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企 業 會 計 の 基 本 概 念 ・ 原 則 お よ び 基 準
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木村重義
六 五 四 三 ニ ー 報 詐 成 基 企 序
告講 凝 論
業の 諸 上 念 目
的 理 の の お・
基 よ
原 考 び 慣 準 論 理 察 脅
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サ企業会計の基本概念げ塁ざ8暮Φ娼宮原則鷲首9営窪および基準u・言昌働鶴慶の意味については小稿﹁企業会計の基本概念﹂(商學討究︑第一巻第三號︑︼九五一年二月︑所載)に一鷹︑私見を述べた︒今回は一暦具艘的に企業会計の
全膣系を読述しようとするので︑もちろん此塵ではそれは︑艦系の骨組を明らかにするζとと︑特に私が讃者の注意
をうながしたい鮎に燭れることとに止まらざるを得ないのであるが︑やはり先す基本概念・原則・基準のそれぞれの
企皿茱會計の基・本概念・原則おエび⁝基準噛
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へ 商學討究第三巻第一號意味と相互の關連とを簡軍に再読しなければならない︒
会計實践を学問としての叙述のため少敏の包括的命題をもつて再現しようとするときそれは会計原則となる︒これ
に封し︑会計實務家のために實際上推奨される会計方法を明らかならしめようとして︑良い会計實践を簡明に叙述す
る場合︑その取扱いは當然に理論的になるのであるが︑それでも理論の實際への適用を読くか︑實際を理論的に読明
しょうとするか︑とにかく会計の具膿的問題に或る程度燭れなければならないが︑このような文書は会計基準とよば
れる︒会計原則は純粋に理論的興味から追求されるものであるが︑会計基準もこの会計原則から出磯するか︑会計原
則に麟納するかでなければならないはすで︑またその意味で多分︑会計原則を全面的に明示するか部分的にその或る
者を指示するかするであろう︒もちろん会計原則も︑それが教科書等で読述される場合︑その實際的適用をも読明す
るところから︑それは文書としては︑一種の基準書であるような形となるかもしれない︒
教科書あるいはそのような目的を直接にはもたない理論的著述も会計の基準を明らかならしめる文書として見られ
なくもないのであるが︑基準として直接的に一暦有効なのは公的椎威をもつものである︒實務指導を直接の目的とす
るのであるから︑それが法的彊制力をもたされる場合に房も目的に副うというべきかもしれない︒しかし企業会計一
般についての基準︑﹁会計某準﹂とはこのような一般的性格のものでなければならないが︑それはそれ自膿の範園と
適用範園とが大きい故に法律としての強制力をもたせられることはかえつて適しない︒公的権威とはこの場合︑作成
者が政府か團膣かであるか︑あるいは軍一の個人でなく籔人の学者の協同の結果出來上つたものであるかをいうので
ある︒現在われわれが会計基準とし見ているものは︑経濟安定本部︑企業会計制度封策調査会︑巾間報告の﹁企業会
計原則﹂(以下これを調査会の原則と稽する︒)である︒これは﹁原則﹂と稽しているけれども︑その性格は﹁基準﹂
である︒たとえば誰雰取引委員会規則第十八號(一九五〇年)﹁財務諸表規則﹂は第二條において︑調査会の原則︑一
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般原則の一・四および五に相當し︑通常︑眞實性の原則・明瞭性の原則・綴績性の原則とそれぞれよばれているものを﹁基準﹂と呼んでいる︒鐙雰取引委員会の呼びかたの方がこの黙正しいと思う︒
どのような内容の規定が原則に属するか基準に鵬するかは︑原則と基準との匠別があることをみとめた上で︑原則
の燈系と基準の艦系をそれぞれ構想して︑﹂その後に膣系に從つて判断するほかはないのである︒右にのべたような意
昧の原則と基準との匝別は通常みとめられているとはかぎらない︒調査会の原則がみすからの諸規定を会計原則とみ
とめているか基準とみとめているかもまた明瞭でない︒たとえば調査会の損釜計算書原則︑三Bに﹃費上高は︑實現
主義の原則に從い︑商品の販費又は役務の給付によつて實現したものに限る︒﹂三Cに﹃費上高は総額主義の原則に
從い︑費上値引︑戻り高等を総費上高から控除する形式で純費上高を表示する︒﹄という場合︑それぞれ﹁實現主
義﹂﹁総額主義﹂なる会計原則が存するものとして︑これの具盟的適用例として︑費上高についての實現主義の基準
と総額主義の基準とを述べているものと見られる︒これらの規定そのものが﹁原則﹂でないことは︑たとえば﹁實現
主義の原則に從い﹂というように別に原則が存することを認めていることから形式上明瞭である︒しかしなお︑﹁實
現主義﹂﹁総額主義﹂が︑会計原則であるか基準であるかは︑ただそれが原則と一慮呼ばれていることだけからは断
定できないのである㎏ただ右の規定二例そのものは原則の規定ではなくて︑会計基準である規定であることは︑形式
的考察においてであるが︑ぽとんど明白である︒
私が企業会計の基本概念と呼ぶものはアメリカの文献においてび鑛88蓉o営98胃く①βδごβρ娼o露巳暮︒孕
⊆昌自①昌旨昌σ◎oo昌舞缶o揮コ︒帥β自器窪巨娼菖o話︾o導o塁というような異なる語で表わされうるところの個々の概念ある
いは命題である︒企業会計にとつて必要であると考えられるところの基本概念が何と何とであるというよう具膣的に
列學しでしかもそれを鑑すことはきわめて困難であろう︒われわれはただその比較的重要なものを學げることができ
企業會計の基・本概念・原則および基準
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商學討究第三巻第一號︑
るのみである︒そしてまた列學されたいくつかの基本概念そのものが緊密な理論組織をなすこともないと考えられ
る︒企業会計の基本概念の或るものは企業会計という制度がその上に立つている假定あるいは條件であり︑或るもの
は企業会計そのものの性格であり︑また或るものは企業会計における主要概念の規定である︒基本概念は会計原則を
読明するために必要とされるので︑会計理論の本來の封象はいうまでもなく会計原則である︒
なお本稿の主題のうちに含まれないが︑会計規則なるいは規程と稽されるものは︑会計實践に最も關係の深いもの
ぴで或る範園の会計實践に封して法的にあるいは維醤支配権において拘束力を有するのである︒それは会計基準の一暦
直接的・固定的な場合であつて︑その適用範園内では統一的であるが︑規則相互は異る所が當然に存する︒基準は会
計庭理方法について選揮の余地を残しているであろうが︑規則はすでにそのいすれかを選揮しているのである︒基準
は原則に準猿し︑規則は基準に準撮しているのである︒
本稿は企業会計の基本翫念・原則および基準の相互關係を明白にしようという企固に出るものであるが︑基本概念
と原則とは一慮︑私自身の設定したものを︑会計基準は調査会の原則において設定されたものを取り來つて楡討する
ζとにする︒ (
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企業会計の基本概念の主要なものとして︑④会計主盟としての事業膣㈲菅業の纏績性09会計における慣
値の表現媒艦としての憤額⇔貨幣債値不攣の假定㈲牧穫とそれへの努力との比較8計算の確鐙性の六
項を學げることができる︒しかしこれらを綜括して襯察しても︑企業会計とは何であるかという︑企業会計そのもの
の基本概念は得られない︒そこで会計原則の設定の基礎としては︑右の六項の外に︑企業会計の本質・目的あるいは
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◎定義を明らかにしなければならないのである︒
*前掲拙稿︑.企業會計の基本概念においてに基本概念㈲として﹁會計的判噺﹂な學げ六が︑此鹿でにそれ為省くな適嘗とすると考
えた︒なお同稿末尾に﹃此馨の基取諸概念が如何にして會計原則の全体系奉導嘉出すかが本質的な問題であるが︑その考察は別
の機會に譲ろ︒﹄と述べ︑それな本稿において行おうとするのであるが︑それな軍に機械的に基本概念から原則な引出す方法で行
うことは困難である︒
も企業会計の定義として私は﹃企業会計は複式簿記の形式によつて企業成果を計算・記録・表示するところの制度的
方法である︒﹄とする︒企業会計が一つの就会的制度であるというのは︑その形式が複式簿記であるという事實に關
遼する︒複式簿記こそが全世界にわたつて實施されている制度であつて︑そのよケなものとしては輩にいわゆる形式
ではなく︑その形式に盛ちれる實質をも結局は充分に規定しているのである︒資本・財産・負債・利釜・損失の概念
は複式簿記の形式的規定から離れては会計的概念たることをも失うのである︒いわゆる軍式簿記もこの關連の外にあ
るのではなく︑それは簡略された複式簿記なのである︒とにかく複式簿記の形式が︑それに盛みれる特定の内容を含
めて︑事實行われていることが企業会計が一つの制度であることの根擦である︒
調査会の原則︑一般原則の二に﹃企業会計はすべての取引につき︑正規の簿記の原則に從つて︑正確な会計帳簿を
作成しなければならない︒﹂といつているのは何を述べようとしているのであろうか︒すべての取引と言い︑取引を
取落してはならない旨を述べているが︑取引とは何であるかは会計原則あるいは正規の簿記の原則に.含まれているの
ではなかろうか︒会計帳簿が何であるかもまた正規の簿記の原則が明白にするところであつて︑作成さるべき帳簿が
﹁正確な﹂帳簿でなければならないことは言うまでもない︒企業会計が複式簿記の形式による記録であるならば︑す
べて右のことはことさらに言うまでもない︒そして会計が簿記の形式にょらなければならないことは︑一つの会計原