連辞・文・発話 - 「文」についての試論 -

(1)

連辞・文・発話 ‑ 「文」についての試論 ‑

著者西田稔

雑誌名言語文化

巻 1

号 3

ページ 597‑671

発行年 1999‑01‑15

権利同志社大学言語文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004305

(2)

連辞

・文

・発話

︱︱

﹁文

﹂についての試論

︱︱

西田稔

序章本

論は

︑ ソシュールが導入した

﹁連辞syntagme

︵１

﹂︶

という概念を中心に据えて

︑﹁文

﹂について考察しようとするものである

︒ ソシュールの講義には

﹁文

﹂についての重要な示唆はあるものの

︑ それについての具体的な分析にまでは言及されていない

︒ また

︑ 講義そのものがラング

︵慣習によって成り立っている

︑ 体系としての言語

︶における言語記号の話として展開され

︑ パロル

︵ラングをもとにして実現される

︑ 個々の発話

︶の領域については

︑ よく知られているように

︑ 予告だけで

︑ 実際の講義は行われなかった

︒ そのため本論は

︑﹁文

﹂について

︑ この二つの領域に関する別の理論を援用することによって

︑ ソシュールの講義に散在する

﹁文

﹂および

﹁連辞

﹂についての言及の延長上で考えられることを模索しようとしている

︒ そして

︑ ラングとパロルの二つの観点から眺めることによって

︑﹁文

﹂を

﹁言語文化

﹂１︱

３．

597

︱

671 ページ一九九九年．

同志社大学言語文化学会

(3)

扱う際の理論的基盤を求めようとする意図のもとで書かれている

︒ ところで

︑ ソシュールはラングにおける言語記号について語っているのであるが

︑﹁記

号signe

﹂という語そのものの定義は行っていない

︒ そこでまず

︑ この序章では

︑ ソシュールの語っている言語記号の

︑﹁記号

﹂としての特徴を大まかに捉えておこう

︒ パースによれば

︑ 記号はたとえば次のように定義される

︒

﹁記号sign

あるいは表意体representamen

とは

︑ ある人にとって

︑ ある観点もしくはある能力において何かの代わりをするものである

︒ 記号は誰かに話しかける

︑ つまりその人の心の中に

︑ 等値な記号

︑ あるいは発展した記号を作り出す^︵^２_︶

︒﹂ところが

︑ ラングのレベルにおける言語記号は

︑ この定義にうまくあてはまらないように見える

︒ たとえば

︑ 私が

︑ 何の脈絡もなく

︑ 私を取り巻く外界とも関係なしに

︑ 心の中に

﹁雨

﹂という語を思い浮かべた場合

︑ それは言語記号であっても

︑ 何かの代わりをしているという訳ではない

︒﹁アメ

﹂という音が

﹁雨

﹂という意味

︑ または概念の代わりをしている

︑ とは言えない

︒ なぜなら

︑ 語として思い浮かべた場合

︑﹁アメ

﹂という音は

︑ 意味の代わりをする前に

︑ すでに意味を担っているからである

︒ それに

︑﹁雨

﹂という語の意味の方は

﹁アメ

﹂という音なしには定められないのであるから

︑ 音がその代わりをすることはできない

︒ だが

︑﹁雨

﹂という語とは別に

︑﹁雨

﹂と呼ばれる現象は存在するし

︑ 現にそのイメージを思い描けるのだから

︑ 私は

︑﹁雨

﹂という語はその現象の代わりをしていると言える

︑ と自分に言い聞かせるかも知れない

︒ しかし

︑ 他方

︑ そのような現象や事物のイメージを描く前に

︑ 様々な語を次々とでたらめに思い浮かべることはできるし

︑ また逆に

︑﹁なお

﹂とか

﹁だから

﹂のような語に対しては

︑ ゆっく

(4)

りと考えても

︑ イメージを描くことは困難だろう

︒ ソシュールによれば

︑ ラングとしての言語記号では

︑ 音

︵シニフィアン

︶と意味

︵シニフィエ

︶は不可分の一体であり

︑ どちらかが他方に先だって存在することはなく

︑ それらを別々に扱うことは

︑ 抽象的な作業でしかない

︒ だから

︑ 一方が他方の代わりをするとは言えないのである

︒ パロルのレベルでは事情が異なる

︒ たとえばある人が窓際に立ち

︑ 私に聞こえるように

﹁雨

・

︒﹂と言った場合

︑﹁雨

﹂という語は

︑ 窓の外で起こっていることの代わりをしている

︑ と言うことができる

︒ 言語を記号の部類に入れることができるのは

︑ 実際的な使用において

︑ このような働きをするからであると考えることができる

︒ このことは

︑ 語のスケールにとどまらない

︒ たとえば

︑ 先ほどと同じ場面で

︑ ある人が

﹁雨が降ってきた

︒﹂と言えば

︑ その言葉は

︑ 窓の外での出来事の代わりをすることができる

︒ 他方

︑﹁雨が降ってきた

﹂という表現自体は

︑ 状況や文脈を離れても思い浮かべることができ

︑ その時には

︑ 常に同じ意味を担っていると做すことができる

︒ 後者のような意味を

︑ 仮に

︿文字どおりの意味

﹀と言うとすると

︑ 私は

︑ 実際的な場面では

︑ 言葉の

︿文字どおりの意味

﹀と

︑ それを取り囲む状況

︑ それが誰かの言葉ならその人の言い方

︑ それまでの会話の文脈などとの

︑ 総合的な意味作用によって

︑ いわば

︿その場の意味

﹀を理解するのである

︒ パースの引用の後半部分に戻ってみよう

︒ 状況

・文脈を離れても思い浮かべることのできる語は

︑ 心の中に必ず

﹁等値な記号

︑ あるいは発展した記号を作り出す

﹂︑ とは言えない

︒ たとえば

﹁雨

﹂という語が

︑ とりあえず

︑ 心の中に作り出すのは

︑﹁雨

﹂という意味であり

︑ その意味に等値な記号はその語自身である

︒ このような記号は

︑ 解釈項として別の記号を作り出すのではなく

︑ 記号であるとしても

︑ 自己同一的な記号である

︒ この記号は

︑ 個人の頭の中で

︑ 形式

︵音

︶と内容

︵意味

︶に関して自己同一的であるばかりでなく

︑ 同じ言語共同体に属している人たちの間に

(5)

共通した同一性をもっている

︒ このような記号を

︑ 仮に

︿同一的記号

﹀と呼ぼう

︒ 本題に入る前に

︑ 今しばらくパースの記号論の中で

︑ ラングのレベルにおけるこの

︿同一的記号

﹀を位置づけておこう

︒ パースは

﹁記号そのもの

﹂を

︑﹁質記号qualisign

﹂︑

﹁個記

号sinsign

﹂︑

﹁法記号legisign

﹂の三つに分けている

︒ 質記号は記号としての性

質quality

であり

︑ 質的可能性である

︒ パースの挙げている例は

﹁赤い

﹂という情態

feeling

であるが

︑ 他に質の感覚としての情態について挙げている例をも参考にすると

︑ 光

・色

・音

・形

・匂い

・味など

︑ 感覚的に捉えられた

︑ 記号の表現面であると考えられる

︒ それらは情態であり

︑ 他の何ものとも差異を示さず

︑ 他の何ものとも関係づけられず

︑ それ自身として均質な単純性として捉えられなければならない

︒ 質記号は

︑ また

︑ 記号としての質的可能性であり

︑ 個記号として具体化されるまでは記号として働けない

︒ したがって

︑ それについては

︑ 個記号において個別に観察される以外には

︑ 想像的なレベルでしか語ることができない

︒ ただ

︑ パースは

︑ 情態について語りながら

︑﹁情態の質はそれ自体では一般化を持っていないが

︑ その特性を失うことなく一般化を受けることができるし

︑ 実際われわれの認知できる情態の質はすべて多少一般化されている^︵３

﹂︶

と言っている

︒ そうであるので

︑ 質記号についても

﹁赤い

﹂といった例を挙げることができるのである

︒ 質記号が想像的な領域に属しているとすると

︑ それに対して

︑ 個記号と法記号は実在的な領域に属していると言える

︒ そして

︑ そのうちでも

︑ 個記号は

﹁事実fact として存在する記号

﹂であるので

︑ 現実的に記号として観察できるものであり

︑ 他方

︑ 法記号は

﹁法則law として

︑ また一般的タイプtype として存在する記号

﹂であるので

︑ 記号として働いてはいないが既に潜在的に記号であるものである

︑ と解することができる

︒ 質記号は可能性にすぎず

︑ 法記号はパースが

﹁レプリ

カreplica

﹂と名づける

︑ 個記号の一種

︵﹁例

﹂と考えておけばよい

︶を通してしか記号として現

(6)

れることができないのであるから

︑ 私たちが記号として具体的に観察できるものはすべて個記号である

︑ と言える

︒ 先ほどの例で見ると

︑﹁雨が降っている

﹂という表現が

︑ 状況

・文脈などと関わりなく

︑﹁文

﹂の例のひとつとして提示されている場合

︑ それは法記号のレプリカとして位置づけられる

︒ そして

︑ その限りにおいて

﹁記号

﹂として実際に働いているとも言える

︒ それは発話との関係はもつが

︑ 発話そのものとしてでなく

︑ あくまで

﹁例文

﹂としての記号的役割を果たしてしているのである

︒ 他方

︑ それが

︑ 実際的に

︑ ある話し手の発話として理解される場合には

︑ もはや単なるレプリカではなく

︑ レプリカを含んだ真の個記号として

︑ 別の記号的役割を担うことになる

︒ そして

︑ そこには

︑ 話し手

／受け手の間のコミュニケーションや

︑ 発話を取り巻く状況

・文脈も関係してくる

︒ ソシュールにおけるラングとしての言語記号は

︑ パースの法記号に含まれ

︑ パロルは発話としての真の個記号である

︑ と做すことができる

︒ ただ

︑ 質記号が記号の質的可能性にすぎず

︑ しかもそれ自身は他の何ものとも関係づけられないものであるので

︑ 個記号に含まれるまでは

︑ 記号ではありえないのと同様に

︑︿同一的記号

﹀も

︑ こちらは潜在的に記号でしかありえないのに

︑ 個記号として用いられるまでは

︑ 記号としての働きをもたない

︒ 質記号と

︿同一的記号

﹀は

︑ どちらも個記号の形成に与りながら

︑ 個記号においてしか記号としての働きをもたない

︑ という共通点をもっている

︒ しかし

︑ この二つのそれぞれの性格は両極端にある

︒ 個記号として具体化された質記号も自己同一的であるが

︑ しかし

︑ それは

︑ 孤立的な

︑ 唯一無二のものとして

︵ただし

︑ パースの言葉にあったように

︑ それが私たちに認知される時には

﹁多少一般化されている

﹂︶感覚器官によって捉えられる

︒ それに対して

︑

︿同一的記号

﹀の自己同一性は

︑ 慣習によって支えられながら使用される無数の個記号から生み出される

︑ いわば幻想である

︒ さらに

︑ 質記号は

︑ 個記号の中に

︑ 出来事として

︑ 偶然的に実現され

︑ その具体的な現れはあらかじめ予

(7)

測することができない

︵ただし

︑﹁パターン

﹂として

︑ 次第に法記号に近づくことはありうる

︶のに対して

︑︿同一的記号

﹀は

︑ 個記号を実現するために貯えられているものであり

︑ レプリカの形でもって

︑ あらかじめその性質を調べることができる

︒ パースの記号論の枠組みの中では

︑ この点において

︑ ラングのレベルでの言語記号を扱うことのできる根拠を見いだすことができるだろう

︒ 以下に続く本論の第一章は

︑ 言語記号の性質を述べるためにソシュールが採った手続きを確認することから始められる第 ︒

一章連辞とそのスケール一

︑ ラングにおける言語記号序

章で

︿同一的記号

﹀と名づけながらその特殊性を見た記号に対して

︑ ソシュールは

︑ 一般的な

﹁記

号signe

﹂ではなく

︑ 特別の用語を導入しようとしたことがある

︒ 手稿一五では

︑ それが

﹁セームsème

﹂と名づけられ

︑ それに関して次のように記されている

︒

﹁セーム

＝一

︑ 慣習的記号

︱︱二

︑ 体系

︵それ自体が慣習的

︶に加わる記号

︱︱三

︑ 次のようにも言える

︒ セーム

＝ラングを構成するものとして認められる様々な性格を担う記号

︒

︵４

﹂︶

(8)

三回にわたる講義の中ではこの案は採用されなかったが

︑ そこには

︑ ソシュールがラングについて語りながら

﹁記号

﹂または

﹁言語記号signeliguistique

﹂と言う時に

︑ それをどのようなものとして語っているのかがよく見てとれる

︒ ところで

︑ ソシュールの言語理論の核心をなしているのは

︑ 言語記号に対する

﹁恣意性arbitraire

﹂という考え方だろう

︒ 第三回講義では

︑ はじめ

︑ それは聴覚イメージ

︵シニフィアン

︶と概念

︵シニフィエ

︶の結びつきの恣意性であると解せる言い方がなされる

︒

﹁ある与えられた聴覚イメージを

︑ 限定された概念に結びつけ

︑ 前者に記号としての価値を与えるものは

︑ 根源的に恣意的な絆である

︒

︵５

﹂︶

しかし

︑ 講義の終わり近くで

︑ ソシュールのもうひとつの重要な理論的概念である

︑ 言語記号の

﹁価

値valeur

﹂の説明のあたりまでくると

︑ 恣意性の真の姿が現れてくる

︒ それは

︑ 観念と音の間で

︑ どちらの領分にも自らに先立つものをもたず

︑ どちらの領分からの動機づけももたない

︑ という言語記号の姿である

︒

﹁心理的に見て

︑ 言

語langue

を抜きにした観

念idées

とはどんなものだろうか

︒ それはおそらく存在しないか

︑ あるいは無定

形amorphe

と言うべきようなものでしかない

︒ 哲学者や言語学者によれば

︑ おそらく

︑ 言語

・

・の助けを借りなければ

︑ 私たちには二つの観念を明瞭に区別する方法がないであろう

︒ したがって

︑ それ自身として見れば

︑ 私たちの観念の純粋に概念的な集まり

︑ 言語から切り離されたその集まりは

︑ 形の定まらない星雲のようなものを表していて

︑ そこでは

︑ 初めから何も区別できないであろう

︒ それ故

︑ 逆に

︑ 言語にとっても

︑ 様々な観念が前もって存在する何かを表している

︑ ということはない

︒ そこには

︑ ａあらかじめ確定し

︑ 互いにはっきりと区別されるような観念も

︑ ｂこのような観念のための記号もないだろう

︒ 言語記号以前には

︑ 思考の

(9)

中には明瞭な何もない

︑ これが要点である

︒ 他方

︑ この混沌とした観念の領分を前にして

︑ 音の領分が

︑ あらかじめ十分に区別された観念

・

・を提供するかどうか

︑ 考えてみてもよいだろう

︒ 音の中にも

︑ 前もって切り取られた

︑ 明瞭な単位はないのである

︒ この二つの間で言語的事実faitlinguistique

が起こる

︒

︵６

﹂︶

﹁言語的事実が起こる二つの領域が無定形であるばかりでなく

︑ この二つの間での絆の選択

︑ 価値を生み出すこの二つの結びつきは

︑ 完全に恣意的である

︒

︵７

﹂︶

ソシュールにとって

︑ 言語の研究はまずこの恣意性を制限しているもの

︑ という観点からなされる

︒ 言語研究の対象に関する

﹁単位

﹂の画定

︵この点については後に触れる

︶について語った後

︑﹁絶対的恣意性と相対的恣意性

﹂と題された章で

︑ 彼は次のように言っている

︒

﹁ある言語を体系または組織としているものについては

︑ 観念との関係における恣意性の制限

︑ という

︑ 一般にほとんど扱われることのない観点から取り組むことが求められている

︒ このようにすれば

︑ 暗黙のうちに

︑ 最良の基盤に立つことになるだろう

︒ というのも

︑ 言語記号の基本的な与件は恣意性であるからである

︒

︵８

﹂︶

ここで問題とされていることは

︑ ソシュールが挙げている例を用いると

︑ 数の名称に関して

︑ たとえば日本語なら

﹁じゅう

﹂と

﹁きゅう

﹂は

︑ それぞれ絶対的に恣意的だが

︑﹁じゅうきゅう

﹂はその二つの語によって相対的に動機づけられている

︑ ということである

︒ 第三回講義では

︑ このように恣意性の制限

︑ 言い換えると

︑ ラングの内部における記号間の相対的な動機づけを研究することの大切さについて述べた後

︑ ようやく

﹁静態言語学liguistiquestatique

﹂と題された章に入っている

︒

(10)

この静態言語学は

︑ 一般に形態論

・統語論

・語彙論のような分野として研究される領域である

︒ だが

︑ ソシュールはそのような分野に分けず

︑﹁連辞関係rapportssyntagmatiques

﹂と

﹁連合関係rapportsassociatifs

﹂という二つの観点から

︑ 体系における言語記号の働きを捉えようとしている

︵なお

︑ 第二回講義では

︑ 形態論

・統語論

・語彙論は相互にからみあっているので

︑ これらの分野にこだわる必要はない

︑ という主旨のことを述べている

︶

︵９

︒︶

連辞関係と連合関係については

︑ 第三回講義の

︑ この話題の結論的部分から次の個所を引用しておこう

︒

﹁

・

・精神は語と語の間に

︑ 全体として次の二つの秩序を打ち立てる

︑ と言える

︒ １パロルの外で

︑ 記憶の中でなされる

︑ 語と語の間の連合が

︑ 共通の何かを提供し

︑ 様々なグループ

・系列

・同族familles

を生みだし

︑ その中で

︑ 非常に多様だがひとつのカテゴリーに帰する関係が支配する

︒ これが連合関係である

︒ ２パロルの中で

︑ 語は第一の秩序からは独立して

︑ 語と語の連鎖に依存する関係に従う

︒ これが

︑

・

・連辞関係である

︒

︵ 10

﹂︶

ここには

﹁語

﹂という用語が使われている

︒ この点に関しては

︑ 連辞関係と連合関係の話に入る前に

︑ 画定の難しい

﹁単位

﹂の代わりに

︑ 習慣と伝統に信頼を寄せながら

︑ 暫定的に

﹁語mot

﹂を用いる

︑ とことわっている

︒

﹁文

﹂について考えようとする本論にとって柱となる

﹁連辞syntagme

﹂という用語に至るために

︑ ここで

︑ ソシュールの連辞に対する扱い方と関係のある

︑﹁単位

﹂の導入の仕方を確認しておこう

︒ 先ほどの

︑﹁恣意性の制限

﹂の話の前に

︑ ラングを研究するための具体的な対象となるべきものの

(11)

単位について語っている

︒

﹁言語的事象の前にいるための第一の条件は

︑ 二つの要素

︵

＝概念と聴覚イメージ

︶の連合が現前しているか

︑ 維持されていることである

︒ もし

︑ そうとは知らずに

︑ それらの要素のひとつ

︑ それらの側面のひとつしか取り上げないとすると

︑ たちまち

︑ 言語的単位を偽造したことになる

︒ 私たちは抽象を行ったのであり

︑ 目の前にしているのは具体的対象ではない

︒

︵ 11

﹂︶

︵括弧内は筆者の補足

︶単位の候補は多くあるが

︑ 二つの要素の一方であるものもあり

︑ また

︑ ラングでなくパロルに属するものもある

︒

﹁語

﹂は重要な役割を果たすだろうが

︑ 合成語における下位単位もあれば

︑ 変化形や同意語の問題もある

︵第二回講義では

﹁語

﹂の他にも

﹁文

﹂が候補として検討されている

︒ しかし

︑ 文は余りに多様だとして退けられる

︒ この点については後に触れる

︶︒ そして

︑ 画定の方法への示唆は次のようになる

︒

﹁そこでは

︑ 何も前もって画定されていない

︒ 言語的単位を画定するために

︑ 私がとれる唯一の方法は

︑ 導入された区分けと概念とが本当に対応しているかを

︑ 常に注意することである

︒ 実際には

︑ そのためには

︑ 一連の異なったパロルの連鎖を比べてみなければならない

︒

︵ 12

﹂︶

﹁単位はどれでも

︑ 概念と分かちがたく結びつく音響の中に切片をもつだろう

︒ 概念なしに切片を画定することはできないだろう

︒

︵ 13

﹂︶

しかし

︑ それは方法についての話に終わっている

︒ そして

︑ 先に述べたように

︑ 静態言語学の話では

︑ 暫定的に

︵体系の

﹁辞

項terme

﹂という資格で

︶﹁語

﹂が用いられる

︒ 連辞関係と連合関係の話の中では

︑ 語と語の連なりのグループである

﹁連辞

﹂についても何回か言及される

︒ だが

︑

(12)

連辞そのものがどういうものであるかは

︑ むしろ第二回講義の序説が詳しい

︒ と言うのも

︑ 第二回講義では

︑ 連辞関係

・連合関係という関係にもとづく分析ではなく

︑﹁単位

﹂とその

﹁グルー

プgroupe

﹂という考え方をめぐって論が展開されていたからである

︒ そこでは

︑ 第三回講義の連合関係を生み出す背景が

﹁貯蔵

庫trésor

﹂または

﹁倉庫

magasin

﹂として捉えられ

︑ 連辞関係のそれが

﹁言説discours

﹂または

﹁連

鎖chaîne

﹂として捉えられていて

︑ それらの内部における単位のグループが

︑ 前者においては

﹁同

族famille

﹂︑ 後者においては

﹁連辞

﹂であったのである

︒ 二

︑ 連辞と文第

二回講義での話に従えば

︑ 連辞のスケールは定められていない

︒

﹁ところで

︑ 連辞というこの概念は

︑ どのような大きさの

︑ どのような種類の単位にも適用できる

︒ 単語でも

︑ 文でも

︑hippotropos

のような合成語でも取り扱うことができるだろう

︒

︵ 14

﹂︶

したがって

︑ 連辞をもとにして文を考える可能性が出てくる

︒ ここでは

︑ その問題に取り組む前に

︑ 少しソシュールを離れてみよう

︒ そして

︑ 何らかの連辞的グループを設定しないと

︑ 言説のような文の連鎖の中では

︑ 語と語の関係がほとんど捉えられない

︵語と語が隣接している場合にはそうでないこともあるだろうが

︶ということを考えてみよう

︒ たとえば小説において

︑ ひとつの語は小説全体と関係をもち

︑ 小説に現れる他のすべての語と関係をもち

︑ 語と語の無際限の組み合わせに対しても関係をもっていて

︑ しかも

︑ それらのすべての関係が分からなければ

︑ 文法的にせよ

︑ 意味的にせよ

︑ その語の位置づけができない

︑ となると

︑ とりとめもない話になってしまうだろう

︒ だが

︑ そ

(13)

の語を含む

︑ ある程度の小規模なグループが設定されていたなら

︑ 少なくともそのグループの内部では

︑ 構成要素の相互的な関係を捉えることは比較的容易になるだろう

︒ しかし

︑ その場合でも

︑ 今度はそのグループが先ほどの

︑ 小説の中のひとつの語と同じ立場に立つことが想定され

︑ 先に容易になると思われた見通しも瓦解してしまう

︒ その時には

︑ 問題のグループを含む

︑ さらに大きいグループが設定されているとよいが

︑ 今度はまた

︑ その上位のグループが同じ立場に立たされ

︑ 結局のところ

︑ 最上位のグループは小説そのものとなってしまい

︑ 話は出発点に戻ったかのように見える

︒ だが

︑ そこには

︑ もとの

︑ ひとつの語が小説と直接に向かい合っていたのとは異なる事情が生じている

︒ と言うのも

︑ もし大きさにおいて上位

︱下位の関係にある一組の

︑ しかも相互関係がかなり明確に位置づけられた一組のグループ的単位を設定することができたなら

︑ 下位の

︑ 小さい方の単位で測られるグループ内では

︑ 上位の単位に守られて

︑ 比較的安定して構成要素間の関係を調べることができるだろう

︒ そして

︑ それでも不十分と分かった時に

︑ さらに大きな単位を設定してみる

︑ といった方法が与えられることになる

︒ 本論は

︑ この方法に従って

︑ 語と句

︑ 句と文

︑ 文と発話という組を設定していく予定である

︒ 連辞関係と連合関係に話題を戻そう

︒ この二つの領域にはいずれも

﹁単位

﹂と

﹁グループ

﹂が関わっている

︒ 後者について言えば

︑ 連合関係においては

︑﹁系列

﹂あるいは

﹁同族

﹂のグループが見いだされる

︒ そして

︑ そこでの何らかの共通点が

︑ 帰納的に

︑ カテゴリーあるいはクラスを形作る

︑ と見てよいだろう

︒ それに対して

︑ 連辞関係におけるグループが

﹁連辞

﹂なのだが

︑ 第三回講義では

︑ 例という資格ではあっても

︑ その説明のために

﹁文

﹂が用いられている点は注目すべきである

︒

﹁連辞は

︑ 文でない結合combinaisons

の中にも認められるが

︑ 連辞の

︑ かなり明白なタイプは文そのものである

︒

(14)

文はどれでも連辞だろう

︒ ところで

︑ 文はラングでなく

︑ パロルに属する

︒

・

・私たちは

︑ 連辞

︱連合の二つの領域を区別するために

︑ ラング

︱パロルの二つの領域を混ぜているのではないだろうか

︒

・

・いずれにしても

︑ ラングに属する事柄にも連辞はある

︒ 合成語はそうだし

︑

・

・何よりも

︑ 個人が自分で組み合わせるのでない

︑ ラングのための出来合いの文は沢山ある

︒ 連辞の中での微妙な点：ラングとパロルの分離

︒

︵ 15

﹂︶

ラングの体系について語るために

︑ ソシュールは暫定的に

﹁語

﹂を用いた

︒ 連辞関係

・連合関係について語る場面でも同じようなことが起こっているのではないだろうか

︒ 連辞は

﹁文

﹂である必要はない

︒ しかし

︑ 説明のためには何かを取りあげないと

︑ それがどういうものであり

︑ そこにおいてどういうことが問題となるのかを伝えることができないだろう

︒ その際に

﹁文

﹂が代表的に選ばれているのである

︒ 今日では

︑ ソシュールが結論づけなかった

﹁単位

﹂は

︑﹁形態素morpheme

﹂または

﹁記号

素monème

﹂︵マルチネ

︶と呼ばれている

︒ しかし

︑ そのこととは別に

︑ ソシュールの講義の展開においては様々な単位について言及されていることも忘れてはならないだろう

︒ 形態素または記号素が

︑ 最小意味単位として

︑ 言語学的に厳密な基盤となるとしても

︑﹁連辞

﹂という概念を介して

︑ 必要な観点に従って様々なスケールの単位についても語りうるとするなら

︑ その時には

︑ ソシュールの理論の枠組みの柔軟さと

︑ その展開の可能性をあらためて思い知らされることになるだろう

︒

﹁文

﹂もまたひとつの単位である

︒ ただ

︑ それはあまりに多様なので

︑ ラングの研究の基盤にはできないのである

﹁ ︒ 話される文の集まりを取りあげてみると

︑ その顕著な特徴は

︑ 互いに全く似ていないということであり

︑ 研究対

(15)

象の共通基盤も提供しない

︑ ということである

︒

︵ 16

﹂︶

ひとつ前の引用個所に関して言うと

︑ 文はパロルに属するが

︑﹁ラングのための出来合いの文

﹂もある

︒ そして

︑ 文はラングとパロルの

︑ 二つの領域の違いがもっとも問題になってくるスケールの単位であるように思われる

︒ と言うのも

︑ ラングが社会的慣習によって成り立ち

︑ 自由に変更できない部分であるとすると

︑ 言説→

文→ 句→

語→

形態素と

︑ 単位的なスケールを小さくするにつれて

︑ 制約的で

︑ 要素間の組み合わせ方や順序も自ずと決まってくることは容易に推測できるし

︑ 他方

︑ 文より大きい言説については

︑ ラングのための出来合いの言説というのは

︑ まず考えられないからである

︒ さらに

︑ ラングのレベルでも

﹁文

﹂について考えるとしても

︑ 文くらいのスケールの連辞になると

︑ 要素間の関係がほとんど構成的になる

︑ ということにも配慮しなければならない

︒ たとえば

﹁私

・は

・手紙

・を

・書か

・ない

﹂という語の並びにおいて

︑﹁は

・手紙

﹂の対は

﹁私

・は

﹂のようには緊密に結びついていない

︒ まず

︑﹁私

・は

﹂︑

﹁手紙

・を

﹂︑

﹁書か

・ない

﹂の連辞があり

︑ それらが結びついていると考える方が自然である

︒ だが

︑ そこでも

︑﹁私

・は

﹂

︱

﹁手紙

・を

﹂よりも

︑﹁手紙

・を

﹂

︱

﹁書か

・ない

﹂あるいは

﹁私

・は

﹂

︱

﹁書か

・ない

﹂の結びつきが強いように感じられる

︒ 連辞に現れる構成要素が連合関係において形成するグループについて調べるのが形態論morphology

であり

︑ 連辞における構成要素の相互的な関係を調べるのが統語

論syntaxe

である

︒ これらの分野の区別に関するソシュールの注意を念頭におきながらも

︑ あえてそれらの用語を使うと

︑ 形態論は

︑ 通常

︑ 連辞関係と連合関係の交点における要素の入れ換え

︵﹁代入substitution

﹂︶をもとにして展開される

︒ そのため

︑ ソシュールが静態言語学の最初においた連辞

(16)

関係

・連合関係の話からは

︑ 形態論的な見通しを立てやすい

︒ 統語論的な領域については

︑ あくまで連辞として現れるかぎりの形にもとづくべきである

︑ としている

︒ そのことに関して

︑ 彼は

︑ 第二回と第三回講義で

︑ 英語の同じ表現

︽themanIhaveseen

︾を例に挙げているが

︑ 第二回講義では次のように述べている

︒

﹁空間に配置できる素材的なこれらの単位の外に

︑ 無形の統語があるだろうという考え

︑ その考えは間違っている

︒

︵ 17

﹂︶

この点を踏まえ

︑ ソシュールから出発するにしても

︑ 彼がそれ以上のことを述べていないので

︑ 文のように要素が構成的に結びついている連辞をどのように扱いうるかについては

︑ 他の理論を参考にして考える必要があるだろう

︒ その目的にはブルームフィールドの助けを借りるのがよい

︒ と言うのも

︑ ソシュールとブルームフィールドでは

︑ 言語を扱う方法論が違うが

︑ もとになる言語観には重なり合うところが非常に多いからである

︒ 第

二章句のレベル一

︑ 文法ブ

ルームフィールドの主著

﹃言語

﹄における記述のアウトラインを

︑ ソシュールの理論と重なり合うところと異なるところに注意しながら

︑ 統語論の入口まで

︑ 引用文によって追うことにしよう

︒

(17)

①

﹁発話の示差的特徴はその意味を知って始めて認知recognize

できるものである以上

︑ それは純音声学pure

phonetics

の段階では見極めるidentify

ことができない

︒

︵ 18

﹂︶

②

﹁有意的significant

ことば音の研究が音韻論phonology

あるいは実際音声学praticalphonetics

である

︒

︵ 19

﹂︶

③

﹁我々は仮定せねばならぬ

︑ あらゆることば共同体において

︑ 発話のあるものは形式と意味に関して同一である

ineveryspeech-community,sommeutterancesarealikeinformandmeaning

と

︒

︵ 20

﹂︶

① と

③ で述べられていることは

︑ ソシュールが

︑ シニフィアンとシニフィエは切り離すことができない

︑ としていること

︑ および

︑ ラングにおける言語記号の社会的習慣への位置づけに対応している

︒ ただし

︑ ブルームフィールドでは

︑ ラングに相当するものは

︑ パロルとの対照によってではなく

︑ 次の

④ に見られるように

︑ 言語を用いる場面の共通性として特徴づけられる

︒

④

﹁我々は場面の非示差的non-distinctive

特徴

︑ たとえばある特定のリンゴ一個の大きさ

・形

・色などの特徴と

︑ 一方

︑ 当の言語形式の発話を促すすべての場面に共通のものである示差的distinctive

あるいは言語的liguistic

意味

meaning

︵意味特徴semanticfeatures

︶と

︑ この二つを区別しなければならない

︒

︵ 21

﹂︶

なお

︑ この考え方では

︑ 場面の共通性に対応するものとして

︑ 身ぶりや口調なども入ってくるので

︑ 言語的意味がさらにそこから区別される

︒

⑤

﹁言語的意味は非言語的行為の意味よりも特定的specific

である

︒

︵ 22

﹂︶

言語記号の恣意性にも言及される

︒

⑥

﹁

・

・言語形式とその意味の間の関係は完全に恣意的wholyarbitrary

である

︒

︵ 23

﹂︶

(18)

ブルームフィールドの

﹁言語形式linguistiqueform

﹂は

︑ ラングにおける言語記号をシニフィアンの側から眺めたもの

︑ と解することができる

︒ それはシニフィエと一体になりながら固有の価値をもつのだが

︑

③ と同様に仮定として述べられる

︒

⑦

﹁各言語形式は恒常的で一定の

︑ 同じ言語のいかなる言語形式とも異なる意味を持つと我々は仮定する

︒

︵ 24

﹂︶

そこで

︑ 言語の記述は次のようになる

︒

⑧

﹁

・

・言語の記述的面とは

︑ 言語形式を

︑ それが恒常的の定義しうる意味constantanddefiniablemeanings

を持っているとの仮定に立って

︑ かなり厳密に分析することにある

︒

︵ 25

﹂︶

また

︑ ソシュールにおける

︑ ラングの共時的

／通時的な捉え方と

︑ 共時的研究の優先に対応する

︑ つぎのような言葉もある

︒

⑨

﹁我々は任意の一共同体における任意の一時刻の協同のはたらきをまず第一に問題にするのであり

︑ その協同の偶然の失敗や

︑ 時が経つにつれての変化を問題とするのではない

︒

︵ 26

﹂︶

このようにして

︑ ブルームフィールドは

︑ ソシュールの用語で言えばラングの共時的研究

︵静態言語学

︶に入っていく

︒ ソシュールでは

︑ それは

︑ 最終的には

﹁意味

﹂そのものを問題としながら

﹁価値

﹂の理論へと導かれていく

︵﹁結局

︑ 語は

︑ シニフィアンと同様にシニフィエがなければ存在しないのだが

︑ シニフィエは

︑ 各言語体系の中での

︑ 辞項の相互的な働きを想定した言語的価値の要約にすぎないのである

︒

︵ 27

﹂︶

︶のであるが

︑ ブルームフィールドでは

︑ 言語記号の意味の同一性を仮定しながら

︑ 厳密な記述の方法を追求することになる

︒ そしてそれは

︑ 連辞における構成要素の交換可能性の研究から始まることになる

︒

(19)

⑩

﹁このような場合を沢山研究してみると

︑ 我々は言語学の基本的仮定を次のように修正せざるを得なくなる：

︵ある一つの

︶ことば共同体において

︑ 発話のあるものは音および意味が同一もしくは部分的に同一orpartialy

alike

である

︒

︵ 28

﹂︶

しかし

︑ 同一でない部分もまた

︑ 別のいくつかの発話では同一部分となる

︒ このようにして

︑ 同一部分の結びつきによる

︑ 二つ以上の言語形式の合成形式に導かれるのであるが

︑ 逆にその手続きは

︑ もはや合成形式でない単純な要素を明らかにすることにもなる

︒

⑪

﹁他のいかなる形式とも部分的な音声

＝意味的類似をもたない言語形式は単

純simple

形式

︑ または形態素

morpheme

︵モルフェーム

︶である

︒

︵ 29

﹂︶

言語形式における恒常的で同一の意味という仮定にもとづく記述方法では

︑ 意味は決定的な役割を果たしている

︒ それにもかかわらず

︑ 意味は記述から除外される

︒ そのため

︑ ブルームフィールドの構造言語学は

︑ 意味を排除するものとして特徴づけられることが多い

︒ しかし

︑ それは

︑ 意味の重要性を無視するものではなく

︑ それが検証可能な

︑ 厳密な科学的記述になじまないからである

︒ その際

︑ 記述は

︑ 音素的配列を資料とすることから出発することになる

︒

⑫

﹁形態素はこれを音声的に記述することができる

︒ それは形態素は一つ以上の音素から成るものだからである

︒ しかし形態素の意味は我々の科学の領域では分析できない

︒

︵ 30

﹂︶

だが

︑ 形態素だけでは言語形式の意味を理解するのに不十分である

︒

⑬

﹁あらゆる言語はその形式の配列arrangement

によってその意味の一部を示す

︒

︵ 31

﹂︶

連辞・文・発話 - 「文」についての試論 -