけではない︒それは︑と
くに一九世紀末以降︑結果が行為に帰属されうるかどうかを判断するための︑原因説的思考︑相当因果関係説︑因果
関係の中断論︑遡及禁止論を初め様々な理論と対決しつつも︑それらを複合的に採り入れ︑また︑
は じ め に
関法第四四巻第六号
ニ八
一定の法思想や法
学方法論の影響をも受けながら︑今日に至ったものであり︑その名称である帰属論という器に盛り込まれた中身は︑
現代の客観的帰属論は︑まず︑明らかにクリースによって展開された﹁相当因果関係説﹂を越える理論として構想
されているが︑その影響を受け︑そこから発達してきたことも疑いない︒とくに︑相当因果関係説が︑﹁客観的可能
二九
(3 )
性﹂︑すなわち危険を高めたかどうかの判断をその中核に据えていることを通じて︑現在の客観的帰属論が︑﹁危険﹂
概念をその根底に据えているというその構想の骨格が生まれてきたものと思われる︒相当因果関係説も︑時代や継受
国の学説・実務の状況あるいは論者によってその内容が変遷しているが︑それを存在論的・科学的に捉えようとする
見解や︑それが法的因果関係であって︑因果関係の法的評価を表すものにすぎないとみる見解など︑その位置づけに
よっても︑内容の理解が種々多様である︒客観的帰属論との関係においても︑ラーレンツの客観的帰属論が︑必ずし
(4 )
も相当因果関係説を排除するものではなく︑むしろその説明原理として提唱されているように︑その関係は︑排他的
対立関係にあるわけではない︒対立は︑相当因果関係を︑結果を行為に帰属するための唯一の枠組であると考える相
当因果関係説と︑それをも含める上位概念としての帰属論を展開しようとする客観的帰属論との間に存在する︒相当
因果関係説の誕生とその当時の理解については︑すでに別に論じたところであるので︑本稿においては︑相当説との
関係は︑直接の論述の対象ではないが︑客観的帰属論が︑その枠組みは違っても︑部分的には相当説にも由来し︑そ
れをもその中に取り込むものでもあることを確認しておく必要があろう︒
(5 )
さらに︑他方で︑現代の客観的帰属論に大きな影響を与えているのは︑北欧法学や︑アメリカ臣オランダ法的に
もその源流をもつ﹁規範の保護目的の理論﹂である︒オーストリア法においては︑同じ理論は︑﹁違法性連関の理論﹂
として学説・判例によって展開されてきた︒この規範の保護目的の理論は︑その名の通り︑結果の帰属を︑侵害され
た規範の射程の解釈によって決定しようという理論であり︑帰属論に対する規範的アプローチである︒また︑違法性
連関の理論は︑この問題を︑体系的には違法性論に位置づけるが︑違法性判断そのものからは区別して︑違法性判断
の射程の問題として捉える︒その意味で︑規範的判断の一種であり︑保護目的論とは︑体系的地位は異なるが︑実質
客観的帰属論の理論史的考察曰
︵九
九三
︶
︵九
九四
︶
的には同一である︒現代のオーストリア刑法学においては︑違法性連関の理論の体系的問題性を意識して︑これを
﹁危険連関﹂と呼び変えるようになっている︒いずれにせよ︑両理論は︑いずれも︑具体的判断・規範的判断を前面
に押し出す点で︑日常生活経験上の通常性を問い︑いわば形式的・画一的な︑また︑経験的・存在論的なアプローチ
をとる相当因果関係説と異なる︒しかし︑規範目的論が︑完全に規範的な考察方法のみをとり︑経験的基礎を欠くた
んなる規範的評価の理論であるわけではない︒この理論は︑後に確認するように︑﹁危険﹂の判断と常に﹁対﹂に
なって展開されてきたのであり︑それが︑この理論の経験的基礎である︒その意味では︑この理論は︑経験的アプ
ローチと規範的アプローチを総合する方法論による︒規範論的アプローチには︑規範解釈学的論拠のみならず︑刑事
(8 )
政策的・目的論的論証も含み︑その意味で︑最近の目的合理主義的刑法学の潮流に一致する︒
現在の客観的帰属論においては︑この規範目的論的アプローチは︑帰属論の包括的な方法論を意味するといっても
よいが︑刑法学では︑規範目的論が︑抽象的で不安定で不明確な評価にすぎないという側面を考慮に入れて︑これを
たんに﹁指導的な観点﹂に限定し︑その内実は︑規範の相互関係や射程・意義などから一定の類型的な規範の基礎と
する思想を読み取って具体化するという方法論をとっている︒そこには︑規範的方法と問題思考的︵トピック論
(9 )
的︶な法学方法論の影響が見られる︒また︑事実的・具体的判断を採り入れるため︑規範的判断は正面に出さずに︑
類型化によって具体的妥当性と指導的観点との調和を図ろうとする︒ここでは︑﹁危険﹂判断という経験的基礎が︑
規範的判断を支える具体的な判断道具となっているのである︒したがって︑危険創出連関と危険実現連関の思想は︑
現代の客観的帰属論の理論的支柱となっている︒それゆえ︑
( 10 )
帰属論の源流に数えないのは明らかに不当である︒
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
エンギッシュによって根拠づけられたこの思想を客観的
゜
明らかになるであろう︒ その他にも︑現代の帰属論は︑部分的には︑遡及禁止論の思考方法も採り入れ︑また︑原因説的思考とも無関係で
はない︒現代の帰属論において危険判断が︑帰属基準の中で重要な意味をもつということは︑事実的物理的連関とし
ての因果力の考え方を全く排除するわけではないことを示している︒そして︑この観点は︑従来のドイツにおける客
観的帰属論においてはいまだ十分な研究が行われてこなかった分野ではないかと思われる︒
このように︑現代の客観的帰属論は︑発生した結果を人の行為に帰属するには︑どのような基準を用いるのが適当
かという古代から哲学や法学の重要なテーマとして論じられてきた問題について︑複合的に︑さまざまな思考方法に
影響されつつ︑着実に展開されてきた理論なのである︒それは︑今日のドイツ刑法学の内部においても︑その主唱者
の間でもニュアンスの差をもって唱えられており︑ラーレンツやホーニッヒ︑
ヒといった創始者の帰属論のみならず︑ロクシン︑シューネマン︑ ヘルムート・マイヤー︑ハルトヴィッ
ルシュカ︑ヤコプスなどの現代の主唱者の間でも
その枠組みや細部の理解ないし位置づけが異なっている︒多様な源流をもち︑また︑それぞれの主唱者の刑法規範に
対する構想の中に位置づけられる客観的帰属論は︑その意味ではいまだ生成中の︑ダイナミックな理論であるといえ
るかもしれない︒したがって︑現代客観的帰属論が︑ドイツにおいて有力となりつつある現代の規範主義刑法学の一
時的な所産にすぎないという認識は︑このような︱つの法秩序・法体系を越えた展開︑また︑その歴史的な深み︑さ
らに︑ドイツ民法やオーストリア民法におけるその展開過程を知り︑また︑刑法学の構想の変化や主唱者の構想の相
違を反映したものであると理解するとき︑巨象の一部を撫でて全体と勘違いをしているにすぎないものであることが
客観的帰属論の理論史的考察曰
︵九
九五
︶
本稿の目的
本稿は︑以上のような現代客観的帰属論の源流を確認することによって︑わが国ではいまだ周知のものともいえず︑
また︑誤解も多いこの理論に関する理解を促進しようとして書かれたものである︒その意味では︑本稿は︑すでに一
( 11 )
0数年前に連載を開始しながら中断していた﹁規範の保護目的の理論﹂の続編をなすものである︒次節の﹁オースト
リア民法における違法性連関論の展開﹂およびその次の﹁ドイツ民法における規範目的論の展開﹂の節は︑その研究
戦線を大幅に縮小しつつも基本的にはその構想に従ったものであり︑部分的には当時すでに執筆していたが︑公刊し
ていなかった部分を含む︒当時の構想の中で︑﹁保護目的論の理論的基礎﹂以降において予定されていた部分は︑﹁客
( 12 )
観的帰属論の展開﹂の全体構想の中に解消し︑なかんづく﹁危険創出連関﹂や﹁危険実現連関﹂の考察として︑新た
な装いのもとに展開することとした︒本稿の前提となる相当因果関係論の初期の理論やそのドイツ民事法における展
開および﹁保護目的論の前兆﹂である初期の展開については︑既発表の﹁規範の保護目的の理論﹂を参照されたい︒
(2)
(1
)
アリ
スト
テレ
ス﹁
ニコ
マコ
ス倫
理学
J
(高
田一
ー一
郎訳
︶︵
上︶
︵岩
波文
庫︶
︵一
九七
一年
︶第
三巻
第一
章︑
二章
︑八
三頁
︑九
〇
頁以
下参
照︒
Vg l. Ri ch ar d Loening,
i D e Zurechnungslehre
e d s A r is t o te l e s,
1903;
We rn er Ha rd wi g, i D e Zurechnung.
i E n Ze nt ra lp ro bl em e d s S t ra f r ec h t s,
19 57 ,
S .
1 1 f f .
ロェ
ーニ
ング
は︑
*
H米
︑三
巻か
らな
る﹁
刑法
上の
帰属
論の
歴史
﹂を
執筆
する
計画であったが︑公刊されたのは︑この﹁アリストテレスの婦属論﹂のみであった
( v g l . L oe ni ng , a . a .
0 . ,
S . X I II , XV )︒ な
お︑ロェーニングの帰属論を﹁主意的帰属論﹂として高く評価するものに︑
He in zK o r ia t h , Gr un dl ag en t r s a fr e c ht l i ch e r
N u
re ch nu ng ,
19 94 ,
S .
103
f
f ・
(2
)
Ha rd wi g, a . a .
0 . ,
S .
13 ;
Ra lf Ho hm an n, Pe r s on a l it i i t u nd st r a fr e c ht l i ch e Zu re ch nu ng ,
19 93 ,
S .
214
f f .
客品虹的ば娼儡属と主翻i的帰属を対比した最初の文献は︑一八
01
︱一
年の
アル
メン
ディ
ンゲ
ンの
著書
であ
った
とさ
れて
いる
(H ar sc he rv an l A me nd ' i ng e n , D ar st el lu ng e d r r e ch t l ic h e n Imputation,
18 03 ,
S .
90 ;
v gl . J oa ch im Hr us hk a, t S ru kt ur en de r Zurechnung,
19 76 ,
S .
2
関法第四四巻第六号
︵九
九六
︶
Fn
. 3
)︒
(3
)
これについて詳しくは︑山中﹁規範の保護目的の理論﹂①法学論集二七巻四号一六頁以下参照︒
(4
)
これについては︑後述する︒︵四②参照︶
(5
)
デンマークのトルプの理論については︑山中﹁規範の保護目的の理論﹂③法学論集二八巻三号一六0
頁以 下参 照︒
(6
)
アメリカのグリーンの理論について詳しくは︑平井宜雄﹁損害賠償法の理論﹂(‑九七一年︶一0二頁以下参照︒その他︑
アメリカ法の影響については︑山中﹃刑法における因果関係と帰属﹄(‑九八四年︶六八頁以下︵注
8)
参照︒さらに︑ドイツ語の文献としては、vgl•
Ha ns 'J oa ch im Li . i e r , D ie Be gr en zu ng e d r H af tu ng e i b f a h rl i i ss i g beg an ge ne n u ne rl au bt en Ha nd lu ng en , D i ss .
1
96 9,
S .
16 f f・ ,
57
f f. , usw. R ; ol f Lang,
o N rm zw ec k u nd Du ty f o C ar e E. in e Unte
rs uc hu ng . i b i e r d ie Gr en
,
ze n d er Zu re ch nu ng
i m de ut sc he n u nd anglo ,
am er ik an is ch en De l i kt s r ec h t ,
19 83 , 1 6 5f f
・
(7
)
オランダ法学の影響については︑
v gl . Ha ns St o l l , Ka us al zu sa mm en ha ng n u d N or mz we ck im De l i kt s r ec h t ,
19 68 ,
S .
8 f .
な
お︑山中・法学論集二八巻三号一五三頁参照︒(8)山中「刑法総論」(浅田・斉藤•佐久間・松宮と共著)(一九九一ー一年)四三頁参照。
(9
)
Vg l. h T eo do r V ie hw eg , T op ik n u d Jurisprudenz,
19 53
;
Uwe
Di ed er ic hs en , T op is ch es n u d systematisches
De nk en i n d er J ur i s pr u d en z
, NJW
19 66 ,
S .
697 f
f . 日本語訳として︑テオドール・フィーヴェーク﹁トピクと法律学﹂︵植松秀雄訳︶︵一九
八0
年 ︶ ︒
( 1 0 )
クラウス・ロクシン﹁客観的帰属論﹂︵山中訳︶法学論集四四巻三号二六四頁以下において︑客観的帰属の理論史が論じ
られているが︑そこで︑エンギッシュの行為危険論・危険実現論を採り上げられていないのは不当であり︑ロクシン自身も︑
この講演においてそのことを認めていた︒
( 1 1 )
前掲法学論集二七巻四号一頁以下︑②法学論集二七巻五号=︱六頁以下および二八巻三号一五0
頁以 下︒
( 1 2 )
山中﹁﹁危険創出連関﹂の構想について﹂法学論集四三巻一
11
︱一 号(
‑九 九三 年︶
︳︱
‑九 七頁 以下
︒
客観的帰属論の理論史的考察曰
︵九
九七
︶
設けられた︒それは︑ な加害行為︵不作為︶が要求されている︒
︱つの方法として︑過失行為の程度を加重する規定が ︱二九五条の規定の解釈としては︑一般に︑過失責任︑すなわち︑故意 一八︱一年六月一日に成立した﹁普通民法 いわゆる﹁違法性連関の理論﹂
(L eh re vo m R ec ht sw id ri gk ei ts zu sa mm en ha ng )
は純粋にオーストリアの﹁発見﹂
( 13 )
ではないとされるが︑その理論の発展に大きく寄与したのは︑オーストリア民法である︒とくにオーストリア民法に
おいて違法性連関の理論という形で民事責任限定論が展開された理由は︑
典 ﹂ (D as Al lg em ei ne Bi ir ge rl ic he Ge se tz bu ch )
の損害賠償法の中
の中心的規定である︱二九五条一項の内容にある︒この規定は︑損害賠償法の一般条項である︒それによれば︑﹁何
人も︑加害者が︑契約義務違反によって惹起した︑または︑契約とは無関係に惹起した︑過失責任
(V er sc hu ld en )
により加えた損害の賠償を︑加害者に請求する権利を有する﹂と規定される︒その前条︵︱二九四条︶
では
︑﹁
違法
﹂
過失は︑行為のあらゆる損害結果に及ぶ必要はないと解されたのであり︑それによると︑損害賠償義務は無限に及ぶ
( 14 )
ことになる︒この賠償義務の制限には︑二つの方法があった︒
一三二三条以下で︑﹁悪しき意図﹂や﹁顕著な不注意﹂を要求する点に現れているが︑これで
も十分ではないとされた︒もう︱つの限定方法は︑﹁損害を加える﹂という要件︑すなわち︑行為と損害との因果関
係︑および﹁加害行為の違法性﹂という要件において限定を加える方法であった︒この後者の方法のうち︑因果関係
( 15 )
に限定を加えようとするのが︑﹁特別の法的因呆関係﹂を要求する学説である︒これに対して︑このような特別の因 ①
は じ め に
オ ー ス ト リ ア 民 法 に お け る 違 法 性 連 関 の 理 論 の 展 開
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
︵九
九八
︶
の第二部︑第二0節︵︱二九三条し一三四一条︶
四
(2) 以下において︑この理論の初期の理解を検討しておこう︒ 従
った
︒
果関係概念を否定し︑後者の﹁加害行為の違法性﹂の要件から責任の限定をなそうと試みる学説が︑﹁違法性連関﹂
の概念を作り出したのである︒
五
一定の限界が画されるべきだと認
一九
二
0年代︑三0年代に展開されたカール・ヴォルフ︑アルミン・エーレンツヴァ
( 16 )
イクおよびヴァルター・ヴィルプルクの理論である︒とくにエーレンツヴァイクの学説には︑多くの学説・判例が
この
よう
に︑
オーストリア民法においては︑要件事実である﹁損害﹂﹁因果関係﹂﹁違法性﹂﹁過失責任﹂といった
列挙された要件を機械的に満たすだけでは︑損害賠償を根拠づけることはできず︑
識されたのであり︑旧い判例は︑それを﹁法的﹂因果関係や﹁重大な﹂因果関係ないし﹁相当性﹂に求めたのであっ
応︒しかし︑その後︑判例においても︑責任限定論としての﹁違法性連関﹂の理論が確実な地歩を占めるに至った︒
カール・ヴォルフの違法性連関論
( 1 8 ) ( 1 9 )
ヴォルフは︑﹁行為の違法﹂と﹁結果の違法﹂を区別することから出発する︒この︑行為の違法と結果の違法の間
( 20 )
には﹁違法性連関﹂が存在しなければならない︒つまり︑ある結果が違法に惹起されるには︑行為と結果の間にこの
( 21 )
違法性連関が必要であるという︒これによると︱二九四条にいう﹁加害行為の違法性﹂の要件は︑発生した結果が︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
①違法な結果であり︑②加害者の違法な行為によって惹起され︑③この違法な結果が︑加害者の違法な行為によって
︑︑
︑︑
︑︑
︑︑
違法に惹起されたときはじめて充足される︒ヴォルフによれば︑結果それ自体が違法となるのは︑その結果の惹起が
禁止され︑または少なくともその結果の排除が義務とされているときである︒したがって︑﹁法的にあるべきでない
客観的帰属論の理論史的考察日
︵九
九九
︶
(1
00
0)
第四四巻第六号
( 22 )
あらゆる事態が違法である﹂ということになる︒これに対して︑行為の違法性と違法行為による違法結果の惹起の違
法性︵つまり違法性連関︶については︑事例毎に︑特別の﹁利益衡量﹂によって決定され酎︒つまり︑ヴォルフは︑
われわれの今日の概念では︑行為不法と結果不法の関係を﹁違法性連関﹂と呼び︑それを決定するのは︑特別の﹁利
益衡量﹂だというのである︒それでは︑具体的に︑どのような利益衡量が行われるのであろうか︒
ヴォルフによれば︑行為の違法性の判断は︑法秩序の本質の観点から行われるべきであるが︑裁判官にも広い余地
が残されている︒つまり︑確固不抜の公式によるのではなく︑﹁事案のあらゆる事情の適正な評価﹂によって行われ
( 24 )
なければならない︒それによると︑ある行為を実行することによる法的利益は︑それを回避することによって得られ
る利益と比較され︑もし後者の利益が優越しないならば︑その行為は許容される︒ところで︑ある行為は︑それ自体
許されたり禁止されたりするが︑行為からは法的利益の存在する結果もまた生じうるのであるから︑行為における法
的利益は︑この生じうる結果を考慮することによっても評価される︒行為から生じうる結果が︑あるべきでない結果
であるときにも成り立つ︒このようにして︑ヴォルフは︑行為自体の利益を可能な結果の利益との関係の中で考慮す
る計算を行ってい板︒ここで︑結果の可能性について︑それが一定の程度に達しないときには︑それを考慮しないも
のとしているのが︑危険実現の観点から興味深い︒ヴォルフは︑そのような微々たる可能性の場合として︑子供が学
校へ行く途中︑通りで屋根瓦が落下してきて︑当たって死ぬ危険を挙げてい紅︒この行為の違法性の判断のところで
は︑我々の概念でいう﹁行為の危険性﹂ないし﹁危険創出﹂が論じられているのである︒
( 27 )
違法性連関の存否は﹁利益衡量の公式﹂によって判断される︒ヴォルフによれば︑この利益衡量の公式は︑適法な
結果の発生する可能性と一定の適法な行為を行うことに関する法的利益を︑+
I'i•
W 1
とし︑違法な結果を惹起する 関法
六
突する危険性は十分に存在するからだというのである︒ 可能性を
W2
とし︑当該の違法な結果の回避に関する法的利益が
1 ' 2
であるとするならば︑
ある場合に︑結果は︑違法に惹起される︒それによれば︑二つの違法な結果を惹き起こした同一の一個の行為が︑
つの結果︵軽傷︶を違法に︑他の結果︵狙紅熱による死亡︶を許された方法で惹起したという事案が生じることがあ
る︒他の結果が許された方法で惹起されたというためには︑
一 七 1
+ I "
・W 1
│ 1 '
2 ・ W 2 A0
で
+I•
1·W1ー1'3·W3~0であることが、必要である。そ
れは
︑ W3
が極めて小さく︑最小限たる0に近くなり︑それゆえ︑考慮されえないときには︑違法とはいえない︒例
えば
︑
XがYにステッキで右足に殴りつけて軽傷を負わせたが︑診察した医者によって狙紅熱に感染させられた場飯{
その軽い傷は︑違法に惹起されたが︑狙紅熱による死亡は︑そうではない︒Xの行為の時の感染の客観的可能性は︑
この後者の公式の意味は︑私には完全には明らかでなく︑利益衡量によって︑帰属可能性を論じることができるか
どうかについては︑否定的に評価せざるをえないが︑その趣旨は理解できないではない︒次のような現在では︑保護
目的論から説明される事案に関するヴォルフの説明は︑むしろ相当説的な考え方により説明されている︒
ヴォルフによれば︑夜七時以降の外出が禁止されているときに︑
客観的帰属論の理論史的考察曰 法的には考慮されないからである︒
Xが外出し滑って地下の窓を壊してしまったとい
う事例につき次のようにいう︒すなわち︑ここでは︑禁止された行為によって違法な結果を惹起している︒しかし︑
( 2 9 )
違法に惹起したとはいえない︒これに反して︑左側通行の禁止に反して衝突事故を起こした者は︑これと異なる︒路
上で滑って窓に突っ込む可能性は︑日常普通に観察することではないが︑間違った側の道路を走っているときに︑衝
しかし︑前者の事例は︑禁止規範の保護目的の問題であって︑﹁路上で滑って窓に突っ込む﹂可能性の高低の問題︑
(1
00
1)
実際的には
W1
10
に近くなるのである︒ すなわち︑通常路上で滑って窓に突っ込むことが相当かどうかという問題ではない︒このような問い方をするとして︑︑︑︑︑︑︑︑も︑むしろ︑外出禁止違反行為と窓を壊したという結果の﹁日常性﹂を問うべきであろう︒
( 30 )
以下では︑違法性連関の思想の事例への適用に関するヴォルフの解決法を検討しておこう︒
①Aの催した宴会において︑
事例において︑ Bはワインを痛飲したが︑飲酒がもとで発生した喧嘩に巻き込まれ殺害されたという
Aは責任を負わない︒違法性連関に欠けるからである︒どの程度の酒を飲んでよいか︑喧嘩をし
ないかどうかは成人たるBに任されたことだからである︒
②A
は ︑
アメリカ行きの船に乗る途中だったB
に ︑
Bは︑その船に乗り遅れ︑次の出航を待っている間に︑落下してきた瓦に当たって死亡した︒因果関係は存在す
るが︑違法性連関はない︒軽傷を負うことによって︑船を乗り過ごし︑その間に落下してきた瓦に当たって死ぬ
可能性は︑それが日常における危険であると評価されないほどに微小だからである︒発生した結果の蓋然性は︑
③ある人が︑その敵を︑射殺しても処罰されることはないようにしようとして︑森林監視員となり︑密猟者を捕ら
え︑条件が整えば職権により射殺しうる地位についた︒彼が︑密猟を行ったその敵を射殺した︒この場合︑違法
性連関が欠けている︒なぜなら︑森林監視員の任命を受けることは︑職権の行使としての密猟者の殺害と同じく
( 31 )
適法だからである︒
ヴォルフの﹁違法性連関﹂の理論は︑この判断において﹁利益衡量の必要性﹂を正面に据え︑﹁結果発生の可能性
( 32 )
の程度﹂を違法判断の構成要素とした点に特色がある︒この利益衡量は︑社会的利益の程度と結果発生の蓋然性を組
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
Bを殺す目的で︑危険性の微小な傷害を与えた︒それによって
八
、
(1
00
二 ︶
一般的判断ではなく︑具体的な事情の下における具体的・個別的判
断である︒この意味で﹁法的因果概念﹂を認める余地はない︒因果の問題ではなく︑﹁違法性﹂の問題なのである︒
( 33 )
しかも︑違法判断は︑ミュラーのように規範違反として捉えられるのではなく︑利益衡量によるものと解されている︒
したがって︑ヴォルフの違法性連関論は︑形式的意味における規範目的論の側面を後退させたものである︒
アルミン・エーレンツヴァイクも︑同じく﹁違法性﹂
(W id er re ch tl ic hk ei t)
一 九
( 34 )
の要件の中で問題を処理する︒
エー
レ
ンツヴァイクによれば︑違法なのは︑法に違反する行為または不作為である︒より厳密に言えば︑違法性とは︑客観
( 3 5 )
的法に対する侵害ーー'法規違反ーと主観的権利の侵害または危殆化である︒しかし︑たんなる規範違反では十分で
ない︒﹁法規に対する違反行為が損害賠償を招くためには︑その違反行為は︑まさにその法規範がーたとえ付随的
( 36 )
であってもー││その保護を目的とするような利益を侵害しなければならない﹂という︒ここでは︑保護目的論の思想
エーレンツヴァイクの例を検討しておこう︒①ある木が切り倒されたが︑それは森林警察規定によって禁止されて
( 3 7 )
いた︒その伐採によってある人が負傷した︒この場合︑この森林警察規定違反に基づいて︑損害賠償請求をすること
はできない︒この規定は︑森林の保護を目的とするにすぎないからである︒②窃盗の嫌疑が︑無実の者にかけられ︑
損害︵弁護費用の負担︶が発生したとしても︑真犯人はこれに対して責任を負わない︒窃盗は︑窃盗の被害者の占有
の侵害としてのみ違法だからである︒③花火の主催者は︑花火を不完全に製造したということのために観客の負傷に
客観的帰属論の理論史的考察曰 が明らかになっている︒ 引アルミン・エーレンツヴァイクの違法性連関論rし み合わせて行われるのであり︑しかも︑それは︑
(1
00
1︱
‑ ︶
ない
︒
第四四巻第六号
( 38 )
対して責任を負わない︒④あるアルコール工場主が︑
プ工場主の売上も︑酒︵リキュール︶
ル工場主のみが損害賠償を詰求しうる︒なぜなら︑価格引き上げを禁止する規定は︑
おくことを目的とするにすぎず︑逆に︑
(1
00
四 ︶
アルコールの価格を不当に値上げしたとき︑それによってラン
工場主の売上も侵害されることになる︒しかし︑そのアルコールランプを安売
りしなければならなくなったランプ工場主ではなく︑そのアルコールを高額で買わなければならなくなったリキュー
日常必需品の価格を低く保って
日常必需品の価格低下を防止することを目的とするのではないからである︒
エーレンツヴァイクの理論において重要な論証手段として用いられているのが︑﹁違法の相対性﹂の理論である︒
エーレンヅヴァイクによれば︑加害行為は︑それが︑まさにその利益を保護する法規範に対する違反行為によって︑
( 39 )
利益を侵害するときにのみ違法である︒したがって︑違法性は︑相対的概念なのである︒この概念の相対性は︑債務
侵害の場合に︑とくに明瞭に示される︒債務関係は︑債務者に対してのみ債務者の義務を根拠づける︒したがって︑
その侵害は確かに違法である︒しかし︑それは︑通常︑債権者に対してのみ違法なのであって︑第三者に対してでは
このような違法性の相対性を論証しようとするエーレンツヴァイクは︑因果論からのアプローチをどのように評価
( 40 )
しているのであろうか︒まず︑条件説の意味における因果関係については︑その存在の必要性を認める︒そして︑因
果の連鎖が予見しえないような場合に︑法的にこれを限定する必要性についてもこれを肯定する︒しかし︑そのため
( 41 )
の相当因果関係説や原因説は︑満足できる結論をもたらさない︒彼の保護目的論の出発点は︑﹁どこにその限界が引
かれるぺきかについては︑﹃原因﹄の何らかの一般的概念規定が決定を与えるのではなく︑特別の︑まさに問題に
︑︑
︑︑
ヽ
( 42 )
︵4 3 )
なっている法律または法律行為の目的適合的解釈が決定をする﹂という点に求められる︒その見解を例によって具体
関法
四〇
化す
ると
︑
AがBを殺害する目的で︑
事故を起こし︑これによってBは死亡した︒ここで︑
一定の目的の達成もしくは一定の結果
四一
Bを礫き︑礫過したものの負傷させるには至らなかった︒ただ︑Bは︑そのた
め︑帰宅するに際して利用しようとしていた列車に遅れてしまった︒そこで︑次の列車に乗ったが︑この列車が衝突
エーレンツヴァイクは︑どのような旅行の経過をたどるかにつ
いて
は︑
Aは責任を負わず︑ただBが時間をロスしたことに対しては責任を負うものとする︒例えば︑Aは︑普通列
車ではなくて︑急行列車に乗らねばならなくなったのであるから︑それに乗るための費用を賠償しなければならない︒
しかし︑鉄道事故に対する責任を負わないのは︑その危険は︑﹁生活の常態に従えば﹂考慮に入れないからである︒
その種の危険には︑さもなくとも︑さらされがちであるということを根拠にするものではない︒むしろ︑この危険は︑
もし行為の違法性が︑旅行そのものを含むなら︑例えば︑誘拐されたような場合には︑他の場合と同様︑考慮に入れ
なければならないであろう︒まさに不法行為の場合に︑規範の目的︑すなわち︑いかなる損害を︑その禁止規範は防
( 44 )
止しようとしているのかを眼にとめて置かなければならない︒規範目的を考慮しない理論は︑すべて不十分である︒
エーレンツヴァイクの保護目的論に特徴的なのは︑それが︑相対的違法概念と結びつけられている点である︒統一
的違法概念が圧倒的な通説であったドイツでは︑エーレンツヴァイクのこの違法の相対性論は︑全面的拒否に遭遇し
た︒ラーベルは次のようにいう︒違法性が相対的であるという﹁この表現は︑あまり幸運ではなかったかもしれない︒
( 45 )
なぜなら︑我々は︑法秩序との行為の矛盾を絶対的であると考えるのに慣れてしまっているからである︒規範の制限
が問題なのであって︑規範違反の制限が問題ではない﹂のである︒このようなラーベルの評価は︑ドイツでは一般的
( 4 6 ) ( 4 7 )
であり︑違法性連関の理論を唱えるエッサーも次のように評価していた︒﹁違法性とは︑決して行為の絶対的性質で
はない︒それは︑行為が一定の人に対する一定の法的義務に関し︑⁝⁝また︑
客観的帰属論の理論史的考察曰
(1
00
五 ︶
心ヴァルター・ヴィルプルクの違法性連関論
9 9
中でのみ重要となる﹂と︒ミュンツベルクの言葉を借りると︑ の回避に関し服する価値判断である﹂︒﹁侵害の違法性は確かに相対的概念ではない︒しかし︑それは︑
一定
の関
連の
ドイツでは︑﹁保護目的思考の中に︑違法性の問題を
認めるのではなく︑責任の問題
(H
af
tu
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sp
ro
bl
em
)
を認め﹂たのである︒﹁ある︵禁止された︶行為が︑
罰法規ないし責任法規の保護範囲に係わらないならば︑それによって︑違法性そのものがなくなるのではなく︑ただ
( 48 )
この規定の適用に対する重要性がなくなるにすぎない﹂というのである︒そのミュンツベルクも︑﹁違法性の判断は︑
( 49 )
絶対的であり不可分である﹂とする︒
( 50 )
ヴィルプルクも︑その一九三二年の論文﹁損益相殺の理論について﹂の中で︑保護目的論を展開しナ︒伝統的には︑
損害とは現実の財産的価値と損害賠償義務を生ぜしめる事実があった場合に財産がもっていた価値との差額であると
する差額説がドイツの通説であり︑損害賠償義務を負わせる事実が生じたことによって︑何らかの利益を生じたとき
には︑それはすべて損害額を減じるものとされたが︑これでは不合理な結論を導くにすぎないので︑ライヒスゲリヒ
( 52 )
トは︑ここでも︑相当因果関係説を適用し︑相当性の範囲外にある利益は︑損害算定の基礎に参入されないものとし
た︒ヴィルプルクは︑損害概念の問題のうち︑いわゆる第三者損害求償権
( Dr i
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( 53 )
て保護目的論の導入を図る︒ の問題につい
第三者損害求償権とは︑不法行為法上保護された法益の担い手が︑他者に転嫁しうる損害を被ったときに︑その法
益の担い手には損害が発生せず︑その他の者︵第三者︶も︑その損害が純粋に財産上の損害であるため︑八二三条一
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
四
(1
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六 ︶
一定
の刑