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Golden Age Determination ― 熱水鉱床のTe-Xe 年代測定への道―

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(1)

1.は じ め に

昨年,私は学会から予想もしなかった立派な賞を頂 いた。受賞講演でテルルを含む熱水鉱床の年代測定に ついて話したが,130

Te

のダブルベーター(ββ)崩壊 の研究は大学院での私の研究テーマだった。その後地 球惑星物質の研究が私の研究テーマに加わったが,

ββ崩壊は今も私にとって最大の関心事である。懇親 会の席で学会誌「地球化学」の編集長から,若い世代 の会員のためになるような話を会誌に書くように依頼 された。これは難しい注文だが,何か書かねばならな いかと観念して引き受けた。しかし妙案があった訳で はない。思案の末,説得力があるのは自分の経験にも とづく話しかないと思ったので,それに的を絞って書 くことにした。

私が修士課程でββ崩壊の研究を始めたとき,日本

には極微量の希ガスの同位体比を測定できる装置がな かったので,研究を進めるためには極微量の希ガスの 同位体比の測定と定量を行なう技術の開発が不可欠 だった。従って,130

Te

のββ崩壊の研究の歴史は,極 微量希ガスの同位体比分析技術の開発の歴史と重なっ ている。また私は,2年間の国外留学を挟んで,36年 間に3つの大学で研究・教育を経験した。若い頃の極 微量希ガスの同位体分析に関する新技術の開発の経験 は,次の世代の人達の役に立つかも知れない。また新 たに転勤した大学に新しい研究室を立上げる経験は,

将来,新しい地に新しい分野を拓こうと考える人に とって,何かの役に立つのではないかと考えた。

テルル鉱物は金鉱床の重要な含金鉱物であり,また 金を含まない場合でも他の金鉱物と共生する。テルル を利用した金鉱床の年代測定を行なうためには,130

Te

のββ崩壊半減期が不可欠である。130

Te

の半減期はま だ最終的に確定されていないが,物理学者によるカウ ンター実験(e.g., NEMO-3)の結果が発表され始めた ので,130

Te

の半減期が決定されて

Te-Xe

年代測定法

2009年度柴田賞受賞記念論文

Golden Age Determination

―― 熱水鉱床の Te-Xe 年代測定への道 ――

高 岡 宣 雄

(2010年2月9日受付,2010年4月8日受理)

Golden age determination

――A way to the Te-Xe dating of hydrothermal deposits――

Nobuo T

AKAOKA

Kyushu University(Emeritus Professor)

Koyo-dai 6-3-8, Fukutsu-shi, Fukuoka 811-3223, Japan

From experimental and historical points of view, the author reviews his works on the tech- nical development for isotopic studies on ultra-micro amounts of noble gases, and the determi- nation of

130

Te double beta-decay half-life, which enables us to date hydrothermal deposits, in particular for gold telluride minerals. In addition, he describes his experiences of terrestrial and extraterrestrial noble-gas studies, and founding a new SIMS-laboratory in Kyushu University for extraterrestrial samples as well.

Key words: noble-gas mass-spectrometry,130

Te double

β

decay, Te-Xe dating, earth and plane- tary matters

九州大学(名誉教授)

〒811―3223 福岡県福津市光陽台6―3―8

Chikyukagaku(Geochemistry)44,51―62(2010)

(2)

が実用化される日もそう遠くないだろう。NEMO-3 の結果(Barabash, 2008)は,私達が

Te

鉱物を使っ て求めた130

Te

のββ崩壊の半減期と誤差の範囲で一致 している。

ββ崩壊は,M. Goeppert-Mayer(1935)によって

75年前に予言された。このテーマは,それ以来理論・

実験両面からいろいろ研究され,現在も

NEMO-3の

ように,半減期の測定とニュートリノ質量の決定を目 的にした研究が活発に行なわれている。私が生まれた のはダブルベーター崩壊の予言の2年後で,私 は 今

golden age

といってよい年齢になった。ββ崩壊 研究の歴史も

golden age

である。以下の拙文では,

golden age

に3重の意味を込めて,極微量の希ガス同 位体分析法の開発,130

Teββ崩壊半減期の決定とそれ

に基づく金鉱床の

Te-Xe

年代測定(golden age deter-

mination)を目指す研究を軸に,筆者の地球惑星化

学への関わりについて述べる。

2.

大阪大学時代(1960〜1979年)

2.1 緒方先生との出会い

1960年,大学4年生になり卒業研究のために緒方惟

一先生(故人)の研究室に配属された。当時も現在と 同様,学生の希望に基づいて配属先が決められていた と思うが,どの様な理由あるいは動機から緒方研を希 望したのか,記憶をたどっても思い出せない。こんな 研究がしたいというような真っ当な理由ではなく,

多くの人のすることはしたくない という天の邪鬼 な私の性質のためではなかったかと思われる。当時 は,物性物理や原子核・原子力物理などが花形だっ た。 質量分析器 (mass spectrograph)を使った原 子質量の測定が緒方研究室の中心的な研究テーマで,

高 感 度 の 希 ガ ス 質 量 分 析 計 (mass

spectrome- ter)で新しい研究を始める計 画 が あ る と は 知 ら な

かった。たまたま入ったところ,非常に稀なチャンス に巡り合ったということだろうか。卒業研究のテーマ は ノズル噴射によるガスの分離 で,ネオンガスを ノズルから真空中に噴射した時に起こる同位体分別を 質量分析で確かめることだった。ノズル噴射による同 位体分別は圧力勾配による拡散(圧力拡散)によって 生じる。ご存知のように,拡散には濃度勾配による拡 散,圧力勾配による拡散,および温度勾配による拡散 がある。卒業研究はββ崩壊とは 無 関 係 だ が,私 に とってこれは最初の希ガス質量分析であり,大学院で の研究への第一歩として重要な意味をもつので,簡単

に述べたいと思う。

実験を直接指導して下さったのは,当時助手だった 岡野純先生(故人)だった。理学部の金工室で真鍮製 のノズルと円錐形をしたガス流の分離器を作ってもら い,それを軟質(ソーダー)ガラスで作った真空ライ ンにピッチ(一種の接着剤)でくっ付けて実験した。

軟質ガラスの細工では,経験した人なら分かるよう に,丁寧な加熱・なまし,間延びしない手際よい作業 など,硬質ガラスでは経験しない注意深い取り扱いが 必要である。加熱時間が長くなると起こる失透や太い ガラス管の曲げなどで苦労したが,これに馴れること によって私のガラス細工の腕は確実に上達した。後に 硬質ガラスを自由に使えるようになると,いろいろな システムを手作りしたし,約10 cm径の硬質ガラスを 使って,マクレオード真空計(McLeod guage)を手 作りしたこともある。卒業研究で習得したガラス細工 のテクニックは,

1975年にステンレス製のガス抽出・

精製系を作るまで大変役に立った。

分離器の円錐の中心の穴を通り抜けたガス流と,外 側に分離されたガス流を別々にガラス瓶に集めて,研 究室に設置されて間もない希ガス質量分析計を使って ネオンの同位体比を測定した。結果はノズルの直後約

0.9 mm

のところで分別が最大になり,分離器の外側

に拡散したガスは,分離器中心の穴を通り抜けた流れ に比べて,20

Ne

が約4%濃縮していた。この測定が私 の希ガス同位体比分析の最初の経験だった。 極微マ ス とよばれるようになったこの質量分析計と出会う きっかけになった卒業研究は,その後の私の人生の方 向を決めた重要な一里塚である。この質量分析計は,

その後30年間(1990年まで)故障することなく稼働 して,130

Te

のββ崩壊の研究だけでなく,地球希ガス と隕石希ガスの同位体比研究に大きな貢献をした。

2.2 ダブルベーター(ββ)崩壊との出会い

1961年,阪大大学院(物理学専攻)に入学したと

き緒方先生から言われたのは,130

Te

のββ崩壊の半減 期を質量分析計を用いて決める仕事だった。私は,

ββ崩壊という原子核崩壊過程があることを知らな かったし,その半減期が1021年という想像を絶する長 さであること,更に地質鉱物と質量分析計を使ってそ れを決めることなど,全く初めて聞くことばかりだっ た。修士課程の2年間でこのような大仕事をまとめる ことが出来るかどうか,深く考えることもなくこれを 研究テーマに選んでしまった。自信などあった訳がな いので,ただ単に楽天的で能天気な性格のためだろ

(3)

う。この仕事は下手をすると袋小路に入ってしまうか も知れない,と緒方先生は心配しておられたことを後 になって聞いたことがある。ご心配は妥当だったと思 うが,このテーマを与えて下さったことに感謝してい る。修士課程でも直接実験を指導して下さったのは岡 野先生だった。

半減期を決めるためには,130

Te

のββ崩壊で生じ た130

Xe(

130

Xe

ββで表す)の量を正確に測定する必要が ある。現在では,質量分析計の感度の安定性がよく なったので,試料(テルル鉱物)を真空炉で加熱・熔 解して分離したキセノン同位体のピークハイトと同位 体比から,いわゆる感度法で130

Xe

ββを定量するのが普 通である。しかし当時は感度の再現性がそれ程よくな かったために,定量には同位体希釈法が使われてい た。1億年前にできたテルル含有量30%の鉱物を10 g 使うと仮定して,鉱物中に蓄積している130

Xe

ββの 量 を見積もると,約1×10−11

cm

3

STP(Standard Tem- perature & Pressure

の略;約3×108原子に相当)に なる。この130

Xe

ββ量を同位体希釈法で正確に求めるた めには,できるだけこの量に近いスパイク(定量用の 標準ガス)を用意する必要がある。更に,スパイクと して使うキセノンガスの同位体比は,試料から出てく るガス(130

Xe

ββと大気起源キセノンの混合ガスがベー スだが,他にテルルの(n, )反応やウランの核分 裂起源のキセノンなどを含むことがある)の同位体比 とできるだけ大きく異なることが望ましい。ヨウ化カ リウム(KI)を中性子照射して作った128

Xe

を用いる ことになった。10−11

cm

3

STP

のスパイクを作るため には,スパイクを封じ込めるアンプルの体積を約1

cm

3と し て,128

Xe

の 圧 力 を10−8

Torr(10

−6

Pa)以 下

にする必要がある。当時,このような超高真空の 絶 対測定 は不可能だった。

10

−8

Torr

以下の128

Xe

分圧を測定しないで済ますた めに,まず10−7

cm

3

STP

オーダーの大気キセノンのス パイクを作り,これを用いて128

Xe

スパイクを逆定量 することになった。これなら10−4

Torr(10

−2

Pa)オー

ダーの圧力を測定すればよい。この測定には,マクレ オード真空計と質量分析計を使ってキャリブレートし た,クヌーセン真空計(Knudsen gauge)を使った。

クヌーセンゲージは,Fig. 1に示したように,白金板 で作った小さな円筒に縦に切れ目を入れて約10枚の 羽根を作り,円筒の内側にニクロム線を封じた熱源を 置く。この円筒を細い針金で吊るして,直径約5 cm のガラス管の中に封じ込めたものである。真空を測る

ときには,ヒーターを加熱しガラス管全体は氷水で冷 却する。ヒーターがある内側から羽根に衝突する原 子・分子の熱運動の速度は,冷却された外側からのも のに比べて大きいために,円筒には回転力が生じる。

針金に付けた小さな鏡に光を当てて,離れた場所に セットした目盛り上の光点の移動距離から圧力を求め た。使用したクヌーセンゲージの感度は1.34×10−6

Torr/mm

で,出来上がった大気キセノンスパイクの

量は,

3.9〜8.5×10

−7132

Xe=1.0〜2.3×10

−7

cm

3

STP

だった。記念すべきこのクヌーセンゲージは大切にし ていたが,4度目の引っ越し(山形から福岡)で壊れ てしまった。

中性子照射した

KI

試薬(5 g)を中性子照射のため のアンプルから取り出して石英管に入れ,ガス抽出ラ インの電気炉で加熱して128

Xe

ガスを抽出する訳であ るが,当時のガス抽 出 ラ イ ン は 硬 質2級(モ リ ブ デ ン)ガラス製で,現在のようなメタルバルブはなく,

代わりにラインの要所々々を

U

字形に曲げて,そこ を水銀で満たしたり空にしたりさせてラインの開閉を 行なっていた。水銀の上げ下げは,水銀溜めの圧力を 調節して行なうので,ラインを大気圧から真空に排気 する時やライン内へ大気を導入する際には,常にライ ン内の圧力と水銀溜めの圧力を平衡させる必要があ る。これに失敗するとライン内に水銀が飛散し,下手 をするとガラスを割ってしまう危険があった。水銀を

Fig. 1

クヌーセン真空計(Knudsen gauge)

(4)

使うことによるもう一つの大きな問題は,その蒸気圧

(常温で約10−3

Torr)のために,イオンゲージのよ

うな高感度の真空計が使えないことである。ガラス細 工のピンホールはテスラーコイルを使って探し,それ では検出できないクラックなどからの漏れは,排気を 止めて一晩置いてから,ラインの各部分の圧力をマク レオードゲージで測ってチェックした。サンプルから のガス抽出時の圧力モニターには,ピラニゲージや サーモカップルゲージを利用した。ガラス製のライン だから,当然,無人の終夜運転など出来ない。根気と 忍耐の作業だった。最初に作った128

Xe

スパイクは体 積 約1.5〜2 cm3の ア ン プ ル に つ め,そ の 中 の1本 を 使って,大気キセノンスパイクで128

Xe

量を定量して 圧力を求めた。得られた128

Xe

スパイク量は,アンプ ルの体積によって変るが,1.74〜2.08×10−9

cm

3

STP

で,128

Xe

の同位体存在度は95.3%であった。これは 当初見積もった130

Xe

ββ量の約100倍である。

ガス精製に使うゲッターも現在のものに比べると極 めて初歩的で,最初はカルシウムメタルおよびチタン とタングステンのフィラメントを使った。カルシウム は反応性が大変高くてよいのだが,空気中では勿論,

保存容器の中でも酸化される。使用する直前にカルシ ウムを石英管に入れて真空中で加熱蒸着させて精製し たが,炉の温度を下げるとカルシウムが内部に蒸着し た石英管が剥離を起こして割れるので,内部に石英の スリーブを入れて外側の石英管の破損を防いだ。テル ル鉱物からのキセノンガス精製の際にもその恐れが あった。本当に神頼みに近い実験だった。更にキセノ ンガスの精製を行なうために,Tiと

W

フィラメント を封入したアンプルを手作りして,質量分析形に導入 する直前に再度精製を行なって完全を期した。

大谷鉱山および河津鉱山産出のテルル鉱物をそれぞ れ18 gと28 g使ってガスを抽出・精製して質量分析 した。大谷鉱山テルル鉱物に対しては,130

Xe

同位体 存 在 度 の 過 剰 か ら130

Xe

ββ=2.2×10−11

cm

3

STP

を 得 た。しかし河津鉱山

Te

鉱物からは明確な130

Xe-excess

は検出できなかった。大谷鉱山テルルに対して,鉱山 の岩石から分離した黒雲母を使って,K-Ar年代測定 を行なった。Arの定量には36

Ar

スパイク(36

Ar=24.4

%)を使用した。黒雲母の分離と

K

濃度の測定は東 北大の植田先生のご好意によるものだった。得られた

K-Ar

年 代(125 Ma)と130

Xe

ββ量 か ら130

Te

の 半 減 期

(1.4×1021年)を計算して,無事に修士課程を修了 できた。院生の私がこれだけのことが出来たのは,指

導教官の先生方の適切なご指導のお蔭である。

修士課程での研究は私の人生の方向を決めた。納入 されて間もない極微希ガス質量分析計の立ち上げを目 の当たりにしただけでなく,自らもその一端に関わっ たことは大きな自信につながった。極微希ガス質量分 析計の立ち上げの過程では,(1)静作動 に耐える 超高真空を達成すること,(2)分析計の感度を上げる こと,(3)質量分解能を上げることなど解決すべき課 題があった。超高真空については質量分析計の設計段 階から考慮が払われていた。ガスッケットはアルミ製 で,現在使われている無酸素銅のガスケットには劣る が,無人運転で終夜150°

C

の焼き出しが出来た。忍耐 強く装置の焼き出しと排気を繰り返し,装置の内部を 汚さないように注意した。実験室を土足・飲食禁止,

禁煙にしたのは岡野先生の発案だった(緒方先生も岡 野先生も大の愛煙家だった)。実験室はしばしば電気 掃除機をかけ,時々モップで磨きをかけた。このとき の習慣が身について,私は仕事を始める前に部屋を掃 除して(自分の気持も)整理するのが習わしになっ た。修士論文提出の頃(1963年)の質量分析計の到 達真空度は5×10−9

Torr

だった。この真空度は当時と しては非常に低いものだったと思う。

感度を上げるために2次電子増倍管が必要だった が,適当なものがなかったので作る必要があった。必 要なものが手に入らなければ自分で作る。これは緒方 先生の信条だった。Astonが自作の質量分析器で原子 質量を測定して,ノーベル物理学賞に輝いた話は何度 か聞かされたことがある。学生の私は2次電子増倍管 製作にまつわる詳細を知らなかったが,色々な人の協 力があったのだろうと推測する。最終的に三菱電機が 作った2次電子増倍管を使用した。質量分析計の分解 能 は 当 初140程 度 で あ っ た。到 達 真 空 度 は5×10−9

Torr

という非常に低い値だったが,油拡散ポンプを 使っていたこともあり,2次電子増倍管を使って感度 を上げると,キセノンの質量領域に炭化水素イオンの 小さなバックグラウンドピークが見えた。これを質量 分離する必要があったが,感度を落とさずに質量分解 能をあげて分析できるようになったのは博士課程に進 んでからのことだった。

阪大理学部には地質学や天文学のような自然現象を 研究教育する講座がなかった。そのため私は地質学や 天文学の授業を受けたことがない。緒方先生はこの状 態を憂えて,早くから地球科学や宇宙科学の教育が出 来る組織の必要性を考えておられた。しかし阪大に宇

(5)

宙地球科学科ができたのは1995年だった。他方,

1960

年当時,日本の地球物理学や地質学の研究者は,外国 で実用化され始めた放射年代測定を日本でも行ないた いと強く望んでおられた。私が緒方研に入った頃に は,地球物理学・地質学などの研究者が参加する地質 年代測定の研究会があり,私は先生の鞄持ちとして参 加させていただいた。色々な先生方がおられたが,今 も強く印象に残っている光景の一つは,一人の先生

(後に九大の松本達郎先生(故人)と知った)が自信 に満ちた口調で化石のお話をされているお姿である。

地質学を学んだことのない私は,そのとき大変な違和 感を感じた記憶がある。放射年代測定の活動の中心に なられたのは東北大の河野義禮先生(故人)で,グ ループの植田良夫先生(故人)が大阪中之島の理学部 に来られてアルゴンの質量分析を実習された。お昼に 理学部の近くにあった料亭(竹葉亭)で鰻重をお相伴 させて頂いたのでよく覚えている。先生は仙台で質量 分析計を立ち上げて,本邦初の本格的な花崗岩の

K- Ar

年代測定を行なった。後々,河野研究室の方々,

特に植田先生には大谷テルル鉱物などの入手や選鉱・

化学分析で大変お世話になった。

1961年,第2室戸台風が大阪に上陸して中之島一帯

が水没し,理学部の地階も胸の辺りまで水に浸かっ た。地階にあった大型マスやその他の大型装置は水没 したが,私の使っていた希ガスのマスは

2階にあった

ので難を免れた。結局,理学部は石橋キャンパスへ移 転することになって,博士課程1年(1963年)のとき 移転が始まった。希ガスマス実験室の移転は最初だっ た。全体的に実験室が先に引っ越したので,学生は勿 論ほとんどのスタッフはまだ中之島キャンパスに残っ ていた。私はマスと一緒に先に新しい実験室に引っ越 した。運送業者は部屋の中に装置を置いて行ったが,

手助けしてくれる人がいないので殆ど全てを一人で組 み立てる羽目になった。マグネットなどの重量物は助 けを借りた筈だが,どのようにして台の上にあげたの かほとんど記憶がない。覚えているのは,床が少し傾 い て い て 分 析 計 の 傾 き を 修 正 す る た め に,適 当 な ジャッキがなくて,一人で持ち上げるのに苦労したこ とや,ばらばらにして運んだガラス製のガス抽出ライ ンやガス導入ラインの組立に苦労したことである。ガ ラスラインの組立には,卒業研究で苦労したガラス細 工の経験が大変役に立った。何はともあれマシンは順 調に回復してデーターを出せるようになった(Ogata

et al., 1964)。1966年までには,より正確なデーター

を出すために定量法などに改善を加えて128

Xe

スパイ クを新たに作り直し,大谷

Te

に対して新しい半減期 を得ることが出来た(Takaoka and Ogata, 1966)。 そしてこれらが私の博士論文になった。

そうこうする内に世の中が大きく動き,世に云う大 学紛争の波が大阪にも波及した。ある日突然,理学部 も学生によって封鎖された。この頃,緒方先生は質量 分析の国際会議開催(1969年,京都)の準備責任者 をしておられ,当然,私もそれに巻き込まれていた。

封鎖の直前に印刷業者から納入された国際会議関係の 書類を部屋に残したままだった。参加登録した人にす ぐに発送しなければならないので,封鎖学生に掛け合 いに行ったところ,割合と物分かりがよくて無事に書 類を運び出せたときはほっとした。無事に国際学会が 終わった後も,まだ理学部で実験できる状態ではな かった。私は東大物性研究所の本田雅健先生の研究室 で,ppbレベルのルテニウムの分離・定量法を教わる ことになった。これは100

Mo

のββ崩壊(生成核種:

100

Ru)研究の予備実験である。立教大の原子炉で放

射化して作ったルテニウムのトレーサー(106

Ru)を

加えて,平瀬鉱山の輝水鉛鉱(MoS2)からルテニウ ムを抽出した。抽出液を酸化して

RuO

4にし,蒸留法 によって微量のルテニウムを分離・定量した(高岡,

1970)

。ルテニウムの他に,石灰岩(CaCO3)からチ タンを分離して濃度を測定する方法も教わった。これ は48

Ca

のββ崩壊(生成核種:48

Ti)研究の予備実験だ

が,チタンの濃度が高くて全く使い物にならないこと が分かった。この本田研での化学分析の実習は,化学 知識の乏しかった私にとって大変よい経験だった。こ こでは,本田先生はもとより,島(正子)さん,今村 さん夫妻,西泉さん,海老原さんなど,多くの友人・

知人を得た。

1970年,Max-Planck

化 学 研 究 所(Otto-Hahn研 究所;西 独 マ イ ン ツ)の

Hintenberger

先 生(故 人)

の研究室に留学した。Hintenberger先生は緒方先生 の友人だった縁で,阪大の極微希ガス質量分析計に は,Hintenberger研究室で使用されていた技術が採 り入れられていた。私は鉄隕石と

NASA

がアポロ計 画 で 採 取 し た 月 の 岩 石 の 希 ガ ス 分 析 を 行 な っ た

(Hintenbergeret al., 1971)。ヘリウムからキセノン までの全希ガスの同位体比分析は初めての経験だった が,すぐに慣れることが出来た。研究所の実験室でガ ス抽出炉や精製ラインを見てこれは凄いと思った。抽 出炉の炉心管はタンタル製,ラインは全てステンレス

(6)

製で,その製作加工はすべて研究所の工場で行なうと 聞いてびっくりした。阪大理学部の金工室でタンタル の溶接など思いも及ばなかった。故障すると,工場の マイスターが部下を連れてやって来てすぐに直してく れた。工場には金属加工だけでなく,ガラス細工や製 図など,マイスターに率いられた熟練工が沢山いた。

私の2ヶ月後に島さんご夫妻が同じ研究室に来られ て,島正子さんは隕石の研究をしておられた。ある 時,ちょっと太いガラスの真空ラインが割れて修理を 頼まれた。日本の貧弱な研究サポートの環境に慣れて いた私は,気楽に引き受けて直したことがあった。こ のことが工場に知れたらしく,後日,ガラス工室のマ イスターから,ガラス細工は面白いのかと皮肉を言わ れてしまった。以来この国では他人の職分を犯しては いけないのだ,と肝に銘じたことを記憶している。

1972年に帰国したが,帰国直後は使える予算が全

くなかった。そこでドイツで考えていた

Xenology

の 問題,すなわち隕石

Xe

や月岩石中の太陽風

Xe

の同 位体比と地球

Xe

の同位体比の間の系統的な違いが何 故生じるのか,という謎を説明する仮説を考えた。ふ と244

Pu

の核分裂起源キセノンを使えば問題が解けそ うだとひらめいた。原始太陽系に共通の原始

Xe

が あったと仮定して実際にプロットしてみると,その同 位体比を推定することができたので,太陽系に共通の 原始キセノンを

primitive Xe

と名付けることにし た(Takaoka,

1972)

。現 在 で は,星 の 中 で の

p- process

s-process

などによってできる様々な同位 体比のキセノンを含む物質が同定され,隕石に含まれ ていることが知られている。そしてそれらの混合した ものが太陽系の原始的なキセノンの同位体比の元に なっていると考えられる。

primitive Xe

(又は

U- Xe)を隕石や惑星物質の中で探す試みは成功してい

ない。

同時に,Max-Planck研究所で使ったステンレス製 のガス抽出・精製系を作ろう,と考えて図面を引き科 研費を申請した。最も重要なパーツは2000°

C

に耐え る炉心部である。最初モリブデン製のものを作ったが 溶接が困難で,太いムク棒から炉心管とフランジを一 体で削り出したものだった。これでは加工が大変で不 便かつ高価なので,タンタル製の炉心管を作ってくれ るところを探すことにした。どの様にして探したのか かすかな記憶しか残っていないが,東京の大森付近に そのような工場があると教えてくれたのは,東京教育 大松尾研の院生だった鈴木昌さんではなかったかと思

う。彼は私がドイツに行く前から,阪大の研究室に来 てアルゴンの分析を試みていた。タンタル炉心管を 作ってくれるところが見つかり,科研費と武田科学財 団の助成金を頂いて,新しいラインを作ることができ た。これをββ崩壊の研究に使った希ガスのマスに接 続して,ガスの抽出・精製・分析をオンラインで行な うことが出来る装置を作った。炉の空焼きとライン全 体の焼き出し排気を繰り返して,装置のブランクを下 げる努力をした結果,1975年3月時点のホットブラン ク は,40

Ar

で8×10−9132

Xe

で3×10−13

cm

3

STP

だ っ た。またマスの質量分解能を上げることにも努力し た。その結果,感度は変え ず に 分 解 能 が 約500に な り,ほとんどの希ガスピークを妨害イオンのピークか ら分離できるようになった(Takaoka, 1976)。このガ ス抽出・精製ラインをモデルに改良型のガス抽出炉や 精製系が作られ,現在もあちこちの研究室で使用され ている。

大学院で希ガス分析をやろうという学生(長尾敬介 さん)も現れた。1976年以降は,様々なサンプルを 携えた人々も実験室においでになった。地球サンプル の最初は,兼岡一郎さんの南アフリカ産キンバーライ ト 中 の 金 雲 母(phlogopite)と カ ン ラ ン 岩(peri-

dotite)だった。これはかなり汚い試料でガスの精製

にてこずったと記憶するが,Heから

Xe

の元素組成 と同位体組成の結果を出すことができた(Kaneokaet al.,

1977)

。1969年に南極隕石が日本隊によって発 見・回収されてから,隕石は私達にも手の届く存在に なった。新しい装置で初めて分析した地球外物質は

Yamato-73隕 石 で あ る(Takaoka and Nagao,

1978)

。様々な試料を分析する機会があったが,最も

印象に残っているサンプルは小嶋稔先生のダイヤモン ドである。炭素の融点は3500°

C

以上だから溶かすの は無理である。図書室に行って調べると,イギリスの 古い雑誌にダイヤモンドを真空で加熱した報告が出て いた。1900°

C

近くまで熱すると,グラファイト化が 始まることが分かった。グラファイト化で全てのガス が完全に放出されるかどうか分からないので,念のた め2000°

C

以上で加熱できるように電気炉をちょっと 改良した。Taヒーターは完全に絶縁 さ れ て い た の で,ヒーターの電位を約−100 Vまで下げることがで き,また数

A

のエミッション電流が流れても大丈夫 な整流回路を手作りした。ヒーターからの輻射だけで なく,ヒーターから放出される電子を加速して炉心管 に衝突させて加熱する積りであった。必要な部品は研

(7)

究室のジャンクボックスにころがっていた。注意すべ きことは,タンタル炉心管の温度が上がるとヒーター の温度が上がり,エミッションが増加してますます温 度が上がるというポジティブフィードバックが働くの で,温度が上がり過ぎないように注意深くヒーターの 加熱電流とヒーター電位を調節することだった。温度 は簡単に2000°

C

を突破した。最初,ガス放出を容易 にするために,ダイヤモンドを砕いてアルミ箔に包み サンプルホルダーにセットした。タンタル炉心管を

2000° C

以上で充分に 脱 ガ ス し た 後,サ ン プ ル ホ ル ダーから試料をるつぼに落して恐る恐る加熱を始め た。1900°

C

を越えた辺りでモクモクと体積が増えて いるらしいのが見えた。すると突然,真っ白に輝くダ イヤモンドの破片(1〜2 mm)が(多分ガスを噴き ながら)飛び上がってきた。サンプルホルダーはガラ スだったので,割れるのではないかと覚悟したが,そ の破片はガラス壁に当たり,そこに突き刺さったのに はびっくりすると同時に,割れなくてよかったと胸を なで下ろした。この一瞬の光景は今でもはっきりと覚 えている。割れていれば空気が入り,タンタルや電極 のモリブデンが燃えて大事故になったのかどうか,今 でも想像がつかない。以後,サンプルは砕かない状態 でゆっくり加熱してサンプルの飛散を防いだ。これは 世界で初めてのダイヤモンドの希ガス同位体比測定 だった(Takaoka and Ozima, 1978)

もう一つ印象的なのは,松代群発地震に関連するヘ リウム同位体比の測定である。脇田宏さんを中心に,

松尾禎士先生(故人),野津憲治さんなどが松代の水 田の中で採取したガスサンプルである(Wakitaet al.,

1978)

。分析計の質量分解能は500だったので3

He

HD-

3

H

を完全に分離でき,He同位体比の測定に難し い点は全くなかった。興味を引いたのは,地面から

3

He

に富んだガスが出ていることだった。ダイヤモン ドやキンバーライトなどは,地下深部のマントル付近 から上がってきたサンプルであるのに対して,日本列 島各地で松代のガスと同様の3

He

を含んだガスが地面 から出ているのなら,Heは勿論,He以外の希ガス の同位体比はどうなのか知りたくなる。1976年に修 士課程を終わり,博士課程に進んだ長尾さんにこれを 調べてもらうことにした。彼は多くの試料を採取して 分析して,地熱地帯での地中拡散に伴う希ガスの同位 体分別や各地のヘリウムの同位体比分布を明らかにし た(Nagao et al., 1981a, b)。また,松尾先生が提供 して下さった1958年から1977年にかけての昭和新山

の噴気ガスでは,ヘリウムの同位体比や

He/Ne

比の 経年変化がはっきりと検出できた(Nagao et al.,

1980)

。分析法の進歩を見越して,火山ガスを20年間

も保存した松尾先生の先見の明に感服する。

緒方研(緒方先生は1975年3月退官)は共同利用の 施設ではないが,私は来るものは拒まずをモットーに できるだけ積極的に装置を開放して協力した。当時,

マントル物質など高融点のサンプルに含まれている微 量の全希ガス同位体比の分析が出来る所は日本にはな く,世界的にもほとんどなかった。私が地球科学の教 育を全く受けたことがなかったのと,1976年に地球 化学会に入れて頂くまで,私の参加する学会は物理学 会と質量分析学会だけだったので,地球科学の課題は 何か,その解決に希ガス同位体比の分析がどの様に役 立つかなど知識がなかった。しかし未知のマントル物 質は私の好奇心をかき立てた。また,ββ崩壊の研究 では色々な方の協力と好意によって助けられたこと,

学生の時に目の当たりにした年代測定研究会や,学外 の専門家の協力を得て行なわれた極微希ガス質量分析 計の立上げなど,新しい分野の展開や問題の解決に は,研究者の間の協力が重要なことを心のどこかで実 感していたのだろうと思う。兼岡さんは次々と難しい サンプルを持ってこられたが,それらを無事に測定で きたことで,どの様なサンプルでもこなせる自信とノ ウハウができた。

こう書くと,あらゆることが順調で失敗の経験がな いように聞えるかも知れない。確かに致命的な事故や 失敗は間一髪のところで回避できた。これには学部生 の時に受けた講義が役立っていると思う。物理実験学 という講義で,浅田常三郎先生(故人)は先生独特の 漫談調の大阪弁で,戦前・戦中・終戦直後の理化学研 究所や大学などで起こった様々な事故や失敗談を聞か せてくれた。化学薬品の怖さや強電(電池)の怖さな ど,信じ ら れ な い よ う な 話 の 数 々 だ っ た。KCNを 使ってテルル鉱物の化学分析をしていた時,ドラフト の中に頭を突っ込んでガスを吸い気を失いそうになっ て,青酸を使っていることが一瞬頭をよぎったために 助かった。私は電気を触る時には左手はポケットに入 れて右手で触ること,帰宅時には常に ガス・水道・

電気 と復唱しながら各部屋を見回ることを習慣にし ていた。3000 Vのイオン加速電圧に触ってしまった 時には,電流は右手の上腕から手の平に抜けたので,

筋肉が引きつって10分間ほど右手が動かなくなった だけで助かった。またある日の夜,帰宅しようと質量

(8)

分析計の部屋のドアを開けると,床の上でスライダッ クが緑色の炎を出して燃えていた。緑色の炎は銅の炎 色反応である。床のリノリュウムが少し燃えただけ で,火災報知器が鳴らなかったので内緒にして済まし たが,見回ることなく帰っていたら大変なことになっ ていただろう。この時の経験から,山形大学では廊下 から実験室の内部が見えるように,実験室のドアの窓 には透明ガラスを入れた。

3.

山形大学時代(1979〜1990年)

1979年,阪大で使っていた実験設備を携えて新設

の山形大学理学部地球科学科に移った。学科新設の中 心になった岩石学,新設の地殻進化学,物理地学,お よび応用地学の4講座12名のこぢんまりした組織だっ た。スタッフの出身大学も経歴も多様で,新たに赴任 したメンバーの半分はアメリカからの着任だった。私 にとって,習ったことのない地球物理学やその他の地 学を相手の教育・研究だったので,戸惑いがなかった といえば嘘になる。また設備の面で困ったこともあっ た。質量分析計を2台もっていったが,1台は阪大で ββ崩壊の研究に使っていたもの,他の1台は私の手 製で,一緒に運んだ高周波誘導電気炉と組み合わせ て,K-Ar及 び

Ar-Ar

年 代 測 定 の 専 用 機 に す る 予 定 だった。Ar-Ar年代測定では中性子照射した岩石鉱物 からガスを抽出する。放射性物質を扱うために高周波 誘導電気炉は放射線実験施設(RI)に入れたが,理 学部の変電室の容量不足で配電してもらえなかった。

転勤して2年目に新しいビルに再度引っ越して,順調 に仕事が出来るようになったが,電気容量の不足は改 善されなかった。それから暫くして,東北行政観察局

(名称は正確でないかも知れない)というお役所の人 が装置の使用状況の調査にやって来た。丁度よかった ので,ちゃんと動いていた方の装置は実験ノートを見 せて説明し,RIの高周波誘導電気炉は電源がないの で動いていないと正直に話したところ,後日文部省か ら係官が調査に来た。電源容量が不足している旨を説 明すると簡単に納得して帰って行った。そしてまもな く電源室の容量がアップされて,電気炉に電気が通じ て使えるようになった。行政観察局の調査は最初で最 後の経験だが,こんなボタンを押す手もあったのかと 妙に納得した。

最初ちょっと戸惑ったこともあったが,山形での経 験は私の地学に対する知識を豊かにし,楽しく有意義 な10年半であった。学生のとき年代測定研究会で違

和感を感じた古生物学も,有孔虫のδ13

C

やδ18

O

によ る古環境の研究の話や,ナノ化石の美しい電顕写真と ナノ化石による堆積層の非常に細かい年代決定の話を 聞いて興味が湧いてきたし,火山ガスの研究(高岡,

1985)や若い火山岩の年代測定(高岡ほか,1989)

をとおして,岩石学の先生から火山学について勉強す る機会を与えて頂いた。また他大学の多くの火山学や 岩石学の先生方と知りあうことができた。ββ崩壊の 研究では目立った成果はなかったが,地質調査所から 赴任された応用地学の先生から,国内および外国のテ ルル鉱物関係の資料を沢山頂くことが出来たのは有り 難かった。今も大変役に立っている。

山形での経験の中で最も印象に残っているのは教育 に関することである。学部にはいろいろなタイプの学 生がいたが,時々,心の問題や経済的な問題で出席日 数が不足し,成績の振るわない学生が8年目を迎える 場合があった。規則では在籍期間が8年を過ぎると除 籍になるので,何とか大学に来させて卒業させてやり たいと思うのは人情である。そんな学生の一人に,卒 論で火山岩の

K-Ar

年代測定をしてもらうことにし た。山を歩き回って試料の岩石を集めるのが気に入っ たのか,それを分析して火山の年代を明らかにするの が気に入ったのか,1年も経たない内に彼は完全に立 ち直って卒業し有名会社に就職した。もう一人の例は 私が直接関わったものでなく後になって聞いた話であ るが,私が九州に移った次の年,8年目になったのを 心配した斎藤和男教授が,卒論をやらせるために学生 を 実 験 室 に 呼 び 出 し た。も と も と 電 気 回 路 や コ ン ピューターに大変強かった彼は,実験室の質量分析計 を見て大学には面白いものが一杯あると思ったらし い。分析計の電源の裏ぶた を 開 け て 中 を 覗 き,「先 生,この電源の部品はみな2級品ですね」と云ったそ うだ。確かにその電源は山形に移ってから科研費で 作ったが,予算の制約で安く作ってもらったものだっ た。しかし部品が2級品かどうか私は知らなかった。

この一件で実験室が気に入った彼は卒論を済ませ,課 長直々の面接を受けて有名精密機器メーカーに入社し た。その後,特別枠で勤務しながら大学院で学ぶ許可 を会社から貰って大学院を修了し,今では幹部社員と して忙しく働いているようだ。入学以来,彼が親の仕 送りを全く受けずに,完全に自分の稼ぎだけで学費と 生活費を工面していることを,私は彼から聞いて知っ ていた。しかしこのような能力を持っていることは全 く予期しなかった。これを引き出したのは斎藤さんで

(9)

あるが,人の持つ能力の多様さと無限さを思わずには おれない。年代測定や質量分析計がこんなふうに役 立って大変嬉しかった。

4.九州大学時代

(1990〜2001年)

4.1 ββ崩壊の研究

1990年10月,年度の途中で九州大学理学部へ転任

した。4月に地球惑星科学科の学生募集が始まったば かりで,私の担当する講座はまだ設置されていなかっ た。次項で述べるように仕事の道具がなく,予算も潤 沢でない状態だったので,私が受け持った地質学科の 学生の修士論文をどうしようかと思案していた時,畏 友

O. K. Manuel

氏(ミズーリ大学;黒田和夫先生(故 人)の弟子)から手紙を貰った。彼はいつもの調子 で, ワシントン大学(セントルイス)の研究者が発 表 し た130

Te

のββ崩 壊 半 減 期(2.7±0.1)×1021

(Bernatowiczet al., 1992)は正しくない と沢山の 理由を挙げて反論していた。九大の私の隣の研究室

(希元素地球科学講座)は,昔流に言えば資源地質学 の講座で,以前から金鉱床の研究をしておられた。大 谷金山のテルル鉱石をみてもらい,テルル鉱物につい て色々教えて頂いた。私は,ハンドピッキングでテル ルビスマス鉱(Bi2

Te

3)を分離し,テルルの定量を希 元素地球科学講座の本村慶信さんにお願いした。本村 さんは

EPMA

を用いて非常に丁寧にテルルの定量を してくれた。この試料を岡山大(三朝)長尾研究室の

改良型

VG5400を使って分析した。また,鉱山の石英

閃緑岩から分けた黒雲母とポーフィライト岩脈から分 けたホルンブレンドを,山形大の斎藤研究室で

K-Ar

年代測定してもらった。これ等の結果から得られた半 減期は(7.9±1.0)×1020年で,ワシントン大学の人達 が 発 表 し た 半 減 期 の1/3だ っ た(Takaoka et al.,

1996)

2002年, Davos

(スイス)で開催された

Goldschmidt Conference

で,ワシントン大学の研究者が,1992年 に自分達の発表した半減期は正しくない可能性がある と報告した。私は勇気あるこの報告に対して, これ で長年の対立が解決す る と

thanks

を コ メ ン ト し た。最終的に彼等が論文でこれを認めたのは2008年 である(Mesik et al., 2008)。何故,彼等が急に考え を変えたのかは憶測の域を出ないが,一つは物理学者 がイタリアとフランスの国境の地下1800 mで行なっ ているカウンター実験(NEMO-3)の結果が出始め たことであろう。NEMOは

Neutrino Ettore Majo-

rana Observatory

の略で,人間が中に入って作業で きる巨大なカウンターを使ってββ崩壊の半減期を測 定し,特にニュートリノを放出しないββ崩壊半減期 から,ニュートリノの質量を求める実験である。最新 の結果(Barabash, 2008)によれば,454 gの130

Te

を 使って検出した109 eventsから求めた(ニュートリ ノを2個放出するββ崩壊の)半減期は,(7.6±1.5stat

±0.8syst)×1020年であるが,NEMOのこの結果はまだ

preliminary

で,現在,彼等が推奨する130

Te

の半減期 は(9±1)×1020年である。この値は130

Te

よりも正確 に 半 減 期 が 物 理 的 に 測 定 さ れ て い る82

Se

の 半 減 期

(9.6±0.3stat±1.0syst)×1019年と,Kitkaite(NiTeSe)

という鉱物から得た130

Te

のββ崩壊起源130

Xe

ββ82

Se

のββ崩 壊 起 源82

Kr

ββの 比,お よ び

Kitkaite

Se

Te

の 存 在 比 か ら 求 め た も の で あ る。こ れ ま で

Kitkaite

の分析データーは一つしかない(Lin et al.,

1986)ので,今後この珍しい鉱物の分析を行なって

追試する必要がある。また,他の鉱物にも

Se

Te

両方を含むものがあるので,そういう試料の測定も役 に立つであろう。或いは

NEMO-3のデーターが積み

上って,答えの出るの日もそう遠い先のことではない かも知れない。Te-Xe

dating

の実用化は目前である と確信する。実際,130

Te

半減期の不確かさはあるけ れども,筆者らが行なった

Cripple Creek

鉱山(Colo-

rado)産の Au-Te

鉱物の

Te-Xe

年代(受賞講演;論 文準備中)は,金鉱物と一緒に産出する岩石を使って 求めた

Cripple Creek

鉱床の

Ar-Ar

年代(Kelley et al., 1998)とよく一致している。

4.2 宇宙惑星物質研究室の立上げ

九州大学に移るに当って, 部屋はないので大きな ものは持ってきてくれるな という条件付きだったの で,希ガスの質量分析計は全部山形大に残すことにし た。西日本の隕石(宇宙惑星物質)研究の核になる研 究室を九州大学に作ることが私の夢だった。1993年 に有馬温泉(五社寮)で開催された同位体比部会で私 はこのことを広言したが,夢の完成までに8年近い長 い年月がかかるとは思いが及ばなかった。この点でも 私は能天気であった。

まず経験したのは図書の移管。山形にも九州にも隕 石や月岩石の希ガス同位体の研究者はいなかったの で,私は大阪から山形に移管した校費購入の図書を九 州に移管する積りだった。しかし,いざ引っ越す段に なって,大阪から移管した図書を九州大に移管できな いという。特に

NASA

の月惑星シンポジウムのプロ

(10)

シーディングや隕石関係の初期の論文が載っている図 書などは誰も使わないことが分かっていたが,規則が そうなっているというのである。これには困ったが,

貸し出すということで決着して九大に運ぶことが出来 た。最終的にこの問題が解決したのは,数年後,友人 の教授が図書館長に就任した時,直訴して移管が完了 し毎年々々手続きをし直す必要がなくなった。人事交 流をもっと盛んにしなければいけないとよく言われて いるが,いろいろなところに障害があることを実感し た。しかしこれは規則の問題で大したことではなかっ た。

最も困ったのは研究室のインフラ整備だった。 大 きなものは持って来てくれるな という条件付きだっ たので,希ガスの質量分析計は全部山形大に残して来 たことは既に述べた。山形で有効に使ってもらえるよ うに,火山岩石学の若手助手に第四紀火山岩の

K-Ar

年代測定法を伝授した。そして九州大では2次イオン 質量分析計を使って隕石物質に即した研究をしようと 考えた。こう考えた理由の一つは,小沼直樹先生(故 人)の一言だった。ぼたん雪が降った1982年のある 日,新酒を買いに来たといってふらりと山形に来られ た。隕石の話をしていた時, 高岡さん,自分でもの を見なければだめですよ と言われた。私もそれは気 にしていたが山形では実現できなかった。1993年に 正規に講座(地球惑星進化学講座)が新設されて助手 のポストがついた時,いろいろ思案の末,鉱物出身の 中村智樹さんを採用した。ぴったり適任の人が採用で きたのだが,2次イオン質量分析計の予算をとるのは 大変だった。結局転任から10年近くかかり,装置が 納入されたのは停年退官の1年前(2000年3月)だっ た。

設備のあるなしに関わらず学生は毎年入ってくる。

卒論や修論にまとめられるような仕事は九大だけでは 出来そうにないので,岡山大学地球内部研究センター の長尾さんの希ガス質量分析計を共同利用させても らった。100%おんぶに抱っこでは申し訳ないので私 が一緒に行ったり,中村さんに行ってもらうことも あったが,毎回々々では九州での本務にも差し支え る。仕方がないので,2次イオン質量分析計が入手で きるまでの繋ぎとして,希ガスマスを手に入れようと 決めて科研費を申請し,1997年に希ガスマス(MM

5400)を買うことが出来た。この頃,大学は改組の

真っ最中だった。私は学部長の補佐役のようなことを していて,大学院重点化のまとめ,文部省に提出する

書類の作成,そして時々の大学本部と文部省へ説明な どで大変だった。希ガスマスの立上げを長尾さんに手 伝ってくれるようにお願いし,快く助けてもらった。

三朝の共同利用といい,今回の立上げといい,長尾さ んの協力には深く感謝している。20世紀が終わる頃 になって漸く重点化が終わり,1999年,予算要求が 認められて2次イオン質量分析計が購入できることに なった。納入されたのは停年の丁度1年前だっ た の で,すべてを次の世代に任せ,私は装置には手を触れ ないことを心に決めた。中村さんは2次イオン質量分 析計を操作して,電顕感覚で使えるといったので私は 安心したが,しかしとにかくちゃんと測定出来る状態 にして去るべきであると考えたので,東大地球物理学 科の比屋根肇さんに立上げの手伝(ノウハウ伝授)を お願いした。彼等は私達より5,

6年前に同じ装置を導

入して既に多くの経験を積み,色々なノウハウを持っ ていた。快諾して下さった比屋根さんの親切には深く 感謝している。これで私は安心して辞めることが出来 た。

結局,夢が100%完成しないう ち に 停 年 が 来 て し まったのは残念ではあったが,理論・実験の両面で優 秀なスタッフに恵まれて,西日本の宇宙惑星科学研究 の中心場を九州に作る,という夢の基礎が一応創れた ことに感謝している。私の退官後,若い人達はこれら の装置や共同利用施設などを利用して,隕石・宇宙 塵・彗星塵(NASAの彗星探査機が捕獲した)の研 究で立派な成果を出している(Yada et al.,

2004;

Nakamura

et al., 2008)。2010年6月,小惑星探査機 はやぶさ が無事に帰還を果たした場合,彼等は隕 石だけでなく,宇宙塵と彗星塵の研究の経験を活かし て はやぶさ のカプセル(サンプル容器)の蓋を開 き,小惑星物質の先行研究を担うと聞いている。私は

はやぶさ の無事帰還を心待ちにしている。

5.

九州大学に移った最後の10年で,地球外物質の研 究に集中しようと考えた理由の一つは,阪大時代の若 い頃から,月惑星シンポジュウム(宇宙研),太陽系 起源の研究会(京大理)や宇宙物質の研究班などに参 加させて頂き,機会に恵まれればこれに集中しようと 考えていたからである。学生時代に現物を触ったこと もなかったが,隕石は初期太陽系の情報を保存する宇 宙物質である。1969年に南極で日本の観測隊が発見 した南極隕石を太陽系起源の研究に活かすために,惑

(11)

星科学の多くの先生方が努力してこられた。私もその 末席に座らせて頂き,かなりの長期間,国立極地研究 所での隕石学と惑星科学の研究体制の確立に関わっ た。更に地球外物質の研究をしようと考えた別の理由 は,正規に地球科学の教育を受けたことのない私に とって,地球史やその過程は複雑過ぎて手に余る代物 と映ったからでもあった。

実際に本格的な宇宙物質の研究室を完成させるのは 容易ではなく,当初に計画したインフラを揃えるのに

10年もかかってしまった。だがスタッフには,林ス

クール(京大林忠四郎先生の研究室)出身の理論惑星 物理学者と武田スクール(東大武田弘先生の研究室)

出身の隕石鉱物学者を採用でき,最高レベルの人材を 揃えることが出来たと考えている。また九州大学理学 部地質学科にも素晴らしい技術があった。私は若い頃 キューリー夫人の伝記を読んで,放射能の存在が知ら れていなかった時代に,ピエールとマリーはピエゾ電 気を利用して放射性物質を定量的にトレースしたのを 知って感銘を受けた。そのとき科学の研究も 丸腰で は戦えない と考えた。以来,インフラ整備は研究を 進めるための3本柱の一つ(他の2つは,人的ネット ワークの構築と現場の重視)と考えてきた。九大の鉱 物学研究室ではガンドルフィーカメラを使って,微小 結晶の

X

線解析をすることを知って,これは宇宙物 質の研究にとって大砲に匹敵する武器になると考え た。実際,強力な放射光

X

線と組み合わせて使うこ とで,これはミクロンサイズの隕石鉱物,宇宙塵,彗 星塵の結晶解析で威力を発揮した。同時に蛍光

X

線 分析(非破壊元素分析)などと併用することによっ て,ミクロンサイズ宇宙物質の研究で極めて強力な武 器になっている。

これまでのところを読めば,順風満帆全てが思う通 りになったと誤解されよう。だが物事は決して全てが うまくいった訳ではない。予算を頂いたがうまくいか なかったこともある。一つはキセノンの共鳴吸収イオ ン化を利用した高感度質量分析計(RIMS)の開発,

二つ目はイオン源の後に静電レンズを入れた高感度イ オン源の作成である。共鳴イオン化には約250 nmの 極短波長の紫外線を使う。これを実現するのは容易で ないので,何人かのレーザーの専門家を訪問して意見 を聞いた。私はエキシマレーザーで紫外光を発振させ ることを考えていたが,エキシマレーザーを使ってい た東北大化学の先生を訪問してご意見を伺ったとこ ろ,素人が使うにはエキシマは適さない,素人には

YAG

のような固体レーザーがよいと言われた。1988 年,世界で唯一キセノンの

RIMS

に成功しているシェ フィールド大学(英)の友人を訪れて,話を聞き装置 を見せてもらった。彼等の装置は強力な

YAG

で色素 レーザーを励起し250 nm光を発振させるものだが,

最終出力は2 mJ/10 nsもあった。1989年,YAGと色 素レーザーの予算をつけて頂いたが,シェフィールド 大のものと比べて

YAG

の出力は格段に低くかった。

また色素レーザーはフレームだけで色素の部分は予算 不足のため別途手当てが必要だった。翌年九大に転勤 することになったとき,これだけは引っ越し荷物に入 れた。しかし当てにしていた旧帝大も期待に反して金 欠で,色素レーザーを手当てできない状態が続いた。

反省の要点は,シェフィールド大学のようにレーザー に精通したスタッフ(または協力者)を得ること,そ の上で必要な性能(e.g., 波長250 nm,パルス幅10

ns,ピーク値2 mJ)の装置を入手すること,そして

安全の確保(特に開発段階では,充分な広さの専用部 屋の確保)を図ること,これは絶対に必要である。

静電レンズ付の高感度イオン源の作成は,35年前

(1975年頃)に阪大で長尾さんと試みて失敗した経 験があった。再挑戦を試みたがまたもや敗退する羽目 になった。主要な原因はイオン源がイオン光学に馴染 まないため,調整には経験的な直感が不可欠なことだ と思われる。学生では歯が立たなかった。会議の合間 を見ての私の調整も通じなかった。じっくりと時間を かければもっと良い結果が得られたと思うが,部屋不 足の状態が基本的に解決されていなかったので,大型 の希ガスマス(MM4500)の搬入を前にしてタイム リミットが来てしまった。自分の無能を棚に上げての 言い訳になってしまったが,ここに述べた2つの課題 は,果たせなかった夢として今も私の心の中に刺さっ たトゲである。この拙文を読んで,トゲを抜いてくれ る人が現れることを期待する。

最後に,大阪大学・山形大学・九州大学では,学内 および学外の多くの方々の好意と協力に支えられて研 究・教育を進めることができた。この場を借りて厚く お礼申し上げて筆をおきたい。

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Fig. 1 クヌーセン真空計(Knudsen gauge)

参照

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