本稿 では
、ハ ンナ
・ア ーレ ント の『 人間 の条 件』 に示 され た論 考を もと に、 彼女 が否 定し た世 俗国 家の 特質 を検 討す る。 西 ヨー ロッ パの 封建 時代 は王 公、 諸侯 およ び教 皇と 司教 がそ れぞ れの 所領 を個 別に 統治 する 分立 状態 にあ った が、 全域 を ロ ーマ 教会 が精 神的
、イ デオ ロー ギー 的に 支配 する 体制 下に あっ た。 しか し中 世後 期に 封建 制が 衰退 する につ れ、 王権 が 教 会と 諸侯 の権 力を 吸収 し勢 力を 拡大 した
。そ こに 出現 した 王国 は政 教分 離の 原則 に則 り成 立し た統 治体 であ るた め世 俗 国 家と いわ れる
。王 権は 国内 を軍 事的 に統 一し たが
、そ れに 止ま らず 領主 裁判 権、 市場 統制 権を 集約 し、 教会 の文 化的 主 導 権を 打破 して 封建 勢力 の実 権を 剥奪 した
。他 方商 業や 農業 など の面 で領 民を 保護 し自 由民 とし ての 権利 を認 めた
。そ の 結 果王 権の 権力 集約 はネ ーシ ョン の形 成を 助長 する こと にも なっ た。 こう した 経緯 から 成立 した は世 俗国 家は
、領 内を 軍 事
、法 制
、言 語、 文化 お よび 商業 にお いて ネー シ ョン を統 合す る共 同体 とし て成 長し
、多 面 的な 特性 を内 包す るよ うに なっ た。 この 特徴 は近 代国 家に も受 け継 がれ てき た。 本稿 は中 世末 期に おけ る世 俗国 家の 成立 過程 を検 討し
、国 家と いう 存在 の属 性を 探る こと にし たい
。
(
)
西 欧 に お け る 世 俗 国 家 の 成 立 と ネ ー シ ョ ン の 形 成
再 考 人 間 の 条 件
( 完
)
大 熊 忠
之
三 六 六 三 六 六
国家 の理 想形 態に つい てヨ ーロ ッパ では 古典 古代 より さま ざに 論じ られ てき た。 近代 の民 主国 家で は古 代ギ リシ アの 都 市 国 家
( ポ リ ス
) と く にア テナ イ を理 想と する 見 方が 有力 と なっ た。 ア ー レン トも そ の一 人で あ る。 彼 女は 政 治と は民 生 の枠 を超 える
「活 動」 であ るこ とを 力説 して
、政 治は 生活 に係 わら ない 活動 だと 述べ る。 なぜ なら 生活 上の 事案 は家 族内 の問 題で あり
、私 的領 域に 属す るか らで ある とい う。 した がっ て経 済は 公的 領域 外の 事象 であ り前 政治 的問 題に ほか なら ない と論 じる ので ある
。近 代以 降、 経済 が集 団的 関心 の的 とな った のは
、家 族と いう 血族 集団 が経 済的
・政 治的 な組 織に 変質 した から であ ると 述べ
、経 済組 織に なっ た血 族集 団が 恰も 単一 の超 個人 的家 族で ある かの よう に考 えら れ、 その 集合 が社 会と して 認識 され るに 至っ た。 やが てそ れが 政治 的に 統合 され 国家 と呼 ばれ たと いう
。そ れゆ え近 代国 家は 中世 に出 現し た職 業団 体、 ギル ド、 同業 組合 など と同 様、 共 通善 とい う家 族的 理想 つま り中 世的 価値 を追 求し てい た。 それ は私 人 の 物的 利益 を尊 重し
、私 生活 を重 視す るも ので ある から
、公 的領 域に は属 さず
、そ れゆ え中 世の 世俗 領域 は古 代の 私的 領 域 に等 しい とす る。 彼女 はポ リス の政 治で は立 法や 都市 のイ ンフ ラ整 備は 関心 の対 象に なら なか った と指 摘し
、政 治を 統 治 と区 別す る。 では ポリ スの 政治 とは 何な のか
。こ の点 に関 する アー レン トの 記述 はき わめ て晦 渋で 論考 もひ じょ うに 抽象 的で ある
。 世 俗国 家が なぜ 西ヨ ーロ ッパ で発 展し たの かと いう 本稿 の関 心か らす れば
、ア テナ イで 軽視 され た私 的行 為を なぜ 世俗 国 家 が重 視す るよ うに なっ たの か、 その 変化 に注 目せ ざる をえ ない
。ギ リシ ア史 の現 実は 哲学 者の 古代 理解 とは 掛け 離れ た も ので あっ た。 まず 古代 より 十九 世紀 に至 るま でギ リシ アと いう 名の 国家 や地 理的 領域 も国 民も 存在 しな かっ
古代 ギ リ シア とは
、バ ルカ ン半 島南 部か ら黒 海に 続く 臨海 部と エー ゲ海 諸島 に小 アジ アと イタ リア
・北 アフ リカ の一 部を 加え た 一 帯に 分立 した 一千 ヶ所 以上 のポ リス の総 称で しか なか った
。し かも ポリ スは 互い に合 従連 衡を くり かえ し、 ペロ ポネ ソ
( 1
た)
。
─ ─
<
論 説>
修 道 法 学 三 九 巻 一 号
(
)
─ ─2
三 六 五 三 六 五
ス 戦争 以後
、マ ケド ニア
、ビ ザン チン
、オ スマ ント ルコ など の諸 帝国 に併 合さ れた
。ア ーレ ント はギ リシ ア政 治の 歴史 的 展 開に つい て何 も触 れて いな い。 本稿 では 彼女 が否 定し た私 的行 為の 多様 性に 注目 した い。 アー レン トの 言説 を再 考す るに 際し て、 第一 に留 意す べき 点は
、論 述の 随所 にみ られ る二 元論 的な 対立 の図 式で ある
。 言 論と 暴力
、公 的領 域と 私的 領域
、自 由と 労働
、市 民( あ る い は ポ リ ス
) と家 族、 そ して 政治 と前 政治 が対 比さ れる とと も に 対立 関係 とし て論 じら れる
。し かし これ らが 論理 的な パラ ドッ クス 関係 にあ った か否 かは 疑問 であ る。 第二 にあ げら れ るこ とは
、こ れら 二項 対 立の 非対 称 性で ある
。政 治と は公 的 領域
( ポ リ ス
) にお ける 市民 の 言動 であ っ た。 そ れに 対し て前 政治 的行 為と は、 住民
( 市 民 の 家 族 と 奴 隷 を 含 む
) の私 的領 域( 家 族 内 部
) にお ける あら ゆる 行為 に及 んで お り
、農 作、 立法 や建 築、 道具 や家 財な どの 物品 生産 から 戦争 まで 含ん でい た。 この 対比 から 前政 治的 行為 の種 類の 多さ と 範 囲の 広が りが 分る
。そ れら は相 互関 連を 欠く こと も少 くな かっ た。 前政 治行 為と いう 名辞 は統 治を 内包 した ため 政治 と の 矛盾 を反 映し たと もい える
。 第三 にア ーレ ント の政 治論 がポ リス の定 常状 態の 下で の市 民の 集団 行動 を対 象と して いる こと があ げら れる
。民 主政 の 脆 弱性 に触 れて いる とは いえ
、政 治の 安定 条件 につ いて は何 も述 べて いな い。 経済 やポ リス の対 外関 係は ポリ ス政 治の 環 境 を規 定す る変 動要 因で ある が、 これ につ いて の記 述も みあ たら ない
。し かし 彼女 が前 政治 事象 とし て指 摘し た言 説の な か にに 世俗 国家 の萌 芽が 隠さ れて いる ので はな かろ うか
。そ の点 をつ ぎに を確 かめ よう
。 一 前 政 治 論 再 考 ア ーレ ン ト は前 政 治 的 行為 と し て私 的 領 域、 具 体 的 には 家 族 にお け る 家長 の 暴 力的 支 配 を指 摘 し た。 と こ ろ で彼 女 は 西 欧 に お け る 世 俗 国 家 の 成 立 と ネ ー シ ョ ン の 形 成
( 大 熊
)
(
) 三 六 四 三 六 四
「家 族」 と いう 語を 血族 集団
( 氏 族
) のメ ンバ ーと 家計 単位
( 世 帯 ま た は 家 門
) と の二 つの 意味 で使 って いる
。家 長の 暴力 的 支 配に つい て何 度も 言及 して いる が、 家長 の定 義は なく
、家 長─ 家族 関係 の説 明も ない
。し かし 当時 の経 済状 態を 考え る と 暴力 的支 配と は奴 隷へ の過 重労 働の 強制 を指 して いた と考 えら れる
。家 計の エン ゲル 係数 が高 かっ た古 代、 食糧 確保 は 必 須の 営為 であ った
。市 民生 活は まず 各自 が所 有地 で行 う農 作に 依存 して いた
。そ の後 農作 は自 給自 足か らポ リス 経済 を 支 える まで に成 長し たが
、成 長と は生 産余 剰の 増加 を指 して いた
。そ の余 剰が ポリ スの 政治 を支 えて いた
。土 地と 技術 が 固 定し てい た経 済に おい て生 産量 は労 働力 投入 に比 例す る。 家族 が農 作業 に従 事し なけ れば
、増 産の 方法 は奴 隷の 労働 強 化 以外 にな かっ た。 奴隷 の大 半は 拘束 した 敵方 の捕 虜だ った から
、平 和が 続く と経 済成 長は 限界 に達 した
。そ の打 開策 と し てア テナ イや スパ ルタ のよ うな 強大 ポリ スが とっ たの は植 民地 の拡 大と 自国 の帝 国化 であ った
。ア ーレ ント がみ た私 的 事 業と して の経 済活 動と は私 有地 内で の農 作業 やそ の他 の家 業に 限ら れて いた とい える
。ポ リス の政 治は 経済 に依 存し て い たが
、そ の安 定は 平和 を必 要と し、 成長 には 戦争 を必 要と する とい う矛 盾の うえ に成 立し てい た。 戦争 は際 限の ない 消費 と破 壊で ある から ポリ ス経 済の 負担 を高 める
。兵 役義 務が 課さ れて いた ポリ スに おい て武 装や 武 器 は個 人負 担で あり
、戦 費も 市民 の負 担で あっ た。 した がっ て戦 争は 市民 の家 計を 圧迫 した
。し かし それ 以上 に深 刻な 問 題 は兵 員数 の限 界に あっ た。 その 解決 策と して とら れた のが 傭兵 の導 入で ある
。だ がそ れは 貨幣 によ る財 政支 出を 増大 さ せ た。 その うえ ポリ スの 帝国 化は 商業 の発 達を 招き
、ポ リス 経済 は貨 幣経 済化 の波 に巻 き込 まれ た。 貨幣 の普 及に より 商 業 的関 係が あら ゆる 私人 関係 に浸 透し 奴隷 制を 動揺 させ た。 アテ ナイ 繁栄 の全 盛期 はポ リス 政体 の矛 盾が 極限 にま で拡 大 し た時 期で あっ た。 つぎ にア ーレ ント が政 治の 要と して 重視 した ポリ スに おけ る言 論に つい てみ てみ よう
。彼 女は 言論
、と りわ け討 論が 市
─ ─
<
論 説>
修 道 法 学 三 九 巻 一 号
(
)
─ ─4
三 六 三 三 六 三
民 たち の市 民意 識を 育て たと 高く 評価 した
。古 代ギ リア には 競技 文化 とい うべ きも のが 定着 して おり
、言 論も その よう な 競 技様 式に した がっ て行 なわ れて いた
。彼 女は 言論 の前 提と して 自由 と平 等そ れに 証人 の必 要性 を説 く。 自由 とは 生活 上 の 必要 に拘 束さ れて いな い状 態を 意味 し、 平等 とは 誰も が支 配・ 被支 配の 関係 にな いこ とを 指す
。さ らに 競技 は公 開さ れ 多 くの 人々 に観 察さ れね ばな らな い。 審判 と観 衆は 競技 の公 正性 を保 証す る証 人で あっ た。 とは いえ 言論 は内 容の 質が 問 わ れる
。好 評を 得た 言明 は記 録さ れ書 字化 され て、 文書 なり 碑文
、芸 術作 品な どの 形で 後世 の評 価に 晒さ れた
。こ うし た 記 録の 蓄積 がポ リス の共 同体 意識 の基 礎に なっ た。 言論 の意 義は 日常 性を 超え る共 通世 界の 創造 にあ り、 それ は奴 隷の 労 働 にも 職人 の製 作に もな いも のだ とい う。 アー レン トは 奴隷 や蛮 族の 社会 は言 論に よっ て共 同体 を維 持す る生 活様 式を もた なか った ため に、 政治 が発 展し なか っ た と論 じる
。そ の理 由と して あげ たの は、 彼ら が文 字を もた なか った こと と、 私人 の日 常的 欲求 充足 は公 的な もの にな り 得 ない こと にあ った
。書 字言 語を 有す る社 会と 無文 字社 会の 違い につ いて 留意 すべ きこ とは
、無 文字 社会 は永 久に 続く こ と はな く、 いつ かは 文字 をも つに 到る とい うこ とで ある
。つ ぎの 疑問 は、 生活 上の 必要 の充 足は 私的 事項 であ るか ら公 的 領 域の 論題 には なり 得な いと いう 指摘 であ る。 問題 は彼 女の 関心 が欲 求の 充足 に向 けら れて いて
、充 足不 可能 な事 態を 除 外 した こと にあ る。 戦争
、自 然災 害、 それ に疫 病は 長ら く共 同体 の日 常生 活を 阻害 する 超人 的厄 災と して 恐れ られ てき た。 そ の災 禍か ら身 を守 る秘 策と して 行わ れた のが 宗教 祭儀 にほ かな らな い。 それ には 疫病 や災 害を もた らす 天変 地異 の鎮 静 を 願う 祈り が込 めら れて いた
。祈 りと は人 知の 及ば ない 不運 から の救 済と いう 人力 で実 現不 可能 な解 決へ の希 求を 表明 す る こと であ る。 宗教 とは 人間 が不 可能 性に 挑む 営み にほ かな らな い。 宗教 的観 点か らみ ると
、蛮 族の 世界 にも 文字 はな くと も部 族宗 教が 成立 して いた
。宗 教祭 儀に おい て彼 らは 自身 の集 団 西 欧 に お け る 世 俗 国 家 の 成 立 と ネ ー シ ョ ン の 形 成
( 大 熊
)
(
) 三 六 二 三 六 二