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佛教大學大學院紀要 35号(20070301) 093池田昌広「『日本書紀』書名論序説」

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Academic year: 2021

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︹抄 録 ︺ 今 日 の 我 々 に と っ て 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 抑 も の 書 名 は 未 定 と い わ ね ば な ら な い 。 何 と な れ ば ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 現 存 古 写 本 が 凡 そ ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 標 題 で あ る の に 、 そ の 撰 上 を 唯 一 伝 え る ﹃続 日 本 紀 ﹄ 養 老 四 年 条 が ﹁ 日 本 紀 ﹂ を 以 て 喚 名 す る か ら で あ る 。 こ の 齟 齬 に 合 理 的 解 説 を 与 え る の が 書 名 論 の 具 体 で あ る 。 私 は 明 解 の 考 拠 を 得 る た め 、 関 連 史 料 を 整 理 し た う え で 先 行 学 説 か ら 継 承 す べ き 視 点 を 抽 出 し た 。 そ の 結 果 、 原 題 を ﹁ 日 本 紀 ﹂ に 認 め 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 名 称 を ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 以 後 天 平 十 年 頃 以 前 の 所 為 に 考 え る べ き を 述 べ た 。 并 せ て 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 史 体 が 六 朝 時 代 に 流 行 し た ﹁ 通 史 ﹂ 体 で あ る こ と 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 名 称 の 発 明 さ れ た 理 由 と ﹃隋 書 ﹄ ﹁ 経 籍 志 ﹂ に 初 出 す る ﹁ 正 史 ﹂ の 概 念 の 伝 来 と が 関 連 し て い る だ ろ う こ と を 述 べ た 。 キ ー ワ ー ド 書 名 論 、 日 本 書 紀 、 日 本 紀 、 通 史 、 正 史 一 、 関 連 史 料 概 観 屡 ば 本 邦 第 一 の 正 史 な ど と 説 か れ 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ 或 は 略 称 の ﹁ 書 紀 ﹂ を 以 て 喚 名 さ れ る そ の 史 書 が 、 実 は 抑 も の 書 名 さ え も 争 論 の 中 に あ る こ と 、 周 知 で あ る 。 該 書 に つ い て 概 説 を 試 み る 者 は 、 定 め て 書 名 論 の 頁 の 設 け る を 常 例 と す る 。 過 去 、 書 名 論 に 関 わ る 論 説 が 幾 許 か の 解 決 法 を 提 出 し た も の の 、 我 々 は 未 だ 理 解 の 統 一 に 成 功 し て い な い 。 私 は 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 (二 〇 〇 七 年 三 月 ) 今 回 、 書 名 の 議 論 に 参 加 す る に 方 り 既 説 を 整 理 し そ の 中 か ら 継 承 す べ き 見 解 を 抽 出 し 何 某 か の 展 望 を 得 た く 稿 を 起 こ す 。 私 の 書 名 論 の 序 論 で あ り 、 序 説 と 題 す る 所 以 で あ る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ が 名 義 の 問 題 を 抱 え る の は 、 現 存 す る 関 係 史 料 間 に 、 一 貫 し た 理 解 を 拒 む 幾 つ か の 矛 盾 点 が 存 在 す る こ と に よ る 。 解 決 を 困 難 に し て い る の は ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 名 義 の 中 、 専 ら ﹁ 書 紀 ﹂ の 二 文 字 で あ る 。 後 述 の 諸 研 究 が そ の 努 力 を 傾 注 し た 対 象 は 偏 に ﹁書 紀 ﹂ 両 字 の 九 三

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﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 序 説 (池 田 昌 広 ) 解 釈 で あ っ た と い っ て よ い 。 そ の 意 味 で 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 と い う ば あ い 、 そ れ は ﹁ 書 紀 ﹂ 解 釈 論 に 換 言 も 可 能 だ 。 私 は 行 論 の 順 序 と し て 、 こ れ ま で 先 学 が 見 出 し た 、 書 名 論 に と っ て 重 要 な 史 料 を 紹 介 し 矛 盾 の 那 辺 に 存 す る か を 、 こ の 論 頭 に 整 理 し 読 者 の 参 考 に 資 そ う と 思    o 今 日 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 を 記 し た 史 料 は 事 質 上 一 つ し か な い 。 有 名 な ﹃続 日 本 紀 ﹄ 巻 八 、 養 老 四 年 ( 七 二 〇 ) 五 月 癸 酉 条 こ れ で あ る 。 事 質 上 一 つ と い う の は 、 他 の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 記 事 は ﹃続 日 本 紀 ﹄ 該 条 を 典 拠 に し た 、 い わ ば 第 二 次 史 料 に 過 ぎ ず 、 校 勘 用 に 参 照 し 得 て も 撰 上 を 書 き 記 し た 史 料 と は 優 先 的 に み な し 得 な い 。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 該 条 は 次 の 通 り 、 今 日 の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 歴 史 的 地 位 を 考 え る と 簡 略 に 過 ぎ 稍 や 素 っ 気 な い と 思 え る ほ ど の 記 事 で あ る 。 ヘ ヘ へ 癸 酉 、 ⋮ ⋮ 先 是 、 一 品 舎 人 親 王 奉 勅 、 修 日 本 紀 。 至 是 功 成 、 奏 上 紀 卅 巻 ・ 系 図 一 巻 。 現 行 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に は 序 文 が 無 く 、 ま た 当 然 制 作 さ れ た は ず の 上 奏 文 も 伝 わ ら ず 、 編 纂 の 経 緯 に つ い て 確 か な こ と を い い 難 い 。 か ろ う じ (   ) て 右 引 用 条 に よ っ て 養 老 四 年 の 完 成 が 知 ら れ る の み で あ る 。 書 名 論 に と っ て 問 題 に な る の は ﹁ 日 本 紀 ﹂ ﹁ 紀 ﹂ の 両 表 記 で あ る 。 右 条 に よ っ た と お ぼ し き ﹃ 類 聚 国 史 ﹄ 巻 一 四 七 ﹁ 文 下 国 史 ﹂ 、 ﹃ 日 本 紀 略 ﹄ 前 篇 九 、 ﹃ 釈 日 本 紀 ﹄ 巻 一 ﹁ 開 題 ﹂ 所 引 ﹃続 日 本 紀 ﹄ 各 記 事 は 並 に 略 ぼ 同 ( 2 ) 文 で ﹁ 日 本 紀 ﹂ ﹁ 紀 ﹂ の 表 記 に も 異 同 が な い 。 且 つ こ の 隣 接 す る ﹁ 日 ヘ へ 本 紀 ﹂ ﹁ 紀 ﹂ が 同 時 に 誤 写 さ れ る 確 率 は 常 識 的 に 低 く 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 該 条 に 誤 写 の 可 能 性 は 先 ず な い と 考 え ら れ る 。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 該 条 の ﹁ 日 九 四 本 紀 ﹂ の 表 記 に 間 違 い が な い こ と は 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 自 身 の 書 名 が こ れ を 明 証 し て い る 。 し か し な が ら 現 存 古 写 本 の 標 題 は 全 て ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ に 作 っ て お り ﹃続 日 本 紀 ﹄ と 齟 齬 を 生 じ て い る 。 現 在 一 に ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 名 義 と し て ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ が 通 行 し て い る の は 古 写 本 の 標 題 に 従 っ て い る 訣 で 、 抑 も の 書 名 の 如 何 と は 直 接 関 係 し な い 。 実 に 書 名 論 の 具 体 は 、 こ の ﹃続 B 本 紀 ﹄ と 古 写 本 間 の 矛 盾 解 決 に 存 す 。 解 決 を よ り 困 難 に す る の は 、 奈 良 時 代 已 に ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 呼 称 が 行 わ れ て い た こ と を 如 実 に 示 す 史 料 の 存 在 で あ る 。 ﹃ 令 集 解 ﹄ 巻 ご 二 ﹁ 公 式 令 ﹂ 条 所 引 ﹁ 古 記 ﹂ が そ れ で あ る 。 令 本 文 ﹁ 明 神 御 大 八 洲 天 皇 詔 旨 ﹂ へ の 注 記 中 ﹁ 古 記 ﹂ が 引 例 さ れ る 。 ﹁ 古 記 ﹂ の 文 章 中 ﹁ 問 、 大 八 洲 、 未 知 若 為 ﹂ に 対 し ﹁ 答 、 日 本 書 紀 巻 第 一 云 、 (後 略 ) ﹂ と み え る 。 ﹁ 古 記 ﹂ は ﹃大 宝 令 ﹄ の 注 釈 書 で 天 平 十 年 ( 七 三 八 ) 頃 の 成 立 と さ れ M る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 が 養 老 四 年 (七 二 〇 ) 、 そ れ か ら 約 十 八 年 後 に 早 く も ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 書 名 が 現 れ て い る の で あ る 。 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 早 い 用 例 を み る 文 献 が も う 一 つ あ る 。 ﹃ 万 葉 集 ﹄ で あ る 。 ﹃万 葉 集 ﹄ 左 注 に ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ ﹁ 日 本 紀 ﹂ ﹁ 紀 ﹂ の 三 様 の 表 記 が 混 在 す る 。 但 し 左 注 に ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ が 出 現 す る の は 凡 そ 巻 一 ・ 二 に 限 ら れ 他 巻 に 及 ば な い 。 且 つ そ れ は 左 注 に 限 ら れ 題 詞 そ の 他 に は み ら れ な い 。 ﹃ 万 葉 集 ﹄ は 複 数 次 の 編 纂 を 経 て 現 今 の 二 十 巻 に 増 大 し た こ と 、 今 時 の ﹃万 葉 集 ﹄ 成 立 論 で は 常 識 に 属 す 。 左 注 も こ の う ち の 幾 代 目 か の 編 者 の 手 に な る と 考 え ら れ 、 先 ず は 奈 良 時 代 の 用 例 に み な し 得 る 。 し か し 左 注 の 成 立 史 自 体 が 分 明 で な い た め 議 論 の 出 発 点 さ え 容 易 に 得 ら れ

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な い 。 ﹃ 万 葉 集 ﹄ の 研 究 史 を 略 閲 す る に ﹁左 注 は 、 従 来 こ れ と い っ た ( 4 ) 定 義 も な さ れ ず 漠 然 と 読 ま れ て き た ﹂ と い う 評 価 も 宜 な る か な と 思 わ れ る 。 こ れ ま で の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 も 左 注 研 究 の 停 滞 を 承 け 、 左 注 に 混 在 す る 三 様 の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に は ふ れ る 程 度 で 積 極 的 関 与 を も た な か っ た 。 書 名 論 の 模 範 解 答 は 、 左 注 上 に 混 在 し た 用 例 を も 矛 盾 無 く 説 明 し て い な く て は な ら な い 。 さ て 肝 心 の 左 注 該 当 条 で あ る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 引 用 は 左 注 に 都 合 十 ( 5 ) 七 例 現 れ る 。 十 七 例 の 内 わ け は ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 九 例 、 ﹁ 紀 ﹂ の 六 例 に 対 ( 6 ) し ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ は 僅 か 二 例 に 止 ま る 。 混 在 と い っ て も 各 表 現 の 登 場 す る 比 率 は 均 等 で な い 。 ま た ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ が 巻 一 冒 頭 部 分 に 集 中 す る 事 実 は 注 目 さ れ る 。 小 稿 は 左 注 を 云 々 す る 場 で な い の で 左 注 へ の 論 及 は 他 日 を 期 す 。 先 行 研 究 を 通 観 す る 前 に も う = 言 い い 添 え て お く 。 漢 語 と し て の ﹁ 書 紀 ﹂ に つ い て で あ る 。 書 名 論 で は 自 明 の 如 く 説 か れ る 理 解 に 、 ﹁ 書 ﹂ 字 は 紀 伝 体 史 籍 の 書 名 に 、 ﹁ 紀 ﹂ 字 は 編 年 体 史 籍 の 書 名 に 各 々 区 別 し て 附 さ れ る の が 常 例 で 、 ﹁ 書 ﹂ ﹁ 紀 ﹂ が 混 用 さ れ る こ と は あ り 得 な い と い う こ と が あ る 。 故 に 書 名 と し て ﹁ 書 ﹂ と ﹁紀 ﹂ と が 文 法 的 等 価 を 以 て 接 続 す る 事 態 は 想 定 し 難 い と い う 。 事 実 、 漢 籍 中 ﹁ 書 紀 ﹂ に 題 し た 書 は み あ た ら な い 。 ﹁ 書 紀 ﹂ は 熟 し た 一 語 に 訓 め な い の で 、 後 述 の 如 く ﹁ 書 の 紀 ﹂ と い う 解 法 も 生 ま れ る 。 以 上 が 書 名 論 を 展 開 す る う え で 、 所 与 の 条 件 に な る 。 こ れ よ り 章 を 改 め 既 説 を 通 覧 し 并 せ て 各 説 の 問 題 点 を 指 摘 す る 。 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 ( 二 〇 〇 七 年 三 月 ) 二 、 先 行 学 説 概 観 こ れ ま で に 公 刊 さ れ た ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 書 名 を 論 じ た 研 究 は 少 な か ら ざ る 数 に の ぼ る 。 各 論 者 に 小 異 が 存 す る も 、 概 ね 次 の 三 説 に 大 別 し 得 る 。 a 、 ﹁ 日 本 紀 ﹂ を 元 来 の 書 名 に 認 め 、 何 ら か の 理 由 よ り ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ が 書 名 と し て 定 着 し た と す る 説 。 b 、 ﹁ 日 本 書 ﹂ が 元 来 の 書 名 で あ り 、 こ れ に ﹁ 紀 ﹂ が 附 せ ら れ ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 名 義 が 生 じ 以 後 定 着 し た と す る 説 。 c 、 そ の 他 。 以 下 、 a b c 各 説 の 要 旨 と 問 題 点 と を 整 理 し て お く 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 の 学 説 史 の 劈 頭 に 在 る の は 伴 信 友 の 見 解 で 、 こ ( 7 ) れ が a 説 の 首 唱 で あ る 。 信 友 は ﹁ 日 本 書 紀 、 も と は 日 本 紀 と 題 ら れ た る を 、 お ほ よ そ 弘 仁 の 年 中 よ り 、 文 人 た ち の 書 字 を 加 へ て 、 日 本 書 紀 と も 称 へ る よ り 起 り て 、 遂 に 題 名 と な り し と 見 え た り ﹂ と い う 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 原 題 を ﹁ 日 本 紀 ﹂ に 認 め 、 弘 仁 年 間 ( 八 一 〇 1 八 二 四 ) に 初 め て ﹁ 書 ﹂ 字 が 書 名 に 加 わ り 現 行 の 名 称 が 生 じ た と い う 理 解 で あ る 。 ﹁ 書 ﹂ 字 が 加 え ら れ た 理 由 を 信 友 は ﹃ 釈 日 本 紀 ﹄ 巻 一 ﹁ 開 題 ﹂ に 引 か れ た 師 説 す な わ ち 矢 田 部 公 望 の 説 を 挙 げ こ れ を 支 持 し て い る 。 師 説 に つ い て は 後 ち に 記 す つ も り で あ る か ら 、 此 処 に 贅 し な い 。 信 友 の 論 理 は 、 さ き の ﹃続 日 本 紀 ﹄ 養 老 四 年 条 の 記 載 と ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ を 継 ぐ ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 以 下 の 書 名 と を 合 理 的 に 説 明 し て お り 、 そ の 部 分 で 説 得 力 が あ る 。 信 友 は ﹁ 釈 日 本 紀 に 引 た る 、 こ の 紀 の 弘 仁 私 記 序 に 九 五

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﹃日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 序 説 (池 田 昌 広 ) 始 め て 日 本 書 紀 と 見 え た り ﹂ と い う 如 く ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 初 例 を 弘 仁 期 に 設 定 す る が 、 問 題 は 前 述 ﹁ 古 記 ﹂ ・ ﹃ 万 葉 集 ﹄ 左 注 の 用 例 と の 兼 ね 合 い で あ る 。 信 友 は 、 左 注 に 対 し て は ﹁ 万 葉 集 中 に 、 日 本 紀 ま た 日 本 書 紀 と も あ れ ど 、 後 人 の 勘 文 と 見 え た れ ば 、 論 ふ べ き に あ ら ず ﹂ と 述 べ 事 実 上 無 視 す る 。 ﹁ 古 記 ﹂ に は ふ れ る と こ ろ が な く 用 例 の 存 在 を 承 知 し な か っ た の だ ろ う 。 ﹃ 万 葉 集 ﹄ 左 注 は 何 代 目 か の 編 者 の 手 に よ っ て 奈 良 時 代 に 附 さ れ た と 考 え ら れ る の で 、 信 友 の 処 理 は 不 可 で あ る 。 要 す る に 信 友 は 、 ﹁ 古 記 ﹂ ・ ﹃ 万 葉 集 ﹄ 左 注 と い う 奈 良 時 代 の ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 用 例 を 適 切 に 説 明 出 来 て い な い 。 a 説 は 略 ぼ 右 信 友 の 所 論 に よ っ て 今 日 ま で 代 表 さ れ 、 恐 ら く 支 持 者 の 最 も 多 い 学 説 に 思 わ れ る 。 次 に 紹 介 す る b 説 は a 説 と 全 く 正 反 対 の 発 想 か ら の 立 論 で あ る 。 (   ) b 説 の 論 者 の 一 人 に 神 田 喜 一 郎 が い る 。 書 名 に 用 い ら れ る ﹁ 書 ﹂ ﹁ 紀 ﹂ 両 字 の 用 法 を 前 者 は 紀 伝 体 、 後 者 は 編 年 体 に 特 定 し 、 更 に ﹁ 正 史 ﹂ は 凡 そ 紀 伝 体 の 史 書 で あ る こ と を 確 認 し た う え で 行 論 す る 。 神 田 は 撰 述 の 背 景 を こ う 推 測 す る 。 ﹁ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 編 纂 せ ら れ た の は 、 中 国 史 学 史 の 上 か ら い ふ と 、 あ た か も こ の ﹁ 正 史 ﹂ と い ふ 観 念 の た か ま り つ つ あ る 時 代 に あ た つ て ゐ た 。 当 時 の 日 本 と し て 、 そ の 国 威 を 誇 示 し 、 国 際 的 の 地 位 を 高 め る に は 、 そ の 一 つ の 手 段 と し て 欽 定 の 正 史 を 必 要 と し た に 相 違 な い 。 ( 中 略 ) し た が つ て ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ は 、 本 来 ﹁ 正 史 ﹂ 、 す な は ち 紀 伝 体 で あ る こ と を 必 要 と し た の で あ る が 、 当 時 の 事 情 と し て は 、 と て も ﹁ 志 ﹂ や ﹁ 列 伝 ﹂ な ど は 出 来 さ う に な く 、 単 に ﹁ 紀 ﹂ だ け を 作 つ て 、 そ れ が あ た か も 紀 伝 体 の 三 部 の う ち の 一 部 で あ 九 六 る か の ご と く 偽 装 せ ざ る を 得 な か つ た の が 、 実 情 で は な か つ た か ﹂ 。 継 い で 原 題 を ﹁ 日 本 書 ﹂ に 定 め る 。 し か し ﹃ 日 本 書 ﹄ の 実 質 は 本 紀 の み で 志 ・ 列 伝 を 缺 く 。 そ こ で 巻 子 本 第 一 行 に 書 か れ た 書 名 ﹁ 日 本 書 ﹂ の 文 字 の 下 に 細 字 で ﹁ 紀 ﹂ 字 を 加 え ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ に 作 っ た 。 す な わ ち ﹃ 日 本 書 ﹄ の ﹁ 紀 ﹂ で あ る 。 こ れ が 伝 写 を 繰 り 返 す う ち 、 そ れ も か な り 早 い 時 期 に 、 ﹁ 日 本 書 ﹂ と ﹁ 紀 ﹂ が 同 じ サ イ ズ の 文 字 で 接 続 さ れ 現 行 の ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ に な っ た 。 神 田 が 接 続 の 時 期 を ﹁ か な り 早 か つ た と 思 ふ ﹂ と い う の は 、 恐 ら く 前 掲 ﹁古 記 ﹂ ・ ﹃ 万 葉 集 ﹄ 左 注 の 用 例 を 意 識 し た う え の 推 測 と 思 わ れ る 。 ﹃続 日 本 紀 ﹄ の 前 掲 条 の 処 理 は こ う で あ る 。 ﹁ ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の 作 ら れ た 時 代 に は 、 そ の 書 名 の 由 来 が す で に 忘 れ ら れ て ゐ た ら し い 。 し か し そ れ で も ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ と い ふ 書 名 の を か し い と い ふ こ と は 、 さ す が に 気 付 い た と み え て 、 こ れ を そ の 体 裁 や 内 容 に 相 応 は し く ﹃ 日 本 紀 ﹄ と し て し ま っ た ﹂ と い う 。 ﹁ 続 日 本 紀 ﹂ と い う ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 後 と を 継 い だ が 如 き 書 名 は こ の 論 法 の 延 長 で 考 え ら れ る 。 要 す る に ﹃続 日 本 紀 ﹄ に み え る ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 文 字 は 原 題 を 反 映 し て お ら ず ﹃続 日 本 紀 ﹄ 編 纂 者 に よ る 推 定 、 結 果 的 な 改 変 に 過 ぎ な い と す る 。 神 田 説 の 要 旨 は 右 に 尽 き る が 、 凡 そ 文 献 的 証 拠 を 缺 く の が 大 き な 弱 点 だ 。 先 ず ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 前 掲 条 の 処 理 で あ る 。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 前 掲 条 は 形 式 的 に は 他 史 料 か ら の 引 用 文 で は な く ﹃続 日 本 紀 ﹄ 編 纂 者 の 手 に な る 文 と 考 え ら れ る 。 そ こ で 神 田 は 後 世 す な わ ち ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 編 纂 者 独 自 の 用 字 に 処 理 す る が 、 文 献 読 解 の 方 法 上 問 題 で あ る 。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 前 掲 条 の 理 解 は 、 編 纂 時 に 存 し た 原 史 料 に も と づ き そ の 文 字 を 反 映 し

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記 述 さ れ て い る と 先 ず 考 え る べ き で 、 編 者 の 恣 意 に よ っ た と す る に は 有 力 な 証 拠 が 必 要 で あ る 。 神 田 は そ れ を い わ な い 。 更 に 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 初 例 は 前 述 の 如 く ﹁ 古 記 ﹂ と ﹃万 葉 集 ﹄ 左 注 と で あ る 。 奈 良 時 代 に ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 書 名 の 行 わ れ て い た の は 確 実 だ 。 果 た し て 養 老 四 年 撰 上 の ﹃日 本 書 紀 ﹄ が 、 奈 良 時 代 に お い て ﹁ 日 本 書 ﹂ と 小 字 ﹁ 紀 ﹂ と 接 続 さ れ て し ま う ほ ど 頻 繁 に 書 写 さ れ た か 疑 問 で あ る し 、 抑 も 斯 く も 杜 撰 な 鈔 写 が な さ れ た か ど う か も 疑 わ し い 。 神 田 と は 立 脚 点 が 異 な る が 、 同 じ く b 説 に 分 類 で き る 粕 谷 興 紀 の 所 ( 9 ) 説 が あ る 。 神 田 が ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 原 題 を 認 定 す る の に 対 し 粕 谷 は 撰 上 当 初 か ら ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ で あ っ た と い う 。 粕 谷 の 論 拠 は 、 承 平 の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 講 書 の 講 者 を 務 め た 矢 田 部 公 望 の 推 定 で あ る 。 ﹃ 釈 日 本 紀 ﹄ 巻 一 ﹁ 開 題 ﹂ 所 引 ﹁ 日 本 書 紀 私 記 ﹂ に 残 る そ の 問 答 を 引 こ う 。 問 、 此 書 名 日 本 書 紀 、 其 意 如 何 。 答 、 師 説 、 依 注 日 本 国 帝 王 事 、 謂 之 日 本 書 紀 。 又 問 、 不 謂 日 本 書 、 又 不 謂 日 本 紀 、 只 謂 日 本 書 紀 、 如 何 。 答 、 師 説 、 ( 中 略 ) 、 但 宋 太 子 簷 事 范 蔚 宗 撰 後 漢 書 之 時 、 叙 帝 王 事 謂 之 書 紀 、 叙 臣 下 事 謂 之 書 列 伝 、 然 則 書 紀 之 文 依 此 歟 。 ﹁ 師 説 ﹂ 以 下 が 公 望 の 返 答 で あ る 。 公 望 は 、 劉 宋 の 范 蔚 宗 す な わ ち 范 曄 が ﹃ 後 漢 書 ﹄ を 撰 し た 際 ﹁ 帝 王 事 ﹂ (本 紀 に 該 当 す る よ う だ ) を ﹁ 書 紀 ﹂ と 称 し た 故 事 を 引 用 し 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の ﹁ 書 紀 ﹂ は こ の 范 書 の 用 法 に 倣 っ た 名 義 だ と い う 。 但 し 疑 問 の 助 字 ﹁ 歟 ﹂ を 文 末 に 配 す る の で 推 測 で あ っ て 、 公 望 に も 明 証 の あ る 訣 で は な さ そ う だ 。 何 し ろ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 か ら 二 百 年 餘 が 経 っ て い る 。 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 (二 〇 〇 七 年 三 月 ) 現 存 ﹃後 漢 書 ﹄ 諸 本 中 、 ﹁ 後 漢 書 紀 ﹂ に 題 す る テ キ ス ト の 存 在 を 聞 か な い が 、 文 化 文 政 期 に 幕 府 の 書 物 奉 行 で あ っ た 近 藤 正 斎 と 近 代 の 歴 史 地 理 学 者 小 川 琢 治 と が 、 内 題 を ﹁ 後 漢 書 紀 ﹂ に 作 っ た ﹃後 漢 書 ﹄ 異   o   本 の 過 去 存 し た こ と を 論 じ ﹁ 師 説 ﹂ に 論 拠 を 提 供 し た 。 粕 谷 の ﹁ 師 説 ﹂ 支 持 の 論 拠 も 両 者 に 依 拠 し て い る 。 正 斎 が 実 見 し た 本 は 関 東 大 震 災 で 焼 失 し 伝 わ ら な い が 、 偶 ま 大 矢 透 ﹃ 仮 名 遣 及 仮 名 字 体 沿 革 史 料 ﹄ (帝 国 学 士 院 、 一 九 〇 九 。 勉 誠 社 、 一 九 六 九 複 製 、 四 九 頁 ) に 該 本 本 紀 巻 一 の 巻 頭 四 行 の み ﹁ 影 蟇 ﹂ さ れ 今 日 み る を 得 る 。 該 本 は 宋 本 を 覆 刻 し た 元 大 徳 刊 本 と さ れ る 。 粕 谷 等 が 注 目 す る の は こ の 二 行 目 空 白 部 分 に 為 さ れ た 書 込 み で あ る 。 そ れ に よ れ ば 記 入 者 が ﹁ 家 本 ﹂ と 称 す る テ キ ス ト で は 内 題 を ﹁ 後 漢 書 紀 ﹂ に 作 っ て い た ら し い 。 正 斎 の 考 証 は ﹁ 家 本 ﹂ を ﹁ 李 唐 以 来 久 シ ク 此 際 二 伝 ヘ シ 古 写 本 ﹂ と い い 、 他 二 者 も こ れ を 支 持 す る 。 従 っ て 公 望 が ﹁ 宋 太 子 簷 事 范 蔚 宗 撰 後 漢 書 之 時 、 叙 帝 王 事 謂 之 書 紀 、 叙 臣 下 事 謂 之 書 列 伝 ﹂ 述 べ た の は 空 論 で な く 明 確 な 論 拠 に も と つ く と い う 。 な お 、 右 ﹃ 後 漢 書 ﹄ 異 本 問 題 で 興 味 深 い 報 告 が あ る 。 平 田 篤 胤 ﹃ 古 史 徴 ﹄ 巻 一 之 春 つ ま り ﹁ 開 題 記 ﹂ の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 書 名 に 及 ぶ 部 分 で あ る 。 篤 胤 は 前 述 伴 信 友 の 所 説 を 紹 介 し 支 持 を 表 明 す る が 、 粕 谷 等 の 説 に と っ て 興 味 深 い 記 載 は そ の 直 前 、 篤 胤 の 自 注 に あ ら わ れ る 。 右 記 ﹁ 師 説 ﹂ を 引 用 し た 後 ち ﹁ 旧 く 皇 国 に 伝 へ た る 漢 書 は 、 漢 書 紀 と 有 し 由 、 屋 代 弘 賢 ぬ し の 伝 へ 語 ら れ き 。 然 れ ば 書 紀 と い ふ 号 は 、 漢 書 の 題 号 に 依 へ り と 云 る 、 釈 紀 の 説 は 違 ひ 有 ま じ く こ そ ﹂ と 続 け る の が そ れ (   ) で あ る 。 篤 胤 の 記 述 は 簡 略 に 過 ぎ 具 体 を 缺 く が 、 正 斎 等 が 推 定 し た 九 七

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﹃日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 序 説 (池 田 昌 広 ) ﹃ 後 漢 書 ﹄ 異 本 の 例 と 照 ら し 合 わ せ れ ば 、 巻 首 内 題 の ﹁ 漢 書 紀 ﹂ に 作 ら れ た テ キ ス ト の 流 伝 を い っ た も の と 思 わ れ る 。 但 し 屋 代 弘 賢 か ら の 伝 聞 を 実 証 す る 古 本 の 現 存 を 聞 か な い 。 さ て 、 我 々 は 右 問 答 に よ っ て 承 平 の 頃 ( 講 書 は 同 六 年 ( 九 三 六 ) か ら 二 、 三 年 を か け 行 わ れ た だ ろ う 。 ) 已 に ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 書 名 の 由 来 が 分 明 で な く な っ て い た こ と を 知 る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 か ら 二 百 年 餘 り 経 つ 。 公 望 の 発 言 は 二 百 年 後 の 推 定 で あ る 点 を 割 り 引 か な く て は な ら な い 。 と こ ろ で 何 故 范 曄 ﹃ 後 漢 書 ﹄ な の で あ ろ う か 。 小 島 憲 之 の 出 典 研 究 に よ れ ば 潤 色 に 利 用 し た 史 籍 は 先 ず 班 固 ﹃ 漢 書 ﹄ を 数 え 、 苑 書 の 利 用 ( 12 ) 頻 度 が そ れ に 比 し 少 な い 。 何 故 、 故 ら に 萢 書 を 手 本 に 命 名 し た の か 、 説 明 の 欲 し い と こ ろ で あ る 。 或 い は 篤 胤 ﹁ 開 題 記 ﹂ 紹 介 の ﹁ 漢 書 紀 ﹂ の 例 か ら ﹃漢 書 ﹄ を 範 に し た と い い 換 え て も よ い の か 。 も う 一 つ 疑 問 点 。 范 書 撰 述 時 に ﹁ 叙 帝 王 事 謂 之 書 紀 、 叙 臣 下 事 謂 之 書 列 伝 ﹂ で あ っ た と い う 話 柄 を 、 私 は 寡 聞 に し て 漢 籍 中 に あ る を 聞 か な い 。 公 望 の 経 歴 は 粕 谷 論 文 に 譲 る が 、 紀 伝 道 出 身 と い う こ と は 中 国 史 学 の 専 家 と い う べ き で 、 公 望 在 世 当 時 ﹁ 三 史 ﹂ の 一 で あ っ た 范 書 に つ い て も 相 応 の 知 識 を 所 有 し て い た だ ろ う こ と は い っ て よ い 。 し か し 件 の 話 柄 は 今 の と こ ろ 公 望 の 発 言 に の み 見 ら れ る 訣 で 、 公 望 が 斯 く 認 識 し て い た 事 実 を 明 か し 得 て も 、 果 た し て 史 実 で あ る か は 別 途 議 論 せ ね ば な ら な い 。 ﹃続 日 本 紀 ﹄ 前 掲 条 と ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の 名 義 と の 兼 ね 合 い に つ い て は 前 記 神 田 説 と 大 同 小 異 で 、 神 田 説 に 加 え た 批 判 が こ こ で も 有 効 で あ る 。 九 八 書 名 論 と し て は 比 較 的 最 近 発 表 さ れ た 中 畠 俊 彦 の 論 考 は b 説 支 持 で (   ) あ る 。 中 畠 は ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ が 書 名 と し て 奇 異 で な い と 論 ず る 。 史 部 書 の 書 名 を 調 査 し た う え で 、 ﹁ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 編 者 は そ れ ま で の 中 国 で 、 ﹁ 五 代 史 伝 ﹂ や ﹁ 五 代 史 志 ﹂ と い っ た 、 正 史 の 構 成 要 素 の 名 前 か ら 書 名 を つ け て 単 行 す る 例 が あ る の を 知 っ て い た ﹂ は ず で あ る こ と 、 ﹁ 当 時 の 中 国 の 知 識 人 の 認 識 と し て ﹁ 書 紀 ﹂ と い う 表 現 は さ ほ ど 不 自 然 な も の で な ﹂ か っ た こ と 、 し た が っ て ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 者 は ﹃ 日 本 書 ﹄ の ﹁ 紀 ﹂ と い う 義 で ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ と い う 書 名 を 定 め た こ と を 主 張 す る 。 中 畠 の 論 考 は ﹁ 書 紀 ﹂ 名 義 の 漢 籍 の 捜 索 に 努 力 を 傾 注 す る が 、 果 た し て ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 以 前 の 用 例 を 発 見 で き な か っ た 。 ま た 前 述 ﹁ 正 史 の 構 成 要 素 の 名 前 か ら 書 名 を つ け て 単 行 す る 例 が あ る の を 知 っ て い た ﹂ と い う 指 摘 も 推 測 に 過 ぎ な い 。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 前 掲 条 に あ る ﹁ 系 図 一 巻 ﹂ を ﹁ 当 初 中 国 正 史 の ﹁ 表 ﹂ 的 な も の を 目 指 し た 名 残 で は な い か ﹂ と い う が こ れ も 推 測 で あ る 。 な お 結 論 は 粕 谷 と 択 ぶ 所 が な く 、 同 様 の 批 判 が 適 当 で あ る 。 以 上 が b 説 各 論 者 の 論 旨 と 矛 盾 点 と で あ る 。 こ れ ら b 説 に 収 斂 さ れ る 論 理 の 大 率 に 対 し 私 が 抱 え る 最 大 の 疑 団 は 、 ﹃続 日 本 紀 ﹄ に 関 連 し た 文 献 処 理 、 就 中 養 老 四 年 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 を 告 げ る 記 事 の 解 釈 に つ い て で あ る 。 該 条 が ﹁ 日 本 紀 ﹂ に 作 る こ と へ の b 説 論 者 の 対 処 は 餘 り に 軽 率 過 ぎ る 。 山 田 英 雄 も 指 摘 す る 如 く 、 ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 表 記 を ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 に 関 す る つ ま り 該 条 原 史 料 の 表 記 に 従 わ ず ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 編 者 独 自 の 推 定 に よ る 表 記 と 考 え る に は 有 力 ( 14 ) な 史 料 的 裏 付 け が 是 非 と も 必 要 で あ る 。 b 説 は こ れ を 缺 く 。 ま た 屡 ば 、

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史 料 的 論 拠 を 示 さ ず ﹃日 本 書 紀 ﹄ 編 纂 作 業 が 中 国 の 正 史 の 影 響 下 に あ ( 15 ) る こ と を 前 提 に し た 立 論 も 疑 問 で あ る 。 唐 太 宗 朝 の 修 史 事 業 と 時 期 的 に 重 な る こ と と 影 響 関 係 の 存 す る こ と と は 一 で な い 。 a b 説 以 外 の ﹁ c 、 そ の 他 ﹂ に は 以 下 の 見 解 が あ る 。 ま ず 折 口 信 夫 の 独 創 的 な 意 見 か ら 。 折 ロ は 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 養 老 四 年 条 に 表 れ る ﹁ 日 本 紀 ﹂ に つ い て ﹁ 日 本 紀 は 漢 紀 ・ 後 漢 紀 を 学 ん だ ﹁紀 ﹂ の 体 の 歴 史 ﹂ と 述 べ た う え で ﹁ 順 序 か ら 言 へ ば 、 日 本 紀 以 前 に 、 正 史 体 の ﹁ 日 本 書 ﹂ と 言 ふ も の が な け れ ば な ら ぬ 。 さ う し て 、 其 日 本 紀 は 、 む ざ う さ に 謂 へ ば ﹁ 日 本 書 ﹂ の 伝 で あ り 、 其 ﹁ 帝 王 本 紀 ﹂ を 中 心 と し て 、 編 年 体 に ﹁ 日 本 書 ﹂ を 整 理 し た も の で な く て は な ら な い ﹂ と 重 ね る 。 ﹁ 正 史 体 ﹂ は 紀 伝 体 に 同 義 と 思 わ れ る 。 折 口 は 最 終 的 に ﹁ 日 本 書 紀 な る 名 は 、 史 学 の 知 識 が 自 由 な 流 動 性 を 失 ひ か け た 頃 か ら 、 始 ま つ た 誤 り ら し く 思 は れ る 事 で あ る 。 而 も 其 は 、 書 と 紀 と の 関 係 ・ 命 名 法 に な ま 半 可 な 理 会 を 持 つ て 居 た 紀 伝 ・ 明 経 博 士 等 の さ か し ら か ら 、 起 つ た の に 相 違 な か ら う ﹂ と 述 べ 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ は 誤 解 か ら 生 じ た 慣 用 ( 16 ) に 結 論 す る 。 折 口 説 の 要 諦 は 、 ﹃ 日 本 紀 ﹄ に 先 行 す る 正 史 ﹃ 日 本 書 ﹄ の 成 立 を 認 定 し 、 ﹃ 日 本 紀 ﹄ は ﹃ 日 本 書 ﹄ を 編 年 体 に 改 編 し た も の と い う と こ ろ に あ る 。 折 ロ の 発 想 の 背 後 に あ る の は 、 後 漢 の 班 固 ﹃ 漢 書 ﹄ と 荀 悦 ﹃ 漢 紀 ﹄ と の 関 係 で あ ろ う 。 ﹃漢 書 ﹄ が 通 読 す る に 大 部 で あ る た め 、 献 帝 の 詔 に よ り 、 簡 略 化 し ﹃春 秋 左 氏 伝 ﹄ の 体 裁 に 等 し き 編 年 体 三 十 巻 に 再 編 し た の が ﹃漢 紀 ﹄ で あ る 。 東 晋 ・ 袁 宏 ﹃後 漢 紀 ﹄ は ﹃漢 紀 ﹄ に 倣 っ て 書 か れ た 。 折 口 に よ れ ば 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 当 時 、 紀 伝 体 の 三 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 (二 〇 〇 七 年 三 月 ) 史 が 尊 重 さ れ て い た 。 ﹃ 日 本 書 ﹄ を 三 史 の 体 裁 で 作 っ た 後 ち 、 ﹃漢 紀 ﹄ の 制 作 動 機 と 等 し く し て ﹃ 日 本 紀 ﹄ を 両 漢 紀 の 体 裁 で 作 っ た と い う 。 そ の 証 左 が ﹁ 日 本 紀 ﹂ の ﹁紀 ﹂ 字 で あ り 又 た ﹃日 本 書 紀 ﹄ の 巻 数 だ と い う 。 確 か に 、 両 漢 紀 と も 三 十 巻 で ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に 同 じ い 。 し か し ﹃ 漢 紀 ﹄ の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 以 前 の 将 来 は 確 認 で き な い う え 、 小 島 憲 ( 17 ) 之 の 出 典 研 究 は 両 漢 紀 か ら の 潤 色 の 有 無 に つ い て 否 定 的 見 解 を 示 す 。 ま た 折 口 は ﹃ 日 本 書 ﹄ の 存 在 を 示 し た 証 拠 と し て ﹁ 正 倉 院 文 書 ﹂ の ﹁ 更 可 請 章 疏 等 ﹂ ( 天 平 二 十 年 六 月 十 日 付 。 ﹃大 日 本 古 文 書 ﹄ 三 ) を 挙 げ る 。 ﹁ 帝 紀 二 巻 ﹂ の 下 に あ る ﹁ 日 本 書 ﹂ の 細 字 注 記 が そ れ で あ る 。 こ れ を ﹃ 日 本 書 ﹄ 所 収 ﹁ 帝 紀 ﹂ 二 巻 に 解 し た 。 し か し 、 小 島 憲 之 の 指 摘 の 如 く 、 こ の ﹁ 日 本 書 ﹂ は ﹁ 漢 書 ( 漢 籍 ) ﹂ に 対 置 さ れ る 普 通 名 詞 (   ) で ﹁ 和 書 ﹂ の 語 と 同 義 で あ る 。 ﹃ 日 本 紀 ﹄ 以 外 に 、 更 に 文 献 的 徴 証 の な い ﹃ 日 本 書 ﹄ な る 史 書 の 存 在 を 想 定 す る の は 、 新 た な 謎 を 生 み 議 論 を 複 雑 に す る だ け で あ る 。 ﹁ 古 記 ﹂ ・ ﹃ 万 葉 集 ﹄ 左 注 に み え る ﹁ 日 本 ま ず 書 紀 ﹂ の 用 例 に 全 く ふ れ な い の も 拙 い 。 松 本 裕 美 も ﹃ 漢 紀 ﹄ に 注 目 す る の は 折 口 に 同 じ い が 、 着 眼 点 は 違 う 。 松 本 は ﹃ 漢 紀 ﹄ ﹁ 序 ﹂ に み え る ﹁ 漢 書 紀 ﹂ の 表 現 に ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 命 名 ( 19 ) の 典 拠 を も と め る 。 ﹁ 序 ﹂ の 問 題 の 条 は 次 の 通 り 。 昔 晋 之 乗 、 楚 之 檮 机 、 魯 之 春 秋 、 虞 ・ 夏 ・ 商 ・ 周 之 書 、 其 揆 一 也 。 皆 古 之 令 典 、 立 之 則 成 其 法 、 棄 之 則 墜 於 地 、 瞻 之 則 存 、 忽 焉 則 廃 、 ヘ ヘ へ 故 君 子 重 之 、 漢 書 紀 其 義 同 矣 。 右 引 用 文 の 末 尾 を 松 本 は ﹁ 漢 書 紀 そ の 義 同 じ ﹂ に 訓 み 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 者 は こ れ を み た と い う 。 松 本 に よ れ ば 、 ﹁ 漢 書 紀 ﹂ は ﹁ 漢 紀 ﹂ の 異 九 九

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﹃日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 序 説 (池 田 昌 広 ) 名 に 解 さ れ る 。 編 年 体 史 籍 で あ る ﹃漢 紀 ﹄ が ﹁ 漢 書 紀 ﹂ と も 名 乗 っ た と す れ ば 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ が い う ﹃ 日 本 紀 ﹄ も ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ と 称 さ れ て も よ い 、 と い う 論 法 で あ る 。 松 本 の 見 解 は ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 纂 が ﹃漢 紀 ﹄ を 参 照 し て 行 わ れ た と い う 前 提 に 立 っ て い る が 、 こ れ は 大 い に 疑 問 で あ る 。 折 口 説 へ の 批 判 の 中 で 既 述 し た が 、 ﹃ 漢 紀 ﹄ か ら の 文 章 潤 色 は 今 の と こ ろ 考 え 難 い 。 撰 ( 20 ) 上 以 前 の 舶 載 も 確 認 で き ず 、 松 本 の 前 提 は 根 拠 が な い 。 ( 21 ) 最 後 に 小 島 憲 之 の 所 論 に ふ れ て お く 。 小 島 説 の 特 徴 は ﹁ 日 本 紀 ﹂ ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 併 存 関 係 を 認 め る 点 に あ る 。 す な わ ち 、 前 者 を ﹁ ﹁ 国 史 ﹂ (日 本 の 史 書 ) を 示 す 普 通 名 詞 ﹂ に 後 者 を ﹁ 述 作 物 と し て の 書 名 ﹂ に 解 釈 し 、 奈 良 時 代 の 両 名 並 用 を 推 定 し た 。 ﹃ 万 葉 集 ﹄ 左 注 に ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 混 在 す る 原 因 を も こ の 論 法 で 説 明 し た 。 ま た 、 前 掲 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 養 老 四 年 条 の ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 表 現 は ﹁ 当 時 の 史 書 と し て の 通 称 ﹂ で あ っ て 、 上 代 人 の 書 名 へ の 感 覚 は 大 ら か で あ っ た と 、 現 代 人 と の 文 字 表 記 の 感 覚 的 相 違 を 以 て 解 釈 し た 。 小 島 が ﹁ 日 本 紀 ﹂ を 普 通 名 詞 に 解 し た 文 献 的 根 拠 は や や 時 代 の 下 っ ( 22 ) た ﹃ 日 本 後 紀 ﹄ で あ る 。 確 か に 平 安 時 代 ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 用 法 中 、 国 史 の 語 義 に 略 ぼ 等 し い 普 通 名 詞 化 し た ﹁ 日 本 紀 ﹂ が み ら れ る こ と は 事 実 に ( 23 ) 認 め ら れ る 。 し か し ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 以 降 そ の 間 に ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 用 法 に 一 部 変 容 が あ っ た 可 能 性 が あ り 、 撰 上 当 初 か ら 普 通 名 詞 で あ る こ と の 論 拠 に は な ら な い 。 更 に 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に 続 く 国 史 が ﹁ 続 日 本 紀 ﹂ と い う ﹁ 日 本 紀 ﹂ を 継 承 し た 名 義 を 名 乗 っ て お り 、 こ れ が ﹁ 通 称 ﹂ に ( 24 ) も と つ く と は 考 え 難 い 。 一 〇 〇 こ れ で ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 名 義 を 論 じ た 主 要 な 見 解 を 説 き 終 わ る 。 こ れ を 要 す る に 、 今 日 我 々 の 目 に し 得 る 書 名 論 関 連 諸 史 料 を 一 貫 し た 論 理 で 矛 盾 な く 説 明 し た 研 究 は 未 だ 現 れ て い な い 。 三 、 書 名 問 題 解 決 へ 向 け て 書 名 は 闇 雲 に つ け ら れ る の で は な い 。 命 名 の 意 図 は さ ま ざ ま だ が 、 第 三 者 に よ る 通 称 で さ え 説 明 に 耐 え る 何 某 か の 由 緒 が 必 ず あ る 。 書 物 命 名 の 本 質 、 少 な く と も そ の 一 つ は 、 そ の 書 籍 に 関 す る 情 報 の 付 託 に あ る 。 名 義 の 付 与 対 象 の 制 作 目 的 或 は 編 著 者 の 希 望 、 命 名 の 対 象 書 籍 ゆ か り と 縁 の あ る 人 名 地 名 等 の 固 有 名 詞 と い っ た 何 某 か の 情 報 が 書 名 に は 込 め ら れ る 。 そ う し て 与 え ら れ た 書 名 は 書 籍 の 実 態 と 何 ら か の 事 情 を 共 有 し て い る 。 順 序 と し て 書 名 の 理 は 書 物 の 理 で も あ る 。 こ の 実 に 当 た り 前 の こ と が 従 来 の 書 名 論 で は や や 等 閑 視 さ れ て 来 た の で は な い か 。 ﹁ 紀 ﹂ ﹁ 書 ﹂ の 漢 土 で の 用 法 の 詮 索 に 偏 り 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 自 体 の 姿 へ の 観 察 が 疎 か で あ っ た 嫌 い 無 し と し な い 。 書 名 論 に 参 画 す る 者 は こ の 書 名 に 盛 込 ま れ た 情 報 を 読 み 解 か な く て は な ら な い 。 我 々 の 現 実 に 目 睹 し て い る 書 名 は ﹃続 日 本 紀 ﹄ 前 掲 条 等 に み え る ﹁ 日 本 紀 ﹂ と 古 写 本 他 の 書 留 め た ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ と の 二 種 し か な い 。 も う 少 し 限 定 を 加 え れ ば ﹁ 紀 ﹂ と ﹁書 紀 ﹂ と で あ る 。 こ の 都 合 三 文 字 が 表 現 す る 情 報 を 過 不 足 無 く 読 む こ と 、 書 名 論 は こ れ を 銘 記 し て 想 を 馳 せ な く て は な ら な い 。 ﹁ 日 本 書 ﹂ は あ く ま で 推 測 の 産 物 に 過 ぎ ず 、 当 面 の 考 察 か ら は 除 外 さ れ る 。

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中 国 の 史 籍 、 特 に 官 撰 の 史 書 を 読 解 し た 幾 ば く か の 経 験 の 所 有 者 は 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 閲 読 の 第 一 頁 よ り 恐 ら く 奇 異 の 感 想 を も っ た の で は な か ろ う か 。 通 常 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ は 中 国 の 史 書 を 手 本 に 編 綴 さ れ た と 説 か れ て い る 。 常 識 的 に 、 直 接 に は 朝 鮮 半 島 就 中 百 済 撰 述 の 史 籍 を 参 考 し た 可 能 性 を 残 し な が ら も 、 中 国 の 修 史 に 影 響 を 受 け た こ と 、 略 ぼ 定 論 に 思 わ れ る 。 奇 異 に 感 ず る の は 冒 頭 の 天 地 開 闢 か ら 始 ま る 神 代 巻 の 存 在 で あ る 。 斯 く の 如 き 体 例 を 持 っ た 史 書 を 現 存 漢 籍 中 に 見 出 し 難 い 。 漢 籍 史 部 書 に 範 を と っ た は ず の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に 類 似 の 漢 籍 が 見 当 た ら な い の は 、 ど う し た こ と で あ ろ う か 。 奇 異 を 感 ず る 主 因 は 、 こ の 撞 着 に あ ろ う 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 体 例 は 通 常 、 編 年 体 と い わ れ る 。 確 か に 間 違 い で は な い 。 し か し ﹃漢 書 ﹄ ﹁ 藝 文 志 ﹂ 以 来 の 現 存 漢 籍 目 録 を 一 覧 す る に 、 史 部 の 分 類 の 一 項 と し て ﹁ 編 年 ﹂ 類 が 登 場 す る の は ﹃ 旧 唐 書 ﹄ ﹁ 経 籍 志 ﹂ を 嚆 矢 と し 以 後 定 着 す る 。 幾 分 詳 細 を い え ば 旧 志 は 、 開 元 年 間 、 毋 軣 の 撰 し た ﹃古 今 書 録 ﹄ 四 十 巻 を 流 用 し た も の で あ る 。 開 元 九 年 ( 七 二 一 ) 殷 践 猷 等 に よ り ﹃ 群 書 四 部 録 ﹄ 二 百 巻 が 成 り 、 後 ち に こ れ を 四 十 巻 に 略 編 し た の が ﹃ 古 今 書 録 ﹄ で あ る 。 旧 志 上 巻 ( ﹃ 旧 唐 書 ﹄ ヘ ヘ へ 巻 四 六 ) に 冠 せ ら れ た 旧 志 の 序 文 に は ﹁ 乙 部 為 史 、 ⋮ ⋮ 二 日 古 史 、 以 紀 編 年 繋 事 ﹂ と い い 、 類 目 を ﹁ 編 年 ﹂ で な く ﹁ 古 史 ﹂ に 呼 ん で い る 。 こ れ は ﹃ 隋 書 ﹄ ﹁ 経 籍 志 ﹂ を 踏 襲 し た 類 目 で あ る 。 し か し 旧 志 本 文 で ヘ ヘ ヘ ヘ へ は ﹁ 乙 部 史 録 、 ⋮ ⋮ 正 史 類 一 、 編 年 類 二 、 ⋮ ⋮ ﹂ と あ り ﹁ 編 年 類 ﹂ を 称 し て い る 。 ﹁ 史 録 ﹂ の 文 字 か ら も 明 白 で あ る が 、 ﹃ 古 今 書 録 ﹄ の 類 名 と し て は ﹁ 編 年 ﹂ を と る べ き で 、 ﹃古 今 書 録 ﹄ は ﹁ 古 史 ﹂ で な く ﹁ 編 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 ( 二 〇 〇 七 年 三 月 ) ( 25 ) 年 ﹂ の 類 目 を 採 用 し た 極 初 の 例 と み な せ る 。 ﹃群 書 四 部 録 ﹄ の 成 っ た 開 元 九 年 が 日 本 の 養 老 五 年 、 す な わ ち ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 の 翌 年 で あ る 事 実 を ふ ま え れ ば 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ が 編 年 体 で あ る と は 単 純 に は い え な く な る 。 恐 ら く 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 実 態 を 編 年 体 と 称 す る こ と は 許 さ れ よ う が 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 纂 者 の 頭 脳 に あ っ た の は ﹁ 編 年 ﹂ の 史 体 で は な さ そ う で あ る 。 で は ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 体 例 と は ど う い っ た も の か 。 そ の 問 い は 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ が 範 と し た 書 ー 卑 俗 な 言 い 方 を す れ ば 種 本 ー の 体 例 を 問 う て い る に 同 じ い 。 私 見 で は そ の 体 例 は ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 原 題 に よ っ て 表 現 さ れ て い た は ず の 史 体 と 思 わ れ る 。 論 頭 に 引 用 し た ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 を 記 し た 条 文 の ﹁ 日 本 紀 ﹂ に 誤 写 が な い と す れ ば 、 書 名 論 の 議 論 の 方 向 は 、 ﹁ 日 本 紀 ﹂ が 何 故 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ に な っ た の か 、 の 一 方 で し か あ り 得 な い 。 先 ず は ﹁ 日 本 紀 ﹂ を 原 題 に 認 め て 考 察 を 出 発 さ せ 、 撰 上 十 八 年 後 の 天 平 十 年 頃 に 何 故 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 用 例 が 登 場 し た か を 説 明 す る の が 望 ま し い 。 要 す る に 、 現 存 文 献 と い う 現 状 を 一 字 も 変 更 せ ず 合 理 的 説 明 を 施 す に 越 し た こ と は な い 。 そ の 意 味 で 私 に 示 唆 を 与 え る の は 、 ﹁ 日 本 紀 ﹂ を 原 題 に 認 定 し ﹁書 ﹂ 字 を 後 ち の 追 加 に 考 え る 前 述 伴 信 友 の 見 解 で あ る 。 私 に は 、 こ の 信 友 の 説 は 議 論 の 方 向 と し て 正 し い と 思 わ れ る 。 私 が 此 処 で 想 起 し た い の は 、 六 朝 時 代 を 通 じ て 盛 行 し た 、 成 立 当 初 ( 26 ) 唯 だ ﹁ 帝 紀 ﹂ と の み 呼 ば れ て い た ﹁ 通 史 ﹂ と い う 一 連 の 史 籍 で あ る 。 呉 ・ 韋 昭 ﹃ 洞 紀 ﹄ 、 呉 ・ 徐 整 ﹃ 三 五 暦 紀 ﹄ 、 晋 ・ 皇 甫 謐 ﹃ 帝 王 世 紀 ﹄ 、 梁 ・ 武 帝 の 命 に よ り 呉 均 等 が 編 ん だ 大 部 の ﹃通 史 ﹄ 等 が そ れ で 、 已 に 一 〇 一

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﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 序 説 (池 田 昌 広 ) 散 佚 し 現 代 の 我 々 は 類 書 な ど か ら 佚 文 を 集 め た 輯 本 し か み る を 得 な い 。 戸 川 芳 郎 は こ の 史 体 に つ い て ﹁ ﹁ 古 史 ﹂ と 言 い ﹁ 通 史 ﹂ と 称 す る こ の 史 体 は 、 か く て 後 漢 に 興 起 し た 経 学 史 観 と も 称 す べ き 、 三 皇 ・ 五 帝 の 帝 王 統 治 を 重 ね あ わ せ た 礼 教 国 家 的 歴 史 観 を ベ ー ス に し て 、 細 密 な 暦 数 の 操 作 を 加 え た 緯 書 説 に よ る 年 代 観 を 軸 に し て 、 成 立 し た こ と が 理 解 さ れ る 。 ﹂ と 述 べ た 後 と ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に 論 及 し ﹁ う え に 述 べ た ヘ へ 帝 紀 も の の ﹁ 通 史 ﹂ に 、 ま ぎ れ も な く 合 致 す る 史 体 の 歴 史 書 と い う こ と に な ろ う 。 (中 略 ) ﹁ 通 史 ﹂ の 史 体 を 摸 擬 し て 決 定 的 な 体 裁 を と る の は 、 ﹃ 書 紀 ﹄ 開 巻 の 冒 頭 に あ る 、 か の 有 名 な 天 地 創 造 の 一 文 で あ る 。 ヘ へ (中 略 ) 天 地 開 闢 の さ ま を 冠 す る 史 体 が 、 魏 晋 こ の か た 六 朝 期 ﹁ 通 史 ﹂ の 常 例 で あ っ た こ と は 、 以 上 の 説 明 で 明 ら か で あ ろ う 。 ﹃ 書 紀 ﹄ は 、 ( 27 ) そ の 体 裁 を 踏 襲 し た ま で で あ る ( 圏 点 は 戸 川 ) ﹂ と 続 け た 。 戸 川 の 見 解 は 、 私 に は 正 当 な 理 解 に 思 わ れ る 。 さ き の 撞 着 は 模 倣 の 対 象 が 佚 書 で あ る こ と 、 天 地 開 闢 か ら 説 き 起 こ す の が ﹁ 通 史 ﹂ の 常 例 で あ る こ と に 解 決 す る 。 戸 川 の 理 解 か ら 帰 納 さ れ る の は ﹃日 本 書 紀 ﹄ は 六 朝 史 学 の 所 産 と い う こ と だ 。 そ し て ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 所 載 ﹁ 日 本 紀 ﹂ と い う 名 義 ( 28 ) の 典 実 と な っ た 文 献 も 明 ら か に な っ て く る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 完 成 は ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ に よ っ て 養 老 四 年 に 確 定 で き る が 、 編 纂 開 始 の 時 期 は 明 示 す る 史 料 が 無 く 不 明 と い う し か な い 。 し か し 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 成 書 に 直 接 連 続 す る か は 疑 問 を 残 し な が ら 、 こ れ に 結 実 す る 修 史 事 業 の 開 始 を 天 武 朝 に も と め る こ と が で き る 。 そ れ を 明 か す の は 天 武 紀 十 年 三 月 丙 戌 条 の 有 名 な 記 載 で あ る 。 す な わ ち 、 天 武 が 河 嶋 皇 子 等 十 二 人 に ﹁ 帝 紀 ﹂ 及 び ﹁ 上 古 諸 事 ﹂ の ﹁ 記 定 ﹂ を 命 じ た 一 〇 二 記 事 で あ る 。 該 条 の 指 示 す る と こ ろ に つ い て 多 く が 闇 の 中 と い わ ざ る を 得 な い 。 文 中 の ﹁ 帝 紀 ﹂ も 固 有 名 詞 か 普 通 名 詞 か 明 瞭 で な い が 、 少 な く と も ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 述 作 者 の 表 現 で な く 天 武 朝 当 時 の 意 識 が ﹁ 帝 紀 ﹂ に 表 現 し た と 通 常 解 さ れ る 。 記 定 事 業 が ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に 結 実 す る こ と を 含 め れ ば 、 已 に 天 武 朝 の 修 史 の 意 識 に 六 朝 の ﹁ 帝 紀 ﹂ の 影 を み る の ( 29 ) は 自 然 と 思 わ れ る 。 既 述 の 如 く 私 は 戸 川 の 見 解 を 支 持 す る が 、 戸 川 は ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 に ア イ デ ア を 提 供 す る に 止 ま り 、 論 頭 に 列 挙 し た 文 献 に 添 っ た 一 切 ( ° ) の 論 証 を 缺 く 。 書 名 論 に は 、 ま だ 実 証 の 作 業 が 残 っ て い る 。 前 章 に 紹 介 し た b 説 が ﹁ 日 本 書 ﹂ と い う ば あ い 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ は 未 完 の 史 籍 に 扱 わ れ る こ と が 多 い 。 ﹁ 日 本 書 ﹂ を 原 名 に 認 め た 際 の 暗 黙 の 了 解 が 、 ﹁ ○ ○ 書 ﹂ " 紀 伝 体 11 正 史 と い う 図 式 で あ る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 史 体 が 紀 伝 体 で あ れ ば 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ は 本 紀 の み で 志 ・ 列 伝 を 缺 く 不 完 全 な 史 書 と い う こ と に な る 。 し か し 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 三 十 巻 は 完 結 し た 史 書 に 考 え る べ き で あ る 。 ﹁ 本 紀 の み あ っ て 志 ・ 列 伝 を 缺 く ﹂ ﹁ 当 時 の 事 情 で 志 ・ 列 伝 が 出 来 ず 本 紀 の み 成 書 し た ﹂ と い っ た い い 方 が 屡 ば 聞 か れ る が 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 纂 者 は 与 り 知 ら ぬ こ と で は な か ろ う か 。 こ れ ら の 論 法 は ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 纂 者 が 志 ・ 列 伝 の 撰 述 を 計 画 し た と い う 前 提 、 つ ま り 紀 伝 体 史 書 へ の 志 向 を 無 条 件 に 認 定 し た 結 果 必 然 的 に 現 れ る 理 解 で あ る 。 し か し 、 さ き に 述 べ た よ う に 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 纂 が 紀 伝 体 を 志 向 し た と い う 証 拠 は 全 く な い 。 紀 伝 体 へ の 志 向 と い う 推 定 と 、 原 名 が ﹁ 日 本 書 ﹂ で あ る と い う 推 定 と は 相 互 保 証 的 な 関 係 に あ る 。 そ れ は 推 定 A を 根 拠 に 推 定 B を 導 き 、 且 つ 推 定 B を 根 拠 に 推 定 A

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を 導 く と い う 循 環 論 法 に 陥 っ て い る 。 し か し 、 ﹁ 日 本 紀 ﹂ が ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ に な っ た と 仮 定 し て 、 そ の ﹁ 書 ﹂ 字 の 解 釈 に つ い て 、 b 説 の 発 想 す な わ ち 紀 伝 体 史 籍 ﹃日 本 書 ﹄ の ﹁ 紀 ﹂ と い う 解 法 は 継 承 す る 価 値 が あ る と 考 え る 。 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ と い う 書 名 の 最 も 常 識 的 な 訓 み で あ る か ら だ 。 こ の よ う に ﹁ 日 本 紀 ﹂ か ら ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ へ の 名 義 変 容 を 視 野 に 入 れ れ ば 、 a b 両 説 問 の 隔 絶 は そ れ 程 深 刻 で は な い 。 問 わ れ る べ き は 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 名 が 登 場 し た 理 由 で あ る 。 こ れ ま で の 書 名 論 は 紀 伝 体 11 書 と 編 年 体 11 紀 と を 対 置 し た 比 較 的 単 純 な 議 論 を 繰 り 返 し て き た 。 こ れ は ﹃隋 書 ﹄ ﹁ 経 籍 志 ﹂ に 惑 わ さ れ た か ら で は な い か 。 隋 志 の 分 類 は 六 朝 の 学 藝 を 忠 実 に 反 映 し た も の で は ( 1M ) な く 、 初 唐 の 新 し い 学 問 に よ っ て い る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ と の 関 連 で は 、 隋 志 が 紀 伝 体 の 史 書 を ﹁ 正 史 ﹂ と 初 め て 称 し 史 部 の 冒 頭 に 置 い た 点 は 重 要 で あ る 。 私 は 小 稿 劈 頭 を ﹁ 屡 ば 本 邦 第 一 の 正 史 な ど と 説 か れ ﹂ 云 々 と 始 め た が 、 こ の ﹁ 正 史 ﹂ の 概 念 は 比 較 的 新 し い の で あ る 。 六 朝 的 な ﹁ 通 史 ﹂ を ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 纂 者 が 志 向 し た と す れ ば 、 ﹁ 正 史 ﹂ の ( 32 ) 概 念 を 知 っ て い た か ど う か 、 疑 団 を 抱 か ざ る を 得 な い 。 但 だ 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ が ﹁ 日 本 書 の 紀 ﹂ で あ る と す れ ば 、 ﹁ 古 記 ﹂ の 成 っ た 天 平 十 年 頃 ま で に は ﹁ 正 史 ﹂ の 概 念 が も た ら さ れ た の で は な か ろ う か 。 書 名 問 題 解 決 の 重 要 な 鍵 を 握 る の は 、 ﹁ 正 史 ﹂ と い う 発 想 の 本 邦 へ ( MM ) の 伝 来 時 期 の 解 明 に あ る と 、 私 は 思 う の で あ る 。 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 (二 〇 〇 七 年 三 月 ) ︹ 注 ︺ ( 1 ) し か し 近 年 、 森 博 達 ﹃ 日 本 書 紀 の 謎 を 解 く 述 作 者 は 誰 か ﹄ 中 央 公 論 新 社 (中 公 新 書 ) 、 一 九 九 九 に よ っ て 成 書 の 過 程 、 述 作 者 の 具 体 が 明 ら か に さ れ 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 研 究 は 新 た な 段 階 に 入 っ た 。 私 が 書 名 問 題 を 論 じ よ う と 考 え た の も 森 の 著 書 か ら 受 け た 刺 激 に よ る と こ ろ が 大 き い 。 ( 2 ) 皇 學 館 大 學 史 料 編 纂 所 編 ﹃続 日 本 紀 史 料 ﹄ 四 、 皇 學 館 大 學 出 版 部 、 二 〇 〇 一 、 四 四 六 頁 に 各 書 該 当 条 文 が 並 列 さ れ 参 照 に 便 で あ る 。 な お 、 本 文 ヘ へ に ﹁ 略 ぼ 同 文 ﹂ と い っ た の は 、 ﹃日 本 紀 略 ﹄ が ﹁舎 人 ﹂ の 二 字 を 缺 く た め で あ る 。 (3 ) 宮 部 香 織 ﹁大 宝 令 注 釈 書 ﹁ 古 記 ﹂ に つ い て 1 研 究 史 の 整 理 と 問 題 点 ﹂ 國 學 院 大 學 に 日 本 文 化 研 究 所 紀 要 九 〇 ' 1 10 0 二 が ﹁ 古 記 ﹂ 研 究 史 と 現 在 の 到 達 点 と を 整 理 し 利 便 を 与 う 。 ( 4 ) 市 瀬 雅 之 ﹁ ﹁ 左 注 ﹂ の 物 語 化 1 ﹃ 万 葉 集 ﹄ 巻 十 六 ・ 三 八 二 二 ∼ 二 三 番 歌 の 場 合 ﹂ 同 朋 文 学 三 一 " 1 10 0 11 1、 四 頁 。 ( 5 ) 六 番 歌 左 注 所 引 ﹃類 聚 歌 林 ﹄ の 引 く ﹁ 記 ﹂ を ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に 解 せ ば 、 合 計 は 十 八 例 に な る 。 し か し 、 ﹃類 聚 歌 林 ﹄ は ﹃日 本 書 紀 ﹄ を 参 照 し て い な い よ う で 、 そ の 可 能 性 は 考 え 難 い 。 例 え ば 、 比 護 隆 界 ﹁ 類 聚 歌 林 の 編 纂 ﹂ 上 代 文 学 三 三 、 一 九 七 三 、 一 六 -一 七 頁 、 吉 井 巌 ﹁ 萬 葉 集 巻 一 、 二 の 左 註 に つ い て ー 日 本 書 紀 の 引 用 を 中 心 に ﹂ 犬 養 孝 博 士 米 寿 記 念 論 集 刊 行 委 員 会 編 ﹃万 葉 の 風 土 ・ 文 学 犬 養 孝 博 士 米 寿 記 念 論 集 ﹄ 塙 書 房 、 一 九 九 五 、 = 一ニ ー = 二 五 頁 な ど 参 看 。 但 し 私 は 、 ﹁ 記 日 ﹂ 二 字 を 衍 字 に 処 理 す る 吉 井 説 に 同 意 す る 者 で は な い 。 私 見 は 、 吉 井 が 斥 け た ﹃萬 葉 集 精 考 ﹄ の 、 ﹁ 記 ﹂ を ﹁古 記 録 ﹂ に 推 定 す る 考 え に 傾 く 。 ( 6 ) 旧 国 歌 大 観 番 号 で そ の 所 在 を 示 し て お く 。 ﹁ 日 本 紀 ﹂ ⋮ ⋮ 二 四 、 三 四 、 三 九 、 四 四 、 五 〇 、 九 〇 、 一 九 三 、 一 九 五 、 二 〇 二 。 一 〇 三

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﹃日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 序 説 (池 田 昌 広 ) ﹁紀 ﹂ 七 、 一 五 、 二 一 、 二 二 、 二 七 、 一 五 八 。 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ ⋮ 六 、 十 八 。 ( 7 ) 伴 信 友 ﹁ 日 本 書 紀 考 ﹂ ﹃ 比 古 婆 衣 ﹄ 巻 一 、 ﹃伴 信 友 全 集 ﹄ 四 、 国 書 刊 行 会 、 一 九 〇 七 。 (8 ) 神 田 喜 一 郎 ﹁ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ と い ふ 書 名 ﹂ ﹃ 神 田 喜 一 郎 全 集 ﹄ 八 、 同 朋 舎 、 一 九 八 七 。 初 出 一 九 六 五 。 坂 本 太 郎 ﹃ 六 国 史 ﹄ 吉 川 弘 文 館 、 一 九 七 〇 は 神 田 説 支 持 を 表 明 す る が 、 ﹁ 書 紀 の 撰 者 に 紀 伝 体 の 正 史 を 作 ろ う と い う 意 志 が あ っ た こ と を 示 し た も の と は 言 え な い ﹂ (四 八 頁 ) と い い ﹁書 ﹂ 字 採 用 の 動 機 に は 異 見 を も つ よ う で あ る 。 ( 9 ) 粕 谷 興 紀 ﹁ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ と い う 書 名 の 由 来 ﹂ 上 下 、 皇 學 館 論 叢 一 六 -二 ・ 三 、 一 九 八 三 。 ( 10 ) 近 藤 正 斎 ﹃ 正 斎 書 籍 考 ﹄ ﹃右 文 故 事 ﹄ 並 に ﹃近 藤 正 斎 全 集 ﹄ 二 、 国 書 刊 行 会 、 一 九 〇 六 。 小 川 琢 治 ﹁ 李 唐 本 後 漢 書 の 考 察 ﹂ ﹃ 桑 原 博 士 還 暦 記 念 東 洋 史 論 叢 ﹄ 弘 文 堂 書 房 、 一 九 三 〇 。 正 斎 の 論 考 は あ く ま で 版 本 研 究 の 一 環 で あ っ て 、 公 望 ﹁ 師 説 ﹂ に 言 及 し 賛 意 を 示 す 口 吻 な が ら 明 瞭 な 言 辞 を 缺 く 。 小 川 の 論 考 も 書 名 論 の 専 論 で は な く 、 主 要 な 関 心 は 范 書 の 唐 代 鈔 本 の 復 元 に あ る 。 そ の 一 部 で 、 小 川 は 正 斎 の 議 論 を 承 け 、 焼 失 の 図 書 寮 本 と 同 一 の 書 込 み (﹁ 家 本 後 漢 書 紀 ﹂ ) を 持 つ 別 本 を も 挙 げ 異 本 の 流 伝 を 主 張 し ﹁ 師 説 ﹂ 支 持 を 表 す 。 但 し 両 者 と も 支 持 の 具 体 は 明 ら か で な い 。 粕 谷 説 の 如 く 、 撰 上 当 初 よ り ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 名 義 で あ っ た か 否 か を 発 言 し な い 。 ( 11 ) ﹃新 修 平 田 篤 胤 全 集 ﹄ 五 、 名 著 出 版 、 一 九 七 七 、 書 名 に 論 じ 及 ぶ の は 五 〇 1 五 二 頁 。 ( 12 ) 小 島 憲 之 ﹃上 代 日 本 文 学 と 中 国 文 学 ﹄ 上 、 塙 童 旦 房 、 一 九 六 二 、 第 三 編 第 三 章 ﹁ 出 典 考 ﹂ 。 私 は 抑 も 范 書 の 潤 色 利 用 自 体 を 疑 っ て い る 。 後 漢 時 代 の 歴 史 を 記 し た 史 書 は 范 書 の み で は な か っ た 。 梁 代 に 已 に 失 わ れ て い た 一 〇 四 范 書 の 志 の 代 り に そ の 志 を 合 刻 さ れ た 晋 ・ 司 馬 彪 ﹃続 漢 書 ﹄ を は じ め 九 家 後 漢 書 は 紀 伝 体 で あ り 、 編 年 体 の 晋 ・ 袁 宏 ﹃後 漢 紀 ﹄ 、 晋 ・ 張 蟠 ﹃後 漢 紀 ﹄ が あ っ た 。 紀 伝 体 で 現 存 し て い る の が 范 書 の み と い う だ け で あ る 。 范 書 が 流 行 し 今 日 に 伝 わ っ た の は 唐 ・ 章 懐 太 子 李 賢 が 施 注 し た か ら で あ る 。 そ れ 以 前 、 後 漢 時 代 の 史 事 は 後 漢 ・ 劉 珍 等 ﹃東 観 漢 紀 ﹄ が 重 ん じ ら れ 、 ﹁ 三 史 ﹂ と い う 場 合 も 、 司 馬 遷 ﹃史 記 ﹄ 、 班 固 ﹃漢 書 ﹄ に ﹃東 観 漢 紀 ﹄ を 加 え た メ ン バ ー が 主 説 で あ っ た 。 李 賢 施 注 以 後 、 范 書 が ﹃東 観 漢 紀 ﹄ に 取 っ て 代 り 現 行 の ﹁ 三 史 ﹂ の 組 合 せ と な っ た 。 そ の 後 ﹃東 観 漢 紀 ﹄ は 早 い 時 期 に 滅 ん だ よ う で あ る 。 范 書 の 文 章 は 主 と し て 官 撰 の ﹃東 観 漢 紀 ﹄ を 下 敷 き に し て お り 類 似 が 著 し い 。 潤 色 が 范 書 に よ っ た か 否 か は 、 類 書 に 引 用 さ れ た ﹃東 観 漢 紀 ﹄ の 文 章 が ど の 程 度 正 確 で あ っ た か も 含 め 慎 重 な 判 断 が 必 要 で あ る 。 ま た 、 李 賢 は 則 天 武 后 に よ っ て 自 殺 さ せ ら れ 庶 人 に 落 と さ れ て お り 、 名 誉 回 復 は 則 天 武 后 の 死 後 で あ る 。 と す れ ば 范 書 の 流 行 も 遅 れ 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ 撰 上 以 前 に 范 書 が 伝 来 し て い た か 否 か も 追 考 が 必 要 で あ る 。 但 し こ れ ら を 述 べ る に は 一 文 を 草 さ ね ば な ら な い 。 ﹃ 東 観 漢 記 ﹄ の 問 接 利 用 の 可 能 性 に つ い て は 、 山 田 英 雄 ﹁ 日 本 書 紀 即 位 前 紀 に つ い て ﹂ 日 本 歴 史 三 六 八 、 一 九 七 九 、 九 -1 0 1 頁 を 、 ﹁ 三 史 ﹂ の 各 説 に つ い て は 、 戸 川 芳 郎 ﹁ 四 部 分 類 と 史 籍 ﹂ 東 方 学 八 四 、 一 九 九 二 、 注 (3 ) を 参 看 の こ と 。 ( 13 ) 中 畠 俊 彦 ﹁ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 書 名 に 関 す る 考 察 i 中 国 史 学 史 の 観 点 か ら ﹂ 日 本 文 化 環 境 論 講 座 紀 要 二 、 二 〇 〇 〇 。 (14 ) 山 田 英 雄 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 教 育 社 、 一 九 七 九 、 五 〇 頁 。 ( 15 ) ﹃ 風 土 記 ﹄ 編 纂 の 目 的 を ﹁ 正 史 ﹁ 日 本 書 ﹂ の 構 想 を 実 現 す る た め の ﹃日 本 書 ﹄ ﹁志 ﹂ の 資 料 を 収 集 す る ﹂ こ と に 求 め た 見 解 が あ る ( 三 浦 佑 之 ﹁ 日 本 書 ﹁ 志 ﹂ の 周 辺 ﹂ 国 語 と 国 文 学 八 一 i 一 一 ' 1 1 0 0 四 。 右 引 用 は そ の 二 一 頁 ) が 、 同 様 に 論 拠 薄 弱 で 私 は 従 え な い 。

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( 16 ) 折 ロ 信 夫 ﹁ 日 本 書 と 日 本 紀 と ﹂ ﹃ 折 口 信 夫 全 集 ﹄ 一 、 中 央 公 論 社 、 一 九 六 五 。 初 出 一 九 二 六 。 ( 17 ) 前 掲 、 小 島 ﹃上 代 日 本 文 学 と 中 国 文 学 ﹄ 上 、 三 四 七 頁 。 ( 18 ) 前 掲 、 小 島 ﹃上 代 日 本 文 学 と 中 国 文 学 ﹄ 上 、 二 九 一 -二 九 二 頁 。 ( 19 ) 松 本 裕 美 ﹁ 日 本 書 紀 、 続 日 本 紀 と 中 国 編 年 体 史 書 -二 、 三 の 問 題 点 を め ぐ っ て ﹂ 國 學 院 雑 誌 八 三 ー 一 1 ' 1 九 八 i l ・ 1 1 ° な お 松 本 に は 先 に ﹁ 日 本 書 紀 か ら 続 日 本 紀 へ ー 中 国 の 修 史 思 想 と 関 連 し て ﹂ 東 京 女 学 館 短 期 大 学 紀 要 四 、 一 九 八 二 ・ 二 が あ り ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 書 名 問 題 に 言 及 し て い る が 、 前 記 論 文 で 書 名 論 を 再 説 し て お り 松 本 の 定 見 と み な し 得 る の で 、 松 本 説 は 凡 そ 前 者 に よ っ た 。 な お 、 松 本 は 当 該 ﹁序 ﹂ を 苟 悦 の 自 序 に 認 め る よ う だ が 、 恐 ら く 第 三 者 の 筆 で あ る 。 論 拠 は 、 范 書 巻 六 二 荀 悦 伝 所 引 ﹃漢 紀 ﹄ 自 序 の 文 が ﹁序 ﹂ に み え な い こ と 、 ﹁ 序 ﹂ 中 の 荀 悦 の 呼 称 が 自 称 と し て は 不 自 然 な こ と 、 ﹁ 序 ﹂ 書 出 が 自 序 と し て は 不 自 然 な こ と 、 以 上 で あ る 。 ( 20 ) ﹁序 ﹂ の 本 文 引 用 部 分 末 尾 七 文 字 の 訓 み は 、 松 本 の そ れ が 常 識 的 で 他 の 訓 読 は 俄 に は 思 い 到 ら な い 。 し か し 、 こ う 訓 ん で も 文 意 を と り 難 い 。 も っ と も 、 松 本 説 の 要 点 は ﹃日 本 書 紀 ﹄ 命 名 者 が ﹁ 漢 書 紀 ﹂ の 表 現 を 踏 襲 し た と い う に あ り 、 訓 み の 如 何 は さ ほ ど 重 要 で は な い 。 ( 21 ) 前 掲 、 小 島 ﹃上 代 日 本 文 学 と 中 国 文 学 ﹄ 上 、 ﹁第 三 編 第 一 章 書 名 考 ﹂ 。 ( 22 ) ﹃ 日 本 後 紀 ﹄ 延 暦 十 六 年 二 月 条 に ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の 編 纂 所 を ﹁ 撰 日 本 紀 所 ﹂ と 称 し て い る 。 ( 23 ) 梅 村 玲 美 に よ れ ば ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 語 は 、 八 ∼ 十 世 紀 ま で は ﹃日 本 書 紀 ﹄ を 示 す 固 有 名 詞 、 十 一 世 紀 に は 判 断 が 微 妙 に な り 、 十 二 世 紀 に は ﹁ 六 国 史 の 総 称 ﹂ の 如 く 普 通 名 詞 の 確 実 な 用 例 が 現 れ る ら し い 。 梅 村 ﹁ ﹁ 日 本 紀 ﹂ と い う 名 称 と そ の 意 味 ー 平 安 時 代 を 中 心 と し て ﹂ 上 代 文 学 九 二 、 二 〇 〇 四 。 但 し 、 紫 式 部 が 一 条 帝 (在 位 九 八 六 1 1 0 1 1 ) よ り 受 け た 称 辞 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 (二 〇 〇 七 年 三 月 ) ﹁ 日 本 紀 の 御 局 ﹂ の ﹁ 日 本 紀 ﹂ は 、 六 国 史 の 総 称 と い う の が 当 今 源 氏 学 の 通 説 の 由 。 菅 原 道 子 ﹁ ﹁ 日 本 紀 の 局 ﹂ 私 考 1 ﹃ 書 紀 ﹄ の 受 容 を め ぐ っ て ﹂ び ぞ ん 八 七 、 一 九 九 三 、 二 二 頁 参 看 。 (24 ) こ こ に 柿 村 重 松 と 中 村 啓 信 と の 見 解 を 加 え て お く 。 柿 村 説 は 小 島 説 と 前 掲 粕 谷 説 の 中 間 と い え る 。 ﹁ 日 本 紀 ﹂ の 表 現 は ﹁ 当 時 一 般 の 称 呼 ﹂ で 、 ﹁ 続 紀 の 修 日 本 紀 な る 文 字 は 、 猶 ほ 撰 定 律 令 の 類 と 同 じ く 、 国 史 を 修 む と い ふ 程 の 意 に て 、 厳 正 に 書 名 を 具 録 せ る も の と は い ふ べ か ら ざ る に 似 た り ﹂ と 述 べ 小 島 の 処 理 に 略 ぼ 同 じ い 。 原 題 を ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ に 解 す る こ と は 粕 谷 に 等 し い 。 ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ の 語 義 を ﹁ 日 本 書 の 本 紀 ト に と る の は b 説 に 通 じ る 。 柿 村 ﹃ 上 代 日 本 漢 文 学 史 ﹄ ﹁ 第 二 十 章 日 本 書 紀 ﹂ 日 本 書 院 、 一 九 四 七 、 二 二 四 -二 二 五 頁 。 中 村 は ﹁ ﹁ 日 本 紀 が 本 来 の 名 で あ る ﹂ な ど と は 一 度 も 考 え た こ と が な ﹂ い と い う 。 明 確 な 言 辞 は な い が ﹁ 日 本 紀 ﹂ を ﹃日 本 書 紀 ﹄ の ﹁ 別 称 ﹂ に 認 め る よ う で あ る 。 中 村 ﹁ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ か ら ﹁ 日 本 紀 ﹂ へ ﹂ 神 野 志 隆 光 編 ﹃古 事 記 の 現 在 ﹄ 笠 間 書 院 、 一 九 九 九 。 ( 25 ) 例 え ば 倉 石 武 四 郎 ﹃目 録 学 ﹄ 汲 古 書 院 、 一 九 七 九 、 七 二 頁 参 看 。 初 出 一 九 七 三 。 ( 26 ) 戸 川 芳 郎 ﹁ 帝 紀 と 生 成 論 1 ﹃帝 王 世 紀 ﹄ と 三 気 五 運 ﹂ ﹃漢 代 の 学 術 と 文 化 ﹄ 研 文 出 版 、 二 〇 〇 二 参 看 。 初 出 一 九 七 六 。 ( 27 ) 戸 川 芳 郎 ﹁人 間 史 の こ と ﹂ ﹃漢 代 の 学 術 と 文 化 ﹄ 研 文 出 版 、 二 〇 〇 二 、 二 三 七 -二 三 八 頁 。 初 出 一 九 八 五 。 ( 28 ) ﹃古 事 記 ﹄ 序 文 も 冒 頭 、 生 成 論 を 説 く こ と よ り 起 筆 す る 。 此 処 に も 飛 鳥 時 代 よ り 奈 良 時 代 初 期 に か け て 本 邦 修 史 に 与 え た 六 朝 史 学 思 想 の 影 響 の 濃 さ を み る 。 瀬 間 正 之 ﹁古 事 記 序 文 開 闢 神 話 生 成 論 の 背 景 ﹂ 上 智 大 学 国 文 学 科 紀 要 一 八 、 二 〇 〇 一 参 看 。 ( 29 ) ﹃古 事 記 ﹄ 序 文 中 に も 、 ﹁ 帝 紀 ﹂ の 文 字 が 二 度 、 ﹁先 紀 ﹂ の 文 字 が 一 度 現 一 〇 五

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﹃日 本 書 紀 ﹄ 書 名 論 序 説 (池 田 昌 広 ) れ る 。 ﹁ 帝 紀 ﹂ の 文 字 は 天 武 の 詔 勅 中 に あ り 安 万 侶 の 表 現 で は な い 。 天 武 紀 に い う 記 定 事 業 は ﹃古 事 記 ﹄ 編 纂 に 直 接 関 係 し な い よ う で あ る が 、 記 紀 に 結 実 す る 修 史 事 業 の 草 創 に 共 通 す る ﹁帝 紀 ﹂ と 表 現 さ れ る 典 籍 の 存 在 は 、 記 紀 両 書 に 共 通 す る 開 闢 神 話 の 存 在 と 合 わ せ 、 天 武 朝 の 学 藝 、 少 な く と も 史 学 が 六 朝 の 濃 厚 な 影 響 下 に 在 っ た こ と を 示 唆 し て い る よ う に 思 わ れ る 。 笹 川 尚 紀 に よ れ ば ﹃古 事 記 ﹄ に 直 結 す る ﹁帝 紀 ﹂ ・ ﹁ 旧 辞 ﹂ の 完 成 は 舒 明 朝 ま で 遡 及 す る と い う 。 笹 川 ﹁ ﹁ 帝 紀 ﹂ ・ ﹁ 旧 辞 ﹂ 成 立 論 序 説 ﹂ 史 林 八 三 ー 11 1' 1 10 0 0 ° こ れ を 是 と す れ ば 奈 良 朝 下 に 完 成 す る 記 紀 は 各 々 、 筆 録 開 始 の 欽 明 朝 前 後 か ら 舒 明 朝 に 創 始 さ れ る ﹁ 通 史 ﹂ 体 史 籍 の 集 大 成 と い い 得 る か も し れ な い 。 ( 30 ) 勝 村 哲 也 は ﹃日 本 書 紀 ﹄ 冒 頭 の 有 名 な 天 地 開 闢 記 事 の 出 典 問 題 を 扱 い 、 小 島 憲 之 が 首 唱 し 通 説 化 し た 唐 代 の ﹃藝 文 類 聚 ﹄ 利 用 説 を 否 定 し 六 朝 末 の ﹃修 文 殿 御 覧 ﹄ 利 用 説 を と な え た 。 重 要 な 指 摘 で あ る 。 勝 村 に よ れ ば ﹃藝 文 類 聚 ﹄ 天 部 は ﹁六 朝 的 な 意 識 の 後 退 ﹂ し た 構 成 を と っ て お り 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 開 闢 論 の 論 理 と 齟 齬 を 生 じ て い る 。 次 い で ﹁ 日 本 書 紀 神 代 の 巻 は 、 は か ら ず も 中 国 の 六 朝 時 代 の 通 史 の 体 例 に 倣 っ て 書 き 始 め ら れ る こ と と な っ た と 理 解 し た い ﹂ と い い 戸 川 に 同 様 の 見 解 を 示 し た 。 勝 村 ﹁修 文 殿 御 覧 天 部 の 復 元 ﹂ 山 田 慶 兒 編 ﹃中 国 の 科 学 と 科 学 者 ﹄ 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 、 一 九 七 八 、 六 四 五 -六 四 八 頁 。 私 見 で は 神 代 巻 の み な ら ず 三 十 巻 を 通 じ て 通 史 の 影 響 下 に あ る と 考 え ら れ る 。 角 林 文 雄 も ﹃帝 王 世 紀 ﹄ に 代 表 さ れ る ﹁ 通 史 ﹂ の 史 観 の 記 紀 へ の 影 響 を 指 摘 す る 。 角 林 ﹁ ﹃日 本 書 紀 ﹄ ・ ﹃古 事 記 ﹄ 冒 頭 部 分 と 中 国 史 書 ﹂ 京 都 産 業 大 学 日 本 文 化 研 究 所 紀 要 六 、 二 〇 〇 一 。 瀬 間 正 之 も ﹃日 本 書 紀 ﹄ 開 巻 の 生 成 論 に 六 朝 ﹁ 帝 紀 ﹂ の 儀 軌 た る 可 能 性 を 説 く 。 瀬 間 ﹁ 日 本 書 紀 開 闢 神 話 生 成 論 の 背 景 ﹂ 上 智 大 学 国 文 学 科 紀 要 一 七 、 二 〇 〇 〇 。 ( 31 ) 前 掲 、 戸 川 ﹁ 四 部 分 類 と 史 籍 ﹂ 参 看 。 一 〇 六 ( 32 ) 唐 ・ 魏 徴 等 撰 ﹃隋 書 ﹄ が ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 潤 色 に 利 用 さ れ て い る こ と 、 已 に 小 島 憲 之 の 出 典 研 究 が 明 か し て い る 。 前 掲 、 小 島 ﹃上 代 日 本 文 学 と 中 国 文 学 ﹄ 上 、 三 五 四 -三 五 五 頁 。 小 島 に よ れ ば 、 ﹃隋 書 ﹄ 典 拠 の 文 は ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 全 巻 に 亘 っ て 有 る の で は な く 、 雄 略 紀 (巻 一 四 ) ・ 清 寧 紀 (巻 一 五 ) に 集 中 す る よ う で あ る 。 興 味 深 い の は そ の 出 曲 ハが 悉 く 高 祖 紀 で あ る こ と だ 。 已 に 詳 述 す る 紙 幅 に 恵 ま れ な い が 、 今 日 の ﹁ 経 籍 志 ﹂ を 含 む ﹃隋 書 ﹄ 十 志 三 十 巻 は 、 抑 も ﹃隋 書 ﹄ 本 紀 五 巻 ・ 列 伝 五 十 巻 と は 別 個 の 編 纂 作 業 に よ っ て そ れ に 遅 れ る こ と 二 十 年 に し て 成 っ た 単 行 の 書 で あ る (隋 志 は 六 五 六 年 成 ) 。 現 行 の 如 く ﹃隋 書 ﹄ に 附 属 さ れ た の が 何 時 の こ と で あ っ た か 明 確 で な い 。 ﹃日 本 書 紀 ﹄ 編 者 の 参 照 し た ﹃隋 書 ﹄ は 志 を 缺 い た 五 十 五 巻 本 で あ っ た 可 能 性 が あ る 。 ( 33 ) ﹃隋 書 ﹄ の 舶 載 に 関 連 し て 附 言 す る 。 遣 隋 使 の 派 遣 回 数 と そ の 年 次 に つ い て 複 数 の 説 が 行 こ な わ れ て い る こ と は よ く 知 ら れ る 。 最 少 で 三 次 最 大 で 六 次 の 遣 隋 使 派 遣 が あ っ た と さ れ る が 、 そ の う ち 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に 記 録 を 缺 き ﹃隋 書 ﹄ 東 夷 伝 倭 国 条 或 い は 同 煬 帝 紀 に の み 伝 わ る 遣 使 記 事 が 三 次 あ る 。 幾 ば く か の 遣 隋 使 研 究 は 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ 潤 色 に お け る 高 祖 紀 の 利 用 か ら ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 者 の ﹃隋 書 ﹄ 全 巻 の 参 照 を 前 提 に 立 論 し て い る 。 増 村 宏 が ﹁ ( ﹃日 本 書 紀 ﹄ の ) 遣 隋 使 関 係 の 記 述 に も 当 然 、 隋 書 倭 国 伝 が 参 照 し て あ る と 考 察 し て よ い ﹂ と い う の は そ の 一 例 で あ る 。 増 村 ﹃遣 唐 使 の 研 究 ﹄ 第 一 編 第 三 章 ﹁隋 書 と 書 紀 推 古 紀 ー 遣 隋 使 を め ぐ っ て ﹂ 同 朋 舎 、 一 九 八 八 、 一 一 六 頁 。 初 出 一 九 六 八 ・ 一 九 六 九 。 し か し 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 編 者 が ﹃隋 書 ﹄ の 東 夷 伝 と 煬 帝 紀 と を 参 看 し た と す れ ば 、 何 故 そ の 遣 使 記 事 を 推 古 紀 に 採 用 し な か っ た の か 、 少 な く と も 言 及 し な か っ た の か 疑 問 を 生 む 。 仮 に ﹃隋 書 ﹄ 所 載 遣 使 記 事 を 誤 伝 と し て 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ 編 者 が そ れ を 知 っ て 敢 え て 無 視 し た の だ ろ う か 。 比 較 的 最 近 の 鄭 孝 雲 ﹁ 遣 隋 使 の 派 遣 回 数 の 再 検 討 ﹂ 立 命 館 文 学 五 五 九 、 一 九 九 九 は 三 次 説

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を 主 張 す る が 、 そ の 三 次 は 並 に 推 古 紀 の 伝 え る 遣 使 で ﹃隋 書 ﹄ の そ れ を 凡 て 排 す 。 そ の 是 非 は 兎 も 角 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ 編 者 の み た ﹃ 隋 書 ﹄ が 煬 帝 紀 や 東 夷 伝 を 具 備 し た 足 本 で あ っ た か 、 私 は 疑 っ て い る 。 抑 も 鈔 本 時 代 の 漢 籍 舶 載 は 、 小 規 模 の 書 籍 は 別 に し て 通 常 不 全 本 の 将 来 を 先 ず 念 頭 に お く べ き で 、 高 祖 紀 の 利 用 が 確 認 さ れ る こ と は 直 ち に 足 本 の 舶 載 を 意 味 し な い 。 そ れ を い う に は 別 個 の 論 拠 が 必 要 で あ る 。 ﹃日 本 書 紀 ﹄ 潤 色 者 が 手 に し た ﹃隋 書 ﹄ は 如 何 な る 本 で あ っ た の だ ろ う か 。 ( い け だ ま さ ひ ろ 佛 教 大 学 研 究 員 ) (指 導 " 宮 澤 知 之 教 授 ) 二 〇 〇 六 年 十 月 十 九 日 受 理 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 三 五 号 (二 〇 〇 七 年 三 月 ) 一 〇 七

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参照

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