第 4回 :「 コミュニケー ションツール としての音楽 (イメー ジで物語 を作 る)」

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富山大学公開講座 「 ′ いとか らだの心理学」

第 4回 :「 コミュニケー ションツール としての音楽 (イメー ジで物語 を作 る)」

日本 エデュテイメ ン トカ レッジ理事 柴 田 礼 子

Reiko Shibata: Sound play as communication technique (making a story out of images)

1.Ca‖ Orff 音 楽 と動 きの教育について

「 Wenn ich einen Baum pflanze,weiss ich nichti wie gross er wird.」

11本の木 を育てよ うとす る時、私 はその木が ど の くらい大 きくなるかを知 らない。

私が好 きなカール ・オルフの言葉である。 自分 が内面に持 っている 「木」を育てようとす る時 も、

子供達 とい う 「 木」 を育てよ うとす る時 も、私達 を励 ま して くれ る言葉である。

カール ・オル フは、  ド ィツの偉大 な作曲家であ り、教育者であ った。彼 はメソッ ドを持 たなか っ た人で もある。彼が残 したのは、オルフシュール ベルクと呼ばれる作品群である。彼がそのシュー ルベルクを通 して、私たちに伝えたか ったことは、

テクニ ックや理論ではな く、音楽 を通 じて、 自分 やまわ りの事を知 ること、音楽を演奏 した り創 っ た りす る中で、 自分 を育て、 自分の生 き方 を見つ けてい くことだ ったよ うな気がす る。 メソッ ドが ないとい うことは、 自由であると同時に、責任 も あるということである。 メソッ ドがないというこ とは、何かを覚えればお終 いということではない ので、終わ りがない。彼が設立 したザルツブルグ のオルフ研究所 には、世界中か らた くさんの人が

集 まって勉強を し、研究 を している。 そ こでの主 専攻 は、「 音楽 と動 きの教育」である。

したが って集 まって きている人間は、音楽の人 間だけではな く、 ダンス、幼児教育、小学校教育、

障害児教育 の人間など、様 々な分野 の人 々で構成 されている。そ こで、 それぞれの分野の人間が、

オルフの教育理念を基に、様々なことを学び、様々 な ことを試 し、新 しい発想力を得ているよ うな気 がす る。私 自身のオルフ教育 との出会 いは、音大 時代 に、「 音楽 は全ての人 のためにあ る」 とい う オル フ教育の一文 に出会 ったことか ら始 まってい る。 そ してそれか ら何十年後の今、オル フは、音 楽教育の分野で特別な ことを しようと思 った人間 ではな く、普遍的で シンプルな もの、そ して美 し い もの、心が動 くものを提供 し、それを様 々な方 法で伝えたか った人間なのではなか ったか とつ く づ く思 うようにな った。だか らこそ、オルフの教 育 は全人教育的であ り続 けるのではないか と思 う。

カール ・オルフとオルフシュールベルク

《オ リンピックで も活躍 したカール ・オル フ》

カール ・オル フ (Car1 0rff)は、 1895年7月

10日に ミュ ンヘ ンで生 まれ、1982年3月 29日同地

で死去す るまで活躍 した ドイツの作曲家。代表作

と して 「カル ミナ ・ブラーナ」がある。

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彼 は、 1936年 のベル リンオ リンピック、 及 び 1972年 の ミュ ンヘ ンオ リンピックの開会式で、子 供達 の音楽 とダ ンスを任 され るな ど、  ド イッを代 表す る作曲家であった。 オル フは、 5歳 の時、 リ ス トの孫弟子 にあたる母親か らピアノを習 い、石 板の上 に音符を書 き始 めたと言われている。音楽 一家 という家庭環境の中で育ち、ボーイソプラノ で もあ った彼 は、 その声で歌 い、 チェロやオルガ ンを弾 き、 シェースクピアの上演 に夢中になると い った少年期を過 ごしている。それが彼の生涯を 通 じての舞台作品への取 り組 みの基 にな った と言 われている。 ミュンヘ ンの音楽 アカデ ミーを卒業 後、 ミュンヘ ン室内楽団の楽長を務 め、兵役を経 てのち、  ド イツ各地 の歌劇場 の指揮者を歴任 して いる。

《 音楽 と動 きの教育 に適 した楽器》

1920年代 の ヨーロッパでは、 スポーツや体操、

ダンスや身体 についての新 しい動 きが来てお り、

ダルクローズや ラバ ンなど、多 くの人が出て きて いた。彼は彼 らの影響 も受けていたが、特に、ヴィッ グマ ンの ダンス 「 HeXentanz」 に影響 されたと言 われている。 その後、1924年 に、 オルフは舞踏家 ギュンターと共 に、舞踊 と音楽の学校を設立。 こ の 「ギュンター シュー レ」が、彼の教育活動 の始 め となる。初めての教育的出版物 として書かれた のが、 「オル フシュールベル ク」 の シ リーズで、

最初に書かれた ものは、「Al リ ズムとメロディ の練習」 と呼ばれ るもので、 ギュンター シュー レ の生徒用 に書かれていた。彼 は、 シュールベルク 作品を作曲す るにあた って、今 までの方法 とは違 う組み立てを しなければな らか ったと述べている。

その第一 は、 リズムに重点を置 き、そのためには、

楽器 に着 目をす ることであった。 その際に も、生 徒 たちの音楽表現を 「自 ら音楽 をす ること」 を通 して行 うものであ って ほ しい と願 い、 「高度 に発 展 した芸術的な楽器 によるもので はな く、 リズム 表現 にお、さわ しく、音色 にす ぐれた、 しか も扱 い が易 しく、素朴で身体の動 きと結 びついた楽器 に よる構成」を考えてい くようにな った。それが、

ミュ ンヘ ンStudio49の 「オル フ楽器」 の始 ま り

で あ った6       1

《 子 どものための音楽の誕生》

ギュンターシュー レが第二次大戦で消失 した後、

1948年に、 オルフはバイェル ン放送か ら、子 ども のための音楽番組の依頼 を受 け、実際に子 どもた ち との活動 を通 して、「子 どものための音楽」 を 作 り上 げることにな った。彼がギュンター シュー レで対象 としていたのは、青年 たちであ ったが、

ここで彼 は、子 どものための音楽作 りを始 め、次 のよ うに述べている。 「私が子 どものための音楽 と したのは、 エ レメ ンタールな音楽です。 エ レメ ンタール とは、 ラテ ン語 の Elementarius、つ ま り 「 要素」をなす ものであ り、構成の素材であり、

根本的な ものであ り、出発点 をなす ものです。 エ レメンタールな音楽 は、音楽だけが単独であ りえ ない もので、身体の動 きや ダンス、 ことばと結 び ついた ものです。 これは誰で もが 自らすべ きもの であって、決 して聴 き手 としてではな く、仲間 と して加わるべ き音楽 なのです。同時に、 これは大 規模 な様式を構築す るものではないのです。小 さ な音形 を1頂につないでいった り、オスティナー ト の組み合わせ、小 さなロン ドなどの形式 を取 るも のなのです。」 オル フは、子 どものための音楽 を 考えた際に、それまでのオルフシュールベルクに 欠 けていた 「 言葉」 「呼 びか け」 「 歌」「 詩」 を出 発点 とす ることを決意 したのだ った。 このように して、身体表現 とことば、歌、楽器での活動が一 つ に結 ばれてい ったのである。

《 オルフシュールベルク 「 子どものための音楽」》

彼が1948年 9月 15日か ら5年 間 も続 けた という バ イエル ン放送の 「子 どものための音楽」 は、そ の集大成 と して、1950年か ら1954年の間 に、「Or ff― Schulwerk Musik fuer Kinder」 全 5巻 と し て出版 された。 これは、 オルフがケー トマ ンと共 に試行錯誤を重ねて作 り上 げた作品集である。 こ の作品集 と共 に、世界中にオルフ教育が広 まった とされている。 しか し、オルフ自身は、「このシニー ルベル クは、 システムで もメソッドで もない。バ イエル ン地方の子 どものための音楽 とその教育の アイデ ィアに過 ぎない」 と言 っている:こ れ らの

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ことは意味深 く、彼の音楽をそのまま演奏す るた めに、彼 はこの作品集 を作 ったのではな く、彼が このアイデ ィアをモデル として捉え、 自分たちの 音楽 を作 ってい く手立てを考え るきっか けを与え て くれているということを私達 は知 る必要がある。

オル フが語 る 「音楽」 とい うものは、伝統や生 活、文化 を考え、音楽をす る仲間や地域の人 たち との交流を も意味 し、普遍性、 日常性 を示唆 して いるとい うことである。 オルフが考えていたエ レ メ ンタールな音楽 というのは、音楽 と人々との関 わ り合 いその ものへの提言 とも言える。彼が言 う エ レメンタールとは、根源的な意味を持つ もので、

それは人が人 としてあるべ き、 その人の核 になる とい うような意味を も持つだろう。オル フが 「子 どもの実態か らその ものか ら音楽 を始める。 よっ て、民族性、地域性等の差異 によって、教材、方 法 は異 なる」 と述べている点か らも、 それは、そ の人が持 っている伝統、文化、言葉 によって、教 える内容 も使用す る教材 も変化す ると解釈 して も 良 いと思われ る。だか らこそ、オルフの教育 は、

分野 を超えた広が りを見せてい くのだ と推測で き る。それ は、 1961年 に設立 されたオルフ研究 所の活動 や講師陣の仕事 の広が りを見て も伺える ことで、 それは設立当時か ら現在 まで続 き、常に オルフの教育 は変化 し続 けているといって も過言 ではないだろう。

《 Dr.Regnerに よるオル フ教育の理念》

① 音 楽教育 は、母国語 と共 に母国語 によって始 ま る。

② 音 楽、踊 り、言葉、そ してその他の芸術を一 つの分野として認知する。

③ 音 楽教育において、全ての音楽パ ラメーター を体験するために、楽器の演奏 も学ぶべきであ る。

④  「 音 楽 を楽 しむ」 とい うことは、個人 的 な体 験 だ けで な く、 グループ体験 で もあ るべ きで あ る。

⑤ 音 楽教育では、誰でもが創造的に音楽に取 り 組んでいかれるようにするべきである。

カール ・オルフと共に長年オルフ研究所で仕事

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を し、元 オルフ研究所所長で もあ った レーグナー 博士 は、 シュールベル クとその展開に関 して こう 述べてい る。 「オル フシュールベルクは、彼 の理 念 の一部です。私 は、それを教師達が、 それぞれ の方法 で外 に出す アイデ ィアの 「芯」、 または 陽い」 と言 いたいと思 います。 オル フ研究所 も同 じ考え方をす る人 々によって、成 り立 っているの ではあ りません。 ここには、仕事上での基本的な 大 きな同意 とい うものがあ ります。 しか し、各人 を特徴づ ける個性 もあ ります。私達みんながオル フシュールベル クというかんづめか ら、何かを食 べて生 きている訳ではな く、私達それぞれが何か を持 ち寄 り、それによって、オルフシュールベル クは変化 してい くのです。私達 は、 いつ も、その 基本理念が変化 してい くか、失われ るか、現在 に 適応す るか、そ して今 日、 まだ意味のあるものか どうかを、 しっか りと両 目を開 けて、見ていかな ければいけません。 オルフシュールベルクとその 理念 は、今世紀の音楽教育 に大切な貢献 を果た し ま した。 それはまた永遠 に続 く変化 と、 その力 に よって、 いつ も生 きています。 とはいえ、音楽教 育 にとって大事 な貢献 は、他 に もた くさんあ りま した。私達 は、一つの教育理念 を他 のそれに、対 決 させ るのではな く、みんなで一つのテーブルに 座 り、何をお互 いに学 びあ うことがで きるか検討 すべ きだ と思 います。私達教育者 も、 ただ音楽教 育の内容を考え るのではな く、 この複雑 な社会の 中で、子供達が本当に良 い方向に向か って歩 いて いかれるように考え、行動 していかなければいけ ないのではないで しょうか。」

2.双 方向の関係性を築 くための 「エデ ュテイメ ン ト・セオ リー」 について

エデュテイメ ン トとは、子供達が楽 しんで学習 するためのソラ ト開発で生 まれてきた言葉である。

エデュテイメ ン トカ レッジは、常 に、仲間 と双方

向で触発 し合 い、共感 してい くことがで きる関係

性の中で、子供 も大人 もいろいろな角度か ら、物

事 を感 じ、 自分 の力を発見 していかれ ることを目

指 して活動を している。具体的には、指導者や学

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生達を対象に、五感を開 くことで感 じる力の基礎 とする①センスィビリティ、様々なコミュニケー ション能力を身につけていく② コミュニケーショ ン、自分で考え、創造 していくための③クリエティ ビティ、表現することを自分自身が楽 しみ、人に 伝えていくための手法 としての④エンターテイメ ントの 4つ の柱を中心に、様々な専門講師陣によ る指導者養成 コースなどを開催 している。

詳 糸 田は、  http://www.edutainmentcollege.org/

を ご覧下 さい。

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参照

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