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筒井康隆氏の敗北 柚 岡 正 禎 時評⑨ あいまいな日本 師岡佑行 活日(毎月1回25日発行)ISSN師団・4843 とぺる刊行会 第20回 『こぺる』合評会から,
完
全
筒井康隆氏の敗北
柚 岡 正 禎 ︵ 反 戦 ド タ バ タ 会 議 会 員 ︶ 筒井康隆が昨年十一月、日本てんかん協会の求めに応 じ、小説﹃無人警察﹄の高校教科書からの削除を決めて しまったことは残念な結末だった。もっと深い、より広 範な議論が必要だったこの差別表現問題が、またもや問 題の核心を明かされないまま、ほほ従来通りのパターン で 収 束 さ せ ら れ て し ま っ た 。 断筆宣言の衝撃のせいか、この間の議論の中心は筒井 の断筆をどう評価するか、被差別団体の抗議を受けたと き作家はどう応えるべきかであった。様々な意見が出た が、大勢として差別問題に関する筒井の無理解を指摘す る声が強まり、今回の結末となってしまった。 だが最後の記者会見︵十一月七日、﹁創﹂九五年一月 号掲載︶からも分かるように、筒井は今でも﹃無人警 察﹄の中に差別的あるいは差別を助長するような表現は なかったと考えている。ただ自分の読者にはこの作品を 読み違えるような人はいないだろうが、読者でない人も 読む教科書にこれを載せ、いじめなどを誘発する可能性 を高めるのは避けたい、とのことであった。角川書店は さらに、﹃無人警察﹄は差別的でないばかりか、教科書 だからこそ指導の仕方によっては差別というものを教え るよい資料になる、と考えている。筒井と角川の違いを もたらしたものが教科書問題だったとすれば、てんかん 協会と筒井との﹁合意﹂も教科書問題として成り立った と い う こ と に な る 。 こベる 1つまり差別表現問題としては何も解決されていないの である。だが私見ではこの問題は、糾弾を受けた作家に とっての文学問題でも、また右に見たような教科書問題 でもなく、社会構造的な差別表現問題として、以下のよ うな視点から見られなければならないのである。 第一にこれは表現者が糾弾にどう応えるべきかだけの 問題でなく、差別を指摘した側と指摘された側とが対話 によって互いの関係をどう発展させて行くかの問題であ る。そのよラなものとして、糾弾する側の論理や糾弾の 仕 方 へ の 批 判 を 欠 か せ な い 。 第二に、それと密接にかかわっているが、この問題を 七
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年代以降の反差別運動や戦後民主主義の行き詰まり の問題としてとらえる社会的歴史的な視点が必要だ。あ る表現を差別的だとして社会が問題にすべきかどうかは、 グ差別はいけないがという社会規範がすでにどれだけ定 着しているか、運動の進展や社会の余裕にもかかってい る。筒井問題はすでに言葉狩りやメディアの自主規制の 行き過ぎが反省され、これまでの硬直した反差別運動の 改革が言われはじめた現在に持ち上がった。 こ の よ う な 視 点 に 立 て ば 、 一 筒 井 の 断 筆 は な お 基 本 的 な 問題提起を続けている。もう一度、出発点に立ち返って 考 え 直 し て み よ う 。 事実誤認は差別につながるか 今回の和解に向け、昨年九月以降に筒井とてんかん協 会 の 聞 で 交 わ さ れ た 往 復 文 書 ︵ ﹃ 創 ﹄ 昨 年 十 二 月 号 掲 載 ︶ があるが、そこで協会側は、﹃無人警察﹄が﹁差別を助 長する﹂小説であると判断した理由をあらためて二点に まとめている。ここには糾弾に至った協会の考え方がよ く現れている。一昨年の最初の声明文︵七月十日付 ﹃創﹄九三年十二月号掲載︶も参照しながら検討してみ ト 品 も つ ノ 。 第一点めの指摘からは、社会的・制度的差別と闘わね ばならないてんかん協会の基本的な理論構成というもの がうかがえる。それは、﹃無人警察﹄に見られるような てんかんをもっ人々の人権を無視した表現は、てんかん に対する医学的に間違った考えに立脚しており、この ﹁てんかんに対する誤った理解﹂こそが﹁人権の無視に繋 る ﹂ と い う も の で あ る 。 たとえば現代の医学では﹁脳波異常﹂があるだけでは てんかんと診断されず、またてんかんをもっ人の過半数 は、薬物治療により﹁発作﹂を完全にとめることができ る。にもかかわらず作品では﹁脳波異常のある人﹂﹁て んかんをもっ人﹂﹁︵現に︶てんかん発作を起こす人﹂が ﹁混同﹂され、等置されている。そこから主人公﹁わた し﹂の語りという形式においてではあるが未来社会が次 のように描かれてしまう、と批判した。 ︿ 歩 行 者 が ほ と ん ど な い か ら 、 こ の 巡 査 ロ ボ ッ ト は 、 車の交通違反を発見する機能だけを備えている。速度 検査機は速度違反、アルコール摂取量探知機は飲酒運 転を取り締まるための装置だ。また、てんかんを起こ すおそれのある者が運転じていると危険だから、脳波 測定機で運転者の脳波を検査する 1 異常波を出して Fい る者は、発作を起こす前に病院へ収容されるのであ る 。 ﹀ てんかん協会の言う通り、日本ではてんかんはまだ 寸運転免許の絶対欠格事由﹄となっている。協会はてん か ん を も っ 人 が 一 生 活 す る 上 で の 実 質 的 な 差 別 の 解 消 と い う観点から、これを一律に禁止せず、﹁症状によって運 転免許を認めるように制度を改善﹂せよと闘ってきた。 この闘いはてんかんをもっ人々に対する世間の通俗的な 思い込み︵右に見た﹁混同﹂︶との闘いだったし、また この思い込みはてんかんを特異視する人々の何らかの グ 差 別 意 識 H と共存していることも確かである。協会は てんかんをもっ者に対する差別が存在すること つまり社会のてんかん差別の実 そ こ で 、 の 具 体 的 な 現 れ と し て 、 態としてこれをとらえ、根拠なきこの思い込みと闘って きた。協会にとっては、他の反差別団体と同じく、この ような制度的なものを通じて差別と闘うほかはなかった だ ろ 、 っ 。 だがてんかん協会がこれこそ差別の実態、証拠だとし てこれを追及すればするほど、そしてこの制度を成り立 たせている、てんかんをもっ者への押しなべての危険視 や間違った思い込みと闘えば闘うほど、事態はてんかん 協会にとって次のように現れたはずである。すなわちこ の思い込みこそがてんかん差別を持続させていると。つ まりこの事実上の﹁混同が人権の無視に繋る ι と見えて しまうのである。その背後で、近代の平等主義への反発 こぺる 3
としての社会構造的なか排除の論理 d が働いていること が 見 え な く な る の で あ る 。 言葉がそれ自体で差別を生むのではないように、てん かんに対する医学的に根拠のない思い込みがそれ自体と して差別を生むのではない。だがか言葉狩りがが言葉を 文脈から切り取って問題視してしまうように、虚構の物 語りとしての小説の中から、ある箇所の事実性がそれだ け取り出されて問題となり、社会の差別意識を助長した り、その現れであるかのように言われてしまう。そして 単なる医学上の事実をめぐる議論が、差別的か否かとし て作品全体の価値を左右する。このことはてんかん協会 が お り に ふ れ 、 J 一 = 口 葉 狩 り d を否定しているだけになお さら奇妙である。もし純粋に事実誤認そのものが差別に つ な が る の な ら 、 角 川 の 言 、 っ と お り 教 科 書 の 注 や 解 説 で 補 え ば よ か っ た は ず で あ る 。 言葉狩りと表現狩り てんかん協会が小説の一部分を全体から切り離して論 じていることは、第二点めとして﹁社会防衛的な発想﹂ をこの箇所に指摘するとき、さらに明らかとなる。第一 点めが事実的・制度的な面からの指摘であったのに対し、 第二点めは心理的・文学的な面からの指摘と言えるかも だがこの箇所は、未来社会の無機的な管理主義を自然一 なものとして受け入れていた主人公が、ロボットの機能一 をそのまま説明したまでであって、小説の舞台設定の段一 階である。その後、次々と、自分の思考まで管理されて一 いることの恐怖を当事者としで経験して行くというのが一 話の流れである。最後はロボットに脳内の潜在意識まで一 探られていたことを知り、このロボット社会への不信に一 行 き つ く 。 一 し れ な い 。 ﹁ 異 常 波 を 出 し て い る ﹂ だ け で ﹁ 病 院 へ 収 容 さ れ る ﹂ というのは﹁典型的な予防拘束﹂であり、﹁それが︿車 の運転﹀と絡めて描かれることに私たちは強い危機感を 抱 く 。 ﹂ 問題の箇所は小説のこの主題から切り離され、物語り の展開のための最初の舞台設定の段階で批判されてしま う。つまりはじめ﹁わたし﹂により肯定されていた、
﹁異常波を出している者は発作を起こす前に病院に収容 されるのだ﹂というような秩序意識が、小説としてうま くグひっくり返され H ているかどうか、つまり小説の出 来栄えは、ここではほとんど問題にさえなっていないの である。主人公の秩序意識やアイデンティティというも の が 、 物 語 の 展 開 の 中 で ど う 追 い つ め ら れ 、 破 綻 す る か 、 それを通じて未来の管理社会がどう浮き彫りになってい るか、そこを問題にすべきなのに、てんかんをもっ人の 運転への押しなべての危険視や﹁病院へ収容される﹂と なっていることへの反発からのみ、﹁一貫して﹂この小 説 が 読 ま れ て い る か ら で あ る 。 ﹁ 問 題 は 、 こ の よ う な 未 来 社 会 の ﹁ 管 理 ﹄ に は 批 判 的 であっても、現実の﹃拘束﹄自体に批判が見られないこ とです。すなわち、﹁てんかんをもっ人﹄が車を運転す るのは危険だということが一貫して主張されているから で す 。 ﹂ 教科書問題ではなかった このように作品の一部分を取り上げて作品全体の評価 を下してしまうところに、またそれが社会的に許されて しまうところに、差別表現問題の特質、困難がある。て んかん協会は、はじめ作品の教科書からの削除だけでな か い ぜ ん く、文庫や全集の回収・書き直し︵過去の改鼠︶まで求 めたのである。だがその後、そこまでの要求は﹁勇み 足﹂だったとしてこれを取り下げる。文学作品としても 問題がないとは言えないが、﹁原作そのものの文学論議 にまで言及﹂しないと言う。もしこれを文学問題だとす るなら、それは著書を抹殺したり文章を削れと﹁圧力を か け た り す る の で は な く ﹂ 、 時 間 を か け て ﹁ 議 論 し ﹂ 、 著 者 や 出 版 社 自 身 に ﹁ 判 断 し て も ら う ﹂ ベ き 問 題 で あ る 、 にもかかわらず文学論に踏み込んでしまったがために逆 に過大な要求をしてしまった、これがてんかん協会にと って﹁勇み足﹂だったと言う︵協会常務理事松友了十 月 二 一 日 イ ン タ ビ ュ ー 前 掲 十 二 月 号 掲 載 ︶ 。 こぺる 5
明らかにここでてんかん協会は変化し、成長しでいる。 つまり協会はこの間の議論に巻き込まれ、本来踏み込む べきであった文学問題︵作品の全体としての評価︶に踏 み込んだがために、文学論議としては性急な論断、謝罪 要求が通用しないことに気付いたのである。ところがそ こでてんかん協会は、﹁勇み足﹂は文学問題に踏み込ん だことそのものにより生じたと総括してしまう。そして 問題は作品そのものの評価ではなく、﹁てんかんをもっ 高校生﹂にとっての教科書問題であるとしたのである。 そして当事者のすべてを代表しているかのように作品に 断 を 下 し た の で あ る 。 てんかん協会には二つの選択肢があった。一つは実際 にそうしたように、これを教科書問題だとして教科書か らの削除に運動目標を絞ること。だが可能であったはず のもう一つは、すでに何人かの識者が提案していたよう に、教科書の﹃無人警察﹄に、必要と思われる十分な注 や解説を付すことを著者と角川書店に要求︷提案︶する ことであった。すでに角川は最初の回答書の段階︵九三 年八月五日︶で、﹁指導書等の周辺の資料﹂を十分なも のにし、また現場の教師には、作品が﹁取り締まりに重 点をおく未来社会を風刺している小説﹂である主旨をよ く理解したうえで授業を進めるよう要望して行く、と答 えている︵総じてこの問題で堂々と反論した角川の態度 は立派だった︶。もしてんかん協会が言うように、単な る医学上の無知が﹁人権の無視に繋る﹂というのが本当 なら、なおさらそうすべきだったと言えるだろう。一 だがもちろん差別表現問題はそれほど簡単な問題では一 ない。作品を教科書から削除して問題そのものを隠して一 しまうのではなく、この小説が本当にここでのてんかん一 の登場のさせられ方を償って余りあるものかどうか、実− 際に教育の場に持ち込んでみなければならなかった。作一 品が差別的かそうでないかは、それぞれの場でどう受け一 とめられ、またそれが議論の中でどう変化して行くか、〆一 そのどちらの可能性に懸けるかであろう。てんかん協会一 はてんかん差別の問題を国民に訴える絶好の機会を自分一 の手でつぶしてしまったのである。大人たちが教科書の一 こ の 箇 所 を め ぐ っ て 差 別 問 題 で 〆 真 剣 に 議 論 し た 。 こ う い うことを伝えること以上のか人権教育 μ をほかに望める だ ろ う か 。
断筆宣言の敗北 筒井の方はどうだつたか。てんかん協会の当初の要求 が角川や文部省宛でしかなかったにもかかわらず、はじ め は き ち ん と 、 ﹁ 作 者 の 意 見 と し て 参 考 に し て 戴 く た め ﹂ に﹃覚書﹄︵八月五日︶で答えたのである。ところがて んかん協会による角川の回答への再度の﹁糾弾﹂︵八月 六日付意見書︶があまりにかたくなな繰り返しだったた め、そして末尾で、﹁一体、角川書店と作者がてんかん についてどんな議論をしたのか、またしようとしている のか、明確にすべきである﹂と言われたため、本当に頭 が ﹁ キ れ ﹂ て し ま い ﹁ 断 筆 宣 吾 一 己 し て し ま っ た の で あ る 。 だが筒井は断筆を寸自分の過去の作品を守るためでも あった﹂︵九月十一日付東京新聞︶とも述べているので あって、ここには断筆宣言への別の軌跡が見えている。 ﹃無人警察﹄が﹁取り締まりに重点を置く未来社会を 風刺﹂︵角川︶するものになっているとしても、それは 臆病で反省的な主人公が巡査ロボットに追い詰められ、 アイデンティティの危機に宜面することを通じてであっ て、作品が社会的な視点や広がりを持っているからでは 必ずしもない。結末もこの社会への批判や﹁反逆﹂︵角 川︶と言うよりはせいぜい不信と恐怖といったとごろだ。 ﹁わたしはてんかんではないはずだし﹂と、すぐ自己防 衛的、自己反省的、そして ρ 差別的がに考える主人公が 追い詰められる過程がおもしろいのであって、主人公の そのような思考の破綻を描くことによって、かろうじて そこでのてんかんの動員も償われていると言える。した がってこの作品を差別だと批判されたとき筒井は、角川 とは異なり、はっきりとは否定できなかったのである。 だがさらに、差別か否かと問い詰められたときの筒井 の自信の無さは﹃乱調人間大研究﹄などの過去の作品を 擁護すべきときには絶望的なものとなるはずだ。人間の アイデンティティとは何かを問う筒井はそこで、﹃無人 警察﹄でのようにか健常者 d を主人公にすることによっ てではなく、他方の﹁乱調人間﹂を次々と槍玉に挙げな がら、そしてやはりおもしろがりながら、答えを探って いる。自分も含め人聞がみなある程度まで乱調人間であ ると感じている筒井は、そこで乱調人間に対する並々な ( −ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こぺる 7
らぬ興味を抑えることができないでいるのである。言え ることは、人を差別すること、すなわち忌み嫌い、タ ブ[視し、実際に排除しようとすることと、おもしろが り、それとつき合おうとすることとは、全く異なる二つ の態度だということである。筒井がはっきり言えたこと / は 、 ﹁ 差 別 す る 意 図 は な か っ た ﹂ ︵ ﹁ 覚 書 ﹄ ︶ と い う こ と だ け な の で あ る 。 断筆は直接にはてんかん協会の﹁糾弾への抗議﹂であ るが、規制を拡大してきたメディアやジャーナリズムの ﹁思想的脆弱性﹂への抗議でもあった。宣言後、ジャー ナリズムには一転して筒井同情論が起こり、また従来の 言葉狩りへの疑念を表明する声が目立ち始める。だが他 方、ニれまで比較的、差別問題を考えてきた人々の自に は、断筆は筒井の一方的な態度硬化であり、対話を断つ ものであるように見えた。確かにてんかん協会も最初か ら謝罪要求し、糾弾し、一方的に記者会見しているのだ から、双方とも問題はあるが、筒井の側に差別問題への 理解や努力が不十分だったことは否定できない。 断筆は一作家として表現の自由を守ろうとした筒井の 抗議の意思表示であり、一つの闘い方であった。それは ジャーナリズムや反差別団体やそれへの臨伴者たちに対 して、これまでのやり方への反省を促す問題提起となっ ており、その意味で評価できる。しかしそう評価できる のは筆者のように、これをきっかけに従来の反差別運動 が自己改革し、新しいスタイルの社会運動が出てくるこ とを期待する者だけである。それに対して浅田彰のよう に ︵ ﹃ 諸 君 ﹄ 九 四 年 七 月 号 ︶ 、 戦 後 民 主 主 義 の 行 き 詰 ま り に密着して問題を立てようとせず、断筆をただ、マイノ リテイとの対話を拒否し、マジョリテイのホンネへの居 直りに手を貸したとだけ見た者は、筒井叩きにばかり力 を入れてしまった。︵糾弾を受けた一方にだけ、﹁過剰防 衛﹂に走らず﹁強者﹂の﹁余裕﹂をもって応じるべきだ と説くような浅田の結論こそ、過去、くり返され、今日 の 事 態 を 招 い た の で は な か っ た か 。 ︶ このような筒井パッシングとの区別をふまえた上で、 また筒井の問題提起を評価した上で、やはりわれわれは 断筆宣言をてんかん協会に対する説得を放棄して出され たものと解し、これを誤りだったとすべきである。筒井 は断筆によりメディアにまで戦線を拡大しようとした。 問題提起は広く受け止められ、闘いはほんのつかの間、
大きな成果をもたらすかに見えた。だが戦後民主主義を P 甘く見てはいけない。筒井は次々と反撃をくらうことに なる。筒井は逆襲されたのである。そ
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て恐らく浅田彰 にとどめを刺され、今回の腰くだけに終わってしまう。 だ が 考 え て み れ ば 、 、 て ん か ん 協 会 に き ち ん と 答 え ら れ な いまま断筆してしまった筒井はその時点ですでに敗北し ており、戦線を拡大したからといって勝てるはずもなか っ た の で あ る 。 文学問題でもない 差別問題への筒井の無理解は、てんかん協会の批判に 対し、次第に﹁文学論で答える﹂ことが多くなっていっ た点に現れている。小説は﹁必ず誰かを傷つけていると い う 芸 術 形 式 だ か ら ﹂ ︵ ﹃ 覚 書 ﹄ 九 三 年 八 月 三 日 ︶ と 述 べ たり、一月後の断筆宣言においても、社会の風潮が﹁小 説の自由﹂や﹁創作の自由を侵害しはじめた﹂と述べて いる。宣言の最後は、﹁文化としての小説が、タブ!な き言語の聖域とならんことを﹂である。筒井にはやはり 差別問題をどう受け止め、どう対応して行くべきかとい う よ う な 用 意 は な か っ た 。 自 分 の 表 現 を ど う ︷ 寸 る か 、 そ の意味で文学・芸術問題なのであった。そして今回、公 表された筒井の協会宛文書︵九四年九月二七日付︶では、 これまでのてんかん協会との議論を、基本的人権におけ る︿表現の自由﹀と︿公共の福祉﹀の対立であったと総 括してしまう。文士風の古い文学論が一転して近代法の 論 理 に 収 ま っ て し ま っ た 。 議論をし、批判にさらされるべきこと、そこから出発 して小説の主人公が最初に受け入れていた秩序意識の か ひ っ く り 返 し μ の 成 否 が 問 わ れ な け れ ば な ら な か っ た 。 てんかん協会が﹁文学論議﹂を避け、あるべき批判をし ていないからと言って、それを理由に対話を途絶えさせ て は な ら な か っ た の だ 。 表現者にとっての、差別問題に関するこのような指針 は、文学についての新しい理解、すなわちかテクスト μ をめぐる新しい文学理論からもある程度は導かれうる。 断筆問題を文学問題であるとじ、そのような文学理論を 応用して表現者の筒井だけを叩ぐ論者もこの間に現れた。 しかし第一に、先にも述べたが、筒井のように表現の自 こべる 9由という文学論に拠って抵抗する場合もあり得るし、そ れもまた貴重である。第二に、その新しい文学理論のど こを探しても、この間題に関して右に述べた以上のこと は出てこない。だが筒井問題は、表現者に批判を恐れず 議論に応ぜよというだけでは済まないもっと複雑で構造 的な差別表現問題なのである。表現者だけでなく被差別 側も同時に変わり、解放されなければならない。 糾弾にどう応じるべきか 表現者が差別の意志を全くもってないにもかかわらず、 運動側が突然、謝罪や自己批判を要求することはこれま でにもたびたび見られた。表現者に対し、少数者や被差 別者への配慮を提案したり、無知や無神経を注意してや るというのではなく、いきなり抗議や謝罪、自己批判要 求である。今回もそうだつた。こうなるわけはすでに見 たように、運動側が意識的にか無意識的にか、作品の中 の問題表現は社会の差別意識の何らかの現れであり、表 パ現者もそれに侵されているからだ、というようなグ差別 理論。で武装しているからである。批判が時に︵以前に は特に︶威圧的な糾弾の様相を帯びるのはこのせいであ る 。 だがもしだれかが駅のプラットホームで、喫煙を注意 するのにいきなり相手を怒鳴りつけたらどうだろうか。 4喫煙が他人の健康に害を及ぼすことはすでに周知の事実 であり、それを人権侵害だと言うことさえ可能だ。だが その抗議をそのようにやってしまってはだれからも支持 されない。批判にはおのずからその時その場に応じた限 度や礼儀があり、そのやり方・ル l ルは日常生活では決 定的でさえある。互いの自発性を基礎にし、できるだけ 相手の言い分も聞きながら社会をつくらねばならないか らだ。ところがグ差別。への批判はそうはならず、また 批判された側も、その当否にかかわらず、すなおにこれ を認めるわけにはいかない。かそれは差別だ。と指摘さ れたとたん、人はどうしてあんなに動揺するのか。それ はわれわれの社会が、ホンネではあらゆる種類の不平等 を認め、また日々、生み出しているにもかかわらず、人 間はみな同じ権利を持ち差別はいけないというタテマエ を絶えず確認しながら、かろうじて成り立っている社会
だからである。これに違反して差別を公言する者や、あ るいは差別に無理解だとされた者は、マイノリテイを暗 黙のうちに排除しているのと同じエネルギーによってこ の社会の公の場︵マスコミや文壇な
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︶から追放されて し ま う 。 差別表現問題は、もし今回の結末のように問題が隠蔽 されなければ、被差別側と表現者とが接近できる絶好の 機会である。差別だとの批判に対し、表現者はまず作品 についての自分の信念に従って、問題の表現が作品のな かでどんな位置にあるか、なぜ必要なのかを説けばよい。 そして次に批判者から、問題の表現にこだわって作品を 見たとき、作品全体がどう見えるかという評価を引き出 すのである。もしこの相互批判によって、作品中の問題 箇所がもはや作者や社会の差別意識の現れだとは読めな くなり、ただ作品に別の解釈をもたらす一つの要素とい うことになるなら、表現者と批判者の関係は作品をめぐ って異なる解釈を認め合う対等な関係ということになる。 この関係は表現者がひたすら糾弾に耐えながら議論す ることによってもたらされるものではなく、はじめから− 対等の立場で批判し合い、議論した結果である。多くの 場合、この議論により糾弾側の基礎にあったか差別理 論 U の自主的な武装解除が進むだろうが、それはまた右 の理論武装からくる糾弾側の高圧的な態度そのものへの 抗議の成果でもある。この抗議、批判なしに両者はこの 過程を対等な関係とじて遂行することはできないし、ま たこのような過程を遂行してはじめて両者は真に自由で 対等な関係になれるのである。 戦後民主主義の再編へ 差別からの解放の過程とは、被差別者がこれまでまと ってきたこのような理論武装を、糾弾に迎合しない表現 者や理解者の援助︵反論︶を得ながら、何度も自主解除 する場面を経験できるということではないだろうか。そ のためには、これまで摘発され、摘み取られるばかりで あった γ 差別表現 d をここで大胆に顕在化させ、自由な 議論の出発点を探らねばならない。 こベる だがそのためにはさらに前段階として、あるいは並行 して、被差別側にこのような理論武装を余儀なくさせて 11きた差別の社会的・制度的実態の解消が、やはり双方の 協力の下に、ある程度まで進んでいなければならない。 先にも見たように、でんかん協会はてんかんが運転免許 の欠格事由になっていることを日本社会におけるてんか ん差別の現れと解じ、この生活上の実質的・制度的不平 等と闘わねばならなかった。このような運動がある程度 まで進展しなくては、この差別理論の解消は望めそうに な い の で あ る 。 戦後民主主義は日本国憲法の基本的人権の理念と高度 経済成長の下で、この実態的・制度的差別の解消をある 程度まで、しかし急速に進めてきた。だがこの急速な進 展はそこでの反差別運動を限界づけるものとなった。五 五年体制は、憲法九条と安保条約によって一国の平和と 繁栄を守ってきたのだが、そこでの保革対立には二重の 顔があった。それは一面では不毛で非現実的なイデオロ ギー対決の顔であり、他面ではそれをか国対 U 政治でさ ばきながら、国民各層と各種運動団体に経済成長の果実 を配分する、現実的な利益誘導政治の馴れ合いの顔であ る。このような戦後政治のもとで、経済と人権の二重の グ 物 取 り 主 義 d が 進 ん だ の で あ る 。 物や制度の不備・欠陥は差別や人権無視の実態を示す ものとされ、逆に差別の解消や人権の回復のためには物 や制度が必要だとされた。これにはマルクス主義の経済 決定論も一役買った。だが人権が問われ、物が満たされ、 言葉規制が進んだある時期から九少しずつ、,物や制度を 追求しても心が伴わず、心を追求したはずが言葉の追求 だけになってしまった。言葉狩りの問題性も気付かれて はいたが、より以上に言葉規制を強化して物と心を追及 せざるを得なくなった。 戦後民主主義の反差別運動としての行きづまりがメデ ィアによる言葉の規制強化として現れてきたために、こ の責任をメディアの自主規制のせいにするというのが最 近の論調である。むろん自己防衛に過敏なメディアもジ ャーナリズムも反省しなければならないが、事態を根本 から改める起動力を持ち、これからもこの運動を続けね ばならないのは戦後民主主義のなかで運動してきた側な のである。メディアの自主規制は過去の運動のあり方が タイムラグで伝わったに過ぎない。言葉狩りはすべきで ないと言いながら表現狩りをやってしまった構造、現実 の文脈や作品から切り離して糾弾しても社会的に許され
てきた構造、そしてなぜかそれにうまく反論できなかっ たこの問題の構造それ自体が、メディアや運動団体の思 考を規定し、いっしょにタブーを作ってきたのである。 ポルノの社会的基準が歴史的に変化してきたように、 何が差別表現かの基準も変化する。これも戦後の歴史の なかで、もはやいかにしてか規制緩和 μ して行くかの問 題なのである。言葉や表現による意図的な差別が社会で まだ公然となされているとか、あるいは差別に根ざす生 活や制度上の不平等がまだ歴然と残っていて、言葉や表 現を追及することがその解決に有効であるとかの場合を すでに過去のものとすれば、今や次の問題だけが残って いる。それは規制によりかえって差別意識を実体化させ てしまったり、さらには学習させてしまう危険はないか ということである。したがってこのマイナス面を天ぴん にかけての社会の選択が関われている。社会諸勢力の力 関係の行きづまりを打開する新しい社会戦略が模索され なければならないのだ。 被差別の側からの糾弾と、メディアの自主規制と、作 家の断筆という時代閉塞を突破するためには、これまで 運動を進めてきた左翼、社民、市民派、被差別の側が、 高度成長と五五年体制の下で馴じんできた政治思考を改 め、大胆に言葉と表現の規制綾和に乗り出すほかはない。 それが事態の基本的な解決方向である。自らを改革し、 政界再編ならぬ社会再編を引き起こすべきはこちらの陣 営なのである。かつて糾弾の先頭に立ってきた部落解放 同盟は今回の筒井叩きにもはや加わっていない。時代に 取り残されそうな戦後民主主義の分流や支流、新たに合 流してきた左翼の残党などが筒井叩きに熱心だっただけ だ。筒井康隆は戦後民主主義が再編されるその過渡期に 敗 北 し た の で あ る 。 こペる 13
時評⑨
あいまいな日本
師岡佑行︵京都部落史研究所︶ すべてが猛烈な勢いで過ぎ去っていくこの国のこと、 昨年の大江健三郎さんのノーベル文学賞受賞を取り上げ るのは時期おくれだと瑚われるかも知れない。しかし、 日 本 時 間 に 直 せ ば 、 太 平 洋 戦 争 開 戦 と 同 じ 一 一 一 月 八 日 、 大江さんがストックホルムで行なった講演﹁あいまいな 日本の私﹂は、敗戦五O
周年を迎える今年、心にとどめ ねばならない大事な内容をもっていると思う。 悪文とさえ言えるその文体に閉口して、わたし自身、 それほど多く、大江さんの作品を読んではいない。これ がふつうで、ベスト・セラ l の作家ではなかった。その 大江さんにノーベル賞を授与し、日本でさえめったに聞 くことのない少数者の声を世界のすみずみにまで届ける 機会を設けてくれたスウェーデン・アカデミーには感謝 したい。八日付の﹃朝日新聞﹄が﹁改憲の﹃策動﹄批判、 不戦の誓い世界に訴え﹂の見出しで報じたのをはじめ、 各紙が大きく取り上げたのは周知のところだ。 大江さんについての各紙の記事に目を通しながら、オ ヤと思ったことがあった。一一月七日の﹃朝日新聞﹄と ﹃毎日新聞﹄がまったく同一の記事を載せていた。ふし ぎに思ってよく見ると、﹃時事通信﹂が配信した六日付 ﹃ニューヨーク・タイムズ﹄の大江さん関係の記事の紹 介なのである。どうして競争のはげしい新聞界でこんな 珍妙なことがおこったのか。おそらく、それは﹁同紙に よると、大江氏は天皇制を非民主主義の遺物で第二次大 戦の恐怖を想起させる存在とみなし、戦争を起こした責 任は天皇制にあると考えており、そのことが︵文化勲 章︶受賞拒否の背景にある﹂との一節であろう。 つまり、天皇制にふれているからである。大江さんが 文化勲章を授与されるのを拒否したのは、明らかに天皇 制との関係であった。だが、このことを明確につたえた 新聞はなかった。﹃ニューヨーク・タイムズ﹄の記事は かつこうの内容であった。いささか品の悪い言い方だが、 他人のフンドシですもうを取ったのであろう。そのこと が大江さんのノーベル賞受賞をめぐる重要な論点を欠落 さ せ る こ と と な っ た 。J
・スターンゴールド記者の署名入りの﹃ニューヨー ク・タイムズ﹄の記事を苦労しながら読んでみた。まず、 この記事には大江さんとのインタビューが 1 大江さん宅 に向けられた右翼のデモについて警告するためにやってきた警察官の来訪で中断したとある。階以外に大江さん がこのような攻撃にさらされていることをはじめて知つ 、た。この国で起こっている出来事をアメリカの新聞で知 らされるとは、とんだ情報化時代というものだ。また、 この記事では大江さんが﹁天皇制の責任について考えつ づけ﹂、﹁民主主義を越えるいかなる権威、いかなる価値 も認めない﹂と述べたと報道するだけでなく、この考え 一 が 日 本 で は 孤 立 し て い る と 伝 え て い る 。 そして大江さんにとってさしあたっての課題が﹁小さ くても彼の立脚点にたいする公然たる共感を見出すこと にある﹂と指摘する。この筆調にわたしは記者魂とでも いうべきものを感じるのだが、日本ではほとんどお目に か か れ な い と こ ろ で あ る 。 どの新聞も大江さんのノーベル賞受賞を賛美するだけ で、それがどんな風土のなかでのできごとなのかにふれ た記事は見当らなかった。同記事では日本では文学作品 の多くが﹁うつろで、熱気のないもの﹂になっていると 報道するとともに、日本文学研究の第一人者であるドナ ル ド ・ キ l ンさんの、日本では、ごく大きい本屋以外に まともな文学書を置いているところはないし、本来この ようなかたい本の読者であるべき学生が本気で読まなく なっているという言葉を伝える。さらに、つづけて、こ うしたきわめて憂欝な時代だが、日本人が金満国である ことに自己満足して、心をおどらせることがなくなって いるからだ、との辛口の批評を紹介するのである。 大江さんのノーベル賞受賞について﹁大多数の日本人 は、どんな彼の著作をもあげることができないくせに、 日本文化の豊かさの確証だと誇った﹂とからかうスター ンゴールド記者の対象が自分たちに向けられていると思 わないで、日本の敏腕な記者やデスクはなにを今さらと 横をむくことだろう。しかし、わたしはそれが大江さん に必要な﹁共感﹂がけっして容易でないことを示すもの としてあらためて受け取りたい。この文化状況とどのよ うに立ち向かうかが、いま切実に問われている。 J このインタビューで天皇にふれた大江さんは、受賞記 念 の 講 演 で も 、 ﹁ 絶 対 的 権 力 ﹂ ︵ 山 吉 田 O H 三 四 一 切 0 4司
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日本語 では﹁絶対的価値﹂となっている︶の言葉を用いて天皇 制に触れ、改憲の危険性の底にあるものがなんであるか を明らかにした。この点まで論究した新聞はなかった。 そこに根ざした文化勲章を受け取らなかったのは当然だ った。それが文学の方法までにかかわっていることを知 りたい方には大江さんの﹃小説の方法﹄︵岩波現代選書︶ を読まれるようすすめたい。 15 こぺる第 却 回 ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 か ら 部落問題に直接触れているわけで もなし、﹁生臭い﹂話などかけらも な い 一 月 号 の 岡 崎 論 文 で し た か ら 、 正 直 な 話 、 参 ノ 加 者 が 少 な い の で は と 心配していたのですが、どうしてど うして。いつもにも増して参加者が 多い上、次から次と発言が続き、 ﹁ 常 連 ﹂ の 出 る 幕 が な い ほ ど で し た 。 会では、岡崎さんから論文を補足 していただいた後、障害者の施設の 現 状 、
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君のか無断 d 外出とコー ヒーへのこだわりをどうみるか、あ るいは運動の取り組みゃ理論状況な ど を め ぐ っ て や り と り が あ り ま し た 。 ﹁集団隔離を基本とした施設である 限り、問題の解決はないのではない か﹂﹁しかし問題を家族に投げ返し てはならない﹂﹁根本は、人聞をど うみるかという価値観、人間観の問 題 で は な い か ﹂ 。 障害者問題についての詳しい展開 は他の方に譲りますが、﹁仕事﹂と して療育の現場に携わる中で生まれ てきた寸施設入所者の人権をどのよ うにとらえていったらよいのか﹂と いう岡崎さんの問いかけは、決して 重度障害者施設だけの問題ではない と 思 い ま す 。 部 落 問 題 で 吾 一 守 え ば 、 隣 保 館 の 職 員 や学校の教員と部落の住民、子ども との関わりなどにも共通するものが あ る の で は な い で し ょ う か 。 一 ﹁ あ ん た ら 、 ど う せ 仕 事 ゃ し ゃ っ てるんやろ﹂||よく耳にする言葉 ですが、私は最近思うのです。﹁だ けど、仕事でやる方が大変ちがう? ﹃思想でやってる﹂とか言う奴の方 が 、 あ て に な ら ん こ と が 多 い で ﹂ 冗談っぽく書きましたが、ご容赦 下さい。一昔前、少なからぬ人にと っては、狭山闘争が部落問題の入口 でした︵私自身そうです︶。部落問 題に﹁運動﹂として取り組む人がい くらでも︵?︶いました。けれども 今は違います。むしろ、行政職員や 教員その他としての﹁仕事﹂が部落 問題への関わりのきっかけであると い う 人 が 多 い で し ょ う 。 運 動 体 の 側 も 、 ﹁ 仕 事 ﹂ の 側 も 、 お互いがその﹁きっかけ﹂をもっと 大事にすべきだと私は思います。同 和担当の行政部署への異動を比叡山 の修行になぞらえたグ千日回峰 u な る 隠 聡 の ま か り 通 る 当 地 の 現 状 を 、 そ れ ぞ れ が 深 刻 に 考 え る べ き で す 。 ﹁ 仕 事 ﹂ を 通 し て 人 聞 を 考 え 、 聞 い、人間の見方を変えること。それ が﹁仕事﹂の質も変えるのではない か。それはなにも、同和行政や障害 者の施設だけのことではない|| i 阪 神大震災による被害の状況、救援の 取 り 組 み ゃ 議 論 を 見 聞 き し な が ら 、 こ ん な こ と を 考 え て い ま し た 。 ︵ 熊 谷 亨 ︶鴨水記 マ一月十七日早朝、突きあ げるような衝撃に目をさま されました。刻々と伝えら れる被災状況は、時を追い 日を追って凄惨さの度を加 え、想像を絶する災害が明 るみに出てきました。こち らでは日常の生活が進行し、 わずかな距離をおいた被災 地では非日常の世界が繰り 広げられている、その隔絶 感はかつて経験したことの ない質のものでした。被災 地の方がたの御心痛、今後 予想される御苦労は察する に余りありますが、もし地 震の発生がもう一時間あと だったら、もし震源が原発 の近くだったら:::、いく つかの﹁もし﹂が現地の惨 状と二重写しになって、戦 傑とともに脳裡をはなれま せん。たとえこの地震が予 想を超えたものであったに せよ、建造物の安全性の問 題 は 言 、 つ に 及 、 ば ず 、 メ デ ィ アのあり方、災害対策のあ り方、地方自治のあり方な ども含めて多くの問題を私 たちは提起されていると思 い ま す 。 マもう一カ月がたとうとし ています。一月末、本誌の 一一月号の発送に際して、被 災地にも多くいらっしゃる 購読者の方がたを思いなが らあれこれ透巡しましたが、 とりあえず従来どおりすべ て発送いたしました。目下 のところ、こちらには一通 も返ってきておりませんが、 局留めということも想像さ れます。今月号も従来どお り発送させていただきます。 少々の余分はございますの でお手元に届かなかった場 合は、また後々にでも送ら せていただきます。︵森︶ ﹃こぺる﹄合評会のお知らせ 三月二五日︵土︶ 午後二時より二・二一月号 合評会終了後、こぺる刊行 会総会を開きます。 、 、 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー j 第二会議室 施 。 七 五 四 一 五 一 O 三 O 編集・発行者 こべる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区寺町通今出川上ル四丁目鶴山町14 阿昨社 Tel. 075 256 1364 Fax 075-211-4870 定価300円/(税込)・年間4000円郵便振替 010107 6141 第24号 1995年3月25日発行
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﹃同和はこわい考﹄の発刊以来八年 、 ともあれ ここに、差別・被差別の両側から超えて、共同 の営みを進めるための対話がなりたった : : : 感 性鋭く、忽像力 豊 かに、人間と差別について、 広く語り合いたい 。 | | | 編 者 被差別部議民の H 陰 H の部分は、これまで彼らが 培ってきた H 光 H の部分を強調するだけで克服で きる課題ではない 。 ま ず 、 H 陰 Hの部分を H 陰 Hと 自 覚 し 、克服に向け た真剣な取り組みを通じて 、 H 光 H の部分 も 一 層 輝きを増すのである 。 − 住 田 一郎 寸 被 差 別 部 落 民 の 感 性 に つ い て の 覚 書 ﹂ よ り