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1)一教育目標における思考過程の再検討を中心に一

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デ イース ターヴェ‑ク教授学の今 日的意義 に関す る研究 ( 1)

一 教育 目標 における思考過程の再検討 を中心 に一

尾 島 卓

シュライエ ルマ ッハ‑は ドイツ市民社 会形成期 に求め られた新 しい教 師の養成 に専心 しつ つ, 国民 の学校 に必 要 な教授 学理論 を構 築 した。そ して,教 師の手 引 きで もあ る彼 の主著

『教授指針』 におけ る教育 目標 には, 自 らを熱烈 な信奉者 と言 わ しめたペ ス タロ ッテの思想 ともう一人の 「教 師」であ った シュライエルマ ッハ ‑の影響 が存在 している。デ イース ター ヴェ‑ ク教授学 をこの新 たな角度か ら再解釈す ることで,我 々は,急激 な世界変化か ら生 じ る教育 と学校 そ して授業‑ の要求 に対応す る,現代 の教育学理論 ・教授学理論のあ り方 を検 討す ることがで きるのであ る。本論 は, この ような問題意識 の もと,デ イース ターヴェ‑ ク 教授学の現代 的意義 を追究す る試 みの端緒 である

Keywords :F.AW.デ イースターヴェ‑ク,自己活動 ,学校教授学,F.シュライエルマ ッハ‑

は じめに 問題 の所在 と研究 の方法

本論文 は,生誕200年 を契機 としてF.A.W.デ イー ス ター ヴェ‑ ク (F.A.W.Diesterweg,1790‑ 1866) の業績 を再評価 す る ドイツ教育学研 究お よび教授学 研究の動 向 を手がか りとして彼 の業績 の現代 的意義

を検討す る試みの一部である

このために まず,本論文では我が 国にお ける先行 研究, と りわけ彼の業績 を 「学校教 師に固有独 自な 授 業 の方法」 1)を確 立 した教 授 学 の基礎 と見 な し, ペス タロ ッチ方法 (メ トーデ)思想がそ こにおいて 発展 的に継承 された と捉 える立場 にたつ もの に限定 し,彼 の教授 学理論 の発展 過程 の特徴 を概 観す る。

デ イー ス ター ヴ ェ‑ クにお け る学 校 教授 学 の成 立 は,先行研 究では以下の囲み にあ る4つの メルクマ ールで把握 され るべ きである と述べ られているが2), 本論で は,彼 の主張 した教育 目標 に分析 の対象 を限 定 して,ペス タロ ツナ方法思想 の発展 と継承 の両側 面 につ いて分析 を行 う

1.授業における教授 と学習の統一

2.授業における 「形式陶冶」と 「実質陶冶」の統一 3.授業過程における陶冶と訓育の統一

4.授業の科学性

‑陶冶財の科学性 と授業過程の法則性 ‑

次 に,我 が 国における先行研 究 を相対化す るため に,旧東 ドイツ (以下本論では,東 ドイツ と略記す る) の教授学 史研 究 にお けるデ イース ター ヴェ‑ ク 理論 の位置づ け と評価 について概観す る。 なお, こ こで も彼 の教育 目標 を検 討の対象 とし,我が 国の先 行研 究 との異 同 を明 らか にす る。

これ らの作業 を通 して,本研 究では最終 的 に,ペ ス タロ ツナの継承 ・発展 とい う先行研 究の把握の枠 組み を越 えて,市民社会形成期 のただなかで国民教 育運動 とそれが要求す る教員養成 に 「実践者」 とし て携 わったデ イー スター ヴェ‑ クが構想 した学校教 授学 を,新 たに捉 え直す ための枠組み を明 らか にす

るこ とを 目的 としている。

第1章 我 が国の先行研 究 にお けるデ ィースターヴ エーク理論の評価

第1節 ドイツにお けるペス タロ ッテ思想継承者 と しての解釈

我 が 国の教 育 方 法 学 ・教授 学研 究 にお い て吉 本 は,デ イース ター ヴェ‑ クを ドイツにおけるペ ス タ ロ ッテ方法思想 の継承者 として評価す る。 この よう な結論 に到達す る際 に,吉本 は,デ イース ター ヴェ

岡山大学教育学研究科 学校教育系 700‑8530 岡山市北区津島中3‑ 1‑ 1

ContemporaryDiesterweg(1)‑FocusonReconsiderationofThinkingProcessinEducationalTarget TakuOJIMA

DivisionofSchoolStudy,GraduateSchoolofEducation,Okayam aUrLiversity,3‑1‑1Tsushima‑hal(a,Kita‑ku,Okayam a city700‑8530

(2)

‑クにおける教育学 ・教授学思想 に対するペ スタロ ッチの影響 を以下の3つのアスペク トか ら把握 しよ うと試みる

第1に吉本はデイースターヴェ‑クの教師及び教 師教育者 としてのライフヒス トリーを視点 としてペ スタロッチの影響 を分析 している。彼の存命中に計 4回の増補が行 われた 『教授指針 (Wegweiserzur BildungfiirdeutscheLehrer,1835)』か らだけでな

く,ベ ル リ ン教 員養 成所 に所 長 と して赴任 す る (1832年)以前の彼の教職歴 に立ち返 った詳細 な検 討 を通 して,吉本は彼の教員生活の中に埋 め込 まれ たペス タロツナの影響 を解 き明かす。 フレーベルが

「天職 と しての教 師の 自覚 を形成 した由緒 あ る学 校」3)であったフランクフル トの実科学校 において デ イース ターヴェ‑クもまた,ペス タロッテ主義者 であった校長の影響 を受けた事への着 目は, この側 面における解釈 を象徴 している

その後,エルバーフェル トのラテ ン語学校副校長 とメールスの教員養成所 を経て上述 したようにベル リンに活躍の地 を移すデ イースターヴェ‑クである が,その際の経緯が2つ 目の側面 と密接 な関係を持 っていると吉本 は解釈する。プロイセ ンにおける封 建制の克服が教育改革 を含み込 んだ社 会改革であ り,その中でペスタロツナ主義は指導者な らびに新 興市民 階層 に よって様 々な形 で支持 され ていた

「新 しい社 会の要求や必要 に応 じる学校制 度の改 革」 4)を提案 した,工業家ハルコル トがデ イース タ ーヴェ‑クの友人であ り,彼のベルリン赴任の計画 と推進 に関わった市民階級の代表者であることに, 吉本は注意 を払 う。 ここでデイース ターヴェ‑クに 寄せ られた 「ペスタロッチ主義者」 としての個人的 期待 は,教員養成及び教育改革‑の社会的期待 とし て拡大評価 される。このように,ライフヒス トリー をプロイセ ン社会改革運動の ダイナ ミズム と結びつ けることがこの側面における影響把握の特徴である。

最後に,吉本おいては同時代 にペスタロツナ主義 者 として許 された人物 との類比が視点 となっている ことを指摘 したい。「生涯を通 じて もっとも活動的に 教育改革に挺身 した理論的実践的指導者 5)として活 躍 したハルニッシュ (W.Hamisch)は,デイース タ ーヴェ‑クと同様にプロイセ ン ・ペ スタロツチ主義 者 として評価 される人物である6)。同じ方法思想の異 なる継承のされ方に着 目し, 自らをペスタロツナ主 義に対する 「正統的 ・敬度主義的な立場」 と評価す るハルニッシュによって突 きつけられた 「合理主義」

批判‑の解答 を捉 え直す ことで 「ペス タロ ツチにお ける基礎的方法が,デ イースターヴェ‑クにおいて 近代学校 における教師の教授学 として合歴史的に発

展させ られた」‖筋道において解 き明かされる。すで にペス タロ ッテの思想 に潜んでいた限界す なわち

「現存所与の社会秩序を越 えない限界内で しか も満足 した有用 なキ リス ト教的心情の人間=・(中略)‑を 陶冶 しようとす る」 8'意図は

,

「一般的人間的陶冶」

に基づ く 「形式的力の陶冶」 を社会的な機関 として の学校が行 うことで乗 り越えられるのである。

第2節 デ イースターヴェ‑ク教授学 における 「合 自然」 と 「合文化」の原則

前節で詳細 に述べたように,デイース ターヴェ‑

クの教育思想 は,吉本の先行研究において多様な側 面か ら検討 されることを通 して,ペスタロツナ教育 思想を普通学校 における教育理論 ・教授学へ と発展 的に継承 された もの として捉 えられている。換言す れば,彼はペスタロッテの方法思想における 「合 自 然」の原則 を継承 しつつ

,

「合文化」の原則 を新た に考慮することで,国民教育運動及びそれに直接的 に携わる教師教育において求め られる学校における 授業 を想定 した理論 を生み出 したのである。 ここで は,デ イースターヴェ‑クの教育 目標である 「真, 美,善に奉仕す る自己活動」 (dieSelbsttatigkeitin DiesenstedesWahren,Sch6nenundGutten)を実 現するための2つの教育原則 を検討することを通 し て,吉本によって捉 えられたペスタロッテ教育思想 の発展的継承のあ り方について検討を行 う

デイース ターヴェ‑クによるペス タロツナ理解 に おいて,彼の方法思想は子 どもたちを 「自分で考え るよう指導」9)す ることとして捉 えられた。 この よ うな前提 に基づ き,吉本は

,

「自主的に思考 し行動 す る自己活動的人間の教育」10)を目標 にすることに よって,デイースターヴェ‑クが 「固定的な ドグマ の機械 的暗唱」 11)に終始す る当時の 「古い」学校教 育の限界 を指摘 し

,

「自分で考え, 自分で語 ること ので きる国民へ と ドイツ人 を作 り変える」12〕時代の 要求に応 えようとしたことに注意 を払 う。ここか ら,

「合 自然」の教育原則すなわち 「自然的発達に従い, 子 どもの素質の 自然 な途ゆ きを企図する」教育だけ が 自己活動を育成するための最高原則であるという 結論が導 き出される。

他方 この教育 目標か ら吉本は,デイースターヴェ

‑クによるペスタロツナの思想の超克を読み取 ろう とする。合 自然の教育原則の継承においてはデイー スターヴェ‑クとペスタロツナ との間に 「基本的な 相違は存在 しない」 と分析 しつつ,吉本は以下のよ うに述べ る

「しか しその合 自然の原理の発現過程 は,必ず歴史的に制約 され,限定 されて しか存在 し ない, という認識においてデイース ターヴェ‑クは

‑ 40‑

(3)

ペ ス タロ ッテにおける 「自然」概念の含 まれていた 欠 陥 を克服 して い る

」 13)時代 に通 用 す る真 ,美 , 善へ (実質的原理) によって, 自己活動 (形式 的原 哩) を方向づ ける 「合文化」 の原理 は,ペ ス タロ ツ チの 「合 自然」原理が デ イース ター ヴェ‑ クの生 き た時代 において 「現実 に貫徹」 され るため に必要 な もの として, ここでは捉 え られてるのであ る。

以上,教育 目標 にお ける2つの原理の相互連 関 を 検討す ることで吉本 は,デ イー ス ター ヴェ‑ クに よ るペ スタロ ッテの発展 的継承が思想 の適用空 間の拡 大 (家庭 か ら学校へ) だけ を意味す るので はな く, 市民社 会 を 目指 した国家 ・国民形成運動 における諸 要求 による飛躍 であった と分析 しているのであ る

第3節 ペス タロ ッテの発展 的継承の前提条件 吉本の把握 したデ イース ター ヴェ‑ クにお けるペ スタロ ツナ教育方法思想 の発展 的継 承 は, 当時の プ ロイセ ン社会改革 と同時 に進行す る社 会経済的事情 とこれ を背景 とした国民教育運動‑ の彼 の参加 のあ り方 を要因 として必然 的に生 じた ものであ る

まず第 1の要 因 として吉本 は 「大工業生産制 に と もな う階級分裂や貧富 の対立 とい う現実」14'をあげ る。すで に第 1節 において,ベ ルリン教員養成所 長 へ の着任 に新興市民階層 を代表す る工業家が深 く関 わっていた事実 を指摘 したが,吉本 は,デ イー ス タ ー ヴェ‑ クの ライフヒス トリー において,近代産業 資本主義の発達 によって もた らされた市民生活 の劇 的変化が彼 の思想 に与 えた影響 を指摘す る。彼が兄 の友人であ り 「ライ ンの師匠」 として 「民衆学校教 師 の 信 望 を集 め て い た」 15'ヴ イルベ ル グ (J.F.

wilberg,1766‑ 1846)の影響 を受 けなが ら、 ルー ル地方の工業都市 において拡大す る経済格差が拡大 す るエ ルバー フェル トで ラテ ン語学校 で教鞭 をとっ た事実か ら

1 6 '

,吉本 は思想 に対す る社 会変化 の影響 を読み取 る。そ して,ペス タロ ッテの時代 には顕在 化 してい なか った格差社 会 の到 来が

,

「合 自然」 原 理 の復唱ではす まされ ない継承 にデ イース ター ヴェ

‑クを向かわせ たのである

吉本 は また

,

「合 自然」 の原理 と 「合 文化」 の原 理 との統一 にあたってデ イー ス ターヴェ‑ クが とっ た立場 を以下の ように述べ てい る

「かれ は この二 つ の原理 の統一 について,それの理論 的整合性 を求 め る 「書斎 の人」 ではなか った。」17)「フラ ンス革命 前の啓蒙時代 の教育者 として人間教育」 につ いて考 えたペ ス タロ ツナ とは異 な り,デ イース ター ヴェ‑

クが 「指導 して養成 しようとした教 師のための学校

のであ り

,

「彼 は‑・(中略)‑ 「教 師」であ り

,

「教

師養成 者」 だ った ので あ る。」19)この よ うな立場 か ら国民教育運動 の さ らなる拡大 と発展が彼 に求めた 役割 は, したが って,ペ ス タロ ッチにお ける方法思 想の中心 であった 「自己活動 を 「多面的な,応用可 能 な新 しい時代 の知識, と りわけ 自然科学 的教授 の 必要性」20‑か ら生 じる 「合文化」 の原理 に よって補 足す る ことだ とされ る

本節で概観 した ように,吉本は,デ イースターヴェ

‑ クにお けるをペ ス タロ ッテの方法思想 の発展 的継 承 を 「学校教授学」理論の成立過程 と捉 える。 そ し て, この理論 は民主主義 と科学が 人民の解放 と市民 国家の成立 に とって不可欠 な ものであることが認識 され, これ らの要求 に応 える学校教育構想及 び教 師 教育実践 の接 点 にお いて, デ イース ター ヴェ‑ クの 専心奮 闘の結果,成立 したのであ る。

第2章 旧東 ドイツ教授学研究にお けるデ ィースタ ーヴ エー ク評価

第1節 教授 学 史研究 にお けるデ イース ター ヴェ‑

クの位 置づ け と評価

我が国の教授学研 究 ではペス タロ ッテ方法思想 に 基づ く学校教授学 の開拓 を行 ったデ イー ス ター ヴェ

‑ クの教育理論及び授業理論 は,それでは ドイツで は どの ように評価 されてい るのであろ うか。 ここで は東 ドイツの著名 な教育史研究者であるフラ ンツ ・ ホフマ ン (FranzHofmann)の所論 を手がか りに教 授学思想 史にお ける位置づ け と評価 を概観 したい。

ホ フマ ンは,デ イー ス ターヴェ‑ クの労作が 「ド イツにお け る教授 学研究 を前進 させ た最高位」 21)の 評価 を受 けてい るい う一般 的な言説の存在 を指摘 し つつ,前世代 の著名 な思想家 らの業績 とのちが い を 次 の ように指摘 す る

「デ イース ター ヴェ‑ クの労 作 は‑ (中略) ・・・明瞭 な概 念で もって評価 され る事 もない し,概 念の一つが一連の系統 に位置づ け られ てい るわけで ない」 22)。 ドイツの教授 学思想研 究 で は,ヘ ルバ ル トとヘ ルバ ル ト学派 よ りはその業績が 過小評価 され る根拠 をホ フマ ンは,彼の労作 におけ る根拠付 けがあ る部分では科学 的で理論 的であ った り,他 の部分 で は教育実践 に即 した ものであった り す ることに求 めてい る。

この ような教授学研 究 における根拠付 けの暖昧 さ は, しか しなが らホ フマ ンに よれ ば教育学研 究の学 的性格 にたいす る極 めて現実的な評価か ら生 じた も のであ る とされてい る

まず もってデ イー ス ター ヴェ‑ クは,教育学が他 領域 の科学 を 「下部」 として,それ 自身 を体系化す る構 造 に懐 疑 的で あ った ので あ る

「詳述 す れ ば,

(4)

教育学の基礎 となった りあるいは下支 えす る科学‑

(中略) ‑ は教育学 に満足 で きる 「体系」 を与 える とい うあ らゆる要求 に対 して まだ十分に応 え られな い」 231ことを根拠 に教育学理論 を体 系化す ることを デ イース ターヴェ‑クは断念す るのである

また,そ もそ も教育学 における体系化 その ものに 対 して,デ イース ターヴェ‑クが現実的な評価 を下 しているとホフマ ンは指摘す る。「絶 え間ない変化の なかで人類のことを概念的に問題 とす る 「経験科学」

は教育学 を歴史の中で常 に変化 している社会的条件 に基礎づける。」21'したがって彼 にとって教育科学は, 体系化へ と構築 されるのではな く,む しろ 「学説の 組み立ての部分 を常 に時間 と場所へ と適応 し,関係 と状況のちがいに即 してモデ フアイす ること」25‑を 成立根拠 としていると把握 されているのである。

以上で見て きたような現実的評価 に基づ くことで, デ イース ターヴェ‑クは,市民社会生成期以前の教 育学研究が指向 した 「体系化」ではな く

,

「方法的 一 実践 的な熟考」 26‑を最大の関心事 として教育学お よ び教授学 における理論構築 を試みたのである。

第2節 デ イース ターヴェ‑ク思想形成 における教 育実践 ・教員養成の影響

デ イース ターヴェ‑ ク教育学 ・教授学理論におけ る追究が 「方法的 一実践的な熟考」 であった と見な す ホ フマ ンは

,

教授指針』 に凝縮 された理論 に対 して実践者及び運動家 としての活動が影響 を与 えて いることに着 目す る。ホフマ ンによれば 『教授指針」】 は,「で きるか ぎり高い次元で教員養成へ貢献 しよ うとす る」デ イースターヴェ‑クの関心 を出発点 と している。 とりわけ

,

「授業 を改善す ることだけが, この ことと同時に国民学校の教師の立場 を社会的に 高めることだけが教師の見方 を高めるのであ り, こ の ことな しに国民学校制度の隆盛 は偽 りの ままであ る」 27'とい う問題意識 に対す る固有 な解 答 と して

『教授指針』は読み解かれるべ きなのである。

それでは,教師養成の理論的ない しは実践 的指導 者 として授業改善 による国民学校 における教育の充 実 を実現す る彼 にとって乗 り越 えるべ き課題は何で あったのだろうか。それは,科学的 一演禅 的に導 き 出される認識 と教育実践か ら導 き出 される基本的で 経験 的な認識 との関係 において教育学 は理論構築 を 行 わなければな らない とい う課題 であった。 「した が って,彼 (デ イース ターヴェ‑ク :論者注)が定 式化 しているように,教師は 「頭の中ではまった く 正 しい教育の体系 を持 ちなが ら,実際 に教育す るこ とに対 しては十分 に力 をだす ことがで きない」28)の であ り

,

「一般 的な もので科学 をは じめた り,特殊

な ものか ら科学 をは じめた り,認識の内容が反対 向 きに並 んでいるのに, これ らをで きる順番で一つず つ な らべ た りして しまう」 のであ る

.

」 39'ここで指 摘 されてい る教員養成の課題 を克服す るため には, 教育学 は 「閉 じられた成果 を差 し出す」

,

「教壇 の教 育学」 に止 まっていてはならないのであ り,彼 自身 もまた真理 を 「生成 しつつある もの」 として論究す る態度を自らに課 したのである301。

したがって,ホフマ ンによればデ イース ターヴェ

‑ クにおける理論的検討では,概念 を明確 に打 ち立 てることに価値が兄いだされていたのではな く

,

「理 論的なもの と実践 的なもの とを互いに組み合わせ る ことによって,実践 で活躍 し成長する教師に,教育 過程のダイナ ミックな性格 をで きる限 り目に見 える 形にすること」 31)に重 きが置かれていたのである。

第3節 授業改造の契機 としての 「自己活動」 の二 面性

前章で見た ように,デ イースターヴェ‑クの教育 理論 をペ ス タロ ッテの発展 的継承 として捉 える場 令

,

「真 ,美,善 に奉仕す る自己活動」 として教育 目標 を言語化す ることは,合 自然の原理 を社会 と時 代 に即応 して捉 え直す具体的な作業であった。それ では,本章で これ まで述べて きたような,従来の教 育理論 (思想) とは質的に異 なる教育学 「理論」 と してデ イー ス ター ヴェ‑ クの主張 を捉 え直 した場 令, この教育 目標 の もつ役割は どの ように変化す る のであろうか。 この ことについて,ひ きつづ きホフ マ ンの所論 を手がか りとして検討 してみたい。

まず確認 しておかなければな らない事 は,ホ フマ ンの分析 において も 「自己活動」 は過去 の多様 な教 育方法思想の継承 として一方では把握 されている と い うことである

「内容 としてここ

(

教授指針』 に

おいて定式化 された教育 目標 「真,美,善 に奉仕す る自己活動」 :論者注)で表現 されているのは,普 蒙主義 に基礎 をもち ドイツ観念論 と ドイツ古典文学 に方向付 け られた世界観 についての根本的な信念で あ り, ルソー とペ スタロ ッテによって追い求め られ た教育方法論の立場 であ り,プロイセ ン革命か ら生 じ空想社会主義思想 にまで適応 で きる豊かな政治行 為であ る

o

」 32'人間のあ らゆる素質 と諸力の発展 は,

ドイツ観念論思想に出自と系譜を持ちなが ら,一方で は人間陶冶 (教育)の基本原理 として,他方では市民 社会における自由な自己決定を実現するための原理 と

して,ここで も同様に捉えられているのである。

古典的な方法思想である 「自己活動」 を, しか し なが らデ イース ターヴェ‑クが授業お よび教師の実 践的力量の問題 として捉 え直 したことに,ホフマ ン

42 ‑

(5)

は教授 学理論 史 にお け る発展 を捉 えるのであ る

「この ような授業 (子 どもの知的 一精神的諸力 を刺 激するような授業 :論者注)は,当然 に教師の質に よって成立 し,子 どもの諸力の 自己活動 を高める能 力 を教師が持っているか どうかに依存する。‑ (徳

略)‑」 33)ホフマ ンによれば, この ような授業 は教

師に「強い意志の力や集中力 を求めるだけではな く,

「内容 と形式,事柄の内容 と方法」 に したが って題 材 を取 り扱 う卓越 さをも要求す る」 34)ものであ り, 以下の指摘する 「人間性 を持 った教師」であるか否 かが 自己活動 を高揚 させ る授業の成立にとって重要 となるのである

「結局のところ (教師に :論者注) 求め られるの は教師が陶冶 と訓育 を作用 させ るの

は,言語 と振 る舞いが不可分 に統一 され,彼が教 え るこ とを論 じつつ実現 しようとす る とい う時であ る

o

」 35‑ホ フマ ンが指摘す るように他 の箇所ではデ イースターヴェ‑クは,子 どもの知的陶冶 を行 う授 業 が陶冶 された教 師か ら出発 す る と述べ てい る

『指針』 において陶冶 を 「知の媒介 と全面的な諸力 の展開を併せ持つ」 もの として捉 えていることを改 めて加味 して,デイースターヴェ‑クが教師に求め ていたことを考えると,教師 もまた以下の ような自 己活動の中に居 る存在であるといえる。 「そ う, 自 己活動 は 「人間のあ らゆる素質 と諸力の発展」 を目 指すのである。‑ (中略)・・・自己活動が意味 してい るのは

,

「人間が辛抱 して受 け身的に自己投企 した り自己否定す ることにおいてではな く,活動 と彼の 使命 に努力することであ り,すなわち自己活動 にお いて表現 されているのは人間が 自らの中に彼の労力 と行動 の動機 をさが きなければな らない とい うこ と」である。」36‑

学校 における授業 を中心 とした教育的営為の 目標 である 「自己活動」は,このように見 ると同時に教 員養成の 目標お よび到来 しつつある市民社会の学校 授業 に求め られる教 師像 を も含意 しているのであ る。 また彼が教育について論究す る際に概念の展開 にもとづ く体系化 を行わなかったことも, この教師 に求め られる自己活動 にも由来す る

「それゆえ彼 (デ イースターヴェ‑ ク :論者注) 自身,教育学の 理論的問題について論究する際には, 自立的な思考 を刺激 させ るところでは,真理は完成 した ものでは な く,生成 しつつあるもの として考慮 され,閉 じら れた成果を差 し出す ことを避けるお手本教師であっ たシュライエルマ ッハ‑を追随す るのである

「人 間精神 を狭め,認識の前進 を損 なわせ る」 ようなあ い もかわ らず に説明 される ドグマ を敵 としなが ら, 彼は法則 を与 えるものではな く,忠告 を与 えるもの

としての役割 を果たそ うとしているのである

」 37)

第3章 デ ィースターヴエーク教育理論の生成発展 に関する先行研究の成果 と課題

第1節 先行研究 における教育 目標分析視点の違い 以上,第1章及び第2章 を通 して,デイースター ヴェ‑ク教育理論及びその背景 に関する概観 を行 っ て きた。 この ことを通 して明確 になったことは,二 つの先行研究においては,教育 目標が当時のプロイ セ ンにおける国民教育の理念か らの要求 を実現する ものであ り,同時にそれは人間自然の発見 とそれに 基づ く教育方法思想 を歴史的に継承 しているという ことであった。 しか しなが ら,デ イースターヴェ‑

クの提唱 した教育 目標 の実質的部分す なわち 「真, 莱,善」の成立に関する解釈 において,吉本 とホフ マ ンには相違が存在する。本章では,相違の由来が 陶冶の実質的側面 を分析する視点か ら生 じることを 明 らかにす ると同時に, ここにこそ,デ イースター ヴェ‑ク教育理論 を現代 において再評価する契機が 内包 されていることを論究 してい く

まず もって,すでに本論で扱 った吉本の先行研究 における解釈 を改めて総括 したい。 「したが って, デイースターヴェ‑クは,教授方法に対 して,ペス タロツチ と同様 にそれが 「合 自然的」であることを 要求 しなが らも,それ に止 まらず 同時 に,それが

「合文化」であ り

,

「合時代」であることを要求 しな いわけにはいかなか ったのであ る

」 38'この ような 前提の下で,吉本は,合 自然性の原理の発現過程が 制約 ・限定 される歴史的要因に着 目する。すなわち,

ここでは

,

「いつ,いかなる時代 に も通用す る絶対 的な真,莱,善 な どとい うものはあ りえない」39'大 工業生産を下部構造 とした激 しい社会変化が,それ に相応 しい文化内容 として 「真,莱,善」 を学校教 育の 目標 に要求す るのである。 この ように吉本の解 釈では,教育 目標 の前半部分 は

,

「合文化」の原理 の具体的表現 として とらえれているのである。

それでは他方,東 ドイツでは 「真,美,善」‑の 到達過程 は どの ように分析 されてい るのであろ う か。結論 を先 に述べれば, 目標 はあ くまで も合 自然 の原理か ら直接 に導出されているのである。具体的 には,前章3節で挙げた 自己活動の問題すなわち自 己活動 を惹起す る困難 さが

,

「真,莱,善」 を要求

したのである。ホフマ ンは,このことを以下にあげ たデ イース ター ヴェ‑クの言葉 を用いて隠愉す る

「教師は,彼が生徒 に計算 を教 え形の測定 を教 える ことで,彼 に正 しいこと善いことを愛 し,身につけ るこ とを教 えるのだ。他 の部分で彼 (ペス タロ ツ チ :論者注)が説明 しているのは

,

「角度 と直線 を 正 しく見つめる」 人は

,

「また,正 しい ことと誤 っ

(6)

た こ とをない まぜ に しないで,正 しい こと とそ うで ない こ とを細 か く区別 して見 つ め る こ とを教 え る」

のであ り, こ うい うものが真実 と正 しい事柄 にな り うる とい う こ とで あ る

。 」

40'先 に述 べ た よ うに 自己 活動 を刺 激 す る授 業 は,高い要求 を教 師 に もとめ る ものであ るが ,教育 内容 の科 学 的追究 とい う教師の 使命 に おいて最 も基本 的な姿勢 の徹底 が, この要求

に応 える端緒 となるのである

故 に

,

「真 , 美 ,善 に奉 仕 す る 自己活 動 」 とい う 教 育 目標 は, 国民学校 に集 う子 どもの教育 目標 であ る と同時 に教 師 に求 め られ る学ぶ もの としての姿勢 あ るいはそれ を育成す る教 師養成 の課題 と して も捉 え られ得 るのであ る

第 2節 デ イー ス ター ヴ ェ‑ ク教 育 理 論 にお け る シュ ライエ ルマ ッハ ‑の影響 に関す る仮説 前節最後 で述べ た理論分析 の仮説 は吉本 による先 行研 究 において看過 されてい るデ イース ター ヴェ‑

クの ライフヒス トリー を根拠 としている。吉本 はデ イ ー ス ター ヴェ‑ ク を 「熱烈 なべ ス タロ ツチ主義者」

と見 な し 「学校教授 学」理論 の成立過程 の検討 を行 ってい るが, ここで は ロー ター ・ク リングベ ル グの 先 行 研 究 を も とに

,

「も う一 人 の 教 師」 で あ っ た シュ ライエ ルマ ッハ ‑の影響 の有無 をデ イー ス ター ヴェ‑ クの ライ フヒス トリーか ら検 討 したい 411

ベ ル リ ン大学 の神学 ・哲学教授 で あ った シュライ エ ルマ ッハ‑ (FriedrichSchleiem acher,1768‑1834) は, ク リ ングベ ル クに よれ ば

,

「同時代 の多 くの著 名 人 と同様 に,豊 か な才能 と多面性 を持 つ」 42‑人物 で あ り

,

「大地 の ような寛容 さ と普遍 的 な学識 ,餐 国者精神 と好戦性 お よび聞 き手 を揺 り動 か し,魅 了 し惹 きつ け る高等教 育 の教 育 者 と しての才 能」43)が あ った人物 だ と言 われ ている

1810年 :ベルリン大学創立

神学 ・哲学の教授 としてシュライエルマ ッ ハ‑が招聴 される

1826年 :シュラエ イルマ ッハ一による 「教育学」講 義が行われる

1832年 :デ イースターヴェ‑ ク,ベ ル リン教員養成 所所長 として赴任

1833年 :同大で行 われたシュライエルマ ッハ‑の講 義 (倫理,政治,心理学)にデ イースター

ウェ‑クが参加する

1834年 :シュライエルマ ッハ‑死去 (2月12日) 1834年 :ベル リン教員組合でデ イース ター ウェ‑ク

が 『シュライエルマ ッハ‑の教授法』 を講 演する (6月14日)

1835年 : 『教授指針』出版

1847年 :C.platzが出版 したシュライエルマ ッハ‑の 教育学講義に関する覚え書 きを出版

それでは, デ イース ター ヴェ‑ ク と彼 とは実 際 に どの ような関係 にあ ったのであろ うか。 この こ とに つ いて , ク リ ングベ ル クの所 論 44'を手 が か りと し て作 成 した前 出の略年表で整理 したい。

まず ,確 認 しなけれ ばな らない こ とはデ イース タ ー ヴェ‑ クが シュラ イエ ルマ ッハ ‑の大学講義 を受 講 してい る とい うこ とであ る。 ク リングベ ル クに よ れ ば, この講義 は 「政 治学,倫理学 ,心理学」 であ ったが, ここでデ イース ター ヴェ‑ クは 自らを 「最 も熱心 な聞 き手の一人」45)であった と回想 してい る。

次 に重要 な ことは,デ イース ターヴェ‑ クの主著 で あ る 『教 授 指 針 』 が , 講 義 参加 の後 , か つ 講演

『シュライエ ルマ ッハ ‑の教授 法 』 とほぼ 同時期 に 出版 されてい る とい うことをあげたい。 デ イース タ ー ヴェ‑ クは シュラ イエルマ ッハ ‑ を 「私 の教 師で あ り続 ける46)」 と賞賛 している

しか しなが ら, デ イース ター ヴェ‑ クは シュライ エ ルマ ッハ ‑の教育 思想及 び教育理論 の継承 ・摂取 を したので はな く,あ くまで も彼 が受講生 (学 ぶ も の) と して体験 した講義が影響 を与 えてい る とい う こ とであ る。 この こ とはシュライエ ルマ ッハ ‑逝去 の同年 に行 われた講演題 目だけで な く, シュライエ ルマ ッハ ‑の 「教 育学講義」 にデ イー ス ター ヴェ‑

クが参加 で きず , またプラ ッツに よる聞 き書 きの出 版が, デ イー ス ター ヴェ‑ クの主著 であ る 『教授 指 針』以 降に出版 されていることか らも明 らかである。

デ イー ス ター ヴェ‑ クは, 自 らが参加 した シュラ イエ ルマ ッハ ‑の 講義 を 「発展 的 (Entwickelnd) な方 法 」 と して紹 介 し, そ の講義 が 以 下 の よ うに

「生徒 を 自己活 動 に向か わせ る47)」 もの であ った と 述べ る

「彼 (シュ ラ イエ ルマ ッハ ‑ :論者注 ) の 使 った方法 の ように精神 を刺激す る方法 はない。 こ れ は躍 動 的 な思考過 程 だ った し, この思考過 程 は, シュラ イエ ルマ ッハ ‑の見 てい る ものであ り,最 も 躍動 的で直接 に把握 可能 な 目の前 の観念 におけ る も の であ る。人 々 は考 えなが ら見,考 え なが ら聴 き, それ を感 じるので あ る。48)」 前節 で引用 した数 学授 業 の例 を この コメ ン トと結 びつ けた場 合

,

「最 も熱 心 な聞 き手の一人」 であ ったデ イー ス ター ヴェ‑ ク が 「私 の教 師であ り続 け る」 と賞 賛 した講義 の 中で 味 わ った授 業 もまた

.

「真 ,美 ,善 に奉 仕 す る 自己 活動」 を教育 目標 に掲 げ る要 因 となった と解釈 しう るのである。

第3節 デ イース ター ヴェ‑ ク教育学理論 の今 E]的 意義 と再評価 のための課題

デ イー スター ヴェ‑ ク教育学理論 にお けるシュラ イエ ルマ ッハ ‑の影響 につ いて検 討す る こ とは,前

I 44‑

(7)

者の教育学 ・教授学理論 を 『学校教授学』理論の成 立 として把握 した吉本の先行研究では,わずかに言 及 されているだけである。 この原因についてク リン

グベルクは次の ように指摘す る

「多 くの人物研究 の中で 「シュ ライエ ルマ ッハ‑の教授 法」 の講演 (以下

,

「講演」 と略記) については,周辺 的な扱い を受 けている。 49)」 ク リングベルクによれば

,

「デ イ ース ターヴェ‑クの書簡 には, シュライエルマ ッハ 一に関 してさかれている部分」があ り, シュライエ ルマ ッハ‑ を下敷 きに した言及や 「権威 的な存在」

として扱 っている部分が多いにも関わ らず, シュラ イエルマ ッハ‑の影響 とりわけ,大学の講義 を媒介 とした二人の出会いは,デ イース ター ヴェ‑クにお ける理論形成 において,その役割 と意義 を兄いださ れなかった歴史的事実 なのである50)。

したが って, シュライエルマ ッハ一におけるデ イ ースターヴェ‑クの問題 を検討す ることは次の二つ の点で今 日的意義 を持つのである

まず第 1に,デ イースターヴェ‑クの人物研究 に おいて, この間題は新 たな局面 を開 くものであ る

これまで述べ て きた ように我が国の先行研究 とりわ け教授 学研 究 にお けるデ イース ター ヴェ‑ ク解 釈 は,ペ スタロ ッテ方法思想 との関連 において追究 さ れて きた。「合 自然の原則」 の継承発展 を学校教育 において検討 されて きた とされるデ イースターヴェ

‑クの理論は,発展 における 「もう一人の教師」の 影響か ら見直 されることで,未だに くみ尽 くされて いない潜在的可能性 を明 らかにする と考え られる。

このためには,主著である 『教授指針』出版以前 のデ イース ターヴェ‑クの ライフヒス トリーに与 え たシュライエルマ ッハ‑の 「直接」 の影響 を詳細 に 分析す る必要があ る

『教授指針』 において示唆 さ れている 「授業方法」 と講演 「シュライエルマ ッハ

‑の教授法」 におけるそれ らとの比較検討 を行 っク T)ングベ ルクの先行研究 を参照 しなが ら,更 に大学 教育 に関 してシュライエルマ ッハ‑ 自身が抱いてい た課題 を検討す ることで,講義 を媒介 とした理論形 成の実態 に迫 る必要がある

第2の意義は,デ イースターヴェ‑クの諸理論 を, 教 員養 成実践 の文脈 か ら再 評価 す る こ とにあ る

『教 授 指 針

l, を ま さ に 教 師 の た め の 手 引 き (wegweiser)として読 むため には,実質 (内容) に影響 を与 えたペス タロッチ‑ との関係か らだけで な く,形式 (方法) において影響があった と考 え ら れるシュライエルマ ッハ‑ との関係 もデ イース ター ヴェ‑クの諸理論 は捉 え られる必要がある。

授業 「方法」 に関す るデ イース ターヴェ‑クの記 述 は,従 来 「彼 (デ イース ターヴェ‑ ク :論者注)

が 「方法」 (Methode)の概念 を多義 的 にそ して, 多層的に使用 している」 ため理解が困難 なもの と理 解 されて きた51)。 シュライエルマ ッハ‑ とデ イース ターヴェ‑クの関係か ら授業過程 に関す る記述及び 理論 を読 み直す こ とは

,

「ペス タロ ッテの 「方法」

との対比 において」 このことに取 り組んだ我が国の 先行研究 を更 に豊か にす ることであろう。 また,チ イース ターヴェ‑クが理論形成 において兄いだ して いた価値,す なわち 「実践 的に活動 し成長す る教師 に,教育過程 の ダイナ ミックな性格 をで きる限 り目 に見える形 にす る」 ことが教員養成 に果たす役割 を 再検討す る手がか りを,ベル リン大学の講義 におけ る二人の 「出会い」 は提供 しうると考え られるので ある

<

注 >

1)吉 本 均 『学校 教授 学 の成立 』 明治 図書 出版 , 1986年,23頁

2) 同上書,152頁参照。 なお本文中の囲みは, こ こを参照 して論者が作成 した ものである

3)同上書,123頁 4)同上書,133頁 5) 同上書,135頁 6)同上参照。

7)同上書, 8)同上書, 9)同上書, 10)同上書, ll)同上 12)同上書, 13)同上書, 14)同上書, 15)同上書, 16)同上書, 17)同上書, 18)同上書, 19)同上 20)同上書, 21)Franz

151頁 140頁 131頁 143頁

131頁 142頁 146頁 125頁参照 124頁参照 147頁 130頁

147‑ 148貞

Hofmann:StudienZurGeschichteder btirgerlichenDidaktik.Belrin,YolkundWissen VolkseigenerVerlarg,.1989.S.197.

22)Ebenda.

23)Ebenda.S.198.

24)Ebenda.

25)Ebenda.

26)Ebenda.S.199.

27)Ebenda.S.200,

(8)

28)Ebenda,S.199.

29)Ebenda.

30)vgl.ebenda.S.199.

31)Ebenda.S.202.

32)Ebenda.S.203.

33)Ebenda.Ss.206.

34)Ebenda.S.207.

35)Ebenda.

36)Ebenda.Ss.202.

37)Ebenda.S.200.

38)吉本,前掲著,130頁 39)同上書,146頁

40)FranzHofmann:StudienzurGeschichteder btirgerlichenDidaktik.Belrin,YolkundWissen volkseigenerVerlarg,.1989.S.208.(なお引用 内の

デ イース ターヴェ‑ クの言葉 は,以下か ら重 引

F.A.W.Diesterweg.SamtlicheWerke.HrsgYon H.Diters.u.a.,YolkundWissenVerlag,Berlin 1956.Bd.Ⅴ,S.236)

41)vgl.LotharKlingberg:DiesterwegsRede"Uber dieLehrm ethodeSchleiermachersrT,Zum EinflulB SchleiermachersaufDiestewegsBegriffYon Unterrichtsmethode.In:Ge一dHohemdorfund HorstF.Rupp(Hrsg.):Diesterweg:Padagogik‑

Lehrerbildung‑Bildungspolitik.Weinheim

,

DCutscherStudienVerlag,.1990.S.1451163. 42)Ebenda.S.147.

43)Ebanda.

44)vgl.ebenda.S.148‑149.

45)Ebenda.S.146. 46)Ebanda.

47)Ebenda.S.150.

48)Ebenda.S.151. 49)Ebenda.S.145.

50)vgl.ebenda.

51)吉本,前掲著,196頁 を参照。

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