北 陸 大学 紀要 第
14
号 (1990
) pp.
3
ユ1〜324
1
ク
.
ラ ウ
ス
・ マン の
亡
命
者
の .
物 語
:『火 山 』
に
つい
て
庇
護
な
き世
界
に
お け
る
自
己
堅 持
林
敬
*Uber
Klaus
Manns
<
Der
Vulkan
.
Rotpan
unter』
Emigranten
>
一一
Die
Selbstbewahrung
zurOpposition
in
der
Welt
ohne
Schutz
一
Kei
Hayashi
Received
November
ヱ ,
1990
は じ めにク ラ ウス ・ マ ンの 『火 山 』は, その副題 も示 すとお り
文
字 どお り亡 命 者の物 語で ある。
改め1 て
言
う までも
な く, ナ チス によ る迫
害
の難
を 逃れて国 外に脱 出した入た ちに よっ て書かれた作 品 群の一
っ で ある1)。 作 者 自身亡命 者で あり,
こ の作 品は亡
命 者たちの貴 重な記 録と評 価され て い るz) 。一
般に亡命作家
た ちは否
応t4
く政治
を強制,
され ざるをえ な かっtg
。従
っ て,
亡命文
・
学
は作
家の そ れ ぞれ
の立 場にか か わ らず一
定
の政
治 的,
社 会 的 意 味を帯ざ る を え な かっ た。 そ の こと か ら,
文 学 的 立 場のみ な らず, 現 実の政 治的
, 党 派的
立 場 か ら も, 作 品に対 する さ まざ ま な解 釈,評価
がなされ た。 現代
におい て作
品を読 む場合
も 当 然これらの事情
を看 過 する こ と はで きない。 言い換え ると,
亡 命 文 学を理 解 する場 合, 文 学 史 的 視 点の み な らず, 政 治 的,
社 会 的 視 点,
とり わ け ζの時代
にあっ て は,
作 家 個 人の 事情
に対
する視点,時代
と作家
の交錯
に、
対
す る視
点が十
分 考 慮さ れ ね ば な ら ない。 『火 山』の場 合 も主 と して この ような視 点か ら論 考されて い る 3) 。 もと もとク ラ ウ ス・
マ ン の場合
はロ マ ン もエ ッ セ イ も自
伝的作
品であ っ た。 彼の関心 は現 実に切 実な事 柄を書 くこ とで あっ た。 その意 味で 自伝 的なもの と社 会 的な もの が結びっ いて い た 4) 。 そ して , 彼の 生 きた時
代
は激 動の時代
で あ る。彼
は その激動
の中
で,時代
に立ち向
かっ た。 また,
ドイッ を代表
する作家
の 息 子と して,
早 くか ら文
学的世界
の影響
の下に育 っ た。 従っ て,彼
の作 品にお い て は 上 記の要 素が切り
離しが た く結 合して い る。『火 山 』が出 版されたのは
1939
年の夏であっ た が1’
ク ラ ウス ・ マ ン の回 顧 による と, そ の後
数
週間
して始
まっ た戦 争の ため に彼
の声
は消
し
飛ん で し まっ た とい うこ とであ る 5) 。 と はい え, 当時
の 亡命雑誌
にすで に い くっ かの批
評が載
っ た。 その うちの一
っ は, こ の作晶
の ロ マ ン と し ての 完成度
を問
題に して「
事実報告
」と評
してい る6) 。 し か し,作
品の中
で描
写さ れて い る各 *教 養 部NII-Electronic Library Service
2
林 敬 エ ピソー
ドは, それぞ れに関 連し あ?たテー
マ を もっ て おり, 全 体と して一
つ のテー
マ 構 造を.
もっ て い る7)。 本 稿では,
こ の作 品の小 説と して の テー
マ構
造の 認 識の 下に,
文 学 史 的,
亡命
史 的 視 点, 自伝
的視点
か ら,作品
の示
して い る一
つ の自
己認識
を中
心 に考察
する もの と す る 。(
後年
の 評 価で はこ の作品
の通 俗 小 説 的 側 面の指 摘が
み られるが, ある作品
が 通俗
的である か ど うか という問
題は複雑
な問
題で ある。 し か し;本稿
で はこ の テー
マ には触
れない 。)
1
) 「亡 命 文 学」 とい う概 念にっ いて は,M .
Wegner
:Exil
undLitera
しur.
(S,
18− 19
) など多数言及さ れ てい る。 要する に
,
亡命は ナ チスの時代だ けで は な い し,
その時 代に限定して も,
厳 密な定 義は 簡 単で はない。
亡命し た作家たちは1933
年 以 前から作 品を書いて お り,
そ れ ら も禁書の対 象に な っ てい る場 合もあ る。 ま た
,1933
年 当 時執筆 中の作品が国 外で書 き継がれた場 合,
亡命で きずに収 容 所で 落 命 した作家の場 合,
国外で英 語で出版 さ れ た場 合な どが ある。 しか し,
通常の亡命文学の ドキュ メン トと して
1
は193
輝 から1945
年 まで の著 作が集め られて い る。
本 論で 「亡 命 文 学 」 とい うときは,
1933
年から1945年までに書か れ た,
ド イツ語のテクス ト の意味であ
る。2
)A .
M .
Frey
:Klaus
Mann
:Der
Vulkan .
S.
408
及 びM .
Wegner
:Exil
undLiteratur,
S .
187
参照。3
) 例え ば,
M・
ヴェ グ ナー
は亡 命 史を考 慮し な がらテ クス ト に即 して解 釈 し,
G ・
ベ ル ク.
ル ン トは 現 実の政 治 史に よっ て物 語 を 検 証
,
批 評 して い る。 L・
ヴィ ン ク ラー
は唯 美 主 義 か らの離 脱 と して ク ラ ウ ス・
マ ン の時代 「参加 」を説 明している。4
)M
.
G −Dellin
:Klaus
MannsExilrorhane,
工n :Die
deutsche Exilliteratur.
S .
457
及 び L.
Winckler
:Asthetizismus
und Engagement in den Exilromanen Klaus Manns.
In :. Schreiben
im
Exil.
S ,
205
参 照。 .
5
)Klaus
Mann
:Wendepunkt
.
6
)A .
M
:Frey .
:ibid,
SL407
7) Th・
マ ン はマ リ’
オンを 中 心とした テー
マ の構 造 を読み取っ てい る。.
(1939
年7
月22
日付けのク ラ ウス・
マ ン宛の書 簡) 亡命 文
学
の展 開
確 認のた め に
一
応 敷 桁 すると,1933
年2
月27
日夜の国 会 議 事 堂 放 火 事 件 以 後,
作 家・
知 識 人 たちの大
量出国
が始
ま る。即
日(
28
日)
公 布・
発行
された共 産 主義者弾
圧φ
ための大統
領緊
急 令,3 月21
日の,
反 対 派の弾
圧 が 無制
限に可能
に な る大統領
緊急令な ど によ っ て ,大
量 逮捕
炉
現実
の もの になり, コ ミュ ニ ス トや社会
主義者
ばか りで な く , す べ てのナ チス に批判
的な作家 ・
知識
入た ちの身にも
危 険が迫っ て き たの であ る1)。 クラ ウス・
マ ン は,
3
月13
日の出
国で あ っ た。作家 ・知
識 人の亡 命の波は1933
年秋頃
まで に終
わ っ た が2),
彼 らは 亡命先
の各
地で従来
の雑
誌を亡 命 雑 誌 として継
続
発 行 した り (『新 日記 』Das
neueTagebuch
, 『新 世 界 舞 台 』「
Die
neueWeltbUhne
,
『労働
者イラ ス ト新
聞 』AIZ
)
,新
た}こ創
刊して反ナチ ス運動
の 重要
な表
現手段
と.
し た (「文 集 』
Die
SammlUng
, 「新 ドイッ雑 誌 』Neue
Deutsche
Bl
議tter
)
5
これ らの雑
誌に拠ったグル
ー
プは文学
的視
点よりも政治
的視点
に応 じ て結成
さ れ た3)。
従
っ て ,武器
と して の文学
312
クラ ウ ス
・
マ ンの亡命者の物 語 :『火 山 』にっ いて3
を掲 げて文学
の政 治化
を要 求 するコ ミュ ニ ス ト派
か ら , 政 治と文学
を区
別し,作
品は間接
的に 政 治 的 性格
を もっ ことに留
め よ うとする リベ ラル派まで ,闘
い の形
態は多
様であっ たが, 亡命
文 学の共 通の精 神 的基 盤は反フ ァ シ ズ ム の闘い であ り,
亡命 雑 誌は作 家た ち.
の孤 立を防 ぐ連 帯 の手段
で あっ た。 クラ ウス・
マ ンは,政
党 人に比較
して作家た
ちの団結
の強
さ を指摘
し,
ドイ ツの作家
た ちの 二重の機能
と して,第
三帝国
の真
の性格
を世界
に向
か っ て,
と り わ け近隣諸国
に向か っ て啓 蒙し , 警 告 しな が ら,同時
に国内
の抵抗派
を鼓 舞 すること(
政治
的機能)
, お よ び 「も う一
っ の,
良き ドイッ」
の言 語 文 化の伝 統を海 外で発 展させ ること (文 化 的 機 能 )をあ げ て い る,) 。 これ は亡 命文学者
の公約数
的 態度
で あっ た。」
反フ ァ シズ ム亡命 文 学の具 体 的 作 品は,
強
制収
容 所とユ ダヤ入
迫害な ど をテー
マ と して啓 蒙 的 意 味 を もっ ドキュ メン タ リー
風なもの , 小 説で は ドイッ の現代
の運 命を テー
マ とする もの,.
非合法
ない し は抵抗
運動
をテー
マ とするもの な ど が あ る。 これ ら は国外
に対
すると同様,
ド イ ツ国 内の潜在
的 反体
制 派やナ チス イ デ オ ロ ギー
を見 誤っ て い る人たちに も向け られた。 しか し,・
1935
年
1
月
の ザー
ル地方
の帰属
を決
定 する住 民 投票
で圧倒
的多数 (
PO
.
8
%)
によ りドイッ編入
が決 定 し た後,亡 命 作 家たちは反フ ァ シ ズム運動による早 期 帰 国の現 実 性へ の希 望と,
ドイッ へ直接働
きか け る中継
地 を失
っ た。 こめ
年の8
月に は,
『文集
』 とr
新 ド イ ツ雑
誌 』が早 く も 廃 刊に追い込ま れ た。一
方,1935
年か ら は運 動の統一
へ の模索
も活発 に な っ て い る。 文 化 養 護の ため の作家会
議 開、
催,
ド イ ッ人民 戦綿
設立へ の努 力,雑
誌 『言葉
』(
Das
Wort
.
1936
)
, 『尺度
と価 値
』(
MaB
undWert
.
1937
)
の創 刊な どであ る。 し か し,
1936
年か らの ソ連に お け る粛
正 の 影 響な ど も あ り, ドイツ解 放の ための反ナチス勢 力の結 集は結 局破
綻した。 それにつ れて, 亡 命作
品 も摩
史
小 説の よ う な内省
的な もの に傾
い て い っ た。次第
に ドイッ国内
の現実
か ら離
れ,
そこ で の問
題陸
に も疎
くな る と, 特に非マ ル クス主義
的作家
たちの間で
, 過 去の歴史
の中
に
自
己正当化
の 原 理 を見 出 だそ うとする動機
が 生 じてきたの で ある。 ま た, 第三帝 国の前 史を描 きな が ら, ナ チス の権力獲得
にい た る道筋
の中
で自
己確 認の作業
が な さ れ た。 同時
に ,作品
の創作
にお い て ば か りで な く, 歴 史 小 説 論 争や表
現 主義論
争(
リ ア リ ズム論 争 )にみ られる よ うに,現実
の闘
争のた め め有 効 性や文 学 的 態 度 ある いは文 学の社 会 的 態 度を め ぐっ て の活 発な論 争 も展
開され た。こ の よ う な 過
去
を手
が か りとする自
己省
察や歴史
主体
の確
認作業
と並んで, 亡命
その もの を テー
マ と す る作 品も あ ら わ れて き た。 ザー
ル州の帰 属 決 定の住 民 投 票 後 及びス ペ イ ン市
民戦
争 の敗北後
の自殺
の増
加は反フ ァ シ ズム運動
の挫折
と結
びつ けて考え ら れ た。 こ の よ う な政
治情
勢や その他の亡 命 生 活の さ ま ざ まな困 難か ら, ドキ ュ メ ン ト兼 ある種の鎮 魂 歌と して, ま た精
神的態勢
の立
て直
しの模
索と して作
品が書
か れ た。1938
年
のオー
ス ト ラ リア併合
やチ ェ ッ コ ・ ズ デー
テン地方
ID
割
譲後,作家
た ちは第
二次
亡 命 を余儀
な くされ,
逃 亡者
とな
っ て ヨ T ロ ッ パ を離
れて い っ た が,
1935
年 以 後 こ の時点
まで に,
亡命生
活は決 して一
時 的なも
の で な く, あ る程度
永続
的 な ものと して自覚
されたのである。 ク ラス ウ・
マ ン 『火 山』.
(
1939
)
は,
・
L ・
フ ォ イ ヒ トヴァ ンガー
の 『亡命 』(
1939
)
やB
・
ブ レ ヒトの 「亡命者
の対話
』(
1940
/
41
)
と並んで, 亡命の現 実の問 題 性をテー
マ と し た作 品の代 表的
なもの に数え られ る。第二次 世
界
大戦開戦
以後
は1939
年に 『言 葉 』と 『新 世 界舞台
』 が,1940
年に は 『新日記 』 と 『尺度
と価値』
が廃刊
さ れ, 亡命
誌 を拠 点 とする作
家 た ちの反フ ァ シ ズム 運 動は ほ ぼ力 を失
っNII-Electronic Library Service
4
林 敬た。 文 学
作品
ではS
・
ツヴァイ クの自伝
的回顧 ,
「昨
日の世 界 』(
1944
)
や,
Th
・
・
マ ン 『フ ァ ウス トゥ ス博 士 』 (
1943
/47
)のように,一
つ の時 代の終わ り、
を
予 感 す る総 決 算 的な作 品が多
く書か れる ようになっ た。
1) 『ドイツ文学の社会史」(
Sozialgeschichte
der
deutschen
Literatur.
ユ981
)で は2
月27
日 に続 く数日聞の逮捕者
ζ
して15
名,3
月末まで の出国者と して59
名の作家の名を
あげて い る。一
方,
M
・
ヴェ グナー
に よると,
国 内にあっ て は 「ド イ ヅ純 血 保 護 法 (1933.
9
)」、
「帝 国文 化 委員会 法 (1933.
9
)」さらに,
担 当の諸 官 庁の設 置により,
イ デ オロ ギー
統制が厳 格に な り,
自由な作 家活 動は不 可能に な っ た。 (
M ,Wegner
;ibid,
S.
34
)2
) 付言する と,
ユ ダヤ、
人の 出国は1938
年11月9
日の 「水 晶の夜」 以後急増した。3
) 『ドイツ文学の社会史』で は無
政府主 義 者,無 党 派社会主義者,,
」 ミュ
= ス ト, 社会 民 主主義 者,市 民的リベ ラ リス ト
,
左 翼 リベ ラ リス ト,
急 進 的 民 主 主 義 者,
市 民 派 個 人 主 義 者とい う分 類。
4
).
Klaus
Mann
:Der
Wendepunkt ,
S .
335
クラウス
・
マ ン の亡 命
と作
品ク ラ
・
ウス・
マ ツ は19331
年
3
月・
13
日 に ドイッ を逃れ た。 彼は後
年その理 由を二 っ あ げて い る。 「忌 まわしい臭 気 」に堪
え難
か ・ たこζ
=
ナチ3
の 粗 暴を容 認で き な か っ た こ』
と と・ ドイ
ツ で は 「無 意 味な殉 教者
」 とな る か 「日和
見生
義の裏 切り者
」になるかの 二者
択一
しか ない とい う 認識,
つ まり反
フ ァ シズ ム の戦 術 的な面の理由
で あ る’)。 恐 怖にっ い て は あ ま り問 題に し てい ない。1933
年9
月、
にはア ム ス テ ルダム で亡 命 雑 誌 『集 合』を創 刊 した。 創 刊の辞では ナ チス の 暴 力に対 峙 して , 「精神
へ の意 志」 を結
集 することを
宣言
して い る。後年
語る よ う に,彼
は 「政 治 的な義 務 」と 「文 化 的な義 務 」の両 面を自 らの活 動に意 識 したの である。 こ の よ う な背 景か ら,1934
年に はモ ス クワで の作 家 会 議に参 加6
同 年 ドイッ の市 民 権 剥 脱。1935
年に は パ リ の 「文 化 養 護のための国 際 作 家 会 議 」た
参 加 した。
作 品に 目を転 じて みると,
1934
年に 『北 方へ の逃 走』,35
年に 『悲 愴 交 響 曲』,36
年に 『メフ ィ ス ト』」,
37
年
に 『格
子窓
』,
39
年
に 『火 山 』と,
5
つ の ロ マ ン を書
い て い る。 『北方
へ の 逃走
』 は北へ 逃 れ た 市 民階
級 出身の女 主 人 公が , そ こ で得 られそ うになっ た個 入の幸 福 を 捨て て,
非 合 法の反フ ァ シ ズム 闘 争へ 合 流 するまで の, 迷いと決 意が語 ら れ る。 『悲 愴 交 響 曲』 と 『格 子 窓 』は前者
がチ ャイコ フス キー
を,後者
がルー
ドヴィ ヒニ世
を 主入 公に し たロ マ ンであ る。 ク ラ ウス・
マ ン は若い と き か ら,自
己省察,
自己分析
を作
品に反映
して き た作家
で あ る が,
これ らの作 品で は, 作 者・
自身の人 間 的弱 点 ,病
的な ものへ の関 心が,異 境 的な存 在 意 識 と重なっ・
て あ らわ れて いる。 『メ フ ィ ス ト』は彼の姉のエ リー
カ・
マ ンの最初
の夫で, ともに演
劇 活 動 を した俳
優, ヘ ン ド リ ク・
ヘー
フゲンをモ デル に描い た 「第
三帝
国の中
の出世物
語 」であ
る。 そ して 『火 山 』、
は副 題の示 すとお り亡 命 者た ちの物 語で ある。とこ ろで , 亡命
者
たち
の論争
, 「表
現主義論争
」 の発端・
とな っ たの は1937年 9 月
号に掲
載さ れクラ ウス・
マ ン の ゴ ッ トフ リー
ト・
ベ ン批判
であっ た が ,文化史的
に見
ると,彼
の作家 的発
展に は市 民 社 会 か ら離 れ た 芸 術 的態 度に対 する批 判が根
底に流 れて い る。L
・ ヴ ィ ン ク ラー
は唯美
主義
と市民社会
の関係
か ら,
ク ラ ウス・
マ ンの ア ンガー
ジュ マ ンを理解
し た が,
そ こで は314
N工 工一
Eleotronio Librafyクラウス
・
マ ンの亡命者の物 語 :『火 山』
にっい て5
クラ ウス・
マ ン の理 想 が,
唯 美主義と進歩の一
致であると説 明さ れて い る2) 。 ク ラ ウス・
マ ン 自身,
自分の成 長 過 程の芸 術 的に病 的な側 面を認めて い る が,
モ ラル の 問 題が ハ イ ン リヒ・
・
マ ンの場 合と同
様1
こ,唯美
主義批判
の出
発 点になっ た という 。 そ して,彼
の唯美
主義
との対決
の中
で,
モ ラル と その社 会 的 表 現と して の デ モ ク ラシー
が中 心の課 題と な り,
そ の視 点か ら,非
合
理 主 義 的唯美
主義
の フ ァ シ ズム との親
近 感が明
らか に さ れて い っ たと
いう。当時
の クラ ウ ス・
マ ン の有名
な公 式は, 「唯美
主義者
と して出
発して , 社 会 主 義 者に行 き 着 く」とい うこと だ っ・
たの であ る3) 。 こ・
の ような観点
か ら は,
クラ ウス・
マ ンの亡 命 中の作 品は唯 美 主 義 的 文化
批 判 が貫徹
さ れて い ると して説
明される。 そ の最も顕 著なケー.
スが 『メ フ ィ ス ト』で あっ た 4 ) 。1
)Klaus
Mann :DerWendepunkt .
S .
332
もちろ ん
,
これはすべて の国 内抵抗 が不可 能 とい う意 味で は な い。 目立た な い秘か な レ ジ スタz
スはありえ た し
,
クラウス・
マ ン も彼ら に対す る国外か らの援助, 共 闘に国 外での抵抗運 動の根 拠を託 して いた。 た だ
,
彼の よ うな立 場でば 無 理とい う判 断で あっ た。2)
Lutz
Winckler
:ibid,
S .
197
3
)Klaus
Mann :“GoLtfried
Benn.
”1937.
In :Prijfungen.
S.
189なお
,
彼 はべ ンに関 して,1929
年,
30
年,
33
年,
37
年に論 文 を発 表 して い る。
4
) こ の作 品に関 して は,
モデル に対 する ア ンビ ヴァ レγトな感 情 か ら,
小 説の構 想 と主 入 公の性 格が矛盾 して い るの で
,
政治的 主 張 とモ デル の 選 定が不 適 切 とい う批評 もあ る。 (M ,Reich−Ranicki
:Klaus
Mann
undGustaf’
Grtindgens.
S.
44
)『
火 山』
1936
年 秋に ク ラ ウス・
マ ンはエー
リカ・
マ ン と ともにア メ リカ に渡り, ア メ リカ各 地で講演
しな が ら, ア メ リカ社 会を見 聞 した。37
年の2
月}こいっ たん ヨー
白 ッパ に戻っ て ウィー
ン , ブ タペ ス トなど各地
を旅行
し たり,講演
し た り,夏
には『
格
子窓
』を執筆
し だりして,9
月
に ア メ リ カに移住
し た。 彼は 「も う一度
ある一定
の国の市 民にな りた い とい う願 望 」を感じて い た。 ヨー
ロ ッパ の 国々 は亡 命 者に対L
.
て 思いの外 冷探
で あっ た。 っ ま り, 彼の感 想に よれ ば, フ ラ ン ス人や イ ギ リス人に な る ために は その国に生ま れなけ ればな れ ないが,
ア メ リカ人に は な る こと がで き たの で ある1) 。1937
年 の秋, そ の ヨー
ロ ッ パ とア メ リカで苦しんで い る亡 命 者た ちに思いを馳せ な が ら, ニ ュー
ヨー
クの ホ テル の一
室で 『火 山』 の執 筆 を 開 始 した。前年
に はス ペ イ ン人民戦線
が結成
さ れ, それは総
選挙
に勝利
し,
そ してフ ァ シ ス ト との内戦
が始
ま る。 ス ター
リン の粛
正 が始
ま るの も こ の年
で ある。38
年
は3 月に
オー
ス ト1丿アが併合
さ れ ,9
月
に ミ= ン ヘ ン会談
の結
果 , チ ェ ッ1
コ の ズ デー
テ ン地 方が割
譲された。11
月に は 「水
晶の夜 」 事 件が起 き た。 執 筆は39
年 春 まで続
くが,
ち ょ う ど その頃,
39
年
3
月末
にマ ド リー
ドが陥落
してス ペ イ ン市民戦
争は終 わ
っ た。 そ して1939
年
の夏に 『火 山 」が出 版さ れて,数
週 間 後に は第二次 世 界 大 戦の戦 端が開かれ た。 ク ラウス・
マ ン は 「火山
」とい う比喩
で ま さ にこ のよ う な時代
の危機
を表
し たの で ある。亡命か ら
4
年 半 経 過 し, 根 無 し草の 生 活はすべ ての 亡命 者に重 苦しくの し か か る。 彼 らの思 い も.
, 時 代の流れ
も, な ん ら かの爆 発に向か5
て収 縮 して い く。 人々 は帰郷
の奇跡
に し ろ,
悲NII-Electronic Library Service
6
林 敬 惨な破
局に し ろ, ひ たすら待ち続 けるし か ない。 な か に は待
ち きれずに死に急 ぐ者も少
な くは ない2) 。 ク ラ ウス・
マ ン は期 待や苦 しさ の ぎっ し り と詰まっ.
た 「乱
雑で,
豊 富で , 不 透 明な亡 命 体 験 」 を,
すべ てが飛散
する前に書き留めて お く必 要 を感 じ たS) 。 しか し,
彼に とっ て 「迷 い と放浪
の年代
記 」の執筆
には,書
か れ るべ き対
象の苦しみだけで な く ,表
現者
と して の 自 分 に対 する虚し さが 付 き纏
っ た。 「誰のた めに, 私は書いてい るのか?」一
亡 命 者たちの苦 しさ を書
き綴る こ と で , 辛う じて自
己の 生の 意 味を救い だそ う と する,物
語の中
の亡命詩
人の嘆
き である。と
の嘆きは 『回転点
』の中
で作者 自身
のもの と して追認
されて い る。 すで に述べ た よ うに,1935
年の ザー
ル帰 属 決 定 後 , 亡 命 作 家た ち が直接 ドイ ッ に働 きかける足 掛・
りは失 わ れた 。訴
え か け る共
同 体は遙か遠G
こなっ て し まっ た。物
語の中の亡命 詩 人にとっ て,
異 国で の よ そ よそ しさ (違
和 感,
疎外
感)
はも と もと身にしむるところだ。故国
す ら もいまは見 知 らぬ もの にな り か けて いる。 従っ て , 彼は未
来の人
閲に向か っ て語 りか ける道 しか残さ れてい ない。 し か し,
未 来の人間
も見 知 らぬ人だ
ちに変 わ りは ない。 自分
たちの苦
し みをいっ たい誰が受 けと め て く れ る だ ろ う か。 虚し さ は限 りな く拡
が っ て い く が,
そ れで も彼
は未来
の者
た ちの 理解
に かすか な望み を託 すほ か ない。 これは とり もな おさずクラウス・
マ ンの精 神と活 動その ものを 取り巻 く事情
で あ り,
虚し さで あ っ た。 亡命
生活
を二重に苦
し くする虚し さで あっ た。こ うい っ た
事
情は作 品その もの の方向性
を規
定 してい る。 とい うの は一
っ には物
語の 中の 亡 命詩人
が自らに課 すよう1と
, こ の物 語は一
群
の亡命 者の苦 難の足 跡を記 す 年 代 記で あ る が , 自 ら命を縮め る者,自
己 破 産の結果麻薬中
毒 死に至る者 ,
また,
熱 狂 した群 衆の暴 虐の犠 牲 となっ て非業
の死
を遂げ る者
た ち を描
き な が ら,同時
に生き続
け よ う と する者
の自
己克 服の記録な の で あ るDo さ らに, この 未 来の ため に生 命を守ろうとする主 入 公の 姿 勢を規 定 して い る の は,芸
術
活動
に よ る抵 抗 運 動とい う形でめ 政 治と芸術
の一
致で ある。 ただ し, こ の抵
抗運動は直 接 ドイツ に働 きかける’
ことは不 可 能なの で , さ しあたり, ド ィッ・
に対 する啓 蒙 , ドイ ツ の伝 統の中
の 「も う一
っ の,良
きド イッ」
を抵
抗 運 動 と結
びっ け,国外
での反フ ァシ ズム の支 援 を 喚 起 するこ とで あっ た。 こ こ に は ドイッの文 化 的伝
統の 中か ら ドイッ社会の 未 来を思 考す る枠 組み が見 出だ さ れる。 そ の場 合, 社 会 主 義に対 する理 解 は あるが, ボル シ ュ ヴ ィ ズム に対 して は留 保さ れて い る。1
) Klaus Mann :Der
Wendepunk
七.
S.
412
2
)Klaus
Mann
:Der
Wendepunkte .
S .
357
3
)Klaus
Mann
:Der
Webdepunkte ,
S
.
429
4
)前 記のように, Th・
マ ン は 『火 山 』の発 表 当 時の手 紙の中で ,抵 抗と未 来を結び っ け る女 主人公(マ リ オン)の, 物語 り中に占める中心的 位 置につ い て言 及 して い る。物 語はプ ロ ロ
ー
グ,第
一
部,
第二部
, 第三部, エ ピロー
グか らなっ て いる 。 プロ ロー
グ とエ ピ ロー
グでは書
簡によっ て,
1933
年
の亡命
の発端
の状
況 (内
面の葛藤)
と1939
年
の大戦前 夜
の 亡 命 者の状 況 (内面の姿 勢と疑 惑 )が表されて い る。 は じめの書 簡は ド イ ツ に残っ た青 年が亡命
し た友人
に宛
て た形をと
っ て い る。目的
は友人
に亡命
を思い直
さ せ ること である。 そ こ で は 自分の国 を離れ て ドイッ のたあにいっ たい何ができる のか を問
いか ける。 ドイッ の中で , 大 恐慌
以 後の社会
の重苦
しい閉塞感
を は ねのけ る何
か新
し い力
が芽生
えて い る こと も事実
で あり,
316
N工 工一
Eleotronio Libraryク ラ ウス
・
マ ンの亡命者の物語 :『火山』にっ い て7
事
態が悪化
す れ ば国 内で抵抗
すべ きではな いか とい う立場
が表明
される。 こ の立場
に は ナチス に対 する判 断の 保 留がみ ら れる。 これ は,
書 簡の受 取 人にとっ ては国内
で は屈 伏 する か収 容 所 へ 送ら
れるか, 事実上
二者
択一
し かあ りえ ない の で , 受取
人の立 場 と鋭い対 立を な して い る。 しかし,
.
国外
に逃れる者
に とっ て国
内 との繋
が り は唯
一
国内
の抵抗派
を拠点
とするこ とに よっ て のみ保た れ得る。 そ して , 結 論 的に いえ ば, 国 内で は この 抵 抗 派の存 在は不 可 能で あっ た。エ ピロ
ー
グの書簡
は その こ とを示
してい る。 こ の書簡
は6
年後
に プロ ロー
グの と き と同
じ差 出 人が,
同 じ友 人に宛て て, し か し今 度はマ ル セー
ユ か ら発 信 し た形を とっ て い る。 彼 も ま・
た 亡 命せ ざるを得
なくなっ たのだ。 理 由と して は国内
で はもは や窒 息 する しかない こ とを挙
げて いる。 直 接 的 きっ かけは1938
年 の9
月 危機 (
ズデー
テ ン地 方を めぐる ミュ ンヘ ン会 談 )で あっ た。 書 簡はこ こで , ヨー
m ッパ は破 滅 するか , ナ チス を終わ らせる が どち らか し か ない との認識
を示して い る。 ナ チ スの 問題
は, ドイ ッ国
民に とっ ての 問題であ るばか りで な く,
ヨー
p
ッ パ 全体
の問 題なので ある 。 しか し,書簡
の差出人
に は ヨー
ロ ッ パ の共通の 闘題 と して ヨー
ロ ッ パ の人々と反フ ァ シ ズムを 闘 う意 図は ない。 こ の 時まで の ヨー
ロ ヅパ に は ナチス をヨー.
P ッパ の 問 題と して積
極的
に介 入 する動
き が な か っ た こ との 反映
で あ ろ う。彼
の亡命
に よっ て,
一
面
確
かに亡命
の 正 し さ が証 明さ れ た が,
亡命者
の闘争
の展望
が開け た わ けで は ない。 亡命者
は自
己を堅 持して, ひた す ら未 来を待ち続 ける し か ない の で ある。物 語は この二っ の書 簡の間で展 開さ れる亡
命者側
の足
跡
の記録
である。 第一部
が1933
年か ら34
年まで。 舞 台は主と してパ リ, その 他ア
ム ス テ ル ダム, チ ュー
リヒ 。 第二部は1936
年か ら37
年。 チ ュー
リヒ,
パ リ.
,
マ ジョ ル カ島とい っ た ところ が舞 台になっ て いる。 第三 部は1937
年か ら38
年。舞台
はア メ リ カ,
二 =一
ヨー
クと中西部
の町。 全体
を通 して主要
人物
は,
マ ル テ ィ ン(
詩
人)
と キー
キ ョー
(ブ ラ ジル 出 身の青
年,
マ 地ティ ンの 「恋 人 」), マ ル セ ル(
フ ラ ン ス人 作 家,
マ リオ ン の夫 )とマ リ オ ン(
女 優 )。 その 他 叙 述の 詳し さ か らい え ば,デ
イ リー
(マ リ オ ン の妹)
;アー
ベ ル(
ドイッ文学者
, マ リオ ン の二度 目
の 夫)
,
さ らに,数
人の社会民
主 主義
者,
ユ ダヤ入の銀行家
と社会学者 (
彼
らの場合
でユ ダヤ人の問
題が扱われて いる)。各部
は そ れ ぞ れ 五っ の章か らなるが, そ の章
が さ らに細
牟
い部
分に分
け ら れて各
登場
人物
のエ ピソー
’
ド が綴 られる。 エ ピソー
ドは時 間の経 過と ともに次 第に緊 張の度 合を強め, 最 終 的に は近い将 来 の破局,
もしくは戦争
の予 感に向
かって展 開して い く。第
一
部で は亡 命 者た ちの 再 会ない し は出会
い の場面
を かわきりに,
国内
で の受難
の報告
や 出 倒 の事情
, 先輩
亡 命者
のロ シ ア人 家族
を 通 して の亡 命生
活の苦難
の予感
. 亡命
の是非
な どの問 題が伝え られる。
こ こで は さ らに亡 命 社 会 学 者の 口を通 して,
亡 命 者は決して 均 質で なv
こと
,例
えば血 ダ ヤ人の場合
と信
念に基づ く亡命者
の場合
の違い(
ユ ダ ヤ人の場合
は主と して抵 抗よ り も定着
の方が問 題で ある), 政 治的立
場の さ まざま な違
い,対立
な ど が言
及さ れ る。 し か し, これ らの統 合が未 来の ヒュー
マ ニ ズムで あ り, ナ チ ス権 力に抵 抗 する ので
ある。 総 じて , 亡 命者
の苦難
と抵抗
が問題
である。 t方
に お いて以前
の生活
の喪失
に よ る不安感
, 逃 避 と麻薬 ,
パ ス ポー
トの入 手の難 しさ, 不 法 滞 在の問題
滞 在 国で の冷 淡な反 応 等々。 地 方にお いて抵 抗 に 関 して,統一戦線
志向
の希望
と可能性
D や出版活動
の二重
の 課 題2)が表明
さ れる。登 場入 物で い え ばこ の 二 っ の領
域
をそ れ ぞ れ, マ ル テ ィ ン と キー
キ ョー
の組
み合
わ せ , マ リ オ ン とマ ル セル の組
み合
せが 代 表 する。 マ ル ティ ン は唯 美 主 義 的傾 向の詩 人であるが, 亡 命の不安
の下
, 同 姓 愛と麻
薬という, いわ ゆ る不道徳
な生活
に耽溺
する。 しかし,自
ら は まりこんNII-Electronic Library Service
8
林 敬、
だ陶 酔 と救い のない苦 しみの中で , 彼は不 安な時代の 物 語 を書
くこと を 決 意 する。 厂やすらぎの ない
,故郷
の ない者
た ちの 冒険
と敗北,高揚
と崩
壊, 慰めの ない期 待 」を物
語る年
代 記で ある3)。 こ うい っ た ことの精 神 的 土
壌
は必 ず し も亡命と関係
の ない部 分 もあるが, 亡 命 で の境
遇,
は以 前 か らの
異質
な,
・
異境
的 な存在
の総決算
であり, それ故
,異境
の存在
に おける苦悩
に鋭敏
な神
経
が働
くの である。 こ のよ うな年 代 記を書 くことは闘い とは違っ た形 式の果たすべ き務めの形 式であ る。
一
方,「
「誰
のために書 くのか ?誰が こ の物語
に耳
を傾
ける のか ?」とい う疑問
。し か し, 書 く とい うこ と
,
異境
的な存 在の 奥 底で ,他者
の異境
的 な存 在の苦
し みに・
目を向
ける
こ と, そ の こと
自体
が彼
に とっ て唯
一
生へ の 意味
を見出
だ さ せ る行
為で あっ た。飼 時
に , それは
描
か れる側にとっ て も救いで あ り, こ の よ う な描く側と描か れる側の 関 係が書くこ と の虚 しさの克 服を もた らして い るので あ る %
i
マ リオ
.
ンの決意
は,
過 去の文 化的
遺産
の中
に亡命
の正当性
を見出
だ し,
巡業
公演
を通 じて反フ ァ シズム 闘 争 を訴え るこ とである
。.
しか しJ 彼 女の主 張は,
「も う一
っ の,
良 きド イッ」で あって
,
そ れ は社会
の 具 体 的あ るべ き姿まで は迫う て こない が , 彼 女の 精神的
な 意味
でも パー
トナー
であるマ ル セルは, プロ レタ リア革 命は, 人 間の解
放
に よっ て精 神を解 放 する, と プロ レ タ リア革 命の 理 想に期 待 を寄せ るb
』
こ の理 想は問 題の 性 質か らいえ
ば, 第二部にお ける, ド イ ツ の将
来にお け る社会構造
と所 有 関係
の変化
に関
す’
る議論
へ とっ なが る もの で あ るが,議論
において は その よ う な変
化
が望ま れなが らも,
共 産 主 義とデモ ク ラシー
の共存
に疑問
が支 配 的で あった。 こ の
時点
で1
ま
とりあえ
ず, コ ミュ ニ ス トも,
デモ クラ シー支持
を表
明して いる5)。.
第二部は亡 命 者たちの苦 悩と絶 望の歴 史である。 亡 命はも う
宗
全に一
時的なもの で はなくなってい る。 確かに ド イ ッ国 内で の地 下 活 勤 も報 告さ れる。 しか し, ヨ
ー
ロ ッ パ の 各 地で もフ ァ シズム
支持
が目
立っ てきてい る。 ナ チス の ス パ イ活動
も活 発になっ て き た。 ヨー
ロ ッ パ は 亡命者に とっ て はよそ よそ しい ば か りで な く あ ま り安 全で な くな っ てきて い る。 こ の ような
境
遇 め変
化
の中
で,
マ リオ ンの妹テ ィ リー
の悲 劇が
語ら れる。 不 法 滞 在 者ゆ え に束の間で し かあ りえ ない恋と, 妊 娠
,
中絶,
そ して自
殺。 相 手の恋 人は そ ん な ことはまっ た く知 ら ずにヨー
ロ ッパ の宮
憲
に追われ なが ら放浪
の旅
を続
ける乾
い た世界
である。稼
女
は姉
のよ う に闘
う こ と はで き ない
,
自分 にで きる ことは個々 の人 間を愛 する こと だけだ と訴え て, それが
で き な くな っ て死を選ぶ。 恋 人は放 浪の
果
て に慨嘆
する:世 界の中で余計
者 だという感情
に苛まれると,自
分 に対す る
誇
りが失わ れてい く…
各地で病気持
ちの犬
の よ うに扱 われて,
そ れで も 理想
主義者
で いられ る だろ う か, と。 マ ル テ ィ ン の死は麻 薬 中毒 死で ある。 彼の死で非 合 理 主 義 的 唯 美 主 義の
一
っ の帰 結が象 徴されて い る。 しか し
,
物 語の中で は彼の新た な意 志は キ リス ト教 的に感化
されたキー
キ ョ尸
に よ、
つ て受け
継
が れ る。 これ と関連
しで,
ドイッ文学者,
アー
ベ ル の変化
が語
ら れ る。彼
はユ ダ ヤ入とい うこ とで亡命せ ざ る を
得
な くなる が,決
して政 治 的で も革 命的
で も あ る わけで はな かっ、
た5) 。 し か し, 彼は
rt
一
ス トリー
文 学の資料
収 拾に ウ ィー
ンを訪
れ た際
, 過 去に浸 っ た街をまの あた りにして
,
ウ、
イー
ン の世
紀末
デカ ダン子
の 下 降 的 雰闘
気
よ りも1948
年の 精 神に今 日 との親
近性
を 感じ たの で あ る。 この変化
はヨー
ロ ッ パ の現実
の中
で唯美
主義
が非
現実
的に な っ て しまっ た ことを 主
張
する 。マ ル セル はス ペ イ ン
市
民戦争
に参戦
し,戦
死 する。 彼な
現代
におい て理想は終焉
した との認識の下, 彼
自身
も意識的
に狂気
に身 を ゆ だ ね, 「言 葉 か ら行動
へ」 向
かっ たのである。 スペ イ318
N工 工一
Eleotronio Libraryク ラ ウ ス
・
マ ンの亡命 者の物 語 こr
火 山 』にっ い て 9 ン人 民戦線
の結成
と闘い にっ い て は,第
三部で そ れ に参加
し,敗北
し た ドイッ の社
会民
主 主義
者に よ っ て, 「君たちが闘っ た とい うこと,
団 結し た とい う偉 大な事 実が世
紀の 歴史
を規 定 す.
るだろ う。君
たちこそ勝利者
だ。」 とその意 義 を賛美
する。 これこそ望 ま れな が ら, ま さ に ド イ ッ に欠 けて い た点であり, ク ラ ウス・
マ ン の政 治 的な面で の 基 本 的’
立 場であっ た。マ リオ γは抵 抗 運
動
を国外
に い る者
の責任
と義 務を自覚 し て い るが,市
民権
剥 脱や, チ ュー
リヒでの公演
の妨害行
為な どに よ っ て,
彼 女 も次 第に疲 労 感 を 感じ る。
妹 を失い , ベ ル リン時代
か らの文学仲
間を失い,
夫
を失
っ て,
ヨー
ロ ッ パ で は あ ま りに も多
くの もの を 失っ た と感 じ る。 彼 女に とっ て は 自分 も死ぬ か,新
しく始
め る しか ない の である。 彼女
は「
我
々の全
生 活 は 別れだ 」と慨嘆
し, ヨー
ロ ッ パ に別 れを告 げるT)。 こ の こと は亡 命者
の立 場か ら見た , ヨー
ロ ッ パ とい う概
念が もっ ある種の 統一
性
に対
す
る失望
の表
現で あっ た。第三部で はマ リオ ン
g
])生きる こと
へ の葛藤
と 亡命者
の生きて い く理論の構築
を中心 に , 亡命 と闘
い の意味
が問い直
さ れる。一
入ぼ5
ち にな っ て し まっ た彼
女 は,
ニ ュー
ヨー
クで素朴
な イ タ リア青 年と出
会 う。 「若い神 」が突 然 彼 女の部 屋に入っ て き たの であ る。 彼 女の生へ の意 志 は回復 する。’
しか し,
戦 闘 的 故 郷悪
失 者は愛におい て誠 実で はい られない。彼
は イ タリ
ア解 放 に参加
すべ くヨー
ロ ッ パ に戻
る決
心 を する。彼
女 はこ こ で悲劇
的に死
んだ妹
と同
じ状 況に陥
る。 妹のた めにもこど も を生ま な け ればな ら ない。 しか し,
彼 女は,流
浪の 亡命者
で あ り,
1
闘 う人 間であっ て,
母でな
い と自覚 する。 巡業 公 演の 旅 先で 出 会?たアー
ベ ル との対 話か ら,
こ の 間 題の一
つ の決着
が提示
さ れ る。彼
は主
張 する:反フ ァ シ ズム の闘
いは生ま れて くる子 供の た め で な ければド誰の ための闘い なの か。 彼は 「勝 利につ い て 話 すの は誰か。 生き’
の びるこ とが す べ てなの だ。」とい うiJル ケの詩行
を引 きな が ら,
英雄
的な死
を否定
し,
生’
きることの困難
な 意味
を,
亡 命の中で の生 存の意味
を語
るの であ る8) 。 ドィッか ら遠
く離
れて い る と ド イツの事
情に疎 くな る。 そ して, 亡 命 者が それ
ぞ れの地
で な ん と か生 活を築い て い くとする と,
闘 う者 に とっ て も誰の ため に,何
の ために闘 うの.
か, 闘い の意 味が分か ら な くな っ て くる。 し か し, ス ペ イン の 爆 撃の惨
状に も見られる よ うに, 闘い を止め るこ とはフ ァ シ ズム の蹂 躙を許 す こ と であ る。苦
しんで い る もの は自分
た ち だ けでは ない。 ドイッ国内
に も苛酷
な 孤独
に苦
しむ 「国
内 亡 命 者 」 た ち が 存 在 する。 彼 らとの連帯
も亡 命者
にとっ て の責 務である。 これ らは自ら安 全 な ところ にい る と自覚
するマウ
オ ンにとっ て,良
心の問
題であっ た。 この問 題に ば明
快な答
は 用 意 されて いない。 た だ,
英 雄 的な死で は なく, 未 来のた めに生の問 題が リアル に考え られな け ればな らない と す るナー
ベ ル の信
念 が 並 立 さ れている 。 ま た それによっ てマ リ オン は慰めら れ る。 物 語の語 り手は, そ して作 中の 亡命者
の年 代 記の語 り手と彼の 守 護 天使
も,
マ リ オン の苦境
と平行
に, 亡命
の困難
な意 味にっ い て考察
する。 金銭
的, 法 的 不 安, さ ま ざ ま な悲劇
の も た らす 心の傷。
い っ も社 会の周
辺で暮
らさ ざ るをえ奉
い境 遇で の 自’
a
堅 持の難し さ。 し か し,一
方
で亡命
の学校
は亡命者
たち を人間
的に鍛え る 。 そ して,
「追い立て られた者,
家な き者,
至 る ところの余 所 者は, 至 高の者
を正当
に評価す
る た めの チャ ンス に比較 的
恵 ま れて い る。」 と認
識 する の で ある9) 。 これは, や がてや っ て来なけれ
ば ならない世 界の 建 直 しの 時の た めの 亡命
の意味
の積極的
評価
で ある。 こ こか ら未来
の ヒュー
マ ニ ズム が語
ら れ る 。 マ リオン は自分
の デ ィ レ ンマ を か な らずし も解決
し た わ けでは ない が, 生に向
か う。彼
女も
含め て,
故郷喪失者
たちに対 する物 語の最 後の メ ッセー
ジは,「
抵抗
せ よ !敬虔
で あ れ』
!希 望を守
れ !自分
の 足で 立て !]で.
あっ た。NII-Electronic Library Service