物語を読めば︑弥三郎には酒呑童子の姿が重なる構造となる︒
そして︑酒呑童子には弥三郎の姿が重なるという相関関係にあ
るといえよう︒A⑴類の物語は酒呑童子が伊吹大明神の如き荒
ぶる神となる物語︑A⑵類は父である弥三郎の如き存在となる
物語とまとめられる︒
はじめに
源頼光の妖怪退治譚のひとつに酒呑童子退治譚がある︒この
物語は近世を中心に流布し︑舞台となる土地から大江山系と伊
吹山系の二系統に分類され
1
る︒このような流布状況が影響して
か︑室町後期から江戸初期にかけて︑酒呑童子に関する新たな
物語﹃伊吹童子﹄が成立する︒この物語は酒呑童子の故郷を伊
吹山︑暴虐を働く地を大江山に設定し︑酒呑童子が伊吹山から
大江山に至るまでの過程を描くものである︒﹃伊吹童子﹄の諸
伝本は松本隆信氏によって︑以下のようにA類とB類の二系統
に大別され
2
る︒ キーワード伊吹童子・酒呑童子・弥三郎・伊吹大明神
要 旨
本稿は室町小説﹃伊吹童子﹄における酒呑童子とその父であ
る弥三郎の造型に着目し︑物語の特徴を考察するものである︒
﹃伊吹童子﹄の諸伝本はA類とB類の二系統に大別されるが︑
稿者はA類を以下のように分類した︒
A
օ
東洋大学所蔵・絵巻大英博物館所蔵甲・絵巻上巻︑国立国会図書館所蔵・
絵巻下巻
⑵大英博物館所蔵乙・絵巻
A⑴類の弥三郎は八岐大蛇を法体とする伊吹大明神の姿を︑
酒呑童子は伊吹大明神と弥三郎の姿を読者に想起させるように
物語が構成される︒A⑵類の弥三郎も伊吹大明神の姿を読者に
想起させることは可能ではあるが︑酒呑童子退治譚を知る者が
荒 川 真 一 ﹃ 伊吹童子 ﹄ における 弥三郎 と 酒呑童子
巻下巻 大一軸
⑵大英博乙・絵巻 大三軸
そして︑A⑴類とA⑵類の物語は以下のように展開する︒
弥三郎の特徴↓弥三郎の死↓酒呑童子誕生と放棄↓比叡山
流離↓最澄との対立↓根本中堂建立↓大江山での栄華
しかし︑展開として大筋では一致しながらも︑語られる内容
にはA⑴類とA⑵類の間で少なからず差が認められる︒A⑵類
は榊原悟氏により︑完本としての重要性を指
4
摘されながらも︑
本文の具体的考察はこれまで充分になされず︑東洋大学所蔵本
読解のための補助資料としての使用が主だったといえる︒大英
博甲本の紹介により︑A⑴類の物語の全容が明らかとなった現
在において︑A⑴類はもちろんのこと︑A⑵類の特徴について
も再考する時期にあるといえよう︒
そこで
︑ 本稿 では 酒呑童子
とその
父の
弥三郎
の
造型
に
着目
し︑A⑴類とA⑵類の比較をもって︑A類の特徴を考察する︒
なお︑A類の諸伝本はいずれも江戸前期に制作され︑成立の前
後関係は判断しがた
5
いため︑物語内容の考察を中心とする︒ま
た︑A⑴類の本文については︑完本である大英博甲本と国立国
会図書館所蔵本を参照し
た︒ 6
一 弥三郎の性格
物語は弥三郎の活躍を描く前半と︑酒呑童子の成長を描く後
半に二分される︒弥三郎の存在はA⑴類では﹁きじん︵鬼神
︶﹂ ︑
A⑵類では﹁鬼のたぐひ﹂と︑その存在
を︿
鬼
﹀と
認識され︑民
衆からは恐怖の対象として扱われる︒民衆が恐怖を抱く性格に A㈠東洋大学所蔵・絵巻 大三軸
㈡国立国会図書館所蔵・絵巻上欠 大一軸
㈢大英博物館所蔵・絵巻 大三軸
B赤木文庫旧蔵・絵巻 小八軸
※徳江元正氏所蔵・絵巻零本 小一軸
A類とB類では︑登場人物の造型から物語展開に至るまで︑
大きな差を見せる︒例えば︑酒呑童子は︑A類では伊吹大明神
を祭祀する一族にある弥三郎の子として︑B類では伊吹大明神
の実子として誕生する︒また︑A類では酒呑童子は成長ととも
に凶暴性を目覚めさせ︑酒呑童子退治譚へと通じるような存在
として成長する︒対して︑B類の酒呑童子は最澄の弟子として
比叡山に入山し︑鬼面︵肉付き面︶の装着により︑鬼へと変貌
する︒このような差異を有する諸伝本の成立事情については︑
酒呑童子退治譚の享受と展開を考えるにおいても重要である
が︑そのためにも︑各伝本の特徴の充分な把握が求められよう︒
従来の﹃伊吹童子﹄研究において︑A類については東洋大学
所蔵本を中心に行われてきたが︑錯簡や詞書の欠脱を生じてい
ることが問題としてあった︒しかし︑現在では国立国会図書館
所蔵本の上巻である大英博物館所蔵本︵以下﹁大英博甲本
﹂ ︑ ま
たA㈢大英博物館所蔵本を﹁大英博乙本﹂とする︶が辻英子氏
により紹介され︑東洋大学所蔵本と国立国会図書館所蔵本は同
系統のものであることが指摘され
た︒よって︑A類の諸伝本の 3
分類も︑以下のように捉え直されよう︒
A⑴東洋大学所蔵・絵巻 大三軸
大英博甲・絵巻上巻 大一軸︑国立国会図書館所蔵・絵
し︑彼もし年を経てば通力も出で来つゝ︑人倫を滅ぼし世
のわざわひをなしつべし︑︻A⑵類︼
このようにA
⑵類 においては
︑ 弥三郎
を
人外
の
存在
︑ ︿
鬼﹀
と定位し︑それに伴う性格として﹁通力﹂を捉えている︒人間
が持ちえない能力
を﹁
通力
﹂と
認識する点はA⑴類と近似する︒
しかし︑A⑴類の弥三郎は︿通力﹀を保有するのに対し︑A⑵
類では﹁彼もし年を経てば﹂と︑飽くまで発現の予期に留まる
点に差が認められよう︒
次いで︑︿大酒飲み﹀について確認する︒弥三郎は飲酒を好み︑
その様子はA⑴類では以下のように描かれる︒
又︑さけをあいして︑おほくのみ給ふ事︑ためしなき有さ
ま也︒大こくには︑日に一こくのさけをのみし人ありとい
へり︒この弥三郎殿は︑よのつねにのみひたりておはしぬ
れば︑そのかぎりはかりがたし︒みな人申やう︑もしこの
人は
伊吹大
みやう
神
のけゞんかとぞ
︑あやしみをなしけ
る︒︻A⑴類︼
A⑴類は弥三郎の飲酒量がいかに標準を超えているかが問題
となり︑また民衆は︿大酒飲み﹀の性格から︑弥三郎に伊吹大
明神の姿を幻視する︒
A類における伊吹大明神のあり方については後述することと
し︑A⑵類における弥三郎の飲酒時の様子を確認する︒
此弥三郎と申は︑みめかたち清やかに器量事柄いかめしく
おはしけるが︑幼き時より酒を好みて多く飲み給へり︒お
となしくなり侍るに従つて次第に多く飲みけるほどに︑常
に酒にのみ酔ひ浸りて心狂乱し︑そゞろなる事をのみ言ひ 着目すれば︑︿通力
﹀ ︿
大酒飲み﹀︿獣肉食
﹀ ︿
強盗行為
﹀の
要素が
抽出されるが︑その内実については少異を生じ︑弥三郎の造型
の差に繋がっている︒そこで︑これら弥三郎を造型する諸要素
を弥三郎的性格とし︑その様相を以下確認する︒
まず︑︿通力﹀について確認する︒A⑴類における弥三郎は
人並み外れた身体能力を有する存在として︑以下のように描写
される︒ ちからわざ︑はやわざなどは︑ほとんど︑人げんのしわざ
にはあらざりけり︒山をうごかし︑岩をつんざき︑でんく
はうのげきするよそほひ︑まことにつうりきをえたりとぞ
みえし︒
︻A⑴類︼
弥三郎の持つ異常な怪力や敏捷性に対し︑A⑴類では﹁つう
りき︵通力
︶﹂
の
語をあてる︒また︑弥三郎
の﹁
通力﹂については︑
弥三郎の死後の場面において︑以下のように叙述される︒
弥三郎殿は︑ことにつうりきをえ給ひたる人なれば︑いま
にえひさめて︑つかをくづして︑出給ふらんと思へど︑つ
ゐにそのさたもなかりけり︒︻A⑴類︼
民衆は弥三郎の﹁通力﹂の保有を根拠とし︑その復活を予期
するのである︒A⑴類では︑人間を超越した能力を﹁通力﹂と
認識し︑弥三郎を把握しているといえよう︒
A⑵類における弥三郎を確認すれば︑A⑴類のような異常な
身体能力などは記述されない︒しかし︑﹁通力﹂の語に着目す
れば︑A⑵類において︑弥三郎の義父である大野木は︑弥三郎
を以下のように捉える︒
いかさま
是は
人間 にては
有
べからず
︑
鬼
のたぐひなるべ
人すまぬ野原とぞ成にける︒︻A⑴類︼
・又︑平生の肴には︑獣︑猿︑兎︑狸などのたぐひを︑其まゝ
ながら引き裂き〳〵食せられしかば︑毎日三四つのけだも
の殺されしほどに︑後には山林を狩りもとめてもつや〳〵
鳥︑けだ物なかりけり︒かゝりしかば人民の家〳〵に養ひ
飼ふ所の馬︑牛を奪ひ取りて食はれけり︒恐ろしき有様な
り︒︻A⑵類︼
弥三郎は獣肉を好み︑その確保のために狩猟行為を行う︒そ
の対象となるのは主として野山の動物たちであるが︑それらを
狩り尽くすと︑民衆から家畜類を強奪する︒︿獣肉食﹀の性格
が︿
強盗行為
﹀へ
と
通じるのである︒
また︑︿獣肉食﹀の性格は伊吹大明神に求められ︑︿獣肉食﹀
の性格の延長として︿人肉食
﹀の
性格の出現が予期されている︒
伊吹大明神
は︿
人肉食
﹀を
行う存在として描かれ︵後述
︶ ︑ A
⑴
類では﹁のちには人をもくひ給ふべし﹂と︑弥三郎
の︿
人肉食﹀
の性格の出現が予期される︒A⑵類の弥三郎は︿獣肉食﹀の様
子しか描写されないが︑以下のように弥三郎
の︿
大酒飲み﹀︿獣
肉食
﹀の
性格を伊吹大明神に求めている︒
されば 此弥三郎
は
伊吹大明神
の
御山 をつかさどる
人
なれ
ば︑酒を好き生物を好み給ふかやと︑諸人恐れをなして旅
人も道を行き通はず︒︻A⑵類︼
また︑前掲した大野木が弥三郎の︿通力﹀の出現を予期する
場面では︑﹁彼もし年を経てば通力も出で来つゝ︑人倫を滅ぼ
し﹂とあり︑大量殺人に弥三郎が関与することが推測される︒
弥三郎が伊吹大明神に通じることを踏まえれば︑A⑵類におい 散らし︑又は恐ろしき事どもをぞし給へりける︒あはれ︑
我が腹に飽くほど酒を飲まばやなんど願ひ事にもせられけ
るが︑近き辺りはほく六だうへ下り上りする道路なれば︑
商人のもて通ひける酒などをば︑是非なく奪ひ取りて飲ま
れけり︒︻A⑵類︼
A⑵類における弥三郎の︿大酒飲み﹀の性格については︑飲
酒量の多さが言及される点でA⑴類と共通するが︑酒乱の様相
を呈する点に差が見いだせよう︒また︑危害を加える対象は道
行く商人にも及び︑︿強盗行為﹀の性格へと通じていく︒︿大酒
飲み﹀の性格は︑A⑴類では伊吹大明神を通し︑民衆の恐怖を
喚起する役割に留まるのに対し︑A⑵類では恐怖のみでなく︑
︿強盗行為﹀へ繋がり︑民衆の生活に危害を加える弥三郎像が
提示されるのである︒
最後
に︿
獣肉食
﹀ ︿
強盗行為﹀について確認する︒A⑴類とA
⑵類において︿獣肉食
﹀は
︿
強盗行為
﹀と
関連づけられ︑以下の
ように語られる︒
・かやうにおそろしき神︵稿者注伊吹大明神︶のうぢ
人︑ 7
又は申子にてなんおはしぬれば︑弥三郎どのも野山のけだ
ものをかりとりて︑あさゆふのじきもつとし給へり︒もし︑
けものをとりえざる日は︑でんぷやじんのたからとする六
ちくのたぐひ︑たき木をおへる馬︑田をたがヘすうし︑み
るまゝにうばひとり︑うちころし︑しよくしけるありさま︑
きじんといふはこれなるべし︒のちには人をもくひ給ふべ
しとて︑みきゝしほどのもの︑みな〳〵ところをすてゝ︑
四方へにげちりしほどに︑伊ぶきのさとのちかきあたりは︑
伊吹大明神に関しては︑A⑴類では八岐大蛇退治譚と日本武
尊東征譚が︑A⑵類では前者のみが縁起として語られる︒すな
わち︑A⑴類は八岐大蛇退治譚と日本武尊東征譚に︑A⑵類で
は八岐大蛇退治譚に伊吹大明神の性格を求めていることとな
る︒
まず
︑A
⑴類 における
伊吹大明神
に関
する 記述 から 確認
す
る︒A⑴類では︿大酒飲み﹀︿人肉食
﹀と
弥三郎に通じうる性格
が以下の通り確認される︒
︿大酒飲み﹀
八のかしらを︑八のさかゞめにうちひたして︑あくまでさ
けをのみけるほどに︑あまりにのみえひても︑こよひふし
たり︒︻A⑴類/八岐大蛇退治譚︼
︿人肉食﹀
久しくこのところにすみて︑とし〴〵に人をのみけるほど
に︑おやをのまれては︑子かなしび︑子をうしなひてなげ
くおや︑いく千万といふかずをしらず︒
︻A⑴類/八岐大蛇退治譚︼
以上のような伊吹大明神の性格は︑先述した異常な飲酒量を
誇る弥三郎
の︿
大酒飲み﹀︑︿人肉食
﹀を
予期させる弥三郎
の︿
獣
肉食﹀の性格と対応していると考えられる︒特に︿人肉食﹀の
性格は︑弥三郎の性格として予期されてはいるものの︑現出し
ていない性格である︒このことから︑︿人肉食﹀の性格は伊吹
大明神を特徴付ける性格といえよう︒また︑︿獣肉食﹀の延長
線上に︿人肉食﹀があることから︑伊吹大明神は弥三郎の上位
にある存在として捉えられていることとなる︒︿人肉食﹀の性 ても弥三郎の︿人肉食﹀の性格の出現が想定されていると考え
られよう︒
A類制作期の近世において︑︿獣肉食﹀は︑実態はともかく︑
社会的通念としては忌避の対象であっ
た︒ましてや︿人肉食﹀ 8
については
︑ 飢饉 でも 発生 しない
限り︑起
こりうるものでは
な
9
く︑異形を象徴する行為とい
10
え︑弥三郎に対する人々の認識
を示す一端といえる︒これらは宗教的教義を背景とし︑ケラー・
キンブロー氏もその観点でA⑵類の物語を読み解
11
くが︑作中で
は︿
獣︵人︶肉食
﹀ ︑
及び他の諸要素をその下で解釈してはいな
い︒A⑴類︑A⑵類ともに︿獣肉食
﹀ ︿
強盗行為
﹀の
対象となる
のは家畜類︑すなわち生活に関与する動物が主眼となり︑弥三
郎は民衆の生活に危害を加える存在として造型されるのであ
る︒また︑A⑵類の弥三郎が実質的に有する性格は︿大酒飲み﹀
︿獣肉食
﹀ ︿
強盗行為﹀といえ︑︿大酒飲み﹀︿獣肉食
﹀の
性格
は︿
強
盗行為
﹀へ
と
通じている︒このことから︑︿強盗行為
﹀は
A
⑵類
の弥三郎を最も特徴付ける性格といえよう︒さらに︑酒乱の様
相を呈するA⑵類の弥三郎
の︿
大酒飲み﹀の性格を踏まえれば︑
民衆に危害を加える弥三郎像が︑A⑵類において強調されるこ
ととなる︒
二 弥三郎と伊吹大明神
既に確認した通り︑A類では弥三郎の︿大酒飲み﹀︿獣肉食﹀
の性格は伊吹大明神に由来することが説かれる︒作中における
伊吹大明神の存在の位置づけを検討する必要があろう︒
のみことゝ申たてまつるは︑すなはち︑そさのおのみこと
の御さいたんとぞきこえし︒此御ときにあたつて︑ゑぞか
しまのえびすども︑みかどにしたがひたてまつらず︒あづ
まのくに〴〵をかすめ︑人民をなやまし侍しほどに︑みか
どげきりんまし〳〵て︑これをたいらげんために︑やまと
たけのみことを︑はじめてしやうぐんになし給て︑関のひ
がしにつかはし給ふ︒︵中略︶やまたのおろちは︑すぐに︑
そのかたちは秋の霜の下にくちて︑二百万さいを過しかど
も︑しんれいはなをれき〳〵として︑天地の間をはなれず︑
おんがいをさしはさむ念ふかかりしかば︑すなはち︑やま
とたけのみことをそこなひて︑むかしのむくひせんと思ひ
て︑しなのよりみのにいづる山ぢのよきみちもなきせつし
よに︑ふしたけ二三十ぢやうばかりの大じやとなりて︑よ
こたはり︑ふし侍り︒︻A⑴類︼
日本武尊は東国平定のため蝦夷討伐の勅命を受け︑征討後の
帰路で伊吹大明神と対立することとなる︒八岐大蛇と︑日本武
尊東征譚における伊吹山の神を結びつける発想は記紀には見ら
れない
︒ 八岐大蛇
を
伊吹大明神
とする
記述
は
延慶本
﹃
平家物
語﹄ ︑
屋代本﹃平家剣巻
﹄や
中世日本紀などに散見され︑西脇哲
夫氏はA⑴類における八岐大蛇退治譚と屋代本﹃平家剣巻﹄の
近似性を指摘す
る︒西脇氏の指摘は八岐大蛇退治譚の言及のみ 12
に留まるが︑屋代本﹃平家剣巻﹄の日本武尊東征譚は以下のよ
うに叙述される︒
崇神天皇ノ御時︑始テ内裏ヨリ返シヲカレタル天村雲ノ剣
ヲ給テ︑日本武尊是ヲ佩テ︑東国ヘ下給フ道ニ︑出雲州ニ 格は伊吹大明神と弥三郎を区別する指標となっているといえよ
う︒この点はA⑵類においても同様である︒
A⑵類では︑以下の如く︑八岐大蛇退治譚における伊吹大明
神の
︿
人肉食
﹀ ︿
大酒飲み﹀の性格が語られる︒
昔︑出雲国簸川上と申所に︑八岐大蛇といふ大蛇ありしが︑
此大蛇︑毎日生贄とて生きたる人を食ひける也︒また︑酒
を飲む事おびたゝし︒八塩折の酒を八の酒槽に飲みしほど
に︑飲み酔ひて素戔嗚尊に殺され侍りき︒︻A⑵類︼
A⑵類においても弥三郎の︿人肉食﹀の性格は予期に留まる
ことから︑︿人肉食﹀は伊吹大明神を特徴付ける性格といえる︒
ただし︑伊吹大明神の縁起に関する記述量は引用箇所のみに留
まり
︑これはA
⑴類
に比べ明
らかに
少
ないことも
注意 されよ
う︒そして︑八岐大蛇退治譚の叙述後
︑A
⑴類では﹁このおろち︑
すなはち伊吹大みやう神のほつたい也
﹂ ︑ A
⑵類では﹁その大
蛇変じて又神となる︒今の伊吹大明神これなり︒﹂と︑八岐大
蛇と伊吹大明神が同一視される︒
ところで︑弥三郎と伊吹大明神の性格の対応を語るのであれ
ば︑八岐大蛇退治譚における記述のみで充分であり︑日本武尊
東征譚は必ずしも必要とされないはずである︒そのことは︑日
本武尊東征譚を叙述しないA⑵類の執筆態度とも関連しよう︒
A⑴類の物語における日本武尊東征譚の位置づけの検討が求め
られる︒A⑴類の日本武尊東征譚における日本武尊と伊吹大明神の対
立は︑以下のように語られる︒
人わう十二代のみかど︑けいかう天皇のみこ︑やまとたけ
りければ︑ひめぎみの給ふやう︑たれとはしらず︑そのあ
りさま︑けだかき人のよな〳〵きたり給ふとこそおぼゆれ
とありしかば︑︵中略︶とにかくに︑はうべんをめぐらして︑
そのぬしをあらはさばやとおぼして︑おだ巻といふものに
はりをつけて︑これを︑こよひ︑まれ人のすそにぬひつけ
たまへとて︑ひめぎみにさづけ給ふ︒さて︑その夜︑かの
まれ人のきたり給ひしかば︑をしえのまゝにも︑すそには
りを取つけて︑あしたにこれを見侍りしかば︑そのいと︑
かきのあなよりぞ出にける︒さればこそ︑へんげのものゝ
しわざなりて︑うたてしさ︑いはんかたなし︒さて︑その
いとをしるべとして︑たづね行ければ︑いぶき山のほとり
なる弥三郎どのゝ家にぞとまりける︒もとより︑この人は
たゞ人にあらずと聞をよびしに︑かゝるふしぎをあらはし
給へば︑さては神にておはしますかとて︑おそれあがめ侍
りけり︒︻A⑴類︼
姫君のもとに通う男の正体を暴くため︑男の裾に針をくくり
つけ追跡する︒そして正体が弥三郎だと発覚すると︑﹁さては
神にておはしますか﹂と神の姿を幻視する︒その神とは︑これ
までに重ねて説かれるよう︑伊吹大明神の姿であろう︒伊吹大
明神が蛇神であることを考慮すれば︑この婚姻譚は︑佐竹昭広
氏の指摘にもあるように︑三輪山神婚譚に代表される蛇聟入苧
環
15
型の一種と認められる︒
このようなA⑴類に対して︑A⑵類における弥三郎の婚姻譚
は︑以下の如く特別な描写は見られない︒
又︑同じき国に大野木殿と申て名高き人侍りけり︒その人︑ テ素盞烏尊ニ害セラレシ八俣ノ大蛇ハ︑風水竜王ノ天下リ
ケルニコソ︒近江国伊富貴明神ト申スハ是也︒無道ニ命ヲ
失
ハレ
︑
剣ヲ
奪取 レシ
事︑
其墳
リ不レ浅︑
今日本武
ノ尊︑
剣ヲ帯テ東国ヘ趣キ給フ時︑セキ留テ取ランカ為ニ︑毒蛇
ト成テ不破ノ関ノ大路ニ臥ハイヒロコリテアリケル︒︵中
略︶去程ニ伊富貴ノ明神ハ︑日本武尊ニ越ラレテ︑剣ヲモ
取留ヌコトヲ無二本意一思ツヽ︑前ヨリモ猶大キニ高ク顕
レテ︑大路ニ臥給ヒケリ︒︻屋代本﹃平家剣巻
﹄ ︼ 13
屋代本﹃平家剣巻
﹄と
A
⑴類の日本武尊東征譚を比較すれば︑
伊吹大明神が日本武尊に敵対する目的は︑屋代本﹃平家剣巻﹄
では自身の所有物であった宝剣の奪取にあるのに対し︑A⑴類
では
﹁むかしのむくひせん﹂と
︑ 素戔嗚尊
の
再誕 である 日本
武
尊の打倒にある点に差が認められよう︒A⑴類では︑日本武 14
尊を素戔嗚尊の再誕とすることで︑八岐大蛇を法体とする伊吹
大明神との因縁を形成し︑八岐大蛇退治譚と日本武尊東征譚と
いう︑本来別々の物語を連続性のあるものとして構成するとこ
ろに 特徴
が見
いだせよう
︒ 八岐大蛇退治譚
と
日本武尊東征譚
は︑八岐大蛇︑すなわち蛇神としての伊吹大明神によって繋げ
られるのである︒A⑴類における日本武尊東征譚は蛇神として
の伊吹大明神像を確立させ︑それは弥三郎の行動にも繋がって
いく︒A⑴類における弥三郎と大野木の姫君の婚姻譚は︑以下のよ
うに語られる︒
月日すでにみちて︑たゞならぬけしきにみえ給へば︑めの
と大きにおどろきて︑いかなる御事ぞと︑しきりにとひ侍
大量の酒を飲み尽くす姿は八岐大蛇退治譚を想起させること
から︑佐竹氏は大野木に弥三郎謀殺の意図を見いだ
す︒確かに︑ 16
弥三郎は民衆から恐れられ︑大野木も弥三郎に﹁じやけんはう
いつ﹂︵当該箇所は後掲︶という評価を下している︒このような
弥三郎に伊吹大明神の姿を幻視していたとすれば︑強引に飲酒
を勧める大野木の様子は単なる歓待とはいえまい︒しかし︑同
時に佐竹氏の指摘するような謀殺の意図も本文からは測りえな
い︒例えば︑大野木が弥三郎の歓待を命じる場面は以下のよう
に記述される︒
もし︑御こゝろにさからひなば︑かならずあしかるべし︒
いかにも︑かのまれ人をなぐさめたてまつり給へとて︑さ
んかいのちんぶつをとゝのへ︑もたいにさけをたゝへて︑
ひめ君のもとへをくり給ふ︒︻A⑴類︼
大野木は弥三郎に精神的に屈服し︑畏怖の感情をもって弥三
郎に接する︒また︑歓待には大野木の姫君も同席し︑弥三郎に
酒を勧めていたが︑弥三郎の死を受け︑以下のように後悔の念
を抱いている︒
さるほどに︑おほの木殿のひめぎみは︑このよしをきこし
めし︑なげき給ふぞあはれなる︒かくあるべしとしるなら
ば︑その秋のさけをばたてまつるまじきものをと︑千たび
百たびくやみ給へど︑かひぞなき︒︻A⑴類︼
これらから︑沢井耐三氏が指摘する信仰者としての大野木
像 17
も想起しうるが︑作中における大野木の真意は判然としない︒
しかし︑少なくとも弥三郎を伊吹大明神とオーバーラップさせ
ようとする意図は見いだせよう︒ 最愛の姫君を持ち給ふ︒みめかたち美しくおはしければ︑
すなはちこの姫君を迎へて弥三郎殿の妻とさだめて︑比翼
の語らひをなし給へり︒︻A⑵類︼
以上のように︑A⑴類においては神話的叙述を駆使し︑弥三
郎を伊吹大明神に近しい存在として造型しているといえる︒対
して︑A⑵類では伊吹大明神に関する神話的叙述は前掲した八
岐大蛇退治譚のみであり︑その記述量も極めて少ない︒それに
より︑先述した民衆の生活に危害を加える弥三郎像が相対的に
強調されることとなる︒
三
弥三郎の死
A
⑴類 とA
⑵類 において
︑ 弥三郎
の死の
様相
は大
きく
異な
る︒これには
先述 した 弥三郎
の
造型
の
方向性
が
関与 してこよ
う︒まず︑A⑴類について確認する︒大野木は姫君のもとに訪問
した弥三郎を歓待するが︑弥三郎は振る舞われた酒がたたり死
に至る︒
さるほどに
︑ さんかいのちんぶつをもつて
︑ さけをさま
〴〵にしゐたてまつりぬ︒御けしき︑よく見えたまへば︑
おほのきどのも︑きたのかたも︑たち出てたいめんしたま
ふ︒︵中略︶七つのさかゞめにたゝへたるさけを︑のこり
なくのみほし給ぬれば︑しん〳〵かきくれたるこそ︑こと
はりなれ︒さて︑夜のふしどにいり給ひつゝ︑あともまく
らもしらずしてふし給ふが︑つゐにはかなく成給ふ︒
︻A⑴類︼
さらに︑持参の酒をもって対象を酩酊させ︑寝込みを襲い討伐
を達成する筋立ては︑酒呑童子退治譚そのものである︒弥三郎
退治を語るものに︑A⑵類と同じく近世前期の資料として︑寛
文五年刊﹃大倭二十四孝﹄巻十四があるが︑そこでの弥三郎退
治は以下のように語られる︒
其後むすめをよびよせ︑いぶきが身のありさまをたづぬる
に︑むすめかたりていはく︑人のはだへとおぼしき所は︑
右左わきの下より外になしといふ︒みかみはこれを聞︑は
かりことをめぐらし︑よろづの大石をあつめ︑庭をつくら
せ︑中にもすぐれたる石二つ︑三つ︑庭のまん中に︑なを
しかねたる躰にてひきすててをきつゝ︑いぶきをしやうじ
いれつゝ︑山海のちんぶつをとゝのへ︑いぶきをもてなし︑
酒をすゝめける︒︵中略︶比は水無月なかば︑あつさはあ
つし︑酒にはえひぬ︒ひごろの用心もうちわすれ︑さうの
かたをひんぬいで︑小山のやうなる大石を︑ちうにずんと
さしあげたり︒みかみ此よし見るよりも︑あはやこゝぞと
心得て︑いぶきが左のこわきを︑右へとをれとかつはとつ
く︒いぶききつと見て︑すはや︑たばかられたる口おしさ
よといふまゝに︑持たる石をなげすて︑みかみをとらんと︑
とむでかゝる︒かなはじとや思ひけん︑うしろさまに八尺
つゐぢをおどりこえ︑行方しらず︑にげうせたり︒いぶき
大きにいかつて︑我女房をは︑八つさきにしてなげすて︑
雷のげきするごとくに︑屋かたのうちをなりまはり︑女わ
らんべ共いわず︑あたる物をさいごにふみころし︑ねぢこ
ろし︑おほくの人をほろぼして︑其身は門に立すくみ︑い このようなA⑴類に対して︑A⑵類における大野木は民衆の
恐れを受け︑﹁いかにもしてこれを害せばや﹂と︑明確な殺意
をもって弥三郎と対峙する︒弥三郎退治の様子は以下の通りで
ある︒ さらばとて大野木殿︑いろ〳〵の雑餉をこしらへ︑伊吹殿
へ立ち入給へり︒弥三郎すなはち出あひ対面し︑色〳〵の
珍物を調へ︑さま〴〵にもてなし侍けり︒其時︑大野木殿
御もたせの酒を出されたり︒弥三郎大きに喜びて︑日比の
所望なればさしうけ〳〵多く飲みけるほどに︑大野木殿の
用意せられし酒︑馬に七駄とやらん侍しを︑悉く飲み尽く
しけるとぞ聞えし︒さしも大上戸なりしが︑ともかくおび
たゝしき事なれば︑正躰もなく飲み酔ひ︑跡も枕もわきま
へず︑そのまゝ座敷に倒れ臥したり︒運の極めこそ無慚な
れ︑大野木殿は︑たばかりおほせたりと勇み喜びつゝ︑や
がてかの臥したる枕に立寄り︑脇の下に刀を突き立て︑あ
なたへ通れと差し込みて︑我が館にぞ帰られける︒︵中略︶
三日過ぎしかば︑酒の酔ひ醒めつゝ起きあがりて︑脇の下
に刀の突き立て有しをさぐり︑大に驚き︑﹁さては大野木
にたばかられけるこそくちおしけれ﹂とて︑躍り上り〳〵
せられしが︑大事の所を突かれ侍るゆへに心も消え〴〵と
なりて︑つゐにむなしくなりにけり︒︻A⑵類︼
対象を酩酊させ退治するという弥三郎退治の筋立ては︑八岐
大蛇退治譚を想起しうるが︑同時に酒呑童子退治譚も想起させ
るものである︒A⑴類では大野木邸にて酒宴が催されるのに対
し︑A⑵類では討伐対象の弥三郎邸を訪問し酒宴を開催する︒
立てに強く見いだせる︒A⑵類では酒呑童子退治譚が擬似的に
展開されることにより︑A⑵類における︹弥三郎︺対︹大野木︺
という構造は︑酒呑童子退治譚における︹酒呑童子︺対︹頼光︺
という構造を想起させ︑弥三郎と酒呑童子をオーバーラップさ
せるのである︒
なお
︑ 弥三郎退治譚
と
酒呑童子退治譚
を重ね合
わせる 行為
は︑当時の読者層にとっては決して困難なことではない︒﹃伊
吹童子﹄のような江戸前期に作成された絵巻類の注文主は︑大
名家や裕福な町人が中心であっ
た︒また美濃部重克氏の指摘に 26
あるように︑酒呑童子退治譚は﹁清和源氏を称する徳川氏を中
心とする武家政権の正当性を語る神話となり得る﹂ものであ
り︑酒呑童子退治譚の絵巻・絵本類が近世に数多く制作された
こととも関与しよ
27
う︒酒呑童子退治譚は絵巻・絵本類の注文主
や物語制作に関わる人物にとって︑一定の理解があったことが
想定されるのである︒
四 酒呑童子の誕生と放棄
酒呑童子については︑誕生から大江山に至るまでの過程が︑
その成長とともに描かれる︒佐竹氏はA⑴類の酒呑童子の来歴
から︑中世口承文芸の一類型として山中異常誕生譚﹁捨て童子﹂
型を指摘し
28
たが︑酒呑童子の成長の具体的様相については触れ
られていない︒そこで︑酒呑童子がどのような成長を見せ︑酒
呑童子退治譚に繋がる存在へと至るのか確認する︒
まず︑A⑴類の酒呑童子誕生の場面である︒
さて︑月日みちて︑うみ月になりぬれど︑いさゝかそのけ なりじにゝそ死したりける︒︻大倭二十四
孝︼ 18
弥三郎を酩酊させ討伐を果たす点︑弥三郎の脇の下という弱
点︑弥三郎の最期の言葉にA⑵類との類似性が認められ︑近世
における弥三郎享受という観点から注目されるが︑A⑵類にお
ける討伐対象の邸宅への訪問︑眠りについた所ヘの不意打ちは
見られない︒このことからも︑A⑵類の弥三郎退治は酒呑童子
退治譚と近似させようとしていることが窺えよう︒
以上のような弥三郎の造型は︑伝承における弥三郎の姿と無
関係ではあるまい︒弥三郎伝承については︑佐竹氏が書承伝承
を網羅的に考証し︑実在の盗賊﹁柏原弥三郎﹂の存在を指摘し
たのに始ま
19
り︑昭和五十六年の滋賀県坂田郡伊吹町での民間説
話の調査では︑弥三郎に関するものが十八件報告されてい
る︒ 20
弥三郎伝承
については
︑ 丸山顕德
21
氏と
杦浦勝
氏の 22
整理 もある
が︑丸山氏は弥三郎伝承
を﹁
盗賊型
﹂と
﹁
巨人型
﹂に
︑
杦浦氏は
それらに﹁ヤマトタケル型﹂を加え分類す
23
る︒これら弥三郎伝
承はA類における弥三郎の造型に通じる要素は見いだせるもの
の︑それに直接影響を与えたかどうかの判断は慎重を期す必要
があろう︒
例えば︑︿人肉食﹀については︑越
後や佐 24
渡に伝わる人肉嗜 25
食の弥三郎婆の伝説︑これと同様の話型を有する茨木童子伝説
との関連も窺える︒しかし︿人肉食﹀は酒呑童子退治譚に由来
するものであることも充分に想定される︒弥三郎を酒呑童子の
父として設定する以上︑その造型は酒呑童子退治譚から影響を
受けうるものであろう︒
特に酒呑童子退治譚からの影響は︑A⑵類の弥三郎退治の筋
検討する︒
こゝに︑おほのきの太郎殿︑ちゝにむかつて申されけるは︑
世の人︑伊ぶきどうじをば︑きじんのへんげなりと申て︑
おほきにおそれさはぎ候︒まことに︑かのどうじのけしき︑
よのつねの人とは見え侍らず︒おとなしく成侍らば︑世の
ためにあしき事などもや出きたるらん︒そのときは︑こう
くわいするとも︑えきあるまじと申ければ︑おほの木殿︑
このよしきこしめし︑かのちゝ︑弥三郎どの︑じやけんは
ういつにおはせしゆへに︑そのことのおそろしさに︑今こ
のちごをにくむものなり︒︵中略︶人みん︑かくのごとく
ににくみたらば︑おしむともかなふまじ︒さらば︑なんぢ︑
かのちごを伊吹山につれて行︑さんりんにすておき︑かへ
るべしとぞ申されける︒︻A⑴類︼
A⑴類における酒呑童子の放棄の原因について︑濱中修氏は
﹁鬼神弥三郎の子である﹂﹁三十三カ月の懐胎
﹂ ﹁
誕生時の異常﹂
﹁国中の人々の危惧の念﹂を挙げ︑﹁国中の人々の危惧の念﹂に
最大の原因をみ
る︒しかし﹁国中の人々の危惧の念﹂の原因は 30
﹁きじんのへんげ︵鬼神の変化︶﹂である酒呑童子に求められよ
う︒物語において酒呑童子誕生以前に︑﹁鬼神﹂と称されるの
は弥三郎のみであり︑﹁鬼神弥三郎の子﹂という意識が作用し
た表現といえる︒また︑民衆の酒呑童子に対する憎悪を弥三郎
との親子関係に求める大野木の発言も注視される︒酒呑童子の
放棄の原因は弥三郎の子という原罪に求められ︑酒呑童子の存
在を
﹁
鬼子
﹂ ﹁
鬼神の変化﹂のように︿鬼﹀︑すなわち弥三郎に通
じる存在と認識していたことは見逃せまい︒ しきもなし︒ものおもひ給ふゆへに︑かく侍るかと︑はゝ
うへ︑こゝろならずおもひ給ふ︒つゐに三十三月と申に︑
さんのひもをとき給ふ︒とりあげ︑みたまへば︑玉のやう
なる男子なり︒かみ︑くろ〴〵と︑かたのまはりまでのび
て︑うへしたに︑はおひそろへり︒めのといだきとりて︑
あらうつくしのわかぎみやと申ければ︑めをあざやかに見
ひらきて︑ちゝごはいづくにましますぞとの給ひしこそ︑
おそろしけれ︒︵中略︶人のくちのさがなさは︑おほのき
どのゝひめ君は︑おに子をうみ給へりとさゝやきしが︑い
つしか︑こく中にひろうありて︑老たるも︑わかきも︑お
とこ女も︑たゞこの事をのみさたしけり︒このちご︑たゞ
今
にせいじんあらば
︑このくにゝ
人
だねは
残
るまじと
申
て︑なげきかなしめり︒又︑このちご︑さけをあいしての
み給ふ事なのめならずと聞えしかば︑世の人︑しゆてんど
うじとぞなづけける︒︻A⑴類︼
A⑴類の酒呑童子は民衆から﹁おに子︵鬼子
︶﹂
と
揶揄される︒
近藤直也氏は﹁鬼子﹂の要件として長期の妊娠期間︑髪の生え
揃い︑上下の歯の生え揃い︑言葉の発話という四点を挙
29
げ︑酒
呑童子はこれらを満たす存在として描かれる︒しかし︑物語上
の﹁
鬼子
﹂に
は﹁
鬼神弥三郎の子﹂という意識も含まれよう︒酒
呑童子は誕生直後に父である弥三郎を求める発言をし︑弥三郎
を彷彿とさせる︿大酒飲み﹀の性格を見せる︒酒呑童子は大野
木からは寵愛されるも︑民衆からは疎んじられ︑後に放棄され
ることとなる︒その原因に﹁鬼子﹂であることは大きく関与す
る︒酒呑童子の放棄の原因を大野木とその息子のやり取りから
衆に称され︑母である姫君も父の勧め︑及び周囲の声も無視で
きなくなり︑酒呑童子を放棄するに至るのである︒A⑴類の酒
呑童子は﹁たゞ今にせいじんあらば︑このくにゝ人だねは残る
まじ﹂﹁おとなしく成侍らば︑世のためにあしき事などもや出
きたるらん﹂などと︑民衆に危害を加えることが︑飽くまで予
期に留まっていた︒この点ではA⑴類とA⑵類の酒呑童子に質
的な差が認められよう︒
五 酒呑童子の成長
酒呑童子は放棄後︑比叡山へと至り︑延暦寺建立を目的とす
る最澄と対立する︒そして︑根本中堂建立の記述を挟み︑酒呑
童子は大江山へと移り住み︑栄華を極めることとなる︒
最澄との対立の様相について︑濱中氏は叡山開闢譚から︑酒
呑童子に比叡山の地主神たる姿を見
31
る︒酒呑童子を比叡山の地
主神と重ねる見解は菊地勇次郎
氏︑牧野和夫 32
氏︑天野文雄 33
氏の 34
論考がある︒菊地氏︑牧野氏︑天野氏の指摘はいずれも酒呑童
子退治譚に関する考察であるが︑それが﹃伊吹童子﹄にも適用
できるかといえば疑問が残る︒﹃伊吹童子﹄における酒呑童子
と最澄の対立は︑逸翁美術館所蔵﹃大江山絵詞
﹄ ︑ 35
謡曲﹁大江山
﹂ 36
に見られ︑﹃伊吹童子﹄はこれら︑もしくはその影響下にある
慶應義塾大学所蔵
本のような伝本に取材したこととなるが︑い 37
ずれも酒呑童子は比叡山を重代の住処としていたことが語られ
る︒﹃伊吹童子﹄における酒呑童子の故郷は伊吹山と設定され︑
物語作者が酒呑童子を比叡山の地主神として造型しようとして
いたかは︑物語全体を通して検討すべきである︒そこで︑大野 A⑵類の酒呑童子は﹁鬼子﹂としては誕生しないが︑以下の
通り︑弥三郎との類似性から大野木に敵視される︒
折節懐妊の月日満ちて︑平らかに産の紐を解き給へり︒こ
とに美しくけたかき男子にておはせしかば︑父の忘れがた
みに見るべしと︑喜びていつきかしづき給ふほどに︑いつ
しか弥三郎によく似給へりと人〻申あへり︒大野木殿この
よしをきこしめし︑﹁父のかたみとてもてなし給ふことは
理なれども︑弥三郎によく似候はば︑定めて悪行をなし侍
るべし︒おとなしくなり侍らぬさきに︑いかにも計らひ給
へ﹂と申つかはし給へば︑︻A⑵類︼
また︑酒呑童子の行動も弥三郎と類似性を見せ︑酒呑童子の
放棄に関与する︒
父によく似て酒をよく飲み侍しかば︑皆人︑酒呑童子とぞ
申ける︒常に酒に酔ひて心乱れ︑魂強くて咎もなき人をさ
いなみ︑野山を走り歩きて馬︑牛をうち叩きなど︑幼き身
に応ぜぬ悪行をのみ事としければ︑辺りの者これを見て︑
﹁さればこそ弥三郎殿の分身よ︒今度こそ世の人種は尽く
し給ふべけれ﹂とぞ申ける︒大野木殿このよしきこしめし︑
姫君
の方へ使を立
てて
︑﹁
何
とて
申
ことを
用ゐ給
はぬぞ
︒
只今に世のわざはひを引出し給ふべし﹂と大きに責めいさ
め給へば︑﹁父の仰せも黙しがたし︒其上︑辺りの者ども
も恐れ悲しめば︑我が手に抱へ置く事は悪しかるべし﹂と
て︑日吉の山の北の谷にぞ捨てられける︒︻A⑵類︼
︿大酒飲み﹀の性格を原因とし︑民衆に危害を加える姿はA
⑵類の弥三郎と対応する︒酒呑童子は﹁弥三郎殿の分身﹂と民
きけり︒ひえの山のひがしのみねに︑こんせきといふいは
やあり︒このところ︑よきすみかなりと思ひて︑しばらく
たちよりたり︒此ところには︑むかしより八王子と申御神
の︑てんよりあまくだらせ給ひつゝ︑ちんざなし給ふれい
ちなれば︑けがらはしのきじんや︑こゝを立のけと︑はら
ひ出し給ふほどに︑それよりにしのかた︑大びえにぞうつ
りける︒こゝにして︑ぢうしよを定めんとするに︑又︑で
んけう大師のほうりきにをされ︑山わうごんげんの神力に
おそれて︑ひえの山をばにげ出て︑にしを︵脱
︶てぞとカ38
びゆきける︒︻A⑴類︼
比叡山で酒呑童子は八王子と対立し︑住処を追われ︑大比叡
に移り住み︑延暦寺建立を目的とする最澄とそれに助力する山
王権現︵大宮権現︑二の宮権現
︶と
対立する︒
A⑵類において比叡山に放棄された酒呑童子は︑比叡山の各
所を転々と移動しながら成長を見せる︒比叡山北の谷に放棄さ
れた直後の酒呑童子の様相は以下の通りである︒
かやうに親しむべき人〻にも憎まれ︑付き従へる民百姓に
も疎まれて︑そこともしらぬ深谷に住み侍れば︑虎狼野干
に害
せられて
︑
露の命
たち
所に消
えぬべしとこそ
思
ひし
に︑あへて衰ふる気色もなく悲しめる有様もなし︒日を経
月を渡りてたくましくなりゆくほどに︑日比の形には変は
りて恐ろしくすさまじき躰なり︒平生は木の実などを採り
て食しけるが︑後には鳥類︑畜類などを服しけるとぞ聞こ
えし︒︻A⑵類︼
A⑴類のように︑動物たちに守護される様子はないが︑逞し 木による放棄後の酒呑童子の様相を以下確認する︒
A⑴類で伊吹山に放棄された酒呑童子は︑山内で動物たちに
守護されながら生活するうちに︿通力﹀を獲得し︑眷属として
鬼神を使役するようになる︒
もとよりも︑人間のたねならざれば︑こらうやかんのたぐ
ひも︑かいしんもなさずして︑しゆごしたてまつるていな
り︒さる︑うさぎ︑たぬきなどが︑おり〳〵に花をさゝげ︑
このみをかゝへてまいりつつ︑なぐさめけり︒いぶき山の
さしも草は︑ふらうふしのくすり也︒そのくさの露をなめ︑
そのしたゝれるたにの水をのみしかば︑たちまちにせんじ
ゆつをえて︑をのづから︑つうりきじざいの身とぞなりに
けり︒︵中略︶かやうに︑とし久しくなりしかども︑かの
しゆ天どうじは︑老もせずして︑十四五ばかりのどうじの
かたちにぞみえし︒その身︑いきほひさかんにして︑おほ
くのきじんをあひしたがへてやつことす︒ちからのつよき
ことは︑山をうごかし︑たにをひゞかせり︒そらをとぶ事︑
いなびかりのごとし︒︻A⑴類︼
酒呑童子が伊吹山で獲得する能力は異常な怪力︑飛行能力と
いった
人間
を
超越 した 能力 であり
︑これはA
⑴類
の
弥三郎
の
︿通力﹀の性格と対応する︒その後︑酒呑童子は伊吹大明神の
怒りを買い︑伊吹山から追放され比叡山に至る︒その様相は以
下の通りである︒
日夜 にらいどうをなし
︑ 山中 おほきにさはがしかりしか
ば︑大
みやう
神︑にくませ
給
ひて
︑このところをいでよ
〳〵とせめ給ふほどに︑つゐに︑みなみのかたへ︑とびゆ
放され︑比叡山東の峰では﹁魍魎︑鬼神は穢らはし﹂と八王子
により追放される︒すなわち︑酒呑童子は小比叡において﹁悪
鬼邪神
﹂ ︑
比叡山東の峰にて﹁魍魎︑鬼神﹂と︑︿鬼﹀として認
識される存在に至る︒また︑東の峰で酒呑童子は﹁通力自在﹂
の力を獲得する︒これは︿通力﹀の出現の予期に留まっていた
A⑵類の弥三郎と一線を画すものといえよう︒その後︑大比叡
を経由し西坂に至り︿強盗行為﹀に及ぶ︒酒呑童子は神々に敗
北する一方で︑弥三郎的性格を展開させながら成長するのであ
る︒酒呑童子の生来の性格である︿大酒飲み﹀の性格も含めれ
ば︑比叡山西坂において︑酒呑童子は弥三郎的性格を完成させ
たといえる︒
六 比叡山追放
最澄と酒呑童子の対立の経緯については︑A⑴類とA⑵類に
おいて大きな差は見られない︒最澄は鎮護国家の道場としての
延暦寺建立を桓武天皇から任され︑その領地を巡り酒呑童子と
対立する︒差を見せるのは対立構造についてである︒
まず︑A⑴類における最澄と酒呑童子の対立の様相を確認す
る︒ この時に︑大みやごんげんは︑やまとのくに︑しきのこほ
りにあまくだりまし〳〵けるが︑それより︑らうおうのか
たちをげんじて︑この山のひがしのふもと︑はしどのと云
ところにわたり給ふ︒又︑二の宮ごんげんはとうはうじや
うるりせかいより︑このみねにとびいたり給ひつゝ︑とも
に御
ちからをあはせて
︑しゆてんどうじをせめ
給
ふほど
く自活し︿獣肉食﹀に目覚める︒その後︑酒呑童子は小比叡︑
比叡山東の峰︑大比叡︑西坂へと移動するが︑この移動は︑以
下の如く︑比叡山の神々との対立と敗北を繰り返す︒
・其後︑小比叡の峰に移りてしばらくあひ住みけり︒此所に
は二の宮権現天下りおはしまして︑悪鬼邪神をいましめ給
ふゆへに︑又其峰をも逃げ出にけり︒︻A⑵類︼
・
比叡
の山の東に続
きて 峨〻 としてけはしき
峰
あり
︒この
所︑よき住処なりとて︑岩屋などを作りて住み侍りけり︒
神変通力などをも得たりと見えて︑いづくより召して来り
けん︑さま〴〵に恐ろしき眷属などを使ひけり︒しかるに
此所は金石と申て清浄の霊地なれば︑太神の御子たち天下
らせ給て跡を垂れ給ふ︒﹁魍魎︑鬼神は穢らはし︑出でよ
〳〵﹂とさいなみ給ふゆへに︑其所をば逃げ去りけり︒八
王子と申所これなり︒︻A⑵類︼
・酒呑童子はそれよりも大比叡にぞ移りける︒︵中略︶釈尊
はまた大宮権現と顕れて︑大和国磯城郡に天下り給しが︑
それよりやがて老翁の形を現じて︑この大比叡に移り給へ
り︒酒呑童子は畏れをなし奉り︑やがて大比叡を逃げ出て
西坂にぞ移りける︒この所は用害の地なり︒深き谷を切り
回し
大木
を並べ︑
大磐石
を切り通
して 数百丈
の
岩屋
を作
り︑居所を占めてあまたの眷属を従へ︑四方を駆けり歩か
せて人民の財を奪ひ取り︑山の如くに積みあげ︑野山を飛
び回りて鳥︑獣をとり貯へて朝夕の食物とぞしける︒
︻A⑵類︼
小比叡では二の宮権現の﹁悪鬼邪神﹂を戒める性格により追
に︑かのすぎの木︑一夜の間にかれしほれ︑いづちともな
くうせにけり︒︻A⑴類︼
最澄と酒呑童子は︑比叡山の神々から見れば︑いずれも外部
の存在という点において共通している︒しかし︑比叡山の神々
は最澄のみに助力し︑酒呑童子を比叡山から追放する︒最澄と
酒呑童子の差は朝廷の権威を背後に有するか否かであり︑比叡
山の神々の最澄への助力は朝廷の権威の正当性を保証するもの
といえよう︒もちろん︑﹁けがらはしのきじん﹂と八王子によっ
て称されるA⑴類の酒呑童子に︑比叡山の神々が助力しないの
は当然ではあるが︑最澄についても︑朝廷の権威を背負う存在
とはいえ︑比叡山の神々が助力する必要性は本来存在しないは
ずである︒この点はA⑵類における最澄と酒呑童子の対立のあ
り方と関係しよう︒
A⑵類における最澄と酒呑童子の対立は以下のように語られ
る︒
あまたの杣どもこれを切り倒さむとすれども︑つゐにそ
の功なりがたし︒時に大師︑十方を礼してのたまはく︑
阿耨多羅三藐三菩提の仏たち我がたつ杣に冥加あらせ
たまへ
と詠じ給ひければ︑此杉の木︑朝日に霜の解けし如くに消
え〴〵となりて失せにけり︒︻A⑵類︼
最澄は単独で酒呑童子を討ち果たすという︑A⑵類における
比叡山の神々と同様の行動を取る︒これは最澄を比叡山の神々
と等位の存在として捉えていることを示すものであり︑酒呑童
子退治によって比叡山における延暦寺建立の正当性︑比叡山の 領有権が保証されるのである︒
酒呑童子との対立後︑最澄は鎮護国家の道場としての延暦寺
建立を実現する︒その様相は以下の通りである︒
・でんけう大師︑やがて︑その地にこんぽん中だうをこんり
うし︑いわうぜんぜのそんざうをつくりすゑ︑一しつえん
とんのけうほうをしぎやうせり︒この山のありさま︑みね
にはしやなの木ずゑをならべ︑ふもとにしくはんのうみを
たゝへて︑たぐひすくなきれいち也︒又︑かいぢやうゑの
三
がくを
遍
じて
︑
三
たうをたて
︑ 一年三千
のぎをもて
︑
三千のしゆとをゝけり︒又︑山わう七しやのごんげん︑あ
とをたれて︑とこしなへに︑三ぽうをしゆごし︑あくまを
がうぶくし給ふ也︒一せうえんとんのくはんねんは︑非一
非三 無非中道のゆへをもつて︑神の御名をば山王とあが
めたてまつり︑天下のちらんを御まなじりにかけて︑めい
ぼつのしゆじやうをすくひ給ふゆへに︑仏の御名をばやく
しとたつとみ申なり︒︵中略︶このゆへをもて︑しやかに
よらいは大みやごんげんとあらはれ︑やくしによらいはこ
の宮ごんげんとげんじて︑とこしなへに︑天下太平︑ほう
そちやうきうのりやくをほどこし給ふ︒さてこそ︑ひゑい
ざんえんりやくじをば
︑ちんご
国家 のだうぢやうとは
申
也︒︻A⑴類︼
・さてこそ其地に伽藍を建てられて根本中堂と号し︑医王善
逝の尊像を据へ崇め︑天台の教法を移し給へり︒山はこれ
戒定恵の三学を表して三塔を建て︑人はまた一念三千の儀
をあらはして三千の衆徒を置かれたり︒其後︑伝教大師︑
子は﹁鬼神﹂と呼称されこそすれ︑伊吹大明神のように土着の
神とは位置づけられない︒しかし︑朝廷の権威を背負う存在と
の対立という点で共通し︑そして伊吹大明神︑弥三郎︑酒呑童
子という連続性から︑酒呑童子と伊吹大明神をオーバーラップ
させることは困難ではない︒A⑴類において︑最澄と酒呑童子
の対立は︑日本武尊東征譚における日本武尊と伊吹大明神の対
立を想起させ︑酒呑童子と伊吹大明神をオーバーラップさせる
効果を果たしているといえよう︒
最澄
に
敗北後
︑
酒呑童子
は
比叡山
を追
われ 大江山
に行き着
く︒そこでのA⑴類の酒呑童子の様相は以下の通りである︒
又︑いなづまのごとくにこくうをかけるけんぞくどもを︑
宮こにつかはして︑人のたからをうばひとり︑みめよく︑
わかき女ばうどもを︑おほくかどはしきたりて︑いはやの
うちに入をき︑すぐれたる女をばめしつかひ︑おとりたる
をばうちころし︑くらへり︒︻A⑴類︼
酒呑童子は眷属を用いて︿強盗行為
﹀を
行い︑︿人肉食
﹀の
性
格を目覚めさせ︑栄華を極めて物語は閉じられる︒酒呑童子の
成長を振り返れば︑﹁鬼子﹂として誕生した酒呑童子は︑幼少
期から弥三郎に通じる︿鬼
﹀と
認識され︑︿大酒飲み﹀︿通力
﹀と
いった弥三郎を彷彿とさせる力を目覚めさせる︒しかし︑朝廷
の権力を背後に背負う存在との対峙や︑︿人肉食﹀を好む姿は︑
作中における伊吹大明神の姿に近いといえるだろう︒大江山に
おいて︿強盗行為
﹀ ︿
人肉食
﹀の
性格を目覚めさせた酒呑童子は︑
弥三郎的性格を完成させると同時に︑伊吹大明神へと通じる存
在として大成したといえよう︒ 小比叡の岳に閑居して︑
波母山や小比叡の杉のひとり居は嵐も寒しとふ人もな
し
と詠じ給へば︑虚空に日月星の三の光あらはれ︑或ひは釈
迦︑薬師︑弥陀の尊像と変じ︑或ひは一躰となり︑種〴〵
の
奇瑞
を示し給
へば
︑ 大師 この 御有様
をつら 〳〵観
じ給
つゝ︑もとより非一非三︑中道実相の妙躰なりとて︑この
山の御神を山王とぞ崇め申されき︒御門︑大師と御心を比
給ふゆへに比叡山と申なり︒寺をば延暦寺と号し︑天台大
乗の法流を末世に栄やかし︑宝祚長久をとこしなへに祈り
給ふ︒まことにめでたき御事なるべし︒︻A⑵類︼
酒呑童子との対立構造の差と対応するように︑A⑴類は最澄
に
助力 した 大宮権現
と二の
宮権現
の
由来
が語
られ
︑A
⑵類
は
神々による最澄の祝福が中心とな
り︑延暦寺建立の正当性が記 39
述される︒物語構造の差はあるにせよ︑酒呑童子は退治される
ことにより︑鎮護国家の道場としての延暦寺建立︑すなわち比
叡山領有の正当性を保証するための存在として描き出される点
において共通しよう︒
そして
︑ 朝廷
の
権威
を
背負
う
存在 との 対立 という
点
におい
て︑A⑴類では酒呑童子と日本武尊東征譚における伊吹大明神
の姿が重なり合う︒先述したように︑伊吹大明神は東国平定の
ため蝦夷討伐の勅命を受けた日本武尊と対立する︒もちろん︑
日本武尊と伊吹大明神の対立は︑最澄と酒呑童子の対立と様相
を異にする︒前者は伊吹大明神の私怨に基づくものであり︑後
者のような土地の領有権をめぐる問題ではない︒また︑酒呑童
る︒しかし︑各要素の様相には差が見て取れる︒
A⑴類の弥三郎は︿通力﹀を保有し︑人間を超越した存在と
して描かれ︑その性格は伊吹大明神に由来するものであること
が語られる︒A⑴類における伊吹大明神に関しては︑八岐大蛇
退治譚と日本武尊東征譚が連続性を有するものとして語られ︑
これにより蛇神としての伊吹大明神像が確立し︑弥三郎の造型
にも影響を及ぼす︒弥三郎の婚姻譚は蛇聟入苧環型をもって叙
述され︑弥三郎と伊吹大明神がオーバーラップするよう描かれ
るのである︒そして︑A⑴類の酒呑童子は民衆から弥三郎の姿
を幻視され︑︿鬼﹀と認識される︒酒呑童子は鬼神弥三郎の子
という原罪により伊吹山に放棄されるも︑弥三郎的性格を展開
させながら
成長
し︑
大江山
に至
ると 伊吹大明神
を
特徴付
ける
︿人肉食﹀の性格を目覚めさせる︒また︑A⑴類では最澄と酒
呑童子の対立と日本武尊東征譚が重ね合わせられることによ
り︑酒呑童子と伊吹大明神がオーバーラップする構造となるの
である︒
A⑵類の弥三郎の性格において︑︿通力﹀は発現の予期に留
まり︑︿大酒飲み﹀︿獣肉食
﹀の
性格
は︿
強盗行為
﹀へ
と
通じる︒
このことから︿強盗行為﹀はA⑵類の弥三郎を最も特徴付ける
性格といえる︒A⑴類と同様に︑弥三郎の性格は伊吹大明神に
由来するものであることが語られるが︑A⑴類ほど常軌を逸し
た行動は取らず︑婚姻譚についても特異な描写は見られない︒
むしろ︑弥三郎の死に関しては︑酒呑童子退治譚を擬似的に展
開させることで︑酒呑童子と弥三郎がオーバーラップするよう
描かれる︒A⑵類の酒呑童子は︑A⑵類における弥三郎の︿大 大江山におけるA⑵類の酒呑童子の様子は以下の通り︑A⑵
類の弥三郎を特徴付ける︿強盗行為﹀のみが記述され︑伊吹大
明神を特徴付ける︿人肉食﹀のような性格は本文では描写され
な
40
い︒ 諸方に飛び巡りて七珍万宝をば請ひ取り︑美人貴女をたぶ
らかし来りて夫人官女の如くに召し従へ︑栄華に誇り︑快
楽を極むるよそほひ︑前代未聞の不思議なり︒世にこれを
鬼が城と申とかや︒︻A⑵類︼
A⑵類の酒呑童子は幼少期
に︿
大酒飲み﹀︑比叡山
で︿
獣肉食﹀
︿通力
﹀ ︿
強盗行為
﹀の
性格を目覚めさせ︑︿鬼
﹀と
認識される存
在へと成長する︒そして︑大江山ではA⑵類の弥三郎を特徴付
ける︿強盗行為
﹀が
再び叙述される︒弥三郎
の︿
通力
﹀が
発現の
予期に留まるのに対し︑酒呑童子はそれを獲得した点から︑酒
呑童子はいうなれば﹁真の弥三郎﹂として︑大江山で大成した
といえよう︒
おわりに 以上︑弥三郎と酒呑童子の描写に着目し︑A類の特徴の考察
を行った︒A類の物語内容は大筋で共通しながらも︑弥三郎と
酒呑童子の造型には差が見られる︒
弥三郎の存在
は︿
鬼﹀
と
認識され︑その性格としては︿通力﹀
︿大酒飲み﹀︿獣肉食
﹀ ︿
強盗行為﹀の要素が抽出できる︒また︑
︿大酒飲み﹀︿獣肉食
﹀の
性格からは伊吹大明神の姿が幻視され︑
︿獣肉食
﹀の
性格
は︿
強盗行為
﹀へ
と
通じる点︑また︑その延長
として︿人肉食﹀の性格が予期される点はA類において共通す
酒飲み﹀の性格と対応するように︑酒乱の様相を呈し︑民衆に
実害を与えていることが放棄の原因となる︒酒呑童子は比叡山
に放棄されるも︑土着の神々との対立と敗北を繰り返しながら
弥三郎的性格を目覚めさせ︑︿鬼﹀と認識される存在へと至る︒
そして︑大江山ではA⑵類の弥三郎を最も特徴付ける︿強盗行
為﹀のみが記述される︒A⑵類の酒呑童子は弥三郎的性格を完
成させるよう成長していったといえ︑A⑴類とは異なり︑伊吹
大明神の如き︿人肉食﹀の性格は語られない︒酒呑童子は﹁弥
三郎﹂という存在を越え︑﹁伊吹大明神﹂という存在には到達で
きないのである︒
A⑴類の弥三郎は伊吹大明神の姿を︑酒呑童子は伊吹大明神
と弥三郎の姿を読者に想起させるように物語が構成される︒A
⑵類の弥三郎も伊吹大明神の姿を読者に想起させることは可能
ではあるが︑酒呑童子退治譚を知る者が物語を読めば︑弥三郎
には酒呑童子の姿が重なる構造となる︒そして︑酒呑童子には
弥三郎の姿が重なるという︑相関関係にあるといえよう︒A⑴
類の物語は酒呑童子が伊吹大明神の如き荒ぶる神となる物語︑
A
⑵類
は父
である 弥三郎
の如き
存在 となる 物語 とまとめられ
る︒このような構造は物語全体のあり方とも関連する︒伊吹山と
伊吹大明神に関する記述量は︑A⑴類とA⑵類において顕著な
差が認められる︒また比叡山における神々について︑A⑴類は
酒呑童子追放に際し︑一括して由来が語られるのに対し︑A⑵
類では酒呑童子の移動に伴い︑ひとつひとつ整序して語ろうと
する姿勢が認められる︒これらから︑A⑵類には比叡山という 空間を重視しようとする意識も見いだせよう︒濱中氏はA⑴類
の成立圏を比叡山周辺と見
41
るが︑登場人物の名称も含め︑伊吹
山周辺も視野に入れる必要があろう︒A⑵類の成立圏は先述の
観点から比叡山周辺も想定可能ではあるが︑未だ検討の余地は
残る︒
例えば︑酒呑童子の遍歴において︑A⑴類の酒呑童子は︑伊
吹山と大江山で新たな性格や成長を見せるが︑比叡山内では見
せることはない︒これは比叡山の神々や最澄の霊験の影響に関
連するものと解釈できるが︑その論理はA⑵類では働かずに成
長を遂げ
42
る︒ポジとネガの関係に過ぎないかもしれないが︑比
叡山周辺で編まれた作品が邪悪なる存在に力を与える空間とし
て︑その地を描きうるかという問題が浮上する︒また︑八岐大
蛇や伊吹大明神に関する言説も多様な広がりを見せ︑これらも
考慮に入れながら成立圏を考える必要があろう︒A⑴類とA⑵
類の間には何らかの接触があり︑物語が創作されたことが窺え
るが︑物語作者をどのように想定するかについても今後の課題
とする︒
注︵
1︶松本隆信﹁御伽草子﹁酒顚童子﹂の諸本について﹂︵﹃続日本
絵巻大成 月報﹄一八号︑中央公論社︑一九八四年
︶ ︒
︵
2︶松本隆信﹁室町時代物語類現存本簡明目録
﹂ ︵ ﹃
御伽草子の世
界﹄三省堂︑一九八二年︶︒なお所蔵先の表記は略称から正式
名称に改めた︒
︵
3︶ 辻英子
﹃
在外日本絵巻
の
研究
と
資料
続編
﹄ ︵ 笠間書院
︑
二〇〇六年
︶ ︒
辻氏は大英博甲本の詞書筆者を朝倉重賢と鑑定