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(1)

K ・ レーヴェンシュタインにおける 「コントロー ル」概念 : 憲法による水平的コントロールの諸相

その他のタイトル Der Begriff der "Kontrolle" in der

Verfassungslehre von Karl Loewenstein 

著者 吉田 栄司

雑誌名 關西大學法學論集

巻 59

号 3‑4

ページ 315‑368

発行年 2009‑12‑18

URL http://hdl.handle.net/10112/1531

(2)

K  . 

[>

に エ

る ン よ ヽ

水平的

シ ユ

トイ

ロl

ン の お ル に

諸相

I け る

, 

ロ コ

田 ト

栄 ) レ

司 概 念

(3)

国家権力をコントロールする制度的装樹としての憲法

水平的コントロールとしての国家機関内コントロール

水平的コントロールとしての国家機関間コントロールー・議会と政府の間

同じく国家機関間コントロール2・議会︑政府と裁判所の間同じく国家機関間コントロール3•議会、政府と選挙民の間

(4)

K

・レ

ーヴ

ェン

シュ

タイ

ンに

おけ

﹁る

コン

トロ

ール

﹂概

文字の並行使用によって︑ k a l e

  K o n t r o l l

e n ﹂に関する検討作業は︑近々に行う予定である

なお︑これらの作業においては︑前稿におけるのと を参照引用させていただくが︑

同様に︑本体系書の邦訳として阿部照哉京都大学名誉教授と故山川勝巳本学名誉教授によって一九八六年に刊行され

(4

た﹃新訂・現代憲法論﹄

混在︑すなわち﹁コントロール﹂以外に﹁統制﹂︑﹁制御﹂︑﹁支配

﹂︑

﹁統

御﹂

︑﹁

管理

﹂︑

﹁掌

﹂︑﹁製肘﹂という漢字

レーヴェンシュタインの

K o n t r o l l

e 概念に関する理解を相当妨げていると思われるので︑

漢字二

文字の訳出箇所においては︑

終の

カタカナルビが振られている場合を除き︑その都度亀甲パーレンを用いて

﹁第三部ご政治権力のコントロール

筆者は二年半余り前に︑

︵ 三

五 ︶

︹ コ

ドイツにおいて二0

0

K0年に復刻刊行された・レーヴェンシュタイン

K a r l Lo ew en

 

(1

s t e i n

の九番目の著書﹃憲法論V

e r f a s s u n g s l e h r e ﹂について︑すなわち﹁著者積年の学問的研究の集大成︑あるいは

(2

) 

総決算とも見られる名著﹂とも評されるジャスト五0年前の著名な憲法体系書について︑その

統治の諸類型

De rp o l i t i s c h e r   P o z e s s   u nd   di e   Ty pe n  d e r   R e

i g e r u n

g

に属する第四章までを分析検討対象として︑全

(3 ) 

編に渡って登場する﹁コントロール

K o n t r o l l e ( k o n t r o l e r l i e n 等を含む︶﹂概念の使用文脈の点検を行ったことがある︒

本稿はその続編として︑﹁第二部二政治権力のコントロール

D i e   K o n t r o l l e   d e   p r o l i t i s c h e n   M ac ht

 I憲法およ

び憲法による水平的コントロール

Di e

e

r f a s s u n g n   u d  i h r e   h o l i z o n t a l e n o   K n t r o l l

e n ﹂を対象とし︑改めてこの

ントロール

概念の全使用文脈を点検し︑その権力的作用概念の含意の抽出を図ることを目的とするものである

︒最

Di e  K o n t r o l l e   d e r   p o l i t c h i s e n   M ac ht  I I

垂直的コントロール

V e r t i

10

名を超える分担訳を基底に置いたが故と思われる訳語の

国 家 権 力 を コ ン ト ロ ー ル す る 制 度 的 装 置 と し て の 憲 法

﹁ コ

﹁ 第

一部二政治過程と

(5)

ようにして権力過程制御︹コントロール︺

︵傍

点吉

田︶

と︑まえが

され

ず︑

第五九巻―-•四号

さて︑この第二部冒頭﹁第五章憲法

Di

e

e r f a s s u n

g

の﹁ ‑ ﹂

の邦訳表題は︑﹁権力制御︹コントロール︺

(5

的装置としての憲法

Di e V e r f a s s u n g   a l s  

A p p a r a t u r   d e r   M a c h t k o n t r o l l e ﹂であり︑まさにレーヴェンシュタインの

﹁憲法﹂観そのものを提示するものとなっている︒彼はこの章冒頭において︑次のように叙述を開始する︒すなわち︑

補足的訳出であり︑原書上の関係代名詞の先行詞は﹁効果的諸制度﹂であるが︑表題そのものも﹁コントロール﹂と

ルビを付した﹁統制﹂と﹁制御﹂が混用されている限りにおいて︑読者の理解が妨げられる訳出となってい

るといわざるを得ない︒レーヴェンシュタインは続けて︑﹁権力抑制

Be sc hr an ku ng d e r   M ac ht

のための制度は︑自

然発生的に成立してくるものではないし︑また自動的に働き出すものでもない︒それは作為的につくりだされ︑意識

的に権力過程の中に据えつけられなければならない﹂とし︑﹁権力保持者に対して社会 G

e s l l e hs c a

が加えたいと望 f t

んでいる抑制

Be sc hr an ku ng en

を︑確固として規則

Re ge ln の 体 系

﹃ 憲 法 V e r f a s s u n g

﹄ の 形 に 明 確 に し

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑これによって政治権力を限界づけることが右の目的に最も役立つということが意識されるようになった︒憲法はこの

(7のための基礎的な制度的装置となったのである﹂

きの部分で述べている︒憲法を︑権力制限規範として把握するこのような立場それ自体は︑日本の憲法学界において ン

トロ

ール

︵傍

点吉

田︶

﹁ある政治体系が立憲民主主義

k o n s t i t u t i o n e l l

d

e m o k r a t i s c h として分類されるか︑あるいは専制主義

a u t o k r a t i s c h

と分類されるかは︑権力保持者

M a c h t t r a g e

r のあいだで政治権力の行使が分配され︑最高の権力保持者としての権

カ名宛人

M a c h t a d r e s s a t e っ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ n による統制︵コントロールとルビ︶に権力保持者を服させるところの効果的な制御︹コ

6)

の諸制度が存在するか否かによって決定される﹂と︒邦訳書におけるここでの

﹁制

御﹂

トロ

ール

という表示を重ねることとする︒ 関法

︵ 三

一六 ︶

の制度

(6)

K

・レ

ーヴ

ェン

シュ

タイ

ンに

おけ

る﹁

コン

トロ

ール

﹂概

も当然に共有されているものではあるが︑権カコントロール装置として憲法枠組そのものを︑全面的に整序して把握 するこのレーヴェンシュタインの視角は︑必ずしも十分に共有されてはいない︑と筆者には思われるのである

K o n s t i t u t i o n a l i s m u s

の歴史は︑権力保持者によって行使される絶対的権力を限界付けようとする政治的人間

p o l i

t i

s c h e r   M en sc h

の探求の歴史であり︑現に存在する官憲の支配の事実

F a k t i z i t a t

への盲目的追従を︑精神的︑道徳的

ないし倫理的な権威

A u t o r i t a

t の正当化によっておきかえようとする努力の歴史にほかならない﹂とし︑その

の正当化根拠は︑支配者による社会統制︹コントロール︺

s o z i a l e   K o n t r o l l

e に対する権力名宛人の同意N

us ti mm un

g

(8 ) 

およびこれに照応する権力名宛人の政治過程への積極的︹能動的︺参加

A n t e i l n a h m

e ﹂ということに求められたと

述ぺる

︒そ

して︑この目的を達成するために︑﹁権力が分割されている場合には︑支配は限界づけられ︑かくしてま

コントロール︺されるのである﹂

と述ぺた上で︑

o n t o l o g i s c h

にいえば︑すぺての憲法の目的︵テロスとルビ︶ レーヴェンシュタインは︑﹁存在論

は︑政治権力の限界づけ

B e g r e n z u n g

と制御︹コン

のための制度の創出に求められなければならない︒この意味において︑すべての憲法のイデオロギー的目

標は

つあ

すなわち︑支配者の絶対的な社会統制︹コントロール︺から権力名宛人を解放すること︑および︑

(9 ) 

かれらに権力過程への正当な参加を認めることである﹂︑と整理している︒そ

して

︑﹁

2.憲法の実質的内容につい

て﹂で︑﹁根本的諸規範を成文の一体性ある文書に表現しようという欲求は︑ようやくピューリタン革命にさいして︑

長期議会が絶対的かつ無制限の権威を要求したことに対する抗議としてあらわれてくる﹂とされ︑﹁﹃憲法﹄は︑単

の権力保持者|.—当時においては、かならずしもそうではなかったにしても通常は一人の人間つまり絶対君主をさし ト

ロー

ル︺

た抑制

B e s c h r a n k u n g

︹ さ

れ ︑

つい

で︑

1

.憲法の目的

T e o l s

(テロスとルビ︶について﹂において︑

︵ 三

一七 ︶

レーヴェンシュタインは︑

﹁権

﹁立憲主義

(7)

第五九巻―――•四号

︵ 三

八 ︶

て い た の 恣 意

W i l l k t i r

を阻止し︑かれをして︑抑制

Be sc hr an ku ng

と制御︹コントロール︺に服せしめようとす

る特殊なイデオロギー的目的︵テロスとルビ︶で貫かれた︑国家社会の根本的諸規範の全体を完結的な体系の形で含

む単一の文書を意味することになった︒当時用いられた比喩的表現を用いるならば︑

( 1 0 )  

右のような目的のために馴化された

ge za hm

tのである﹂︑と分析されている︒ レヴァイアサン

Le vi at ha n は ︑ レーヴェンシュタインは︑﹁二︑

立憲主義の歴史的発展について﹂において︑改めてヘブライ民族による立憲主義

的経験に触れた上で︑まず古代ギリシャについて︑﹁国家諸機能は︑さまざまの官吏︑機関︑政務官によってひろく

分担されており︑政務官の権力は︑巧妙な制御︹コントロール︺装置で限界づけられて﹂おり︑﹁政治権力は︑合理

(1 1

的な仕方で分担され︑それゆえまた効果的に統制︹コントロール︺されていた﹂と指摘している ︒さらにローマの共

和制秩序についても︑﹁その相互牽制

w e c h s e l s e i t i g e Be sc hr an ku ng en

の仕組は広いレパートリーをもっていた︒す

なわち︑機関内制御︹機関内コントロール︺

﹁統制﹂と﹁制御

﹂ 関

の訳

語混

用が

あり

としては、上級•最上級政務官の合議制、

禁止などがあり︑機関相互間制御︹機関間コントロール︺

一 年

限りの任期︑連続再選の

としては︑合目的的にさまさまな権力保持者を噛み合わせ

るやり方︑たとえば︑護民官や政務官の不法行為への他の護民官の介入︑元老院による官職任命への参与

︑さ

らに

( 1 2 )  

危機政府に対する全く現代的な解決方法である立憲的独裁がそれである﹂という叙述をみせている ︒ここでも︑邦訳

とりわけ﹁機関内コントロール﹂と﹁機関間コントロール﹂は︑

レー

ヴェ

ンシュタインの本体系書のキーワードでもあるので ︑

﹁制

﹂を当てるのは穏当を欠くといわなければならない︒

いでレーヴェンシュタインは︑﹁イギリスにおけるピューリタン革命と︑新世界のイギリス植民地にそれが及ぼした

影響﹂

によ

って

︑﹁

立憲主義の第二段階﹂が始まっ

たと

し︑

三︑成文憲法の普遍化﹂では︑過去一世紀半の世界史を

....L 

(8)

K

・レ

ーヴ

ェン

シュ

タイ

ンに

おけ

る﹁

コン

トロ

ール

概﹂

ふり返り︑﹁四︑憲法制定と憲法改正の手続﹂

s c h r i e b e n e

憲法︑硬性

s t a r

r e 憲法と軟性

n a c h g i e b i g

e 憲法︑さらに君主制

mo na rc hi sc he

憲法と共和制

r e p u b l i k a n

i

sc he

憲法といった伝統的分類の難点をそれぞれ指摘した上で︑﹁創成的

o r i g i n a r

e 憲法と伝来的

a b g e l e i t e t

e 憲法﹂お

﹁イデオロギー的プログラム的

i d e o l i g i s c h p r o g r a m m a t i s c h

e 憲法と実利的

u t i l i t a r

e 憲法﹂という分類を提示し︑

﹁初期の立憲主義の目的︵テロスとルビ︶

自由主義的イデオロギーの色彩をおびていた︒

自由主義の影響は︑潜在的には︑相互に制御︹コントロール︺

多数の権力保持者への国家機能の分配に︑顕在的には︑憲法典に基本権の目録を採り入れたことにあらわれていた﹂

と述べ︑片や一九世紀後半のドイツ・ビスマルク憲法とフランス第三共和制憲法は︑﹁合理主義的オプティミズム

(1 4

r a t i o n a l e s   Op

ti mi sm us

﹂を反映した︑﹁統治過程の力学だけを内容とする﹂﹁実利的憲法﹂である︑と分析していて興

味深い︒さらに彼は︑﹁六︑現代専制主義による憲法の悪用

P e r v e r t i e r u n

g において︑﹁成文憲法は︑次第に︑権威

(1 5

主義的全体主義の政治体制を偽装するテクニックとして意識的に使用されるようになっている

﹂とし︑中東を含むァ

ジア諸国や南米諸国さらには共産主義諸国の憲法に対する疑念を相応に提起している︒

それらの叙述を踏まえた上で︑ 的な権力保持者から保護することであったから︑ その後者の記述において よ

び 続けてレーヴェンシュタインは︑

七 ﹃存在論的

o n t o l o g i s c h e

分類﹂において︑

(1 3

では︑制憲および改憲手続の特異性に論究している︒

﹁五︑憲法の分類について﹂において︑成文

g e s c h r i e b e n e

憲法と不文

un ge

は︑絶対権力の制限と︑権力名宛人を不当な恣意

一八冊紀末から一九世紀初頭にかけての憲法は︑すぺて︑必然的に︑

レーヴェンシュタインは︑﹁七︑憲法の

﹁規

範的

no rm at iv

e 憲法﹂と﹁名目論的

n o m i n a l i s t i s c h e 憲法﹂と

﹁意

味論

se ma nt is ch

e 憲法﹂という独特の三分

類を提示し︑その最後の分類について︑﹁超民主主義的な型の会議制の装いをつけた意味論的憲法は︑

︵ 三

一九 ︶

しあう

ソヴエト圏内

(9)

本は 第五九巻――•四号

では︑ごくありふれたものとなっている﹂とし︑﹁権力の回路はまだまだイデオロギー的に閉鎖されたままに残され

の自由化傾向

Li b e r a l i s i e r u n g   d e r   R e

gi er un gs ko n  t r o l l e

と最小限度

(1 6

の法治国家性の創出とが︑意味論的憲法の除去を促進しそうな徴候がある﹂︑と指摘していてこれまた典味深いとこ

ろで

ある

ついでレーヴェンシュタインは︑﹁八︑立憲民主主義における成文憲法の価値低下

En tw er tu ng

にお

て︑

﹁二

0世紀中莱において︑立憲民主主義は危機に直面している︒十分に統合された憲法秩序をもつ国々において

(1 7

さえ︑成文憲法は︑その機能的評価が大幅に下落し︑著しく威信を喪失している﹂と述べ︑

リア︑さらには日本の憲法に関する分析に入っている︒まず︑﹁憲法の適用における意識的怠慢行為

be wu ss te Fe hl

  , 

l e i s t u n g

は︑重要な憲法の規定が︑故意にかつ首尾一貫して適用されないか︑あるいは現実化されない場合に問題と

なる

﹂とし︑﹁権力の座についている政府が︑ある憲法規定の適用を自分たちの特殊利益に反すると確信している場

合︑立法議会を統制︹コントロール︺している諸政党の勢力状況が︑当該規定の適用を遠ざけている場合︑ある利益

集団の社会的・経済的圧力がその規定の活用に反対して働く場合︑さらに対外政策的な理由がある場合︑などがそれ

(1 8

である

﹂と一般論を展開している︒

具体的に日本の状況に関して︑レーヴェンシュタインは︑﹁一九四六年の日本国憲法は︑

令によって制定されたために﹃マッカーサー憲法

Mc Ar th ur

V er fa ss un

g﹄と呼ばれているが︑日本は︑

﹃自

衛隊

n a t i o n a l e V e r t e i

d i g u n g s s t r e i t k r a f t e

という語用主義的︵セマンティックとルビ︶

いて意味論的と訳された形容詞である︺なレッテルのもとに軍事力を再建している︒この問題をめぐる論争は︑憲法 の他の戦力は︑これを保持しない﹄と厳粛に規定している︵第九条第二

項︶

︒し

かし

るであろうけれども︑政府統制︹コントロール︺ 関法

︹これは前段落にお アメリカの圧力のもとに︑日

0 )

フランスやドイツやイタ

アメリカ占領軍の絶対命

﹃陸

海空

軍そ

(10)

K

・レ

ーヴ

ェン

シュ

タイ

ンに

おけ

る﹁

コン

トロ

ール

﹂概

がなく利己的な政党︑裁判所や裁判官︑これらすぺてとともに憲法自体をすら︑大衆は信頼して﹂

おら

ず︑

﹁他

方︑

憲法が声を大にして宣伝するイデオロギー的要求と権力名宛人大衆の満たされない日常生活との不調和は︑大衆のあ

sc he   A l l h e i l m i t t e l n

にすがろうとする衝動を強めつつある︒かくして︑成文憲法の危機は︑現代の立憲民主主義国家

(2 1

の危機を如実に反映しているのである﹂

と ︑

二重の﹁危機﹂を指摘している︒続けて彼は︑﹁読者は︑これまでの分

析を悲観的にすぎると思われるかも知れない

︒しかし︑この場合二つの事柄を念頭においていただきたい﹂とし︑

﹁ 第

一に︑政治権力制御︹コントロール︺

たその制限を絶対的に保証するものではなく︑専制主義の復活に対する防護物ではないということであ﹂

り︑

﹁第

いだに︑辛苦をいやす能力のない憲法秩序の ﹁いたるところにおいて︑ 改正による解決をみないままに︑何年間も活発におこなわれてきている︒

するための憲法改正の発議に必要な多数は︑両院に欠けていた︒その後も︑参議院においては依然として欠けている︒

なされたことといえば︑憲法調査会

St ud ie nk om mi ss io n

の設立だけである﹂と︑

の﹁憲法に対する不服従行為

Ni ch tb ef ol gu ng sh an dl un

﹂もとも︑彼は一gを指摘していて典味深い九っ︒

六 一

年に来

日した際︑京都大学法学部において比較憲法の講義を行い︑その中で憲法九条二項を改正して国防軍を国会の統制委

員会の下に設置することを具体的に示唆したようであり︑同志社大学の田畑忍教授によって︑英文書簡を通じてそれ

(2 0

への疑念ないし批判が提起されている︒

これら諸国における憲法現実の観察から︑

レーヴェンシュタインは﹁心痛すべき二つの結論﹂が引き出されるとし︑

一般大衆は︑制度上の権力保持者から疎外されている︒政府︑不遜な官僚制︑議会︑

﹃自

F r e i h e i t

口さ から逃れて︑誘惑者の終末論的万能薬

e s c h a t o l o g

i

の第

一次的手段としての成文憲法は︑もはや権力の分割を︑したがっ

てま

︵三

ニ︱

) 一

九五八年段階における日本政府

一九五六年の選挙までは︑この規定を除去

(11)

水平的コントロールとしての機関内コントロール

号︶いわゆる憲法改正国民投票法の成立 自

体が

第五九巻――•四号

︵ 三 二 二

に︑まだ立憲民主主義を守っている国々においてさえ︑ほとんど例外なく︑多数の国民大衆がかれらの憲法から︑

はっきりと疎遠になってしまっているということである﹂とし︑﹁立憲民主主義社会が生き残るべきだとすれば︑決

(2 2

)  

定的に重要なのは︑権力名宛人の憲法意識V

e r f   a s s u n g s e   b wu Bt se in

の復活であると思われる﹂︑と結んでいる︒

筆者は︑この五0年前のレーヴェンシュタインの指摘に︑今改めて強い共感を覚えている︒すなわち︑日本国憲法

( 2 3 )  

︱二条において︑人権享有に関する﹁国民の不断の努力﹂と﹁公共の福祉﹂のための人権﹁利用﹂﹁責任﹂

を規定し︑また九七条において︑﹁この憲法が日本国民に保障する基本的人権﹂を︑﹁現在及び将来の国民﹂に﹁信託

されたものである﹂と性格づけていることからしても︑さらに締め括り規定としての九九条が︑すべての﹁公務員﹂

に﹁この憲法を尊重し擁護する義務﹂を課していることからしても︑上で分析された日本政府の﹁憲法不服従﹂状況

が依然として存在するなか︑二

0

0八日法律五七年の﹁日本国憲法の改正手続に関する法律﹂︵平成一九年五月一一

︵ 二

010年五月施行予定︶を受けた今こそ︑主権者国民の﹁憲法意識﹂す

なわち日本国憲法の実現に向けて﹁公務員﹂に対する﹁責任追及﹂意識を︑醸成し直すことが急務であると筆者は考

えるのである︒憲法改正国民投票制それ自体も︑広い意味においては選挙民有権者団による固会の改正発議に対する

責任追及制︑すなわちその無効を引き出し得る制度として︑把握され直されるぺきものと筆者は考えている︒

第六章の表題は︑水平的コントロールの第

一類型として︑ 関法

まさに﹁機関内コントロール

I n t r a Or ga n 

│ 

K o n t r o l l

e n ﹂と打ち出されており︑﹁権力は︑分割され協働的に行使されるときには︑同時に︑制限され

b e g r e n z t

制 10 

(12)

K

・レーヴェンシュタインにおける﹁コントロール﹂概念

御︹コントロール︺されるのである︒本章では︑数個の権力保持者が割当てられた機能を行使するにさいして︑かれ

らに制約を課し

b e g r e n z t

︑また相互に制御︹コントロール︺させる︑憲法上の制度的および手続的諸技術を研究す

(2 4

)  

ることにすると︑レーヴェンシュタインは章まえがきで述べている︒その

トロール

I n t e r o r g a n

K

n o t r o l l e n

(I

n t e r o r g a n K o n t r o l l e )  

﹃機

関間

と呼ぶことにする

コントロールの概念は︑個々の州内部(

i n t r a , s

t a t e )  

を補完しまたこれと対照をなす範疇が予想されよう︒権力過程の垂直的構成がそれである︒これは︑機関内

の冒頭で︑彼は﹁構造論的観点からいえば︑制御︹コントロール︺

種類ある︒制御︹コントロール︺装罹

E i n r i c h t u n g e

n が︑個々の権力組織の内部で

i n n e r h a l

b 働く場合がその︱

あるこれを︑ここでは機関内コントロール

( l n t r a

O r g a n

K o n t r o l l e )

という

これに対して︑国務

S t a a t s b e t r i e b

zw is ch en

( 2 5 )  

傍点レーヴェンシュタインニ原書イタリ

し連邦の管轄権とを区別する周知のアメリカの憲法用語にならったものである機関内コントロールと機関間コント

ロールとは一体として水平的コントロールの範疇を構成する水平的コントロールといえば︑論理的にいって︑これ

一方︑国務の遂

行を義務づけられた憲法上の権力保持者の全体と︑他方︑その他の国家社会の社会・政治的諸カーー'これには地域

的・多元的・集団的・個人的な形成原理

G e s t a l t u n g s p r i n z i p i e n いだにおこなわれる制御作用︹コントロール︺をさすものである垂直的コントロールに関しては︑第一0│

︱二

( 2 6 )  

で詳しく説明する﹂と述べている︒

レーヴェンシュタインは︑まず水平的コントロールについて︑﹁われわれが︑今日の国家組織の政治的構造を思い ントロールと

︵三 二三

の管轄権と州相互間

( i n t e r s t a t e )

の技術には 一︑機関内コントロールと機関間コン

(13)

述は︑日本国憲法が採用する権力分立機構の解釈論にとって極めて有用であり︑

も︑違憲審査制も︑

制度も︑合議制枠組みにおける多数少数関係の変動可能性を担保するものとして位置づけ直されるべきであると筆者

は考えており︑そのような観点から︑日本国憲法の権力分立制を権カコントロール機構として把握し直すべきことを

︵ 傍

田 ︶

いわゆる国民代表制も︑議院内閣制

いずれもコントロール制度として把握され直されるべきであり︑その中の選挙制も両院制も解散 機関内コントロールの概念は説明が必要であ

し か し

︑ た と え ば

︑ 賢 気 こ れ は 他 の 国 家 機 関 に と

っては単一

の 権 力 保 持 者 で あ る か 奇 院

zw ei

Kam 

me

rが︑ある法案を成立

させるために協働しなければならない場合や︑政府︹内閣︺これも議会と同様に他の

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

権力保持者にとっては単一の権力保持者である│̲iの首相が︑政策決定をおこなうにあたって︑閣議で閣僚の同意を︑︑︑︑︑︑︑︑︑得なければならない場合には︑

( 2 7 )  

う﹂と︑述べるのである︒ここでの大枠的な記述︑すなわち水平的コントロールの基本枠組に関する記 機関内コントロールが存在するのだといえば︑この概念の埋解は容易になるであろ ろう ︒ このように機関間コントロールの概念がはっきりしているのに対して︑ そのわかりやすい例である ︒ しあうことを︑機関間コントロールの範疇は表現している︒アメリカの大統領が議会の法律案に対して拒否権を行使

する場合︑イギリスの首相が下院を解散する場合︑総選挙によって選挙民が新しい多数党を選ぶとともに新しい政府︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑を権力の座につける場合︑また裁判所がある法律を違憲であると判決する場合などは︑ 第五九巻•四

︵ 三 二

うかべれば、機関間コントロールの概念は容易に理解できるであろう その権力過程は、選挙民Wahlerschaft•Parlament・政府Regierung•

裁判所

G e r i c h t e

というひとしくそれに参

する四個の権力保持者の協働

Nu

sa m  ,  m e n s p i e l

と抗争

G e g e n s p i e l

によって成立している︒

選挙民は他の権力保持者全体を

当化する要因であるが︑議

会・政府・裁判所は原理的に同位である︒これら四個の権力保持者が相互に権力過程の枠内で制御︹コントロール︺ 関法

(14)

K・レーヴェンシュタインにおける﹁コントロール﹂概念

( 2 8 )  

学会報告したことがある︒筆者自身の個別的な解釈論的再構成の試みについては︑以下のレーヴェンシュタインの論

述のそれぞれの該当箇所において︑若干ながら論及してみることとしたい

レーヴェンシュタインは︑﹁機関内コントロールの方から論述を展開しているが︑政府・議会・裁判所という

機関の内部の分析に先立って次のような注目すぺき叙述を見せている︒すなわち︑﹁﹃機関内コントロール

の概念を

理解するためには︑政治過程における機能が多数の構成員をもつ制度によって遂行される︑という事実を認識してお

くことが大切である︒

その場合︑機能の遂行は︑憲法によって︑多数の個人に義務づけられ︑分割され︑共同で果た されるものとされる︒したがって︑機関内コントロールは多数の成員からなる集団的に組織された権力保持者

1

会︑内閣

K a b i n e t t

︑上訴裁判所

p A p e l l a t i o n s g e r i c h t

憲法上︑ある国家

機能が一個人に与えられ︑かれが機能行使の一元的な独占権を握っている場合には︑その本質からして機関内コント

ロールについては語りえないことになる以下︑まず機関内コントロールをとりあげ︑さらに次章以下で機関間コン

トロールを論ずることとしよう

機関内コントロールは︑立法的︑行政的︑および司法的権力保持者の各場面につい

(2 9

て問題とされる﹂と述べるのである︒ここでの彼の指摘を重要であると筆者が考えるのは︑彼が立法権︑行政権︑司

法権のいずれをも︑独任制機関よりも合議制機関に委ねる方が潜在的に立憲主義的意義を有するとみているという点

だけでなく︑それぞれの機関意思の発動が機関内部の多数派構成員意思の発動であるということ︑および多数派に対 して少数派が常に存在し多数少数関係が変動しうるものであることを再認識させる意味をもつ︑と思われるからであ

まず︑﹁二︑政府における機関内コントロールでは︑﹁政治権力が単一の権力保持者の手に一枚岩的に

mo no

︵ 三 二 五 ︶

(15)

しての内閣にも︑個々の閣僚にも負わしめてはならない 第五九巻三•四号

の指導的地位ははるかに弱かっ

lithisch~

未中される専制主義国家では︑機関内コントロールは存在しえないし︑現実に存在してもいない﹂として︑

エジプトのファラオやローマ皇帝やヨーロッパの絶対君主︑さらにはビトラーやスターリンをも引き合いに出し︑彼

﹁個人的政策決定は︑なんらの機関内コントロールをも受けなかった﹂し︑﹁事実上︑また法的にも︑専制主義

においては︑独任制機関としての最高権力保持者は全能であって︑内からであれ外からであれ︑全くなんらのコント

( 3 0 )  

ロールも受けないのである﹂とする︒それに対して︑﹁立憲主義の政治体系では︑執行部の機関内コントロールは︑

一般的現象である﹂とした上で︑まずレーヴェンシュタインは︑﹁国王︵または大統領︶

と政府︵または内閣︶

元主義

Du al is m u

﹂に論及し︑﹁今日ではもはや︑両者が政治責任s

p o l i t i s c h e Ve ra nt wo rt un

と政治権力を現実にわg

かちもつというようなことはなくなっている﹂が︑﹁経験を積んだ君主や大統領が政府に及ぼす道徳的な影響力は︑

しばしば︑法的にはそうではないにしても︑事実上機関内コントロールと同じくらいに強い説得力を発揮することが

( 3 1 )  

ありうる﹂と述ぺ︑﹁責任﹂と﹁コントロール﹂の結合を示唆してもいる︒ついで︑

いて︑大統領を政府から解放しており︑﹁大統領にいかなるコントロールにも服さない立憲主義的独裁者としての地

( 3 2 )  

位を与えている﹂として︑﹁非常に問題がある﹂と指摘していて典味深い︒

イギリスについては︑﹁一般的にいって︑内閣の連帯責任

K o l l e k t i v v e r a n t w o r t l i c h k e i t は︑議会主義理論における

擬制︵フィクションとルビ︶になりさがってしまった﹂とし︑ドイツについても︑﹁ボン基本法は議会に対する責任

p a r l a m e n t a r i s c h e e   V r a n t w o r t l i c h k e i t

をはっきり宰相

Ka nz le r

一人に集中させてしまっている︒この責任は︑全体と

ランス第三•第四共和制の閣僚評議会議長der

P r a s i d e n t   d es   Mi n i s t e r r a t s  

首 相

らの

関法

︵第六七ー六八条︶﹂と指摘し︑それとの対比において︑﹁フ 一九五八年のドゴール憲法につ 一

︵ 三 二 六

(16)

K

・レ

ヴー

ェン

シ ュ

タ イ

ンに

けお

る﹁

コン

トロ

ール

﹂概

であるといわなければならない︒

第四七条第四項︶

一五 た﹂とし︑﹁かれの統治行為

R e g i e r u n g s a k t e

には所轄大臣の副署が必要であるという憲法の規定(‑九四六年憲法

は︑かれが連立内閣の指導者であるという事実に着目すれば︑有効な機関内コントロールをなすも のである

︒内閣が政権に参与している政党の代表者から成

している以上︑すべての重要な政策決定には各政党の同

( 3 3 )  

意が不可欠である﹂︑と分析を加えている

同じくフランスの一九五八年憲法については︑﹁条文︵第ニ

一条︶

によれ

の真の指導者であって︑政策決定の権限はかれに帰属する︒所轄大臣の副署は必要であるが

︵第

二条︶︑それは真の機関内コントロールというよりむしろ形式的な規定になっている︑と解してよい

その

場合

大臣は︑第二三

条の兼職禁止規定によって議員であってはならず︑したがっていかなる政党の拘束からも自由である

(3 4 )

 

ということが本質的に重要である﹂と述べられている

いうまでもなく日本国憲法上の内閣は︑六六条

三項

によ

って

﹁行政権の行使について︑国会に対し連帯して責任

V e r a n t w o t r u n g , V e r a n t w o r t l i c h k e i t

を負ふ﹂

と明記されており︑

七三

条所定の内閣の職権を行使する際には当然に全閣僚の合議︵閣議︶

による意思決定が要請され︑衆議院の解散と

いう国事行為の助言

と承認についても︑

条によって合識体としての﹁内閣が︑その責任を負ふ

のである

︒衆議院

解散権を﹁首相の権限︑伝家の宝刀﹂

ととらえる近時の政治的実践さらには報道上の解釈論調は︑明らかに憲法逸脱 ついでレーヴェンシュタインは︑﹁

三︑議会における機関内コントロール﹂

において︑﹁フェアザンムルング

eV r s a r n r n u l u n

あるいはパルラメントg

P a r l a r n e n t

︹訳注ぐともに議会と訳す

︒区別の必要なときはルビをつける︒

︺は

通常﹃立法権の保持者﹄とされている︒

もっ

とも

ば︑首相は政府︹内閣︺

パルラメントの場合には︑これに加えて政策コントロールという 同様に重要な機能をも遂行する︒立法権力保持者の機関内コントロールには三つの種類がある︒第

一に︑議会︵フェ

︵ 三 二 七 ︶

(17)

を︑ここでは ら アザンムルングとルビ︶

の 職 能 を 果 し う る よ う 組 織 さ れ 運 営 さ れ な け れ ば な ら な い

これ

を︑

Un ab ha ng ig ke it

︵ 三 二 八 ︶

は︑他の権力保持者や憲法外的な力による外部からの圧力や干渉を受けることなく︑みずか

の要請と呼ぶことにする︒第二に︑議会の議事規則

Ge sc ha ft so rd nu ng

は︑多数派の暴圧的な支配

から少数派を保護するものでなければならない︒権力は両者のあいだに適当に配分されていなければならない︒

これ

﹃機能的自治

f u n k t i o n e l l e Au to no mi e

と呼ぶ︒第三

︑ 最 も 重 要 な 機 関 内 コ ン ト ロ ー ル と し て

︑このような立法機能そのものが︑互いに制御︹コントロール︺し抑制しあう二つの別個の分肢にわかたれる︒

( 3 5 )  

これが二院制N

we ik am me rs ys te mにほかならない﹂と︑全体的な記述を行っているこの﹁機能的自治は︑議会の︒ 内部的自已支配

S e l b s t r e g i e r u n

g の原則に明瞭にあらわれている︒⁝⁝この原則とその実現のために必要なテクニッ

クは︑通常︑議会の議事規則に規定されることとなっている 議会は︑⁝⁝議事の運営を︑政府や選挙民をふくめた 他の権力者によるいかなる干渉からも守る権利をもたなければならない︒

こ こ で

︑ 権 力 分 割 の 原 則 が 多 数 派 と 少 数 派 の あ い だ

︑ あ る い は さ ま ざ ま な 諸 政 党 の あ い だ に 働 く

︒機関間コントロールや権力分割のための種々の制度

(3 6

が︑議会過程へのあらゆる院内集団や各個の議員の平等な参与を︑慣習的に保障するのであるとされる︑また︑少

数派野党に対する討論時間配分等における保護と並んで︑﹁類似の機関内コントロールは︑すぺての立憲民主主義国

家で︑議会における討論

De ba tt e そのものに関しても存在する

イギリスの場合︑討論終結

(c

l o s u

r e )は政府の ︑

最強の武器である︒⁝⁝しかし︑ここでも相互の合意によって︑少数派はその立場を貫徹する機会を十分に与えられ

(3 7

ていると指摘されてもいる︒

﹁機関内コントロールは︑それが強ければ強いほどよいとは限らない﹂が︑﹁国家の統治の型は︑その国の議会が 関法第五九巻――•四

ここでは︑﹃

機 能 的 独 立 f u n k t i o n e l l e

参照

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