弘前市における中高層集合住宅の立地
i
は じ め に1 ) 本 研 究 の 目 的 オ
フ における
しく変化し始めた 都 甫 園 に お い
どし
地 域
i二とりあげ, q l どのような
rt'iL
手:す よ
'拡大し,
}れま
で い る 弘 前 市 を 砕 究 対 象 を た ど り , ま た 現 在 ど の よ う な 分 布 を 不しているかを明らかにする。きらに'7ンシランの立地が市街地中心部にラ‑える
ら検討し,考察を進めて L ベ
Cを人[]の
なお,本稿では,消防庁, 日本住宅公団の例に従い 3 ‑;)踏を中 いる=
2 ) 研 究 対 象 地 域 の 設 定 市内を
け た 全 2 5 地 区 の う ち , 図 l に 市 街 地 の 1 4 地区を研究対象地域と
した。なお, こ の 地 区 分 け は , 弘 前 市 役 所 ・ 全 両 課 統 計 係 の 資 料 を
したの
1 1
弘前市における 集合住宅の概要著しく
戦強から しはじめ, 市街地周辺 で 水 田 や リ ン ブ 属
に変貌していった
cこの当時の集
づたカう a g 国 仁 研 究 対 象 地 域 く弘前市役所・
和
4 0 年代後半からは,
め る よ う に な り そ 増加していった。
でのそ しい
c品開以上を
として用
. ¥ 0 ' . 1 話 ( 訓 ・ 訴 寺 霊 ・ 鑓 等 ) B . . 器(蹴やまき I J ・ 世 納 警 〉 じ3 霊(櫨や叡!・柳容 D
・4 誕 ・ A(会 J I ・ 亀 甲 格 〉 E . . . 4 骨 郎 副 ・ 宮 書 ' 書 出 等 )
F".5~ (臨時・襲撃舟婚約 ふ6~ (富5 ・器開.~科〉
5
・. 7 区{績低譲・和華字写〉
ト 8~ (説明・文京童ド数寄) l"~托・量川越 草川数・繍駆 1 . ‑ . . 掛 ・ 車 上 穫 量中雪・鵜極 N . 長 崎 ・ E 制 区
をもとに作成〉
られるようとな
I I I
弘前市における中層集合住宅の立地iまとめに中層集合住宅の立地の時期を明らかにするふ次に, 二のような全鋒の変化 把握した上で¥中語集合住宅を①公営生宅 ②給
t f t
主主 岳民間住宅の3
つに分類し,立地の 変遷とその分布から1
)立地の変化申弱集合住宅の立地棟数の く竣〉
推移を示したのが悶
2
でみる。弘前市において初めて
t1 I
られたのiま
1 9 6 5
年1 )
,その後も徐々に増加 した。1 9 7 3 ・ 2
年間は,オイルショックの影響により
…時的に立地棟数が落ち込ん だものの,
1 9 7 5 ‑ 1 9 8 0
年にか けては大幅に増加し,1 9 8 0
年には年間立地機数が
1 6
棟と 高に達しだっこの増加l
:合
:
き
7 0
,8 0 ' 9 0
三三〉国 2 .
中麗集合住宅棟数の推移〈弘前清
の1っとして,いかゆる団塊世代が住宅取得年齢に達し大量の住宅需要が発生したことが考え られる "1981‑84
i
ドの出は立地棟数の伸び、の沈静化,あるいは以前の立地ブームの反動がみられ る時期である。1 9 8 5 ‑ 8 7 :
年の年開立地棟数はL
ミずれも1 0
棟を越えており, この3
加した。
1 9 8 8
年から辻立地棟数の沈静化がみられる原因と考えられる。また,弘前市における中層集合住宅の立地にはいくつかの増加時期がみられ,
分布も各時期によって集中地底が異なっている。そのため現在では
f
七前地域全域において分布が みられるC2
)種類別中層集合住宅の立地特性3
種類の をそれぞれ図3A.
日. c
にポしたc1 3 3
棟立地しており,中層集合住宅棟数の半数以上を占めているc豆地し姶めてから現荘まで市街地周辺部の各地反で立地がみられたら は,市街地中心地域からより離れた地域で棟数が多いということがいえる 広い建設現地が得やすい詩辺地域への立地を指向するためといえる。
1 9 7 2
として れは,地揺が安く,わずか
2 9
棟しか立地しておらず,弘前甫じおける工業北の返れが大きく反映してい るC そのため分布の集中性はみられないが,特1'空として職金近接の指I
古]がみら札る2 4
〈若草〉
〈機)
A A A
図
3
・B 中居給与量宅の分寄
く弘前消防署資料
f高 層 建 造 物 調 べ ( 1 9 9 1 年
1 1 月)より作成〉
臨
3・
A中藤公営住宅の分布
〈弘前消防署資料
f高層建造物語
iベド1 9 ヲ 1 年
1 1 月〉より作成〉
民間住宅は 4 6 棟立地している。立地当初は
〈 事 事 )
次第に増加の傾向をみせてき
少なかったが,
‑園 田
た。特に市街地中心地域を rtq : , 、 に
r f l 性がみられた。 長 問 住
辺など市街地中心地域に
をとし
ふ
; : 5 j ・ 4 ; ; ユ
s ; ; J 5
・多く立地しておっ,
また宅は公常住宅と
と L 、える。
多く立地しているのも
集合住宅の立地過程
タイプ到に立地時期 分譲・
I V
ンの立地が地 さらにマンシ
を明らかにし,
立 地 す る 軒 の 入 }こでは なお,
域に与えた影響をみるため,
していく。
日の変化から
2 データに
1 9 9 2 年内に
1 ) タ イ プ] ] I J による立地の特撮
中層民間住宅の分布 より作成〉
国 3 ・ C く弘
( 1 9 9 1 年 1 1
月)タイフ。グ〉
じめて立地し, 1 9 9 2 年には
1 9 6 9 年に おいては,
5 L
2 8
棟・1500P
を数えるに至っている。そこで,高層集合住宅の立地数はいかなる控移をたどって きたのかをみるため,高層集合住宅の立地棟数・立地戸数の誰移傾向を3
年単位の移動平均をも とに悶4
に示し,グラブの形状から立地時期を次のように全5
期に分けた。第I
期は1 9 8 2
年までタイプのみが立地した る。第
I I
期の1 9 8 4
年には分譲タ千ブが初めて立地しており,分譲タイブの草創期と言える。賃貸タイプは立地数の一時的な落ち込みから再び増加がみられた。
第
I I I
期は賃貸タイブが一定の増加をみせる…方,分譲タイブでは一時的な立地数の落ちられたc 第
I V
期{ま分譲タイブが大幅i
二増加した時期であり,賃貸タイプもこれまでの一定した立 らやや増加がみられた。第Vタイブ タイプともに 立地数の落ち込み傾向がうかがえる また,分布においては各時期とも市 能地中心部への立地指向が
5 郎、(医 1
5
。)の 推 移 か ら み る と , 特 に
1988~ 1 9 9 1
年の分譲マンションの立 地ブームは顕著で、あるO この要因としては,
1986‑1987
年のバブル的投 より,ン ン ヨ /
としてだけでなく として,
から地方都市へと波及したためとい える。
2 )アンケート調査結果 市
f
封地中心部のマンシラン を対象に行づたアンケート調蚕(1)を居住地移動及び選択瑚由につ いて若干の考察を加える。
岩住地の移動理出として転居の理 由を取り上げたc 第iイ立は転勤によ るやむを得ない理由で¥次いで居住
きとなっているO 次に,現 在地の選択理由については,
f
更の良さや畏い物に便利など市街地 中心部における立地条符の優位きが 現れた。また,性宅として?ンショ〔議(戸〉
4 2 0 0
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3 2 1 0 0
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1 9 7 0 ‑ 8 0 ‑ 9 0
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年単位の移動平均による立地棟数・立地戸数の推移
き取り調査(1
9 9 1
年1 1
丹)より作成〉︑
•
•
•
1 0 q ¥
*口内の 2 委主きはアンケート議査の対象控常
臨 5 .
高麗集合住宅の分脊き取り調査
( 1 9 9 1
年1 1
月)より作成〉2 6
(人}
300
:人)
(A)
五五1111IlJ (日)日時・a・・・..・・・・日・・
つQ
• 800
、.句一一川、川叩‑‑‑争‑‑‑・、15
・、 佐官陣I
200
600
松 森 町。
. 網 棚 鞠 巴 …養護7
J . r ‑ ‑ F1
b '日一_.._"'_..二二二二二三.~---ー柵輔岬柵嶋柵ド凋"7 鉄総曹
: 9
、崎、血縁取鰹
4
嶋崎、噌骨骨・・、.ー '
4001 '
‑̲...工.‑桜町一 一 叫 嶋 崎 令 12
・ー・.......................̲.......‑.
8 100
1980 8 5 90
年1980
*線上の争印は
*図中の番号は図 4
8 5 " 9 0
(年) を間 6 . m r 到・分譲タイプ高場集合住宅の立地前後における人口の撤移
く弘前事役所・企画課統計係資料よりンを選択した理由として,
特性のーっといえる
O3 )立地 l こよる人口の変化
おける市積地中心部の人口減少は顕著で、あるが,分譲マンシランの多くは,そ 地中心部に立地している。そこで,マンシランの京地が地域の人口増減にどの禄な髭響を与えた のかを立地する前の人口の推移から明らかにする。なお 2 棟の立地がある徒町は人口ヂータに 不明瞭な点があるため対象外とした。
1 i 立アゴった。
事おけるマンションの
国 6A.B ように,すべての町じおいてマンション立地により人口 られたが,特に人 口 きい町ほど?ン ン立地による 口増減に反映し易いといえる。また,
町 ・ 一 番 町 ・ 鉄 砲 町 の 商 業 地 区 で は 人 口 収 容 能 力 に 限 度 が あ っ た が ? ン シ ョ ン 立 地 に よ る 空間の拡大が従来の人口収容龍力を増大きせたといえる。
V
ま と め以上の;考察から,弘前市における中高層集合住宅の立地について次のことがいえる
O①
中層集合住宅は,立地増加時期ごとに分布の集中地域が異なるため,現在では市街地全域 に分布がみられるの
②
r t J 督会営住宅は市信地理辺地域,中層給与住宅は職場近接,中最民間住宅は市街地中心地 域への立地指向である。
高 層 集 合 住 宅 の 油 分 布 に お い て ,
1988‑ ン ン ヨ ン
とも市街地中心部への立地指向が強い。
中は,バブル的投機よる影響で,県 z 外資本が地方
都市への開発を指向したためであるの
アンケート
ら * 1
,におし、ては,
におしミては『転勤 3 、 岩 住 環 境 の 悪 さ 』 が 挙 げ におけるサンションの特性と吊街地中心部での立地条 きが現れた。
マンションが立地した軒では,立地によって人口増加がみられ,
小さい町はど反映し易い。
謝 辞
人口
本稿の作成にあたり,後藤雄二先生,水野裕先生から だ,資料収集や聴き取り調査に際しでは,弘前消防署,
宅の関係者の特繕より多大な御協力をいただきました。
ます。
をいただきました。ミま
ながら以上の方々に深く 、だし
i主
1 ) l i , 2 4 0 牧のアンケ…トを凱布し,有幼
{ 参 考 文 献 }香川 立地に伴う都市周辺の変化 おけるケ…ススタ
ア イ
保坂塑可(1990) :
.秋田市における
由井義通(1986):広島市における中
56~77
弘(1
9 8 2 ):
2 8
61‑4
,350~368 秋大地理, 3 7 , 43~48
とその居住者の特性 人文地理, 38‑ , 1
189ペ ー ジ