著者 三友 晶子
雑誌名 東京家政大学博物館紀要
巻 22
ページ 165‑177
発行年 2017‑02
出版者 東京家政大学博物館
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010389/
1.はじめに
裁縫雛形(以下、雛形ともいう)は、明治・大正・昭和期に、裁縫学校等の授業で製作された衣 服や生活用品のミニチュアである。東京家政大学の校祖渡邉辰五郎(1844-1907)が考案した裁縫教 授法の一つで、材料と時間の節約になり、短期間で多種多様な衣服の作り方を学べる方法として好 評を得た。東京家政大学博物館では、東京家政大学の前身である東京裁縫女学校および東京女子専 門学校において、明治30年頃から昭和18年にかけて製作された裁縫雛形を約4500点所蔵している。
そのうち2290点が、教科書や道具類等の附61点とともに重要有形民俗文化財に指定されている。
雛形で製作された衣服の種類を見ると、着物や袴、シャツ等の実生活に必要なアイテムが多くを 占めるが、製作当時すでに着用されていなかったであろう、近世やそれ以前に成立した衣服も少な からず含まれる。これらの裁縫雛形は、服装史を学ぶ目的で製作されたものと推察される。しかし ながら、歴史を学ぶためにここまで精巧な雛形を製作する必要があったのか、現存する雛形が明治 38年前後の製作品に集中しているのはなぜか、といった疑問は残る。
本稿では、製作当時から見て過去の時代に属したであろう衣服を「歴史服」と呼ぶことにする
1)。 歴史服の裁縫雛形について、製作時の教授細目や教科書と照らし合わせ、製作の意図を探る。
2.歴史服の裁縫雛形
当館所蔵の裁縫雛形の大半が製作者やそのご家族からの寄贈品である。製作する雛形の点数や種 類は時代や学科によって異なり、多い場合は1人で約100点もの雛形を製作している。歴史服の雛 形は、本科や普通科といった裁縫の基礎を学ぶ学科での作例は無く、明治 38 年前後の高等科、お よび大正8年前後の高等師範科卒業生の製作品にほぼ集中している。ただし、前者が多種多様な歴 史服を製作しているのに対し、後者は束帯、十二単
2)、裃、被衣等、種類が限られている。
こうした歴史服の雛形の製作状況について表1に示す。
歴史服の裁縫雛形に関する一考察
三友 晶子
A Study on Historical Costumes in Saiho-Hinagata Shoko M
itomo博物館
表1 歴史服の裁縫雛形の製作状況 名称
点数
製作年(点数)
教授細目の記載 教科書記載の有無
①M38,
40, 41 ②M42 ③M44
④T4, 6 ①M30
教科書 ②M41
遺稿 ③T2
束帯 ④T2
十二一重 ⑤T14
束帯五衣 ⑥
高等・雑
小袴 5 M36(1), M38(4) 高 高 和専 ○ ○ ○
野袴 5 M38(4), M39(1) 高 高 和専 ○ ○ ○
平袴 7 M30(1), M36(1), M38(3), M39(1), M41(1) 高 高 和専 ○ ○ ○
細袴 4 M36(1), M38(3) 高 高 和専 ○ ○ ○
義経袴 8 M30(1), M36(1), M38(4), M39(1), M41(1) 高 高 和専 ○ ○ ○
單 4 M39(1),T9(3) 高師△ 高師△ ○ ○
袙 8 M30(1), M36(1), M38(1), M39(1), T4(1), T7(2),T8(1) 高 高
高師△ 和専
高師△ ○ ○
下襲 7 T4(1), T7(2), T8(1), T9(3) 高師△ 和専
高師△ ○ ○
袍 13 M30(2), M38(2), M39(1), M41(1), T4(1), T7(1), T8(1),
T9(4) 高 高
高師△ 和専
高師△ ○ ○
闕腋袍 6 M34(1), M36(1), M38(3), M39(1) 高 高 和専 ○ ○
大紋 3 M38(3) 高 高 和専 ○
大直衣 5 M36(1), M38(2), M39(1), M41(1) 高 高 和専 ○
小直衣 7 M30(1), M36(1), M38(3), M39(1), M41(1) 高 高 和専 ○
直垂 7 M30(1), M34(1), M36(1), M38(3), M39(1) 高 高 和専 ○
単長絹 3 M38(2), M39(1) 高 高 和専
狩衣 8 M30(1), M34(1), M36(1), M38(4), M39(1) 高 高 和専 ○
白張 3 M38(2), M39(1) 高 高 和専 ○
水干 8 M30(1), M36(1), M38(4), M39(1), T7(1) 高 高 和専 ○
裃 13 M36(1), M38(3), T7(2), T9(2), T10(1), T11(1),
T14(1), S3(1), S4(1) 高 高
高師 高師 ○ ○ ○
中一文字
肩衣 15
M30(1), M34(1), M38(2), M39(1), M41(1), T4(1), T7(1), T8(3), T9(2), T11(1), T12(1)
高 高 高,和専
高師△ ○ ○ ○
丸形肩衣 15 M36(1), M38(2), M39(1), T4(1), T8(2), T9(8) 高 高 和専
高師△ ○ ○
小袖 7 T4(1), T7(1), T8(1), T9(4) ○ ○
単 13 M30(1), M36(1), M38(3), M39(1), T4(1), T7(2), T8(1),
T9(3) 高△ 高△
高師△ 和専△
高師△ ○ ○ ○
打着 15 M34(1), M36(2), M38(3), M39(1), T4(1), T7(2), T8(1),
T9(4) 高 高△
高師△ 和専
高師 ○ ○
五衣 14 M34(1), M36(1), M38(3), M39(1), T4(1), T7(2), T8(1),
T9(4) 高△ 高△
高師△ 和専△
高師△ ○ ○
表着 12 M34(1), M38(3), M39(1), T4(1), T7(2), T8(1), T9(3) 高△ 高△
高師△ 和専△
高師△ ○ ○
名称
点数
製作年(点数)
教授細目の記載 教科書記載の有無
①M38,
40, 41 ②M42 ③M44
④T4, 6 ①M30
教科書 ②M41
遺稿 ③T2
束帯 ④T2
十二一重 ⑤T14
束帯五衣 ⑥
高等・雑 唐衣 14 M30(1), M34(1), M36(1),
M38(3), T4(1), T7(2), T8(1),
T9(4) 高△ 高△
高師△ 和専△
高師△ ○ ○
小袿 14 M30(1), M34(1), M36(1), M38(3), M39(1), M41(1),
T7(1), T8(1), T9(4) 高 高
高師 和専
高師 ○
御末ノ 腰巻 8 M34(2), M36(1), M38(4), M39(1) 高 高 和専
(半身 被衣
含む) 21
M34(1),M36(1), M38(1), M39(1), T4(1), T7(1), T8(1), T9(4), T10(1), T11(3), T12(2), T13(1), T14(1), S3(1), S4(1)
高 高
高師
高 和専 高師
下袴 14 M30(1), M36(1), M38(3), M39(1), T4(1), T7(2), T8(1),
T9(4) 高 高
高師△ 和専
高師△ ○ ○
表袴 12 M30(1), M34(1), M38(2), M39(1), T4(1), T7(2), T8(1),
T9(3) 高 高△
高師△ 和専
高師△ ○ ○
裾 12 M30(1), M34(1), M36(1), M38(1), M41(1), T4(1),
T7(1), T8(1), T9(4) 高 高
高師△ 和専
高師△ ○ ○
闕腋袍ノ袴 4 M38(3), M39(1) 高 高 和専 ○
大紋ノ袴 3 M38(3) ○
縊袴 7 M30(1), M34(1), M36(1), M38(4) 高 高 和専 ○ ○ ○
刺貫袴 10 M34(1), M36(1), M38(5), M39(1), M41(1), T7(1) 高 高 和専 ○ ○ ○
長絹ノ袴 3 M38(2), M39(1) 和専
白張ノ袴 3 M38(2), M39(1) 和専
半長袴 2 M36(1), M41(1) 高 高 和専
本長袴 4 M36(1), M38(2), M39(1) 高 高 和専 ○
裃ノ袴 9 M30(1), M34(1), M38(1), M39(1), T4(1), T8(2), T11(1), T12(1)
和専 高師 ○ ○
襪 6 T4(1), T7(1), T8(1), T9(3) ○ ○
切袴 13 M30(1), M34(1), M36(1), M39(1), M41(1), T4(1),
T7(2), T8(1), T9(4) ○
緋ノ半袴 1 M38(1) 高 高 和専 ○
緋ノ長袴 15 M38(1), M34(2), M36(1), M38(2), M39(1), T4(1),
T7(2), T8(1), T9(4) 高 高
高師△ 和専
高師△ ○ ○
裳 12 M30(1), M34(1), M36(1), M38(1), T4(1), T7(2), T8(1),
T9(4) 高△ 高△
高師△ 和専△
高師△ ○ ○
三才羽織 1 M38(1) 高 高 和専 ○
陣羽織 5 M36(1), M38(3), M39(1) 高 高 和専
* 点数は、重要有形民俗文化財指定の雛形を対象とした。
* 教授細目の記載が、「束帯」「十二一重」等、個々のアイテムを総括した表記になっている場合、その中で製作されたと推測でき るアイテムについて△印で示した。
以下、表の項目とした「名称」「教授細目の記載」「教科書記載の有無」について述べる。
(1)名称
表1の「名称」と順序は、重要有形民俗文化財指定品の目録
3)による。各衣服の簡単な解説を以 下に記す。
・小袴:普通の袴と同様に用いた。長く歩く際に共布の脚絆を袴の上につけた。
・野袴:裾に黒ビロードの縁をつける。旅行や火事装束の袴として使用された。
・ 平袴:明治以降に馬乗袴(襠の位置が高い)が主流になる以前の一般的な袴で、「普通の袴」の 意。襠の位置が低い。
・細袴:布数が少なく細身であるため活動性に優れる。三才羽織等とあわせて用いられた。
・義経袴:源義経が用いたという話に由来する。腰裾に通した紐を引きしめ結ぶ。
・ [束帯]:宮中における男性の正服で、雛形では、白小袖、単、袙、下襲、袍、裾、下袴、表袴、
襪が製作されている。
・ 闕腋袍、闕腋袍ノ袴:武官用の脇が縫い合わされていない袍の意だが、雛形では奈良時代の官服 として製作されている。
・ 大直衣:直衣は「ただのきぬ」の意で、平安時代以降、天皇、皇太子、親王、公家の平常服とさ れた。
・ 小直衣:狩衣の裾に、大直衣のような「襴」をつけたもので、狩衣の軽快さを残しつつ、より格 式のある装束として考案された。
・ 狩衣:平安時代初期には、上流階級で日常着や鷹狩り等の野外での活動着として用いられた。時 代とともにフォーマル化し、江戸時代には礼服として着用された。
・ 刺貫袴:指貫袴ともいう。直衣や狩衣を着用する際に用いる袴。裾に通した紐を足にくくりつ け、袴の裾の部分に膨らみを持たせてはく。
・ 縊袴:雛形では刺貫袴を簡略化した袴として製作されている。裾に綿を入れ、刺貫袴を着用して 見えるように仕立ててある。
・直垂:もとは地方武士や庶民が着用したが、幕府の服制で上位の礼装となる。
・ 大紋、大紋ノ袴:正しくは「大紋直垂」で、袖、背に家紋が大きく染め抜かれていることからこ の名がある。江戸時代に直垂、狩衣につぐ礼装になった。
・ 長絹、長絹ノ袴:本来生地の名前だが、その生地で仕立てた装束を指すようになった。平たいポ ンポン飾りのような「菊綴」が付く。
・ 白張、白張ノ袴:貴族の従者が身につけた、麻布製で丈の短い簡素な狩衣。白張を着て仕事する 傘持ちや松明持ちを「白丁」とも呼んだ。
・ 水干、水干ノ袴:糊をつけずに「水につけて干した布」で仕立てたことからこの名で呼ばれる。
もとは庶民の服装だったが、後に子供用の装束や公家の日常着になった。
・ 裃:江戸時代の武士の礼装で、肩衣と袴から成る。雛形では、肩衣は中一文字肩衣、丸形肩衣、
袴は本長袴、半長袴、裃ノ袴が製作されている。
・ [十二単]:宮中における女性の正服で正式には「五衣・唐衣・裳」という。雛形では、白小袖、
単、打衣、五衣、表着、唐衣、緋ノ長袴、裳が製作されている。
・ 小袿:五衣を略したもので、これに切袴をあわせた「袿袴」という装いが、明治時代に女子の宮 廷礼服に制定された。
・ 緋ノ半長袴:宮中における女性用の袴。緋ノ長袴より短い。
・ 被衣:平安時代以降、身分の高い女性が外出時に顔を隠すため頭から被った。
・ 御末ノ腰巻:詳細は不明だが、公家や将軍家で雑役にあたった女性「御末」が着用したと推察さ れる。
・ 三才羽織:筒袖で、背側の裾が開き、活動性に優れる。幕末の軍装に用いられた。
・ 陣羽織:武士が陣中で鎧・具足の上に着た表衣。
(2)教授細目の記載
教授細目とは、裁縫の授業で製作する品目の名称と時間数を一覧にしたものである。時代、学科 によって多少体裁が異なるが、基本的には1年間に製作する実物・雛形・部分縫等の名称や製作時 間数を表にした一枚ものの印刷物が、年度の初めに配付されたという。欄外には「本細目の排列は 教授の順序にあらず故に実物の如き寒暑により材料を得る難易あるを以ていづれより著手するも妨 なし○都合に依り多少增減することあるべし」
4)とあり、必ずしも教授細目通りではなく、状況に 応じて授業が行われていたことがうかがえる。
また、教授細目は『私立東京裁縫女學校一覧』(東京裁縫女学校出版部発行)でも確認できる。
『私立東京裁縫女學校一覧』は、同窓会誌である『裁縫雑誌』の特別号として不定期に発行される 冊子で、年報のような性格を持ち、学園の沿革、規則、教育設備等とともに、各科の教授細目が報 告されている。
表 1 では、『私立東京裁縫女學校一覧』で確認できる明治 38、40、41、42、44、大正 4、6 年の教 授細目を参考にし、製作が行われた科の名称の略称を記した。(高…高等科、高師…高等師範科、
和専…専攻科和服部)
(3)教科書記載の有無
歴史服について、教科書ではどのように記載されているだろうか。本学で使用された明治、大正 期の教科書のうち、歴史服に関する記述が見られたのは以下の6点である。
① 『裁縫教科書 巻之三』/渡邉辰五郎/明治30(1897)年/東京裁縫女学校
② 『新裁縫教科書:渡邊先生遺稿 巻之三』/渡邉滋、渡邉辰五郎 /明治41(1908)年/東京裁縫女 学校出版部
③ 『束帯の部 改版:裁縫全書』/渡邉滋/大正5(1916)年 初版大正2(1913)年/東京裁縫女学
校出版部
④『十二一重の部:裁縫全書』/渡邉滋/大正2(1913)年/東京裁縫女学校出版部
⑤ 『束帯及び五衣の部 改版:専門教育裁縫全書』/渡邉滋、東京女子専門学校、東京裁縫女学校/
大正14(1925)年/東京裁縫女学校出版部
⑥ 『高等裁縫及雑の部:専門教育裁縫全書』/ 東京女子専門学校、東京裁縫女学校 / 大正 14(1925)
年/東京裁縫女学校出版部
これらの教科書の内容は、インターネット上で「東京家政大学機関リポジトリ」から閲覧するこ とができる。表1の作成では、このデジタル版を使用して歴史服関連の記載の有無を調査した。
3.考察 -歴史服はどのように教授されたか-
(1)教授細目にみる指導内容
①明治38年、明治40年、明治41年
本科、普通科、高等科、師範科が設置され、歴史服が製作されたのは高等科である。
歴史服は、「礼服類裁縫」「肩衣類裁縫」「袈裟コロモ及び古代物類裁縫」の項目で製作された。
教授細目には以下のように記載されている。
○ 礼服類裁縫:平袴 小袴 刺貫袴 東縊袴 義経袴 野袴 細袴 下袴 表袴 緋ノ半袴 緋ノ長袴 半長袴 本長袴 十二一重 打着 小直衣 大直衣 袍 裾
○肩衣類裁縫:中一文字肩衣 丸形肩衣 裃
○ 袈裟、コロモ、及び古代物類裁縫:大紋 直垂 狩衣 水干 袙 単長絹 白張 陣羽織 三才羽織 被衣 闕腋之袍 闕腋之袴 御末ノ腰巻 ※袈裟、コロモ(法衣)は省略
高等科の入学資格は、本学の本科もしくは普通科を卒業した者、あるいはそれと同等以上の学力 がある者(入学試験を要す)とされ、基本的な裁縫の学習を一通り終えた者が、より高度な教育を 受けるための学科であった。
当時の高等科の様子が分かる、次のような「卒業生の声」が残されている。「高等科というので 入りましたが、時代の、古代服と言うんですか、そういうものを研究するところでした。その古代 服を研究するのに、雛形がありまして、雛形をもらいました。材料を持って行って、それ(雛形)
をそのままうつして仕立て上げるという細目がございました。…十二単まで、ずっと、あらゆる古 代、今から言えば古代ですけれど、その時分にはまあ、古代といい、現代といい、いろいろござい ました。雛形尺という小さな物差しでもって、その物差しでこしらえたものが、ちょうど雛形にな る。いちいちこしらえては先生に見ていただいて、そうしてそれが済みますとその次の雛形をいた だいてはこしらえて、そうして全部を仕上げてしまう。」
5)(高野織衛、明治 34 年高等科卒)。この 話から、確かに古代服を研究する目的で雛形が製作されていたことが確認できる。
②明治42年
速成科、本科、普通科、高等科、師範科、高等師範科(同別科)が設置され、歴史服が製作され
たのは高等科、高等師範科(同別科)である。
高等科では、①の教授細目における「礼服類裁縫」が「袴類裁縫」と「礼服類裁縫」に分かれる という変化があるものの、製作品の内容は①と同じである。
高等師範科は、女子師範学校、高等女学校の裁縫科及び家事科の教員養成をおもな目的とし、明 治41年に設置され、大正11年まで続いた。明治42年発行の『私立 東京裁縫女學校一覧』によれ ば、入学資格は、修業年限4ヶ年以上の高等女学校を卒業した16歳以上の女子で、修業年限は3ヶ 年であった。
高等師範科の教授細目に挙がっているのは、「裃三種」「十二一重」「束帯」「被衣」である。高等 科と比べて、裁縫そのものよりも教員としての指導法の習得に重きを置いているため、製作する種 類が少ないものと考えられる。このことから、十二重(写真 1)、束帯(写真 2)、裃(写真 3)、被 衣(写真4)が、歴史服の中でも学ぶ優先度の高いアイテムだったことがうかがい知れる。
写真1 裁縫雛形 十二単 左の写真 重なり順の上から 唐衣、表着、打衣、五衣、
単、白小袖
右の写真 重なり順の上から 裳、緋ノ長袴
写真2 裁縫雛形 束帯
上衣重なり順の上から 袍、下襲、裾、単、白小袖 下衣重なり順の上から 表袴、下袴
袍の下に襪
③明治44年、大正4年、大正6年
本科、速成科、普通科、高等科、専攻科和服部、専攻科洋服部、普通師範科、高等師範科(同別 科)が設置され、歴史服が製作されたのは高等科、専攻科和服部、高等師範科(同別科)である。
高等科では、「雛形」の項目に「被衣」「中一文字肩衣」が見られるのみで、大幅に製作数が減少 している。
専攻科和服部では、以前の高等科とほぼ同じアイテムが製作されている。専攻科には洋服部も設 けられ、やはり以前の高等科で行われていた専門的な洋裁を引き継ぐかたちになっている。
高等師範科では、「古代服其他」の項目で、「肩衣三種」「被衣」「裃」「打着」「十二一重」「束帯」
が製作されている。大正4、6年の教授細目では、「雛形」の項目に「被衣」、「和服実物及雛形」に
「肩衣」と「裃ノ袴」、「古代服及実物」に「打着」「十二一重」「束帯」が挙げられている。打着、
十二一重、束帯は歴史服と認識されているが、被衣と裃は製作当時に「和服」あるいはただ「雛 形」と呼ばれる実用性を持ち得たことに注意したい。裃や被衣は、地方においては祭礼や葬送の際 に用いる習慣が残っており、学生達が卒業後に様々な地域で暮らし、教員を務めることも多かった 状況を考慮した可能性が考えられる。
(2)教科書における歴史服の記載 1)『裁縫教科書』
『裁縫教科書』における歴史服は、巻之三「参考の部」に記載されており、応用的な扱いであっ たことが見て取れる。教科書に書かれているのは主に裁方図や縫い方順序であるが、欄外に衣服の 用途や由来等が記されることもある。例えば、細袴の場合(写真 5)「細袴は元治慶應の頃流行し 又此頃合羽羽織 或は参材羽織 清元羽織等流行せしなり」
6)と説明され、着用された時期や同時期 に参材(三才)羽織等の羽織が流行していたことも分かる。
写真3 裁縫雛形 裃 左から 裃ノ袴、中一文字肩衣 写真4 裁縫雛形 被衣
この説明書きに関わって注目したいのが、拙文『標本としての裁縫雛形』
7)で取り上げた、「説 明書きの付いた裁縫雛形」である(写真 6)。これは明治 34 年頃に製作された雛形で、品名と衣服 の説明が書かれた付箋が付いている。その説明文は、『裁縫教科書』の説明書きから採られている。
先に挙げた明治 34 年卒業生の話によれば「古代服を研究するのに、雛形がありまして、雛形をも らいました。材料を持って行って、それ(雛形)をそのままうつして仕立て上げるという細目がご ざいました。」とあり、高等科での雛形製作は、見本の雛形を参考に各自が製作を進めるという方 法で行われていた。おそらく説明書きの付いた雛形は、そうした際に見本として用いられたものだ ろう。雛形製作が、衣服の裁縫だけでなく、その由来や用途を学ぶ機会であったことを端的に示す 資料である。
2)『束帯の部:裁縫全書』、『十二一重の部:裁縫全書』、『束帯及び五衣の部:専門教育裁縫全書』
『束帯の部:裁縫全書』と『十二一重の部:裁縫全書』は、ともに大正 2 年に刊行された。束帯 と十二単は宮中における男女の正装であり、本書も一対のような体裁になっている。諸言には、刊 行の背景や目的が書かれた同じ文面が使われている。その一部を以下に記す。
「近来歴史及国語の教授が、単に文字の上の説明に止まらず、能う限りは実物標本等を示すこと となりしより、歴史的服装を作製することの必要を感ずるに至れり。然るに其作製の法たる、古来 有職故実家の調査はこれありと雖も、裁縫の事に至りては、僅に装束師の間にのみ伝わりて、坊間 これを知るもの少し、況して之を書冊に載せたるものは、曾て見ざる所とす。本校は久しき以前よ
写真5 「細袴」の記述
『普通裁縫教科書』より 写真6 説明書きの付いた裁縫雛形 細袴 解説部分
付箋部分
り、是が教授をなしたりしが、今や世の要求により、これを編纂して、鉛槧に付することとし、其 第一着手として束帯及十二一重の部を発せり。」
8)諸言では、歴史や国語を教える際には実物や標本を用いることが望ましく、標本作製のための裁 縫の手順を紹介する必要があったと述べられている。この教科書を頼りにどれほどの標本が製作さ れたかはわからないが、寄贈された雛形の中には、本学で学生時代に製作したものを、教職に就い てから標本的に使用していた痕跡を残すものがある。
大正 14 年発行の『束帯及び五衣の部:専門教育裁縫全書』は、関東大震災により『束帯の部:
裁縫全書』『十二一重の部:裁縫全書』の版が焼失したことを受けて、二冊を合併し、大幅な改訂 を加えて出版されたものである。この諸言には、「本校長が、各宮殿下の御成年式宮妃殿下の御結 婚式等の衣紋を奉仕せる経験等に鑑みて、本書の面目を一新するを得たるは、特に読者諸姉に対し て、聊以て誇りとする所なり。」
9)とあり、渡邉辰五郎の長男で二代目校長の渡邉滋が、皇室の儀 式や行事に服飾の面で関わっていたことに触れている。束帯や十二単といった装束が、服装史の文 脈だけでなく、宮中でなお受け継がれる伝統であり、それに携わる可能性があることを印象づける 一文である。
3)『高等裁縫及雑の部:専門教育裁縫全書』
大正2年から刊行された「裁縫全書」シリーズは、関東大震災で版が焼失したものの、大正14年 に「専門教育裁縫全書」として改訂出版された。その際、前のシリーズにはなかった『高等裁縫及 び雑の部』が新たに加わった。諸言には「是で裁縫全書が全部完成と言うのではないが、高等なも のまで一通りは、揃った訳である。諸姉は単衣の部から始め、全部を併せて研究せられるならば、
まず和洋服全般の事は、差支えのないものと信じて、これを世に提供するのである。」
10)とある。
表1に示す通り、本書には、それまで教科書に掲載されなかった、大紋、大直衣、小直衣、直垂、
長絹、狩衣、白張、水干といった装束類も含まれ、内容の充実ぶりが明らかである。しかしなが ら、それらの雛形の製作は教科書出版よりも前の明治 30 年代に集中しており、出版時にはほとん ど製作されていない。このことから、教科書よりも雛形製作の方が先行していた、さらに言えば、
雛形製作を通して製作方法を洗練させ、ある程度確立した後に教科書にまとめられた状況が浮かん でくる。
(3)明治38年頃の高等科での学びの諸相
現存する雛形は実際に製作された雛形のごく一部であることを念頭に置きつつ、それらを見る限 り、歴史服の雛形は明治38年頃に製作されたものが多い。そもそも歴史服に限らず、明治37、38、
39 年頃に製作された雛形の質と量は特筆すべきものがある。ここでは、当時の学園の状況等を踏 まえながら、高等科において多様な歴史服の雛形が製作された理由を探ってみたい。
1)古今東西の服飾研究
明治 44 年発行『私立裁縫女学校一覧』掲載の「沿革」を読むと、明治 30 年代半ば以降、辰五郎 の長男滋と次女の薫によって、服飾研究が意欲的に行われ、それにともなって授業にも先進的な内 容が取り入れられたことに注意を引かれる。
渡邉滋は明治33年にアメリカの裁縫学校に留学し、35年に帰国してその年の10月から「新式洋 服裁縫」の教授を開始している。明治 38 年の高等科教授細目には、「一重胸背広 Single Breasted sack coat」や「スリーコワードコステイュームスカートThree gored Costume Skirt」といった洋 服の名称が英文表記とともに並び、これらの裁縫雛形やインチ尺による製図も残されている。
明治 37 年には、辰五郎の次女渡邉薫が、人類学者坪井正五郎のもとで民族服飾の研究を開始し たことが次のように記されている。「明治 37 年 1 月より、東京帝国大学教授理学博士坪井正五郎氏 に就て、毎週二回づつ、アイヌ、台湾、琉球、支那、朝鮮服等の研究を始む、研究主任渡邉薫 氏。」
11)明治38年4月からは、高等科前期において朝鮮服裁縫教授が開始され、雛形も製作された。
このように、高等科では歴史服に加え、当時着る人の少なかった本格的な洋服や、民族服を製作 している。その理由として、少数でも需要が見込まれるものは製作できるようにするという、実際 的な事情が挙げられるだろう。しかしそれ以上に、古今東西の衣服について、雛形製作を通して構 造や縫い方を確認することで、衣服というものを根本から捉え直そうという姿勢が垣間見える。
近代化が推し進められた明治時代、衣服もまた、新しい制度や生活に適うものが求められ、洋装 化という大きな流れを生む。その一方で、明治 23 年に制定された判事と検事の法服は奈良時代の 衣服を模し
12)、女学生のスタイルとして定着する女袴が宮中の袴を参考にして考案される等
13)、過 去の衣服を応用した例も見られる。このような状況の中で、歴史服を製作することは、単に過去の 事実をなぞるだけではなく、いまここにある問題に取り組むための一つの手立てだったと考えるこ とができるだろう。
2)消えゆく服の記録
明治 38 年頃の高等科では、多種多様な歴史服が製作された。その中には、写真 5,6 で挙げた細 袴や、小袴、野袴、三才羽織のように、幕末から明治初頭にかけて広く用いられ、明治半ばには見 られなくなった衣服が含まれる。また、やや実用性があるため歴史服としなかったが、頭巾や合羽 といったアイテムも、明治後期にはそれぞれ帽子や外套にとって代わられたと考えられるのだが、
数種類にわたって製作されている。
ところで渡邉辰五郎は、安政6(1859)年に日本橋の仕立屋に奉公に入り、8年の年季と1年の御
礼奉公が明ける明治元(1868)年まで働き続けた。江戸の中心にあって、幕末の服装の移り変わり
を目の当たりにする環境にあったわけである。そして、明治以降ますます加速する近代化の流れの
中で、若い頃に目にし、仕立てもした衣服が急速に消えていくのを肌で感じていたことだろう。細
袴の付箋に書かれていた「元治慶応の頃」(1864 〜1868 年)は、辰五郎自身が生きてきた時代だ
が、こうした少しだけ過去の服装を記録しようという意識は、服装への関心が余程高くないと起こ
らない発想である。裁縫雛形は、衣服の縫い方や量感を留めながら、小さくて保管しやすいという
利点があり、記録の方法として格好ものだった。実際に、混乱をきわめた幕末・明治初頭の衣服は 現存する例が少なく、裁縫雛形の資料としての重要性が認められることを思えば、歴史服の裁縫雛 形を製作した意義は今なお更新されているといえよう。
4.まとめ
歴史服の裁縫雛形を製作する目的は、第一には過去の時代の服についての素養を身につけるこ と、特に教職に就いた際に、手作りの標本を用いながら、歴史や文学に表れた服飾文化を教えられ るだけの知識と技術を習得することだったと考えられる。
また、束帯、十二単、裃、被衣といった装束は、服飾史に登場しもするが、宮中儀礼や特別な職 業において伝統的に受け継がれる衣服であり、日常的ではないにしても、仕立てる可能性のある衣 服である。そうした要求にも応えられるような、和洋裁全般に通じる裁縫のプロフェッショナルを 育てようという気概が、製作品の幅広さから感じられる。
さらに、衣生活が激変した明治という時代にあって、少し前の時代の衣服の雛形を製作すること は、消えゆく服飾文化の記録にほかならない。それも含めて、古今東西のあらゆる衣服を参照する ことで、衣服を根本から捉え直し、その可能性を探ることが、新しい衣生活の創造に必要とされた と考えることができるだろう。
今回、歴史服の製作状況をたどるにあたって、学科ごとの教授細目の違いが大きな意味を持つこ とを再認識した。裁縫雛形の調査研究は、製作年に意識が傾きがちだが、学科ごとの製作状況に注 目することで、雛形の特色、特に製作の意図がより明確になることと思う。今後は、こうした点に 注意し、裁縫雛形を様々な角度から掘り下げていきたい。
最後になりましたが、裁縫雛形の寄贈者の皆さまと、これまで雛形の整理・調査に関わってこら れた方々にこの場を借りて心より御礼申し上げます。
注
1) 「歴史服」という語は、雛形製作時の教育課程で使用されていない。当時の教授細目では「古代服」「古代 物」という語が使用されている。本文で詳しく述べるが、本稿では、「古代服」と呼ばれる衣服に加え、
「袴類」「肩衣類」「和服」等の分類で製作された衣服についても、製作時から見て過去に着用された衣服 であり、かつ本科や普通科で製作されるような基本的な品目ではない場合は「歴史服」に含めた。また、
現代でも着用される伝統的な装束についても、起源を近世以前に持つことから「歴史服」という名称に含 めることとした。
2) 十二単は、「五衣・唐衣・裳」の通称。本稿では原則として「十二単」と表記し、教授細目や教科書の引 用はそこでの表記にしたがって「十二一重」とした。
3) 『重要有形民俗文化財 渡辺学園裁縫雛形コレクション』 上巻 , 東京 , 東京家政大学博物館 , 2001, pp.122- 179.
4) 例えば、『重要有形民俗文化財 渡辺学園裁縫雛形コレクション』 上巻, 東京家政大学博物館, 2001, p.19に 掲載されている「高等師範科第一学年教授細目」(大正元年四月改正)でこの記述が確認できる。
5) 三友晶子 「『卒業生の声』を聞く-『裁縫雛形』をもっと知るために」『東京家政大学博物館館報』No.54., 東京家政大学博物館, 2010.
6) 渡邉辰五郎『裁縫教科書 巻之三』, 東京裁縫女学校, 1897, p.66.
7) 三友晶子「標本としての裁縫雛形」『東京家政大学博物館紀要』Vol.19, 東京家政大学博物館, 2014, pp.137- 149.
8) 渡邉滋『束帯の部 改版:裁縫全書』, 東京裁縫女学校出版部, 1916, p.1.
9) 渡邉滋、東京女子専門学校、東京裁縫女学校『束帯及び五衣の部 改版:専門教育裁縫全書』, 東京裁縫女 学校出版部, 1925, p.2.
10) 東京女子専門学校、東京裁縫女学校『高等裁縫及雑の部 : 専門教育裁縫全書』, 東京裁縫女学校出版部 , 1925
11) 『私立東京裁縫女学校一覧』, 私立東京裁縫女学校, 1911, p.4.
12) 明治23年に判事と検事、明治26年には弁護士の法服が制定された。東京美術学校教授の黒川真頼の考案 による、奈良朝の官服を模したデザイン。
13) 無地の行燈袴(襠のないスカート状の袴)が女学生の通学服として定着するのは明治 30 年頃である。華 族女学校の下田歌子は、宮中の女性が着用した「緋袴」と男性の「刺貫袴」を参考に女子向け袴を考案し た。また、跡見女学校では明治8年の開学当初より、宮中女性の袴を参考にした、紫色の袴を生徒に着用 させた。
写真1〜4,6 東京家政大学博物館 蔵 写真5 東京家政大学機関リポジトリより転載