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労災保険の「業務上」について

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労災保険の﹁業務上﹂について 六〇

労災保険の﹁業務上﹂について

西

一  労辛気労功基準局労災補償課の労災保険事業月報、昭和二八年一〇同号によれば、認識の事業概況は次のごとくであ る。すなわち、適用事業場数は四一三、三〇三件、適用労彷者数八、六六八、九四二人、保険料徴収決定額は三五四、〇六五 千円、保険料収納額、五三〇、一五一千円で、補償費支払額は一三八、三一五件、 一、二二二、二七八千円となっておう、こ れを各補償費別にみると、療養補償費八二、三五六件、二八六、四〇〇千円、休業袖償費四九、六六〇件、二七三、三二一千 円、障害補償費五、三〇四件、四三一、OO六千円、逡族補償費四八六件、二〇二、四五四千円、葬室料四七二件、 =一、一 九四千円、打切補償費三七件、 一六、九〇〇千円となる。叉囚月−一〇月の補償費総額は七、四五四、八四一千円で、二七 年の同期に比べて一、〇六八、九四六千円︵一二%︶の塘加を結果している。  ﹁賠償義務を生ぜしむるものは損害にあら署して過失なり﹂とは旨Φ﹁冒四の言葉であるが、過失なければ損害賠償の 一任なし︵過失主義℃﹃ぎNぜ畠。﹃〇三づpず曽津§ぬ︶とはローマ法の大原則であり、産業の近代化のはじめにおいては、工 場などの災害にたいしてもこのローマ法の原期、故意・過失がなければ何ら工場+二は責任を追及されることはなかった。

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わが民法も第七〇九条で﹁故意又は懸垂に懸りて他人の権利を侵害したる者は之に囚りて生じたる損害を賠償する責に任       ①      一 す﹂と規定し過失主義をとっている。大企業の発達とともに過失主義は全く不公平な結果となり、いわゆる無過失責任主 義︵菊﹃ぢN号島。﹃囚ロ。窟ω巴。αo門国鳳。薦昌昌鴇ゴ緯霊コ讐回国h葺”臓。ぎΦ<①﹁9ゴ三自①昌︶の理論が生じ、或いは危険な施設の 所有者はこれから生する損害については責任を負うべしとする危険責任︵Ω①篤雲雨ロ蕩7鋒け葺鵬︶、或いは、大きな利益の 帰するところには損失もまた帰せしむべきであるとする報償責任 ︵国ρ巳く鉱①pN實ぎN首︶その他喜々の学業が唱えられ、 立法もまた一は企業の内部に萢する無下失筆録として、 一は企業の外部に対する無過失責任として発展していったが、し        孕 かし、過失責任毛義か、無過失責任主義かの何れが諸国の立法、殊に民事法において原則かと云えばやはり過失責任主義        ② であり、ソヴィト・ロシア民法も伺過失責任主義と無過失責任主義を併存する立場にあるもの、ようである。  こ、で取りあつかうのは勿論企業内の無過失責任についてぜある。労彷者が工場で災害にか、つたとき過失宅義の立場 では、 いかに労老者が救われ得ないかは一般に読かれるように次のことを考えれば充分に理解できる。先ず何よりも使 用者に過失がなければ,労傍者は何らの責任を使用者にとうことができないのである。同僚などの過失で災害を受けて も、それは使用者の何らの過失でないのだから、その同僚に賠償請求するはともかく、使用者からは何らの賠償を受け得 ないのである。叉かりに使用者に監製があったとしても、賠償を請求するのは裁判所を通してゴなければならない。処が 訴訟手続は極めて煩雑で到底素人の手におえるものではない。とすると弁護士に依頼することになるがそれには相当な費 用を要する。そして使用蓉は充分な費用を用いて老練な弁護士によって対抗するであろうから訴訟は長びかざるを得な い。生活に追われ、而も災害のため取入の途のとだえた労孤客にとっては到底そんな悠長な裁判に堪えられるものでな い。これが労仇者には一番つらいところでその結果は今までも非常に不利な条件で知解と云う憂周をみたのである。更に 使用者の過失を証明せなければならぬが、叉労惑者の受けた損害の額を証明せなければならないが、このことは極めて困      労保災険の﹁業務上﹂について      六一 ’

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     労災保険の﹁業務上﹂について      六二 難で且つ裁判の結果、はたしてどの位の賠償が得られるかも不明であってみれば過失主義のもとではほとんど、否全く救       ③ 済の道はとざされているといってもよい。 ﹁或種の大工場に於ては、死傷潜に対する扶助の方法備わり、或は、 一定の扶 助規則を定め、或は、病傷共済組合の如き仕組を設け、生時より工業主及職工に於て飾金を為し以て不時の用に供するも のあり。然れども此等の工場中遺憾寡く其の実績を挙げたる所は鮮少なるが如し。而して大多数の工場は何等の方法をも 設くることなく、事あるに当り、工場主より多少の扶助金を支出し、同時に職工中よりも亦醸金して少額の金額を給与す るを例とす。其の金額は即死或は寛大なる負傷に対しても通常一一・三十円,多きは五・六十円を出でざる実況なり。叉業 務上の疾病に関しては、寄宿舎に対しては、大抵治療を受けしむるも、通勤者に対しては、疾病扶助の事例殆ど心なし。 稀に附腸の医局を設けたる工場に於で、通勤者に対し無料診察及廉価の薬剤を給するものあるを見るのみ。紡績工場に於 ては、寄宿含の治療費を工場主より支緋するもの少からざるも、其の他の工場に重ては概して無給の徒弟に湿ては工場主 治療費を負担するも、普通の職工に付ては、賃金中より漸次実費を跡寓せしむ。尤も疾病の長きに亙る者、若は其の重き 者は国元に途還するを常とす。其の途還に付ては相当の手続を尽す者あるも、其の多くは無責任極まるを常とす。叉寄宿 舎に於て死亡したる者の埋葬其の他の取扱は動もすれば酷薄と看徹すべき場合なきに非す﹂とは黒身氏が工場法論中の言 ④ 葉であるが過失生義のもとでの労彷者の悲惨なるを如実に示すものと云えよう。  資本主義の発蓬に俘うこのような労彷者の悲惨さは資本主義の法的支桂である過失主義を絶対的なものとしておくこと を許さなかった。法の上でそれが無過失責任主義として展開して来たことは葺きに述べたが、企業の内部に対する無過失 責任たる災害補償は、社会主義仁心法︵ωoN巨凶ω冨昌筑①ωo冒︶が﹁糠に釘﹂であったのに対し﹁鞭と飴﹂としてビスマルク により、社会保険の姿でドイツに現われた。それは﹁鎭圧の枠のなかでの救済﹂であれ﹁社会保険立法は、社会主義禁止 法の効果を緩和しようとするものではなく、むしろ、現存秩序を覆さんとする政党にくみづるにいたっていないプロレタ ●

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リアートの人々一また大部分のプロレタリアートはそうであったi−をば古き王の忠実な臣民たらしめると共に、現存       ⑤ 社会秩序の下にこれを手なづけておこうとするものであったにせよ。﹂  社会保険︵QりoN凶鎗︿Φ誘ざび①﹁ロロ空ωoo凶曽一当ω霞鎗8①二.窃ω葺碧。①ω8訂冨︶と云う言葉はフランスではじめて用いられ たもので、ドイツでは最初は労彷者保険︵﹀﹃ぴ①凶け①︿O﹃の凶070婦⊆一Pぴq︶であった。法制上、ドイツ国立保険︵閑①凶。げω<①触ω凶。び①〒 §頴︶に統合されたときもなお労三者保険であった。老妻。震≦o黄教授は﹁留N暴く鐙忽。げ①毎ロ9qと云う言葉は学者の作        ⑥ つたもので、これが一般に使用されるに至ったのは第一次大戦以後のことである﹂といっている。処で一般に社会保険の 分類では、業務災害と然らざる災害とを区別し、業務災害の補償を保険しているのを災害保険︵窪h餌一一くO﹁ω凶OずO﹁上口騎︶と 云い、英米流では労勿者災害補償保険法︵≦o鼻繋。ロ.ωOoヨ需ロω讐凶。塁砦ω弩碧8︶と呼び疾病保険︵彫工ロ犀。ロ︿o邑。ずΦ雫 舞v・英米流では健康保険︵ずO拶開けゴ一昼霞OμO①︶︾区別しいる吻駈の重賞は﹁霧﹂異興するかξつかにか≧・わ がくにでも工場法︵第一五条、、鉱業注︵第八○条︶、労演者災害扶助法︵第二条︶で夫々災害扶助として使用者の災害補 ●償 `務が定められ、そららのために、労連者災害扶助責任保険法が立法されていたのであるが、戦後、労彷基準法の成る        ⑧ に至って、労彷者災害補償保険法が立法されたのである。労彷者災害扶助法皇二条か﹁皐業主は勅令の定むる所に依b労 彷者が業務上負傷し、疾病に罹り、叉は死亡したる場合において本人叉は其の選定若は木入の死亡当時其の導入に依り生 計を維持滋たる者を扶助すべし﹂と規定し、労縁者災害扶助責任保険注第二条が﹁労仇者災害扶助責任保険に於ては労三 者災害扶助渉、工場法又は鉱業法に基く扶助責任を保険するものとす﹂と規定するのが戦前のそれであり、労彷基準法第 七五条が﹁労”傍者が業務上負傷し、叉は疾病にか、つた場合においては、使用者は、その費用で必要な療養を行い、叉は 必要な療養の費用を負担しなければならない﹂と規定し、労三者災害補償保険法第一条が﹁労功者災害補償保険は、業務 上の事由による労勿者の負傷、疾病、痩魚群は死亡に対して迅速且つ公正な保護をするため、災害補償を行い、併せて、      労災保険の﹁業務上﹂について       六三   .

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     労災保険の﹁業務上﹂について       六四  . 労彷者の福祉に必要な施設をなすことを目的とする﹂と云うのがそれに当る。  仁慈基準墨第七八条には﹁労功者が箪大な過矢によって業務上負傷し、叉は疾病にか、り、且つ使用者がその過失につい て行政官庁の認定を受けた場合においては、休業補償、叉は障害補償を行わなくてもよい﹂︵尤も軍隠現があっても、療養補 償、遣族補償、葬祭料などを支払わねばならない︶と云い、労功者災害袖償保険法第一九条には﹁故意叉は冷温な過失によって、 保険加入者が補償の原因である事故を発生させたとき、叉は労三者が、業務上負傷し、若しくは疾病に罹ったときは、政 府は、保険給付の全部又は一部を支給しないことができる﹂とあって、軍過失の場合の免責を規定している。そこで実際 上の問題として﹁業務上﹂と﹁至大な過失﹂とはいつ窪い何を云うのかが切実な問題となるのである。なお第一八条にも .﹁保険加入者く使用者のことVが、故意叉は重大な過失によって、保険料の納付を怠ったときは、政府は、その納付を怠っ た事莱について、その納付を怠った期陶中に生じた事故に対する保険給付の全部湖北一部を支給しないことができる﹂と あるが、保険加入者たる事業主の怠納のため労虚者が保険給付を受けられないと云うのは、第一九条の前文、すなわち保 険加入者の故意叉は重過失による事故発生のために燈影者が保険給付を受けられないこと、ともに立法論としてきわめて 不当であることは云うまでもない。ちなみにソヴィエート豊幌法第一七九条は﹁企業、営造物、経済体及個人に於て其の 支払うべき保険料︵第一七八条︶を支払わざる場合に於ても其の中に就業する雇傭労仇者は本労彷注第一七六条及以下各 条に規定する総ての手当を受くるの権利を如何なる程度に於ても奪わる、ことなし﹂と規定し労仇者を保護している。 ①

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過失主義、無過失責任問題の詳細については、岡松博士﹁無過失損害賠償責任論﹂、石本博士﹁民事責任論﹂。なお、宋川博士﹁権利 侵害論﹂ 岡松博士前褐書申の我妻教授の序 参照。 民法の不法行為の観念は、個人が過失によって他人の権利を侵害することを要件としている︵幽幽〇九条︶が、災害補償との関係で ます問題になるのは﹁渦失﹂の観念である。なぜかというと、災害の場合に使用老の毒忌が証朋できれば、民法上の不法行為とし

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⑧ て、労傍者は使用者に向って、災害の結果としての死傷病で受けた災害の賠償を求めることができるわけであスけれども、使用者の 主観的な過失を証明することは、多くの場台、不可能に近く、従ってし不法行為を理出としζ、災害の被害者としての労彷者を救洛 する道は、ほとんどない。  かりに、使用者の命毛を証明できたとしても、昆法上の権利は、裁判所をとおして、実現されるのであるから、訴訟︾提起してこ れを請求するほかないが、訴訟は通常時日が永くか∼つて、災害の犠牲になった労仇者の救濱には聞にあわない。第三に、不法行為 を理由に揖害賠償を請求するためには,被害者が自分の受けた損害の額を証明しなけ“ばならない。しか一、正確に巨霊を算定する. ことは非常に囲難なのでb損害賠償としてどの位の金額が貰えるか不明確であり、従って労功者は不安を感ぜざるを得ないのであ る。吾妻光俊教授﹁労仇法﹂ 二二四頁Q 岡実氏﹁工場法論﹂ 二五〇一一頁。 益虫保険の系譜と理論については、近藤交二﹁社会保険﹂、大林良一﹁赴会保険﹂、清水玄﹁労功保険と社会保障﹂、松本浩太郎﹁赴 会保険と社会保障し、内野仙﹁郎﹁各国の社会保険展望﹂同﹁各国の国会保陣制度﹂、森荘三郎﹁社会保険論﹂、未高信﹁薪会保険の 本質など。 大林教授前掲書 ︸○頁以下に詳しい。 業務災害の原則︵冨︻、ユgぜ⑳畠:9=の︻︾門。3甕2葺・ご同、身。ぢδoh9。壱銭。閣並﹃葬︶が優位を占める労伽災害保険は社会保険で ないとの考えはフランスに︸般的である。二九三〇年施行された仏蘭西の出会保険もこの方向を指しており,又現時有力な米国学 者の閻にも行なわれている。ドゾトは、労二者災害補償の費用を産業に賦課することは、他の型の赴会保険と結合し︵行わるべきで はない。労看者災害補償は淺業の義務たるべきものであって、社会保険の他の型は、もし行われるとすれば、それは社会の責任によ り行われるものであり、産業はその言言の中の一部を占めるにすぎない︵一︶o伍︹二﹀︵ぎ二=謬再鋤匡9一〇州づ6﹃心算巴読09昌℃o昌整諏05亨 。。│︶と述べているのは、必ずしも翻心者災害補償保険を除外せんとするものではないが、::妊会保険内部に一線を劃せんとするも のである。米国においてはと旨訂卸ζ。墨画。言。薫その他有力な学者がドノトに賛成している。■大林教授前掲書 七五頁参照。 工場法第﹁五条﹁工場主は勅令の定むる所に依り職工が業務上負傷し、疾病駕罹り、又は死亡したる場合において本人又は其の語族 若くは本人の死亡当時其の牧入に依り生計を維拮したる者を扶助すべし﹂ 労災保険の﹁業務上﹂について 六五 ●

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     労災保険の﹁業務上﹂について       六六      ︸  災害補償についての諸国の有無を年代順に並べると次のごとくなる。︵⇔ヴ=自Φ笛μo︷昏①蝦μ津①甑ωけ辞。ωo囲冨び。鴇ω追口ω・ 二〇ω●Z9嵩①U・Hω卜。︶。尤もイタリーでは一八七九年に下院に声韻せられてある由。 Germany 一 Au8とria  − Norway 一 Finland 一一一一 Great Britain L一一 Denmark 一 ltaly 一一・ Spain 一 New Zealnnd 一 Sonth Australia 一一一 Nether lands 一 Greece 一一一 Sweden H “’es’.ern IJuxenburg 一 Britisli (Jolumbia 一 1〈ussia 一一 Belgluin 一一一 Anstralia 一 190 1884 188Pt 1894 1895 1897 ユ898  e t900  tl  t1 19. 01  tl  11    2  tl  t1 1903  tl Cape of Good Hope−/9, 05

Queensland 一 e

Ven ezuela 一 1906 Mexico−Nuevo Le}on一 ij Hun .nyary 一 19, 07

Transyal 一 il

Ne}v foundland 一一一一 1909 Alberta 一一一一 tl Quebec 一一・ 1909, Nova Scotia 一 1910 Liechtenstein 一一一・ e

Serbia 一 il

New South Wales 一一一 e ’raSnlan量∼し一      1911

Peru一 e

Montenegro 一 t2

Japan 一一一 ii

Romania 一 19t 12 Por七ga1 一一         ユ913 一 謄  今日もはや巧妙に資本家を弁護したアダム・スミス経済学の説く﹁特別危険に対する特別賃金﹂︵⑦概論鋤◎響く隔。﹃o×嘗”       ⑨ ユω犀︶から企業者責任を否定するものはない。  ﹁労務上﹂か否かについては、かつて英国の労彷者災害補償法における補償請求権の成立要件として大いに論ぜられたと ころである。すなわち補償法では、事実に関する要件として、1 労害者に身的傷害︵OΦ議。β艶貯旨遷︶が生じたるこ と 2 身的傷害が災厄︵勉ooご。鼻︶に起因したること 3 災厄の生じたる業務︵08℃δ旨謬㊦暮︶が法の規定する範囲 内のものたりしこと 4 災厄が業務から且つ業務中に︵o暮︵瀧食。p山霧夢①oo仁門の①o当無。①ヨ豆。︽∋①暮︶生じたるこ と の四事実の存在が要求せられ、その定.義の解釈をめぐって鬼大な勃例法を形成している。概ねそれは成る重く労彷者 に有利なごとく解釈せられているもの、ようであるが、しかし一九二九年英国の労彷組合総会︵↓・q・O・︶は﹁業務から σ

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且つ業務申﹂を﹁業務に関し﹂︵ぽ。§8瓢。口夏雲げ昏Φoヨロδくヨ。碁︶に改めよと決議している程である。英国のそれ らについては水島密之亮教授の詳紬な研究﹁英国に於ける労仇災厄賠償制度の研究﹂があるのでこ、にはた弱﹁業務上﹂       ⑩ は労初者災害補償について大き問題点であったことだけを云うに止める。  わがくにでも工場法以来この問題に関して彪大な解釈例規ができ個々の問題にそれぐ解答が与えられているのである が、いろく矛盾もあるようである。事件があると基準監督官は先ずこの解釈例規を見、事件をこれにあてはめて解釈す るだけのようであるが、しかしこれではなんとも不充分で理論による根拠づけが急く要請されるのである。 .はじめに、この問題を理論的に解明された吾妻教授の読についてみよう。教授は﹁扶助の制度は⋮⋮近代法原理の側か らこれを慕礎づけることは1主として不法行為理論に於ける過失主義の原則の故にi・困難であり、かの無過失責任の 理論も充分な基礎づけに成功していない。そしてその所以は、補償の制度の労仇法的意義が充分に把握されなかったため だと考える﹂として﹁企業危険は不二手段と労功力との統合するところに生するQしかも生産手段と結びつけられる労門 魔は、生産手段の支配事たる使用者の側からのコントロールに服し、またコントロールに服することに於て、生産手段と 結合せしめられる。従って生葎手段の側から労勿力に戴して生起する危険は、生庵手段との結合へとコントロールされる 労二項に対する危険であって、労勿力一般に対する危険︵⋮⋮︶ではない﹂ ﹁従って、この危険が現実化した以上、生産 手段の支配をとおして労行力をコントロールする地位にある使用者は、傷つけられた労彷力に対して、その原因を与えた ものとして、少なくrとも労傍力の価値減少ないし喪失に対して、密議を負担すべきものである﹂ ﹁右の理論によれば、い わゆる業務上の災害に対してのみ使用者が責任を負担し、また、労仇者側の悪一意・鍍過失の場合にその責任を薫れる根拠 があきらかとなる。即ち、業務上とは使用者側のコントロレルの寡聞的・内容的な幅を示し悪意・重過失は単に被害につ いてのそれではなく、むしろ使用者のコントロールの範囲内を逸脱するについての悪意・重過失を意味するものと解せら      労災保険の﹁業務上﹂について       六七

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     労災保険の﹁業務上﹂について      六八 れる﹂ ﹁補償を二業力に対するものとして観念することは、その補償が賃金と比例する点についてもあらわれる。 つま り、それは、労功力の現実的な価値の暴準となる賃金を計算の基礎とする点に於て,単なる生活保障の思想を越え、労彷 力に対する補償としての性格を示すものと考えられる﹂と云う立場から、 ﹁たとえば補償についての行政解釈は、会社の 主催する運動会での事故や、記念行事中の会社支給の緋当の中毒などを業務上の災害としている。⋮⋮私の覆えでは、危 険が生産手段乃至労仇力のコンー・ロールの場面で生するとしても、それがきわめて異常な事例である場合には、たとえ業 務上の災害であっても、使用者に責任を負担せしめることには疑問を持つのである。この意味で上記二例はたしかにその いすれの場合にも、雇主のコントロールの下に行われた行事であるという意味で業務とはいえるにしても、怪我や、料理        ⑪ 申毒を通常の危険として観念出来ない以上、問題は不法行為理論の領域に移さるべきではないかと考える﹂と云われ、こ       ⑫ の考えからたとえば、執務時岡中他の労仇者に刺傷されたとき、休憩時間黒煙の労仰山が火鉢上で弄んだ瓶の内容が写真       ⑲ 師の置忘れた粉末マグ、不シウムであったため爆発により同僚に傷を負わせたとき、作業中、第三者の投石により負傷した   ⑭ とき、のごときばあいも, ﹁裏故は、偶発的な第三者の行為によるものであり、当該事業場ないし作業に関連して通常起        ⑯ り得べき事故でない点からみて、使用者に補償責任を負担せしむべき災寄とみることに疑問がある﹂とされている。  吾妻教授の見解に対象的なのが松岡教授のそれである。 ﹁業務上とは如何なるものか。それが労功基準法の業務上の観 念と原則として一致することには異論がなかろう。しかしその取扱いとしては、自らその気持に多少の差異があってもよ い。第一に、どちらかと云えば、労基法の場合よりも、ルーズにすべきでないか。労基法は、労傍者には有利であるが、 使用者に痛い。しかるに労災法は、労使双方に利益を与える。利益を与えることのみを目的とする法律の取扱は、 ﹃疑わ しい場合には利益に従うべきである。﹄それは、労仇者の権利をまもるためばかりではない。愛される労災保険のためにも 必要であるし、従ってそれは、労災保険の加入者を増加させることによって労災保険行政の輝しい前途のためにも必要な

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のである。第二に、労災保険の取扱も野基法の安全衛生術政との釣合を考慮に置くべきである。現在の安奈衛生行政はき わめてルーズであるQ安蚕衛生行政をルーズにしておいて、それから生じた害から高言者を保護しないことは無責任すぎ はしまいか。.第三に、労災保険の取扱は、現実にそくして具体的に、実態にそくして検討すべきである。それは、労基法 とちがって、罰金附でないから、形∫的解釈論理よりも、むしろ労災保険金を与えることがφ当であるかどうかという見 地から検討すべきである。 岸.業務上﹄の法的解釈も、労災保険については、右のような態度で、経営の無過失責任を認め た労彷法の立法趣旨を生かさなくてはならない。勿論その場合にも、いろいろの原則をたて、置くことはよいが、それで も疑義ある⋮場合には、結局それか経営責任乃至経営の必要から生じた争故であるかどうかという見地に立帰って考えなく       ⑯ てはならないしという教授の意見は﹁もし捕償を漠然と労福者の救済と考えるならば、使用者側が過失主義によってその 責任を限界づけられるという近代法埋論を打破る契機は単なる実際的必要に過ぎす、いかにこの実際的要求が大であるか        ⑰ らといって、それは近代注理論を打破る法律的な基礎づけになり得ない﹂と云う轡妻教授の見解はともかく、きわめて実 際的な見解を示されたものと云えよう。 ⑨ 一名㍉[厚︵応¢舅註oo8蓉コ。寡︵司法官式経済学︶と云われるもので、それについて森荘三郎教授は保険学者として次のごとく反駁して   おられる.﹁qα。薦①﹁日く﹃通常の労功者は楽天家なり。彼は同僚申の何程が年々災害に遭遇することを知るも、彼は自分の身が災害   に罹ることを予期せす、叉災害統計の紫黒のためにも自已の職業と他の職業との間の危険率の差異を比較する手段を上せす﹄と﹂。又   ≦.。o呂一一蔓︵・・09巴h塁醇正零㊦︶の言をかりて﹁﹃災害保険の費用は甚だ少額にして最も危険なる職業に於てすら賃銀の三%を以て足   る。故に若し危険率に応じて賃銀を高低ぜしむと仮定するも、一芸=一ドルの賃銀につきて零セント乃至三六セントの差異を生する■   のみ。然るに労仇賃銀は熟練及び才能等に応じて七ドル以下よb二五ドル以上に及べり。されば、特殊危険に対する特殊賃銀の統計   的証明を求むるは、恰も乾草の推積中に唱本の針を求むるが如し﹄。即ち賃銀に主として影響を与えるものは、或は労功市場の需要   供給の関係,或は労仇者の熟練等にして、危険の程度のごときは殆んど度外視せられ居るなり。之に依て之を見れば、産業危険に対      労災保険の﹁業務上﹂について      六九

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⑰    労災保険の.業務上一について      七〇 すろ雇主熊責任論は机上の室論たるに止まる﹂森荘三郎黒煙﹁労懸者業務災害保険﹂生命保険協会会報 八巻三号。 同教授 同書 二九四頁以下。 吾妻教授﹁労切法の基本問題﹂︸六九頁以下. 昭和二二年一 一月一〇H具恭発二六六〇 昭和二五年四月一四日基敗︸〇三三、 昭和二三年一一月﹁二五日基発二六瓢一〇 吾妻教授﹁労仇基準法一 二九二頁。 松岡教授﹁理解災害補償法一 一三頁以下。同教授﹁労災保険法並に呼基法における﹃業務上㎞の意味とその取扱﹂労仇経町旬報 ︸四九号並びに、 ﹁労彷法の理論と闘争﹂ 三三〇頁以下。 吾妻教授﹁労功法の基本問顕こ  一七一頁。 三       ⑲  大正一一年健康保険法が制定公布されたが、本法が、労務外の事故とならんで業務上の事故をも含んでいる点から、近 藤教授は、森荘三郎博士が﹁わが健康保険法の世界に誇るべき一特色である﹂とされるのを、果してそうであろうかと疑 問にせられ﹁理論的にいっても、業務上の傷病と業務外の傷病とは明確に区別すべきものであり、それこそ近代的個人主 義思想の立場に一致する。すなわち、前者については事業主の負担の下に出来得る限り十分な補償を行う。後者について は、労務者にも保険料を負担させるというやり方の方が合理的であった。しかるに、当時の政廃当局や学者蓬はむしろ ﹃二者の差別待遇を撤廃したい精神﹄をもって事態を処理し、これによって労資の︻﹁.協調的精神﹄を実現せんとしたので あって、この乙とは前受政府当局の論明や森博士の見解を見ても明かである。しかも、この事実こそ、まさに、わが国社        ⑲       b、 会保険の偽隔性を露呈するものであった﹂と批判されている。近藤教授が﹁業務上の傷病と業務外の傷病とは明確に区別

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すべきものであり、それこそ近代的直入主義思想の立場に一致するとされるのに対して大河内教授は﹁すべての﹃事故] は直接・閏接贅本制産業そのもの∼発達やその労彷条件によって規定せられるものであって、それらから全然抽象された 純個人的﹃事故﹄を考えることは不可能である。だとすれば、業務上の﹃事故﹄業務外の﹃事故﹂とを峻別して爾者につ いて保険制度上異った取扱いをしょうとする西欧流の社会保険の構造は、形式論理的には正しいとしても非現実的な熊度 だと云わなければならないし ﹁近代の資本下直業の発達に件って、業務上の﹃事故㌧︼と業務外の馴事故﹄との間に明確な 線を引くことは次第に不可能となって来ており、業務外の﹃事故﹄だけを騎箇の保険体系に組み立てることはきわめて不       ⑳ 自然なものとならざるを得ない﹂とされ、近藤教授とは対象的な見解をとられている。松岡教授は大河内教授の見解を ﹁まことに卓見である﹂としつ﹀も、しかし法技術的な立場からは、にわかに賛同し難いとして次のごとく論かれる﹁第 一に、資本制秩序の下における貢任には、 一定の限界がある。すなわち如侮に資本家の無過失責任の範囲を拡大しても、 そこに一定の限界があるQなるほど、大河内教授の指摘される通り、 ﹃労功者の壽命や健康の程度や病菌に対する抵抗力 等は、彼の職場の労彷時間や準億やその他の労仇条件によって長期的には規定されるものであって、業務外の[.事故が純 粋に私的なものとして中室に浮動することはないのである﹄しかし休日に家庭菜園で畠仕事をしている最中に鍬でヶガを したとか或は結婚式で歓喜の余り大酒を飲んで死亡したことも叉業務上の災害と同視してよいか。勿論業務上の災害と同 じような取扱いによって保護することは大賛成である。しかし、それは、あくまでも国が保護すべきであって、資本家の 責任をそこまで追求することは、法技術論からすれば、難しいのでないか。そうだとすると、災害に対して資本家の責任 を追求するという制度を残置するとすれば、こ、に業務上と業務外との区別を一応考慮しなければならないであろう。⋮ ⋮わたくしは、法技術的立場から、業務上と業務外との区騎は一応存置しながら、解釈論として、業務上の範囲を拡大し たい。⋮・:第二に、叢務上の災害と業務外の災害とを区別する法技術上の理由は、憲法と労功法の体系に求めることがで      労災保険の﹁業務上﹂について       七一          ●

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      ゆ      労災保険の﹁業務上﹂について      七二 きる。⋮⋮本条︵労災保険法第一条のこと︶の労災保険は、右の労勿基準法における業務上の災害補償を代行するものであ る。従って本条の労災保険の体系は、憲法第二七条第二項;労彷基準法の系列に曝する。それに反して業務外の災害補償 は、憲法第二五条の社会福祉に関する規定に基くものである。憲法第二五条の社会福祉の規定は、最高裁の判決によれ ば、政府の政治的目標乃至責任を示したものに外ならない。だとすると、この規定の系列に鴎する保障は、とかくおろそ かにならざるを得ない。⋮⋮そのような見地から、現在の如き資本制社会しおいては、本条の業務上の災害に対して特別 の措置をしたことは少くとも当分の聞は要当であると思う︵業務上外の区別を今直ちになくすると、業務上の災害に対看る補償が うすくなるのではないかという心配もある︶﹂⑭松岡教授の見解は業務上、業務外の区騎は法技術の上から一応必要だが、しか しそれは当分の醐俊当するので本来は区別の必要なきもの、ごとくである。 ⑱ 健康保険法では、業務上の事由による傷病率と業務外の事由による傷病率との割合之四分の一と四分差三とに定め、前者についτは   事業主かその全額を負担し、後者については事業主がその三分の一、労功者がその三分の二をそれぞれ負担する建前で         講卜     癌麟単

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  という積算により労使折半して保険料を負担していた 労使協調の面かウは全く﹁世界に誇るべき﹂ものてあろう..この点にっき戦   緩は労災補養母の解説でも弐の欠陥を指摘している。8 実際の傷病傘が前記の舗合を示さず業務災害が多発する場合は、本爽事業   主の負担部分に属する給佃を労仇者自らが賄ろ結果となる。口たとえ前記の傷痢傘が実際に維持されるとしても、個々の保険事故に   対する保険給付の多寡は同﹁ではないから傷病率のみをもって前記の負担割合を定めたことは笈当を書く、国 労導者も保険料を折   半負担する関係から労仇者の負担を加重しないためには、保険事故の多発により保険給付費,増嵩ずる場合においても、保険料は頭   た、きにして給⋮付内容を低下させる傾向となりその結果として労富者は業務災筈についてもその災害の一部を自ら負担しなければな 9

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らない。㈹ しかのみならす、社会連稽の思想に基き相扶共済制によって小額所得者の生活を保護しようとするこの保険が、以上の 方法によって災害補償を代行する結果は、労講者の当然の権利を﹃扶助﹄的施設の申に中和させて了う。などの敏隆があった。そこ で本保険においては、労仇基準法の規定による災害補償請求権が扶助でなく権利であることを明確にし、且つこれを確保するために 業務災害のみ塗︸本に取扱うこと∼﹂された。労仇省労災補償課﹁最新労切者災害補偵保険法解説﹂ 二頁以下。 近藤文二教授﹁社会保険一 一七〇頁。 大河丙教授﹁社会政策﹂各論 唱六五頁、一七二頁. 松岡教授﹁条解災害補償法一 四頁以下、 四  業務外、業務hの区別の問題は、一行政解釈のごときがよ︵解決しうるものでなく、その却論づけは、企業者責任が何 故追及されるか、過失責任主義と無過失責任主義の問題、更には労厳法の根本にも開する大きな問題であろう。このこと       ⑫ に窮しては残された多くの問題があろうし、わたくしの考えもきわめて未熟である。た冒つぎのことはきわめて示唆に富       ⑱ んでいると思う。すなわち一つは、ビヴァリ,ジ案にもとづいて作られたイギリスの社会保障である。ビヴ7リソジ報告は、 災害により労彷不能となったものは、その災害が業務によ乃場合も然らざる場合も同一の必要を持つものとして短期給付 を一般の金銭給付と同一たらしめ、業務災害による長期の労勿不能又は死亡に対しては、特30待遇を与胃んとした。その 根拠は﹁業務災害の危険は産業毎に著しく異なり、・炭坑、建築業、迭二業は危険か大であるが重要な産業であって、これ らに対し適当な労霊力の供給がなくてはならぬものであるが故に、この追加的な倉険に対し業務災害に対する特別待遇せ る給付を設けることによって報告とすることが男好である﹂と云うにある。これに対し漣立内閣の白書においては﹁業務 災害の金銭給付は実質的に他の労彷不能の場合よりも高額ではあるが、專ら肉体的損傷によって決定さるべきもので、元      労災保険の﹁業務上﹂について       七三

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     労災保険の﹁業務上﹂について      七四 の給料とは如何なる点でも関係なきものとされた﹂のであり、労仇党内閣では一般給付の週二六シリングに対し業務災害 の場合は四五シリングの基本給を与えて、業務災審と然らざる場合との岡に穴きな差別を設けた。尤もこれは先きに述べ た特別待遇の根拠にあるごとく、事故の多い産業において職を得んとする者への誘因たらしめんとする考えにもとつくも の、ようである。  また業務災害の経費は雇主のみが負担すべきであるという主張は、各種の企業聞に経費をプールする原則と矛盾する。 雇主が経費の凡てを負担することは労彷者側の発言権を弱.化せしめる。大部分の所得中絶の場合被保険者が分給し且つそ の管理に参加せる基金からの給付が行われるのに対し、業務災害の場合のみ労盲者の参加しない給付が行わるべきでない とのビゥァリソジ報告の主旨に基づいて保険料は労資分担となっている。災害は雇主の責任よりも、社会の責任であゲ、災 害率に比例して保険料を変えるとか保険料を雇主のみが負担する必要はないと云う老えがでてきたのである。災害率に比 例して保険科をかえること、いわゆるヨ霞隷冨臨ロね︵ON O㌶℃Φ﹃“O口O㊦ ﹁鯵ご口騎︶は﹁鉱業・海運業の如き重要産業の国際的 競争上の地位を弱化するものであると同時に、個別責任制農による危険予防策の金銭的刺戟が安全性の増大に役立つとい うことの証明が甚だ不明確であること、更に各産業・面繋業間における利害の共通性に立脚せる危険プール化の原則は各 種の社会保険に探用されているものである点から、労彷者災害補償保険もその例外とすべきではない﹂という理由から        ⑳ ヨ。﹃詫興9。臨昌ひqを排したのである。以上イギリスの労務災害の取扱いはきわめて特徴的であること、しかし業務上の災害 と然らざるものが非常に差別的に区別されていると云うことを知り得る。  ソ連の社会保障は無条件的に人民の生活を社会が保障することを目的としている点に資本制社会のそれとは根本的に異 なるが﹁業務上の災害または学業柄による痩疾者は、勤労経歴のいかんにか、わらす年金を支給せられ、その牽もいつば ん原因による痩疾年金にくらべて高率であり﹂﹁扶養者が業務上の災害または職業病のため死亡したとき、あるいは扶養 、

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■ 者が年金受領者であったばあいは、遺族にたいする年金は、扶養者の勤労経歴のいかんにか、わらす支給される﹂が﹁扶 養者がいつばんの原因により死亡したときは、遣族扶助年金は、扶養者が擾疾年金をうくるばあいにさだめられた勤労経       ㊨ 歴とおなじ勤労経歴を有する条件において支給される﹂のであるとすると、こ、でもやはり﹁業務上﹂の問題が残ってい るようである。  以上の事実を考えるとき﹁補償を労演力に対するものとして観念することは、その補償が賃金と比例する点についても あらわれる﹂とされ、また、作業中、第三者の投石により負傷したときを業務上と認定することに疑問を投げかけられる 吾妻教授の見解にはなお問題があろうし、 ﹁労務上の災害に対して特別の措置をしたことは少くとも当分の聞は委当であ る﹂とざれ、また、業務に場所的にも時間的にも、野宴的にも全然関係のない、たとえば﹁休日に家庭茱園で畠仕事をし ている最中に鍬でケガをした﹂ごとき例を以て﹁勿論労務上の災害と同じような取扱いによって保護することは大賛成で ある﹂とされる松岡教授の断定にも大分問題があろうかと思われる。  業務上・業務外に関する法埋論的な研究は此後にまたねばならないが恐らくこう云うことだけは云えるかと思う。労 仇法的と云う言葉に廿えてはいけないとはよく云われるが、もし法が目的との関連において、価値判断の立場から把らえ ねばなら虹ものとすれば、それは常に労彷者の立場から、労彷者階級の価値判断から把えられねばならぬと云うことであ る。と云うことは何でもかんでも労彷者に都合がよいようにと云うことを意味するのでないことは云うまでもない。そし て法は常に現実的に解釈されねばならないと云うこと、現在の労泡雪、現在の社会、現在の経済機構の上で適えられねば ならないと去うことである。 ⑳ ﹁企業体は自然人であるかまたは買入であるかにか、わらす、常に自己の外にある社会的存在と密接な聯関をもち、寧ろそれと離れ ては自らの存在さえも地盤を失う関係に立ちbそのような関係において自らまたその社会的団体の一構成員たる地位にあるというこ   労災保険の﹁業務上﹂について       七五

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⑱ 労災保険の﹁業務上﹂について 七六 とができるのである。だからかような企業の章程において何等か他人に災害を与える笏合には、その加害行為によって破害者との問 にのみ賠償関係を生するのではなくして、この場合には、加害行為によって賠償関係に参加する当事者は当該加害者たる企業体と被 害者並に当該企業による利益の帰属者たる社会そのものである.、而してそれら=一嘗は噌ツの赴会的団体に統︸されているとすれば賠 償関係はまた社会的団体内部における災害の分担でなければならの﹂ ﹁責任とは災害の単なる取消的填補︵財産的現状雄踏︶のみを 意味することなく,いしろ災害の分揖を通じて生する面会の秩序維持.李和腹芸の義務である﹂ ﹁こ∼において市民法上は渦失責任 と無過失責任とは原理上対立するに至ったということができるのである、丸しτこれが今や団体主義的民事責任論即ち災害分担の理 論において綜合されるのである。こ\ではもはや加害老を過失によって批難’9るということが本質的なのではなくして、かような損 害を惹起せしめた行為に丙在する社会的批難性︵蓮法性︶によって批難するのである。・⋮個人的には不利益であっても赴会全体の 見地から望ましい状態,即ち大多数のものにとって利益あることは社会的 違法ではない。従って違法とはもはや単なる抽象的な秩 序遽反ではない。これに反して個人のうけたボ利益に関して右のような指話的批簸性を認め得る場合があれば、かような損害こそは 秩序蓮反の具体的内容なのである。換言すれは、民事責任の根拠としての逮法性は最早かような損害 いうことのみに関聯している のであり、すでに従来考えられたような正不正の問頴一の領域をはなれて祉会の不調ともいうべきものであ5,これに対する賠償も加 害者の不法な行為に対する艘いというよりは寧ろ社会的不調和の是止というべきものである﹂ ﹁かく︵社会的批難性は遺失か個人的 主観的であるに対してかような個人性を含んでしかも社会的客観的でありb責任帰属者は具体的には利益共同体における特定の人員 または利益共同体自体である。かくて加害老は市民法上の従来の孤立せる存置性稽を担う加害者の資格においてではなく,被害者も 亦市民法上の孤立せる蔓紫者の資楼においてではなく、何れも共同体の一員とし︵,共同体自体と共に損害の分担に参与するものと いわねばならぬのである。これを因巣関係についていえば、従来の観念ではこの範囲の決定にあた5多かれ勘かれ自然的困果関係を 根抵において考え、これによって帰責の問題を考えたのであるが、こ∼では全・社会的調和の同声という別個の価値判断の視角から 因果関係を構成するのである﹂ ︵石本碓男教授﹁民事責任の研究﹂ 二一九及び二五七頁以下︶ロ 教授の以上のような考え方はきわ めて抽象的であるが示唆するところが多い。 イギリス社会保障の発端は一九四﹁年六月時の無任所大臣グリーゾウソドが任命した ﹁町会保険及びこれに関連する諸施設に関する 各省関係官委員会﹂にみることができる。委員長ウィリアム・ビヴァリソジ の名をとって通常ビヴァリゾジ委員会とも呼ばれてい た。この委員会が一九四二年=一月に公表した社会保障計薔がビヴァリノジ案と呼ばれるものであり﹁資本制社会における社会保障の ■

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⑳ ㊧ 星眼﹂とも云われるものである。資本制社会の社会保障であり、ソ聯の社会保障とは、前者が最低生活の必要︵oロ忌・。[。。零昌$昌8自四︶ に基礎をおく赴会保険制度として、後者とはその本質を異にする。近藤文二・吉田秀吉共著﹁社会保障勧告の成立と臨書﹂参照。 大林教授﹁社会保険﹂一へ六・二〇三二二四頁。なお﹁メリノト・レーテ︷ノグは安全性に寄与するというところが主眼であるが この点は、米国の例に見る如く、保険栽の節約よりも営⋮菜利益の保持の方が遙かに大であるとすれば、良⋮識ある企業家においては保 険料節約の動機を待たずして、︸般経鴬管理の問題として当然安全設備を取上げること∼なるであろう。こうした点や国際競争上め 考慮が、イギリス新制度にとって軍要なモメントであったというべきであろう﹂と同教授は書いておられるが、旧般に≡㊦箒一.き一鎖 の敷果が過大評価δれているのに対しきわめて当・得た所論である。 胡師本蔦一教授フヴェト民法・労仇塗 一五九・=ハ0頁。 ●五  ある工場で会社と衆心組合が相談の上一日慰安日として会社主催のもとに運動会を催うした。当日会社より中食として 附近の仕出屋から折詰をとりよせ、出 尊者に渡した。しかるに多数の、労彷者が食中毒にか、つた。保健所で検査の饗膳サ ルモネラ菌によるものとされた。この申毒は労災保険の対象になるかゴ問題となった。当局は、慰安会は事業達成のため にする行為ではないと云うこと並びに解釈例規幕発第五一五号︵昭和二二年一二月一九日︶の事業主主催の慰安会におけ る船の沈没による災害と同じ性質と考えられるとの点からこれを否定的に取扱つた。尤も後刻、寄宿舎に収容されている 労彷者は夕食の準備なく慰安会より折詰を持ち帰って夕食にかえているとの理由で業災の対象になると変更したけれど も。すでに、今あげ九解釈例規については松騰教授が斜切に批判されている﹁定例慰安会への斑席は、現在の会社内では 業務の変形とみるべきものである。しからばその災害は船会社の責任から起つたものでめつてもまじめに労務についたと きと同じように取扱うべきであるまいか。少くとも業務巾第三者の彊盗から受けた災害と身魂に取扱う理由は見出せな 労災保険の﹁業務上﹂について 七七

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     労災保険の﹁業務上﹂について       七八  ⑭ い﹂と。当局の見解に対しては一々反駁するまでもなく杢く首肯しがたい。  通常業務災害とは被保険者の所鴎する事業との聞の因果的、百聞里並に場所的に関連のある事故︵q窃騨。窪感ず。き憲仁∋ 観。ず。窪民No一二ざゴ①﹁N伝ω土弄。μず鋤β識寒け畠①ヨ弓d騨ユ①び①︶とされ、この因果的と云うのは相当因果関係、すなわち特別な 場合を除き、通常そのような場合には一般におこるであろうと考えられる関係と解されているが、しかしこの場合の因果 的と云うは一般経験則に照らしてある皐実がなかったら当然におこらなかったであろうと考えられる関係として把えられ ねばならないのであって、たとえばそれが慰安会であろうと休憩巾であろうと、その事業場へ行かなかったら決して蒙ら なかったであろう災害なら、そこには凡て因果関係があると考えてよい。而も石本教授が論かれるごとく自然的因果関係 を根底において考えるべきでなく社会的な価値判断、云うべくんぱ社会的因果関係からこれを老えねばならないのであ る。      ・  行政解釈は云うまでもなく、その解釈に従うものもその解釈においては松岡教授の云われるごとく業務上の範囲をひろ くして解釈せらるべきであ.るが、しかし叉吾妻教授の強張されるごとく、法理論的な探究が学者に課せられているのであ る。 曾 松岡教授﹁条解災害補償法﹂ 三四頁。      、        ︵ご九・三・三一︶ ■

参照