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4 Iwatani Hiroshi videre theca

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(1)

報告 岩谷洋史 国立民族学博物館文化資源研究センター機関研究員

ビデオテーク番組の

検索システム構築に関しての一考察

第5回 研究会

石田佐恵子 大阪市立大学大学院文学研究科教授 高野光平 茨城大学人文学部准教授 辻 大介 大阪大学大学院人間科学研究科准教授 梁 仁實 岩手大学人文社会科学部准教授 大石真澄 大阪市立大学大学院博士前期課程 桐山吉生 事務局/京都精華大学全学研究センター *50音順(研究会メンバー)/肩書きは2013年度現在 参加者 2013年6月23日 国立民族学博物館 第2セミナー室

(2)

▼ レ ジ ュ メ ▼ 1 逆テレビとしてのビデオテーク 国立民族学博物館の本館には、「ビデオテーク」という近未来的なブースが並んでいる、と よく言われる。初代の国立民族学博物館館長であった梅棹忠夫によれば、ビデオテークとは、 逆テレビであった。 しいて漢字をならべますと、選択的映像音響自動送出装置ですけれど、これは送り手、源泉 がひとつで、受け手が多数という関係になっている。それを逆転して、受け手はひとりだが、 源泉は無数だという映像音響の取りだし方はできないものかとかんがえたんです。つまり、 受け手がリクエストすることによって、たくさんのストックのなかから自分のすきな番組をよ びだせる、そういう装置です。(略)観客はコードブックのなかからおもしろそうなものを選 択し、プッシュボタンをおせば、目の前のブラウン管にそれがでてくる。(略)それを受注し た松下電器の技術陣が大ハッスルして、どうとうほんとにそのとおりのあたらしい機械をつ くりあげてしまった。」[梅棹 1978:9-10] 図書館のことを、フランス語やドイツ語ではビブリオテークというでしょう。やはり語源は ギリシャ語です。同じようにレコード集積所はディスコテークというそれにならって、この 装置の名はビデオテークという愛称でいこうというわけです。[梅棹 1978:10-11]

videre

(見る):ラテン語、

theca

(場所):ギリシア語 最初のアイデアでもはじめから構造はブースなんです。小部屋がたくさんならんでいる。視 聴者は個人ですから。そして情報源はすごくたくさんある。そのなかからすきなプログラム を自由に選択できる。その点、ふつうのテレビと逆になっているわけですね。テレビは、ひ とつのソースから放送されるおなじ情報を見る。ビデオテークはその関係が逆になって、多 数の情報のなかからひとつを自分が選択する。」[梅棹 1978:74-75] 報告

ビデオテーク番組

検索システム構築

に関しての一考察

岩谷洋史 Iwatani Hiroshi

(3)

2 ビデオテーク番組の種類 現在、ビデオテーク番組は、以下の種類がある。 ①購入し、民博監修で、編集し直したもの(かつては、NHK サービスセンターなど)。 ②民博の教員が主体的に動いて制作されたもの(現在は文化資源プロジェクトというプロ ジェクト形式をとる)。 ③フィールドの人たちが制作したもの(韓国の国立民俗学博物館との共同研究)。人類学者 によるフィールドの一方向的な表象からフィールドの人びとの表象へ。 ④教員個人が制作して、民博に寄贈したもの。 ビデオテークが始められたときは、外部から購入するというものが多かったが、次第に民博 内で制作するものに変わってきた。民博には、映像を制作するための場所(撮影・音響スタ ジオなどの設備)が整えられている。 民博での映像制作は、大阪にある映像制作会社エスパ(

http://www.espa-japan.co.jp/

)とい う会社との関わりが大きい。この会社は、ドキュメンタリー映像や学術記録映像、展示映像の 企画・制作・撮影をする。民博のなかで、常駐する。ビデオテーク番組の制作は、もっぱら この会社にゆだねられる。 撮影をする際には、教員と相談して、撮影をするが、多くの場合は、映像資料として残すた めに撮影をする。だから、撮影をする際に、どのような状況にあるのかを把握できるような 感じで撮影をする。基本は、ビデオテークのためのものではない。あくまで映像資料である。 そのあとに、15 分程度のビデオテーク用に編集する。編集をしているときは、教員はこない。 こられると、邪魔なので(笑)。教員のなかには、ヴィジョンがない人もいる。まず、雛形を だして、見てもらう。そうしたら、どこまで言いたいことなのかがわかるようになってくる。 研究者の問いかけは、非常に専門的なもので、一般の人たちにこたえるものではない。だから、 こちら側で、一般向けにするように、編集をする。(エスパへのインタヴューより) ビデオテークには、制作するときのガイドライン(ほとんどの人はこのガイドラインの存在 を知らないのではないか?)があるが、このガイドラインの見直しをする必要がある。また、 取材の際のオリジナルテープの管理をどうするのか。オリジナルテープのデジタル化はおこ なっているが、以前、デジタル化を行ったものは、現在では、古くなってきている。D3-VTR で保存。現在は、XDCAM。あと、著作権の管理など。DVD で配布しているが、すべてでは ない。インターネット上で閲覧できるような形も将来的にはありうるかもしれない」(情報シ ステム課へのインタヴューより) ・

民博における映像資料は、

16

mm

フィルム、

U

マチック(

U

規格ビデオテープレコーダ のソニーにおける商標。テープ幅

3

/

4

インチのカセットを使用する。)、

BETACAM

1

イ ンチビデオ、

D

3

(館内)、

DVDPRO

50

DVCPRO HD

HDV

などによって保存され

(4)

ている。 ・

1977

年から始めた、初期のビデオテークは、

U

マチックを利用していた。それが、

1989

年には、

Panasonic

が開発した独自の光ディスクに、

2000

年には、サーバー・クラ イアント方式(データフォーマット不明)で、

2005

年には、スタンドアローン方式(

Mpeg

2

)、

2012

年には、スタンドアローン方式(

Mpeg

4

)になっている。今後は、再び、サーバー・ クライアント方式か、あるいは、ビデオテークそのものをなくすという意見も一部ではあ る(ブースのなかで、テレビを見るというスタイルが時代遅れという理由で)。 ・

2011

11

5

日現在で、映像資料 約

7900

件(番組数)、このうち民博製作は約

800

件で、他に本館が撮影したオリジナルの映像やマスター、展示用映像などが多数ある。 音響資料が約

63000

件、市販の

CD

140000

件、

LP

25000

件の他、昔話や言語 の録音テープ類、写真資料が約

29

万件(ディジタル化した件数) 3 人類学における映像:エスノグラフィック・フィルムなのか?それとも、フィルミック・ エスノグラフィーなのか? おそらく、エスノグラフィック・フィルムとフィルミック・エスノグラフィー、もしくは、 ビデオ・エスノグラフィーというのは同じ意味であることが求められるはずだが、実際はどう か? エスノグラフィーというのは、「参与観察を基本とした特定の社会的・文化的な場の直接的 な経験や探究に根ざしている」[

Atkinson et al.

2001

:

2

]。多くの場合、フィールド(要するに、

naturally occurring settings

)における行為者の文化的なパターンを詳細に、かつ全体論的に読 みとろうとする方向に向かっている。マーネンによるならば、エスノグラフィーには二重の意 味がある。 ①プロセスとしての研究方法:参与観察という意味でのフィールドワーク。フィールドから データを収集し、そのデータをどう分析していくかという方法。 ②プロダクトとしての研究成果物:主に、文字媒体でテキスト化された表象物。 「現代の文化研究家は後者を強調し、エスノグラフィーをそのトピック、形式、レトリック の特徴から定義するようである」[

Maanen

1996

:

263

]。小田博志によると日本においては、 プロセスとして理解する傾向がある英語圏とは異なり、エスノグラフィーとは、フィールド ワークの成果をまとめた報告書や論文と理解される傾向があったという。小田は、このこと を踏まえ、エスノグラフィーは、「社会的場(フィールド)における事象を、そこに固有の関 係性の中で理解し、その理解を踏まえながら理論化を展開していく質的方法論の一つ」[小田  二〇〇九:一四]であることを強調し、「具体的な描写と抽象的な理論的考察とが一体となっ たアプローチ」と捉えている。言い換えれば、人類学者がフィールドで遭遇する、様々なメデ ィアを通じて得られたものを、ある一定のメディアに還元していく作業であると同時に、作業

(5)

によってもたらされた成果物が、エスノグラフィーということになる。 4 ビデオテーク番組の制作の基本 ビデオテーク番組は、基本的には、エスノグラフィック・フィルムの一種になる。

1989

5

18

日に開催されたビデオテーク資料作成部会の資料「ビデオテークの基本方針について」 では、プログラムの内容に関して、以下のようなことが記載されている。 従来の「短編民族誌的映画」に加え、クロスカルチュラル的なものやスライド等、民族誌的 映画化しにくいテーマや素材を活用するための「構成プログラム」の製作を推進していくこと とする。なお、「構成プログラム」としては、以下のようなプログラムがある。 ○テーマ中心 特定のテーマに関するものを製作する。 ・ クロスカルチュラル的なもので、複数地域をカバーするもの (例)世界の楽器、アジアの衣服 ・ 一地域内の一テーマについて取り扱うもの (例)悪魔仮面、エスキモーの船 ○地域中心 各展示場単位に製作する。 ・ 地域概説 当該地域の文化に関する概説的なもの (例)オセアニアの諸民族、オセアニアの自然と文化、オセアニアの言語 ・ 地域の中のテーマ解説 (例)オセアニアの食事文化、オセアニアの衣服と装身具、オセアニアの住居 ・ 各地域の展示内容 展示テーマに沿ったプログラム (例)(オセアニア地域)海の民族、くらし、儀礼の世界 ただし、「各地域の展示内容」については展示の見方を強要することになりかねない危惧があ り、本館の基本方針に抵触するため、これに関しては、展示品の解説又は展示品に関連する テーマなりを、より深く掘り下げたプログラム若しくはクロスカルチュラル的なテーマを追 求したプログラムを全体的に推進することとする。 ○その他 ・ 各種研究分野の解説(例:コンピュータ民族学) 本館の活動の紹介(例:講堂の催物)

1976

10

月の「ビデオテーク用映像、音響資料製作要領」では、「民族学的資料としての 事実が確実に把握されており、学術的な検討を経たものであること」「一定のコンセプトを伝 達する情報としての映像であること」「既製の映画、テレビ番組の手法形式に基づく必要がな いこと(基本的に既製作品のパターン化した手法はとらないこと)」「原則として作為性を必要 としないこと」「必要以上の主観的、叙情的ナレーション、音楽、音響効果は避けること」などが、 映像制作の際の心構えになる。

(6)

5 人類学資料のデータベース:比較研究としての人類学

Human Relations Area Files

(略称

HRAF

フラーフ)(

http://www.yale.edu/hraf/collections.

htm

)は、

G.P.

マードックらによって開発・研究され、世界中の様々な民族の社会や文化につ いて書かれた文献(単行本、論文等)を、地域や民族別に集め、それらすべてのページの内 容を専門家が独自の分類方法を使って分析したファイル資料である。

HRAF

は今日なお更新 されつづけている巨大な人類学的知見の集積体である。

19

世紀以来、人類学は、「人間」の考察を射程に入れ、まずは人間文化の共通性を前提に置き、 多様な文化を同一平面上で比較するという作業を行ってきた。比較は、共通する部分が存在 するか、共通する部分を見いだすことができるという前提のうえで,差異を問題にする作業で ある[栗田 

2010

]。マードックは、この作業を統計学的な手法に着目した。

5.1 Outline of World Cultures

まず、

Outline of World Cultures

(略称

OWC

)という分類方法によって、地域・民族別に 分けられている。

OWC

では、初めに世界を

8

つの地域に分けている。

A

:アジア

E

:ヨーロッパ

F

:アフリカ

M

:中東

N

:北アメリカ

O

:オセアニア

R

:ロシア

S

:南アメリカ 次に、これらの地域を主に政治的な単位に基づいて、細かく分類していく。例えば、

A

(アジア) の場合、

AA

が朝鮮半島、

AB

が日本というように、二つ目のアルファベットを加えて表され ている。さらに、これら各地域の文化や社会の特色に基づいて、地域、民族、時代別に分け、 それぞれ文字のあとに数字をつけて、例えば、

AB

6

がアイヌ、

AF

2

が清(中国)のように表 されている。

5.2 Outline of Cultural Materials

OWC

によって地域・民族別に分けられた文献の内容は、さらに

Outline of Cultural

Materials

(略称

OCM

)によって、主題(項目)別に分類されている。

OCM

は、人間の様々 な行動、社会生活、習慣、物の生産等を、総合的に分類する方法で、

3

桁の数字で表される。 例えば、

29

(衣服)の項では、

291

:一般的な服装

(7)

293

:服飾雑貨(手回り品、身の回り品)

294

:衣服製造

295

:特殊衣料産業

296

:衣服の手入れ

HRAF

ファイルは地域・民族別、主題別に分類されている。時間をかけずに情報を取り出 すことができ、例えば「食文化」というテーマで地域ごとに比較したり、累計をとったりとい ったようなことが、比較的簡単にできる。まさに、通文化研究であり、これに寄与するものが コンピュータ上でのデータベースであった。 しかし、データ設計の思想は必ずしも現代の人類学的な研究の方向に適切であるとはいえ ない。

HRAF

は、ほとんど利用されなくなってきているといっても過言ではない。ポストモダ ン人類学の本質主義批判以降、互いにかけ離れた地域や文化の通文化研究は批判される。そ こで決まって出てくるのは、個々の文化・社会的文脈を無視しているという批判である。ある いは、完成した人類学資料を再分解したうえで、一方向的にある視点で項目ごとの分類、階 層化を行っている批判もある。 さらには、近年の人類学では、マードックの統計学的な手法だけでなく、比較研究そのも のの基盤自体が疑われている。文化の概念自体が疑問にさらされ、文化の個々の要素が通文 化的に比較可能なものとして同定できるのかどうかという批判もある。かつてエヴァンズ

=

プ リチャードが「社会人類学の唯一の方法は比較である。そしてそれは不可能である」と述べ たように、比較という作業は、不可能な作業なのかもしれない。しかしながら、人類学的研究 の基本は、そうはいってもやはり通文化的研究なのである。 6 人類学的な知のデータベース化は可能か? マノヴィッチによるならば、ニューメディアとは、コンピュータと様々なメディア(写真、 映画、レコードなどなど)の二つの歴史が収斂する場となる。既存のメディアの情報は、デジ タルデータとしてコンピュータで操作可能なもの(繰り返しの高速な処理の実現、アルゴリズ ムによる別のデータへ変換などなど)となる。 ニューメディアの出現によって、あらゆる種類のメディアのデータがデータベースとして格 納することができるようになった(あるメディアのデータベースではなく、その該当するメデ ィアもデータベースに格納される)。たとえば、上記の

HRAF

eHRAF

へと変化する。 しかし、単純化し、厳密に構造化されて設計されるデータベース(したがって、なんでもはい るものではなく、処理がしやすいように記録されたもの)、特にリレーショナルデータベース (

RDB

)(データベースの代表的なものであるが、

RDB

であるが、

RDB

は、現実世界の様々 なデータを関係付けることで意味のあるデータの集合にしてく仕組みである)の性質上、体 系的な知のあり方を必ずしも目指していない(あるいは、 拒否しようとしている印象もある) 人類学的な知、すなわちエスノグラフィーは実現できないのではないかという疑問はある。

(8)

その一方で、映像に関しては、本質的かどうかは、別として、静止画像、動画像などの映 像の制作だけでなく、インターフェースの技術的な変化とともに、映像を閲覧する経験を少な からず変えていっていると考えられるし、変えることも可能となっている。 どこまでできて、どこまでできないのか?むしろ、世界をデータベースによって、再構成す るという方向ではなく、人類学的な研究を推進するにあたって、既存のデータベースを再解釈 するという方向の方がよいのではないだろうか。 6.1 人類学資料の再解釈:メタデータの付与 現在、映像情報の検索では、映像情報に付与されたメタデータやキーワードを活用する方 法が主力になっています。しかし、この方法では、付与した人の主観が入りメタデータやキ ーワードに偏りが出てしまうなどの問題があります。本当の意味での映像情報の検索を行う ためには、映像として、そこに何が写っているのかをコンピュータに認識させることが必要で あり、映像の意味内容の解析や理解のための技術が重要になってきます(富士通総研 

http://

jp.fujitsu.com/group/fri/column/news/

200802

/

2008

-

2

-

2

.html

2013

6

22

日閲覧)。 この立場から、コーパスベースの映像分析の手法なども現れてきている。また、

TRECVID

と呼ばれるとは、映像コーパスを用いた、情報検索のための競争型のワークショップであ る。アメリカの

NIST

National Institute of Standards and Technology

)と

DTO

Disruptive

Technology Office

)の主催で行われている。毎年、大学や企業の研究グループ単位で参加者 を募り、決められたタスクについて、それぞれの手法による結果を提出し、比較・検討してい る(日本からの参加は、国立情報学研究所、

NHK

放送技術研究所、東京工業大学などなど)。

6.2 映像検索システムのプロトタイプの開発

動画像にメタデータを付与するアプリケーションはいくつかある。例えば、以下のもの。 ① Metadata Production Framework(http://www.nhk.or.jp/strl/mpf/index.htm)

② ELAN(http://tla.mpi.nl/tools/tla-tools/elan/):マックスプランク研究所で開発された動 画像にアノテーションできるアプリケーションである。 ③ ANVIL(http://www.anvil-software.org/) 素朴な方法を採用することにし、主に、人類学を専門とする研究者によるメタデータ付与 作業を実施した。既存の情報コンテンツである、

MPEG

2

に変換されたビデオテーク番組(試 みに

50

番組程度)、テキストデータのナレーションデータ、

EXCEL

ファイルで保存されたカ ット表を利用し、カット毎のサムネイル画像の作成、および、カット毎のテキストデータベー スのメタデータの付与する作業を行った。また、これらの作業を通じて作成されたデータを利 用して、簡易的な

WEB

ベース(

HTML

5

CSS

Javascript

を利用)の映像検索システムの試 験的に構築した。

(9)

年 4 月に W3C 標準として勧告された。SMIL は、WWW 上でマルチメディアコンテンツを表 現するためのマークアップ言語の一つである。静止画像、動画像、音声、テキストといった データの画面上、時間軸上での配置を、XML フォーマットで記述することで統合し、再生さ せることができる。だが、この規格はなくなりつつある。 情報管理っていうのは、残念ながら担当者の意識に依存する面があります。動画の編集履歴 のことも、非常勤の方で民博でずっと長いこと映像資料の管理に関わっていて、その人が気 がついて、映像作成を請け負ってるところに「カット表も一緒に納品するように」言ってく れたから記録が残ってるとか、たまたま編集機の中にデータが残っていてそれが吐き出せる から編集履歴がたどれるわけです。そういうことが館の方針として決まっているわけではな いんです。このような点を本当は何とかしなければいけないのですが、実際は担当者の意識 に依存しているというのが現状です。(ある民博の教員の発言) 6.3 メタデータ付与者の日記(共同研究者:吉田佳世(神戸学院大学地域研究センター) 今日は、

1641

から

1644

(途中)までやる。画面が狭いので、ちょっとやりづらい。

1642

のフェ ズの街はたくさんのモノとヒトが画面に映り込んでいるので、書くことが多かった。作品によって進行 度合いが全く違うが、いわゆる田舎や農村部よりも都市部の方がメモすることが多い。ところで、改 めて感じるのは、わたしがメモに音を拾っていないということである。たとえば

1642

のパレットのよ うに見える染色工房の風景では鳥の声が入っていたがメモしなかった。

1643

の空き地では女性がろう けつ染めをしている映像が流れているのに、ずっとポコポコパコパコという音が聞こえていたので何 だろうと思いつつもメモにしなかった。後に、セネガルの女性が唯一男性を雇う職業である布たたき 屋の叩く音だとわかった。人類学的な観点からいえば、前者の鳥の鳴き声はメモに反映しなくてもい いような気がするが、後者のポコポコ音は映像の伏線になっているという意味でも書いておいた方が よかったかなと思う。

2012

9

18

日(火) 今日

1644

から

1647

まで

4

本終わらせる。ようやく、書いた方がいい事と,そうでないものの区別 がついて来たように思う。ただ、うまく表現できないと感じる部分もある。今日はアフリカの乾燥地帯 と中国の山間部の映像だったのだが,眼で見る感覚的な印象として、明らかにアフリカは乾燥してお り砂漠のような状態であり、対して、中国は田園がどこまでも肥沃な土地である。乾燥地帯、田園風 景というのは書いたが、こうした画面全体から読み取れる気候を表現するのはむずかしい。それから、 アフリカの出稼ぎ先の苦労についてのインタビューで、確かに、フランスに出稼ぎに来ている男性と、 村で過ごしている男性は明らかに肌のつやが違った.でも、肌つやが違うってことは多分論文でもな んの比較材料の根拠にもならないだろうから、わざわざ書かなくてもいいのかもしれない。でも、肌 つやは、具体的なことはいわずただ「苦労した」とだけいう出稼ぎ男性の言葉よりは、よっぽど説得 力があるように思われた。(

2012

9

27

日) 今日は

1648

から

1651

まで4本終わらせる。モンゴルのビデオ3本と、ソマリのビデオ1本だっ た。まず、モンゴルのビデオはこれまでにないインタビューのビデオだった。まず、問題点は、衣装 や服装についての自分の記述にばらつきがあるということである。それぞれの伝統衣装の名称をこれ

(10)

まで書いてこなかったので、ネットで調べて書いた方がいいように思った。でも、アフリカの衣装って、 アフリカンプリントと書けばいいのかしら?それに対して、いわゆる現代的な服装はそのように書いた 方がいいな思った。ところで、今回は前の3本がいずれもモンゴルの著名人のインタビューだったが、 二本目

1649

の人はやたらいろんな衣装に着替えていたので、非常におしゃれな感じがした。しかし、 それをどう表記したらいいのだろうか。「○○さんはおしゃれ。」と書いた方がいいのか?それはあくま でも私の感想であって、人の気持ちの入った検索には何ら必要はないのだろうか?(

2012

11

月7日) 今日は、

1652

から

1657

の途中、計

5

本半やった。ナレーションのところを、少しおおざっぱにや ったらスピードが速くなった。この方が精神的にも楽だ。今日は、すべてソマリの遊牧民とラクダの 話だった。異なる番組で、同じ映像が使われているのだが、全く同じように再現する事は到底できな いと感じた。また、やはり服装はどうも説明できなかった。

2

巡目の時に服装についてはなんとか改善 したい。ソマリの女性はたいていベールをしているのだが、ベールという表記でいいのかという疑問 は残る。専門家に聞くべきか。また、今日、検索に表現し得ないけれど気がついた事は、ソマリのビ デオのナレーションは分業と分配と所有権を端々に説明するのだが、とくに分業という事に関して言 えば、ビデオからは男性が働いているようにはどうしても見えなかった。水汲み、料理、搾乳、ミル ク販売、買い物は全部女性がやっていて,放牧は5歳∼

10

歳の少年がやっている。大人の男は何をし ているのかさっぱりわからないし、たぶん、男性は分業はないのだろう。でも、男性は働きませんな んていう指摘はないし、その辺はどうなんだろうなあ。(

2012

11

14

日) 【参考文献】 梅棹忠夫編 1978年 『民博誕生̶館長対談』 中公新書 小田博志 二〇〇九 「「現場」のエスノグラフィー̶人類学的方法論の社会的活用のための考察」、『国立民族 学博物館 調査報告』八五:一一̶三四。

Lev Manovich 2000 ,The Language of New Media, The MIT Press

John Van Maanen 1996 Ethnography. In Adam Kuper and Jessica Kuper (eds.) ,The Social Science Encyclopedia – Edition 2. London: Routledge. pp. 263-5.

▼ 報     告 ▼ 岩谷 本日は、ビデオテーク全般と国立民族学博物館のあり方みたいなことでお話をしたいと 思います。 それではレジュメを用意いたしましたので、それにそって進めていきたいと思います。 まずビデオテークですが─ビデオテークという言葉は初代館長の梅棹忠夫先生の造語で す─、よく言われるのは近未来的なブースが並んだ民博のなかにビデオテークというもの がある。黒川紀章の設計によるもので、

1970

年代当時には画期的な場所として注目されました。 当時の館長・梅棹忠夫さんは民俗学研究で映像をすごく重視した、人類学者のなかではか なり珍しい人で、博物館にもこうした映像を見られる装置を何とかつくりたいということで、 実現したんです。梅棹さんによればテレビではなく、「逆テレビ」というような感じで、テレ ビが一方向的に番組を流すのに対して、ビデオテークは個人が好きなときにボタンを押して呼

(11)

び出してくる、オンデマンドシステムみたいだというようなことを、当時、すでに梅棹さんは 考えていて、それで「逆テレビ」というようなことを言っています。

1970

年代は、お金があったんだと思いますけれど、とくに松下電器(いまの

Panasonic

) と民博との関わりがひじょうに深く、民博のほとんどの映像機器やデジタル関係のものは、当 時は

Panasonic

がほとんど一手に引き受けるかたちで開発を進めています。 現在は、状況は全然違うんですけれども、そこでビデオテーク(ギリシア語とラテン語を合 わせた造語)という装置をあみだし、図書館のようなものをつくれないかということで、ブー スにして小部屋で個人が閲覧できるような仕組みで、自由に閲覧できるようにしたのです。た だ、開館当初は確か

1

回しか見られなかった。入場券を入れて、

1

回しか見られなかったよう な気がするんですよね。 辻 確かに1回見ると穴があいて、見られなくなりました。でも、カードを入れる向きを変え たり、裏返しにすると、穴があいてないと認識されて都合

4

回見られた。(笑) 岩谷 私はそういう使い方を知らなかったので、

1

回で終わっていたような気がするんです。 自由には見られなかったんですが、いまでは自由に何本でも見られるような仕組みに変わって います。 つぎに「ビデオテーク番組の種類」ですが、ビデオテークと呼ばれている番組─ビデオ テーク・プログラムと言いますが─にはいろんな種類がありますが、〈レジュメ

2

①〉当初 は、

NHK

サービスセンターやそういったところからプログラムのほとんど買っていたようで す。購入して、再編集して、民博監修で、閲覧が可能になった。 〈レジュメ②〉

1980

年代中頃ぐらいからは、民博の教員がフィールドワークに行ったとき に主体的に動いて制作するというものが、だんだん増えてきて、いま、だいたい数百本ぐらい のビデオテークがあります。 〈レジュメ③〉の「フィールドの人たちが制作したもの」は、

2

3

年前から取り組みはじ めたことなんですけど、韓国の国立民族学博物館との共同研究(民博側代表者・朝倉敏夫)で、 従来は、一方向的にフィールドを表象していたわけなんですけれども、最近はどこへ行っても ビデオカメラがあり、ビデオ編集も楽になってきて誰にでもできるようになってきたというこ ともあって、フィールドの人たちに制作してもらおうというユニークな試みに取り組み、昨年 (

2012

年)、数本ビデオテークのプログラムに入りました。 〈レジュメ④〉の「教員個人が制作して、民博に寄贈したもの」というのは、実はいままで 全然なかったんです。今年(

2013

年)、

1

本だけ教員個人が制作したものを民博に寄贈され る形で入っています。 ビデオテーク ・ プログラムといっても、誰が制作しているのかあまりよくわからないところ があるんですけれども、人類学者一個人が制作しているわけではなく、業者さんが制作したり しているものが多数ある。最終的には民博の教員の誰かが監修して、制作して、いくつかの 会議で承認されなくてはいけない。会議を経て、ビデオテーク ・ プログラムの中に入っていく、

(12)

というような感じです。ただ、いったん入ったものも、いくつかダメだと言われてなくなった ものとか、日々ビデオテーク・プログラムというものは変わっています。 〈レジュメ②〉の「民博の教員が主体的に動いて制作されたもの」に関してですが、実は「主 体的」とはいっても教員が撮影したわけではなくて、民博のこれまでの映像制作は、大阪の 豊中にある映像制作会社エスパとの関わりが大きくて、実際にはエスパのスタッフが教員と一 緒に取材に行って、撮影や音響、編集をほぼ独占的に行っているという状態が、民博ができ て以来続いている。 この会社は、ドキュメンタリー映像や学術記録映像、展示用映像─ビデオテーク以外に 民博の展示場のなかにはさまざまな映像が満ちあふれているんですが─、それらをすべて 編集している。 エスパは外部(組織)なんですが、民博の

3

階にスタジオがあるんです。〔民博のエスパの スタジオのスライドを投影〕けっこうちゃんとしたスタジオで、照明設備もあって、ある程度 の空間もあって、そこで新たに撮影を行ったり、ビデオ編集するだけではなくて、音声やナレ ーションを採ったりとか、かなり立派な映像制作のための装置が用意されています。 いろいろな博物館を見てきましたが、こういったスタジオをもっているのは民博しかないよ うに思います。そのスタジオのなかに、エスパのスタッフが常駐している。ちなみに映像の編 集に使われている機材はすべて

Mac

、「

Mac

帝国」ですね。 エスパの常駐しているスタッフにお話をうかがったんですけれども、「撮影する際には教員 と相談して撮影するが、多くの場合は、映像資料として残すために撮影をする。だから撮影 をする際に、どのような状況にあるのかを把握できるような感じで撮影をする」ということで す。このあたり、教員とエスパの間で基本的にどういうやり取りが行われているかわからない んですが─あとでビデオテークの映像をご覧いただきますが─、いかにもビデオテーク っぽい映像なんですよ。そのビデオテークっぽい映像というのは、ほとんど、何十年間もの間 撮影をしているエスパが、そういった映像をつくりだしているような感じです。 で、基本は、取材に行ったときに最初につくるのはビデオテークの映像ではないんです。あ くまで人類学的な映像資料を残すためのものであって、そのあと、いろいろな映像資料のなか から─民博のビデオテークはだいたい

15

分くらいのものが多いんですが─

15

分程度の ビデオテーク用に編集している。編集中は教員はスタジオにいっさい来ない、来られるとむし ろ邪魔なので、来ないで欲しいということです。また、教員のなかにはフィールドに行ったも ののビジョンが全然ない人がいる、そういうのは困るんですけれども、教員にビジョンがない 場合は、とりあえずエスパが編集をしてひな形を提案し、教員に見てもらう。そうすると、だ んだんとビジョンが明確になっていくから、どういう形になっていくのかわかってくる。ただ し、研究者(教員)がつくるものは─ビデオテークはあくまでも一般向けのようなところが あり、研究者のつくりたい映像とは全然違う、とエスパは言うのですが─ひじょうに専門的 なものが多いので、そのようなものをつくっても一般の方には全然よくわからないから、エス

(13)

パのスタッフが勝手に編集してしまうこともある、というような感じでビデオテークはできあ がっている、とエスパのスタッフは言っていました。 このあたりのやり取りに関しては、私の興味からいうと、どういうふうにして制作物ができ ていくかということを、ほんとうはプロセスを記録したいんですけれども、ひとり個人がつく っているわけではないということです。 現在のビデオテークというのは、もともとガイドラインが設けられていて、ガイドラインに 沿った形で民博のビデオテーク ・ プログラムはつくりだされています。 民博で昔から使っている機材はものすごく古くて、フィルムの時代からあり、テープ、ビデ オテープがあって、最近はデジタル化がほとんど終わっていますが、デジタル化した資料もま た異なる規格のデジタルが出てきたりして、それをあらためてデジタル化し直さなければなら ないということで、デジタル化したけれども、最終的にどこに落ち着くかまったく見えない状 態です。ビデオテーク自身の発信方法も歴史的に変わっていて、はじめは

Panasonic

がビデオ テークをつくっていたんですけれども、その後、μマチックというビデオテープで配信し、い まは全部コンピュータのなかで

MPEG

に変換され、管理して配信をしています。 ただ、民博のなかに映像資料や音響資料がたくさんあって─

2011

11

月現在で映像 資料が

7

,

900

件あるということです。このうち民博が制作したものが約

800

件、この中には ビデオテークも含まれています。その他音響資料が約

63

,

000

件─、だいたいデジタル化が 済んでいるんですが、先ほど言いましたようにデジタル化しても、だんだん企画が変わってき ますので、またデジタル化しなくちゃいけないという問題が起こるということと、最大の問題 は組織的に─よく会議で取り上げられるんですが─だれが管理するか

!?

 ということで、 だれも管理する人がいなくなるという状況です。 で、これは民博の経営的なことになりますが、現在の民博はほとんどが非常勤職員の方で、

3

年ぐらいでみんな代わっていきます。ひさしぶりに民博に来ると知らない人がいっぱいいて、 つぎに来るとまた全然知らない人がいて、「これ、やってください」といった仕事(作業)が 止まってしまうということもあり、とくにデータを管理するということに関しては、ひじょう に頭を悩ますところです。事務職員的なレベルのところでデータを管理する人がいないだけで はなく、教員のところで映像を管理する情報系の人がいない。データベースをつくる人はいる んですけれども、データの管理・保存などに関しても、映像関係の職員・教員がいない。映 像人類学の人はいるんですが…… 石田 そういう人はそういう仕事しないませんものね。 岩谷 そういう仕事はしないし、やっぱりちょっと違うんですよね。で、ちょっと困った状態 になっています。 それでは、ビデオテークをサンプルとして見てみましょうか。 石田 下に行ったら自由に見られるんですよね? 岩谷 民博にはビデオテーク ・ プログラムたくさんあるんですが─私はあまり映像が得意で

(14)

はないんですが、ビデオテークの映像は大好きな映像なんですね─、そのなかでも私の好 きな

2

つの映像をお見せして、みなさんのご意見をお聞きしたいと思います。 まず、これがビデオテークの基本のつくりだと思われるものからお見せしたいと思います。 先ほど申しましたように、ビデオテークガイドラインというものがありまして、はじめに一 部をもっていって、タイトルをつけて、中のほうを説明して、どういうふうにつくっていけば いいのかというのは、ガイドラインに定められたようになっています。多くのビデオテークの 番組は、そういったフォーマットでつくられていくんですが、いまからお見せするビデオテー クは、典型的な人類学の映像という感じです。 ─ビデオテーク上映《ドクターとトランスダンス》 約

17

30

秒(中断) 岩谷 これは治療儀礼なんですが、人類学では儀礼の研究はすごくよくなされていて、ビデオ テーク ・ プログラムのなかでも儀礼の映像は多いんですね。これを制作されたのは─これ はアフリカのブッシュマンなんですが─、民博のアフリカの研究をされている池谷和信さん という方で、何十年もブッシュマンを研究されている人がここをフィールドとしていて、これ もエスパが構成と編集、撮影もしていますね。ま、こういう形でビデオテークを作成します。 これは私の印象でしかないんですが─この「ドクターとトランスダンス」をよく見ている からそう思うのかも知れませんが─、こういうものが人類学映像の基本なのかなという感じ です。梅棹さん自身も、また民博におられた大森康宏先生(国立民族学博物館名誉教授)も 映像に客観性を求めていて、極力エフェクトをかけないとか、撮影するときにわりと遠くから 離れて撮影するカメラワークのあり方とか……そういうのも求められていて、基本的に資料を 制作するためのものとして、人類学ソースとして映像を使うということだと思います。 これは約

15

分で短くしてありますが、そういうエッセンスが入っているんじゃないかなあ と思います。 ─ビデオテーク上映《ドクターとトランスダンス》 エンディング挿入 岩谷 これを見ていてちょっと物足りなさがあるんですよね。民博では展示の際に、何も説明 しないことが基本なんですけれども、この映像を見る限りでは、もう少し説明が欲しいなとい う感じがしないでもありません。例えば、もうちょっとブッシュマンの文化的背景が知りたい なというふうに思います。 これが、おそらくビデオテークの基本的なものの中のひとつになるんじゃないかなと思いま す。つぎにお見せする映像もビデオテークなんですが、先ほどのつくりとはまったく違うビデ オテークの例になります。

(15)

─ビデオテーク上映《高野山》 約

14

30

秒 岩谷 つくり方はビデオテークらしいつくり方なんですけれども、

2

番目に見ていただいた「高 野山」は、最初に見ていただいた映像「ドクターとトランスダンス」と雰囲気が違うんじゃな いかということは、おわかりいただけたと思うんですが、私は

2

番目の映像を見たときにとて も感動しまして、これいったいだれがつくったんだろうと聞いて回ったんですが、古いので知 る人がいなくて、エスパに聞いたら、これは民博がつくったものではなくて

NHK

がつくった ということで、「ああ、そうなんだー」と思ったわけです。確かに

2

番目の映像をつくる人は 民博にはいないですね。ああいう編集の仕方とか……編集はともかくとして、あの撮影の仕方、 カメラの使い方というのは民博っぽくない、これはビデオテークらしくない映像だなと……。 探してみると、そういうものがいくつかあって、それもとてもお気に入りなんですけれども ……見ていておもしろいんですよね。でも、

1

番目に見た映像は限りなくフラットな感じがして、 資料としての映像というのが基本ベースになっている。けれども、実はあれがビデオテークの 本来の映像なんじゃないかなと思います。 ちなみに、

2

番目の映像はとても評判が悪いです。 石田 岩谷さんは、評判が悪い映像が好きなんですね? 岩谷 評判が悪いのは、私好きです。……やらせ4 4 4なんじゃないかとか、エフェクトかけ過ぎな んじゃないかとか、フェードイン・フェードアウト、リゾルブなんかかけてるところが、ダメ らしいですね、音とかも移動させてますし……。

2

つの異なった、ビデオテークの典型的なものを見ていただいたんですが、ああした映像が いまでは民博のビデオブースで見られますし、貸し出しもできます。

DVD

でも配布してるん じゃないかと思います。ただ、著作権などの関係で─ほんとうは全部公開したいらしいん ですけれども─一般的に公開しているものは一部だけになります。 それではレジュメの

3

頁にいきます。「3 人類学における映像」のところを観察したいん ですが、おそらくビデオテークの映像というのは、いわゆる「エスノグラフィック ・ フィルム」 と呼ばれる種類のものなのかなと思うんですが、私自身がエスノグラフィック ・ フィルムが何 なのか、ということの定義ができていないので、よくわからないんですけれども、これと似た 言葉で「フィルミック・エスノグラフィー」、もしくは最近になって「ビデオ ・ エスノグラフィー」 というのがあります。これとエスノグラフィック ・ フィルムが同じものなのかと問われると、 たぶん意味合いは同じものだというふうに思うんですが、なんかちょっとニュアンスが違うよ うな気がしないでもない。イギリスの映像人類学者サラ・ピンクは「ビデオ ・ エスノグラフィ ー」という言葉を使って、「これはあくまでもツールである」というようなことを言っています。 エスノグラフィック ・ フィルムの場合はツールではなくて、それ自身が作品みたいなものにな るから、ビデオ ・ エスノグラフィーというのは、もともと参与観察に根ざしたエスノグラフィ ーという言葉からは─実は日本の人類学者の多くはエスノグラフィーというと「民族誌」と

(16)

いう言葉を想像するんですが─、完成した作品をどうしても想定しがちです。一方、英米 圏ではエスノグラフィーというのは─完成したものという意味合いもあるが─完成したも のではなく、また、フィールドワークそのものをエスノグラフィーと言ったり、データの編集 や加工も含めてエスノグラフィーと言っています。ですから、日本語で言う「民族誌」と英語 で言う「エスノグラフィー」とは若干ニュアンスが異なっています。エスノグラフィーがどう いうものかというと、基本は参与観察とナチュラル・セッティング、つまり自然的に何かが起 こっている状態で参与観察を行い、データを採ったものをまとめたものがエスノグラフィーで あると、私自身は理解しています。エスノグラフィック ・ フィルムはまとまったものなんです が、たぶん人類学者が行っている調査プロセスを含めて全体的に作品化したものではないか と、ととらえています。 そうすると、いろんな種類のビデオテークがありますが、教員が深く関与してフィールドで 撮影してきてつくられた作品はエスノグラフィック ・ フィルムの一種になるんじゃないかなと 思います。 〈レジュメ

4

頁〉それで、ビデオテークはガイドライン─ガイドラインのすべてをお見せ することはできないので、構成プログラムの部分を抜き出してきたのですが─によりますと、 基本的には民博の展示の方法と関連するんですが、地域中心で、地域ごとに分けていくとい う仕組みになっています。 スライドを見ていただきます。 民族学博物館は黒川紀章の設計で─たぶん梅棹さんが関与しているんだと思いますが ─、ブロック(=地域:オセアニア、アフリカ、西アジア、東南アジア、日本……)ごとに 分かれていて、グルグルグルグル回って観覧するような仕組みになっています。梅棹さんは歩 くファイリング・システムのような人ですから、展示の方法というのも独特なものを考え出し ていって、それがいわゆる「構造展示」と言われる展示方法です。 いま、民博では

10

年くらい掛けて着々と展示を変えていってるんですけれども、アフリカ から始まって、オセアニアや、今年は日本まできました。だいぶ展示替えが進んでいるのですが、 展示をご覧になったことあります?もともとの構造展示というものは、人類学が

1960

年代か ら

70

年代ぐらいの発想で「通文化研究」が盛んなときに行われたもので、すべてを文化的要 素に分解して、それを集合的に展示していくという手法です。単位は地域ごとにきっちり分け ていって、ひとつの文化と別の文化とのある要素を比較するような形で見られるようになって います。で、基本的(全体的)にはものが配置されているだけで、解説文などはいっさいなく すというのが梅棹さんの発想で、あとは来館者の人たちの想像力におまかせします、というと ころがありました。 ところが、新しくなった展示は、構造展示をまったく崩してしまうという方向に進んでいま す。前のもの(構造展示)と比較できればいいんですが、いま、かろうじて構造展示が残っ ているのは、「日本文化」と「アジアの文化」のところなんですが、ものが上から下まで充満

(17)

して配置されているのに対して、最近行われている展示替えのほうは、その文化におけるもの の状況がわかるような形の、社会的文脈や文化的文脈がわかるような形でものを配置し、スト ーリーをつくっていって、それを順番に見せていくというようなものになっています。民博の 博物館人類学の吉田憲司さんの言葉を借りるなら、「昔は文化ごとの単位に分割していったん だけれども、いまの展示の方法というのは、名前を付けていないけれども、あえて名前を付け るとすればグローカル展示だ」というふうに言っておられます。何故なら、オセアニアとか西 アジアとかブロックごとに分けているんですが、現在のようにグローバリゼーションが進んだ 世界の中で、地域ブロックごとに分ける意味がないとは言わないまでも、あまり分けられない ということで、ローカルとグローバルをつなげるという方法、で「グローカル展示」だと。 もうひとつは構造展示のときにはまったく説明文がなかったんですが、展示替後は説明をす ごく増やして、キャプションも増えています。さらに、博物館の展示場の中に映像機器をもの すごくたくさん入れています。とくに、民博の

2

階に音楽展示と言語展示というのがあって、 そこだけが通文化展示と言われているところなんですね。音楽展示のところへ行ってみるとわ かるんですが、昔は音楽展示のところは楽器に触れることができたのですが─民博の展示 資料は基本的に触ってもいい─、新しい展示になったときに資料を触らせないようにした ということと、もうひとつは音楽展示の場所に映像をどんどん入れて、それぞれの楽器がその 文化の中でどのように使われているのかがわかるような仕組みで展示が行われているというこ と。そのように展示方法を変えてしまった。いま着々と進めているのは、どちらかというとそ この社会や文化がわかるように展示替えを行っている。いまは、かろうじて日本の文化のゾー ンには構造展示が残っているけれども、もう少し経つと、梅棹さんがつくった民博とはかけ離 れたものになっていく。ちなみに、新しい展示の評判はあまり芳しくないですね。 辻 だれの評判が悪いんですか? 研究者ですか? 来館者ですか? 岩谷 研究者もいますけど、来館者です。まず、ものの数が著しく少なくなった、迫力がなく なった、と昔の展示デザイナーの人も言いますね。ワークショップを開催したときに、昔が悪 いわけじゃなくて、もうちょっと昔のことを勉強しなくてはいけないですね、というようなこ とを展示会場の設営に携わる日展(株式会社日展)とかもよく言われますね。 梅棹さんは民博の中にものをたくさんつめこんで、それでいろんなことを想像して欲しいと いうようなことを言っていましたが、いまの展示の方法はものを極力減らして、そのかわり

1

1

点を大切に、状況がわかるような形に配置していこうというのがストーリーラインという 提案方法で、だからどちらがいいのか悪いのかわからないけれども、展示方法が全然変わっ てきていて、かつてあった梅棹さんの世界は全然違ったものに変化してきたという感じになっ てきた。 ちなみに、個人的にいうとおもしろいのは構造展示ですね。やっぱり、迫力があって、見応 えがあります。 レジュメの

4

頁にいきます。こうした比較研究─じつは民博は梅棹忠夫の設計による博

(18)

物館なんですが─の背景には、人類学には基本的な比較研究があります。

ここで、データベースの話にとんでしまいますが、フラーフ(

HRAF

Human Relations

Area Files

)というイエール大学が中心になって行われている─もともと

G.P.

マードックと いう人類学者が開発したものなんですが─データベースがあります。これは現在なお集積 しているんですけれども、いろんな民族誌や論文を文化ごとに分類し、項目ごとに分割して比 較できるような仕組みです。

19

世紀以来、人類学は人間の考察を射程に入れ、まずは人間文 化の共通性を前提に置き、多様な文化を同一平面上で比較するという作業を行ってきたんで すが、比較は共通する部分が存在するか、共通する部分を見いだすことができるという前提 のうえで、差異を問題にする作業であり、マードックはこの作業を統計学的な手法で処理をし ようというものでした。 比較研究にもさまざまあって、例えば文化とパーソナリティ研究とか、『菊と刀』のルース・ ベネディクトも比較研究のひとつなんですが、マードックは比較研究でもちょっと特殊で、統 計的に処理をしようと試みた人物です。

そこで、レジュメの

5

.

1

から

5

.

2

を見ていただくと、この

HRAF

は、

Outline of World

Cultures

という独特の分類法で─独特の分類法といっても簡単で─、地域別にブロック に分けてしまおうという─これまさに民博ですね─アジア、ヨーロッパ、アフリカ、中 東……というように政治的な単位に分けていく、さらに細かく分けていって、それぞれに番 号を付す、というのが

Outline of World Cultures

OWC

)で、世界を分割していく方法。も うひとつは、世界だけではなくて文化的な個々のマテリアルで分けていく方法で、

Outline of

Cultures Materials

という、服装なら服装、服装の中の雑貨とか衣装とか、人間のさまざまな行動、 祭りなどによって分けていく方法です。 このように地域で分けるという方法とモノの使い方や物質性によって分けていく方法が、

HRAF

のデータベースで、これが情報としてデータベースになっているんです。このデータ ベースの行き着くところに、昔はマイクロフィッシュなどの資料があって、いまではそれが全 部電子化されて

eHRAF

という形で、ネット上でも見られるようになっています。 レジュメの

6

ページにいきます。

HRAF

ファイルは、地域・民族別、主題別に分類され、 情報を取り出すことができます。例えば「食文化」というテーマで地域ごとに比較したり、累 計をとったりということが比較的簡単にできるようになっています。まさに通文化研究で、こ れに寄与するのがコンピュータであり、コンピュータ上のデータベースです。たぶん梅棹さん はこれを想像していて、民博ができたときに情報学をすごく重要視して、コンピュータ民族学 という、いまでは使わないようなもの(分野)を創造したんですよね。しかしながら、問題な のは

HRAF

自体の存在を知っている人類学者はもしかするといないんじゃないかと思われま す。いまの現代的な人類学の研究というのとは、マッチしないということが大きくて、ほとん ど使われていないんじゃないかと思います。私も

1

回しか使ったことがありません。日本で民 博と早稲田大学とが

HRAF

のマイクロフィッシュになったファイルをもっているんです。い

(19)

まはインターネット上で見られるんですが……。

人類学でポストモダン人類学がはやりだしたときに通文化研究がすごく批判されることに なります。そもそも通文化研究は、個々の文脈や社会的背景を無視してやってるんじゃない か、あるいは完成した人類学資料を再分解したうえで、一方向的にある視点で項目ごとの分 類、階層化を行っているという批判、つまり

OWC

というアウトライン、

Outline of World

Cultures

Outline of Cultures Materials

というのも、データをつくるときの設計でしょうがな いんですが、こうした項目で分ける必然性はないんじゃないか、ということです。 さらには、近年の人類学では、マードックの統計学的な手法だけではなく、比較研究その ものの基盤自体が疑われている。文化の概念自体が疑問にさらされている、つまり

1

個の、

1

実態の文化というのはどういうふうにしてそう定義できるのか、と疑問視されている。文化の 個々の要素が通文化的に比較可能なものとして同定できるのかという批判もある。かつてイギ リスの人類学者のエヴァンス=プリチャードは、「社会人類学の唯一の方法は比較である。そ してそれは不可能である」というような、わけのわからないことを言っているんですけれども ─人類学自身はこういう批判はあるんだけれども、最終的には比較という不可能な作業を 行っている研究なんじゃないかと私自身は思っていますし─、このように比較されずに残っ ている資料をどうやっていかしていくかというのが、今後の課題なんじゃないかなと思います。

HRAF

のブロック分けとかは、民博のブロック分けに倣傚している、似ているわけですね。 但し、現在こうした地域ごとに分けること自体がナンセンスになりつつあるので、

HRAF

の 分類方法というのは、どこかで変えなくてはいけないと私自身は考えていますが、資料そのも のが使えるかなというのがあります。 マノビッチによるならば、ニューメディアとは、コンピュータとさまざまなメディアの

2

つ が収斂する場となる。既存のメディア情報は、デジタルデータとしてコンピュータで操作可能 なものとなる。ニューメディアの出現によって、あらゆる種類のメディアのデータがデータベ ースとして格納することができるようになった。例えば、さっきの

HRAF

eHRAF

となって、 むかしは紙媒体とかマイクロフィッシュとか別個にファイリングしていたんですが、それも全 部データベースの中に格納することができるようになった。しかし問題なのは、データベース そのものの設計上の問題ですが、とくにデータベースのなかでも、いま主流になっているリレ ーショナル・データベースですね。数学的に処理するために、単純化して厳密に構造化される ために、構造自体をびっちりとしたものとしてつくらなくてはいけない。あたりまえなんです が、厳密に構造化させなくてはいけない。構造化したうえで、現実世界のさまざまなデータを 関連あるものの集合をつくって、体系的な見せ方をするのがデータベースである、という制約 があります。但し、人類学の研究にあたっていつも思うことなんですが、とくにエスノグラフ ィーという手法を用いたに場合、データベースが必ずしも適応するのかどうかというのが、私 自身のなかにはつねにあります。なぜなら、人類学的な知というのは─いい加減と言えばい い加減なんですが─、むしろ体系化されないようなことをめざしているんじゃないのかなと

(20)

いう気がします。そういった意味では、データベースできっちりやってしまう、例えば

HRAF

もそうなんですが、きっちりとグリッドにはまるようにデータが配置できるかというと、なん か無理なような気がしないでもありません。 そこで、あらためてデータベースのあり方を考えなくてはいけないですけれども、この研究 会とは別件で、データベース人文科学コンピュータシンポジウムで何度もデータベースの話を していますが、なるべく構造化を無視したデータベース化ができないかという気がしています。 それはまた、全然違う話になりますが。 もうひとつ、データベースだけではなく、デジタル化されたときに、─これはマノヴィッ チが言っていることなんですが─映像の話からいうと、映像そのものをデジタルメディアが 出現したときから、見せ方がだいぶ違ってきている、つくり方もだいぶ違ってきますし、イン ターフェイスなどでかなり変化している。ですから見る側も閲覧する経験というものを変えて いくことが可能になっていくということですね。 そうしたことを考えると、ビデオテークの見せ方とか、ビデオテークをデータベース化する ときにどういうふうにやっていけばいいのか、ということまであらためて考えなくてはいけな いというふうに思います。でも、どこまでできるのかは謎である、というのがいまの段階です。 もう一度やってみたいと思っているのは、人類学資料─ここでは映像(ビデオテーク) の話に戻りますが─を再解釈するための構築ができないかなと思っていて、メタデータを 付与していくというようなことを試みているんですけれども、現在、映像情報の検索ではメタ データやキーワードを活用する方法は、おそらく著しく評判が悪いと思います。なぜなら、と くに国立情報学研究所の人たちがよく言うのですが、メタデータを付与した人の主観とか、メ タデータにキーワードが偏ってしまうので、全然、客観情報にならないと言うのです。

2000

年の中頃から映像検索に関しては、動画像の内容分析ができるように、さまざまな研 究がなされてきています。例えば、人の顔認識とかもそのひとつですが、まだいい具合に検索 できるような仕組みというのは開発されていませんが、コンピュータやさんは自動的になんか やりたいというような欲望があるじゃないかなと、話していて思うところです。ですから、メ タデータやキーワードというのは、ほんとうの意味での映像検索には全然寄与しない、という ような言い方をするんですね。 したがって、あらためてコンピュータ自身に客観的に認識させることが必要であり、それが もとになって映像の意味分析や内容分析ができるんだというふうに言うわけです。

2000

年頃から、コーパスベース─巨大なコーパス(

corpus/

言語学で用いられるコーパ スという概念を映像に援用する)をつくって─の映像分析の手法というのが現れてきて、

TRECVID

と呼ばれる─アメリカの企業などが中心になっているんですが、─コーパス ベースの映像分析の競争(型)ワークショップという、なんかよくわからないんですが、いか に速く映像検索ができるかを競うワークショップが毎年開催されています。 日本からは、情報系の人たちが参加しているようなんですが、─こういう人がいたら、

(21)

それを素早く見つけ出すという─競争させるようなデータのアルゴリズムをつくって、動画 像検索に役立てようというワークショップです。 ただ、私自身は、ほんとうの意味での映像情報の検索って何だろうかって考えていて、客 観情報だけに頼って、映像検索をするべきなのかというのは、疑問に思うところです。とくに 人類学資料に厚みをもたせるためのものとして考えるならば、映像資料(ビデオテーク)を観 た人が主観情報(データ)を付与するという方向というのは悪くはないんじゃないか、という ふうに思っています。 そこで、メタデータを付与するというのは手間がかかりますが、私自身どうすればいいのか わからないから、試行錯誤しつつプロトタイプの開発を行う、というのが民博の

2

つのプロ ジェクトの内のひとつです。 動画像にメタデータを付与するアプリケーションは─コミュニケーション研究ではよく行 われているんですが─、すでにあります。

NHK

の開発した、①

Metadata Production Framework

は使ったことがありませんが、②

ELAN

と③

ANVIL

(マックスプランク研究所で開発された動画像にアノテーションツールの アプリケーション)はビデオ分析をするときに使われ、私もよく使っています。アノテーショ ンのテキストベースで注釈が付けられ、検索もできます。ただ、このアプリケーションを使っ てビデオテークの仕組みをつくるというのはちょっと無理な話なので、ではどうするかという と、テキストにあるデータを整理して

excel

でデータをつくっていくという、ごくふつうの作 業になっていきました。 ビデオテークの番組は、

MPEG

にすでにすべて変換されているので、そのうち

50

番組ぐ らいを選んで、幸いにもテキストデータとしてナレーションのデータがありますし、それから ビデオテーク用につくりだした

excel

ファイルで保存されたカット表というものがあり、数ご との表があって、何分から何分に何が映し出されているか……というメモ書きのようなものも エスパによってつくられていたので、それを利用して、カットごとにサムネール画像を自動生 成させて、あとは映像カットを観ながら入力していく、というような感じです。 これらの作業を通じて、簡易的な

HTML

ファイルの

Web

ベース型の映像検索システムを 試験的に制作しました。

Javascript

を書いてやったんですけれども、仕組みは簡単です。ち ょっと動かしてみようかなと思ったら、動かなかったので、ちょっとだめなんですけれども ……。 ここに

excel

のカット表がありますが、私と共同研究者の吉田佳世氏(社会人類学

/

神戸学 院大学地域研究センター)と一緒に、あえて項目を分けないで、とりあえずメタデータという かキーワードなんですが、どんどんどんどん付与して、

excel

に落としていくという作業を行 っています。やっていたんですけれども、だんだん苦しくなってきて、

8

頁に吉田日記という のがありますが、要は〈どこがどういうふうに疑問に思うか〉〈どういうふうに記述すればい いのか〉〈音はどうするのか〉等々、映像で読み取れるものをとりあえず思い浮かぶものを何

参照

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各新株予約権の目的である株式の数(以下、「付与株式数」という)は100株とします。ただし、新株予約

に至ったことである︒

これからはしっかりかもうと 思います。かむことは、そこ まで大事じゃないと思って いたけど、毒消し効果があ

遮音壁の色については工夫する余地 があると思うが、一般的な工業製品

○安井会長 ありがとうございました。.

回答番号1:強くそう思う 回答番号2:どちらかといえばそう思う 回答番号3:あまりそう思わない

のニーズを伝え、そんなにたぶんこうしてほしいねんみたいな話しを具体的にしてるわけではない し、まぁそのあとは