東大阪における工業発展とその特質について
23
0
0
全文
(2) 現在のように, 生産活動から労働 力の確保に. 表A 工場密度(昭和60年) 都市名 東 京 大 阪 名古屋 京 都 東大阪. 工 場 数 83,072 35,806 18,356 15,278 9,933. 可住地面積 570.79属 212.10 310.09 201.88 51.63. 工場密度 146 169 59 76 192. (注)東大阪商工会議所中小企業研究交流センタ ー 「東大阪・地域経済白書」(平成2 年版) 2頁 より引用。 さて, 我々は経済力の地盤沈下が指摘される 関西経済の 現状や 将来に 強い関心をもってい る。多極分散型国土の実 現を目標とする第四次 全国 総合開発計画のもとで, 関西経済の新しい 役割を関西文化学術研究都市や関西新国際空港 等のビック ・ プロジェクトを通して21世紀に期 待する意 見や, 日本の枠組みを超えた世界の中 の関西の役割が強調される情報発信基地論等の 国際的視野よりアプロー チすることは今日的な 意味において大変重要であると我々も認識して いるが, 上でみてきたような東大阪工業の特質 といった, いわゆる「地域」のダイナミズムか ら関西経済を再考することも地味ではあるが四 全 総が指し示す「地域の個性」にあたるもので 重要といえる。とりわけ, これまでのように関 西を大阪に 総てを代表させるのではなくて, 比 較的等閑視されてきた地域の中にある関西を見 出し, その経済風土を検討し, 関西を内側から 多角 的に 見ることの重要性は, 囮域内の各地域 が形成する産業や都市の在り方が近隣地域の経 済動向に一 定の影響を与えるという基本的条件 を有していることから無視できない。また, 逆 の関係もある。したがって, 地域経済の活性化 は, 近隣地域を含めた産業活動のネットワ ー ク. まで, 一方に, 東京一極集中, 他方に,. 競争にさらされている関西経済においては, 京 阪神の多様な地域の振興 策を総合的に 考えるこ とが各地域の将来ビジョンを策定する上からも 必要と成っている。そのためには, これまで比 較的多くの研究対象となってき た大阪, 神戸, 京都に加えて, 東大阪同様によりその機会の少 ない堺, 尼崎, 守口等の工業集積地域の研究や その比較研究がこれまで以上に行なわれること が必要であるといえる。このような研究の積み 重ねを通して, 他の産地や即域と比較しての長 所短所の 確定をより正確に把握することが で き, 個々の地域経済が関西経済の振興にどのよ うに対応するのかが適材適所的な協力関係とし て位置づけられることになる。 われわれは, 東大阪工業の特質が関西経済の 在り方にどのように関わっているのかを検討す るために, 次ぎの三点に興味を集中す る こ と にしている。 1. 東大阪の工業発展の経緯とそ の特徴, 2. 東大阪工業の構造とその問題点, 3. 東大阪工業と堺, 尼崎,. 守口等の工業集積. 地域の比較研究。本稿では, その出発点として 1の課題, すなわち, 東大阪市域の戦前から戦 後の工業化過程を考察し, 東大阪における工場 集積の地域特性を明らかにするものである。. 第一章. 戦前の大阪工業と東大阪市域. 我が国の工業化は, 資源賦存の寡少と過剰人 口の存在に加えて, 蓄積資本の不足, 技術水準 の低位性, 市場の狭溢性等の資本主義的後進性 積も利用することが可能であろう。そのために は, 近隣地域の産業構造あるいは産業集積の動 向や問題点などを十分に把握しておくことが 必 要である。現実には, そのような認識が希薄で あったといえよう。尼崎市内だけのネットワ ー クづくりは, それ自身ある程度有効であるが , それ以上の効果を期待することはで きない。 む しろ, 近隣地域を含めたネットワ ー クづくりが 必要である。」増谷裕久編 「阪神間産業構造 の 研究J法律文化社,1987年3月,p. 326-327。. づくりが必要になってくる(注 4)o (注4) 近隣地域を含めたネットワ ー クづくりが 地域 経済の振興にとって必要であるという政策観を 強調する意見がある。小西唯雄•土井教之は, 尼崎市に関して, 次ぎのような長期的・総合的 視点からの地域産業政策の必要を述べている。 「尼崎市は, 大都市圏の中にあるために, 地理 的にも経済的にも他地域とのつながりが深い。 すると, 大阪をはじめとする近隣地域の産業集 -30. 地域. 間, 産地間あるいは都市圏域間における激しい. C 118)-.
(3) の中で成功させる方法として, いわゆる貿易迂 回的な加工生産を特徴とする綿工業をリ. ー. 業との関連性を未成熟なままに推移させた。 た とえば, 低賃金労働力の豊富な存在は機械類等. ディ. ング産業とした。 すなわち. 生産に必要な原料. の生産財需要を大きく創り出すことにはならな. 綿花をインドやアメリカから, そして機械類を. かったし, 主要な機械や生産設備の先進工業国. イギリスから輸入し. 国内の豊富な低賃金労働. からの輸入も同様の影響を与えた。 しかも, エ. 力を利用して, 製造された綿製品の多くは海外. 業化の当初より当時としては省力化の進んだ先. 市場目当ての貿易)レ ー トに向けられた(注 5) 。 そ. 進国から輸入された生産手段による我が国のエ. の結果, 綿工業の発達とは裏腹に国内市場の成. 業発展は全体としての雇用創出の機会が相対的. 長を阻止するような低賃金の維持 と, 国内他産. に小さなものとなり, 低賃金労働力の供給源と. 表B. 大阪府下の地域別工場分布(大正 3 年). 総 計 金属工業 機械器具 化 学 計 大 阪市 堺 市 西成郡 東成郡 泉北郡 泉南郡 豊能郡 南河内郡 中河内郡 北河内郡 三島郡 不 明 ム ロ. 備考. 32,041 11,453 931 161 524 3,350 2,877 4,885 2,649 675 1,595 2,924 17. 1. 資料. 2,111 1,622 311 6 5 7 96 5 29 25 5. 426 353 49. ,,. 5. 1. 941 576 60 36 37 20 54 1 14 59 7 66 11. 窯業及 土石業. 紡 織. 801 238 19 13 140 176 90 13 23 47 20 22. 6,238 1,998 148 64 68 1,195 515 22 1,454 401 299 68 6. 製材及 木製品. 1,423 1,069 132 1 63 141. ,. 5 3. 其の他 食料品 印刷製本 の工業. 7,013 1,609 65 11. ,. 1,267 1,016 1,225 735 15 872 189. 424 408 16. 12,664 3,580 131 22 255 617 965 3,624 409 124 366 2,571. 大阪府統計書より整理作成した。. 2. 不明17工場の内訳は,化学中11 は肥料,紡織中4 が紡績 2 が製綿である。 3. 本表には 5 人以下の製造戸数を含む。 (注) 大阪府立商工経済研究所編「発展過程よりみたる大阪工業とその構造」56頁 より引用。 しての農村が工業化の展開過程においても分解. した。 大正3年の全綿糸 輸出額の八割強が中国. されることなく推移した。 そして, この低賃金. 向けであり. 中国の輸入額の五割がインド綿糸. 基盤が綿製品の国際競争力を生むと共に, 不況. を市場から駆逐した日 本製品であった(注 6)0. 時には低賃金労働力の帰農化を円滑に進める社. この時期. 大阪府下の郡部地域の工業化が表. 会装慨として維持され, 過剰労働力の滞留源と. Bに示される。 堺市は伝統的な鍛冶職人の町と. しての農村が固定化された。 加工貿易立国とし. して金属を中心とする工業構造を示していたの. ては, 国内だけでなく世界市場の景気変動に左. が例外的で. 他の地域は軽工業中心であった。. 右され易いだけに, その安全弁としての機能を. それも泉北, 南河内の紡績工業. 泉北, 泉南.. 農業に担わさることは我が国の工業化にとって. 豊能. 北河内. 南河内の食料品工業. そして豊. 好都合であった。 このような産業構造的仕掛け. 能, 三島の其の他の工業が工場数の多さから注. を持った綿工業の輸出は中国市場を中心に急増. 目される。 ところで. 江戸時代より河内木綿を. (注5) 玉野井芳郎:資本主義的工業化と二重構造, 玉野井芳郎・内田忠夫編「二重構造の分析」東 洋経済, 1964 年7 月, p. 15-16 参照。. (注6). - 31. C 119)-. 通産省大臣官房調査統計部編「工業統計50 年 史ー解説編」龍淡書舎, 1961 年3 月, p. 36 参 照。.
(4) 特産物とする綿作地帯であった中河内は地域を. 業機を製作し, 電動機による稼動を工夫するこ. 代表とする紡績工場数が泉北. 南河内の紡績工. とによって, 大きく生産力が増 強された(注 8)0. 業と比較して相対的に少ないという点で逆 に注. そして, 大正期の後半には, 水車に代わって電. 目されるところである。この理由は, 河内木綿. 動機が主流となっていた(注9)。それまで水利的. の繊維質が機械織りに適さないことに加えて,. に生駒の傾斜地から離れることが出来なかった. 安価な輸入綿花と機械制紡績工業の登場が市場. 鉄線業が, 問屋資本が立地する大阪に近くしか. 的にも技術的にもこの地域の伝統的な地場産業. も大阪市の東部工業地帯に隣接している高井田. の発展の機会を失わせ, 大阪工業の拡大過程に. や布施に進出する機会ともなった。. あっても農村構造の固 定化—綿作から暁菜作. また, 明治30年 代に大阪から伝わった理器の. りへの転換と過剰労働力の流出一�を余儀なく. 製造が新たな地場産業を形作っていた。大正3. され, 内陸部への工業化を停滞させる作用がみ. 年の大軌の開通とともに理器工場の電動力化が. られた時期にあたると思われる。 そ れ に 対し. みられ, 鍛造技術を向上させ,. て, 泉州地方の繊維産業は輸入綿糸 に早くから. 出商品化に成功すると共に, 大正末から昭和に. 依存する体制をとって輸出産業化への道を歩ん. かけて, 各種の工業が発達し始めたことによっ. だ。もっとも, 河内木綿を育んだ産地起業のエ. て需要が大きくなってきたジャッキ , モンキ ー. ネルギ. ー. はこれによって全く消滅したわけでは. バ リカン等の輸. レンチ等の作業工具の生産へと発展しはじめて. ない。綿→雲斎織・ タオ)レ →撚糸 →メリヤスと. いた。さらに, 大阪に奉公に出ていた農家の子. いう 発展経路を 地域産業として 展開させ.. 弟が持ち帰った金網の手編み技術から発達して. 特. に, 撚糸 業はその後長瀬地区を中心に地場産業. きた金網工業も大正末から昭和初年にかけて金. を形成し現在に至る(注 7)o. 網織機の番入がみられ, 上小阪から小若江にか. この中河内, 特に東大阪市域において, 近 代. けて産地を形成していた。しかし, この新規の. 的な工業発展への動きが本格的にみられるのは. 産業の発展の契機は地縁・血縁の起業化により. 大正3年の大阪電気軌道(近鉄の前身)のこの. うまれたものであって, 農村地域の虫食い的工. 地における開通以降である。加えて. その十年. 業化の様相が強く, これらの地域を根底から変. 後には大阪線も開通して, 布施の大阪東部での. 革させる出来事とはなりえなかった。. ターミナル化がみられ, それまで大都市大阪と. この大正末から昭和初年にかけての時期, 大. は対照的な農村地帯であった中河内が大阪の都. 阪工業は飛躍的な発展のなかで高度化しつつあ. 心部との結接を強め, 都市化. 工業化への沿線. った。主力産業であった繊維産業は中国やイン. 開発の 機会を おおきく することに なった。特 に, 工業化については. 鉄道の開通にともなう 電灯設備の完成が電動機や電気炉等の機械設備. (注8 ) (注9). の導入の道を開き, マニュ経営にとどまってい. 前掲「鉄鋼二次製品工業の実体」, p. 26参照。 鉄線業における水車から電動機への動力転換 は下表に示されるよ うに大正10年頃より本格化 することが明らかである。 同上 p.25より引用。. た各種工場にいわゆるエネルギー 革命を引き起. 水. こさせ, この地域が新たな工場適地として大阪 工業の一 翼に組み込まれる礎地を作った。たと えば, この動力革命に敏感な反応を示したのが 当時鉄線需要の増加に直面していた「線屋」で あった。すなわち, 枚岡の鉄線工業では, ドイ ツからの輸入伸線機を模倣した縦型ドラム式作 (注7) 前掲「東大阪市史」 近代1, 第5章 p. 463 参照。. 台数 大正4年 7 10 13 昭和 2 年 4. 車. 馬. 力. 7. 10. 11. 17. 62 51 40 37. 62 51 40 37. 備考)枚岡町役場調に拠る。. -32 (120)-. 電 動 機 台数 3 22 50 58 82 81. 馬. 力. 40 152 456 580 950 1,000.
(5) ド 等 の ア ジ ア 地域で の 輸 出 拡 大 に よ っ て 発 展す. た 。 た と え ば,. 企業経営 に 関 し て い え ば,. 年. る と と も に , 重化学工業部門で も , 製鋼, 製銅. 功序列型賃金体系や終身雇用 制 の採用 で あ り ,. 工場の増加, 新 し く 軽金属工業 の 勃興, 造船,. 産業構 造 に 関 し て い え ば, 蓄積資本の 節約 ,. 原動機,. 景気変動 の バ ッ フ ァ. れ,. 工作機械,. 電気機械等 の 隆盛が み ら. 昭和 2 年頃 に は , 電動機 は 各種 工 業 の 末. 端 (注10) に ま で 普及. して い た。 そ れ だ け に ,. こ. 用,. ー. , 低賃金労働力 の 有効利. 部品加工への 伝統技術 の 転用 等 の 観点よ. の. り , 多様な 中 小 零細企業群 の加 工生産領域への. よ う に 内外 に 躍進著 し い 大阪工業 に と っ て , 東. 組織的動員を可能 に す る 「下請制度」 の 普及で. 大阪市域の エ ネ ル ギ ー 革 命 は , 安 価 な 土地, 豊. あ る 。 そ れ だ け に , 我 が 国 の 場合, 巨大な資本. 富 な 農村労働力 と い っ た条件を合わせ持 っ た 新. 蓄積 と 投資を可能 に す る 経済領域だ け が重化学. た な る 工業適地の広 が り と み ら れ た 。. こ. の. こ. と. 工業化を推進 し た の で は な い 。 重化学工業化へ. は表 C に 示 さ れ る よ う に 中 河 内 で の 工場数 の 急. の 係 わ り は 中小 零細企業 を 通 し て の 急激な構造. 増 と な っ て 現 わ れて い る 。. 変化 を 特定 の 地域 に も た ら す場合 も あ る 。 東 大阪市域 の 工業展開 は 正 に そ の 典型 と い え. 表C. 地域別工場数の増減. 大正 3 年(A) 昭和 2 年(B) 大 阪 府 大 阪 市 堺 市 豊 能 郡 南河内郡 中河内郡 北河内郡 島 泉 南 北 泉. る も の で あ っ た 。 す な わ ち , 戦前期の 重化学工. 32,041所 ※ 12,138 931 4,885 2,649 675 1,595 2,924 2,877 3,350. 43,391所 20,246 1,195 3,440 3,996 1,541 1,596 4 ,910 ※ 3 ,069 3,398. Cf) 1.4 倍. こ. 業工具が存在 し た が, そ れ ら は 主 に 民生用 内 需. 1.7. て , そ れ ま で の 輸 出 商 品 で も あ っ た鉄瓶等の 日. か ら 準備 さ れ た 。 すで に東大阪市域 に は, 地場. に 依存 す る 性格の も の で あ っ た の に対 し て , 布 施の 鋳物業 は, 世界恐慌後の 市場悪化 に直面 し. 1.1. 常 品 の 生産か ら 機械部品製造へ の 転換 に 活 路 を. 1.0. ら の 生産財輸入の途絶が契 機 に な っ て ,. 日 本. と し て は重化学工業の育成が急務 と な っ て い た が, 後発資本主義 国 の 日 本経済に お い て の 重化 学工業 の 確立 は 経済的 に 容 易 な こ と で は な い 。 そ の た め の 努力 が 明 治以来 の 「上か ら の 資本主 義」 に 新 た な 日 本的装置を 付与 し , 模倣的資 こ. し い 重化学工業 化 イ ン パ ク ト が そ の よ う な側面 産業 と し て の 基盤作 り が 進 ん だ鉄線, 金網, 作. ろ で , 第一次世界大戦勃発 に よ る 欧米か. 本主義 に 一種 の 独 自 性を与え る. 制約 さ れ た か ら , 東 大阪地域 に 関 し て も , 新. 1.7 1.3 △ 0.7 1.5 2.4 1.0. (注) 1. 出典は表B と 同 じ. 所収の表21表 と 表32表 よ り 作成。 2. A欄の※ は大阪市, 西成郡. 東成郡 の 合 計, B 欄 の ※ は 泉 南 と 岸 和 田 市 の 合 計 で ある。 と. 業化 は軍需に依存 し た な かで の 展開 力 に 大 き く. と に もな っ. (注10) 大阪府立商工経済研究所編 「発展過程よ り み た る 大阪工業 と そ の構造」 1953年10月 , p . 10 参照。 -33. 見 出 して い た と. こ. ろ へ, 軍 需工業の 生産拡大の. 波が押 し 寄せて き た の で あ る 。 軍工廠を核 と す る 大阪東部工業地帯 と の 下請生 産 に 従事す る 地 域的 連坦性が強 め ら れ , 大阪工業の 一 翼を担 う 外延的工業化 が布施市域を 中 心 に 展 開 し た わ け で あ る 。 以下 に お い て , こ の 点 を みて お こ う 。 表 D に 示 さ れ る よ う に , 布施市 の 工業生産の 推移 は , 昭和 5 年 の世界恐慌 に よ る 景気 の 落 ち 込 み を 反映 さ せ た あ と , 昭和 8 年 に は , 満 州事 変以降 の軍 需景気の 波 に 乗 っ て 以後好況 に 向 か う. こ. と を 示 し て い る 。 そ し て , 昭和10年の工業. 生産額 は昭和 3 年の 約 8 倍近 い 水準 に な っ て い る 。 し か も , 金属 ・ 機械 の 場合 は約 31倍 強 の高 い伸 び を示 し た 。 ま た , 昭和 3 年の 金属 機械 器 具工業の 生産額 は総生産額の 僅か10 . 6%で あ っ た の が, 世界恐慌を も の と も せず に 年 々 高 い 伸 び率で拡 大 し , 昭和10年 に は43 . 4% に ま で そ の ( 121 ) -.
(6) 表D 年. 昭和初期 の布施市工業生産の推移 (生産額). 円. 1,206,861 1, 675,950 860, 129 636, 741 1,168,255 3,826,800 6, 311,621 9, 175,484. 昭和 3 年 4年. 5年 6年 7年 8年 9年 10年. 伸 び. 金属 ・ 機械器具工業. 伸 び. 額. 総. Ct). (B). (A). 次. 円. 127,935 217,374 201,885 390,805 832,983 1,413,769 2,560, 172 3,985,557. 100% 139 71 53 97 317 523 760. %. 10. 6 13.0 23.5 61.4 71.3 36.9 40 6 43.4. 100% 170 158 305 651 1,105 2,001 3,115. (注) 布施町誌編纂会編 「布施町誌一続編ー」 (1937年 9 月 ), 146-147頁 よ り 作成。. 布施市域の工場分布 (昭和 10年). 表E 工 業 種 別. 製 織 染 金. 糸 物 色 属. 工 工 工 工. 布. 施. 町. 阪. 町. 楠. 根. 町. 長. 涵. 村. 弥. 刀. 村. 意岐部村. 工業別分類. 工場数 眠工数 工場数 識工数 工場数 窟工数 工場数 熾エ数 工場数 職工数 工場数 職工数 工場数 蹴工数. 業 業 業 業. 機械器具工業 鋳 物 工 業. 人. 2. 11. 1 7 30 35. 11 339 309 293. 23 53. 262 457. 4 28 6 3 13. 46 410 57 195 184. 人. 3 1. 化 学 工 業 セルロイ ド工業 光学機器工業 工 業 木 日 用品工業 ゴ ム 工 業 計 器 工 業 の 他. 其. 205 2,326. 人. 41 103. 108. 10. 金 網 工 業. 町村別総計. 小. 人. 12. 250. 1 5 2. 16 61 51. 1. 11. 3 2 2. 18 125 49. 1 2. 30 26. 人. 21. 92. 3. 12. 3. 40. 6. 170. 人. 2. 19. 1 3 4. 30 136 40. 2. 36. 6. 42. 1 16. 25 274. 10. 153. 6. 119. 3. 37. 1. 28. 1. 10. 1. 26. 25. 367. 26. 540. 34. 597. 17. 370. 33. 324. 40 1 4. ,. 42 41 19 26 57 2 5 66 6 3 19. 人. 413 103 23 445 557 384 296 417 532 36 71 998 57 195 295. 340 4,820. (注) 藤岡謙二郎著 「 日 本の都市そ の特質 と 地域的問題点」 大明堂, 19⑱年 6 月 , 309頁よ り 引用 。. 表F 重 金. (A) 昭和12年 (B) 昭和15年 増. 減. C B-A). 属. 化. 学. 工. 機械器具. 工 場 数 の 増 減. 業 邑子. 化. 軽. 工. 業. ム ロ. 計. 221 278. 184 269. 126 152. 603 447. 1,134 1 , 146. 57. 85. 26. △156. 12. (注) 出典 は表B と 同 じ . 所収の 40表, 44表よ り 作成。. -34. ( 122 ) -. 童化学工業化率. 46.8 ( % ) 61.0.
(7) 地位を拡大 して いた。 ( 昭和 6 , 7 年は他の業種. 政区を越 えて 中河 内地域へ 波及して いったこと. の不況のきび しさを反 映 させ て . 相対的地位が. が合 わ さって , 東大阪市域の工業化が. 戦争へ. 高 く なって い る 。). の道を進みつ つ あった当時の時代背 景のなかで. さて , 布施工業が大阪との連坦性を強 く持 っ て いたことは表 E から伺 い知る こともで き る 。. 必要以上に金 ヘンに傾斜した工業構 成を強調 す る よ うになったといえる 。. す なわ ち, 日 用品工業とセ ルロイ ド 工業の工場 数や識工数の大きさで あ る 。 これらは 大阪よ り. なお. 日本の重 化学 工業化率 (生産額)が5 0 % を越 えたのも昭和1 2年のことで ある が(注12),. 移転して きた都市型工場群で ある 。 そして , 布. この頃 を境に し て . 図 1 に示 される よ うに. 軽. 施市域三町三 村の340工場の内 の205工場が大阪. 工業中心に発達して きた大阪工業の凋落 傾向も. に最も近い布施町に集 中して いたことはこの地 リ ン グ 部分. 図1. 全国に占 める大阪と 東京の シ ェ ア ー の推移 ( 工業生産額). 20 %. ‘ ‘ ヽ. 、 ’. 含めた工場統計によ れば, 布施市の昭和1 2-15. 9. 年の工場 数は1 , 134から1 , 146へ と僅か1 2工場の 増加で あったが, その数字 は表 F に示され る よ. ” V. rヽ. の後も激しくなる 。 識 工 5 人未満 の零 細 工場を. ノ. 意味す る 。 さらには, この地域の構造 変化はそ. 京 東. C 5 -1 0キ ロ圏) へ と組み 込まれて いたことを. ヽ. 域が す で に 大阪都市圏の イ ン ナ. ー. 15%. .. ,. うに機 械 • 金属の大幅 な増加と軽 工 業の減少の. ヽ. 、/. ヽ ふ-―_,,.,, 、 -..--. >-.-� 一_...、. 結果で ある 。 そして , 工場数からみ た重 化学 工 業化率は昭和15年の場合 61 彩 で . 大阪市の39 . 4 鍬 堺市の42. 6% に比べて も高く(注11), 府下で. 10劣. 一番の高度化 し た構造となって いた。 軍 需工業 の一 翼を担う大阪東部工業の外延 的 工業化が本 格的に布施市域へ 浸透 して きた結果で ある 。 し たがって , 太平洋戦争直前まで の東大阪市 域の工 業化の経路は自 生的な起業よ り 発達 した 鋳物 , 撚糸 , 鉄線, 作業工具, 金 網等の地場産 業の点在によ る 農村色 の強い地域で の虫 食い的 工業化と, 大阪からの越境型 各種工業, と り わ け, 軍需生産 という枠組み に傾斜させ ながらの 地域的な広 が り をみせ る よ うになって いた工業 化の二 相が交 差 しは じめて いた。 要す る に, 織 維, 雑貨 等の多様な軽 工業の基盤の上に重化学 工業 化が 見られ始めた大阪工業の工業化経路と は対照的に, 東大阪市域の場合 , 金属工業の地 場産 業化の上に, 満州事変以後の軍需生産 の拡 大過程において の大阪東部工業地帯 の拡大が行 昭和 15年の 大阪市の 工場 総数 40, 012の 内 , 15, 770工場が 重化学工業部 門であり, 堺市の場 合は, 2, 058工場の内 1, 016が 重化学工業部 門で あった。. (注11). -35. 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 年 年 (注) 総理府「 日 本統計年鑑 」より作 成 は っき り として くる 。 そ し て , 戦時統制経済へ の移行 とともに, 政治ばか り で なく経済も東京 へ の集権化をつ よめる ことになる 。 戦時へ の経済統制は大きく二つ の時期に分け られ る 。 前期は生産力 を戦争目的のために 再編 成す る ための条件整備が中心で あった。 日中戦 争勃発直後に, 軍需工業動員法, 臨 時資金調整 法, 輸出入品等臨 時措置 法が制定され, 翌13年 には国家総動員 法の制定とそれを根幹 とす る 種 々の統制管 理 が中国から太平洋へ の戦線拡大 に 対応 し て , 物 資, 労働力 , 金融, 生産 , 価格, 貿易, 消費 生活等の経済全面にはり め ぐ らされ た。 この過程で ,. 中小 工場に 関し て , 政 府は. 「 中小 商工業の再編成並 び に職 業転換に就 いて 」 (注12) ( 1 23) -. 前掲「工業統計 50年史ー解説編 」p. 20参照。.
(8) (昭和16年 3 月 ) を 声 明 し , 労務動員計画 に 基 づ く 中 小企業の 転廃業 の 必要性を 明 確 に し た. 特異な地域を形作 っ て い た と い え る 。. が . 布施市 の 実情 に つ い て は , 「機械器具 な ど. 第二章. を は じ め と し て 軍需 に つ な が る 業種 も 多 く , 業. 成長期の東大阪市域. 種間 に差 は あ る も の の 概 し て 盛 ん な 様相 を 示 し て い る 。 し た が っ て 転廃業 は あ ま り 問題 と さ れ た 形跡が み あ た ら な い 。」(注13) と 東 大阪商 工会議 所五十年史 は布施工業 の こ の 時 期 の 戦時色を述 べて い る 。 後 期 は 太平洋 戦争 突入以降の 時 期 に あ た る が , 特 に , ミ ッ ド ウ ェ ー 海戦後の軍事的優位の 喪失下 に お け る 消 耗戦 の 激化 と 物 資動員計画の. 経済復興か ら 高 度経済. 戦後の 経済復興期 の 東 大阪市域 は , 数次の空 襲 を 受 け た も の の , 大阪の よ う に 大規模 な 空 襲 に よ る 戦災 に 遭わ な か っ た こ と に 加 え て , 大阪 東部工業地帯 に 隣接す る こ と か ら , 生産停止 し た軍需工場の 手 持 ち 資材や廃材が比較的手 に入 り や す く , 小零細工場 に よ る と こ ろ の , い わ ゆ る ナ ベ ・ カ マ 生産が 再開 さ れ, 商 工業活動の. 挫折が軍需生産体制 の 再編 強化 を 余儀な く し ,. Blighted Area と し て の 活況 が み ら れ た 。 と り. 昭和18年 6 月 , 戦力 増強企業整備要綱が決定 さ. わ け , 近鉄布施駅前が, 沿線近郊 の 大阪東部の. れ た 。 そ し て , 工業構造が戦争手段 と し て 強権 的 に破壊 さ れ は じ め る 。. こ の 頃, 「軍需生産の. 生産昂揚 は 当 大阪 に お い て も 強行せ ら れ た が, し か し な が ら . 軍 需工場の拡充が極度 に 京浜地 区 に集 中 し , 大阪 の 相対的地位 は 前 期 よ り も 更. 玄 関 口 の 様相 を呈 し て 闇需要 も 高 く 活況で あ っ た 。 そ の 後, 終戦直後の混乱か ら 抜 け 出 す た め に採用 さ れ た 傾斜生産方式 は 大企業 を 中 心 に し た石炭 と 鉄鋼 の 生産力 の 回復 に 重点が置かれた こ と か ら 中 小工場の活動 も 大 き く 制約 さ れ る こ. に低下 し , 発 展指数 は全国水準を下 回 っ た 。 そ. と に な っ た が, 東大阪市域で は , 戦時中軍需工. の 理 由 は , 平和 産業 の 犠牲が. 従来 そ の 比率が. 業 の 下請 け と し て 活況を呈 し て い た 機械器具工. 高 か っ た 関 係上最 も 大 き な打撃を 与 え た た め で. 業 は , 軍需生産の 消滅 に と も な っ て , ラ ジ オ や. あ る 。」 と の 大阪府立 商 工経済研究所(注14) の 分. 電灯器具等の電気用 品, ミ シ ン , 自 転車等の民. 析 に 対 し て . 東 大阪市域特 に 布施工業で は対照. 需生産へ の 転換が進 ん だ。 ま た , 釘 ・ 針金 • 鉄. 的 な 動 き が み ら れ た 。 「鉄工業を 中 心 と す る .. 線 等 の 金 属 製 品 は 戦時 中 の 生産停止の反動 と 復. 金属 ・ 機械器具類関連業 の 興隆の 理 由 は ,. う ま で も な く 軍需 に つ な が る 戦時増産の対象業種 で あ っ た た め で あ る 。 推測で は あ る が. 転廃業. 興 需要の高 ま り に よ り 活況を呈 し て い た 。 た と. に よ っ て 縮少 を 余儀な く さ れ た 商業部門か ら 生. 4 ' 昭和戦前期 ( 1 -20年) の 19で あ る の に 対 し て , 昭和20年代前半期 の28. 後半期 の 19, と. い. え ば, 鉄線工業産地診断報告書 に よ れ ば (注16), 創 業 年度別 事業所数 は 明 治 期 の 3 '. 大正期の. み だ さ れた 余剰労働 力 は . 主 と し て 鉄工業な ど に 吸収 さ れて い っ た と みて よ い で あ ろ う 。」 と. 昭和20年代 と り わ け そ の前半期の 創業気運 の 高. 先の五十年史 は述べて い る 。. さ が顕 著 で あ っ た こ と を示 し て い る 。. 要す る に . 東 大阪市域 に 展開 し た戦前期の エ 業 化 の 特徴 は . 発 生 の 経緯 に は 夫 々 異な っ て い る が, 鉄鋼二次製品 ま た は三次製品 の 地場産業 の 成長か ら軍需産業の下請機械器具工業 の 発 達 と い う 金属 ・ 機械 に 偏 重 し た 加工機能 の 蓄 積 に 地域経済 の 発 展軸 を も と め た点で 大阪府下で は (注13). 東大阪商工会議所編 「東大阪商工会議所五十 年史」 1988年 5 月 , p. 197-198 参照。 (注14) 前掲 「発展過程 よ り みた る 大阪工業 と そ の 構 造」 p. 11 参照。 -36. 東大阪市域全体で み る と , ア メ リ カ 占領政策 (注15). 前掲 「東大阪商工会議所五十年史」 p. 218 参 照。 (注16) 鉄線工業につ いては, 東大阪市 ・ 東大阪商工 会議所 「東大阪市に お け る 鉄線工業産地診断報 告書」 1970年 3 月 , p. 24-25 参照。 そ の他の 地場産業につ いては, 同 「東大阪市に お け る 銑 鉄鋳物 工業産地 診断報告書」 1969年 3 月 , 同 「ね じ製造業の実態」 1973年 3 月 , 同 「東大阪 市 に お け る 金網工業の実態」 1977年12月 等を参 照の こ と 。. ( 124 ) -.
(9) 表G 地域別工場分布と金属・機械の 占 める割合 ( 昭和2 5年) 総. 数(A) 金属 •機械(B). (長) %. 商品に移行しながら 加工貿易の 高度化を はか る」 ことを経済 自 立の方向 とし, 翌 28年度の経 済白 書がかかる方向 を「世界経済の動 向 から要. 大阪府. 14 ,4 78. 6,034. 4 1.7. 請される日 本経済の宿 命である」 と断言した。. 大 阪市 八 尾市 岸和田市 池 田市 高 槻市 貝 塚市 守 口市 枚 方市 茨 木市 吹 田市 富田林 市 堺 市 布 施市 泉大津 市 泉佐野 市 豊 中市 中河内郡 三 島郡 泉南郡 南河内郡 北河内郡 泉北郡 泉南郡. 8,972 14 8 2 75 37 73 24 6 89 37 35 61 97 833 796 2 07 12 0 37 762 75 4 05 359 2 13 44 8 153. 4 ,22 1 47 52 7 20 57 39 6. 4 7. 0 31.8 18.9 18.9 2 7.4 2 3.2 4 3.8 16.2 2 5.7 24. 6 6.2 50.1 56.0 9.2 33.3 4 3.2 4 8.6 18.7 4 .4 22 .0 31.5 5.4 35.9. そ して この政 府 の重化学工業化政 策の決定は大. ,. 15 6 4 17 44 6 19 40 16 370 14 18 79 67 24 55. 備考 1. 資料, 大阪府工業統計分析表 (昭和251:I筍 2 . 労働者 4 人未満を含ま ず。 ( 注 ) 出典は表B C と 同 じ, 所収の第4 8表より作成。. の転換にともなう日 本経済の復興の本格化と朝 鮮動乱 プ ー ムによっ て . 銑鉄鋳物, 鉄線, 作業 工具, 金網, ボル ト. ・. ナ ット等の金属 製品工業. を中心とした工場 数の増加が昭和 20年代を通し て みられた。 表G は大阪府下の昭和 25年の工場 数の地域別分布表である。 東大阪市 域が 含まれ る布施市 や中河内郡 の金属 ・ 機械への偏重が府 下では最も高く戦後の混乱 の中でも戦前以来の. 阪を中心とす る関西経済の復興問題に多大な影 響を 与える(注17) ことになっ た。 す なわち, 昭和 28年 1 月 に,「大阪経済振興審 議 会」 が発足 し, 大 阪経済の地盤沈下問題が本 格的に議論され, 一定の 考え方が示されるが, その背景には, 一つには, 戦時統制や戦後復興 政 策さらには 占領政 策を経験した大 阪がかっ て の経済力 によっ て 日 本を 代表しえたエ ネル ギー を失ない, 中央 に対す る単なるロー カル色だけ が表立ち, 政治だけでなく経済問題も中央集権 化によっ て , 大 阪の非力 が顕著 になりつつある ことに焦りを感じ始めて いたこと一ー 戦前の関 西には政治は政治(東京中心) , 経済は経済(大 阪中心)と両者を切 り離して 考える伝統的な 考 え方が根強くあっ た一—ー。 二 つには, 我が国経 済の復興がアメリカ占頷政 策の転換を契機とす る既存重化学工業力 の開放 と 再建 に向 けられた 結果として , 重化学 工業の地域的な生産体系が 整備されて いないという構造的脆弱性を持 っ た 戦前以来の大阪経済の特質, す なわち, 繊 維を 中心とした消費 財生産体系が著 しく発達した軽 工業型産業構造の継承が政 府 の意図す る産業復 興ビジ ョ ン一一 重化学工業化— から大きく掛 け離れて いるという懸念 。 三つには, 戦前の大 阪経済の 有力 な市 場であっ た中国の社会主義圏 への編入や戦前経済の担い手であっ た問屋資本 の 脆弱 化等に 直面して の 大 阪経済界の 自 信喪 失, 四 つには, 経済復興, 産業 再建 という国家 目的に対して 目先の商業主義的経営にならされ た関西経済又 は大阪商人気質にたいす る反省, 五つには, この頃, 資本集中機構を挺子とす る. 特色 が維持されて 推移して いることを示して い. 旧 財閥系企業集団 による産業 再編成が本格化の. る。. 兆 をみせ, その一 環 として の重化学工業部門で. さて . 昭和27年度の経済白 書 が「紡績 から化 繊 へ, 繊維から金属へ. さらに機械へと原料 の. (注17). ドル依存度が少なく. しかも外貨獲得率 の高い -37. C 1 25)-. 政府の終戦直後からの重化学工業中心の経済 復興観に ついては, 拙著「戦後 日本の 工業構 造」 晃洋書房, 198 1年2 月, 第1- 3章参照。.
(10) の先進 国 か ら の技術導入競争が盛ん に な り つ つ. 業 化政策が鉄鋼. 電力 . 造船等の 溢路産業 の 生. あ っ た が, 戦前以来土地狭少 に よ る 重化学工業 の導入 に 不 向 き で あ り , 我 が 国 の 工業 の 進 展 に. 産 力育成 と 電子. 石油化学, 高分子 化学等の 新技術産業 の 導入 に 活路を見 出 し て い た 時 で あ. 即応 し え な か っ た と 批判 さ れて き た 大阪工業 だ. り . い わ ゆ る 素材 型装置産業, 巨 大企業中心の. けに, タ イ ム リ. ー. な 革新 へ の 受 け 皿が欠如 し て. 産業政策が本格化 し は じ め て い た 。 大 き な生産. い た こ と への 大阪経済界の反省が あ っ た (注1S) o. 設備. 製 品 や 原燃料の ス ム ー ズ な 搬 出 入 が可能. そ し て 同 審議会の結論 と し て , 戦後的生産力 の. な レ イ ア ウ ト が 描 け る 新 し い 工業適地が政策的. 再構築 に 重化学工業部門 一�特 に 加工型工業部. に 確保で き る こ と が な に よ り も 璽要で あ っ た 。. 門—�の確立が緊 急 の 課題 と し て 取 り 上げ ら れ. し か も 海外 原燃料へ の 依存 は 大型船舶を横付け. る。. で き る 臨海線を工場立地 の観点 よ り 最優先 さ せ. 大阪都市 圏の イ ン ナ ー リ ン グ と し て の 一 翼を. る こ と に な っ た 。 昭和30年 4 月 に , 堺臨海工業. 担 い つ つ あ っ た 東 大阪市域で の 工業生産 の 特性. 地帯の 造成が着手 さ れ た の も そ の よ う な 政策 の. は , 構造的 に は , 戦前以来 の 金属 ・ 機械工業部. 一環で あ っ た 。 要す る に . 大阪工業 の戦後の 重. 門 が 中 心で あ っ た だ け に , 大阪経済の 重化学工 業化 に 一定 の 役割 を果 た し え る 可能性を 持 っ て い た 。 布施市 は前年の 昭 和27年 4 月 , 通産省 よ り 移管 さ れ た 工芸指迎所関西支所を 布 施 市 工 芸指導所 と し て 地元工業 の 技 術 向 上 に 資 す る 体制づ く り を 示す と と も に, 8 月 に は , 工場誘 致条例 を 制 定 し た。 ま た, 同 年12月 に は , 地元 金融機関 と し て の 河 内 銀行が創設 さ れ た 。 そ れ だ け に 同 審議会の振興 ビ ジ ョ ン に 大 き な 期待 が よ せ ら れた。 し か し , そ の 後 の 東 大阪市域へ の 政策 的 配慮 に は み る べ き も のが な か っ た。 そ の 理由 と して は, 戦前の軍需生産 の 展開過程 に お いて も , ま た戦後の復興 期 に お い て も , 大工業 の 進 出 が ほ と ん ど み ら れず , 小 零 細 な 地場産業や下請加工 業 の 集 積 に 特化 し て い る こ の 地域 は 中 小企業政 策 の 対象で あ っ て , 日 本経済の 自 立化 に係 わ る 根幹的 な 産業政策 の対象 か ら は ほ ど 遠い存在 と いわざ る をえなかっ た。 た と え ば , 昭和32年 当 時 の 事業所統計 で 把握 で き る 東大阪市域の 工場数 は 2 , 322で あ る が, そ の 内 , 従業者 1 人- 9 人規模の小零細工場は 1 , 368で 全体の 約 6 割 を 占 め , 30人未満規模 に ま で ひ ろ げ る と , 約87% (2 , 022工場) と な っ た 。 逆 に , 300人以 上 は 僅 か 9 工場で あ っ た 。. この. 化学工業化 は 先 の 審議会の 決定 と は 違 っ て 昭和 30年 の 堺臨 海工業地帯 の 造 成 に始 ま る 素材型産 業 の 甜入 を 中 心 に 展 開 す る 。 そ し て 昭和37年に は , 泉北臨海地帯 の 造成 も 開始 さ れ た 。 さ て . 昭和30年代 に 入 る と , 高度経済成長が 本格化 し . 国 民所得が上昇 し , 国民の 消費行動 に も 変化 が み ら れ は じ め る 。 そ し て 家庭電化製 品や乗用 車等の耐久消費財が 一定の市場をつ く り は じ め た 。 既存工業地帯 の 中 で も , 特 に 関東 地域 を 中 心 に東 京 , 名 古屋, 大阪の 三大都市囮 に お い て . 電気機械器具工業や 自 動車工業等の 加工. ・. 組立産業が集積 し は じ め . 新 た な 工業地. 帯 の 拡 大へ と 発展 し て い っ た 。 要す る に , 戦後 重化学工業化 の 特徴 は 大規模大量生産 の素材型 装置産業 の 確立 と . 大量生産 大量販売 の耐久消 費 財 の 普及 に あ る だ け に , 前者は海外原料依存 型 ゆ え に 臨海立地の有利性が強調 さ れ. 後者 は 需要の 量 や 質 を 敏 感 に 反映す る 大消費地で の エ 場立地が有利 と さ れ た 。 そ し て こ の よ う な 重化 学工業化 を効果的 に実現す る ビ ジ ョ ン づ く り が 「 国 民所得倍増計画」 の 一 環 と し て の 太平洋岸 ベ ル ト 地帯構想へ と 集約 さ れて い っ た 。 と こ ろ で . こ の 昭 和30年代を通 じ て の 重化学 工業化 の 実現過程 に お い て , 巨 大都市 の過密が 問題化 し は じ め , 都 市 に 立地す る 工場 に 対す る. 時 期 か ら 昭和30年代 に か け て の 政府 の 重化学工. 考 え方 に も 変化 が み ら れ た 。 最 も 早 い と こ ろ で. (注18) 大阪経済振興審議会編 「大阪経済振興方策に 関する 調査報告書」 1953年12月 参照。. れ る よ う に . 巨 大都市へ の 工業 の 過 集 中 を排除. -38. は . 昭和31年の 「首都 圏整備法」 の 制 定 に み ら ( 126 ) -.
(11) 表H. 計 豊. 淀 淀 中 南 堺 泉. 能. 川右 川左 河 河. 岸 岸 内 内 市 州. 大阪市内か ら 府下への年代別移転工場数. 調査回答 工 場 数. 大阪市内 か ら 移転 し た工場. 移転工場 の 割 合. 731 42 83 125 212 47 90 132. 232 14 39 62 82 13 14 7. 31.7 33.3 47.0 49.6 38.7 27.7 15.6 5.3. 34年以前 27 1 4 2 13 1 5 1. 35-39年 115 7 15 38 43 6 4 1. 40-44年. 45年以降. 73 4 18 19 21 5 4 2. 17 2 2 3 5 1 1 3. (注) 大阪府立商工経済研究所 「大阪都市固 に お け る 工業再配置調査 (第 1 次報告)」 ( 1974年 3 月 ) 17頁 よ り 引用。 し よ う と す る 動 き が本格化す る 。 こ の 考 え 方 は. る 。 ま た , 工場誘致の た め の 積極的 な 呼 び込 み. 「所得倍増」 と い う 経済効率重視の 政策課題 に と. —工場誘致条例 の 制定 一ー が府下の 市 町 村 に. っ て は 新 た な 開発主義 の 登 場 を 用 意す る 契 機 と な る 。 そ れが既存工業地帯の過密化 と 地域格差. み ら れ た こ と も こ の 動 き を助 長 し た 。 東 大阪市域 は こ の よ う な 段 階 に 入 っ て 重化学. の是正を 目 的 と し た 新産業都市 の 建設や低開発. 工業化へ の 積極的 な 役割 を 担 い始 め る 。 た と え. 地域の 開発促進 を 謳 う 「全国総合開発計画」 (昭. ば. 昭和 31 年 の 機械工業振興臨時措置 法 の 制定. 和 37年) に 取 り 込 ま れ る 。 そ し て . こ の よ う な. を契機 と す る 産業用 機械類の 国産化の 進展や耐. 工業発 展 に 対 す る 考 え 方 の 変化 を反映 さ せて .. 久消費財時代の到来 は そ れ ら の 製品が加工部品. 関西経済 圏 に お い て も . 昭和38年 に は 「近畿圏. 点数 の 多 い と い う 特徴か ら , 金属や機械に対す. 整 備法」 が. そ し て 翌39年 に は 「近畿圏 の 既成. る 多様 な 加工技術 を 持 っ た 工場集積地で あ る 東. 都市 区域 に お け る 工場 等 の 制限 に 関 す る 法律」. 大阪市 域 に 地域経済 と し て の ま と ま り の あ る 活. が制定 さ れ た 。 そ し て , 過密都市大阪で の 工場. 力 を 蓄 積す る 機会 を 与 え る こ と に な っ た 。 す な. 制限が明 確 に な る な かで . 他方で は. 大阪を 中. わ ち , 多 種 多 様 な 部 品 生 産 は 鋳造. 鍛造. プ レ. 心 と す る 関西経済 の地盤沈下問題へ の 対応 も せ ま ら れて い た 。 こ の よ う な 状況下 に お い て . 堺. 具. 板金, 溶接. 塗装. プ ラ ス チ ッ ク , 組立等. • 泉北 に 代 表 さ れ る 臨海工業地域 の 造成 と , 府. の 一 連の 技術集団 を ベ ー ス と す る 中 で 製品化が. 下 の 背後地ー一淀川 流域, 河 内 , 泉州 ー一への. な さ れ る が, そ れが 中小零細企業 の 集 積 の 展 開. 大阪工場 の 移転が展開す る 。 大阪府立経済研究. と い う 形 を と る 場合 は . 大企業 中 心 の 工業集積. °ー. 所 は . 大阪工場 の 移転が昭和 30年代後半 を ヒ. 地 に は み ら れ な い 多様 か つ 重 層 的 な地域 内 分業. ク に 中 河 内 地域を 中 心 に 盛 ん で あ っ た こ と を 示. を社会特性 と し て 発 達 さ せ る こ と に な る 。 言 い. し て い る (表 H 参照)。 そ し て ,. 換 え れ ば . 大工業 の 場合で あ れ ば.. 移転の最大の. ス . メ ッ キ,. 機械加工. 熱処理. 金型.. 一. 一. 治工. つ の 工場. 理 由 が 「用地が狭 < . 生産規模 の 拡 大. 設備の. 内 分業 と し て 同. 更新がで き な い た め 」 と い う よ う に . 大阪のエ. し て 成形 一 除去ー 仕 上一組立の合理的 な 編成が. 業が過密化 に よ る 経営力 の 閉 塞 を 回 避す る た め. な さ れ. そ れ に よ っ て つ く り だ さ れ る 製品 は主. に , 新 し い 工場適地を求めて 昭和 30年代後半か. に 少 品 種 多 量生産で あ る と こ ろ に 最 も 効率 良 い. ら広域化 し 始 め た と 同 研究所 は分 析(注19) し て い. (注19) 大阪府立商工経済研究所編 「大阪都市固にお け る 工業再配置調査 (第一次報告)」 1974年 3 月 , p. 16-29 参照。 -39. の技術水準 に あ る 製造工程 と. 結果を も た ら す こ と が多 い の で あ る 。 経験や 勘 と い っ た技能の個人差. 技術水準や設備機械 の 性能が相違す る 多種 多 様 な 生産設備 を も っ た 中 小零細工場を主体 と す る 地域的編成の 場 合 は . ( 127 ) -.
(12) 金属加工や機械加 工 に 関 す る 複雑且つ 多 岐 な技. 摘 す る (注21) よ う に , ーか 罰 か の 独立 ・ 自 営への. 術 的生産経路が形成 さ れ る 。 す な わ ち , 多 品 種. 賭博的 バ イ タ リ テ ィ に 転化 さ れ, 零細工場を細. 少 量製 品を担当 す る の に 適 し た 生産工程 の 細 分. 胞分裂 よ ろ し く 創 り だす こ と に な る が, 低 い 賃. 化 , 専門化, 多 層化等が可及的 に 進 展 し , 高 品. 貸料の 貸工場を 利用 す れ ば , 独立 の た め の 創業. 質 な 成形部 品 か ら 低級 な 部 品 の 単ー な 賃加 工 に. 資金 は そ れ だ け 少 な く て よ い わ け で あ る 。 そ し. い た る 広 範 か つ雑 多 な 生産活動を可 能 に す る 。. て , 零細 な地域 内 起業 を 生 み 易 く す る と と も に ,. 大企業中 心の 生産結節を 人体の 幹動脈 と す れ. こ の よ う な 零細工場を下請け と し て 活 用 で き る. ば , そ れ は い わ ば網細血管の よ う な 地域 内 分業. 市域外か ら の 中 小 資本の 移入や働 き 掛 け を 容易. を 発達 さ せ, 他 の 地域で は 極小 な 資本で は 本来. に し , こ の 地域 の 金属 ・ 機械 の 小 零細工場の集. 生産活動 に 参 加 出 来 な い経営を も 経済性, 柔軟. 積 が そ れ だ け 盛 ん に な る 。 し た が っ て , 先進国. 性, 機動性等を も っ た 効率 の 良 い 作業場 と し て. か ら の 技術導入 に よ っ て 次 ぎ か ら 次 ぎへ と 新製. 一. 定 の 役割分担 を 担 当 す る 存在 と し. 品や新商品が登場 し て く る 昭和 30年代以降の 日. て 成立 さ せ る 。 言 い 換 え れ ば , 零細工場が零細. 本経済 に お い て の 東 大阪市域へ の イ ン パ ク ト. 工場を生む と い う 臨機応変の経済力 を 常套化 さ. は , 大阪市 周 辺 部 の 組立型機械工業 か ら の 二次,. せ う る 地域特性を東大阪市域 に 植 えつ け る こ と に な っ た 。 そ の 結果, 経験 と 勘が も の を い う 割. 三次の下請加工や部品発注 の 増 大 と い う 形で の. 地域 内 で は. 合 の 多 い 中 小 零細工場の 町 と い う イ メ. ー. ジが強. 部 品生産や 賃加工の 多 角 化 ,. 多様化の 浸透 と. な っ て の小 零細工場の増勢が み ら れ, ま た , 低. く 定着 し , そ れが時 と し て 河 内 の ど根性 と 二重. 賃 金労働力 の 雇 用 機会 を創 出 し た こ と で あ る 。. 写 し に な る こ と に も な っ た 。 こ の よ う な 根性論. そ れ だ け に , ` どぶ板的 な バ イ タ リ テ ィ 常 に 充満 し た 地域 と い え た 。. の 登 場 は 「及 ば ぬ と こ ろ を精神論で 補 う 」 と い. ー. ” が. う 日 本的 発 想で あ っ て , 後 ろ 向 き の 経営力 の カ. 要 す る に, こ の地域が主 に ロ ー テ ク 技術を基. ム フ ラ ー ジ ュ で あ る こ と が多 い の で あ る 。 し た. 盤 と す る と は い え , 日 本経 済の新た な る 生産 展. が っ て , そ の 裏返 し と し て の 地域特色が公害多. 開 ――重化学工業化―�への バ イ タ リ テ ィ. 発 , 住エ混在, 景気変動 に 翻 弄 さ れ や す い 東 大. は 決 し て お く れ を と る よ う な 工業体質で は な か. ー. に. 阪 と い う 地域経済 を 印 象づ け さ せ る こ と に つ な. っ た 。 そ の 結果, 金網, 作業工具, 鋳物, 鉄線,. がっ た。. ボ ル ト ・ ナ ッ ト 等の 地 場産業 に 加 え て , ミ シ ン. さ て , 全国的 に みて も 珍 し い 貸 工場制度 の 普. 部 品 , 電気機械器具, 自 転車 ・ 自 動車部品, 一. 及 も こ の 地域 に お い て は ひ と つ の 臨機応変の経. 般産業用 機械部 品 等 の 工場集積が, 地域の生産. 済 力 で あ っ て , 特 別 か わ っ た 存在 と は 受 け 取 ら. 活 動 を 特定 の 業 種 に収敏す る 傾 向 に 陥 る こ と な. れ な い の で あ る 。 東大 阪市域 に お け る 貸工場に. く , 多 種 多 様 な 金 属 ・ 機械製 品 の 生産的広 が り. つ い て の 本格的 な 究 明 は ま た 別 の 機会 に 委 ね る. を 可能 と す る 工業地域の形成へ と 向 か わ せ た 。. と し て , こ こ で は そ の存在の 意義 だ け に 触れて. 言 い 換え れ ば , 工程の細分化, 特殊化, 専門化,. お こ う 。 そ の 歴史 は 明 治時 代 に 起源 を み る と い わ れ る が, 昭和38年頃 よ り 河 内 , 枚岡 の 農 家が. 請制度や貸工場制度を挺子に し て , 発達 し , 異. 土地利 用 の 一 環 と し て 事業化 し (注20) は じ め , 昭. 質 多 元 的 な 小零細規模の さ ら な る 工場集積が進. 和 40年代 に 入 っ て 道路網 の 整 備 と と も に普及す. 展 し た 。 か く し て , 昭和 30 年代末 の 東大阪市域. 多 層化が, 戦後の 重化学工業化過程 に お い て 下. る が, こ の 事業 の 社会的効果 は 次 ぎ の よ う な も. 内 に は , すで に , 西堤, 高井 田 , 楠根, 御厨,. の で あ る 。 小 零細 工場 の 従業員 の給料が極め て. 柏 田 , 長堂, 上小阪, 河 内 , 宝持, 小若江, 岩. 低 い 場合, そ の 低 さ が,. 田 , 宝町, 玉 串, 豊浦, 立花, 南荘, 四条, 六. (注20). J ・ ス タ イ ン ド ルが指. (社) 日 本能率協会編 「中小工場の地域環境改 善 に 関 す る 調査研究」 1975年 3 月 , p. 29 参照。 -40. (注21). ( 128 ) -. J ・ ス タ イ ン ド ル著, 米田清貴 • 加藤誠一共 訳 「小企業 と 大企業」 巌松堂, 1956年, 参照。.
(13) 表I. 東大阪市 域の工業 (昭和41 年). (A) 総. (合 ). 数. ィ . 事業所数 (単位 =所) ロ . 従業者数 (単位=人) ハ . 製造品出荷額等 (単位=千円). (B). 構成比% 枚. 河. 布. 岡 市. 内 市. 施 市. (D). 東 大 阪市 域. (C). (長). 金属 • 機械. 零細性 (1-9人規模). 構成比%. (岳) 構成比%. イ. 615. 14 .3. 417. 67.8. 355. 57 .7. ロ. 11,734. 14 .2. 8,869. 75 .6. 1,701. 14 .5. ノ‘. 4,341,175. 14.9. 3,477,182. 80.1. 302,232. 7.0. イ. 731. 16.9. 397. 54 .3. 330. 45 .1. ロ. 21,485. 26.0. 14,286. 66.5. 1,675. 7 .8. ノ‘. 8,350,935. 28 .6. 5,606,509. 67 .1. 319,309. 3.8. イ. 2,958. 68 .7. 1,696. 57. 3. 1,809. 61.2. ロ. 49,191. 59 .6. 29,632. 60.2. 8,651. 17 .6. ノ‘. 16,535,906. 56.6. 10,201,964. 61.7. 1,461,413. 8.8. イ. 4,304. 100. 82,410. 100. ノ‘. 29,228,016. 100. 58 .3 (62.5) 64 .1 (68.7) 66.0 (72.3). 2,494. ロ. 2,510 (2,705) 52,787 (56,642) 19,285,655 (21,122,496). 58.0 33.0 14.6 2.5 7.1 4.3. ※ 1,421. 12,027. ※ 2,028. 2,082,954. ※ 1,256,844. (注) 1 . 東大阪市統計表より作成。 2 . 東大阪市域の欄 に お いて, ( )内 は化学工業部門 2 業種を加え た数字である。 ま た※ 印 は金属・機械部門の合計である。 万寺といっ た地域を核 に いくつもの小工場集積 地が形成され. 戦前に はみられない金属. ・. 機械. 工業の地域 的 連 担性が形作られ始めていた。 要 するに . 市域としての特色 は, 中小零細 工場を. 業が加算 されるために , その比率 はさらに高ま る。 事業所 総数の63 形 , 従 業者 総数の69 形 .. 総. 製造品出荷 額等の72% がそれである。 2). 市域 内工業 の 規模別 特色 は 零細 性 に あ. 中心に 業種. 製品. 工程間の細 部に わたる機能. る。 事業所 総数の58% が 9 人以下の零細 工場で. 分担が他の地域 に はみられない程 に 細 分化し.. あること.. 一. モノづくりに 対する弾力的 な. 種の経済球を形. また, 金属 ・ 機械の 2, 51 0工場のう. ち 1 , 421 工場 (57 形)が 9 人以下の零細 工場で その 1 , 421 工場に働く従 業者. 作り, 関 西経済の金属 ・ 機械系加工生産地帯の. あっ た。 そして,. 一つとして欠くことのできない役割を担いつつ. 数は 2 , 028 人である。. あっ た。. は1 . 4 人という 超零細 経営である。. 以下に おいて. 表 1 よ り. 三 市合併 直前の昭. 3). 1 工場当たりの従 業者数. 昭和30年の 総数 2 , 053 工場の うちの約 70. 和4 1 年の東大阪 市域 の工業生産が金属 · 機械を. % に 当た る 1 , 435 工場が 布施市域 に 集中してい. どの程度の特色 としていたのかをみておこう。. た。 枚 岡 市域 は365 工場, 河内市域 は253 工場で. 1). 市域 内の事業所 総数の58%, 従 業者 総数. の64%.. 総製造品出荷 額等の66% が金属工業及. あっ た。 そして, 昭和4 0 年の工場 総数は4 , 01 1 , 昭和30年の約 2 倍 に 当たる 1 , 958 もの 工場が急. び 機械工業に 集中していた。 東大阪 市域 の工業. 増 した勘定に な る。 その増加 総数の69 . 8% が布. 生産が金属 ・ 機械を中核 に 形成されていること. 施市域 ( 増 加数, 1 , 367 工場)に 集中していた。. が伺える。 重化学工業化率という場合は化学工. 次いで 農地が多く 残 っ てい る河内市域 は, 420. -41. ( 129 ) -.
(14) 表J. 工場 ( 21. 5% 増)が 増 えて 673工場と なって, 枚岡市 (総数536工場 ・ 増加数 17 1工場)よりエ 場集積を強める。 当時の大阪府は昭和30-4 0年 の間に工場 数が33, 996から45 , 89 2へと 135 % の 増加となったが, 東大阪市 域はそれよりも高い 増加率 となった。 その結果, 昭和4 1年には, 市. 食 料 品. 維. 繊. 衣 服 木材木製品 六 自 家. 域内 工場総数の 6 割弱 , 従業者総数および製造. パルプ • 紙. 品出荷 額等の 6 割強が布施工業であ るが, 経営. 出版 印 刷 -子 化 石油 • 石炭. 規模的には, 布施工業の 1 工 場 当たりの従業者 数は 16 . 6 人, 製造品出荷 額等は 559 万 円 で あ っ たのに対して, 河 内 工業と枚岡 工業は夫々29 . 4 人, 1, 14 2万 円 と,. 19 . 1人, 7 06万 円であ った。. 東大阪市域の工場特化係数 (昭和4 1年). ゴ. ム. 0. 386 0.2 39 0.625 0.5 34 0. 716 0. 94 3 0.4 77 2 . 114 0. 170 0.864. 皮. 革. 窯業土 石 鋼 鉄 非. 鉄. 金属製品 機 械 電気機械 送 輸 密 精 そ の 他. 0. 625 0.5 68 2 .22 7 1. 625 1.5 80 1. 364 1.4 89 1. 386 0. 898 0.455. 東大阪市域の あ る 業種の工場数 東大阪市域の工場総数 大阪府の あ る 業種の工場数 + 大阪府の全工場数 ②大阪府「工業統計調査結果表」 より作成。. (注)①特化係数=. 都市 化が はやく大阪の過密化の影響を最も早く 受ける布施工業の零細 化は大阪工業との連坦性 を最も強く反映させた結果であ り, 大都市 に共 図2. 東大阪市域工場敷地分布図 (昭和41年) ./. 備考 出典 ; 東大阪土地利用調査 (昭和41 年10月) ( 注 ) 衣本 • 浜田 : 東大阪市長期総合計画策定における地帯構想 と 工業構 造 の事例研究 「 日 本都市学会 誌 Vol . 14」 8 3頁 よ り 引用。 通してみられる無秩序 な小零細 企業の増勢 問題. 枚岡市 . 6 ) 。 そこで.. を直視させ るものといえる。 それに対して, 農. 属 ・ 機 械の割合が市域全体の金属 ・ 機 械の割合. 各校区内 の工場数の金. 地が 多く残存 していた河 内 市 への新たな工場の. を超えてい る特化校区を取 り出してみると. そ. 進出は経営規模も比較的大きく, 生産性も高い. れらは東大阪市域を西から東に帯状に連坦して. ことがわかる。. い る。 す なわち, 長堂. 太平寺. 高井田西, 高. 4). 昭和4 1年当時の同市 域における小学校区. は 29 校 区であ った (布施市 ・ 15, 河内市 ・ 8 ,. 井田東, 楠 根, 意岐部. 小阪, 上小阪 (以上布 施市) , 弥栄 . 英 田 . 玉美 (以 上河内市) , 枚岡. -42 ( 1 30 ) -.
(15) 西, 枚岡 東, 縄 手 (以上枚岡 市)が, 金属. ・. 機. て地域住民に受け入れられた。. 械の市域内での集稲 地となっている(注22) 。さら. し か し , この合併 は地元 の利益優 先を意図 す. に東大阪市域の工場立地が大阪府 からみればど. る布施商工会議 所の積極的な働き掛けがあった. のような特徴を持 つのかを示 し たものが表 J で. ものの, そこには当時の政 府 の地方行政の方針. ある。 東大阪 市域の 主要業種が 金属 工業三業. が強く反映 されたものであったことは事実 であ. 穏 精密 機 械を除 く機械工業三業種, および化. る。高度成長政 策を志 向 し ていた政 府 は, 地方. 学 にもとめられる。. 行政にも経済効率重視の量の追 求を意図 し , そ. 5). 最後に, 昭和41 年の東大阪市域の工場敷. の一 環 と し て新たに協議 会方式による行政課題. 2 を示 し ておこう。市域全域に広. の広 域的処 理体制の苺 入を目論ん でいた。 そ し. 地分布 図 , 図. 範に工場が立地 し ている様子が良くわかる。. て, 昭和36年には地方自 治法が一 部改正され, これによって. 第三章. 合併後の東大阪工業化の特徴. 昭和4 2年に, 布施市. 河内市. 枚岡 市の三市 が合併 し て. 人口47万3千 人の東大阪市が誕 生 し た。大阪府下では大阪市につ ぐ 規 模の市の誕生 と し て話 題をよんだ。 これら三市は. 歴史的に は名もなき在町や農村集落 が合併 を重ねて出来 たいわば非核 田 園 都市的な性格(注23) を共通に持 ていたことから. 昭和30年 代後半から本格化す る日 本経済の構造変化に伴 う大阪経済の膨張 と し ての工場進出や住宅 開 発が農道や田 畑 のあぜ 道に添って行なわれ. それらがそのまま生活道 路や産 業道路に変化するといった乱 開 発に 見舞 われていた。尼崎市や守口 市のような旧 城下町 や宿 場町といった歴史的核 を中心と し て発展 し てきた単核 都市と比較 し て, 都市と し ての体裁 や機 能が整 い難いという共通 し た地理的歴史的 制約 に直面 し て, 大阪市を媒 体と し ての関連性 と同質性にあ るという現状認識(注24) が生まれ. 三市間に行政 の広 域化による地域の均衡 ある発 展を達成するという選択が合併 という形となっ (注22) 工場数ベ ー ス では特化校区が 8 区もあ っ た布 施市が 製 造 品出荷額等ベ ー ス では 2 区に減少 し ている 。 それだけこの地域は零細な経営が 中心 となっ ていることを物語 っ ている 。他の二市は 特化校区数 に は 変化が ない。 (第1回 東大阪市 統計書 (昭和42 年) 小学校区産業別製 造 工業よ り罪出) (注2 3) 藤岡謙二郎著「 日本の都市その特質と地域的 問題点 」大明堂, 1968 年6月, p. 2 99-300 参 照。 (注2 4) 布施市勢調査委員会「市塾調査報告書 」1962 年2 月, 序説 参照。. ". ”. 大きいことはいいことだ. とす. る成長主義に基づく政 策判断 が地方行政や地域 振興に持ち込 まれた。たとえば, 関西に関 し て 言えば, 近畿囮整備本部の発足や近畿開 発促 進 協議 会の近畿 圏 総合計画 の提言, さらには関経 連 の「阪奈和合併 構想」 の発表等が昭和38年に 相次いだ。要するに, これを契機に人 口 規模や 財政規模の大小 が行政 能力の優劣, 強いては地 域経済の活力に係わ るとの 考え方を生んだこと は否めない事実 であった。 そ し て, 市町村合併 が全国的にみられ るようになったが, 大阪府で も, 府下 の広 域プ ロ ック化が話 題になった。 中 河内地域でもそ の 例 外 で は な く, 昭和37 年に は,. 東大阪都市合併 問題連 絡 協 議 会が 発足 し. た。八尾市や大東市が独 自 の道をと るなかで, 大阪府の強い要望 もあって, 布施市, 河内市, 枚岡 市の三市が, 紆 余曲 折 の後, 昭和4 2年の合 併 にまでこぎつけるが. その動機 は財政力の向 上という理由とともに, 特に期待が集まったの は中心核 をもたない三市にとっての大阪の副 都 心構想の実 現であった。 すなわち, これは昭和4 0年の近畿 囮整備計画 策定で登場 し てきた構想で, 当時の過密都市大 阪の機 能分散化計画の一 環 と し て盛 り込まれた 東大阪流 通副 都心の造成である。この大阪東部 の新都市核 の 形成問題は 東大阪 市域の まさに 顔づくり. ”. の格好の 材料となり,. そのための. 三市一 体での受け入れ体制の確立が急がれたの であった。 し かも, 合併 により, ― 市の対応で は限界のある問題を, 三市でのそれぞれの特色 を活か し た町作りのなかで対応するという方法. -43 ( 131)-.
(16) が選択 でき, 合 併 のメ リ ッ ト をこ とさら大きな. 工場 の協業)であろうと, 垂直 的な 結合 (エ程. ものにす るとの 考えも強調された。 こ の 考えは. 的関連)であろうと(注27) , 中小零細 企業 が多数. 一. 年後に. 政令指定都市 以外の地方自 治体. 集積 し てい る工業 地域は歴史的に形成された分. では当時と し てはまだ珍 し かった東大阪市 総合. 業 がもたらす 経済効 果に大きく依存 し ているだ. 計画の策 定のな かで(注25) , 都市 計画の土地利用. けに, 都市 計画的な 図 面上 のア イ デ ア や線引き. と し て具体. に直ちに左右され るものではな い。 とりわけ線. 合併. ". に関 し て, いわゆる 三 地帯構想. ”. 化 された。 こ れは三市 の特徴を生か し て, 旧 布. 引きの場合は地元 の利害と直接係わる点で地域. 施市域を商業 地域, 旧 河内 市域を工業 地域. 旧. の合意をえ る こ とは容易な こ とではな い。 たと. 枚岡市 域を住居 地域と し て用途 分け し よ うとす. えば, 誕 生当初の東大阪市の都市 と し ての発展. るものであった。 そ し て, そ こ で可 能とな る新. は, 副 都心計画や工場誘致 等の話 題が集中 し て. たな均衡は「地域的に集積 し てい る市域内 のエ. いる中地区での都市 計画的可 能性をどう実 現す. 場 . 特に西地区と東地区の工場を, 開発可 能地. るかに重要な ボ イ ン ト があったといえるが, 都. が比較的多く存在す る中地区に可 能な かぎり移. 市 計画が理想的に. 転 させ.. 集合化 し よ うとす る」(注26) な かで達成. ". 三 地帯構想. ”. を線引き し た. とはいえな い。 す な わち, 合併 前後の都市 計画 用途 地域における工業 適地を比較 し ても, 中地. し よ うと 考えていた。 とこ ろで, 特定の地区に水平的な 結合 (同種 図 3. 区での工業用地が大きく配 当された線引きとな. 東大阪市におけ る 工場数分 布 メ ッ シ ュ (企業種). ェ 亡コ な し. 巨 1 - 19 場 宙嘩20 - 39. 数巨祖腐霊. (注) 拙 日 本能率協会 「中小工業の地域環境改善に 関する 調査研究 」38頁 より引用。 (注2 5) 拙稿 : 地方行政の 新展開――計画行政と地域 別整備 計画一ー 「都市 研究 」1986 年3月, p. 111 参 照。 (注26) 衣本 ・ 浜田 : 東大阪市長期総合計画策定にお ける 地帯構想と工業構造の事例研究 「日本都市 学会 年報ーVol . 14 」1 980 年9月, p. 81。 - 44. っているが, そ れとともに西およ び 東地区でも 縮 小傾 向よ りもむ し ろ現状維持から拡大といえ (注2 7). C 132) -. 中 小零細企業の結合形態につい ては, 中 小企 業庁 ・ 全国商工会連合会 編 「小規模事業対策調 査報告書」 1968 年3月, p. 1 9 参 照。.
(17) る傾向 が読 み取 れる。 結 果的には, 工業用途 指. 地区を中心に 300m x 500m の区域内に100工場. 定は全市 的に押し広 がったといえる。 その事 実. 以上密集したところが22 ケ 所もあること. およ. を数値 的に把握しておこう。 昭和37年 2 月の東. び 工場分布 の密度が西から東へと濃淡の差がみ. 大阪市 域の 土地 利用 状況 は 市街 地面梢 2, 181. られるものの全市的に展開 していることを図 3. ha の内. 約 18,Slる に当たる 398 .3ha が工場地で. のメ ッシュ に描くこと ができる。. あった。 その内訳は布施地区の 191 .3ha , 中地 区の 148ha ,. 東地区の 59ha. しかし, 東大阪市は工業の立地には寛容 であ る都市ではなくなりつつあった。 都市化が進行. から 成ってい. た(注28) 。 昭和49年 1 月の 土地利用 状況によれ. し人口が集中して生活圏が広 がる過程で, 都市. ば. 市街 地面稽は 約 1 .4倍に拡大して 3, 1 1 2ha. における工場立 地は. 土地価格の高騰 , 用地の. となり . その内の約 21 % に当たる 646ha がエ. 不足. 交 通渋滞による原 材料や製品の搬 出入の. 場地 ( 1 6 2% 増)であった。 その内訳は西地区の. 不利化. 騒音 ・ 振 動 ・ 悪臭 • 汚獨 等による近隣. 321ha ( 168�る 増), 中地区の 225ha ( 1 5 2彩増).. との摩擦 等に直面して, 不 適合 化し始める。 し. 東地区の lOOha ( 1 69形増)から成り. 西および. かも, 旧 市時代の工場設置 奨 励 条 例 (布施市 ・. 東地区の工業 集積 の根強さが土地利用に投影し. 昭和38年) や工場 誘 致 条 例 (河内 市 ・ 昭和43. ているものと考 えられる。 そして, 西地区や中. 年) が廃止されるとともに, 「工場等制限法」. 表k 規模別工場数の増減. 総. 数. 1- 3 人 4- 9人 10- 29人 3 0- 99人 1 00-299人 3 00-999人 1 , 000人以上. (B) ― 凶. (B)昭和49年. 凶 昭和43年. °. 堡 (A). 4,7 67. 100 r. 8,3 69. 1 00%. 3, 602. 1.7 5 倍. 9 65 1,9 16 1,3 19 4 51 96 18 2. 2 0.2 4 0.2 27.7 9. 5 2. 0 0.4 0. 0. 3,2 07 3,3 18 1,3 86 3 63 78 15 2. 3 8.3 39. 6 16. 6 4.3 0.9 0.2 0. 0. 2,242 1, 4 02 67 △ 88 △ 18 △ 3. 3.32 1.73 1. 05 0. 80 0. 81 0. 83 1. 00. ( 注) 大阪府「工業統計調査結果表」より作成。 (昭和39年制定) , 「工場 再配置法」 (昭和 47年制. ゜. 場数が増 え, 逆 に, 30人以上の規模で減 少する. 定) , 「工場立地法」(昭和48年改定) , 東 大阪市. という コ ントラストが あざ やかに見 られた。 と. 公害防止条 例 (昭和48年制定)等の法 規制が加. くに 1 - 3 人規模での工場数の増加数が圧 倒 的. えられたから, 必然的に工場は都市から追 い出. に大きく,. 一. 4 - 9 人規模をふ くめた零細 工場の. 定の規模. 増加がすべ てといえるほどである(注29) 。 そして、. 以上を対 象としているために, 大きな規模 のエ. 中小から大企 業への成長過程にある 企 業 群 0). 場が市外に移転 しても, 小零細企業にとっては. 他府県への流出が顕著であった。その結果, 昭. いわゆる ザル法 と なっていた。 東 大阪 市域で. 和43年当時 4 - 29 人規模が東大阪工業の零 細 性. は, 前章でも指摘 したように, 小零細 工場は増. を代表していたが, それが昭和49年では 1 - 9. される。 ところで, これらの法律は. 加 し ているのである。表 K は合併直後の昭和43 年と昭和49年の規模 別 工場数の変化をみたもの. (注2 9). である。 その間に, 従業者29 人以下の規模でエ (注2 8). 前掲 「市勢調査報告書」 p. 197参照。 -45. C 133 ) �. したが って, 東大阪工業の把握の ために , 通 常, 工業統計表等各種の資料を利用で きるが , 4 人以上の事業所の統計数値とな っ て いるもの は, その意味で は利用価値に 大きな限界のある こ とに なる。.
図
関連したドキュメント
[r]
[r]
[r]
[r]
東京工業大学
桑原真二氏 ( 名大工 ) 、等等伊平氏 ( 名大核融合研 ) 、石橋 氏 ( 名大工 ) 神部 勉氏 ( 東大理 ) 、木田重夫氏 ( 京大数理研
東京工業大学
奥付の記載が西暦の場合にも、一貫性を考えて、 []付きで元号を付した。また、奥付等の数