清泉女子大学人文科学研究所紀要 第38号 2017年3月
漢語辞書の漢語
今 野 真 二
要旨 日本語を古代語と近代語とに二つに分けた場合、鎌倉時代から室町時代に
かけてを過渡期ととらえ中世語とみることがある。鎌倉時代は古代語の言語形式 が形を変えていく時代、室町時代は近代語の言語形式が萌芽する時代ということ になる。漢語という語種に着目すると、室町時代、すなわち後期中世語の頃から 漢語は「話しことば」においても使われるようになってきたことがこれまでに指 摘されている。その時点で、 「書きことば」において使われる漢語と「話しことば」
においても使われる漢語との「層」がうまれたとみることができる。これを「漢 語の層別化」と呼ぶとすると、「漢語の層別化」は江戸時代、明治時代と次第に 進んでいくことが推測される。本稿においては、明治期の漢語辞書を採りあげ、
それらをまず収載語数によって「小規模」「中規模」「大規模」と分けた。より具 体的には「イコウ(威光)」「イセイ(威勢)」という漢語に着目し、分析を行なっ た。室町期成立の文献においては、「イコウ(威光)」「イセイ(威勢)」はわかり やすい漢語であったことが推測される。それは日本人向けに編まれたと思われる キリスト教教義書『どちりいなきりしたん』において、こうした漢語が使われ、
かつ仮名表記されていることから推測できる。室町時代においてすでにこれらの 漢語は層の下にあったと思われる。このような漢語は明治期に刊行された「小規 模」「中規模」の漢語辞書には採りあげられていない。それは収載語数が限られ ている漢語辞書において、わざわざ採りあげて語義等を説明しなければならない ような漢語ではなかったことを意味していると考える。漢語辞書がどのような漢 語を見出し項目として採りあげているか、ということについてはこれまで充分な 検証がなされてこなかった。しかし、このことからすれば、室町時代頃に層の下 にあったような漢語は、明治期において、「小規模/中規模」の漢語辞書が採り あげていないことが推測される。一方、これらの漢語は
10000語以上を載せる「大規模」な漢語辞書には載せられており、「大規模」な漢語辞書はそのような漢語 を載せることによって、収載語数が多くなっていることがわかる。明治期には漢 語が頻用されていた、ということは事実であったとしても、今後はその「内実」
の検証が必要になると考える。
キーワード:漢語辞書・漢語の層・漢語辞書の規模
The Chinese Characters of the Chinese Character Dictionar y
KONNO Shinji
Abstract
From the beginning of the Meiji Era to the 40th year of Meiji, a number
of Chinese character dictionaries used Chinese characters as entr y words. The number of entry words vary among the dictionaries. They were divided into three groups: dictionaries with less than 5,000 words as small scale , those with more than 5,000 words and less than 10,000 words as medium scale and those with more than 10,000 words as large scale. The theme of this paper describes how the Chinese characters are classified and registered as entr y words in most published Chinese character dictionaries. The research question is how are the Chinese characters differently registered in the small scale, medium scale, and large scale dictionaries? This paper presents a method that verifies the differences. This method, which was practiced in the Muromachi Era way before the Meiji Era, focuses on two Chinese characters assumed to be understood easily, ikou and isei, and is based on whether these two Chinese characters are registered in the dictionary or not. As a result, these two Chinese characters were found only in the large scale dictionar y. That is, small scale and medium scale dictionaries did not register the characters that had already been considered in the Meiji Era as those that were easily understood, and the dictionary with more than 10,000 characters had registered these characters. In other words, large scale Chinese character dictionaries increased prescriptive characters by adding these characters. There has not been a precedent case that has concretely presented the kind of Chinese characters that are registered in the Chinese character dictionaries. This paper has introduced this one method.Keywords: Chinese Character Dictionary, Strata of Chinese Characters, Scope of Chinese Character Dictionary
はじめに
本稿は「漢語辞書の漢語」を標題としたが、それは明治期に刊行された「漢 語辞書が見出し項目とする漢語」という意味合いであり、明治期に刊行された
「漢語辞書が見出し項目としている漢語はどのような漢語か」ということを稿
者なりに明らかにすることを本稿の目的とする。また、それと併せて、明治期
の漢語がどのように理解されていたか、ということを考えてみたい。
右では「見出し項目」という術語を使ったが、稿者は辞書体資料
1)を「見出 し項目+語釈」という枠組みでとらえる。そしてこの「見出し項目+語釈」全 体を「項目」と呼ぶ。
まずは、本稿が扱う「漢語辞書」の定義をしておきたい。拙書『漢語辞書論 攷』(2011年、港の人)の第
1章第3 節において(明治期に刊行された)「漢語 辞書の定義」を行なった。それは「見出し項目として、主に漢語を書き表わし た(単漢字を含む)漢字列を掲げ、それに語釈を対置させ、一つ一つの項目に、
「格」を与え(原則として)枠で囲む辞書体資料」という定義であるが、本稿 でもこの定義に従う。
松井利彦「近代漢語辞書の基準」(1997年、『京都府立大学学術報告人文・
社会』第
49号)に附録されている「近代漢語辞書一覧」は「慶應二年以後の 漢語辞書を刊行年順に配列し、漢語辞書の出版状況や、漢語辞書の形態の移り ゆき、また辞書間の関係を鳥瞰することを目的として作成」されており、漢語 辞書研究においては必読文献といってよい。また「概数に近い」と述べられて はいるが、「掲出語数」も示されており、漢語辞書の規模を把握することがで きる点においてもすぐれた「一覧」である。
この「一覧」で明治
7年
8月に刊行された、津江左太郎の『漢語註解』を調 べると、
117丁で、
7248語を掲出していることがわかる。また、明治
9年
7月 に版権免許を得ている浜真砂
2)『大全漢語便解』を調べると、242 丁で、11034 語を掲出していることがわかる。前者の掲出語数が7248 語で、後者のそれが
11034語であるので、両者の掲出語数には、3786
語の差があることになる。明
治期に刊行された漢語辞書の規模を考える場合に、10000語以上のものはまず 規模が大きいとみたい。そして
5000語以下のものは規模が小さい。このみか たにしたがって、規模を「大・中・小」で粗く表現するならば、『漢語註解』
は中規模、『大全漢語便解』は大規模ということになり、規模に差がある。そ うした「みかた」は粗いにしても一定の意義があると考えるが、本稿では、さ らに、その「内実」を検討してみたい。
1 明治初期の漢語辞書における漢語語義理解
松井利彦は『近代漢語辞書の成立と展開』 (1990 年、笠間書院)において、 「庄
原謙吉(和)編の『漢語字類』が刊行された明治二二年一月以後の、数千の掲
出語を有する漢語辞書の多くは、凡例・序文における独自性の表明にもかかわ
らず、掲出語の多数をこの『漢語字類』から直接に、あるいは間接に承けて成
立している」(149 頁)、「明治初期に刊行されたほとんどの漢語辞書は、少な
くともその体裁、掲出語の枠、語釈のいずれかの一つを『新令字解』か『漢語 字類』、または両者に基づいて成立している」(
179頁)と述べ、慶応
4(
1868) 年
6月に刊行された『新令字解』と、明治
2(
1869)年
1月に刊行された『漢 語字類』が、これらに続く漢語辞書に与えた影響の大きさを指摘する。そうし た意味合いにおいて、『新令字解』と『漢語字類』とを、明治期に刊行された 漢語辞書の「起点」とみることができる。
松井利彦(
1997)によれば、『新令字解』の掲出語数は
904語、『漢語字類』
の掲出語数は
4340語で、ともに小規模の漢語辞書といってよい。特に、『新令 字解』の掲出語数は多くない。
松井利彦(1990)は『新令字解』には「慶應四年戊辰六月上梓」と刊記にあり、
「凡例」をもたないもの(1) 、 「凡例」1丁をもつもの(2) 、刊記に「官板/明 治紀元辰十二月」とあり、版元が東京日本橋南一丁目の須原屋茂兵衛となって いるもの(
3) 、刊記に「明治二庚午秋刻」とある『増補新令字解』 (
4) 、刊記 が「明治元戊辰年刻成/明治三庚午年増補」とある『増補新令字解』 (5) 、の 五つのテキストをあげた上で、 「 (1) (3)は異板本・異本が多く存し、 (5)の異 板本も多い」 (151頁)と述べている。本稿ではひとまず架蔵する(1) (2)を『新 令字解』として使用する。
『新令字解』の掲出語は、先にふれたように
904語に留まる。しかしその
904語の中には次のような掲出語が含まれている。『新令字解』は見出し項目とし ている漢字列に振仮名を施しているので、それを漢字列の下に丸括弧で括って 示す。ここでは、必要に応じて複数の見出し項目を連続してあげる。
01 敗走(ハイソウ)ヤブレニゲル 敗奔(ハイホン)同上 02
方向(ハウカウ)コヽロノムキ 方嚮(ハウキヤウ)同上
03 暴擧(ボウキヨ)アラクレナルフルマヒ 暴發(ボウハツ)同上暴行(ボウカウ)同上 暴動(ボウドウ)同上
04 補弼(ホヒツ)天子ノ御政事ニアツカルヤク 補佐(ホサ)同上
補翼(ホヨク)同上
05
奉戴(振仮名ナシ)天子ノ命ヲカシコマルコト 奉勅(ホウチヨク)同上 奉詔(ホウセウ)同上
06 偏境(ヘンキヤウ)イナカ 邉陬(ヘンソウ)同上 07 騰貴(トウキ)ネダンノアガルコト 騰揚(トウヤウ)同上 08 奴隷(ドレイ)ヌボクノコト 僮僕(ドウボク)同上
09
屠狗(トコウ)肉ナドキリウリスルコト 屠肉(トニク)同上
10
鎮定(チンテイ)トリシズメ 鎮静(チンセイ)同上 鎮撫(チンブ)
同上
1 においては、「ハイソウ(敗走)」と「ハイホン(敗奔)」と、二つの漢語 が見出し項目として採られているが、後者の語釈の位置に「同上」とあるので、
ともに「ヤブレニゲル」という語釈を与えられていることになる。語義
0、が同
0じであるとすれば、「ハイソウ(敗走)」と「ハイホン(敗奔)」とは同義語と いうことになる。厳密な意味合いで同義語は存在しないと考え、ここでは「類 義語」という表現を使うことにする。つまり、「ハイソウ(敗走)」と「ハイホ ン(敗奔)」とは(同義語にかぎりなくちかい)類義語ととらえられていたこ とがわかる。
3 においては、 「ボウキョ(暴擧)」 「バウハツ(暴發)」 「ボウコウ(暴行)」 「ボ ウドウ(暴動)」、四つの漢語がいずれも「アラクレナルフルマヒ」という一つ の語釈で説明されていることになり、四つの漢語が類義語として(まとめて)
とらえられている。例えば、明治
4年に刊行されている岩井久真編『大全漢語解』
(掲出語
6775語)
85丁表においては、「ボウキョ(暴擧)」には「テアライシゴ ト」、「ボウハツ(暴發)」には「ニハカニハジメル」、「ボウコウ(暴行)」には
「テアライシカタ」、「ボウドウ(暴動)」には「アラケナイフルマイ」という語 釈が置かれており、(これらの語釈が当該漢語の語釈として適当であるかとい うことは措くとして
3)とにもかくにも、異なる語釈が配置されている。これら の漢語が、例えば当該時期に、中国語の語彙体系内で、どのように使われてい たか、ということは別途調査が必要であり、本稿の目的を超えるので、そちら には踏み込まないが、原理的にみれば、右の四つの漢語の(中国語としての)
語義はそもそもは異なっていたといえよう。つまり、いずれにしても、右の四 つの漢語の語義を「異なる」かたちで説明することはできた。しかし、『新令 字解』はそうはしなかったことになる。語義が「ちかい」漢語を、違いがわか るように説明することもできるし、あえて微細な違いを捨象して類義語として 説明することもできるが、『新令字解』は後者の「いきかた」を選択している ことになる。上の1 〜
10には25 の漢語が含まれているが、『新令字解』の扱い かたとしては、それを
10組の類義語の組としてとらえていることになる。先 に『新令字解』は
904語を掲出していることを述べたが、(少し変わった表現 になるが)語義の数は
904ではなく、それよりもずっと少ないことが推測できる。上のようなとらえかたは、『新令字解』に限ったことではなく、明治
2年に 刊行された『漢語字類』にもみられる。例をあげておく。振仮名は省いた。
11 敗北 イクサニマケル 敗走 上ニ同シ 12
補翼 ホサスル 補弼 上ニ同シ
13
邉陲 クニザカイノハテ 邉境 上ニ同シ 邉彊 上ニ同シ
14 鎮静 トリシヅメル 鎮定 上ニ同シ 鎮撫 上ニ同シ鎮壓 上ニ同シ 鎮伏 上ニ同シ
15減少 ヘラス 減損 上ニ同シ
16
生産 ナリワヒ 生活 上ニ同シ 生理 上ニ同シ
17 簡易 テガル 簡畧 上ニ同シ 簡約 上ニ同シ 簡便上ニ同シ 18 紛擾)サワガシヒ 紛乱 上ニ同シ 紛兀 上ニ同シ 紛遝 上ニ同シ 19 聰明リコウハツメイ聰慧 上ニ同シ 聰朗 上ニ同シ 聰叡 上ニ同シ聰敏 上ニ同シ 聰穎 上ニ同シ 聰悟 上ニ同シ 聰察 上ニ同シ
20英邁 ナミスグレタヒト英俊 上ニ同シ 英彦 上ニ同シ 英哲上ニ同シ 11 から14までは、先の
1から10 と重なり合いがある語を掲げた。11 では「ハ イボク(敗北)」と「ハイソウ(敗走)」とが「イクサニマケル」と説明されて いる。『漢語字類』は「ハイホン(敗奔)」を見出し項目としていない。また
02についていえば、『漢語字類』には「方向(ほうきやう)ミノフリムキ」と いう見出し項目はみられるが、 「ホウキョウ(方嚮)」はない。
10においては、
『新令字解』は「チンテイ(鎮定)」「チンセイ(鎮静)」「チンブ(鎮撫)」三つ の漢語を類義語としてまとめているが、『漢語字類』においては、さらに「チ ンアツ(鎮壓)」「チンフク(鎮伏)」2漢語を加えて、五つの漢語を類義語と してまとめている。このように、どの漢語とどの漢語とを類義語としてまとめ るか、また幾つの漢語をまとめるか、ということについては、漢語辞書によっ て違いがある。しかしまた当然のことではあるが、まとめかたに重なり合いも あり、それは当該時期の「認識」にちかいものであることが推測される。15
から
20は『漢語字類』にみられる「上ニ同シ」を抜き出した。19では、「ソウ
メイ(聰明)」に「リコウ」「ハツメイ」二つの語を語釈として置き、以下、 「ソ ウケイ(聰慧)」 「ソウロウ(聰朗)」 「ソウエイ(聰叡)」 「ソウビン(聰敏)」 「ソ ウエイ(聰穎)」「ソウゴ(聰悟)」「ソウサツ(聰察)」の七つの漢語を類義語 としてまとめている。
慶応
4年、明治2 年、すなわち明治初期に刊行された漢語辞書において、す でにこのように語義のちかい漢語をまとめてとらえるという理解のしかたが行 なわれていることには注目しておきたい。
2 頭字類聚形式を採る漢語辞書
「はじめに」において述べた『大全漢語便解』は各葉を
12行に分け、1行に
二つの項目を置く。次に例を示す。振仮名は丸括弧の中に入れて示すことにす
る。
2字以上にあてる平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形状の繰り返し符
号には仮名をあてて示す。
委託(イタク)マカセル 委任(イニン)同上 ゝ詳(シャウ)クワシキコト ゝ吏(リ)クラヤクニン ゝ積(セキ) ツミオク ゝ頓(トン)スリツブレル ゝ曲(キヨク)コマゴマ ゝ府(フ)クラニツミオク
右では「委託」「委任」のみ「委」字を示し、以下に続く「委」字から始ま る漢語の表示においては、 「委」字ではなく「ゝ」によってそれに換えている。
これは他の項目でも(当然のことながら)同様で、二つまでは漢字をもって表 示するが、三つ目からは「ゝ」によって表示するという形式を採る。『大全漢 語便解』には
1丁(19 行)分の「例言」が添えられているが、この形式につい ては何も述べられていない。編者である浜真砂の「工夫」であろうか。これを
「頭字類聚形式」と呼ぶことはできないが、同じ頭字をもつ漢語がどこからど こまで置かれているかを使用者に意識される形式であるといえよう。それは編 者側の「意識」でもあったと思われ、この形式は頭字類聚形式に移行しやすい と考える。
『漢語註解』はその「凡例」において、「単
タ ン
語
ゴ
ノ義
ギ
概
オホム
ネ相
ア ヒ
/類
ル イ
似
ジ
シテ頭
ト ウ
字
ジ
ノ/
同
オ ナ
ジキモノハ之
コ レ
/ヲ一
イ チ
行中
チ ウ
ニ挿
サ フ
入
ニ フ
/シ合
ガ ツ
ガツシテ訓
ク ン
解
カ イ
ヲ/下
ク ダ
タスモノハ簡
カ ン
/便
ベ ン
ヲ主
シ ウ
トスレバ/ナリ」と謳うように、積極的に頭字類聚形式を採ると覚しい。
『漢語註解』の「委」の条は次のようになっている。実際は
2行にわたって類 聚しているが、ここではそれを横に並べることにする。
委託(イタク)任(ニン)マカセル ―詳(シヤウ)クハシクツマビラカ
―積(セキ) ツミヲク ―曲(キヨク)コマコマ
上では「イタク(委託)」と「イニン(委任)」とを「合シテ」、「マカセル」
図:『漢語註解』40丁表
という「訓解」を与えている。この両語をまとめる点は、『大全漢語便解』と 通う。『漢語註解』において、四つ以上の漢語がまとめられている場合の幾つ かをあげてみる。まず頭字を示し、類聚されている漢語の
2字目を「・」で区切っ て並べる。振仮名は省いた。実際の状況については図を参照。図でわかるよう に、『漢語註解』は半葉を
14行に区切り、それを上下
2段に区切ることで半葉に
28の「格」を設けている。それぞれの「格」に1項目を収めるのが原則であ
るが、頭字が共通し、語義がちかい漢語を類聚して、一つの「格」に収める場 合がある。こうすることによって、多くの漢語を収載することができる。
21 功:勲・業・績・效 テガラ(18
丁表)
22 勤:勞・務・勉・役 ツトメ(19
丁裏)
23 世:間・運・情・態 ヨノナカ(20
丁裏)
24
卓:然・爾・犖・立・越・絶・出 スグレタル(
20丁裏)
25
和:議・睦・順・熟・親・解 ナカノヨクナル(
24丁表)
26 厳:粛・密・酷・格 キビシイ(25
丁表)
27 困:苦・難・厄・窘 ナンヂウスル(25丁裏)
28 城:郭・壘・砦・地 シロ(26
丁裏)
29
大:概・方・凡・抵・畧 オホカタ(
28丁表)
30
奉:勅・命・戴・旨・詔 天子ノオヽセヲカシコマル(
28丁裏)
31 威:権・容・風・儀 イセイノツヨキ(29
丁裏)
32 宥:罪・恕・免・赦 ツミヲユルス(31丁表)
33 寵:眷・渥・遇・愛 オキニイル(32丁表)
34 屯:駐・群・集・在・兵・會 タムロシテヲル(33
丁裏)
35
平:夷・穏・安・静 ヲダヤカ(
35丁表)
36 廢:棄・絶・壊・滅 スタレル(36
丁表)
37 形:勢・状・態・相 アリサマ(37
丁表)
38 忌:諱・嫌・憚・避 イヤガル(39
丁表)
39 忠:直・實・良・誠・信 ジツイニタヽシキ(39
丁裏)
40
恐:懼・怖・惶・怯 オソルヽ(
40丁表)
上は、結局は「キョウク(恐懼)」も「キョウフ(恐怖)」も「キョウコウ(恐 惶)」も「キョウキョ(恐怯)」も、説明するならば「オソルル」であるという
「認識」であって、そのように述べるとずいぶんと粗いとらえかたのようにも
思われるが、これが明治期の漢語理解の一つのかたちであったと考える。漢語
Aと漢語
Bとの語義差が、「手持ちの日本語」によってうまく説明できないの
であれば、結局は日本語を媒介にして語義差はとらえられない。漢語
A、漢語
Bが、中国語として、中国語の中で、どのように使われているかを観察できる
人以外は、語義差を捨象して受け入れるということはむしろ自然であったので はないだろうか。
先に述べたように、頭字類聚をすることによって、一つの「格」内に複数の 漢語を収めることができ、辞書全体においても多くの漢語を収載することがで きる。『漢語註解』が採りあげている漢語について考えるために、明治
12年に刊行されている、 『必携熟字集』を採りあげることにする。同集は松井利彦(1997)
によれば、
19877語を掲載する。「威」字を頭字とする漢語を例にする。『必携 熟字集』には次のようにある。振仮名を丸括弧に入れて漢字列の後ろに示した。
行論のために各項目に番号を附した。
01
威徳(ヰトク)ヰセイトトクト 02威懾(ヰセウ)オソルヽ
03
威名(ヰメイ)ヰクワウノヒヤウバン 04威靈(ヰレイ)ゴヰクワウノミカゲ
05威信(ヰシン)イキホヒトマコト
06威讋(ヰセウ)オソルヽ
07
威逼(ヰヒヨク)オドシセマル
08威虐(ヰギヤク)オドシシヘタグ
09威権(ヰケン)イセイ 10威力(ヰリヨク)ツヨキイキホヒ
11威嚴(ヰゲン)ケンペイ 12威儀(ヰギ)リツパナギヤウギ
13威烈(ヰレツ)ハゲシキヰクワウ 14威言(ヰゲン)オドシコトバ
15威勢(ヰセイ)ツヨキイキホヒ
16威光(ヰクワウ)ヰクワウノヒカリ
17威令(ヰレイ)ツヨキイヒツケ
18威風(ヰフウ)ヰセイ
19
威迫(ヰハク)オドシセマル 20 威容(ヰヨウ)イサマシキナリフリ
21威猛(ヰモウ)タケキイキホ 22 威望(ヰバウ)ヰクワウジンバウ
23威彊(ヰキヨウ)イキホヒツヨシ 24威燄(ヰヱン)イキホヒ
25
威福(ヰフク)シヨウバツスルコト
まず、上に掲げたように『必携熟字集』は「威」字を頭字とする漢語を
25載せる。『漢語註解』は
31に示したように、 「ヰケン(威権)」 「ヰヤウ(威容)」
「ヰフウ(威風)」「ヰギ(威儀)」四つの漢語をまとめ、その他に「ヰレツ(威 烈)キコウノハゲシキ」「ヰゲン(威厳)キコウノツヨキ」という二つの
2字 漢語を載せ、その他に「威震海外 ヰヲグワイコクニカガヤカス」を載せる。
2
字漢語のみを話題にするとして、『漢語註解』は結局、六つの漢語を載せる に留まる。『漢語註解』の掲出語は
7248語、『必携熟字集』のそれは19877語であるので、単純に考えても、『必携熟字集』は『漢語註解』の
2、7倍の規模であることになる。6語の
2、7倍は、16語ほどになるので、『漢語註解』が「威」字を頭にもつ漢語を特別に載せていないわけではないと考える。
『必携熟字集』をみると気になることがある。それは右の
25例の語釈をみる
と、語釈中に漢語が使われていることがある。漢語に漢字をあてたかたちで抜
き出してみる。
01
威徳(ヰトク)威勢ト徳ト
03威名(ヰメイ)威光ノ評判
04威靈(ヰレイ)ゴ威光ノミカゲ
09威権(ヰケン)威勢
11
威嚴(ヰゲン)権柄
12威儀(ヰギ)立派ナ行儀
13威烈(ヰレツ)ハゲシキ威光
16威光(ヰクワウ)威光ノヒカリ
18威風(ヰフウ)威勢
22
威望(ヰバウ)威光人望
25威福(ヰフク)賞罰スルコト
漢語辞書の語釈中で使われる漢語に関しては、拙書『漢語辞書論攷』第
4章「明 治期の「節用集」と漢語辞書と」の第
2節において『開化節用集』を観察対象 として述べた。そして語釈中において繰り返し使われている漢語として「ガク モン(学問)」「ガテン(合点)」「サウダン(相談)」「シンパイ(心配)」「ナン ギ(難儀)」「ムホン(謀叛)」「ヤクソク(約束)」「ヤクニン(役人)」をあげ たが、これらの漢語は、 『開化節用集』が出版された明治
9(
1877)年の時点(ま で)に、「漢語を説明する語」となっていたと思われる。
右においては、「イセイ(威勢)」「イコウ(威光)」が繰り返し語釈において 使用されている。22 では「ヰバウ(威望)」が「威光」「人望」と説明されて おり、これは「威望」の上字「威」を「威光」、下字「望」を「人望」と(置 き換えて)理解していることを窺わせる。13の「ヰレツ(威烈)」においては、
(その理解が適当であるかどうかは措くとして)やはり上字「威」を「威光」、
下字「烈」を「ハゲシキ」と理解していると思われる。16はそうした理解を そのまま「ヰクワウ(威光)」そのものにあてはめたようにみえ、ために「威 光ノヒカリ」という、いささか重言的な(そして説明としては不十分にみえる)
語釈をつくりだしたのではないだろうか。一方
01においては、「ヰトク(威徳)」
を「威勢ト徳ト」と説明しており、ここでは上字「威」を「威勢」、下字「徳」
をそのまま「徳」と理解していることが窺われる。09・18では漢語全体の語 義を「威勢」で説明している。したがって、漢語を構成する語基「威」はある 時点からは漢語「威光」「威勢」によって置き換えられて理解されていたと思 われる。そうであれば、(『必携熟字集』は「威光」「威勢」を見出し項目とし て採りあげているが)「イコウ(威光)」「イセイ(威勢)」は漢語辞書が見出し 項目として採りあげなくてもよい
0 0 0 0 0 0漢語ということになる。
7248語を載せる『漢語註解』は先に述べたように、ごく粗くとらえれば、
中規模の漢語辞書ということになるが、その中規模の漢語辞書が、 「イコウ(威 光)」「イセイ(威勢)」を見出し項目としていないことは、上のようなことと かかわって「必然」であったのではないだろうか。そうした意味合いにおいて
「実際的」であったといってもよい。
5000語以上
10000語未満の「中規模」の漢語辞書においては次のようになっている。そもそも『新令字解』には、「威」字を頭字とする漢語としては、「威 烈」「威権」の
2語、『漢語字類』には「威権」
1語しか載せられていない。
辞書名 刊行年(明治) 掲出語数
01
大全漢語解 4年 3775語 威烈・威儀・威権・威容・威福・威厳
02
増補布令字弁 5 年 6612語 威信・威権・威福・威容・威儀・威烈・威厳
03大増補新撰字引 7 年 5754語 威烈・威儀・威権・威容
04
新撰字解
7年
5534語 威権・威儀・威厳・威容
05
大全漢語字彙
8年
9159語 威烈・威儀・威権・威容・威福・威厳
06開化新撰字引 8 年 9769語 威烈・威儀・威権・威容・威福・威厳
07開化いろは字引 8 年 7183語 威烈・威儀・威権・威容
08
漢語新字引 9年 8649 語 威々・威権・威柄・威焔・威伏・威畧・威烈・
威儀・威容・威風・威厳・威虐・威靈・威望
09増補漢語字解大全
9年
8240語 威権・威厳・威容
10
校正増補漢語字類 9 年9795 語 威権・威力・威望・威聲・威名・威焔・威 武・威徳・威信・威令・威逼・威容・威厳・威靈
11
漢語両引便覧(画引) 10年
6081語 威儀・威権・威嚴・威名・威福10000語以上を掲出する「大規模」の漢語辞書についても参照しておく。
12
広益熟字典画引之部
7年
11054語 威懾・威讋 ・威虐・威霊・威擒・威名・
威徳
13
新撰字解 9 年 10286 語 威烈・威権・威言・威厳・威容・威信・威伏・
威光 ・ 威勢 ・威力
14
大全漢語字書 9 年 14877語 威烈・威儀・威権・威容・威福・威言・威伏・
威厳・威風・威猛・威武・威凌・威彊・威望・威逼・威力・威却・ 威 光 ・ 威勢 (威儀堂堂・威風凜凜)
15
新撰漢語字引大全 9 年 14764 語 威猛・威武・威烈・威風・威権・威彊・
威厳・威力・威福・威徳・威霊・威名・威容・威儀・威懾・威讋・威逼・
威擒・威凌・威劫
16
漢語小字典
9年
12746語 威怒・威烈・威儀・威望・威権・威名・威聲・
威言・威容・威力・威厳・威福・威燄・威信・威武・威伏・威重・ 威
光 ・威徳・ 威勢 ・威霊・威儀堂堂・威風凜凜
17
文明いろは字引 10 年 11740 語 威猛・威迫・威燄・威容・ 威勢 ・威権・
威烈・威彊
18
新撰伊呂波字引
12年
15877語 威霊・威容・ 威勢 ・威権・威讋・威懾・
威名・威迫・威燄・威徳・威烈・威猛・威彊
19
明治いろは字引大全 15年 15118語 威権・ 威勢 ・威儀・威容・威烈・威 燄・威猛・威迫・威霊・威望・威厳・威名・威福(上半分の「画引類語 字解大全」には、威懾・威虐・威霊・威擒・威名・ 威光 ・威徳・威容・
威厳があげられている)
20
改正増補文明いろは字引 15 年12957 語 威望・威名・威猛・威迫・威燄・
威容・ 威勢 ・威権・威烈
21
雅俗漢語字引大全 18 年 17859 語 威儀・威烈・威厳・威福・威容・威信・
威権・ 威光 ・威徳・威力
22
漢語いろは字典
20年
17087語 威望・威名・威猛・威迫・威燄・威容・
威勢 ・威権・威烈・威懾・威擒・威徳・威彊
23
漢語伊呂波字引 22 年 15499 語 威様・威讋・威儀・威烈・威懾・威権・
威厳・威虐・威容・威言・威霊・威福・威信・威擒・威伏・ 威光 ・威名・
威風・ 威勢 ・威徳・威猛・威力・威武・威望・威凌・威聲・威彊・威焔・
威逼・威令・威却・威示・威儀堂堂・威風凜凜
24
漢語熟字典 25年 11215語 威徳・威信・威権・威烈・威令・威風・威言・
威讋・威懾・威迫・威容・威名・威嚴・威霊・威福・威猛・威燄・威望
25漢語活益字典 25年 14657語 威燄・威迫・威権・威烈・威容・威猛・威
望・威名・ 威勢
26
熟語大辞林
34年
40202語 威神・威蕤・威弧・威紆・威風・威儀・威容・
威厳・威権・威力・ 威勢・ 威徳・威稜
27
新編漢語辞林 37年 49494語 威光 ・威権・威儀・威神・威弧・威紆・威 力・威蕤・威風・威容・威望・威迫・威厳・ 威勢 ・威稜・威徳・威武・
威烈
上に掲げた、掲出語が
1000万語を超える漢語辞書も掲出語採用に関して、
それぞれ個別的な「事情」があることはいうまでもなく、したがって、ひとし なみに観察することはできないが、それでもやはり、「イコウ(威光)」「イセ イ(威勢)」を掲げる辞書が少なくないことはいえよう。
32『熟語大辞林』と
33『新編漢語辞林』とはともに山田美妙が編輯しているが、両辞書とも掲出語が
40000語を超え、明治期に刊行された漢語辞書とし
ては群を抜いた掲出語数である。これらの辞書に注目してみたい。
32には他
の辞書には載せられていない「威神・威蕤・威弧・威紆・威稜」が載せられて
いる。これらの中、「威神・威蕤・威弧・威紆」は『文選』の賦または『文選』
の注に使われている語であることが『熟語大辞林』に記されている。「威稜」
の語釈には「威勢」とあるのみであるが、この語も『文選』に収められている 顔延之の「赭白馬賦」に使用されている。山田美妙が実際にどのようにしてこ れらの漢語を自身が編輯した漢語辞書に収めたかは不分明としかいいようがな いが、例えば、『文選』から漢語を抽出したということも考えられるというこ とになる。そうであるとすれば、『熟語大辞林』が
40000語を超える掲出語を 載せていることは「事実」ではあろうが、やはり明治期に刊行された漢語辞書 の「流れ」の中に、一度は置いて「評価」することも重要であると考える。
33『新編漢語辞林』は『熟語大辞林』刊行の3 年後に刊行されているが、掲 出語はさらに
9000語以上増えている。『新編漢語辞林』が、『熟語大辞林』が掲出していなかった「イコウ(威光)」と「イセイ(威勢)」とを掲出している ことは象徴的にみえる。そうした
0 0 0 0漢語を載せなければ
50000語ちかい漢語を載 せることはできない、ということではないだろうか。「そうした漢語」とは明 治期に刊行された「中規模」の漢語辞書が載せない漢語であるが、それははや くに口頭語において使われるようになった漢語、下層に沈んでいった漢語では ないかと憶測する。
右の結果を一覧表にまとめたものが表
1である。
1から
11までの、掲出語が
5000語以下の漢語辞書において、多くの辞書が掲出する語は「イギ(威儀)」 「イ ケン(威権)」「イヨウ(威容)」「イレツ(威烈)」の
5語であり、これらの語は
12から27までの「大規模」な漢語辞書でも掲出されている。「大規模」な漢語辞書ではこれら5 語に加えて、 「イエン(威焔)」 「イセイ(威勢)」 「イトク(威 徳)」「イボウ(威望)」「イミョウ(威名)」「イモウ(威猛)」を掲出すること が多い。これらを掲出する漢語辞書は
1から11には多くないが、特に「イセイ(威勢)」を掲出する漢語辞書はなく、「イトク(威徳)」を掲出する漢語辞書は 一つのみである。このことをもって「「イセイ(威勢)」「イトク(威徳)は中 規模の漢語辞書には掲出されない」というのはいささか粗いものいいであると もいえようが、「イセイ(威勢)」が「大規模」な漢語辞書を特徴づける語であ るということはいえよう。ちなみにいえば、
12から27の中で、「イコウ(威光)」
を掲出する漢語辞書は
7つにとどまるので、必ずしも多いとはいえないが、こ の語も「中規模」な漢語辞書では掲出されない。
3 室町期の「イコウ(威光)」「イセイ(威勢)」
例えば、天文
23(1554)年の奥書を有する『下学集』 (東京大学国語研究室蔵)
の「態藝門」には「威儀 威勢 威光 威徳」とある。これらの項目には語釈 が附されていないので、どのような文献から『下学集』にもちこまれたか、不 分明ではあるが、とにもかくにもある。伊勢本系統本である「正宗文庫本」『節 用集』は「い部」の言語進退門には(連続項目としてではないが)「威儀」「威 徳」「威光」「威勢」が項目として採られている。これらは『下学集』から受け 継いだ項目と思われる。
古本『節用集』の
1本として位置づけられ、語釈を有することで特徴づけら れる「和漢通用集」には次のような記事がみられる。振仮名は漢字列の後ろに 丸括弧に入れて示す。
01
威光(いくわう)いせいの義(い部言語門)
02
威勢(いせい)権門(けんもん)也(い部言語門)
03
勢(いきおい)いせい也(い部言語門)
04
不畏(いかめしい)いせいの体(い部言語門)
01 の記事からすれば、「イコウ(威光)」と「イセイ(威勢)」とは類義語と してとられられていたと覚しい。03 には注目したい。03では和語「イキオイ」
が漢語「イセイ(威勢)」で説明されている。このことからすれば、漢語「イ セイ(威勢)」は「和漢通用集」が編纂された頃には和語を説明するような語 になっていた。
4においても「イカメシイ」という和語を「イセイ(威勢)」
で説明している。
キリシタン版と呼ばれるイエズス会による出版物の中には、巻末に、当該テ キストで使われている日本語の簡略な説明をまとめた辞書様のものを附録して いるものがある。例えば
1591年に刊行された『サントスの御作業の内抜書』
には「この二巻の御作業のうち分別しにくきことばのやわらげ」が附載されて いる。他には
1592年に出版された(ローマ字本)『ドチリナキリシタン』、同 年に刊行されている『ヒイデスの導師』、
1596年に刊行されている(ローマ字本)『コンテムツスムンヂ』、1593年に出版されている『平家物語・伊曽保物語・
金句集』にも同様のものが附録されている。これらをここでは「ことばのやわ らげ」と総称し、一つ一つの「ことばのやわらげ」は(サ)(コ)を添えるこ とによって区別する。
「和らげ(サ)」には「威光、すなわち、威勢」という見出し項目がある。こ の見出し項目が「Poder」(=威力)「magestade」(=威光)「manifiçẽcia」(=
威勢)という三つのポルトガル語によって説明されている。見出し項目の「す
なわち」にあたる箇所には「
i.」と記されている。これは『日葡辞書』等にも
みられるが、 「
idest」の省略表記で、 『邦訳日葡辞書』 (
1980年、岩波書店)の「解
題」は「i.」の次には「見出し語の同義語が挙げられる」(16 頁)と述べる。
表1:威字を頭字とする漢語リスト
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
威威 いい ○
威紆 いう ○ ○
威焔 いえん ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威儀 いぎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威却 いきゃく ○ ○ ○
威虐 いぎゃく ○ ○ ◎ ○
威彊 いきょう ○ ○ ○ ○ ○ ○
威擒 いきん ○ ○ ◎ ○ ○
威権 いけん ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 威厳 いげん ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○◎ ○ ○ ○ ○ ○
威言 いげん ○ ○ ○ ○ ○
威弧 いこ ○ ○
威光 いこう ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○
威示 いじ ○
威重 いじゅう ○
威讋 いしょう ○ ○ ○ ○ ○
威懾 いしょう ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○
威神 いしん ○ ○
威信 いしん ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威蕤 いすい ○ ○
威勢 いせい ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威声 いせい ○ ○ ○
威怒 いど ○
威徳 いとく ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威迫 いはく ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威武 いぶ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威風 いふう ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威福 いふく ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威伏 いふく ○ ○ ○ ○ ○
威逼 いふく ○ ○ ○ ○ ○ ○
威柄 いへい ○
威望 いぼう ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威名 いみょう ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○◎ ○ ○ ○ ○ ○
威猛 いもう ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威様 いよう ○
威容 いよう ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威力 いりき ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
威畧 いりゃく ○
威凌 いりょう ○ ○ ○
威稜 いりょう ○ ○
威霊 いれい ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○◎ ○ ○
威令 いれい ○ ○ ○
威烈 いれつ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
森田武『日葡辞書提要』(1993 年、清文堂)は「i.(すなわち)と
l.(または)とは、どちらも日本語や葡語の文中に頻繁に用いられるが、見出し語に他の日 本語を並べ掲げる場合にも多く用いられる」 (
72頁)、 「
i.については(引用者補:
『日葡辞書』の)巻頭の例言中に、見出し語と「同義語か言い換えかで、語義 を一層よく説明するものである場合」には、その前に
i. を添えるとあ」(73頁)ることが指摘されている。右では「同義語」という表現が使われているが、厳 密な意味合いでの同義語は存在しないと考えれば、右の「同義語」は「類義語」
と言い換えてもよいことになる。したがって、キリシタン版にみられる「
i.」 は(ある語の語義を説明するために当該語と)類義の語を並べるために使われ ているとみてよい。そう考えてよいとすれば、先にあげた「和らげ(サ)」の「威 光、すなわち、威勢」は、「イコウ(威光)」と「イセイ(威勢)」とが類義語 と(和らげ製作者に)理解されていたことを示していることになる。「和らげ
(コ)」には「威光。威勢。」とあって、この和らげにおいては、 「イコウ(威光)」
が「イセイ(威勢)」と説明されている。これらのことからすれば、当該時期、
16
世紀末ぐらいには、「イコウ(威光)」と「イセイ(威勢)」とは「類義語」
としてとらえられていたことが窺われる。
ジョルジェ(
Marcos Jorge)の『
Doctrina Christão』を原本としていると目さ れている『どちりいなきりしたん』(
1591年)の「序」の末尾ちかくには「上 下ばんみんにたやすく此むねを知しめんが為にことばはぞくのみゝにちかく儀 は天命のそこをきはむる者也○是によてことはりをすみやかにわきまへんが為 に師弟子のもんだうとなしてつらぬる者也されば此◆どちりいなは一切のきり したんの為にあんしんけつちやうの一道なれば誰しも是をしりわきまへん事専 要也然にをひてはまよひのやみをのがれ真のひかりにもとつくへし」と記され ている。この言説によれば、「ことば」を「俗の耳に近く」したててあること になる。また「師弟子の問答」形式は天草版『平家物語』を思わせる。右の引 用箇所についていえば、「ぞく(俗)」「もんだう(問答)」「あんしんけつちや う(安心決定)」のように仮名書きされている漢語と「専要」のように漢字書 きされている漢語とがある。
『どちりいなきりしたん』は活字印刷されており、そのことがどのように版 面にかかわり、どのように表記体にかかわっているかについては慎重に考える 必要があるが、仮名書きされている漢語が「漢字離れ」していた可能性はあろ う。「漢字離れ」は山田俊雄が『日本語と辞書』(1978年、中公新書)におい て使った表現であるが、そこで山田俊雄は次のように述べている。
ごく大まかな計算をすると、『日葡辞書』の全所収語の項目を、土井忠生の
計算によって三万二七九八語と見て、漢語とおぼしきものの数を、筆者の計算
で約一万二千と見るなら、約三七%に当るのである。さて、今、 『節用集』や『下 学集』などをはじめとして『日葡辞書』まで遡って、漢語の勢力を占って見た のであるが、さらに少しその内容に立入って見ることにする。漢語とはいって も、実は、すべてがいわゆる難解な漢語ではなくて、極めて一般的な庶民の程 度でも十分に使ったり書いたりすることのできるものも少くはなかったと思わ れる。というのは、明治初期において見てもほぼ同じことが言いうるかと思う が、漢語は漢字の裏付けをもたなくても存在しうる状態になる。また別な言い 方をすれば、漢字離れをして、口頭言語の中でも普通になってゆくものがあっ て、それらはいわば漢語の層の下の方に次第に累積し沈澱してゆく。その実例 を次のようにして求めて見よう。極めて一般的なレベルの人士を対象にした注 釈や語釈の書物の中で使われる語彙を調べて見ると、そこには、大部分片仮名 で書かれた文章が見出される。そして、その片仮名書きの文章の中に、漢字音 の語が用いられている。そこに見える漢語は、注釈や語釈に用いる言語である から、ちょうど、本居宣長が、『古今集』の歌を、日常の用語のみで注したよ うな手法で、わかりやすく俗眼俗耳に入りやすいものばかり選ばれている。恐 らく、特別な用語を選ぶという、気の張った心積りはなく、ただ平易に語った というに過ぎないであろうが、そこに自然に漢語・字音語があわせ用いられて いるのだと言った方が正しかろう(
224〜
225頁)。
この言説には『どちりいなきりしたん』の「序」にあたかも符合するかのよ うに「俗眼俗耳」という表現が使われている。山田俊雄は右の言説に続いて、
その具体例として、元禄
11(1698)年に刊行されている『経書字辨』を採りあげている。『経書字辨』はその「凡例」において「卑下ノ常談」をもって「辨」
じていることを説く。山田俊雄は、その「辨辭」において使われた「漢字音の 語」を掲げているが、その中に「イセイ(威勢)」が含まれている。
『どちりいなきりしたん』においては、 「イセイ(威勢)」は使われていないが、
「イコウ(威光)」は「へんほうを与へ給はん為にでうすにて御座ます御所は云 にをよばず人にて御座ます御所もならびなき御 いくはう をあらはし給ひてあま くだり給ふへしと申儀也」、「十か条也是即二に分る也初の三ケ条はでうすの御 いくはう にあだり奉り今七ケ条はほろしもたがひの徳の為也」のように、仮名 書きのかたちで
2回使われている。『どちりいなきりしたん』のように、日本人にキリスト教教義を説くことを目
的として編まれたテキストで、わかりやすい語を使って文章が組み立てられて
いることを謳うテキストに使われている漢語がどのようなものであるか、とい
うことを手掛かりにして、 「漢語の層」についての考察を展開することが可能で
あると考えるが、 本稿では一つの例をもって、 そうしたことを提示したと考える。
おわりに
『明治期漢語辞書大系』(大空社)の刊行によって、明治期刊行の漢語辞書が 使いやすくなった。しかし明治期刊行の漢語辞書を使った分析、考察は必ずし も多くはないように思われるし、深度をもった精密な分析はさらに少ないよう に思われる。
本稿では、漢語辞書が掲出する語数によって、漢語辞書を「小規模」 「中規模」
「大規模」と粗く分け、それぞれがどのような漢語を掲出した結果、それぞれ の規模になっているかということを考えるための、一つのケースを提示したと 考える。
室町期から江戸期を経て明治期に至る間に、口頭語においても使われるよう になった漢語があることはこれまでにも指摘されてきた。そうした漢語は層の 下部に「沈澱」し、漢字から離れていることが推測される。『下学集』、古本『節 用集』において見出し項目となっている漢語がどのような「出自」をもつかと いうことについても、これまでに話題にされてきているが、本稿は当該時期に 話しことばとしてもよく使われるようになっていた漢語が含まれている可能性 があるということを示した。
近時コーパスを使った日本語分析が行なわれるようになってきた。コーパス は、さまざまな言語テキストを類聚して分析母体とする。そうした分析母体の 分析から導き出された結果を起点とする研究が成り立つとすれば、本稿のよう に、幾つかの言語テキストを組み合わせた分析も、その組み合わせと分析方法 が適当であれば、成り立つと考える。
注
1
) 稿者は何らかの「編集」が行なわれている文献を(広義の) 「辞書体資料」と呼び、
その基本的な枠組みを「見出し項目+語釈」ととらえている。項目が何らかの配列 を施されている場合には、その文献を(狭義の)辞書体資料とみる。
2
) 「浜真砂」は本名とは考えにくいが、刊記には「編輯者/筑摩縣管下第十五/大區 一小區信濃國/諏訪郡落合村蔦木/学校寄留」と記されている。なお、「出板人」
は「諏訪郡梅諏訪村七/百六十一番地/藤森平五郎」とある。
3