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サヴィニーの法学と思想 : グローバルな受容とそ の背景

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(1)

サヴィニーの法学と思想 : グローバルな受容とそ の背景

著者 赤松 秀岳

雑誌名 同志社法學

巻 68

号 7

ページ 2329‑2358

発行年 2017‑02‑28

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000124

(2)

    同志社法学 六八巻七号一八一二三二九

――グローバルな受容とその背景――

           

一、はじめに

  以下、本稿の対象をなす、サヴィニーの﹁法学﹂とは、次のとおりである。   一八一四年の﹃立法と法学に対する現代の使命について﹄(以下﹃使命﹄)によると、法の本来の在りかは常に民族の意識に根ざす慣習法であるが、複雑化した時代は、法は学説法として現れるとされる。ここでは、法発見と法形成は、学識法曹に委ねられる。その際の法源は学識法曹を通じて伝承されてきたディゲスタを中心とするローマ法である。しかし、法は民族法であることを止めず、また学識法曹の生み出す法は、やはり慣習法的であり、このような法形成に国家の立法者は、法典の制定を通じて、恣意的に介入してはならない(とくにドイツ諸邦へのナポレオン法典の政治的導

(3)

    同志社法学 六八巻七号一八二二三三〇

入を踏まえての警鐘でもある)(﹃使命﹄一三頁以下参照)。

  このような﹃使命﹄の理論、それと密接に関連する、﹁歴史法学雑誌の目的﹂(一八一五年)、﹃中世ローマ法史﹄第一巻(一八一五年)、さらに立法の役割につきやや積極性を認める﹃現代ローマ法体系﹄第一巻(一八四〇年)(以下﹃体系﹄)を念頭に置き、サヴィニーの﹁法学﹂を意味するものとする。

  本稿において、﹁思想﹂とは、世界や社会や人間に対する考え方の枠組み・スタンスを言う。体系的・系統的により整理されたものが﹁哲学﹂であろうが、それをも含む意味で用いる。

二、グローバルな受容

  サヴィニーをめぐるヨーロッパにおける議論状況として、二つのシンポジウムに注目したい。まず、サヴィニーの没後一五〇周年を記念して二〇一一年一〇月二四日、二五日に開催された﹁国際的なサヴィニー?﹂(フランクフルト・アム・マイン) 1

、次に、サヴィニーの﹃使命﹄の刊行二〇〇周年を記念して二〇一四年九月一二日、一三日に開催された、﹁グローバルなサヴィニー(一八一四︱二〇一四)﹃現代の使命について﹄から二一世紀の国家を超えた法へ﹂(ハノーファー) 2

である。

  この二つのシンポジウムに共通するテーマは、たとえば、フランス、イタリア、スペイン、イギリス(旧植民地を含む)、ロシア、北欧、アジア(中国、韓国、日本)、南米、アメリカ合衆国等における、サヴィニーの地球規模の﹁受容﹂の諸相であった。以下、二つのシンポジウムの報告と議論を踏まえて、その概要を明らかにしてみたい。

(4)

    同志社法学 六八巻七号一八三二三三一

⑴   ド イ ツ 以 外 の ヨ ー ロ ッ パ

  フランスにおいては、たとえば、一八一九年創刊の雑誌ラ・テミス 3

L a T hé m is

)およびラ・テミスにおいてサヴィニーの﹃占有の法﹄を紹介したヴァルンケーニッヒ(

L

EOPOLD

A

UGUST

W

ARNKÖNIG

17 94 - 18 61

4

を通じ、サヴィニーが受容された。ヴァルンケーニッヒは、ルーヴェン(ルーヴァン)大学の教授として、ベルギーにおける歴史法学の受容にも貢献した 5

  イタリアでは、ローマ法への共通の関心を前提に、サヴィニーの著作の翻訳がとりわけ多くなされた 6

。スペインでは、一九世紀中期以降、まずフランス語の翻訳を通じて、サヴィニーが受容された 7

  イギリスにおいては、ドイツ大学制度の紹介のほか、サヴィニーの著作の翻訳が一八〇三年から一八八八年の間多くなされた。その際、実務家による翻訳が多く、また、ロンドン、エディンバラのほか、マドラス(チェンナイ)やカルカッタ(コルコタ)で刊行されている 8

  ロシアでは、一九世紀中はあまり関心がなかったのに対し、二〇一一年からオデッサにて﹃現代ローマ法体系﹄のロシア語訳が刊行された 9

  以上に対して、北欧諸国では、サヴィニーの著作が翻訳されることなく、直接受容された。

⑵   ア ジ ア

  中国では、一九九九年﹃体系﹄、二〇〇一年﹃使命﹄、二〇〇七年﹃占有の法﹄の中国語訳が、いずれも北京で刊行されている ₁₀

  韓国では、一九〇九年、近代法学の創立者であるサヴィニーとプフタを紹介するハングルの論文が刊行されたのが、

(5)

    同志社法学 六八巻七号一八四二三三二

確認されるサヴィニーへの最も早い自国語による言及とされる。一九四五年以後の韓国は、日本法の影響を意図的に排除するため、直接ドイツ法を志向していった。二〇〇一年には、ドイツのサヴィニー研究を紹介する論文が見られるが、ただし、サヴィニーについての系統的な研究はまだないとのことである(ソウル大学校

C ho e B yo un g J o

)。

  日本においては、ボアソナードは、学位論文をサヴィニーに謹呈し、また、前記雑誌

L a T hé m is

の潮流と近い関係にあった。そのボアソナードが旧民法典を起草したのは歴史の皮肉でもあるが、旧民法典をめぐる法典論争において、論争の相手方である穂積陳重﹃法典論﹄(一八九〇年)によるサヴィニーの受容が、旧民法典の日本化をもたらした。ここからは、国民的サヴィニーというサヴィニー像が導かれうるが、しかし、その後、時には相対立する多彩なサヴィニー像が成立した。たとえば、愛国的サヴィニー(大串兎代夫)、保守的改革者サヴィニー(戒能通孝)、フランス法と取り組むサヴィニーの中からモダンなサヴィニー(戒能、原島重義)、社会的サヴィニー(磯村晢)、カント主義者サヴィニー(原島)、ロマニストサヴィニー(九州大学サヴィニー研究会)など ₁₁

  なお、前記二つのシンポジウムで言及されなかったが、インドネシアにおけるサヴィニーの受容について述べておきたい ₁₂

  二〇世紀初頭以降、オランダの植民地支配による立法に対する慣習法(

A da tr ec ht

)の意義の問題(

B

URNS

S . 13 f.

)をめぐるオランダ学界の論争において、慣習法を重視するライデン学派をリードしたファン・フォレンホーフェン(

C

ORNELIS

V

AN

V

OLLENHOVEN

, 18 74 - 19 33

)とサヴィニーの思想的共通性が指摘される(

B

URNS

S . 79 , 89

)。もっとも、必ずしもサヴィニーのフォレンホーフェンに対する影響関係が明示されるわけではない。しかし、一九二〇年代から三〇年代にオランダ(ライデン)へ留学したインドネシア人学生の中には、ヨーロッパにおいて真にサヴィニーの思想に共鳴し受容するものが現れ(たとえば、初代外務大臣を務めた

A

MAD

S

UBARDJO

D

JOADSURJO

, v gl. B

URNS

S . 23 8

)、第二次世界大

(6)

    同志社法学 六八巻七号一八五二三三三 戦後の独立インドネシアの憲法・政治思想(たとえば

S

UKARNO)へも影響を残した。もっとも日本軍政下の裁判長官であった

S

UPOMO(

S

OEPOMO)には、ナチスや天皇制国家の残滓(

B

URNS

S . 24 6 , 24 7 .

たとえば、少数者に指導される民主主義(

sie he B

URNS

S . 29 2

))などもあり、独裁の政治思想と評価すべきネガティヴな面も少なくない(

V gl. B

URNS

S . 29 2

)。

⑶   ア メ リ カ

  南米においては、サヴィニーの法学は、ブラジルの法改革に貢献したことが指摘された ₁₃

  アメリカ合衆国におけるサヴィニーの受容については、既に、マティアス・ライマンの興味深い研究がある ₁₄

。ホームズ(

O

LIVER

W

ENDELL

H

OLMES

, J

R

., 18 41 - 19 35

)は、﹃コモンロー﹄(一八八一年)において、サヴィニーのほかヴィントシャイト、イェーリングの時代までのドイツ法学と批判的に取り組み、コモンローを新しい時代の要請に対応するものに形作っていった。たとえば、コモンローの判例の事案を素材に、占有意思をめぐるドイツの議論を批判的に取り入れ、コモンローにおける占有の保護の要件として、物理的所持と占有意思が必要であるが、占有意思とは他者を排除する意思であればよい、とコモンローにおける占有の準則を明確化した ₁₅

  イギリスと同様に、法曹団体のギルドにおける徒弟制度で後継の法曹を養成していたのが、アメリカにおいて展開する市民社会の新たな需要に応えるため、法が学校(大学)の授業で教育可能であることが必要とされ、そのための基盤を提供したのが、ドイツの歴史法学であった ₁₆

(7)

    同志社法学 六八巻七号一八六二三三四

⑷   グ ロ ー バ ル な 受 容 の 背 景 ( 試 論 )

  前記の二つのシンポジウムの後、今や次の問題が提起されねばならない。サヴィニーの法学が、このように時代と地域を超えて、人々を魅了してきた背景は何か。

  この問題に対し、さしあたり示す試論は、サヴィニーの法学は、実は、いくつかの哲学的潮流(たとえば、かつてのキーフナーのようにカント哲学)のみに裏付けられた思想的に幅の限定されたものではなく、これまで考えられてきたよりも遥かに幅の広い、思想的なスペクトラムに裏付けられたものであり、サヴィニーの法学の思想的な幅の広さが、時代を超えて人々を惹きつける魅力を醸し出している、というものである。

  そのように考える手がかりは、﹃使命﹄の執筆資料 ₁₇

の中に七一葉表裏として含まれているサヴィニー自身がその骨格を一八一〇年頃に作成したと思われる文献リストである。このリストは、

N ot an da e t a dh ib ed a op er e pr ox [im e] sc iri be nd o

(将来書かれる作品のため注記され抜き書き︹されるべき文献︺)と題されている(以下では﹁ノタンダ・リスト﹂と呼ぶことにする)。そして、このリストには、次の四〇の人名が挙げられている。クリスティアン・ブレンターノ、ティボー、レーベルク、マキャベリ、エルンスト、フィランジェリ、モンテスキュ、ライプニッツ、ヤコービ︹レッシング︺、メーザー、フーゴー、ホッブス、ヘルダー、シスモンディ、ミュラー、クライン、ヴェント、ブラックストーン、ガッェルト、シュロッサー、ハゲマイスター、ハラー、バコ(ベーコン)、アリストテレス(シュロッサー)、レオンハルディ、ヴィーコ、フリードリッヒ・シュレーゲル、ラングェ、ヒューム、ホーム、アダム・スミス、ガルヴェ︹キケロ︺、シュライエルマッハ、ゲーテ、ホフアッカー、バーク、モイラー ₁₈

  注目すべきは、挙げられている著者の多彩さである。たとえば、マキャベリ、モンテスキュ、ライプニッツ、ホッブス、ヘルダー、ブラックストーン、ベーコン、アリストテレス、ヴィーコ、フリードリッヒ・シュレーゲル、ヒューム、

(8)

    同志社法学 六八巻七号一八七二三三五 アダム・スミス、バーク等、サヴィニーの著作ですべてが引用されていない著者に対して、少なくともサヴィニーが幅広い関心をもっていたことを窺わせる。

  サヴィニーがこのように幅広い著者に関心をもっていたこと、そのように幅の広い思想にサヴィニーの法学が裏付けられていること、サヴィニーがこれらの幅広い(非法学的文献も含む)思想を自己の糧として自らの法学を構築したこと、そしてさらに、自らのものとされたこれらの思想的基盤の出典をあえて引用しない(その出典の匿名性は彼の思想が友人達との知的交流の中で形成されたことを意味する)ことで彼の法学とその思想に新奇性と魅力を与えていること、これらが、彼の法学が時代と地域を超えて、受容されてきた理由ではないか。

  以下では、この課題について、部分的にではあるが取り組むこととする。

三、サヴィニーとヘルダリン

  これまで、サヴィニーの思想は、とくにカントと結びつけられ解釈されることがあった。次の一節において、サヴィニーが法を自由の概念から基礎付けていることは、カント的と言われてきた。﹁︹人と人との︺交流において自由な存在が相互に存立し、しかも互いに妨げ合わずに促進し合って発達しなければならない

とするならば、個々人の存在と作用がそこで自由な領域をもつことができる、目に見えない境界を承認することを通じての

み、それが可能となる。この境界線を確定する準則が法である﹂(﹃体系﹄第一巻第五二節﹁法律関係﹂三三一頁以下)。

(9)

    同志社法学 六八巻七号一八八二三三六

⑴   ヘ ル ダ リ ン の 抜 き 書 き ― 「 若 返 ら さ れ た 神 性 」

  しかし、ノタンダ・リストにみる、フリードリッヒ・シュレーゲル、シュライエルマッハの名(そして他方で、カントの名がリストにないこと)が、カントが峻別した主観(意識)と客観(世界)が自然と精神の中で再び統合されるとする、ポスト・カントの統合哲学の潮流へのサヴィニーの関心を示唆する。

  実際、サヴィニーは、そのような哲学的潮流の一等星であるヘルダリンのテクストを自ら抜き書きし、﹃使命﹄の執筆資料の入ったファイルの中に一〇三葉として残していた ₁₉

。﹁ヘルダリンのヒューペリオン  巻の一  テュービンゲン一七九七年一一二頁   植物の︹ような︺幸福から、人間は出発した、そして成長を繰り返し、人間は成熟した。その時から、人間は内的にも外的にも沸騰し続け、今これまでに人類は限りなく解体し、なおも感じることができ見ることができる者が目眩にとらわれる

ような混沌がある。しかし、美は人間の生活から精神の中へと逃れていった。自然であったものが理想となる。同じ木の幹が下のほうから乾き風化していくときも、その木からは活き活きとした梢がなおも生い立ち、その木がかつて若木であった

ころのように、太陽の光の中で緑に輝くのだ。自然であったものは理想となった。そこにおいて、この理想において、この若返らされた神性

ve rjü ng te G ot th eit

において、少数者は互いに認め合い、﹃ひとつ﹄になるのだ、なぜならその少数者の中

には﹃ひとつ﹄のものが存在するからだ。そしてこの少数者から、彼らから世界の第二期が始まるのだ。﹂

  とくに、サヴィニーの思想の形成における、若返らされた神性

G ot th eit

、さらには神

G ot t

というキーワードに着目してみたい。

  ヘルダリンのテクストは、太古の自然と調和した人類の生活その調和が、文明化の時代失われるように見えるが、少数者の中に美の精神として、理想として、受け継がれ、生き続けるというものである(精神により若返らされた神性=

(10)

    同志社法学 六八巻七号一八九二三三七 太古の人類の調和)。

  他方、サヴィニーの法学においては、法の本来の在りかは常に民族の意識に根ざす慣習法であるが、複雑化した時代は、法は学識者(少数者)に担われた学説法として発展を続けると同時に、民族法との関係を保ち続けるとされることにおいて、ヘルダリンの思考との並行性が指摘されている。

  それでは、ヘルダリンの太古の人類の調和/少数者の精神の理想の間を繋ぐ﹁若返らされた神性﹂と、サヴィニーの法学における民族の慣習法/学説法との並行性は疑う余地はないとして、ヘルダリンとサヴィニーとの間の通路は、いつどのようにして開かれたのか。またその通路を媒介した者がもしいるとすれば、それは誰か。

⑵   法 史 学 講 義 に 見 る サ ヴ ィ ニ ー の 思 想 形 成

  サヴィニーが、一八〇一年から一八四一年まで行った、法史学講義は、サヴィニーの思想の成立過程を解明するため重要な資料の一つである ₂₀

。それによれば、﹃使命﹄や﹃体系﹄に至る思想は、一八一四年に明確に講義において、表明されていることが明らかになる。

  一八一一/一二年冬学期(一〇月二一日開講)の講義原稿においてサヴィニーは、次のように述べていた ₂₁

ヨの的史歴な純単、は解理て提いつに態状の法のそてし前に、なの後のそは展発たし立孤うもよのこ、しかし。くづとそ態   ﹁をだら自くなとこるけ受響で影るえ見に目らか族民のけ他状たのら自、はていおに族民きのてし展発らか代時つ立先そ

ーロッパの運命でなかったことは、誰もが知っている。われわれの教養全体は、さまざまな要素から成り立っており、われわれの教養を完全に理解しようとする者は、これらの要素までたどらねばならない。われわれの法についても同様である。

われわれの法の成立をわれわれは、二〇〇〇年以上の連続において、ある国民にまで辿ることができる、その国民は、ゲル

(11)

    同志社法学 六八巻七号一九〇二三三八

マンの民族とは、系譜も言語も、根本制度も全く異なる。この二〇〇〇年の間において、一部はローマの制度から、一部は

ゲルマンの制度から、われわれが現実の生きた法として知りまた実行しているものが生み出されてきた。そして、このようなその産出の方法において、法律は、ヨーロッパの大部分において互いに一致している。そのため、人がドイツ帝国の普通

法と呼ぶもの、プロイセンのラント法、そして、ナポレオン法典についても同様であり、相違は、単に重要とは言えない変更にすぎない。﹂

  ここでは、﹁民族﹂への言及はあるものの、ナポレオン法典もローマ法とゲルマン法に裏付けられ、ドイツ普通法と共通するものとして、何らの批判的考察の対象とされていない。その点で、﹃使命﹄の思想とは相当の距離がある。

  しかし、一八一四年夏学期(五月二日開始)の講義原稿では、サヴィニーは﹃使命﹄の思想へと一挙に飛躍する ₂₂

。﹁実定法の成立と性質に関する二つの根本的見解(今まで多くの論者においてこのように展開されておらず、純粋かつ一貫

しては認められてこなかった。)

  民族は一人ひとりの人間と同じく有機的な存在である、ただ高次のものであるにすぎない。︹注  両者とも普遍的なもの

と具体的なものの融合である︺︱その存在における個々の力、方向性、活動およびそれらの展開

  言語︱すべての歴史に先立つその生成、偶然に基づくものではない、ましてや人為に基づくものでもない︱その後の発展

は、良くも悪くも意図的になされるものではあるが(その余地はあまり大きくない)

  法(法を形成する作用)もまったく同様である︱ここでもすべての歴史に先立って生成している、民族において、普遍的

な婚姻、親子関係、土地所有、取引きに関する観念が成立している、ここで法および不法であるものは、︹民族信仰にとっての︺ほとんど普遍的な観念として必然的なものである︱︹普遍的な原則、体系などではなく︺形態、直感的な象徴、ここ

では立法者の恣意による初めての成立は、誤りでもあり不可能でもある、言語の場合と同様に、︹法の神的な起源

gö ttl ic he r

(12)

    同志社法学 六八巻七号一九一二三三九

U rs pr un g d es R ec ht s

、法への要求だけではなく︺﹂

  ここでは、有機体としての民族、民族信仰、言語と法のアナロジー等が、法は立法者が意図的に恣意的に定め置くものであるとの思考に、対峙させられている。これはほとんど﹃使命﹄の思想であるといってよい!

⑶   神 的 な も の と し て の 法

  ここで注目したいのは、一八一四年夏の講義において、すべての歴史に先立ち生成し、かつ偶然や人為に基づくものではない言語と同様に、(後の挿入ではあるが)﹁法の神的な起源

gö ttl ic he r U rs pr un g de s R ec ht s

﹂が語られていることである。

  同様に注目すべきは、﹃使命﹄の執筆資料のファイルの中には、一〇四葉として、一八一四年一月二一日金曜日付けのプロイセン通信第一一号が挟まれていることである ₂₃

。この号には、サヴィニーの﹃使命﹄の直前にドイツにおけるナポレオン法典導入と批判的に対決した、A・W・レーベルク﹃ナポレオン法典とそのドイツへの導入﹄(一八一四年)についての匿名の書評が掲載されている。そして、そこには、次のような一節がある。

﹁次のことは、十分に強調して言われることができていない、良い法律は、良い詩と同様に、単なる恣意や意図からもたらされるのではない、そうではなくて、何かある外的な力が内面的な格闘と相互作用することを通じてもたらされる、力強く

作用しかつ何人のものでもない、そのようなあるものなのである、それゆえ立法者と詩人は、世界を幸福に眺めることがで

きたその諸民族の初めの時代には、どこでも神的

gö ttl ic h

とみなされ、また尊敬されたのであった(それは法律と詩は、諸民族の作品であり、立法者と詩人は民族の道具にすぎないという意味である)。民族全体との喜ばしい相互作用がもたらす この神的な諸力

gö ttl ic he K rä fte

については、ドイツが関わるナポレオン法典には、ほとんどその痕跡も見いだすことがで

(13)

    同志社法学 六八巻七号一九二二三四〇

きないことは、ナポレオン法典がドイツへ強制的に導入されたその方法からは、容易に想像されうることである・・・﹂

さらに、この書評が、詩と法律、詩人と立法者を比較していることも見逃してはならない。しかも、この書評は、前記一〇三葉のヘルダリンのテクストの次にしかもサヴィニー自身に手によって、ファイリングされているのである。そして、この書評の日付一八一四年一月二一日は、一八一四年夏学期の法史学講義が開始された同五月二日に先行してかつ近接する。また、内容的にも、詩人と立法者が﹁世界を幸福に眺めることができたその諸民族の初めの時代には、どこでも神的

gö ttl ic h

とみなされ、また尊敬された﹂という思想が、﹁植物の︹ような︺幸福から﹂出発した人間の調和が、精神の中で﹁若返らされた神性﹂として取り戻されるというヘルダリンのテクストとも共鳴しあう。

  実は、この書評こそが、ヘルダリンとサヴィニーを繋ぐミッシング・リングなのではないか。   ちなみに、この間ライン同盟の結成を通じ一八〇六年にナポレオンにより解体させられたドイツ(神聖ローマ)帝国域内の中小諸邦へ、一八〇二年のライン左岸に始まりフランス民法典(ナポレオン法典)が次々と導入されていった。   他方、一八〇六年一〇月一四日イェーナ・アウエルシュテットの会戦におけるナポレオンの勝利、ベルリン占領とプロイセン王室のメーメル(現クライペダ)への疎開、一八〇八年一〇月フィヒテの講義﹁ドイツ国民に告ぐ﹂、(一八一〇年五月サヴィニーのベルリン大学への転出、)一八一二年一〇月ナポレオンのロシア戦役での敗退、一八一三年一〇月諸国民の戦い(ライプツィッヒ)におけるナポレオンの敗退、そして一八一四年四月、フランス人の皇帝ナポレオンの退位という政治的軍事的状況に呼応し、ドイツの諸邦に導入されたフランス民法典は、ライン左岸とバーデン大公国を除いて、一八一四年初めにはほとんど撤廃された ₂₄

(14)

    同志社法学 六八巻七号一九三二三四一

⑷   詩 人 の 「 聖 な る 」 使 命

  次に、一七九九年のヘルダリンの別のテクストを抜粋して引用する。サヴィニーがこのテクストを読んでいたことは(現時点では)考えられえない。しかし、それは、前記匿名の書評が、詩人と立法者を対比することの意味の一面を示唆する。

﹁あたかも、祭りの日の朝︹抜粋︺

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

中略

・ ・ ・ ・ ・ ・

  かれら、いかなる巨匠もひとりにては育みえぬかれらを、ふかしぎに偏在し、かろやかにおし抱きつつ

養うものは、力ある自然、神々しく美しい自然だ。それゆえ、季節の折節、天上に、草木に

また地の民のあいだに自然が眠っているかに思えるとき、詩人らの顔もまた悲しみに曇り、

詩人らは孤独に見えはするが、つねに予感している。自然そのものもまた予感のうちにやすらっているのだから。

だが今や夜明け!  じっと待ちつづけ、私は来るのを見た。 その見たもの、聖なるものこそわが言葉たれ!﹂ ₂₅

  ﹁とトスクテのこるれば呼も﹂詩詩のていつに品作のそと人 ₂₆

によれば、詩人は、自己の意識(それが普遍的に拡大されたものが民族であり、言い換えれば、自己の意識の集合体が民族である)の中に反映される世界とその遍在する秩序

(15)

    同志社法学 六八巻七号一九四二三四二

をあるがままに言葉に表さねばならない!

  そして、前記プロイセン通信第一一号に掲載されたレーベルクの書評によれば、それは立法者の使命でもある。そして、世界に遍在する秩序と法則を言葉に表す聖なる使命を担う詩人と立法者は、自らを民族の道具に敢えて貶める意味で、逆に神的

gö ttl ic h

とされるのではないか。

  なお、リュッケルトは、前記プロイセン通信第一一号に掲載された書評の著者が﹃子供の不思議な角笛﹄(一八〇六︱一八〇八年)の編者の一人であるアーヒム・フォン・アルニムであった可能性を指摘する。事実アルニムは、早ければ一八〇五年からヘルダリンの詩に親しみ ₂₇

、また、一八一四年八月には、サヴィニーに直接、ヒューペリオンに依拠した実践的美学、国家学の構想を伝えており、ヘルダリンとサヴィニーの通路を開いた人物でありうる ₂₈

⑸   『

体 系 』 に お け る 法 と 法 律 の 神 的 起 源

  さらに、サヴィニーは、﹃体系﹄において、法の起源について次のように述べていることが見逃されてならない。

﹁われわれが目に見えない実定法の起源を肯定することによって、われわれは、文書によるその証についても断念せざるをえない。しかし、文書による証の欠如は、実定法の成立に関するわれわれの見解にとっても、他の見解にとっても、同様で

ある。というのは、あらゆる民族は、文書により証できる歴史への境を踏み越えた時、すでに実定法を有していたからである、したがって、その実定法の根源は、かの境とは別のところに存するはずである。しかし、実定法という対象により適合した

別の証明方法には事欠かない。その証明とは、普遍的で同じ形態の実定法の承認においてである、それは、内的な必然性の感情であり、そこから実定法の観念が導かれるのである。この内的な必然性の感情は、法あるいは法律の神的な起源

gö ttl ic he r U rs pr un g d es R ec ht s o de r d er G es et ze

という太古の主張によって、最も的確に言い表されうる。というのは、そ

(16)

    同志社法学 六八巻七号一九五二三四三 こでは、偶然や人間に恣意による法の成立に対する決定的な対立というものは、考えられえないからである。﹂(﹃体系﹄第一巻第七節一四頁)。

  サヴィニーはこのように講義だけでなく、その後、主著である﹃体系﹄第一巻の書かれたテクストにおいても法の神的起源

gö ttl ic he r U rs pr un g de s R ec ht s

のキーワードをそのまま語っている。このことは、法の神的起源

gö ttl ic he r U rs pr un g d es R ec ht s

が、サヴィニーの思想の深層にまで達していることの証左ではないか。

四、サヴィニーとコモンロー

  ノタンダ・リストにおけるブラックストーンの名は、サヴィニーのコモンローへの関心を示している。のみならず﹃使命﹄の執筆資料の中には、ランヅフート時代(一八〇八年九月から一八一〇年五月)に、ミュンヘンの王立中央図書館にブラックストーンの﹃イングランド法注解﹄全四巻・四つ折り判・一七九五年/九九年の所在を確かめている ₂₉

手紙がある。さらに、サヴィニーが  一八〇三年夏学期の法史学講義の中で、ローマの裁判人(

ju de x

)について、﹁同様の制度はイングランドにおいても見出される﹂と述べている ₃₀

ことは、イギリス法に対する関心が少なくとも二四才の若きサヴィニーにまで遡ることを示す。

  以上のほか、ライマンが明らかにしたドイツ歴史法学とアメリカ法との関係もまた、サヴィニーとコモンローの関係を新たな視点から検討することを促す ₃₁

  以下では、このような視点から、サヴィニーとホームズのテクストを比較してみたい。

(17)

    同志社法学 六八巻七号一九六二三四四

⑴   法 と 経 験 / 直 観 、 直 観 の 経 験

  次に引用するのは、ホームズの経験法学の宣言として有名な﹃コモンロー﹄の冒頭の一節である。﹁法の生命は、論理ではなくそれは経験である。感じられるその時代の必要性、一般に通用している道徳と政治の理論、公 共政策についての直観(

in tu iti on

)が、公言されあるいは無意識の内に、さらに、裁判官が同僚たちと共有する先入見さえもが、人が規律されるルールの決定において、三段論法よりも重要な役割を果たしている。法は、ある国民の何世紀にもわ

たる発展の歴史を体現している、法は、数学の教科書の公理や定理のように扱われてはならない。﹂(ホームズ﹃コモンロー﹄第一講一頁)。

  経験法学者ホームズと﹁概念法学﹂の先駆者サヴィニーは、これまで水と油と考えられてきたかもしれない。しかし、サヴィニーもまた実は次のように述べている。

﹁学問に対する真剣さと愛でもって取り組む多くの者は、ある個別の事案が、法制度について、書物や自らの思索を通じて可能であるよりも、生き生きとした直観(

A ns ch au un g

)をもたらす経験をしたことがきっとあるだろう。このように偶然

により個々人にもたらされるものが、われわれの学問全体を通じる取り組みの意識的な目標とみなされる。このことが正しければ、完璧な理論家とは、その者の理論が法取引きの完全な直観により生命を吹き込まれており、現実生活についてのす

べての倫理的宗教的、政治的、国家経済的関係が常に眼前に置かれている、そのような者のことをいう。﹂(﹃体系﹄第一巻

V or re de , X X I

)。

  サヴィニーもまた、法的判断における﹁生き生きとした直観(

A ns ch au un g

)をもたらす経験﹂を重視している。本当の法理論とは、法取引きの完全な直観により生命を吹き込まれたものでなければならない。のみならず、ホームズが法における﹁道徳と政治の理論﹂、﹁公共政策についての直観﹂を重視するのと同様、サヴィニーもまた法理論家は﹁倫

(18)

    同志社法学 六八巻七号一九七二三四五 理的宗教的、政治的、国家経済的関係を常に眼前に置か﹂なければならないとする。

  ホームズが、経験と直観が三段論法よりも重要で、法的ルールの決定は、数学の書物の公理や定理とは異なるのとするのと同様、サヴィニーにおいてもまた、法的判断は機械的作業ではない。﹁︹法的判断において認容される権利は、そのより根源的な基盤を法律関係にもち︺法律関係をその所与の事案において生き

生きと構成することは、あらゆる法実務の精神的エレメントであり、それは、多くの素人が考えるような、たんなる機械的作業とは異なる、法実務の高貴な精神的要素をなすものなのである。﹂(﹃体系﹄第一巻第四節八頁)。

⑵   法 と 歴 史

  ホームズが法の歴史を重視して、次のように述べていることも、サヴィニーと奇妙に共鳴し合う。﹁法は、ある国民の何世紀にもわたる発展の歴史を体現している、法は、数学の教科書の公理や定理のように扱われてはな

らない。法が何かを知るためには、あるときは、われわれは現代の立法の理論と、またあるときはその歴史の双方と取り組まねばならないのである。﹂(ホームズ前掲)。

  とくに前記の冒頭の一節の背後には、次のサヴィニーの引用が隠されているのではないかとさえ思わせる。﹁歴史的学派は、法の素材は、その国民の過去の総体によって与えられ、恣意によって、それが偶然にそのようなものであ ったり別のものであったりするのではなく、その国民の内的な存在とその歴史に由来するものであることを認める。﹂ ₃₂

  もっとも、ホームズは、法の歴史のみを一面的に重視するのではない。﹁現代の立法の理論と、またあるときはその歴史の双方と取り組まねばならない﹂。そして、現代が法に対して求めるものと、歴史的法素材との架橋がなされねばならないとする。

(19)

    同志社法学 六八巻七号一九八二三四六

﹁しかし、最も難しい作業は、双方を結びあわせてそれぞれの段階のための新しいものを生み出すことである。法の実体は、

それぞれの時代に利便的に適合したと理解されるものである、しかし、その作業が望まれる結果をもたらすかについて、その極めて多くはその過去から受け継いだものによるのである。﹂(ホームズ前掲)。

  実は、この点でも、サヴィニーも同様である。サヴィニーもまた、法の歴史学派と、法は所与の時代において立法の権限を与えられた者が自己の意思で作り出すものと解する非歴史学派の対立は、架橋されねばならないとして次のように述べる。﹁歴史学派と非歴史学派の間には、絶対的な対立が存するのではない、︹現代の要請に応える︺実務的作業は、繊細な学問的︹歴 史的︺感覚をもって行われねばならない、それは、かつてのローマの法曹が、解答において、実務的感覚と歴史的感覚の双方に驚くべきやり方で実現させているのと同様である。﹂ ₃₃

  これまで、ホームズは﹃コモンロー﹄においてサヴィニーと批判的に取り組んだことが強調される傾向にあった ₃₄

。そのため、両者の並行性を指摘する前記の試みは、的はずれの指摘に終わるのかもしれない。

  しかし、一九八〇年代以降の実証的サヴィニー研究が、サヴィニーのコモンローやイギリス法への関心を史料的に明らかにしえたこと、そしてまた、その後のサヴィニー研究が、サヴィニーを﹁概念法学﹂の先駆者というステレオ・タイプから解放してきたことは、ホームズとサヴィニーが共鳴し合う側面を有する可能性を示唆しうるのではないか ₃₅

五、サヴィニーとアダム・スミス

  ここでは、ノタンダ・リストの中で、

(20)

    同志社法学 六八巻七号一九九二三四七 ﹁A・スミス  道徳情操論と諸国民の富﹂とサヴィニー自身により短く注記されていることを取り上げてみたい ₃₆

。ここで、登場するアダム・スミスについては、﹃使命﹄のテクストにおいて引用はない。また、前記の注記からは、﹃道徳情操論﹄のどの部分に彼が関心を持ったのかも明らかではない。しかし、そのスミスの﹃道徳情操論﹄には、サヴィニーの法典論の考え方と共鳴する部分があるように思われる。それは、スミスが、﹁その公的な精神が人間性と慈愛に充満された人﹂と﹁体系の人﹂を対比して、法に言及している部分である。

⑴   「

そ の 公 的 な 精 神 が 人 間 性 と 慈 愛 に 充 満 さ れ た 人 」

((

  彼は、歴史的に既存の権力や特権に対し、次のような姿勢をとる。﹁その公的な精神が人間性と慈愛に充満された人(

T he m an w ho se p ub lic s pir it is pr om pt ed a lto ge th er b y hu m an ity a nd be ne vo le nc e

)は、目の前にある個人のみならず、国家の部分をなす団体や社会の権力や特権でさえも当面尊重する、彼がそれらのうちのあるもの濫用的であると思う場合であっても、それらを大きな暴力なしに排除できないときは、彼はみずか

らをそれらに適合させるのである。﹂

  サヴィニーの法学においては、既存の権力や特権は問題とされていない。しかし、法曹が歴史的に既存の法概念や法学説に対してとるべきスタンスは、共通する。

﹁われわれの現実の状況を見てみよう、われわらは膨大な量の法概念や学説により取り囲まれている。それらは、世代から世代へ受け継がれ増えてきたものである。今事実はどうかといえば、われわれはこれらの素材を支配しているのではなく、

逆にわれわれが望まないにもかかわらず、それらよって定められ、追い立てられているのである。われわれはそれらを知ら

(21)

    同志社法学 六八巻七号二〇〇二三四八

ないまま、これらの素材はあらゆる方面からわれわれを囲んでいる始末である。人は、その素材の歴史的糸を切断して、ま

ったく新たに始めることにより、これらの法素材を排除してしまおうと考えるかもしれない。しかし、このような企ては、自己欺瞞に基づくものである、というのは、今存在する法学者の見解やその形成過程を排除することは、不可能であり、現

在する法律関係の性質を改変することもまた不可能だからである。﹂(﹃使命﹄一一二頁)。

  スミスにおいて、﹁その公的な精神が人間性と慈愛に充満された人﹂は、後に述べる﹁体系の人﹂とは対照的に、社会の規範を制定する場合も、無謬の絶対的正義を貫徹しようとするのではなく、規範の欠如を可能な限り補充する、可能な限り悪を改善する、人々がなんとか容認する法を定めことで満足するなど、抑制的である。

﹁彼は、できる限り、自分自身の公的な振る舞いを確立した慣行や、人々の先入見に適合させようとする。そして、人々が従うことを拒み規制の欠如から生じる不便を、可能な限りにおいてのみ、補充しようとする。彼が、正義を確立できない場合、

彼は悪を改善することに躊躇しないが、彼は、ソロンのように、最高のシステムを確立できない場合、人々が容認できる限りにおける最良のものを定めようとする。﹂

  サヴィニーによれば、立法者の役割は、たとえば、時効期間の確定等、不確定なものを確定することにより、慣習法による法形成を支援すること、あるいは、次に述べるように、法形成の妨げとなる矛盾を除去する等、やはり抑制的でなければならない。﹁さらにあらゆる法制度は、関連し相互作用を及ぼしている、その結果、あらゆる新たに形成された法規により、知らず知

らずのうちに、他の変更されなかった法規との間に矛盾対立が生じることがある。その場合、調整が必要である、しかしその調整は、ほとんどの場合、反省と意図的な、つまり人為的な介入でもって、確実に行われうる。この理由は、現在変更を

必要としている法がかつての立法によって固定されている場合に、とくに重要であることは、見やすいことである、という

(22)

    同志社法学 六八巻七号二〇一二三四九 のは、その変更を必要とする法には、書かれた文言に内在する常に抗いがたい力が存しているからである、そのため、その文言の力により、次第に作用する内的な法の発展がしばしば、まったく妨げられ、しばしば満足できないに程度まで抑圧さ

れるからである。﹂(﹃体系﹄第一巻第一三節四頁)。

  サヴィニーにおいても、立法者は、不確定性や矛盾の除去等、法の発展的形成の妨げとなる害悪を除去するという抑制的なものとされている。

⑵   「

体 系 の 人 」

((

  ところが、スミスによれば、﹁体系の人﹂の法と立法に対する姿勢は全く異なる。

﹁体系の人(

m an o f s ys te m

)は、︹中略︺自分が非常に賢明であると思いやすく、しばしば、自分の理想的な統治計画の想像上の美しさに魅惑されるため、計画のどの部分からの小さな逸脱も我慢できない。彼は、その計画と対立するであろう大

きな利害関係、あるいは強い偏見に対して何の注意も払わず、自分の計画を完全に、あらゆる細部において実現しようとする。彼は、チェス盤の上のさまざまな駒を手で動かすのと同じくらい簡単に、社会のさまざまな構成員を動かすことができると

想像する。彼は、チェス盤の上の駒が、手が駒に伝えるものの他には何の運動原理も持たないのに対し、人間社会という大きなチェス盤の中では、それぞれの駒が、立法府が押し付けたいと思うものとは違った駒自身の行動原理をもつということ

を、まったく考慮しないのである。もし、それら二つの原理が一致し、同じ方向に働くならば、人間社会のゲームは調和的

に進行し、社会は幸福で成功したものになるであろう。しかし、もし、二つの原理が対立し相違するならば、ゲームは悲惨な仕方で進行するであろうし、社会はつねに最高度の無秩序の中にあるに違いない﹂ ₃₉

  サヴィニーによれば、スミスの﹁体系の人﹂と同様に、非歴史学派の想定する立法者は、法を

(23)

    同志社法学 六八巻七号二〇二二三五〇

﹁その時々において、立法の権力を委ねられた人は、その恣意によって、先行する時代の法からはまったく独自に、現代の

瞬間において作りださねばならないと自らが考えるものについて自己が最良との考えに従って﹂ ₄₀

作り出そうとする。そのような立法者によれば、

﹁法典は、唯一の法典として定められるものであるから、実際にも起こりうる全ての事案にあらかじめ判断を含んでいなければならない﹂(﹃使命﹄二一頁)。

﹁国家は、全ての法の蓄積を分析し、文言に表わさねばならない、それはその結果、その法典が、唯一無比の法典として通用するためである、その結果、それ以外の全ての、その法典が制定されるまでに通用していた法源は、もはや一切通用しな

いこととなるためである。・・・上述の見解に従う多くのものの主張するところであるが、その場合、一般的な理性が、その新しい法典の内容を定めるべきものとされる。﹂(﹃使命﹄一七頁以下)

  しかし、実際には、起こりうるあらゆる事案について予め判断を定めておこうという全能の立法者の計画は実行不可能である。そのため、現実に起こりうる事案の判断は、実際には、法典とは、別の法源により判断されざるを得ない。

﹁法典がこの技術︹法の指導原則を学問的に形成する技術︺を自己のものとしていない時代に成立するならば、次のような災いが不可避である。法実務は、表面的には、法典により支配されているように見えるが、しかし、実際には、法典の外に

存する真に作用する別の法源により、支配されている。この虚偽の外観は、極めて有害である。この危険が根拠のないものではないことは、新しい法典を眺めてみれば明らかである、そこでは、個々の内容だけでなく、本来作用している法源の概

念と普遍的な性質が、見失われており、それはあるいは自然法、あるいは判例、あるいは、法の類推といった様々な名のもとに登場する始末である。﹂(﹃使命﹄二二頁以下)。

  スミスの﹁体系の人﹂の企図に反して、現実の人間社会のチェスボードでは、人々はそれぞれの行動原理に従い、﹁体

(24)

    同志社法学 六八巻七号二〇三二三五一 系の人﹂の定める秩序とは異なる行動をするのと同様、サヴィニーの想定する立法者も、すべての起こりうる事案に対する判断を含む完全なる法典を企図し最高の﹁法の安定性﹂(﹃使命﹄二〇頁)もたらすつもりが、実は、現実に起こり来る無数の事案の判断を予めしておくことは不可能であり、法典の外にある法源によって判断されざるを得ない。いずれの場合も企図に反し、﹁最高度の無秩序の中にある﹂、﹁極めて有害である﹂ことになる。

⑶   ハ イ エ ク と サ ヴ ィ ニ ー ( 補 論 )

  なお、ここで、ハイエクのサヴィニーへの言及について述べておきたい ₄₁

。ハイエクは、人間の行為について、二つの対立した観方を問題とする。第一のものは、個人が自分の希望を実現する力をもつという観方である。これに対して、第二の観方によれば、個人が自分の希望を実現する可能性は、むしろ限定されている。この観方からは、行為の成果は、行為するものの意図ではなく、それを実現するために持ち出されうるプロセスにかかる。そのプロセスは自ずと成長あるいは進化するものであり、プロセスは本来別の目的のためのものであったが、偶然その方向へともたらされうるものなのである ₄₂

  前記のような二つの観方は、規範についての二つの異なった理解にも反映する、つまり、規範はある目的を実現するために設定されるものか、あるいは自生するものかという二つの見解である。ハイエクによれば、ここから、作られた秩序(

m ad e or de r

)と成長する秩序(

gr ow n or de r

)が区別されねばならない。前者は、外因的(

ex og en e

)秩序、構成あるいは組織、後者は、内部成長的(

en do ge ne

)あるいは自生的秩序(

sp on ta ne O rd nu ng

)である ₄₃

  そして、ハイエクは、自生的秩序を志向する姿勢を、進化論的アプローチ(

ev olu tio na ry a pp ro ch

)と呼ぶが、その歴史的な担い手として、バーナード・マンデヴィル、デヴィド・ヒューム、マシュー・ヘイル、アダム・スミス、アダ

(25)

    同志社法学 六八巻七号二〇四二三五二

ム・ファーガソン、エドムンド・バーク、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、

F. C . v .

サヴィニー、サー・ヘンリー・メインおよびカール・メンガーを挙げている(そしてヒューム、スミス、バークがノタンダ・リストに登場する)。

  なお、偶然ではあるが、ハイエクは、﹃法、立法と自由﹄において作られた秩序と成長する秩序をテーマとする第二章﹁コスモス︹

co sm os

成長する秩序︺とタクシス︹

ta xis

つくられた秩序︺﹂の表紙において、スミスの前記﹁体系の人﹂の一節のテクストを引用している ₄₄

ことは象徴的である。

  前記のハイエクのサヴィニーに対する言及は、後の時代から遡り、間接的にではあるが、上述のスミスとサヴィニーの並行性についての本稿の仮説を裏付けるものとは言えまいか。

⑷   『

諸 国 民 の 富 』

  付言すれば、ノタンダ・リストで﹃道徳情操論﹄とともに注記されている﹃諸国民の富﹄については、さしあたり次のテクストを挙げておきたい。

﹁進歩しつつある社会では、哲学あるいは思索(

Sp ek ula tio n

)は、他の様々な活動と同様に、主としてあるいは専らある市民の階層のみが取り組むべきものとされる、そして、この取り組みがまた、他の様々な活動と同様に、様々の下位の区分に

分かたれ、そのそれぞれが異なった哲学者の特別の階層に割り当てられることになる。そして、ここでも他の場合と同様に、分業は、優れた技巧と時間の節約をもたらすことになる︱ここでもまた、分業は、個々人によるそれぞれの専門領域での完

成度を高め、その結果、より一層労働を促進し、知識の総体が各別に増加されるのである。﹂ ₄₅

  スミスにおいては、進歩しつつある社会では、哲学あるいは思索が特別の階層に委ねられ、効率的に分業がなされるのと同様、サヴィニーによれば、高度の文明においては、法曹の身分が分化し、学問化された法を担うものとされる。

(26)

    同志社法学 六八巻七号二〇五二三五三 ﹁より高度の文明においては、民族のすべての営みは、かつては共通して営まれたのであるが、今やよりいっそう、個々の身分に委ねられる。このような分化した身分として、今や法曹も現れる。法は、今や言葉に現され、学問的傾向をもち、か

つて、民族全体の意識の中で生きていたように、今や法曹達の意識に委ねられる、この作用については、民族は今や法曹によって代表される。﹂(﹃使命﹄一二頁)。

  以上の二つのテクストの類似は、単に一般的なものにすぎないのかもしれない。また、サヴィニーが﹃諸国民の富﹄のどの個所に関心をもったのかも、巻、部、頁が示されておらず、不明である。しかし、ノタンダ・リストは、少なくとも前記のような想像をかき立てさせるほど、サヴィニー研究者にとっては刺激的な発見なのである。

六、結  語   以下、本稿の検討を総括する。   サヴィニーの法学が地域と時代を超え人々を魅了するのはなぜか。﹃使命﹄の執筆資料の中の文献リスト等が示唆するように、これまで考えられていたより幅広いサヴィニーの思想的関心によりその法学が支えられているからではないか。

  これまでカント主義者として解釈されたサヴィニーは、むしろカント以降の哲学的潮流の中に位置づけ理解されるべきである。すると、次の関連性が浮かび上がってくる。

  太古の人類の調和が複雑化した時代少数者の精神の中に理想として生き続ける﹁若返らされた神性﹂(ヘルダリンのヒュペリーンからの抜き書き)↓立法者は、自己の意思で法を作出するのではなく、詩人と同様、民族の道具となりそ

(27)

    同志社法学 六八巻七号二〇六二三五四

の作品として、民族とその歴史の中に存する法に言葉による形を与える﹁神的な詩人と立法者﹂(﹃使命﹄執筆資料中の匿名のレーベルク書評)↓詩作とは、世界に偏在する秩序と有様を誰よりも先んじ自己の言葉で語る使命=﹁聖なるものこそわが言葉たれ!﹂(ヘルダリン一七九九年)↓法は、言葉(文書)で証される歴史より先に、人間に言語が与えられていたのと同様、﹁普遍的な婚姻、親子関係、土地所有、取引き﹂の観念として、﹁内的な必然性の感情﹂として存在していたとする﹁法の神的起源﹂(一八一四年夏のサヴィニー法史学講義、﹃体系﹄第一巻一八四一年)。

  以上の関連は、ドイツにおけるナポレオン法典の恣意的導入に民族法の立場から対決したサヴィニーの法学にロマンティックな香りを付与し、後に遥か遠いアジアにおいて、宗主国の法の導入に対し慣習法を重視するナショナリズムと共鳴しえた(たとえばインドネシア)の背景の一つではないか。

  ﹃関サヴィニーの心へが認められるのー使等命﹄執筆資料にロおいて、コモン。   占有の章においてサヴィニーと批判的に取り組んだホームズの﹃コモンロー﹄は、﹁法は、ある国民の何世紀にもわたる発展の歴史を体現している﹂とする。サヴィニーも﹁法の素材は、その国民の過去の総体によって与えられ、恣意によって、それが偶然にそのようなものであったり別のものであったりするのではなく、その国民の内的な存在とその歴史に由来する﹂とする。サヴィニーはまた法理論家は﹁現実生活についてのすべての倫理的宗教的、政治的、国家経済的関係を常に眼前に置かねばらない﹂とするが、法を形態化するための素材である国民の歴史により受け継がれてきた法素材の外に法曹は出ることはできない。これは、経験法学者ホームズが、﹁その時代に利便的に適合した﹂法を作り出す﹁作業が望まれる結果をもたらすかについて、その極めて多くはその過去から受け継いだものによる﹂と述べていることと類似の関連である。現代の要請に応える法の構築は、歴史的に受け継がれてきた法に依拠するというこの関連は、ハイエクの﹁進化論的アプローチ﹂とも重なり合う。ホームズにとってサヴィニーが批判的受容の対象となった

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