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永青文庫蔵『新古今略注』・黒田家旧蔵 『新古今集聞書』の仮名遣

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Academic year: 2021

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(1)

永青文庫蔵

﹃ 新 古 今 和 歌 集 ﹄ ︵ 一 一 一

O

五︶の撰者の一人で、歌人とし ても、文学者としても、大きな業績を残した藤原定家︵一 一 六 二

1

一 二 四 一 ︶ 。 そ し て 、 彼 が 行 な っ た ﹁ 定 家 仮 名 遣 ﹂ は、定家の和歌・文学世界における声望ゆえに、特にその 道において重視されていた。 本論では、定家以後、定家の影響を受けている、二条派 歌道の後継者、東常縁︵一四

O

1

一四九四︶の著・﹃新 古今集聞書﹄の写本のうち、常縁原撰注系統本に属し、常 縁と同じ二条派歌道の正系の細川幽斎︵一五三一四

1

一 六 一

O

︶の手であるといわれている、永青文庫蔵﹃新古今略 注﹄と、幽斎自筆本の黒田家旧蔵﹃新古今集聞書﹄を資料 に、二写本の書写者が、どの程度﹁定家仮名遣﹂を意識し ていたのかを探っていきたい。 初めに、で定家の仮名遣について説明しよう。定家が残し た仮名遣に関する唯一の成書である﹃下官集﹄の中には、 ﹁嫌文字事﹂の一条がある。それは、古人の使っていた仮 名表記と定家の時代の仮名表記には違いがあり、自分︵定

黒田家旧蔵

の仮名遣

二 十 六 回 卒

家︶はそれに対して不満を持っており、仮名表記に対し、 一つの原則を定めたいと思う、という内容のものである。 では、その原則とは何であったのだろうか。大野晋氏の 研究住ーによると、定家は﹁お﹂と﹁を﹂の仮名は、音の高 低によって、﹁お﹂と﹁を﹂以外の仮名は、語によって定め て い た と い う の で あ る 。 つ ま り 、 ﹁ お ﹂ ﹁ を ﹂ に つ い て は 、 オにあたる音のアクセントが低く平らかな調子の音の時は ﹁お﹂の仮名を用い、高く平らかな調子の音の時は﹁を﹂ の仮名を用いていたのである。それ以外の仮名になると、 アクセントによる書分けはせずに、古典作品に基準をおい て、語によって書分けていた。しかし、﹁まいる︵参る︶﹂ ﹁ つ ゐ に ︵ 遂 に ︶ ﹂ 、 ﹁ う へ ︵ 植 ︶ ﹂ ﹁ す へ ︵ 据 へ ︶ ﹂ ﹁ ゆ へ ︵ 故 ︶ ﹂ ﹁ ゆ く ゑ ︵ 行 方 ︶ ﹂ ︵ 傍 点 部 は い ず れ も 歴 史 的 仮 名 遣 と異なっている︶の六語については統一的に用いており、 ハ行動調の活用語尾の仮名は、ハ行の仮名を用いている。 また、小松英雄氏の説?によると、定家は、﹁致﹂の文字 を﹁お﹂と﹁を﹂の対立を中和する独自の字として、同一

(2)

字 形 の 隣 接 を 回 避 す る た め や 、 複 合 語 の 第 一 音 節 、 掛 調 に 用 い て い た 。 以 上 が 「 定 家 仮 名 遣 」 の 特 徴 で あ る が 、 こ れ は そ の 後 、 行 阿 の 『 仮 名 文 字 遣 』 で 増 補 と い う 形 を と り 、 一 般 に 広 ま っ て い っ た の で あ る 。 そ れ で は 、 永 青 文 庫 蔵 『 新 古 今 略 注 』 ( 以 下 、 永 本 と 略 す る ) と 、 黒 田 家 旧 蔵 『 新 古 今 集 聞 書 』 ( 以 下 、 黒 本 と 略 す る ) の 仮 名 遣 に つ い て 調 査 、 考 察 を す す め て い く 。 ま ず 、 両 写 本 の 「 発 」 の 文 字 遣 で 、 所 属 と 用 法 を 検 討 す る 。 両 写 本 の 「 我 」 の 用 例 を 抜 き 出 し 、 歴 史 的 仮 名 遣 、 定 家 仮 名 遣 と を 比 較 し て み る 。 表

1

両 写 本 に お け る 「 技 」 の 文 字遣 な 哉 る な と と 主 と主 と み さ さ 予告 勢 す裁 決る 投し 裁 我 強し 助 言司 ~t脅 み ずつ 樟 の 直 通 遠 〈 力、 用 例 し 1 5 4 2 1 6 3 1 1 4 206会本く 1 1 3 1 1 1 1 4 85 本黒 な な と と と と と み さ さ

自仮

勺 tま tま tま 』ま tま tま tま を を を を る す る み し 山 マコ し く 力、 し な な と と と と と み さ さ 定 家 仮 名 遣 を を お お を を を を を を を る す る み し 山 ’つ し く 力、 し ,ー,−←,p 通 用 例 ,戸,rレ−−

--

レ戸戸 レーー,戸戸,

-す る と 、 ﹁ 致 ﹂ は ﹁ を ﹂ に 属 し て お り 、 用 法 は ﹁ お ﹂ ﹁ を ﹂ の対立を中和するという定家仮名遣の特徴を示しておらず、 視覚的単調化を避けるための一種の異体字だと解される。 また、語によっては﹁致﹂を用いるという意識が働いてい た と も 考 え ら れ る 。 次 に 、 ﹁ お ﹂ と ﹁ を ﹂ の 仮 名 に つ い て 調 査 す る 。 ﹁ お ﹂ ﹁ を ﹂ を 含 む 語 に つ い て は 、 A 歴史的仮名遣が﹁お﹂のものを﹁お﹂と表記したもの

B

歴史的仮名遣が﹁を﹂のものを﹁お﹂と表記したもの C 歴史的仮名遣が﹁お﹂のものを﹁を﹂と表記したもの

D

歴史的仮名遣が﹁を﹂のものを﹁を﹂と表記したもの

E

歴史的仮名遣が﹁ほ﹂のものを﹁を﹂と表記したもの の 五 つ に 分 類 し 、 総 計 は 、 永本 l 延べ語数獅語異なり語数倒語 黒本 l 延べ語数制語異なり語数朋語 となった。このうち、表記にゆれのある語は異なり語数 で、永本・黒本とも

2

語ずつあり、これは全体のそれぞれ

2

1%

2

3%

にしかあたらず、両本ともに表記に統 一 性 が あ る と い え よ う 。 続いて、先の分類の結果と定家自筆本︵﹁高松宮本古今 和 歌 集 ﹂ ﹁ 高 松 宮 本 後 撰 和 歌 集 ﹂ ﹁ 御 物 本 更 級 日 記 L ﹁ 伊 勢 物 語﹂﹁近代秀歌﹂﹁前田家本定額集﹂いずれも大野氏の調査 による︶の語例とを比較し、その結果を数値で表すと次の よ う に な る 。 表

2

両写本と定家自筆本との比較

(3)

-32-両写本と定家自筆本との比較 定家仮名遣い 定家仮名遣い 計 一 致 率 と 致 と 不 一 致 (%) 永本 193 (46〕 3 (3) 196 〔49〕 98.5(93.9〕 A 164 (42〕 1 (1) 165 (43) 99.9(97.7〕 黒本 永本 29 (10〕 3 (3) 32 (13) 90.6(76.9〕 B 黒本 31 (12〕 4 (2) 35 (14) 88.6(85.7〕 永本 15 ( 8) 15 ( 8) 100(100)

c

15 ( 8〕 5 (2) 20 (10) 75( 80) 黒本 永本 15 ( 9) 15 ( 9〕 100(100) D 黒本 18 ( 9〕 18 ( 9) 100(100) 永本 16 ( 5〕 6 (2) 22 ( 7) 72.7(71.4〕 E 4 ( 4〕 4 (2〕 8 ( 6〕 50(66. 7) 黒本 計 永本 268 〔78〕 12 (8〕 280 (86〕 95.7(90.7〕 黒本 232 (75) 14 (7) 246 (82) 94. 3(91. 5〕 表2 )は異なり語数 表

2

をみてみると、永本は

E

項 が 、 延べ語数

η

・4%異なり語数口・4% とやや一致率が下がってはいるものの全般にどの項も一致 率 は 高 い 。 一 方 、 里 山 本 の 場 合 も

E

項 が 、 延べ語数日%異なり語数侃・7% と低い数値になっているが、その他の項は高い一致率を示 している。また、全体の一致率は、 永本 l 延べ語数回・7%異なり語数叩・7% 黒本 l 延べ語数例・3%異なり語数回・5% と非常に高く、両写本とも定家仮名遣を実行しているとい え よ う 。 尚、定家自筆本の表記と一致しなかった語については、 俗に﹁定家仮名遣﹂として広まった、行阿の﹃仮名文字 遣﹄と、室町時代後期の二条派歌人、三条西実隆の仮名遺 書﹃九折仮名遣﹄とで比較したが、﹃仮名文字遣﹄と一致し たのは、永本で

1

語、黒本にはなく、﹃九折仮名遣﹄と一致 し た 語 は 、 永 本 、 里 山 本 と も

1

語 、 ず つ で あ っ た 。 よ っ て 、 両 写本とも﹃仮名文字遣﹄﹃九折仮名遣﹄のどちらにも近いと は 言 い 難 い 結 果 と な っ た 。 ﹁お﹂と﹁を﹂を含む語について、定家はアクセントに よる使い分けをしていたので、次はその面からも調査する こ と に す る 。 定家は当時一つの音に帰していたオの音を書き分けるの に、低く平らかな調子のオの音節︵平声︶は﹁お﹂、高く平 らかな調子のオの音節︵上声︶は﹁を﹂の仮名を用いるこ

(4)

とにしていた。そこで、アクセント資料として、永保元年 ︵ 一

O

八一︶成立の﹃類衆名義抄﹄を用い、先に分類した

A1E

の中の﹁お﹂﹁を﹂の部分の音の高低を調査し、それ を数値として表わす。 表 3 に お い て 、 A 項 ・

C

項 ・ D 項については、延べ語数も、 異なり語数も加%以上の高率を示している。しかし、

B

項 を み る と 、 永本l延べ語数ロ・5%ことなり語数日・3% 黒本l延べ語数η%異なり語数日・3% とやや低くなっており、

E

項 に な る と 、 永本l延べ語数羽・5%異なり語数担・9% 黒本l延べ語数出%異なり語数犯% と最も低く、﹃類緊名義抄﹄をみた限りでは両本とも、定家 仮名遣の原理である、アクセント仮名遣を行なっていると は 苦 い 難 い 。 しかしながら、ウクセントは時代によって変遷するもの である。特に平安末期から江戸初期にかけての京都のアク セントは、平声から上戸への変化か著しかった。そこで今 度は、成立したのは江戸時代だが、室町時代のアクセント を記しているという﹃補忘記﹄を資料に、両写本の用例の うち﹃類衆名義抄﹄と﹃補忘記﹄の両方にアクセント表示 があるものについて抜き出して比較し、その結果をまとめ ると次の表になる。︵表

4

︶ 『類衆名義抄』と両写本の比較 E D

c

B A 黒 本 永 本 黒 本 永 本 黒 本 永 本 泉 本 永 本 黒 本 永 本 6 16 12 29 22 4 3 1 4 記録もによ 上 (1〕 (1〕 (7〕 (6〕 (9) (8) 〔2〕 (3〕 (1〕 (4〕 る の 1 4 2 1

。 。 。 。

推定によ 〔l〕 (2) (1) (2〕 (1〕 (1〕 (0) (0) (0〕 (0〕 るもの 戸= 伝 3 8

1 2

27 25 130 146 記録もによ 平 (3〕 (3〕 (0) (1〕 (1) (0) (9〕 (8〕 (21〕 (lg〕 る の 3 4

。 。 。 。 。 。

33 45 推定によ (1) (1〕 (0) (0〕 (0) (0)

c

o

〕 (0〕 (22〕 (28〕 るもの 芦

。 。

1 1 3 1 6 6 4 4

c

o

〕 (0〕 (1) 〔1〕 (1〕 (1〕 (5) (4〕 (2〕 (1〕 8 22 18 16 35 24 37 34 168 199 (6〕 (7〕 (9) 〔10〕 (12〕 〔10〕 (16〕 (15〕 (46〕 (52〕 25 45.5 94.4 87.5 85. 7 95.9 73 73.5 97.0 96 充当率(%〉 (33) (42. 9〕 (88. 9) (80〕 〔83.3〕 (90) (56. 3) (53. 3) (93. 4) (90.1〕 表3 )は異なり語数 ×1 0 0 × 1 0 0 上声の用例数(推定を含む) 全体の用例数 平声の用例数(推定を含む) 全体の用例数 34 C項・D項・ E項の充当率 A項・B項の充当率

(5)

『類衆名義抄』と『補忘記』と 両写本の比較 いど し、ど ている忘記補 きている妙名義霊 なち るち いら ら 計 の み ’ コ コイ あ の て て コイ み 永 136 2 25

109 宝ロ五口 (16〕 (2〕 (6) (0〕 〔8〕 本 黒 98

47 2 49 〔19〕 (0) (10〕 (1) (8〕 数 本 永 100 1. 5 18.4

80.1 率 充当 (100〕 Cl2. 5) (37 .5〕 (0〕 (50〕 本 黒 100

48.0 2.0 50 % 〔100〕 (0〕 (52.6〕 (5.3〕 (42.1) 本 表4 ︵︶は異なり語数 ﹃ 類 衆 名 義 抄 ﹄ ﹃ 補 忘 記 ﹄ の ど ち ら 表 4 の 充 当 率 の う ち 、 にもあっているのは 永本 l 延べ語数日・4%異なり語数訂・5% 黒 本 l 延べ語数羽・0%異なり語数臼・6% である。また、﹃補忘記﹄にのみあっているのは、永本には なく、黒木には 1 語ある。しかし、この

l

語 は 里 山 本 中 で 表 記にゆれのある語である。よって、両写本ともアクセント 仮名遣を行なっているとはいえないようである。 以上、﹁お﹂﹁を﹂を含む語についてみてきたが、両写本 とも﹁定家仮名遣﹂を行なってはいるが、それはアクセン トによるものではなく、語による使い分けであることが判 明 し た 。 そ れ で は 、 ﹁ お ﹂ ﹁ を ﹂ 以 外 の 仮 名 に つ い て 述 べ る 。 定家は、﹁お﹂と﹁を﹂以外の仮名は、語によって書き分 けていた。そこで、両写本において、﹁はわいゐひえゑへ﹂ を含む語について歴史的仮名遣と異なる語を抜き出し、定 家自筆本の表記と比較し、数値で表わした。 両写本と定家自筆本との比較 混 数不遣定家仮名

仮 名 遣 未 同 iJ>、 計 み ら 詳 れ と と る 永 79 17 6 6 56 至日五口 (20) (5〕 〔5) (5) (10〕 本 黒 70 11 1 4 54 (20〕 (7〕 (1〕 (2〕 (10) 数 本 永 100 21.5

7.6 70.9 充 ClOO) (25〕 (0〕 (25) (50) 本 当 黒 率 100 15. 7 1.4 5. 7 77.2 (100〕 (35〕 (5) (10〕 〔50〕 % 本 表5 ︵︶は異なり語数 表5をみると、両本とも異なり語数で全体の印%という 充当率を示している。これは﹁お﹂﹁を﹂の仮名表記と比べ ても必ずしも高い率だとはいえない。 では、﹃仮名文字遺﹄﹃九折仮名遣﹄と比較してみるとど

(6)

う で あ ろ う か 。 定 家 自 筆 本 で は 未 詳 だ っ た 語 と 不 一 致 だ っ た 語 に つ い て 、 二 つ の 仮 名 遣 書 と 比 べ て み た 。 し か し 、 永 本 は 二 書 に 一 致 す る 語 は な く 、 里 山 本 は 『 仮 名 文 字 遣 』 に 一 致 す る 語 が2 語 、 『 九 折 仮 名 遣 』 に 一 致 す る 語 は な い とい う結果に終わった。 次 に 、 定 家 が 用 い て い た 特 別 な 語 の 仮 名 表 記 と 二 つ の 仮 名 遣 書 、 永 本 、 黒 本 の 表 記 を 比 べ て み る 。 表

6

特 別 な 語 の 仮 名 遣 bφ ゆ す う ま dコ く ~ ~ ~ L

ゐ 本 書 ゑ 故 据 植 る Uこ 行 参 遂 の ~ 用 方 ) る tこ 例 ) ) 9 24 1 1 3 永 本 8 22 1 2 3 1 黒 本 ゆ ゆ す う ま Jコ く ~ ~ 〆 \ L

ゑ る tこ ゆ

戸 す う ま ’コザコ

文 字 遺 く と ~ ""-

ゐ い ゑ の て を る Uこtこ ゆ く ~、 b〉号 す す う う イコマコ 九, J

え へ え へ ゐ い 折 仮 遣 名 て て tこ Uこ 表 6 に お い て 、 ﹃ 仮 名 文 字 遣 ﹄ は ﹁ つ ゐ に ﹂ ﹃ 九 折 仮 名 遣 ﹄ には﹁つゐに﹂﹁うへ﹂﹁すへ﹂に二形がある。しかし、両 写本には、表記にゆれもなく山山本の仮名遣で統一されてい る 。 また、ハ行動詞については、 るものについて調査をしたが、 : 一 つ 以 上 の 活 用 形 が 出 て く 永本では、人種類のハ行動 詞のうち、書写者の筆運びによると考えられるものが一形 だけ認められた︵﹁言ふ﹂の未然形で﹁言は﹂と書かなけれ ばならないところを﹁一言わ﹂と表記していた︶が、あとは 全てハ行の仮名で統一されていた。黒本の方も、九種の動 詞はハ行の仮名で表記されていた。 以上のように﹁お﹂﹁を﹂以外の仮名表記についてみてき たが、これらの仮名遣は、﹁お﹂﹁を﹂の仮名遣ほどの高い 一致率を示さなかったものの、﹃仮名文字遣﹄﹃九折仮名 遣﹄よりも定家仮名遣に近く、特別な語の表記、ハ行動詞 の表記も定家仮名遣の特徴を示しており、両写本とも定家 仮名遣を意識し、実行しようとしていたといえよう。 ところで、ここまでは、定家仮名遣と三写本とを比較し てきたが、同じ内容で、書写者が同一人物であると目され ている︵永本は確定的ではないて二写本同士を比較して み る と ど う で あ ろ う か 。 -36

二写本の間でゆれのある語を抜き出す。 表

71

乱﹁お﹂﹁を﹂間でゆれのある語 永 本 お も る ︵ 重 ︶ お の れ おばすて山 語数 圭五 数 黒 本 を も る を の れ をばすて山 1

1

1

(7)

表71b 「 お 」 「 を 」 以 外 で ゆ れ の あ る 語 fこTこ し、 ーー、〉ー ぐ ぐ わ と 永 ゐ ゐ ん わ な 類 r

仁=~ 、 ら し す 本 、ーノ 7 3 1 圭数五 fこ すこ し、 ー〉 ぐ ぐ 』ま と黒 ひ ひ ん tま な ら本 し す 6 8 1 三数五 この表をみると、黒本の方は、全て定家仮名遣と一致して いる。更に、黒木には﹁をなじ︵同じ︶←おなじ﹂﹁おのれ ︵ 己 ︶ ← を の れ ﹂ ﹁ お さ へ ︵ 抑 ︶ ← を さ へ ﹂ ﹁ は ら い ︵ 払 ︶ ←はらひ﹂﹁よわる︵弱︶←よはる﹂のような見せけちがみ られる。こうしてみると、定家仮名遣を実行しているこ写 本ではあるが、永本よりも黒本の方が仮名遣意識は強かっ た と 思 わ れ る 。 さて、これから先は﹁致﹂の文字遣についてて少し述べ た し 定家は﹁致﹂を独自の文字として使っているが、両写本 にはそのような特徴はみられず、語による使い分けを行 なっているのではないかと思われる点があったことは、前 に 指 摘 し た 通 り で あ る 。 そこで、歌道世界に生きた、正徹・三条西実隆、三条西 公条、幽斎の門人の中院通勝・烏丸光広・幽斎の子、細川 幸隆の﹁致﹂を取り上げ、幽斎のそれと比較してみた。 ︵尚、烏丸光広を除いては、卒業生の方々の資料を参照さ せ て い た だ い た 。 ︶ す る と 、 ﹁ 猶 ︵ な ほ ど ﹁ 等 閑 ︵ な ほ ざ り ︶ ﹁ 直 ︵ な ほ る ︶ ﹂ ﹁遠︵とほい︶﹁通︵とほる︶﹂﹁小牡鹿︵さをしかとを書 く場合傍点部に﹁致﹂を用いる例が多かった。しかも﹁小 牡鹿﹂を除く他の語は歴史的仮名遣では﹁ほ﹂にあたると ころに﹁致﹂を用いている。 また、語による使い分けは、書く個人さまざまであり、 例 え ば 、 ﹁ 猶 ﹂ を 書 く の に ﹁ な 致 ﹂ ﹁ な を ﹂ 、 ﹁ 遠 ﹂ を 書 く の に﹁とをし﹂﹁と裁し﹂の二形を用いる者がいたり、あるい は﹁な致﹂﹁と致し﹂で統一している者がいたり、必ずしも 強制的ではなかったようである。しかし、幽斎・幸隆親子 は、語によって、﹁我﹂を統一させて使っていた。 このようにして、永青文庫蔵﹁新古今略注﹂黒田家旧蔵 ﹁新古今集聞書﹂の仮名遣を調査してきたが、両写本とも に﹁定家仮名遣﹂を実行していたという結論を得た。 もう少し細かくいうと、﹁お﹂﹁を﹂については、アクセ ントによる使い分けをせずに文字による書き分けを行なっ ており、﹁定家仮名遣﹂の原理を根本的には理解していな かったようである。また、﹁お﹂﹁を﹂以外の仮名は、さほ どの高い一致率はみられなかったものの、定家の仮名遣は 意識していたようである。そして、両写本間では、永青文 庫本よりも、黒田家旧蔵本の方が仮名遣意識は強かった。 それにしても、両写本の書写者が定家の仮名遣を意識し、 実行しようとしていた姿勢がうかがわれ、ここに、書写者 達が定家をいかに重んじていたかがうかがわれる。 思えば、両写本が成ったのは、定家の死後三百五十年以

(8)

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本伝あ

論 統 る

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終 態 そ わ 度 れ る 、 で こ 定 も と 家 な に の お す ゆ ミミら定 ν ぐ 家 こ を と 重 注 注 2 l ﹃仮名遣と上代語﹄による としい同げはほ

1

文字づかい l ﹁ を ﹂ と ﹁ お ﹂ の 中 和 を 中 心

参照

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