慈円 家集
『拾 玉集
』に は数 多の 百首 歌が 収録 され
、そ の序
・跋 に彼 の歌 論が 展開 され てい るこ とは 言う まで もな い。 しか し、
『拾 玉集
』
は慈 円死 後約 百年 を経 て尊 円親 王類 聚に なる 他撰 家集 であ るの で、 そ の家 集内 の配 列は 区々 であ るの も事 実で ある
。多 くの 先行 研究 の中 に は、 個々 の百 首歌 の成 立を 確認 する こと なく
、そ れら の序
・跋 を引 用 し、 慈円 の「 歌論 なる もの
」を 構築 しよ うと して きた のも 事実 であ る。 しか し、 山田 昭全
・久 保田 淳ら が切 り拓 いた 研究 の成 果が 実を 結び
、
「法 楽」 の意 味も 徐々 に明 確に なっ てき たの で、 そろ そろ この 辺り で 個々 の百 首歌 序・ 跋を 時系 列に 並べ て俯 瞰し て見 るの も意 味が ある と 思わ れる
。
「法 楽」 に関 わり のな い百 首歌 の成 立経 緯を 述べ てい るも のを 除き
、 通し 番号 を付 すこ とに し、 法楽 とい う語 には
で囲 み、 神社 奉納 に 関す る事 項に は下 線、 狂言 綺語 観に は波 線、 二諦 一如 には 二重 傍線 な どを 付す こと にし たい
。
「法 楽」 につ いて は、 シン ポジ ウム
「『 法楽
』の 宗教 空閑
」の コー ディ ネー ター とし て、 最初 に趣 旨説 明を 行っ たが
、そ の後 コメ ンテ ー
(
)
『 拾 玉 集
』 所 収 百 首 歌 の 序
・ 跋 に 見 る 「 歌 論
」 考
石 川
一
*
要 旨
慈円 家集
『拾 玉集
』所 収の 百首 歌に は、 その 序・ 跋に 彼独 自の 歌論 が展 開さ れて いる
。し かし
、そ の家 集が 他撰 であ るこ とに 拠り
、配 列が 区々 で ある
。多 くの 先行 研究 の中 には
、個 々の 百首 歌の 成立 を未 確認 のま まに 引 用さ れる こと があ り、 はな はだ 精確 を欠 いて いた
。稿 者は これ まで 詳細 な 成立 論を 確認 して きた ので
、よ うや く作 品全 体を 俯瞰 する こと が可 能と なっ たの であ る。 本稿 に先 立ち
、二
〇一 六年 一一 月名 古屋 大学 人類 文化 遺産 テク スト 学研 究セ ンタ ー公 開研 究集 会「
『法 楽』 の宗 教空 間」 で、 コー ディ ネー ター を 務め るに あた り、 慈円 の「 法楽
」に つい ての 趣旨 説明 を行 った
。本 稿は そ の説 明の ため に、 新た に検 証を 試み たも ので ある
。 キー ワー ド: 拾玉 集 百首 歌の 序・ 跋 狂言 綺語 観
「二 諦一 如」
平成29年9月11日受理 *文学研究科国文学専攻 教授
ター を務 めた 深津 睦夫 がシ ンポ ジウ ムと は別 に纏 めた 論稿 に譲 るこ と にし たい
。
(
)
文治 四年
11 88
①御 裳濯 百首 二見
・跋 依円 位聖 人勧 進文 治四 年詠 之、 為大 神宮 法楽 也 云々
、只 為結 縁也 神へ の和 歌奉 納を
「法 楽」 と明 示し た記 事だ が、 和歌 をも って 神へ の法 楽と した 歌人 は西 行で あっ た。 西行 が伊 勢神 宮に 奉納 した 二つ の 自歌 合は 法楽 和歌 の典 型と みな され るが
、「 法楽
」と いう 語は 用い て いな い。 とも あれ
、自 歌合 を奉 納し た西 行の 行為 を「 法楽
」と 明示 し
(
)
たの は慈 円で あっ た。 建久
三年
11 92
②住 吉百 首・ 跋( 秋日 詣住 吉社 詠百 首和 歌) 建久 三年 涼秋 九月 占空 閑之 山寺 披清 浄之 道場 半行 半
点歟
座之 勤如 説修 之、 無二 無三 之教 如法 書之
、則 捧持 二 部妙 典遥 往詣 四天 王寺
、於 彼霊 地忽 経再 宿、 然間 或 備十 箇種 之供 養或 唱一 昼夜 之念 仏、 翌日 之朝 庭露 之 余即 詣上 宮太 子之 古墳
、深 凝下 化衆 生之 懇地
、次 過 難波 之海 浦到 住吉 之社 壇報 賽已 了、 瞻望 忽催 于時 雲 海眇 茫嵐 日蕭 索不 堪感 情聊 述 蓄懐 短略
、未 過一 日和 言已 満百 首、 其詞 雖区 悉置 住吉 之詞 其心 雖浅 又顕 滅 罪之 心丹 誠無 二玄 応豈 空抑 退憶 古今 未聞 蹤跡
、仍 雖
恐藻 思之 拙窃 納叢 祠之 中、 古松 若有 情言 葉定 無朽 者 歟
我立 杣門 人三 部伝 法阿 闍梨 某記 之 この 記事 は注 目さ れて 来な かっ たも のだ が、 如法 経二 部捧 持し て四 天王 寺に 往詣 した 翌日 に太 子の 古墳 に参 詣。 その 後に 住吉 社に
「報 賽」
(恩 に報 いる ため に財 物を 奉る こと
)を 為し
、そ の感 懐を 百首 歌に 詠 出。
「滅 罪」
(懺 悔・ 念仏
・陀 羅尼 など によ って 罪を 滅す るこ と) の心 を顕 して いる
。住 吉社 に献 じた 和歌 が経 典に 置き 換え られ ると した の は注 目し たい
。 建久
五年
11 94
③南 北百 番歌 合・ 跋( 百番 歌合
) 夫和 歌者 非鼓 舷鼓 棹之 歌非 採薪 採芝 之歌
、只 遊心 於 四序 放思 於万 里之 業也
、而 今南 海有 一漁 夫北 山有 一 樵客 居雖 隔山 海契 猶蹄 芝蘭
、因 茲随 分綴 百番 之篇 什 其終 得一 首之 贈答
、左 依松 嶺竹 渓之 寂抽 以意 根之 森 然、 是則 内仰 住吉 之霊 睠外 慣人 丸之 遺塵 之故 也、 若 有披 聞之 客宜 決優 劣之 詞而 已 建久 五年 仲秋 記之 おそ らく 良経 に拠 る跋 と思 われ るが
、本 百番 歌合 を「 住吉 之霊 睠・
(
)
人丸 之遺 塵」 とし てい るこ とは 重要 であ る。 内に は住 吉社 の霊 睠を 仰 ぎ、 外に は人 丸の 遺塵 に慣 ると は、 和歌 の神 とし ての 住吉 社の 霊験 に 縋り つつ
、歌 聖人 麿の 足跡 に熟 練す るこ とを 祈願 する こと
。「 人麿 影供
」
に繋 がる もの とし て評 価で きる
。 承元
三年
12 09
④厭 離欣 求百 首・ 跋 承元 三年 十月 十四 日明 月心 澄頓 右禿 筆詠 廿八 首経 一 宿了
、翌 日十 五日 之朝 念仏 之終 詠七 十二 首全 満百 歌 訖、 楚忽 者寔 聊爾 数日 之案 惟同 者也
「厭 離穢 土・ 欣求 浄土
」と いう 仏教 の要 諦を 詠じ た百 首歌 であ る。 こ れに つい ては 別稿 に譲 る。
(
)
建暦 二年
12 12
⑤略 秘贈 答百 首和 歌・ 跋 以上 百首 大略 併詠 改了
、乍 百首 入撰 集之 程計 とて 奉 納神 居畢
、具 有別 草
↓
⑥書 陵部 蔵『 慈円 百首
』(
15 0 36 3
・
)
↓ 建暦 二年
12 12
壬申 秋九 月草 之→ 同三 年待 三春 記一 篇而 已
⑦日 吉百 首・ 序( 内題 校本
×・ 詠百 首倭 歌×
・「 法楽 日 吉社 無題
」×
) 述顕 之一 往再 往心 詠密 之浅 略深 秘旨 和歌 百首 慮法 楽 之日 吉覚 二世 於一 時而 已( 校本
) 顕之 一往 再往 蜜之 浅略 深秘 風吟 詠百 首和 歌清 書以 法楽 十禅 師宮 和歌 今有 二世 之深 意梵 風自 納受 之神 慮
者歟
⑧日 吉百 首・ 跋 片山 寺に 籠居 ては たゞ 二諦 の道 理よ り外 に思 つゞ く る事 もな し、 其道 理を 歌に よま むと 思け るな るべ し、 さて しも 又か やう なれ ばい まだ 日吉 に百 首な どよ み
ひ え
て奉 る事 のな かり けれ ばに や、 三度 治山 寄心 於山 王、 数年 興教 容身 於教 門、 今生 知縁 深来 世能 引導
、于 時 建暦 三年 癸酉 待三 春記 一篇 而已
老僧 記( 校本
) 上記
⑦「 日吉 百首
」が
⑤⑥ の段 階を 経て 吸収 進展 して ゆく 過程 を考 察し たこ とが ある が、 建暦 二年
12 12
正月 一六 日、 三度 目の 天台 座主 就
(
)
任の 後に 詠ま れた
⑤「 略秘
(浅 略深 秘) 贈答 百首 和歌
」跋 に「 奉納 神 居畢
」、 つま り日 吉社 宝殿 に奉 納し たこ とが 記さ れて いる
。し かも
⑦ に拠 って
「法 楽十 禅師 宮」 と分 かり
、特 に慈 円は 日吉 七社 のう ち十 禅 師宮 を尊 崇し てい る。 また
⑧の よう に、
「二 諦( 二諦 一如
)の 道理
」ば かり 思い 続け
、そ の道 理を 歌に 詠じ たと いう 記述 は重 要で ある
。『 華頂 要略 門主 伝』 承 元元 年
12 07
に拠 れば、「 門葉 記( 尊円 親王 御記
)裏 書云
。和 尚御 自筆 記 云。 五十 三歳 移住 西山 籠居 首尾 五年 中三 年也
」と いう 西山 隠棲 中で の
(
)
「二 諦の 道理
」で ある こと に注 意し たい
。 建保
二、 三年
12 14
、
12 15
⑨送 佐州 百首
・序
(内 題×
)
前佐 渡守 親康 有下 向鎮 西事
、彼 男随 分歌 人也
、仍 為 遣旅 泊徒 然詠 百首 賜也 聞白 衣之 旅行 述染 衣之 早懐
、贈 拙歌 於眇 茫待 秀歌 於 海路
、願 以此 百首 一巻 之狂 言、 翻為 彼斗 薮再 会之 善
釈若錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫
縁而 已
西峯 老僧
釈若錫錫錫錫
右の
『送 佐州 百首
』は 法楽 百首 群に は入 らな いが
、鎮 西に 下向 する 前佐 渡守 親康 に百 首を 贈る
。和 歌( 狂言 綺語
)を 以て 翻て
「再 会之 善 縁」 と為 すと いう
。「 狂言 綺語 観」 の発 露と 言え る。
(
)
*「 諸社 法楽 百首 群」
(建 保六 年
12 18
~承 久三 年
12 21
) 慈円 の自 省期 にお ける 百首 群で ある が、 徐々 に形 を為 して きた 後鳥 羽院 の反 鎌倉 への 策謀 を牽 制す る意 味で
、諸 社に 百首 歌を 奉納 する
。 九条 頼経 と懐 成親 王( 後の 仲恭 天皇
)は 共に 九条 家ゆ かり の人 物で あっ た。 詠歌 時期 につ いて は、 跋に 記さ れた 年次 や競 合す る他 歌人 の百 首 歌に 付さ れた 年次 など に拠 って 判明 する もの が多 いが
、⑱ 賀茂 百首 以
(
)
降は 不詳
。 建保
六年
12 18
⑩文 集百 首( 北野 社)
・跋
(詠 百首 和歌
) 楽天 者文 殊之 化身 也、 当和 彼漢 字、 和歌 者神 国之 風
釈若錫錫錫錫錫釈若錫錫錫錫錫
俗也
、須 述此 早懐
、因 茲忽 翫百 句之 玉章
、憖 綴百 首
釈若錫釈若錫
之篇 什、 法楽 是北 野之 社、 祈願 彼南 無之 誠、 定翻 今
主守取取取取
生世 俗文 字之 業、 為当 来讃 仏法 輪之 縁者 歟
主守取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取
北野 天満 宮法 楽の 本百 首と 白氏 文集 との 結び 付き は、 祭神 菅原 道真 の漢 詩に 関す る事 跡な どか ら容 易に 理解 出来 るが
、文 集の 詩句 を題 と する 事に つい ては 本跋 文に
「楽 天者 文殊 之化 身也
、当 和彼 漢字
、和 歌 者神 国之 風俗 也、 須述 此早 懐」 と表 出し てい る。 白楽 天を 文殊 の化 身 とす る事 は『 今鏡
』『 十訓 抄』 に既 に見 ら
、当 時の 文化 思潮 を反 映 して いる が、 その 漢字
(漢 詩) に和 すの に和 歌( 神国 の風 俗) を以 て 早懐 を述 べん とす る。 なお
「狂 言綺 語観
」に 関す る文 言が 存す るの は、 白楽 天と の関 係か ら自 明の こと だろ う。 建保
七年
12 19
⑪難 波百 首( 四天 王寺
「聖 霊院
」)
・序 花洛 道遠
、清 書不 輒之 間、 帰路 以前 依閙 事、 立歌 次 第頗 似雑 乱、 唯以 真俗 為一 双云 々、 真諦 五十 首俗 諦 五十 首、 如此 令載 之哉
、歌 次第 殊可 有所 存哉
、但 亦 惣以 無四 度計 之条 一之 姿也
、如 存入 其壺 立次 第之 時、 還催 悪気 歟、 神妙 云々
、若 有見 人可 知其 意哉
、中 書 之間 頗有 吉瑞
、可 謂不 可説 也、 聊以 奥記 之 孟春 之候 暮齢 之身 参詣 難波 大寺
、綴 二諦 於百 首、 啓真 俗於 聖徳 和歌
金剛 仏子 慈円
⑫同 百首
・跋 やま と歌 のな らひ は、 題を こは く取 りつ れば
、そ の 姿を 得ま じき さま なれ ど、 慈覚 大師 も二 諦を こそ は
(10
れ)
悟り 給へ れば と思 て、 大師 の御 本意 の歌 もた ゞ仏 法 の縁 のみ なれ ば、 此世 の地 体に 受け たる 凡俗 のか た も、 底は みな 一な れば と思 寄り ける に、 猶歌 のか た も捨 てじ とて
、な びや かな る四 季の 古事 など 少々 さ し寄 せ侍 れば
、ま た二 諦の 心弁 へが たし
、し かは あ れど
、心 をや りた る事 は歌 のな らひ なれ ば、 思な が らに 誠の 道に も入 れか しと て、 わづ かに 吉野 の花
、 秋の 夜の 月な ど、 何方 にも ちり 〴〵 に光 やさ すと か じろ へて 侍ど
、又 その 匂ひ もな けれ ば、 取る 方も 侍 らぬ にな ん、 たゞ 志の ゆく に任 て、 太子 の御 憐れ み を仰 ぐば かり にや
、こ れも たゞ すゞ ろに 思立 つに は 侍ら ぬな るべ し、 いつ ぞや 三首 を詠 みて 奉れ りし を、 太子 の后 もろ とも に納 受あ るさ まな る夢 を告 ぐる 人 侍れ ば、 吾国 の風 俗こ とわ りに もや とて
、正 月一 日 は縁 ある 日な れば
、其 日よ り四 日ま でに 詠み はて ゝ、 百歌 一巻 を書 きて 奉り 給へ と、 中宮 大夫 の家 に誂 へ 申侍 る也 同正 月五 日聖 霊院 内殿 にま ゐら せお き侍 ぬ 建保 七年 正月 九日 依如 此御 命下 筆畢 権大 納言 兼中 宮大 夫藤 原教 家
(中 略) 皇子 降誕
、而 今春 宮に と書 生は 謬之 由存 之 歟、 為太 子加 護之 令現 吉瑞 給也
、是 已真 俗二 諦和 合
之令 然也 当該 百首 の内 題・ 跋な どに 拠れ ば、 正月 明け
(孟 春之 候) に暮 齢之 身( 六五 歳) で難 波大 寺( 聖徳 太子 建立 の四 天王 寺) に参 詣。
「二 諦 の道 理」 に基 づい た百 首歌 と同 時に 詠じ た歌 中に 太子 の加 護に よる 吉 を得 たと いう
。前 年誕 生の 懐成 親王 の立 坊と いう とこ ろに
、九 条家 出身 慈円 の喜 びが 集中 して いる
。 内題 下の
「金 剛仏 子」 とい う署 名は
、密 教の 灌頂 を受 けた 者の 意で
、 五大 院安 以降 の「 二諦 一如
」を 継承 する とい う自 負に 溢れ てい る。 承久
元年
12 19
⑬八 幡百 首( 石清 水八 幡宮
)・ 序( 詠百 首和 歌法 門妙 経八 巻之 中取 百句
) 吾大 菩薩 者釈 尊弥 陀一 如之 和光
、神 宮八 幡同 体之 本 源也
、以 和語 和経 文、 以信 心信 尊神
、如 在之 礼賛
、 法而 満足 本有 之法 楽、 爰而 奉行 大神 之擁 護、 道理 勿 違于 道、 小量 之懇 念求 願、 莫背 于願
、於 戯法 花百 句 之要 文、 詞花 十之 風月
、今 以麁 言深 転法 輪、 雖似 狂
主守取取取取取取取取取取取取
言又 通実 道、 故妙 経二 十八 品之 内、 取百 句為 百題
、 其詞 云
⑭八 幡宮 法楽 二十 首・ 序 以暮 秋初 冬之 候、 入二 諦一 如之 観、 忽詠 四五 之拙 歌、 法楽 三所 之権 現、 利他 而思
、観 自而 念、 朝市 之春 花、 勿萎 于鳳 闕仙 洞、 都鄙 之秋 風、 莫攬 於仏 法王 法、 依
(11
瑞)
(12
然)
此倭 国之 風俗
、欲 彰浄 土之 月輪 矣
釈若錫錫錫錫錫錫錫釈若錫錫錫錫錫錫錫
⑮同
・跋 承久 元年 十月 朔之 比為 八幡 宮法 楽詠 之
⑩『 文集 百首
』跋 と同 様に
、和 歌を 以て 大陸 渡来 の物 に和 すと いう 行為 は、 本百 首に も見 られ る。 序に 拠れ ば、 祭神 八幡 大菩 薩が 釈尊 の 生ま れ代 わり
(本 地垂 迹) とし
、さ らに その 八幡 は伊 勢神 宮と 同躰 の 皇祖 神で ある とす る。 だか ら、 釈尊 の言 葉( 法華 経) に和 すの に和 語
(和 歌。 神国 の風 俗) を以 てす ると 展開
。日 本の 尊厳 に対 する 信念 も 認め られ るが
、⑯ 四季 題百 首・ 序に いう
「三 国言 音説
」の 先駆 けで あ る。 また
「和 歌は 狂言 に似 たり と雖 も、 また 実道 に通 じた り」 とは 狂 言綺 語観 の謂 では ない のか
。 承久
二年
12 20
⑯四 季題 百首
(伊 勢内 宮)
・序
(詠 百首 倭歌
今廿 五首 題各 寄 四季 之心
) 劫初 在梵 王劫 末属 釈尊
、漢 家者 孔子
、我 朝者 神宮
、 三国 之言 音雖 異片 州之 和字 摂他 者歟
、道 理之 一揆 在 中心 始終 之一 念釐 下愚
、忝 受一 諾神 之苗 裔、 懇彰 百 首心 於風 情而 已
⑰同 百首
・跋 此大 和の 国は 天照 御神 の御 国な れば
、仰 ぎ奉 るべ き 理極 まれ り、 又歌 とい ひて 卅一 字の こと ぐさ 出き た るは
、此 国の こと ば也
、是 にて 万の 事を 言ひ あら は
釈若錫錫錫錫錫錫錫錫錫釈若錫錫錫錫錫錫錫錫錫
して
、昔 今の こと わざ とせ り、 春秋 の花 と月 と、 夏
釈若錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫釈若錫錫錫錫錫錫錫錫錫錫
冬の 雨と 雪と
、め ぐり 行空 の気 色、 廻り きた る野 辺 の色
、或 は深 き哀 れを 催す たよ りな り、 或は 浅き 真 を契 れる なか だち なれ ば、 これ に寄 せて 道の 理を 現 し、 是を なが めて 神仏 の恵 を計 るな るべ し。 され ば 伝教 大師 は、 我立 杣に 冥加 を祈 り、 慈覚 大師 は、 月 日の 過ぐ るに て老 を知 らせ 給へ り、 より て、 折々 此 こと わざ を仕 うま つれ りし を、 勅撰 の集 に度 々撰 び 入れ られ たれ ば、 海山 の情 をも
、峰 谷の あは れを も、 又春 の花 秋の もみ ぢ葉
、散 るに つけ て心 を動 かし
、 空の 月山 のあ らし は、 夏の すみ か冬 の閨 まで も、 人 の少 なき 心を 催す 方多 けれ ば、 思を 是に 寄せ て、 心 ざし を御 神に 手向 たて まつ るに なん
、願 はく は此 浅
主守取取取取取取取取取
き狂 言綺 語に て、 深き 讃仏 乗転 法輪 の道 へ返 し入 れ
主守取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取取
給へ とな り
主守取取取取取取取
本百 首・ 序に
「劫 初に 梵王 在り
、劫 末は 釈尊 に属 した り、 漢家 者孔 子、 我朝 者神 宮、 三国 の言 音異 なる と雖 も、 片州 の和 字他 を摂 むる か」 とあ るよ うに
、和 字が 天竺
・中 国の 文字 を摂 むる とい う「 三国 言音
」 どこ ろか
、む しろ
「和 語優 先説
」と 言う べき 理念 を述 べて いる
。 なお 本百 首・ 跋に は、 末尾 に「 狂言 綺語 観」 に関 する 決ま り文 句が 付加 され てい るが
、そ れは
「和 歌( 我国 のこ とば
・こ とわ ざ) に寄 せ て道 の理 を現 し、 神仏 の恵 を計 るな るべ し」 とい う「 二諦 一如
(和
歌 説(13)
即仏
)」 に拠 って 置換 出来 得る こと を示 して いる
。 以下
、詠 歌年 次不 詳
⑱賀 茂百 首( 賀茂 社)
・序
(詠 百首 和歌
) 賀茂 大明 神者 本地 難測
、観 真俗 之道 理於 心、 垂迹 惟 新、 訪利 生之 神感 於冥
、和 歌者 我朝 之風 俗也
、吟 詠
釈若錫錫錫錫錫錫錫釈若錫錫錫錫錫錫錫
者雅 意之 所作 也、 今染 二諦 之色 於意 識、 忽著 三業 之 悟於 法楽
、狂 言又 狂言
、此 声是 観音 実語 亦実 語、 此 思者 又神 慮、 如此 之卑 懐、 豈背 于聖 意、 故爾 云 本百 首・ 序に
「今 二諦 の色 を意 識に 染め
、忽 ちに 三業 の悟 を法 楽に 著し たり
、狂 言ま た狂 言、 此声 是観 音の 実語 また 実語 たり
」と 述べ て いる
。こ れは
⑬八 幡百 首・ 序の
「今 麁言 を以 て深 く法 輪に 転じ
、狂 言 に似 たり と雖 も、 また 実語 に通 ず」 とい う文 言と 同意 であ る。 和歌 を「 観音 の実 語」 と看 做す 文言 は、 無住
『沙 石集
』か ら遡 及し た「 和歌 陀羅 尼観
」の 先蹤 と捉 える 向き があ るが
、ど うだ ろう
。
⑲春 日百 首( 春日 社)
・序
(内 題×
) 夫当 社者 得名 於春 日末 代之 天、 悲光 於秋 心濁 世之 月、 和歌 者是 神国 之風 俗也
、有 便于 法楽
、愚 短者 亦人 間
釈若錫錫錫錫錫錫錫釈若錫錫錫錫錫錫錫
之吹 虚也
、無 恐于 披陳
、歴 四序 号成 意、 尽一 心号 述 懐、 若感 応道 交者 蓋納 受露 胆哉
、其 詞云 花 夏月 鹿 落葉 法文
(14
道)
15(
か)
春 夏 秋 冬 雑 以上 各十 首百 首也
⑳春 日百 首草
(春 日社
)・ 跋 夫天 照大 神者 王神 也、 春日 明神 者臣 神也
、若 御約 諾 曰同 侍殿 内能 為防 護云 々、 爰大 織冠 誅入 鹿反 逆為 天 智天 皇忠 臣以 降王 臣魚 水之 礼于 今未 絶、 陰陽 合体 之 義内 外猶 存、 因茲 思大 明神 之神 慮在 仏法 亦王 法之 利 益、 其利 生道 不可 限他
、唯 以普 遍可 為神 慮哉
、今 似 守一 家護 一宗 覃他 家渉 他宗 者歟
、是 以取 題目 於真 俗 号風 吟或 五常 或十 如待 法楽 於神 感号 沈思 若神 社若 仏 寺短 慮惟 狭深 通志 於神 慮之 莫大 威光 誠広 将遂 願於 仏 法之 興隆
、此 態在 諸社 皆又 満百 首、 和歌 者吾 国之 詩
釈若錫錫錫錫錫釈若錫錫錫錫錫
譜也
、雖 集仲 尼之 春秋 言音 者庶 人之 素意 也、 何忘 下
釈若錫釈若錫
愚之 風情 哉、 抑亦 入覚 悟於 神感 是則 貯道 限於 已心 之 故也
、小 僧出 家尚 在家 明神 守氏 已在 氏深 心納 胸神
、 必照 見而 已
藤原 氏神 の春 日明 神法 楽の 上記 二種 の百 首歌 は、
「神 国の 風俗
」「 吾 国の 詩譜
」と 述べ た上 で、
「二 諦一 如」
(仏 法即 王法
)と 展開 する
。「 同 侍殿 内、 能為 防護
」と 二神 約諾 を引 用し つつ
、儒 教の 教え
「五 常」 と 法華 経・ 方便 品「 十如
(是
)」 を引 き合 いに 出す
。摂 籙出 身の 慈円 に とっ て、 王法 とは 自ら の九 条家 と同 意味 であ るよ うだ
。し かし
、仲 尼
(孔 子) は『 春秋
』を 著し た
、そ の言 音は 庶人 の素 意と した とこ ろ
16(
が)
に慈 円の 真意 が認 めら れる
。そ の『 春秋
』と 同じ く、 春日 社法 楽百 首 があ ると いう
。 以上
、慈 円百 首歌 の序
・跋 に見 る「 歌論
」を 検討 する と、
「狂 言綺 語観
」と
「和 歌陀 羅尼 観」 との 混在 が見 受け られ る。 しか し、 それ は
「狂 言綺 語観
」を 天台 教学 にい う「 二諦 一如
」( 煩悩 即菩 提・ 仏法 即 王法
)と いう 視点 で言 い換 えた に過 ぎな いの では ない か。 慈円 の「 和 歌即 仏道
」( 第五 帖所 載散 文) とい う信 念は まだ まだ 狂言 綺語 観の 範 囲を 大き く超 える もの では なか った ので はな いだ ろう か。 注
(1
)名 古屋 大学 人類 文化 遺産 テク スト 学研 究セ ンタ ー公 開研 究集 会「
『法 楽』 の宗 教空 閑」
(2016
・11 月)
。こ の成 果は 追っ て刊 行さ れよ う。
(2
)深 津睦 夫「
『法 楽和 歌』 の成 立と 展開
」( 名古 屋大 学国 語国 文学109
・平
28
・11 月)
。問 題意 識が 重複 する だけ でな く、
「法 楽和 歌」 成立 経緯 が纏 めら れて いる ので
、そ れを 参照 され たい
。
(3
)山 田昭 全執 筆『 和歌 大辞 典』 およ び「 密教 と和 歌文 学」
(密 教学 研究 創 刊号
・昭44
→「 和歌 陀羅 尼観 の展 開」 山田 昭全 著作 集第3 巻『 釈教 歌の 展開
』お うふ う・ 平24
)
(4
)拙 稿「 藤原 良経 の文 事に 関す る考 察
―『 南海 漁夫 北山 樵客 百番 歌合
』 序・ 跋の 検討
」(
『ア ジア 遊学
』別 冊2 号・ 平15
→『 慈円 法楽 和歌 論考
』 勉誠 出版
・2015
)
(5
)口 頭発 表「 慈円 の『 二諦 一如
』に つい て」
(2017 年6 月和 歌文 学会 例会
)。 拙稿
「慈 円『 二諦 一如
』論
」は 未発 表。
(6
)拙 稿「 慈円 と日 吉山 王権 現関 連歌
―自 歌合
・法 楽百 首を 中心 に」
(『 叡 山の 和歌 と説 話』 世界 思想 社・ 平3
→『 慈円 和歌 論考
』笠 間書 院・ 平10
) なお
「浅 略深 秘」 につ いて は、
「愚 者信 浅略 之義
。何 況覚 者悟 深秘 之旨 哉。 先生 此国 之後
。可 傳入 寂光 海會 也。 故浅 略権 実之 教。 乃至 真言 秘密 修行
。入 浄土 門之 時。 必令 勤進 此浄 土也
。内 証之 徳致 外用 之信
」(
『毘 逝 別( 下)
』な ど。
(7
)山 本一
「慈 円の 所謂
『歌 論』 の成 立と 西山 隠棲
」( 国語 国文51 巻7 号・
1972
→『 慈円 の和 歌と 思想
』和 泉書 院・
)・ 同「 承元 期の 慈円
―隠 遁 と和 歌」
(金 沢大 学給 育学 部紀 要・ 人文 社会 編85 号・1986
→前 掲著 書) 参照
。た だし
、歌 論に つい ては 異論 あり
。
(8
)狂 言綺 語観 につ いて は詳 述し ない
。数 多の 先行 研究 があ るが
、煩 瑣な 手 続を 避け るた めに
、比 較的 最近 の動 向を 示す に留 めた い。 三角 洋一
「い わゆ る狂 言綺 語観 につ いて
」( 和漢 比較 文学 叢書
『新 古 今集 と漢 文学
』汲 古書 院・1992
→『 源氏 物語 と天 台浄 土教
』若 草書 房・
1996
) 渡部 泰明
「狂 言綺 語観 をめ ぐっ て」
(『 中世 和歌 の生 成』 若草 書房
・1999
)
(9
)⑩ 佐藤 恒雄
「建 保六 年『 文集 百首
』の 成立
」( 中世 文学 研究 創刊 号・ 昭
50
拙 ) 稿「 慈円
『文 集百 首』 考」
(和 漢比 較文 学叢 書『 新古 今集 と漢 文学
』 汲古 書院
・平4
)
⑪拙 稿「 慈円
『難 波百 首』 考」
(徳 島文 理大 学文 学論 叢3 号・ 昭61
) 山本 一「
『難 波百 首』 と慈 円の 和歌 観
―中 世的 和歌 観の 一様 相」
(金 沢大 学教 育学 部紀 要・ 人文 科学 社会 科学 編36
・1987
→前 掲著 書)
⑬拙 稿「 慈円 と法 華経 廿八 品歌
―法 華要 文百 首に つい て」
(徳 島文 理 大学 文学 論叢
創刊 号・ 昭59
)
⑯拙 稿「 慈円
『四 季題 百首
』考
」( 中世 文学 研究11
号・ 昭60
)
(10
)『 今鏡
』巻 一〇 打聞
「作 り物 語の 行方
」・
『十 訓抄
』第 七可 専思 慮事
「小 序」 参照
。
(11
)す べら ぎの 千と せを まつ の春 の色 にあ ゐよ りも こく そむ 心か な( 二八 五 六) 第三 句「 春の 色に
」を
「春 の宮 に」 との 書改 めら れた 吉事 のこ と。
「春 宮」 とい う誤 写を 太子 の加 護と 看做 す。 なお
、慈 円は 本百 首冒 頭歌
「南 無帰 命敬 礼救 世観 世音 かゝ る契 はあ ら じと ぞお もふ
」( 二七 五一
)に も、
『愚 管抄
』巻 三「 観音 ノ化 身聖 徳太 子」 にも
、『 法華 別帖
』「 依之 先日 本国 聖徳 太子 救世 観音 也( 如意 輪)
」に も、
『四 帖秘 決』 三「 金輪 聖主 ノ御 本尊 ノ観 音ニ ハ如 意輪 尤相 當レ リ。 熾盛 光法 ノ法 ノ八 大菩 薩ノ 中ノ 観音 も如 意輪 也。 聖徳 太子 も如 意輪 観音 也」 など にも
、聖 徳太 子は 救世 観世 音菩 薩( 如意 輪観 音) の化 身と 述べ てい る。
(12
)安 然は 平安 時代 前期 の天 台僧
。初 め慈 覚大 師円 仁に つき
、円 仁死 後は 遍 照に 師事 し顕 密二 教の 他に 戒・ 悉曇 を学 んだ
。晩 年に 叡山 に五 大院 を創 設し 天台 教学
・密 教教 学に 専念 し、 台密 を大 成し た。 橋本 進吉
『安 然和 尚事 蹟考
』( 著作 集12 巻・ 岩波 書店
・昭47
)・ 末木 文美 士『 平安 初期 仏教 思想 の研 究
―安 然の 思想 形成 を中 心と して
』春 秋社
・1995
)参 照。
(13
)「 三国 言音 説」 は日 本を 相対 化す るた めに
、天 竺・ 唐土 に伍 し得 るこ と
(あ るい は、 それ より も優 先す るこ と) を主 眼と する もの であ る。 同時 に、 和歌 を「 我国
(神 国) の風 俗」 との 表明 も併 せて 見受 けら れる
。「 三 国言 音説
」に 関す る先 行研 究と して 次の よう なも のが 挙げ られ る。
①小 川豊 生「 歌徳 論序 説」
(鹿 児島 女子 大学 研究 紀要13 巻1 号・1992
→
『中 世日 本の 神話
・文 学・ 身体
』森 話社
・2014
)
②同
「夢 想す る《 和語
》― 中世 の歴 史叙 述と 文字 の神 話学
」( 日本 文学
46
・1997
)
③同
「幻 像の 悉曇
―梵
・漢
・和 三国 言語 観を めぐ って
」( 国文 学45 巻10
号・2000
→前 掲著 書)
④同
「和 歌風 俗論 序説
―〈 和歌 は我 国の 風俗 なり
〉を 起点 に」
(平 安文 学論 究17 輯・2003
)
⑤同
「和 歌と 帝王
―述 懐論 序説 ある いは 抒情 の政 治学 へ向 けて
」( 和歌 をひ らく
・第 一巻
『和 歌の 力』 岩波 書店
・2005
)
⑥伊 藤聡
「梵
・漢
・和 語同 一観 の成 立基 盤」
(『 院政 期論 集第 一巻
』森 話 社・2001
→『 中世 天照 大神 信仰 の研 究』 法蔵 館・2011
)
⑦前 田雅 之「 和漢 と三 国― 古代
・中 世に おけ る世 界像 と日 本」
(日 本文 学52
・2003
⑧同
「日 本意 識の 表象
―日 本・ 我国 の風 俗・
「公
」秩 序」
(上 代文 学92 号・2004
→和 歌を ひら く・ 第一 巻『 和歌 の力
』岩 波書 店・2005
)
⑨岡 崎真 紀子
「「 和」 とい う思 想― 中世 古今 集注 釈の 視覚
」( 和歌 をひ ら く・ 第一 巻『 和歌 の力
』岩 波書 店・2005
→『 やま とこ とば 表現 論― 源 俊頼 へ』 笠間 書院
・2008
) 特に 伊藤 は慈 円以 前の 天台 教学 の安 然・ 明覚 の延 長線 上に 慈円 歌論 を 考え てい るの で、 併せ て参 照下 さい
。
(14
)天 台教 学の 要諦 であ る「 二諦 一如
」に つい ては
、「 煩悩 即菩 提」
(『 法華 玄義
』ほ か)
、「 住持 仏法 利益 国家
(仏 法即 王法
)」
(『 山家 学生 式』
)・
「仏 法王 法」
(『 毘盧 遮那 別行 経』 ほか
)に 比定 され てい るが
、慈 円は さら に
「和 歌即 仏道
」を 比定 する か。 これ につ いて は、 口頭 発表
「慈 円の
『二 諦一 如』 につ いて
」(2017
年6 月和 歌文 学会 例会
)。
(同 注5
)
(15
)「 和歌 陀羅 尼観
」に 関す る先 行研 究は 次の 通り
。
①阪 口玄 章『 思想 を中 心と した る中 世国 文学 の研 究』
(六 文館
・昭6
)
②筑 土鈴 寛「 佛教 より 見た る日 本的 様式 の考 察」
(『 国文 学と 日本 精神
』 至文
・昭11
→『 中世
・宗 教芸 文の 研究
(二
)』 せり か書 房・ 昭51
)
③中 川徳 之助
「和 歌陀 羅尼 の説
」( 国文 学攷20
号・ 昭33
)
④山 田昭 全・
「中 世後 期に おけ る和 歌陀 羅尼 観の 実践
」( 印度 仏教 学研 究
16
―1
・昭42
→『 釈教 歌の 展開
』( 全著 作集 第三 巻)
)
⑤同
「密 教と 和歌 文学
」( 密教 学研 究創 刊号
・昭44
→同 右著 書)
⑥菊 地良 一『
(古 代・ 中世
)日 本仏 教文 学論
』( 桜楓 社・ 昭51
)
⑦石 田瑞 麿「 和歌 陀羅 尼論 につ いて
」(
『弘 法大 師と 現代
』筑 摩書 房・ 昭
59
→『 日本 仏教 思想 研究
』法 蔵館
・昭62
)
⑧曽 根原 理「 神祇 灌頂 の神 楽歌
」( 文芸 研究135
集・ 平6
)
⑨小 川豊 生「 歌徳 論序 説」
(鹿 児島 女子 大学 研究 紀要1 号・ 昭4
→『 中世 日本 の神 話・ 文学
・身 体』 森話 社・ 平6
)
⑨菊 地仁
「和 歌陀 羅尼 攷」
(伝 承文 学研 究28 号・ 昭58
)
⑩佐 々木 孝浩
「人 麿の 信仰 と影 供」
(『 万葉 集の 諸問 題』 臨川 書店
・平9
) 他多 数。
⑪小 川豊 生「 和歌 風俗 論序 説〈 和歌 は我 国の 風俗 なり
〉を 起点 に」
(平 安文 学論 究17 輯・ 平15
→同
⑨著 書)
⑫鈴 木元
「歌
、遊 び、 秘伝
」( 伝承 文学 研究52
号・ 平14
→『 室町 連環
― 中世 日本 の「 知」 と空 間』 勉誠 出版
・平26
)
⑬伊 藤聡
「神 道の 形成 と中 世神 話」
(『 日本 思想 史講 座2
―中 世』 ぺり か ん社
・平22
→『 神道 の形 成と 中世 神話
』吉 川弘 文館
・平28
)
⑭荒 木浩
「『 沙石 集』 と〈 和歌 陀羅 尼〉 説に つい て― 文字 超越 と禅 宗の 衝撃
」(
『仏 教修 法と 文学 的表 現に 関す る文 献学 的考 察― 夢記
・伝 承・ 文学 の発 生』 科研 費成 果報 告書
→『 徒然 草へ の途
―中 世び との 心と こ とば
』勉 誠出 版・ 平28
) 右の 先行 研究 のほ とん どは 無住
『沙 石集
』か ら遡 及し て「 和歌 陀羅 尼 観」 を導 き出 すが
、山 田昭 全は
、「 慈円 は和 歌陀 羅尼 観を 有し てい たた めに 経典 を和 歌に 置き 換え るこ とが でき た」 とす る。 同時 に、
「慈 円は 和歌 即陀 羅尼 とい うこ とは どこ にも いっ てい ない
」と も言 う。 この 慈円
の和 歌観 と狂 言綺 語観 との 関係 につ いて は、 何れ も触 れて いな い。 なお
、⑦ 石田 論文 で「 和歌 陀羅 尼論
」と ある が、 歌論 研究 の分 野で 心 敬の
「宗 教と 歌道 との 心境 的統 合」 を理 想と する 和歌 陀羅 尼論 と紛 らわ しく 混同 の畏 れが ある ので
、「 和歌 陀羅 尼観
」と 言う べき だと 思わ れる
。
(16
)五 経の 一つ であ る『 春秋
』は
、昔 は孔 子の 作と 信じ られ てい た。