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(1)

石製品の研究における若干の問題点 : 関西大学博 物館所蔵・鍋塚古墳出土石製品を巡って

著者 北山 峰生

雑誌名 関西大学博物館紀要

巻 5

ページ 193‑204

発行年 1999‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/16555

(2)

古墳時代中期に特徴的に出現する遺物として︑石製模造品がある︒そ

の性格は多分に不明な点を内包しており︑漠然と古墳に伴う祭祀行為の

一環として出現の契機が想定されている︒

関西大学博物館では多数の石製品を所蔵するが︑そのうちの一つに︑

撫瀦古墳出土と伝えられる石製品がある︒これらは︑﹃本山考古室要録﹄

︵以下︑﹃要録﹄︶に資料番号一二番として一括登録されており︑﹁河内

國南河内郡喜志村旭岡鍋塚二五五五地石釧︑石製刀子九個﹂との記

載がある︒出土当時の様相は一切不明で︑厳密には考古資料としては一

次資料として扱うわけにはいかない︒しかし︑この記載よりみて︑少な

くとも現在博物館で保管している九個体は一括資料と考えて良い︒

南河内郡は現在の大阪府南部︑富田林市周辺の地域であり︑喜志村旭

きしみぐくるみたま岡は近鉄南大阪線喜志駅付近︑式内社である美具久留御魂神社が鎮座す

る辺りである︒当地は︑金剛山地から北へのびる羽曳野丘陵の東側縁に 一・はじめに

石製品の研究における若干の問題点

l関西大学博物館所蔵●鍋塚古墳出土石製品を巡ってI

あたり︑丘陵縁を構成する支稜が︑その東を北流する石川の形成した河

岸段丘に収束する部分である︒東向きに鎮座する当神社の西方一帯へは︑

支稜末端が迫っており︑鎮守の森をなしている︒ここには小規模ながら

②古墳群︵美具久留御魂神社裏山古墳群︶が確認されている︒これに隣接し

て︑神社より北方約三○○mの地に鍋塚古墳︵円墳︑直径二四m︶はかつて

存在しており︑宅地開発により古墳は消滅したが︑旭ヶ丘の地名が残る︒

付近には南河内では数少ない前期古墳として著名な真名井古墳︹藤編

一九六四︺︑それに併行すると考えられている美具久留御魂神社裏山一

号墳︹北野一九八五︺があり︑そして緊急調査により概要の把握されてい

る鍋塚古墳︹井藤一九六六︺と︑並列する丘陵末端に前・中期古墳が連続

的に築造されている︒また︑中期には北に隣接して古市古墳群が形成さ

れ︑後期I終末期にかけては一須賀古墳群やお亀石古墳等の存在が確認

されている︵第一図︶︒

本稿は︑このような状況下にあって出現する上述の資料を詳細に報告

するとともに︑この石製模造品を通して看取することのできる古墳時代

像について︑若干の可能性を考えようとするものである︒

北 山峰生

(3)

第1図鍋塚古墳の位置と周辺遺跡

5峰ヶ塚古墳 10

6墓山古墳 11

7伝応神天皇陵 12

8松岳山古墳 13

9北玉山古墳 鍋塚古墳

美具久留御魂神社 裏山1号墳 真名井古墳 お亀石古墳

駒ヶ谷宮山古墳 伝聖徳太子墓 伝用明天皇陵 一須賀古墳群 1

2

34

k−−鞘部一半柄部‑斗

怖軸

柄尻

k一計

方形突出部

第2図石製品各部名称佐:刀子形石製模造品,右:石釧)

一九四

(4)

﹃要録﹄に鍋塚出土と記載された石製品は︑現在関西大学博物館にて九

個体が保管されており︑内訳は石釧二例および石製模造品七例である︒

以下に︑それぞれの資料について詳細に観察する︵第三・四図︶︒各部の

名称については第二図に従うこととし︑また各部計測値の詳細は付表の

観察表を参照願いたい︒

1遣存長八・六皿︑全幅二・六四最大厚○・八mを測り︑鞘部の刃

部側の大半および切先を欠損するが︑全長は九・○翌別後に推測する︒

色調は黄灰色を呈し︑肉眼観察による限りいわゆる滑石質の石材を用い

るものと判断できる︒

成形は刀子などの鉄製工具の使用が想定でき︑最終段階の工具使用痕

が観察可能である︒便宜上︑これを外面調整と呼称する︵以下同様︶︒本

例は外表の風化・剥離が進行しているため︑表面の遣存状況は良好では

ないが︑裏面は良好に遣存する︒それによれば︑全体的に横方向ケズリ

により成形し︑その後縦方向ケズリを施して外面を調整する︒外面調整

は全面に亘って均一に施しており︑丁寧なものである︒さらに︑最終的

に平面の輪郭に沿って面取りを施して終了する︒同時に︑上端面および

下端面は︑主軸方向にケズリを施す︒縫い目を表現する列点紋︑あるい

は刻線などは有ざない︒

方形突出部は不整方向のケズリで造り出し︑内部に一孔を有する︒表

面に剥離痕が観察できることより︑裏面から穿孔を施したことが窺える︒ 一.関西大学博物館所蔵の石製品 鞘口は刻線によって表現し︑峰側に段差を有する︒

鞘部の断面形状は長方板状を呈するが︑図示したのは基部に近い部分

であるので︑切先に近い部分で刃部形態を意識していたかどうかは判然

としない︒

つぎに︑柄部は同じく横方向のケズリにより成形するが︑縦方向ケズ

リは観察できない︒ただし︑裏面の一部に斜行する方向のケズリ痕が観

察でき︑簡単な外面調整を施したことが看取できる︒柄尻には横方向に

擦痕が観察でき︑また面取りは縦方向に施す︒

2遣存長七・一面︑全幅二・八四最大厚○・八mを測り︑1と同様

切先を欠損するが︑全長九・○翌別後に推測する︒色調は灰色を呈し︑

滑石質材を用いる︒

鞘部の成形は横方向ケズリによっており︑その後縦方向にケズリ調整

を施す︒さらに︑峰側および刃部側には横方向のケズリによって面取り

を施す︒一連の作業には刀子などの曲刃部分を使用して加工したものと

考えられ︑均一な幅で︑浅いケズリ痕が観察可能である︒裏面は︑自然

状態の膨らみに規制を受けたものとみられ︑大きな単位の横方向ケズリ

を施して成形するのみである︒縦方向ケズリによる調整は観察できない︒

鞘部の断面は︑切先に近い部分では刃部側を尖らせており︑明瞭に刃

部形態を意識した様相が看取できる︒また︑遣存部の最先端を積極的に

評価すれば︑切先の形状はフクラ切先状であった可能性が高い︒

方形突出部には一孔を有するが︑穿孔方向は判然としない︒ただし︑

表面には穿孔部を覆うように斜行するケズリ痕が観察でき︑これは穿孔

後の調整であると考える︒したがって︑裏面より穿孔を施した可能性が

一九五 11

(5)

高い︒鞘口は刻線によって表現する︒正面はやや不明瞭であるが︑裏面

には剥離面の上から明瞭な刻線を施している︒峰側に段差を有する︒

柄部は︑横方向ケズリにより成形の後︑縦方向にケズリ調整を施す︒

鞘部にみられた縦方向ケズリよりも単位の細かいものであるが︑刀子状

工具の切先に近い部分を活用することで実施したものと考えられる︒し

かし︑裏面は上辺を横方向にケズリを施すのみである︒柄尻に二方向の

擦痕が観察でき︑その周囲には縦方向の面取り加工を有する︒

3遣存長七・九四全幅二・八唾最大厚○・九を測る︒切先を欠

損するが︑推定全長九・○翌別後に復元可能である︒色調は灰色を呈し︑

材質は蝋石と報告されてい恥︹関大工技研一九九○︺・

鞘部の成形は横方向ケズリによっている︒表面は非常に平滑に仕上げ

られ︑調整痕の観察は容易ではない︒僅かに観察可能な部分には縦方向

のケズリ痕が確認できる︒さらに︑鞘部中央より切先側は︑丁寧なヘラ

ミガキ状の研磨痕が観察できる︒

鞘部の断面は︑切先に近づくにつれ厚さを減ずるものの︑長方板状を

呈する︒切先の遣存する部分は直線的であるが︑フクラ切先状になる可

能性が高い︒鞘口は表裏面とも刻線で表現し︑峰側に段差を有する︒方

形突出部には一孔を有するが︑剥離面を残さないため穿孔方向は不明で

ある︒

柄部は︑横方向ケズリにより成形したのち縦方向ケズリを施す︒これ

は鞘部に比較して単位の細かいものである︒柄元から柄尻にかけて上反

し︑柄尻には横方向の擦痕を有する︒その周囲には非常に僅かな面取り

加工を有する︒ 4全長五・三哩遣存幅二・六四最大厚○・七mを測る︒方形突出部の先端を欠損するが︑推定全幅二・八m程度に復元可能である︒色調は濃灰色を呈し︑滑石質材を用いる︒

鞘部と柄部は一体造りになっており︑成形・調整技法は共通する︒概

形を成形したのち縦方向ケズリを施して外面調整し︑これは鞘部の切先

から柄尻まで一貫して連続する︒その後︑鞘部および柄部の上端面を貫

いて主軸方向のケズリを施し︑さらに表裏面には調整痕をスリ消すかの

ようなヘラミガキ状の研磨痕が観察できる︒また︑鞘部の切先付近には

縦方向の研磨痕が確認できるが︑先後関係は判然としない︒

鞘部の断面は長方板状を呈し︑特に刃部形態を造り出す意識は看取で

きない︒また︑切先にフクラは付かず︑直線的である︒下端に明瞭な屈

曲点を有する︒

方形突出部は︑先端の一部を欠損するが︑切先側の一角が突出する形

態に推定できる︒内部に一孔を有し︑表面に剥離痕が確認できることよ

り︑裏面から穿孔したことが判明する︒

鞘口の表現はなく︑柄部は柄元から柄尻にかけて上反する︒また︑柄

尻には三方向の擦痕が観察でき︑その周囲には非常に狭い面取り加工を

有する︒

5遣存長五・一四全幅二・五四最大厚○・六mを測り︑切先を欠

損するものの︑全長五・三翌別後に推定できる︒色調は濃灰色を呈し︑

軟質の石材を用いるが︑光沢を有する微細粒を含有する︒

鞘部と柄部は一続きの成形がなされ︑両者を貫いて横方向のケズリ痕

が観察できる︒本例は表面が非常に平滑に仕上げられており︑かすかに

(6)

てこ

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0 10cm

筐一一一一一

石製品実測図1〔 : 2〕

一九七

鍋塚古墳出土

(7)

遺存する稜線には光沢を有する︒したがって︑調整痕の観察は容易では

ない︒しかし︑僅かに観察可能な部分には︑横方向ケズリを覆う形で縦

方向ケズリを施す様相が看取できる︒表面の切先に近い部分では︑ケズ

リの方向が乱れているが︑これは自然状態の形態に規制された結果との

推測が可能である︒上辺の面取りは遺存部最先端まで連続している︒ま

た︑裏面の縦方向ケズリは峰側と刃部側で角度を違えており︑中央から

方向を変えてそれぞれ外側へ向かってケズリ調整を施した様相が看取で

きる︒

鞘部の断面は長方板状を呈し︑特に刃部形態を造り出す意識は看取で

きない︒また︑切先の形状は直線的で︑下端で明瞭に屈曲する︒

方形突出部には一孔を有する︒表面に剥離痕を残すことより︑裏面か

ら穿孔したことが判明する︒

鞘口の表現はなく︑柄部には︑鞘部と連続する横方向のケズリ痕とと

もに非常に微弱な縦方向のケズリ痕も認めることができる︒ただし︑こ

れは範囲・強度とも僅かであるため︑先後関係は不明瞭である︒柄尻に

は三方向の擦痕が観察でき︑その周囲には面取り加工を有する︒しかし︑

裏面の観察によると横方向の面取りを施す点で他の事例と差違を有する︒

6全長五・○四全幅二・七四最大厚○・七mを測り︑ほぼ全形を

把握し得る︒色調は淡灰色を呈し︑滑石質材を用いる︒全面に風化が進

行し︑成形・調整痕の観察は困難である︒

鞘部の断面は長方板状を呈し︑切先下端は欠損するものの屈曲点を有

するものと考える︒方形突出部には一孔を有し︑表面に剥離痕を残すこ

とより︑裏面から穿孔したことが判明する︒ 一九八

鞘口の表現はなく︑柄部は先端に向かって上反する︒上端面のケズリ

痕をみる限り連続成形であることが判明する︒

7遺存長三・五四遣存幅一・九四最大厚○・六mを測り︑柄部お

よび方形突出部を欠損する︒他例との類推より︑推定全長四・五四全

幅二・五m程度に復元可能である︒色調は灰色を呈し︑滑石質材を用いる︒

鞘部の成形は横方向ケズリによってなした後︑縦方向ケズリを施して

外面調整を行う︒裏面の縦方向ケズリはより単位が細かく︑精密に施す

様相が看取できる︒鞘部の断面は長方形状を呈し︑切先は直線的で︑下

端に屈曲点を有する︒

方形突出部は先端を欠損するが︑刃部側の一端が突出する形状に推測

できる︒また︑内部に一孔を有するが︑穿孔方向は判然としない︒

8本例は︑外径七・○四内径五・○︑全高二・三mを測る石釧であ

る︒環体幅は一・○mを測り︑環体高︵全高︶の環体幅に対する比率︵以下︑

比高と呼称する︶は二・三である︒色調は深い緑灰色を呈し︑材質は肉眼

観察による限り凝灰岩質と判断できる︒表面の調整痕は非常に粗く︑明

らかに良質の碧玉ではないが︑滑石質よりは堅牢な感触を呈する︒

環体の一部を欠損するが︑平面形は円形である︒外斜面には刻線を刻

むことで紋様帯を構成しているが︑この刻線は断面が丸底状になり︑細

い凹線とも呼べるものである︒上端は水平に面取りを施し︑狭い平坦面

を有する︒外側面は︑二条のさじ面凹線を水平方向に施す︒内面は︑内

傾して立ち上がり︑中位に僅かな膨らみを有し︑やや胴張り状を呈する︒

粗い不整方向の擦痕を全面に残す︒底面は上がり底にならず︑完全な平

面である︒

(8)

一ー−−へ

柵I /ノⅧ11帳

8 9

0 5cm

ヒーーーーョ 第4図鍋塚古墳出土石製品実測図2〔1 : 2〕

付表鍋塚古墳出土石製品観察表

【刀子形石製模造品】

【石釧】

一九九

※単位はcm, ( )内の数値は遺存値を示す。

番号 全長 全幅 最大厚 鞘部長 鞘口幅 柄部長 柄元幅 備考

1 (8.6) 2.6 0.8 (6.4) 2.4 2.2 1.6 横方向ケズリの後、縦方向ケズ

リを施す。

2 (7.2) 2.8 0.8 (5.5) 2.8 1.7 1.7 横方向ケズリの後、縦方向ケズ

リを施す。

3 (7.9) 2.8 0.9 (5.6) 2.8 2.4 1.6

横・縦方向のケズリ痕が観察で きるが、先後関係は不明瞭。表 面は非常に平滑に仕上げる。

4 5.3 (2.6) 0.7 3.8 1.9 1.5 1.2

横方向、縦方向の順にケズリを 施し、その上に横方向の研磨痕 を残す。

5 (5.1) 2.5 0.6 (3.8) 2.0 0.3 1.1 横方向ケズリの後、縦方向ケズ

リを施す。

6 (5.0) (2.7) 0.7 3.5 2.0 (1.5) 1.2 表面は風化が進行し、調整痕は

不明瞭。

7 (3.5) (1.9) 0.6 (3.5) 4■■■■■■ 1■■■■■■ 横方向ケズリの後、縦方向ケズ リを施す。

番号 タ 径 内径 全高 本幅 比高 備考

8 7.0 5.0 2.3 1.0 2.3

内面に遺存する不整方向の擦痕 からは、ロクロの使用を積極的 に支持することはできない。

9 7.3 5.6 1.6 0.8 2.0 内面には水平方向の擦痕が遺存

し、ロクロの使用が想定できる。

(9)

いわゆる﹁石製品﹂と石製模造品の区別は現状で明確な定義はなされて

いない︒ここでは便宜上︑後藤守一氏の提案︹後藤一九三○︺を踏襲して

⑤小林行雄氏が整理した︹小林一九五九︺分類に従っておく︒

鍋塚古墳出土の石製模造品は︑本資料群が調査によって出土したもの

でないため︑全容は不明である︒ここで紹介した七例が副葬された石製

模造品のすべてと断定できない以上︑品種の組成に基づく検討は困難で

⑥ある︒しかし︑現存する七例がすべて刀子形石製模造品であることには

一定の意義を見出すことができる︒石製模造品の性格についての考察は

ここでは割愛することとして︑編年に関する部分では︑古墳出土資料を

体系的に扱った白石太一郎氏の論考がある︹白石一九八五︺・氏は組成論

に基づき︑品種組成の特徴から相対編年を提示した︒しかし︑そこでは 9外径七・三四内径五・六四全高一・六mを測る石釧である︒環

体幅は○・八mを測り︑比高は二・○である︒色調は淡い緑灰色を呈し︑

表面の風化が進行しているが材質は前者同様凝灰岩質である︒

本例は完形であり︑平面形は円形である︒外斜面は刻線により紋様帯

を構成するが︑四箇所に三条一束のさじ面凹線を施す︒外斜面と外側面

の間は︑細い沈線により画する︒外側面は一条のさじ面凹線を水平方向

に施す︒内面は︑垂直に立ち上がり︑上端付近でやや内傾する︒水平方

向に平行な擦痕を残し︑成形にあたってロクロを使用した様相を看取す

ることができる︒

三.石製模造品に関する問題点

l︲Ilil

二○○

個体差はあまり考慮されておらず︑単品種のみの出土例の評価が困難で

あるという短所がある︒

つぎに︑既に多くの先学が指摘する通り︑石製模造品のうち玉類を除

き最も多数確認されているのは刀子形品であるが︑刀子形品の形態は個

体差が大きく︑たとえば八一個体が出土した大阪府野中古墳では︑報告

者の北野耕平氏は二群二一種に細分している︹北野一九七六︺︒さらに︑

各地出土の資料に共通して確認できる要素が把握しにくく︑それぞれ出

土地ごとに異なる視点により分類せざるを得ないという不都合がある︒

形態論に則して︑刀子形品の一括資料内における要素の新旧関係を抽出

しようとしたものに杉山晋作氏の論考が挙げられる︹杉山一九八五︺が︑

これも各要素の系譜関係の説明と︑出現・消滅時期の決定に不安定さが

残る︒これらを参照して大まかな傾向は窺うことができるが︑現状では

形態論・組成論とも各要素を様式的に捉えて変化の方向性を把握するに

は至っていない︒

上記の様相を踏まえ︑ここでは鍋塚古墳出土の石製模造品について若

干の考察を加えることとする︒仮に︑形態の差違に着目するならば︑本

資料群を二つのグループに分類することができる︒一つは113で︑鞘

部と柄部を区別する意識の看取できるものである︒鞘口は刻線により表

現し︑柄元幅は鞘口幅の約三分の二を占める︒柄尻は僅かに上反するも

のの︑柄部は短く直線的である︒切先にはフクラがついて先端に収束す

るものと推測できる︒これをA類とする︒それに対して別のグループは

417で︑鞘口の表現はなく︑柄部と鞘部は連続している︒柄元幅は鞘

口幅の約二分の一で︑顕著に上反して柄尻へのびる︒切先は直線的で下

(10)

端に屈曲点を有する︒これをB類とする︒これら両者を比較した場合︑

A類は鞘口の表現を留める点でB類よりも古相である︒しかし︑B類に

看取できる柄部の反りは︑杉山氏の指摘によるとA類の柄部よりも古い

要素であるとされている︒このように︑上述した諸要素の相関関係の混

乱がここでも顕現しているが︑ここでそれらが共伴する点は示唆的であ

る︒現状で明確な解釈を提示する用意はないが︑これら形態認識をする

上での諸要素が︑いかに共存し︑また変遷するかという様相を明確にす

ることが重要である︒

ここで︑目を転じて︑両者の製作技法に関して検討してみると︑両者

とも成形の最終に近い段階では横方向のケズリを施す︒そして︑最終工

程の表面を平滑に仕上げる段階︵先に外面調整と呼称したもの︶では縦方

向にケズリを施す︒これは全面に亘って均密に施しており︑非常に精細

な外面調整を指向したことが窺える︒まれに︑その上へさらに横方向の

研磨痕を残す個体も存する︵3.4︶が︑これはより平滑な調整を意図し

たものであると考える︒刀子などの刃部を撫でつけて研磨︵ミガキ︶した

ものと推測できる︒峰側および刃部側の面取りは外面調整ののち行う︒

また︑柄部の成形・調整も︑基本的に同様である︒A類は柄部を明瞭

に区別するため︑若干厚さに差違を有する個体もある︵3︶が︑縦方向の

ケズリを施して外面調整を終えるとい箔2息で一致している︒上辺側およ

び下辺側の面取りを︑その後実施する点も共通する︒さらに︑全体とし

て鞘部に施す縦方向ケズリは四五条/函であるのに対して︑柄部に施

す縦方向ケズリは七八条/函を数えるという単位の細かいものである︒

柄尻の擦痕は︑回数こそ違え︑いずれも目の粗いものであり︑砥石など で一気に加工したものと推測できる︒これは︑工具の種類︵刀子・砥石︶や使用方法︵石材に当てる刃部の位置や角度︶を使い分けた結果であると考える︒また︑全点に一貫して穿孔は裏面より施している︒

以上のことより︑本資料群の製作には成熟した技術を統一的に駆使し

ている様相が理解できる︒柄の上反する形態や︑切先下端に屈曲点を有

する点など︑型式差を識別する重要な形態的特徴が︑必ずしも時期や系

譜の差違を表徴しない場合があると言うことができる︒むしろ︑本資料

群は形態差を存する二つのグループが︑極めて近い関係にある工人によ

り製作された可能性が高く︑なおかつ一個体の製作にかかる技術は高度

に統一されている様相を提示す恥︒形態認識とともに︑共通して確認で

きる製作技法を抽出し︑それを分析視角として併用することで︑石製模

造品の類型化を深化させる可能性があることを提案するものである︒

一般的に前期古墳より多く出土する石釧についてみてみる︒8.9は

両者とも鐘方正樹氏の分類に従えばAⅡ型式に該当す恥︹鐘方一九八八︺

が︑氏の集成表から同型式に属する事例を出土した古墳を河内地域に求

めれば︑柏原市松岳山古墳︑同茶臼塚古墳︑藤井寺市盾塚古墳︑羽曳野

市駒ヶ谷宮山古墳︑河南町寛弘寺一二号墳︑河内長野市大師山古墳が挙

げられている︒いずれも石川・大和川流域に所在する前・中期古墳である

が︑本型式の類例が四世紀五世紀という広い年代幅をもって出現する

ことは示唆的である︒ 四.前期から中期へ1石製品の様相よりI

(11)

鍋塚古墳の調査概報から窺うところでは︑出土した短甲が長方板革綴

短甲である可能性が高い︒これは四世紀末から五世紀初頭にかけての時

期的分布が指摘されている︒これだけでは甚だ論拠薄弱ではあるが︑と

りあえず鍋塚古墳の築造を︑西暦四○○年を前後する時期に捉えておき

たい︒これは︑隣接する真名井古墳・美具久留御魂神社裏山一号墳につ

づく︑この小地域の一首長墓と考えて大過ない︒これらの北方には藤井

寺市津堂城山古墳を端緒として古市古墳群が形成されつつある時期に該

当し︑鍋塚古墳を最後に当地には中期古墳が築かれなくなる︒

このように︑鍋塚古墳の出現は南河内における古墳時代前l中期の様

相を考察する上で深く関与することになるが︑検討するべき事象があま

りにも多いため︑本稿でその位置づけを論ずる能力はない︒しかし︑こ

こで推定凝灰岩質の石釧と︑滑石質材の石製模造品が共伴する点につい

て注意しておきたい︒群馬県白石稲荷山古墳︑茨城県鏡塚古墳などに顕

著にみられるように︑石製模造品を所有する古墳に伴う腕飾類には︑滑

石質材を用いる事例が散見される︒これは︑あくまでも推測の域を出な

いものの︑石製模造品の製作開始に触発されて︑加工の容易な滑石質材

を腕飾類に転用した結果であると捉えているが︑鍋塚例では明らかに石

釧と石製模造品とは別個のものとの認識を受けている︒これが︑古市古

墳群に隣接するという地理的条件に起因するものか︑また中期初頭とい

う時期的変遷過程の所産であるのかという問題も含めて︑別稿にて論ず

ることにしたい︒通常前期・中期とそれぞれ時期的分布の差違を指摘さ

れる﹁石製品﹂と石製模造品であるが︑両者の連続性を検討することで︑

性格の異同や︑分布域拡大の要因に関しても変化していく様相を把握す ることができるのではないだろうか︒古墳時代中期は文化変容の視点に立脚して設定し得る時期区分であることが指摘されている︹河野一九九八︺︒﹁石製品﹂・石製模造品を通じて︑古墳時代中期における文化伝播現象の一端を追究するという視点が︑古墳時代を理解する一つの方向性であることを確認して本稿を閉じることにする︒

本稿を成すにあたり︑関西大学博物館の山口卓也氏より︑種々ご配慮

を賜りました︒末筆ながら記して謝意に替えさせていただきます︒

①この他に︑﹃要録﹄には﹁一○一石釧︑有孔石製品三個不詳﹂と登録

してある遺物が︑﹁不詳なるも︑石釧二箇は同一地の出土にして︑或は河

内國南河内郡喜志村旭侭丘鍋塚とも云う﹂と注記している︒これによれば

要録作成時に鍋塚出土の可能性を有する石釧がさらに二個体存在したこと

になるが︑伝略の信遍性に欠けるため︑本稿では割愛する︒なお︑上記の

三例は関西大学博物館にて保管している︒

②四基の存在が確認されているものの︑すべて未調査で︑一号墳が前期と

推定されているほかはいずれも後期の築造と考えられている︒

③ここでは記述の都合上︑切先を左︑刃部を下に向けた状態の平面︵鉄刀

では侃裏に当たる︶を便宜的に表面と呼称する︒

④岩石学的視点による鑑定を実施したのは本例のみであるため︑他の事例

は推定である︒本資料群は肉眼観察による限り類似した傾向にあり︑一括

(12)

性を考慮すればいずれも同一の石材である可能性が高い︒しかし︑石材の

同定は製品の製作地︑石材の入手経路等の問題と関わるため︑ここでは断

定は控えたい︒

⑤両氏による分類の要旨は︑石製品の下位分類としていわゆる﹁石製品﹂と

石製模造品を設け︑前者は碧玉を筆頭に濃緑色を呈する石材︵具体的には

グリーンタフ︑緑泥片岩など︶を用いて製作するものとする︒その品種に

は鍬形石・石釧・車輪石の石製腕飾類︑合子︑琴柱形石製品︑錬形石製品な

どがある︒そして︑後者は滑石を中心とする軟質材︵実際には緑泥片岩︑

蝋石など多種確認されることが指摘されている︶により製作したもので︑

その品種は刀子・斧・鎌・鉋などの生産用具︑剣︑有孔円板︑織機具︑玉類

などが含まれる︒いわゆる﹁石製品﹂が前期を中心に発現するのに対し︑石

製模造品は主に中期の遺物であることは周知のことであるが︑両者の系譜

的位置関係︑性格の異同などは判然としない︒

⑥石製模造品の名称については定着した用法がないため︑基本的に模造対

象とした器物名を頭に付けて﹁刀子形石製模造品﹂というように呼称してお

きたい︵有孔円板などの例外は除く︶︒ただし︑以下において記述の便宜上

﹁刀子形品﹂というように略す場合がある︒

⑦石製模造品の出土地は︑古墳に限っても百数十例が確認されており︑白

石太一郎氏による体系的な集成︹白石一九八五︺が公表されてからもその事

例は増加している︒これらの追補は別稿にて果たしたい︒

⑧一括資料といえども︑必ずしも同一時期・同一地における所産と位置づ

けることはできない︒また︑模造する原体である刀子の形態差にも注意が

必要である︒しかし︑形態差を超えて製作技法が共通することは︑諸要素

の相関関係を追究する上で定点を与える可能性を有する︒したがって︑諸

要素の異同が使用形態に起因する需要であるか︑または微妙な時期差であ 井藤徹一九六六﹁鍋塚古墳発掘調査概要﹂﹃大阪府文化財調査概要﹄一

九六六大阪府教育委員会

鐘方正樹一九八八﹁碧玉製腕飾類の研究視点﹂﹃網干善教先生華甲記念考

古學論集﹄同記念会

河野一隆一九九八﹁副葬品生産・流通システム論﹂﹃中期古墳の展開と変

革五世紀における政治的・社会的変化の具体相1J第四十四回埋蔵文

化財研究集会資料埋蔵文化財研究会

関西大学工学技術研究所編一九九○﹃関西大学考古学等資料室所蔵石器

資料の石質調査﹄古文化財保存科学研究会調査報告関西大学工学技術研

究所・関西大学考古学等資料室

北野耕平一九七六﹃河内野中古墳の研究l野中古墳発掘調査報告l﹄大 るのかというような背景の問題も含めて︑別稿にて再論の場をもつことにする︒

⑨鐘方氏は︑石釧の主要型式としてAI型式とAⅡ型式を設定し︑前者は

外斜面の紋様帯を連続する凹面帯で構成するもの︑後者は刻線により構成

するものとした︒また︑両者とも外側面に一条のさじ面凹線を有するもの

と︑二条有するものとに分類し︑それぞれAⅡ︲①︑AⅡ︲②と呼称してい

る︒本資料では8がAⅡ︲②︑9がAⅡ︲①に該当すると考えられるが︑私

見では9に観察できる︑外斜面と外側面を画す沈線を有する形態と︑AⅡ

︲②との連続性を推測する︒

︻引用・参照文献︼

(13)

後藤守一一九三○﹁石製品﹂﹃考古學講座﹄國史講習會

小林行雄一九五九﹁せきせいもぞうひん﹂﹃図解考古学辞典﹄東京創

白石太一郎一九八五﹁

中心としてl﹂﹃国立歴

祭祀と信仰﹂同博物館

末永雅雄一九三五﹃本

杉山晋作一九八五﹁石

第七集共同研究﹁古伜

藤直幹編一九六四﹃河

室研究報告第一冊大頤 一九八五﹁

﹁古

阪大学文学部国史研究室研究報告第二冊大阪大学

北野耕平一九八五﹁古墳時代の富田林﹂﹃富田林市﹁古墳時代の富田林﹂﹃富田林市史

役所元社

神まつりと古墳の祭祀l古墳出土の石製模造品を

l﹂﹃国立歴史民俗博物館研究報告﹄第七集共同研究﹁古代の

の祭祀と信仰﹂同博物館

﹃河内における古墳の調査﹄寺

大阪大学 大

山考古室要録﹄

﹁石製刀子とその使途﹂﹃国立歴史民俗博物館研究報告﹄

﹄ 第 一 巻 富 田 林 市

110︲1日I

阪大学文学部国史研究 二○四

参照

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