』 所 収 百 首 歌 の 序

10  Download (0)

Full text

(1)

慈円 家集

『拾 玉集

』に は数 多の 百首 歌が 収録 され

、そ の序

・跋 に彼 の歌 論が 展開 され てい るこ とは 言う まで もな い。 しか し、

『拾 玉集

は慈 円死 後約 百年 を経 て尊 円親 王類 聚に なる 他撰 家集 であ るの で、 そ の家 集内 の配 列は 区々 であ るの も事 実で ある

。多 くの 先行 研究 の中 に は、 個々 の百 首歌 の成 立を 確認 する こと なく

、そ れら の序

・跋 を引 用 し、 慈円 の「 歌論 なる もの

」を 構築 しよ うと して きた のも 事実 であ る。 しか し、 山田 昭全

・久 保田 淳ら が切 り拓 いた 研究 の成 果が 実を 結び

「法 楽」 の意 味も 徐々 に明 確に なっ てき たの で、 そろ そろ この 辺り で 個々 の百 首歌 序・ 跋を 時系 列に 並べ て俯 瞰し て見 るの も意 味が ある と 思わ れる

「法 楽」 に関 わり のな い百 首歌 の成 立経 緯を 述べ てい るも のを 除き

、 通し 番号 を付 すこ とに し、 法楽 とい う語 には

で囲 み、 神社 奉納 に 関す る事 項に は下 線、 狂言 綺語 観に は波 線、 二諦 一如 には 二重 傍線 な どを 付す こと にし たい

「法 楽」 につ いて は、 シン ポジ ウム

「『 法楽

』の 宗教 空閑

」の コー ディ ネー ター とし て、 最初 に趣 旨説 明を 行っ たが

、そ の後 コメ ンテ ー

石 川

慈円 家集

『拾 玉集

』所 収の 百首 歌に は、 その 序・ 跋に 彼独 自の 歌論 が展 開さ れて いる

。し かし

、そ の家 集が 他撰 であ るこ とに 拠り

、配 列が 区々 で ある

。多 くの 先行 研究 の中 には

、個 々の 百首 歌の 成立 を未 確認 のま まに 引 用さ れる こと があ り、 はな はだ 精確 を欠 いて いた

。稿 者は これ まで 詳細 な 成立 論を 確認 して きた ので

、よ うや く作 品全 体を 俯瞰 する こと が可 能と なっ たの であ る。 本稿 に先 立ち

、二

〇一 六年 一一 月名 古屋 大学 人類 文化 遺産 テク スト 学研 究セ ンタ ー公 開研 究集 会「

『法 楽』 の宗 教空 間」 で、 コー ディ ネー ター を 務め るに あた り、 慈円 の「 法楽

」に つい ての 趣旨 説明 を行 った

。本 稿は そ の説 明の ため に、 新た に検 証を 試み たも ので ある

キー ワー : 拾玉 集 百首 歌の 序・ 跋 狂言 綺語 観

「二 諦一 如」

平成29年9月11日受理 文学研究科国文学専攻 教授

(2)

ター を務 めた 深津 睦夫 がシ ンポ ジウ ムと は別 に纏 めた 論稿 に譲 るこ と にし たい

文治 四年

11 88

裳濯 百首 二見

・跋 依円 位聖 人勧 進文 治四 年詠 之、 為大 神宮 法楽 也 云々

、只 為結 縁也 神へ の和 歌奉 納を

「法 楽」 と明 示し た記 事だ が、 和歌 をも って 神へ の法 楽と した 歌人 は西 行で あっ た。 西行 が伊 勢神 宮に 奉納 した 二つ の 自歌 合は 法楽 和歌 の典 型と みな され るが

、「 法楽

」と いう 語は 用い て いな い。 とも あれ

、自 歌合 を奉 納し た西 行の 行為 を「 法楽

」と 明示 し

たの は慈 円で あっ た。 建久

三年

11 92

吉百 首・ ( 秋日 詣住 吉社 詠百 首和 歌) 建久 三年 涼秋 九月 占空 閑之 山寺 披清 浄之 道場 半行 半

座之 勤如 説修 之、 無二 無三 之教 如法 書之

、則 捧持 二 部妙 典遥 往詣 四天 王寺

、於 彼霊 地忽 経再 宿、 然間 或 備十 箇種 之供 養或 唱一 昼夜 之念 仏、 翌日 之朝 庭露 之 余即 詣上 宮太 子之 古墳

、深 凝下 化衆 生之 懇地

、次 過 難波 之海 浦到 住吉 之社 壇報 賽已 了、 瞻望 忽催 于時 雲 海眇 茫嵐 日蕭 索不 堪感 情聊 述 蓄懐 短略

、未 過一 日和 言已 満百 首、 其詞 雖区 悉置 住吉 之詞 其心 雖浅 又顕 滅 罪之 心丹 誠無 二玄 応豈 空抑 退憶 古今 未聞 蹤跡

、仍 雖

恐藻 思之 拙窃 納叢 祠之 中、 古松 若有 情言 葉定 無朽 者 歟

我立 杣門 人三 部伝 法阿 闍梨 某記 之 この 記事 は注 目さ れて 来な かっ たも のだ が、 如法 経二 部捧 持し て四 天王 寺に 往詣 した 翌日 に太 子の 古墳 に参 詣。 その 後に 住吉 社に

「報 賽」

(恩 に報 いる ため に財 物を 奉る こと

)を 為し

、そ の感 懐を 百首 歌に 詠 出。

「滅 罪」

(懺 悔・ 念仏

・陀 羅尼 など によ って 罪を 滅す るこ と) の心 を顕 して いる

。住 吉社 に献 じた 和歌 が経 典に 置き 換え られ ると した の は注 目し たい

。 建久

五年

11 94

北百 番歌 合・ ( 百番 歌合

) 夫和 歌者 非鼓 舷鼓 棹之 歌非 採薪 採芝 之歌

、只 遊心 於 四序 放思 於万 里之 業也

、而 今南 海有 一漁 夫北 山有 一 樵客 居雖 隔山 海契 猶蹄 芝蘭

、因 茲随 分綴 百番 之篇 什 其終 得一 首之 贈答

、左 依松 嶺竹 渓之 寂抽 以意 根之 森 然、 是則 内仰 住吉 之霊 睠外 慣人 丸之 遺塵 之故 也、 若 有披 聞之 客宜 決優 劣之 詞而 已 建久 五年 仲秋 記之 おそ らく 良経 に拠 る跋 と思 われ るが

、本 百番 歌合 を「 住吉 之霊 睠・

人丸 之遺 塵」 とし てい るこ とは 重要 であ る。 内に は住 吉社 の霊 睠を 仰 ぎ、 外に は人 丸の 遺塵 に慣 ると は、 和歌 の神 とし ての 住吉 社の 霊験 に 縋り つつ

、歌 聖人 麿の 足跡 に熟 練す るこ とを 祈願 する こと

。「 人麿 影供

(3)

に繋 がる もの とし て評 価で きる

。 承元

三年

12 09

離欣 求百 首・ 承元 三年 十月 十四 日明 月心 澄頓 右禿 筆詠 廿八 首経 一 宿了

、翌 日十 五日 之朝 念仏 之終 詠七 十二 首全 満百 歌 訖、 楚忽 者寔 聊爾 数日 之案 惟同 者也

「厭 離穢 土・ 欣求 浄土

」と いう 仏教 の要 諦を 詠じ た百 首歌 であ る。 こ れに つい ては 別稿 に譲 る。

建暦 二年

12 12

秘贈 答百 首和 歌・ 以上 百首 大略 併詠 改了

、乍 百首 入撰 集之 程計 とて 奉 納神 居畢

、具 有別 草

⑥書 陵部 蔵『 慈円 百首

』(

15 0 36 3

↓ 建暦 二年

12 12

壬申 秋九 月草 之→ 同三 年待 三春 記一 篇而 已

吉百 首・ ( 内題 校本

×・ 詠百 首倭 歌×

・「 法楽 日 吉社 無題

」×

) 述顕 之一 往再 往心 詠密 之浅 略深 秘旨 和歌 百首 慮法 楽 之日 吉覚 二世 於一 時而 已( 校本

) 顕之 一往 再往 蜜之 浅略 深秘 風吟 詠百 首和 歌清 書以 法楽 十禅 師宮 和歌 今有 二世 之深 意梵 風自 納受 之神 慮

者歟

吉百 首・ 片山 寺に 籠居 ては たゞ 二諦 の道 理よ り外 に思 つゞ く る事 もな し、 其道 理を 歌に よま むと 思け るな るべ し、 さて しも 又か やう なれ ばい まだ 日吉 に百 首な どよ み

て奉 る事 のな かり けれ ばに や、 三度 治山 寄心 於山 王、 数年 興教 容身 於教 門、 今生 知縁 深来 世能 引導

、于 時 建暦 三年 癸酉 待三 春記 一篇 而已

老僧 記( 校本

) 上記

⑦「 日吉 百首

」が

⑤⑥ の段 階を 経て 吸収 進展 して ゆく 過程 を考 察し たこ とが ある が、 建暦 二年

12 12

正月 一六 日、 三度 目の 天台 座主 就

任の 後に 詠ま れた

⑤「 略秘

(浅 略深 秘) 贈答 百首 和歌

」跋 に「 奉納 神 居畢

」、 つま り日 吉社 宝殿 に奉 納し たこ とが 記さ れて いる

。し かも

⑦ に拠 って

「法 楽十 禅師 宮」 と分 かり

、特 に慈 円は 日吉 七社 のう ち十 禅 師宮 を尊 崇し てい る。 また

⑧の よう に、

「二 諦( 二諦 一如

)の 道理

」ば かり 思い 続け

、そ の道 理を 歌に 詠じ たと いう 記述 は重 要で ある

。『 華頂 要略 門主 伝』 承 元元 年

12 07

に拠 れば

、「 門葉 記( 尊円 親王 御記

)裏 書云

。和 尚御 自筆 記 云。 五十 三歳 移住 西山 籠居 首尾 五年 中三 年也

」と いう 西山 隠棲 中で の

「二 諦の 道理

」で ある こと に注 意し たい

。 建保

二、 三年

12 14

12 15

佐州 百首

・序

(内 題×

(4)

前佐 渡守 親康 有下 向鎮 西事

、彼 男随 分歌 人也

、仍 為 遣旅 泊徒 然詠 百首 賜也 聞白 衣之 旅行 述染 衣之 早懐

、贈 拙歌 於眇 茫待 秀歌 於 海路

、願 以此 百首 一巻 之狂 言、 翻為 彼斗 薮再 会之 善

縁而 已

西峯 老僧

右の

『送 佐州 百首

』は 法楽 百首 群に は入 らな いが

、鎮 西に 下向 する 前佐 渡守 親康 に百 首を 贈る

。和 歌( 狂言 綺語

)を 以て 翻て

「再 会之 善 縁」 と為 すと いう

。「 狂言 綺語 観」 の発 露と 言え る。

*「 諸社 法楽 百首 群」

(建 保六 年

12 18

~承 久三 年

12 21

) 慈円 の自 省期 にお ける 百首 群で ある が、 徐々 に形 を為 して きた 後鳥 羽院 の反 鎌倉 への 策謀 を牽 制す る意 味で

、諸 社に 百首 歌を 奉納 する

。 九条 頼経 と懐 成親 王( 後の 仲恭 天皇

)は 共に 九条 家ゆ かり の人 物で あっ た。 詠歌 時期 につ いて は、 跋に 記さ れた 年次 や競 合す る他 歌人 の百 首 歌に 付さ れた 年次 など に拠 って 判明 する もの が多 いが

、⑱ 賀茂 百首 以

降は 不詳

。 建保

六年

12 18

⑩文 集百 首( 北野 社)

・跋

(詠 百首 和歌

) 楽天 者文 殊之 化身 也、 当和 彼漢 字、 和歌 者神 国之 風

俗也

、須 述此 早懐

、因 茲忽 翫百 句之 玉章

、憖 綴百 首

之篇 什、 法楽 是北 野之 社、 祈願 彼南 無之 誠、 定翻 今

生世 俗文 字之 業、 為当 来讃 仏法 輪之 縁者 歟

北野 天満 宮法 楽の 本百 首と 白氏 文集 との 結び 付き は、 祭神 菅原 道真 の漢 詩に 関す る事 跡な どか ら容 易に 理解 出来 るが

、文 集の 詩句 を題 と する 事に つい ては 本跋 文に

「楽 天者 文殊 之化 身也

、当 和彼 漢字

、和 歌 者神 国之 風俗 也、 須述 此早 懐」 と表 出し てい る。 白楽 天を 文殊 の化 身 とす る事 は『 今鏡

』『 十訓 抄』 に既 に見 ら

、当 時の 文化 思潮 を反 映 して いる が、 その 漢字

(漢 詩) に和 すの に和 歌( 神国 の風 俗) を以 て 早懐 を述 べん とす る。 なお

「狂 言綺 語観

」に 関す る文 言が 存す るの は、 白楽 天と の関 係か ら自 明の こと だろ う。 建保

七年

12 19

波百 首( 四天 王寺

「聖 霊院

」)

・序 花洛 道遠

、清 書不 輒之 間、 帰路 以前 依閙 事、 立歌 次 第頗 似雑 乱、 唯以 真俗 為一 双云 々、 真諦 五十 首俗 諦 五十 首、 如此 令載 之哉

、歌 次第 殊可 有所 存哉

、但 亦 惣以 無四 度計 之条 一之 姿也

、如 存入 其壺 立次 第之 時、 還催 悪気 歟、 神妙 云々

、若 有見 人可 知其 意哉

、中 書 之間 頗有 吉瑞

、可 謂不 可説 也、 聊以 奥記 之 孟春 之候 暮齢 之身 参詣 難波 大寺

、綴 二諦 於百 首、 啓真 俗於 聖徳 和歌

金剛 仏子 慈円

百首

・跋 やま と歌 のな らひ は、 題を こは く取 りつ れば

、そ の 姿を 得ま じき さま なれ ど、 慈覚 大師 も二 諦を こそ は

10

(5)

悟り 給へ れば と思 て、 大師 の御 本意 の歌 もた ゞ仏 法 の縁 のみ なれ ば、 此世 の地 体に 受け たる 凡俗 のか た も、 底は みな 一な れば と思 寄り ける に、 猶歌 のか た も捨 てじ とて

、な びや かな る四 季の 古事 など 少々 さ し寄 せ侍 れば

、ま た二 諦の 心弁 へが たし

、し かは あ れど

、心 をや りた る事 は歌 のな らひ なれ ば、 思な が らに 誠の 道に も入 れか しと て、 わづ かに 吉野 の花

、 秋の 夜の 月な ど、 何方 にも ちり 〴〵 に光 やさ すと か じろ へて 侍ど

、又 その 匂ひ もな けれ ば、 取る 方も 侍 らぬ にな ん、 たゞ 志の ゆく に任 て、 太子 の御 憐れ み を仰 ぐば かり にや

、こ れも たゞ すゞ ろに 思立 つに は 侍ら ぬな るべ し、 いつ ぞや 三首 を詠 みて 奉れ りし を、 太子 の后 もろ とも に納 受あ るさ まな る夢 を告 ぐる 人 侍れ ば、 吾国 の風 俗こ とわ りに もや とて

、正 月一 日 は縁 ある 日な れば

、其 日よ り四 日ま でに 詠み はて ゝ、 百歌 一巻 を書 きて 奉り 給へ と、 中宮 大夫 の家 に誂 へ 申侍 る也 同正 月五 日聖 霊院 内殿 にま ゐら せお き侍 ぬ 建保 七年 正月 九日 依如 此御 命下 筆畢 権大 納言 兼中 宮大 夫藤 原教 家

(中 略) 皇子 降誕

、而 今春 宮に と書 生は 謬之 由存 之 歟、 為太 子加 護之 令現 吉瑞 給也

、是 已真 俗二 諦和 合

之令 然也 当該 百首 の内 題・ 跋な どに 拠れ ば、 正月 明け

(孟 春之 候) に暮 齢之 身( 六五 歳) で難 波大 寺( 聖徳 太子 建立 の四 天王 寺) に参 詣。

「二 諦 の道 理」 に基 づい た百 首歌 と同 時に 詠じ た歌 中に 太子 の加 護に よる 吉 を得 たと いう

。前 年誕 生の 懐成 親王 の立 坊と いう とこ ろに

、九 条家 出身 慈円 の喜 びが 集中 して いる

。 内題 下の

「金 剛仏 子」 とい う署 名は

、密 教の 灌頂 を受 けた 者の 意で

、 五大 院安 以降 の「 二諦 一如

」を 継承 する とい う自 負に 溢れ てい る。 承久

元年

12 19

幡百 首( 石清 水八 幡宮

)・ ( 詠百 首和 歌

) 吾大 菩薩 者釈 尊弥 陀一 如之 和光

、神 宮八 幡同 体之 本 源也

、以 和語 和経 文、 以信 心信 尊神

、如 在之 礼賛

、 法而 満足 本有 之法 楽、 爰而 奉行 大神 之擁 護、 道理 勿 違于 道、 小量 之懇 念求 願、 莫背 于願

、於 戯法 花百 句 之要 文、 詞花 十之 風月

、今 以麁 言深 転法 輪、 雖似 狂

言又 通実 道、 故妙 経二 十八 品之 内、 取百 句為 百題

、 其詞 云

幡宮 法楽 二十 首・ 以暮 秋初 冬之 候、 入二 諦一 如之 観、 忽詠 四五 之拙 歌、 法楽 三所 之権 現、 利他 而思

、観 自而 念、 朝市 之春 花、 勿萎 于鳳 闕仙 洞、 都鄙 之秋 風、 莫攬 於仏 法王 法、 依

11

12

(6)

此倭 国之 風俗

、欲 彰浄 土之 月輪 矣

・跋 承久 元年 十月 朔之 比為 八幡 宮法 楽詠 之

⑩『 文集 百首

』跋 と同 様に

、和 歌を 以て 大陸 渡来 の物 に和 すと いう 行為 は、 本百 首に も見 られ る。 序に 拠れ ば、 祭神 八幡 大菩 薩が 釈尊 の 生ま れ代 わり

(本 地垂 迹) とし

、さ らに その 八幡 は伊 勢神 宮と 同躰 の 皇祖 神で ある とす る。 だか ら、 釈尊 の言 葉( 法華 経) に和 すの に和 語

(和 歌。 神国 の風 俗) を以 てす ると 展開

。日 本の 尊厳 に対 する 信念 も 認め られ るが

、⑯ 四季 題百 首・ 序に いう

「三 国言 音説

」の 先駆 けで あ る。 また

「和 歌は 狂言 に似 たり と雖 も、 また 実道 に通 じた り」 とは 狂 言綺 語観 の謂 では ない のか

。 承久

二年

12 20

季題 百首

(伊 勢内 宮)

・序

(詠 百首 倭歌

廿

) 劫初 在梵 王劫 末属 釈尊

、漢 家者 孔子

、我 朝者 神宮

、 三国 之言 音雖 異片 州之 和字 摂他 者歟

、道 理之 一揆 在 中心 始終 之一 念釐 下愚

、忝 受一 諾神 之苗 裔、 懇彰 百 首心 於風 情而 已

百首

・跋 此大 和の 国は 天照 御神 の御 国な れば

、仰 ぎ奉 るべ き 理極 まれ り、 又歌 とい ひて 卅一 字の こと ぐさ 出き た るは

、此 国の こと ば也

、是 にて 万の 事を 言ひ あら は

して

、昔 今の こと わざ とせ り、 春秋 の花 と月 と、 夏

冬の 雨と 雪と

、め ぐり 行空 の気 色、 廻り きた る野 辺 の色

、或 は深 き哀 れを 催す たよ りな り、 或は 浅き 真 を契 れる なか だち なれ ば、 これ に寄 せて 道の 理を 現 し、 是を なが めて 神仏 の恵 を計 るな るべ し。 され ば 伝教 大師 は、 我立 杣に 冥加 を祈 り、 慈覚 大師 は、 月 日の 過ぐ るに て老 を知 らせ 給へ り、 より て、 折々 此 こと わざ を仕 うま つれ りし を、 勅撰 の集 に度 々撰 び 入れ られ たれ ば、 海山 の情 をも

、峰 谷の あは れを も、 又春 の花 秋の もみ ぢ葉

、散 るに つけ て心 を動 かし

、 空の 月山 のあ らし は、 夏の すみ か冬 の閨 まで も、 人 の少 なき 心を 催す 方多 けれ ば、 思を 是に 寄せ て、 心 ざし を御 神に 手向 たて まつ るに なん

、願 はく は此 浅

き狂 言綺 語に て、 深き 讃仏 乗転 法輪 の道 へ返 し入 れ

給へ とな り

本百 首・ 序に

「劫 初に 梵王 在り

、劫 末は 釈尊 に属 した り、 漢家 者孔 子、 我朝 者神 宮、 三国 の言 音異 なる と雖 も、 片州 の和 字他 を摂 むる か」 とあ るよ うに

、和 字が 天竺

・中 国の 文字 を摂 むる とい う「 三国 言音

」 どこ ろか

、む しろ

「和 語優 先説

」と 言う べき 理念 を述 べて いる

。 なお 本百 首・ 跋に は、 末尾 に「 狂言 綺語 観」 に関 する 決ま り文 句が 付加 され てい るが

、そ れは

「和 歌( 我国 のこ とば

・こ とわ ざ) に寄 せ て道 の理 を現 し、 神仏 の恵 を計 るな るべ し」 とい う「 二諦 一如

(和

歌 説13

(7)

即仏

)」 に拠 って 置換 出来 得る こと を示 して いる

。 以下

、詠 歌年 次不 詳

茂百 首( 賀茂 社)

・序

(詠 百首 和歌

) 賀茂 大明 神者 本地 難測

、観 真俗 之道 理於 心、 垂迹 惟 新、 訪利 生之 神感 於冥

、和 歌者 我朝 之風 俗也

、吟 詠

者雅 意之 所作 也、 今染 二諦 之色 於意 識、 忽著 三業 之 悟於 法楽

、狂 言又 狂言

、此 声是 観音 実語 亦実 語、 此 思者 又神 慮、 如此 之卑 懐、 豈背 于聖 意、 故爾 云 本百 首・ 序に

「今 二諦 の色 を意 識に 染め

、忽 ちに 三業 の悟 を法 楽に 著し たり

、狂 言ま た狂 言、 此声 是観 音の 実語 また 実語 たり

」と 述べ て いる

。こ れは

⑬八 幡百 首・ 序の

「今 麁言 を以 て深 く法 輪に 転じ

、狂 言 に似 たり と雖 も、 また 実語 に通 ず」 とい う文 言と 同意 であ る。 和歌 を「 観音 の実 語」 と看 做す 文言 は、 無住

『沙 石集

』か ら遡 及し た「 和歌 陀羅 尼観

」の 先蹤 と捉 える 向き があ るが

、ど うだ ろう

日百 首( 春日 社)

・序

(内 題×

) 夫当 社者 得名 於春 日末 代之 天、 悲光 於秋 心濁 世之 月、 和歌 者是 神国 之風 俗也

、有 便于 法楽

、愚 短者 亦人 間

之吹 虚也

、無 恐于 披陳

、歴 四序 号成 意、 尽一 心号 述 懐、 若感 応道 交者 蓋納 受露 胆哉

、其 詞云 花 夏月 鹿 落葉 法文

14

15

春 夏 秋 冬 雑 以上 各十 首百 首也

日百 首草

(春 日社

)・ 夫天 照大 神者 王神 也、 春日 明神 者臣 神也

、若 御約 諾 曰同 侍殿 内能 為防 護云 々、 爰大 織冠 誅入 鹿反 逆為 天 智天 皇忠 臣以 降王 臣魚 水之 礼于 今未 絶、 陰陽 合体 之 義内 外猶 存、 因茲 思大 明神 之神 慮在 仏法 亦王 法之 利 益、 其利 生道 不可 限他

、唯 以普 遍可 為神 慮哉

、今 似 守一 家護 一宗 覃他 家渉 他宗 者歟

、是 以取 題目 於真 俗 号風 吟或 五常 或十 如待 法楽 於神 感号 沈思 若神 社若 仏 寺短 慮惟 狭深 通志 於神 慮之 莫大 威光 誠広 将遂 願於 仏 法之 興隆

、此 態在 諸社 皆又 満百 首、 和歌 者吾 国之 詩

譜也

、雖 集仲 尼之 春秋 言音 者庶 人之 素意 也、 何忘 下

愚之 風情 哉、 抑亦 入覚 悟於 神感 是則 貯道 限於 已心 之 故也

、小 僧出 家尚 在家 明神 守氏 已在 氏深 心納 胸神

、 必照 見

藤原 氏神 の春 日明 神法 楽の 上記 二種 の百 首歌 は、

「神 国の 風俗

」「 吾 国の 詩譜

」と 述べ た上 で、

「二 諦一 如」

(仏 法即 王法

)と 展開 する

。「 同 侍殿 内、 能為 防護

」と 二神 約諾 を引 用し つつ

、儒 教の 教え

「五 常」 と 法華 経・ 方便 品「 十如

(是

)」 を引 き合 いに 出す

。摂 籙出 身の 慈円 に とっ て、 王法 とは 自ら の九 条家 と同 意味 であ るよ うだ

。し かし

、仲 尼

(孔 子) は『 春秋

』を 著し た

、そ の言 音は 庶人 の素 意と した とこ ろ

16

(8)

に慈 円の 真意 が認 めら れる

。そ の『 春秋

』と 同じ く、 春日 社法 楽百 首 があ ると いう

。 以上

、慈 円百 首歌 の序

・跋 に見 る「 歌論

」を 検討 する と、

「狂 言綺 語観

」と

「和 歌陀 羅尼 観」 との 混在 が見 受け られ る。 しか し、 それ は

「狂 言綺 語観

」を 天台 教学 にい う「 二諦 一如

」( 煩悩 即菩 提・ 仏法 即 王法

)と いう 視点 で言 い換 えた に過 ぎな いの では ない か。 慈円 の「 和 歌即 仏道

」( 第五 帖所 載散 文) とい う信 念は まだ まだ 狂言 綺語 観の 範 囲を 大き く超 える もの では なか った ので はな いだ ろう か。 注

(1

)名 古屋 大学 人類 文化 遺産 テク スト 学研 究セ ンタ ー公 開研 究集 会「

『法 楽』 の宗 教空 閑」

(2016

・11 月)

。こ の成 果は 追っ て刊 行さ れよ う。

(2

)深 津睦 夫「

『法 楽和 歌』 の成 立と 展開

」( 名古 屋大 学国 語国 文学109

・平

28

・11 月)

。問 題意 識が 重複 する だけ でな く、

「法 楽和 歌」 成立 経緯 が纏 めら れて いる ので

、そ れを 参照 され たい

(3

)山 田昭 全執 筆『 和歌 大辞 典』 およ び「 密教 と和 歌文 学」

(密 教学 研究 創 刊号

・昭44

→「 和歌 陀羅 尼観 の展 開」 山田 昭全 著作 集第3 巻『 釈教 歌の 展開

』お うふ う・ 平24

(4

)拙 稿「 藤原 良経 の文 事に 関す る考 察

―『 南海 漁夫 北山 樵客 百番 歌合

』 序・ 跋の 検討

」(

『ア ジア 遊学

』別 冊2 号・ 平15

→『 慈円 法楽 和歌 論考

』 勉誠 出版

・2015

(5

)口 頭発 表「 慈円 の『 二諦 一如

』に つい て」

(2017 年6 月和 歌文 学会 例会

)。 拙稿

「慈 円『 二諦 一如

』論

」は 未発 表。

(6

)拙 稿「 慈円 と日 吉山 王権 現関 連歌

―自 歌合

・法 楽百 首を 中心 に」

(『 叡 山の 和歌 と説 話』 世界 思想 社・ 平3

→『 慈円 和歌 論考

』笠 間書 院・ 平10

) なお

「浅 略深 秘」 につ いて は、

「愚 者信 浅略 之義

。何 況覚 者悟 深秘 之旨 哉。 先生 此国 之後

。可 傳入 寂光 海會 也。 故浅 略権 実之 教。 乃至 真言 秘密 修行

。入 浄土 門之 時。 必令 勤進 此浄 土也

。内 証之 徳致 外用 之信

」(

『毘 逝 別( 下)

』な ど。

(7

)山 本一

「慈 円の 所謂

『歌 論』 の成 立と 西山 隠棲

」( 国語 国文51 巻7 号・

1972

→『 慈円 の和 歌と 思想

』和 泉書 院・

)・ 同「 承元 期の 慈円

―隠 遁 と和 歌」

(金 沢大 学給 育学 部紀 要・ 人文 社会 編85 号・1986

→前 掲著 書) 参照

。た だし

、歌 論に つい ては 異論 あり

(8

)狂 言綺 語観 につ いて は詳 述し ない

。数 多の 先行 研究 があ るが

、煩 瑣な 手 続を 避け るた めに

、比 較的 最近 の動 向を 示す に留 めた い。 三角 洋一

「い わゆ る狂 言綺 語観 につ いて

」( 和漢 比較 文学 叢書

『新 古 今集 と漢 文学

』汲 古書 院・1992

→『 源氏 物語 と天 台浄 土教

』若 草書 房・

1996

) 渡部 泰明

「狂 言綺 語観 をめ ぐっ て」

(『 中世 和歌 の生 成』 若草 書房

・1999

(9

)⑩ 佐藤 恒雄

「建 保六 年『 文集 百首

』の 成立

」( 中世 文学 研究 創刊 号・ 昭

50

拙 ) 稿「 慈円

『文 集百 首』 考」

(和 漢比 較文 学叢 書『 新古 今集 と漢 文学

』 汲古 書院

・平4

⑪拙 稿「 慈円

『難 波百 首』 考」

(徳 島文 理大 学文 学論 叢3 号・ 昭61

) 山本 一「

『難 波百 首』 と慈 円の 和歌 観

―中 世的 和歌 観の 一様 相」

(金 沢大 学教 育学 部紀 要・ 人文 科学 社会 科学 編36

・1987

→前 掲著 書)

⑬拙 稿「 慈円 と法 華経 廿八 品歌

―法 華要 文百 首に つい て」

(徳 島文 理 大学 文学 論叢

創刊 号・ 昭59

⑯拙 稿「 慈円

『四 季題 百首

』考

」( 中世 文学 研究11

号・ 昭60

(9)

(10

)『 今鏡

』巻 一〇 打聞

「作 り物 語の 行方

」・

『十 訓抄

』第 七可 専思 慮事

「小 序」 参照

(11

)す べら ぎの 千と せを まつ の春 の色 にあ ゐよ りも こく そむ 心か な( 二八 五 六) 第三 句「 春の 色に

」を

「春 の宮 に」 との 書改 めら れた 吉事 のこ と。

「春 宮」 とい う誤 写を 太子 の加 護と 看做 す。 なお

、慈 円は 本百 首冒 頭歌

「南 無帰 命敬 礼救 世観 世音 かゝ る契 はあ ら じと ぞお もふ

」( 二七 五一

)に も、

『愚 管抄

』巻 三「 観音 ノ化 身聖 徳太 子」 にも

、『 法華 別帖

』「 依之 先日 本国 聖徳 太子 救世 観音 也( 如意 輪)

」に も、

『四 帖秘 決』 三「 金輪 聖主 ノ御 本尊 ノ観 音ニ ハ如 意輪 尤相 當レ リ。 熾盛 光法 ノ法 ノ八 大菩 薩ノ 中ノ 観音 も如 意輪 也。 聖徳 太子 も如 意輪 観音 也」 など にも

、聖 徳太 子は 救世 観世 音菩 薩( 如意 輪観 音) の化 身と 述べ てい る。

(12

)安 然は 平安 時代 前期 の天 台僧

。初 め慈 覚大 師円 仁に つき

、円 仁死 後は 遍 照に 師事 し顕 密二 教の 他に 戒・ 悉曇 を学 んだ

。晩 年に 叡山 に五 大院 を創 設し 天台 教学

・密 教教 学に 専念 し、 台密 を大 成し た。 橋本 進吉

『安 然和 尚事 蹟考

』( 著作 集12 巻・ 岩波 書店

・昭47

)・ 末木 文美 士『 平安 初期 仏教 思想 の研 究

―安 然の 思想 形成 を中 心と して

』春 秋社

・1995

)参 照。

(13

)「 三国 言音 説」 は日 本を 相対 化す るた めに

、天 竺・ 唐土 に伍 し得 るこ と

(あ るい は、 それ より も優 先す るこ と) を主 眼と する もの であ る。 同時 に、 和歌 を「 我国

(神 国) の風 俗」 との 表明 も併 せて 見受 けら れる

。「 三 国言 音説

」に 関す る先 行研 究と して 次の よう なも のが 挙げ られ る。

①小 川豊 生「 歌徳 論序 説」

(鹿 児島 女子 大学 研究 紀要13 巻1 号・1992

『中 世日 本の 神話

・文 学・ 身体

』森 話社

・2014

②同

「夢 想す る《 和語

》― 中世 の歴 史叙 述と 文字 の神 話学

」( 日本 文学

46

・1997

③同

「幻 像の 悉曇

―梵

・漢

・和 三国 言語 観を めぐ って

」( 国文 学45 巻10

号・2000

→前 掲著 書)

④同

「和 歌風 俗論 序説

―〈 和歌 は我 国の 風俗 なり

〉を 起点 に」

(平 安文 学論 究17 輯・2003

⑤同

「和 歌と 帝王

―述 懐論 序説 ある いは 抒情 の政 治学 へ向 けて

」( 和歌 をひ らく

・第 一巻

『和 歌の 力』 岩波 書店

・2005

⑥伊 藤聡

「梵

・漢

・和 語同 一観 の成 立基 盤」

(『 院政 期論 集第 一巻

』森 話 社・2001

→『 中世 天照 大神 信仰 の研 究』 法蔵 館・2011

⑦前 田雅 之「 和漢 と三 国― 古代

・中 世に おけ る世 界像 と日 本」

(日 本文 学52

・2003

⑧同

「日 本意 識の 表象

―日 本・ 我国 の風 俗・

「公

」秩 序」

(上 代文 学92 号・2004

→和 歌を ひら く・ 第一 巻『 和歌 の力

』岩 波書 店・2005

⑨岡 崎真 紀子

「「 和」 とい う思 想― 中世 古今 集注 釈の 視覚

」( 和歌 をひ ら く・ 第一 巻『 和歌 の力

』岩 波書 店・2005

→『 やま とこ とば 表現 論― 源 俊頼 へ』 笠間 書院

・2008

) 特に 伊藤 は慈 円以 前の 天台 教学 の安 然・ 明覚 の延 長線 上に 慈円 歌論 を 考え てい るの で、 併せ て参 照下 さい

(14

)天 台教 学の 要諦 であ る「 二諦 一如

」に つい ては

、「 煩悩 即菩 提」

(『 法華 玄義

』ほ か)

、「 住持 仏法 利益 国家

(仏 法即 王法

)」

(『 山家 学生 式』

)・

「仏 法王 法」

(『 毘盧 遮那 別行 経』 ほか

)に 比定 され てい るが

、慈 円は さら に

「和 歌即 仏道

」を 比定 する か。 これ につ いて は、 口頭 発表

「慈 円の

『二 諦一 如』 につ いて

」(2017

年6 月和 歌文 学会 例会

)。

(同 注5

(15

)「 和歌 陀羅 尼観

」に 関す る先 行研 究は 次の 通り

①阪 口玄 章『 思想 を中 心と した る中 世国 文学 の研 究』

(六 文館

・昭6

②筑 土鈴 寛「 佛教 より 見た る日 本的 様式 の考 察」

(『 国文 学と 日本 精神

』 至文

・昭11

→『 中世

・宗 教芸 文の 研究

(二

)』 せり か書 房・ 昭51

③中 川徳 之助

「和 歌陀 羅尼 の説

」( 国文 学攷20

号・ 昭33

(10)

④山 田昭 全・

「中 世後 期に おけ る和 歌陀 羅尼 観の 実践

」( 印度 仏教 学研 究

16

―1

・昭42

→『 釈教 歌の 展開

』( 全著 作集 第三 巻)

⑤同

「密 教と 和歌 文学

」( 密教 学研 究創 刊号

・昭44

→同 右著 書)

⑥菊 地良 一『

(古 代・ 中世

)日 本仏 教文 学論

』( 桜楓 社・ 昭51

⑦石 田瑞 麿「 和歌 陀羅 尼論 につ いて

」(

『弘 法大 師と 現代

』筑 摩書 房・ 昭

59

→『 日本 仏教 思想 研究

』法 蔵館

・昭62

⑧曽 根原 理「 神祇 灌頂 の神 楽歌

」( 文芸 研究135

集・ 平6

⑨小 川豊 生「 歌徳 論序 説」

(鹿 児島 女子 大学 研究 紀要1 号・ 昭4

→『 中世 日本 の神 話・ 文学

・身 体』 森話 社・ 平6

⑨菊 地仁

「和 歌陀 羅尼 攷」

(伝 承文 学研 究28 号・ 昭58

⑩佐 々木 孝浩

「人 麿の 信仰 と影 供」

(『 万葉 集の 諸問 題』 臨川 書店

・平9

) 他多 数。

⑪小 川豊 生「 和歌 風俗 論序 説〈 和歌 は我 国の 風俗 なり

〉を 起点 に」

(平 安文 学論 究17 輯・ 平15

→同

⑨著 書)

⑫鈴 木元

「歌

、遊 び、 秘伝

」( 伝承 文学 研究52

号・ 平14

→『 室町 連環

― 中世 日本 の「 知」 と空 間』 勉誠 出版

・平26

⑬伊 藤聡

「神 道の 形成 と中 世神 話」

(『 日本 思想 史講 座2

―中 世』 ぺり か ん社

・平22

→『 神道 の形 成と 中世 神話

』吉 川弘 文館

・平28

⑭荒 木浩

「『 沙石 集』 と〈 和歌 陀羅 尼〉 説に つい て― 文字 超越 と禅 宗の 衝撃

」(

『仏 教修 法と 文学 的表 現に 関す る文 献学 的考 察― 夢記

・伝 承・ 文学 の発 生』 科研 費成 果報 告書

→『 徒然 草へ の途

―中 世び との 心と こ とば

』勉 誠出 版・ 平28

) 右の 先行 研究 のほ とん どは 無住

『沙 石集

』か ら遡 及し て「 和歌 陀羅 尼 観」 を導 き出 すが

、山 田昭 全は

、「 慈円 は和 歌陀 羅尼 観を 有し てい たた めに 経典 を和 歌に 置き 換え るこ とが でき た」 とす る。 同時 に、

「慈 円は 和歌 即陀 羅尼 とい うこ とは どこ にも いっ てい ない

」と も言 う。 この 慈円

の和 歌観 と狂 言綺 語観 との 関係 につ いて は、 何れ も触 れて いな い。 なお

、⑦ 石田 論文 で「 和歌 陀羅 尼論

」と ある が、 歌論 研究 の分 野で 心 敬の

「宗 教と 歌道 との 心境 的統 合」 を理 想と する 和歌 陀羅 尼論 と紛 らわ しく 混同 の畏 れが ある ので

、「 和歌 陀羅 尼観

」と 言う べき だと 思わ れる

(16

)五 経の 一つ であ る『 春秋

』は

、昔 は孔 子の 作と 信じ られ てい た。

Figure

Updating...

References

Related subjects :