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[書評] 福田アジオ 著『民俗学のこれまでとこれか ら』

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[書評] 福田アジオ 著『民俗学のこれまでとこれか ら』

その他のタイトル [Book Reviews] Fukuta Ajio, Folklore Studies so Far and Now

著者 安田 えり

雑誌名 史泉

巻 129

ページ A1‑A7

発行年 2019‑01‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00020707

(2)

本書 は一 九七

〇年 代に 日本 の民 俗学 界の 第一 線で 民俗 学の 方法 論や 課 題に つい て問 うて きた 福田 アジ オ氏 によ る民 俗学 の対 象や 方法 論の 変 化︑ 今後 の展 望な どに つい て論 集し たも ので ある

︒氏 は国 立歴 史民 俗 資博 物館 名誉 教授

︑柳 田国 男記 念伊 那民 俗研 究所 所長 など を務 めて い る︒ 神奈 川大 学は 日本 常民 文化 研究 所の 発展 や二 一世 紀C OE プロ グ ラ ム﹁ 人類 文 化 研 究の た め の非 文 字 資料 の 体 系 化﹂ にも 貢 献 した

﹃ 日 本村 落 の 民 俗的 構 造﹄

︵ 一九 八 二︶

︑﹃ 柳 田 国 男の 民 俗 学

﹄︵ 一 九 九 二

︶︑

﹃ 番と 衆

│日 本 社会 の 東 と 西﹄

︵一 九 九 七︶

︑﹃ 近 世 村 落 と 現 代 民 俗

﹄︵ 二

〇〇 二

︶な ど 多 くの 著 作 を世 に 送 り出 す と と もに

︑日 本 民 俗 大 辞典 の編 集な どで もリ ーダ ー的 役割 を果 たし てき た日 本民 俗学 の大 家 で ある

︒本 書 は も と も と が 口 頭 で 聴 衆 を 前 に し て の 語 り で あ る の で

︑文 体も 敬体 で統 一さ れ内 容が 分か りや すい

︒他 方︑ 二〇

〇〇 年か ら 二〇 一二 年ま での 間に 独立 して 話さ れた 内容 のた め︑ 章ご とで 内容 が 重複 して いる とい う課 題は 残さ れて いる

章 立て は以 下の 通り とな って いる

︒ 第 一部

二 一世 紀民 俗学 へ 第 一章

〇世 紀民 俗学 のこ れか ら︵ 二〇 一〇 年三 月︶ 第 二章

野 の学 問と して の民 俗学

︵二

〇一

〇年 五月

︶ 第三 章 アカ デミ ック 民俗 学の 五〇 年間

︵二

〇一 二年 五月

︶ 第四 章 民俗 学の これ から

│柳 田国 男か ら宮 田登

︑そ して 今後 は│

︵二

〇〇

〇年 一一 月︶ 第 二部

民 俗学 の可 能性 第一 章 歴史 のな かの 民俗

・民 俗 のな かの 歴史

︵ 二〇

〇三 年一 二月

︶ 第二 章 民俗 学の ムラ 研究

︵二

〇〇

〇年 一一 月︶ 第三 章 図像 資料 と民 俗学

︵二

〇〇 八年 六月

︶ 本書 は二 部構 成で 全七 章か らな る︒ 上の

︶は それ ぞれ の講 演を し た年 であ る︒ 第一 部﹁ 二一 世紀 民俗 学へ

﹂で はこ れま での 日本 の民 俗学 の発 展と

︿ 書 評

福 田 ア ジ オ 著

﹃ 民 俗 学 の こ れ ま で と こ れ か ら

︵ 岩 田 書 院

︑ 二

〇 一 四 年 一 一 月 刊 行

︑ 一 七 五 頁

IS BN 978- 4- 87294- 885- 1 C 1039

︑ 一 八 五

〇 円

+ 税

安 田 え り

― 1 ―

(3)

変 容に つい て︑ 柳田 国男 に重 きを 置い てた 講演 であ る︒ この 歴史 を経 て これ から の 民俗 学 の あ り方 に つ いて 福 田 の意 見 が 述 べら れ て いる

﹁ は じめ に

﹂で

︑福 田 は 一九 九

〇 年代 か ら のあ る い は 一九 九

〇 年代 の 一

〇年 間の 状況 のな かで 新し く出 てき たア カデ ミッ ク民 俗学 など の動 向 を発 展と みる か退 廃と みる かと いう こと を論 点と する こと を定 義し た

︒ま た︑ 一九 九〇 年代 の民 俗学 は二

〇世 紀民 俗学 から いう と退 廃の も ので あり

︑そ れを 受け て二 一世 紀の この 一〇 年間 は先 が見 えな い状 況 なの では とい う挑 発的 な主 張を 福田 は行 い本 文に 続い てい る︒ 一九 世紀 民俗 学は

︑産 業革 命を 迎え る時 期︑ ある いは 農村 にお ける 様 々な 動き を受 けて 消え つつ ある もの のな かに 価値

︵過 去︶ を発 見す る こと

︑つ まり は起 源の 追及 が民 俗学 の出 発点 であ った

︒そ の例 とし て イギ リス のケ ルト が挙 げら れて おり

︑当 時の 主義 や理 論か ら現 在の 民 俗学 とは 違い

︑当 時の 民俗 学は 起原 や価 値を 見出 すこ とに よっ て自 分 たち のア イデ ンテ ィテ ィを 確認 する 面が あっ たと 福田 は説 明し てい る

︒そ して

︑二

〇世 紀に 入る 頃か ら民 俗学 は変 化し たが

︑現 在か ら過 去 へ確 認す る︑ 把握 する

︑理 解す ると いう 民俗 学の 基本 的な 出発 点は 変 わら ない と語 って いる

︒ 二〇 世紀 前半 の民 俗学 は︑ 柳田 国男 の民 俗学

﹁野 の学 問﹂ とい われ る もの であ る︒ 日本 の民 俗学 は︑ 柳田 が本 居宣 長の 国学 をも とに 仏心

︵ 仏 教︶ や漢 心

︵儒 教︶ を 除 き大 和 心 とい う 日 本的 な あ り 方

︑考 え 方 を 明ら か にし よ う と した こ と に始 ま る︒ 野 の学 問 と は 在野 の 民 俗学

︑ つ まり は官 に尽 くさ ず頼 らな いと いう もの であ り︑ 野で 研究 する こと を 意味 して いる

︒野 の学 問時 代の 民俗 学は 在野 や民 間の 人た ちの サー ク ル活 動と して の学 問で あっ た︒ つま り︑ 個人 の興 味・ 関心 を自 己流

で 始め

︑そ こか ら社 会の 役に 立つ

﹁経 世済 民﹂ とい う意 思の もと 実践 に 繋げ てい った のが 柳田 であ る︒ 実際 に︑ 柳田 は﹁ 先祖 の話

﹂な ど政 策 や制 度に 関す る証 言も 行っ てい る︒ 一方 で︑ 福田 は村 井紀 の指 摘を 例 に挙 げて

︑柳 田は 国家 の使 命を 担い

︑植 民地 支配 のた めの 方策 研究 を 民俗 学と して やろ うと しこ とも 説明 する

︒日 本的 なあ り方

︑考 え方 を 明ら かに しよ うと した 柳田 であ った が︑ 柳田 の晩 年に は︑ 民俗 学の 流 行 は 奇 談

・珍 談 に 走 り

︑国 の た め の 学 問 で な く な っ た こ と を 嘆 い た

︒し かし この こと に対 して 福田 は︑ 社会 は変 化す るの で︑ 民俗 学の 研 究 テー マ や 主 張し て い る こ と も 一 貫 し て い る わ け で は な い と 主 張 し

︑奇 談・ 珍談 など を研 究す るこ とを 認め てい る︒ この よう にし て︑ 柳田 を中 心に 発展 して きた 民俗 学で あっ たが

︑も ち ろん 柳田 に対 する 批判 とい うも のは 村井 の他 にも 存在 して いる

︒柳 田 は︑

﹁ 民俗 学 は 郷 土で そ の 郷土 を 研 究す る も の では 無 い︑ 郷 土で 日 本 を 研 究 す る こ と

﹂を 主 張 し て い た︒ だ が

︑折 口 信 夫 は

﹁髯 籠 の 研 究

﹂の 研究 を通 して

﹁地 方に 居て 試み た民 俗研 究の 方法

﹂と いう 説を 提 唱し

︑柳 田の いう 全国 比較 の前 に各 地域 を調 査し た人 が結 果を 自ら 整 理 し︑ テー マ に 結 び付 け て 解釈 す べ きだ と 論 じ た︒ また

︑﹁ 柳 田 国 男 先生 はこ の 学問 は 歴 史 の学 と し て発 展 す るこ と を 主 張し て お られ

︑ そ れを 自分 は十 分承 知を して いる が︑ しか し︑ 民俗 学は 広義 の人 類学 の なか に入 って 発展 しな けれ ば将 来は ない

﹂と 民俗 学は 単な る歴 史学 で はな いと 主張 した のが 石田 英一 郎で ある

︒桜 井徳 太郎 も石 田の 意見 に 賛同 し︑ 民俗 学は

︑日 本人 の民 俗性 を明 らか にす る学 問で ある と主 張 した

︒柳 田 の研 究 方 法 に対 し て も一 九 七

〇年 代 に 批 判が 出 て くる

︒ 柳 田は

﹁重 出立 証法

﹂を 用い てお り︑ 各地 から 入手 した 民俗 事象 を比

― 2 ―

(4)

較 して 歴史 を明 らか にす ると いう もの であ った

︒中 央で ある 上方 から 離 れる ほど 古い もの があ ると いう

﹁周 圏論

﹂が 矢面 に立 たさ れた

︒本 文 中 には

︑﹁ 私 も 重 出立 証 法 批判

︑周 圏 論 批判 の 文 章 をい く つ か書 い て

︑流 布 さ せ て し ま っ た 人 間 で す が﹂ と も 書 か れ て い る

︵p.97

︶︒ そ し て︑ 民俗 学の 中心 であ った 漁村 や農 村の

﹁村 の解 体﹂ が起 こっ たこ と によ って 調査 をし ても 新し い報 告が 出来 ない とい う問 題点 が発 生し た

︒ 二〇 世紀 後半 にな ると アカ デミ ック 民俗 学が 誕生 して くる

︒ア カデ ミ ック 民俗 学は 一九 五八 年に 東京 教育 大学 で開 始さ れ︑ また 同年 に成 城 大 学で も 文 化 史 コ ー ス と し て 民 俗 学 の 専 門 教 育 が 始 ま る

︒そ の 結 果

︑民 俗 学の 拠 点 が 東京 教 育 大学

・成 城 大 学な ど 大 学 にな っ て いく

︒ 学 問と して の民 俗学 では

︑全 国か ら事 例を 集め 比較 する とい う比 較研 究 の絶 対化 とい うマ ニュ アル がと られ てき た︒ これ は柳 田を 意識 して の 論で ある

︒だ が︑ それ とと もに

︑批 判精 神の 喪失 が起 きて いく

︒ま た

︑博 物館 や資 料館 や自 治体 史な どに よっ て行 政と の関 りを 持つ よう に なる

︒こ れら は︑ 民俗 学の 個性 が消 失の 性質 を持 って いる と福 田は 主 張す る︒ 七〇 年代 以降 には 比較 研究 の絶 対化 とい う考 えが 消失

︑日 本 民俗 学の 学会 の民 主化 が始 まっ た︒ 二

〇 世 紀 民 俗 学︵ 後 半︶ は ア カ デ ミ ッ ク 民 俗 学 な ど の 影 響 に よ り

﹁ 退廃

﹂の 一途 を辿 って いっ たと 福田 は説 明し てい る︒

﹁ 退廃

﹂の 主な 例 とし ては

︑分 析な しの 現象 記述

︑あ るい は把 握と いう 行為 が行 われ る

︒そ して

︑新 しい 事象 を取 り上 げれ ば研 究な のだ とい う考 え方 が強 ま った ので ある

︒ま た︑ 国文 学と 史学 科か ら民 俗学 を学 びだ した 人々 の

﹁歴 史﹂ 認識 の統 一を 行わ ない まま 放置 され てき た︒ その 原因 とし

︑こ の 時代 に は

︑﹁ 歴 史よ

︑さ よ う なら

﹂と い う 歴史 主 義 へ の 反 発 が あっ たこ とが 説明 され てい る︒ これ に対 して 福田 は︑ 経験 を超 えた 長 い時 間の 歴史 的展 開の 結果 があ るか らこ そ今 の暮 らし があ る︒ 歴史 と いう 点を 消し てし まえ ば︑ 民俗 とい う言 葉を 使う 資格 がな い︒ この ま まで は新 たな 民俗 学は 生ま れな いと 主張 する

︒だ が︑ 一方 では 良い 変 化も 起こ って いる

︒そ れは

︑城 下町 や宿 場を 研究 対象 とし た地 域民 俗 学

・都 市 民 俗 学 と い っ た 新 し い 分 野 が 台 頭 し て き た

︒地 域 民 俗 学 は

︑研 究対 象の 要素 のみ を取 り出 して 比較 して いた

﹁重 出立 証法

﹂の 方 法で は書 かれ た歴 史が フィ クシ ョン にな ると し︑ 地域 の民 俗誌 を見 て い くと い う 方 向を 提 示 した

︒そ し て︑ 都 市民 俗 学

︵城 下 町や 宿 場

︶ は 宮田 登が 提唱 する

︒宮 田登 の影 響を 受け た大 月隆 寛は アメ リカ の民 俗 学︵ フォ ーク ロア

︑口 頭伝 承︑ 語り を重 視す るも の︶ を学 び︑ 現代 の 都市 の独 自の 噂話 や世 間話 とい った 民俗 学を 研究 の対 象と する

︒こ れ が現 在の 現代 民俗 学の 一部 とな って いく

︒他 にも

︑日 本の 特色 を明 ら かに する ため に中 国や 韓国 など 海外 と比 較す る比 較民 俗学 が誕 生す る

︒だ がこ れは 自民 族中 心・ 自己 中心 的な 学問 であ ると 福田 は批 判を 行 って いる

︒環 境民 俗学 は野 本寛 一が 取り 上げ

︑人 間が いか に自 然を 認 識し てき たの か︑ その 認識 をど うい う形 で編 成し

︑秩 序を 作っ てき た のか とい うこ とを 問題 に取 り上 げ研 究を 行う

︒こ のよ うに

︑二

〇世 紀 後半 には 柳田 の時 代に はな かっ た︑ 領域 的に 新し い民 俗事 象の 開拓 や 女・ 子ど も・ 老人 や差 別な ど調 査対 象の 拡大 を行 った のだ

︒ これ まで の民 俗学 を振 り返 った 結果

︑福 田の 考え るこ れか らの 二一 世 紀の 民俗 学の あり 方と は︑ 歴史 認識 を重 要視 する こと

︑集 団か ら個 へ の認 識を 転換 する こと

︑一 国民 俗学 とい うア イヌ や在 日の 人は 除か

― 3 ―

(5)

れ てい る考 えを 改め るこ とを 挙げ る︒ また

︑柳 田国 男以 降存 在し てい な かっ た批 判的 精神 を取 り戻 すこ とや

︑民 俗学 を学 ぶに あた って メソ ロ ジー

︵研 究方 法・ 手続 き・ 調査 法な ど︶ に大 きく 傾き セオ リー

︵民 俗 学 の認 識 論・ 歴 史 認識

︶へ の 関 心が 弱 か った こ と を 改善 す る こと

﹁ 志﹂ を 持つ こ と が 重要 で あ ると 福 田 は語 る

︒現 在︑ 民 俗 学者 に は 自 分 の 目的 を 表 明 する 人 は ほと ん ど いな い

︒﹁ 志﹂ を 持 つこ と で 再び 野 の 学問 へと 帰依 し︑ 自ら 問を 出し て答 を作 って いく こと がこ れか らの 民 俗学 に必 要で ある と福 田は 語る

︒ 第二 部﹁ 民俗 学の 可能 性﹂ では

︑他 分野 との 民俗 学と の関 りに つい て の講 演を まと めた もの で︑ 第一 部の 内容 も関 わっ てく るが

︑第 一部 で は語 られ なか った 民俗 学の 定義 や思 想な どに つい て福 田の 意見 が書 か れて いる

︒ 第一 章﹁ 歴史 のな かの 民俗

・民 俗の なか の歴 史﹂ の導 入で は︑ 福田

︵ ふく た︶ と いう の は 関 西地 方 の 代々 名 乗 って き た 小 文字 の 歴 史の よ う に福 田自 身の 名前 を例 に挙 げ歴 史の 話に 繋げ てい く︒ 歴史 には 狭義 と 広義 の歴 史の 二種 類が 存在 して いる とい う︒ 狭義 の歴 史と は大 学の 史 学科 で慣 れ親 しん でき た歴 史学

︑中 学高 校の 歴史 の教 科書 に書 かれ て いる よう な歴 史の こと であ る︒ これ らは

︑文 字資 料に 依存 し︑ 政治

・ 経済 を中 心と して その 時代 を把 握し 歴史 を組 み立 てる とい うも ので あ った

︒一 方︑ 広義 の歴 史と いう のは

︑民 俗学 や考 古学 を含 め︑ 様々 な 学問 を総 合す るこ とに よっ て政 治・ 経済 だけ でな い人 間の 総体 を描 く 歴史 のこ とで ある

︒し かし

︑そ れを 目指 すの はな かな か難 しい 事で あ ると 福田 は語 って いる

︒そ れは

︑そ れぞ れの 学問 で独 自の 方法 や資 料 を扱 って いる から で︑ 簡単 に統 一︑ 統合 とい う形 で広 義の 歴史 が描

け るわ けで はな いか らと 説明 をす る︒ そこ で︑ 広義 の歴 史を 目指 すに は

︑そ れら を総 合︑ 統一 させ よう とす るの でな く交 錯さ せ︑ お互 いに 議 論し 成果 を出 し合 い︑ 共通 の像 を描 くか たち に努 力し てい くこ とが 重 要で ある と福 田は 語っ てい る︒ 次に

︑ア メリ カと 日本 の民 俗の 違い につ いて の説 明を 行い

︑社 会史 の 登場 につ なげ る︒ 社会 学が 登場 した 当初

︑日 本で は社 会学 とい う言 葉 が広 がっ てい った

︒だ が︑ それ に対 して 歴史 学は 天下 国家 を論 じる こ とに 意義 があ ると 主張 した

︒こ のよ うな 天下 国家 を把 握し

︑変 革を 明 らか にす る歴 史研 究︑ 大上 段に 振り かぶ った 歴史 のこ とを 大文 字の 歴 史と 説明 して いる

︒つ まり は︑ 歴史 に名 が残 った 人物 達の 歴史 のこ と でる

︒一 方︑ 柳田 の学 問で ある 民俗 学は

︑常 民で ある 人々 のあ りふ れ た日 常を 明ら かに する

︑小 文字 の歴 史を 取り 扱っ てい た︒ 社会 史と 民 俗学 の違 いと して は︑ 社会 史は あく まで も歴 史学 の中 の一 部で あっ て

︑過 去を 特定 の時 間軸

︑絶 対的 な年 代に 刻印 され た資 料で 研究 する こ とで ある

︒柳 田は 資料 に頼 るの では なく 非文 字の 素材 を扱 った 一九 三

〇年 代に それ を克 服し たの だ︒ その よう な民 俗学 の事 物の 捉え 方の 例 が挙 げら れて いる

︒一 つ目 は︑ 歴史 の中 の民 俗と いう こと で︑ 一六

〇年 初め 頃の 滋賀 県甲 賀市 宇治 河原 村で 一五 人衆 が協 議決 定し たこ と を神 に誓 う 資料 と 宇 治 河原 村 が 隣の 村 と 争っ て い る 資料 を 用 いて

︑ 民 俗を 理解 しな いと 行儀 の歴 史の 理解 につ なが らな いこ とを 説く

︒二 つ 目の 民俗 学の 中の 歴史 では

︑民 俗学 のな かに 狭義 の歴 史が 示さ れる こ とを 滋賀 県野 洲市 の北 桜と 南桜 とい う隣 り合 って いる 二つ のム ラに 通 婚が ない 事例 を挙 げ説 明し てい る︒ この 章の まと めと して は︑ 豊か な歴 史へ とい うこ とで 過去 は確 定し

― 4 ―

(6)

て いる が︑ 過去 時代 が歴 史と して の意 味を 持つ ので はな く︑ どう やっ て その 過去 を認 識し 組み 立て るの かと いう こと が重 要で ある と福 田は 主 張し まと めて いる

︒ 第二 章﹁ 民俗 学の ムラ 研究

﹂は

︑考 古学 研究 者の 前で の講 演と なっ て いる

︒そ のた め︑ 考古 学と 民俗 学の 違い につ いて 触れ なが ら語 られ て いる

︒ま ず第 一節 では

︑カ タカ ナの ムラ の使 い方 につ いて

︑民 俗学 で は漢 字の 村が 持つ いろ いろ な制 約︑ 危険 性が ある ため 区別 をし てい る と説 明し てい る︒ 漢字 の村 とい うの は明 治町 村制 によ って 大量 に作 ら れた 制度 的な もの

︑あ るい は戦 後の 地方 自治 体と して の村 のこ とを 示 す︒ 一方

︑ム ラは 村落 とい う通 文化 的な 用語 を示 すも ので ある

︒集 落 では

︑集 落単 位で 他集 落と 共同 慣行

︵行 事・ 儀礼

︶が 行わ れて いる こ とが ある

︒こ のよ うに 個別 の集 落を 基礎 にし て共 同性 がみ られ る地 域

︑こ れを しば しば ムラ と呼 ぶの だ︒ また

︑民 俗学 でム ラを 捉え る場 合

︑基 本的 にそ れは 社会 であ る︒ ムラ とい うの は人 々が 共同 ある いは 連 帯し てい ると いう 社会 とし ての ムラ であ る︒ 日本 の民 俗学 の特 色は 史 料や 語り はあ くま でも 脇役 であ り︑ 重要 なこ とは 実際 に行 われ てい る 行為 であ ると いう とす る︒ 第二 の特 色と して

︑歴 史を 明ら かに する こ と で あ る

︒こ の 歴 史 と い う も の に 対 し て︑ 考 古 学 や 歴 史 学 の 方 は

﹁ 何時 代の こと です か﹂ と質 問さ れる が︑

﹁ 時代 は現 代と しか 把握 でき ま せん

﹂と しか 言い よう がな いと 福田 は説 明を して いる

︒こ れが 民俗 学 の持 って いる 限界 であ り︑ また 歴史 と言 って も過 去の 時代 を特 定し て 持つ こと は基 本的 にな く︑ 累積 され た歴 史を 明ら かに する こと がで き るの だ︒ 多く の民 俗者 の中 には 民俗 学は 日本 固有 文化 の明 らか にす る こと や︑ 固有 信仰 を明 らか にす る学 問で ある とい う説 明す る人 がい

︒そ のよ うな 固有 論の 人た ちは

︑本 来は 昔に 純粋 な整 った 姿の もの が あ り︑ それ が 時 代 を経 て な くな っ て きて い る

︑分 か らな く な った

︒ 固 有の もの を復 元す べき だと いう 姿勢 をと って いる

︒し かし

︑福 田は そ の意 見と は逆 で︑ 形成 過程 を経 て累 積し てい るの が現 在の 民俗 事象 で ある と主 張し てい る︒ 次に

︑民 俗学 のム ラの 捉え 方に つい て語 られ てい る︒ 民俗 学は いろ い ろな 行 事や 儀 礼 を 通じ て ム ラの 歴 史 的世 界 を 捉 えて き た︒ し かし

︑ 村 その もの をど うと らえ るか やっ てき てい なか った のだ

︒一 九五 八年 に 桜 田勝 徳 が

﹁村 と は何 か

﹂と い う論 文 を 書い て 以 降 ムラ の 捉 え方

︑ 組 織︑ 制度

︑家 々の 関係 など につ いて の研 究が 登場 して くる

︒一 九六

〇 年代 から ムラ 研究 が本 格化 した が︑ すで に経 済の 高度 成長 を受 けて ム ラの 解体

・変 質・ 変貌 と大 きく 変わ る段 階で あっ た︒ その ため

︑ム ラ 研究 では ムラ の実 態で はな くム ラと いう 観念 ある いは 意識 とし て捉 え るの が基 本と なっ てい くの だ︒ 制度 から 観念 へと いう こと でま ず初 め にム ラの 村境 や領 土に つい て語 られ てい る︒ これ らの 研究 は一 九七

〇 年代 以降 に盛 んに なっ たも ので

︑村 境に よっ て内 と外 を分 ける こと に よっ てど うい う意 味を 与え たの か︑ また 領域 はど のよ うに 編成 され た のか を明 らか にす るも ので ある

︒こ こで は福 田が 定義 した ムラ 世界 を

︑同 心円 を用 いて ムラ

・ノ ラ・ ヤマ と示 した 図が 例に 挙げ られ てい る

︒そ して

︑家 の研 究の 一部 であ る先 祖祭 祀に つい て位 牌分 けの 例を 用 いて 説明 して いる

︒民 俗学 的ム ラ研 究の 具体 例と して

︑静 岡県 小笠 郡 小笠 町︵ 現菊 川市

︶の 棚草 の水 利と 氏神 の関 係に つい て︑ 静岡 県下 田 市に 存在 する 加増 野と いう かつ ては 二つ の氏 子に 分か れて いた ムラ が 統合 され て行 われ てい る寺 の行 事に つい ての 事例 につ いて 書か れて

― 5 ―

(7)

い る︒ 第三 章﹁ 図像 資料 と民 俗学

﹂で は民 俗学 の図 像資 料の 利用 価値 につ い て具 体的 な例 を用 いて 語っ てい る︒ 近年 では

︑現 代の よう なデ ジタ ル 社会 で調 査を 行う とき に人 間が 描く 図像 が少 なく なり

︑機 械的 な装 置 によ って 書か れた 画像 が増 えて きて いる こと が民 俗学 の退 化に つな が るの では ない かと 語っ てい る︒ 図像 を描 くこ とは 観察 につ なが る行 為 であ ると し︑ この 点を 反省 しな けれ ばな らな いと 主張 する

︒語 りと 行 為の 民俗 学に つい て第 一部 にも 挙げ たア メリ カと 日本 の民 俗学 につ い て説 明を 行っ てい る︒ そし て︑ 聞き 書き とい う調 査方 法と して

︑ア メ リカ では 伝説 や民 謡を 中心 に置 くが 日本 では それ だけ でな く制 度や 組 織︑ 行為 を中 心に 記す とい う違 いを 挙げ てい る︒ この よう に民 俗学 は 聞き 書き とい う方 法を 民俗 調査 の基 本と して いる こと に問 題が ある と 主張 して いる

︒そ れは

︑気 まぐ れと いう 間違 いの 情報 を鵜 呑み にし て しま う場 合が ある から だ︒ そこ で︑ 柳田 が民 俗資 料の 三分 類行 為を い う中 で第 一番 目に 行事 や儀 礼を 含め た有 形文 化を 観察 する こと が必 要 であ ると した

︒ま た︑ 過去 への フィ ール ドワ ーク とし て歴 史離 れの 問 題に つい て語 って いる

︒過 去の 記録 であ る日 記や 随筆 とい った 文章 類 は研 究の 材料 とな って きた が︑ 図像 は意 外に 使わ れて いな かっ たと 語 り︑ 次の 節に は絵 引の 誕生 と図 像資 料の 活用 方法 や名 所図 会や 素人 絵 につ いて 具体 的な 例を 挙げ

︑ど のよ うな こと が読 み取 れる のか 説明 し てい る︒ そし て最 後に

︑聞 き書 きと 観察 によ って のみ 歴史 を認 識す る ので はな く︑ 膨大 な量 のあ る図 像と いう 資料 を用 いる こと が大 切で あ ると して いる

︒ま た︑ 民俗 学が 図像 に注 目す れば

︑今 まで 捉え た豊 か さを さら に増 すこ とが でき るの では ない かと 主張 して いる

以上 が本 書の 内容 であ る︒ 福田 は民 俗学 と歴 史の 関係 の重 要性 を説 く が︑ 地理 学で も︑ 地域 にお ける 人間 の営 みの 総体 の変 遷を 描く につ い て研 究を 行っ た歴 史地 理学 の研 究者 がい る︒ 谷岡 武雄

︵一 九六 五: 七 一︶ は﹁ あら ゆる 歴史 は地 表上 で発 展さ れ︑ また 地理 的事 象は 全て 歴 史 性 を 帯 び て い る

﹂と し た

︒ま た

︑菊 地 利 夫

︵一 九 八 七: 二

︶は

﹁ 地理 学 史に お い て 一貫 し て きた 本 質 は︑ 人間 集 団 が 生活 す る ため に い かに 空間 を組 織し てい るか とい う事 象で ある

︒過 去の 地理 とは 過去 に おい て人 間集 団が いく たび も空 間的 組織 をつ くり 変え てき た事 実で あ る

︒歴 史 地 理 学 の 対 象 と は︑ こ の よ う な 歴 史 的 空 間 で あ る﹂ と し た

︒こ れ らの 前 に

︑藤 岡 謙二 郎 は 戦後 い ち はや く

﹃地 理 と 古代 文 明

︵ 一九 四六

︶を 刊行 して

︑﹁ 自 然的 地域 基礎 を無 視し ては 地理 学固 有の 固 有領 域は 保全 され ない

﹂と 地理 学の 環境 との 関わ りの 重要 性を 説い た

︒さ らに 一九 五五 年に は﹃ 先史 地域 及び 都市 域の 研究

│地 理学 にお け る地 域変 遷史 的研 究の 立場

│﹄ を著 した

︒こ の書 に対 して 千田 稔は

﹁ 本 書は

︑先 史 地 理 学 と 近 現 代 の 都 市 地 理 学 と を 一 冊 に ま と め 上 げ

︑ 方 法論 的意 識と して は︑ 景観 変遷 史が 歴史 地理 学の 純正 な方 法で ない と いう 点を とら えて

︑む しろ 時代 を追 って 時の 断面 を復 元し

︑そ の変 遷 を 見 る こ と の 立 場 こ そ 意 味 あ る と 主 張 す る﹂ と 説 明 し て い る

︵野 間: 二

〇 一三:

一 二 九

︶︒ そ の後

︑藤 岡 は 様々 な 調 査の 中 で 環 境 と の 相 互関 係を 重視 しな がら

﹁歴 史を 刻ん だ土 地﹂ とい うミ クロ から マク ロ まで さま ざま な地 域で 現象 を捉 え︑ その 断続 的な 動き や持 続す る変 化 に注 目し たの だ︒ この 点に 関し て︑ 藤岡 の理 念は 福田 の民 俗学 に対 す る考 えに 通ず るも のが ある ので はな いだ ろう か︒

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(8)

参 考 文 献 菊 地 利 夫

︵ 一 九 八 七

︶ 新 訂 歴 史 地 理 学 方 法 論

﹄ 大 明 堂 谷 岡 武 雄

︵ 一 九 六 五

︶﹃ 平 野 の 地 理

│ 平 野 の 発 展 と 開 発 に 関 す る 比 較 歴 史 地 理 学 方 法 論

﹄ 古 今 書 院 野 間 晴 雄

︵ 二

〇 一 三

︶﹁ 総 説 野 外 の 地 理 学 と 地 域 と の 対 話

│ 本 特 集 号 の 趣 旨

﹂︑

﹃ 月 刊 地 球

﹄ 三 五

︵ 三

︶︑ 一 二 五

│ 一 三 八 頁

︑ 海 洋 出 版 藤 岡 謙 二 郎

︵ 一 九 四 六

︶﹃ 地 理 と 古 代 文 明

﹄ 大 八 洲 出 版 藤 岡 謙 二 郎

︵ 一 九 五 五

︶﹃ 先 史 地 域 及 び 都 市 域 の 研 究

│ 地 理 学 に お け る 地 域 変 遷 史 的 研 究 の 立 場

﹄ 柳 原 書 店

︵ 関 西 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科

・ 博 士 課 程 前 期 課 程

・ 地 理 学 専 修

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参照

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