越境する音と国際関係史(最終報告)
著者 半澤 朝彦
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
巻 19
ページ 21‑41
発行年 2016‑10‑01
その他のタイトル Transnational Sound in International Historical Perspectives
URL http://hdl.handle.net/10723/2889
越境する音と国際関係史
半 澤 朝 彦
はじめに
本研究は、『越境する音と国際関係史』という大枠のもとで、多面的・包括的な研究を、文献 と実地調査、フィールドワークを精力的に行って無事最終年度まで終えることができた。初年度 は、文献調査などが中心となったが、2 年度目、3 年度目にかけて、きわめて多くのフィールド ワークと、研究会、シンポジウム、レクチャー・コンサートなどを頻繁に組織することができ、
研究面のみならず、教育、啓蒙、地域貢献など、総合的な成果は極めて大きかった。また、全国 レベルのみならず、海外における学会や研究会で成果を披露できたことも重要である。本研究で は、「日本」に意識を集中させた前回の共同研究(2010-12 年度「グローバリゼーションと日本 における音楽演奏」)から大きく視野を拡大し、越境的な人や文化の移動の重要性を浮き彫りに した。以下、各年度の研究活動の詳細を報告する。
2013年度概要
本プロジェクトの初年度であったため、広く文献調査を開始するとともに、研究会やレクチャ ー・コンサートを開催して、事例の蓄積に努めた。まず、本プロジェクトの代表研究者が主催す る「政治と音楽」研究会と明治学院大学国際学部付属研究所の協力により、「『アラブの春』の 詩・スローガン・歌」と題するミニシンポジウムを開催した(6 月)。報告者は池内恵氏(東京 大学先端科学技術研究センター教授)、コメンテーターは酒井啓子氏(千葉大学教授)であり、
「政治と音楽」研究会のメンバーのほか、学生や学外の研究者、一般からの聴講を含め 50 人余 りが参加した。概要・要点を述べると、対象国は「アラブの春」主要4カ国 チュニジア、エジ プト、リビア、シリア、資料としては「アラブの春」の社会政治的急変の過程での詩・スローガ ン・歌の展開を用い、ふんだんに Youtube 映像を用いて説得的な議論が展開された。扱ったジ ャンルは、主に、ラップ・ヒップホップとロック(インディーズ系、バラード、メジャー系)、
民俗歌謡であり、「革命における音楽」「革命過程における「非言語的」象徴の役割」「感情の政 治学」といった軸に沿って多岐にわたる成果があった。
レクチャー・コンサートとしては、白金キャンパスアートホールにおける「明治学院コンサー ト・シリーズ」での演奏と解説(外部講師招聘)を毎月一回実施した。演奏実践から生ずる諸問 題と越境性との関係について、プロジェクトメンバー自身の実践と考察に加え、協力者として依 頼した演奏家等へのインタビューを行い、また関連諸分野の専門家を招いて考察を深めた。各回 の概要は以下の通りである。4 月は、英国貴族の血を引きパリで活躍、「フランスのベートーヴ ェン」といわれたものの、現在はめったに顧みられることのないジョルジュ・オンズローの作品 から、二つのチェロ入りの「銃弾」五重奏を蘇演し、19 世紀ヨーロッパにおける「クラシック
音楽」の越境性とフランス革命との関係などについて考察した。5 月は、「日本近代音楽家によ せて」の通算第5回目となり、山田耕筰の弦楽四重奏曲第1番その他を演奏した。ヨーロッパか ら日本への音楽の影響については多くの既存研究があるが、本作品で明瞭に看守できる初期の山 田耕筰の作曲技法の習得については、これまでにない知見が得られた。また、ヒンデミットの影 響を受け、日本のアカデミズムの中心であった下総皖一の「主題と変奏」も演奏された。
6月は、平山恵准教授の協力により、アフリカのマリ共和国の代表的な音楽家の1人であるダ ラマン・ジャバテ氏を招聘し、アフリカとヨーロッパの音楽的な越境性について考察を深める機 会とした。中世から近代にかけてアフリカとヨーロッパは、様々な形で経済的・文化的な交流を 行っており、奴隷貿易や植民地主義に象徴される垂直的な関係のみではなかった。北アフリカ・
トルコ地域からヨーロッパに導入された打楽器に焦点を据えることによって、文化の混淆を音に よって確認することができた。また、一見したところ大いに異なる音楽的伝統も、たとえば楽曲 のフレーズの構成、変奏の仕方など、構造レベルでは驚くべき類似性を有していることも確認さ れた。7月は、ユダヤ人という最も越境性の高い民族の1つに焦点を当て、メンデルスゾーンや リゲティの作品を演奏し分析した。9 月には、バロック音楽を演奏・解説したが、その際のテー マは「光と影」であり、「近代化=夜の征服」というテーゼに沿って、17 世紀と 18 世紀に「照 明の革命」が起こったこと、その際、広域的越境的な政治権力の安定や、油の流通ルートの確立 が基本的に重要である点などを強調した。来場者は常に100名から150名。
上記のような上半期の活動を経て、下半期には、明治学院大学創立150周年記念事業への協力 を行うなど、「音楽の越境性」について、とりわけ西洋と日本との間の問題を軸に研究を進展さ せた。
まずコンスタントなレクチャー・コンサート・シリーズにおいては、9 月に、地中海世界にお ける音の越境性に焦点を当て、主にバロック時代の器楽曲を解説・演奏した。アナール学派のフ ェルナン・ブローデルが示したような、広域的な地域における越境的な関係にオリジナルな視点 からアプローチできた。また、それに続き 10 月は、世界最大の帝国の中心としての情報・技術 的優位と圧倒的な音楽消費市場を誇ったイギリスの音楽を取り上げ、ケルト文化の影響、チュー ダー朝以来の汎ヨーロッパ的なルネッサンス・バロック音楽の伝統について、越境性の観点から 新たな視点を得た。11 月は、同様に汎ヨーロッパ的な様式移動の例として、ロココ様式を取り 上げた。また、12 月には、明治学院大学国際学部の森あおい氏を講師として、アメリカを中心 とする越境的な音楽に焦点を当てた。具体的には、カリブ海のプランテーションの奴隷身分出身 で、フランスに渡って古典音楽の作曲家演奏家として活躍したサン・ジョルジュといった、ほと んど取り上げられることのない興味深いケースに光を当てるなどである。
2014年1月から3月に五回シリーズで行われた明治学院大学創立150周年事業では、「音で聴 く国際関係史:戦争と平和」という全体タイトルの元、第1回目に総論、第2回と第3回に、日 本の音楽受容、島崎藤村と音楽、といった内容でレクチャーを行い、演奏の問題にも触れた。第 4回と第5回はより国際的な視野を採用し、ユダヤ人の問題、20世紀最大の音楽家とも言われる カタロニア出身のパブロ・カザルスに焦点を当てた。第2回と第5回には、本邦初演の曲が演奏 され、メディアや行政機関の注目も高まった。また、広く地域社会に対する大学の学術成果の還
元としての意義も大きかった。各回、200名から300名近くにのぼる来場を迎え、地域貢献とし ても大きな意義があった。以下に概要を示す。
音で聴く歴史と国際関係:戦争と平和
コーディネーター:半澤朝彦(明治学院大学国際学部准教授)
<概略>
西洋の影響を受け続けてきた明治以来の日本と、近現代の歴史を動かした西洋音楽を、気鋭の 研究者の多角的な講義に加え、実際の生演奏に触れながら、分かりやすく学ぶ。歴史的に貴重な 名曲や、国連やホワイトハウスで「鳥の歌」を演奏した平和の使徒、20 世紀最高の音楽家カザ ルスの作品の日本初演も行われた。毎回、東京藝術大学や海外で学び第一線で活躍する演奏家に よる、本格的なコンサートが含まれ、明治学院大学国際学部(キャンパス/戸塚区上倉田町)で 研究・教育が展開している学際的な「国際学」の最新の成果を、戸塚区民をはじめとする広く一 般の参加者と共有することにもなった。
各回の構成としては、約50分×3時限で構成し、間に10分間の休憩を2回設けた。1時限目 には、講師が映像資料などを交えながら、各回にとりあげる音楽を歴史的、国際関係的な文脈で 多面的に説明し、2 時限目がミニ・コンサート。3 時限目は、演奏を聴いた上でのレクチャー、
演奏家を交えての対談形式のラウンドを行い、受講者からの質疑応答の時間もとった。
第1回:2014年1月11日(土) 13:30-16:20
「西洋音楽のグローバル化と国際関係」(総論)
<概要>西洋近代の合理主義を体現する一方(構成重視・楽譜主義)、グローバルな多文化混淆
(アラブ・アジア・アフリカなどからの影響)から生まれた「西洋音楽」が、帝国主義と植民地 化の流れの中でどうグローバル化したのか、戦争と平和の問題とどうかかわったのかを講義した。
第二回目以降につなげるため、そうした世界的文脈の中での日本の位置づけ、音楽のグローバル 化を中心的に担ったユダヤ人や南欧人など、最新のグローバル化研究の成果(移民・ディアスポ ラなど)を取り入れた。
曲 :バッハ/シャコンヌ、幸田延/ヴァイオリンソナタ、宮城道雄/「春の海」、ベートー ヴェン/ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」ほか
演奏:印田千裕(ヴァイオリン)、岸美奈子(ピアノ)、半澤朝彦(チェロ)
講師:半澤朝彦(明治学院大学国際学部准教授)
第2回:2014年1月26日(日) 13:30-16:20
「二人の戦没作曲家」
<概要>「戦没画家」の存在は知られているが、若く才能ある作曲家もまた戦争の犠牲となった。
長年この問題を追い NHK 特番の製作にも加わった小宮多美江氏ほかを講師に、昨年「明治学院 コンサート・シリーズ第 44 回」で日本初演された紺野陽吉、傑作の誉れ高い尾崎宗吉の「小弦 楽四重奏曲」を取り上げた。他方、戦争を鼓舞する音楽も多く作曲した巨匠、山田耕筰の人生と
音楽にも触れ、明治大正昭和期の戦争と平和を考えた。
曲 :紺野陽吉/弦楽三重奏曲、尾崎宗吉/小弦楽四重奏曲 山田耕筰/ピアノ五重奏曲「婚姻の響」ほか
演奏:アートホール弦楽四重奏団(印田千裕、半澤朝彦ほか)、ピアノ(渡辺泉)
講師:小宮多美江(音楽史研究家)ほか
第3回:2014年2月15日(土) 13:30-16:20
「島崎藤村と音楽」
<概要>明治学院大学の卒業生である島崎藤村(1872-1943)は、東京音楽学校(現在の東京藝 術大学)専科でヴァイオリンその他を学んだ。岩田ななつ氏などによる最近の研究によって、藤 村が音楽を断念、しかし音楽を意識する形で文学の世界に飛躍した可能性が強く示唆されている。
そこには、西洋文明に対する愛憎、日露戦争から第二次世界大戦という国際政治の悲劇的展開と いう、近代日本が抱えた矛盾が鮮明に顕れている。藤村が意識したとされる滝廉太郎の早世直前 の渾身の作品(「憾」)や、当時藤村が足しげく通った上野奏楽堂コンサートの再現も試みた。
曲 :シューベルト/「鱒」、滝廉太郎/「憾(うらみ)」ほか
演奏:アートホール弦楽四重奏団(印田千裕ほか)、ピアノ(岸美奈子)
講師:岩田ななつ(明治学院大学非常勤講師)
第4回:2014年3月1日(土) 13:30-16:20
「ユダヤ人・音楽・国際関係」
<概要>音楽のグローバル化の中で、移動する民族ユダヤ人が果たした役割はきわめて大きい。
反面、ワーグナーなど「ドイツ音楽」を掲げる側からの政治的弾圧も際立っている。目を世界に 向けての第4回では、現在のアラブ・イスラエル紛争にも多大な影響を及ぼしているユダヤ人に 焦点を当てた。ユダヤ人でありながら、実際には「ドイツ音楽」の発展に貢献したメンデルスゾ ーンやマーラーを取り上げるほか、メンデルスゾーンの姉で女性作曲家の嚆矢であるファニーの 美しい作品も紹介した。
曲 :ファニー&フェリックス・メンデルスゾーン/ピアノ三重奏曲 マーラー/ピアノ四重奏曲 ほか
演奏:印田千裕(ヴァイオリン)柘植藍子(ヴィオラ)半澤朝彦(チェロ)渡辺泉(ピアノ)
講師:山本尚志(国際政治史・音楽史、『日本を愛したユダヤ人音楽家、レオ・シロタ』
毎日新聞社刊、ほかの著者)
第5回:2014年3月15日(土) 13:30-16:20
「カザルスと20世紀の国際政治」
<概要>国連やホワイトハウスで「鳥の歌」を演奏した、スペイン・カタロニア出身で 20 世紀 最高の音楽家といわれるチェリスト・指揮者・作曲家のパブロ・カザルスは、その1世紀近い生 涯が、対ファシズム戦争、冷戦という 20 世紀の国際政治と深く結び付いている。それだけでな
く、西洋文化への尊敬が世界の指導層に生きていた時期において自ら積極的に国際平和活動を他 方面で展開した。めったに演奏されない圧巻のチェロ 8 重奏を、東京藝大卒後、ソリストや NHK 交響楽団、東京都交響楽団など一流オーケストラの奏者として第一線で活躍する気鋭の 8 重奏で演奏するほか、昨年スペインで新たに発見されたカザルスの未発表ピアノ曲をこの機会に 戸塚で日本初演した。『カザルスと国際政治』(吉田書店 2013 年秋刊)の著者、細田晴子氏を講 師に迎え、日西国交樹立400年、カザルス没後40年でもあり、在日スペイン大使館、ラモン・
リュイ財団などの協賛予定など、メディアや行政の注目度も高かった。講座の最後では、平和へ の祈りを込め、バッハのアリア(G線上のアリア)をチェロ8重奏で演奏した。
曲 :カザルス/未発表ピアノ曲の日本初演 カザルス/サルダーナ、鳥の歌
ヴィラ=ロボス/ブラジル風バッハ第1番 バッハ/アリア(G線上のアリア)ほか
演奏:東京藝術大学を中心とするチェロ8重奏(夏秋裕一ほか)
講師:細田晴子(日本大学助教、専攻は国際関係史、スペイン現代史)
協賛:在日スペイン大使館、スペイン政府文化庁セルバンテスセンターなど
なお、本プロジェクトと並行して行われている「政治と音楽」研究会の活動も進展し、下半期に は数回の会合を重ねた。
第二年度(2014年度)
プロジェクトの2年度は、本プロジェクトを学内のプロジェクトにとどめず、広く全国学会レ ベルでの議論にリンクさせることを心がけた。
6月28日と29日の日本比較政治学会(東京大学本郷キャンパスで開催)において、「政治変 動における非言語的象徴」というパネルタイトルのもと、日本国際政治学会理事長の酒井啓子氏 の司会のもと、代表研究者は「ラ・マルセイエーズからエル・ジェネラルへ:政治の『物語』と 視覚・聴覚」というディスカッションペーパーを発表した。このパネルにおいては、京都大学の 福田宏氏による「『東欧革命』への『長い』軌跡:『正常化』時代における非言語的象徴の機能」
(チェコスロバキアにおけるロック音楽と共産党政権について)、および東京大学の池内恵氏に よる「革命象徴の簒奪と権威主義体制の再構築」(2011 年「アラブの春」における音楽について)
の報告も行われ、活発な議論が展開された。
さらに7月28日には、「政治と音楽」研究会の会合がもたれ、日本大学の細田晴子氏による、
「マイアミの亡命キューバ人と音楽」とのタイトルで、細田氏がスペインにおける国際学会で報 告した音楽の越境的な政治的作用についてのペーパーを詳細に検討したほか、進行中の書籍出版 計画について話し合った。
これらと並行し演奏実践によって得られるさまざまな所見についてプロジェクトメンバー自身 の実践と考察に加え、「明治学院コンサート・シリーズ」で協力者として依頼した演奏家等への インタビューを行い、関連諸分野の専門家を招いて考察を深めた。8 月にはイギリスでの調査を
行い(渡航費・滞在費はこのプロジェクト予算以外から支出)書籍の購入、またロンドン大学
(Senate House Library)、英国王立音楽院図書館、英国国立公文書館(The National Archives)を 利用して調査を進めた。
明治学院コンサート・シリーズの上半期における活動は、4 月の「越境する音」とのタイトル のレクチャー・コンサートに始まり、本プロジェクトに関連する楽曲やレクチャーを、広く学外 の一般聴衆に紹介した。上記、「越境する音」の回では、とくに関連の強いものとして、ヒンデ ミット(独奏曲)と貴志康一(弦楽四重奏曲)の作品を取り上げ、異なる文化圏からの音楽的な 諸要素がどのように相互に関連して楽曲の中に組み立てられ、社会における受容がいかなるもの であったかを論じた。
5 月は、ブラームスの弦楽五重奏曲をメインとしたレクチャー・コンサートとなったが、エス トニアの現代作曲家ペルトの作品も取り上げ、これは、トランスナショナルな文化生成の好例で あった。6 月は、「イギリスと音楽」と題して、まさに国際的な音楽都市であったロンドンにお ける音楽活動を中心として、文化の混淆と資本主義化の関係について話した。8 月の回では、
「越境する楽器」の好例であるギターを取り上げ、アラブ世界とヨーロッパ世界の文化的関係に ついて考察した。9 月の回は、これまでのシリーズで初めて声楽家を招き、イギリスの作曲家パ ーセルと、バッハの作品を演奏した。前者に関しては、ルネサンス音楽からの時代的連続性、後 者に関してはイタリアとの関係を論じた。
下半期においては、「政治と音楽」研究会の定期的な会合・活動を継続するほか、より広範囲 の文献調査も拡充した。これは、音楽を中心としたトランスナショナルな国際関係を考える場合、
音楽(聴覚)に限定せず、絵画やシンボルデザイン、色彩などの視覚面や、建築や都市空間など の空間的な概念を関連付ける必要があることが、これまでの研究によりわかってきたからである。
学会活動としては、「世界政治研究会」の10月例会(東京大学本郷キャンパス)において、軍 歌研究家の辻田真佐憲氏による「1930 年代日本の文化政策と音楽産業」とのタイトルの研究発 表のコメンテーターを代表研究者が務めた。辻田氏の議論によると、第二次世界大戦以前の日本 の文化プロパガンダ政策は、必ずしも「上から」の政策の押し付けという観点からだけでは説明 できない。むしろレコード業界や興行主等の利益追求に主導される形で、より包括的な政策の方 向性が形成されていったという。コメンテーターとしては、辻田氏の議論の大筋を受け入れつつ、
ドイツやイギリス、アメリカなど国際的な視野から比較検討する必要性を指摘した。アドルノな どの大衆音楽研究を参照しつつ、「大戦争の時代」がグローバルなレベルで共通の構造を背景に していたのではないかという、本プロジェクトのテーマである「越境する音と国際関係」からの 考察を深めることができた。なお、「世界政治研究会」は、ほぼ毎月東京大学本郷キャンパスの 山上会館で開催されており、必ずしも音楽や文化一般にかかわるテーマを扱わないことが多いが、
本研究は国際政治学と文化研究の結節点となるべき研究であるので、その後の研究会にも代表研 究者はほぼ毎月出席し議論に参加している。
明治学院コンサート・シリーズにおいては、10 月は一般にドイツナショナリズムと関連付け て論じられるドイツロマン派の作品を取り上げ、その越境的性格に光を当てた。具体的にはシュ ーマンの弦楽四重奏曲第1番を取り上げ、レクチャー部分においてはシューマンの評論活動など
ドイツナショナルズムに関連する内容も取り上げた。また、この回では日本人の作曲家として代 表的な存在である細川俊夫のヴァイオリン独奏曲を取り上げ、そこに顕著に見られる邦楽的な要 素に注目した。細川俊夫の例は、まさに音楽とグローバル化の好例であると言ってよく、明治学 院コンサート・シリーズで以前から何回かに渡って取り上げている邦人作曲家の作品との比較の 観点も披瀝した。
11 月は、アラブ世界から伝わり、その扇情的な音色のためにプラトンが『政治』においてそ の演奏を禁止すべきであるとしたオーボエ(アウロス)を加えて行った。オーボエの演奏家を招 き、この分野での代表的な傑作であるモーツァルトのオーボエ四重奏曲は演奏したが、本プロジ ェクトとの関連では、イギリスの作曲家であるモーランのオーボエ四重奏が重要であった。イギ リスは、西洋音楽の「中心」であるヨーロッパの大陸部の「周辺」に位置し、音楽の越境性を比 較的顕著に看取できる。ケルト的な音楽的要素を多く含むモーランの作品は、その好例であった。
12 月は、音楽ジャンルの階層的な位置づけについて考察を深めるため、これまでのコンサー ト・シリーズとは異なり、いわゆる「軽音楽」を取り上げた。著名な作曲家・編曲者に依頼し、
「イージーリスニング」の作品を演奏し、また、そうしたジャンルの音楽の歴史においてイギリ ス・アメリカ以前から中心的な場所であったフランス音楽について、軽音楽史の立場からレクチ ャーを行った。
1 月は、ユダヤ人の作曲家としてマーラーやシェーンベルクとならぶ代表的な西洋音楽の作曲 家であるメンデルスゾーンの傑作「弦楽八重奏曲」を取り上げた。レクチャー部分においてはユ ダヤ人の越境的な性格を講義したが、ユダヤ人については以前からコンサート・シリーズでもた びたび取り上げているため、この間については特筆すべき新奇性はなかったかもしれない。
2 月は、東ヨーロッパの民族問題をテーマとしてコダーイやドヴォルザークの作品を取り上げ た。しばしば指摘される、ハンガリー等における国民音楽とナショナリズムとの関係に限らず、
むしろこの地域の音楽がヨーロッパ全体に越境的に与えた影響を論じ、ハイドンの楽譜出版や演 奏習慣、「民族性」のステレオタイプ化など、最近の音楽社会学の研究成果を踏まえた解説を行 った。
3 月は、『カザルスと国際政治』の著者であり、「政治と音楽研究会」の中核メンバーである細 田晴子日本大学商学部准教授を招き、カザルス作曲の「鳥の歌」「サルダーナ(カタロニア舞踏)」
「カニグーの聖マルタン祭」といった、歴史的に重要な作品をチェロ8重奏の形で行った。
なお、本研究の国際的な広がりを図り、代表研究者は2015年1月、英国シェフィールド大学 からスピーカーとして正式に招聘されて渡英した。シェフィールド大学において、「日本(音楽)
のソフトパワー」について講演を行い、同時に文献調査も行った。講演(報告)では、「貞奴か
ら AKB48 まで」と題し、音楽を重要な一要素とする日本の大衆芸能の歴史において、ジェンダ
ー的観点からアプローチすることが重要であることを主張し、多くの興味深いフィードバックを 得た。
第三年度(2015年度)
本プロジェクトの最終年度であり、本プロジェクトをこれまで行ってきた各方面の活動を総括
し、まとめを行う方向でおこなった。また、夏には、代表研究者の世界歴史学会議(中華人民共 和国:済南で開催)への参加によって、「音楽と政治」に関する世界のトップレベルの研究者と のネットワークを構築できたことは大きな収穫である。
6 月には、「政治と音楽」研究会の会合をもち、音楽史研究家の山本尚志氏による報告「日本 におけるユダヤ人演奏家と日本の対ユダヤ人政策」その他を検討した。また進行中の書籍出版計 画の細部について最終調整を行った。
これらと並行し演奏実践によって得られるさまざまな所見についてプロジェクトメンバー自身 の実践と考察に加え(ほぼ毎月開催している明治学院コンサート・シリーズでは、 6 月に行っ たコンテンポラリーダンスとのコラボレーション、および8月に行った「日本近代音楽館に寄せ て」、がとりわけ収穫は大きかったといえる。後者では「海ゆかば」の作曲者である信時潔の研 究家とも連携をすることができた。)、「明治学院コンサート・シリーズ」で協力者として依頼し た演奏家等へのインタビューを行い、関連諸分野の専門家を招いて考察を深めた。
8 月には、上記のように、代表研究者が中華人民共和国の済南において世界歴史学会に参加し、
パネリスト(報告者)として「君が代の音楽的ポートレイト」と題する報告を行い、活発な議論 がなされ、貴重なフィードバックを得た。この報告をもとに、日本の歴史学の主要な学術雑誌で ある『歴史学研究』(2016 年 3 月発行)には、「国家と音楽」とのタイトルで論考を発表した。
著作権の関係上そちらを収録することができないが、 2016年1月に英国シェフィールド大学で 行った代表研究者の講演が内容的にかなり共通しているので、その際の講演原稿を以下に示す
(注は省略)。
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<Informal Actors in Japanese Politics: 15 January 2016>
“Between formal and informal: A musical portrait of Kimigayo”
The clear (but artificial) distinction between formal and informal (as well as public and private) is at the center of modern political life. In the modern times, politics monopolizes the public life and private concerns are marginalized. In this public façade, emotion, let alone sensation, accounted for nothing in the public life, so it is proclaimed. Historically, this has much to do with the modern principle of the separation of the state and the church. The church’s intervention into people’s internal life is considered as undesirable or even dangerous since it contradicts our deep-seated cult for rationalism. Things cultural, necessarily specific, are carefully removed from the formal/public life, which guarantees the façade of impartiality and universality. In other words, legitimacy in modern politics rests on the assumption that politics is essentially functional and a-cultural.
Nationalism, an exclusively modern phenomenon, however, appears somewhat contradictory because it is a strongly cultural as well as political project. Nationalism is an urge for independence and specification, an urge to differentiate one’s country from the rest of the world. Importantly, effort to strengthen nationalism almost always involves projects to mobilize every single member of the nation. The result is
that as nationalism surges, it is more difficult for ordinary citizens to stay away from politics. Nationalism, whatever the kind, mobilizes cultural tradition and symbols. Here, everyone becomes a political actor, collectively or individually.
The question of national anthem should be interesting when discussing the boundaries between formal and informal in the age of nationalism and globalization. Firstly, while national anthem is naturally seen as an official symbol of a nation, it is in fact not always firmly legislated. It is often considered that legalization itself is less important than the reality of the anthem being genuinely supported, and actually sung/performed/
listened to by the majority or ideally all of the population.
Secondly, because of the unique character of the national anthem being a piece of music, unlike other kind of symbols such as national flag and other cultural items, the role of the musicians and related informal actors can be especially significant. (I may have time to mention such celebrities as the rock star Imawano Kiyoshiro and the highly respected Japanese chess (shogi) player Yonenaga Kunio concerning the question of the role of national anthem in Japan.)
My intervention this year, like last year, is largely historical but the theme of nationalism does not seem to be obsolete particularly as there appears to be a strong, popular rightward turn both in developed and developing worlds. Almost all nationalist and separatist movements are now becoming eager to find a strong symbol for their cause and audio-visual representation is one of their central concerns.
The grave-sounding national anthem of Japan, Kimigayo, has been a subject of debate for many decades.
Its apparent connection with the prewar militarism has caused repeated political and even legal squabbles.
Finally legally recognized as Japan’s official national anthem in 1999, the tune has by now survived more than 130 years.
The existing studies on Kimigayo tend to look at the protracted political/ideological wrangle between the right-wing enthusiasts on the one hand and the critical left on the other. They both often simply treat the anthem as a symbol of nationalism, just like the national flag, Hinomaru, taking little note of the fact that Kimigayo has to be put into sound and can be reproduced in various different ways.
How did Kimigayo come into being (during the Meiji period: 1868-1911)? During the early phase of Japan’s modernization starting in the last quarter of the nineteenth century, there existed three (some say five) different versions of Kimigayo, all under the strong influence of Western music then enthusiastically imported. The notion of having a national anthem as a necessity was alien to the Japanese, only reminded by the Western powers.
Although the second version which subsequently became the de facto national anthem may sound like a traditional Japanese court music of Gagaku, it was from the beginning played by a navy brass band with a typical German romantic harmony added by a German composer, Franz Eckert (on the second, central
phrase) who had studied at Dresden Conservatoire. Also, the tempo then is said to have been sometimes rather forward-moving unlike that we are used to nowadays. (The current grave-sounding slow rendition was only standardized during World War II and finally in the 1950s with the orchestral version played (and broadcast daily on the radio and television) by NHK symphony orchestra.)
In short, Kimigayo must be placed, like most of the other national anthems in the non-Western world, in the context of the globalizing concept of national anthem prompted by the French La Marseillaise and the British God Save the King. Musically, Kimigayo may seem to fall into the latter type (the more solemn, choral type). It is at the same time noteworthy that in some occasions in the Meiji period it was also played at a faster tempo like the former (the more driving brass band march.). Kimigayo was born out of diplomatic necessity in the face of Western advance hastily made up aided by Western musicians. It had little to do with the growing popular national consciousness.
Recent literature on Kimigayo confirms that until the 1930s the actual occasions in which the anthem was performed was basically limited to diplomatic/official ceremonies. The public were certainly told about its respectable status but there was not much more than that. Not until Japanese society was collectively heading for a total war with China, had the anthem been recognized by the general population as part of national identity. In any case, the reception was scarcely a voluntary process.
Until the radio broadcast started and the receivers spread over the country during the 1920s and 1930s, the government had had hard time trying to teach the general public (even in compulsory education) how the anthem should be properly sung and at what tempo etc. although repeated attempt was made to force children to sing the tune properly in school. The music score alone was not enough as the literacy of Western style music was far from sufficient among school teachers then.
In the first place, the practice of singing songs together was totally strange to the ordinary Japanese in those days. Not only for the national anthem, the government educational programs included the Shoka or singing as one of the core subjects in primary education with the aim of nurturing the modern notion of singing/acting uniformly, a prerequisite of having efficient factories and military forces in order to become an economically and militarily strong nation-state.
Although some of the more lyrical Shoka songs became widely accepted and popular, such as Akatonbo by Yamada Kosaku and Kojo no Tsuki by Taki Rintaro, Kimigayo did not become a truly national song sung by the population at large. There were recurrent complaints and criticism that Kimigayo was not animating enough unlike more uptempo military songs that were beginning to be widely popular especially after the Sino-Japanese War of 1894, Russo-Japanese War of 1904 and more earnestly during the Asia Pacific War (1931-1945). Also, as Kimigayo’s words were taken from the ancient poetry collection, the Kokin Wakasyu or in the Wakan Roeishu, edited in the early 10th century (though there are variations of the poem down the Middle Ages.), even though this adds to Kimigayo’s authority and nobleness, this inevitably made the
general public feel that the song is somewhat remote from their feeling.
Interestingly, as the Asia Pacific War (1931-1945) ended and the American occupation force arrived, Kimigayo was not made an issue so much by the Americans (just like the Emperor system and the national flag Hinomaru). It was certainly not played very openly during the occupation period (1945-1952), but it quietly came back as the de facto national anthem in the 1950s for lack of popular alternatives.
To be sure, there were a couple of new proposals including Midori no Sanga (Our Mountains and Rivers full of Natural Beauty) by the powerful left wing National Teachers Union and Warera Aisu (We love our country) by Kotobukiya Department Store (now Suntory Ltd.) both La Marseilles type forward moving march. (As their musical character is interesting, I will go into these abortive alternatives in the presentation.)
As the television broadcast started in 1952, the current grave sounding rendition by the NHK symphony orchestra was played daily at the end of each day’s programme around the midnight and finally became part of the daily life of most ordinary Japanese and confirmed the public consciousness that Kimigayo was certainly the national anthem, although it was only heard passively. The combination of the experience of watching the picture of Mt Fuji on the background and of listening to (or just hearing if he or she did not switch off the TV by then) Kimigayo at the same time. This was a passive experience but it ingrained in the public mind the idea that the serene Kimigayo represented the dignity sadly lost by the war failure and devastation. This impressive TV ending ceased to virtually exist as the NHK television broadcast became 24 hours in the 1980s (Commercial TV stations never played Kimigayo in this regular manner.).
During the postwar era, like the era before militarism, Kimigayo was only played in official/diplomatic occasions and in big sports games. Certainly, the Tokyo Olympics of 1964 was one of such important occasions. But in another important national event in those days, the 1970 Osaka International Exposition, the trace of nationalism was all withdrawn and there was a huge call for internationalism (cf. Sekai no kunikara Konnichiwa (Hello from all countries of the world)).
The practice of actively singing it never became common. Even when the right wing activists wave Hinomaru, they rarely sing Kimigayo. Until 1980, right wing propaganda trucks which were widely regarded as great nuisance by the ordinary public played the anthem loudly occasionally along with more stirring and ear-catching old military songs.
In education, in publicly (state/local government) funded schools(hereafter public school), chances of hearing Kimigayo was limited to the graduation ceremony, which became the main political and ideological battlefield between the strong opposition of the leftist National Teachers Union and the government official stance. As most of the primary schools and junior high schools (compulsory education) are either state or local government funded, this experience (or lack of experience) is shared by the great majority of the public.
This meant that most Japanese only unenthusiastically sing the anthem a few times a life at the most in their youth. Even at the graduation ceremony when they are invited/encouraged/instructed to sing it, many of them just sing it in a very small voice or actually only move their lips to make believe as if they are singing for lack of enthusiasm or simply for lack of memory and understanding of the lyrics (also for lack of enthusiasm on the part of majority of teachers who tend to be liberal left or at least pacifist rejecting all that reminds of prewar days.)
People’s lack of interest in and the absence of social influence of Kimigayo is clear when compared with the question of the national flag. In 1985, at the school graduation ceremony, the national flag Hinomaru was raised at 92.5% of all primary schools, 91.2% of all junior high schools, and 81.6% of all senior high schools. In contrast, Kimigayo was only sung (or simply played by the stereo) at 72.8% (primary), 68.0%
(junior-high), 53.3% (senior-high) respectively. In 1992, Kimigayo was sung at 85.6% of all primary schools, 81.4% of all junior high schools, and 70.8% of all senior high school. In 1999, when the anthem was made official by the Diet, the figures were higher but the percentage was in some prefectures was still far from 100% (there is remarkable regional difference, see the table below.).
My brief conclusion here is that in Japan (especially in the postwar years), the question of national anthem, and by extension that of nationalism (and patriotism), have been socially/politically avoided and made obscure. The striking lack of general public’s experience of singing the national anthem and lack of any debate about it were characteristic of Japan’s postwar attitude of neglecting her international relations under the United States security umbrella and trying to forget about and look away from her past behavior in the prewar years.
Apart from such formal occasions as the graduation ceremony and major sports games, Kimigayo is currently only sung in ceremonial occasions of right wing political institutions and a very small number of commercial firms and local societies (sports etc.), whose organizer happens to be unusually political.
On the internet, amusing parodies and alternated lyrics have been circulated during the past decade. This reflects the growth of interest in national symbols among the general public (cf, so-called “petit- nationalism” and “net uyoku” or cyber right wingers. Former Prime Minister (now the Minister for Finance) Aso Taro’s mobile phone’s ringtone is said to be Kimigayo. In the light of worldwide politico- social rightward turn, these may have to be watched (cf. Britain’s case) and the question of Kimigayo could well become an issue in years to come, if unofficially, with China as for many Chinese, the tune is typically heard in anti-Japanese resistance movies, which have influenced their negative image of Japan.
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この最終年度、10 月以降の下半期においては、今後のさらなる研究進展を見据えてまとめと 将来構想に時間を割いた。音楽を中心としたトランスナショナルな国際関係を考える場合、音楽
(聴覚)に限定せず、絵画やシンボルデザイン、色彩などの視覚面や、建築や都市空間などの空 間的な概念を関連付ける必要があることが、これまでの研究によりわかってきたのである。その ため、新たなプロジェクトで協力を要請することになる社会学部付属研究所の岩永真治教授とも 連携して、様々な企画を検討した。
学会活動としては、日本国際政治学会の研究大会(仙台10月)において、「国際組織と国際秩 序」についての部会のコメンテーターを務めて国際秩序論と文化史の架橋を試みた(ただし、こ の報告においては文化面については音楽を含むものではなく、あくまでも規範やイデオロギーの 言説レベルに留まるものであった)。
この年度においても、本共同研究プロジェクトによる啓蒙教育活動に対する貢献を図ることが できた。この年度の 12 月におけるレクチャーコンサートに参加した本学学生の感想を以下に抄 録しておきたい。音楽の初心者でありながらも、グローバルに越境する音楽、文化とアイデンテ ィティ、文化のヒエラルヒーといった重要な問題に強い関心が向けられていることがわかる。
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学生A:
○ヴィラ=ロボス ヴァイオリンとヴィオラのデュオ W463
今回一番印象に残ったのがこの曲でした。私はクラシック音楽をあまり知らないせいか、「亜 麻色の髪の乙女」のような「THE クラシック」という曲よりも、このヴィラ=ロボスのように 少しイレギュラーな曲に毎回惹かれていることが分かりました。この曲は第一楽章は急、第二楽 章は緩、第三楽章は急と緩急がとてもはっきりしていました。第一楽章は一言でいうと「不安」
という感じでした。曲のはじまりも突然で、何度も曲調が変わり不安定であり、急に演奏も激し くなるので、この先どうなるんだろう?といい意味で不安を感じつつ、ドキドキしながら聴くこ とが出来ました。第二楽章は一変してゆったりとした柔らかい感じで、安心して聴くことが出来 ました。第三楽章はまた一変して、激しい演奏から始まります。楽章自体は短いのですが、とて もインパクトがあり、最後のヴァイオリンとヴィオラのお二人が激しく弦を弾くところは、息を するのも忘れるほど、視覚的にも聴覚的にも釘付けになってしまいました。演奏者のお二人が
「ヴィラ=ロボスを弾いたあとは、会場がざわざわしていて、お客さんがどういう反応だったか 気になる」とおっしゃっていたのですが、他のお客さんも私と同じように意表を突かれたのでは ないかと思いました。
学生B:
○演奏の聞き方
今回のメインの曲であるサン=サーンスは、目をとじて音楽を聴いていました。いつもはその ように聴くことはなく、演奏者を見ながら、ひとりひとりの奏でる音をじっくりと聞くのが好き でした。しかし、一曲目のスカルラッティの演奏が始まった時から音が丸みを帯びていた感覚が あり、誰の音だろうと探しましたが見つかりませんでした。考えているうちに自然と目をつぶっ ていたと思います。
半澤先生はよく、「室内楽は非常に民主的な音楽」とおっしゃっていますが、今回、その意味 を感覚で捉えることができた気がします。それぞれの演奏者が奏でた音楽は、四人を包み込むよ うにして調和していたからです。ひとりひとりの演唱者が楽譜通りに正確に演奏することは重要 だと思いますが、それよりも音の調和や適切なハーモニーが綺麗に響くことは、生演奏ならでは の一回性の魅力ではないのかと思いました。とくに室内楽は指揮者がいるわけではないので、自 然な音の移り変わりがあると思います。演奏者を見ると音の移り変わりはよりはっきりとわかり ます。しかし、目をつぶると、音をより感じるため、曲の全体を理解することができたと思いま す。まるで作曲者の頭の中に入り込んだ気持ちになりました。これからすべての演奏会で目をつ ぶろうとは思いませんが、たまには気分が変わって良いと思いました。
学生C:
今回の演奏を聴き、また演奏家の方とじかにお話しできたことで、プロの音楽家の曲にもの作 り方を知ることができたように思います。先生が今回はいつもより練習の回数が多いと仰ってい たので、各楽器の掛け合いや音の調和に注意を払いながら聴いていました。一曲目のスカルラッ ティは17世紀、それ以外は18世紀の曲であったことから、時代による曲の違いを感じることも できました。その中で一番大きな違いはメロディラインであると思います。
スカルラッティの四声部のソナタは4つの楽器がそれぞれ違う動きをし、いろいろな音が掛け 合っているように感じました。そのためこの楽器が今メロディを弾いていると断定することは難 しかったです。これと比べると、サン=サーンスやヴィラ=ロボスの曲は今この楽器がこういう メロディを弾いていると把握しやすかったです。
このことについて先生とお話していたら、1st ヴァイオリンのを演奏してくださった渡邉さん が、スカルラッティはもっとメロディがわかるようにすればよかったと仰られていました。当た り前のことですが、この言葉からプロの音楽家は奥深く音楽について考えていることに改めて気 づくことができました。その後のお話の中でも渡邉さんと拓植さんがアンサンブルの練習をして いる時に、音楽をどのように作り上げていくか考えすぎて練習にならず、途中で練習をやめて帰 ってしまったことがあると言っておられました。
一つの曲を作り上げるのに膨大な時間を曲の技術的な練習のみならず、その曲のイメージやど のようにお客さんに聞かせるかなどを考えることに使っていることがわかりました。まさにプロ の音楽家は職人であると感じることができました。
●黒尾めぐみ
ヴィラ=ロボスのデュオは、今までに聴いたことのない雰囲気の曲でした。異なる音のユニゾ ンでよく耳にするのは三度のハモりですが、今回はあまり聞かない度でのユニゾンがありました。
普段耳に馴染みのないハモりで不穏な感じがありつつも不思議としっくりきました。
ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は楽器による音色の違いを実感しました。ピアノでの演 奏と比べて四重奏ではメロディーが曲線的に感じられました。ドビュッシーは東洋の音楽に関心 を持ち、五音音階をアレンジして曲を作ったことで知られます。五音音階とは、オクターブのう ちに五つの音がある音階のことで、東・東南アジア、南アメリカ、スコットランドなどで用いら
れ、日本の民謡や文部省唱歌の多くもこの音階でした。今まで聞いていたピアノ版では「亜麻色 の〜」に東洋風のイメージを持っていたのですが、弦楽ではそれがあまり感じられませんでした。
なぜ東洋風に感じられなかったのか考えたところ、四重奏でメロディーが重層的になったためで はないかと感じました。ピアノの旋律が、琴のように単音でメロディーを紡ぐイメージと繋がっ ていたからかもしれません。現在卒論でも文化と音階について調べており、今回のコンサートで 楽器によるイメージの差異を発見できよかったです。
学生D:
今回ヴィラ=ロボスのデュオの勢い、味わい深さに魅了されました。現代音楽ならではの「さ きが読めない(フレーズがわからない)メロディー」で、はじめはやや不安に感じましたが今回 のデュオはお二人の息が非常に合っていて、圧倒されました。とくに2楽章では、渡邊さんの歌 いあげるようなメロディーに聴き入ってしまいました。個人的にアダージョの哀愁漂う雰囲気が 好みというのも要因ではありますが、聴かせるメロディーラインで音の厚みや深みがあったので、
心地よく感じられたのだと思います。
また、終了後のお話で、演奏者の方が演奏する際どのようなことを考えていらっしゃるか、い つも以上に伺えたことは大変良かったです。もっとも印象的なのは、今回の「亜麻色の髪の乙女」
のように別の楽器のためにつくられた曲を編曲して弦楽器用にしたような場合、とても気を使う とおっしゃっていたことでした。原曲のピアノらしさを残しつつ、どのように弦楽器の音色の良 さをだしていくか、いつも悩むそうです。私はサン=サーンスのような大曲の方が相対的に曲づ くりが難しいと考えていたので、(もちろんケースバイケースではありますが)曲づくりの奥深 さや、稲波さんが報告しているような「音楽家は職人である」ということを実感しました。
学生E:
○ヴィラ=ロボス
ヴィラ=ロボスはブラジル出身で、クラシックにブラジル音楽を融合した新しい音楽を作った 作曲家です。時代的にも第一次大戦の戦間期であり明るく前向きで、エネルギッシュな音楽が受 け入れられたのではないかと思います。個人的には、このような一般的なクラシック音楽とは雰 囲気の違う新鮮さにとても惹きつけられました
学生F:
今回、最も印象的だった曲は、サン=サーンスの「弦楽四重奏曲第1番」です。プログラム紹 介に、“枯葉散る冬のパリを思わせる”と書かれていましたが、まさにそんな情景が思い浮かび ました。入りは不安な雰囲気がある一方で、冬の透き通った空気を感じるようでした。カフェの テラス席に座って外を眺める、というよりは枯葉が積もっている道をどんどん歩いていくようで、
静かな部分、激しい部分、明るくきらきらした部分、きれいに情景が移り変わる曲でした。
学生G:
演奏を聴覚のみで捉えるか、それとも視覚ありで捉えるかという話がありますが、私は今回の コンサートシリーズや今まで足を運んだ演奏会を思い出してみると、普段生演奏に触れるときに
は、無意識のうちにその演奏者たちの(技量差による?)人間関係や、演奏における「対話」の 様子など、彼らのチームワークに着目してしまうことに気付きました。
既に当日の演奏を聴いてからだいぶ日にちが経ってしまいましたが、その中でも記憶に強く残 っているのは、ビオラの柘植さんの演奏の様子です。彼女はカルテットで弾いている時、まるで 私たちがゼミでディスカッションをしている時のような緊張感を漂わせていました。
ディスカッションで的確な発言をするには、その時の内容の全体像を把握し、議論の流れを正 確に捉える必要があります。音楽には、その発言の内容やタイミングはすべて楽譜上に記載され ていますが、柘植さんは自分の意見をどのような「口調」で述べるか、(つまり音の出だしから 引き方まで、自分のパートをどのように奏でるか)ということに、かなり神経を使っている様子 でした。このような柘植さんの演奏は、何より1st の渡邉さんを上手に盛り立て、渡邉さんが気 持ちよく演奏できる環境をつくる役割を果たしていたように思います。
お二人がユニットを組んでいることは、ヴィラ=ロボスの演奏を聴いたときにはまだ知らなか ったのですが、単なるプロの域を超えた絶妙な息やテンションの合い方には、明らかな親密さが 窺えました。お二人の掛け合いの様子はまるで一流の漫才コンビのようであり、お互いが常に自 分の役割を意識し、役者のように演じている様子が印象的でした。
学生H:
今回のテーマが「冬色のフランス」であり、スカルラッティ以外がフランスにゆかりのある作 曲家ということでフランスらしさを考えながら聴いていました。曲の国籍の話はゼミでも時々挙 がりますが、いかにもフランスな曲はドビュッシーだけで、ヴィラ=ロボス、サン=サーンスか らはもっとインターナショナルさを感じました。フランス音楽といえば、FDR(フォーレ、ドビ ュッシー、ラヴェル)のような印象主義音楽のイメージを持っています。しかしそれ以外にも、
パリの、芸術性の高い文化を柔軟に取り入れる自由さや開けた雰囲気そのものがフランス音楽らし さの要素でもあると思います。とくに、ヴィラ=ロボスも活躍した戦間期のパリの芸術作品は、国 際性とナショナリズム的なものとが織り交ざり、興味深い時代だと感じました。今回のヴィラ=
ロボスのデュオからフランス性を見出すのは難しく感じましたが、曲全体を通し、繊細さの中に 力強さがあり、作曲者のラテンアメリカ的なアイデンティティーも現れているように思います。
演奏で今回最も印象的だったのはサン=サーンスの弦楽四重奏です。この曲は本当に終わるの があっという間で演奏中ずっと聞き入ってしまいました。それは、曲そのものの魅力に加えて演 奏者の息の合い方がいつも以上に客席に伝わってきていたこと、旋律、裏メロのかみ合い、トゥ ッティになった時の締まり方に圧倒されたことなどにあるかと思います。曲そのものは、少しオ リエント的な雰囲気もあるように感じました。何楽章か覚えていないのですが(多分 2 楽章)、
シンコペーションのリズムからはアラブ風に感じられる箇所もありました。サン=サーンスは、
オリエンタリストの作曲家ですが、この曲の場合前面にそれを出すというより、所々に織り込ん でいるところからも、彼の国際的な視点がみられると思いました。
学生I:
最も印象的だったのは、ヴィラ=ロボスのデュオです。率直な感想ですが、この曲を聴いてい
て「変わっているな」と感じました。その理由として、次にどのような展開が来るのかわからな いメロディーがあると思います。この独特のメロディーと、ヴァイオリンとヴィオラの掛け合い が、不安定さのようなものを生み出してると感じたのですが、「次どうなるんだろう」という興 味を掻き立てられ、曲の世界に引き込まれました。特に、音がひらひらと落ちていくようなメロ ディーと、崩れ落ちるようなメロディーがとても面白かったです。また、音の迫力や力強さがと ても楽器二つとは思えないほどで、圧倒されました。体全体を使って演奏しているというのがと てもよく分かり、強弱の大きさが印象に残っています。私も、クラシックを聴くときやライブで バラードを聴くときに目を閉じることが多いのですが、お二人の体全体を使った激しい弾き方や 表現に目が引かれ、見入ってしまいました。
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次に2016年1月に有志学生が参加した東京音楽大学の公開講座「ウードとリュート」に関す るレポートも一部を紹介する。この公開講座では、アラブの楽器であるウードと、ヨーロッパで 発展したリュートの近しい関係と、その決定的な違いがよくわかったが、学生たちがこれを文化 の越境の問題として的確にとらえていることがわかる。
学生A:
◯楽器の弾き方と哀愁ただようメロディー
今回のプログラムはアラブ古典音楽で用いられるウードと、ウードを起源としてヨーロッパに 広がったリュートの演奏会でした。まず楽器について、二つは全く異なる楽器ですがどちらも横 板がなく背面がふくらんでいて、糸倉が後ろに曲がっているという独特な特徴を持ち、よく似た 形をしていました。
また、日本人がこの楽器を弾いていることにいくらか違和感を感じてしまうほど、曲調(特に ウード)がアラビアンな雰囲気を持っていました。演奏者のお二人は、座って足を組みながら体 はあまり動かさず、指先だけで静かに弦を弾いていました。特にウードは柔らかい音色で、もの 悲しげな、旅人が故郷を思い出すような(?)メロディーを演奏していました。こうした哀愁の 漂うメロディーは少し寂しいような、でもとても心地よく聴くことができました。
ウードだけでなくリュートも私にとっては柔らかい音に聴こえたのですが、メロディーの柔ら かさは楽器の弾き方や音量にもポイントがあると感じました。ウードはピック(昔はガゼルの角。
今はプラスチックが多いそう。)で弾くのですが、複弦なので音が重なってふくらみが出て、音 が低いので楽器の主張が激しくなかったです。一方でリュートは単弦ですが、指で演奏していた ので弦を弾いてもそんなに強い音が出ていませんでした。こうして出す柔らかく控えめな音とい うのが、哀愁を感じさせるのだと思います。
学生B:
◎音色について
ウードとリュートはどちらも共通して、哀愁的な、懐かしさを感じるような音色で、心地よさ がありました。しかし異なる点として、ウードは感情的、野性的で、リュートは機械的な印象を