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(1)

F田

カントの実践哲学形成期への諸影響について

(6D (oo) (59) (58} (5 (56) (su) (su/a) (54)

(75> (74} (73) (72} 仔1) tro) 69) 俗8} 67) (β6} 65) 64)

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︾口≦巴︒・ロ昌αqゆ睦ω.αρ

高橋昭二︑上褐書︑七五頁以下参照︒毒q民けしぼFの・樗ωム.

一七五五年のカントは︑理性による決定論的自由論の立場で自発性

を考え︑クルジウスの選択の自由の意味での非決定論的自由論を一

応拒絶するが︑六〇年代に入ると実践への関心の深化と共に後者が

あらためて問題になり始める︒矢島羊吉︑ ﹁カントの自由の概念﹂

八頁以下参照︒

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ωoず旨ロ︒犀︒円一げ一9ωQob二.

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(88) (or) (86) (85) (8di (83}

ルソー︑ ﹁学問芸術論﹂︑岩波文庫︑前川貞次郎訳︑

ルソー︑ ﹁エミール﹂︑岩波文庫︑今野一雄訳︑上︑

ルソー﹁人間不平等起源論﹂付録︑岩波文庫︑本田︑

○頁︒ルソー︑ ﹁エミール﹂︑上︑三〇一一頁︒

ルソー︑ ﹁エミール﹂︑上︑一一四一五頁︒

oQoずヨ鑑︒犀①肩凶ぴ一FoQ.卜⊃αOード

    ︾ルソー︑ ﹁社会契約論﹂︑岩波文庫︑桑原︑前川訳︑

ルソー︑ ﹁社会契約論﹂︑二八i九頁︒

野田又夫︑ ﹁ルソーの哲学﹂︑四三頁以下︒ 一四頁︒二三頁︒平岡訳︑一九五二頁︒

一99一

(2)

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出①⇔ユ︒戸ま置.ω︒①①・

ωOげ目qO犀OH一げ闘FげOqα ω・αω.        U

﹁覚え書が書かれたのは早くとも一七六四年であり︑その大多数が

この年とその次の年にできているのは恐らく真実である﹂︵×冒ω.

×××≦︶と言う︑国目ざげ︾蝕︒閑①ωによる︑アカデミー版遺稿集出版

のための序文︵一九=年︶の日付けは︑実際に﹁覚え書﹂を出版

した︵一九四二年︶のΦ昌9鼠いΦげヨ帥自も踏襲しており︑彼はちょ

うどその一〇〇年前に﹁勝手に﹂そして﹁たぶん気に入るかどうか

の観点で﹂まえ﹁まちがいなく不精から﹂全量の四分の一を積み残

して出版した津δ費8犀妻凶貯9日ω︒言び︒暮の︑一七六五一七五年

という﹁覚え書﹂の日付けを修正している︵××ω﹂譲〜b︒︶︒

国Φ謹凶︒鐸ぴ凶P︑ω.①朝・

ω曾ヨ目匿♪凶三Pω・H︒︒O・なお本文第三章に対応する内容をもった

﹁両性特に女性の性格﹂についての断片が︑ ﹁覚え書﹂全量の三分

の一を占めており︑かつ同じようにルソーの直接の影響下にあると

も言われる︵ω﹄cQHh●︶︒

ωoげヨ雌︒屏2しび崔■ωμωoo・

ω9旨gざ同L三α・功・嶺P

oDX馨︒冨おぎ苞●ω●HQ︒ρ

シュムッカーはこのd日匹b宕昌σqo口を︑理論哲学には﹁判明性研

究﹂の一七六二年︑﹁大いなる光﹂の一七六九年︑﹁ヘルツへの手紙﹂

の﹂七七二年の三度︑そして道徳哲学には﹁判明性研究﹂の一七六

二年と﹁覚え書﹂の一七六五年の二度認めるのみである︵ω・Q︒◎︒誠.︶︒

しかしランベルトへの手紙に見えるカント自身のこの語の使い方か

(44 (43) (42) (41) (40) (39) (38) (37H36) (35) (3di (33)

(32}剛

(30)

(46) (45)

(48)幽

(ss) {52) (51) 60)・(49)

ら見る限り︑それはそうした大きな転機ではなく︑むしろ小さな転

向を意味していると思われる︒

O腎冨甑①昌︾償讐6α練Oヨ噛︒冒ω︾︾口毒90︒=旨σq︿oヨロ旨ヰ茜NqδげoP同隷♪

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一び崔・一玄P

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淘げ闘ら■ω.oQ①■

一霞Fω.︒︒8 また理論から独立した道徳に対する﹁英国の感情道徳

の影響を重視するヴントも︑﹁判明性研究﹂︵目ωOO︶の当該箇所を指し

て︑カントは﹁クルジウスを名差すことはしないが彼の宗教的転換

ははっきり拒否する﹂と言っている︵ぐ﹃賃昌q叶り一び一q.ω.Hωα噛︾口引p.H︶

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ゆ58ωμり中刈■ゆ嵩ρψ曽ρゆ嵩ρωbboρ   弘三.ω■◎o①■

一 100 一

(3)

戸田

カントの実践哲学形成期への諸影響について

 ところで︑ルソーの﹁一般意士心﹂は︑ ﹁エミール﹂に現われ

たのを見ても︑ ﹁社会契約﹂による.﹁法国家的社会秩序の原

理﹂であって︑その限りにおいて自由な自己立法の思想を含ん

でいた︒ ﹁臣民がこのような約束にのみ従うかぎり︑彼らは何       ︵86︶びとにも服従せず︑自分自身の意志のみに服従するのである﹂︒

そしてそもそも﹁自然状態﹂から﹁国家的社会状態﹂への転換

点としてルソーによって想定されているのは︑自然状態の人間

の﹁自己保存﹂をはばむ障害が︑個人の自己保存力を上まわる

    ︵87︶時点である︑ということから見ても彼の一般意志の原理は﹁自

己保存と自己愛の動機﹂に基づいていることは明らかである︒

それのみでなく︑かかる﹁力﹂の契機の他に︑ ﹁功利聾しの契

機もそこには見られる︒ ﹁社会契約において︑個々人の側にお

いて︹権利の︺真の放棄がありうるなどというのは︑まったく

誤りであり︑⁝⁝︹権利の︺譲渡どころか︑有利な交換をしたに

すぎない⁝⁝﹂と言われるのなどはそれである︒かくしてルソ

ーの﹁綜合的方法﹂による︑国家的社会論においては︑ ﹁力﹂

の契機をもとに︑ ﹁道徳性﹂と﹁功利性﹂の契機が土ハ存してい

     ︵88︶ることになるが︑後者はクルジウスの﹁怜倒の原理﹂に対応す

るものである︒懸賞論文におけるカントはこれを﹁蓋然的必然

性﹂として﹁適法的必然性﹂から区別した︒われわれはカント

の﹁分析的方法﹂によるルソーの﹁道徳性﹂の契機の究明に従

って︑ ﹁適法的必然性﹂の原理を肥る程度判明ならしめること

により︑後の﹁定言的命法﹂の確かな朋芽を得た︒他とはやや

性格を異にする︑ ﹁覚え書﹂のラテン語の部分は︑この適法的

必然性と蓋然的必然性を﹁実践的客観的必然性﹂とし︑それぞ

れ﹁客観的定言的必然性昌ΦoΦωω皆Ω︒︒・88σQo二〇Ω︒﹂︑﹁客観的条 件的必然性ロΦ8ω訟富ω08a怠8餌一帥ω﹂︵︶︵︶︻団劇㊤博 ドαα︶と名づけて︑これの原理的究明を行なっているが︑この小論はひとまずここで論述を終ることにする︒        註

{2> (1)

(6) (5) {4) (3)

GO) (9) (8) (7)

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芝凶ωωO昌opOげ9坤●

ルソーの神義論については後に述べる︒ 冒のΦhωoげヨ目︒吋︒きU一〇

d屋質茸ゆq①q巽卑ゲ涛緊雪什︒︒H8どω﹄O刈参照︒また野田教授はニ

ュートン.とロックでなく︑ルソーとの取り合わせに注目している︒

野田又夫︑﹁ルソーの哲学﹂︑所収﹁ルソー研究﹂第二版︑三⊥ハ頁︑

注一︒その他﹁社会契約論﹂は同年前月に︑そしてサン・ピエールの﹁永

久平和の草案﹂に刺戟されて﹁アッペ・サン・ピエールの永久平和

の草案抜華﹂が公刊されたのが前年三月である︒すでに一七五〇年

一一月には﹁学問芸術論﹂が︑一七五五年⊥ハ月には﹁人間不平等起

源論﹂が公刊されている︒なお一七五九年七月二七日の手紙でヒュ

ームについてカントに手紙を書き送った敬凄な読書家ハーマンは︑

同年一二月末にルソーについてもカントに手紙を書き送っている︒

ルソー﹁エミール﹂︑岩波文庫︑今野一雄訳︑下︑六七頁︒

ωo﹃日ロ︒犀霞㌃げ誌.ω.置笛Hb◎ρ

高橋昭二︑ ﹁カントの弁証論﹂一九六九年中︑特に﹁カント批判三

唱の哲学﹂参照︒

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﹈≦Φ昌NΦ巴一げ騨自■ω■ωOP

   ︸

一 101 一

(4)

﹁悪をしないということがすでに大きな徳であることを除いて

は﹂︑いかなる﹁利他﹂も生まないという点が不都合なのであ

る︒そこでカントは単なる﹁心の平安﹂と﹁感じとる心の平安

象︒①ヨ嘗冒q①μ侮⑦ω⑦90一昌切億げ①﹂を区別している︒前者に

あっては︑すべてが﹁熱狂なき友情﹂ ﹁情のもろさなき同情﹂

﹁憧憬なき欲望﹂となるのに対して︑後考は﹁身体あるいは悟

性から言えば不活発なのではなく︑ただ欲望や楽しみから言っ

て不活発なだけ﹂のものであると言われる︵××目α艀︾P円P︶︒

﹁幸福の主要根拠は︑ただ快適に感ずるというだけでなく︑強

い感覚によって妨げられるものを︑自己の全状態において意識

していることである﹂ ︵×鋼崔㊤︶︒そして﹁感情豊かな心の平

安は最大の完全性である⁝⁝⁝がむしろそれは最後の目標であ

る﹂︵×区刈︶とカントは言う︒

 ここでわれわれは︑ ﹁覚え書﹂に際立った形で現われている

カントの道徳的感情論に直面している︒ ﹁われわれは他人の状

態が悪または善であるとき︑われわれが前者を排除し後者を促

進でぎると強く感ずる場合の他は︑他人に対してほとんど感情

を持たない﹂と言うカントは︑この感情を﹁共感﹂と呼び︑

﹁稀な極めて重要な機会にだけ作用する本能﹂として︑その他

の場合の﹁作為的な共感﹂から区別している︵××犀朝︶︒ ﹁善

意は不平等を通じてのみ生ずる﹂︵×区ω①︶と言われる場合も︑

同じ意味である︒しかしカントはこの事を更に︑ ﹁全能力と感

      受性が自由な選択意志に従属すること﹂と規定する︒まさにこ

のことが﹁最大の内的完全性とそこから生ずる完全性﹂に他な

らないから︑ ﹁選択意志の価値に対する感情は︑それによって

実現されるすべての善い結果とは全然別であり︑またそれより 大きいものでなくてはならない﹂のである︵××計切︶︒ このように︑ ﹁道徳的感情は意志の完全性の感情﹂なのであり︑意志の完全性とは﹁意志が自由の法則に従って善一般の最大の根拠である﹂ことなのである︵×図Hω①︶︒ これをルソーのコ般意志﹂から示唆を受けたとされる彼の﹁普遍意志﹂との関係で見るならば︑次の通りである︒ ﹁ところでこの選択意志は︑単なる自分の意志もまた普遍意志も含んでいる︒ということは人聞は同時に普遍意志との一致において冒oo旨ωΦ口の離日暮画︒ヨ並等ΦB⑦言Φ旨毛並Φ口自己を見るということである︒普遍意志によって必然的になるものが責任なのである﹂ ︵×図上α︶︒ ここにわれわれは︑先に﹁拘束性﹂という根本概念の第一原理の︑ ﹁無条件性﹂という契機をカントに教えたクルジウスに次いで︑ルソーがかかる原理の﹁自己立法﹂という契機をカントに教えていることを知る︒単なる恣意に従うのは奴隷であることであり︑自由であるということは︑自分が自分に指定する法に従うということであり︑かかる道徳的自由だけが人間を真に自己自身の主人たらしめる︑というのはルソーの思想の内包する道徳的契機である︒カントはかかる契機を自らの道徳論に吸収したのであ・る︒しかしこの段階のカントから麟ってルソーの道徳性を見れば︑そこに不足があるのは言うまでもない︒そこでシュムッカーは次のように言う︒ ﹁カントの自律の原理にとって決定的なことは︑意志が内的法則を自分自身の義務とする︑ということではない︒というのは︑それは量る関心に基づいても考えうるから︒決定的なことは︑道徳原理が無条件であるということ︑そしてかかる無条件の道徳原理は︑最高ないし       ︵85︶根源的に立法的な意志しかありえない﹂︒

一 102 一

(5)

戸1ヨ カントの実践哲学形成期への諸影響について

      ︵84︶を堕落させる﹂のである︒そしてこれにすぐ続けてルソーは

コ般意志﹂と社会契約の構想を付け加える︒ ﹁社会における

こういう悪に対抗するなんらかの方法があるとするならば︑そ

れは人里のかわりに法をおき︑一般意志に現実的な力をあた

え︑それをあらゆる個別意志の行為のうえにおくことだ﹂︒

 ﹁エミール﹂のこの個所に対応すると思われる︑ ﹁自由につ

いて﹂という題のついた比較的長い断片の中で︑カントはこう

言う︒人間は﹁自然の管理者くΦ円≦息ωo昌ではあるが︑﹁支配

者寓①δ件①同﹂ではないから︑﹁自然の強制には従わなければな

らない︒しかし﹁この必然性の範よりもはるかに苛酷で不自

然なことは︑ひとりの人聞が他の人間の意志に屈従すること

d導Φ邑単費h茜貯Φ津である﹂︵××⑩N︶︒﹁ひとりの入間が他の人

間の意志の下に立つということほど︑言語道断なことはありえ

ない︒従って人聞が奴隷制に対して持つ嫌悪ほど自然的なもの

はありえない﹂︵××Q︒Q︒︶︒ ﹁要するに依存する人闘はもはや人

間ではない﹂︵醤×㊤艀︶︒

 ところで﹁社会的な贅択を享受し利用しながら︑不幸かつ不

       ロ自然な傾向性をもってこれに執着することなく︑開化した自然

入Φ冒αqOω騨叶葺Φ同寓①⇒ωOげ噺①目2讐q門にとどまる﹂ために自

然的状態のことを考える︵メ×ωH︶と言うカントは︑不自然な

開化した状態のうちに︑そのような﹁執着﹂のみならず︑もう

一つの大きな禍凝すなわち﹁屈従﹂を見た︒ ﹁自由の喪失は︑

愛着か屈従かのいずれかに基づく︒前者の場合︑ひとは自分の

傾向性︵物への︑あるいは愛︑友情︑孝心におけるように人間

への︶によって支配されるか︑あるいは︹後者の場合︺自分の

傾向性に反して支配される︒前の場合は柔弱な贅択の結果であ るが︑後の場合は臆病な卑怯の結果であり︑また前者の結果である﹂ ︵××H①令α︶︒ ﹁開化した自然人﹂にとどまろうとする者に較べれば︑自然的人間は﹁徳なくして善でありうる﹂︒自然的人間が善であるのは︑一つには自然的状態には悪への大きな誘惑がない︵かかる誘惑についての無知のため︑もしあれば惑わされ易いが︶からであり︑二つには先述のように︑彼らは自足しており︑利他の余力を残して完全であるからであり︑そこでは徳は︑そもそも何らの自己強制も略奪も必要でないのであるから︑もとより無用なのである︒ ﹁自然状態においてひとは︑徳なくして善︑学なくして理性的である﹂︵区×二︶︒ 開化した状態をこうした徳の観点から見直すならば︑ ﹁かかる状態においては︑ひじょうに多くの不自然な欲望が生じるから︑折りにふれてまた︑徳へのきっかけも生じることになる﹂

︵××障︶︒ 自然的人間の方が﹁公益的で︑活動的な感覚﹂を

持っているが︑開化した入間は﹁空想的欲求を持ち︑利己的で

ある﹂︵図図目お︶から︑徳は﹁開化した自然人﹂のものでなけ

ればならない︒カントは﹁無感覚野口げ=8おド①#﹂と﹁心の平

安ω①Φ冨言摺目びΦ﹂を区別する︒前者は自然的人間のものであ

り︑そのために彼らは﹁不安﹂をまぬがれている︒後者は﹁感

情の平衡﹂であるが︑ ﹁この表面の平静も激情ピΦ崔Φ霧︒ゴ既け

によればひたすら憤激させられる﹂︵××ドお︶ のであって︑そ

れは単なる心の平安ではない︒開化した自然人にとって︑単な

る心の平安によって道徳が成立するとは考えられない︒ ﹁自然

的人間においてよく解ることだが︑心の平安によって全道徳性

が導出されうるかどうか問題である﹂︵××目課︶ とカントは言

う︒すべての放恣と不安の所業に対する﹁平安﹂の教えは︑

一 103 一

(6)

      の 手にうつるとすべては悪くなる﹂ ﹁自然に還れ﹂に象徴される

ような︑ルソーの過度はそのままカントのものではない︒ ﹁あ       ︵82︶なたの著作を読むと︑ひとは四つ足で歩きたくなります﹂とい

うヴォルテールの椰楡の論調も︑カントとは無縁のものであ

り︑彼は次のようにルソーを弁護しながら︑自らの方法を貫

く︒ ﹁われわれが未開人の幸福を考える時︑それは森に帰るた

めではなく︑むしろただ︑われわれは他方で何かを獲得するこ

とによって︑失ったのは何であるかを見るために過ぎない﹂

︵××ωH︶︒

 ルソーにとっては︑自然が作ったものが善であり︑倫理的堕

落はすべて社会の影響によって生ずると考えられる︒しかしカ

ントは︑ ﹁いかにして自然的人間がだめになるかを証明するの

に︑開化した状態を引ぎ合いに出す﹂方法を逆転して︑この開

化した状態の諸条件から︑むしろ自然的状態を判定すべきであ

るとし︵×メH㎝︶︑自然的状態に相対的な善しか帰すことをしな

い︒ ﹁道徳の方法についてであるが︑そこでは現在︑すべての

人間に生れつき共通であるような性質が︑自然的だと︵罪によ

って生得的なのではないと︶考えられ︑またそこからは︑いか

にしてその状態において人間は善でありうるかの規則が引き出

されるような道徳の方法は︑たとえ想定が誤りであることがあ

りうるとしても︑まちがうことがない︒こうした方法におて私

は言うことができる︒神について知ることのない自然の人間は

悪ではないと﹂︵図×H旨︶︒自然的人間について次のようにも言

われる︒ ﹁彼がそれをなすように神が欲することを︑彼の心に

神が置いた動機によってなす者は︑神の現存在を知らずとも︑

神に服従する﹂︵××HOF︶︒ 自然的状態は︑大きな誘惑さえな ければ︑内面的道徳的根拠が︑特に宗教を必要とせずとも︑道徳的善への十分な力を持っている状態とされる︒そしてかかる善への力の完全性は自足と利他にある︒ ﹁自然的人間は必要とするものがほとんどないが︑また必要とするものが多ければ多い︵貧窮である︶ほどみじめであるから︑人間は︑自分が物がなくても済ませる限りにおいて︑しかしながら他人の欲求と幸福とを促進するに足る力をなお多く残している限りにおいて︑完全なのであり︑従って自己以外の者に対して慈善的な意志の感情を持つ﹂︵××H心①︶︒ しかし自然的人間をまたカントは︑ ﹁徳なくして善である﹂︵××HH ド︒◎吟     噂︶と言う︒これは開化した状態についてのカントの考えを見ればおのずから理解できる︒ ﹁自然は人聞を公民に作ることは決してない﹂ ︵××QQ昌︶のであり︑ ﹁芸術や優美さや開化した憲制は遅れて生ずる﹂もの︑つまり﹁自然にとって異質かつ偶然的な﹂ものなのである︵旨乙●︶︒かかる不自然な文化・憲制において︑社会的な贅択の享受への不幸な執着が生れるばかりでなく︑人間を隷従に強いるものが生ずるというカントの見方は︑明らかにルソーの発想である︒ルソーは﹁自然の秩序のもとでは︑人聞はみな平等であって︑その土ハ通の天職は人間であること﹂なのに対して︑ ﹁社会秩序のもとでは︑すべ       ︵83︶ての地位ははっきり決められている﹂とし︑人間の二種の依存状態を区別している︒一つは﹁事物への依存﹂で﹁自然﹂に基づき︑ ﹁なんら道徳性をもたず︑自由を妨げることなく︑悪を生みだすことはない﹂のに対して︑他は﹁人間への依存﹂であ

って︑これは﹁社会﹂に基づき︑ ﹁無秩序なものとして︑あら

ゆる悪を生みだし︑これによって支配者と奴隷はたがいに相手

一 104 一

(7)

戸田

カントの実践哲学形成期への諸影響について

くどのような著者よりも高い程度に見出される﹂ ︵×図艀ω︶と

彼への賞讃を惜しまないカントは︑しかし彼を﹁表現の美しさ

が妨げにならぬまでよく読んで﹂︑ ﹁理性をもって﹂研究しな

ければならない︑重い責任を表明する︵図×ωO︶︒そこで先ず︑

カントがルソーと対決する時の意識的方法︑そしてそこから生

じてくる︑文化と道徳︑社会状態と自然状態に対するカント自

身の見解を検討することにする︒

 ﹁一方の命題は確定され難いものである︒すなわちそのこと

が自然の中にないのかあるのか︑言い換えると︑そのために自

然がいかなる衝動も与えたのではなく︑衝動は入為的なもので

あるのか︑いかなるかかる窮乏も本来のものではなく︑それは

偶然的に生じたものであるのか︑といったことである︒他方の

命題はもっと容易である︒すなわちそのことが自然と一致しな

い︑言い換えると︑自然の中に現実に在るものにそれが矛盾す

る︑といったことである︒ルソーはしばしば前者によって処理

して︑いるが︑入間性は今ひじょうに荒廃した姿をしているか

ら︑自然の基礎が疑わしく︑また識別し難いものになってい

る﹂︵××蔭刈1◎◎︶︒カントは前者の方法を綜合的︑後者の方法を

分析的と称する︒ ﹁ルソーは綜合的に処理して︑自然的人間か

ら開始し︑私は分析的に処理して︑開化した入間から開始す

る﹂︵××犀︶︒そして自らの分析的方法も経験せざるをえない

歴史の処理の困難について︑次のように言われている︒ ﹁すべ

ては流れをなしてわれわれの前を通り過ぎていく︒人間の変わ

り易い趣味や種々の姿は︑活動全体を不確実で欺購的なものに

している︒人間には決して動かすことができず︑また人間に︑

応分がどちらの岸に身を寄すべきかのしるしを与えうる自然の 固定点をどこに私は見出すであろうか﹂︵××&︶︒しかしそうした中でカントは︑たとえば次のような﹁自然的なものを不自然なものから区別する二つの試金石﹂と言われるものを指摘したりする︑ 二︑それはひとの変更しえないものに適合するかどうか︒二︑それはすべての人間に土ハ通であるか︑あるいは残りの者を抑圧しながら︑少数の入間にしか共通でないか﹂ ︵××沼︶︒ こうした方法によってカントは︑ルソーの実践的革命思想の︑鋭く高貴で美しい一面を吸収し︑ともすれば独断的で過度で激越な反面をやり過し抑制する︒例えば先に掲げたルソーの

﹁神義論﹂の賞讃や︑﹁人間の尊厳﹂についての反省を示すあの

有名な言葉は︑一つには学芸に対する道徳の意義の強調を表わ

しているが︑これは確かに悟性からの意志の独立の真に実践的

な意味の同化を含んでいるにしても︑例えば学芸は﹁人間を縛

っている鉄鎮を花環で飾り︑⁝⁝自由の感情をおしころし︑入      ︵80︶間に隷従状態を好ませるようにする﹂という言葉に象徴される

ような︑ルソーの過度の単なる口真似ではない︒カントのあの

言葉はまた︑入間の﹁性・年齢・教育・政治・風土﹂︵属×㎝O︶

による多様性にもかかわらず︑その中に﹁深く隠された人間性

と隠れた法則﹂︵××αQo︶を発見した栄誉をルソーに捧げ︑また

かかる法則に従いこれを守ることによって︑人間はそれ自体善

であり︑ただ自己の責任においてのみ堕落しうるに過ぎない︑

とするルソーの神学論と人聞の尊厳の主張に対する深い感銘と

賛意を示すものであり︑カントはこれによって自らの自由論の

隆路の突破口を見出すのであるが︑ここでも例えば﹁万物をつ

くる老の手をはなれるときすべてはよいものであるが︑人間の

一 105 一

(8)

とは︑クルジウスによれば﹁精神の道徳的状態の神の法との一

 け 致﹂なのである︒

 ところで問題は︑﹁自発性ないし精神的自己活動ω煽8訂昌Φ門屋

︒Ω①同σq⑦富菖αqΦωΦ葺ω#結け茜吋①騨﹂と右に言われたものである︒

かかる自発性は︑クルジウスによれば決して自由ではない︒そ

れは﹁作用する実体が自分自身の表象や欲求によって︑或る活

動に限定されていること﹂であり︑物理的必然的であって﹁自

由ではない﹂とされる︒その際﹁作用する精神がいかなる表象

によって限定されるか︑また限定する動因がその悟性において

判明に表象されるかどうかということは︑事態に何らの貢献も       ︵72︶するものではない﹂のである︒かくして精神的自発性が生む表

象のうちに︑自由のための強要の契機が見られており︑この契

機は﹁欲求切①σq冨巳①﹂の契機と同列に見られるのである︒と

ころがこれに対して︑自由が﹁意志の最高の根源力﹂と規定さ

れる際の自発性はこれとは異なっている︒ ﹁自由とはわれわれ

の内あるいは外にある何か他のものによって︑それに限定きれ      ︵73︶ることなしに︑自らを或る行為そのものに限定する力である﹂︒

また次のようにも言われる︑ ﹁自由は︑それによって意志が活

動を︑rその際必要なあらゆる条件によってもその活動がもはや

可能なものとされないにもかかわらず︑自ら始め︑正し︑再び      ︵74︶中断しうるような︑意志の最高度の活動性である﹂︒

 クルジウスのかかる非決定論的自由論は︑すでに一七五五年

の﹁形而上学的認識の第一原理﹂の中で︑カントが直面してい

        る難問であるが︑ともかくクルジウスにおいては︑.﹁有限な精

神が真の道徳的徳に能うべきなら﹂︑ ﹁自らの道徳的状態の神

の法との一致﹂を達成できなければならず︑二つの自発性︵自 由意志と自然意志︶はそれぞれ形式と実質として一つになり道徳の実現に向う︒その際自由意志は神の法すなわち﹁普遍的な   の       の      の法﹂を無条件的自発性において選んでいるのであるが︑かかる自由は普遍的な法そのものの﹁存在根拠﹂ではありえない︒ク       ︵76︶ルジウスにおいてはそれは神の意志をおいてない︒彼の自由論の無条件的自己規定の一面は︑次に論ずるルソーにおいても遂      に見出しえないものであるが︑そこに欠けている自己立法の一面こそはルソーによって教えられるところなのである︒ルソーのコ般意志﹂をめぐる︑深い人間愛に満ちた自由・平等論は︑主としてこの面でカントに大きな影響を与えたのである︒

﹁美と崇高﹂に一七六四年から五年にかけて書き加えられた︑

本文を上廻る量の﹁覚え書﹂は︑シュムッカーも言うように︑.

本文への注や補完と言うよりは︑ ﹁ルソーの著作への注と反

︵77︶省﹂である︒前に挙げておいた︑シュムッカーによる九項目の

分類で言えば︑ ﹁美と崇高﹂本文と平行しない第五項以降のう

ち︑最後の項を除く四項目に分類されるような断片を主とし

て︑上記の論点をめぐって検討することにする︒

 メンツァは﹁ルソーの言葉の魅了する美しさ﹂ ﹁熱い鼓舞﹂

に対する︑ ﹁ハチソンの穏やかに流れ去る叙述﹂ ﹁黙る種の冷      ︵78︶やや︑かさ﹂を対照させたが︑伝えられるように︑もしもカント       ︵79︶がハチソンと﹁多くの点で同質の思想家﹂だとすれば︑この穏

やかさ︑冷静さがやはりルソーの思想を論ずる時のカントのも

のであることを︑首肯させるが︑しかしそれが必らずしも︑ル

ソーを読む時のカントのものでなかったことは周知の通りであ

る︒ ﹁ルソー氏の書物から得る第一の印象は︑なみなみならぬ

精神の聡明さと︑天才の高貴な高揚と感情豊かな心とが︑恐ら

一 106 一

(9)

カントの実践哲学形成期への諸影響について  田

は︑後のカントに重大な影響を及ぼす︑クルジウスの﹁根源的      あ な非決定論的自己規定の能力としての自由の概念﹂が︑懸賞論

文にはまだ現われていないことを指摘する︒そして彼は︑この

事実をもって︑ ﹁カントが道徳哲学において︑ヴォルフの立場

に対して根本的に新らしい︑そしてクルジウスに定位した立場

をとるようになる︑彼のこの第一の発展の諸年における︑ハチ       ︵56︶ソンの影響の強力さを示す証拠﹂であるとする︒そしてシュム

ッカーによれば︑ ハチソンは﹁全然自由を論じないことはない

      が⁝⁝⁝自由の理論的論争に︑決して実践的意義を置いていな

い︵傍点筆者︶﹂のであり︑ ﹁この立場はまたどう見ても︑懸      ︵57︶賞論文におけるカントの立場でもある﹂のである︒

 もちろんシュムッカーも︑認識と実践の分離問題における︑

ハチソンの意義を認めており︑クルジウスも十分ハチソンの影

響を受けえたことのみならず︑ルソーも同様であることを指摘       ︵58︶するくらいである︒事実ハチソンはその﹁情念論﹂において︑

単なる理論のみの無力さにもかかわらず︑ ﹁意志﹂が﹁近代に      り  りおいて忘却されており︑二三の者が悟性に︑学の諸考察のみな      ︵59︶らず︑選択︑欲望︑愛︑孜孜たる努力をも帰している﹂とし

て︑ ﹁意志すなわち理性的要求碧b9帥εω目讐ざ⇔巴δ﹂は﹁善      ︵6︶として表象される何かを要求し︑悪を嫌悪する﹂心の能力であ

ると言う︒ ﹁理性はわれわれに︑ただ手段を適用し︑目的を比

べることしか教えぬが︑この目的は︑二三の直接的な力によっ       ︵61︶て︑あらかじめ規定されているのである﹂︒クルジウスも︑﹁意      志﹂を﹁悟性とは違った︑特殊な根源力﹂︑﹁自らの理念に従っ         お て行為する精神の力﹂とし︑これを当初から﹁善を欲求し︑悪

を嫌悪する力﹂と定義するのは︑急ぎ過ぎであるとしながら︑       ︵64︶﹁善と悪は意志の概念を前提している﹂と言う︒そして意志は﹁一般的概念に過ぎない意欲﹂を可能ならしめる﹁根本衝動︑

   ︵65︶根本欲求﹂であるとも言われる︒また﹁良心﹂も﹁悟性の単に

理論的な判断ではなく︑自らの根拠を意志の衝動のうちに持た     ︵66︶ねばならない﹂とされている︒

 ﹁覚え書﹂におけるルソーの影響を重視するわれわれは︑ヘ

ンリッヒの﹁構成的原理としての道徳的感情﹂の理論ではな

く︑シュムッカーの解釈に従って︑一七六五年のカントの新ら

しい解決の出発点は︑懸賞論文末尾の﹁認識能力か感情か﹂の

二者択一ではなく︑ ﹁自由と自由な選択意志﹂であると見る必

要がある︒かかる観点から︑クルジウスの﹁適法的必然性﹂の

原理に深く関連する︑意志と自由についてのクルジウスの考え

を見ておくことにする︒ ﹁自然的意志﹂と言われる場合︑それ

は悟性とは異なる力として︑ ﹁衝動的意欲﹂であるが︑有限な      れ 精神の意志としてそれは︑ ﹁自発性ないし精神的自己活動﹂で      あり︑また﹁悟性の作用を相関者として前提﹂しており︑結局

意志は﹁道徳的意志﹂としてはじめて﹁自由意志﹂である︒こ

れを自由の側から見れば︑一︑善へだけの自由︑二︑悪へだけ      ︵69︶の自由︑三︑善と悪への自由の三種の自由が区別されている︒

このうち︑二は﹁自由な精神の忌わしい堕落﹂として﹁自由意

      の 志の奴隷状態﹂であり︑一は有限な精神においては ﹁究極目

的﹂であり︑そのために彼らに自由が賦与され︑三の正しい使

用によって彼らの達成しなければならないものと考えられてい

る︒三は善悪いずれの行為にも限定されうる自由であって︑有

限な精神は︑ ﹁もし彼に真の道徳的徳が能うものであるべきだ

とすれば︑いっかこの状態に置かれる﹂と言われる︒そして徳

一 107 一

(10)

ソンは道徳感覚の﹁概念﹂を形成することによって︑拘束性の

概念を説明してはいないが︑クルジウスの倫理学に欠けている

ものが全部︑道徳感覚の定義のうちに入っているとして︑ヘン

リッヒはそれを次のように言う︒ ﹁衝動の充足にお︑いて︑それ

がすべての感情から区別されるのは︑それが他の衝動や感情

に︑それらが否認されたり是認されたり︑美しいものと見えた

り醜いものと見えたりするよう仕向けながら︑制御を行なうよ

う︑根源的に規定されている︑ということによってであるよう      ︵53︶な︑そういう感情が道徳的感情である﹂︒かかる感情は︑特殊

な感情の中の一つではなく︑カント自身︑懸賞論文の末尾に言

うような︑ ﹁欲求能力の第一の内的根拠﹂であり︑ ﹁証明不可

能な実質的原則﹂あるいは﹁要請﹂と言われてもよいものであ

る︒このような意味で︑ハチソンは﹁純粋実践理性の倫理学の

  ︵54︶予言者﹂と言われる︒

 カント自身の言葉に戻ってみると︑カントが﹁拘束性の証明

不可能な実質的原則﹂を︑どのように深く考えていたとして

も︑これと平行的に﹁拘束性の最高の形式的原理﹂が考えられ

ているのは事実である︒また最後の段落では︑ ﹁道徳性の第一

根拠における最大限度の哲学的明証性﹂の可能性が断定されな

がら︑それにはなお遠く︑ ﹁拘束性という最高の根本概念﹂が

まだ不確実であるから︑先ずそれを更に確実に規定するため

に︑第一原則を決定しなければならないのに︑それを決定する

のが﹁認識能力であるか︑あるいは感情︵欲求能力の第一の内

的根拠︶であるか﹂の決定が︑なお留保されている︵目ωOO︶︒

 こうした中で︑それではクルジウスの神律的道徳原理は︑カ

ントによってどのように扱われているであろうか︒カントはこ の原理を﹁実質的原理﹂であって︑ ﹁証明不可能﹂ではないと解する︒ということは︑ ﹁形式的に﹂この原理はなお︑ ﹁最高の普遍的範式﹂すなわち﹁目的の必然性﹂あるいは定言的命法のもとにあることであるとされる︒しかしそうした実質的原則でも︑﹁要請勺︒馨巳讐としてその他の実践的諸命題に対する基礎を含むものであり︑欠かせない﹂︵国ωOO︶と言われる︒しかしもしもヘンリッヒのように︑ハチソンの経験論的倫理学を︑後のカント哲学の方へ一周進めて解釈すれば︑クルジウスの倫理学に含まれるような︑実質的原理と形式的原理の区別は︑やがてカントによって捨てられるものと見なされるから︑クルジウスには﹁見出されず︑また見出されえなかった﹂ような形式的原理と実質的原理の区別を︑すでにここで彼は見ようとする︒ ﹁形式的根拠は︑それが今や抽象によって成立しようと︑実質的感情とは違った特殊な意識が根底に存しようと︑意志に対して拘束性そのものを提出する﹂︒そして﹁善の感情におけ      る実質的根拠は︑要請︑すなわち諸行為の判定や︑かかる行為      ︵攣への催告となる﹂︒

 ヘンリッヒとは異なり︑シュムッカーはむしろ︑懸賞論文に

おけるクルジウスの意義をそのまま認め︑その影響によるカン

ト倫理学の新たな段階の形成を︑クルジウスの二種の拘束性の

概念の区別︑及びその神律的道徳原理そのものの内包する︑実

質的原理からの形式的原理の区別の発見に置こうとしたのは︑

既述の通りである︒しかしその形式的原理が﹁抽象によって成

立する﹂とは︑必らずしも考えられていない︒シュムッカー

一 108 一

(11)

戸田

カントの実践哲学形成期への諸影響について

ンリッヒも言っている︒カントが﹁拘束性の証明不可能な実質

的原則﹂と言っているものは︑ コつの行為が︑分析によって

その中に認識されえ︑またそのためにそれが完全だと言われる

ような︑焦る他の善をひそかに含むことなく︑直接に善と表象

される場合の︑この行為の必然性﹂︵H﹇卜○Φ㊤一ωOO︶であるが︑こ

の種の原理をカントに教えたのは︑ハチソンである︒ハチソン

はその﹁情念の本性と支配﹂に関する論文の中で次のように言

っている︒

 ﹁誰かが或る行為に拘束されていると︑われわれが言う場

合︑われわれは次のどちらかのことを思う︑第一に︑その行為

は行為者の幸福の達成のためか︑その不幸の回避のために必然

的なのだということか︑あるいは第二に︑すべての目撃者や行

為者自身が︑そのあらゆる状況から観察して︑その行為を是認

し︑その不実行を否認しなければならぬということである︒拘

束性という語の第一の意味は︑私利的傾向性と自らの幸福の感       ︵48︶情を前提し︑第二の意味は道徳的感情を内包している﹂︒

 しかしハチソンによっては︑内部的なものへの︑判断を超え

た︑直接的関係が︑道徳的感情あるいは道徳感覚80鑓一ωΦ房Φ      りという概念において︑確認はされても説明はされないままに留

まる︒カントは︑ ﹁拘束性の証明不可能な実質的原則﹂と平行

する形で︑ ﹁拘束性の最高の形式的かつ肯定的原理﹂︵印ωOO︶

を論じなければならなくなる︒ここにおいて︑ヴォルフではな

く︑クルジウスが問われることになる︒それではクルジウスの

どこが問われるのであろうか︒その神律的道徳原理はどのよう

に問われるのであろうか︒この問題の前にもう少しハチソンに

ついて見てみることにする︒  ハチソンは内的なものへの直接的関係を︑クルジウスのよう      な神律的道徳原理に還元することはしない︒それではその根源

性が失なわれてしまう︒ハチソンが教えているのは︑形而上学

的認識からも︑神的意志からも導出されない︑根源的なものと

しての﹁道徳的意識﹂なのである︒﹁カントがクルジウスの実在

論を︑ニュートンの経験哲学の影響下に補完していくように︑

道徳的なものは理論的なものに対して独立だという考えを︑英      ︵49︶国の感情道徳の影響下に補完していく﹂と言うのは︑ ﹁カント      ︵50︸哲学の発展を︑むしろ外国の源泉から導出する﹂哲学史の傾向

に異を唱える︑かのマックス︒ヴントであるが︑同じ論点につ

いて︑ヘンリッヒは次のように言う︒ ﹁カントも︑彼がヴォル

フの実践哲学の軌道でまだ考えていた限り︑ハチソンの議論に

よって感銘を受け︑そうした議論のうちに︑ヴォルフに対する       ぴ クルジウスの批判の確認と豊饒化を見たに違いない﹂︒ヘンリ

ッヒは︑カント研究において従来あまり注目されなかった︑﹁情

念の本性と支配﹂に関するハチソンの論文を中心に据えて︑彼

の道徳感情論を極限にまで進めて解釈することにより︑クルジ

ウスよりもハチソンの︑カントへの親近性を主張する︒ ﹁ハチ

ソンが何によってカントに感銘を与えたかと言えば︑道徳感覚

としての道徳的意識の解釈であったということは︑一七六三年

の懸賞論文によって立証される﹂と言うヘンリッヒは︑同時

に︑懸賞論文の中にただ一箇所見えている︵目Q︒OO︶︑カントに

よるハチソンの推賞を指して︑ ﹁カントが後に︑完全に放棄す

ることになったのとまさに同じ意味で︑ハチソンを推賞したの

  お 

か﹂と問う︒否と考えるヘンリッヒは︑ハチソンを伝統的解釈

より一周進めた形で︑カントに引きつけている︒なるほどハチ

一 109 一

(12)

は異なる︑必然的義務と偶然的義務が︑内容的に重なることに

なる︒ シュムッカーは︑カントが﹁クルジウスの道徳論を知ってい

て︑これと深い対決を行なっていたこと﹂︑﹁カントの新らしい

道徳哲学の立場は︑本質的な要素において︑﹁理性的に生きるた      ︵43︶めの指示﹂の立場と重なり合うこと﹂を主張し︑カントは︑ク

ルジウスの根本思想を﹁語る一点において変様させた﹂のであ

       り      ると言う︒すなわちカントは﹁適法的必然性を︑神の意志の法

    から︑そしてまたクルジウスがそれを基づけていた形而上学的

基礎から︑解き離し︑無条件的な命令あるいは当為に対する︑       ︵44︶良心に直接現われる義務づけだけを留保する﹂のである︒それ

では︑クルジウスに対して︑カントの本来的に新らしい概念と

は何か︑シュムッカーはそれを︑ ﹁直接的に︑それ自体で必然       む 的な︑意志の目的という概念﹂であると言う︒

 たしかにカントは︑クルジウスの必然的義務としての﹁適法

的義務﹂を︑﹁目的としての他の何かを直接になし︑かつ実現す

べきである﹂という﹁目的の必然性﹂と解している︒そして︑

クルジウスの意味する﹁適法的義務﹂の原理から︑ ﹁神律に服

する葺Φ08ヨ﹂という面を︑単に除外するということだけが︑

カントの真意ではなかった︒カント自身が先ず指摘するのは︑

クルジウスの最高原理︑ ﹁私は神の意志にかなった行為をなす

べきである﹂の神律性ではなく︑この命題を︑ ﹁あらゆる拘束

性の直接的な最高規則﹂︑すなわち︑あらゆる﹁拘束性の規則か

つ根拠﹂たらしめようとするのであれば﹁証明不可能な命題で

なくてはならない﹂ということなのである︵国N㊤c︒h︶︒そして︑

第二章冒頭において︑第一概念についての無知の表明にもかか わらず︑明確に抱かれていた方法論的見通しが︑クルジウスの神律的最高原理の証明不可能性を︑その実質と形式の両面について検討するのである︒ ﹁われわれは︑理論哲学におけると同様︑実践哲学においても︑証明不可能でない何かを簡単にそうだと思ってはならない﹂︵目ωOO︶のである︒理論哲学が扱われている部分の或る箇所では︑次のように言われる︒ ﹁高度な哲学の最も重要な仕事は︑これらの証明不可能な根本真理を探求することである﹂ ︵国bocoH︶︒ ところで︑このような面から見て︑ヘンリッヒも言うよう   ● ● ●       .  ︵46︶に︑ 二般的実践哲学における倫理学の基礎づけ﹂と見なされる︑この道徳論において︑こうして理論哲学と共通の︑或る種の理論的見方が重要視される反面︑次の引用が示すように︑認識と感情の峻別が強調されているということは︑何を物語るの      であろうか︒ ﹁われわれの時代になってはじめて︑真を表象す       り       る能力は認識であり︑善を感ずる能力は感情であって︑両者は互いに混同されてはならない︑ということが洞察されはじめた︒真なるもの︑すなわち︑認識の対象において︑それだけ︑考察され見出されるものの分析不可能な概念が存在するように︑善の分解不可能な感情も存在する﹂ ︵国b︒㊤㊤︶︒ ﹁われわれの時代﹂に関するカントのこれらの言葉が︑クルジウスではなく︑先ずヴォルフの一元論と幸福説に対する意味をもつものであることは︑容易に想像がつく︒ ﹁実質的明証性が︑ヴォルフの信じていたように︑完全性の客観的概念とその適用とから導出されうるものではなく︑主観的に感情として経験されるものだということは︑カントも言うように︑︿われわ      ︵47︶れの時代になってはじめて洞察されはじめた﹀のである﹂.とへ

一 11O 一

(13)

戸田

カントの実践哲学形成期への諸影響について

ではこれも扱われねばならず︑ただ﹁それは自然の法そのもの     ︵33︶には属さない﹂だけである︒従って自然的義務を論ずるのとは

       

違った﹁怜倒論﹂が成立し︑﹁いかにして怜倒の熟達閂㊦三諦吋Φ客

を習得するかの一般的規則を問題にする﹂のである︒このよう

な形で熟達と一つであるような怜捌の学は︑道徳において︑

      

﹁徳の義務論﹂とは﹁本質的に違った部分﹂を構成するとみな

される︒そしてこの﹁徳の義務論﹂は︑狭義の自然の法とは異

      り         

なる﹁広義の自然の法﹂︑すなわち︑先に示した三つの学のう       ︵34︶︑ちの一つとしてのそれではなく︑﹁三つの学を伴う自然の法﹂と

される︒道徳のこの﹁本質的に違った﹂二つの部分に︑カント

の﹁蓋然的必然性﹂と﹁適法的必然性﹇が対応すると言える︒

 しかしクルジウスについてもう少し見るならば︑ ﹁怜倒﹂に

は︑先の﹁熟達国所鼠αq吋〇三の他に﹁練達O⑦ω畠凶︒商量冥9£

が区別されている︒前者は︑﹁自らの究極目的に役立っけ口︒玄翁       ︵35︶手段を選び︑かつ適用する﹂ことであるのに対して︑後者は︑       ﹁自らの究極目的に善いσq暮手段を選び︑かつ適用する﹂こと

である︒一方クルジウスはまた︑法則的義務に﹁必然的義務﹂

      り   の       り

と﹁偶然的義務﹂を分け︑前者を﹁絶対的に必然的な義務﹂︑

        コ      後者を﹁仮定的に必然的な義務﹂とよんでいる︒前者が基づく

法は︑ ﹁神と理性的被造物の本質と両者の関係から︑絶対的に

帰結してくる法﹂であるのに対して︑後者のそれは︑ ﹁世界の

偶然的状態が︑神とその配備によってではなく︑人間の自由な

行為によって生ずるのである限り︑かかる状態から出てくる

   法﹂とされる︒クルジウスの意味で︑熟達としてではなく︑む

しろ練達としての前倒の法が︑前者の法でなく︑むしろ後者の

法に属するということは︑ク〃ジウスの﹁幸福﹂についての扱 い方からも解る︒       り ﹁最高の自然的な︑アプリオリの根本法則﹂は︑ ﹁汝の創造

      者の命令に服従して⁝⁝⁝⁝神の完全性に︑更には汝自身の本

      り      り      性及び他のすべての被造物の本質的完全性に︑かなうようなご

       ロ      り       とを︑結局また︑創造者が作ってある物相互の関係にかなうよ

● ■ o ● ● ● ● ●   ● ●︵38︶

うなことをすべて︑なせ﹂であるとせられる︒それは︑無条件

な﹁義務づけく06h罵︒ゴε昌σq﹂であるのに対して︑﹁幸福﹂は

むしろ︑ ﹁世界の完全導く①黛︒=犀︒ヨ山開葺昌σq﹂である︒という

のは︑ ﹁人間の状態が︑彼のあらゆる究極目的国昌αN甫①o評と

合致する時︑人間の完全性がある﹂のであり︑幸福もそうした

状態から生じてくるのであって︑両者は﹁一つ事の二つ場合に

   ︵39︶過ぎない﹂からである︒ところで︑クルジウスによると︑この

ような幸福を︑﹁われわれは欲求し︑追求し︑そして感謝をもっ

て受け入れることができ︑またそうすべきであるのだが︑ただ       ︵G4︶服従の目的とすることだけは許されない﹂のである︒その理由

はこうである︒ ﹁もしも真の法則的拘束性が受け入れられず︑

ただ怜倒の拘束性だけが︑自然的義務の場合の根底にあるとし

たら︑そこから生じることは︑人間が︑神の命令や自らの徳へ

の申貢務ωoプ巳象σq屏︒客に駆り立てられれば駆り立てれる程︑彼

の徳はそれだけ不完全なものになる︑ということなのである      ︵41︶が︑かかることはロに出すの電恐ろしいことである﹂︒

 かくしてクルジウスにあっては︑﹁道徳的必然性﹂の根拠は︑

﹁無条件に命じる神の意志の法﹂に︑そして﹁かかる神の法を       実現するわれわれの責務﹂にあることになる︒真の自然の法が

このように普遍的である限り︑神の法を実現するための責務

は︑怜倒の法を実現するための責務となり︑形式的原理として

一111一

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