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団の再結成とリリーのリバイバル

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団の再結成とリリーのリバイバル

著者 勝山 貴之

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 89

ページ 39‑64

発行年 2012‑03

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012718

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―少年劇団の再結成とリリーのリバイバル

勝 山 貴 之

I.序

 劇作家ジョン・リリー(John Lyly) の作品を語る際に,作品とその上演を 手掛けた少年劇団との関係を無視することはできない。1580年代には,リリー の作品の多くが少年劇団によって上演され人気を博した。成人劇団とはその 上演スタイルを異にしていた少年劇団が,リリーの作品を盛んに上演したこ とを考えると,リリーの作風と少年劇団の上演スタイルは見事な調和をなし たことがうかがえる。また少年劇団は宮廷上演をその活動の中心としていた ことが,演劇史研究家たちによって明らかにされている。少年劇団によって 上演されるリリーの作品は,エリザベスを魅了したと思われるが,果たして 女王はリリーの作品のどのような部分に魅かれたのだろうか。

 リリーの人気が高まるなか,1580年代後半の88年に巻き起こったマープレ リト論争事件は,演劇界をも巻き込んで大きな混乱を引き起こすこととなっ た。論争に加わったナッシュ(Thomas Nashe) やグリーン (Robert Greene) 等 とともにリリーにも事件の災禍が及び,その余波で少年劇団は解散の憂き目 にあう。一時は活動停止を余儀なくされた劇団であったが,1597-8年に聖パ ウロ少年劇団が,続いて1600年にはチャペル・ロイヤル少年劇団が再結成さ れ,上演活動を再開した。エリザベスの最晩年であり,ジェームズの宮廷に 華やかな仮面劇が登場する直前の,まさに演劇史の隙間ともいえる部分に目 を向けるなら,少年劇団の再結成と同時に,リリーの作風に対するリバイバ

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ルがあったように思われる。リバイバルの背景には果たしてどのような理由 があったのであろうか。この小論では,劇作家としてのリリーと少年劇団の 活動の相互依存関係,そして1600年前後におけるリリーの作品に対する人気 のリバイバルについて考察を進めていきたい。

II.リリーと少年劇団

 (a) リリーの誇飾体 (euphuism)

  し ば し ば 指 摘 さ れ る よ う に, リ リ ー の 作 品 は 彼 の 駆 使 す る 誇 飾 体

(euphuism) によって有名である。誇飾体とは,対称的な構文表現に重きを置

き,類似の構文,同じ長さの節の繰り返し,音節の反復や頭韻,といった修 辞を多用した散文体をいう。1 リリーの執筆した散文ロマンス『ユーフュ イーズ ― 機知の解剖 (Euphues: The Anatomy of Wit)』(1578) および『ユーフュ イーズと彼のイングランド (Euphues and his England)』(1580) によって,誇飾 体はその名を広めることとなった。リリーの手になる『ユーフュイーズ ― 機知の解剖』には,ユーブルス (Eubulus) からユーフュイーズへの忠告が,

誇飾体を使って次のように語られている。

Descend into thine own conscience and consider with thyself the great difference between staring and stark-blind, wit and wisdom, love and lust.

Be merry, but with modesty; be sober, but not too sullen; be valiant, but not too venturous. Let thy attire be comely, but not costly; thy diet wholesome, but not excessive; use pastime as the world importeth – to pass the time in honest recreation. Mistrust no man without cause, neither be thou credulous without proof. Be not light to follow every man’s opinion, nor obstinate to stand in thine own conceit. (37-38)

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ここでは類似の構文や対称的な構文が多用されて,独特の抑揚を生み出して いることがうかがわれる。また修辞表現に加えて,様々な諺が盛り込まれ,

文のリズムを作り出している点も特徴的である。

 こうしたリリーの誇飾体は高く評価され,彼の名は多くの人々に知られる ところとなった。1586年に出版されたウィリアム・ウェッブ (William Webbe) の『英詩論 (Discourse of English Poetry)』にはリリーの文体について,次の ような記述がある。

Whose workes, surely in respecte of his singuler eloquence and braue composition of apt words and sentences, let the learned examine and make tryall thereof thorough all the partes of Rethoricke, in fitte phrases, in pithy sentences, in gallant tropes, in flowing speeche, in plaine sence, and surely, in my iudgment, I thinke he wyll yeeld him that verdict which Quintilian giueth of bothe the best Orators, Demosthenes and Tully, that from the one nothing may be taken away, to the other nothing may be added. (Webbe 46)

この記述からもリリーの文体に対する絶大なまでの人気がうかがえる。

 更に,こうした誇飾体の使用に加えて,リリーは自らの想像の産物である 動植物への直喩(simile)を駆使しながら独特の比喩表現を展開することに おいても有名である。まさにリリーの芝居の特質は,広く古典や神話に取材 し,神秘的な動植物への言及を鏤めながら,技巧的な修辞表現と多くの歌曲 をとおして,現実世界とはかけ離れた幻想世界を描き出すところにあったの であろう。当時の学校教育がそのカリキュラムにおいて,古典や神話の読解 および諺の暗唱などを重視していたことや,少年聖歌隊による類いまれなる 歌声を考えると,このあたりに少年劇団とリリーの結びつきが見えてくる。

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 (b) 少年劇団の起源と上演の特徴

 少年劇団の誕生の起源は,貴族たちの私邸内の付属礼拝堂に仕える聖歌隊 や,教会専属の聖歌隊に辿ることができる。英国では,代々の君主がウィン ザーをはじめとする邸内に付属礼拝堂を構えており,ウィンザー聖歌隊は10 人の少年によって,チャペル・ロイヤル聖歌隊は12人の少年によって組織さ れていたことがわかっている。聖歌隊は,屋敷内で催される婚礼や世継ぎの 誕生といった様々な祝宴にも参列し,時には宴の席でパジェントや芝居を演 ずることもあったという。また教会専属の聖歌隊も礼拝での奉仕とともに,

聖史劇などへの参加をとおして,その活動は演劇的色彩を強めつつあった。

ウィンザー聖歌隊やチャペル・ロイヤル聖歌隊から少年劇団が誕生し,ウェ ストミンスター寺院や聖パウロ聖堂の聖歌隊が,それぞれ少年劇団に転身す るまでの道のりはそう遠くはない。

 少年劇団の成立の起源は,これらの聖歌隊によるものばかりとは限らない。

16世紀のグラマー・スクールでは,生徒たちに芝居を演じさせることによる 教育的効果が高く評価されていた。正確で適切な言葉遣いや優雅な所作を身 につけ,聴衆を前にしての雄弁術を養うのに,芝居は最も優れた教育方法と 考えられたのである。従ってカリキュラムの中には,ラテン語による討論や ローマ喜劇の実演が盛んに取り入れられたという。こうした教育の成果を披 露するという意味あいもあり,グラマー・スクールの生徒たちによる古典劇 や創作劇の上演が,少年劇団の誕生へと繋がっていったことも確認されてい る (Shapiro 2-7)。

 それぞれの経緯をへてエリザベス朝には,聖パウロ少年劇団,チャペル・

ロイヤル少年劇団,ウェストミンスター聖歌隊少年劇団,マーチャント・テ イラー・スクール少年劇団,ウィンザー・チャペル少年劇団,聖パウロ・グ ラマー・スクール少年劇団,ウエストミンスター・グラマー・スクール少年 劇団など,多くの少年劇団が登場した。劇団はおよそ6〜7歳の少年から変 声期を迎える15歳ぐらいまでの少年を中心に構成されていたとされる。エリ

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ザベスは少年劇団をこよなく愛し,劇団は再三にわたり宮廷上演の機会を与 えられた。2 なかでも聖パウロ少年劇団とチャペル・ロイヤル少年劇団は,

劇作家リリーの作品を演じることによって人気を博したのである。

 少年劇団の上演スタイルはいわゆる朗吟調 (“declamatory acting style”) と呼 ばれるもので,口語的な表現よりも格調高い修辞的表現や詩的表現にふさわ しいものであった (Shapiro 116-19)。少年の伸びやかな歌うような声にのせて 語られることを想定して,自然な会話よりも高度に様式化された台詞が求め られたことは想像に難くない。また当然のことながら,役者が子どもである ことから,成人劇団の役者のように,登場人物の複雑な心理面を表現するこ とには限界があった。こうしたことから登場人物の描写においては,ありの ままの人間の個性を際立たせるような人物描写よりも,型にはまった役柄を 演ずることを要求されたのである。この少年劇団の得意とする上演スタイル こそが,まさに誇飾体を駆使したリリーの幻想的な作品にふさわしいもので あったといえる。

 リリーの作品のうち少なくとも7つは少年劇団の上演を想定して執筆され たものであろうとされている。少年たちが上演することを念頭におくなら,

不倫や殺人など不道徳な内容は子どもが演ずるのにふさわしいとはいえず,

当然,主題も限定されることとならざるをえない。結果として,リリーが作 品の中で描こうとするのは,友情や勇気そして名誉や忠誠心といった道徳的 な内容に偏りがちであった。またリリーが芝居の中で,ラテン語の引用や雄 弁術を駆使した台詞などを多用するのは,少年たちの学校のカリキュラムの 内容を反映しているからだとも考えられている。

 (c) 宮廷上演―成人劇団と少年劇団

 観劇を好んだエリザベスのために,宮廷では成人劇団や少年劇団による御 前上演がしばしばおこなわれた。女王の前での上演は劇団にとって栄誉で あったが,この機会を利用して女王への助言や進言をこころみる政治的意図

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をもったものも数多くあったことが記録から窺える。女王の即位まもなく,

バーリー卿 (Lord Burghley) が余興のために準備した芝居には,スペイン王 を嘲笑するくだりがあり,エリザベスを激怒させたという。また1562年に法 曹院の学生によって書かれた『ゴーボダック (Gorbodac)』は,将来に備えて 後継者を指名するよう女王に諭す内容となっていたことも知られている。更 に1564年に上演されたケンブリッジの学生による芝居は,ローマ・カトリッ クのミサを嘲弄する内容で,女王は芝居の途中にもかかわらず席を立ってし まったとの報告が残されている。にもかかわらず,この上演から1年足らず の間に上演された法学院の芝居では,結婚生活は独身生活に勝るものである とする議論がエリザベスの前で堂々と展開されたという。成人劇団の上演す る芝居は,女王への間接的な助言を,時には婉曲的な批判を内に秘めたもの も多く,ともすれば政治的色彩の強い催しとなる危険性を孕んでいたのであ る (Daniel 15-16)。

 エリザベスは,政治的上演に対する対抗策として検閲制度をうちだしてい る。女王は,すべての芝居をあらかじめ祝宴局長 (the master of the revels) に 吟味させ,王室に対して不敬な内容を含むものを排除しようとした。結果と して1570年代に入ると,検閲の効果が表れ,多くの芝居の内容は古典作品や 中世ロマンスに取材したものへと変貌していったという。作品の傾向は同時 代的で現実的なものから,遠く離れた時代や場所を描いた文学的なものへと 変わったのである (Daniel 16-17)。こうした傾向が,少年劇団の活動の追い 風になったことは言うまでもない。彼らが得意とした,古典作品に取材した 内容や,政治とは無縁の道徳主義的内容は,エリザベスにとって好ましいも のであった。また少年劇団の上演する作品は,常に君主への崇敬を前面に押 し出していたことも,御前上演に相応しいものと考えられた。

 (d) リリーの『サッフォウとファオウ』

 1584年にリリーの第二作目の作品として御前上演された『サッフォウと

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ファオウ (Sapho and Phao)』は,こうしたエリザベスの嗜好に配慮した内容 となっている。渡し守ファオウン (Phaon) の物語は,オヴィディウス (Ovid) をはじめ多くの神話に材源を求めることができる。材源によって多少の違い はあるものの,おおよそ原作ではヴィーナスによって美貌を与えられたファ オウンが,彼を恋するサッフォウを冷たくあしらい,傷心の彼女は崖から海 に身を投げる,という展開である。これに対しリリーの劇では,サッフォウ が見事ヴィーナスを出し抜く展開となっていることは興味深い。劇の中で,

ヴィーナスは恋に溺れることのないサッフォウを憎らしく思い,キューピッ ドに矢を射させて,サッフォウが渡し守ファオウに恋い焦がれるように仕向 ける(第1幕1場)。ヴィーナスの計画通り,キューピッドの矢に射抜かれた サッフォウは,美貌のファオウに一目惚れしてしまう(第2幕2場)。とこ ろがファオウもまたサッフォウの美しさに心を奪われ,彼女に恋をすること から,物語の展開は材源から大きく外れることとなる。(“What unacquainted thoughts are these, Phao, far unfit for thy thoughts, unmeet for thy birth, thy fortune, thy years, for Phao? . . . Doth Sapho bewitch thee, whom all the ladies in Sicily

could not woo?” II. iv. 1-6)3 更に,ヴィーナス自身もまたファオウの美貌に

心を奪われてしまうことにより,事態は混乱をきたす。(“O Venus, unhappy Venus, who in bestowing a benefit upon a man hast brought a bane unto a goddess!

What perplexities dost thou feel? O fair Phao, and therefore made fair to breed in me a frenzy!” IV. ii. 5-10) 気まぐれなヴィーナスはファオウの愛情を独占する ため,ヴァルカンの力を借りて作った矢尻で,サッフォウとファオウを仲た がいさせようとするのである(第4幕4場)。ヴィーナスの命令でサッフォ ウのもとへと向かったキューピッドであったが,サッフォウの説得に心動か され,ヴィーナスの策略をすべて打ち明けてしまう。ファオウへの恋に冷め たサッフォウは,ヴィーナスへの仕返しとして,ファオウの片思いの恋を独 り占めし,報われることのない永遠の愛と献身を彼に誓わせる。劇の最終場 面で,ファオウはサッフォウに応えて言う。

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Phao. . . . This shall be my resolution: wherever I wander, to be as I were ever kneeling before Sappho, my loyalty unspotted though unrewarded. With as little malice will I go to my grave as I did lie withal in my cradle. My life shall be spent in sighing and wishing, the one for my bad fortune, the other for Sappho’s good. (V. iii. 20-26.)

 誰の目にも明らかなように,作品のなかにおけるサッフォウの存在は,エ リザベスと重ね合わすことができる。恋愛感情に流されることなく,色恋沙 汰を超越した存在である女王と,その寵愛を求めて永遠の忠誠心を抱く男性 の姿は,まさに女王の嗜好に合致する支配関係の構図であったであろう。と もすれば成人劇団の上演しようとする生臭い政治の支配する現実の世界とは かけ離れた幻想の世界の中に,女王の考える理想をリリーは描いて見せたの であった。

 (e) 『エンディミオン』

 同様に,1588年の聖燭節(2月2日)に御前上演されたとされるリリーの

『エンディミオン (Endymion, The Man in the Moon)』もまた,女王崇敬を舞台 化したものであったと考えられる。エンディミオンの物語については,オヴィ ディウスを始め,ルキアノス (Lucian),ロドスのアポッロニオス (Apollonius

of Rhodes) 等,多く作者の筆によって語り継がれている。16世紀のイングラ

ンドにおいて,この神話は広く知られており,マイケル・ドレイトン (Michael

Drayton) もまたこれをもとに,1593年,詩集『エンディミオンとフィービー

(Endymion and Phoebe)』を執筆した (Lyly, Endimion 10)。多くの物語や詩の中 で語り継がれているところによれば,月の女神セレネ (Selene) はラトモス山 に暮らす美貌の羊飼いエンディミオンに恋をし,毎夜,天空から舞い降りて,

眠りに落ちたエンディミオンを抱擁するという。しかしリリーが,伝統的な

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月の女神とエンディミオンの関係を書き換え,シンシア (Cynthia) に無償の 愛を捧げるエンディミオンの献身を描いている点は注目に値する。

 芝居の冒頭から,月の女神を恋い慕うエンディミオンの様子が伝えられる。

What thing, my mistress excepted, being in the pride of her beauty and latter minute of her age, that waxeth young again? Tell me, Eumenides, what is he that, having a mistress of ripe years and infinite virtues, great honours and unspeakable beauty, but would wish that she might grow tender again, getting youth by years and never-decaying beauty by time, whose fair face neither the summer’s blaze can scorch nor winter’s blast chap, nor the numbering of years breed altering of colours? Such is my sweet Cynthia, whom time cannot touch because she is divine, nor will offend because she is delicate. O Cynthia, if thou shouldst always continue at thy fullness, both gods and men would conspire to ravish thee. (I. i. 57-70)4

 しかし月の女神シンシアに対する恋に溺れるエンディミオンに,彼を慕う シンシアの侍女テラス (Tellus) は激しい嫉妬を覚える(第1幕2場)。彼女は,

エンディミオンがシンシアに恋い焦がれるさまを見るに耐えず,魔女ディプ サス (Dipsas) の力を借りて,エンディミオンを生きることも死ぬこともでき ぬようにと,永遠の眠りにつかせてしまうのであった(第2幕3場)。エン ディミオンの異変を知らされたシンシアは,罰としてテラスを砂漠の邸宅に 幽閉し,エンディミオンの友人や臣下の者たちに眠りの魔法を解く方法を探 させることとなる(第3幕1場)。シンシアの命を受けたエンディミオンの 友人ユーメニデス (Eumenides) は,泉の底に魔法を解く鍵を見つけるが,そ れは,完璧ながら絶えず変化し,それでいて決して揺らぐことのない者が口 づけをする時,エンディミオンは目覚めるであろうという謎のことばであっ た (“When she whose figure of all is the perfectest and never to be measured, always

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one yet never the same, still inconstant yet never wavering, shall come and kiss Endymion in his sleep, he shall then rise; else, never.” III. iv. 165-70)。これはまさ に月の女神シンシアのことを指すのだと悟ったユーメニデスは,女神の宮殿 に急ぎ戻り,ことの次第をシンシアに伝えた。話を聞いたシンシアは,誰に も許したことのない口づけを,エンディミオンに与える。するとみごとエン ディミオンは眠りから覚めるも,その姿は40年という歳月をへて,彼の若さ は完全に失われてしまっていた。やがてテラスから,エンディミオンを眠り につかせた理由を知らされたシンシアは,自分の思いもよらぬエンディミオ ンの恋心に驚きを隠せない。シンシアから真相を問いただされたエンディミ オンは,自ら胸の内を語る。

The time was, madam, and is, and ever shall be, that I honoured Your Highness above all the world; but to stretch it so far as to call it love, I never durst. There hath none pleased mine eye but Cynthia, none delighted mine ears but Cynthia, none possessed my heart but Cynthia. I have forsaken all other fortunes to follow Cynthia, and here I stand ready to die if it please Cynthia. (V. iv. 157-63)

エンディミオンのことばにシンシアは永遠の愛を誓わせ,その誠実さに対し て恩恵 (“favour”) を与えようという。

Endymion, this honourable respect of thine shall be christened ‘love’ in thee, and my reward for it ‘favour’. Persevere, Endymion, in loving me, and I account more strength in a true heart than in a walled city. ( V. iv. 177-80) シンシアのことばにエンディミオンはかつての若さを取戻すこととなり,更 にシンシアの命令でテラスやディプサスを含めたいくつかの婚姻が成就す

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る。まさに宮殿が至福に包まれたところで,芝居は大団円を迎えることとな る。

 (f)『エンディミオン』とアレゴリー

 劇のなかに描かれる月の女神シンシアがエリザベスを指し示しており,芝 居の筋は女王への賛美と称賛を基調としていることは容易に知れる。しかし あえてこの作品に政治的含意を読み取ろうとする批評家も多い。そのひと つにレスター伯 (Earl of Leicester) の復権運動と結びつけた解釈がある。レス ター伯は,1579年にエセックス伯の未亡人レティス (Lettice) との秘密結婚が 明るみに出て,女王の寵愛を失った。劇の中で,他の女性の企みによって月 の女神から遠ざけられる主人公が,胸の内には女神への崇敬を抱き続け,最 終的に女神に救われるという展開は,宮廷でのレスターの復権を暗示すると いう。しかし伯爵の醜聞は10年という歳月をへて,劇の上演された1588年に は既に過去のものとなっており,今さら宮廷でそれを揶揄した劇を演ずる必 要性はなかったはずである。そればかりかレスター伯は,リリーが庇護を受 けていたオックスフォード伯 (Earl of Oxford) とは対立関係にあり,リリー がわざわざレスターの復権運動に加担したとは考え難い。5 またオックス フォード伯自身の醜聞と重ね合わせた解釈も存在する。この解釈では,オッ クスフォード伯がアン・ヴァヴァソアー (Anne Vavasour) との間に不義の子 をもうけたことが女王の顰蹙を買い,伯爵はしばしの間,宮廷を追放され たという事実が重視される。6 しかしこの事件も1581年当時のもので,既に オックスフォードは1583年に女王の許しを得て,宮廷に復帰を果たしている。

1588年のリリーの芝居で,オックスフォードの復権を慶賀する必要はないの である。

 近年の解釈では,ベヴィングトン (David Bevington) のように,エンディミ オンの揺らぐことのないシンシア崇拝に,イングランド国内のカトリック信 奉者による女王への忠誠心を読み取ろうとする試みもなされている。宗教改

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革の後も,イングランド国内には国教会へ転向するのではなく,カトリック 信仰を守ろうとする者たちが数多く存在した。特に地方の豪族たちは,容易 にカトリック信仰を捨て去ることはなかった。1569年に北部で起こった武装 蜂起は,こうしたカトリック派の勢力を物語るものである。1580年代におい ても,カトリック復興のために大陸から送り込まれてくるイエズス会士た ちは後をたたず,エドマンド・キャンピオン (Edmund Campion),ロバート・

パーソンズ (Robert Parsons),ロバート・サウスウェル (Robert Southwell) と いった人物たちが続々と海峡を越えてイングランドの地を踏んだ。そうした なか1587年に執行されたメアリー (Mary Queen of Scots) の処刑は,イングラ ンドにとってカトリック教国スペインとの戦争が避け難い現実となったこと を意味するものであった。オックスフォードをはじめ,隠れカトリックとの 疑いを持たれる者たちが,体制側から危険視されることは避け難く,彼らは 保身のために女王への忠誠心を表明する機会を求めていたという。こうした 状況下においてリリーの『エンディミオン』こそは,エリザベスに対する変 わることのない崇敬を訴える場を提供することになったと説明されるのであ る (Lyly, Endymion 28)。

 しかしこれらの解釈は,作品の持つ政治性を強調しようとするが,エリザ ベスが少年劇団に求めたものは,むしろ政治とは無縁の幻想性であり,現実 とかけ離れた虚構性ではなかったか。作品は,不変の愛を誓う恋人の溜息 や,魔法使いの操る魔術,更には口づけによって永遠の眠りから覚める若者 といったロマンスの常套手段をもちいて,物語の幻想性を高めている。更に,

エンディミオンによる無償の愛と献身も,親友ユーメニデスとの深い友情の 絆も,道徳的内容を前面に押し出していることから,少年劇団の演目にふさ わしい。浮世の穢れからかけ離れた芝居を鑑賞することこそエリザベスの願 いであり,リリーはそうした女王の欲求を充分心得ていたと考えるべきでは ないであろうか。

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III.1600年前後におけるリリーのリバイバル

 (a) 少年劇団の解散とリリー

 『エンディミオン』が上演されたと思われる1588年,マーティン・マープ レリト (Martin Marprelate) の名で,英国国教会の主教制度を批判するパンフ レットが現れ,国教会の聖職者たちは皆騒然となった。7 いわゆるマープレ リト事件と呼ばれるこの出来事において,主教たちは清教徒たちの仕業と思 われるパンフレットの弾圧に全力を挙げるが,事態は容易に終息する気配を 見せなかった。主教たちが,リリーをはじめ,トマス・ナッシュやロバート・

グリーンといった劇作家たちにも応援を求めたため,演劇界にも論争の波紋 が広がり,やがてそのあおりを食って少年劇団は解散の憂き目に遭う。1591 年に出版された『エンディミオン』の四つ折り版に,聖パウロ少年劇団の解 散に関する言及が見られるように,少年劇団たちは,この後,数年の間,歴 史の表舞台から姿を消すこととなるのである。

 時期を同じくして,リリーの誇飾体 (euphuism) に対する人気にも陰りが 見え始める。1589年に出版されたグリーン (Robert Greene) の『メナフォン

(Menaphon)』に寄せた,ヘンリー・アプチア (Henry Upchear) なる人物の次

のような詩が残されている。

Of all the flowers a Lily once I lov’d,

Whose laboring beauty branched itself abroad;

But now old age his glory hath removed, And Greener objects are mine eyes’ abode.8

これはリリーに取って代わって,グリーンの時代が訪れたことを告げる証拠 となるものである。確かにリリーの流行は,かつてのような熱狂を失いつつ あった。しかしだからといってリリーの文体がまったく見向きもされなく

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なったとは言い難い。彼の執筆した『ユーフュイーズ』は,1590年代をとお して版を重ね,17世紀に入っても10年以上にわたって印刷・出版され続け た (Hunter 284)。またリリーは,1598年出版のミアズ (Francis Meres) の『知 恵の宝庫 (Palladis Tamia; Wits Treasury)』において,当代随一の喜劇作者とし て,シェイクスピアたちと肩を並べ,「雄弁で機知に富んだジョン・リリー (“eloquent and wittie Iohn Lilly”)」とその名を連ねている (Meres 284)。少年劇 団同様,表舞台に出なくはなったものの,リリーと彼の誇飾体が忘れ去られ た存在になったとするのはやや言い過ぎかもしれない。

 (b) 1590年代後半の反体制文学

 リリーの作品を上演してきた少年劇団がその活動を停止している間,イン グランド社会がどのような空気に包まれていたかという問題は,ここで検討 しておく必要があるだろう。1590年代後半,処女王エリザベスは後継者問題 をめぐって,様々な憶測をよぶ書物の登場に悩まされた。イエズス会士ロ バート・パーソンズが執筆し R.ドールマン (R. Doleman) なる偽名で出版し た『次期英国王位継承をめぐる会議 (A Conference about the Next Succession to

the Crown of England)』が,イングランドに密輸という手段によって持ち込

まれ,大問題となったとのは1595年のことであった。書物は,暴君を廃位に 追い込むことの正当性を論じ,リチャード二世をはじめ過去における廃位の 例に言及する。そればかりか次期王位継承者としての権利を有する者を列挙 しながら,それぞれの妥当性と適性を論じたうえで,イングランド次期国王 としてスペイン王女を最もふさわしい候補者として結論づけるという何とも 危険で大胆な内容であった。この書物がエセックス伯爵に献呈されていたこ とで,伯爵は苦境に立たされた。

 更に,サー・ジョン・ヘイワード (Sir John Hayward) が,リチャード二世 とヘンリー四世の政権交代を,タキトゥス流の政治分析の手法で書き上げ た歴史書『ヘンリー四世の生涯と治世・第一部 (The First Part of the Life and

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Raigne of King Henrie the iiii. Extending to the end of the first yeare of his raigne)』

も物議をかもした。この書物は,1599年に出版されるやたちまち政府の弾圧 の対象となったが,その時点で既に1000冊以上が市中に出回っていたという。

この書もまたエセックス伯爵に捧ぐというラテン語の献辞が添えられてお り,後に反逆罪に問われたエセックスを糾弾する際の重要な証拠とされた。

 そして1601年8月には,ウィリアム・ランバード (William Lambarde) との 会話の中で,エリザベスは「私はリチャード二世なのじゃ。知らぬことはあ るまい。・・・・・この悲劇は街頭や邸内で四十回も演じられたのじゃ」と いう有名な発言をしている。エリザベスをリチャード二世に喩え,女王の政 治を過去の時代の悪政に重ね合わせようとする声は,国中のあちこちから聞 こえ始めていた。9 こうした政情不安を煽る書物や芝居が立て続けに登場す るなか,ある種の反動として女王を称えようとする動きがあったとしても不 思議ではない。現実社会とはかけ離れた幻想のなかで,女王への賛美と崇拝 を高らかに謳いあげるリリーの時代への回顧と,その作品を懐かしむ気持ち が,人々の中に蘇ったことは充分に考えられる。リリーのリバイバルの土壌 は,まさに醸成されつつあったのである。

 (c) 少年劇団の復活とリリーのリバイバル

 チェンバーズ (E. K. Chambers) やヒルブランド (Harold Hillebrand) によれ ば,聖パウロ少年劇団の再結成は,1599年あるいは1600年であったというが,

近年の研究ではもうすこし早い時期の再結成の可能性が出てきている。1597 年あるいは1598年のクリスマスにミドル・テンプルで上演された『愛の王子 (Le Prince d’Amour)』のなかに聖パウロ少年劇団への言及が発見されたこと から,おそらくチェンバーズ等の考えるよりは,1,2年早くに再結成がお こなわれたようで,これに引き続きチャペル少年劇団が1600年に再結成を果 たしている (Shapiro 18)。相次ぐ少年劇団の再結成の背景には,経済的理由 が考えられるとシャピローは言う。しかし劇団の代表者たちが,女王崇拝を

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希求する人々の想いを汲みながら,同時にそこから波及する利益に対する期 待があった可能性は大きい。

 重要なのは,少年劇団の復活とともに,リリーの作品に対する関心のリバ イバルがあったように思われることである。1600年の秋,黒僧座が再開する と,ベン・ジョンソン (Ben Jonson) は聖パウロ少年劇団のために『シンシア の宴 (Cynthia’s Revels)』を執筆している。劇は歌曲を多用し,リリーの芝居 の要素を取り入れながら,ジョンソン独特のアイロニーを全編に漂わせたも のとなっていたが,作品は好評を得て繰り返し上演されたという。時期を同 じくして,チャペル少年劇団はリリーの『愛の変身 (Love’s Metamorphosis)』

を上演したとの記録も残されている。またウィリアム・パーシー (William Percy) という名の無名の劇作家が『妖精の牧歌 (The Fairy Pastral)』と題した 作品を,パウロ少年劇団の上演用に準備したことが知られており,上演こそ されなかったが,作品はリリーの得意とした幻想的牧歌劇を模倣した内容と なっていたという。そればかりか,1601年8月23日にはジョージ・ポッター

(George Potter) が,リリーの5作品の印刷・出版権を買い取ったとする記録

も見つかっている (Shapiro 187-88)。これらの事実は,人々の関心が再びリリー の作品に向けられていたらしいことを確かに物語るものなのである。

 (d) ジョンソンの『シンシアの宴』

 ジョンソンの『シンシアの宴』もまた,リリーの『サッフォウとファオ ウ』や『エンディミオン』同様,エリザベスに対する崇敬を描いている点は 注目に値する。マーキュリーはキューピッドから,女神シンシアが宴を開こ うとしていること,そしてキューピッドはそこに集まる妖精たちから自分が 矢を射ることとなる者を選ぼうとしていることを知らされる (第1幕1場)。

キューピッドと別れたマーキュリーは,エコーから不思議な泉のことを聞 かされる。恋するナルキッソスが花になったことを嘆くエコーは,恋人が 自らの姿に恋い焦がれることになった泉を「自己愛の泉 (“Fountayne of selfe-

(18)

Loue”)」と名付け,その水を飲んだり,その水に触れたものは自惚れに染ま るという(第1幕2場)。妖精や宮廷人たちは,次々にこの水を口にし,自 らの内なる自惚れを露呈することとなる。やがてシンシアが宴に姿を現し,

女神の御前で仮面劇が上演される(第5幕6場〜9場)。劇が終わると,シン シアは仮面劇の登場人物たちにそれぞれの仮装をとくよう命ずるが,その中 に身分違いの扮装をしている者がいることや,悪戯好きのキューピッドが紛 れ込んでいることが判明する。

. . . What! Feathered CVPID mask’d?

And mask’d like ANTEROS? And, stay! More strange!

Deare MERCVRIE, our brother, like a page, To countenance the ambush of the boy?

Nor endeth our discouerie as yet:

GELAIA, like a Nymph, that but ere-while

(In male attire) did serue ANAIDES? (V. xi. 74-80)10

シンシアはキューピッドをたしなめ,淫らなその存在はシンシアの宮殿に必 要とされていないことを告げる。(“Tempt vs no farther, we cannot indure / Thy presence longer” V. xi. 88-89) やがてクリテス (Crites) の提案で,一同は知恵の 井戸「へリコン」の水で身を清めて,自惚れを忘れて本来の姿に戻ることと なる(第5幕11場)。

But to the well of knowledge, Helicon;

Where purged of your present maladies, (Which are not few, nor slender) you become Such as you faine would seeme: and then returne, Offring your seruice to great CYNTHIA. (V. xi. 153-57.)

(19)

 劇の場面設定や登場人物からも推察されるとおり,ジョンソンはリリーの 作品の形式を模倣し,女神シンシアの宴に集う人々の混乱と,その混乱を正 し本来の秩序を回復するシンシアの姿を描いている。女王シンシアの美徳の 支配する宮廷の回復は,いうまでもなくエリザベスに対する賛美と崇拝を表 し,劇の結末は女王崇敬を高らかに謳いあげる形で終わるよう仕組まれてい るのである。

 同時に,宮廷人たちの虚栄心を嘲笑する皮肉な精神が全篇にうかがわれる 点は,いかにもジョンソンらしい。G. K. ハンター (G. K. Hunter) も指摘する とおり,リリーの芝居に比してジョンソンの芝居は,人間の堕落や腐敗を描 くという点において,はるかに現実的であるといえるかもしれない。またリ リーの芝居が,愛や憎しみを描くことから「愛の芝居 (“a play of love”)」で あるのに対して,ジョンソンの芝居は登場人物たちが互いに相手を批評しあ う「判断の芝居 (“a play of judgment”)」と考えられるという (Hunter 293)。リリー とのこうした相違が,作品全体からジョンソン特有の皮肉を醸し出すことと なっているのであろう。

 こうした両者の相違をとらえて,変わりゆく時代の変化のなかで,リリー の作風は古臭いものとなりつつあったとハンターは考えている。実際,登場 人物のなかでアソタス (Asotus) やアモーファス (Amorphus) が,リリー特有 の修辞表現に固執する様子を,ジョンソンは戯画的に描きだす。確かにジョ ンソンは,リリーの劇作に倣いつつも,その古色蒼然たる様を批判的に見て いたことが,劇の「序幕 ( “Induction”)」に見られる次の台詞からも窺われる。

. . . they say, the umbrae, or ghosts of some three or foure playes, departed a dozen yeers since, haue bin seene walking on your stage heere: take heed, boy, if your house bee haunted with such hobgoblins, ’twill fright away all your spectators quickly.11

(20)

ここでは,ジョンソン自身が『シンシアの宴』を執筆しながら,作品の古臭 さやリリーの作風の古色蒼然たる様によって,観客に敬遠される可能性を少 年劇団の俳優たちに警告している。この台詞は,しばしば『シンシアの宴』

の執筆が,今や時代遅れの誹りを免れない誇飾体 (euphuism) を嘲笑し,それ を駆使したリリーの芝居を冷笑するためのものであったことの証左とみなさ れてきた。

 しかしアレクサンダー・ジャドソン (Alexander Corbin Judson) も指摘する とおり,エリザベスの最晩年におけるイングランドの政治状況を考えるなら,

ジョンソンは女王への賛美を全面に打ち出した芝居を書くことの必要性を認 識していたともとれる。エリザベスに対する誹謗・中傷ともいえる書物や芝 居が巷に溢れるなか,かつての女王崇拝を回復しようとする反動的動きが あったことは充分考えられ,ジョンソンは人々のなかにあるそうした空気を 肌で感じ,それを的確に捉えて筆を執ったのではなかったか。なにより宮廷 への足掛かりを求めていたジョンソンにとって,リリーの誇飾体を模倣する かどうかはともかくとして,かつてリリーが取った手段と同じく,女王への 賛美と崇拝を作品にこめて,エリザベスの寵愛を求めることが得策であった のではないであろうか。ジョンソンの『シンシアの宴』は,リリーに対する 嘲笑などではなく,リリーとまさに同じ精神に立って,すなわちエリザベス に対する崇敬を再興するために,書かれたものであるはずである。実際,ジョ ンソンの努力はベッドフォード伯爵夫人 (the Countess of Bedford) の目にとま ることとなり,その後,ジェームズの時代において宮廷仮面劇執筆への道を 彼に開くこととなるのである。リリーの作品のリバイバルの風潮は,それが 女王の崩御までのまことに短い期間ではあったとしても,確かに確認できる ものなのである。

(21)

IV.結び

 1603年に出版された『ハムレット (Hamlet)』の第1四つ折り版には,ギル ダストーン (Gilderstone) が最近の観客の好みに言及するくだりがある。ギル ダストーンによれば,悲劇役者たちが町を離れて巡業に回わっているのは,

観客の足が私設劇場に奪われたからだという。

Y’faith, my Lord, noueltie carries it away, For the principal, publike audience that Came to them, are turned to priuate playes, And to the humour of the children. (998-1001)12

四つ折り版の出版年を考えると,この台詞は1600年から1601年頃の黒僧座 における少年劇団の復活に言及したものと推測される。しかしこの台詞は,

1604-5年の出版と推定されている第2四つ折り版からは削除され,どこにも

見当たらない。ところが1623年の第1二つ折り版には,宮廷人を揶揄するこ とを物ともしない,まさに恐れ知らずの少年劇団の上演手法に対する,詳細 な言及となって復活している。

. . . But there is Sir, an ayrie of Children, little Yases, that crye out on the top of question, and are most tyrannically clap’d for’t: there are now the fashion, and so be-ratled the common Stages ( so they call them ) that many wearing Rapiers, are affraide of Goose-quils, and dare scarse come thither.

(2.2.339-344)

(22)

この微妙な台詞の変化のなかに,当時の少年劇団の動向の変化が垣間見られ るのではないであろうか。おそらく1597年あるいは98年に再結成された聖パ ウロ少年劇団に続き,1600年に再結成されたチャペル少年劇団は私設劇場で の上演に多くの観客を引き付けたに違いない。女王に対する批判ともとれる 芝居が町に溢れるなか,まがうことなきエリザベス崇敬を前面に打ち出した 作品は,まさにその反動といえるものなのかもしれない。エリザベスをはじ め,女王の周辺の人々は,そして現体制の維持を願う人々は,そうした芝居 の復活を望み,その上演を歓迎したのであろう。それは宮廷で,ある種の流 行となっていたのかもしれない。まさにそこに短命ながらリリーのリバイバ ルの兆しが見られたのである。しかしエリザベスの老齢化は一層深刻なもの となり,少年劇団の活動は劇団の経済的理由とも相俟って,いやがうえにも 変化を迫られることとなった。やがてエリザベスからジェームズへという君 主交代を背景に,劇団は実在の宮廷人を揶揄する,より危険な題材を取り上 げ,一層際物的な作品を舞台にかけることへとなっていく。最終的に,それ は舞台上で国王自身を風刺するという破滅的行為へと突き進むこととなるの である。第1四つ折り版から第1二つ折り版への台詞の変化は,まさにこう した少年劇団の活動の変化を跡付けるものではないであろうか。少年劇団が 再結成された時には,女王崇拝を描くリリーの作風が歓迎されたが,エリザ ベスの崩御を経験する,わずか数年のうちにリリーの作風はその崇拝の対象 を失い,それに応じて少年劇団の活動もまったく異なったものへと展開する こととなったのである。少年劇団の活動は,ジェームズ朝に移ってからの,

その醜聞に満ちた上演ばかりが注目を浴びる傾向にある。しかし1597年頃か ら1601年にかけて,まさに少年劇団の復活と相俟って,確かにリリーのリバ イバルが起こったことは,演劇史の隙間ではあるものの,あらためて認識し ておかなくてはならない事実であろう。

(23)

1 Euphuismについては,G.K.HunterJohn Lyly: The Humanist as Courtierの第 および第章を参考のこと。p.265には,euphuismの特徴が列挙されている。

2 少 年 劇 団 研 究 の 草 分 け 的 存 在 と し て 知 ら れ て い るE. K. Chambersの 名 著

Elizabethan Stageを紐解くと,16世紀後半において一時は圧倒的な人気を得た少年

劇団が徐々に凋落していくのに対して,隆盛を極める成人劇団の活躍がつまびら か に さ れ て い る。 ま た,Chambersと 双 璧 を な す 名 著 と 言 わ れ るHarold N.

HillebrandThe Child Actors: A Chapter in Elizabethan Stage Historyにおいても,少 年劇団の盛衰とそれと入れ替わるかのように活発化する成人劇団の様子が語られ ている。しかしこれらの名著が,栄華を極める成人劇団の陰で衰退していく少年 劇団の運命を雄弁に語ることに対して,最近,疑問の声もあげられている。Jeanne

H. McCarthyの論文,および拙著「女王陛下の少年劇団―劇団・劇場・宮廷上演」

を参照のこと。

3 この作品からの引用は,The Revels Plays版におけるDavid Bevington編集Sapho

and Phaoによるものとし,引用に際しては,幕,場,行数を示す。

4 こ の 作 品 か ら の 引 用 は,The Revels Plays版 に お け るDavid Bevington編 集

Endymionによるものとし,引用に際しては,幕,場,行数を示す。

5 作品に,ElizabethLeicesterの関係を読もうとする解釈の妥当性については,C.

F. Tucker Brookeの “The Allegory in Lyly’s Endimion,” MLN xxvi (1911): 12-15. を参照 のこと。

6 作品に,Oxford伯との関係を読もうとする解釈については,Josephine Waters Bennettの “Oxford and Endimion,” MLA 57.2(1942): 354-369.を参照のこと。

7 執筆者は謎のままであるが,複数の人物の仕業によるものと考えられている。考 えられる人物として名前の挙がっているのは,John Penry,Sir Roger Williams,

John Throkmorton,John Udallである。A Shakespeare Encyclopaedia参照のこと。

8 GreeneMenaphonに捧げられた“Dedicatory Poems”のなかの一文。作者“Henry Upchear, Gentleman”とは,Cambridge大学St. John’s CollegeにおけるGreeneの友人 のひとりEdward Upchearの弟Henry。この詩全体については,Brenda Cantar Menaphon,p.78を参照のこと。

9 1590年代後半に登場した反政府的書物や演劇については,拙著「リチャード二

世の主題の持つ政治性と検閲」を参照のこと。

10 Cynthia’s Revelsのテキストは,C. H. HerfordPercy Simpson編集によるJonson 全集をもとに,引用に際しては,幕,場,行数を示す。

11 JonsonCynthia’s Revelsの “Induction,” 194-198.

12 ShakespeareHamletに つ い て は, 比 較 対 象 し 易 い こ と か らThe Three-Text

(24)

Hamlet: Parallel Texts of the First and Second Quartos and First Folioに準じた。この箇 所については,pp.102-103参照のこと。引用に際しては,Q1は行数を,F1は幕,場,

行数を示す。

SELECTED BIBLIOGRAPHY Primary Sources

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(26)

Synopsis

The Cult of Elizabeth and John Lyly:

The Reformation of Boy Companies and The Revival of Lyly

Takayuki Katsuyama

When speaking of the works of John Lyly, we cannot ignore the relationship between the dramatist and the companies of boy actors that performed most of his plays. In the 1580s, many of Lyly’s works were staged by such companies, and they enjoyed great popularity. The declamatory style of boy companies, which stresses rhetorical and poetic effects, was well suited to plays written in such stylized prose as Lyly popularized in his Euphues: The Anatomy of Wyt (1578) and Euphues and his England(1580)— the style we know, of course, as “Euphuism.” This must have been one of reasons that the boy companies were so much inclined to stage Lyly’s plays. The stylistic characteristics of Lyly’s dramas perfectly harmonized with the acting styles of the boy companies.

Though many critics have asserted that there is no evidence that Elizabeth patronized the companies, in recent years several scholars have called into question the credibility of that traditional assumption. In fact, official records, contemporary with the staging of the plays, tell us that the boy companies were very often invited to the court to entertain Queen Elizabeth. Clearly these companies enjoyed a kind of preference at court; and in addition to this, we should take into account indications that Elizabeth actively supported the boy companies. Evidence of this exists in

(27)

many documents, such as land grants, patents, gifts, and stipends awarded to various masters of the companies. The companies seem to have been favored by the Queen and her court not only in the first two decades of her reign, but well into the late 1580s. While plays staged by companies of adult actors were often highly political and provided a resource for advising the queen, Lyly’s classical stories, as enacted by the boy companies, were far removed from the turmoils of the day; and this must have attracted Elizabeth to them.

Though his popularity peaked in the late 1580s, Lyly, with his fellow dramatists (including Thomas Nashe and Robert Greene), was involved in a controversy caused by the Marprelate pamphlets published in 1588, a series of seven Puritnical tracts attacking the Episcopal structure of the Anglican church. As the controversy became livelier, the quarrels were often marked by references to the stage, indirectly implicating the boy companies. Because of their involvement in the controversy, the boy companies were forced to dissolve and cease their productions. For several years, they completely disappeared from the theater. In 1597-98, however, the Children of Paul’s resumed playing in their own theater, and in 1600 the Chapel Children were reactivated at Blackfriars. With the revival of the boy companies, the interest in Lylyesque conventions—among them mythological-pastoral settings—was reawakened among dramatists and printers, even if only for a short period.

In this essay I shall explore not only the reciprocal relation between Lyly and the boy companies in 1580s, but inquire also into the revival of Lyly’s popularity in the closing years of Elizabeth’s reign.

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