先端倫理研究第15号(2021)
高橋隆雄先生追悼文
藤井可(熊本市役所行政医師)
商:橘先生は、辮演等で医療倫理の話をされるとき、よくアンパンマンと医療従事者の 類似性について語られていた。「医療従蛎者が自分の心身を削ってケアをするのは、アンパ ンマンが、おなかがすいた人に自分の顔を食べさせるのと似ています。でもアンパンマン も、顔を与えすぎると力が出なくなって倒れてしまいます。そのときに、ジャムおじさん がかわりの顔を焼いてくれることによって、元気を取り戻すことができます。医療従事者 も同じで、心身を削り続けたらいずれ動けなくなってしまいます。だから、 自分自身をケ
アするためのジャムおじさんのような存在が必要なのですjと。商橋先生は、私にとって、
間違いなく倣大なるジャムおじさんの一人であった。
令和元年(2019年)の12月7日の晩に高橘先生が芯硲をくださったとき、私は、東北
大学川内キャンパスで第31回日本生命倫理学会年次大会の婁席に参加していた。先生か らのご用那は、研究室を閉じるにあたって、欲しい本があれば砿るので取りに来てほしい という内容であった。こちらからは、久しぶりに生命倫理学関係の全国学会で発表をする
ことができたこと、懐かしい馴染みの先生方と意見交換ができたこと、若手の研究者を育成する委員会へ勝われたことなど、直前までのできごとを興奮気味にご報告した。先生は 喜んでくださり、 「これからは後進の育成も藤井さんの大耶な仕事になります」と励まして
くださった。後日、研究室の引っ越し作業をお手伝いし、大煙の研究書をわけていただいた。 ときおり書架から発掘される『別冊太陽』等の美術系の資料をじっと見ていると、先
生は「う−ん、それは、まだまだこれから僕が使うからダメ」とおっしゃった。その後、令和2年(2020年)1月にオブザーバーとして参加した県の保健所長会議で、
「武漢で、なんらかの新型ウイルスによる呼吸器感染症が流行している』という報告があ った。それからすぐに、熊本にもCOVID19の波がやってきた。このバンデミックを迎え るにあたって、医学と生命倫理学を修めた自分だからこそ提言できることがあるはずだと 思っていたのだが、保他所長でも医監でもない一介の行政医師である自分が、その声を届 ける場はないのだということを痛感した。業務として「医学的に無益な検査jに関わらな ければいけないこと、やみくもな情報公開を阻止できないことは非常に歯がゆかった。せ めてこの状況を「無危害の原則」や「正義の原則」との関係から考察し、論文として記録 したい、と切に思った。また令和3年(2021年)に入り、熊本市の病床稼働率が9割を越 えた時期には、パンデミック初期から年齢によるトリアージ(高齢者よりも若者の治療を
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優先する)が実施されてきたという諸外国の状況に鑑み1,COVID19での致死率が低い日
本でも「感染症パンデミックも含む災害時を想定した聯前指示(Advanceddirective)」が必 要なのではないかと考えるに至った。しかしながら、まだ目の前の業務と生活をこなすこ
とで手一杯で、 これらのことをじっくりと検討することができずにいる。
流行初期の3月3日、句会に関するやりとりをする中で、商橘先生から次のようなメー ルをいただいた, (その時、ご自分のご体調が万全でない中で、弟子を気にかけてくださっ
たのだと後日わかり、胸が詰まる思いであった。)鍔さん
今風に言えばrめつちやだししりでし共クが、大蕊な厳騨で宛自分を守りつつ. と か乗り切ってください。災善瀞の鐸域では.感染症の蔓延は災窪に当たり凌爽黄さた災
謹対鰊とし'之鳶式私は、この災害対応が落ち着いたら、研究仲間の皆様と一緒に、パンデミック対応の中 で感じた倫理的ジレンマについてひとしきり話をし、「まあそれはさておき、『判断力批判』
は読み終わったから今度は『純粋理性批判』を読みましょうか」という商柵先生の一声 でいつも通りの抄読会の時間が戻ってくるのではないか、 という期待を抱いていた。これ
はある菰の「日常化の傾向性」 2であったのかもしれない。まさか、こんなに早くお別れしなければならないとは]
これから先、 COVID19は収束していくだろう。そのときに、生命倫理学の研究者とし て私はどのようにふるまうべきか。学究活動を続けていくと同時に、商柵先生がおっしゃ
ったように、次世代へ受け継いでいくということが自分の役割の一つのように感じている。
奇しくも、ちょうど令和2年(2020年)の6月、私の母校(現・一の宮小学校、旧宮
地小学校)で6年生の担任をされておられる先生から平和学習への協力依頼を受けた。以 前『先端倫理研究』に書いた論文3がきっかけとなり、第二次世界大戦末期に起きた阿蘇 地方でのB29墜落事件について6年生の皆さんにお話しをすることになったのであった。
COVID19の影響もあって色々と立て込んでいる中ではあったが、これは受けねばならな
い、商橘先生が背中を押してくださっていると瞬時に思った。コロナ禍で予定が幾度か延 期になりながらも、第三波が激化する直前の12月上旬、奇跡的にその学習会を実施する
ことができた。そこで触れた小学6年生の皆さんの言葉や表i間は私にとって新鮮なもので あり、大変得がたい経験であった。私は平和学習で講師をする者としても、また、大学生や専門学生の皆さんに辮縫をする 者としても(さらには、行政で公衆衛生を挙る者としても)、 「すぐれた能力を持った者」
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ではないし、もしかしたら「適している者」ですらないかもしれない。それでも、学問を する者の一人として、ひとに向き合い続けていきたいと思っている。そのことが、商橘先
生からいただいた御恩を返すことにもつながることを願っている。1NaderGhotbi,etal. (2020). @KEthicalguidelinesibrCOVID・19triagemanagement"・
"ubibscJbuZ刀alofAsm"azzdn】妬mza"DzzaIBibethjbs.30(5). (June2020).pp.201・207 2商橋隆雄(2020)「日常化の傾向性と仏性:ガン闘病体験に基づく考察」『先端倫理研
究』第14号、 pp.30・48.
3藤井可(2012)「阿蘇地方の住民によるB29飛行兵殺慨本件に関する一考察」『先端倫
理研究』第6号、 pp.49・6327