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平城宮 出土陶硯 について

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(1)

第 1節   陶硯 の種類

平城宮 出土陶硯 について

本集成では陶硯 の分類 と呼称 について は、破片資料が主体 を占める資料集である性格上、例言 に掲 げ た文献 を参考 に して、

 1 

円面硯、

2.円

形硯 、

風字硯 、

形象硯 、

5,そ

の他 に大別 した。 こ こでは、平城宮 出土の陶硯 に限定 して、それぞれの特徴 と細分 について触 れてお く (例言付 図参照)。

1.円

面 硯

円面硯 は、墨 をす る硯面 (陸

)が

円形 の中央 にあ り、周 りに墨 を溜 める海部 を持つ もので、脚 の形 態 によって蹄脚 円面硯、圏足 円面硯 、獣脚 円面硯 、無脚 円面硯 に分かれる。平城宮 出土陶硯 の大半 を占 める型式であるが、前

2者

が圧倒的で、後

2者

はそれぞれ数点あるに過 ぎない。

蹄脚 円面硯

 

蹄脚 円面硯 は硯部 とその下 に付 された多数の獣脚様の脚柱 と脚柱 を繋 ぎ支 える輪状の脚台 とか らなる型式で、製作方法の違いによって、蹄脚 円面硯

Aと

蹄脚 円面硯Bと に分 け られる。

蹄脚円面硯

Aは

硯部 と脚台部 とを別々に作 り、両者 を別途型作 りした多数の獣脚様の脚柱部で結合 し た ものである。脚台部は多 くは偏平 な輪 であ るが、棒状 肉厚 の もの もある。脚柱部 はやや縦長の球形 を 呈す る脚頭 と水平 な円板状 の脚節 と三角形 の脚柱 とを一体 で型作 りし、脚頭 を硯部外側面 にめ ぐらせ た 突帯の下 に貼 り付 け、脚柱 を脚台部 に埋 め込 む。脚頭上面・脚節上下面 に残 る木 目痕 と、脚頭剥離面 ・ 脚柱 内面の縦方向ヘ ラケズ リ痕 は脚柱部 の型作 り成形時の痕跡で、脚柱外面は縦方向のヘ ラケズ リな ど で貼付 時に生 じた指頭痕や変形 を調整す る。

脚台 と脚柱の形状によって①薄板・三角形、②薄板・砲弾形、③肉厚・細棒 などに細分 される。それ ぞれ胎土色調が独特で生産地を異にするとみ られる。① は幅広 く薄手の脚台 と幅広 く薄い三角形脚柱が 特徴で、脚柱 を脚台の中央外 よりに貼 り付 ける (42な ど)。 ② は幅広い薄板の脚台に肉厚砲弾形の脚柱 を脚台内端に貼 り付ける (153な ど)。 ③ は九みを持った肉厚の脚台 と細棒状の脚柱が特徴的で、脚柱 は 縦方向のナデ調整 (262、 497、 531な ど)。 奈良時代前半のSDl1990か ら出上 した脚部531から、前半代 には存在 したことが知れる。①②③の別 を越 えて、法量は外堤径24〜30cm、 脚台径28〜36cmの大型が主 体 を占める。

蹄脚円面硯

Bは

硯部 と脚台部を一連で成形 したのち、側面に別途型作 りした脚頭・脚柱飾 りを貼 り付 け、下底部の台を補充 し、脚柱飾 りの間を削 り取つて透孔 とするもの。蹄脚円面硯

Aの

製作方法上の簡 略形であ り、産地の違いを反映すると見 られる脚部の作 り方によって、以下の細分が可能である。

細分① は薄 く直立 した一連成形の脚部の下端に厚い圏台 と脚柱飾 りを只占付けるもので、一連成形時の 先端が脚台部下面の内端に突出する。硯部下半〜脚柱部の内面を横方向にヘラケズ リ、脚台部内・外面

もヘラケズリの後、ナデ調整によって仕上げる。脚柱外面は縦ケズ リで整形するが貼付時の指痕が残 る。

視部は均厚薄手で、内面は硯面・海部の形状 に合わせて段 をもち、ロクロナデで仕上げる。直立気味の 外堤下部に

2〜 3条

の突帯をめ ぐらせる。中央区朝堂院地区をはじめ多数出土 し、平城宮出上の蹄脚円 面硯

Bの

大半を占める。

細分②は成形時の脚裾部を外方へ段 をもって屈曲し、脚端の先端をさらに下方に折 り返 して脚部の概

(2)

形 を作 った後 に、反転 し、張 り出 した脚端部の上 に粘土 を補 いつつ、復J面に脚柱飾 りを貼 り付 け、脚柱 飾 りの間を三角形 に切取 って透孔 とす る。成形時の脚先端が脚台下面の外端 として突 出す る。硯部下半

〜脚柱部内面は横ケズ リだが、脚台部内外面はロクロナデ。脚柱が短 く低い傾向にあ り、第一次大極殿 院東楼 の209、 東区朝堂院の406な どが典型例。東区朝堂院地区に集中す る傾 向があるが第一次大極殿 院 南端 や北方官衛地 区に散見す る。第一次大極殿 院東楼SB7802柱抜取穴か らは天平勝宝年 間の紀年木簡

と平城官Ⅳの土器が出上 してお り、 この蹄脚 円面硯 の年代 の一点が判明す る。

細分③ は成形時の脚裾 を外反 させてつ くった凹面 に細 身の脚柱 を貼 り付 ける もの。硯 部 は高いタト堤 に

2条

一組 の凹線 を巡 らせ る (329'330)。 細分④ は幅狭 い脚台 と扁平 な脚柱 を貼付 け、脚台内端が突 出 す る。脚柱 内面 はロクロナデの ままである (312な ど)。 細分⑤ は硯部内面 に段 を持 たない もので、硯面 部が 肉厚で、外傾す る外堤 とタト堤下の

2条

の突帯が細 い特徴がある (282な ど)。 細分③ 以下 は出土点数

も少 な く、その当否 についてはなお検討が必要である。

圏足 円面硯

 

圏足 円面硯 は輪状 の台脚 を有す る一群で、硯面形態 により、圏足 円面硯

a:硯

面が明確 な 段 を持 って隆起す る もの、圏足 円面硯

b:硯

面が弧 を描いて隆起す る もの、圏足 円面硯

ci硯

面が水 平 な ものに分 け られる。それぞれ に、硯面 と海部 との境 に突帯 な どを巡 らせ る もの とそれ らがない もの と があるが、一覧表 な ど本書では特 に区別 を しなかった。

圏足 円面硯

aは

硯面形態が判明す る圏足 円面硯 の約

7割

を占める。外堤径27〜28cm前 後の大型か ら、

外堤径10cm前後 まで満遍な くあ り、12〜17cm大 の ものが最 も多 く、最小6 cmのもの まである。

脚部を含めた形状で①下半部が広がった円筒形で、透孔の上下に小 さな三角形突帯 をめ ぐらせるもの、

②円筒形だが脚裾部が外反気味で端部を肥厚 させるもの、③脚裾部が外側へ屈曲するものがあ り、④脚 部が硯部の内寄 りに付 き、外堤が複合国縁状 になるものがある。透孔は大半が長方形であるが、細長方 形、幅広長方形の別があ り、ほかに十字形、四弁花形、小円形などが少量あ り、縦沈線 を刻むだけの も の もある。透孔数 (脚

)は 4〜

44で粗密がある。外堤に波状文、脚柱部に縦沈線、竹管文、草木文な どの文様 を施す ものが少量ある。①②①の形状 による細分は、それぞれに脚の長短、外堤・面径の違い などが加わって多様であるが、そのなかには、外堤 ・突帯・脚部の形状、透孔の粗密、文様などの共通 するい くつかのまとまりが抽出で き、法量の異なる相似形 として認識で きるもの もある。産地や系譜の 違いを反映 した系統的細分は今後の課題である。

特徴 的な ものを例示す ると、① には長方形透孔 の上下 に突帯 を各

2条

め ぐらせ た大型扁平の もの (319)や 各 1条 め ぐらせ、外傾度が大 きい もの (323)、 各 1条 め ぐらせ背の高い もの (279)な どの別 があ り、それらは、透孔内面を面取 り処理する特徴 をもち、外堤径28〜 22cmの大・中型が主体 を占める。

中央区朝堂院東南部や南辺官衛式部省地区の前半期官衛関連遺構および東区朝堂院下層朝堂などか ら平 城宮Ⅲまでの土器 と伴出するものがあ り、圏足 円面硯

aの

なかでより古い一群である可能性が高い。細 別②③ にも大小の別があるが概 して① よりも小 さく、小径の ものは奈良時代後半で も新 しく平安時代初 めに至る遺構か ら出土する。④は厚手の脚部が硯部下面の内寄 りから廷びるために、外堤下の突帯がな く複合口縁状 を呈 し、脚部はタト反 して面 をもつ。この型式は藤原宮内裏外郭地区に類例があ り、

7世

紀 末以来の古い型式 と考えられる。平城宮内では第29次 (100)、 第35次 (151)、 第44次 (189)、 東区朝堂 院の第267次 (499)な どがあ り、藤原宮出土例 を含めて胎土色調共に類似 した倒置焼成であって、同 じ 産地の製品と推定される。

(3)

圏足円面硯

bに

は、法量で外堤径21〜 24cm前後の大型 (193・ 296・ 348な ど)、 タト堤径16〜 18cm前後の 中型 (204・ 449な ど)、 外堤径12〜14cm前後の小型 (45'224な ど

)と

外堤径10cm前後の超小型 (36・

195など

)が

ある。形状では大型の ものに①脚部が肉厚で受け口状の細長い突帯 をもち、透孔が四弁花 形 を呈するもの (296・ 348な ど

)や

、②全体 に薄手でタト堤、突帯が角形 を呈 し、外反する脚部に長方形 透孔 をもつ ものがあ り、①の脚端 は外反 して凹線状に肥厚 させる (403)。 中型は突帝、外堤の特徴が①

② に類似するものが主体で、小型、超小型は脚の高低など多様である。大型① は南辺官衛式部省地区、

中央区朝堂院東南部に、大型② は東区朝堂院、南辺官衡地区にそれぞれ 目立ち、地区ごとの詳細 な検討 が今後の課題である。

圏足円面硯

cは aや

bと の区別が難 しい ものが含 まれる。明確 な ものでは、外堤径14〜 15cmの小型 (191)や 外堤径7 cm前後の超小型

(3)が

ある。小 さな外堤の下に突帯 をめ ぐらせ、脚端部は外反肥 厚 させる点で圏足円面硯 bと 共通 し、法量 も圏足円面硯

bの

小型 と重なる。

獣脚円面硯

 

硯部に

3個

以上の獣脚 をつけるが、脚下端を脚台で繋がない もの。

8世

紀初めには消失す る型式で、平城宮では宮南面中門の包含層出土の蹄脚円面硯

A(24)の

脚柱部が脚節 を持たない脚頭で ある点で可能性があるにとどまる。

無脚円面硯

 

円面硯の硯部だけで製品 としたもので、明確 な突帯をめ ぐらさない。外堤下が分厚 く短い 圏足のようにみえる86・ 146と、外堤 と海部 と硯面 とで構成 される505と がある。なお、505は硯部の破 片資料で、欠失部に数イ固の脚が付 く余地がある。独立 した獣脚が付けば、獣脚円面硯 となる。

2.円

形 硯

円形硯 は硯部が円形を呈するが、海部が一方に偏るか、区別 されない点で円面硯 に含めない ものであ る。ただ、破片資料の場合、硯面の傾斜が確認で きないことや、楕円形や円頭風字硯 との区別が難 しい ことがあ り、曖味さが残る。

①双脚で硯面が傾斜するもの (4・ 20・ 148)、 ②

3脚

以上で硯面が水平の もの (41)、 ③皿形の硯部 に高い輪状の高台がつ くもの (145・ 515)、 ④杯

B蓋

形の硯部に輪状高台 をつけたもの (109・177・ 383

387)、 ⑤ 円盤状 の硯部外縁 に沿 って浅 い溝状の海部 を半周 し、裏面 に高い輪状高台 を付 ける もの

(276・

280)が

ある。

①は皿形に作 った素地の口縁部 を加工 して外堤 とし、一方に片寄せて

2個

の沓形の脚 を付す。裏面を 削 り調整 して硯面に特に海部 を設けない ものと、成形時のヘラ切 り痕 をとどめ、硯面の一方に楕円形の 凹みを作って海部 とするものがあ り、いずれも風字硯 との交流によつて生み出された ものである。第一 次大極殿院北方官衡地区、内裏北外郭地区および内裏東外郭地区

SD4240か

らの出土例がある。

②は 7角 に面取 りした円柱 を裏面 に付ける。脚 に掛 る降灰 と配置か ら

3脚

の可能性があ り、硯面が水 平をなす と考えた。裏面周縁部を中心にヘラケズ リで調整する点 も含めて円形硯①や風字硯 との類似点

は多い。内裏東外郭から出土 した。

③ と④は輪状高台円形硯 とされる もので、硯部が皿形の③ と蓋形の④ とに分けられる。③ には日径約 19cmの小 (145)と 約21cmの大 (515)と があ り、小は内外面全面を密にヘラミガキする。④ には口径約 19cmの小 (109。 385〜

387)と

、約21cmの中 (384)、 約23cmの大

(177)が

ある。③ は宮城東南隅近 くの SD3410か ら、④はSD3410、 SD2700を 含む内裏東方〜東院西辺地区か らの出土で、両者の出土傾向は重 な り、時期 も奈良時代後半〜末を中心 とする。

Z7

(4)

3.風

字 硯

外形が漢字の「風」冠 に類似す るこ とか らこの名がある。硯尻側 に

2個

の脚 をつ けて、硯面 を硯頭側 に傾斜 させ る。平面形で は硯頭が九 い もの (円)、 直線 の もの (平頭

)が

あ り、 円形硯 との区別が難 しい もの もある。硯面形状 では硯面 を縦方向の突帯で左右 に区分す る もの (二)、 硯面内の海部 と陸 部の境 を突帯で区分す る もの とそれ を欠 くものがある。脚柱 の形状 には円柱形、角柱形、格狭 間形、方 形板形 などがある。材質では、他 の陶硯 と同 じ須恵器のほかに、黒色土器

A類

、黒色土器

B類

がある。

平城宮か らは黒色土器

A類 3点

、黒色土器

B類 5点

、二面風字硯

2点

、平頭

1点

を含めた18点が 出土 し てお り、基幹水路のSD2700、 SD3410、 SD4951のほか碑積官衛地区、東 院庭 園地 区、玉手門地区な ど平 安時代初めの遺構遺物が顕著 な地 区に集 中す る。

4.形

象 硯

楕 円形の硯部 に海部 と硯面部 を設 け、農 ・亀 ・羊 な どの頭頸部・胸部 ・尾部 を立体 的に造形す る。

鳥形硯 の脚 部 には折 畳 ん だ写 実 的表現 の もの (250・

469)と

4本

の 円柱 や獣 脚 で表現 す る もの

(22・187)がある。硯部内面 には頭側 に円弧形の堤 によって海部 をつ くる。516・ 517は 我頭 ・円弧の平面 形 をもつ扁平 な硯部の外周 に幅広 い突帯状 の外堤 をめ ぐらせ、我頭形の硯部の内側 に双円弧形の突帯 に

よる海部 をつ くる。宝珠硯 に類似す るが、硯頭部外堤上の方形剥離痕か ら小動物 の形象硯 と考 え られる。

硯面部の形状 にあわせ た甲羅状 の蓋 は、頭部側 を弧状 に狭 り、上面 にヘ ラガキで亀 甲、羽毛 を描 く。

平城宮 出土の形象硯 には鳥形硯

6点

、農形硯蓋

1点

、亀形硯蓋1点があ り、内裏北外郭地区、内裏西外 郭地区、造酒司地区、東院西辺地 区SD4951な ど東辺部 に集中す る。

5。 そ の 他

宝珠硯 と中空 円面硯、平面形が多角形、人花形 を呈す るものがある。

宝珠硯 は外形 を

2個

以上偶数の円弧 と1個の尖形 とで宝珠形 に造形 し、裏面 に

2脚

あるいは

4脚

を付 した もの。平城宮か らは内裏北外郭 (21)、 東 院西辺 (66)、 宮城東南隅

(144)か

ら各1点出土 した。

それ らは、外形 と同 じ宝珠形の硯面が 中央 にあ り、周 りの外堤 までの間が海部 となる円面硯系 の もので、

外堤 まで を型作 りす る。尖形側 に弧状 の突帝で海部 を作 る風字硯系 の ものは平城宮 か らは出土 していな い。硯面 に残 る木 目痕 (範傷

)か

ら21と 66と は同範 で、144は異他 であ る。144はSD3410か ら奈 良時代 後半〜末の遺物 とともに出土 し、黒笹

7号

窯の産品 と類似す る。平城京 をは じめ とす る諸遺跡 出土例 と の比較検討が期待 される。

中空円面硯 は杯皿類 の杯部上面 を塞 いだ り、重や提瓶の側面 を平坦 に加工す ることで硯面 とす る もの。

棒状 あるいは動物頸部状 の把手が付 く。内裏地区東面築地回廊側柱穴 出土 の把手片 (214)と 内裏東大 溝SD2700出土 の体部片

(339)が

あ る。214の上面 には方形の小孔が開 き、先端 部外面 をヘ ラケズ リ。

その先 には,烏か亀かの頭部が作 られた可能性がある。

多角形硯 は直径28cmの円板 のタト周 を12角形 に削 りだ した もので、稜 の部分 の下面 を面取 りす る。ナデ 調整 した硯面狽↓に磨耗痕があ り、裏面 に著 しい降灰 がある。東院西辺 ・東方官衛 地 区のSD3410か ら出 土 した1点 (67)のみで伴 出遺物 は奈良時代後半〜末に属す。

人花形硯 も内裏地区出土 の

1点 (212)の

みである。平板 な硯面部 の外周 を内側 に折 り曲げ、側面 を 花弁状 にあ しらう型式で、弁数お よび脚 の有無 については不明。硯面 に重焼痕があるが海部の有無 は不 明。内裏地区内の奈良時代後半 に作 られた暗渠の抜取 り溝か ら出土 した。

(5)

第 2節   陶硯 の出土傾 向

平城官跡か らの陶硯 の出土傾 向 については、2002年度 までの資料 を姑象 とした報告 (例2:ネ申野恵 。 川越俊‑2003、 以下「神野 ・川越報告」

)が

ある。その後の出土 はわずか

2点

であ り、 ここでは、「ネ申野

・川越報告」に基づいて記述 し、若干の検討 を補記することにす る。ただ し、「ネ申野・川越報告」は同一 個体 と思 えるもの をまとめた「個体数」 による検討である。 また、今 回除外 した転用硯 は、地区に偏 り をもちなが ら厖大 な点数が出上 してお り、定形硯 の代用品 として、陶硯 の出土傾 向の検討 に不可欠では あるが、全体像 の把握が充分 でない現状 か ら今後の課題 とす る。

1.円

面硯の出土傾向

「神野・川越報告」 によれば平城宮 出土陶硯 の数は461個体 を数 え、その約半数が包含層か らの出土で、

遺構か ら出土 した半数の内の

9割

が溝、残 り1害」が土坑や柱穴か らの出土である。

平城宮跡の調査 では陶硯が 出土す る頻度 は高いが、西方官衛 (馬

)地

区など広範囲に調査 されなが らも、ほ とん ど陶硯 の出土 しない地域 もあって、陶硯の出上 に偏 りがあることが指摘で きる。

宮域内で まとまって陶硯 が出土す るのは、溝 のなかで も基幹排水路である。内裏東外郭地区 と内裏東 方官衡 地区の間 を流 れる東大溝SD2700、 平城宮 の中央、中央 区朝堂 院地 区 と東 区朝堂 院地 区の間を流 れ るSD3715、 東 院西 辺 地 区 を南 流 し、平城宮外 で東一坊 大 路西 側 溝 と東 面外 堀 を兼 ね る南北大溝 SD4951、 お よび東 院地 区の北 を画す宮 内道路 の南側溝SDl1600が南折 して東 院地 区 と朝堂 院東方官衡 地 区 との間を区分す るSD3410な どがある。いずれの溝 も奈 良時代以降 も開口 していた とみ られ、上層 の埋土 には一部平安時代 か ら中世 の遺物 を含 む ところ もあるが、おおむね奈良時代 に属す土器や他の遺 物が圧倒的に多い。出土 した硯 の大半 も奈良時代 に宮跡内で使用 され廃棄 された もの と考 え られ、その

出土分布 は官跡内の官衛配置 を考 える上で重要 な手懸 りになる。

地区別 に出上分布 をみてみ る と、内裏東外郭地区、内裏東方官衛地区、東 院地 区、東 区朝堂院地区東 南部、中央 区朝堂院地区東南部、宮東南 隅部 に陶硯 の出土頻度が高い。第一次大極殿 院地 区や第二次大 極殿院地区の儀式空間お よび天皇以下の生活空間である内裏地区には少 な く、同 じ官行地区で も第一次 大極殿 院北方官衛地区、内裏北方官衛地 区、南辺官衛地区は、比較 的少 ない傾向にあ り、前述 した西方 官衛馬寮地区の ようにほ とん ど出土 しない地区 もある。陶硯 の出土頻度の高い地区には、古代の文書行 政の中枢 を担 う官行 の存在が想定 されるいっぽう、区画や官行 の性格 の違い を反映 した傾向 も見 られる ようである。 また、種類 の上では、圏足 円面視が比較的地域 を問わず に出土す るのに対 して、蹄脚 円面 硯 は中央 区朝堂院東南部地 区 と内裏東タト郭地区、宮東南隅地区に 目立 ち、内裏東方官衛 地区やそ こか ら の流入 を反映す るSD2700、 東 院地 区、南辺官衡地区では圏足 円面硯 のほ うが蹄脚 円面硯 を凌駕 してい るようである。以下では、陶硯 の出土頻度の高い地区を中心 に、その出土傾 向 を41■観 し、それぞれの特 色 を検討 してお きたい。

東大溝SD2700・ 内裏東外郭地区・ 内裏東方官衡地区

内裏東大溝SD27001よ内裏東外 郭地 区 と内裏東方官衛地区の間 を流 れ、大極殿 院・東 区朝堂院の東 に 展開す る東方官衛地区へ延 びる基幹水路で、出土 した遺物の量、質 ともに他 の基幹水路 を圧倒す るが、

溝の東西 に官衛が集中 し、溝 の両側か らの排水路 もあって、 どち らか ら捨 て られた ものか は即断で きな い。SD2700出上 の陶硯 は、北 限の第129次か ら内裏東方官衛 地 区の第154次 までで総数40点 を数 える。

Z9

(6)

種類別の内訳 は蹄脚 円面硯12点

(A2点

B10点

)、 圏足 円面硯21点

(a6点

b3点

、不 明12点)、 風 字硯1点、円形硯 (輪状 高台

)6点

であ って、SD2700か らは蹄脚 円面硯A、

Bも

多数出土す るが、圏 足 円面硯の出土が圧倒 的であることがわかる。

SD2700埋土 中の遺物 には平城宮 工・Ⅲの土器が含 まれる ものの、 内裏東外郭 ・内裏東方官衛が最 も 充実 した時期、奈良時代 中頃以降の ものが主体 を占めている。それは、溝 の護岸改修過程が示す厳重な 保守管理 によって、前半代 の遺物 の大半は浚渫 され、周辺の官衛 を含 めた奈良時代 中頃の大改作以降の 遺物が順次堆積 した結果 と推定 され、奈良時代後半 に圏足 円面硯が陶硯 の主体 となることを反映 してい

る可能性がある。

周辺の官行 内部の様相 と比較 してみ よう。SD2700の西、内裏東外 郭地区 は、直近のSD2700出土木街 や墨書土器 にその名が数多 く見 られ る、宮内省やその被管官司 と推定 されている。内裏東外郭地区か ら 出土 した総数21点の陶硯 の内訳 は蹄脚 円面硯13、 圏足 円面硯

8で

あるが、蹄脚 円面硯

Bは

東外郭の南部

(第35次 と第70次 の

SK6800)に

集 中 し、そのほかでは、大型、中型 の蹄脚 円面硯A・ 圏足 円面硯 aと 小型の圏足 円面硯 とが あって、SD2700出土陶硯 の特色 と大略一致す る。 しか も、小型の圏足 円面硯 は、

内裏東外郭内 を仕切 る築地の北側溝SD2350か ら奈良時代末〜平安時代初 の上器 とともに出土 した もの で、SD2350は東面築地 を暗渠で くぐりSD2700へ流 れ込む構造 にあ り、SD2700出土陶硯 の多数 を占める 小型の圏足 円面硯 の淵源の一つが奈良時代末〜平安時代初めの内裏東外郭地区にあることを推測 させる。

SD2700の東、内裏東方官衛 地 区の碑積 官衛 、造酒司地区内の様相 は よ り明確 である。碑積官衛地区 では総数18点の うちの11点が圏足 円面硯であ り、その大半が外堤径16cmと 比較的小型の ものが 占めてい る。造酒司地区で も総数13点の うち蹄脚 円面硯

Bは 4点

で、鳥形硯 やタト提径22cm前 後の圏足 円面硯

aが

数点み られるほかは、半量 を外堤径10〜 16cm前後の圏足 円面硯が 占めてい る。出土す る小型の圏足 円面 硯 は悔積官行 の敷碑 を壊 す廃棄物処理土坑SK5406な ど奈良時代末の官衡 で使 われ、廃棄 された もの と 考 え られる。

では、蹄脚 円面硯

Bが

集 中す る土坑SK6800および東外郭南部の様相 は どうであろうか。上坑

SK6800

が奈良時代後半の官衛 の廃絶 に関わる廃棄物処理土坑 であることか ら、奈良時代後半の内裏東外郭内の 一官衛での陶硯構成 を しめ している可能性が高い と考 えられる。大極殿院の真東 にあることを考慮すれ ば、内裏 に隣接す る官行 や碑積 官衡 な どとは異 なる性格 を反映 してい るとみることがで きる。 また、

SD2700が一部中世 まで開いていた形跡があることを考慮すれば、土坑 出土陶硯 とSD2350や SD2700出土 陶硯 の違いは、その埋没時期 の違い を反映 しているとも考 えられ、今後、伴 出土器 をふ くめたより詳細 な検討が必要である。

なお、内裏北外郭 (内膳 司

)地

区では総数21点中、13点が圏足 円面硯 で

4点

の蹄脚 円面硯

Bを

凌駕す る。 しか も、蹄脚 円面硯 は硯面径18cm前後 の中小型であ り、圏足 円面硯 も中小型 に混 じって脚部径8 cm の超小型が含 まれている。 これは、 この地区の遺構が後半期 を中心 とし、平安時代初めまで認め られる ことと関わるのであろ う。

中央区朝堂院地区東南部

中央区朝堂院地区東南部か らは蹄脚 円面硯

Bの

大型破片が多数出土す る。いっぽ う、圏足 円面視 は非 常 に少 ない うえに、SD3715の上流 の第27次 と接合す る個体 もある。 この地 区での最大の特徴 は、それ ら蹄脚 円面硯 の約

3分

1が

基幹つF水路 のSD3715か らの出上であるが、その他 の資料 もそのほ とん ど

(7)

総てが、中央区朝堂院の東 を画す塀SA5550の 東、朝堂院区画の外か ら出土 している点にある。中央区 朝堂院区画の東外側 とは東区朝堂院区画 との間であ り、そこには、墨書土器か ら推定 される「刑部省」

「弾正台」に関連する官行が置かれたと考えられる。儀礼の場である中央区朝堂院内か らはSD10400の

Lミ

(290)を 除 くと陶硯が出土せず、出土 した大量の蹄脚円面硯

Bは

「刑部省」「弾正台」関連官衛に おいて、奈良時代中頃以降に使われた陶硯である可能性が高いのである。

いっぽう、少量の出土ではあるが、第171次の奈良時代初めの上坑SK12530か ら平城宮 Iの 土器 と共 に出土 した圏足 円面硯

(363)や

、平城宮土器Ⅲの時期 に下限のあるSD10705か ら出土 した蹄脚円面硯 A(309・310)、 圏足 円面硯

a①

(323)な どは、この地区には造営当初か らの官衛 も存在 したことを推

測させるものであり、そこでは、蹄脚円面硯Aと 大型の圏足円面硯 a① が併用される構成であったこと

を示 している可能性が高い。

第一次大極殿院地区東南部

中央 区朝堂院地 区の北方、SD3715の上流部 にあたるこの地 区の様相 は、中央 区朝堂院地区 と封照的 である。第27次 調査 では総数13点の うちの

8点

がSD3715出上 であ るが、蹄脚 円面硯が 同一個体 の

2点

であ るの に姑 して圏足 円面硯 は10ソ点あ り、 しか も、外堤径17cm前 後 の ものが多い。遺構 出土の ものは SD3715か らの

8点

である。その南の第41次調査 で も

4点

すべ てが圏足 円面硯 で内

2点

がSD3715出土で ある。 この地区の特徴 は、比較 的小型の圏足 円面硯が圧倒す るなか に、わずかに蹄脚 円面硯

Bが

混 じる 様相 とみることがで きる。中央 区朝堂院地区東南部でみ られた蹄脚 円面硯

Bを

主体 とす る構成 との違い を両地区の性格 の違い に求めることも可能ではある。しか し、SD3715を挟 んだ対岸の内裏西外郭地区(第 91次

)で

は蹄脚 円面硯 と圏足 円面硯 とが相半ばであることを考慮す る と、 この地区が、奈良時代後半〜

末の「西宮」 に推定 され る方形 区画 に隣接 していて、SD3715に はそ こか ら投棄 された奈良時代末 に近 い時期 の ものが多 く含 まれていることによる と理解 され る。

東区朝堂院地区東南部

東 区朝堂院地区で は朝庭 内か らの出土がほ とんどである。 しか も東第一〜三堂 については蹄脚 円面硯 A、 蹄脚 円面硯B、 圏足 円面硯b、 圏足 円面硯

c等

がそれぞれ1〜

2点

ずつであるのに対 して、第四〜

六堂以下南 門、南面築地では45点が出土 し、南 に偏 っているのであ る。その種類別の内訳 は、蹄脚 円面 硯

Bが

25点 (550/O)、 蹄脚 円面硯

Aが 2点

(40/0)、 圏足 円面硯

aが 7点

(15%)、 圏足 円面硯

bが 1点

(2

%)、 硯面形態が不 明な圏足 円面硯が10点

(22%)で

あ り、蹄脚 円面硯 と圏足 円面硯 は

6:4の

比率で ある。 さらに、下層建物柱抜取穴 と上層基壇土出土陶硯 を前半期 の朝堂院にかかわる陶硯 とす ると、大 型多脚、複合 口縁形外堤 の違 いを含 みなが らも外堤径22cm前 後、脚部径29cm前 後の大型の圏足 円面硯a が 目立ち、蹄脚 円面硯

Aが

伴 うのである。 これに対 して、蹄脚 円面硯

Bや

小型の圏足 円面硯 は上層建物 の雨落溝 な ど後半期朝堂院の廃絶 にかかわる遺構お よび包含層か ら出土 している。す なわち、東 区朝堂 院では前半期、後半期 ともに朝堂院内部での陶硯使用が想定 され、そ こでは、多 くの蹄脚 円面硯 とそれ に次 ぐ圏足 円面硯 とで構成 されることが特徴 として読み取れる。

陶硯 の出土傾向にみ る東 区朝堂院 と中央区朝堂院 との違いは明確 である。域内か らほ とん ど出土 しな い中央区朝堂院 と、前 ・後半 を問わず一定量の大型陶硯が出土す る東 区朝堂院 との違いは、中央 区朝堂 院の役割が平安宮の豊楽院に似 て よ り儀式的であるのに姑 して、東 区朝堂院が よ り実務的な空間である ことの反映 と理解 される。

"

(8)

東区朝堂院東外郭 。東方官衛地区

朝堂院区画の外側 はほ とん ど調査 されていないために、文書行政実務 を行 なう「曹司」における陶硯 の様子 は明 らかでない。 しか し、前述の、中央区朝堂院地区東南部の出土陶硯が、

2つ

の朝堂院区画の 間に置かれた、推定「刑部省」「弾正台」な どの官衛で使用 された陶硯 とみて よければ、東区朝堂院の東、

東院地区 との間に想定 される東 区朝堂院東外郭地区お よび東方官衡地区の様相 こそが、それ ら「曹司」

における陶硯 の様相 を示す もの といえる。すなわち、平安官の朝堂院では弾正台、刑部省 はそれぞれ西 第二堂、第三堂が割 り当て られてお り、平城宮 中央区朝堂院東南部 とは東 区朝堂院西外郭 として、それ ら西の朝堂 に配置 された官行 の曹司にあたるとみ られるのである。わずかな資料であるが、第29次 など で確認 した東方官衛地 区の東 を限るSD3410の陶硯構成が、中央 区朝堂 院東南部の様オロと類似す る点の 多い ことが注 目される。大型の蹄脚 円面硯

Bと

圏足 円面硯

a①

に小型 の圏足 円面硯

aな

どが混 じる構成 である。 しか も、小型の圏足 円面視

aは

小型の圏足 円面硯b・ cと ともに宮 の廃絶近 くに埋没 した もの が含 まれている可能性があ り、それ らを除タトすると、中央区朝堂院地区東南部に推定 された官衡地区使 用の陶硯構成 と一致 して くる。 さらに、蹄脚 円面硯

Bは

中央 区朝堂院東南部の資料 と酷似 した細分

Oで

あ り、圏足 円面硯

a①

も類似 しているのである。東区朝堂院地区では、前半期 と後半期 を通 じて、朝堂 の建つ区画内部で一定量 の陶硯 が使用 されるとともに、その外側 に配置 された官衛 においては、東西 と も同様 の陶硯 を用 いて文書行政の実務が執 り行われた可能性が高いことが指摘で きる。その意味では中 央区朝堂院地区東南部 とは東 区朝堂院西外郭 に相 当 し、東外郭お よび東方官行地区と対比 して考えるベ

き空間である。東 区朝堂院東タト郭 ・東方官衛地区における陶硯構成の解明が待たれる。

南辺官衛 (兵部省・式部省・式部省東官衛

)地

ほぼ全域が調査 された奈良時代後半の式部省 ・兵部省はその業務 内容か ら硯の使用頻度の高いことが 予想 されるが、調査 区域 内の遺物の出土 自体が少 な く、陶硯の出土点数 も多 くない。陶硯 は小片で包含 層か らの出土が多い。 とりわけ壬生 門以西 ・兵部省地区での陶硯の少 なさ (10点

)が

目立つ。 これには、

実務 的官衛地区における転用硯 の使用 を考慮す る必要がある。硯の種類 は蹄脚円面硯

Bと

小型の圏足 円 面硯 である。 これに対 して、下層 に前半期 の官衡 区画が発見 されている式部省、式部省東官行地区では、

兵部省 と同様 に出土量 は少 ない (約20点

)な

が らも、前半期 の陶硯が含 まれていることが注 目される。

第236次 の436と 第346次 の533、 第273次 の504などの蹄脚 円面硯

Aや

第222次 の431、 第220次429な どの大 型の圏足 円面硯

aな

どがそれで、いずれ も中央 区朝堂院地区東南部、東 区朝堂院地区出土の前半代 と推 定 される陶硯 と同 じ種類 である。

宮東南隅・二条大路地区

宮城南 の南面外堀 ・二条大路北側溝SD1250には多 くの基幹排水 路が合流 し、宮内の遺物が流入す る。

また、東南隅ではその多 くが東面外堀 ・東一坊大路西側溝SD4951か らの出土であ り、奈良時代後半〜

末 を主体 とし、平安時代初 め までの ものが含 まれている。圏足 円面硯 とともに出土する蹄脚 円面硯が、

中央区朝堂院東南部で多 く出土す る もの と同 じ形態、構成であ り、 また、小型の圏足 円面硯や風字硯、

形象硯 などが一定量含 まれる点か らも、それ らには、東方官衛地区、内裏東方官衛地区、東院地区か ら の流出分が多 く含 まれている とみることがで き、それ らの集積 の地 としての出土傾向 とみることがで き よう。

(9)

2.地

区を越 えた接合 関係

地 区 ごとの出土傾向 を補完す る意味で、地区 を越 えて接合す る例 をみてお きたい。遺構 、地 区を越 え た移動 の意義 は様 々であろうが、同 じ水系 にある場合 は、上流で投棄 された個体が下流へ流 れ出す過程 で、 よ り下流 まで流れだ した結果である との推測 は容易 である。基幹水路SD2700、 SD3715、 SD3410や SD4951の 出土・接合状況 はそ う した例 である。SD2700出土の蹄脚 円面硯 (301)の場合 は、上流部第 139次 か ら約

250m下

流 の内裏東方官衝 (碑積 官衛

)地

区西方の第172次まで、破片の一部が流 れ出 した こ とが確 認で きる。 また、第一次大極殿 院地 区 (第27久

)の

SD3715出土の圏足 円面硯

a(85)│よ

、約

320m下

流 の中央区朝堂院地区 (140次

)の

包含層へ破片が及んでいる。東院地区の北 を画 して西流す る SDl1600は、東張 出部西端 で南折 してSD3410と な り、SD3410は南面大垣 を潜 った宮外 で、二条大路北 側溝SD1250を介 して、東一坊大路西側溝SD4951に合流す る。第259次 のSDl1600出上 の圏足 円面硯a

(334)は

30m離

れた第154次のSD3410出土 の破片 と接合す る個体 であるが、第29次 の

SD3410出

上の 96と酷似 してお り、同一個体である可能性が極 めて高い。 この間約360m。 同 じく第29次 の

SD3410か

ら 出土 した蹄脚 円面硯

B(91)は

、約

260m下

った第32次 で宮城外二条大路南側溝SD4006出土 の破片 と接 合 している。

2点

を併せると連接する一本の水系 をた どることがで き、当然のこと、遺物は上流部で投 棄 された ものである。宮東南隅や二条大路側溝 など官跡内の水が集 まる地区の遺物には、沿線での活動 が累積 してお り、基幹水路出土資料の分析はなお慎重な手続 きが必要である。

いっぽう、第73次の圏足 円面硯208と、第220次の425との接合関係のように容易 に理解 しがたい もの もある。第220次は南辺官行 ・式部省地区にあ り、第73次の208は内裏地区東南隅の土坑

SK7659か

らの 出土である。彼我の距離650m、 同 じ水系 に属 さない

2つ

の地点 を結ぶ ものは人の移動であろうが、破 片 自体の持ち歩 きは考えがたい。平城宮内で繰 り返 された大小 さまざまな造成 。改作 にともない、盛上、

埋め立てなどの整地資材の一部 として移動 した場合 も想定できよう。

3節  

検 討 課 題

前節 までの検討か ら、平城宮内における陶硯構成の変遷は概括的には、奈良時代初めか ら前半の官衡 地区では大型の蹄脚円面硯

Aと

圏足円面硯 aを 主体 として中小型の圏足円面硯

aが

加わる構成であ り、

中頃〜後半には大中型の蹄脚円面硯

Bと

圏足円面硯

aが

主体で、中小型の圏足円面硯

aが

加 わ り、奈良 時代末〜平安時代初めに蹄脚円面硯は姿を消 し、中小型の圏足 円面硯 aに 、圏足 円面硯b、 圏足 円面硯

cや

風字硯、宝珠硯、形象硯が加わるものとみ られる。

年代限定資料について

 

陶硯は長期にわたる使用が想定され、溝出土資料は累積的に混在 してお り、伴 出木簡など年代推定可能資料に恵まれた平城宮出土資料 といえども、陶視の年代観の把握は容易ではな

く、上記の概括的な変遷 もlltr脚円面硯

Bの

成立や多様な圏足円面硯 aの 変遷など課題 も多い。 ここでは、

奈良時代前半期 に存在 したことを示す資料 を中心 に、年代の根拠が明確な数少ない資料 を再確認 して、

今後の陶硯の編年研究に備えることにする。

①蹄脚 円面硯

A(182):高

い外堤で凹線二条。東張出部SD5645出 土。溝は小子門造営時には埋没す る溝で神亀年間の木街伴出。愛知高蔵寺

2号

窯に類似。下層溝SD4951か ら脚部 (164)出 土。

②蹄脚円面硯

A(497):板

状脚台に細棒状脚柱、脚部径32.2cmo ⑥ と共にSD17351出 土。

③蹄脚円面硯

B(498):薄

手の有段 ロクロナデ。外堤径237、 硯面径18.6。 ⑥ と共にSD17351出 土。

(10)

④円面硯 (353):凹 線 による突帯 とカキメ調整が蹄脚円面硯

B(199)と

類似する。東区朝堂院朝庭 での聖武天皇大嘗祭関連建物SB12300柱 掘形出土。平城宮Ⅱの土器伴出。

⑤圏足 円面硯

a(481):重

厚 な硯部外堤下 と脚台 とに突帯

2条

。細長方形透孔多数。東区朝堂院東第 六堂SB16800の 柱抜取穴出土で、上層朝堂院造成以前 に存在 したとみ られる。硯面径21 3cm、 脚部径 29 6cmで、第267次の493と接合 し、中央区朝堂院地区東南部の3191よ同型式 の全形がわかる (外堤径

26 7cm、 硯面部径20.6cm、 脚部径30 6cm、 器高9,7cm)。

⑥ 圏足 円面硯

a(499):外

堤 が複合 口縁状 を呈す る。東 区朝堂 院上層南面築地築造時の排水路 SD17351出 土で養老

6年

、神亀元年の紀年木街が伴出。同一個体の脚部

(503)が

SD17352か ら出土。

脚 部 (477等

)は

① の上層朝 堂SB16850基 壇土 出土。 同型式 は藤 原宮 内裏 東外 郭 にあ り、第171次 SK12530の363は平城宮土器Iと伴出。ほかに第29次 (100)、 第35次 (151)、 第44次

(189)等

に類例。

⑦圏足 円面硯

a(325):脚

部径27 8cm、 透孔下に突帯

1条

、幅広脚柱 にヘ ラガキ「小」。中央区朝堂 院区画が建設以前の南北溝SD3765。 平城宮I・正の土器伴出。同様のヘラガキをもつ破片 (362)。

③圏足円面硯

a(440):肉

厚 なタト提下に突帯

1条

。式部省東北方のSK15427。 平城宮 Ⅱの土器伴出。

陶硯の種類 と法量

 

「ネ申野・川越報告」は陶硯 (円面硯

)の

種類 と法量 との間の傾向について硯面径 を もとにした検討 を加え、中央区朝堂院東南部出土陶硯 を例にとれば、蹄脚円面硯には硯面径17cm、 20cm の大型品と14cmの小型品があ り、圏足円面硯 には蹄脚円面硯 にかさなる大 きさの もののほかに、より小 型の硯面径5 cm前後、9 cm前後、13cm前後にまとまりが認められるとする。 これに対 して、奈良時代後 半の資料が主体 を占める内裏東方官行地区のSD2700出 土陶硯 は硯面径6 cmから12cmの小型の圏足円面 硯が中心であ り、奈良時代前半には大型品の蹄脚円面硯 と圏足円面硯が主体 を占め、奈良時代後半には 月ヽ型の圏足 円面硯が主体 となると結論付 けている。

大型品と小型品が存在することや奈良時代後半に小型品が主体 を占めることをめ ぐっては、蹄脚円面 硯が大型品に限られるのは、それ らが個人用ではな く、公の場での共用硯 (備品

)で

あることにより、

奈良時代末に向かって個人用が増えることで小型化するとの理解がある。 しか し、大型品と共用品 (備

)を

結び付けた根拠は「大量 に墨 を必要 とする

=大

型品」にあ り、合理的な説明 とはみな しがたい。

む しろ必要なのは、ほぼ同 じ大 きさの蹄脚円面硯 と圏足円面硯が併存することの説明であ り、蹄脚円面 硯・圏足円面硯 を聞わず、大小、中小の相似関係 にあるものが存在することの説明である。多様な形態 の陶視の存在 と法量の異なるものの併存は既に、

7世

紀代の資料にうかが うことができ、圏足 円面硯の 法量が転用硯の法量分布 と重なることからも、陶硯の階層性 を示す可能性が高いのである。すなわち、

奈良時代後半以降に大型品を含む多様な器種構成が整理 されてゆ くことで小型器種が主体を占めるよう にみえるのであ り、この傾向は、須恵器 ・土師器の器種 ・法量分化 とその変遷 と期を一にしたものであ る。

7世

紀後半〜

8世

紀前半の時期、大型品を含む多様な器種 に分化する供膳形態の土器は、

8世

紀後 半以降、法量が縮小するとともに器種が減少 し、黒色土器、施釉陶器など新たな器種が出現する。大型 の蹄脚円面硯・圏足円面硯が減少 して、小型の圏足円面硯に風字硯等が加わる時期 と符号するのは、陶 硯が土器生産の場で作 られ、都城 を中心に使われた同様の性格の焼物であることと無関係ではあ りえな い。土器研究と同じ視点に立って、平城宮出上の陶硯について、硯種の細別 と消長、法量の分化 と消長、

製作技法 とその変遷を検討するとともに、他遺跡・生産地出土資料 との比較検討による、生産 と流通 と 消費の総合的な検討が今後の課題である。

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