r 日本文化の一特質ー﹃道﹄﹂
社 会 学 科
四 年 百 木
英
明
大 河 的 世 界 歴 史 の 特
殊な一部を構成する支流的我国の歴史・文化に対する数々の考察が今まで多くなされてき
て
いる︒その一例として︑ル−スベネデ・クト女史にあ︒ては︑﹁菊と刀﹂により象徴された矛盾ずる二重人
格的性格にょる日本人の特徴づけにより︑累文化は﹃恥の文化﹄として論じられてきている・更隻最近の日
本文化に対する新たなる問題意識の高まりつつある状況において歴史的発展の中で形成されてき義国文化に
独自の特質が数々見いだされている︒.
」.
.そは︑紙数の関係から階級面には触れず︐それら特質のうちの;である﹃道﹄について考えてみる・
抑々文化とは何か?
この間に対して数セの見解が明らかにされているが.概括的には次の二つに大別されるのである︒
その一つは︑ローウイーの﹁文化は︑形式的・非形式的な教育によって伝えられる過去からの遺産﹂とする説
に代表される︒
、x れ は 文
化を伝承的な社会共同生活の仕方として−社会的行動という凛望実の立場から取扱う英米におけ
る考え方であり︑他のものは﹁文化とは価値ありと認めた目的に従ぞ行動する入間にょり直接生産されたもの・
若しくはそれが既存のものであ..ても︑少くともそれに附着している価値について有虫・一的に裏したもの﹂であ
るとリッケルトがみるように主観的価値60造的な方面を高調する立場である︒つまり︑文化には・価値創造の主
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罐賂舵鷲叫羅は誘竃ば翼霞溺溺璽ど膓能3相漂日・︑
文
化には不来︑ラテン語の︒ロ=ξ①が示すように︑自然を対象にする中で︑±地を耕すの意のような物質的
︑.低面のみではなぐ︑.世話をす痴︑︑.心を絶えずぐばるどいゲ精神的側面での意味が︑つまり︑物ど心の世話という
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:ど誉吉ている9み奮.書勇先告︑︵﹃社会学﹄の中で︶文化を天間生活に奇な惣両面の対象
・に対じてs注意を深く心を配り︑手入れをし︑世話をし︑本来右するものを立派に育てあげること﹂と意味して
云昆る芸あ蛋ん間堅を受けたその時鷺・垂菖囲梁三愛情ど加誕を受け︑・︑人間績神的内面の耕
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作︑手入れが始まり︑成長する過程の中で周囲の社会的環境との連関から行為の仕方等の規定を受けながら各゜t
−.伯人の宙主的な入間性を形成し︑他方︑自然に対す方それとの調和を目指す働きがけにょって価値ある文化を生.︐︑だ嘉を社会蕎体にそ昆どし三戻k.三して人間窒化在会亘農史ξいてその差襲割を演
ずる
も のとして位置づけられるのである︒ .一︑ .. ・︑ .︑....: ︑ ・︑..︑∴
へ ごσポうガ手入れとしてQ文化の考え方の特質はs.我国の文化にも見い出され︑・その一例として盆栽が考えら
れる︒それは︑雄大で︑荒セしい自然を人間がある枠の中で︑肩分自身の内なる発想を基に︑しかも︐その自然
の本質を損わないように自己のものとして育ててゆくことを本質としているが︑.その際何よりも肝要なのは手入
れ
でありそれを怠ったならば︑その自然は死滅するo更に︑手入れを受けたその自然もtそれを死滅させぬ様
に︑手汰をする沐吻親から子ピ継れてゆ≦さ妾よりeその自然としての姿を馨する.︑とが可能となる︒要
は手入れ・心の不断の注意であ烈O︐ここに我国α文化の特質として﹁道﹂が考えられる所以がある︒
古
来より我国文化の多くに﹁道﹂という語が用いられている︑剣道・茶道・華道.武士道というようにである︒
例えば︑剣道とはそもそも殺人のための武器である剣を︑その使用の点において1モラルにまで高める事を本
質とし︑単に︑小手先の技のみではなく︑絶えず自らの敵に対する心の備えを︑それの持続と技の統達過程を通
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して;の﹁術﹂の次元がら﹁道﹂というvP sフルの次元にまで高めてゆvのである・
道とはIR tv人間自.身が絶峯5それに依拠し︑それを経ねば︑自己の最終目的に到達しえないものとして・自ら
が
絶えず切り開き萎.設けたものであり︑三切り開かれたその後も目的に達ユもため藷えず依拠され・たど
り歩まれるものである︒叢︑目的に達するための進行︑前進を絶えず可能ならしめるべく連続的であらねばな
らずeそれ場旨︑断絶があ.てはならない︒・の・とは呈文化におけ・﹁道﹂においても同様である・更
に.ら切り開かれた道は人票長い間歩み固めて来た曇の結実したもの︑すなわち切れ目のない︷︐道﹂とし
て
歩まれ︑︑﹂の結果文化の進行選程の中で前代のものが必然的に伝承され︑あるいは変形され・更にはまたその
時 点 の
新しい文化的創造や外委化の流入によ・﹁重層性﹂が竃・れ・のであ・︒併・ら.﹁道﹂は到達すべ
き目的に到る﹁道﹂とし苔もxち切れる・となく在り続けるのである︒とするならば・の蓮﹂の到りっ゜く先・
は
籠誘顯︑竃翼聾竃誤麟鷲☆竃るジ体覧た竃特︑⌒
as の 方 法
がある.︒てれは︑我々自身の夏︑︑すなセ蛤穴在そのものの砦を直竃禦す・か・とでるべ︑こ⁝
⁝...より高い存在書℃たり︑滅律的な鍛練を実践したりする・ど.な雀よらないで︑あ畠的体験を餐介的・
鷲籠詫.繊澆翼竃誘霞聾ポ霧三齢竃.⁚竃露哩
は な い だ
ろうか︒死霞前にして生の覚悟を9︑・た鎌倉武士に袋.ξるような文化の裏者墓宗と結びつき・
更にそれが庶民窒活文化亡て発展した時に︑人あ意識ご璽を体得しようと我をp心れて冒の道を歩むr
時 の蒜な求道の意欝三高あ︑構成・ご望とΣるのであ・︑翼禅覧三悟・﹄三道が璽何年間・・
なく日天が求め皇としてあり︑又︑°︐.Vの r道﹂によっ口︑.菖文隻凛づけ・要因・たの﹃エ忘㌻形成︑れてきたのであほ ゜.﹂..−︐.二゜r・⁝∴二ぶ六・︑1 t − :t
、
しかし︑この﹁道﹂が日本文化における﹁道﹂としてその独自性を示す所以の一つは︑それが明白に柾念化ざ れ て い な いことである︒
﹁道﹂は悟りに到る一つの方法としてあるとも言いうる︒しかし︑その方法は師がその内なる精神的側面を 教
えることによって知られるものでも︑ましてや文章化されたものではなく︑自らの求める姿勢の中で︑自らが
学び︑感じ取り︑体得することでありそのためには自らが自己を﹁無我﹂の中において︑究極の一つの芸技
に到る道を歩むことを終生の覚悟︑生の術として︑その道を歩み︑更に︑この究極において︑芸技と禅との二致
を見る以外に道はないのである..それ故この究極を目指して歩むことはこの﹁道﹂を歩むという発心によって既
に決まっている︒このことは世阿彌の﹁花伝書﹂に見る﹁初心不レ可レ忘﹂の言葉にも親われている︒ ﹁道﹂と
は
「悟り﹂を求め︑それに到る﹁道﹂である︒が︑その﹁道﹂に入ること自体既に発心として﹁悟り﹂の域にあ
るものでる︒﹂﹁道﹂とはそれ自体が目的でありそれへの道をなすものである︒それは︑西洋的な目的と手段の・合
理 的 範 矯 に
属するものではない︒この出発点から生じる一つ一つの動きが細やかで自在でありe又︑単なる方法︑
手 段 そ のものではない点とにおいて︑ ﹁道﹂が欧米人にとり理解し難いものとなっているのではないだろうか9
鎌 倉
以前の貴族的な歌を出発点とし︑鎌倉に入 aて庶民の中で生活に即したものとして形成された我国の文化
において︑本来的には単なる道具にしかすぎないものをもr美術的な︑芸術的なものとして表わす文化的表現に
は 精 神 的 な 面との必然的関係が現われているといえる︒
自然と人間との和を求め︑更に︑茶道における﹁衆合和入﹂に見る如き人間と入閻との和を目指して︑自らの
歩 む 道 が 技 で は な い
芸を︑又︑ 一つのモラルを目指すことにより︑我国の﹁道﹂として形成されてきたといえる
の
であり︑それは最早表層的一方法のみではなく︑深く内なる精神との融合をはかる﹁道﹂そのものなのである
といえるのである︒
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