• 検索結果がありません。

16 世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "16 世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書"

Copied!
103
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Journal of Asian and African Studies, No.94, 2017 資 料

16 世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書

ギヤースッディーン・キルマーニーの簿記術論文・序章簿記術論校訂・日本語訳注 渡部 良子・阿部 尚史

Persian Accounting Manual from the Early Safavid Period (mid-16

th

century)

Text and Japanese Translation of Chapters on Accounting Techniques from Ghiyāth al-Dīn Kirmānī’s Treatise on Accountancy

WATABE, Ryoko and ABE, Naofumi

This paper proposes a critical edition and Japanese translation of chapters on accountancy from Ghiyāth al-Dīn Kirmānī’s treatise on accounting and bookkeeping written in Persian during the years 1544–49, in the reign of the second Safavid monarch, Shāh Tahmāsp I (r. 1524–76).

Accounting manuals, technical aids written for fiscal bureaucrats and scribes, instructing them on the rules of accounting and bookkeeping, were developed especially in the Persianate world as a genre of adab literature for scribes, and many works have come down to us since the thirteenth and fourteenth centuries—

the Ilkhanid period up to the Modern period. These works, however, in spite of their significance for studies on fiscal and economic history, except for the oldest extant works from the Mongol period and some famous works from the Qajar era, are not edited; consequently, the developments in the theory and practice of accounting and bookkeeping systems observed in these works remain almost unexplored.

Ghiyāth al-Dīn Kirmānī’s treatise on accounting and bookkeeping is the oldest work and the richest in content among the limited number of extant works from the Safavid period. The author, Kirmānī, a trained fiscal bureaucrat, served ‘Abd al-Rashīd, wazīr of Kirmān, a south-east region of Iran, and dedicated this work to the wazīr’s son. His scholarly treatise shows a highly developed theory of accountancy established by Persophone bureaucrats as an intellectual profession, and its samples of account books provide raw materials of the local fiscal administration of Kirmān in the early Safavid period under the influence of the Mongol and Timurid administrative systems.

For the purpose of further research on this work, in this paper, we present a critical edition of the eight chapters on accounting techniques from the Introduction (muqaddima) of this work, translated into Japanese, using four of Keywords: fiscal administration, accountancy, siyāq, Safavids, Persianate world キーワード : 財政制度,簿記術,スィヤーク,サファヴィー朝,ペルシア語文化圏

(2)

384 アジア・アフリカ言語文化研究 94

Ⅰ.解題

1. はじめに

本稿は,16世紀サファヴィー朝初期に成立し たギヤースッディーン・キルマーニーGhiyāth al-Dīn Abū Isḥāq Muḥammad Kirmānīの 簿記術論文Risāla序論(muqaddima)・簿記 術論の部分校訂・日本語訳注である。

ウマイヤ朝(661-750)からアッバース朝 時代(750-1258),イスラーム国家の統治シ ステムの発展とともに,文書行政・財務に関 わる書記術(kitāba)が高度に発達し,技能 官僚であると同時に知識人としてアラビア 語文芸の発展を支えた書記(kātib)たちの

アダブ(adab,教養)の指南書が学術文献

の一類型として発展したことは,よく知ら れている1)。しかし,文書行政における公文 書起草のためのインシャー(inshā’=散文作 文,特に文書・書簡起草術)の指南書・用 例集・書簡作品集が,アラビア語,ペルシア 語,テュルク語文語(特にオスマン語)で広 い需要を生み多数の作品が残ったのに対し,

財務(istīfā’)の技術指南書はアラビア語,

テュルク語ではほとんど残されず2),ほぼペ ルシア語圏でのみ独立したジャンルを形成・

発展させたことは興味深い現象である。会計 学(ḥisāb),またはその中で発達した財務数 字スィヤーク(siyāq)の名を冠した簿記術,

財務文書・帳簿作成技術の指南書は,最も古 い作品が現存する13世紀末以後,特にイラ its five extant copies: manuscripts preserved in the Āyatullāh Mar‘ashī Najafī Library (Mar‘ashī 8140), the Parliament Library (Majlis 6544, 3117), and the Central Library of Āstān Quds Raḍawī (Āstān-i Quds 7148). Our research focuses on the following chapters: Chapter 7 on the method of ruling madd (extended line) for composing account books, Chapter 9 on the confirmation of recorded numbers by ta’rīj (collection) and jā’iza (check mark), Chapter 10 on the writing system of sections of accounts consisting of ḥashw (specification) and bāriz (total sum), Chapter 11 on cancelling contents of books by tarqīn (strikethrough), Chapter 12 on the method of recording objects in account in the right order, Chapter 13 on various kinds of calendars (tārīkh), Chapter 14 on the use of Arabic and abjad numerals, and Chapter 15 on the rules of tax assessment and the form of qānūn (tax register).

Ⅰ.解題  1. はじめに  2. 著者と執筆経緯  3. 作品の構成と特徴

 4. 写本と校訂・訳注の方法

Ⅱ.校訂

Ⅲ.日本語訳註

1) アラビア語文学における書記のアダブ書の登場と発展については,Bosworth 1990参照。

2) アラビア語の税制書や財務庁の職務の解説を含む書記のアダブ書,百科事典は各種財務帳簿の名称 や財務術語の解説も含む。10世紀のal-Khwārazmīによる百科事典Mafātīḥ al-‘Ulūmの書記術の 章は,アッバース朝期にアラビア語で発達した簿記・財務術に関する史料としてイスラーム圏の簿 記術史研究に重要な地位を占める(Bosworth 1969)。またI. Afshārは,Bibliothèque nationale de France蔵MS. person 162(Blochet 1905: I, 78-79)に収録されたKitāb-i siyāqat az ‘ilm-i inshā’

min ta’līf-i ‘Abd al-Jabbārという題名のオスマン語の簿記術指南書(Risāla-yi Falakīyaと似た内容 を持つ)を紹介している(Afshār 1378kh: 313-315)。しかし,ペルシア語簿記術指南書のような,

財務帳簿・文書の技術を解説する専門的文献はアラビア語,テュルク語では確認されていない。

(3)

渡部良子・阿部尚史:16世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書 385 ン高原,インドにおいて多数の作品を確認す

ることができる3)。前近代のイラン高原から 中央アジアでは,13-14世紀モンゴル支配期 に 成 立 し たal-Murshid fī al-Ḥisāb,Sa‘ādat- nāma,Jāmi‘ al-Ḥisāb,Risāla-yi Falakīya4, ティムール朝シャールフShāh Rukh(在位 1409-1447)期に編まれたShams al-Siyāq5), サファヴィー朝期の本作品Risāla,Mir’āt-i Sulaymānī,Dhakhīra,Awārja6)が知られて おり,近代ガージャール朝期になるとBaḥr al-JawāhirFurūghistānなどの大部な百科 事典的簿記術指南書からAshal al-Ḥisābのよ うな初等教育教材に及ぶ多種多様な作品が現 存し,この種の文献が広く社会に需要を得,

流布していたことが理解できる7)

しかし,これら簿記術指南書作品は,現 存最古の13-14世紀の作品群こそ重要な史 料として注目され,1950-70年代にW. Hinz らにより相次いで校訂・翻訳が刊行されたも のの8),その後しばらくの間,作品の写本研 究・テキスト校訂・内容分析は本格的に行わ れてこなかった。その理由は,恐らく簿記術 指南書の史料としての利用の難しさにあった

と思われる。指南書に用例として収録された 財務文書・帳簿の断片は,生の文書・帳簿史 料のように現実の財政制度・経済に関する情 報を伝えているとは言い難く,また断片的に 登場する当時の税制・財政制度に関する記述 も,他史料で裏付けを取ることが難しい。特 に文書史料を利用した社会経済史研究が可能 になっていく近世以降,難解な上に記載情報 の信憑性が保証できないこれらの指南書は,

あまり史料的価値を認められてこなかったと 考えられる9)。文書史料を用いた社会経済史 研究の発展に伴い,経済的データの解読に不 可欠なスィヤーク数字の知識は研究技術とし て広く知られるようになっているが10),その 知識の伝達媒体である簿記術指南書はどのよ うに技術を伝えているのか,これらの作品を 史料として有効に活用するにはいかなる方法 があるか,十分に検討されてこなかったとい える。

しかし近年,簿記術指南書の研究は,再 び 活 性 化 し つ つ あ る。1999年,I. Afshār が刊行したガージャール朝期の浩瀚な簿記 術・財務術指南書Furūghistānの校訂は,ペ

3) 現存するペルシア語簿記術指南書に関する基礎的な書誌学的研究としては,Dānishpazhūh 1381kh; Afshār 1378kh: 281-291; Ṣafarī Āq-Qal‘a 1392khを参照。

4) 13-14世紀モンゴル支配期の簿記術指南書については,渡部2011; 2013参照。

5) Shams al-Siyāq(Munzawī, A. 1378kh: IV, 2706. ではShams al-Siyāqa)については,Hinz 1950b.

6) 現存が確認できるサファヴィー朝期の指南書については,本解題第3節で後述。

7) ガージャール朝期〜近代に著された簿記術指南書については,Ṣafīnizhād 1387kh参照。

8) 13-14世紀モンゴル支配期の現存最古の簿記術指南書でこれまで校訂・翻訳された作品は,イル ハン朝第8代ハン,オルジェイトゥÖljeitü期(r. 1304-16)に編纂されたFalak ‘Alā’ Tabrīzīの Sa‘ādat-nāmaQānūn al-Sa‘āda(M. Nabipourによる1973年の校訂・ドイツ語訳),イルハン朝 崩壊後,傀儡ハン,スライマーンSulaymān(r. 1339-44)に仕えた‘Imād SarawīのJāmi‘ al-Ḥisāb(N.

Göyunçによる1962年の校訂・ドイツ語訳),1330年代〜60年代に編纂されたと考えられる‘Abd Allāh MāzandarānīのRisāla-yi Falakīya(W. Hinzによる1952年の校訂)である。現存作品で最 も古い,イルハン朝第5代ハン,ガイハトゥGaykhatu(r. 1291-95)期に成立したAl-Murshid fī

al-Ḥisābについては,人口調査簿の部分が校訂・英訳されている(Watabe 2016)。

9) イラン高原の社会経済史研究に簿記術指南書を主要な史料として用いた研究としては,14世紀の 簿記術指南書群を史料にイルハン朝後期の財政・社会経済史の再構成を試みたRemler 1985が挙 げられる。

10)スィヤーク数字に関する古典的文献としては,Kazem-zadeh 1915. 後述するように,近年イラン ではスィヤーク数字を用いた財務史料に関する関心の高まりの中,イランのスィヤーク・財務文 書・帳簿史料の研究者として名高いJ. Ṣafīnizhādによりスィヤーク数字を伝承してきた簿記術指 南書の編纂史も含むスィヤークの手引きが(Ṣafīnizhād 1386kh),A. ‘Abdalī Āshtīyānīにより 主にガージャール朝期のスィヤーク数字・財務史料の読解法に関する浩瀚なマニュアル(‘Abdalī Āshtīyānī 1395kh)が刊行されている。

(4)

386 アジア・アフリカ言語文化研究 94 ルシア語簿記術指南書作品の目録を含む詳

細な解説により,簿記術指南書の史料的重 要 性 を 喚 起 し た(Afshār 1378kh)。2000 年代以降は,スィヤーク数字に関する専 門 書 の 刊 行(Ṣafīnizhād 1386kh; ‘Abdalī Āshtīyānī 1395kh)やスィヤーク読解セミ ナーの開催,ガージャール朝期から多数残 る財務史料,財務報告文書(kitābcha)を読 解・分析する研究の登場(Rūstā’ī 1381kh;

Kāẓim-Baykī & Ḥusaynī 1390kh; Rūstā’ī &

‘Abdalī Āshtīyānī 1391kh; ‘Abdalī Āshtīyānī 1392kh; Jamāllū & Ibrāhīmī 1392kh; Bayānī

1392kh)が相次ぎ,スィヤーク読解の技術

への関心の高まり,スィヤーク読解技術を要 する財務帳簿史料への本格的な取組みが広が りつつあることが明らかになってきた。その 中で,簿記術指南書史料とその研究への利用 にも関心が向けられつつある。13世紀末現 存最古の指南書作品Al-Murshid fī al-Ḥisābの 財務用語の研究(Wuthūqī 1392kh,Imāmī

& Ṣafarī Āq-Qal‘a1395kh),ガージャール朝 期の簿記術指南書Qawānīn al-Siyāqの校訂 刊行(Nīkū’īnizhād 1395kh),特に注目す べきは,マシュハドのイマーム・レザー廟に 現存する貴重なサファヴィー朝期ワクフ財管 理帳簿を,簿記術指南書との照合しつつ分析 しようとする研究である(Khusraw-Baykī

& Maḥbūb 1394kh; Maḥbūb & Khusraw- Baykī 1395kh)。これら近年新たに登場して きた研究は,簿記術知識や財務帳簿・文書の 作成・管理方法のマニュアルという簿記術指 南書の本来の特性を踏まえ,財務システムの 解明に有効な情報を引き出そうとしているこ

とに特徴がある。このように,様々な時代の 簿記術指南書作品の研究が進展していくこと により,指南書という一定の様式の中で継承 されてきた簿記システムが,各時代のどのよ うな財政制度・慣行を反映しているか,また それが時代による財政システムの変化に伴い どのような変容を遂げているのか,明らかに する可能性が拓かれつつある。イラン高原の みならず,ペルシア語が書記言語として影響 を及ぼした中央アジア,インド,アナトリア など,ペルシア語文化圏の財務官僚の伝統技 術の発展・展開・変容を追跡する有用な史料 として,簿記術指南書の活用が期待できるよ うになった。しかしそのための基礎作業とし て,高度に専門的な簿記術指南書作品群から 可能な限り多様なテキストの校訂・読解が行 われ,共有されることが必要である。

筆者らが参加した日本学術振興会・科学研 究費研究課題「イスラーム圏におけるイラン 式簿記術の成立と展開」(課題番号25284132  基盤研究(B)研究代表者:髙松洋一,2013- 2016年度)は,前近代西アジア・イスラー ム諸王朝の財政制度を支えた簿記術の成立・

発展の重要性,それを示す史料としてのペ ルシア語簿記術指南書群に注目してきた11)。 本稿が取り上げるキルマーニーの簿記術論文 は,サファヴィー朝第2代君主タフマースブ 1世(在位1524-76)期に成立したペルシア 語簿記術指南書であり,近代イランの政治・

経済システムの基盤を準備することになるサ ファヴィー朝初期の財政制度研究において も,またペルシア語簿記術発展史・簿記術指 南書編纂史においても重要な作品である。本

11)この研究課題の前身として文部科学省委託事業「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」研究課 題「イスラーム圏におけるイラン式簿記術の展開:オスマン朝治下において作成された帳簿群を中 心として」(東洋文庫拠点,2008年度-2012年度,代表:髙松洋一)があり,オスマン帝国,イラン,

アラブ世界の財政制度および財務管理システム・簿記術の比較研究を行うとともに(髙松2011), イラン高原で発展した簿記術の影響に注目し,現存最初期のペルシア語簿記術指南書のRisāla-yi

FalakīyaのHinz校訂未使用の写本を用いた部分訳註(Falakīya/渡部他訳)を行っている。また本

研究課題は2017年度から日本学術振興会・科学研究費研究課題「イスラーム圏における簿記史料 の通時的・共時的研究」(科研費基盤(B),代表者:髙松洋一,2017-2020年度)へと継承されて いる。

(5)

渡部良子・阿部尚史:16世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書 387 稿は,キルマーニー簿記術論文のうち,まず

簿記術論に関する部分の校訂・翻訳を行い,

簿記術指南書史料群研究の有用な手がかりと なるペルシア語簿記術論の一事例を提示する ことを目的とする。

2. 著者と執筆経緯

Risālaの著者キルマーニーの名は,著者

自身の序文によればAbū Isḥāq Ghiyāth al- Dīn Muḥammad al-Kirmānī,雅号は‘Āshiqī である12)。Āstān-i Quds写本に基づき本作 品を簡介したA. Gulchīn-Ma‘ānīによれば,

彼の伝記を収録している詩人伝(tadhkira) は 見 当 た ら ず(Gulchīn-Ma‘ānī 1344kh:

360),その伝記的情報を伝える史料は本作 品のみであると考えられる。本作品はかなり 長大な美文体の序文[1-32. 以下,典拠は本 稿校訂の底本とするMS. Mar‘ashī 8140の ページ数で示す]から始まるが,そこで著者 キルマーニーは,自身の経歴と本作の執筆動 機について,かなり詳しい情報を伝えている。

キルマーニーは自らの生年には触れてい ないが,序章第2章で本作執筆時現在30歳 であると述べている13)。後述するように本 作の成立時期が951-57/1544-49年であると すると,キルマーニーが生まれたのは921- 26/1515-20年, タ フ マ ー ス ブ1世 の 王 子 時代(1516-24)にあたる。序文で著者自 身が述懐するところでは,若年期から学問 を好み,「文法学(naḥw wa ṣarf),修辞学

(ma‘ānī [wa] bayān), 論 理 学(manṭiq), 神学(kalām),その他の宗教諸学(‘ulūm-i dīnīya), 謎 掛 け(mu‘ammā wa lughuz),

その他必要なこと」[14]を習得した。会 計学(‘ilm-i ḥisāb)を特に学び,まだ成年 に達しないうちに「当代の会計官たち,学 識 あ る 師 匠 た ち(muḥāsibān-i zamāna wa ustādān-i farzāna)」の一人にその能力を認 められ,目をかけられたという。これは,少 年期から財務官僚に弟子入りし,そのキャリ アを開始したことを示唆していると考えられ よう。

キルマーニーは,続けて序文の中で,タフ マースブ即位(1524年)について自作の頌 詩を披露しつつ語り[16-26],その統治がも たらした安定のもと,キルマーンのワズィー ルMajd al-Islām ‘Abd al-Rashīdに 仕 え る ようになったと述べる。このワズィール,お よびキルマーニーが彼に仕官を始めた時期に ついて,具体的なことは分からない。ティムー ル朝滅亡後,キルマーンは一時シャイバー ニー朝に征服されていたが,サファヴィー朝 創始者イスマーイール1世(在位1501-24) がムハンマド・ハン・シャイバーニーを殺 害した1510年マルウの戦いの後,クズルバ シュのウスタージルー部のアミールが知事に 任命されていた。タフマースブ即位後に起 きたクズルバシュのアミールの内訌が収束 すると,キルマーンの統治はアフシャール 部のシャークリー・スルターンShāh-Qulī

Sulṭānに委ねられる14)。キルマーンの知事

として本作の帳簿用例に登場するNiẓām al- Dīn Shāh-Qulī Sulṭān Tawāchī Afshār[153-

156:第2部3章タウジーフ帳簿用例のトユー

ル授与勅令の写し]は,明らかに彼を指して いると考えられ,タフマースブによりもたら

12) Muḥammadの名(ism)を記しているのは,Āstān-i Quds写本のみであり[AQ: 8a],諸写本目録 はこの名を採用している(Munzawī 1348-1353kh: I, 164; Dānishpazhūh 1381kh: 152; Munzawī, A. 1378kh: IV, 2699; Dirāyatī 1390-1392kh: IX, 841)。雅号‘Āshiqīは,キルマーニーがタフマー スブへの自作の頌詩の末尾で用いている[MS. Mar‘ashī 8140: 24]。

13)「この論文の著者は,青年期から年が30歳に達した現在まで―《詩》生涯の長い年月が頭上を過ぎ た/生涯の三十年が終わった―当代唯一なる方,アーサフの栄光を持つ,イスラームの避難所たる ラシード閣下への奉仕に専念し,1ディーナール,1マンの不正の重荷を人に負わせよう,筆をね じ曲げようとは決して思わなかった。」[45]

14)Tārīkh-i Kirmān (Sālārīya): 264-266.

(6)

388 アジア・アフリカ言語文化研究 94 された安定とは,内訌収束の1533年以降の

ことであると推測できるだろう。シャーク リー・スルターンの下でキルマーン地方行政 に携わったアブドゥッラシードなる人物につ いては情報がないが,キルマーニーは本作品 の帳簿用例としてこの人物に委ねられた職 務やソユルガル授与の記録を引用し,彼が 用益権を保持する土地(mutaṣarrifāt)で多 額の免税特権を得ていることを伝えている

[150-151]。キルマーンに広大な私有地を持ち,

中央政府のために地方財政を担う立場にあっ た地方有力者であったと考えられるだろう。

キルマーニーは,本作品を,アブドゥッラ シードの子Ikhtiyār al-Dīn ‘Abd al-Qādir15)

の要請で執筆したとしている。「かのお方(= アブドゥルカーディル)は,常に小生を,慧 眼ある人々(arbāb-i albāb)に必須のもの である会計術に関する総合的な論文(risāla’ī jāmi‘ dar fann-i ḥisāb)の執筆に任じよう となさっていた。諸地域の会計官たちの師 で あ るMawlānā Sharaf al-Dīn Faḍl Allāh Khāṣṣaが 編 纂 し たRisāla-yi Baḥr al-Siyāq,

Khwāja Shams al-Dīn Muḥammad財務長官

(ṣāḥib-dīwān)がKhwāja Mīr Aḥmad Jāmī のために整えたShams al-Siyāq,信仰の避難 所 た る ハ ー ジ ャ,Khwāja Sulaymān Shāh Kirmānīが 書 い た ス ィ ヤ ー ク 学 習 の 論 文

(risāla-yi ta‘līm-i siyāq),知性と信仰を持つ 博識なる師匠Khwāja Muḥy al-Dīn Kirmānī が執筆したQawā‘id al-Ḥisābなどのような

[論文である]。しかし[これらの作品は]あ

まりに精緻過ぎ,非常に饒舌で,馴染みのな い類語や驚くべき語彙が多いため,この技術 を学ぶ者は本来目指すべきものから取り残さ れ,主題・目的に到達できなかった」[31]。

この一節は,当時読まれていた簿記術指南 書作品の情報を伝える史料として注目されて きたが16),その著者名からイルハン朝初期の 有名な財務長官(ṣāḥib-dīwān)シャムスッ ディーン・ジュワイニー(1285処刑)の作 品と推測しうるShams al-Siyāq17)を除き,同 定できる作品・写本が現在のところ発見され ていない。2作品はキルマーン出身者の作品 であり,恐らくキルマーンに伝わる在地の指 南書を含む様々な作品が,当時簿記術の参考 書として読まれていたことが分かる。キル マーニーの論文は,それら先行作品を踏まえ,

より分かりやすい指南書の編纂を目指して執 筆されたということだろう。

本作品の執筆年について,キルマーニー は暦法を解説する序論第13章で「本書の執 筆 年 す な わ ち ヒ ジ ュ ラ 暦949年(zamān-i taḥrīr ki nuhṣad wa chihil wa nuh sāl-i hijrī)」

[97]と述べている。しかし執筆終了年は 明らかではない。帳簿・文書用例の日付は 949/1542-43年が最も多いが,951/1544-45 年の日付も一部含まれている。用例の日付は 誤写されることや写本により恣意的に変更さ れることもあり,もとより信用できるもので はないが18,957/1549年に没したタフマー スブの兄弟バフラーム・ミールザーAbū al- Fatḥ Bahrām Mīrzā(d. 1549)の名が用例

15)この‘Abd al-Qādirは,Tārīkh-i ‘Ālam-ārā-yi ‘Abbāsīのタフマースブ1世時代の官職保持者・名士 一覧の中にキルマーンのワズィールとして登場している(‘Ālam-ārā-yi ‘Abbāsī: I, 167)。

16) DānishpazhūhとAfshārは,ここに挙げられた著者・作品情報をその簿記術指南書目録に加えて

いる(Dānishpazhūh 1381kh: 151-152; Afshār 1378kh: 282, 286, 287)。

17) Munzawī,Dirāyatīによれば相続(irth)に関する簿記術の指南書であり,コムのMasjid-i A‘ẓam 491の写本があることを指摘しているが(Munzawī 1378kh: IV, 2706; Dirāyatī 1390-1392kh:

XXI, 155),著者はまだ確認できていない。

18) 14世紀成立のFalakīyaの現存2写本のうち,Aya Sofya写本の文書・帳簿用例には14世紀後半の 年号が付されているが,サファヴィー朝期に成立したと考えられるMajlis写本は,それらの年号 がすべてヒジュラ暦900年代に改められている(Falakīya/渡部他訳の写本ファクシミリ画像を参 照)。キルマーニーの論文も,Mar‘ashī写本,Majlis6544写本,Āstān-i Quds写本はヒジュラ暦 940-50年代の日付を残しているが,Majlis3117写本は年号を大きく変えている。それぞれの ↗

(7)

渡部良子・阿部尚史:16世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書 389 に言及されていることや[139]19),またキ

ルマーンの地名以外にはタブリーズが王都

(dār al-salṭana)の称号とともに盛んに登場 し,1557年に遷都するカズウィーンへの言 及はないことなども併せると,編纂時期は 951-956/1544-50年頃と考えてよいだろう20)

キルマーニーは,本作品に題名をつけてお らず,ただ「論文(Risāla)」と呼ぶのみであ る。Mar‘ashī写本はJāmi‘ al-Ḥisāb,Majlis 6544写本はSarī‘ al-Ḥisāb,Āstān-i Quds写 本はRisāla dar Siyāq,Majlis 3117写本はḤisāb と名づけているが,最も流布・定着してい た題名がどれなのかは分からない。本稿で は便宜的に,著者キルマーニーが呼ぶ通り Risāla,あるいは「キルマーニーの簿記術論 文」(または「論文」)と呼ぶことにする。

3. 作品の構成と特徴

本作品は,序文以下,序論,4部(daf‘a) からなる本論,終章(khātima)という構成 をとっている[表]。

表:キルマーニーの簿記術論文 序文[1-32]

序論(muqaddima)=15章

第1章 この高貴な学の高貴さと偉大さ,こ の非常に称賛すべき学の地位[34-37]

第2章 諸技術のうち,この重大な職に相応 しい,偉大な財務官たちが身につけるべき技 術は何かということ,そして書記たちの道具 とインク入れを整えること[37-46]

第3章 この学の主題とそれに関する事柄

[46-49]

第4章 会計学(‘ilm-i ḥisāb)の定義とそ の意味,それに関する事柄[49-51]

第5章 分数(kusūr)について[51-57]

第6章 ディーナールとマンの分量について

[57-59]

第7章 帳簿の用紙の書き方とマッドの数,

およびそれに関連する事柄について[59-63]

第8章 様々な事物をこの学の人々の方法で どのように書くかということと,それに関連 する事柄[63-75]

第9章 個別集計(ta’rīj)と認証記号(jā’iza) の説明と,その修正はいかなる方法でなされ るべきか[75-79]

第10章 補足(hashw)と総額(bāriz)の 真実およびそれに属する事柄[79-89]

第11章 抹消の記号である取消線(tarqīn) と修復(tartīq)について[89-91]

第12章 総計の時,何を先に記録するのが 適切かということについて[91-94]

第13章 様々な暦とそれに関連する事柄に ついて[94-100]

第14章 算用数字とアブジャド数字の計算 と,それに属することについて[100-103]

第15章  護 ら れ た る 王 国 の 徴 税 の 規 則

(qarār-i jam‘)と租税規定(qānūn)と農作 物などの査定(ray‘)と換算(tas‘īr)につい て[103-123]

第1部(daf‘a)日誌(rūznāmcha)[123-135]

第2部 タウジーフ帳簿(tawjīhāt)[135-155]

  第1章 tawjīhの意味とそれに関連する こと

  第2章 パルワーンチャ(parwānjāt)・バ ラート(barāt)・タアリーク(ta‘alīqāt)・写

↗ 時代での実用も目的に作成された簿記術指南書の写本は,常に正確な書写を目指すわけではなく,

時代に合わせた改変も加えられたと考えられる。

19)第2部タウジーフ帳簿2章,勅令(パルワーンチャ)用例の第3例として,「最も大切な兄弟

(barādar-i a‘azz)」バフラーム・ミールザーへの支出の援助(madad-i kharj)の支給を命じる文 書写しがある。

20) Gulchīn-Ma‘ānīは用例の日付から成立時期を951年と推定している(Gulchīn-Ma‘ānī 1344kh, 355)。キルマーニーは作中で度々庇護者のアブドゥルカーディルに存命中の人物として言及してい るが,序論第15章において,彼を故人の尊称(marḥūm maghfūr)で呼んでいる箇所がある[117]。

アブドゥルカーディルの没年は明らかではないが,彼の存命中に献呈された論文がその没後さらに 改訂・加筆された可能性も考えられ,成立時期について確実なことは言えない。

(8)

390 アジア・アフリカ言語文化研究 94 し(muthannā)・軍の支払命令書(sarkhaṭṭ)

の起草法とそれに関連すること

  第3章 タウジーフ帳簿の書き方とそれに 関連すること

第3部 アワールジャ帳簿(awārja)[155-227]

  第1章 諸税目(abwāb al-māl)について   第2章 [税収の]依託者(arbāb al-taḥāwīl)

について 第4部 算術 終章(khātima)

前述のように,ペルシア語簿記術指南書の 現存が確認できるようになるのは13-14世 紀モンゴル支配期以降であるが,財務書記の 基礎的技術であるスィヤーク記数法,帳簿書 式の作成法,術語・記号の用法などの簿記術

を基礎(muqaddamāt)として解説したの

ち,財務文書・帳簿の書式用例を提示すると いう基本の形式が,その時期にはすでに出来 上がっていた。簿記の実用的知識のみならず,

書記術・簿記術の卓越性や財務書記の心得を 講じる書記のアダブが論じられることや,財 務の基本技術としての算術(ḥisāb,分数・

正数の加減乗除,面積計算など)が含まれる こともある。例えば現存最古の作品である 13世紀末のAl-Murshid fī al-Ḥisābは,算術

(taqrīr)と書記術(taḥrīr)の2部から成り,

書記術の部はさらに書記の心得を含む「書記 術の基礎(muqaddamāt-i taḥrīr)」と帳簿書 式解説・用例集の「会計簿の書式の書きかた

(waḍ‘-i ṣūrat-i muḥāsabāt)」 の2部 に 分 け られるという,包括的な簿記術指南書として 構成されている21)

内容・構成という点から見ると,キルマー ニーの簿記術論文も,算術指南,書記のアダ ブ論,簿記術基礎,財務文書・帳簿用例を含

む包括的な指南書であり,また先行する現存 指南書作品に比べ独自の工夫のある構成と なっているということができる。本稿で校 訂・日本語訳の対象としなかった部分(序論

1〜6,8章)の内容簡介を含め,本作品の構

成とその特徴を見ていこう。

15章からなる「序章(muqaddima)」は,

財務術論(1〜4章),財務数字スィヤーク(5 章)解説,簿記術指南(6〜15章)の3つの 要素からなる。

財務術論の第1章は,会計術(ḥisāb)の 学の高貴さ・偉大さの賞揚である。会計術が 高貴な技能であることを,筆の創造が他の事 物の創造に先んじていたこと,イスラーム以 前のイランの諸王(mulūk-i ‘Ajam)の時代 でもまたイスラームのスルターン,ハーカー ンたちの時代でも常にこの技の徒は高い地位 を与えられていたこと,そして会計術の創始 者(wāḍi‘)が第4代カリフ・アリーである ことの3点から論じる。アリーを会計術の 創始と見なす伝承は14世紀にはすでに存在 したが22),シーア派を公式宗教としたサファ ヴィー朝期においてそれはさらに強調・賞揚 される主題となっていることがうかがわれる。

第2章は,書記のアダブについて,筆記用 具の用い方から財務官としての仕官の心得,

財務の最高官職である財務長官(mustawfī- yi kull)の心得が語られる。

第3章は,会計術の主題(mawḍū‘)につ いて,文法学(naḥw, ṣarf)や修辞学(bayān,

ma‘ānī)など他の学問と対比しつつ,会計の

主題は数(a‘dād)の処理にあることを論じる。

第4章は,第3章の論を踏まえ,会計術の

定義(ta‘rīf)を未知の数を明らかにするこ

ととする。第1〜4章は実用的な簿記・会計 の技術と直接関わるわけではないが,財務書

21)Al-Murshid fī al-Ḥisābの構成と13-14世紀モンゴル支配期の簿記術指南書の形式の特徴については,

渡部2011: 17-24参照。

22)簿記術の創始をアリーに帰す言説は,例えばモンゴル支配期アナトリアの史書Musāmarat al-Akhbār

(723/1323成立)や14世紀イーンジュー朝に献呈されたShams al-Dīn Āmulīの百科事典Nafā’is al-Funūnに見られる(Musāmarat al-Akhbār: 64-65; Nafā’is al-Funūn: I, 303; 渡部2011: 31-32)。

(9)

渡部良子・阿部尚史:16世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書 391 記が自らの専門技術をどのように認識し,そ

の重要性を強調していたかを示す言説として 興味深いテキストである。

第5章から,会計技術の解説に入る。第5 章は分数・正数のスィヤークの記数法,第6 章は,会計処理の基本通貨単位であるディー

ナール(dīnār)の地域格差に関する解説で

ある。タブリーズ・ディーナールを基準に,

イラク諸都市,カズウィーン・スルターニー ヤ・サーワ・コム・ナタンズ,イスファハー ン・アルデスターン・ナーイン,カーシャー ン,キルマーン,ヘラート,ホラーサーン,

インドでどのような偏差があるかを示す。

第7章以降が,財務帳簿作成の簿記術であ る。マッド(帳簿の項目名のアラビア文字を 線状に引き延ばし,帳簿をレイアウトする罫 線の役割も与える書法)による帳簿書式の構 成の方法(第7章),帳簿に記載される様々 な生物・物品の指数辞と記法(8章),帳簿 に記載した数字を集計し数の正確さを確認す る個別集計(ta’rīj)と認証(jā’iza)の方法

(9章),帳簿各項目の基本の書式である補足 と総額(ḥashw wa bāriz)の書きかた(10 章),打消線(tarqīn)による修正法(11章) などが解説される。序論最終章の第15章は,

各地の税制を定める租税規定(qānūn)の制 定方法が語られる。

本作品で注目されるのは,4部構成の本論 の組み立てである。4部のうち,第1〜3部 は財務帳簿の解説,第4部は算術(ḥisāb) であるが,1〜3部で取り上げられている帳 簿は「日誌(rūznāmcha)」「タウジーフ帳 簿(tawjīh)」「アワールジャ帳簿(awārja)」 の3帳簿のみである。13-14世紀の現存最初 期の指南書では,作品ごとの編纂方法による 違いはあるが,会計年度の開始から終了まで

のディーワーンの基本の財務運営プロセスに 関わる帳簿,また宮廷財庫(khizāna)や家 畜など独自の部局ごとの財の出納を扱う会

計簿(muḥāsaba)のさまざまな用例を収録

するのが一般的であった。Murshidはディー ワーンの財務帳簿6種と宮廷財政に関わる 種々の会計簿30種もの用例を収録しており,

Risāla-yi Falakīyaは日誌を筆頭に,アワール ジャ帳簿,依託帳簿(taḥwīlāt),タウジー フ帳簿,個別帳簿(mufradāt),租税規定

(qānūn),総合帳簿(jāmi‘ al-ḥisāb)の歳入・

歳出管理の帳簿と,財庫・倉庫・家畜など個 別部局の個別帳簿6例を示している23。帳簿 用例の提示方法を簡潔化する傾向はティムー ル朝期のShams al-Siyāqにすでに見られるが

(日誌,タウジーフ,アワールジャ,租税規定,

簡略帳簿mujmal),キルマーニーの論文で

は,財務運営プロセスに関わる基本の帳簿用 例を網羅的に解説するという従来の方法が根 本的に変わっているのである。

キルマーニーの論文が取り上げる3種の帳 簿のうち,第1の日誌は,日々の財務をすべ て記録していく,基本の帳簿である24)。第2 のタウジーフ帳簿は,ディーワーンで発生す る諸経費を確定し,その供出を財庫や諸財源

(各地の諸税)のどれかに割り当て徴収させ る手続きを記録する帳簿である。具体的には 各地の徴税責任者や財庫管理官(khāzin)に 対し,俸給(mawājib)・年金(waẓīfa)・下

賜(in‘ām)などの支出,あるいは様々な事

業に必要な経費をその受給者・事業担当者に 対し支払うことを命じる勅令(parwāncha) またはバラート(barāt,支払命令書)の発 行を記録し,未承認の支出や経費の二重取り を防ぎ,支出を監視する25)。第3のアワール ジャ帳簿は,税務担当者が責任を持つ規定納 23) 13-14世紀の簿記術指南書収録の帳簿用例と各帳簿の機能については,渡部2015: 19-20, 28-32.

24) 13-14世紀モンゴル支配期の日誌については渡部2015: 19. サファヴィー朝期の日誌については,

Maḥbūb & Khusraw-Baykī 1395kh: 231-233.

25)モンゴル支配期のタウジーフ帳簿については,Hinz 1950: 120-123; 渡部2015: 41-45. サファ ヴィー朝期のタウジーフ帳簿についてはKhusraw-Baykī & Maḥbūb 1394kh: 238-242; Maḥbūb &

Khusraw-Baykī 1395kh.

(10)

392 アジア・アフリカ言語文化研究 94 付額の納付状況や,財務各部局の支給額と消

化状況を記録する貸し借り対照表の機能を持 ち,特に14世紀以降は各徴税区または税目 の収入がどのように支出されているかを記 録する,すなわち各種財源の消化状況を監 視する帳簿として重要な役割を担うように なった26)。タウジーフ帳簿,アワールジャ帳 簿は,恐らく14世紀,ディーワーンにおけ る支出と財源の管理強化のために重要な位 置を占めるようになった帳簿である27)。キル マーニーは,この2帳簿に焦点を当て,前 者では支出に関する各種財務文書発行・記録 の手続きを,後者では諸税目の分類(abwāb

al-amwāl)とその税収を各種経費の諸部門

(arbāb al-taḥāwīl)へ依託・支出する際の会 計処理の方法を解説することにより,国家・

地方財政の財務管理,多様な会計処理に対応 した帳簿書式の知識を巧みに解説している。

この構成が,著者キルマーニーの考案によ るものなのか,彼が参照し改善を志した先行 の簿記術指南書を確認することができないた め,明らかにすることはできない。また,タ ウジーフ帳簿,アワールジャ帳簿を重視す る技術指南が,サファヴィー朝ディーワー ンの財政の実態,例えば同朝末期の行政便 覧Tadhkirat al-Mulūkなどに見られる,財政 管理部門におけるタウジーフ監督者(ṣāḥib-i tawjīh)28),アワールジャ書記(awārja-niwīs) の役割の重要性とどのような関わりを持つの かを論じることは,現時点では我々の力を超 える。しかし,サファヴィー朝期の財政制度・

財務管理プロセスを他史料,行政便覧,財政 文書史料に基づき再構成していくにあたり,

本作品が貴重な情報源となることは間違いな いだろう。

第4部は,算術(分数・正数の加減乗除,

面積計算),終章は財務上で発生する様々な 会計問題集となっている。イルハン朝期の Murshid,ガージャール朝期のFurūghistān のように,算術指南を含む簿記術指南書は会 計術の基礎の学としての記数法・算術を簿記 術の前に置く傾向があるが,キルマーニーは 記数法以外の算術を末尾に,簿記術を先に配 しており,実用的な財務術知識によりアクセ スし易い構成となっている。

以上,キルマーニーの簿記術論文の構成と その特徴を踏まえた上で,本作品の史料とし ての意義・重要性を簡潔に指摘しておきたい。

第一に,本作品は,現存するサファヴィー 朝期の簿記術指南書でも最初期の,しかも充 実した内容を持つ作品である。前述のよう に,サファヴィー朝期に属する簿記術指南書 として現在までに知られているのは,本作 品のほか,シャー・スライマーン期(在位 1666-94)に成立したと考えられる著者不明 のDhakhīra,Awārja29),Muḥammad ‘Alī b.

Muḥammad QāsimのMir’ āt-i Sulaymānī30)

である。しかし,これらの作品はキルマー ニーの簿記術論文に比べ簡潔であり,キル マーニー序論の簿記術指南に相当する内容し か扱っていない。簿記術の理論に関しては無 論貴重な史料であるが,財政制度に関わる豊 富な財務文書・帳簿用例を含む作品は,現 在のところ,キルマーニーの論文のみであ る。そしてタフマースブ1世期,キルマー ンで編纂された本作品は,サファヴィー朝国

26)モンゴル支配期のアワールジャ帳簿については,Hinz 1950: 120-123; 渡部2015: 41-45. サファ ヴィー朝期のアワールジャ帳簿については,Khusraw-Baykī & Maḥbūb 1394kh: 234-237.

27)タウジーフ帳簿,アワールジャ帳簿の発展が恐らく14世紀イルハン朝下で進行したことに関して は,渡部2015: 41-47.

28)ṣāḥib-i tawjīh,awārja-niwīsの職務については,Minorsky 1943: 76-77; Ḥasanābādī 1382kh.

29)Dhakhīra,Awārjaについては,Dānishpazhūh 1381kh: 153; Munzawī 1348-1353kh: I, 139, 173.

30)Mir’āt-i Sulaymānīについては,Afshār 1378kh: 288; Munzawī 1348-1353kh: I, 192. テヘラン大学 中央図書館に2写本MS. Dānishgāh 3609(書写年なし,推定17世紀),3822/1(書写年1100年 Ṣafar月/1688年11-12月)が所蔵されている。

(11)

渡部良子・阿部尚史:16世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書 393 家体制の形成期の地方財政制度・慣習を示唆

する興味深い記述を多数含んでいる。例えば チャガタイ・ハン国期からティムール朝時代 にかけて中央アジアからホラーサーン地方で 流通していたケペク貨ディーナール(dīnār-i

Kapakī)が使用されていること,イルハン

朝期にイランに導入され,タフマースブ1世 期に廃止されたモンゴルの商税タムガ税

(tamghā)31)がなおタブリーズで施行されて いることが帳簿用例に登場するのは,その実 相に関しては他史料による検証を必要とする ものの,モンゴル時代・ティムール朝時代の 財政システムが継承されたサファヴィー朝初 期の地方財政の状況を伝える史料として貴重 である。キルマーニーは,キルマーンの租税 規定がティムールによる征服後同地に任命さ れたバルラス部のアミールの下で制定された ことを伝えているが(序論第15章),地理 的にティムール朝の中心地ホラーサーン地方 に近いキルマーンの地方財政に関わる本作品 は,ティムール朝期からサファヴィー朝期へ の税制・財政システムの継承・変化を実証す る史料の一つに数えられるだろう。

第二に,特徴ある簿記術論やその叙述方 法を持つ本作品は,ペルシア語簿記術の発 展と簿記術指南書編纂史を考える上でも重 要な作品である。第1〜4章の財務官僚のア ダブ論も含め,キルマーニーの簿記術指南 は,簿記の術語や帳簿の名称を語彙学(‘ilm-i

lughat)の文献や理論に基づき解説するな

ど,学術的・理論的な議論を好む傾向がある。

これらの議論は実用的な技術習得に必要だっ

たとは思われないが,書記術指南書で文芸諸 学や論理学の文献を引用し,著者の学識を披 瀝することは珍しいことではない32)。財務文 書用例として当時のキルマーン知事やパトロ ンのワズィール親子の権益保証に関する文書 を引用していることからも分かるように,キ ルマーニーの論文は当時のキルマーン支配者 の庇護を意識して編まれており,学識の披露 も庇護者にアピールするという目的があった と考えられる。キルマーニーの論文は,簿記 術指南書がただ財務書記の実用マニュアルと いう役割・目的のみのために編まれたわけで はなく,作品献呈を通して財務官僚が権力者 の庇護を得る手段でもあったことを示してい る。同時に,キルマーニーの簿記術論・帳簿 解説の方法・構成は,先に見たように,中核 的な帳簿に焦点を当てて財務の基礎知識を分 かりやすく整理するという,先行する指南書 作品よりも工夫された方法を採っている。こ の構成がキルマーニーの独創であったかは不 明だが,本作品は財務官僚たちが自らの技術 をどのように学術的・論理的に体系化したの かを知る有用な史料であることは間違いな い。キルマーニーの簿記術論を13〜15世紀 の指南書と比較することでペルシア語の簿記 術,財務文書・帳簿作成の様式・規範がどの ように発展・変化していったのかを明らか にし,さらに17世紀のDhakhīra,Awārja,

Mir’āt-i Sulaymānīの簿記術指南と照合する ことで,その簿記術論がどのように後代に継 承されていくかを理解することができるだろ う33)。キルマーニーの簿記術論文の分析は,

31)タムガ税とその廃止については,本田1991: 323-332.

32)例えば14世紀のインシャー術指南書Tuḥfa-yi Jalālīya,Dastūr al-Kātibでは,クルアーンや逸話 の引用に基づく書記職の賞揚や,論理学,文法学を用いた書簡起草術の解説が見られる(渡部 2002)。

33)本作品がどの程度読まれたのかは明らかではないが,確認されるかぎり6写本という簿記術指南 書としては少なくない写本の現存状況が,本作品が一定の流布を見た指南書であることを伝えてい る。また,Tadhkira-yi Ṣafawīyaは,1104/1692-93年の記述で,Ganj-‘Alī Khān,Ṭahmāsp-Qulī Khānのキルマーン知事時代に財務を司ったKhwāja Karīmāの簿記術の能力について,「Khwāja Abū Isḥāq Balkhī(?)がこの学について論文を書いた」ことを引き合いに出している(Tadhkira-yi Ṣafawīya: 651)。校訂者Bāstānī-Pārīzīは,このKhwāja Abū Isḥaqをギヤースッディーンに比定 しており,これが正しいとしたら,キルマーンで1世紀以上を経ても本作品が読み継がれてい ↗

(12)

394 アジア・アフリカ言語文化研究 94 モンゴル支配期からガージャール朝期に至る

様々な時代のペルシア語簿記術指南書作品群 を解読する助けになると考えられる。

本作品に関する先行研究には,すでに言 及したように,著者キルマーニーの経歴と 作 品 を 紹 介 し たGulchīn-Ma‘ānī 1344kh,

そしてイマーム・レザー廟のサファヴィー 朝期のワクフ管理帳簿の機能・構成を簿記 術指南書の解説・用例と照合しつつ解明し たḤasanābādī 1382kh,Khusraw-Baykī

& Maḥbūb 1394kh,Maḥbūb & Khusraw-

Baykī 1395khがある。サファヴィー朝期の

現存帳簿史料と簿記術指南書を対比させた研 究は,キルマーニーの論文の記述が現実の財 務管理システムをどのように反映させていた のかを知る上で極めて重要であるが,キル マーニー論文のテキストの現存写本に基づく 正確な校訂が存在しないため,本作品をサ ファヴィー朝期の財政制度と財務管理システ ム,およびペルシア語文化圏の財務技術発展 史の研究に活用していく条件がまだ十分に整 えられていないという問題がある。

そこで本稿は,本作品の校訂・訳注の初段 階として,序章(muqaddima)から簿記術 の技術解説に関する章(第7章,9〜15章)

を取り上げる。第4〜5章のスィヤーク記数 法,第8章の財務記録対象物のスィヤーク表 記法は,簿記術の最も基本的な要素として非 常に重要であるが,スィヤーク数字に関して は写本ごとに異なる書体・字形を校訂に反映 することができないという問題がある。スィ ヤークの時代ごとの書体・字形のバリエー ションの情報の収集は,簿記術指南書写本研

究に必要な作業であり,今後の課題とした い。キルマーニー簿記術論文が伝えるサファ ヴィー朝初期の簿記術・財務帳簿管理術の体 系を明らかにし,ペルシア語簿記術理論の発 展・変容を追う手がかりとすることが,本研 究の目的である。

4. 写本と校訂・訳注の方法 4-1. 写本

最新のイラン写本総合目録であるFihristgān-i Nuskha-hā-yi Khaṭṭī-yi Īrānに は, 本 作 品 の 写 本 と し て7点 の 写 本 が 挙 げ ら れ て い る

(Dirāyatī 1390-1392kh: IX, 841-842)。 し かし,このうちno.5の議会図書館写本MS.

Majlis 6539/3は,サファヴィー朝期の別の

簿記術指南書Dhakhīraの写本である。残る 6写本のうち,筆者らが利用したのは,4写 本である。議会図書館所蔵のMuḥammad Taqī Bahār旧 蔵 書MS. Majlis, Bahār-29/1

(Dirāyatī 1390-1392kh: IX, 842, no.6)は,

1213/1798-99年に作成された比較的新しい 写本であるが(Nashrīya: V, 669),今回は調 べることができなかった。また,タフマース ブ1世期に建設されたマシュハドのミール ザー・ジャアファル学院madrasa-yi Mīrzā

Ja‘far(現在はラザウィー・イスラーム学大

学Dānishgāh-i ‘Ulūm-i Islāmī-yi Raḍawīに 編入)に所蔵され,現在はレザー廟図書館に 移管されている書写年不明の写本(no.7)は 所蔵番号が無く,2017年1月における渡部 のレザー廟図書館調査で追跡することができ なかった34)。今回使用することができた4写 本は,以下の通りである。

↗ たことになる。本作品がサファヴィー朝後半期からガージャール朝時代の指南書の叙述にどのよう な影響を与えているのかに関しては,今後の課題である。

34)この写本に関しては,Munzawī 1348-1353kh: I, 164. 当該写本の所在確認調査では,マシュハド・

レザー廟研究所Bunyād-i Pazhūhish-hā-yi Raḍawī研究員で簿記術指南書・レザー廟帳簿史料の研 究者であるA. Maḥbūb氏より多大な助力をいただいた。ここに厚く御礼申し上げる。氏によれば,

ミールザー・ジャアファル学院の写本はすべてレザー廟図書館に移管されているはずであるが,レ ザー廟図書館所蔵写本データベースから同学院旧蔵のキルマーニー論文写本を発見することはでき なかった。キルマーニー論文の校訂・研究において,当該写本の追跡は大きな課題として残されて いる。

(13)

渡部良子・阿部尚史:16世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書 395

(1)マ ル ア シ ー 図 書 館 写 本MS. Mar‘ashī 814035)=底本(記号なし。校訂テキスト脚 注ではلصاとする)

書写年1064/1653-54年。確認した4写本 のうち,本写本および(3)(4)が同系統と 考えられる。すなわち現存写本で確認でき る限り最も流布したと思われる写本系統に 属し,3写本の中で恐らく最も古く,かつ良 質な写本である。(2)M6544との共通点も,

他2写本に比べ最も多い。よって本校訂・訳 注では,この写本を底本として用いることに する。

なおこの写本には作品の開始部から通しで 正確なページ番号が振られており,本稿でも フォリオ番号ではなくこのページ番号に基づ き表示する。

(2)議会図書館写本MS. Majlis 654436)(記 号:校訂テキスト=٦٥٤٤م/日本語訳注=M 6544)

書写年は明らかではないが,テキストおよ びスィヤークの書体から,かなり古い写本と 推測される。また,帳簿用例の省略部など,

Mar‘ashī写本をはじめ他写本には欠けてい

る情報を随所に残している。つまり,写本自 体の成立時期は不明であるものの,最も古い 情報を残している可能性がある,(1)と並び 底本の候補になり得る写本である。

しかし逆に言えば,使用した他3写本と 異同が多い。また記述が細かく入り組んでく ると,しばしば表現を飛ばすことや,行を欠 落させていることもある。現在の写本現存 状況において,M6544のテキストを標準に 校訂を行うことは難しい。よって,本写本 を底本として採用することは避け,底本の Mar‘ashi写本が欠落させた記述をM6544に 基づき補っていく方法を採ることにした。

(3)マシュハド・レザー廟図書館写本MS.

Āstān-i Quds 7148(記号:校訂テキスト=قآ

/日本語訳注=AQ)

底本と同系統の良質な写本であり,底本,

M6544で解読困難な点が,本写本で解明

可能なこともしばしばある。一方,底本,

M6544で写字生が理解できないまま書写し

ている箇所が,削除,あるいは分かりやすい 言葉に置き換えられている場合も見られ,扱 いに注意を要する。

(4)議会図書館写本MS. Majlis 311737)(記号:

校訂テキスト=٣١١٧م/日本語訳注=M3117) 書写年1215/1800-1年の新しい写本であ り,底本と同系統だが,省略や欠落も最も多 い。例えば,本稿で扱う序論第15章租税規 定の章は,本写本では削除されている。本校 訂では,他3写本によるテキストの読解が困 難な場合,この写本の異同情報を手がかりに した。

4-2. 校訂・日本語訳の方法

(1)校訂

本稿で校訂・訳注の対象としたのは,序論 の中の特に簿記術の解説に関わる第7章,第 9〜15章である。

校訂は,以下の方針で行った。

・写本フォリオ番号:テキスト中の[ ]は,

写本フォリオ番号を示す。底本はページ番号 のみ,他3写本は略号とともにフォリオ番号 を示す。フォリオの表裏は,校訂テキスト/

日本語訳注でそれぞれrecto=فلا/a,verso

=ب/bで示す。

・テキストは底本を基本とするが,底本の記 述が誤りと判断された場合は,他写本を参考 に修正する。底本にない記述を他写本から補 う場合は,{ }に入れる。

・帳簿・文書の用例の書式は,写本により大 きく異なる場合がある。本校訂では,基本的 に底本に示された書式を再現する。写本中の 帳簿用例の書式はしばしば本文で解説されて いる帳簿書式に合致しないこともあるが,校 35)本写本については,Marʿashī, M. et al. 1373kh-: XXI, 133.

36)本写本については,Kitābkhāna-yi Majlis: XX, 117-118.

37)本写本については,Kitābkhāna-yi Majlis: IX, 85; X, 683.

(14)

396 アジア・アフリカ言語文化研究 94 訂では可能な限り解説の書式の規則(補足は

ページの右4/6,総額は左2/6に配置するな ど)に則る。

・校訂テキストは,現代ペルシア語の標準的 正書法に基づき,前置詞・動詞の接頭辞(現 在形,過去未完了形のmī)は分かち書きに する。写本の異同は脚注で示すが,前置詞・

動詞の接頭辞・be動詞būdanの接尾辞形現 在形などの語の接続の相違は示していない。

文字の識別点の異同は語の意味が変わる時の み示す。ハムザの有無は,それが不定のyの 記号として用いられている場合のみ示し,エ ザーフェの記号として用いられている場合は 示さない。

・スィヤーク数字(正数・分数)はアラビア 算用数字で示し,ディーナール,マン,トマ ンなどのスィヤーク表記は,文字表記する。

・クルアーンなど,他文献の引用は《 》に 入れる。クルアーン引用の章節番号は訳注で 示す。

・一部の記号を図像で示したが,これらは底 本の複写画像から複写したものである。

(2)訳注

・日本語訳テキストには,底本のページ番号

のみを(p. 〜)で示す。

・翻訳上補った語句・表現は[ ]で示す。

直前の語の原文ラテン文字転写は( )で示 す。

・スィヤーク数字は算用数字で示す。

・貨幣単位ディーナールdīnārは,スィヤー ク数字で表記されている場合はd.nとし,文 字で書かれている場合は「ディーナール」と する。10000を示すtūmānは,スィヤーク の場合も文字で書かれている場合も「トマ ン」と表記する。重量単位manはmanとする。

・クルアーンの引用の翻訳は,中田ほか訳 2014に基づく。

・詩などの引用の出典,地名は訳注で示す。

・財政用語・術語,官職名などに関しては,

現時点で正確な意味が確定できないもの少な くないため,最低限の注釈に留めている。今

後,本作品の本論部分の校訂とともに,登場 する術語一覧を作成する予定である。

「はじめに」で述べた通り,本作品の校訂・

訳注作業は,2013-2016年度日本学術振興会 科研費・基盤研究(B)「イスラーム圏にお けるイラン式簿記術の成立と展開」の研究活 動の一環として行われたものである。2013 年9月より,代表者の髙松洋一以下,プロ ジェクトの共同研究者・研究協力者である阿 部尚史,熊倉和歌子,近藤信彰,齋藤久美子,

渡部良子(五十音順)が基本的に月例で研究 会を開催し,共同で校訂・訳注を進めた。校 訂・訳注作業は渡部,阿部が担当し,研究会 に提出した仮校訂・仮訳注を,他参加者から の修正・意見を受け,完成するという手順で 行った。渡部が第7,9,10,11,12,14章 お よ び15章[120-123], 阿 部 が13章,15 章[103-119]を担当し,共同で全体の推敲・

完成の作業を行ったが,それは研究会におけ る修正・議論の上に成り立っている。特に近 藤信彰氏からは,難解なスィヤーク数字・書 体の読解に関して多数の誤りの指摘・修正,

不明点への教示を受けた。また公開で行った 研究会は,多くの研究者の参加を得た(五十 音順:岩本佳子,大塚修,金谷真綾,杉山隆一,

関谷匡史,高木小苗,徳永佳晃,山口昭彦)。 これらの方々からの教示・助言にも助けられ た。また,本誌査読者による査読も,本稿の 修正に大きく役立ったことを申し添えておき たい。以上に述べた助力に感謝するとともに,

本稿における誤り・問題点に関する責任は,

校訂・訳注稿の作成・完成を担当した渡部・

阿部にあることを明記しておく。(渡部良子) 本 研 究 は,JSPS科 研 費 JP25284132の 助成を受けたものである。

(15)

渡部良子・阿部尚史:16世紀サファヴィー朝期のペルシア語財務・簿記術指南書 397

文 献 目 録

◉史料◉

‘Ālam-ārā-yi ‘Abbāsī: Iskandar Beg Turkamān.

Tārīkh-i ‘Ālam-ārā-yi ‘Abbāsī, Vol. 1, ed. Ī.

Afshār, Tihrān: Amīr Kabīr, 1961/1350kh (2nd print).

Falakīya: ‘Abd Allāh b. Muḥammad b. Kiyā al-Māzandarānī, Die Resālä-ye Falakiyyä des ‘Abdollah Ibn Moḥammad Ibn Kiyā al- Māzandarānī. Ein persischer Leitfaden des staatlichen Rechningswesens (um 1363), ed. W.

Hinz, Wiesbaden, 1952.

Falakīya/渡部他訳:髙松洋一(監);渡部良子・

阿部尚史・熊倉和歌子(訳)『マーザンダラー ニー著(14世紀)簿記術に関するファラキー ヤの論考』共同利用・共同拠点イスラーム地 域研究拠点(東洋文庫)[第3-7章の訳註]

Furūghistān: Mahdī Bāqir Furūgh-i Iṣfahānī, Furūghistān: Dānishnāma-yi Fann-i Istīfā’ wa Siyāq, ed. Ī. Afshār, Tihrān, 2000/1378kh.

Jāmi‘ al-Ḥisāb: ‘Imād Sarawī, Das sogenannte Ğāme‘

o’l-Ḥesāb des ‘Emād as-Sarāwī, Ein Leitfaden des staatlischen Rechnungswesens von ca. 1340.

ed. N. Göyunç, Göttingen, 1962.

Murshid: al-Ḥasan b. ‘Alī, al-Murshid fī al-Ḥisāb, MS. Kitābkhāna-yi Majlis-i Shūrā-yi Islāmī 2154.

Musāmarat al-Akhbār: Āqsarā’ī, Maḥmūd b.

Muḥammad al-Karīm, Müsâmeret ül-Akhbâr:

Mogollar Zamanıda Türkiye Selçukluları Tarihi, ed. O. Turan, [Tihrān], 1362kh.

Qānūn al-Sa‘āda: ‘Abd Allāh b. ‘Alī Falak ‘Alā’

Tabrīzī, Qānūn al-Sa‘āda, in Die beiden persischen Leitfäden des Falak ‘Alā-ye Tabrīzī über das staatliche Rechnungswesen im 14. Jahrhundert.

ed. M. Nabipour, Göttingen, 1973: 1-46.

Nafā’is al-Funūn: Shams al-Dīn Muḥammad Āmulī, Nafā’is al-Funūn fī ‘Arā’is al-‘Uyūn. 3 vols., ed.

Ḥ. M. A. Shi‘rānī, Tihrān, 1377-79kh.

Risāla: Ghiyāth al-Dīn Abū Isḥāq Kirmānī. Risāla.

MS. Kitābkhāna-yi Mar‘ashī no. 8140.

MS. Kitābkhāna-yi Majlis-i Shūrā-yi Islāmī 6544.

MS. Kitābkhāna-yi Markazī-yi Āstān-i Quds-i Raḍawī 7148.

MS. Kitābkhāna-yi Majlis-i Shūrā-yi Islāmī 3117.

Sa‘ādat-nāma: ‘Abd Allāh b. ‘Alī Falak ‘Alā’

Tabrīzī, Sa‘ādat-nāma, in Die beiden persischen Leitfäden des Falak ‘Alā-ye Tabrīzī über das sta- atliche Rechnungswesen im 14. Jahrhundert, ed.

M. Nabipour, Göttingen, 1973: 47-151.

al-Ṣiḥāḥ: Tāj al-lugha wa-ṣiḥāḥ al-ʿArabīya, 6 vols., ed. Aḥmad ʿAbdal-Ghafūr ʿAṭṭār, Bayrūt : Dār al-ʿIlm lil-Malāyīn, 1984 (3rd ed.).

Shams al-Siyāq: ‘Alī Shīrāzī, Shams al-Siyāq, MS.

Ayasofya 3986: 119a-134b.

Subḥat al-Abrār: ‘Abd al-Raḥmān Jāmī, Subḥat al- Abrār, in Mathnawī-yi Haft Awrang, vol.1 eds.

J. Dād ‘Alīshāh, A. Jānfadā, and H. Tarbiyat, Tihrān: Mīrāth-i Maktūb, 1378kh.

Tadhkira-yi Ṣafavīya: Mīr Muḥammad Sa‘īd Mushīzī, Tadhkira-yi Ṣafavīya-yi Kirmān, ed.

M. I. Bāstānī-Pārīzī, Tihrān: Nashr-i ‘Ilm, 1990/1369kh.

Tārīkh-i Kirmān (Sālārīya): Aḥmad ʿAlī Wazīrī Kirmānī, Tārīkh-i Kirmān (Sālārīya), ed. M.

I. Bāstānī-Pārīzī, [n.p.]: Kitāb-hā-yi Īrān, 1340kh.

Yūsuf wa Zulaykhā: ‘Abd al-Raḥmān Jāmī, Yūsuf wa Zulaykhā, in Mathnawī-yi Haft Awrang, vol.

2 ed. A. Afsaḥzād and H. Tarbiyat, Tihrān:

Mīrāth-i Maktūb, 1378kh.

[ジャーミー2012(岡田恵美子訳)『ユースフとズ ライハ』平凡社(東洋文庫)]

◉参考文献◉

‘Abdalī Āshtīyānī, A. 1392kh. “Kitābcha-yi khāliṣajāt-i anbār-i dhakhīra ba khaṭṭ-i siyāq (1306 h.q.),” Payām-i Bahāristān 21: 94-109.

‘Abdalī Āshtīyānī, A. 1395kh. Siyāq: Tārīkh, Āmūzish, Dīwānsālārī wa Riyāḍī-yi Ḥisābdārī, Tihrān.

Afshār, Ī. 1378kh. “Fihristī az kitāb-hā-yi siyāq,” in Furūgh-Iṣfahānī. Furūghistān:

Dānishnāma-yi Fann-i Istīfā’ wa Siyāq, ed. Ī.

Afshār, Tihrān.

Bāstānī Pārīzī, M. I. 1369kh. “Muqaddima,”

Tadhkira-yi Ṣafavīya-yi Kirmān, Tihrān:

Nashr-i ‘Ilm: 1-177.

Bayānī, B. ed. 1392kh. Kitābcha-yi Jam‘ wa Kharj-i Kull-i Hādhihi al-sana-yi Īt-yīl-i Mamālik-i Maḥrūsa, Muṭābiq-i sana-yi 1304 Hijrī, Tihrān.

Blochet, E. 1905. Catalogue des manuscrits persans de la Bibliothèque nationale, Vol. 1, Paris.

Bosworth, C. E. 1969. “Abū ‘Abdallāh al-Khwārazmī on the Technical Terms of the Secretary’s Art,” Journal of the Economic and Social History of the Orient 12: 2 (1969): 25-41.

Bosworth, C. E. 1990. “Administrative Literature,”

in The Cambridge History of Arabic Literature:

Religion Science and Leraning in the ‘Abbāsid Period, eds. J. Ashtiany et al., Cambridge:

155-167.

Dānishpazhūh, M. T. 1381kh. “Dabīrī wa niwīsandagī,” in Ḥadīth-i ‘Ishq: Dānishpazhūh dar Qalamraw-i Justār-hā-yi Nuskha-hā-yi Khaṭṭī, eds. N. M. Kāshānī, N. M. and M. Ḥ.

Mar‘ashī, Tihrān: 135-229.

Dirāyatī, M. 1390-92kh. Fihristgān-i Nuskha-hā-yi Khaṭṭī-yi Īrān, 34 vols., Tihrān.

参照

関連したドキュメント

An example of a database state in the lextensive category of finite sets, for the EA sketch of our school data specification is provided by any database which models the

For staggered entry, the Cox frailty model, and in Markov renewal process/semi-Markov models (see e.g. Andersen et al., 1993, Chapters IX and X, for references on this work),

Comparing to higher Chow groups, one sees that this vanishes for i > d + n for dimension (of cycles) reasons. The argument is the same as in Theorem 3.2. By induction on

As application of our coarea inequality we answer this question in the case of real valued Lipschitz maps on the Heisenberg group (Theorem 3.11), considering the Q − 1

Key words and phrases: Quasianalytic ultradistributions; Convolution of ultradistributions; Translation-invariant Banach space of ultradistribu- tions; Tempered

In addition, we prove a (quasi-compact) base change theorem for rigid etale cohomology and a comparison theorem comparing rigid and algebraic etale cohomology of algebraic

A connection with partially asymmetric exclusion process (PASEP) Type B Permutation tableaux defined by Lam and Williams.. 4

(4S) Package ID Vendor ID and packing list number (K) Transit ID Customer's purchase order number (P) Customer Prod ID Customer Part Number. (1P)