民主主義の形而上学的正当化再考
著者 加賀 裕郎
雑誌名 文化學年報
号 62
ページ 113‑132
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027731
民主主義の形而上学的正当化再考
著者 加賀,裕郎
雑誌名 文化學年報
号 62
ページ 113‑132
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027731
民 主 主 義 の 形 而 上 学 的 正 当 化 再 考
加 賀 裕 郎
! .
民 主 主義 の 正 当化 問 題 我われは これ まで
︑J.
デ ュー イ︑ H. パト ナム
︑R.
ロ ーテ ィと いっ たプ ラグ マテ ィス トの 民主 主義 論を 主題 にし て
︑民 主 主 義の 正 当 化問 題 に つ いて 検 討 して き た"
︒ 小 論の 目 的 は
︑特 に 民 主 主 義 の 形 而 上 学 的 正 当 化 に 焦 点 を 定 め て
︑最 近の 研究 動向 を精 査し つつ
︑当 該問 題に つい て︑ より 詳細 に検 討す るこ とで ある
︒ 民主 主義 の正 当化 問題 は︑ 現代 の政 治・ 道徳 哲学 にお いて も時 に論 じら れる
︒例 えば パー ス研 究者 であ Ch.る ミザ クは 民 主 主 義の 正 当 化問 題 を 中 心に し て︑ 彼 女の 政 治 哲学 を 展 開 する
︒ミ ザ ク の見 取 り 図に よ れ ば︑
﹁ 民主 主 義 の 正 当 化﹂ 問 題に 関す る最 左翼 には
︑民 主主 義の 正当 化を 放棄 する ロー ティ がい る︒ ロー ティ によ れば
︑民 主主 義は 哲学 的基 礎づ け によ って 正当 化さ れる ので はな く︑ 西洋 の実 験と して の民 主主 義の 実践 が先 行し
︑哲 学は その 意味 を肉 付け して いる に 過ぎ ない
︒ ロー ティ ほど では ない が︑ やは り左 翼に 位置 づけ られ るの は﹃ 政治 的リ ベラ リズ ム︵PoliticalLiberalism
︶﹄ で の ロー ル ズで ある
︒﹃ 正 義論
︵ATheoryofJustice
︶﹄ で のロ ール ズは 公正 な社 会の 包括 的原 理を 明ら かに しよ うと し たが
︑次 第 に︑ そう した 包括 的原 理に 関す る多 元論 が避 け難 いこ とを 自覚 する よう にな った
︒そ こで ロー ルズ は︑ 公正 な社 会の
― 113 ―
哲 学的
︑形 而上 学的 正当 化を 回避 し︑ 善き 社会 につ いて の多 様な 見解 が共 存で きる よう な仕 組み が︑ 多元 的な 見解 に基 づ く重 なり 合い のも とに 是認 され れば よい と考 えた
︒そ の結 果︑ 政治 的リ ベラ リズ ムは
﹁真 理﹂ とい う概 念に 依拠 せず に 組み 立て られ る︒ B. アッ カー マン
︑J.
コ ーエ ンな ども
︑包 括的 原理 に基 づく 民主 主義 の正 当化 を避 ける とい う点 で
︑広 い意 味で はロ ール ズと 軌を 一に して いる
︒ 民主 主義 の正 当化 とい う観 点か ら︑ 最右 翼で はな いに して も右 翼に 位置 づけ られ るの は
︑K.
O. ア ー ぺ ル とか J. ハ ーバ ーマ スな どで ある
︒彼 らの 立場 は端 的に
︑民 主主 義の 超越 論的 正当 化と 言う こと がで きる
︒彼 らの 理論 では
︑コ ミ ュ ニ ケー シ ョ ンが 自 我 や 社会 の 本 質を 形 作 り︑ コミ ュ ニ ケ ーシ ョ ン の構 造 か ら民 主 主 義 を演 繹 す ると い う 構成 を と る
︒ ア ー ぺ ル と ハ ー バ ー マ ス の 民 主 主 義 概 念 は 手 続 き 主 義 的 で あ る が
︑民 主 主 義 を 実 体 的︵substantive
︶ な︑
﹁濃 い
︵thick
︶﹂
︑ また
﹁深 い︵deep
︶﹂ 意味 に理 解す る立 場が ある
︒民 主主 義は 単に 合理 的な ディ ベー トを 展開 す る た めの
︑あ る いは 熟議 のた めの 方法 では なく
︑﹁ 道 徳的 な徳 を如 何に して 陶冶 する か︑ 大衆 社会
︑非 人間 的労 働︑ 専門 家の ロビ ー︑ 専 門化 し す ぎた 政 治 間の 新 し いコ ミ ッ ト メン ト を 如何 に し て確 立 す る かと い う 問題 で あ る﹂!
︒ま た
﹁民 主 主 義は
︑そ れ が道 徳的
︑精 神的 結社 の一 形態 であ るが 故に
︑政 府の 一形 態で ある
﹂"
︒ 民主 主義 を単 なる 政治 的概 念と して では なく
︑道 徳的 次元 をも 含む もの と見 なす 立場 は︑ 共和 主義
︑M.
サ ンデ ルら の 共同 体論
︑A.
ホ ネッ トな どの 批判 理論 家な どに も見 出す こと がで き る#
︒ こ のよ う な 民主 主 義 観の 一 例 は︑ 若 きデ ュ ーイ の﹁ 民主 主義 の倫 理︵“TheEthicsofDemocracy”
︶﹂ の 次の よう な言 明に 見る こと がで きる
︒す なわ ち﹁ 要す るに 民 主主 義は
︑社 会的
︑つ まり 倫理 的概 念で あり
︑政 治的 なも のと して の民 主主 義の 意義 は︑ その 倫理 的意 義に 基づ いて い る
︒民 主 主義 は
︑道 徳 的︑ 精神 的 結 合 の一 形 態 であ る と いう 理 由 で だけ
︑政 府 の 一形 態 で ある
﹂$
︒さ ら に デュ ー イ は
︑民 主主 義が 形而 上学 であ ると さえ 述べ る︒ すな わち
﹁民 主主 義は 政府 の一 形態 でも
︑社 会的 な便 宜で もな く︑ 自然
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 114 ―
に おけ る人 間 と その 経 験 の関 係 の 形而 上 学 で ある
﹂"
︒デ ュ ーイ に よ れば
︑人 間 の 個 性を 自 然 にお け る 誕生 と 運 命 から 孤 立さ せる と︑ 人間 はエ ゴイ ステ ィッ クに もの を考 え︑ そこ から 優れ た者 と劣 った 者︑ 超人 と劣 等人
︑強 者と 弱者
︑優 れ た者 と平 凡な 者と いう 対照 的関 係が 生じ る︒ それ に対 して
﹁生 を面 前に して
︑ま たそ の生 にお いて
︑す べて のそ の多 様 性に おい て斉 一的 で一 様で ある 自然 が︑ その 生の うち に現 前し てい るが 故に
︑す べて の人 間と すべ ての 経験 は平 等で あ る﹂#
︒ デュ ーイ の民 主主 義観 は道 徳的
・政 治的 次元 を包 含す る実 体的 で濃 いも ので ある
︒ 民主 主義 の正 当化 のあ り方 を尺 度と した ミザ クの 分類 に基 づく と︑ デュ ーイ の民 主主 義観 は実 体的 であ り︑ その 正当 化 は形 而上 学的 であ るよ うな
︑最 右翼 に位 置づ けら れる もの だと 解釈 でき そう であ る︒ 本論 では
︑第 一に
︑当 面︑ ミザ ク の分 類と そこ での デュ ーイ の位 置づ けを 前提 しつ つ︑ 形而 上学 的正 当化 を伴 うデ ュー イの 民主 主義 論を
︑9 11/ 以後 の 民主 主義 論と して 評価 する
︑J.
グ リー ンの
﹁デ ィー プ・ デモ クラ シー
﹂論 を検 討す る︒ 第二 に︑ グリ ーン とは 正反 対 に︑ デュ ーイ のよ うな 過度 に﹁ 濃い
﹂民 主主 義論 は︑ 多様 な理 論的 前提 の共 有を 要求 し︑ その 要求 に従 わな い者 を抑 圧 する もの であ り︑ それ は現 代の 多元 的社 会に 逆行 する とし て反 対す る︑ タリ スの パー ス主 義的 な認 識的 完成 主義
︵epis-
temicperfectionism
︶を 検討 す る︒ 第三 に
︑こ れ ら 現代 の 諸 見解 の 批 判的 検 討 に 基づ き
︑デ ュ ーイ 的 な 実体 的 民 主 主義 観 とそ の形 而上 学的 正当 化の 意味 につ いて 検討 を加 える
︒
! .
9/ 11後 の
﹁ 深層 の 民 主主 義
︵ ディ ー プ
・デ モ ク ラシ ー
︶﹂ と 形 而 上学 グリ
ーン によ れば
︑9 11/ 以後 のア メリ カ人 にと って
︑﹁ 共 有さ れた 社 会 的希 望
﹂︑
﹁ 共有 さ れ た民 主 的 希 望﹂$ を 抱く こ とは
︑死 活問 題で ある
︒何 故な ら9 11/ 以後 の問 題状 況に 対す る解 釈上 の違 いは 大き く︑ アメ リカ 人は イラ ク戦 争に 賛 成す る人 と反 対す る人
︑宗 教を 問題 の源 泉と 考え る人 と救 済と 考え る人
︑経 済的 格差 の拡 大を グロ ーバ ル資 本主 義の
― 115 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
成 功と 考え る人 と失 敗と 考え る人
︑多 文化 教育 を提 唱す る人 とナ ショ ナル
・カ リキ ュラ ムを 要求 する 人の 間で 分断 され て しま った から であ る︒ アメ リカ 人の 分断 を癒 すに は︑
﹁ 新し いア メリ カの 物語
﹂を 紡ぎ 出す 必要 があ る︒ 問題 は﹁ 新し いア メリ カの 物語
﹂の 内実 であ る︒ グリ ーン は︑ その 物語 を提 供す る候 補と して デュ ーイ とロ ーテ ィを 挙 げる
︒何 故デ ュー イと ロー ティ なの か︒ C. ウェ スト を 引 き合 い に 出し て 言 う なら ば
︑﹁ ロ ーテ ィ と デュ ー イ の 両者 に とっ て︑ 近代 の歴 史に おけ る自 由の 進展 は︑ アメ リカ にお ける 最善 のも のの 進展 に体 現さ れ︑ 歴史 にお ける アメ リカ の 進展 は︑ アメ リカ 民主 主義 にお ける 最善 のも のに 照ら して
︑批 判的 に検 分さ れる べき だと いう 点で
︑彼 らは 歴史 をア メ リカ 化す る︒ この よう に︑ デュ ーイ の自 由尊 重主 義的 な民 主社 会主 義と ロー ティ の修 正主 義的 なリ ベラ リズ ムは アメ リ カ と いう レ ン ズを 通 し て歴 史 を 見 る﹂!
︒だ か ら こそ
︑ロ ー テ ィは 一 九 六
〇年 代 の ニュ ー
・レ フ ト以 後 に﹁ 差 異 の政 治
﹂﹁ ア イデ ンテ ィテ ィの 政治
﹂﹁ 認識 の政 治﹂ など を標 榜す る︑ 傍観 者的 な文 化左 翼を 批判 し︑ デュ ーイ に代 表さ れる よ うな
︑弱 者を 強者 から 守る ため に立 憲民 主主 義の 枠組 のな かで 奮闘 して いた すべ ての アメ リカ 人を
﹁改 良主 義的 左翼
︵reformistLeft
︶﹂ と 呼ん で︑ 支持 する
"
︒ ロー ティ にと って デュ ーイ のプ ラグ マテ ィズ ムは
︑﹁ い か にし て ア メリ カ 合 衆 国は 哲 学 的に 正 当 化さ れ う る のか
﹂で は なく
︑﹁ 哲 学は アメ リカ 合衆 国の ため に何 をす るこ とが でき るか
﹂# を 展 開 した も の であ る
︒ま た アメ リ カ は﹁ 高 みか ら
││ 不動 で 永 遠 であ る 出 所か ら
││ の正 当 化 と いう 希 望 を放 棄 す る最 初 の 国 民国 家 で ある
﹂$
︒ロ ー ティ は デ ュ ーイ を 反権 威主 義者 と解 釈す る︒ 権威 主義 とは
︑人 間は 自ら の意 志を 非人 間的 な権 威に 服従 させ るべ きだ とい う立 場で ある か ら︑ それ に反 対す ると は︑ 人間 が非 人間 的な 権威 から 自由 にな るこ と︑ そし て人 びと の対 話的 制約 以外 の制 約を 否定 す る考 え方 で あ る︒ した が っ て反 権 威 主義 は
︑人 び と の自 由 な 対話 を 社 会組 織 の 基 本に 据 え る民 主 主 義に 直 結 す る%
︒ 民 主的 社会 は︑ どん な非 人間 的権 威に も服 属し てい ない 社会 であ るか ら︑ 哲学 がそ の正 当化 を与 えう るよ うな もの では な い︒ 哲学 の課 題は
︑実 際に 進行 して いる 民主 的社 会に コミ ット し︑ その 社会 の前 進を 支援 する こと であ る︒
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 116 ―
しか しグ リー ンは
︑ロ ーテ ィの よう に哲 学を 放棄 する ので はな く︑ 哲学 が民 主的 社会 の発 展に 積極 的に 寄与 すべ きだ と 主張 する
︒何 故な ら︑ 現代 アメ リカ にお ける 公 共 生 活の 誤 り の多 く は﹁ 形 而上 学 的 過 ち︵metaphysicalmistake
︶﹂! だ か ら で ある
︒グ リ ー ンに よ れ ば︑ ア メリ カ に おけ る 公 共生 活 の 誤 りは
︑﹁ 形 而 上学 的 過 ち﹂ から 生 じ る の で あ る か ら︑ そ の過 ちか ら解 放さ れる ため には
︑別 種の 形而 上学 が必 要で あり
︑そ のよ うな 形而 上学 とし ては
﹁背 景地 図あ るい は治 療 の道 具と して の︑ デュ ーイ の低 層の
︵lowrise
︶ 形而 上学
﹂"
が相 応し いと い う︒ そ れで は
﹁低 層 の形 而 上 学﹂ は アメ リ カの 民主 主義 的営 みの なか で何 処に 位置 づけ られ るの であ ろう か︒ グ リー ン は 先ず
︑民 主 主 義を 形 式 的︑ 制 度的 水 準 と︑ 日常 生 活 に お け る 習 慣︑ 実 践︑ 態 度
︑希 望 に 関 わ る
﹁深 層 の
︵deep
︶﹂ 水準 に区 別す る︒ この 区別 は︑ デュ ーイ によ る︑ 政治 的な 民主 主義 と︑ それ を支 える
﹁パ ーソ ナル な 生 活 様式
︵apersonalwayoflife
︶﹂ と して の民 主主 義の 区別 に対 応す る︒ グリ ーン の﹁ 深層 の民 主主 義︵deepdemocracy
︶﹂ 論 は︑ 日 常生 活な いし パー ソナ ルな 生活 様式 に根 差す 民主 主義 に焦 点を 定め てい る︒ さら にグ リー ンは
︑民 主主 義に おけ る深 層 の水 準に 加え て︑
﹁ 他の 二つ の水 準で の民 主主 義の 発 展に 影 響 を与 え る た めの
︑反 省 の 対象 と し ての
︑生 を 導 く 道具 と し て の︑ 力動 的 で︑ 情 緒を 取 り 囲 み︑ 経験 を 形 作る 民 主 的ヴ ィ ジ ョ ン と い う︑ 第 三 の
︑形 而 上 学 的 な
﹃背 景 的
﹄水 準
﹂# が必 要だ とい う︒ 民主 主義 にお ける 形而 上学 的な 背景 的水 準は
︑﹁ 民主 主義 病︵democraticdisease
︶﹂$
︑つ まり 制度 的 堕落
︑中 味の ない イデ オロ ギー
︑個 人の ニヒ リズ ム︑ 文化 のア ノミ ーを 治療 する ため に必 要だ とさ れる
︒ グリ ーン はデ ュー イの 形而 上学 を﹁ 民主 主義 病﹂ を治 療す るた めの 薬で ある と解 釈す る︒ それ では 形而 上学 は︑ どの よ うな 効能 をも った 治療 薬だ ろう か︒ それ は﹁ 可謬 的で
︑絶 えず 修正 可能 な知 識の なか で最 も安 定し た︑ 一般 的種 類の た めの 集合 的な 貯蔵 庫と して
︑ま たそ れと とも に危 機の 時代 を含 む日 常生 活に おけ る個 人と 社会 の健 康を 回復 させ
︑増 進 する こと を望 む︑ 多様 な学 説的
︑学 際的 な診 断的
︑治 療的 モデ ルと 実践 を享 受し
︑更 新し
︑適 用す るた めの 道具 とし て の指 導的 枠組 みと して
︑役 に立 つ﹃ 大き な像
﹄の 創造
︑応 用︑ 批判 的修 正﹂% と 敷衍 され る︒
― 117 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
グリ ーン の言 明は 厳密 さと 明晰 さを 欠い てい る
︒そ こ で我 わ れ の立 場 か ら︑ グ リー ン の 立論 を 解 釈し
︑評 価 し よ う︒ そ の際
︑我 われ の解 釈︑ 評価 の視 点は
︑次 の三 つに しよ う︒ 第一 に﹁ 民主 主義 病﹂ の意 味︑ 及び 病気 の治 療薬 とし ての 形 而上 学と いう 考え 方の 是非
︒第 二に 民主 主義 を形 式的
︑制 度的 水準 と深 層の 水準 に区 別す るこ との 是非
︒第 三に 形而 上 学的 水準 の必 要性 の是 非︒ 順次
︑手 短に 検討 しよ う︒ 第一 の﹁ 民主 主義 病﹂ の意 味か ら検 討し よう
︒グ リー ンが 民 主 主義 に お ける 形 而 上 学的 水 準 の必 要 性 を感 じ た の は︑ 9 11/ を︑ アメ リカ が罹 った
﹁民 主主 義病
﹂の 現れ だと 捉え たか らで ある
︒そ れで は9 11/ はア メリ カ民 主主 義に とっ て 何を 意味 した のか
︒9 11/ 後の ある イン タビ ュー にお ける
︑C.
ウ ェス トの 発言 を手 掛か りに して
︑こ の問 いに つい て 考え てみ よう
︒す なわ ち﹁ 次の 百年 の主 たる 闘い は民 主主 義の 深化
︵thedeepeningofdemocracy
︶ と帝 国の 解体
︵the
dismantlingofempire
︶ の間 の闘 いに なる はず だ﹂!
︒ ある 意味 でア メリ カの 二〇 世紀 は民 主 主 義と 帝 国 主義 の 相 克 であ っ た︒ 二一 世紀 の課 題は
︑こ の相 克を 民主 主義 の深 化と 帝国 の解 体と いう 方向 性で 以て
︑解 決に 導く こと であ る︒ これ ら二 つの 対立 は︑ 方法 論的 には 相互 作用 論的 方法 と支 配/ 制御 論的 方法 の対 立︑ 理論 的に は本 質主 義︑ 権威 主義 に 対す る態 度の 対立 であ った
︒民 主主 義の 深化 は相 互作 用論 的方 法の 支配
︑本 質主 義の 衰退
︑権 威主 義の 失効 など に結 び つ い た︒ L. メナ ン ド によ れ ば︑ ア メ リカ
・プ ラ グ マテ ィ ズ ムは 南 北 戦 争の 教 訓﹁ 確 実性 は 暴 力に 至 る
﹂"
へ の 知 的 反 応で あり
︑そ の教 訓か ら︑ 可謬 主義
︑多 元主 義︑ 法則 に関 する 確率 的・ 統計 的理 解と いう プラ グマ ティ ズム の主 張が 出 てき た︒ この よう なア メリ カ・ プラ グマ ティ ズム の思 想的 特徴 は︑ アメ リカ 民主 主義 に色 濃く 反映 され た︒ 思想 的に は
︑9 11/ 以後 の一 連の 出来 事は
︑ア メリ カ民 主主 義が もた らし た本 質主 義の 衰退
︑権 威主 義の 失効
︑可 謬主 義︑ 多元 主 義の 動向 に不 安を 覚え
︑ま た耐 え難 いと 感じ る一 団の 人び と及 び国 家が
︑失 われ てし まっ た本 質や 権威 を暴 力的 に復 興 しよ うと する 心性 に基 づい てい る#
︒ グリ ーン の言 う﹁ 民主 主義 病﹂ の要 点 は︑ 民 主主 義 を 逸脱 し て 帝国 主 義 に 向か う こと
︑本 質主 義︑ 権威 主義
︑絶 対主 義を 暴力 的に 復活 させ よう とす るこ とで ある
︒
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 118 ―
グリ ーン によ れば
︑デ ュー イの 形而 上学 は民 主主 義病 に対 する
﹁形 而上 学的 治療 学︵metaphysicaltherapeutics
︶﹂ だと い う︒ ただ しデ ュー イ自 身が
︑形 而上 学を 治療 学と して 意図 して いた か否 かに つい ては
︑十 分な 根拠 を確 認す るこ とが で きな い︒ 第二 に民 主主 義を 形式 的︑ 制度 的水 準と 深層 の水 準に 区別 する こと の是 非を 検討 しよ う︒ この 問題 は︑ 民主 主義 を単 な る政 治的 概念 と捉 える か︑ それ とも 道徳 的次 元を 含ん だ概 念と 捉え るか に従 って
︑異 なっ たも のと なる
︒グ リー ンの 基 本的 立場 は︑ デュ ーイ の立 場に 従う
︒デ ュー イの 立場 は︑ 第一 にハ ーバ ーマ ス的 な道 徳的 領域 と熟 議的 領域 の二 元論 よ りも
︑A.
ホ ネッ トの 一元 的視 座に 近い
!
︒第 二に 政治 的な 熟議 主義 と闘 技 主 義の 中 間 的立 場 で ある
︒後 者 に つ いて R. バ ーン スタ イン は次 のよ うに 述べ る︒
﹁ デュ ーイ は 強調 し た のだ が
︑創 造 的 対立 が な いと
︑自 己 欺 瞞と 沈 滞 の 危険 が ある
︒し かし 民主 主義 は熟 議と 公共 的論 争に 従事 しよ うと する 真摯 な努 力が なけ れば
⁝⁝ 単な る意 志の 競争 と︑ あか ら さま な権 力闘 争に なる
﹂"
︒特 に我 われ が強 調し たい のは
︑﹁ もし 民主 的エ ート ス を 日常 生 活 に絶 え ず 組み 込 む こ とに 働 かな いな らば
︑民 主主 義は 中味 がな く︑ 無意 味に なる
﹂# とい うこ とで ある
︒ それ では ホネ ット の一 元論 的視 座と は︑ どの よう なも ので あろ うか
︒ホ ネッ トは 民主 的公 共領 域に 関す る共 和主 義理 論 と手 続き 主義 的理 論の 関係 の検 討か ら論 を始 める
$
︒ホ ネッ トに よれ ば︑ 二つ の 立 場は 公 共 領域 を 民 主的 な 意 志 形成 空 間と して 捉え るが
︑共 和主 義が その 空間 を同 質的 な共 同体
︑市 民的 徳︑ 労働 や仕 事と は区 別さ れる
﹁活 動﹂ を鍵 概念 と して 描く のに 対し て︑ 市民 的公 共性 理論 はそ の空 間を コミ ュ ニ ケー シ ョ ン的 合 理 性 によ っ て 統制 さ れ た空 間 と し て︑ 手 続き 主義 的に 描く
︒共 和主 義は 共同 体論 的︑ 倫理 的で ある のに 対し て︑ 市民 的公 共性 論は 合理 主義 的で ある
︒ ホ ネッ ト に よれ ば
︑共 和 主義 と 市 民 的公 共 性 論は
︑と も に コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン 的 協 議︵communicativeconsultation
︶ モ デル に基 づく のに 対し て︑ デュ ーイ の民 主主 義論 は 社 会協 力
︵socialcooperation
︶モ デ ルに 基 づ く︒ 民主 的 公 共 領域 は
︑前 政治 的な 社会 協力 の反 省的 形態 であ る︒ つま り民 主的 意思 形成 とは
﹁協 力的 に統 合さ れた 社会 が︑ それ 自ら の問
― 119 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
題 を解 決 し よ うと す る 場合 の 合 理的 手 段
﹂! で あ る︒ こ の考 え 方 だと
︑前 政 治 的 な次 元 で の社 会 協 力を 出 発 点 とし
︑そ こ で生 じた 問題 を解 決す るた めの 協同 的問 題解 決領 域と して の公 共領 域が 多元 的に 発生 する
︒そ の際
︑公 共領 域が 公正 な 論議 空間 を形 成す るこ とが でき るか 否か は︑ 前政 治的 次元 での 社会 協力 の在 り方 に依 存す る︒ もし 社会 協力 が欠 如し て いる なら ば︑ 公共 領域 は単 なる 権力 闘争 の場 にな る︒ ホネ ット によ れば
︑社 会協 力モ デル は︑ 共和 主義 と市 民的 公共 性 論を 媒介 する こと がで きる
︒何 故な ら第 一に
︑前 政治 的な 社会 協力 の次 元は 倫理 的で あり
︑そ の点 で共 和主 義と 結び つ くか らで ある
︒第 二に 前政 治的 な社 会協 力の 反省 形態 とし ての 民主 的公 共領 域が
︑手 続き 主義 的︑ 合理 主義 的な 論議 空 間と して 構成 され るか らで ある
︒ 第三 に︑ グリ ーン が民 主主 義の 形而 上学 的水 準を 設定 する こと
︑ま たそ れを
﹁形 而上 学的 治療 学﹂ と特 徴づ ける こと の 是非 につ いて 検討 しよ う︒ この 問題 に関 連す る︑ デュ ーイ の民 主主 義の 形而 上学 的次 元に 関す る理 論に つい て︑ 我わ れ は詳 細に 検討 した こと があ るの で︑ ここ では 必要 最小 限の 考察 に留 めて おき たい
︒ デュ ーイ の形 而上 学は
︑﹁ 永 遠の 相の 下に
﹂存 在の 本質 を明 らか にし よう とし たも ので はな い︒
J. J. スト ゥア が言 う よ う に﹁ デュ ー イ にと っ て│
│形 而 上 学 でも 認 識 論で も な く│
│社 会 及 び政 治 哲 学が 第 一 哲学 で あ る﹂"
︒ それ で は 社 会及 び政 治哲 学と 形而 上学 の関 係は
︑ど のよ うな もの であ ろう か︒ 我わ れの 見解 では
︑デ ュー イの 形而 上学 は民 主主 義 の実 践が
︑時 間的
│空 間的 に︑ その 中心 的エ ピソ ー ド であ る よ うな 自 然 の 理論 で あ る︒ ロー テ ィ によ れ ば
︑﹁ デ ュー イ は宗 教的 寛容
︑ガ リレ オ︑ ダー ウィ ン︑ そし て︵ とり わけ
︶民 主政 治と 教育 を受 けた 選挙 民の 興隆 を︑ 記録 に残 る歴 史 物語 の 中 心 的エ ピ ソ ード と 見 なし た
﹂# が︑ 実際 の デ ュー イ は︑ ロ ーテ ィ が 指 摘す る 事 がら を
︑哲 学 的自 然 の 理 論と い う枠 組み の下 で成 し遂 げよ うと した
︒ そこ で問 題は
︑デ ュー イが
﹁民 主政 治と 教育 を受 けた 選挙 民の 興隆
﹂が 中心 的エ ピソ ード であ るよ うな 哲学 的自 然の 理 論を 構築 しよ うと した 理由 は何 かで ある
︒三 つ の 小問 題 に 区分 け し て︑ こ の問 題 を 検討 し よ う︒
︵a
︶デ ュ ー イ は自
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 120 ―
ら の形 而上 学に つい て﹁ 現実 存在 の種 属的 諸 特 徴﹂ の概 観
︑﹁ 批 判の 基 礎 地 図﹂ とい う 二 つの 規 定 を使 用 す る が︑ どち ら が デ ュー イ の 形而 上 学 の 性格 を 正 しく 形 容 して い る で あろ う か︒ こ れら 二 つ の規 定 は 同 義で は な い︒ 前者 の 規 定 は
﹁探 求の ため の永 遠の 中立 的母 体﹂ とい う意 味を 含む が︑ こ のよ う な 観想 的 概 念 はデ ュ ー イ本 来 の もの で は な い︒ 一方
﹁批 判領 域の 基礎 地図
﹂と いう 概念 は︑ 近年
︑何 人か のデ ュ ーイ 研 究 者が 採 用 し てい る も ので あ り︑ 我 われ も こ の 概念 を 採用 した
!
︒こ こで
﹁地 図﹂ とは 中立 的視 座か らの スナ ップ ショ ット で は なく
︑特 定 の 目的 の 下 に作 成 さ れ︑ 一 定の 取 捨選 択に 基づ いて 作成 され
︑使 用後 に改 良の 余地 があ るも ので ある
︒形 而上 学は 批判 を容 易に する ため に︑ 選択 と排 除 を行 い︑ 使用 の結 果に よっ て改 良さ れる 余地 があ る︒
︵ b︶ デュ ーイ の形 而上 学は
﹁第 一哲 学﹂ であ るの か︑
﹁最 後の 哲 学︵thelastphilosophy
︶﹂ であ るの か︒ この 問い に対 して R. W. ス リー パー は︑ デュ ーイ の形 而上 学を 自然 の基 礎づ け では なく
︑﹁ 最 後の 哲学
﹂だ と主 張す るが
"
︑我 われ も︑ この 主張 に 同 意す る
︒我 わ れの 理 解 では
︑﹁ 最 後 の 哲学
﹂と は
︑形 而上 学が 批判 的探 査の 後に 行わ れ︑ 批判 の結 果を 哲学 的自 然の 理論 で肉 付け する とと もに
︑未 来の 批判 へと 媒介 す ると いう こと を意 味す る︒ 批判 と形 而 上 学は 相 互 訂正 的 に 進 行す る
︒︵ c︶ デ ュー イ に おけ る
﹁批 判﹂ と﹁ 分 析 と定 義
﹂の 関 係 は︑ どの よ う なも の で あ るか
︒﹃ 経 験 と 自 然﹄ の な か で
︑デ ュ ー イ は
﹁批 判
﹂と
﹁分 析 と 定 義
﹂を 峻 別 し︑ 形 而上 学は 後者 にだ け関 わる かの よう に述 べる
︒し かし 我わ れの 考え では
︑こ の峻 別は 正し くな い︒ 形而 上学 は特 定の 視 座と 目的 から 作成 され る﹁ 始ま りつ つあ る批 判﹂ であ る︒
︵ a︶
〜︵ c
︶を 纏め るな らば
︑デ ュー イの 形而 上学 は︑ 民 主主 義 が 中心 的 エ ピ ソー ド の 一つ で あ るよ う な︑ 哲 学 的自 然 の理 論で あり
︑そ の意 義と 妥当 性は
︑一 層の 批判 ない し民 主主 義の 実践 を方 向づ ける とと もに
︑そ れら の自 然に おけ る 意義 を明 らか にす るこ とで ある
︒我 われ の解 釈に 基づ いて
︑グ リー ンに よる
﹁形 而上 学的 治療 学﹂ とい うデ ュー イ形 而 上学 の特 徴づ けを 評価 しよ う︒ 先ず 言え る の は︑ デュ ー イ の形 而 上 学 は﹁ 民主 主 義 病﹂ の治 療 で はな く
︑﹁ 批 判 領域 の 基礎 地図
﹂を 目的 とし てい た︑ とい うこ とで ある
︒こ の点 でグ リー ンの 解釈 は正 しく ない
︒た だし 派生 的に
︑形 而上
― 121 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
学 が治 療目 的に 使わ れる 場合 があ る︒ それ は民 主主 義が 治療 を必 要と する ほど 病的 にな り︑ もは や哲 学的 自然 の理 論に お ける 中心 的エ ピソ ード とは 言え なく なっ た時 であ る︒ その 時に
︑形 而上 学は
︑民 主主 義が 再び 哲学 的自 然の 理論 の中 心 的エ ピソ ード に戻 るた めの 治療 薬と なる
︒
! .
パ ー ス主 義 的 な認 識 的 完成 主 義 の民 主 主 義論 グリーン の﹁ 深層 の民 主主 義﹂ 論は
︑ア メリ カの
﹁民 主主 義病
﹂を 治療 する ため の手 掛か りを
︑デ ュー イの 形而 上学 に 求め たも ので ある
︒デ ュー イの 民主 主義 論は
︑長 い間
︑プ ラグ マテ ィズ ムの 民主 主義 論の 参照 系と 目さ れて きた
︒ し かし 近 年︑ C. ミ ザク
︑R.
ウ ェ ス ト ブ ル ッ ク︑ R. B. タ リ ス ら が︑ パ ー ス 主 義 的 な 民 主 主 義 論 を 展 開 し て い る"
︒た だし
︑こ れは
︑彼 ら/ 彼女 らが パー スの 民主 主義 論に 依拠 して いる と い う意 味 で はな い
︒パ ー ス自 身 は 奴 隷制 の 支 持 者︑ 女性 参 政 権の 反 対 者︑ 反 民主 主 義 者だ っ た︒ パ ース 主 義 的 な民 主 主 義論 と は︑ パ ース の 探 求 の 理 論 の う ち に
︑妥 当な 民主 主義 の理 論が 胚胎 され てい ると 見て
︑こ れを 展開 した もの を指 す︒ 前述 した 三人 のパ ース 主義 的民 主主 義 論者 のう ち︑ とり わけ タリ スは
︑デ ュー イの 民主 主義 論が 根本 的に 間違 って いる と見 なし
︑代 わり にパ ース 主義 的な 民 主主 義論 に光 を当 てる
︒以 下で はタ リス のパ ース 主義 的な 民主 主義 論を 考察 対象 とし よう
︒何 故な らタ リス は前 節で 考 察し た︑ グリ ーン が展 開す るデ ュー イ的 な深 層の 民主 主義 論を 根本 的に 否定 する から であ る︒ 本節 では 以下
︑タ リス が デュ ーイ 的な 深層 の︑ 濃い
︑実 体的 民主 主義 理論 を批 判す る理 由は 何か
︑タ リス のパ ース 主義 的な 民主 主義 論の 内実 は 何か につ いて
︑順 次︑ 検討 しよ う︒ 第一 の問 題か ら検 討す る︒ タリ スは
︑ま ず民 主主 義論 を 手 続き 的 な︵procedural
︶ 理 論と 実 体 的 な︵substantive
︶ 理論 に 大別 する
︒手 続き 的な 理論 によ れば
︑民 主主 義と は端 的に
︑社 会対 立を 処理 する ため の政 治的 機構 であ る︒ 個人 とそ
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 122 ―
の 選好 は政 治的 処理 に先 立っ て既 に固 定さ れた もの と見 なさ れる
︒他 方実 体的 な理 論に よれ ば︑ 民主 主義 とは 市民 を陶 冶 する こと によ って
︑善 き社 会を つく るた めの 道徳 的プ ロジ ェク トで あり
︑個 人と その 選好 は政 治参 加を 通じ て形 成さ れ 鍛錬 され る可 能性 に開 かれ てい る︒ 手続 き的 な理 論に は︑ シュ ンペ ータ ーの リア リズ ムの 民主 主義 論か ら熟 議民 主主 義 論 ま で多 様 な もの が 含 ま れる が
︑何 れ の場 合 も︑ 民 主主 義 の う ちに は 自 らを 正 統 化す る 内 在 的価 値 が 含ま れ て い な い
︑と され る︒ 他方 実体 的な 理論 の一 つで ある B. バー バー の﹁ 強い 民主 主義
﹂に とっ て︑ 民主 主義 はそ れ自 体で 規範 的 な社 会的 理想 だと 見な され る!
︒ タリ スは
︑民 主主 義論 が多 元的 社会 と両 立す るか どう かを 重視 する
︒多 元主 義は
︑少 なく とも 幾つ かの 重要 問題 に関 し て不 一致 は避 けが たく
︑十 分な 解決 は不 可能 だと いう テー ゼを 含意 する
︒タ リス は多 元主 義を
︑さ らに 存在 論的 多元 主 義と 認識 論的 多元 主義 に区 分す る︒ 前者 の典 型は I. バー リン であ り︑ 善︑ 卓越 性な どと いっ た究 極的 価値 につ いて は 還元 不可 能な 多様 性が 存在 し︑ 諸価 値が 対立 する よう にな ると き︑ どん な包 括的 な基 準や 原理 も存 在し ない
︑と 主張 す る︒ 他方
︑後 者の 典型 はロ ール ズで あり
︑我 われ の理 性と 判断 能力 の限 界の ため に︑ 重要 な価 値問 題に 関す る見 解の 対 立を 乗り 越え るこ とが でき ない
︑と 主張 する
︒ 存在 論的 ない し認 識論 的な 多元 主義 は︑ 民主 主義 に対 して
︑ど んな 含意 をも つの であ ろう か︒ この 点に つい て︑ タリ ス は端 的に
﹁単 一の 包括 的言 説の 真理 を前 提し たど のよ うな 政治 的秩 序も
││ たと えそ れが 完全 にリ ーズ ナブ ルで 民主 的 だ と して も
││ 抑圧 的 で ある
⁝⁝ 多 元 主義 は ど んな 単 一 の道 徳 的 理 想に つ い ての 広 範 なコ ン セ ン サス も 排 除 す る 以 上
︑多 元 主 義は 手 続 的な
︑あ る い は 規範 的 に﹃ 希 薄な
﹄民 主 主 義概 念 を 含 意す る よ うに 思 わ れる
﹂"
と述 べ る
︒存 在 論 的 であ れ︑ 認識 論的 であ れ︑ 多元 主義 は究 極的 な規 範︑ 基準
︑原 理の 還元 不可 能な 多元 性を 主張 する
︒複 数の 規範
︑基 準
︑原 理の うち どれ か一 つを 選択 して 特権 化し よう とす れ ば︑ 選 択さ れ な かっ た も の を主 張 す る人 び と は抑 圧 さ れ る︒ サ ンデ ルの よう に︑
﹁ 民主 政体 は市 民的 徳を 教え 込む こと によ って 市民 を創 造す る と い う形 成 的 プロ ジ ェ ク ト﹂# だ とす
― 123 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
る
︑実 体的 で︑ 濃い 民主 主義 論は 抑圧 的で あり
︑そ れを 回避 しよ うと すれ ば︑ ロー ルズ のよ うに 民主 主義 を基 本的 な規 範
︑基 準︑ 原理 の対 立を 管理 する ため の機 構と 見な すこ とに なり がち であ る︒ タリ スに よれ ば︑ デュ ーイ の民 主主 義概 念は サン デル の市 民的 共和 主義 に似 てい る︒ つま りデ ュー イ的 民主 主義 は道 徳 的プ ロジ ェク トで ある
︒そ の結 果︑ デュ ーイ の民 主主 義は 多元 主義 と両 立で きず
︑デ ュー イ自 身の 理論 的諸 前提 と異 な る人 びと の言 説に 対し て抑 圧的 であ る︒ 次に 第二 の問 題︑ すな わち パー ス主 義的 民主 主義 論と 多元 主義 の関 係の 問題 につ いて 検討 しよ う︒ リー ズナ ブル な多 元 主義 と両 立可 能な 民主 主義 の一 案と して は︑ ロー ルズ の政 治的 リベ ラリ ズム があ る︒ しか しパ ース 主義 者は ロー ルズ よ り も 濃い
︑実 体 的︑ 規 範的 民 主 主 義論 を 構 築し よ う とす る
︒何 故 な らパ ー ス 主義 者 は 民主 主 義 を︑
﹁真 理 の 論 理 学﹂ と いう 観点 から 捉え よう とす るか らで ある
︒例 えば ミザ クに とっ て︑ 探求 とは 真な る信 念を 獲得 する こと であ り︑ その 探 求に は道 徳的 探求 も含 まれ る︒ 一方
︑民 主主 義を
﹁真 理の 論理 学﹂ の集 合的 表現 と捉 える に際 して
︑タ リス は主 とし てパ ース の古 典的 論文
﹁信 念の 固 定︵“TheFixationofBelief”
︶﹂ に依 拠す る︒ この 論文 は︑ 探求 の方 法と して は固 執の 方法
︑権 威の 方法
︑ア プリ オリ な 方法
︑お よび 科学 的方 法の 四種 類し かな いと し︑ これ ら四 つの 方法 のう ち︑ 科学 的方 法を 推奨 する
︒タ リス は︑ この 論 文か ら多 元主 義と 両立 する 規範 的︑ 実体 的民 主主 義論 の可 能性 を読 み取 ろう とす る︒ タリ スは その 可能 性を 二つ の側 面 から 追求 する
︒第 一は パー スが 科学 的方 法を 推奨 する 根拠 の問 題で ある
︒そ れは 四つ のう ち︑ 科学 的方 法が 相対 的に
﹁マ シ﹂ だか らと いう こと では なく
︑お よそ 理知 的︑ 熟 慮的 に 探 求を 行 お う とす る 限 り︑ 科学 的 方 法は
︑従 わ な け れば な らな い規 範だ とい うこ とで ある
︒逆 から 言え ば︑ 非科 学的 方法 は理 知的
︑熟 慮的 探求 とい う規 範に 背い てい る︒ 第二 は
︑四 つの 探求 の方 法の 各々 が政 治的 脈絡 に結 びつ いて いる とい うこ とで ある
︒具 体的 には
︑固 執の 方法 はア ナー キズ ム に︑ 権威 の方 法は 全体 主義
︑神 権主 義に
︑ア プリ オリ な方 法は 貴族 制的 な政 治秩 序に
︑各 々結 びつ いて いる
︒そ れに
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 124 ―
対 して 科学 的方 法は
︑探 求者 が協 同的 に新 しい 理由
︑論 証
︑証 拠 に照 ら し て信 念 を 漸 進的 に 修 正し 続 け る方 法 で あ り︑ そ のよ うな 探求 者の 協同 的秩 序は 民主 主義 を含 意す る
︒﹁ 民 主的 な 政 治的 秩 序 の なか で だ け︑ 人は 認 識 的に 責 任 あ る探 求 者で あり うる
﹂!
︒ いま 考察 した 二つ の点 を纏 める なら ば︑ 民主 主義 とは 人び とが 責任 ある
︑理 知的 な真 理の 探究 者で あろ うと する 場合 の 政治 的︑ 社会 的秩 序だ とい うこ とに なる
︒こ の民 主主 義概 念は
﹁民 主主 義の 認識 的完 成主 義的 概念
︵anepistemicper-
fectionistconceptionofdemocracy
︶﹂"
と 定式 化さ れる
︒つ まり 民主 主義 とは
︑我 われ が真 理へ の探 求を 行う ため の理 想的 な 政治 的︑ 社会 的秩 序で ある
︒ この 立場 と︑ リベ ラリ ズム とか 市民 的共 和主 義は どの よう な関 係に ある のだ ろう か︒ 民主 主義 に関 する 認識 的完 成主 義 は認 識的 規範 や理 想を 掲げ るが
︑リ ベラ リズ ムは 規範 や理 想に 対し て中 立的 であ ろう とす るの で︑ 両者 は異 なる
︒次 に 市 民 的共 和 主 義と の 関 係 につ い て いえ ば
︑何 れ も完 成 主 義 的な 面 を もつ が
︑認 識 的完 成 主 義 は道 徳 的 善に は 関 わ ら ず
︑認 識的 完成 主義 にだ けコ ミッ トす るの で︑ 両者 は異 なる
#
︒ そこ で問 題と なる のは
︑実 体的
︑規 範的 な民 主主 義論 の一 種で ある 認識 的完 成主 義が
︑如 何に して 多元 主義 と両 立で き るか とい うこ とで ある
︒タ リス によ れば
︑デ ュー イの 民主 主義 論は 彼の 探求 の理 論と か形 而上 学を 根拠 にし て提 示さ れ てい るの で︑ リー ズナ ブル な多 元主 義と 相い れな い︒ それ では パー スの 民主 主義 論は
︑リ ーズ ナブ ルな 多元 主義 と両 立で きる のだ ろう か︒ 哲学 的多 元主 義は
︑諸 価値 の客 観 的多 元性 を主 張す る価 値多 元主 義
︵valuepluralism
︶と
︑ど ん な単 一 で 包 括的 な 哲 学的
︑宗 教 的︑ 道 徳的 言 説 も 存在 せ ず︑ 認識 者が 最善 の探 求を 継続 して も︑ それ らの 言説 間に は︑ 相互 に還 元不 可能 な多 元性 があ ると 唱え る認 識的 多元 主 義︵epistemicpluralism
︶が ある
︒ パー ス的 な認 識的 完成 主義 に基 づく 実体 的︑ 規範 的な 民主 主義 論は
︑如 何に して 哲学 的多 元主 義と 両立 でき るの だろ
― 125 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
う か︒ タリ スの 主張 を要 言す れば
︑次 のよ うに なる
︒哲 学︑ 宗教
︑道 徳問 題に 関し て多 様な 見解 をも つ人 びと いる
︒し か しそ うし た人 びと は︑ それ らの 問題 に対 して 様ざ まな 見解 をも って いた とし ても
︑自 らの 立論 を他 の人 びと に対 して リ ーズ ナブ ルに 論証 する 必要 があ り︑ その ため には パー ス主 義的 な科 学的 方法 の認 識規 範に 服さ なけ れば なら ず︑ 当の 認 識規 範の 集合 的表 現は 民主 主義 であ る︒ つま り哲 学︑ 宗教
︑道 徳的 問題 に対 して
︑ど んな 見解 をと る人 も︑ パー ス主 義 的 な 民 主 主 義 的 規 範 に 従 わ ざ る を 得 ず︑ し た が っ て 民 主 主 義 的 規 範 は 哲 学 的 多 元 論 と 両 立 可 能 な 普 遍 的 規 範 で あ る"
︒
! .
民 主 主義 の 形 而上 学 と 多元 主 義 デューイ の理 論を プラ グマ ティ ズム の代 表的 な民 主主 義論 と見 なす こと は︑ プラ グマ ティ ズム 内外 の公 認の 見解 であ る
︒し たが って タリ スの よう に︑ デュ ーイ の民 主主 義論 を退 け︑ パー スの うち に正 当化 可能 な民 主主 義論 を見 てと る立 場 は︑ グリ ーン の﹁ 深層 の民 主主 義論
﹂と 対立 する だけ でな く︑ デュ ーイ 主義 者の 反論 を引 き起 こす こと とな った
︒そ う した 反論 は︑ 二〇
〇九 年の
﹃パ ース 学会 紀要
﹄誌 上で 行わ れた 論争 に見 るこ とが でき る︒ 同誌 には タリ スに 批判 的な 七 本の 論文 が寄 せら れた
︒本 論で は︑ これ らの 論文 すべ てを 精査 する 余裕 がな いの で︑ 重要 と思 われ る若 干の 批判 点に つ いて 検討 した い︒ 一つ めの 批 判 点 はM.
フ ェ ステ ン ス タイ ン に よ るも の で ある
︒#
そ の 批 判を 手 短 に 要約 す る なら ば 次 のよ う に な る︒ タ リ ス によ れ ば︑ 我 われ は 道 徳 的信 念 を 含む あ ら ゆる 信 念 が 真で あ る こと を 求 めて お り
︑そ の 目的 を 実 現す る た め に は
︑パ ース 的な 科学 的方 法と それ の政 治的 表現 であ る民 主主 義へ の恭 順が 求め られ ると いう が︑ 民主 主義 が真 なる 信念 の 探求 を妨 げる 場合 や︑ 逆に 民主 主義 への 恭順 を示 さず に︑ 信念 が真 であ ると 主張 する 場合 もあ る︒ C. マク ブラ イド
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 126 ―
も また
︑探 求共 同体 と民 主主 義の 間に は弱 い関 係し かな く︑ 探求 が栄 える ため に必 要な のは
︑異 端を 過度 に取 り締 まら な い穏 健な リベ ラル の体 制だ と言 う!
︒ 二つ めの 批判 点は C. コー プマ ンに よる もの であ る︒ コー プマ ンに よれ ば︑ 多元 主義 に関 して は二 つの 選択 肢が ある の だが
︑タ リス は︑ その うち の一 つ︑ つま りロ ール ズの 多元 主義 の考 え方 だけ を考 慮し
︑も う一 つの デュ ーイ 的な 多元 主 義の 考え 方を 考慮 して いな い︒ ロ ール ズの 多元 主義 は︑ 我わ れの 実体 的で 包括 的な コミ ット メン ト同 士が 衝突 し合 わな い希 薄な 手続 き主 義︵athinpro-
ceduralism
︶ であ る︒ それ に対 して デュ ーイ の 多 元 主義 は
︑我 わ れの 政 治 的コ ミ ッ ト メン ト に 方向 性 を 与え る 条 件 であ る
︒つ まり デュ ーイ の多 元主 義は
︑包 括的 な理 論相 互が 関与
︵engagement
︶ し合 うこ とを 通じ て
︑例 え どの 包 括 的 理論 が 特権 的地 位を 占め るこ とが なく とも
︑貴 重な 成果 があ るこ とに 賭け る"
︒ 三つ めの 批判 点は R. メイ ヨー ガと かM.
H. ホ ルベ ーク によ るも ので ある
#
︒批 判の 要点 は︑ タリ スに よれ ばデ ュー イ の民 主主 義論 は彼 自身 の形 而上 学的
︑認 識論 的主 張を 負荷 して いる とい うこ とで ある が︑ パー ス自 身の 探求 の理 論自 体
︑彼 の形 而上 学的
︑認 識論 的︑ 規範 的な 主張 を負 荷し てい る︑ とい うこ とで ある
︒ 四つ めの 批判 点は M. L. ロジ ャー ズに よる もの であ る︒ 批判 の要 点は
︑タ リス がデ ュー イ をサ ン デ ルの 立 場 と 一体 化 して いる のは 間違 いだ とい うこ とで ある
$
︒こ こで サン デル は現 代に おけ る実 体 的 民主 主 義 論の 代 表 者と 見 な さ れて い るが
︑デ ュー イは サン デル のよ うな 強い 共同 体観
︑つ まり 社交 性が 批判 を超 えた 道徳 的名 誉を 表わ す語 句と 見な す立 場 を認 めて いな い︑ とさ れる
︒ 五つ めの 批判 点は C. マク ブラ イド によ るも ので ある
︒批 判の 要点 は︑ タリ スの 見解 だと パー ス主 義的 民主 主義 論で は
︑認 識能 力の 完成 が人 びと の規 範に なっ てい るが
︑我 われ が自 らの 認識 能力 を完 成さ せる こと に人 生を 費や すべ きだ と いう 主張 は︑ 明ら かに 間違 いだ
︑と いう こと であ る%
︒
― 127 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
本論 の最 後に
︑こ れら 諸批 判を 念頭 に置 きな がら
︑グ リー ンの
﹁深 層の 民主 主義
﹂が 要求 する 民主 主義 の形 而上 学的 次 元の 意味
︑お よび その 次元 の多 元主 義と か抑 圧の 問題 を寸 考し てみ たい
︒ タリ スに よれ ば︑ デュ ーイ の民 主主 義論 は︑ その 認識 論的
︑道 徳的
︑形 而上 学的 諸前 提に 基づ いて いる ので
︑そ れら 諸 前提 を共 有し ない 人び とを 抑圧 する
︒一 方︑ どの よう な理 論的 前提 に基 づこ うと も︑ 自ら の立 場を 他者 に対 して 正当 化 する ため には
︑パ ース 的な 科学 的方 法に 依拠 せざ るを 得ず
︑そ の方 法の 社会 的表 現が 民主 主義 であ るか ら︑ 認識 的完 成 主義 に基 づく 民主 主義 が正 当化 され る︒ 以上 のよ うな タリ スの 立論 が正 当化 され ると は考 えら れな い︒ プラ グマ ティ ズム 的全 体論 の立 場か らす れば
︑パ ース 的 な科 学的 方法 が︑ それ 単独 で形 成さ れ︑ また 正当 化さ れる とい うこ とは あり 得な い︒ メイ ヨー ガと ホル ベー クが 指摘 す るよ うに
︑パ ース の科 学的 方法 自体 が多 様な 理論 的前 提を 負荷 して いる
︒ それ では デュ ーイ やグ リー ンに おけ る民 主主 義の 形而 上学 的次 元は
︑ど のよ うな 意味 をも つの であ ろう か︒ この 問題 に 関し て示 唆的 なの は︑ H. パト ナム の 指摘 で あ る︒ パト ナ ム はB.
ウ ィ リ アム ズ と とも に
︑﹁ 正 当化
﹂を 二 種 類 に分 け る
︒一 つ は﹁ 懐疑 主 義 者や 反 道 徳 主義 者 を 実際 に 得 心さ せ
︑彼 ら の 流儀 を 変 える よ う に説 得 す る﹂! こ と であ る
︒も う 一つ の正 当化 は︑ 既に 倫理 的で ある よう な共 同体 に向 けて 行わ れる もの であ る︒ その 場合 の正 当化 の目 的は 共同 体の 敵 や共 同体 を避 ける もの を統 制す るこ とで はな く︑ 既に 聞く 耳を もつ 人び とに 理由 を与 える こと によ って
︑同 一の 性向 に よっ て絶 えず 結び つく 共同 体を 創造 する 手助 けを する こと であ る︒ 我わ れの 見解 では
︑デ ュー イが
︑民 主主 義を 中心 的エ ピソ ード とす る哲 学的 自然 の理 論を 構築 した 目的 は︑ 反民 主主 義 者を 改心 させ るよ うな 正当 化を 行う こと では なく
︑民 主主 義に 対し て既 に聞 く耳 をも つ人 びと に対 して
︑哲 学的 自然 の 理論 に基 づい て民 主主 義の 意味 を明 らか にし
︑一 層の 民主 主義 の手 助け をす るこ とで あっ た︒ 前述 した よう に︑ デュ ー イの 民主 主義 の形 而上 学は 第一 哲学 では なく
︑民 主的 社会 の営 為に 支え られ た最 後の 哲学 なの であ る︒
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 128 ―
次に 多元 主義 の問 題に つい て考 えよ う︒ タリ スは デュ ーイ の民 主主 義が 多元 主義 と両 立し 難い と述 べる
︒し かし C. コ ープ マン が指 摘す るよ うに
︑多 元主 義の 意味 は一 義的 では ない
︒例 えば R. バー ンス タイ ンは 多元 主義 を五 つの 型に 分 類す るが
︑そ れら のう ち︑ デュ ーイ の多 元主 義は
﹁参 加的 な可 謬主 義的 多元 主義
︵engagedfallibilisticpluralism
︶﹂ に 分 類で きる であ ろう
︒こ の多 元主 義に つい て︑ バー ン ス タイ ン は 次の よ う に 述べ る
︒﹁
⁝⁝ 多 元主 義 的 エー ト ス は 我わ れ 自身 の可 謬性 を真 摯に 受け 止め るこ と│
│ど れほ ど我 われ 自身 の思 考ス タイ ルに 身を 託し てい たと して も︑ 他者 の他 者 性を 否定 した り抑 圧し たり せず に︑ 他者 の声 を進 んで 聞く と決 意す るこ とを 意味 する
︒そ れは 他人 が言 って いる こと を 曖昧 だと か︑ 不鮮 明だ とか
︑些 末だ と非 難す る︑ あの よく あ る やり 口 に 依拠 す る こ とに よ っ て簡 単 に 斥け る こ と と︑ 見 知ら ぬも のを
︑我 われ 自身 の確 立さ れた 語彙 に翻 訳す るこ とは
︑い つで も簡 単に でき ると 考え るこ との 二重 の誘 惑に 対 し て 用心 深 い こと を 意 味 する
﹂%
︒デ ュ ーイ は タ リス の 理 解 と は 異 な る 意 味 で 多 元 主 義 者 で あ っ た の で あ る︒ 例 え︑ 時 とし てデ ュー イの 民主 主義 論が 多元 主義 を逸 脱し
︑異 なる 見解 をも つ人 びと に対 して 抑圧 的で ある こと を是 認す る場 合 があ った とし ても
︑デ ュー イが
﹁参 加的 な可 謬的 多元 主義 者﹂ であ った こ と は確 か で ある
&
︒そ こ で 我わ れ の 次 の課 題 は︑ 民主 主義 的多 元主 義と 抑圧 の問 題を 詳細 に分 析す るこ とで ある
︒
! 註 拙 論
﹁ 民 主 主 義 の 認 識 論 的 正 当 化
│
│ H. パ ト ナ ム の デ ュ ー イ 解 釈 を 中 心 に
│
│
﹂﹃ デ ュ ー イ 研 究 の 現 在
﹄︵ 杉 浦 宏 編
︶︑ 日 本 教 育 研 究 セ ン タ ー
︑ 一 九 九 二 年
/ 拙 著
﹃ デ ュ ー イ 自 然 主 義 の 生 成 と 構 造
﹄︑ 晃 洋 書 房
︑ 二
〇
〇 九 年
︒
"
R.delCastillo,“JohnDeweyandtheEthicsofRecognition”,TheContinuingRelevanceofJohnDewey,ed.byLarryA.Hickman,Mat-thewCalebFlamm,Krzysztof,PiotrSkownonskiandJenniferA.Rea,Rodopi,2011.p.125.
#Ibid,pp.123−124.
$/niversityPress,2005.AardxelHoneth,DasAUrvCPublicf.ex.MichaelSandel,PhilosophyHa:EssaysonMoralityandPolitics,n-
― 129 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
derederGerechtigkeit:AufsätzezurpraktischePhilosophie,Suhrkamp,2000.
!inoiy,vol.1,SouthernIllsDeUniversityPress,1969,weJohnJohnDeDewey,“TheEthicsofmocofracy”,TheEarlyWorksp.240.
"
JohnDewey,“Maeterlinck’sPhilosophyofLife”,TheMiddleWorksofJohnDewey,vol.6,SouthernIllinoisUniversityPress,1978,
p.135.
#Ibid,p.134.
$anforthePost-9/11AmericDeutimocraticDisease:TowardCulcpeJudiDethGreen,“Dr.Dewey’sepralyDemocraticMetaphysicalThe-
turalRevitalizationandPoliticalReinhabitation”,ReconstructingDemocracy,RecontextualizingDewey:PragmatismandInteractive
ConstructivismintheTwenty-firstCentury,ed.byJimGarrison,StateUniversityofNewYorkPress,2008,p.32.
%umbiandC.West,ColahmaUniversityPress,1985,njcConalrnelWest,“Afterword”,Post-AytiRacPhilosophy,ed.byJohnp.271.
&
RichardRorty,AchievingOurCountry:LeftistThoughtinTwentiethCenturyAmerica,HarvardUniversityPress,1998,p.39.
'Ibid,p.27.
(Ibid,p.28.
) 拙 論
﹁ 真 理 か ら 連 帯 へ
│
│ ロ ー テ ィ の 反 真 理 論
│
│
﹂﹃ 現 代 哲 学 の 真 理 論
│
│ ポ ス ト 形 而 上 学 時 代 の 真 理 問 題
﹄︵ 加 賀 他 編
︶︑ 世 界 思 想 社
︑ 二
〇
〇 九 年
︑ 一 六 四 ペ ー ジ 参 照
︒
*Green,op.cit.,p.48.
+Ibid,p.48.
,Ibid,p.35.
-Ibid,p.36.
.Ibid,pp.44−45.
/tyism,Nation,andRace:CommuniinPrtheAgeofEmpire,edagmat”,“Intt,erviewwithCornelWesCetaonductedbyEduardoMendi.
byChadKautzerandEduardoMendieta,IndianaUniversityPress,2009,p.294.
0r,inAmerica,FarraStearausandGiroux,2001,sIdLouisicsMenand,TheMetaphyalofClub:AStoryp.61.
1 以 下 の 記 述 に つ い て は
︑ 拙 論
﹁ ジ ョ ン
・ デ ュ ー イ の 多 元 的 民 主 主 義 の 倫 理
│
│ そ の 可 能 性 と 限 界
│
│
﹂﹃ 現 代 社 会 フ ォ ー ラ ム
﹄ 第 六 号
︑ 二
〇 一
〇 年 に 負 う と こ ろ が あ る
︒
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 130 ―
!Cf.Castello,op.cit.,p.132.
"
RichardBernstein,“Dewey’sVisionofRadicalDemocracy”,TheCambridgeCompaniontoDewey,ed.byMollyCochran,Cambridge
UniversityPress,2010,p.303.
#Ibid,p.305.
$raeTheoryofDemoccyandToday”,PoliticalTheory,volthyAxeRelHonneth,“DemocracyasflewexiveCooperation:JohnDe.26,
1998.
以 下 の 記 述 は 拙 論
﹁ プ ラ グ マ テ ィ ズ ム の 公 共 性 理 論
│
│ 社 会 協 力 と 協 同 的 問 題 解 決
│
│
﹂﹃ 現 代 社 会 フ ォ ー ラ ム
﹄ 第 二 号
︑ 二
〇
〇 六 年 に 負 う と こ ろ が あ る
︒
%Ibid,p.80.
&
JohnJ.Stuhr,“Dewey’sSocialandPoliticalPhilosophy”,ReadingDewey:InterpretationforaPostmodernGeneration,ed.byLarry
Hickman,IndianaUniversityPress,1998,p.85.
'mbrapers,vol.1,1991,CaidgelUniversityPress,PcaRorty,ivObjectivity,Relatism,sophiandTruth:Philop.17.
(:callyReal”,ReadingDeweyInotterpretationforaPostmodeypiotCfey.R.D.Boisvert,“Dew’sPrMetaphysics:Ground-Mapofthern
Generation,ed.byLarryHickman/JamesW.Garrison,“DeweyonMetaphysics,MeaningMaking,andMaps”,Transactionsofthe
CharlesS.PeirceSociety,vol.41,2005,pp.819−844.
以 下 同 誌 はT.C.S.P.S.
と 略 記 す る
︒ な お 拙 著
﹃ デ ュ ー イ 自 然 主 義 の 生 成 と 構 造
﹄︑ 二 四 二
│ 二 四 八 ペ ー ジ を 参 照 の こ と
︒ )phys1992,.28,volS.,P.S.C.T.”,s?icetaR.MIstha“Wr,peeeSl.Wp.177.
*Wdge,2000/RobertB.esRouttbrook,DemocraticHope:Plen,Ch.raMisak,Truth,Politics,Molitytio:PragmatismandDeliberarag-
matismandthePoliticsofTruth,CornellUniversityPress,2005/RobertB.Talisse,APragmatistPhilosophyofDemocracy,Routledge,
2007.
+ofNewAge,UniversityCarliforniaPress,afoCngf.BenjaminBarber,StroDemooliticscracy:ParticipatoryP1984.
,Tallise,op.cit.,p.37.
-Ibid,p.39.
.Ibid,p.67.
/Ibid,p.73.
― 131 ― 民主主義の形而上学的正当化再考
!Cf.Ibid,pp.72−75.
"
Cf.Ibid,pp.85−88.
#S.mmentonTallise”,T.C.P.:S.,vol.45,2009,pp.55−CobleCf.,MathewFestenstein“UnnaravellingtheReaso56.
$emocraticp.S.,P.S.C.T.Politics”,DCf.andInquiryof“CommunitiescBride,MollianC72.
%ofragmatistPhilosophyDeAmocracy”,T.C.S.P.S.,Pe’sCfons.ColinKoopman,“GoodQuestianssdBadAnswersinTalip.62.
&
Cf.RosaMariaMayorga,“OnTalisse’s‘Peirceanist’Theory”,T.C.S.P.S.,pp.65−66./MarkH.Hollebeke,“Through‘Thick’and
‘Thin’:ConcernsaboutTallise’sPragmatistPhilosophyofDemocracy”,T.C.S.P.S.pp.83−84.
'rt:AResponsetoRobeTaralisse”,T.C.S.P.S.,cyocCfrs,.MelvinL.Roge“Deemwey,Pluralism,andDp.75.
(Cf.McBride,op.cit.,p.72.
)ard1992,s,esPrtyrsiveniUrvPutnam,Ha,sophyloPhingwineRep.180.
*itylHorizonsofModern/l-PoPost-modernity,PolityPress,1991,liticaicaRNichardBernstein,TheewthConstellation:TheEp.336.
+ デ ュ ー イ 民 主 主 義 論 に お け る 抑 圧 の 問 題 に つ い て は
︑ 拙 論
﹁ デ ュ ー イ 民 主 主 義 論 は 抑 圧 的 か
﹂﹃ 日 本 デ ュ ー イ 学 会 紀 要
﹄ 第 三 七 号
︑ 一 九 九 六 年 を 参 照 の こ と
︒
民主主義の形而上学的正当化再考 ― 132 ―