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馮少墟の『疑思録』について

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Academic year: 2021

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馮少墟の『疑思録』について

はじめに 馮少墟(一五五六〔嘉靖三十五〕 ― 一六二七〔天啓七〕 )、 名は從吾、 字は仲好、 長安の人である。萬暦十七年(一五八九) の 進 士 で あ り、 同 年 に は 焦 竑( 弱 侯 )、 陶 望 齡( 周 望 )、 高 攀 龍( 忠 憲 )、 郝 敬( 楚 望 ) ら が い る。 官 職 と し て は 都 察 院 左 副

都御史などを歴任、また關中書院(長安)や首善書院(北京)を建立して講学活動を行った人である。 馮 少 墟 の 思 想 内 容 に つ い て は 既 に 岡 田 武 彦 氏 や 柴 田 篤 氏 に よ る 卓 論

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が あ り、 さ ら に 近 時、 何 睿 潔 氏 の『 馮 従 吾 心 性 之 学 研 究 』( 陝 西 人 民 出 版 社、 二 〇 一 〇 年 ) や 少 墟 の 出 生 地 で あ る 関 中 に あ っ て、 功 績 あ る 人 物 の 伝 記 を ま と め た『 関 学 編 』 に 対 す る 詳 細 な 注 釈 を 施 し た 烏 志 鴻 氏 の『 関 学 編 注 釈 』( 三 秦 出 版 社、 二 〇 一 一 年 ) が 出 版 さ れ、 飛 躍 的 に 研 究 が 進 め ら れ て い る。 た だ、 管 見 の 限 り で は、 馮 少 墟 の 言 説 で あ る『 疑 思 録 』 に 関 す る 専 論 は な い。 『 四 書 疑 思 録

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』 と も 称 さ れ る『 疑 思 録 』 の 特 質 を 明 ら か に す る こ と は、 と り も な お さ ず 馮 少 墟 の 四 書 観 及 び 経 書 観 を 解 明 す る 一 助 と な ろ う。 従 っ て、 小 論 で は 主 と し て『 疑 思 録 』 を 考 察 対 象 と し、 該 書 が 成 書 に 至 っ た 経 緯 や 述 作 の 意 図 を 踏 ま え な が ら、 馮 少 墟 の 四 書 観 の 一 端 に 迫 る こ と

を課題とする。

一四一

馮少墟の『疑思録』について   

久  米  晋  平

(2)

馮少墟の『疑思録』について一四二

一、 『疑思録』梗概

馮 少 墟 の 言 説 は 存 命 中 か ら そ れ な り に ま と め ら れ て い た が、 全 集『 馮 少 墟 集

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』 と し て 刊 行 さ れ た の は 康 煕 十 四 年 ( 一 六 七 五 ) の こ と で あ る。 そ の 背 景 に は、 馮 少 墟 を 尊 崇 し て や ま な い 李 二 曲( 顒 ) の 存 在 が あ っ た

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。『 疑 思 録 』 は『 馮 少 墟 集 』 の 巻 二、 巻 三、 巻 四 に 相 当 す る。 『 疑 思 録 』 と い う 書 名 は、 『 論 語 』 季 氏 篇 の「 孔 子 曰 わ く、 君 子 に 九 思 有 り。 視 る こ と は 明 を 思 い、 聴 く こ と は 聡 を 思 い、 色 は 温 を 思 い、 貌 は 恭 を 思 い、 言 は 忠 を 思 い、 事 は 敬 を 思 い、 疑 わ し き は 問 を 思 い、 忿 り に は 難 を 思 い、 得 る を 見 て は 義 を 思 う。 ( 孔 子 曰、 君 子 有 九 思。 視 思 明、 聴 思 聡、 色 思 温、 貌 思 恭、 言 思 忠、 事 思 敬、 疑 思 問、 忿 思 難、 見 得 思 義 )」 を 踏 ま え た も の で あ っ て、 馮 少 墟 自 身 の 命 名 に よ る。 周 知 の 通 り、 こ の「 疑 思 問 」 と は「 う た が わ し い こ と は 問 い た い と お も

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」 う 君 子 の 心 が け の 一 つ で あ る。 そ も そ も 馮 少 墟 は 何 を「 う た が わ し い こ と 」 と し て 意 識 し ていたのか、 『疑思録』に収録されている言説には「疑思問」という思想が通底しているのか。

まずは馮少墟の「自序」に拠りながら、 『疑思録』が成書に至るまでの経緯をまとめておこう。 余  壬 辰 の 請 告 自 り 門 を 杜 じ 客 を 謝 し、 足  未 だ 閾 を 踰 え ざ る 者

こと

三 年、 薬 裹 自 り 外、 惟 だ 書 を 読 み て 遣 懐 す る を 以 て 它 に 營 無 き な り。 間

まま

  二 三 の 同 志 及 び 伯 兄、 月 夜 に 過 存 し 相 い 与

とも

に 孔 曾 思 孟 の 学 を 講 じ、 疑 義 を 辨 析 し、 嘗 に 漏 分 に 至 れ ば、 或 い は 琴 一 曲 を 撫 で、 或 い は 詩 数 首 を 歌 い、 始 め て 別 る る こ と 有 り。 蓋 し 其 の 身 の 病 を 忘 れ て 亦 た 其 の 寒 暑 の 屢 を 忘 る る こ と 更 な り。 居 恒  多 く 暇 な れ ば 乃 ち 辨 析 す る 所 の 者 を 取 り て 兒 の 康 年 に 口 授 す。 之 を 劄 記 す る は、 鍼 砭 韋 弦、 聊 か 自

みずか

ら 勗 く る を 以 て す れ ば な り。 歳 月 積 久、 覚 え ず 帙 を 成 す も、 之 を 要 す れ ば 遺 忘 し 記 す に 及 ば ざ る 者 尚 お 多 し。 此 れ 特 に 千 伯 に 什 一 を 存 す と 云 う の み。 ( 余 自 壬 辰 請 告 杜 門 謝 客、 足 未 踰 閾 者 三 年、 自 藥 裹 外、 惟 以 讀 書 遣 懐 無 它 營 也。 間

有 二 三 同 志 及 伯 兄、 月 夜 過 存 相 與 講 孔 曾 思 孟 之 學、 辨 析 疑 義、 嘗 至 漏 分、 或 撫 琴 一 曲、 或 歌 詩 數 首、 始 別。 蓋 忘 其 身 之

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馮少墟の『疑思録』について一四三

病 而 亦 忘 其 寒 暑 之 屢 更 也。 居 恒 多 暇 乃 取 所 辨 析 者 口 授 兒 康 年。 劄 記 之、 鍼 砭 韋 弦、 聊 以 自 勗。 歳 月 積 久、 不 覺 成 帙、 要 之遺忘不及記者尚多。此特存什一於千伯云耳。 ) 壬 辰 と は 萬 暦 二 十 年( 一 五 九 二 )、 時 に 馮 少 墟 は 三 十 六 歳。 請 告 と は こ の 年 の 正 月 十 三 日、 馮 少 墟 は 萬 暦 帝 へ の 上 奏 に よ っ て 帝 の 怒 り を 買 い、 廷 杖 の 刑 に 処 せ ら れ る と こ ろ を、 帝 の 生 母 仁 聖 太 后 誕 生 の 祝 い に よ っ て 免 れ る と い う 事 件 が 発 端 で あ っ た。 程 な く し て 馮 少 墟 は 自 ら の 出 処 進 退 を 明 ら か に す る た め の 請 告、 即 ち 自 発 的 に 離 職 し 郷 里 に 戻 る こ と を 願 い 出 た

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。 以 降 三 年 に 渉 っ て、 自 邸 に お け る 隠 遁 生 活 に 入 る。 『 疑 思 録 』 が こ の 三 年 間 の 思 索 の 結 果 で あ っ た こ と は、 「 自 序 」 の 末 尾 に 「 萬 暦 二 十 三 年 歳 在 乙 未 孟 陬 十 日、 長 安 馮 從 吾 序 」、 萬 暦 二 十 三 年( 一 五 九 五 ) 正 月 十 日 と 明 記 さ れ て い る こ と か ら も 知 ら れ る。 孔 曾 思 孟 の 学 と は 孔 子、 曾 子、 子 思、 孟 子 の 学 を 指 し て い る。 こ の 示 し 方 か ら は、 孔 子 ― 曾 子 ― 子 思 ― 孟 子 と い う 学 統 が 想 起 さ れ る。 し か し「 自 序 」 を 見 る 限 り で は 馮 少 墟 と 二 三 の 同 志、 及 び 彼 の 伯 兄 が 四 書 の い か な る 点 を 疑 義 の 対 象 と し て い た の か 不 明 で あ る。 さ し あ た っ て 論 者 は、 孔 曾 思 孟 の 学 に 孔 子 ― 曾 子 ― 子 思 ― 孟 子 と い う 学 統 が 反 映 さ れ て い る と し、 こ の

学 統 を 四 書 と い う 形 で 示 し た 朱 子 の『 四 書 章 句 集 註 』( 『 四 書 集 註 』) ― 『 論 語 集 註 』『 大 學 章 句 』『 中 庸 章 句 』『 孟 子 集 註 』 ― を疑義の具体的な対象としていたと見ておきたい。 続けて「自序」は次のように言う。 一 日、 友 人 蕭 輝 之 の 為 め に 擕 え 去 き、 数 日 を 越 え、 輝 之  余 に 詣

いた

り て 曰 わ く、 吾 子  用 心 す る こ と 誠 に 勤 な り。 第

だ 聖 賢 の 精 義 果 た し て 斯 く の 如 き や 否 や を 知 ら ず、 恐 ら く 其 の 中 に 又 た 未 だ 必 ず し も 疑 う 可 き 者 無 か ら ず、 余 当 に 子 之

これ

を 編 次 し て 以 て 海 内 同 志 の 士 を 正 に 就 か し む る を 為 す べ し と。 余 唯 唯 と 曰 い て 編 成 す。 題 し て 疑 思 録 と 曰 う。 蓋 し 九 思 中 の 疑 わ し き は 問 を 思 う の 意 を 取 る の み。 嗚 呼、 吾 斯 れ を 之 れ 未 だ 疑 う こ と 能 わ ず 、 録 中  業

に 之 を 言 え り。 同 志  幸 い に 我

を 教 う る を 遺 さ ず。 ( 一 日、 爲 友 人 蕭 輝 之 擕 去、 越 數 日、 輝 之 詣 余 曰、 吾 子 用 心 誠 勤 矣。 第 聖 賢 精 義 不 知 果 如 斯 否、 恐

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馮少墟の『疑思録』について一四四

其 中 又 未 必 無 可 疑 者、 余 當 爲 子 編 次 之 以 就 正 於 海 内 同 志 之 士。 余 曰 唯 唯 編 成。 題 曰 疑 思 録。 蓋 取 九 思 中 疑 思 問 意 耳。 嗚 呼、吾斯之未能疑、録中業已言之矣。同志不遺幸教我焉。 ) 右 文 か ら、 そ も そ も 息 子 の 康 年 に 口 授 し た 内 容 の 手 控 え で あ っ た も の を 蕭 輝 之 に 見 せ た と こ ろ、 刊 行 を 勧 め ら れ た こ と が 分 か る。 し か し、 蕭 輝 之 が 刊 行 を 勧 め た の は、 「 聖 賢 の 精 義 」 に 照 ら し て 見 た 場 合、 馮 少 墟 の 言 説 に は 違 和 感 を 覚 え る が、 海内の同志に本来の四書の読み方を理解させるには有益であるという確信があったからではなかろうか。 『疑思録』 を評して、

徳 業 の た め で あ っ て 挙 業 の た め の も の で は な い

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と い わ れ る の は、 該 書 が 決 し て 科 挙 対 策 に 資 す る も の で は な く、 ま た 字 義 的 説明に終始するものではなかったことを物語っている。 「 吾 斯 之 未 能 疑 」 は、 『 論 語 』 公 冶 長 篇 の「 子 漆 彫 開 を し て 仕 え 使 め ん と す。 対 え て 曰 わ く、 吾 斯 れ を 之 れ 未 だ 信 ず る こ と 能 わ ず と。 子 説

よろこ

ぶ。 ( 子 使 漆 彫 開 仕。 対 曰、 吾 斯 之 未 能 信。 子 説 )」 を 踏 ま え て い る。 馮 少 墟 の、 疑 問 が 持 て な い と い う 感 嘆は、四書を読むにあたって生じた疑問に対する答えは『疑思録』の中に示し得たという確信からであろう。 こ の よ う に、 『 疑 思 録 』 と い う 書 名 や「 吾 斯 之 未 能 疑 」 は、 と も に『 論 語 』 に 依 拠 し て い る 訳 で あ る が、 そ の 踏 ま え 方 に つ い て は 注 意 を 要 す る。 結 論 を 先 取 り す れ ば、 馮 少 墟 は 単 に 漆 彫 開 が 孔 子 に 応 え た「 わ た し  そ れ に は 

その道理には

  ま だ 自 信 が 持 て ま せ ん。 ( 吾 斯 之 未 能 信

(8)

)」 と い う 告 白 に 見 え る「 信 」 を「 疑 」 に 読 み 替 え た に と ど ま ら ず、 自 信 と い う 境 地 と 疑 問 と い う 行 為 と を 密 接 に 関 わ ら せ て い る の で あ っ て、 こ の 発 想 が『 疑 思 録 』 と い う 書 名 に 反 映 さ れ て い る の で あ っ た。 詳 し く は、 二 において考察する。 次 に『 疑 思 録 』 の 体 裁 を 確 認 し て お き た い。 『 疑 思 録 』 に は「 讀 大 學 」、 「 讀 中 庸 」、 「 讀 論 語 上 」、 「 讀 論 語 下 」、 「 讀 孟 子 上 」、 「 讀 孟 子 下 」 の 順 に 馮 少 墟 の 言 説 が 収 録 さ れ て い る。 そ れ ぞ れ に「 讀 」 が 冠 せ ら れ て い る こ と に 着 目 す れ ば、 『 疑 思 録 』 に 収 載 さ れ る 言 説 は 四 書 を 読 ん で 生 じ た 疑 い を 解 消 す る 過 程、 及 び そ の 結 果 で あ る と 予 想 さ れ る。 そ れ は『 疑 思 録 』 の 内 訳 を 確

認することでより明確になろう。

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馮少墟の『疑思録』について一四五

「讀大學」 (全二四条) 「讀中庸」 (全二七条) 「讀論語上」 (全九七条) 「讀論語下」 (全五一条) 「讀孟子上」 (全四四条)

「讀孟子下」 (全七三条) 『 疑 思 録 』 を 通 覧 し て み る と、 『 四 書 』 に 対 し て 逐 条 的 に 言 説 が 示 さ れ て い な い こ と に 気 が 付 く。 今 ま で 見 て き た「 自 序 」 の 中 身 を 勘 案 す れ ば、 四 書 の な か で も 言 及 し て い な い 話 柄 が あ る の は、 そ の 話 柄 に つ い て 疑 問 が 生 じ な か っ た か ら で は あ る ま い か。 「 讀 大 學 」 を 例 に と れ ば、 全 二 四 条 の う ち『 大 學 』 の テ キ ス ト に 関 す る も の が 二 条、 経 一 章 に 関 す る も の が 九 条、 伝 六 章 に 関 す る も の が 八 条、 伝 九 章 に 関 す る も の が 二 条、 伝 十 章 に 関 す る も の が 一 条 と い っ た 内 訳 で あ る。 な お『 大 學 』 に 対 す る 見 解 に つ い て は 四 に お い て 考 察 す る が、 さ し あ た っ て、 言 及 の 有 無 は そ の ま ま 四 書 に 対 す る 疑 問 の 有 無 を 反 映 し て い

ると見ておきたい。

二、疑問について

一 に お い て、 馮 少 墟 が『 論 語 』 の「 吾 斯 れ を 之 れ 未 だ 信 ず る こ と 能 わ ず 」 に み え る「 信 」 を「 疑 」 に 読 み 替 え た 背 景 に は、 自 信 と い う 境 地 と 疑 問 と い う 行 為 と を 密 接 に 関 わ る も の と し て 捉 え る 発 想 が あ り、 こ の 発 想 が『 疑 思 録 』 と い う 書 名 に 反 映 さ れ て い る と 述 べ た。 そ も そ も 馮 少 墟 は 疑 う と い う 行 為 を ど の よ う に 位 置 づ け て い た の で あ ろ う か。 以 下、 「 讀 論 語 上 」 か

ら「吾斯れを之れ未だ信ずること能わず」に対する言説を材に採ってその意図を確認してみよう。

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馮少墟の『疑思録』について一四六

漆 雕 開 曰 わ く、 吾 斯 れ を 之 れ 未 だ 信 ず る こ と 能 わ ず と。 余 は 則 ち 曰 わ く、 吾 斯 れ を 之 れ 未 だ 疑 う こ と 能 わ ず と。 夫 れ 道 は 中 天 の 日 な り。 何 の 疑 う 可 き こ と 有 ら ん。 学 行 の み 之 を 疑 う。 ( 漆 雕 開 曰、 吾 斯 之 未 能 信。 余 則 曰、 吾 斯 之 未 能 疑。 夫道中天日也。有何可疑。學行而已疑之。 ) 漆 雕 開 の 告 白「 わ た し  そ れ に は 

その道理には

  ま だ 自 信 が 持 て ま せ ん。 ( 吾 斯 之 未 能 信 )」 を「 わ た し  そ れ に は  ま だ 疑 問 が 持 て ま せ ん。 ( 吾 斯 之 未 能 疑 )」 に 読 み 替 え る こ と で、 〈 道 〉 へ の 絶 対 的 な 信 頼 を 表 明 し、 そ の 一 方 で〈 学 行 〉 ― 学 問 と 人 品

― に 対 し て は 疑 い を 向 け て い る。 そ も そ も 孔 子 か ら 仕 官 を 勧 め ら れ た 漆 雕 開 の 告 白「 吾 斯 之 未 能 信 」 は 消 極 的 な も の で あ っ た と い え る が、 馮 少 墟 は「 信 」 を「 疑 」 に 読 み 替 え る こ と で 積 極 的 に〈 道 〉 に 対 す る 信 頼 を 表 明 す る 言 辞 に 変 質 さ せ て い る。 例 え ば、 「 大 學 之 道 」 を 説 明 し て「 天 地 の 間 に は た だ〈 道 〉 だ け が あ り、 人 生 と 天 地 の 間 に は た だ〈 学 〉 だ け が あ る。 こ れ ら を 捨 て て 何 が あ ろ う と 言 う の か。 」( 「 讀 大 學

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」) と 述 べ て い る の は、 〈 道 〉 と〈 学 〉 と が 不 可 分 の 概 念 で あ る 点 を 強 調 し て いるといえる。この視点は〈道〉と〈学行〉との関係にも反映されていると見てよい。 信ずべき〈道〉と疑うべき〈学行〉とが対置されていることを確認して、先に進めよう。

何 為 れ ぞ 知 ら ず、 道 は 中 天 の 日 な り と 雖 も、 而 れ ど も 吾 儕 果 た し て 能 く 見 道 分 明 に し て 胸 中 朗 朗 な る こ と、 中 天 の 日 の 如

ごと

か ら ん や。 学 行 の み な る も、 吾 儕 果 た し て 能 く 人 倫 日 用 の 間 に 于 て 一 一 行 い て 著 か、 習 い て 察 な ら ん か。 胸 中 朗 朗 な る こ と 中 天 の 日 の 如 く 能 わ ず し て 何 の 疑 う 可 き こ と 有 ら ん と 曰 い、 人 倫 日 用 の 間 一 一 行 い て 著 ら か、 習 い て 察 な る 能 わ ず し て 之 を 疑 う と 曰 う、 何 を か 是

と 為 さ ん。 何 ぞ 其 れ 敢 て 自 ら 信 ず る こ と 此 く の 如 き に 于 て せ ん や。 ( 何 爲 不 知、 道 雖 中 天 日 也、 而 吾 儕 果 能 見 道 分 明 胸 中 朗 朗、 如 中 天 日 乎。 學 行 而 已、 而 吾 儕 果 能 于 人 倫 日 用 間 一 一 行 而 著、 習 而 察 乎。 胸 中不能朗朗如中天日而曰有何可疑、人倫日用間不能一一行而著、習而察而曰疑之、何爲是。何其敢于自信如此也。 ) 右 文 で は 二 つ の 疑 問 が 提 示 さ れ て い る。 ひ と つ は 我 々 の 頭 上 か ら 照 ら し 続 け る 太 陽 の よ う な〈 道 〉 と 我 々 の 行 い・ 心 持 ち

と が 合 致 し て い る か と い う 疑 問 で あ り、 今 ひ と つ は 疑 い は〈 学 行 〉 に 対 し て の み 向 け る と は い う も の の、 日 常 生 活 に あ っ て、

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馮少墟の『疑思録』について一四七

そ の〈 学 行 〉 を 実 行 す る に あ た っ て あ る べ き 道 理 を は っ き り 知 り、 習 熟 し て そ の 理 由 を よ く 見 究 め て い る だ ろ う か と い う 疑 問 で あ る。 文 中 の「 行 而 著 」 と「 習 而 察 」 と は、 「 孟 子 曰 わ く、 之 を 行 い て 著

あきら

か な ら ず、 習 い て 察 せ ず。 終 身 之 に 由 り て 其 の 道 を 知 ら ざ る 者 衆

おお

し。 ( 孟 子 曰、 行 之 而 不 著 焉、 習 矣 而 不 察 焉。 終 身 由 之 而 不 知 其 道 者 衆 也 )」 (『 孟 子 』 盡 心 上 ) を 踏 ま え た も の で あ る。 因 み に こ の 章 に 対 し て 朱 子 は「 著 な り と は、 之 を 知 る の 明 ら か な る な り。 察 す と は、 之 を 識 る こ と 精 な る な り。 言 う こ こ ろ は 方 に 之 を 行 い て 其 の 当 に 然 る べ き 所 を 明 ら か に す る 能 わ ず。 既 に 習 い て 猶 お 其 の 然 る 所 以 を 識 ら ず。 終 身 之 に 由 り て 其 の 道 を 知 ら ざ る 者 の 多 き 所 以 な り。 ( 著 者、 知 之 明。 察 者、 識 之 精。 言 方 行 之 而 不 能 明 其 所 当 然。 既 習 矣 而 猶 不 識 其 所 以 然。 所 以 終 身 由 之 而 不 知 其 道 者 多 也 )」 と 注 し て い る が、 お そ ら く 馮 少 墟 は こ の 注 記 に 見 え る 所 当 然 の 理 ― あ る べ き 道 理 ― と 所 以 然 の 理 ― そ の 理 由 ― を も 踏 ま え て い よ う。 と も あ れ、 馮 少 墟 は〈 学 行 〉 の 具 体 的 な 在 り 方 を「 行 而 著 」 と 「習而察」とに見出していたのであった。 馮 少 墟 と し て み れ ば、 胸 中 朗 朗 と い う 心 持 ち と 我 々 の 頭 上 か ら 照 ら し 続 け る 太 陽 の よ う な〈 道 〉 と が 合 致 せ ぬ 情 況 に あ っ て、 平 然 と「 ど ん な 疑 い を 抱 こ う と 言 う の か 」 と 述 べ て し ま い、 日 常 生 活 を 行 う に あ た っ て あ る べ き 道 理 を は っ き り 知 ら ず、

習 熟 し な が ら そ の 理 由 に 通 暁 し て い な い 情 況 に あ っ て、 平 然 と「 疑 う 」 と 述 べ て し ま う 姿 勢 に は 到 底 承 服 で き な い の で あ っ た。 文 中 の「 何 ぞ 其 れ 敢 て 自 ら 信 ず る こ と 此 く の 如 き に 于 て せ ん や。 ( 何 其 敢 于 自 信 如 此 也 )」 と は、 こ の よ う な 中 途 半 端 な 行い・心持ちに対する、痛烈な批判である。 そ の 上 で、 漆 雕 開 の「 わ た し  そ れ に は 

その道理には

  ま だ 自 信 が 持 て ま せ ん。 ( 吾 斯 之 未 能 信 )」 を「 わ た し  そ れ に は ま だ 疑問が持てません。 (吾斯之未能疑) 」に読み替えた意図を、論拠を示しながら説明するのであった。 易 に 曰 わ く、 之 を 或

わく

す と は、 之 を 疑 う な り。 故 に 咎 無 き な り と。 見 る 可 し、 疑 い は 信 に 非 ず と 雖 も 而 れ ど も 信 を 欲 求 す る は 必 ず 疑 い 自 り 始 む る を。 故 に 之 に 居 り て 疑 わ ず。 夫 子 は 其 の 士 に 非 ず し て 自 ら 以 て 是 と 爲 す を 鄙 し み、 孟 子 は 其 れ

郷 原 を 為 す と 謂 う。 聖 賢 の 慮 り を 為 す こ と 遠 し。 余 故 に 曰 わ く、 吾 斯 れ を 之 れ 未 だ 疑 う こ と 能 わ ず と。 嗚 呼、 疑 い す ら

(8)

馮少墟の『疑思録』について一四八

且つ未だ能くせず、 矧んや信をや。因りて此れを書し同志の者と与に之を正す。 (易曰、 或之者、 疑之也、 故無咎。可見、 疑 雖 非 信 而 欲 求 信 必 自 疑 始。 故 居 之 不 疑。 夫 子 鄙 其 非 士 而 自 以 爲 是、 孟 子 謂 其 爲 郷 原。 聖 賢 之 爲 慮 遠 矣。 余 故 曰、 吾 斯 之未能疑。嗚呼、疑且未能、矧信也乎哉。因書此與同志者正之。 ) 『 易 』 の 乾、 文 言 伝 所 収 の「 九 四 は、 重 剛 に し て 中 な ら ず。 上 は 天 に 在 ら ず、 下 は 田 に 在 ら ず、 中 は 人 に 在 ら ず。 故 に 之 を 或 す。 之 を 或 す と は、 之 を 疑 う な り。 故 に 咎 无 き な り。 ( 九 四、 重 剛 而 不 中。 上 不 在 天、 下 不 在 田、 中 不 在 人。 故 或 之。

或 之 者、 疑 之 也。 故 无 咎 )」 に 依 拠 し、 「 信 」 を 求 め よ う と す る の で あ れ ば 必 ず「 疑 」 よ り 始 ま る と 述 べ て い る。 こ の 思 考 過 程が「 疑

3

思 問

4

」に響いていることは言うまでもない。 こ の よ う に、 信 の 根 幹 に は 疑 が あ る と い う 思 考 に つ い て、 馮 少 墟 が「 之 に 居 り て 疑 わ 」 ぬ ほ ど の 確 信 を 持 っ て い た こ と を 改 め て 強 調 し た い。 右 文 の 後 半 に 見 え る 孔 子 の 現 状 に 甘 ん ず る こ と を よ し と し な い 姿 勢 や 孟 子 の 郷 原 へ の 対 し 方

)((

は、 中 途 半 端な態度と認めない姿勢の大切さを物語っている。 つ ま り、 馮 少 墟 が「 わ た し  そ れ に は  ま だ 疑 問 が 持 て ま せ ん。 ( 吾 斯 之 未 能 疑 )」 と 述 べ た の は、 信 じ る と い う 境 地 に 達 す

るためには、疑うという姿勢が必須であると考えていたからであった。

三、善読の実例   (一) 『疑思録』を評する語に、次のようなものがある。 先生は真に善く書を読む者ならん。 (先生眞善讀書者 哉

)((

) 右 文 は 門 人 の 語 で あ る の で 称 揚 の 意 が 込 め ら れ て い る こ と も 勘 案 し な け れ ば な ら な い が、 さ ら に 右 文 は 続 け て「 先 生 ……

四 子 の 書 に 于

おい

て、 心 を 以 て 之 を 読 み、 身 を 以 て 之 を 証 す。 ( 先 生 …… 于 四 子 之 書、 以 心 讀 之、 以 身 證 之 )」 と、 馮 少 墟 の 読 書

(9)

馮少墟の『疑思録』について一四九

の 姿 勢 に つ い て も 触 れ て い る。 こ れ は「 善 く 書 を 読 む 」 姿 勢 の 具 体 的 な 在 り 方 と い え よ う。 こ こ で は そ の 善 読 な る も の が ど のような読み方であったのか、四書の内容に関する言説と朱子の注記に関する言説を例に採って考察してみたい。 『 中 庸 』 冒 頭 の「 天 命 之 謂 性、 率 性 之 謂 道、 脩 道 之 謂 教

)((

」 は、 〈 性 〉〈 道 〉〈 教 〉 の 関 係 が 述 べ ら れ て い る こ と か ら、 最 も 重 視 さ れ て き た も の で あ る。 ま た、 朱 子 が「 天 命 之 謂 性 」 に 対 し て「 命、 猶 令 也 」「 性、 即 理 也 」 と 注 釈 し て い る こ と は、 後 代 の 注 釈 者 の 見 解 を 考 察 す る 上 で 無 視 で き な い。 こ の 点 を 踏 ま え て、 一 文 に 対 す る 馮 少 墟 の 読 み 込 み を『 中 庸 章 句 』 と の 相

違を意識しながら考察してみたい。 まず、馮少墟は「天命の性とは何か(問天命之性) 」と設問し、対する答えを次のように書き出している。 曰 わ く、 孩 提 愛 を 知 る は 是 れ 誰 れ か 他

かれ

に 愛 せ よ と 命 ず。 稍 〻 長 じ て 敬 を 知 る は 是 れ 誰 れ か 他 に 敬 せ よ と 命 ず。 這 れ 都 な 是 れ 自 然 に し て 然 る 的

もの

な り。 故 に 天 命 と 曰 う。 然 り と 雖 も、 此 れ は 性 に 率 う の 道、 天 命 の 性 に 非 ざ る な り、 と。 ( 曰、 孩 提 知 愛 是 誰 命 他 愛。 稍 長 知 敬 是 誰 命 他 敬。 這 都 是 自 然 而 然 的。 故 曰 天 命。 雖 然、 此 率 性 之 道、 非 天 命 之 性 也。 「 讀 中 庸」 )

文 中 の「 孩 提 知 愛 」 と「 稍 長 知 敬 」 と は、 「 孟 子 曰 わ く、 人 の 学 ば す し て 能 く す る 所 の 者 は、 其 の 良 能 な り。 慮 ら ず し て 知 る 所 の 者 は、 其 の 良 知 な り。 孩 提 の 童 も、 其 の 親 を 愛 す る を 知 ら ざ る 者 無 し。 其 の 長 ず る に 及 び て、 其 の 兄 を 敬 す る を 知 ら ざ る 無 し。 ( 孟 子 曰、 人 之 所 不 學 而 能 者、 其 良 能 也。 所 不 慮 而 知 者、 其 良 知 也。 孩 提 之 童、 無 不 知 愛 其 親 者、 及 其 長 也、 無 不 知 敬 其 兄 也 )」 (『 孟 子 』 盡 心 上 ) を 踏 ま え た も の で あ り、 当 該 章 に 対 す る 朱 子 の 注 記 に 従 え ば「 孩 提 知 愛 」 は 良 能 に、 「 稍 長 知 敬 」 は 良 知 に そ れ ぞ れ 該 当 す る

)((

。 な お、 『 中 庸 章 句 』 当 該 部 分 に お い て は、 『 中 庸 』 の 本 文、 注 記 と も に こ の 話 柄 ― 良 知 良 能 ― と は 結 び つ け ら れ て い な い。 馮 少 墟 が 天 命 の 性 を 説 明 す る に 当 た っ て、 良 知 良 能 を 関 連 付 け て い る の は、 孩 提 が 愛 を 認 識 し、 や や 長 じ て 敬 を 理 解 す る と い っ た 行 為 の、 誰 か が 命 じ て そ う な る の で は な く、 自 然 に そ う な る も の、 と

い う 点 に 着 目 し た か ら で あ る。 つ ま り、 『 孟 子 』 に 説 か れ る「 学 ば す し て 能 く 」 す る 良 能 と「 慮 ら ず し て 知 る 」 良 知 と い う、

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馮少墟の『疑思録』について一五〇

後 天 的 努 力 に よ ら な い 実 例 を 論 拠 と し て、 天 命 を 説 明 し て い る の で あ る。 さ ら に 天 が 命 令 す る と い う 見 解 に は、 当 該 章 の 注 「 程 子 曰 わ く、 良 知 良 能 は 皆 由 る 所 無 し。 乃 ち 天 よ り 出 で、 人 に 繫 が ず。 ( 程 子 曰、 良 知 良 能、 皆 無 所 由、 乃 出 於 天、 不 繫 於 人) 」の存在も意識されていたと思われる。 ここまでの見解をより明確にするため、 「讀孟子下」から「孩提知愛」と「稍長知敬」に関する言及を確認しておきたい。 親 を 親 し み て 民 を 仁 し、 民 を 仁 し て 物 を 愛 す。 此 れ 古 自 り 聖 賢 相 伝 の 正 脉、 堯 舜 は 此 れ を 以 て 帝 た り、 湯 武 は 此 れ を 以

て 王 た り、 伊 周 は 此 れ を 以 て 相 た り、 孔 孟 は 此 れ を 以 て 師 た り。 古 自 り 今 に 及 ぶ ま で 此 の 脉 は 常 に 在 り。 人 皆 以 て 堯 舜 と 為 る 可 し は 正 に 此 に 在 り。 第

だ 堯 舜 は 能 く 拡 め て 之 を 充 た す を 知 る が 故 に 四 海 を 保 ち、 途 人 は 拡 め て 之 を 充 た す を 知 ら ず し て、 父 母 に 事 う る 能 わ ざ る に 至 る。 夫 れ 父 母 は 親 な り て 事 う 能 わ ざ る に 至 る、 又 た 何 ぞ 民 物 を 論 ぜ ん。 然 れ ど も 其 の 父 母 に 事 う る 能 わ ざ る 所 以 は 乃 ち 拡 め て 之 を 充 た す を 知 ら ざ る の 過、 本 来 此 の 心 無 き に 非 ざ る な り。 或

あるいは

者 此 に 至 り て 疑 い て 信 ぜ ざ る を 免 れ ず。 故 に 孟 子 は 孩 提 愛 を 知 り、 稍 〻 長 じ て 敬 を 知 る を 以 て、 之 を 験 す。 夫 れ 世 に 豈 に 孩 提 に し て 愛 を 知 ら ず、 稍 〻 長 じ て 敬 を 知 ら ざ る の 人 有 ら ん や。 堯 舜 は 此 の 心、 途 人 も 亦 た 此 の 心、 人 皆 以 て 堯 舜 と 為 る 可 く、

誠 に 以 て 深 く 信 じ て 疑 い 無 か る 可 し。 ( 親 親 而 仁 民、 仁 民 而 愛 物。 此 自 古 聖 賢 相 傳 正 脉、 堯 舜 以 此 帝、 湯 武 以 此 王、 伊 周 以 此 相、 孔 孟 以 此 師。 自 古 及 今 此 脉 常 在。 人 皆 可 以 爲 堯 舜 正 在 于 此。 第 堯 舜 能 知 擴 而 充 之 故 保 四 海、 途 人 不 知 擴 而 充 之、 至 於 不 能 事 父 母。 夫 父 母 至 親 也 而 至 于 不 能 事、 又 何 論 民 物。 然 其 所 以 不 能 事 父 母 者 乃 不 知 擴 而 充 之 之 過、 非 本 来 無 此 心 也。 或 者 至 此 不 免 于 疑 而 不 信。 故 孟 子 以 孩 提 知 愛、 稍 長 知 敬、 驗 之。 夫 世 豈 有 孩 提 而 不 知 愛、 稍 長 而 不 知 敬 之 人 乎。 堯舜此心、途人亦此心、人皆可以爲堯舜、誠可以深信而無疑矣。 ) 右 文 は『 孟 子 』 盡 心 上 の「 親 を 親 し み て 民 を 仁 し、 民 を 仁 し て 物 を 愛 す( 親 親 而 仁 民、 仁 民 而 愛 物 )」 に 対 す る も の で あ る。 「 親 親 而 仁 民、 仁 民 而 愛 物 」 を 堯、 舜、 湯 王、 武 王、 伊 尹、 周 公、 孔 子、 孟 子 と 継 承 さ れ て き た 在 り 方 と み な し、 こ の

在 り 方 が 人 は す べ て 堯 舜 と な り 得 る と い う 主 張 の 根 幹 で あ る と し て い る。 し か し、 こ の 在 り 方 を「 拡 め て 之 を 充 た す( 拡 而

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馮少墟の『疑思録』について一五一

充 之 )」 (『 孟 子 』 公 孫 丑 上 ) こ と が 出 来 る か 否 か が 堯 舜 と 途 人 と の 分 岐 点 で あ る と し、 途 人 が で き な い の は「 拡 め て 之 を 充 た す 」 こ と を 知 ら な い こ と に 起 因 す る 過 ち で あ っ て、 決 し て「 親 を 親 し み て 民 を 仁 し、 民 を 仁 し て 物 を 愛 す 」 と い う 心 が な い の で は な い と 述 べ て い る。 朱 子 の 注 記 に 従 え ば 堯 舜 と 途 人 と の 間 に 差 等 を 認 め る 話 柄 で あ る が

)((

、 馮 少 墟 に 見 解 に 従 え ば 差 等 は な い と な る。 そ の 論 拠 と し て「 孩 提 知 愛 」 と「 稍 長 知 敬 」 を 活 用 し て い る の で あ る。 つ ま り、 「 孩 提 知 愛 」 と「 稍 長 知 敬 」 と は、 堯 舜 と 途 人 と を 問 わ ず、 す べ て の 人 に 備 わ っ て い る の だ か ら、 人 は す べ て 堯 舜 と な り 得 る と 主 張 す る の で あ っ た。

「自然にして然る的なり」を活かした読解と言える。 以 上 の 見 解 を 踏 ま え て、 「 天 命 之 謂 性、 率 性 之 謂 道、 脩 道 之 謂 教 」 に 対 す る 言 及 に 戻 ろ う。 馮 少 墟 は 天 命 の 具 体 例 と し て 活 用 し た「 孩 提 知 愛 」 と「 稍 長 知 敬 」 と は と も に「 性 に 率 う の 道 」 な の で あ っ て「 天 の 命 ず る の 性 」 で は な い と 述 べ て い た。 こ の 見 解 は、 朱 子 注 の「 人 物 の 各

おのおの

其 の 性 の 自 然 に 循 え ば、 則 ち 其 の 日 用 事 物 の 間、 各 当 に 行 う べ き の 路 有 ら ざ る 莫 し、 是 れ 則 ち 所 謂 道 な り。 ( 人 物 各 循 其 性 之 自 然、 則 其 日 用 事 物 之 間、 莫 不 各 有 當 行 之 路、 是 則 所 謂 道 也 )」 を 踏 襲 し た も の で あ り、 さ ら に〈 性 〉 か ら〈 道 〉 へ と い う 段 階 性 を 認 め る 見 解 も、 朱 子 注 の「 性  道 は 同 じ と 雖 も、 而 れ ど も 気 稟 或 い は 異 な る、 故 に過不及の差無き能わず、 (性道雖同、而氣稟或異、故不能無過不及之差、……) 」を踏襲したものと言える。 続けて馮少墟は「いかなるものが天命の性なのか(如何是天命之性) 」と設問し、次のような説明をする。 曰 わ く、 孩 提 如 何 に し て 便 ち 愛 を 知 り、 稍 〻 長 じ て 如 何 に し て 便 ち 敬 を 知 る。 這 れ 必 ず 愛 を 知 り、 敬 を 知 る 所 以 の 者 有 り て 在 り。 此 れ 盖 し 父 母 初 め て 生 ぜ し 時 自 り、 天  已

すで

に 之 を 命 ず。 豈 に 孩 提、 稍 〻 長 ず る の 後 を 待 ち て、 才 め て 此 の 愛、 敬有らんや。此を知るは則ち天命の性を知る、 と。 (曰、 孩提如何便知愛、 稍長如何便知敬。這必有所以知愛、 知敬者在。 此盖自父母初生時、天已命之矣。豈待孩提、稍長後、才有此愛、敬哉。知此則知天命之性。 ) 幼 児 は ど の よ う に 愛 を 知 り、 そ の 後 ど の よ う に 敬 を 知 る の か。 馮 少 墟 は、 こ れ ら を 理 解 す る 方 途 は 必 ず あ る と し、 父 母 に

よ っ て 生 命 体 と し て 発 生 し た 時 点 で、 既 に 天 が こ の 方 途 を 命 令 し て い る と 述 べ て い る。 こ の 見 解 ― 「 自 父 母 初 生 時、 天 已 命

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馮少墟の『疑思録』について一五二

之 矣 」 ― は、 朱 子 注 の「 是 に 於 て 人 物 の 生 ず る や、 各 其 の 賦 す る 所 の 理 を 得 る に 因 り て、 以 て 健 順 五 常 の 德 を 為 す。 所 謂 性 な り。 ( 於 是 人 物 之 生、 因 各 得 其 所 賦 之 理、 以 爲 健 順 五 常 之 德。 所 謂 性 也 )」 を 敷 衍 し た も の と 見 な せ る。 さ ら に「 自 父 母 初

4

生時、天 已

4

命之矣」にこだわれば、天が命令する時期については、朱子よりも一歩踏み込んだ説明をしていると言えまいか。 と も あ れ「 天 命 の 性 」 は、 出 生 → 孩 提 → 稍 長 と い う 時 間 的 推 移 に よ っ て 習 得 す る も の で は な く、 出 生 し た 時 点 で 既 に 備 わ っていると捉えたのであった。

最後に、 「 脩道之謂教 」 に対する見解を次のように示している。 曰 わ く、 古 の 聖 人 許 多 の 人 を 教 う る 言 語 を 説 き 出 し、 許 多 の 人 を 教 う る 規 矩 を 立 て 下 す は、 都 な 是 れ 人 に 強

う る に あ ら ず、 都 な 是 れ 人 を 教 う る な り。 各 自 其 の 愛 を 知 り 敬 を 知 る の 性 に 率 う の み。 這 の 言 語 規 矩 有 り て 在 れ ば 則 ち 賢 智 者 の 俯 し て 就 く 所 有 り、 愚 不 肖 者 の 企

のぞ

み て 及 ぶ 所 有 り。 故 に 曰 う、 道 を 修 む る を 之 れ 教 と 謂 う と。 教 は 修 道 と 曰 う は 只 だ 是 れ 其 の 教 を 明 ら か に し、 世 に 強 う る に 非 ざ る の み、 と。 ( 曰、 古 之 聖 人 説 出 許 多 教 人 言 語、 立 下 許 多 教 人 規 矩、 都 不 是 強 人、 都 是 教 人。 各 自 率 其 知 愛 知 敬 之 性 耳。 有 這 言 語 規 矩 在 則 賢 智 者 有 所 俯 而 就、 愚 不 肖 者 有 所 企 而 及。 故 曰、 修 道 之 謂

教。教曰修道只是明其教、非強世耳。 ) 聖 人 が 人 を 教 え 導 く た め に 説 い た 言 葉 や 規 矩 は、 人 に 強 制 す る も の で は な く、 人 を 教 え 導 く た め の も の だ と 述 べ て い る。 つ ま り、 聖 人 が 教 え 導 く た め に 説 い た 言 葉 や 規 矩 に は、 各 人 が 愛 を 理 解 し、 敬 を 理 解 す る と い う 天 が 命 じ た〈 性 〉 に 率 う 〈 道 〉 が 込 め ら れ て い る と 見 て、 人 に 強 制 す る も の で は な い と 述 べ て い る の で あ る。 愛 を 理 解 し、 敬 を 理 解 す る と い っ た 自 然にそうなる事柄が聖人の言葉や規矩の根底にあるのだから、 〈教〉を実践する対象は賢智者と愚不肖とを問わないのである。 この発想からは先ほど確認した、堯舜と途人とを問わない姿勢が想起される。 以 上 を ま と め る と、 「 天 命 之 謂 性、 率 性 之 謂 道、 脩 道 之 謂 教 」 に 対 す る 読 み 込 み は、 天 が 命 令 し た〈 性 〉 は、 愛 を 知 り、

敬 を 知 る と い っ た 先 天 的 な も の で あ り、 そ れ ら を 実 践 す る の が〈 道 〉 で あ り、 そ の〈 道 〉 を 鮮 明 に す る の が〈 教 〉 で あ る と

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馮少墟の『疑思録』について一五三

い う 構 図 で あ る。 〈 性 〉 →〈 道 〉 →〈 教 〉 と い う 段 階 的 な 流 れ 自 体 は、 『 中 庸 章 句 』 を 踏 襲 し て い る と い え る。 し か し、 天 命 の性と、愛を知り、敬を知るといった先天的なものとを重ね合わせて理解している点は、善読の結果といえよう。

  (二) 次に朱子の注記に関する善読の例を考察する。まず( a )(b)をご覧いただきたい。

( a ) 子 曰、 巧 言 令 色、 鮮 矣 仁。

巧、好、令、善也。好其言、善其色、致飾於外、務以悦人、則人欲肆而本心之德亡矣。聖人辭不迫切。專言鮮、則

絶無可知。學者所當深戒也。○程子曰、知巧言令色之非仁、知仁矣。

(『論語集註』学而篇) (b)子曰、巧言令色、鮮矣仁。

重出。

(『論語集註』陽貨篇) 『 論 語 』 学 而 篇 に み え る「 巧 言 令 色、 鮮 矣 仁 」 は、 さ ら に 陽 貨 篇 に も 収 録 さ れ て い る。 ( b ) に つ い て、 朱 子 は 見 て の 通 り 『 論 語 』 本 文 に 続 け て、 重 出 と 記 し て い る。 因 み に 大 字 は『 論 語 』 本 文、 小 字 は 朱 子 の 注 記 部 分 に あ た る。 ( b ) に 見 え る 重 出 と は、 ( a ) を 構 成 す る 朱 子 の 注 記 を も 含 め て 同 じ と い う 意 味 で あ る。 な お、 『 疑 思 録 』 に は「 巧 言 令 色、 鮮 矣 仁 」 に 対 す

る言及は見当たらない。おそらくこの話柄については、朱子の注記も含めて疑いを生じ得なかったと思われる。 今ひとつ、 『論語』にみえる重出の例として、次のようなものがある。 ( c ) 子 入 大 廟、 毎 事 問。 或 曰、 孰 謂 鄹 人 之 子 知 禮 乎。 入 大 廟、 毎 事 問。 子 聞 之 曰、 是 禮 也。

大、音泰。鄹、側留反。○大廟、

魯周公廟。此蓋孔子始仕之時、入而助祭也。鄹、魯邑名。孔子父叔梁紇、嘗爲其邑大夫。孔子自少知禮聞、故或人因此而譏之。孔子言是禮者、敬謹之至、乃所

以爲禮也。○尹氏曰、禮者、敬而已矣。雖知亦問、謹之至也、其爲敬莫大於此。謂之不知禮者、豈足以知孔子哉。

(『論語集註』八佾篇第十五章) (d)入大廟、毎事問。

重出。

(『論語集註』郷黨篇第十五節) 先 ほ ど の( a ) と( b ) の 例 と は 異 な り、 ( d ) に は( c ) に 見 え る「 入 大 廟、 毎 事 問 」 の み 収 録 さ れ て い る。 便 宜 的 に

( c ) の 話 柄 を『 論 語 集 註 』 に 従 っ て 確 認 し て み る と、 孔 子 が 魯 の 周 公 の 廟 に 入 っ て 祭 を 助 け た 時 の こ と、 孔 子 は ひ と つ ひ

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馮少墟の『疑思録』について一五四

とつ問いながら確認した。その様子を見た者が「 鄹 人の子(孔子)は礼を知らぬ者だ」と譏った。陰口を聞いた孔子は、 「こ のように敬んで行うのが礼である」といった、となる。 と こ ろ で( d ) に 見 え る 重 出 と い う 語 は( c ) の 文 意 全 体 を 踏 ま え た も の な の か、 「 入 大 廟、 毎 事 問 」 の み 重 復 し て い る という意味なのか、疑問の生じるところである。馮少墟はこの点を踏まえ て

)((

次のような見解を示している。 是 れ 重 出 に 非 ず。 蓋 し 聖 人 丁 寧 の 意 な り。 春 秋 の 傳 に 所 謂 書 の 重、 詞 の 複 は、 必 ず 大 美 焉 に 存 す る 有 り。 ( 非 是 重 出。

蓋聖人丁寧意也。春秋傳所謂書之重、詞之複、必有大美存焉爾。 「讀論語下」 ) ( d ) は 重 出 で は な い と し て、 朱 子 の 見 解 を 明 確 に 否 定 し て い る。 馮 少 墟 に 従 え ば、 こ れ は 単 な る 繰 り 返 し で は な く、 郷 黨 篇 に 再 び「 入 大 廟、 毎 事 問 」 と 掲 出 さ れ て い る こ と に 聖 人 の 懇 切 丁 寧 な 教 え を 見 た の で あ っ た。 と す れ ば、 先 ほ ど の 重 出 の例である(b) 「巧言令色、鮮矣仁」という話柄が繰り返し掲出されていることに聖人の教えを見出しているとも言える。 ( d ) が 単 な る 繰 り 返 し で な く、 重 ね て 掲 出 さ れ て い る こ と に 聖 人 の 懇 切 丁 寧 な 教 え を 見 出 す 馮 少 墟 で あ れ ば、 ( c ) に 対 し て ど の よ う な 見 解 を 示 し て い る の だ ろ う か。 実 際、 ( c ) に 対 し て は 比 較 的 長 い 説 明 を し て い る。 聖 人 の 懇 切 丁 寧 な 教 え

を確認するためにも、以下、その全文を検討してみよう。 太 廟 に 入 り て は、 事 毎 に 問 う。 此 れ 正 に 聖 心 の 自 然 已 む を 容 れ ざ る 処 な り。 孺 子 を 見 て 怵 惕 し、 親 骸 を 覩 て 顙

ひたい

せい

た る が 如 き の 類、 此 れ 正 に 象 山 の 所 謂 墟 墓 に 哀 を 興 し 宗 廟 に 鈞 む、 斯 の 人 千 古 不 磨 の 心 な り。 古 の 先 王 に 此 の 一 念 有 る は、 許 多 の 祭 禮 を 制 し 出 さ ざ る を 得 ざ る 所 以 な り。 宗 祝、 有 司、 籩 豆、 罇 罍、 一 切 儀 文 度 数 の 如 き の 類、 此 れ 皆 此 の 一 念 の 已 む を 容 れ ざ る 処 従

り 流 出 す。 故 に 孔 子 太 廟 に 入 り て 覚 え ず し て 的

まさ

に 事 毎 に 問 え る な り。 ( 入 太 廟、 毎 事 問。 此 正 聖 心 自 然 不 容 已 處。 如 見 孺 子 而 怵 惕、 覩 親 骸 而 顙 泚 之 類、 此 正 象 山 所 謂 墟 墓 興 哀 宗 廟 鈞、 斯 人 千 古 不 磨 心 也。 古 之 先 王 有 此 一 念、 所 以 不 得 不 制 出 許 多 祭 禮。 如 宗 祝、 有 司、 籩 豆、 罇 罍、 一 切 儀 文 度 數 之 類、 此 皆 從 此 一 念 不 容 已 處 流 出。 故 孔 子

入太廟不覚的毎事問。 「讀論語上」 )

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馮少墟の『疑思録』について一五五

大 廟 に あ っ て、 事 々 に 問 う た と い う 孔 子 の 所 作 を、 自 然 と 問 わ ず に は お ら れ ぬ 心 の 顕 れ と 見 て い る。 意 識 的 に 問 う た の で は な く、 自 然 そ う な ら ざ る を 得 な い と い う の で あ る。 こ の 心 持 ち は 文 中 に い う 聖 心 の 中 身 で あ る。 止 む こ と の な い 聖 心 の 発 露 の さ ま を、 「 幼 児 が 井 戸 に 落 ち よ う と し て い る の で あ れ ば 驚 く( 見 孺 子 而 怵 惕 )」 (『 孟 子 』 公 孫 丑 上 ) と い う 話 柄 及 び「 谷 間 に 棄 て ら れ た 親 の 亡 骸 を み れ ば、 額 に 冷 汗 を 流 す( 覩 親 骸 而 顙 泚 )」 ( 同 滕 文 公 上 ) と い う 話 柄 を 活 用 す る こ と で よ り 具 体 的な説明となっている。 「墟墓興哀宗廟鈞、斯人千古不磨心」とは、陸象山の七律である

墟墓興哀宗廟鈞    墟墓に哀を興し宗廟に鈞む 斯人千古不磨心    斯の人   千古不磨の心 涓流積至滄溟水    涓流積りて滄溟の水に至り 拳石崇成泰華岑    拳石崇くして泰華の岑を成す 易簡工夫終久大    易簡の工夫は終に久大 支離事業竟浮沉    支離の事業は竟に浮沉

欲知自下升高處    下

ひく

き自り高きに升る処を知らんと欲せば 眞偽先須辨只今    真偽先ず須らく只今に辨ずべし を 踏 ま え た も の で あ る

)((

。 こ の 詩 が 陸 象 山 と 朱 子 と の や り 取 り の な か で 作 ら れ た こ と

)((

は 想 起 さ れ て よ い が、 こ の 詩 を 引 用 し た の は む し ろ 「 入 太 廟、 毎 事 問 」 と い う 在 り 方 の 根 幹 に あ る 聖 心 が 聖 人 に の み 備 わ っ て い る も の で は な い こ と を 示 す た め で は あ る ま い か。 そ れ は、 聖 心 の 発 露 の さ ま を 示 す た め に 引 用 し た 「 見 孺 子 而 怵 惕 」 「 覩 親 骸 而 顙 泚 」 と い う 在 り 方 が 物 語 っ て い る。 さ ら に「 墟 墓 哀 を 興 し 宗 廟 に 鈞 む 」 に 着 目 し て み れ ば、 こ れ は『 禮 記 』 檀 弓 下 の「 墟 墓 の 間、 未 だ 敬 を 民 に 施 さ ず し て 民 哀 し み、 社 稷 宗 廟 の 中、 未 だ 敬 を 民 に 施 さ ず し て 民 敬 す( 墟 墓 之 間、 未 施 敬 於 民 而 民 哀、 社 稷 宗 廟 之 中、 未 施 敬 於 民 而

民 敬 )」 を 踏 ま え た 表 現 で あ る。 こ の 話 柄 は、 墳 墓 の 前 に 立 て ば お の ず と 悲 哀 の 情 が 湧 く も の で あ る し、 社 稷 や 宗 廟 に 近 づ

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馮少墟の『疑思録』について一五六

け ば お の ず と 畏 敬 の 念 を 起 こ す 例 で あ る。 馮 少 墟 が「 墟 墓 哀 を 興 し 宗 廟 に 鈞 む 」 に 見 出 し て い る の は、 如 上 の『 礼 記 』 の 話 柄 も 踏 ま え て、 幼 児 が 井 戸 に 落 ち よ う と し て い る の を 見 て 湧 き 上 が る 怵 惕 と い う 感 情 と 墳 墓 に も 哀 悼 を 示 す 感 情 と、 谷 間 に 棄 て ら れ た 親 の 亡 骸 を み て 額 に 冷 汗 を 流 す 感 情 と 宗 廟 に 対 す る 畏 敬 の 念 と が そ れ ぞ れ 重 な り あ う と い う 点 で あ る。 「 千 古 不 磨の心」の保有者は、何も聖人には限定されないのである。 古 の 先 王 が 有 し て い る「 此 の 一 念 」 と は、 今 ま で 考 察 し て き た 聖 心 及 び「 千 古 不 磨 の 心 」 の 別 表 現 で あ る と い え る。 多 く

の 祭 礼 を 作 り 出 さ せ た の は こ の 心 の 発 露 で あ っ て、 宗 祝( 祭 祀 官 )、 有 司( 官 吏 )、 籩 豆( 器 )、 罇

そんらい

罍 ( 酒 樽 ) と い っ た、 一 見 細 か な 事 柄 も「 此 の 一 念 」 の 顕 れ な の で あ る か ら、 孔 子 が 「 事 毎 に 問 う 」 た の も 意 識 的 な 行 為 で は な い。 つ ま り、 孔 子 の 行為を「此の一念」という自発的な感情の顕れと見なしたのであった。 続けて馮少墟は、 「 事毎に問う 」 たことを詳しく説明している。 此 の 一 念 は 即 ち 古 の 先 聖  当 に 日

ひび

に 禮 を 制 す べ き の 最 初 の 一 念、 許 多 の 祭 禮 を 把 ら ざ る を 得 ざ る 所 以 な り。 宗 祝、 有 司、 籩 豆、 罇 罍、 一 切 儀 文 度 数 の 如 き の 類、 事 毎 に 去

き て 問 う。 此 れ も 亦 た 皆 此 の 一 念 の 已 む を 容 れ ざ る 処 従 り 流 出 す。 故 に 是 れ 禮 な り と 曰 う。 ( 此 一 念 即 古 先 聖 當 日 制 禮 最 初 之 一 念、 所 以 不 得 不 把 許 多 祭 禮。 如 宗 祝、 有 司、 籩 豆、 罇 罍、 一 切儀文度數之類、毎事去問。此亦皆從此一念不容已處流出。故曰是禮也。 「讀論語上」 ) 「 此 の 一 念 」 と は、 古 の 先 王、 聖 人 が 日 常 生 活 に あ っ て 礼 を 制 出 し な け れ ば な ら ぬ と い う 心 の 顕 れ で あ っ て、 孔 子 を し て 事 々 に 問 わ し め た 根 源 と 馮 少 墟 は 見 て い る。 つ ま り、 事 々 に 丁 寧 に 問 う の も「 此 の 一 念 」 の 顕 れ な の で あ る か ら、 孔 子 は 礼 とみなした、という理解である。 こ の よ う に、 馮 少 墟 は 孔 子 の 「 是 れ 礼 な り 」 と い う 発 言 か ら、 礼 は 自 発 的 な 感 情 の 顕 れ で あ る と 読 み 解 い た の で あ っ た。 以上の見解について、馮少墟は次のようにまとめている。

孺 子 を 見 て 怵 惕 す は 乃 ち 忍 び ざ る の 政 の 原、 親 骸 を 覩 て 顙

ひたい

せい

た る は 乃 ち 葬 親 の 禮 の 原、 太 廟 に 入 り て は、 事 毎 に 問 う

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馮少墟の『疑思録』について一五七

は 乃 ち 宗 廟 の 禮 の 原 な り。 先 王 其 の 原 を 得 て 遂 に 其 の 流 れ を 昌 ん に し、 聖 人 其 の 流 れ を 覩 て 遂 に 其 の 原 に 觸 る。 此 れ 聖 人 の 事 毎 に 問 え る 処、 正 に 聖 人 禮 の 原 な る 処 を 窺 う。 或 人 烏 く ん ぞ 以 て 之 を 知 る に 足 ら ん。 ( 見 孺 子 而 怵 惕 乃 不 忍 之 政 之 原、 覩 親 骸 而 顙 泚 乃 葬 親 之 禮 之 原、 入 太 廟、 毎 事 問 乃 宗 廟 之 禮 之 原。 先 王 得 其 原 遂 昌 其 流、 聖 人 覩 其 流 遂 觸 其 原。 此 聖人毎事問處、正聖人窺禮之原處。或人烏足以知之。 「讀論語上」 ) 幼 児 が 井 戸 に 落 ち よ う と す る の を 見 て 湧 き お こ る 驚 き は 不 忍 と い う 政 治 姿 勢 の 根 源 で あ り、 谷 間 に 棄 て ら れ た 親 の 亡 骸 を み て、 額 に 冷 汗 を 流 す 感 情 は 親 を 弔 う 礼 の 根 源 で あ り、 孔 子 が 大 廟 に あ っ て、 事 々 に 問 う た の は 宗 廟 の 礼 の 根 源 で あ る と 述 べ て い る。 馮 少 墟 は こ れ ら の 根 源 こ そ、 先 王 か ら 聖 人( 孔 子 ) へ と 継 承 さ れ て き た 「 千 古 不 磨 の 心 」 で あ る と 見 た の で あ る。 な お 「 見 孺 子 而 怵 惕 」 の み、 政 の 根 源 と 見 な し て い る が、 こ れ は 先 王 か ら 聖 人 へ と 継 承 さ れ て き た 事 柄 は 礼 に の み 限 定 さ れ ないものであることを物語っている。 こ の よ う に 馮 少 墟 は、 重 出 は 聖 人 の 懇 切 丁 寧 な 教 え と 見 た。 「 入 大 廟、 毎 事 問 」 と い う 話 柄 は、 先 王 か ら 聖 人 へ の 継 承 さ れ て き た 止 む こ と の な い「 千 古 不 磨 の 心 」 の 顕 れ で あ っ た と い う の が、 善 読 の 結 果 で あ る。 当 該 章 に 対 す る 馮 少 墟 の 読 み 込

みは、冒頭に掲げた『論語集註』に止まらない、丁寧なものであったといえる。

四、書に対する姿勢

馮 少 墟 の「 自 序 」 を 確 認 す る な か で、 友 人 蕭 輝 之 が『 疑 思 録 』 に 違 和 感 を 覚 え た と あ っ た の は 既 に 見 た 通 り で あ る。 蕭 輝 之 の 違 和 感 は「 聖 賢 の 精 義 」 に 照 ら し て 生 じ た も の で あ っ た が、 三 に お い て 考 察 し た 善 読 の 実 態 も 併 せ 考 え れ ば、 生 ず べ く

し て 生 じ た 違 和 感 と 言 え よ う。 当 然 の こ と な が ら「 聖 賢 の 精 義 」 を 理 解・ 実 践 す る 手 段 は 経 書( 五 経、 四 書 ) で あ る。 そ の

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馮少墟の『疑思録』について一五八

一 つ で あ る『 大 學 』 は、 特 に 明 代 末 期 に あ っ て は 作 者 が 誰 で あ る の か、 『 大 學 章 句 』 も 含 め た テ キ ス ト に 関 す る 問 題 な ど に ついて、様々な見解が示されてき た

)((

。馮少墟もその一人である。例えば次のような発言がある。 大 學 古 本 は 原 と 錯 簡 有 り、 還 た 当 に 朱 子 章 句 に 依 り て 是 と 為 す べ し。 第 だ 此 れ 知 本 を 謂 う は、 此 れ 知 の 至 り を 謂 う の 一 節 と 上 の 聴 訟 の 節 と、 両 節 に 分 つ と 雖 も、 原 と 是 れ 一 章、 衍 文 に 非 ず 亦 た 別 に 闕 文 有 る に 非 ざ る な り。 右 傳 四 章 釋 本 末 の 八 字、 当 に 知 本 を 謂 う の 節 の 後 に 在 る に 序

つい

ず べ し。 ( 大 學 古 本 原 有 錯 簡、 還 當 依 朱 子 章 句 爲 是。 第 此 謂 知 本、 此 謂 知 之 至 也 一 節 與 上 聽 訟 節、 雖 分 兩 節、 原 是 一 章、 非 衍 文 亦 非 別 有 闕 文 也。 右 傳 之 四 章 釋 本 末 八 字、 當 序 在 謂 知 本 之 節 之 後。 「讀大 學

)((

」) 「 大 學 古 本 」 に 錯 簡 が あ る こ と を 認 め、 錯 簡 を 是 正 し た と い う 観 点 か ら 朱 子『 大 學 章 句 』 に 依 拠 す る こ と は 正 し い と 述 べ ている。しかし、見ての通り朱子の是正を全面的に受容している訳ではない。 右の見解をより明確にするため、朱子『大學章句』と馮少墟の改正による『大學章句』とを並挙してみる。 ○朱子『大學章句』

子 曰、 聽 訟、 吾 猶 人 也。 必 也 使 無 訟 乎。 無 情 者 不 得 盡 其 辭。 大 畏 民 志、 此 謂 知 本。

猶人、不異於人也。情、實也。引夫子之言、而

言聖人能使無實之人不敢盡其虚誕之辭。蓋我之明德既明、自然有以畏服民之心志、故訟不待聽而自無也。觀於此言、可以知本末之先後矣。

  右傳之四章。釋本末。

此章舊本誤在止於信下。

此謂知本。

程子曰、衍文也。此謂知之至也。此句之上別有闕文、此特其結語耳。

  右傳之五章、蓋釋格物、致知之義、而今亡矣。…… ○馮少墟による『大學章句』 子 曰、 聽 訟、 吾 猶 人 也。 必 也 使 無 訟 乎。 無 情 者 不 得 盡 其 辭。 大 畏 民 志、 此 謂 知 本。

猶人、不異於人也。情、實也。引夫子之言、而

言聖人能使無實之人不敢盡其虚誕之辭。蓋我之明德既明、自然有以畏服民之心志、故訟不待聽而自無也。觀於此言、可以知本末之先後矣。

此 謂 知 本。 此

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馮少墟の『疑思録』について一五九

謂知之至也。   右傳之四章。釋本末。

此章舊本誤在止於信下。

馮 少 墟 に 従 え ば、 朱 子『 大 學 章 句 』 の 伝 四 章「 子 曰、 聽 訟、 吾 猶 人 也、 必 也 使 無 訟 乎。 無 情 者 不 得 盡 其 辭。 大 畏 民 志、 此 謂 知 本 」 と 同 じ く 伝 五 章「 此 謂 知 本、 此 謂 知 之 至 也 」 と は 本 来 合 わ せ て 伝 四 章 な の で あ り、 従 っ て「 此 謂 知 本 」 に 対 す る 注 「 程 子 曰、 衍 文 也 」 と「 此 謂 知 之 至 也 」 に 対 す る 注「 此 句 之 上 別 有 闕 文、 此 特 其 結 語 耳 」 と は 不 要 で あ り、 さ ら に『 大 學 章 句 』 伝 四 章 に 後 置 さ れ て い る 朱 子 の 文「 右 傳 之 四 章。 釋 本 末 」 は 伝 五 章 に 後 ろ に す べ き と の 見 解 を 示 し て い る。 ま た、 『 大 學 』 は す べ て「 格 物 」 を 解 き 明 か し た の で あ っ て、 必 ず し も「 格 物 補 傳 」 は 必 要 で な く、 伝 は 九 章 で よ い と す る 見 解

)((

を 示 し て い る が、 こ れ は 朱 子 を 否 定 す る も の で あ る。 し か も そ の 否 定 は、 一 見『 大 學 章 句 』 に 依 拠 し つ つ も 朱 子 が 重 視 し た 格 物 補 伝を認めないという、根本的なものだったのである。 馮 少 墟 の こ の 姿 勢 は 何 を 意 味 す る の か。 こ こ で 馮 少 墟 の、 書 に 対 す る 姿 勢 を 考 え て み た い。 書 を 観 る こ と に つ い て、 次 の ように述べている。

朋 友  書 を 観 る に 多 く 晦 菴 を 摘 議 す る 者 有 り。 陽 明 先 生 曰 わ く、 是 れ 異 を 求 む る に 心 有 り て、 即 ち 是

な ら ず。 吾 が 説  晦 菴 と 時 と し て 同 じ か ら ざ る 者 有 る は、 門 に 入 り 手 を 下 す の 処 に 毫 釐 千 里 の 分 有 り、 辨 ぜ ざ る を 得 ざ る が 為 め な り。 然 れ ど も 吾 の 心 と 晦 菴 の 心 と 未 だ 嘗 て 異 な ら ざ る な り。 其 の 餘 の 文 義 觧

かい

し 得 て 明 当 な る 処 の 若 き は、 如 何 ぞ 一 字 を 動 し 得 ん、 と。 ( 朋 友 觀 書 多 有 摘 議 晦 菴 者。 陽 明 先 生 曰、 是 有 心 求 異、 即 不 是。 吾 説 與 晦 菴 時 有 不 同 者、 爲 入 門 下 手 處 有 毫 釐 千 里 之分不得不辨、然吾之心與晦菴之心未嘗異也。若其餘文義觧得明當處、如何動得一字。 「讀孟子下」 ) 右 文 は『 伝 習 録 』 巻 之 上 の 第 九 十 八 条、 薛 尚 謙 録 す る 王 陽 明 の 言 説 を 全 文 転 載 し た も の で あ る。 晦 菴( 朱 子 ) の 書 を な が め て は、 そ の 欠 点 を 指 摘 す る 者 が 多 い と い う 現 状 認 識 が 示 さ れ、 そ れ ら の 者 の 姿 勢 は、 初 め か ら 異 を 求 め よ う と す る も の と

指 摘 し、 認 め ぬ 態 度 を 表 明 す る。 し か し、 自 説 と 朱 子 の 説 と に お い て 異 な る 点 が あ る の は、 学 問 の 入 り 口 に あ っ て、 わ ず か

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馮少墟の『疑思録』について一六〇

な 相 違 と 思 わ れ て も や が て そ れ が 千 里 の 差 と な っ て し ま う か ら 放 任 し て お く わ け に は ゆ か ず、 弁 別 せ ざ る を 得 な い た め だ と 述 べ て い る。 王 陽 明 に 従 え ば、 朱 子 の 言 説 に は 欠 点 が あ る と い う 先 入 観 に 依 拠 し て 弁 別 し て い る 訳 で は な い。 そ れ は 右 文 の 後 半 に 「 吾 の 心 と 晦 菴 の 心 と 未 だ 嘗 て 異 な ら ざ る な り 」 と あ る よ う に、 あ く ま で も 自 身 の 心 と 朱 子 の 心 と は 一 致 し て い る と 述べていることからも分かる。 続いてさらに王陽明の言説を引用している。

又 た 徐 成 之 に 答 う る の 書 に 云 う、 晦 菴 は 群 儒 の 説 を 折 衷 し て、 以 て 六 経 語 孟 の 旨 を 天 下 に 発 明 す。 其 れ 後 学 を 嘉 恵 す る 心、 真 に 得 て 議 す る 可 か ら ざ る 者 有 り。 吾 の 晦 菴 に 于 け る も 亦 た 罔 極 の 恩 有 り、 と。 ( 又 答 徐 成 之 書 云、 晦 菴 折 衷 群 儒 之説、以發明六經語孟之旨于天下。其嘉惠後學之心、真有不可得而議者。吾于晦菴亦有罔極之恩。 「讀孟子下」 ) 右 文 は「 答 徐 成 之 書 」 第 二 書

)((

で あ り、 王 陽 明 五 十 一 歳 の 時 の も の

)((

。 こ の 書 信 は、 そ も そ も 徐 成 之 か ら 朱 子 と 陸 象 山 と の 学 の 異 同 に 関 す る も の で あ る。 引 用 に あ た っ て 多 少 刪 去 す る こ と で、 朱 子 の 功 績 を 称 え る 話 柄 が よ り 鮮 明 に な っ て い る

)((

。 「 群 儒 の 説 を 折 衷 し て、 以 て 六 經 語 孟 の 旨 を 天 下 に 發 明 す 」 と い う 朱 子 の 功 績 と し て『 四 書 』 の 制 定 が 想 起 さ れ る が、 王 陽 明 は

自身も含めて朱子の功績を蒙っていない者はおらず、その是非を論うことなどできようはずがないと述べているのであった。 以上の二つの言説を掲出した上で、馮少墟は次のように簡潔に締めくくっている。 近世晦菴を 訾 議する者多く陽明に借りて口実と為すは、 惟だに晦菴を知らざるのみならず亦た陽明を知らざるなり。 (近 世 訾 議晦菴者多借陽明爲口實、不惟不知晦菴亦不知陽明矣。 「讀孟子下」 ) 朱 子 を 批 判 す る 者 は、 そ の 多 く が 王 陽 明 の 名 に 借 り て の 批 判 で あ り、 そ れ ら の 者 は 朱 子 の こ と は お ろ か 王 陽 明 の こ と す ら も知らないと論断している。 以 上 を ま と め て み よ う。 ま ず、 書 に 対 す る 姿 勢 か ら 朋 友 と 王 陽 明 と の 違 い を 見 出 し て い る。 朋 友 は 当 初 か ら 異 を 見 つ け よ

う と い う 意 識 で 書 を な が め て い る が、 王 陽 明 は 根 本 的 な と こ ろ で 異 な る 場 合 に は 弁 別 せ ざ る を 得 な い と い う 主 張 で あ っ た。

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馮少墟の『疑思録』について一六一

次 い で、 経 書 に 対 す る 朱 子 の 功 績 を 称 え る 王 陽 明 の 言 説 を 引 用 す る こ と で、 朱 子 及 び 王 陽 明 へ の 賛 意 を 表 明 し て い る。 そ れ らを踏まえて、王陽明の名に借りて朱子を批判する者は表層的な面を捉えているに過ぎないとして、批判したのであった。 如 上 の 一 文 が『 疑 思 録 』 の 末 尾 に 位 置 付 け ら れ て い る こ と に 着 目 す る 時、 一 文 に 見 ら れ る 王 陽 明 の、 根 本 的 な と こ ろ で 異 な る 場 合 は 弁 別 せ ざ る を 得 な い と い う 姿 勢 及 び 六 経 の 本 旨 を 発 明 し た 朱 子 へ の 尊 崇 の 念 は、 と り も な お さ ず『 疑 思 録 』 に お ける基本的姿勢と言える。

おわりに

小論を終えるにあたり、次の言説を引用したい。 親 に 遇 い て 親 し む に 其 の 親 し む 所 以 を 知 る 莫 く、 民 に 遇 い て 仁 す る に 其 の 仁 す る 所 以 を 知 る 莫 く、 物 に 遇 い て 愛 す る に 其 の 愛 す る 所 以 を 知 る 莫 し。 之 を 総 ぶ れ ば、 此 れ 愛 を 知 り 敬 を 知 る の 一 念 の 中 従 り 流 出 す。 故 に 曰 わ く、 堯 舜 の 其 の 心

今 に 至 る ま で 此 に 在 り と。 古 自 り 聖 賢 相 伝 の 正 脉、 誠 に 語 言 文 字 の 間 に 在 ら ざ る な り。 吾 輩 の 為 学、 正 に 当 に 此 の 処 に 在 り て 識 取 す べ く し て 方 め て 可 な り。 ( 遇 親 而 親 莫 知 其 所 以 親、 遇 民 而 仁 莫 知 其 所 以 仁、 遇 物 而 愛 莫 知 其 所 以 愛。 總 之、 從 此 知 愛 知 敬 一 念 中 流 出。 故 曰、 堯 舜 其 心 至 今 在 此。 自 古 聖 賢 相 傳 之 正 脉、 誠 不 在 語 言 文 字 間 也。 吾 輩 爲 學、 正 當 在 此 處識取方可。 「讀孟子下」 ) な ぜ 親 に は 親 し む の か、 な ぜ 民 に は 仁 の 心 で 接 す る の か、 な ぜ 物 を 大 事 に す る の か、 そ の 理 由 を 知 ら な い と 述 べ て い る。 馮 少 墟 の 意 図 は も は や 明 白 で あ ろ う。 堯 舜 と 途 人 と 問 わ ず、 自 然 に そ う な る も の な の だ か ら で あ る。 馮 少 墟 に と っ て 読 書 と は こ の 心 の 気 付 き に 重 点 が 置 か れ て い た。 気 付 く た め に 疑 う の で あ る。 『 疑 思 録 』 の 根 底 に あ る 疑 う と い う 行 為 は、 聖 心 や

「 千 古 不 磨 の 心 」 な ど と 表 現 さ れ る、 聖 凡 問 わ ず 具 有 し て い る 心 に 気 付 く た め の 営 み で あ っ た。 『 疑 思 録 』 は そ の 営 為 の 跡 と

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馮少墟の『疑思録』について一六二

いえる。 小 論 で は、 『 疑 思 録 』 に 収 録 さ れ る 言 説 の う ち わ ず か 数 条 を 扱 っ た に 過 ぎ な い。 し か し、 馮 少 墟 に は 四 書 に 対 す る 絶 対 的 な 信 頼 を 確 認 す る た め の 疑 い と い う 行 為 が あ り、 ま た 四 書 を 読 む に あ っ て 朱 子 や 王 陽 明 と い っ た 名 を 先 入 主 と し な い 姿 勢 及 び 自 身 に 問 い か け る と い う 姿 勢 が 明 確 に 顕 れ て い る こ と は 確 認 す る こ と が で き た。 こ れ ら の 姿 勢 が 馮 少 墟 の 四 書 観 を 支 え る 柱であったことは、改めて強調しておきたい。

注(1)岡田武彦「第七章

( (9)天地間、惟有此道。人生天地間、惟有此學。舍此更有何事。 (8)註5前掲書を参照。 舉業則人疑思之、可也。」(『疑思録』巻二) 旨也。雖能疑且思、思而有妙解出、若過於漢之訓詁、吾終以爲得而未得是紙上之機括、非心中之妙悟。若疑思録者則異於是。是爲德業而作不爲舉業、而設若 (7)張舜典は次のように述べている。「且今四子書治舉業者、舉能言之、海内坊刻幾於充棟。中間亦有當者不當者。然爲舉業而作則爲文而解其義、不爲身心而求其 (6)黄仁宇著、稲畑耕一郎・岡崎由美・古屋昭弘・堀誠訳『万暦十五年 一五八七「文明」の悲劇』(東方書店、一九八九年)二十六頁。 (5)倉石武四郎訳『口語訳 論語』(筑摩叢書152、一九七〇年)を参照。 馮君潔」)「癸丑」は康煕十二年(一六七三)にあたる。 表章先生者、除僕之外、再有何人。是僕在先生、爲異世之鍾子期。在馮門、爲今日之申包胥也。宜印遺書見貽、僕將代爲流布。望望。」(『二曲集』巻十七「與 書、是以通不知先生之學。況望其表章崇尚、轉相祖述、延學脈於無窮、子子孫孫永錫之光乎。此必不得之數也。方今秦中固不乏時俊、然而耿耿一念、曲竭心力、 (4)李二曲は次のように述べている。「先生没、而遺集不傳、鼎革以後、集板隨亡。癸丑之秋、僕慫恿洪學憲重梓、板固告竣、未嘗流布、海内士大夫、未見先生之 (3)小論では内閣文庫所蔵本(康煕十四年刊本)を用いた。 (2)朱彜尊『経義考』巻二五八「四書 七」に「馮氏從吾 四書疑思録六巻 存」とある。

No.38

想」(『哲学年報』、九州大学大学院人文科学研究院、一九七九年所収)を参照。

  ―

湛門派の系統 第三節 馮少墟」(『王陽明と明末の儒学 下』、明徳出版社、二〇〇四年所収)、柴田篤「馮少墟明末一士人の生涯と思

( 則庶民興。庶民興、斯無邪慝矣。」(『孟子』盡心下) 非者。惡莠、恐其亂苗也。惡佞、恐其亂義也。惡利口、恐其亂信也。惡鄭聲、恐其亂樂也。惡紫、恐其亂朱也。惡郷原、恐其亂德也。君子反經而已矣。經正、 曰、非之無舉也、剌之無剌也。同乎流俗、合乎汙世。居之似忠信、行之似廉絜。衆皆悦之。自以為是、而不可與入堯舜之道、故曰德之賊也。孔子曰、惡似而 古之人。行何為踽踽涼涼。生斯世也、為斯世也、善斯可矣。閹然媚於世也者,是郷原也。萬子曰、一郷皆稱原人焉、無所往而不為原人。孔子以為德之賊、何哉。

10

)「孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其惟郷原乎。郷原、德之賊也。曰、何如斯可謂之郷原矣。曰、何以是嘐嘐也。言不顧行、行不顧言、則曰、古之人

11

)一文の末尾に「萬曆巳酉春三月荊山門人楊嘉猷元忠甫書於靖邊之吏隱軒」とある。

一九六七年)、市川安司『朱子学問とその展開』(評論社、一九七四年)、木下鉄矢『朱子学』(講談社、二〇一三年)がある。

12

)当該部分にみえる〈性〉や〈道〉に対する朱子の理解を『中庸章句』や『中庸或問』に即して解析したものに、島田虔次『大学・中庸』(朝日新聞社、

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馮少墟の『疑思録』について一六三 (

13

)愛親敬長、所謂良知良能者也。(『孟子集註』盡心上

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の朱子注)

(     尹氏曰、何以有是差等。一本故也、無僞也。     楊氏曰、其分不同、故所施不能無差等、所謂理一分殊者也。     程子曰、仁、推己及人、如老吾老以及人之老、於民則可、於物則不可。統而言之則皆仁、分而言之則有序。

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)朱子『孟子集註』盡心上篇の当該章には次の注記が載せられている。

15

)問論語中有重出者、有重出而逸其半者何。

16

)『陸九淵集』巻二十五 詩「鵝湖和教授兄韻」を参照。

17

)『陸九淵集』巻三十四 語録上を参照。

18

)佐野公治『四書學史の研究』(創文社、一九八八年)所収の「第三章 朱子以降における『大學』觀の變遷」を参照。

( 研究所陽明学研究室、二〇一一年所収)を参照。

― ―

とについては、如上の論考及び拙稿「李二曲の「明体適用」の学について格物観を中心として」(『陽明学』第二十三号、二松学舎大学東アジア学術総合 立場を明らかにしている。詳しくは「本末格物説攷」(『日本中國學會報』第六十二集、二〇一〇年所収)を参照。なお、関中の李二曲がこの系譜に連なるこ にして致知乃至平天下すべきか、またそれらにおける本末先後節目次序について、一々明確に講究することに他ならない。」と分析、朱子や王陽明とは異なる

19

)中純夫氏は、馮少墟の格物理解について「格物の物を物有本末の物、致知の知を知所先後の知とする王艮説を、最も妥當な見解とする。卽ち格物とは、如何

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)一本大學都是釋格物、不必另補格物傳。傳止該九章。(「讀大學」)

21

)『王陽明全集』巻二十一、外集三、「答徐成之」第二書。

22

)書名の下に「壬午」と記されていることに拠った。「壬午」は嘉靖元年(一五二一)にあたる。

有爲之一洗者。使晦菴有知、將亦不能一日安享於廟廡之間矣。」(「答徐成之」第二書) 一暴其説、雖以此得罪、無恨。僕於晦菴亦有罔極之恩、豈欲操戈而入室者。顧晦菴之學、既已若日星之章明於天下、而象山獨蒙無實之誣、於今且四百年、莫 放心、以示後學篤實爲己之道、其功亦寧可得而盡誣之。而世之儒者、附和雷同、不究其實、而槪目之以禪學、則誠可冤也已。故僕嘗欲冒天下之譏、以爲象山

23

)当該部分は以下の通りである。「夫晦菴折衷羣儒之説、以發明六經、語、孟之旨於天下、其嘉惠後學之心、眞有不可得而議者。而象山辯義利之分、立大本、求

参照

関連したドキュメント

②立正大学所蔵本のうち、現状で未比定のパーリ語(?)文献については先述の『請来資料目録』に 掲載されているが

Stunz, Warrants and Fourth Amendment Remedies, (( Va.L.Rev..

・平成29年3月1日以降に行われる医薬品(後発医薬品等)の承認申請

  憔業者意識 ・経営の低迷 ・経営改善対策.

ぎり︑第三文の効力について疑問を唱えるものは見当たらないのは︑実質的には右のような理由によるものと思われ

○ 発熱や呼吸器症状等により感染が疑われる職員等については、 「「 新型コロナ ウイルス 感染症についての相談・受診の目安」の改訂について」

法・条例の措置:

夜真っ暗な中、電気をつけて夜遅くまで かけて片付けた。その時思ったのが、全 体的にボランティアの数がこの震災の規