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談話室-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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165 話 室

語学教育についての雑感

陣(日本語・日本事情)

岡 崎

く,しかも薬指か何かに指輪をなさってい たのが,田舎からのポット出の私にほとて もまぶしく,かつ達和感を持って眺めたも のだった。 以来20年近く経って,教員として今度は 「机の向こう側」に立つようになった。今 は学生達がどのように,大学に入って最初 のこ年間を送っているのかに.とても興味が ある。げんきんだと言えばそれまでだが, 学生には無自覚のうちに様々の強制をして いる。例えば,授業には万難をほいして出 て釆てもらいたいと思うし,それも出て釆 ただけでは足りなくて更に身を入れて授業 に参加して欲しいと,ついつい要求してし まっているのである。 「日本語教育法」という語学教育の方法 論の科目を担当していることにもよるが, −・番関心があるのはやほり語学の授業であ る。学生の外国語学習の体験なども聞きな がら授業を進めるが,聞けば聞くほど,−・ 般教育における語学をめぐる問題の深刻さ に頭が痛い思いがする。語学教育の教育方 法論などと言ったところで,その前提にな る物理的環境がしっかりしていなければ方 法論を考える基盤がないということになる。 「日本語」ほ学生数が圧倒的に少ないの で,教える物理的環境ほ他の語学に比べて 申し訳ないぼどよい。また,殆どの場合何 −・般教育研究第36号の石川先生による 「私の受けた一・般研究」を大変興味深くか つ懐かしく読ませて頂いた。私自身の場合 はどうだったのかと考えてみても,もう何 十年も前のこと故ポッソポッソと切れ切れ に何の脈略もなしに当時のあれこれが思い 出されるだけである。 多分今から整理するに,授業に関心があ る訳でもないのに,ただ授業をさぼるとい うことに罪悪感を持ってこしまうということ から,漠然と授業に出てこいたように思う。 語学の時間など自分の番ができるだけ遅く 回って来るようにと祈りながら黙々と座っ ていた。それでも,面白いと思える授業が あることにはあった。数学はどこかの大学 を定年退職なさったばかりの先生が教えて 下さったが,高校の数学と違って少し変 わっているのが面白くて夢中になった記憶 がうっすらとある。また,論理学というの もそれまで勉強したことがなかったからだ ろうが,大変新鮮で他に論理と名の付いた 文庫本などを買いあさって読んだ覚えがあ る。 古い女子大というので,教員は概ねお年 を召された先輩の先生方で若い女の先生や 男の先生は数えるぐらいであった。そんな 中で化学の実験の先生だったと思うが,若 い男性で指がピアニストのように長く細

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岡 崎 陣・中 川 益 夫 166 らかの必要に迫られて履修しているので あって,必修という形でとる学生ほ少ない。 学生の動機に関連して思い出すことがある。 が アメリカの大学は語学の場合−教室当たり の学生数に上限があって(たしか20名だっ たように思う),日本のように70人も80人 もの学生を相手に語学の授業をするのでは ないけれども,それでも,例えばスペイン 語などのように学生の側に内的な要求が希 薄なまま必修ということで取る場合には, 授業がやりにくいということがよく教員仲 間で話題になったものだった。そんな時, 「動機の塊」のような学生ばかり相手にし ている我々日本語教師は嬉しくもあり申し 訳なくも思ったりしたものである。 まだこちらに来て日が浅いので他の語学 の先生方と話す校会もないのだが,学習動 機のあまり高くない学生をしかも教室にす し詰めの免の学生を相手にした授業でのご 苦労はいかばかりかと思う。極論になって しまうのだけれども,必修の枠を外すか, あるいほ日本語の教員なみに教員数を増や すか,それとも第三の何か素晴らしいかい とうらんまの方策を見付け出すか,緊急の 課題だと思う。現状のままではあまりにも 学生にも先生にも悲劇的のように思われて 仕方がない。

哲学との出会い

中 川 益 夫

高校の授業になかった教科で,大学の−・ 般教育で初めて学ぶもののうち,最も代表 的なものほ何かと問われれば,私ほそれは 哲学・論理学だと答えよう。 国語の教材を通じて,倫理学・宗教学・ 考古学・芸術学などの人文科学,法学・経 済学・社会学・地理学など社会科学,生物 学・化学・天文学・科学論など自然科学 も,国語の教科書に顔を出すし,哲学も例 外ではないのだが,大学−L般教育で哲学の 講議を受けた時の印象からすれば,はじめ て何か特別「高尚な」学問に触れたような 印象が強かった。 K教育大学で私の受けた−般教育「膏 学」ほ,前期が論理学で,速水 況『論理 学』(岩波書店,哲学叢畜)がテキストで あった。講義の前に,毎回,前週に学んだ 分のやさしい小テストがあり,満点を重ね ていくと,次第に学習意欲が出てきた。外 延・内包の概念と「周延」つまり数学でい う必要十分条件のあたりが形式論理学の− つのピークで,ここで大抵の学生ほ減点を 食ってしまうようだった。首名ほどの受講 生のうち,三名だけが満点で通したと聞い た。そのうちの−人は,英語やドイツ語の クラスでも一緒だった,語学力抜群の学生 M君であった。 当時は既にラツセル『数理哲学序説』

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話 室 談 (平野智治訳,岩波文庫)などが世に出て いて買い求めたが歯が立たず,今日では普 通に学習している記号論理学なども当時ほ

まだ敷宿してぐ、なかったので,一般教育の

課程でほ深入りすることがなかった。 後期ほ哲学史概要とでも言うべき内容 で,ベテラン長瀬教授の弁舌が次第に熱を おび,回を追う毎に,デカルトの「われ思 う,故にわれ在り」へ向って高度をく・、んぐ んあげていくのを一種感動をもって聴き いった。『方法序説』(落合太郎訳,岩波文 庫)や『精神指導の規則』(野田又夫訳,岩 波文庫)などをさっそく自分で読んでみる ことにした。こうして,デカルーが,いわ ば私と哲学との最初の出会いとなったよう である。 期末テストは二題のうち一つが,各自で 何か一冊哲学書を読破してその概要を述べ るという課題であった。私はF・ベーコン 『ノーサム・オルガヌム』(岡島包次郎訳, 春秋社,世界大思想全集7)をたまたま選 択した。あまり抵抗なく読み進むことが出 来たのは,いかめしい本の装訂などからむ しろ意外でさえあった。訳文がよくこなれ ていたために不思議と最後まで読み通すこ とが出来た。これが私と哲学との第二の出 会いと自分では思っている。 ベー・コンは実益のない従来の学問が無価 値であることを説き,自然力を自由に利用 し得るに至ってほじめて知識は生きてくる としたScientia est potentia(知識は力な り)の考えを発展させる。新しい研究法を 妨害する偏見・妄想としてこ四つのidola(偶 像)を挙げ,個人の性癖ないし偶然の境遇 からくるidolaspecus(洞窟の偶像)を第一 種,古い伝説や−・般の流行を権威あるもの として鵜呑みにするidola theatri(劇場の 167 偶像)を第二種,言語のみにたよって言語 があるところにそれに応ずる実物もあるか の如く思うidola fori(市場の偶像)を第三 種,人間の感覚にたよって人間の都合に良 いように解釈する目的観的な考えのidola tribus(種族の偶像)を第四種とするこれ ら四つの偶像を排すべきであると論じた。 ここからベーコンほ事実より発し事実に通 ずる帰納法こそ真に学問の研究法であると して,アリストテレスの論理学書が『オル ガノン』であるのに対し『新オルガノン』 の名を自らの新研究法に冠したのであった。 今ほ詳しい内容も殆んど忘れてしまい,も う一度読み返すだけの意欲も湧かないが, 『ノー・グム・オルガヌム』を選択したのを 長激先生からほめていただいたことだけは 忘れないでいる。 哲学に近い教科として,倫理学の村上教 授の講話が思い出される。アガペとエロス のちがいなどが今も印象に残っている。二 年時では西洋哲学史も受訴した。波多野桁 −『西洋哲学史要』(角川文庫)を−冊読了 出来たのは収穫であった。文語体で簡潔な 叙述でありながら,すこぶる説得力があ り,カント・ヘーゲルまでの背学の概要を つかむのに大変役立ったように思う。 ≠般教育での基礎学習(私ほsuI・Vey的な 性格をもつという意味でsurvey education または前段−・般教育と呼びたい)のお陰だ と思うが,その後私は科学論に.興味を覚 え,ポアンカレの三部作(『科学と仮説』 『科学と方法』『科学の価値』)などを愛読 するようになった。のちにLindemannのド イツ語訳を京都鴨川に近い古本屋で見付け たので,そのうちの−冊“Wissenschaft und Hypothese”を岩波文庫の河野伊三郎 訳を参照しながらほぼ全部を訳出し,あわ

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益 美 く,今のところ道なき道と覚悟しなければ ならないようである。 ところで,はじめにも述べた,前段−・般 教育で哲学に出会う以前についてほ,「哲 学」が全く空白であったかというと,そう いうわけでもない。哲学の周辺ないし哲学 的色彩のある内容に多少とも接してきたと 言えるのではないか。 具体的には,中学生・高校生時代に,青 野源三郎『君たちはどう生きるか』(文芸 春秋社,国民文庫など),阿部次郎『三太郎 の日記』(角川書店),グーヂ『若きヴェル テルの悩み』(岩波文庫)などの番は「生き 方」を問いかけてくる文学であり,同時に 哲学の昏でもあると言えよう。誰しもこれ らを真剣に読み,真剣に考えた経験を有し ておられることと思う。 西田幾太郎『善の研究』(岩波文庫)ほ大 学卒後に読んだが,早くも高校時代に読了 した友達もいた。旧制高校の学生達ほその 昔,むさぼるように読んだと聞いている。 夏目漱石『こころ』,倉田百≡『出家とその 弟子』なども,それぞれ倫理や宗教にかか わる哲学の否でもあると思う。 文学畜は文学として読むべきであって, 哲学書と混同してほならないとのお叱りを 受けるかも知れない。逆に,文学酉ほすべ て,人間いかに生きるべきかを取扱ってこい るのだから,「哲学」を含まない文学ほあ り得ないとの考えの人もいるにちがいない。 そうだとすれば,哲学との出会いの時期ほ いつであったか,各人いろいろバラエ∴ティ が出てくることになるし,はじめの設問も 意味をなさないということにもなってこよ うが,いろいろ吟味詮索するのも,また面 白いのではないかと思う。私は各人の「哲 学との出会い」を皆んなに聞いてみたいほ 中 川 168 せて大学院受験用ドイツ語の下準備とした。 Lindemann訳も河野訳も共に名訳として 知られているが,本国フランスでほ工場労 が 働暑が昼休み時,ベンチでポアソカレの三 部作などをひもどいている姿がよく見られ たと何かの本で読んだ。知的教養レベルの 高い労働老の心意気龍一種おどろきの念を 覚えたことが思い出される。(ついでに, 大学高学年およびそれ以後における−般教 育学習を,私はreview的な性格をもつ学習 と位置づけ,review educationまたは後段 一般教育と呼ぶことにしたい)。 ポアンカレの三部作(ずっと後になって 入手した『科学者と詩人』も入れて正確に ほ四部作)を勉強して以後は,「哲学」の勉 強に関しては長い中断が出来てしまった。 ライプニッツ『単子論』,ベルグソン『創造 的進化』など読破したいと思いつつ,いま だに読み進めていない。 以前にも書いた,私の「索時間仮説」の 発展・展開の為にほライプニッツもベルグ ソソも読みこなす必要があるのだが,プ ルースト『失なわれた時を求めて』フッ サール『内的時間意識の現象学』なども考 慮に入れて・などと欲張っているうち に,結局,アイデアそのものが散漫になっ てしまいがちである。 それでも,デモクリトスに端を発する原 子論を復括させたエピクロスの原子論的自 然観を発展的に継承して時間の概念にまで も適用しようとしたルクレチウスの時間の 藍子のアイデアを,何とかして若芽から枝 葉の茂る大樹にまで育てたいと思い続けて いる。そのため,これまでの読み,理解す る哲学から,自ら考え創造していく萄学へ の切換えが,私の場合,哲学との第≡の出 会いとなる管だが,いよいよ傾斜はけわし

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談 話 室 169 ら,一つの行為行動から出発して,哲学の 内容や方法を勉強していくという行き方も あっていいし,面白いのではないか。 これほとりとめもない“たわごと”かも 知れないし,ひょっとすると多少はまじめ な課題で,既に先人の試みがあるものかも 知れない。いずれにしても,多くの分野の 関心ある人遵との議論を経て,−・般教育の 内容の充実・発展をほかっていきたいもの と思っている。 (1989年11月30日) l どである。 哲学上の基本的なテー・マは古来よりあま り変っていないかも知れないが,時代と共 に(成長年代笠共に)変化を見せる断面も あることだから,何が哲学のテーマで,何 が哲学のテーマでないなどという固定した 境界があるとも思えない。そういうわけ で,とりわけ後段一般教育の場で,「現代 的に」哲学に接近していくのも有意義なの ではないか。哲学史から古来の考え方を学 んでいくという学習(前段−L般教育)とほ 別に,一冊の文学書から,−つの事件か

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