遺言の無効と包括死因贈与への転換
野 澤 正 充
Ⅰ 問題の所在
ઃ 遺言の要式性と遺言者の意思
事件の概要 અ 本事件の争点
Ⅱ 無効行為の転換の可否
ઃ 無効行為の転換の理論
無効な自筆証書遺言の死因贈与契約への転換 裁判例の検討
(ઃ)肯定した裁判例
()否定した裁判例
(અ)若干の検討
અ 本事件における第ઃ審および控訴審の判断
Ⅲ 「遺言の方式」に従った遺言の撤回(民 1022 条)
ઃ 民法 1022 条の意義
民法 1023 条による例外
Ⅳ 結 語
Ⅰ 問題の所在
ઃ 遺言の要式性と遺言者の意思
遺言には,厳格な方式が要求され(民 967〜984 条),その方式を欠くときは,
遺言は無効である(民 960 条)。このように,遺言が要式行為であるとされる のは,遺言者の真意を確保するためであると説明される。すなわち,「無方式 の遺言を認めると,遺言者の意思を確認することが非常に難しくなるばかりで
なく,遺言の偽造や変造などを誘発するおそれがある」。そこで,「これを避け るために,かなり厳格な方式が要求されている」とされる1)。そして,この遺 言の要式性は,その撤回についても貫徹されている。すなわち,民法は,遺言 者が,「いつでも」その遺言を「撤回することができる」が,撤回は,「遺言の 方式に従って」なされなければならないと規定する(民 1022 条)。
しかし半面,遺言においては,遺言者の最終的な意思が尊重されなければな らない。それゆえ,民法も,例外的にではあるが,方式を欠く一定の遺言を他 の方式による遺言として,その効力を認めている。すなわち,秘密証書遺言は,
その方式(民 970 条参照)に欠けるものがあったとしても,民法 968 条(自筆 証書遺言)に「定める方式を具備しているときは,自筆証書による遺言として その効力を有する」(民 971 条)。この規定は,「いわゆる無効行為の転換の典 型的な例である」とされ,その趣旨は,「遺言者の最終意思をできるだけ尊重」
することにある2)。この点を,民法の起草者(梅謙次郎)は,次のように述べ ている。すなわち,「秘密証書ノ条件中欠クル所アルトキハ,秘密証書トシテ ハ固ヨリ無効ナリト雖モ,……自筆証書ノ条件ヲ具備スルトキハ,自筆証書ト シテ之ヲ有効トセザルコトヲ得ズ。蓋シ,遺言者ガ秘密証書ノ方式ニ依ラント 欲シタルニハ相違ナキモ固ヨリ其遺言ノ効力ヲ生ズルコトヲ希望シタルコト敢 テ疑ヲ容レザレバナリ」(句読点は筆者)3)。また,民法は,後に述べるように,
遺言の撤回においてもその要式性を緩和し,次のように規定する。すなわち,
「遺言が遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合」には,「その抵触 する部分については,後の」法律行為によって「前の遺言を撤回したものとみ なす」とする(民 1023 条)。そうだとすれば,民法は,一方では,遺言に厳格 な方式を要求しつつ,他方では,遺言者の最終的な意思を尊重するために,例 外的にではあるが,その要式性を緩和していると解される。そこで問題となる
ઃ) 中川善之助 = 加藤永一編『新版注釈民法(28)』(有斐閣,補訂版,2002 年)અ頁〔加 藤永一執筆〕。
) 中川 = 加藤・前掲注ઃ)125 頁〔久貴忠彦執筆〕。
અ) 梅謙次郎『民法要義 巻之五 相続編』(有斐閣,大正年版復刻版,1984 年)291 頁。
のは,これらの例外的な規定を超えて,より広範に,自筆証書遺言が無効であ る場合でも,その遺言を死因贈与契約と認めることができるか否かである。こ の問題は,具体的には,次の事件において争われた4)。
事件の概要
本稿が取り上げる事件の概要は,おおよそ以下のようであった。
Aは,平成ઊ年ઊ月ઊ日付け自筆証書遺言をઃ通,平成 14 年આ月 15 日付け から平成 16 年ઈ月 23 日付けの 11 通の自筆証書遺言を作成し,これらを Y1
(Aの長女=被告・被控訴人)に交付した。その内容は,いずれも,Aの財産の 一部である不動産を Y1に相続させるというものであった。なお,AとX(A の長男=原告・控訴人)とは,Xを代表者とするB建設(被告・控訴人)の経営 等について意見が対立し,Aは,平成 15 年および同 16 年頃,B建設やXを相 手方として民事調停の申立てをしていた。
ところが,Aは,平成 17 年 12 月頃から,Y1に対して不信感を表すように なった。そして,Aは,平成 18 年月 21 日と同年ઇ月 30 日に,X,C(A の妻=被告・被控訴人)を伴って,D弁護士の事務所を訪れ,遺言に関する相 談をしたが,遺言書が作成されることはなかった。
平成 18 年ઋ月 14 日,Aは,救急車で病院に搬送されて入院した。Aの病名 は,慢性腎不全から心不全に発展したものであり,かつ,心不全に伴う肺水腫 による呼吸困難等の症状が出ていた。Aの緊急入院の知らせを受けたXは,出 張先の北海道から病院に駆けつけるとともに,D弁護士に連絡し,遺言の作成 について相談した。D弁護士は,Xに対し,自筆証書遺言の文案を渡したもの の,Aは,文字を書くことが困難な状況にあった。そこで,同月 16 日,Aの 病室において,Cが一部の不動産をCに,その余の一切の財産をXに相続させ る旨の遺言書(平成 18 年ઋ月 16 日付け遺言書)を作成し,Aがこれに署名指印
આ) 本稿は,現実の事件(所有権移転登記手続等請求事件:第ઃ審 徳島地阿南支判平成 24・ઉ・20,控訴審 高松高判平成 25・અ・28)において提出した意見書(上告理由に 添付)に加筆したものである。
した。そして,Xは,D弁護士に対し,同遺言書の署名以外はCが記載したも のであることを伝えた。
平成 18 年ઋ月 29 日,D弁護士がAの病室を訪れ,危急時遺言(一般危急時 遺言)の作成を行った。しかし,一般危急時遺言は,「遺言の日から二十日以 内に,証人の一人又は利害関係人から家庭裁判所に請求してその確認を得なけ れば,その効力を生じない」(民 976 条આ項)ところ,本件危急時遺言について は,家庭裁判所に対する確認の申立てが行われていないため,その効力は生じ ていない。
平成 19 年ઃ月ઃ日,Aが死亡した。
Y1は,平成ઊ年から同 16 年までの 12 通の自筆証書遺言に基づき,Aの遺 産である各不動産について,相続を原因とする所有権移転登記を経た。その後,
Y1は,不動産の一部を,Y2(Y1の夫=被告・被控訴人),Y3(Y1と Y2の子=被 告・被控訴人)および Y4(Y1と Y2の子=被告・被控訴人)に譲渡し,それぞれ 所有権移転登記を経た。Xが,Y1らに対し,Aからの死因贈与により本件不 動産の所有権を取得したとして,移転登記等を求める旨の訴えを提起した。
અ 本事件の争点
本事件における争点は多岐にわたるが,Xの主位的請求においては,平成 18 年ઋ月 16 日付けの無効な自筆証書遺言が死因贈与契約として有効であるか 否かが主要な争点となる。すなわち,「平成 18 年ઋ月 16 日付け遺言書は,本 文がAの自筆ではないため,自筆証書遺言としての効力は有しない」(本件の 控訴審判決。民 968 条ઃ項参照)。しかし,この無効な自筆証書遺言によって,
「Aにおいて,本件土地 10(平成ઊ年から平成 16 年ઈ月にかけての 12 通の自筆証 書遺言の対象となっていないAの土地)以外のAの財産一切をXに死因贈与する 意思が表示され,Xにおいても,その贈与を受ける意思があったもの」と解さ れ,「平成 18 年ઋ月 16 日付け遺言書の作成をもって」,両者の間に「本件土地 10 以外のAの財産一切をXに死因贈与する旨の契約」が成立したものと認め られるか否かが争点となる。
この争点は,一般的には,無効行為の転換のઃつとして,無効な自筆証書遺 言が死因贈与契約の要件を満たしている場合に,死因贈与契約として認められ るか,という問題に還元されよう。しかし,本事件の問題点は,そのような一 般論に止まらず,すでに有効な自筆証書遺言があり,それを無効な自筆証書遺 言とそれに基づく死因贈与契約という「方式」によって撤回することができる か,という民法 1022 条および同 1023 条項の解釈が問題となる。
以下では,このつの問題点を検討する。すなわち,第ઃは,無効行為の転 換の一場合として,無効な自筆証書遺言を包括的死因贈与契約に転換すること ができるか否かである。そして,第は,すでに存在する有効な自筆証書遺言 を,無効な自筆証書遺言とそれに基づく死因贈与契約によって撤回することが できるか否かという点である。
Ⅱ 無効行為の転換の可否
ઃ 無効行為の転換の理論
無効な法律行為は,「何人の主張をもまたずに,当然に,かつ絶対的に,効 力のないものである」5)とされ,民法もこれを前提に,「無効な行為は,追認に よっても,その効力を生じない」と規定している(119 条本文)。ただし,従来 の学説は,無効な法律行為であっても,できる限り有効な法律行為として,そ の効力を維持することを企図してきた。そのઃつの例が,一部無効の理論であ り,法律行為の一部の無効は,「原則として,法律行為の全部の無効を惹起す るものではなく,無効な部分を合理的に改造して,その効力を維持することを 原則とすべきである」とする6)。すなわち,法律行為の「無効な部分を法律の 規定・慣習・条理などによって補充して合理的な内容に改造し,しかる後に,
この合理的な内容を強制することが当事者の目的に明らかに反する場合にだけ,
全部を無効とすべき」であるとした7)。
ઇ) 我妻栄『新訂民法総則』(岩波書店,1965 年)388 頁。
ઈ) 我妻・前掲注ઇ)391 頁。
ઉ) 我妻・前掲注ઇ)258 頁。
そして,上記の一部無効の「特殊な態様」8)として認められてきたのが,無 効行為の転換の理論である。この理論は,「無効の法律行為(例,約束手形の振 出が手形要件を充たしていないために無効)が他の法律行為(例,消費貸借)の要 件を備える場合に,後者の法律行為として効力が生じることを認める」もので ある9)。換言すれば,無効行為の転換は,「利益状況に基づいて」10),当事者の 意思を合理的に解釈し,「行為者がその目的を達成しうるように助力」するた めに認められるものである11)。そして,現在の学説は一致して,無効行為の 転換が認められるためには,次の要件が必要であると解している12)。
第ઃの要件は,無効の法律行為が他の法律行為の要件を充たしていることで ある。この要件との関連では,要式行為が無効である場合に不要式行為に転換 すること(不要式行為への転換)は,広く認められている。例えば,約束手形 として無効であっても,消費貸借契約における借用証書としての効力を認める ことは可能である。これに対して,不要式行為が無効である場合に要式行為に 転換すること(要式行為への転換)は,「各種の要式行為について,その形式を 緩和しても要式行為とした立法の趣旨に反しないかどうかを吟味して,慎重に 決すべきである」13)とされる。そして,具体的には,手形のように,一定の形 式そのものを必要とする法律行為への転換は認められないが,遺言・認知・縁 組みなどのように,「確定的な意思を保障するために書面の作成を必要とする」
法律行為への転換は,「一般に認めて妨げない」とする14)。そのઃつの例とし ては,方式に欠ける秘密証書遺言であっても,自筆証書遺言の方式を具備して いるときは,自筆証書遺言として「その効力を有する」とする民法 971 条が挙
ઊ) 我妻・前掲注ઇ)391 頁。
ઋ) 四宮和夫 = 能見善久『民法総則』(弘文堂,第ઊ版,2010 年)283 頁。
10) 四宮 = 能見・前掲注ઋ)283 頁。
11) 我妻・前掲注ઇ)391 頁。
12) 四宮 = 能見・前掲注ઋ)283 頁のほか,山本敬三『民法講義Ⅰ』(有斐閣,第અ版,
2011 年)325 頁,佐久間毅『民法の基礎ઃ』(有斐閣,第અ版,2008 年)223 頁など。
13) 我妻・前掲注ઇ)392 頁。
14) 我妻・前掲注ઇ)392 頁。
げられる。
第の要件は,両法律行為の効果が社会的または経済的目的を同じくし,当 事者の利益状況に照らし,当事者が無効を知っていたら,他の法律行為として の効果を欲したであろうと認められることである。
以上のつの要件のうち,第ઃの要件に関しては,本件事案は,要式行為で ある自筆証書遺言が無効である場合に,これを不要式行為である死因贈与契約 に転換するものであるため,広く認められることとなろう。しかし,第の要 件に関して,とりわけ当事者や利害関係人の「利益状況に照らし」て,このよ うな無効行為の転換を認めるべきかは,なお慎重に検討する必要がある。
無効な自筆証書遺言の死因贈与契約への転換 裁判例の検討
この問題に関する下級審裁判例は,死因贈与契約への転換を肯定するものと 否定するものとに分かれている。
(ઃ)肯定した裁判例
まず,死因贈与契約の成立を認めた裁判例としては,以下のものがある。
① 水戸家裁昭和 53・12・22 家裁月報 31 巻ઋ号 50 頁
押印を欠く自筆証書遺言について,その内容自体から判断すれば死因贈与の 申込みと解され,受贈者において受諾したことが認められるとした。ただし,
本件は,遺言執行者選任申立事件であり,遺言の有効性を争う利害関係人は存 在しなかったと推測される。
② 東京地裁昭和 56・ઊ・અ家裁月報 35 巻આ号 104 頁
身の回りの献身的な世話をしてくれた女性に対し,これに報いるために遺産 の一部を贈与したいと考え,死亡ઇ日前にその旨を自筆して署名捺印し,その 書面を直ちに同女性に手渡したという事案。上記文字と書面が作成された経緯 によれば自筆証書遺言としての要式性を欠くとしても,死因贈与の申込みの意 思表示と認められるとした。
③ 広島家裁昭和 62・અ・28 家裁月報 39 巻ઉ号 60 頁
作成日付および遺言者の押印のない自筆証書遺言を作成し,一切の財産を与
えるとした妻にこれを交付した事案。死因贈与契約が成立したことは明らかで あるとした。
④ 東京高判昭和 60・ઈ・26 判時 1162 号 64 頁
公正証書遺言が無効(立会人の一人に欠格事由あり)であるという事案。公正 証書作成以前に死因贈与の合意が成立していたことに加え,「遺贈と死因贈与 とはいずれも贈与者の死亡により受贈者に対する贈与の効力を生じさせること を目的とする意思表示である点において実質的には変わりがないことにかんが み」,公正証書遺言としての「効力は有しないものの,右死因贈与について民 法 550 条所定の書面としての効果を否定することはできない」とした。
⑤ 広島高判平成 15・ઉ・ઋ裁判所 web サイト
被相続人の入院する病室で,口授した内容を実弟が書き写し,被相続人が署 名押印した。原告を除く相続人らは,当該書面の内容を了解しこれに署名した が,原告は被相続人の葬儀時に上記書面の存在を知ったという事案。「遺言書 が方式違背により遺言としては無効な場合でも,死因贈与の意思表示の趣旨を 含むと認められるときは,無効行為の転換として死因贈与の意思表示があった ものと認められ,相手方のこれに対する承諾の事実が認められるときは,死因 贈与の成立が肯定される」とした。
()否定した裁判例
死因贈与契約の成立を否定した裁判例には,次のものがある。
⑥ 大阪高判昭和 43・12・11 判時 560 号 52 頁
亡父が末女(七女)に土地等を遺贈する旨の公正証書遺言が,欠格者が証人 になったため遺言としては無効となった事案。末女は遺言の存在を亡父の死後 初めて知り,亡父の生前にも末女に対し,死因贈与の直接または間接の意思表 示もなかったことから公正証書遺言は死因贈与と認められないとした。なお,
上告審である最判昭和 47・ઇ・25 民集 26 巻આ号 756 頁も原審の判断を正当と した。
⑦ 仙台地判平成આ・અ・26 判時 1445 号 165 頁
Aが友人Bに代筆させて全ての財産を孫のXに委譲する旨の条項を含む遺言 書なる書面を作成したが,Aの不動産はAの死亡直前にYらに譲渡されていた という事案。「本件書面は,遺言書以外のなにものでもなく,その作成の状況,
保管の経緯,X等の親族に呈示された時期などの事情を加えて斟酌しても,死 因贈与の意思表示の趣旨を含むとは認められず,また,それに対するXの承諾 の事実も認められない」とした。
(અ)若干の検討
以上の下級審裁判例は,いずれも,第の要件につき,遺言書の作成の経緯 や作成時の状況などの諸般の事情を考慮して,「当事者の利益状況」に照らし,
当事者が無効を知っていたら,他の法律行為としての効果を欲したであろうと 認められるか否かを判断するものである。もっとも,その事案は,遺言ないし 死因贈与契約によって他の相続人の具体的な相続分が変動するものの,遺言が 初めてなされた場合に関するものである。換言すれば,遺言の方式は,遺言者 の真意を確保するために用いられるものであり,その方式が充たされていなく ても,諸般の事情から真意が明らかであれば,死因贈与契約として,その真意 を実現することも可能である。その意味では,自筆証書遺言が無効であっても,
遺言者の真意を合理的に解釈することにより,死因贈与契約の成否を判断する ことが適切である。しかし,本件事案のように,すでに遺言者の真意が有効な 自筆証書遺言によって明らかにされている場合には,その遺言を撤回する方式 については,より厳格な審査が求められよう。
અ 本事件における第ઃ審および控訴審の判断
本事件における下級審の判断枠組みは,従来の裁判例および学説と同じく,
当事者の利益状況を考慮して,意思表示の合理的な解釈を行うものである。し かし,その結論は異なり,本事件における当事者の意思表示の解釈が,必ずし も一義的に明確ではないことを示している。
まず,第ઃ審は,平成ઊ年から平成 16 年ઈ月にかけての 12 通の自筆証書遺
言がすでに存在していることを前提に,その後に遺言者がその意思を変えたか 否かを検討する。すなわち,「平成 17 年末以降にAと Y1との確執があったと 認められるものの,その原因は明らかではなく,Aに従前の遺言を撤回する動 機があったとも認めることができない」。また,Aが,平成 18 年月およびઇ 月に,「D弁護士に遺言書に関する相談をしているものの,遺言書の作成はさ れ」ず,「その作成にかかる時間も手間もわずかであって」,Aには,「公正証 書遺言を作成した経験や,自筆証書遺言を何通も作成した経験もあることに照 らせば」,従前の遺言を撤回したと認めることはできない旨を判示している。
さらに,平成 18 年ઋ月 16 日付けの遺言書については,「文字を書くことが困 難な状態であった」のだから,「Aが署名だけを行ったことをもって,Aがそ の内容どおりの意思を有していたものと認めることも困難である」(一審判決 32 頁)とし,結論としては,AとXとの間で,「Aのすべての財産をXに死因 贈与する旨の契約が成立したと認めることはできない」とした。
これに対して,控訴審は,平成 18 年ઋ月 16 日付けの遺言書における当事者 の意思表示の解釈を重視する。すなわち,同遺言書は,「本文がAの自筆では ないため,自筆証書遺言としての効力は有しないものの,Aにおいて,本件土 地 10 以外のAの財産一切をXに死因贈与する意思が表示され,Xにおいても,
その贈与を受ける意思があったものと言えるから,平成 18 年ઋ月 16 日付けの 遺言書の作成をもって,XとAとの間に本件土地 10 以外のAの財産一切をX に死因贈与する旨の契約(以下「本件死因贈与契約」という。)が成立したもの と認めるのが相当である」とする。そして,「特段の事情のない限り,Aは,
上記 12 通の遺言書に係る Y1に対する遺贈を,本件土地 10 を除く一切の財産 をXに死因贈与する旨の本件死因贈与契約を締結することにより撤回したもの
(民法 1023 条項)と認めるのが相当であるところ,本件においては,上記特 段の事情を認めるに足る証拠はない」とした。
以上のように,第ઃ審と控訴審とでその判断が分かれたのは,「当事者の利 益状況」ないし意思表示の合理的な解釈を行う際に,平成 18 年ઋ月 16 日付け の遺言書が,すでに存在する自筆証書遺言の「撤回」であることを重視したか
否か,の違いであったと考えられる。すなわち,控訴審は,平成 18 年ઋ月 16 日付けの遺言書が死因贈与契約として有効であることを前提に,「特段の事情 のない限り」,すでに存在する自筆証書遺言が撤回されたものとする。しかし,
すでに存在する自筆証書遺言を撤回するためには,原則として,「遺言の方式 に従って」これをしなければならず(民 1022 条),控訴審は,民法 1023 条
項がその例外であることを看過したものであると考えざるをえない。その意味 では,すでに存在する自筆証書遺言の有効性を前提に,その撤回を慎重に判断 する第ઃ審の判断が,民法の想定する考え方に従うものであると解される。
Ⅲ 「遺言の方式」に従った遺言の撤回(民 1022 条)
ઃ 民法 1022 条の意義
民法 1022 条は,「遺言者は,いつでも,遺言の方式に従って,その遺言の全 部又は一部を撤回することができる」と規定する。遺言に関しては,遺言者が 死亡するまで,何ら具体的な法律上の権利や地位を付与するものではないから,
その撤回は自由にすることができる。それゆえ,民法 1022 条は,遺言の撤回 の自由を規定するよりもむしろ,その撤回の方式を制限することに実質的な意 義があると解されている15)。すなわち,すでになされた遺言の撤回は,遺言 の方式によらなければならず,単に撤回の意思を表明するだけでは,何ら撤回 の効力を生じない16)。その趣旨は,「遺言自体が厳格な要式行為であるところ から,その撤回にも要式性を要求し,遺言の要式行為性を貫く」ことにあり,
実質的には,撤回の意思を明確にすることにある17)。
この民法 1022 条の解釈からすれば,本件事案のように,すでに自筆証書遺 言がなされている場合には,その撤回のために遺言の方式を採らなければなら ず,後の自筆証書遺言(平成 18 年ઋ月 16 日付けの遺言書)が無効であるときは,
遺言の撤回は認められないこととなる。
15) 中川 = 加藤・前掲注ઃ)393 頁〔山本正憲執筆〕。
16) 中川 = 加藤・前掲注ઃ)398 頁〔山本〕。
17) 中川 = 加藤・前掲注ઃ)398 頁〔山本〕。
民法 1023 条による例外
もっとも,民法は,1022 条の例外として,1023 条および 1024 条を規定して いる。これらは,遺言の方式によることなく遺言の撤回の効力を生じる場合で ある。このうち,前の遺言と後の遺言が抵触する場合(1023 条ઃ項),および,
遺言者が故意に遺言書や遺贈の目的物を破棄した場合(1024 条)に遺言の撤回 の効力が生じることは問題がない。しかし,「遺言が遺言後の生前処分その他 の法律行為と抵触する場合」(民 1023 条項)にも,遺言の撤回の効力が生じ るため,それが具体的に何を意味するかが問題となる。換言すれば,本件事案 のように,後の自筆証書遺言が無効であり,にもかかわらず死因贈与契約への 転換が議論されるような場合にも,同条の適用がありうるか,仮に適用がある とすればどのようなときかが問題となる。
まず,民法 1023 条項は,同 1022 条の例外であり,民法 1022 条が遺言の 撤回の意思を明確にするために「遺言の方式に従って」撤回することを定めて いることからすれば,民法 1023 条項の「遺言後の生前処分その他の法律行 為」は明確なものでなければならない,と解することができる。その例として,
本条の起草者である梅謙次郎博士は,次のように述べている。すなわち,「初 ノ遺言ヲ以テ,某ノ不動産ヲ甲ニ与フベキコトヲ言ヒタルニ拘ハラス,後ノ遺 言ヲ以テ之ヲ乙ニ与フベキコトヲ言ヒ,又ハ其後ノ契約ニ由リテ此不動産ヲ乙 ニ譲渡シタルトキハ,遺言者ノ意思ノ変更アリタルコトハ蓋シ疑ヲ容レズ」と する(梅謙次郎『民法要義巻之五』〔有斐閣,大正年版復刻版,1984 年〕416 頁)。 これは,「生前処分その他の法律行為」として,前の遺言と抵触する「不動産 ノ譲渡」を例示するものであり,遺言者による撤回の意思は明確である。
ところで,ドイツ民法にはこのような規定は存在せず,沿革的には,民法 1023 条項は,フランス民法に依拠するものである。すなわち,フランス民 法典では,遺言の撤回を必ずしも遺言の方式に従ってする必要はないものの,
少なくとも「意思の変更の表示を記載した公正証書によらなければ」遺言を撤 回することができないとする(フ民 1035 条)。また,「遺言者が遺贈物の全部又 は一部を譲渡した場合には,買戻約款付売買により又は交換によって譲渡した
ときでも,譲渡したもの全部について遺贈の撤回を来す」とする(フ民 1038 条)。そうだとすれば,遺言の撤回をもたらす「生前処分その他の法律行為」
も,明確に遺言者の撤回の意思を確認できるものでなければならないと解され る。
では,本件事案のように,すでに存在する遺言を撤回する自筆証書遺言が無 効な場合にも,なお遺言の撤回が認められるであろうか。
まず,遺言の撤回は,「遺言の方式に従って」しなければならないとする民 法 1022 条の原則からすれば,平成 18 年ઋ月 16 日付けの遺言書が無効である 場合には,遺言の撤回が認められないこととなる。もっとも,「遺言の方式」
に従うことは,あくまで遺言者の撤回の意思を明確にし,その真意を確保する ことにあるとすれば,「遺言の方式」によらなくても,撤回の意思が明確であ れば遺言の撤回が認められることとなる。それゆえ,「遺言後の生前処分その 他の法律行為」が,前の遺言と抵触する場合には,遺言の撤回が認められる
(民 1023 条項)。しかし,これは民法 1022 条の原則の例外であり,その「生 前処分その他の法律行為」は,遺贈の目的となる不動産の第三者への譲渡など,
遺言の撤回の意思が明確なものに限られる。したがって,例えば,前の遺言と 抵触する死因贈与契約が明確に締結された場合には,民法 1023 条項の適用 が認められる18)。しかし,死因贈与契約の成立が明確ではなく,本件事案の ように,その成否が争われる場合には,遺言者の意思も一義的に明確ではなく,
同条の適用は認められないと解される。
Ⅳ 結 語
遺言が要式行為である(民 960 条)とされるのは,遺言者の真意を確保する ためである。それゆえ,方式を欠き,無効な遺言を,無効行為の転換の理論に よって死因贈与契約であると認めることも,当事者の意思を合理的に解釈して,
慎重に判断されなければならない。まして,すでに存在する遺言を覆し,その 18) 中川 = 加藤・前掲注ઃ)406 頁〔山本〕。
撤回を認めることは,遺言によって一定の権利を取得することを期待する者の 利益(期待)をも覆すことになるため,遺言者の撤回の真意をさらに慎重に判 断しなければならないと考えられる。その意味では,遺言の撤回を「遺言の方 式に従って」しなければならないとする民法 1022 条は,遺言者の撤回の真意 を確保するために重要な規定であり,その原則は尊重されなければならない。
そして,その原則の例外である民法 1023 条項の解釈に際しては,遺言と抵 触する「遺言後の生前処分その他の法律行為」が明確であり,遺言者の撤回の 真意が確保される場合に限られると考える。
これを本事件に当てはめると,次のようになる。すなわち,平成 18 年ઋ月 16 日付けの遺言書は,すでに存在する自筆証書遺言を撤回するものであり,
同遺言書が無効である場合には,死因贈与契約への転換は慎重に判断されなけ ればならない。そうだとすれば,すでに存在する自筆証書遺言を前提に,その 撤回の真意を慎重に判断した第 1 審判決が,民法 1022 条および 1023 条の解釈 としては適切であり,結論としては,平成 18 年ઋ月 16 日付けの遺言書(無効 の遺言書)による遺言の撤回は,認めるべきではないと考える。