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Vol.35 , No.1(1986)076ケサン ツルティム 「チベットに於けるナーガールジュナの六つの「理論の集まり」について」

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Academic year: 2021

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(1)

チ ベ ッ トに 於 け る ナ ー ガ ー ノ

レジ ュナ

の 六 つ の 「理 論 の集 ま り」 に つ い て

ツ ル テ ィ ム ・ ケ サ ン

I

周 知 の よ う に, ゲ ル ク 派 の 伝 統 で は, ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ の 六 つ の 「理 論 の 集 ま り(rigs tshogs)」, 即 ち 理 論 に よ っ て 空 性 を 論 証iし て い る 六 つ の 書, は 次 の ご と く で あ る。

(1) rTsa ses(Mulamadhyamakakarika, 『根 本 中 論 』, Pek. No.5224). (2) sTon nid bdun cu pa(Sunyatasaptati, 『空 七 十 論 』, Pek. No. 5227). (3) rTsod bzlog(Vigrahavyavartani, 『廻p論 』, Pek. N0.5228). (4) Rigs pa drug cu pa (Yuktisastikd, 『六 十 頗 如 理 論 』, Pek. No.5225). (5) Shib mo rnam hthag(Vaidalyasutra, 『広 破 論 』, Pek. No.5226). (6) Rin chen phreri ba(Ratnavali, 『宝 行 王 正 論 』, Pek. No.5658).

こ の 六 論 の 考 え 方 に 対 し て は チ ッ ト に 於 い て 異 論 が 見 ら れ る。 そ こ で こ の 小 論 で は, こ の 問 題 に 対 し て チ ベ ッ 筆 で 如 何 に 議 論 が な さ れ て き た か を 簡 単 に 紹 介 し た い。

II

ま ず, プ ト ン(Bu ston rin po che, 1290-1364)は 彼 のChos hbyunの 中 で1), 「理 に よ っ て 説 い た 理 論 の 集 ま り 」 と 述 べ る だ け で, そ の テ キ ス ト 名 や 数 は 明 確 に し て い な い。

次 に, プ ト ン の 弟 子 で, レ ン ダ ワ(Red mdah ba)の 師 で も あ る サ キ ャ 派 の ニ ャ オ ン 謡 ク ン ガ パ ル(Na dbon Kun dgah dpal)は 『現 観 荘 厳 論 』 に 対 す る 彼 の 注 釈 の 中 で2)

ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ は 「中 の 理 論 の 集 ま り(dbu ma rigs tshogs)」 を お 造 り に な っ た。 即 ちrTsa sesとsTon nid bdun cu paとRigs pa drug cu pa とShib mo rnam hthagと rTsod bzlogとTha snad grub pa (*Vyavaharasiddhi)で あ る。

(2)

チ ベ ッ トに於 け る ナ ー ガ ール ジ ュ ナ(ケ サ ン) (176)

と述 べ て, 六 つ の 論 書 を 列 挙 し て い る。 こ の う ち, 最後 の 論 書 は 梵 ・蔵 ・漢 い ず れ の もの も現 存 し て い な い が, シ ャ ー ン タ ラ ク シ タ のdBu ma rgyan gyi hgrel pa(Madhyamakalamkarvrtti,『 中 観 荘厳 論 自註 』)の 中 に 部 引 用 さ れ て い る こ と は 既 に 指 摘 さ れ て い る3)。 こ の こ と に 関 し て, ダ ル マ リ ン チ ェ ン(rGyal tshab Dar ma rin chen, 1364-1432)も, Rin chen phren baに 対 す る 彼 の 注 釈 の 中 で4), 「Tha snad grub paはdBu ma rgyan gyi ngrel paに 於 い て 一 部 の 偶 が 引 用 さ れ る だ け で そ れ 以 外 は チ ベ ッ トで は 完 全 に は 訳 さ れ て い な い 」 と 述 べ て い る。 カ マ ラ シ ー ラ がdBu ma rgyan gy dkah hgrel(Madhymakalamkarapanika, 『中 観 荘厳 論 細

疏 』)で 上 記 の 箇 所 を 注 釈 す る 際5), rha snad grub paの テ キ ス ト名 を 上 げ て そ れ が ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ の 著 作 で あ る こ と を 明 言 し て い る こ と か ら 考 え て, 確 か に, こ の テ キ ス トが 存 在 し, し か も そ れ が ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ の 著 作 で あ る こ と は 疑 い 得 な い で あ ろ う。 事 実 そ の こ と に 関 し て は チ ベ ッ トで は 異 論 は 出 て い な い。 し か し そ れ を ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ の 「理 論 の 集 ま り」 に 加 え る こ と に は 異 論 が 出 て く る の で あ る。

ゲ ル ク 派 の 祖 師 で あ る ツ ォ ン カ バ(Tson kha pa, 1357-1419)が, 教 説 を 吟 味 す る こ と が 完 全 で な か っ た 時 に 書 い た 『現 観 荘 厳 論 』 の 注 釈Legs brad gser h-phrenの 中 で6), 彼 は,

ナ ー ガ ール ジュ ナ の 「理 論 の 集 ま り」 は, dBu mahi rtsa rika), そ れ の 第 一 章 「縁 の 観 察 」 か ら発展 したrTsod pa bzlog pa, 第 七 章 「生 ・住 ・滅

の観 察 」 か ら発 展 したsTon nid bdun cu pa, 内教 を特 別 に否 定 す るRigs pa drug cupa, 〔自性 を〕 証 明す る論 理 の 十 六 句 義 を 否 定 す るShib mo rnam hthag, と の五 つ で あ る。 これ に対 して, あ る者 はTha snad grub pa或 はRin then phren ba或 はGa las hjigs med(*Akutobhaya)を 加 えて 「理 論 の 集 ま り」は六 つ の数 に 決定 して い る と主 張 して い る。

と 述 べ て い る。 し か し, 教 説 を 吟 味 す る こ と が 完 全 に な っ て か ら書 か れ た 『根 本 中 論 』 に 対 す る 大 註 に 於 い て は7),

理 論 に よ って説 か れ た もの は, rTsa ba ses rab, sTon nid bdun cu pa, rTsod zlog, digs pa drug cu pa, Shib mo rnam hthag, Rin chen phrerc baで あ る。 〔そ の 〕 六 つ に 於 い て

は 〔空 性 が 〕多 くの理 論 に よ って 決択 され て い る。 と 述 べ て い る。 こ の こ と か ら ツ ォ ン カ バ は 初 期 に 於 い て は, ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ の 「理 論 の 集 ま り」 を 六 つ と 確 定 す る こ と に そ れ 程 こ だ わ っ て い な か っ た よ う に 思 わ れ る。 た だ 当 時 既 に 六 つ と い う数 が 一 般 的 な よ う で あ り, 六 つ 目 に 何 を 入 れ る か を 巡 っ て 様 々 な 議 論 が あ っ た こ と が 伺 わ れ る。 そ し て 後 年 に な っ て 彼 はRin

(3)

-326-(177) チ ベ ッ ドに於 け る ナ ー ガ ール ジ ュ ナ(ケ サ ン)

then phren baを 加 え る説 を 採 用 して 「理 論 の 集 ま り」 を 六 つ と 確 定 す る の で あ る。 これ 以 後 に 書 か れ た ゲ ル ク 派 の 文 献 は どれ も これ に 従 っ て い る。

III

ツ ォ ン カ バ はRin chen phren ba を 加 え る 説 を 採 用 す る 場 合, 他 の 二 説 の 不 合 理 性 に 関 し て 何 等 言 及 し て い な い が, ゲ ド ゥ ン プ(dGe hdun grub, ダ ラ ィ ラ

マー 世, 1391-1474)はSi to rnam rgyal Brags pahi dris lanの 中 で8),

ナ ー ガ ー ル ジ ュナ は 理 論 に よ って 決択 して 六 っ の 「理 論 の 集 ま り」 を お 造 り に な っ た。 「中 の理 論 の 集 ま り」 とい う意 味 は, 『般 若 経 』 に 説 か れ るご と きの 断 と常 の 二 辺 を 離 れ た 「中 」 或 は空 性 を理 論 に よ って 詳 し く決択 して い るテ キ ス トに 対 して 「理 論 の 集 ま り」 と言 わ れ る。 そ の 場 合, Rin then phren baを 「中 の 理 論 の 集 ま り」 に 数 え る こ と は 合 理 で あ る。 な ぜ な らそ 〔の テ キ ス ト〕 は, 輪 廻 の 根 本 が 我 執 で あ る と説 い て, 我執 を 断 じ るた め に我 執 の 対 象 で あ る人 を 無 我 で あ る と, 理 論 に よ って 詳 し く決 択 して い る か らで あ る。Tha snad grub paは 「中 の 理 論 の 集 ま り」 に数 え るの は正 し くな い。 な ぜ な らそ 〔の テ キ ス ト〕 は 空 性 を 理 論 に よ って 詳 し く決 択 して い るの で は な く, 自性 と して 無 けれ ば ロバ の角 の ご と く世 間 言 説 の 確 立 は正 し くない とい う論 難 に対 して, 自性 と して 無 な る もの に縁 起 は合 理 で あ るか ら世 間 言 説 の 確 立 は全 く正 しい こ とが 証 明 され る と, 説 い て い るか らで あ る。Tha snad grub paと い う名 称 自身 に よ って も空 性 を 詳 し く説 い て い ない こ と は判 る。 又, Ga Zas hjigs medが 〔ナ ー ガ ール ジ ュ ナの 〕 自註 で あ る こ と9)とTha snad grub pa を 「中の 理 論 の 集 ま り」 に数 え る こ と は アー チ ャー ル ヤ チ ャ ン ドラキ ー ル テ ィの 考 え方 で は な い。Tshig gsal gyi mjug(Prasannapada)の 中 に, 丁物Do sde kun Zas btus(Sutrasamuccaya))『 大 乗 宝 要 義論 』)と ……(中 略)…… 又, rTsod pa rnam par zlog paと そ れ ら(2)注釈 を も見 て ……(後 略〉 …… 」 とい う よ

うに, 深 遠 な 経 典 と アー チ ャー ル ヤ(ナ ー ガー ル ジ ュナ)に よ って 造 ら れ た 真 如 を 説 い た 論 書(『 根 本 中 論 』)と それ の 密 意 を 注 釈 した こ うい った 論 書 を 見 る こ ど に.よって Tshig gsalを 書 い た と言 わ れ るが,「Ga las hjigs medとTha snad grub paを 見 て 」 と

は 言 わ れ て い な い か らで あ る。

な ど と 述 べ て い る。 こ の よ うに ゲ ド ゥ ン ト ゥ プ は ッ ォ ン カ バ の 説 を 補 強 し, ゲ ル ク 派 の 説 は 確 立 す る の で あ る。

これ に 対 し て, サ キ ャ派 の ゴ ラ ム パ(Go rams pa, 1429-1489)は, ニ ャ オ ン ク ン ガ ー パ ル に 従 っ て, Nes don rab gsalの 中 で10), 次 の よ う に ゲ ル ク 派 の 説 を 批

判 し て い る。

「理 論 の 集 ま り」,「讃 頗 の 集 ま り(bstod tshogs)」,「 話 の集 ま り(gtam tshogs)」 の

(4)

チ ベ ッ トに 於 け る ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ(ケ サ ン) (178)

三 つ の 中, 最 初 の 事 に 対 し て は 善 知 識 マ チ ャ パ(rMa bya ba)の 考 え 方 に よ る の で あ る。 主 要 な 身 体 の ご と きrTsa ba ses rabとRigs pa drug cu paの 二 つ の 論 書, 〔そ れ か ら 〕 発 展 し た 手 足 の ご と き 論 書, 即 ちrTsa ba ses rabの 「縁 の 観 察 」 か ら 発 展 し た rTsod Pa bzlog pa,「 行 の 観 察 」 か ら 発 展 し たsTon nid bdun cu pa, 諸 事 物 の 自 性 が 無、 け れ ば 自 性 を 量 に よ っ て 証 明 す る こ と と 矛 盾 す る と い う 論 難 の 答 え と し て の、Shib mo rnam hthag, 自 性 が 無 け れ ば ロ バ の 角 な ど の ご と く世 間 言 説 の 確 立 は 正 し く な い と い う 論 難 の 答 え と し て のTha snad grub paの 四 つ1と の 六 っ で あ る か ら, Tin chen phren

baと の 六 つ とす る の は 正 し く な い。 そ れ ば 「話 の 集 ま り」 で あ る か ら で あ る。

1) Bu ston Chos bbyuab, ya, 100a3.

2) bs Tan bcos mrion Par rtogs Paki rgyan bgrel Pa dari bcas Pabi rgyas bgrel bs'ad sbyar Orid kyi mun sel, New Delhi, 1978, 3a3.

3) M.Ichigo, Madhyamakalamkara, Kyoto, 1985, pp. 212-215.

4) Rin chen phreri bahi Dar tika Toh. No. 5427, Shol par (lha sa ed.), ka, 2b5. 5)M, Ichigo, op. cit., p.213.

6) Legs bsad gser hphreii, Toh. No. 5412, Shol par (lha sa ed.), tsa, 4a1.

7)

rTsa ses tika chen, Toh. No. 5401, Shol par (lha sa ed.), ba, 4a2-3.

8)

The Collected Works of the First Dalai Lama Dge hdun grub pa, Gangtok, 1981,

Vol. 6, 15a1.

9) ア ヴ ァ ロ ー キ タ ヴ ラ タ は 『般 若 灯 論 広 註 』(Toh. No. 3859, 5b3-4)の 中 でGa las hjigs medが ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ の 自註 で あ る と 述 べ て い る。 し か し ツ ォ ン カ バ はDran

abes(1ha sa ed.49b4-5)の 中 で,次 の 二 つ の 理 由 を 上 げ て そ れ が ナ ー ガ ー ル ジ ナ の 自註 で あ る こ と を 否 定 し て い る。

(1) Ga las hig medの 第27章 に 『四 百 論 』 が 引 用 さ れ て い る。

(2)ブ ッ ダ パ ー リ タ とバ ヴ ァ ヴ ィ ヴ ェ ー カ と チ ャ ン ド ラ キ ー ル テ ィ が こ の テ キ ス トに 全 く言 及 し な い。

10) Nes don rab gsal, Toyo Bunko,1969, tsa, 7a3-5.

(大 谷 大 学 講 師)

参照

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