富 田 実加子
無意識の欲望の物語
──Matthew Gregory LewisのThe Monk──
序論
マシュー・グレゴリー・ルイス(Matthew Gregory Lewis 1775-1818)は弱冠 十九歳にしてわずか十週間の間に著作『修道士』(The Monk: A Romance 1796)
において、この世の考えられる限りの諸悪を描ききった。殺人、凌辱、近親 相姦、悪魔との契約─主人公の修道院長アンブロシオ(Ambrosio)は妖女マ チルダ(Matilda)の誘惑により、性の快楽に溺れてしまった為に次々とそれ らの悪を犯してしまう。しかし、物語の結末において、マチルダの存在も含 め、それらの罪は全てアンブロシオの破滅を企んだ悪魔の仕業だったことが判 明する。この結末により、カリ・ウィンター(Kari J. Winter)は、アン・ラド クリフ(Ann Radcliffe)の『イタリア人』(The Italian or the Confessional of the Black Penitents 1797)は悪の根源を人間の内部に置き、男性社会が作り上げた 悪による恐怖を強調するのに対し、ルイスの『修道士』は悪の根源を超自然的 な存在である悪魔という他者に置くことで、最大の罪は悪魔との契約であると して、女性への性暴力や残酷な殺害を正当化しているという(Winter 99)。し かし、果たしてウィンターの言う通り『修道士』において悪の根源は悪魔に外 在化されているのだろうか。
アンドレ・ブルトン(André Breton)は『シュールレアリスム宣言』(Manifeste
du surréalisme 1924)において、シュールレアリスムの文学領域での代表として、
ルイスの『修道士』を挙げた。シュールレアリスムとは「心の純粋な自動現象 であって、それによって人が、口で述べようと筆記によろうと、また他のどん な方法によるとを問わず、思考の真の働きを表現しうるものである。それはま た、理性によるいかなる監督をも受けず、審美的な、あるいは倫理的な心づか いをまったく離れて行われる思考の口述でもある」(ブルトン 24)。この流派 の手本としてブルトンが『修道士』を挙げたことは、この作品が人間心理を全 く自由に表現したものであり、すなわち、そこに描かれた諸悪の根源も人間の 内部に訴求されることを意味するのではないだろうか。悪の大元とされている 悪魔は象徴的に、人間の心の中に潜むおぞましい欲望を表しているのではない か。そうであるとすれば、ウィンターの述べるような悪の根源の内在と外在と いうラドクリフとルイスの間にある相違は消滅し、両者ともあらゆる局面を示 す人間心理とそこに潜む悪を違う形でただ描いているのである。人間の普段隠 されるべき性的で暴力的な欲動を惜しみなく全て曝け出したという点ではむし ろ、男のゴシックである『修道士』の方がラドクリフの描いた理想的なロマン スよりもずっと人間の内面をリアルに映し出しているとさえ言える。
本論では、ルイスの『修道士』において、いかにリアルに人間の無意識の欲 動が描かれているかに注目する。その為の前提として、まず全体像からこの作 品を考察し、分裂が問題視されているダブル・プロットが、ロレンゾとアンブ ロシオの同一性により、表層世界と無意識の欲望世界という対照をなしている ことを説明する。その後、アンブロシオの内面世界にスポットを当て、いかに 彼の内面が物語の進行と共に表層から無意識の欲望の奥底まで深化していくか をジークムント・フロイト(Sigmund Freud)の精神分析を用いて考察する。
そして、最後に悪魔がアンブロシオの欲動を象徴していることを証明すること で、この物語が人間の無意識の欲望の深化を描き出し、悪の根源が人間の抑え きれない欲望に置かれている作品であることを論証したい。
第一章 ダブル・プロット
『修道士』という作品は二つの物語から成り立っている。レイモンド(Don Raymond de las Cisternas)とロレンゾ(Don Lorenzo de Medina)の妹のアグ ネス(Agnes de Medina Celi)の恋愛物語を描くロレンゾ・プロット(富山太
佳夫氏は「レイモンド物語群」と称しているが、プロットはロレンゾにより始 まり終結し、二人の恋人の間に立つ中心人物となる為、この論文では「ロレン ゾ・プロット」と呼ぶこととする)と、修道院長アンブロシオの、妖女マチル ダにそそのかされ、身を破滅させていく姿を描くアンブロシオ・プロットであ る。この両プロットは作品内において交互に展開され、どこかで物語が交差す ることなく、最後にはそれぞれ異なる結末を迎える。この『修道士』のダブル・
プロットに対し、富山氏は「この二つの物語がレイモンドの物語と総称しうる 物語群と対立して存在することはだれしもが気のつく事実であり、この対立を 分裂と評価して、若い作者の未熟さに帰すのが普通である」(富山 378)と、
ダブル・プロットの分裂を指摘する。しかし、この両プロットは分裂と言うよ りも、並行関係にあると表現する方が正しい。なぜなら、そこにはロレンゾと アンブロシオという両プロットの中心人物に重なりが見られ、それ故にそれぞ れの物語は対照的に存在するからである。
アンブロシオとマチルダの悪を公衆に曝け出し、監禁された妹アグネスを救 出するヒーローであるロレンゾと、自らの欲望に負け、近親相姦や殺害という 大罪を犯し、最終的に自らの魂を悪魔に売り払うアンブロシオ─一見二人の主 人公は相反する人物に見える。しかし、作品内には明らかに両者の同一性を窺 える要素がある。まず両キャラクターの設定として、ロレンゾと堕落する前の アンブロシオは両者とも社会的な名声を勝ち得ており、そして様相の面でも ロレンゾは ʻThe symmetry of his person, animation of his features, and natural elegance of his manners and addressʼ (203)を持ち、アンブロシオも ʻhis noble countenance, majestic air, and well-turned graceful fi gureʼ (239)が女性から支持 を得る理由とされ、彼らの整った外見と気品ある雰囲気には重なる部分がある。
また、アンブロシオの説教を聞いた直後にロレンゾは彼の心に潜む、抑えきれ ない欲望を異常なほどに理解し、物語の結末を暗示するように次の通りアント ニア(Antonia)に忠告している。
ʻAmbrosioʼs character is perfectly without reproach; and a Man who has passed the whole of his life within the walls of a Convent, cannot have found the opportunity to be guilty, even were He possessed of the inclination. But now, when, obliged by the duties of his situation, He must enter occasionally into the world, and be thrown into the way of temptation, it is now that it behoves him to show the brilliance of his virtue. The trial is dangerous; He
is just at that period of life when the passions are most vigorous, unbridled, and despotic; His established reputation will mark him out to Seduction as an illustrious Victim; Novelty will give additional charms to the allurements of pleasure; and even the Talents with which Nature has endowed him will contribute to his ruin, by facilitating the means of obtaining his objectʼ. (21)
彼のこれほどのアングロシオへの理解はまるで自らも経験があるかのようにさ え読者の目に映る。
そして更に両者の同一性を決定づけられる要素は、ロレンゾがアントニアと 出会った後に見る悪夢である。ロレンゾは、アントニアとの出会いの場であり、
アンブロシオが演説した場でもあるマドリッドのカプチン教会で眠りに落ち、
花嫁姿のアントニアの夢を見る。
She [Antonia] retreated for a moment; Then gazing upon him [Lorenzo]
with unutterable delight;̶ʻYes!ʼ She exclaimed, ʻMy Bridegroom! My destined Bridegroom!ʼ
She said, and hastened to throw herself into his arms; But before He had time to receive her, an Unknown rushed between them. His form was gigantic; His complexion was swar thy, His eyes fierce and terrible; his Mouth breathed out volumes of fire; and on his forehead was written in legible characters̶ʻPride! Lust! Inhumanity!ʼ
Antonia shrieked. The Monster clasped her in his arms, and springing with her upon the Altar, tor tured her with his odious caresses. She endeavoured in vain to escape from his embrace. Lorenzo flew to her succour, but ere He had time to reach her, a loud burst of thunder was heard ... . Uttering a loud and terrible cr y the Monster plunged into the Gulph, and in his fall attempted to drag Antonia with him. (27-28)
ロレンゾの見た悪夢は明らかに今後の物語の結末─悪魔に誘惑され欲望に溺れ たアンブロシオのアントニアへの凌辱と殺害─を暗示するものである。しかし、
フロイトの『夢解釈』(Die Traumdeutung 1900)における理論によると、夢とは、
例えそれが苦痛や不安を伴う内容であっても、自己の欲望成就を果たすもので あるという(140-41)。ロレンゾの見た悪夢もプロットの暗示的役割だけでなく、
彼自身の無意識の欲望であるとも捉えられる。彼の悪夢をフロイト的に解釈す ると、まず教会という場所と花嫁姿のアントニアは明らかに、友人であるドン・
クリストヴァル(Don Christoval)に公然と述べている通りの、ロレンゾのア ントニアと結婚したいという欲望をそのままに表しており、彼の前では無口で あったはずのアントニアも彼の夢では喜びの笑みを浮かべて ʻMy Bridegroom!ʼ と叫びながらロレンゾを呼んでいる。問題は夢の後半である。正体不明の怪物 のような人物が無理矢理にアントニアを奪い、祭壇の上で彼女をいやらしく愛 撫する。その間ロレンゾは彼女を救出することもできず、棒立ち状態である。
夢が願望達成のためのものであるとすれば、この凌辱を彷彿とさせる性的場面 は、ロレンゾの結婚という法を順守してアントニアを自分のものにしたいとい う表面上の欲望の反面、社会上守らなければいけない法を無視して自らの欲望 のままにアントニアを手に入れたいという無意識の欲望の表れと読める。実際 に夢の中でアントニアを襲っているのは ʻan Unknownʼ や ʻthe Monsterʼ と正体 を明らかにせずにアンブロシオともロレンゾとも言及されておらず、誰もが当 てはまり得る。しかし、これはロレンゾの見ている夢である。フロイトによると、
人間は自らの潜在的な欲望に対して否定したい気持ちがあるために、「夢の歪 曲が起こり、苦痛な内容は単に、欲望されたものにとっての偽装の役目を果た」
すことで、潜在的な欲望を成就させるという(フロイト、『夢解釈』151)。一 見ロレンゾは怪物により汚されてしまうアントニアを目の当たりにして衝撃を 受けているようだが、フロイトの夢の解釈に従えば、彼は宗教や社会の法など 全ての抑圧を投げ打って、少女を神聖なる祭壇の上で犯し、自らの物にしてし まいたいという、否定したい己の暴力的な潜在意識を夢の中では怪物に責任転 嫁することで、彼の潜在的な欲望をこの悪夢の中で成就させているのだ。ここ で、アンブロシオが物語の中で実際に犯してしまった罪と、ロレンゾが夢の中 で達成した自らの欲望は完全に合致することとなる。
更に、アントニアの死後のロレンゾの病にも、アンブロシオとの同一性の 可能性を窺うことができる。富山氏も指摘する通り、ロレンゾはこの作品内 で唯一法を順守しながら冷静沈着に行動する人物である。妹のアグネスが聖 クレア尼僧院の墓場に尼僧院長らによって監禁されている際にも彼女の恋人で あるレイモンドのような非合法の手段を取ることはなく、令状を手にして官憲 と共に合法的な侵入をする(富山 388)。富山氏も述べる通り、この作品では 法を守る者は幸福を得て、法を守らなかった登場人物は皆、何らかの形で罰を 受けることになっている(富山 387)。アンブロシオの罪と罰は言うまでもな
く、レイモンドとアグネスは婚前の妊娠という罪を犯した結果、レイモンドは 病で寝込み、アグネスは尼僧院で尼僧院長らによる監禁・虐待という罰を受 ける。生き別れた息子であるアンブロシオ(この事実は物語の結末で判明す る)の手によって、死という罰を受けたアントニアの母、エルヴィラ(Donna Elvira)は親の同意を得ずに身分差のある相手と秘密結婚し、駆け落ちの際に は息子を捨てたという罪を犯している。アントニアはそのような不当な結婚を 遂げた両親の娘であるため、凌辱と死という罰を得ている。しかし、唯一完全 に法を順守し、その生まれも正当であるロレンゾは何も罪を犯していないにも 関わらず、彼はアントニアの死後、ʻHe [Lorenzo] was persuaded with diffi culty to swallow nourishment suffi cient for the support of life, and a consumption was
apprehendedʼ (400)というほど身体は弱り、寝込んでしまう。ロレンゾに対す
るこの罰は一体何の罪によるものなのか。それは夢で証明された、無意識の中 で感じている、ロレンゾのアントニアに対する暴力的で、肉欲的な性欲望では ないか。正義感のあるはずの彼も夢の中ではただアントニアが犯されていく様 子を傍観するだけで、文字通り見殺しにしてしまったのだ。彼は自らの抑えき れない残酷な欲望意識とアントニアを悪夢の内に見殺しにした罪の為に、実際 の行動で罪を犯した人物たちと同じように、罰を受けることとなったのである。
また、偶然にも、アンブロシオがアントニアを凌辱し、殺害した後に悪魔と契 約を交わし現世を不在にして地獄に滞在する時間と、ロレンゾが寝込み、生と 死の狭間を彷徨う時間は奇妙にも重なり合うように感じられる。このことから、
ロレンゾが無意識の中で行った罪とアンブロシオが実際に行った罪とが一致し ていることをより根拠づけられる。つまり、ロレンゾが無意識に願う残酷な欲 望をアンブロシオが代替的に現実世界で果たしてしまったこととなり、二人は 同罪にあるのだ。
以上のようにロレンゾとアンブロシオが同一性を孕むとすると、『修道士』
におけるダブル・プロットは、表層、もしくは意識の世界と、無意識の世界と いう対照的な世界であると読むことができる。つまり、ロレンゾとアンブロシ オという重なりを持つ主人公達を対照的に据えることで、ロレンゾ・プロット はロレンゾの法を順守しながら正当な恋愛と秩序の回復という人間の手本とす べき表層を描き、アンブロシオ・プロットでは全ての抑圧から解放され己の無 意識の欲望を全て果たしていくという人間の闇の部分を描いているのである。
アンブロシオの、修道院から出てはいけないという自らに対する規律は、意識 の抑圧に押し込められた無意識そのものの象徴のようであり、彼のプロット全
体が内面の世界であることをより強く論理づけている。
ロレンゾとアンブロシオという一見相反する人物が同一性を孕むことは、作 者ルイス自身の持っていた二面性からも納得できる。ルイスは、1794 年の夏 にラドクリフの『ユードルフォの謎』(The Mysteries of Udolpho 1794)を読ん でから、わずか十週間で書き上げた、性的・暴力的・非宗教的要素を多く含む『修 道士』の作者である(杉山 130)反面、ジャマイカにある彼の領地の奴隷た ちに対し、重い刑罰の排除や休日を増やすなどの待遇改善策を積極的に講じる ような人道的で善良な面を持っていた(Summers 293)。彼の錚々たる友人の うち、ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)は ʻHe was one of the kindest and best creatures that ever livedʼ と評し、バイロン卿(Lord Byron)におい ては ʻLewis was a good man. I would give a Sugar Cane/ Monk Lewis were alive
again!ʼ (Summers 202)と『修道士』の醜悪さに対して拍子抜けなルイスの温厚
な性格を皮肉っている。表向きの善良な面と、『修道士』の執筆でぶつけた心 の中に渦巻く暴力的な面─この二面性を持つ作者がダブル・プロットを用いる ことで、まるで自らをモデルにするかのようにロレンゾとアンブロシオという 対照的な人物を同一人物として構想した可能性は十分に窺える。ルイスは、ロ レンゾのプロットでは周囲が口を揃えて褒めたたえたような自らの表面上の姿 を表現し、アンブロシオのプロットにおいてはその一方で善良さに包み隠され た自らの内に潜む抑えきれない欲動を全て爆発させたのかもしれない。
以上の通りこの章では、ロレンゾとアンブロシオという、ダブル・プロット のそれぞれの主人公の同一性について述べることで、両プロットが人間の表層 世界と無意識世界という対照的な世界を表していることを論証した。次章から はアンブロシオのプロットである人間の内面世界に注目し、物語が進むにつれ、
いかにアンブロシオの無意識の欲望が深化されていくかを論じ、人間のリアル な欲望を描き出す物語としての『修道士』を根拠づけていきたい。
第二章 欲望の深化
主人公アンブロシオの内面世界であるアンブロシオ・プロットでは、無意 識の解放が物語の進行と共に深化していき、その色を濃密にしていく。彼の 無意識の欲望が深まっていく度合いは、フロイトの精神分析によって段階的 に区分することができる。フロイトは著書『快感原則の彼岸』(Jenseits des
Lustprinzips 1920)において、人間の内に潜む二種類の欲動について説明した。
片方は生体を無機物の状態、つまり死へと導くことを目標とする「死の欲動」
であり、この欲動を自己の外部へ向けると、破壊傾向または攻撃傾向として表 現される。もう一方の欲動はリビドー的な性欲動と、食欲や自らの身を危険か ら守るなどの自己保存欲動という、生を維持し、高度な発展に進むことを目指 すものを総称した、「生の欲動」あるいは「エロス」である。死の欲動とエロ スの欲動は生命の中で常に共存しており、互いの葛藤や干渉を繰り返し、個体 の死は死の欲動の勝利であり、生殖活動はエロスの勝利であると言う(フロイ ト、『リビドー理論』219-20)。アンブロシオの欲望深化の過程は、フロイトの、
この「死の欲動」と「エロス」の理論に基づいて分析することで、四段階に分 けることができる─1.欲動の昇華 2.エロスの勝利 3.サディズム 4.死 の欲動─である。
アンブロシオのこれらの欲望段階を説明するに当たって、マチルダの正体に 触れずにはいられない。というのは、彼女がアンブロシオの欲望を満たすのに 重要な役割を果たしており、彼の欲望の変化過程にも大きく関わっているから である。マチルダの正体の解明はしばしば批評家の間で議論の的となる問題で あり、モンタギュー・サマーズ(Montague Summers)はルイスの弱点として、
アンブロシオに恋する女性としてのマチルダの一連の行動と、彼女が実は悪魔 の手先であったという結末との間に矛盾があることを指摘しており(Summers 220-221)、エディス・バークヘッド(Edith Birkhead)もアンブロシオが眠っ ていると思い込んで愛の独白を行うマチルダの姿と悪魔の手下という彼女の正 体の乖離を挙げ、マチルダの生き方には物語の発端と結末で不統一が生じてい ることを指摘している(Birkhead 67)。マチルダがアンブロシオの欲望の充足 に深く関わっていることは作品内から否めない事実であり、本論においてアン ブロシオの無意識の欲望について分析することは、彼女の正体を考察する好機 ともなる。この章においては、アンブロシオの無意識の欲動を、マチルダの役 割と正体の解明を交えながら段階を追って分析していく。
1.欲動の昇華
アンブロシオは物語において華々しい説教シーンにより初めて登場する。彼 の雄弁に、アントニアを含めたマドリッドの全聴衆は感嘆の渦に巻き込まれ、
彼は聖人のような敬伲さと威厳を伴った人物として最初に描かれる。彼はこの 時点において、ʻHe never saw, much less conversed with, the other sex: He was
ignorant of the pleasures in Womanʼs power to bestowʼ (238)とあるように、異 性から得られる性の快楽について全く無知の状態であった。それでは、彼の後 の性欲動は、マチルダに出会うまでいかに満たされていたのか。
フロイトによると、欲動とはその対象を「別の対象に容易に取り換えられ」、
「昇華」という現象により、「欲動の対象と目標の両方が変わり、本来は性的な 欲動が、性的な意味をもたない社会的あるいは倫理的な価値のある業績の実 現に、充足をみいだす」(『リビドー理論』 215-16)という。アンブロシオの 場合にも、ʻFor a time spare diet, frequent watching, and severe penance cooled and represt the natural warmth of his constitutionʼ (238)と記述されている通り、
マチルダと出会うまでは、厳格なまでの宗教生活とそれによって得られる民衆 からの賛美によって、彼の性欲動は抑圧され、代替的にそれを満たすことさえ できていたと考えられる。この段階において、女を知らないという環境が功を 奏して、彼はまだ性の快楽に溺れることなく、自らの理性を保つことができて いる。ここでの彼は第一章でもすでに述べた通り、表面上では好色や暴力とは かけ離れた、ロレンゾと同じような理想的な男性像として描かれており、理性 が無意識の欲動をコントロールしている表層段階、あるいは意識段階にあると 言えるだろう。
2.エロスの勝利
リビドーの昇華により、自らの性欲動を厳格な宗教活動によって代替的に満 足させていたアンブロシオは、彼が二年間毎日崇めていた聖母マリア像と瓜二 つのマチルダに出会い、性の快楽を知ったことで、彼の欲望は性行為のみによっ て満たされるようになってしまった。
No longer repressed by the sense of shame, He [Ambrosio] gave a loose to his intemperate appetites: While the fair Wanton [Matilda] put ever y invention of lust in practice, ever y refinement in the ar t of pleasure, which might heighten the bliss of her possession, and render her Loverʼs transports still more exquisite, Ambrosio rioted in delights till then unknown to him. (224)
初めて味わった性の快楽により、彼の無意識の欲望世界では、本章冒頭で述べ
た人間の二種類の欲動のうちの「エロスの欲動」が勝利を収めている。一方の「死 の欲動」の方は、フロイトが述べているように、エロス的な要素と混ぜ合わせ ることによって無害なものとして対処されることができる為(『自我とエス』
265)、生殖行為に欲望の対象を向けているアンブロシオの無意識において、死 の欲望の危険性はこの時点では休止状態にある。アンブロシオは女を知ったこ とで、自らのエロスをその他の社会的価値の創出などの方向に昇華させる必要 はなくなり、常に身近にいるマチルダとの性行為によってエロスの欲動を満た せるようになったのだ。
ここで考えなければならないのがマチルダの役割である。彼女はアンブロシ オにとって単なる恋人としての役割を果たしているだけではない。上でも述べ た通り、マチルダの容貌は彼が二年間 ʻthe Object of his increasing wonder and
adorationʼ (40)としてきた聖母マリア像にそっくりであることから、彼にとっ
ての彼女の存在はただ快楽を与えてくれる恋人としてだけでなく、彼を包み込 む「母」でもある可能性が浮上する。惣谷美智子氏はマチルダの聖母マリア像 との同一性以外にも、マチルダがアンブロシオの「母」となり得る理由を挙げ ている。それは、アントニアが自宅にてアンブロシオに凌辱されようとしてい るまさにその刹那に、別室で寝ていた母エルヴィラが見た悪夢と、アンブロシ オが悪魔と契約した後の惨劇の描写が重なり合うからである。エルヴィラの 夢の中で、絶壁で落ちそうになっているアントニアが ʻSave me, Mother! Save
me!ʼ (301)と母親に助けを求めるのに対し、アンブロシオも「比喩的な意味で
の悪夢」である地獄において、悪魔に断崖へと突き落とされる前に ʻCarry me
to Matilda!ʼ (439)とマチルダに救済を求めている。後に明かされることとなる
実の兄妹が、悪夢において同じように救済を求める叫びを上げることは偶然と は思えない。惣谷氏は「ʻSave me, Mother!ʼ というアントニアの叫びは、アン ブロシオの口を通しては ʻCarry me to Matilda!ʼ にすり替えられ」、ʻMotherʼ が ʻMatildaʼ に変わっていることから、マチルダがアンブロシオの母親として存在 している可能性を指摘している(惣谷 222-23)。
以上の通り、象徴的母であるマチルダは、アンブロシオに十分すぎるほどの 性欲望の充足を与えた。まだ幼いうちに両親から引き離され、修道院に預けら れることになったアンブロシオは、異性はもちろんのこと、母親の存在も欠落 したままであった。その為、普通エディプス・コンプレックスから生じる幼児 の母親への憧憬の念はアンブロシオの内に完全に抑制されるものとなり、修道 院内で触れられる唯一の母親的役割は、聖母マリア像であった。そのような彼
の前に現れた、聖母マリア像と瓜二つのマチルダは、彼にとって初めて目の当 たりにする実体の女性であり、また母親でもあった。彼がマチルダとの交わり によって得られる快楽は、一般的な性欲の充足以上に、母親の獲得という男性 の無意識の理想的欲望をも満たしたのだ。
このような強い母親への求心を描いたことは、作者ルイス自身の経験から影 響することが考えられる。ルイスは 1775 年に父マシュー(Matthew Lewis)と 母フランセス(Frances Maria)の間の長男として生まれ、次男バーリントン
(Barrington)が幼くして亡くなった後は、二人の妹をよそに、母親の愛を一 身に受け、彼自身も崇拝と言うに近いほど母親をこよなく愛した。しかし、ル イスがパブリック・スクールのウェストミンスター校(Westminster School)
に寄宿生として入学した頃、両親の関係は冷め切り、離婚の決断へと向かって いた。理由は母親が子供達のために雇っていた音楽教師と浮気をし、彼と駆け 落ちをしてしまったからである。それでもなお、ルイスは母に対する深い愛情 から、生涯経済的に彼女を援助し続け、『修道士』を執筆した本来の動機もそ の為であった(Summers 202-07)。ルイスはこれほど心から母親を愛したにも 関わらず、彼女に裏切られ、父親でもない別の男性によって彼女を略奪されて しまったのである。フロイトによると、個人の成長に連れて、父の役割は教師 や権威を持つ人々が引き受けると言う(フロイト、『自我とエス』241)。ルイ スは血縁上の父親と音楽教師という二人の父親的存在と母を取りあわなければ いけないエディプス・コンプレックスに苛まれた挙句、ついに一度得られたと 思った母親の愛情は二人目の「父」によって横取りされてしまった。彼が母の 裏切り行為から起こる憎しみの感情を混ぜながらも、独身の身のまま母親の援 助を続けたことは、まだ彼女の愛情奪回を期待しての行為だったのだろう。ル イスが作品内において、象徴的母であるマチルダが、修道院という閉鎖的な空 間で、主人公アンブロシオのみにとっての恋人として存在し、彼だけにその愛 情を注ぐ状態を創造したことは、作者自身がそれを一生涯望み続けたからでは ないか。彼は物語の主人公に自らを重ね、作品内において己の願望を果たした のである。つまり、マチルダが与えた性の快楽は、アンブロシオだけでなく作 者ルイスの性の欲望をも充足させたのだ。
マチルダと出会ったアンブロシオはこの段階において、初めての性快楽と母 親の獲得という十分すぎるほどの性欲望の充足を経験したことで、彼の無意識 ではエロスの欲動が完全に勝利し、一方の死の欲動は休止させられている状態 にある。
3.サディズム
作者ルイスは一生涯母親にその愛を献身的に捧げ続けたが、彼が創り上げた 主人公アンブロシオは母親の愛の獲得の後に、サディズム的な破壊活動を、そ れも主に母親的存在に対して、始めてしまう。マチルダとの快楽の夜を何度も 繰り返し、性欲望の充足にすっかり慣れてしまったアンブロシオは、一週間も しないうちに彼女に飽き、嫌悪にも近い感情を抱き始める。もはやマチルダの 身体はアンブロシオの欲望を満たすための代替的手段に成り下がってしまっ たのだ。後に彼の実の妹と判明する、アントニアを性欲望の新たな標的とし たアンブロシオは、ついには、母の象徴であった、マチルダの生き写しであ る聖母マリア像を攻撃する。ʻ[H]is eye fell upon the picture of his once-admired Madona. He tore it with indignation from the wall: He threw it on the ground, and spurned it from him with his footʼ. (244)彼は象徴的に自らの母親としての存在 に対し暴力を加え、破壊を試みている。
彼の母親への破壊活動はこれだけに止まらない。物語の結末にて悪魔により 暴露され明らかになる、アンブロシオの血縁上の真の母親であるエルヴィラに 対しても、彼は暴力を行使する。アントニアへの凌辱未遂の場面をエルヴィラ に見つかってしまったアンブロシオは、思いがけず乱暴な手段を取り彼女を死 に至らしめる。彼は殺害場面において、
The Monk continued to kneel upon her breast, witnessed without mercy the convulsive trembling of her limbs beneath him, and sustained with inhuman fi rmness the spectacle of her agonies, when soul and body were on the point of separating. (304)
というように、冷酷にも自らの母の死に際を冷静な眼差しで見つめる。彼のエ ルヴィラ殺害はもはや意図的であり、その残酷な態度にはサディズムの要素が 窺える。
更に、アンブロシオのサディズムは、唯一の血縁関係を持つアントニアに対 しても攻撃の矛先を向ける。彼のアントニアへの凌辱・殺害行為は性対象に対 する明らかなサディズム傾向を示す。
He [Ambrosio] stifl ed her [Antoniaʼs] cries with kisses, treated her with the
rudeness of an unprincipled Barbarian, proceeded from freedom to freedom, and in the violence of his lustful delirium, wounded and bruised her tender limbs. (383)
このように彼が愛おしく思っていたアントニアへの性行為は暴力的で、彼女の 身体を生々しく傷つけるものであり、彼女の胸を最終的に二度短剣で刺したこ とによって、彼のサディズムは完成する。
このような元来アンブロシオの無意識の欲望が求めていた二人の「母」と、
アントニアに対して破壊活動を行うことはアンブロシオのサディズム傾向を示 しており、これはフロイトの述べる「死の欲動」の活発化と、その欲動をでき る限り抑制している証となる。サディズムとは、本来自己に向けられた死の欲 動の破壊方向を外界に転換し、外界や他の生物に対する破壊活動として表現さ れたものである(フロイト、『自我とエス』 246)。更に、そのような破壊活動 という欲動対象を「攻撃性として外部に向ける」ことで、死の欲動を対処する ことができる為(フロイト、『自我とエス』265)、サディズムは同時に死の欲 動の自己破滅欲望の抑制としても働いていることとなる。また、アンブロシオ が取ったような性対象に痛みを加えようとするサディズム的行為は、エロスの 欲動と死の欲動の両者が混合した、性目標倒錯としての破壊行為の実例である ことから、エロスに奉仕したものである(フロイト、『性理論三篇』64)。つま り、アンブロシオの犯したサディズム的な破壊・暴力行為は、彼の無意識の中 で、死の欲望が動き出している兆候であると同時に、それを食い止めている抑 制現象でもあり、それまでの彼のただ性欲動の充足を求める欲望から、死の欲 望へと移行している段階の、死の欲動とエロスの欲動の混合状態にあることを 意味している。
アンブロシオのサディズムからは、フロイトの述べるような死の欲動の活発 化とそれに対する抑制反応だけでなく、彼の潜在的な女性恐怖の心理をも窺え る。彼は死の欲望から発生するサディズム的性倒錯を行った後、必ず恐怖心や 罪悪感を味わう。例えば、あれほど落ち着き払った冷酷な態度でエルヴィラを 殺害したアンブロシオだが、彼女が息を引き取ったことが分かるとすぐに残 酷な感情は一変し、ʻThis horrible act was no sooner perpetrated, than the Friar [Ambrosio] beheld the enormity of his crime. A cold dew fl owed over his limbs;
his eyes closedʼ (304)と、自らの犯した罪に対して恐怖に慄く。更に、彼は破
壊行為だけでなく、女性との性行為によっても嫌悪感を抱く。強く求め続けて
いたアントニアの純潔を奪うことを達成した直後にも彼は、
Scarcely had He [Ambrosio] succeeded in his design, than He shuddered at himself and the means by which it was effected. The very excess of his former eagerness to possess Antonia now contributed to inspire him with disgust; and a secret impulse made him feel, how base and unmanly was the crime, which He had just committed. He started hastily from her arms.
She, who so lately had been the object of his adoration, now raised no other sentiment in his heart than aversion and rage. (384)
と言うような、やはり自らの取った行動に対する恐怖心や罪悪感と、かつて性 対象であった彼女に嫌悪の感情を抱いている。彼がアントニアとの交わりに よって快楽以上に嫌悪を感じることは、彼女との性交渉を達成することよりも、
彼女に対する暴力行為そのものを目標としていたように見える。これらの彼の、
女性に対する破壊行為を望む傾向と、その後に得る嫌悪感や罪悪感は、彼が幼 児期から修道院において性行為による罪の恐ろしさを頭に叩き込まれた事実以 上に、彼自身の女性、あるいは「母」の存在への潜在的恐怖からも発生してい ることが考えられる。
アンブロシオが「母」または女性全体への恐怖・嫌悪を抱いていると考えら れる理由は二点ある。まず一点目は前項でも述べた作者ルイスの母親の裏切り 行為の経験である。母親であった存在がいつしか、母親ではなく、自らの音楽 教師の恋人、そして妻というように様変わりしていった、「女性」としての母 親の姿に直面したことで、ルイスが母親の中に潜む、女性としての性に対する 憎しみや恐怖心を抱いた可能性は十分に窺うことができる。物語の中で、アン ブロシオが母親に準ずる存在とその腹から生まれた血縁の妹に対し、性欲望を 駆り立てられながらも破壊行為を行うことは、彼の母親に対する愛と女性の性 に対する憎しみの気持ちから発生しており、彼が性の充足の後に味わう恐怖と 嫌悪はルイス自身のトラウマを物語内で再現したものと考えられる。ルイス自 身生涯独身でいたことからも、彼が女性の性に対して恐怖を抱いていて、それ を作品内で彼の代わりに主人公アンブロシオが実行に移し、恐怖の対象である 女性を暴力によって取り除き、彼女達の性への嫌悪の感情を示したことは不思 議ではない。
二点目は、アンブロシオがフェティシズムの傾向を示していることである。
フロイトは、少年が初めて母親の裸体を目にした時、自らの男性性器がそこに 存在しないことから、去勢という恐怖観念を抱くと述べる。そのような「去勢 の脅しに対する勝利のしるし」と「この脅しから守ってくれるもの」として女 性の別の身体部位に性的対象を見出し、これがフェティシズムの原理であると 言う(『フェティシズム』 286)。幼児期に両親から引き離され、男性のみの社 会である修道院生活に勤しみ、ʻHe [Ambrosio] knows not in what consists the difference of Man and Womanʼ (17)という評判のあるアンブロシオにとって、
初めて触れた女性であるマチルダが、初めて目にする裸体の女性であったと言 える。彼は彼女との性行為に及んだ時、快楽よりも嫌悪と恐怖に襲われる。
Pleasure fled, and Shame usurped her seat in his [Ambrosioʼs] bosom.
Confused and terrified at his weakness, He drew himself from Matildaʼs arms. His perjur y presented itself before him: He reflected on the scene which had just been acted, and trembled at the consequences of a discovery.
He looked forward with horror; His heart was despondent, and became the abode of satiety and disgust. (223)
これ以降も彼はマチルダが快楽を与えてくれる度に、彼女への嫌悪を強めてい き、アントニアを凌辱した後にもやはり不快を覚えるのだ。
彼の性交後の嫌悪の感情は、彼が初めて女性の身体を目にするという一般的 な幼児と同じ条件の下、女性性器に恐怖を覚えたことから生まれた可能性は十 分にある。それを裏付けるかのように彼が女性の性器に注目する場面は一度も なく性交後に必ず嫌悪感を抱くのに対し、彼は女性の胸に対して最も激しい性 欲望の興奮を覚えるというフェティシズムの傾向を見せる。始めロザリオとい う修道僧として修道院に紛れ込んでいたマチルダは、自らの正体と愛をアンブ ロシオに告白し、彼に命じられた修道院からの退去への抵抗として、自らの胸 に短剣を突き立てる。
She [Matilda] had torn open her habit, and her bosom was half exposed. The weaponʼs point rested upon her left breast: And Oh! that was such a breast!
The Moon-beams dar ting full upon it enabled the Monk [Ambrosio] to observe its dazzling whiteness. His eye dwelt with insatiable avidity upon the beauteous Orb. A sensation till then unknown fi lled his heart with a mixture
of anxiety and delight: A raging fire shot through ever y limb; The blood boiled in his veins, and a thousand wild wishes bewildered his imagination.
(65)
それまで頑なにマチルダを修道院から追放することを決意していたアンブロシ オの理性は、マチルダのこのような美しい胸を目にしたことで、容易くも誘惑 に負け、彼女の修道院残留を認めてしまう。また、アントニアを手に入れるた めに悪魔の力を借りることをマチルダから強く拒むアンブロシオは、次のよう なアントニアの入浴場面を魔法の鏡から覗くことで再度いとも簡単に意思を曲 げ、マチルダの計画に身を委ねてしまう。
She [Antonia] threw of f her last garment, and advancing to the Bath prepared for her ... . At this moment a tame Linnet fl ew towards her, nestled its head between her breasts, and nibbled them in wanton play. The smiling Antonia strove in vain to shake off the Bird, and at length raised her hands to drive it from its delightful harbour. Ambrosio could bear no more: His desires were worked up to phrenzy. (271)
以上のように、アンブロシオは女性の胸に対してフェティシズムの傾向を示し ていることから、彼がフロイトの言う、幼児期に覚える女性性器に対する恐怖 心を抱いている可能性は十分にある。また、一点目の理由の中でも述べた通り、
作者ルイスは女性の性に対してのトラウマを持っていた可能性がある。このこ とから作者自身も女性の性の象徴である女性性器に対して嫌悪感を抱き、それ がフェティシズムに転身したことは納得できる筋である。ルイスの欲望願望を 叶える主人公アンブロシオが女性の胸に性欲動の興奮を示し、性行為の後に必 ず嫌悪の感情を抱くことは、ルイス自身の女性の性への恐怖から端を発するこ とが原因の一つとして十分に考えられる。これら二点の理由から、アンブロシ オが女性に対して恐怖心を抱いていることが推測でき、無意識の死の欲動が動 き出したことだけでなく、恐怖の対象を取り除きたいという欲望も彼のサディ ズムを発生させた要因となり得ることが考えられる。
アンブロシオはマチルダとの性快楽によりエロスを充足させてしまった為、
自らの無意識の中でこれまで息を潜めていた死の欲動を動き出させてしまっ た。生きることを目標とするエロスの欲動と、死を目標とする死の欲動の葛藤
の現象として、彼は3人の女性に対する暴力行為というサディズムに及んだ。
しかし、彼は破壊活動の後、必ず嫌悪感や恐怖心を抱く。それは彼が女性性器 に由来する、女性への潜在的恐怖から起こっており、この恐怖心は作者ルイス 自身の経験の影響と考えられる。アンブロシオの無意識はこの段階において、
女性の脅威という強迫観念に曝され、サディズム行為によってひしひしと強 まっていく死の欲動の力を必死に抑制している状態にあるのだ。
4.死の欲動
初めて経験した女性との性の快楽、母の獲得、本来恐怖であった女性への破 壊活動というサディズム的性倒錯─あらゆる欲望の実現によりエロスを十分す ぎるほど充足させたアンブロシオは、ついに自らの最終的な無意識の欲望を果 たすこととなる─それは自らの死である。フロイトによると、普通エロスと性 欲動を満たすことは、新たな動的な緊張を生体にもたらすことで、死の欲動と いう脱性化できないリビドーの要求に従って自己を防衛すると言う。その緊張 とは、男性の性的物質(精子)の蓄積によって引き起こされ、死の欲動に支配 され始めるプロセスを阻止する。そして、性的行為によってこの性的物質を放 出することでこの緊張がゼロの状態に戻り、性的快感とエロスの充足を得られ るが、この瞬間、エロスは無意識の中で排除され、その結果死の欲動が自由に なり、下等動物の場合、そのまま死の欲望を貫徹してしまうのだと言う(フロ イト、『自我とエス』 254-55)。
アンブロシオは、これまでの欲望過程で追ってきたように、マチルダの存在 と彼女の黒魔術によって死の欲動以外の全ての欲望を達成してきた。アンブロ シオは、マチルダとの性交渉によって性欲望と母親獲得の願望というエロスの 欲動を満たすことで、自らの身体に刺激という緊張をもたらし、死の欲動から 自己を防衛してきた。更に、マチルダに酷似の聖母像破壊、また彼女の力を借 りながらエルヴィラの殺害という母親へのサディズム的破壊行為を遂げたこと で、アンブロシオは自己の恐怖の対象を取り除くと同時に、死の欲動が自らに 向ける破壊欲望を代替的に充足させることに成功した。そして、最終的な彼の 欲望であった、彼の唯一の血縁関係にある、純真無垢なアントニアの凌辱、そ して殺害をもマチルダの魔術に助けられて果たすことで、彼の性欲望は全て達 成された。彼はこの世で唯一残された自らと同じ血が流れるアントニアの身体 を穢し、破壊することで、性欲望の充足以上に、自らに向けられる死の欲動
を、彼女を犠牲にして満足させようとしたのだ。一般的な人間においては性欲 動の一部を昇華によって全く別の対象に欲望を向けることで自らの身体に新た な緊張を再度もたらし、生へとつなげるのであるが(フロイト、『自我とエス』
255)、アンブロシオの場合別の対象はもはやこれ以上存在しない。なぜなら、
マチルダという誘惑者により、彼は思い起こった欲望をそのまま達成すること ができてしまう環境にあったからだ。彼はアントニアへの凌辱を達成した時点 で究極的に全てのエロスの欲動を果たしたこととなり、彼はフロイトの述べる 通り、願望達成の快楽によって、彼の無意識の中でエロスによってもたらされ ていた緊張はゼロの状態に戻り、自由になった死の欲動が彼の無意識を支配す ることになる。アンブロシオは己の無意識の性的願望を全て果たしたことで、
エロスを排除し、二種類の内のもう一方の欲動である死の欲動に勝利を与えて しまった。その結果が、彼が最終的に迎える無残な死という結末なのである。
彼は自らの破滅によって、無意識の内の最後の欲望を貫徹したこととなり、無 意識の深化という人間の内面世界を描くアンブロシオ・プロットは終幕する。
しかしながら、彼を死に追いやったのは彼の内にある死の欲動だけではな い。彼が修道院で培ってきた厳しい宗教教育も彼を死に至らしめた大きな原動 力となっている。フロイトは『自我とエス』(Das Ich und das Es 1923)という 論文において、人間心理を自我、超自我、エスに分け、自我はエスという無意 識の欲望を、理性を伴いながらコントロールし、現実社会に適応させようとす ることを述べている。無意識であるエスにおいては、すでに本論で何度も述べ ている、エロスや死の欲動という二種類の欲動が葛藤して渦巻いている状態に ある。超自我は自我とエスの間に位置し、父親コンプレックスから由来する 自らへの理想や禁止を表すもので、エスや自我よりも道徳的で、罪責感(良 心)の原因となるものである(フロイト、『自我とエス』256-64)。ここで注目 するのはこの超自我である。アンブロシオの場合、父親の記憶は一切なく、父 親の存在は母親以上に物語から欠落している。その為、彼の「父親」とは、幼 い頃から在籍している修道院の、僧院長やその他師父たちがその代理の役目を 担い、彼らが悉く説く修道院の美徳に影響され、アンブロシオは自らの目指す べき理想像である「父親」のような修道僧になることを志したのである。つま り、彼の代理の父親である僧院長やその他師父たちからの教育が彼の超自我を 形成し、それが彼の良心や罪悪感の大元となったのだ。実際にこの代理の父達 からの教育がアンブロシオの性格形成に大いに役立ったことは記述されている
─ ʻIt was by no means his [Ambrosioʼs] nature to be timid: But his education had
impressed his mind with fear so strongly, that apprehension was now become part of his character.ʼ (236)。
フロイトが「過度なまでに強い超自我が、意識を独占し、容赦のない厳しさ で自我を脅す。まるで超自我は個人の中であらんかぎりのサディズムを発揮す るかのようである」(『自我とエス』 264)と言うように、道徳的な超自我は自 我を罰しようと常に責め立てる。アンブロシオにも例外なくこの兆候はしっか りと描き出されている。彼が「父親」達から教育されたことはほとんど罪の恐 ろしさに終始する。
... in order to break his [Ambrosioʼs] natural spirit, the Monks terrifi ed his young mind, by placing before him all the horrors with which Superstition could furnish them: They painted to him the torments of the Damned in colours the most dark, terrible, and fantastic, and threatened him at the slightest fault with eternal perdition. (237)
このような「父」からの、罪による地獄の責め苦を説く教育は、彼の頭にしっ かりと焼き付けられた。彼は自身の演説の中で、自らが教育された通りに、罪 と恐ろしい罰について熱弁する。
His [Ambrosioʼs] voice at once distinct and deep was fraught with all the terrors of the Tempest, while He inveighed against the vices of humanity, and described the punishments reserved for them in a future state. Every Hearer looked back upon his past offences, and trembled: The Thunder seemed to roll, whose bolt was destined to crush him, and the abyss of eternal destruction to open before his feet. (19)
これは、彼の中で、教育された罪に対する罰の恐ろしさが何よりも彼の性格形 成に大きな力を発揮し、意識の根底に常に厳格な超自我が働いている証拠であ る。
フロイトは、アンブロシオが厳しい教育によって得たような、過度に道徳的 な超自我から発生する「罰しようとする良心の非難」と、死の欲動を持ち合わ せた残酷な「エスの誘い」と両方向から、自我は自らを死に追いやる力に苛ま れる、と言う。一般的には自我がこの危険な両者からの死の欲動を抑制する方
法は、エロス的な要素と混ぜ合わせて無害化したり、サディズムによって攻撃 性を外部に向けたりすることであるが(フロイト、『自我とエス』265)、上述 した通りアンブロシオはエロスもサディズム的欲望を全て果たしてしまい、死 の欲動以外の欲望は十分すぎるほど充足されてしまっている。彼にはもはや残 された防衛手段はなく、死に向かうのみであるのだ。
アンブロシオが死の欲望だけでなく、教育によって培われた強い超自我に よって死を責め立てられたことは、アンブロシオの地獄での死に様に現れてい る。
On the Seventh a violent storm arose: The winds in fury rent up rocks and forests: The sky was now black with clouds, now sheeted with fi re: The rain fell in torrents; It swelled the stream; The waves overflowed their banks;
They reached the spot where Ambrosio lay, and when they abated carried with them into the river the Corse of the despairing Monk. (442)
このようなアンブロシオの死の描写は、上で引用した、地獄の恐ろしさを説く、
彼の父達による教育やその教育による脅迫観念が現れた彼の演説に似通ってい る部分がある。彼はわずかな罪でも犯せば地獄に落ちることを信じ込ませられ、
激しい嵐や雷に満ち溢れる地獄を想像し、実際に臨死状態で想像通りの地獄を 経験する。更にレオネラ (Leonella)の ʻHis description of the Devil, God bless us! almost terrifi ed me out of my witsʼ (22)という発言から、彼が演説の際に地 獄の様子に加えて、悪魔についても同じく熱を込めて言及していたことが分か り、やはり彼が想像していたとおりの罰を実際に自身が受けていることになる。
これらの共通点から、アンブロシオが幼少期から罪を犯したことへの罰を十分 に教育されたことで、それが彼の超自我へ蓄積され彼の強い罪悪感を形成し、
常に彼の意識を責め立てていたことが分かる。さらに「父」の教えとアンブロ シオの死の描写との類似は、彼を責め立てる厳格な超自我と彼を死へと駆り立 てる死の欲動との結びつきを喚起させる。彼が最終的な死の欲望の達成に至る までに、すでにエロスの欲望を十分すぎるほど充足させてしまったことは、死 の欲動を解放しただけでなく、性の快楽を味わった罪の意識から更に超自我に よる罪悪感の意識を強めることとなり、彼の死の欲動は無意識の欲望と罪悪感 の両者から攻撃を受け、歯止めが効かなくなってしまったのである。
死の欲動の勝利に至るまでのアンブロシオの欲望の充足には必ずマチルダの
存在が関係していた。マチルダは自らの身体で彼の性欲動や母親獲得の欲望を 満たしただけでなく、黒魔術を使うことでアントニアという別の身体の支配や 真の母親であるエルヴィラの殺害まで、アンブロシオの欲望の充足の全てに協 力してきた。しかしながら、唯一彼の最終的な欲望である死の段階において、
彼女は一切姿を現さない。醜い姿の悪魔の登場以来、例えアンブロシオが ʻCarry
me to Matilda!ʼ (439)と助けを求めても、彼女は姿を消したままである。結末
で明かされる、ʻa subordinate but crafty spiritʼ (440)というマチルダの正体につ いての悪魔の説明には納得できず、我々読者は改めて彼女の存在について考え させられる。様々な批評家達も彼女の正体の結論を出してきた。惣谷氏は「原 初的〈母〉」(惣谷 224)、ツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov)はリビ ドー(Todorov 127)、ブルトンは「不滅の誘惑そのもの」(ブルトン 14)と解 釈している。本論ではこれらとは別の解釈を彼女に与えたい。
マチルダはこれまでアンブロシオにあらゆる形で性快楽を与えてきたが、そ れらは全て彼の死の欲動が勝利することを抑制するためのものだった。彼女は 始め、自らの魅力と聖母像との重なりによりアンブロシオの性欲望と同時に彼 の母親獲得の欲望を充足させた。彼女との性行為により、彼の中の無意識では エロスが勝利を収め、死の欲動の活動は停止させられていた。それでもアンブ ロシオの無意識のうちに募っていく死の欲動を対処する方法として、次に彼女 はその自己破滅の攻撃性を外部に向けさせた。彼女は自らの黒魔術の力で、聖 母像への攻撃、エルヴィラの殺害、アントニアの凌辱と殺害という外部の者へ の暴力を実現させ、彼の内なる死の欲動を食い止めていた。しかしながら、満 たされすぎた彼の性欲動により、死の欲動は彼の内で勝利を収め、それと共に 彼女は姿を消してしまう。このようにアンブロシオの死の欲動の抑制に奮闘し てきたマチルダは、人間の無意識の中で常に死の欲動と戦い、それの抑制とし て働く、生の欲動あるいはエロスそのものであったと考えられる。エロスであ るマチルダは、性への欲望を加速させたという面ではアンブロシオの破滅に手 を染めた悪魔の共犯ではあるが、彼の死の欲動を抑制していたという面では彼 の味方でもあった。救済者でもあり悪でもあるマチルダのこの二面性が、私達 読者が彼女をただの ʻa subordinate but crafty spiritʼ とは認められない所以なの かもしれない。
以上のように、この章では内面世界であるアンブロシオ・プロットにおいて、
いかに主人公アンブロシオの無意識の欲望が深まっていくかを段階的に追って
きた。彼のエロスまたは生の欲動と死の欲動という二種類の無意識の欲望は、
始めは厳格な宗教生活と華々しい演説による大衆からの賞賛に昇華させられる ことで満たされ、その次には、マチルダの出現によって性欲動を満たし、エロ スが彼の無意識の中で完全なる勝利を収める。しかし、治まったままではいら れない死の欲動は動き出し、それがマチルダにそっくりの聖母像への攻撃、エ ルヴィラの殺害とアントニアの凌辱・殺害というサディズム行為に体現され、
彼のエロスと死の欲動は満たされることとなる。そうして彼のあらゆる性欲望 がマチルダの存在のお陰であまりにも満たされたことで、ついに死の欲動が彼 の無意識を完全に占領し、自らの破滅によって彼は全ての無意識の欲望を貫徹 することとなる。このようにアンブロシオ・プロットでは、アンブロシオの欲 望の充足と破滅の過程を描くことで、人間の無意識の欲望を表層から究極的な 終焉の局面まで深化していく様子を示しているのだ。
第三章 悪魔の正体
前章で証明した通り、アンブロシオ・プロットがアンブロシオの無意識の 欲望が濃密になっていく過程を描いているのだとしたら、彼の破滅をコン トロールする悪魔は一体何者なのだろうか。トドロフが ʻDesire, as a sensual temptation, finds its incarnation in several of the most common figures of the supernatural world, and most especially in the form of the devilʼ (Todorov 127)と 述べているように、『修道士』における悪魔もアンブロシオの無意識の欲望そ のものを象徴していると考えられる。悪魔がアンブロシオの無意識の欲望の化 身であるとすれば、前章で述べた、無意識に属するエロスの象徴であるマチル ダが悪魔の手下であるという解釈にも筋が通ることになる。悪魔とアンブロシ オの欲望との同一性を論証できる理由は二点ある。
まず一点目はロレンゾが見た悪夢である。彼が見た夢の中にはアンブロシオ もはっきりと登場する。
... He saw, attended by a long train of Monks, the Preacher advance to whom He had just listened with so much admiration. He drew near Antonia.
ʻAnd where is the Bridegroom?ʼ said the imaginary Friar. (27)
しかし、この後アンブロシオは二度とこの夢の中で姿を現さず、代わりに悪魔
と思われる醜い怪物が登場する。この怪物がアントニアを無理矢理に抱き、い やらしく愛撫する行動は、後にアンブロシオが望みに望んで果たした彼女への 凌辱行為と合致しており、悪魔とアンブロシオが内に潜める欲望との同一性を この時点で既に窺うことができる。
更にこの悪魔と思しき怪物の額には、ʻPride! Lust! Inhumanity!ʼ (28)と書か れている。これら三点の性格的欠点はアンブロシオのものである。その証拠と して、地獄において悪魔が彼に浴びせる言葉の中に、悪魔自身を表していたは ずの三つの言葉が以下のように何度もアンブロシオを中傷するために繰り返し 使われている。
Tremble, abandoned Hypocrite! Inhuman Parricide! Incestuous Ravisher!
Tremble at the extent of your offences! And you it was who thought yourself proof against temptation, absolved from human frailties, and free from error and vice! Is pride then a virtue? Is inhumanity no fault? Know, vain Man! ...
Your pride was gratifi ed by her fl attery; Your lust only needed an opportunity to break forth ... (my italics, 440)
これらの表現の重複は、悪魔と、アンブロシオの性格の悪魔的な部分が同一で あるとの連想を生み出す。このように教会でロレンゾが見た悪夢の中には、第 一章で述べた、ロレンゾのアントニアに対する性欲望からアンブロシオとの同 一性が表れているだけでなく、悪魔がアンブロシオの欲望の象徴であることも 窺える。ここから、ロレンゾとアンブロシオと悪魔の三者をそれぞれ、人間の 表層的な面と、内的な面、そして人間の持つ醜い欲望を体現していることが分 かる。
二点目は、前章で説明したアンブロシオの無意識の欲望が段階的に深化して いくに連れて、悪魔の姿も次第により具現化されていくことである。アンブロ シオの欲望が物語の進行と共に濃密になっていき、最終的に死の欲望へ到達す るのと同じように、悪魔の姿も象徴的な姿から最終的な醜い悪魔の姿にまで存 在を色濃くしていく。その姿の変化の過程は、前章で述べたアンブロシオの欲 望段階と合致する。
まず、第一段階にてアンブロシオが自らの欲動を昇華させ、宗教生活にその 矛先を向けていた時、一点目の理由で見たように悪魔の姿はロレンゾの悪夢の 中に登場し、現実世界にはまだ現れない。既に述べた通り、ロレンゾとアンブ
ロシオには同一性が窺えるので、ロレンゾ、もしくはアンブロシオの無意識の 中に既に悪魔ははびこっているが、アンブロシオが自らの欲動を社会生活に向 け抑制していた通りに、悪魔はまだ彼の無意識の世界から解放されていない状 態にある。
次に、第二段階でアンブロシオの無意識の中でエロスが勝利しようとする時、
つまりマチルダと初めて性快楽を味わうことになる時には、悪魔は蛇の姿で登 場する。
He [Ambrosio] approached the Bush, and stooped to pluck one of the Roses.
Suddenly He uttered a piercing cry ... .
ʻWhat is the matter?ʼ She [Matilda] cried; ʻAnswer me, for Godʼs sake!
What has happened?ʼ
ʻI have received my death!ʼ He replied in a faint voice; ʻConcealed among the Roses ... A Serpent ... .ʼ
Here the pain of his wound became so exquisite, that Nature was unable to bear it: His senses abandoned him, and He sank inanimate into Matildaʼs arms. (71)
この蛇が ʻA Serpentʼ と表記されることからも、聖書で馴染みの通りの誘惑者 である悪魔を象徴する蛇であることが分かる。この時、アンブロシオは彼女が 彼の形見として要求した通りにバラを取りに茂みに向かっており、既にエロス の象徴であるマチルダの言いなりになっている。そして、その結果、悪魔の化 身である蛇に噛まれたことで、彼はマチルダの腕の中に沈み、その後彼女との 性快楽に溺れる機会を得ることになる。このことから、この蛇の出現は彼の理 性が自らのエロスの欲動に負け、無意識の中でエロスが支配をし始め、自己が それに服従し始めたことを暗示する。アンブロシオがマチルダとの性行為とい う実際の行動により性欲望を充足させる時に、悪魔は蛇という象徴的な姿に よって現実世界に身を下ろし、アンブロシオの性欲望の活発化を示しているの だ。
アンブロシオの欲望の第三段階、つまり死の欲動とエロスの混ざり合った 行動としてエルヴィラの殺害とアントニアの凌辱というサディズム的行為に 及ぶ直前に、悪魔は再び姿を現す。この時には悪魔はこれまでよりも一層人 間らしい姿に近づく。ʻa Figure more beautiful, than Fancyʼs pencil ever drew.
It was a Youth seemingly scarce eighteen, the perfection of whose form and face was unrivalledʼ (276)という悪魔の美しい姿はアンブロシオの思い描いていた ʻsomething strange and horribleʼ (276)とはかけ離れている。しかし、実際には 彼の想像していた醜い姿が悪魔の真の姿であり、この段階ではまだ露わになっ ていない。悪魔は美しい姿をアンブロシオに見せつけながら、欲望の最終段階 へと彼を導く為に ʻthe Seraphʼs formʼ (433)を借りて誘惑しているのだ。これま での夢の中の存在や蛇という象徴的存在と比べると、悪魔は現実世界において ずっとその存在感を色濃くしており、ここでもアンブロシオの欲望の表出が外 部への破壊・暴力行為によって濃密になっている段階と合致していると言える。
アンブロシオの欲望が自らの死という最終段階に及ぶと、悪魔はついに真の 姿を現実世界に現す。それはかつてロレンゾが悪夢の中で目にしたような醜い 怪物の姿であった。
He [The Dæmon] appeared in all that ugliness, which since his fall from heaven had been his por tion: His blasted limbs still bore marks of the Almightyʼs thunder: A swar thy darkness spread itself over his gigantic form: His hands and feet were armed with long Talons: Fury glared in his eyes, which might have struck the bravest heart with terror: Over his huge shoulders waved two enormous sable wings; and his hair was supplied by living snakes, which twined themselves round his brows with frightful hissings. (433)
アンブロシオが地獄において死に直面する直前に、悪魔はこのような醜い姿で 彼の前に現れる。その姿はもはや象徴的姿や化身ではなく、アンブロシオが思 い描いていた悪魔そのものの姿なのだ。アンブロシオが他の欲望を満たした上 で、死の欲動という究極的な自己破滅欲望の誘惑に負ける時、悪魔は真の姿を 現実世界に存在させる。悪魔の変身過程はアンブロシオの欲望の貫徹と共に終 焉するのである。このように悪魔が自らの姿を、アンブロシオの欲望の濃密化 と共に、現実世界において次第に具現化していくことは、悪魔とアンブロシオ の無意識の欲望が同一であるということを証明している。
上記二点の理由から、悪魔はアンブロシオの無意識的欲望の象徴であると言 える。アンブロシオが悪魔の誘惑に負けて次々と罪を犯し自らの破滅へと導か れる姿は、彼が己の悪魔的な欲動を抑えきれずに欲望を貫徹させてしまい自己
破滅に向かう心理を表現しているのだ。悪魔は主人公アンブロシオの無意識の 欲望全体の象徴、あるいは彼の最終的な欲望は死であったことから、死の欲動 の象徴とも言える。
結論
本論では『修道士』がいかに人間の内面世界をリアルに描き出しているかを 述べてきた。両者の物語の断絶について批判される、この作品のダブル・プロッ トは、両プロットの主人公であるロレンゾとアンブロシオの間に同一性が見ら れることから、人間の表層世界と内面世界という互いに対照的な世界を作り出 し、人間の二面性が表現されていることが分かる。一見理性的に映るヒーロー であるロレンゾの内面の欲望は、アンブロシオの破滅の過程によって解体さ れ、表現されたのだ。人間の内面世界である無意識の欲望をありのままに描い たアンブロシオ・プロットでは、物語の進行と共にその欲望はその色を増して いく。厳格な宗教生活によって欲望を抑制してきたアンブロシオは、マチルダ の登場により、性欲望を満たすだけでなく、サディズム的破壊行為にまで手を 伸ばすことで、抑えきれない死の欲動を対処してきた。しかし、超自然の力に よってあまりにも満たされすぎた彼の性欲望によりこれ以上の対処方法は見つ からず、ついに彼は自己破滅という死の欲動に身を屈することとなる。このよ うに彼の欲望段階が進むにつれて、悪魔はその姿を物語の中で強めていき、最 終的にはアンブロシオの身体を己の手中に入れてしまうことから、悪魔はアン ブロシオの無意識の欲望の象徴であったことが分かる。
序論で述べたウィンターの批評の通り、物語上、論理的にはアンブロシオが 手を染めた諸悪の根源は全て悪魔に置かれている。しかし、それはその原因を 主人公から外在化させているわけではない。悪魔がアンブロシオ自身の無意識 の欲望の象徴として機能することにより、真の根源がアンブロシオ自身の内面 にあることが示唆されることになる。そのため、アンブロシオが犯した罪は、
全て彼自身の抑えがたい欲望を貫徹させたことから生じ、悪の根源はアンブロ シオの内面に求められるのである。第一章でも既に論証した通り、両プロット の主人公であるロレンゾとアンブロシオは、表層世界と内面世界という対照的 な世界を映し出し、彼らを同一視することが可能である。つまり、この作品全 体が主人公の内面を表出する為の物語と言えるのだ。ラドクリフもルイスも、
作品で描いた素材は同様に人間の内面に潜む悪の恐怖なのである。