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Microsoft Word - 店舗の歴史①横浜市.doc

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横浜銀行の店舗の歴史① <横浜市>

横浜為替会社から141年の歴史をもつ本店営業部と 七十四銀行・左右田銀行・戸塚銀行・瀬谷銀行等を継承する店舗 そして、戦前・戦後に新設された大多数の店舗 戸数約百戸の寒村・横浜村が開港により一変する かつて、横浜港周辺の地形は、現在の元町・中華街駅付近を付け根として桜木町駅付近ま で、本町通りを背骨とする細長い半島が北西に向かってせり出し、その南西には釣鐘型の 入江が大きく開けていました。野毛山の下まで海であり、伊勢佐木町や横浜公園一帯は入 江の中、蒔田付近まで沼地が続いていました。この半島一帯が横浜村でした。江戸時代か ら入江の埋立ては進んでいたものの、開港前夜の横浜村は、戸数約百戸の寒村にすぎませ んでした。「苫屋と ま やのけむり ちらりほらりと立てりしところ」(横浜市歌)だったのです。 安政5年(1858年)、徳川幕府はアメリカなど5か国と修好通商条約を結び、わが国 の鎖国政策に終止符が打たれます。その開国の窓口に選ばれたのが横浜でした。条約では 神奈川開港とうたっていましたが、長崎のような出島貿易を想定した幕府は、東海道筋に ある神奈川では取締りに不便であることから、横浜を神奈川の一部として開港します。廃 藩置県で県名を神奈川とし、横浜をその一部としたことも、横浜開港と整合させるためで あったと考えられます。 開港を機に、横浜は一変します。外国人居留地(現在の山下町)が設けられ、全国から生 糸、茶などの売込商人が集まり、貿易港横浜はにわかに活況を呈します。 そして、明治22年(1889年)、全国で最初に誕生した31市のひとつ、神奈川県内 唯一の市として、横浜市が誕生します。この時の横浜市は、横浜港を中心とする面積わず か5.4km²の範囲でしたが、人口は12万人に達していました。その後6度の市域拡張に より、昭和14年(1939年)にほぼ現在の市域となり、人口は現在では360万人を 超えるに至っています。 横浜市域には戦前に39行もの銀行本店が誕生し、廃業した銀行も多数あった 横浜市域には、戦前に、県内全80行の半数の39行が誕生し、そのほとんどである31 行が、現在の中区、しかも関内地区に誕生しています。39行のうち、12行が当行を形 づくり、4行が他行に継承されますが、約6割の23行もが廃業しています。 県内の廃業行は33行ですが、横浜23行と川崎7行とで30行を占めます。 (1)このうち、当行を形づくっていくもの(設立年順) 横浜為替会社⇒第二国立銀行⇒第二銀行 明治2年(1869年)、全国で8社設立された為替会社(日本で最初の会社組織の金 融機関)のひとつ。明治7年(1874年)に第二国立銀行に組織変更し、明治29年

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(1896年)第二銀行となり、生糸売込商・原家の機関銀行としての性格を強めていく。 昭和3年(1928年)、横浜興信銀行に営業譲渡。 第七十四しちじゅうし国立銀行⇒横浜七十四しちじゅうし銀行⇒七十四しちじゅうし銀行 明治11年(1878年)設立。明治31年(1898年)に横浜七十四銀行となった。 七十四銀行に改称、茂木銀行と合併し、生糸売込商・茂木家の機関銀行となる。大正9年 (1920年)、経営破綻、休業し、新設の横浜興信銀行に整理委託。 横浜貯蓄銀行 明治15年(1882年)設立。七十四銀行関連の貯蓄銀行。大正9年(1920年)、 七十四銀行とともに経営破綻、休業し、新設の横浜興信銀行に整理委託。 左右田そ う だ銀行 明治28年(1895年)設立。両替店を営んでいた左右田家が設立。横浜市内のほか 東京・大阪・名古屋・四日市にも支店を設置していた。昭和2年(1927年)、休業を 経て横浜興信銀行に営業譲渡。 茂木銀行⇒七十四銀行 明治28年(1895年)設立。大正7年(1918年)、七十四銀行と合併。 武蔵商業銀行⇒左右田銀行 明治29年(1896年)設立。明治37年(1904年)左右田銀行と合同。 横浜貿易銀行 明治29年(1896年)設立。昭和3年(1928年)、横浜興信銀行に営業譲渡。 左右田貯蓄銀行⇒左右田銀行 明治32年(1899年)設立。左右田銀行系の貯蓄銀行。大正11年(1922年)、 左右田銀行と合同し(新)左右田銀行を設立。 戸塚銀行⇒関東興信銀行 明治32年(1899年)、当時鎌倉郡役所が置かれていた戸塚に設立された。保土ヶ 谷、長後、田浦、神奈川などに支店を設置。昭和3年(1928年)に関東興信銀行に営 業譲渡し、昭和7年(1932年)、関東興信銀行は横浜興信銀行と合併。 関東大震災後の本店 再築を記念する大正 13年(1924年) ごろの戸塚銀行のチ ラシ(横浜市立図書 館所蔵)と、昭和 35年(1960年) の当行戸塚支店 チ ラ シ に 描 か れ た 建 物 は 昭 和 5 0 年 (1975年)まで

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元町貯蓄銀行⇒元町銀行 明治33年(1900年)設立。元町銀行を経て、昭和3年(1928年)、横浜興信 銀行に営業譲渡。 瀬谷銀行⇒鎌倉銀行 明治40年(1907年)、瀬谷に設立された。中山、橋本、上溝などに支店を設置。 昭和10年(1935年)に鎌倉銀行に営業譲渡し、昭和16年(1941年)、「六行合 同」により、鎌倉銀行は横浜興信銀行に営業譲渡する。 都南貯蓄銀行 大正10年(1921年)、県内の貯蓄銀行、普通銀行が兼営していた貯蓄部を統合し て設立。昭和20年(1945年)、横浜興信銀行に営業譲渡。 (2)他行に継承された銀行(設立年順) 神奈川銀行(注1) 保善銀行、安田銀行、富士銀行を経てみずほ銀行へ 横浜中央銀行 安田貯蓄銀行、日本貯蓄銀行、協和銀行などを経てりそな銀行へ 商業貯蓄銀行(神奈川貯蓄銀行と改称) 同上 渡辺銀行 第一銀行、第一勧業銀行を経てみずほ銀行へ (注1)現在の神奈川銀行(旧・神奈川相互銀行)とは別の銀行。 (3)廃業(または、転出し現在までに廃業)した銀行(設立年順) 誠資社(誠資銀行と改称)、第百三十二国立銀行(保土ヶ谷)、 金 叶かねかなう貯蓄銀行(平沼貯 蓄銀行と改称)、横浜銀行(注2)、横浜若尾銀行、横浜商業銀行、横浜起業銀行、横浜 蚕糸銀行、武蔵貯蓄銀行、田村割引銀行、東洋貯金銀行、戸部貯蓄銀行(戸部銀行と改 称)、野毛貯蓄銀行(養老貯蓄銀行⇒横須賀貯蓄銀行⇒横浜銀行(注3)と改称)、武相 貯蓄銀行、横浜実業銀行、横浜実業貯蓄銀行、横浜中央貯蓄銀行(横浜商工銀行⇒上信 銀行と改称)、相生銀行、工商貯金銀行(横浜貯蔵銀行⇒石井貯蓄銀行⇒昌栄貯蓄銀行 と改称)、東陽銀行、平沼銀行、管理銀行、岡丸銀行 (注2、3)現在の当行とは別に、「横浜銀行」と称した銀行が過去に2行存在した。 横浜には銀行の支店も多数設置された 明治の早い時期から、第一・三井・第百(のちに三菱と合併)・住友など、東京・大阪に 本店を置く大銀行が支店を設置し、横浜に本店を置く左右田・七十四などの銀行も、市内 に複数の支店を設置しました。これに対し、県下本店の銀行による横浜への支店設置はま ったくといってよいほどなく、特殊銀行(神奈川県農工銀行)を除くと、横浜本店の銀行 による県下への支店設置もほとんどない状況でした(武相貯蓄銀行と共信銀行は県下へも 支店を展開していましたが、それぞれ大正4年(1915年)、昭和5年(1930年)に 廃業しています)。それぞれ独立した経済圏を形成し、相互の関連性が低かったといえます。

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このほか、慶応2年(1866年)に設置された香港上海銀行横浜支店をはじめ、欧米系 の外国銀行支店が複数設置されていました。 昭和13年(1938年)以降、東京本店の銀行が鶴見区に続々と7か店出店し、当行・ 都南貯蓄銀行の3か店と合わせ、昭和17年(1942年)には鶴見区内の銀行支店数が 10に達したことも特徴的です。軍需に結びついた金属・機械器具・化学工業などの工場 が次々と進出し、東京本店の銀行がその金融を支えていました。 前身行から継承し、現在も営業を継続する当行店舗は9か店にのぼる 本店営業部 <本店営業部の前身銀行> 明2 明7 明29 昭3 第二国立銀行 第二銀行 明11 明31 大7 大9 明25 横浜興信銀行 横浜貯蓄銀行 本店営業部 明28 昭2 左右田銀行 明29 昭3 横浜貿易銀行 大10 昭20 (各銀行の本店を継承) 横浜七十四銀行 七十四銀行 横浜為替会社 都南貯蓄銀行 第七十四国立銀行 本店営業部が直接店舗(建物・場所)を継承したのは、七十四銀行とその関連会社・横 浜貯蓄銀行の本店ですが、その開設は、明治11年(1878年)の第七十四国立銀行本 店の開店にさかのぼります。また、営業(預貸金など)の継承に目を向けると、昭和3年 (1928年)に第二銀行本店の営業を継承しており、第二銀行は明治2年(1869年) 開業の横浜為替会社にまでさかのぼることができます。本店営業部は、この他にも、左右 田銀行・横浜貿易銀行・都南貯蓄銀行の各本店の営業を継承しています。 (本店の変遷については、当行ホームページの「横浜銀行店舗写真館」をご参照ください) 元町支店 横浜七十四銀行元町支店を起源とする七十四銀行元町支店を継承して誕生(元町二丁 目)。このほか、元町貯蓄銀行を起源とする元町銀行の営業を継承。昭和20年(19 45年)の横浜大空襲で焼失後、現在地(元町五丁目)に移転。 阪東橋支店(当初 長島町支店) 左右田銀行長島町支店を継承して誕生。戦後、阪東橋支店に改称。現在も左右田銀行長 島町支店時代と同一地で営業。 伊勢佐木町支店 横浜七十四銀行伊勢佐木町支店を起源とする七十四銀行伊勢佐木町支店を継承して誕 生。このほか、すぐ近くにあった左右田銀行松ヶ枝町ま つ が え ち ょ う支店の営業を継承。

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<前身行から継承し、現在も営業を継続する当行店舗(本店営業部以外の8か店)> 明33 大11 昭3 元町貯蓄銀行(本店) 元町銀行(本店) 明34 大7 大9 横浜七十四銀行(元町支店) ※ 元町支店 ※七十四銀行(元町支店) 明44 大2 昭3 左右田銀行(長島町出張所) 左右田銀行(長島町支店) 長島町支店 昭34 阪東橋支店に改称 明32 昭3 左右田銀行(松ヶ枝町支店) 大4 大7 大9 横浜七十四銀行(伊勢佐木町支店) ※ 伊勢佐木町支店 ※七十四銀行(伊勢佐木町支店) 明40 大7 大9 昭3 横浜七十四銀行(神奈川支店) ※ 神奈川支店 明40 ※七十四銀行(神奈川支店) 左右田銀行(神奈川支店) (左右田銀行所在地に移転) 明43 戸塚銀行(神奈川支店) (預金を継承) 明40 昭3 昭7 昭17 戸塚銀行(保土ヶ谷支店) ※ 保土ヶ谷支店 大13 ※関東興信銀行(横浜支店) 昭16 瀬谷銀行(保土ヶ谷支店)鎌倉銀行(保土ヶ谷支店)※ 昭10 ※宮田町支店 明32 昭3 昭7 戸塚銀行(本店) ※ 戸塚支店 ※関東興信銀行(戸塚支店) 大3 昭10 昭16 瀬谷銀行(中山支店) 鎌倉銀行(中山支店) 中山支店 昭16 昭20 都南貯蓄銀行(港北出張所)⇒同(港北支店) 妙蓮寺支店 昭32 横浜駅西口に移転 横浜駅前支店と改 称 横浜駅前 支店 中山支店 妙蓮寺支店 戸塚支店 元町支店 阪東橋支店 伊勢佐木町 支店 保土ヶ谷 支店 横浜興信銀行 設立 昭2左右田銀行、 昭3第二・元町銀 行等と合同 関東興信銀行 と合併 県内6行と 合同 都南貯蓄銀行と合同 横浜駅前支店(当初 神奈川支店) 横浜七十四銀行神奈川支店を起源とする七十四銀行神奈川支店を継承して誕生。左右田 銀行との合同時に、左右田銀行神奈川支店所在地に移転。戸塚銀行が関東興信銀行と合同 した際、戸塚銀行神奈川支店の預金を横浜興信銀行(当行)神奈川支店が継承。 京急・神奈川駅の近くにあった神奈川支店が、横浜駅西口に移転、横浜駅前支店と改称 するのは、当行が横浜銀行に行名変更した昭和32年(1957年)のこと。高島屋スト ア(横浜高島屋(現・高島屋横浜店)の前身)、相鉄文化会館のオープンなど、相模鉄道 を中心として西口の開発がようやく本格化する時でした。それまでの横浜駅西口はとても さびしい場所だったのです。ちなみに、鶴屋町2丁目交差点付近にあった横浜市電の停留 所名は、昭和33年(1958年)に横浜駅西口と改称するまで「横浜駅裏口」でした。 保土ヶ谷支店と6か月間だけ存在した宮田町支店 戸塚銀行保土ヶ谷支店を起源とする関東興信銀行横浜支店を継承して誕生。昭和16年 (1941年)の「六行合同」時には、瀬谷銀行保土ヶ谷支店を起源とする鎌倉銀行保土 ヶ谷支店を継承して、宮田町支店が誕生しますが、6か月で保土ヶ谷支店に統合されます。 戸塚支店 戸塚銀行本店を起源とする関東興信銀行戸塚支店を継承して誕生。

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中山支店 瀬谷銀行中山支店を起源とする鎌倉銀行中山支店を継承して誕生。 妙蓮寺支店 都南貯蓄銀行港北支店を継承して誕生。 前身行から継承したが現在までに廃止された店舗は2か店 寿町支店(当初 長者町支店) 七十四銀行長者町支店を継承して誕生。左右田銀行寿町支店所在地に移転し、寿町支店 と改称。昭和20年(1945年)の横浜大空襲で焼失、廃止。 野毛町支店 横浜七十四銀行野毛町支店を起源とする七十四銀行野毛町支店を継承して誕生。左右田 銀行野毛町支店の営業を継承。昭和55年(1980年)廃止。 戦前に当行が横浜市内で新設した店舗は13か店、横浜以外での新設はほとんどなかった 横浜興信銀行(当行)が、戦前に、前身行からの継承以外で独自に横浜市内に新設した店 舗は、順に千代崎町、戸部、鶴見、斎藤分(現・六角橋)、磯子、子安、中央市場、潮田うしおだ、 浅 間 町 せんげんちょう 、杉田、(旧)本牧、金沢、豊岡(現・鶴見西口)の13か店です。なお、このうち、 千代崎町、潮田、浅間町、(旧)本牧の4か店は、昭和20年(1945年)の横浜大空襲 により焼失し廃止され、戸部、子安の2か店は、平成に入ってから藤棚、大口にそれぞれ 統合されています。 昭和16年(1941年)の「六行合同」により、神奈川県内唯一の普通銀行となってか らは、店舗重複地区からの配置転換を含め、県内の店舗空白地域への店舗新設がおこなわ れますが、それ以前は、横浜以外では新 川 通しんかわどおり(川崎)1店舗を開設したのみで、横浜以西 への店舗新設はまったくありませんでした。 藤沢に本店を置く関東興信銀行との合併が既定路線であったことから、横浜より西側は、 同行との合併時に店舗を継承することとし、店舗新設はもっぱら横浜を中心としておこな うことになったのです。 戦後、地域の発展に対応して店舗を展開する 終戦時の横浜市内の当行店舗は19か店で、現在の「区」でみた場合、中区5、神奈川区 4を筆頭に、磯子区2、鶴見区2などとなっていましたが、現在では80か店に達します (次頁「当行店舗の設置時期」をご参照ください)。 終戦時に当行店舗のなかった区のうち、南区・港南区には昭和20年代から、旭区・瀬谷 区には昭和30年代から、泉区・栄区・青葉区には昭和40年代から当行店舗の設置が始 まります。最後に残った都筑区に初の当行店舗が誕生するのは、平成に入ってからのこと です。地域の発展に対応して、当行も店舗を展開してきたことが分かります。

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<当行店舗の設置時期> 現在の 「区」 前身行からの 継承店舗 S20までに 新設 S20までに 廃止 S20 店舗数 S20年代 新設 S30年代 新設 S40年代 新設 S50年代 新設 S60以降 新設 戦後廃止 店舗 数 中 本店営業部 元町 野毛町 伊勢佐木町 寿町 (当初長者町) 阪東橋 (当初長島町) 千代崎町 旧本牧 寿町 (当初長者町) 千代崎町 旧本牧 5 本牧 県庁 横浜市庁 横浜市立大学 医学部病院 (出) 新本牧 関内 野毛町 横浜市立大学 医学部病院 (出) <本店転出> 8 西 戸部 浅間町 浅間町 1 藤棚 横浜駅前 (神奈川が移 転・改称) 横浜東口 横浜シティ 本店営業部 (中区より) そごう横浜店 (出) みなとみらい 戸部 横浜東口 横浜シティ 5 神奈川 神奈川 六角橋 (当初斎藤分) 子安 中央市場 4 大口 反町 本場内(出) 新子安 子安<神奈川転出> 6 磯子 磯子杉田 2 汐見台 洋光台 磯子駅前 汐見台 4 鶴見 潮田 鶴見 鶴見西口 (当初豊岡) 潮田 2 生麦 生麦 2 南 0 弘明寺 六ッ川 2 港南 0 上大岡 上永谷 野庭 港南台 4 保土ヶ谷保土ヶ谷 宮田町 宮田町 1 明神台団地 (出) 和田町 西谷 境木(当初東 戸塚) 新桜ヶ丘(出) YBP(出) 明神台団地 (出) YBP(出) 新桜ヶ丘(出) 4 旭 0 希望が丘 鶴ヶ峯 万騎ヶ原団地 (出) 二俣川 左近山 白根 横浜若葉台 今宿(出) 万騎ヶ原団地 (出) 今宿(出) 6 金沢 金沢 1 南部市場 能見台駅前 (当初谷津坂) 金沢シーサイド 六浦(出) 金沢産業セン ター 金沢文庫 市大附属病院 (出) 市大附属病院 (出) 六浦(出) 6 戸塚 戸塚 1 戸塚南 (当初ドリーム ランド(出)) 東戸塚駅前 新戸塚 4 瀬谷 0 三ツ境 瀬谷 2 栄 0 公田本郷台 湘南桂台 公田 2 泉 0 上飯田(出)和泉 いずみ野 緑園都市 ダイクマいず み中央店(出) 上飯田(出) ダイクマいず み中央店(出) 3 港北 妙蓮寺 1 綱島 日吉 菊名 南日吉 (当初南日吉 団地(出)) 大倉山 新横浜 新羽 高田 南日吉 (当初南日吉 団地(出)) 8 緑 中山 1 長津田 竹山(当初鴨居) 鴨居駅前 霧が丘(出) 十日市場 霧が丘(出) 5 青葉 0 たまプラーザ 青葉台 市が尾 あざみ野 藤が丘 5 都筑 0 港北ニュータ ウン南 港北ニュータ ウン北 仲町台 北山田 4 店舗数 12 13 -6 19 6 14 20 23 20 -22 80 横浜市内の当行店舗について、廃止店舗を含めすべて記載してあります。 (平成22年(2010年)10月予定の、汐見台支店の磯子駅前支店への統合までを反 映しています) 前身行からの店舗が多数あった中区(表の左上)から、平成に入って初めて店舗が置かれ た都筑区(表の右下)まで、時代とともに、地域の発展に対応して、店舗が設置される区 が順次拡大してきたことが分かります。

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このうち、旭区・瀬谷区などの相鉄沿線については、昭和30年代に、まず、移動出張所 (愛称:グリーンバス)による準備期間を経て、店舗を開設するというステップがとられ ました。 参考資料 銀行総覧(大蔵省銀行局ほか)、横浜銀行六十年史ほか行内資料 本資料は、平成22年(2010年)7月末日現在で作成しています。また、原則として 普通銀行および貯蓄銀行について記載しており、無尽会社、信用組合、信託会社、特殊銀 行については言及していません。人名については、慣例にしたがい敬称を省略し、法人に ついても、原則として株式会社等の法人格名称を省略しています。 発行 横浜銀行経営企画部広報IR 室 TEL045-225-1141 関東地方で初の移動出張所(愛 称:グリーンバス)の営業開始を 伝える「浜銀ニュース」(昭和33 年8月15日号)と支店設置前の 希望ヶ丘駅前での営業風景 横浜駅前支店を母店とする「相鉄 コース」と、丸子支店を母店とす る「東横コース」があり、1日お きに巡回した。 昭和33年(1958年)時点で、 相鉄沿線の当行店舗は、横浜駅前 と大和のみだった。 「相鉄コース」は、巡回地の希望 が丘・鶴ヶ峯に昭和37年(19 62年)に支店が開設され、長津 田・三ツ境にも昭和39年(19 64年)に支店開設の準備が整っ たことから、昭和38年(19 63年)にその役目を終え、廃止 された。

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