8.5
稀薄溶液,質量作用の法則
[混合理想気体の化学ポテンシャル]<, > 2 種の粒子 A,B からなる混合理想気体を考えよう.分配関数は Z(T, V, N ) = 1 NA!NB!(2π¯h)3N d3NAp Ad3NAqAd3NBpBd3NBqB e−β(HA(pA,qA;V )+HB(pB,qB;V )) = ZA(T, V, NA)ZB(T, V, NB) (74) となるから,自由エネルギーは F (T, V, N ) = FA(T, V, NA) + FB(T, V, NB) (75) と書ける.圧力は,この式を体積 V で微分して得られる二つの気体の分圧 (partial pressure)PA,Bの和である.
P = PA(T, V, NA) + PB(T, V, NA) = cAP + cBP (76) ここで,PA,PBはそれぞれ A か B だけがある場合の圧力,cA,Bは 各成分の濃度を表す cA= NA NA+ NB cB = NB NA+ NB (77) 回転や振動などの内部自由度の寄与を φA,B(T ) とすると,化学ポテ ンシャルは µA,B =−kBT ln kBT cA,BP mA,BkBT 2π¯h2 3/2 + φA,B(T ) (78) である. 純粋物質の場合 µ0 A,Bを基準にすると
µA,B = µ0A,B+ kBT ln cA,B (79)
であるが,一方が圧倒的に少ないとき (cA cB) には µA = µ0A(T, P ) + kBT ln cA (80) µB = µ0B(T, P )− kBT cA (81) と近似できる. (79) から純粋物質の場合と比べると,ギブス自由エネルギーの 変化は ∆G = kBT (NAln cA+ NBln cB) (< 0) (82)
これは混合によってエントロピーが ∆S =−kB(NAln cA+ NBln cB) (83) 増加したことを表す.これを混合のエントロピーと呼ぶ. [稀薄溶液の化学ポテンシャル] B の液体の中に A がわずかに溶け込んだ稀薄溶液を考える (NA NB).ギブス自由エネルギーは次のように書けるだろう. G = NBµ0B(T, P ) + NAψ(T, P ) + NAkBT ln NA eNB (84) 第 1 項は純粋物質の自由エネルギー,第 2 項は A が溶け込んだこと による NAに比例する変化,第 3 項は混合のエントロピーの寄与で (83) で NA NBとすれば得られる.化学ポテンシャルを求めると µB = µ0B(T, P )− cAkBT (85) µA = ψ(T, P ) + kBT ln cA (86) である.これは理想気体の場合とよく似た形になっている.µ0 B(T, P ) や ψ(T, P ) は理想気体のものとはまったく違うのだが濃度依存性は 同じ形である. [化学ポテンシャルと浸透圧]< 80, 81 > 溶媒のみを通す半透膜で仕切られた容器の両側に濃度の違う稀 薄な溶液が入っているとする.平衡状態では溶媒の化学ポテンシャ ルが等しいから µB(T, P1, cA1) = µB(T, P2, cA2) (87) ここで (85) より µ0B(T, P1)− µ0B(T, P2) = (cA1− cA2)kBT (88) 濃度差が小さいときは圧力差も小さいから vB(P1− P2) = (cA1− cA2)kBT (89) この圧力差を浸透圧 (osmotic pressure) と呼ぶ. ∆P = ∆cA vB kBT (90)
とくに片方が純溶媒ならば ∆P = cA vB kBT = NA V kBT (91)
と書ける (ファントホッフの公式: van’t Hoff law of osmotic pres-sure). [稀薄な 2 成分系での相平衡]< 74 − 79 > 2 成分系の 2 相が相平衡にあり一方の成分 A が稀薄である場合 を考える.溶媒のみでの平衡条件は µ(1)B (T, P ) = µ(2)B (T, P ) (92) 同じ圧力で溶質 A をわずかに溶かすと平衡温度が δT 変化したとし よう.平衡条件は µ(1)B (T + δT, P )− kBT c (1) A = µ (2) B (T + δT, P )− kBT c (2) A (93) これから (s(1)B − s(2)B )δT =−(c(1)A − c(2)A )kBT (94) (1) を低温の安定相,(2) を高温の安定相とすると (s(2)B − s (1) B )T = q は 1 分子あたりの溶媒相転移に伴う潜熱である.これを使って平衡 温度の変化は δT = (c(1)A − c(2)A )kBT 2 q (95) と書ける.この関係は,不揮発性溶質による沸点上昇,固体に溶け 込まない不純物による凝固点の降下を説明している. 同様に温度を一定として平衡圧力の変化を考えると µ(1)B (T, P + δP )− kBT c (1) A = µ (2) B (T, P + δP )− kBT c (2) A (96) だから (vB(1)− vB(2))δP = (c(1)A − c(2)A )kBT (97) つまり δP = (c(1)A − c(2)A ) kBT vB(1)− vB(2) (98) 1 を液体,2 を気体,A を不揮発性の溶質とする.c(2)A ≈ 0,v (1) B v (2) B だから δP ≈ −c(1)A kBT vB(2) ≈ −c (1) A P0(T ) (99)
P0は純粋溶媒の蒸気圧である.飽和蒸気圧の相対的低下は不揮発性 溶質の濃度に等しい (ラウールの法則,Raoult’s law).これを使っ て溶質の分子量を求めることができる. 問題:上のいろいろな現象を分子の出入りによる動的な平衡の観点か ら説明せよ. [化学平衡の条件]< 64, 65 > 最も簡単な次の化学平衡を考える. A + B C (= AB) (100) 圧力と温度を一定とすると,ギブス自由エネルギー G(T, P, NA, NB, NC) を最小にする条件は dG dNC = ∂G ∂NC NA,NB − ∂G ∂NA NB,NC − ∂G ∂NB NC,NA = 0 (101) よって,化学平衡で次の条件が成り立つ. µA+ µB = µC (= µAB) (102) 一般の化学平衡では,反応式を一方に移して (右辺のものは符号 を変えて) i νiAi = 0 (103) と書くと,平衡条件は i νiµi = 0 (104) である. [質量作用の法則]< 72, 73 > (78) と (102) より,εb を結合エネルギーとして気体中の平衡濃 度のあいだに次の関係が成り立つ. cAB cAcB =2π¯h2 3/2 m AB mAmB 3/2 P (kBT )5/2 e(εb−φAB(T )+φA(T )+φB(T ))/kBT (105) これを質量作用の法則 (law of mass action),この式の右辺を化学 平衡定数と呼ぶ.
9
量子統計の基礎
統計力学の基礎には量子力学的な微視的状態数という考え方があ り,これによってエントロピー S = kBln Ω の意味が明確なものに なった.統計力学の対象となるのは多数の同種粒子からなる系であ る.理想気体の分配関数の計算ではギブスの修正因子 1/N ! によっ て同種粒子が区別できないことを考慮した.しかしそれだけでは低 温での理想気体のエントロピーが負になるなどの矛盾が生じた.こ の問題を解決するには量子力学における同種粒子の扱いを正しく行 わなければならない.理想気体ではふたつの粒子が運動量 p1と p2 にある状態と逆の p2と p1にある状態を区別しないよう 1/2! 倍した が,p1 にふたつの粒子がある状態も 1/2! 倍してしまった.温度が 低くなると低エネルギーの 1 粒子状態にふたつ以上の粒子が来る可 能性があり,このような状態の評価を正しくすることが本質的に重 要である.9.1
フェルミ粒子とボース粒子
[波動関数の対称性] 量子力学の復習をしておく.2 個の同種粒子の波動関数は,粒子 の交換に対し整数スピンを持つボース粒子 (Boson, boson) では対 称,半整数スピンのフェルミ粒子 (Fermion, fermion) では反対称で ある. Ψ(q2, q1) =±Ψ(q1, q2) (1) (複号は上がボース,下がフェルミ粒子).2 個の自由粒子の波動関数 がこの対称性を満たすようにするには,1 粒子の固有関数を ψ1(q), ψ2(q) としたとき,2 粒子系の波動関数は Ψ(q1, q2) = 1 √ 2!(ψ1(q1)ψ2(q2)± ψ1(q2)ψ2(q1)) (2) とすればよい.一般には ΨB(q1,· · · , qN) = 1 √ N !N1!N2!· · · N ! all permutations ψk1(q1)· · · ψkN(qN) (3) ΨF(q1,· · · , qN) = 1 √ N ! N ! all permutations (−1)Pψk1(q1)· · · ψkN(qN) =√1 N !det (ψi(qki)) (4) ここで (−1)Pは偶置換のとき 1,奇置換のとき−1 とする.N i は 1, 2,· · · , N のうち,同じ i 番目の状態にある粒子数である.多粒子 系の状態の指定は,それぞれの 1 粒子状態 i にいくつの粒子が入っ ているか,つまり{Ni} を指定すれば完全に決まる.フェルミ粒子 の場合は,同じ状態にはふたつ以上は入れないので Niの値は 0 か 1 である.9.2
理想気体の分布関数
[カノニカル分布]
カノニカル分布における理想気体の分配関数は
Z(T, V, N ) =
all possible configurations of N =Ni
exp −β i Niεi (5) ここで Niは,フェルミ粒子なら 1 か 0 のみ,ボース粒子ならすべ ての整数値をとる.しかし,この条件つきの和を計算することは非 常に困難である. [グランドカノニカル分布でのフェルミ粒子] ひとつの 1 粒子状態 i をひとつの開いた系とみなし,ここに外部 との粒子の出入りが可能で平衡分布が実現されると考えよう.フェ ルミ粒子系なら可能な状態はふたつだけ: i) この状態は空になっ ていて (Ni = 0) エネルギーは E = 0,ii) この状態にひとつの粒子 があり (Ni = 1) エネルギーは E = εi.したがって大分配関数は Zi(T, V, µ) = 1 Ni=0 e−β(E(Ni)i −µNi) = 1 + eβ(µ−εi) (6) ほかの 1 粒子状態もすべて同様に考えて Z(T, V, µ) = i Zi(T, V, µ) (7) グランドポテンシャルは Φ(T, V, µ) = −kBT i lnZi(T, V, µ) = i Φi(T, V, µ) = −kBT i ln1 + eβ(µ−εi) (8) 熱平衡でのひとつの状態 i の平均粒子数は Ni = − ∂Φi ∂µ = 1 β βeβ(µ−εi) 1 + eβ(µ−εi) = 1 eβ(εi−µ)+ 1 (9) これは状態 i のエネルギーで決まる.この式が理想フェルミ気体の エネルギー分布である.この分布に従う統計をフェルミ・ディラッ ク統計 (Fermi-Dirac statistics) と呼ぶ.
フェルミ分布関数 (Fermi distribution function) fFD(ε) = 1 eβ(ε−µ)+ 1 (10) 2 4 6 8 10 e T 0.2 0.4 0.6 0.8 1 1.2 1.4 f Figure 6: 粒子数を変えたときのフェルミ分布 (kBT = 1):µ =−1, µ = 1,µ = 5. ここで化学ポテンシャル µ は系の平均粒子数 N = −∂Φ ∂µ = i 1 eβ(εi−µ)+ 1 (11) が系の粒子数(たとえば容器内に入れた粒子数) に一致するように 決める.容器内の粒子数は厳密に一定であり,グランドカノニカル 分布の粒子数はゆらぎを持っているが,巨視的な系では,この違い はたいていの場合に無視できる. フェルミ分布関数の形は x ≡ (ε − µ)/kBT とすると fFD(ε) = 1 eβ(ε−µ)+ 1 = 1 ex+ 1 = 1 2 1− tanhx 2 (12) であり,ε = µ で fFD= 1/2 となる. 低温の極限では fFD(ε)→ θ(µ − ε) (13) で,分布関数は階段状になる.高温では,ε の大きな状態にまで広 く分布し,一つ一つの状態の占拠率は低い: Ni = fFD(ε) 1.こ のとき eβ(ε−µ) 1 だが,とくに e−βµ 1 なので化学ポテンシャル が負の値をとることがわかる (βµ −1).すると fFD(ε)≈ eβ(µ−ε) (14) となって,マクスウェル・ボルツマン分布 (Maxwell-Boltzmann dis-tribution) になる.
[グランドカノニカル分布でのボース粒子] ボース粒子系でもフェルミ粒子の場合と同じように,ひとつの エネルギー状態 i をひとつの系とみなし,ここに外部との粒子の出 入りが可能で,平衡分布が実現されると考えよう.ボース粒子系で は 0 から無限大までのすべての粒子数を取ることができる. 大分配関数は Zi(T, V, µ) = ∞ Ni=0 eβµNiZ i(T, V, N ) = ∞ Ni=0 eβµNie−βεiNi = ∞ Ni=0 eβ(µ−εi)Ni = 1 1− eβ(µ−εi) (15) ほかの 1 粒子状態もすべて考えて Z(T, V, µ) = i Zi(T, V, µ) (16) グランドポテンシャルは Φ(T, V, µ) = −kBT i lnZi(T, V, µ) = i Φi(T, V, µ) = kBT i ln1− eβ(µ−εi) (17) 熱平衡でのひとつの状態 i の平均粒子数は Ni = − ∂Φi ∂µ = 1 β βeβ(µ−εi) 1− eβ(µ−εi) = 1 eβ(εi−µ)− 1 (18) これは状態 i のエネルギーで決まる.この式が理想ボース気体のエ ネルギー分布である.この分布に従う統計をボース・アインシュタ イン統計 (Bose-Einstein statistics) と呼ぶ.
ボース分布関数 (Bose distribution function)
fBE(E) =
1
1 2 3 4 5 e T 0.2 0.4 0.6 0.8 1 1.2 1.4 f Figure 7: 粒子数を変えたときのボース分布 (kBT = 1):µ = −1, µ =−0.5, µ = 0, ボース粒子系でも化学ポテンシャル µ は系の平均粒子数 N = −∂Φ ∂µ = i 1 eβ(εi−µ)− 1 (20) が系の粒子数 (たとえば容器内に入れた粒子数) に一致するように 決める. ボース粒子系の低温でのエネルギー分布は,実はボース・アイン シュタイン凝縮の問題があり単純ではない.統計物理学 III で詳し く学ぶ.温度が高いときはフェルミ分布のときと同じく eβ(ε−µ) 1 であり fBE(ε)≈ eβ(µ−ε) (21) となって,マクスウェル・ボルツマン分布で近似できる. 1 2 3 4 5 e T 0.2 0.4 0.6 0.8 1 1.2 1.4 f Figure 8: ボルツマン分布 (µ = −1, kBT = 1)
9.3
分布関数とエントロピー
ここでは状態の粗視化を行って任意の分布に対するエントロピー を定義し,フェルミ分布とボース分布が,それぞれの統計を満たし, 与えられた粒子数とエネルギーを持つものの中でエントロピー最大 の分布であることを示す. [フェルミ粒子系] 1 粒子のエネルギー準位{εi} をある種の粗視化を行い束にして 考える.束にした準位のエネルギーを εlとし,このなかに Ml個の 準位があり,そこに Nl個のフェルミ粒子が入っているとしよう.ひ とつの準位には一つの粒子しか入れないから Nl ≤ Mlである.そ の配置の仕方の数は Wl =MlCNl = Ml! Nl!(Ml− Nl)! (22) ある粒子数分布{Nl} に対するエントロピーは S = kBln l Wl ≈ kB l Mlln Ml e − Nlln Nl e − (Ml− Nl) ln (Ml− Nl) e = −kB l Ml[nlln nl+ (1− nl) ln (1− nl)] (23) ここで nl = Nl/Mlは粗視化した状態 l の占拠率である.このエン トロピーを粒子数 N = l Mlnl (24) とエネルギー E = l Mlεlnl (25) が一定の条件下で最大にするのが平衡分布である.ラグランジュの 未定乗数法を使って ∂ ∂nl S kB − αN − βE = 1 kB ∂S ∂nl − (α − βεl) Ml = −Ml " ln nl 1− nl + α + βεl # = 0 (26) よって粗視化した状態 l の占拠率は nl= 1 eβεl+α+ 1 (27) 未定乗数の α と β は粒子数とエネルギーが与えられたものと一致す るよう決める.つまり N = l Ml 1 eβεl+α+ 1 (28)E = l Ml εl eβεl+α+ 1 (29) となるように α と β を調節するのである. [未定乗数の意味] このようにして α と β が決まればエントロピーを N と E の関 数として表すことができる: S(E, V, N ) (いま V は一定).これから 温度を求めてみると (26) の条件を使って 1 T = ∂S ∂E V,N = l Ml ∂S ∂nl V,N ∂nl ∂E V,N = kB l Ml(α + βεl) ∂nl ∂E V,N = kB α l Ml ∂nl ∂E V,N + β l Mlεl ∂nl ∂E V,N = kBβ (30) 最後の行の左辺第 1 項の総和記号の中は N 一定の条件の微分なの で零,第 2 項の総和記号の中もエネルギーを E で微分しているの で 1 になる.よって未定乗数 β は 1/kBT である.同様に化学ポテ ンシャルを求めると −µ T = ∂S ∂N E,V = l Ml ∂S ∂nl E,V ∂nl ∂N E,V = kB l Ml(α + βεl) ∂nl ∂N E,V = kB α l Ml ∂nl ∂N E,V + β l Mlεl ∂nl ∂N E,V = kBα (31) となって α =−µ/kBT であることがわかる. [ボース粒子系] ボース粒子系の熱平衡分布関数もフェルミ粒子系の場合と同様 にエントロピー最大の条件から求めることができる.1 粒子のエネ ルギー準位{εi} を粗視化して束にして考える.ボース粒子は一つ の準位にいくつでも入れるから,Nl個の粒子の配置の仕方の数は Wl = Ml+Nl−1CNl = Ml+ Nl− 1 Nl!(Ml− 1)! (32)
これからある粒子数分布{Nl} に対するエントロピーは S = kBln l Wl ≈ kB l (Ml+ Nl) ln (Ml+ Nl) e − Mlln Ml e − Nlln Nl e = −kB l Ml[(1 + nl) ln (1 + nl)− nlln nl] (33) ラグランジュの未定乗数法を使って,N と E が一定のときにエン トロピーが最大となる条件は ∂ ∂nl S kB − αN − βE = Ml " ln1 + nl nl − α − βεl # = 0 (34) よって粗視化した状態 l の占拠率は nl= 1 eβεl+α− 1 (35) 未定乗数の α と β の決め方とその意味はフェルミ粒子の場合と同様 である.