南アフリカにおける電力政策と供給の課題 (特集
途上国のエネルギー政策)
著者
佐藤 千鶴子
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
195
ページ
39-42
発行年
2011-12
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004101
一.
南アフリカにおける電力
供給源
南アフリカの主たる電力源は石 炭による火力発電と原子力発電で ある ︵図︶ 。一九世紀末にダイヤ モンドと金が発見されて以来、南 アフリカ経済は鉱物資源の採掘と 掘り出した鉱物資源の精錬加工を 行う産業を軸に発展してきたが 、 鉱工業に必要な動力源を提供した のが石炭であった。ダイヤモンド 鉱山のあるキンバリーは世界でも いち早く電気が使用されるように なった街として知られ、街灯の電 化はイギリス・ロンドンよりも早 い一八八二年に行われた。安価で 豊富な電力供給に支えられた南ア フリカの鉱物資源採掘・精錬加工 業は﹁鉱物・エネルギー複合﹂と して知られる︵参考文献①︶ 。 石炭は二一世紀初頭の現在でも 南アフリカの一次エネルギーの六 五・七 % 、二次エネルギーである 電力の九一・七 % を供給している ︵二〇〇六年︶ 。推定四八〇億トン とされる石炭埋蔵量は世界の総埋 蔵量の五・七 % を占め、中国、ア メリカ、インド、ロシア、オース トラリアに次いで六番目に多い 。 南アフリカで産出される石炭の多 くは燃やした時に灰になる部分が 多く燃焼率の悪い低品質の石炭で あるものの、装置の腐食などを引 き起こす硫黄の含有率が低く、石 炭層が地下の比較的浅いところに 厚い層となって存在しているため 採掘コストが安いという利点を 持っている︵参考文献②︶ 。 石炭による火力発電に次いで重 要な電力源が原子力発電である 。 南アフリカの原子力発電所はケー プタウンから三〇キロほど北の コーバーグにあり、フランスの会 社が建設した二基の加圧水型軽水 炉が一九八四年と八五年から操業 している。豊富な石炭を用いた火 力発電によって安く電力を供給で きる同国が初期費用の高い原発を 建設した背景には、原子力の平和 的利用を打ち出すことで、国民党 政権による原子力爆弾の開発製造 をカモフラージュしようとする意 図があった︵参考文献③︶ 。 南アフリカでは金鉱山の副産物 として一九世紀末からウランが産 出されていたが、当初は使い道が なく廃棄されていた。ところが冷 戦の開始と共に核兵器開発競争が 始まると、南アフリカはアメリカ とイギリスへのウラン供給源と なった。一九七〇年代半ばから南 アフリカ自身も核兵器製造に乗り 出し、一九八九年までに六基の原 子力爆弾を製造した。しかし民主 化直前の一九九三年、当時のデク ラーク大統領が原爆の製造と廃棄 を明らかにし、 同国は世界で唯一、 自主的に原爆を廃棄した国となっ た。 風力や太陽光などを利用した発 電については二〇〇三年に﹃再生 可能エネルギー白書﹄ が発表され、 いくつかのプロジェクトが開始さ れたものの、国内の電力供給源と してこれらのエネルギーが占める 割合は、現在、ごくわずかな数値 に留まっている。また、雨量の乏 しい南アフリカでは国内で大規模 な水力発電を行うことが難しく 、 水力発電の割合も小さい。二.
民主化後の電化の拡大︱
供給過剰から不足へ
現在、南アフリカの発電量の九 五 % を担っているのが電力公社エ スコムである。エスコムは、一九 二二年電力法に基づき翌年に設立 された電力供給委員会を前身とし ︵一九八七年に電力公社エスコム に改称︶ 、豊富な石炭を原料に電 気を安く提供することで、同国に おける鉱工業の発展を援助してき その他 1.7% 石炭火力 91.7% 原子力 4.2% 水力 2.4% 図 南アフリカの電力供給源(2006年) (出所)参考文献②より筆者作成。途
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た。一九六〇年代には高い経済成 長率を記録したことで電力不足が 懸念されるようになり大規模な火 力発電所の建設が相次いで開始さ れた。一九八〇年代後半には成長 が鈍化したものの、すでに建設を 開始していた発電所の建設を止め ることはできなかったため、一九 九〇年代初頭の民主化直前には南 アフリカの発電所は国内需要をは るかに凌ぐ電力供給能力を持つこ とになった。 過剰能力を持つことによって南 アフリカでは電気代が安く抑えら れていた 。同国エネルギー省の ウェブサイトによれば、南アフリ カは現在でも世界で電気代がもっ とも安い上位四カ国に入る。しか しながら、二一世紀を迎える頃に は電力需要の拡大により、南アフ リカの電力は供給過剰から不足の 時代へと突入した。 民主化後の電力需要の拡大は工 業部門︵鉱業含︶を中心に起こっ てきたが、政府が開始したタウン シップ︵旧黒人都市居住区︶や農 村の貧困世帯の電化事業による電 力供給の拡大も影響を及ぼしてい る。一般世帯による電力の消費割 合は、一九八二年から二〇〇〇年 代前半まではほぼ一貫して総消費 量の一五 % 程度であったが、二〇 〇六年には二〇 % まで増加した 。 絶対値で見た場合、一般世帯によ る電力の総消費量は一九八〇年代 と比較して二〇〇〇年代半ばには 五〇 % 以上も増加している︵参考 文献⑤︶ 。 タウ ン シ ッ プ や農 村 地 域 の 電 化 事業 は エ ス コ ム に よ っ て 一 九 八 〇 年代後半 に 開 始 さ れ た が 、 本格的 に実 施され る ように な っ た の は ア パル トヘイ ト 撤 廃 後 で あ る 。 一 九 九〇年 の 南 ア フ リ カ の 電化率 ︵ 送 電網 に 繋 が っ て い る世帯 の 割合︶ はわ ず か 三 一 % に す ぎ なか っ た 。 九四 年の民 主 化 後 、 全 国 電 化 事 業 のもと で 全 国 の電 化 率 は 六 八 % ︵二 〇 〇 二年 ︶、 七三 % ︵ 二 〇 〇 六 年︶ 、 七 四 ・ 九 % ︵ 二 〇 〇 九年︶ へ と増 加し 、 一 九 九 四∼ 二 〇 〇 九 年 に全国 で 四九 〇万 世 帯 が電 気 を 使 える よ う に な っ た ︵ 参 考 文 献 ② ︶。 しかし、都市と農村の間では電 化率に著しい開きがある。データ が入手可能な二〇〇二年の時点 で、都市の電化率が八〇 % である のに対し、農村の電化率はわずか 五〇 % に留まっている。 とはいえ、 農村の電化率は非常に低いレベル ︵二一 % 一九九五年︶から開始 しているため、送電網の敷設とい う点では都市︵七六 % 一九九五 年︶よりも農村で事業が進められ てきたことがわかる。逆に都市世 帯の電化率が増加しないのは、人 口流入によって都市の世帯数が増 加していることや、低所得者向け の住宅建設事業が遅れているこ と、 約三〇〇ラント︵五〇米ドル︶ の送電網接続料が支払えないこと などが関係していると指摘されて いる︵参考文献④︶ 。 農村の電化率を巡っては、地形 上の問題や道路などインフラの欠 如、人口密度が非常に低い等の理 由により、送電網の敷設を通じた 電化をさらに進める際の費用が非 常に高くつくという問題がある 。 そのため、一九九九年に政府は送 電網の敷設を伴わない農村電化事 業も開始した。これは全国で六つ の農村地域を対象に、最大出力五 〇ワットの電力を供給する太陽光 パネルの設置を推奨する事業であ る。政府が太陽光パネルの設置に 対して補助金 ︵三五〇〇ラント︶ を支払う代わりに、利用者は一〇 〇ラントの接続料と毎月約五八ラ ントの維持費を支払うことが求め られる。最大出力量五〇ワットの 電力で照明器具四つ、 ラジオ一台、 白黒テレビ一台分の電源がまかな われるとされ、毎月およそ六キロ ワット時の電力が消費できると推 定されている︵参考文献④︶ 。
三.電気代支払い能力の問題
民主化後、南アフリカの電化率 は急速に拡大したものの、世帯に よる電力消費量は政府が予想した ほど伸びなかった。政府は一世帯 の平均的な月額電気使用量を三五 〇キロワット時と見積もっていた が、実際には一〇〇∼一五〇キロ ワット時の使用量にすぎなかっ た。電気は照明器具、ラジオやテ レビ、調理の際に部分的に使用さ れるだけで、電化された世帯の多 くが調理や暖房、お湯を沸かす際 には薪や石炭、灯油ランプなどの 燃料源を使用し続けていることが 報告されている︵参考文献④︶ 。 月額電気使用量の低さは、人々 の電気代支払い能力と関係してい る。二〇〇〇年代初頭には電気代 が支払えないために、タウンシッ プで電気の供給を止められてしま う世帯が続出した。二〇〇一年に はジョハネスバーグの南西部に位 置するソウェト・タウンシップだ けで毎月二万世帯の電気が止めら れたという 。電気代の不払いを 巡っては、一九八〇年代のタウン シップにおいて家賃や公共料金を 不払いすることが国民党政権に対 する抗議行動として活発に行われ ていた歴史的背景を指摘する意見 もある。実際に、二〇〇〇年代には強制的な電気の供給停止に対す る抗議行動が活発に起こっている が、 今日の抗議行動については ﹁不 払いの文化﹂よりも払いたくても 払えないという支払能力の事実上 の欠如のほうがおそらく説得力の ある説明であろう︵参考文献⑤︶ 。 電化のメリットを享受し、貧困 層が生活に必要な電気を実際に使 用できるようにするため、二〇〇 一年に政府は送電網に繋がってい る貧困世帯に対して、毎月五〇キ ロワット時の電力を無料で提供す る制度︵電力基本支援サービス料 率、ライフライン料率などと呼ば れる︶を導入した。この分量は一 世帯が一カ月に使用する照明、ア イロン、給湯、テレビ、ラジオの 電気代をまかなうのに十分な量で あると政府やエスコムは主張して いるものの、月額五〇キロワット 時が貧困層の生活にとって十分な 量かどうかを巡っては批判的な意 見も多い。 電力基本支援サービス料率は中 央政府が枠組みを定めた政策であ るが、実際に運用するのはエスコ ムから電力を購入して各世帯に売 却する業務を担っている地方自治 体であるため、自治体ごとに政策 の実施内容に若干の違いが出てい る。たとえば、中央政府の政策は 月額五〇キロワット時まで無料と しているが、地方自治体によって は二〇∼五〇キロワット時の間で 中央政府の定めた値よりも少ない 量のみを無料としているところも ある。また、貧困世帯を抽出して 実施することが現実的には困難で あるため、全世帯を対象に実施し ている自治体もある。 この制度の貧困世帯への効果に ついては積極的な効果を述べた研 究がいくつか出ている。 たとえば、 ケープタウンの貧しい地区で実施 された研究は、この制度が導入さ れた後、世帯ごとの平均的な月額 電力消費量が三〇∼三五キロワッ ト時増加したとしている。増加分 によって、以前は照明を付けてい なかった部屋に照明を付けるよう になった世帯や、持っていたのに 使っていなかった電化製品を使用 するようになった世帯がいると報 告されている︵参考文献④︶ 。 その 一 方 で 、 南 ア フ リ カで は 電 気の 購 入 に関 し て 前 払 い制 が 新 た に導 入された こ と で事 実 上 、 電 気 が使 用できなく な っ た 人々も い る。 プリペ イ ド用 の電 気 メ ーターが設 置さ れ た 家 で は 、 必要な分 だ け の電 気 代 を 前 払 い で 購 入 し 、 支 払っ た 分 だ け 電 気 を 使 用 す る こ と がで き る 。 エ ス コ ム と 地 方 自 治 体 はプ リ ペ イ ド 用 の 電気メ ー タ ー の 設置を 積 極的 に 推 進 し て い る が 、 その 理 由 と し て プ リ ペ イ ド 方 式 の 導入 に よ っ て 、 電 気代 の 回 収 業 務 や 電 気 の 強制的な 供給停止 ・ 再開 業 務 に伴 う コ ス ト を減 らす こ と が できる 点 が 挙 げ ら れる ︵ 参 考 文 献 ⑤︶ 。 し か し な が ら 、 前払 い 制 の 導 入 に よ っ て 支払能力 の な い 世帯 は 自 発 的に電 気 を 使 わ なくな る た め、 貧 困 世 帯 に 電 化 の メ リ ッ ト を 拡大す る 社会事業 と し て の 性格 は 後退 し て し ま っ た と 言 え る 。
四.
電力不足の顕在化と南アフリ カ政府の電力供給拡大政策 一九九〇年代初頭には電力が 余っていた南アフリカであるが 、 民主化後の電力需要の拡大によ り、二〇〇〇年代半ばから断続的 に停電が発生するようになった 。 二〇〇五年後半∼〇六年初頭にか けて、ケープタウンを含むいくつ かの地域で停電が断続的に起こっ た時が白人都市住民や産業界が電 力不足を現実的な﹁危機﹂として 受けとめざるを得なくなった最初 の出来事であった。二年後の二〇 〇七年末には電力供給能力三万八 〇〇メガワットに対して、ピーク 時の最大電力消費量が三万二〇〇 〇メガワットとなり、翌年初頭に は全国規模で計画停電を実施せざ るを得ない状況となった︵参考文 献⑤、⑥︶ 。 深刻 な 電 力 不 足 に 直 面 し た エ ス コム は 、 一 九 九 〇 年 代 初 頭 に 運 転 を停 止 し た 三 つ の 火 力 発 電 所 の 再 開に加え 、 二 つ の 大 規 模 な 石 炭 火 力発電 所 ︵ メ ド ゥ ピ 発 電 所 、 ク シ レ発 電 所 ︶ の 建 設 を中 心とす る 電 力イ ン フ ラ の 整備と拡 張 計 画を発 表し 、 現 在 、 建 設 を進め て い る 。 他方 で 、 南 ア フ リ カ 政 府 は 二 酸 化 炭素 の 排 出 量 を 削 減 す る た め 、 二 〇三 〇 年 ま で に石 炭に よ る 火 力 発 電の 割 合 を四 八 % まで 減 ら し 、 代 わり に 再 生可 能 エ ネ ル ギー ︵ 風 力 、 太陽光︶ に よ る 電 力供給を 一 六 % まで 増 加 、 原 子 力 に つ い て も 現 在 の五 % 未 満 か ら 一 四 % まで 増 加 す る ﹃統合資源計 画﹄ を 二 〇 一 一 年 三 月 に 承 認 し た ︵ 参考文献⑦︶ 。 南 ア フ リカは 高 温 ガ ス炉の 一 種であるペ ブルベ ッ ド 型 モ ジ ュ ー ル 炉 の開 発 を独 自 に 進め て い たが 、 当 初 の 計 画を は る か に 上 回 る 時 間と 予 算 が かか っ て い る こ と から 二 〇 一 〇 年に 開発事業 の 中 止 を 発表 し て お り 、 これ か ら 建 設 が 予 定 さ れて い る 原 発は コ ー バ ー グと 同じ加圧 水 型 軽 水炉 と な る 模 様 で あ る 。 南アフリカ政府の電力供給拡大 政策を考えるうえでは、エスコム南アフリカにおける電力政策と供給の課題
の南部アフリカ展開も見逃せな い。すでに一九九五年に﹁南部ア フリカ電力プール﹂という超国家 的な枠組みが南部アフリカ諸国の 電力会社によって結成されてお り、送電網を繋ぐことで加盟国間 で電力の売買が行われている。さ らに、民主化直後からエスコムは 南部アフリカ地域を中心にアフリ カ大陸の電化事業に積極的に進出 しており、現在、アフリカ大陸に おける電力供給の半分以上を担う までとなっている。国外の発電設 備への投資は、当該国での電力供 給のみならず、将来的に南アフリ カに電力を供給するという目的も 兼ね併せているようである。