Camouflaged Identity 再考 : 仮面や皮肉で覆った真の自己:モニカ・ソネ『NiseiDaughter』

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◇論 文◇

Camouflaged Identity 再考

-仮面や皮肉で覆った真の自己:モニカ・ソネ『NiseiDaughter』 - 藤井紀代美

はじめに

本論は,モニカ・ソネ(Monica Sone)が自伝的小説Nisei Daughter で見せている 自己表出の意図を解釈する試みである。作品の背景を知り,作家の自己構築の過 程の語りを通して,そのアイデンティティ観を探り,筆致に反映させている内面 の揺れについて考察する。その上でソネがとった表現手段の理由を見極める。 自ら心理学者であるソネ(作品中カズコ)は,戦前の少女時代を回想し,そこ から大人の女性として戦後のアメリカ主流社会へ独り立ちしていくまでを自伝に 著した。戦後間もない1953 年の発刊当時,日系二世女性の数少ない作品のーつと して,また戦前戦中の日系人社会の記録物語として注目され,成功を収めている。 Ling は"autobiography was almost the only commercially publishable form" (361)とし, ソネは自伝を著したとする。 当時の社会情勢に則して読まれており,主人公が「日本・アメリカの2 重アイデ ンティティの日本の部分を小さく封じ込め,主流の白人アメリカ社会に従属し融 和していく」 という物語は,戦後の同化主義および求められたマイノリティ像に かなうものであったため,広く歓迎されたようである。 しかしながら, 白人読者を意識して書いたとはいえ,ソネ自身がこの同化主義 を全面的に受け容れて書いていたかどうかについては, 当時の社会背景や作家の 心理を踏まえて慎重に考える余地がある。

ソネは, 自身である主人公カズコ・モニカ・イトイ(Kazuko Monica Itoi)が成長 していく過程で起こる様々なエピソードを重ね繋いでいく。シアトルに暮らす6 歳の少女が二世としての自我に目覚め, 自己のアイデンティティを模索しつつ戦 時下を生き抜いていく様を描いている。

子ども心にも自分の二重アイデンティティを’'It was like being born with two heads. It sounded freakish and a lot of trouble.'l「二つ頭に生まれたみたい。異様だ しとんでもなくやっかい。」 (19)と, イメージしている。 自分はまぎれもなくア メリカ社会のアメリカ人であると自認するカズコカも 日系人コミュニティという 境界の存在に気づき, 日本流の慣習に晒され,マイノリティ2 級市民としての被 差別を経験し,その上に自国によって敵性外国人("enemy aliens")の烙印を押さ れ排除されることになる。この過程で分裂したアイデンティティ観がどのように 交錯し変容し作品に影響したかを考察する。

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日系人の艱難辛苦の時代を綴っていったにもかかわらず,ソネは少女らしい率 直なものの見方を通してユーモラスに表現し,思春期を経て成長するカズコの目 線で当時のアメリカ社会を捉えながら,ほほえましいエピソードを連ねて描いて みせる。白人社会の日系マイノリティに対する厳しい差別や, 日米開戦後に次々 と襲いかかる災い,とりわけ強制収容の厳しい現実についても, あからさまな非 難の言葉や強い抗議の口調を交えることなく記述している。結末部分に至っては, 自己構築の苦闘とは裏腹に,主人公の楽観的な言葉や態度で締めくくっている。

I was going back into its main stream, still with my Oriental eyes, but with an entirely different outlook, for now I felt more like a whole person instead of a sadly split personality. The Japanese and the American parts of me were now blended into one. (238)

筆致におけるこれらの矛盾の原因を探る。 ソネが選ばざるを得なかった表現手 法の解析を通して,内面にのし掛かっていた心理上の重圧を分析し,隠している 本来の自己の顔を探り,巧みな表現に込められた意図を読み解く。 歴史的社会的背景 諸評や文献を通じて,Nisei Daughter の執筆に社会事情が及ぼした影響を明らか にし,作品の表現の背景にある作家の意図を読む。 Msei Daughter の終末部分は,そこに至るまでのカズコの苦難や葛藤にはそぐわ ない安易な見通しに立った描き方になっている。この点について, 70 年代の戦後 補償運動以前の批評には,0ka (415)のように,作品の同化主義的表現として肯定的 に捉える立場が見られる。それ以後の批評にはWong(92),(113)のように同化主義 傾倒の批判をする立場, Grice (170)のように拘禁の犠牲の証言としての価値を強 調する立場,Yamamoto のように,ソネの筆致の変化に着目し,結末を懐疑的に読 む立場のものが見られる。 "The somewhat awkward tone of cheery optimism there has prompted several critics to look carefully at the disjunction between event and narrative tone elsewhere in Nisei Daughter" (155).

作品への影響として 50 年代の冷戦イデオロギーの政治的圧力と文壇での強い 求めを挙げるLing の指摘は明解である。

Monica Sone's autobiography, Nisei Daughter (1953), became an instant commercial success for its mainstream publisher, presumably because it satisfied what the age demanded of the Japanese American literary voice: representations of the differences between being "Japanese" and being "American," explanations of the exotic but non-threatening otherness of Japanese American life to mainstream readers, and accounts of successful transition into the mainstream (361-2).

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Sumida は結末の表現に強制収容をはじめとする重大な抑圧による結果を見 る。 "The changes in her discourse show just how the nisei daughter and her peers bent under a very great weight" (236)‘二世の自己の隠匿性’masked selfを解析した Yamamoto の理論は作品解釈の重要な鍵となり得る。The most significant of these writers' uses of masking is a psychological deたnse mechanism(127). このように作 家が結末部分の表層を覆うに至った事由とその真意を慎重に探ってみれば,複雑 な社会情勢とその要請,そしてソネ自身の心理情況が,筆致におけるトーンをね じ曲げていったことは明白である。 執筆当時の社会背景,戦時下は日系人作家の創作をとりまく環境は大変厳しく, 当局の監視や自らの収容などによって出版はままならなかった。戦後まもなくペ ンの力で反差別を社会に訴えようと試みても,アメリカ社会は冷戦下にあり,公 民権運動は未だ拡大しておらず,ェスニシティの独自性や民族の不満を前面に押 し出して書いたものは極端に敬遠された。 日系人社会においても,戦後のアメリカ主流社会にうまく調和して生きるとい う同化主義の考え方が一般的であって,モデルマイノリティとしての民族性のあ り方を追求した時代であり,あからさまな抗議はなりを潜めていた。そして文壇 においても二世の同化の成功物語が求められていた。ただ,ソネ自身は本心から 同化主義を全面的に肯定していたとは言い切れないのである。

1953 年に出版されたNisei Daughter は,当初はOka のいうようにアメリカ人日 本人の二つのアイデンティティを和解させて,「人種のるつぼ」主流社会に溶け込 む,従順なモデルマイノリティ物語として歓迎して受け止められた。Monica Sone・5 book is an encouraging reminder of the melting pot at work, even under apparently unfavorable circumstances. It gives us hope, not merely for America, but for the world of tomorrow. (415)

二世の極端な民族否定と自己卑下の例としてOkimoto の自伝的小説『American Disguise』 がある。主人公は成功者の”Ivy League Nisei" (52)で,白人女性と結 婚したことを’'key to final assimilation." (53)だと信じる。

Msei DmIghter は商業的にも成功を収めるが,やはり全体的にユーモラスなトー ンであるのに加え,終末部分のカズコの旅立ちの描写等がさらに楽観的態度であ ることが批評点として注目された。Yogiは同化主義を映したカズコの言動を十分 理解できるものである(136), という考え方で解説している。 79 年の再版は,Nisei Daughter の新しい価値が見いだされたことによる。時代 は日系人の補償運動の時代 となり,差別の告発,政治主張としての側面が評価さ れる。 ソネ自身も Preface において日系人の立ち上がりと正義の勝利を讃えてい る。88 年に補償運動は実を結ぶが,それをきっかけに日系人排除や拘禁の犠牲の 大きさを検証するための価値が見いだされる。 この作品が初期の日系女性作家の 自伝として貴重であることは確かだが,前述した社会的諸事情から,具体的な戦

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争差別の証言としては詳述性現実性を欠いている点は否めない。

日系人の同化主義を疑問視し,修正を求める考え方も現れる。三世が活躍する 時代になると,今度はアメリカ社会でのエスニシティの埋没が危恨される。 Sumida は戦争の代償の大きさを検証し, 同化主義傾倒の批判を論じている。

To define "American" not by race but by histories of diverse peoples' experiences, deeds, lineages, intellectual and cultural developments, and by their histories of integration (not assimilation) is to do as Sone explicitly does until her final chapter, which she ends with a shockingly assimilationist clich?: "The Japanese and the American parts of me were now blended into one" (235)

Maeda は同化主義のやむない受け容れやカズコの日本人アイデンティティ退却 を指摘する. "By taking that strategy, Sone buries Issei's stories that her parents represent into white American mainstream, describing Japanese identity as her undesirable, abandoned side of body" ("my translation" 124). Grice 070)はソネが補償運動後のエ スニシティ主張を予見して,批判的な読みを期待していたとする。Yamamoto は ソネの筆致トーンの変化の背景について,慎重に作家の表現の裏’the other priv誠e seげIに探るべきことを示唆している。 『 Nisei Daughter』 およびその研究は,姿形を変えながら分裂と統合を繰り返し てきた米社会を映しているとも言える。結末についての比評からは,エスニシテ ィを認めあう多文化共存時代の求めのもとに,民族のバックグラウンドを内包し た個のアメリカ人尊重の理想への流れが読み取れる。 アイデンティティと抑圧・変容 主人公の自我意識の抑圧や変化を読み解く。解釈と平行して,包み隠している 本来の自己の姿やソネの表現手段の意図を推察する。 この自伝には,複数の自己が作用する。表出している人物像のカズコという人 物(「見せる」) ,構成する作家ソネ(「観る」),そして内省する自己(「隠 す」)である。Yamamoto は’the other private self (102)の存在を解説する。

Already aware of the disjunction between how she sees herself and how she is seen, the Japanese American autobiographer must also come to terms with the necessary disjunction between the "I" who writes and the "I" who is written about. These two selves continually negotiate between themselves across the generic limitations of the autobiographical form, a form traditionally neither defined by marginalized subjects nor defined with them in mind. (102-3)

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幼児のカズコは民族格差の意識なく育っていたが, 6 歳のある日,日本人とい う自分の特異なルーツを知り衝撃を受ける。異形の「頭が二つある」二重アイデ ンティティ保持の感覚を抱く。それでも自分はあくまでも Yankee であると自負 し,二つの顔をうまく使い分けようとするが, 日系人に対する偏見や差別はカズ コの自我を容赦なく攻撃する。その中で日本学校や日系コミュニティ, 日本訪問 などを通して,さらに日本文化に晒される。その経験からは,米社会に理解され ない文化価値を否定したい気持ちが生じるが,同時に母の文化である日本女性の 感性が確実にカズコの中に育っていく。やがて二つのアイデンティティは一部で 価値観を譲り合っていく。 Yankee を自負していたカズコは高校に進学すると,他民族の集団の中では自己 表現できない生徒に変容する。自分のAmericanization にも疑問を持ちつつ,こと さらに日本人の部分を内面に押し込め思春期を生き延びる。真珠湾攻撃以降, 日 系人は敵性外国人とみなされ,二世も一世となんら区別なく社会からの排除の対 照となり,やがて強制収容の日(E-day)を迎える。カズコのYankee の自負は打ち のめされる。 内的葛藤と圧倒的外圧のためにカズコの感情表出は奪われていき,強制収容の 悲惨な様子は表面的描写に留まる。

In the privacy of our hearts, we had raged, we had cried against the injustices, but in the end, we had swallowed our pride and learned to endure. Even with all the mental anguish and struggle, an elemental instinct bound us to this soil. Here we were born; here we wanted to live. We had tasted of its freedom and learned of its brave hopes for a democracy. It was too late, much too late for us to turn back. (124)

収容を解かれ,東部で生活するカズコは,主流社会からみた模範的二世を懸命 に演じる。しかし,彼女の隠れたアイデンティティは結末を迎えてもなお揺れ続 ける。収容所に残された両親とのやりとりでは,"two heads are better than one" (236) と精一杯のいたわりとなぐさめを見せる。しかしソネはそれとは矛盾するかのよ うな新しい二世像“The Japanese and American parts of me were now blended into one." (238)を提示して自伝を閉じる。 ソネの表現上の戦略は, カズコの目線を白人読者の目線に合わせ, 日系人の姿 を伝え共感的な理解を図ることである。 日系人を「厳格だが我慢強く,かつ従順 で無害な集団」であることを証明して見せ, 日本文化を異国情緒あふれる慣習と してユーモアや自嘲を交えて描き,そうすることで「二世は社会的にも文化的に もあくまでもアメリカ人であり得るのだ」, という点について白人読者の説得を 試みたと言える。

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同化と仮面の自己

これまでの解釈を踏まえ,外的内的制約を受けていたソネの筆致の落差,結末 の表現に隠された戦略を四つの視点からまとめる。

第一の視点として,自己の包み隠しについて,Yamamoto の’masking' 論 に照らし

て考察する。 ソネには心理的防御としての自己を覆う仮面の存在が認められるの である。Yamamoto は’'psychological deたnce'’ として,自己表出に覆いを掛ける事 を説明している。

The masking of negative emotions results in narrative voices that at once invite and refuse entry into the private internal realm of these women about whose lives we are reading. Removed in time from the events she describes, the autobiographer may be overinvested in distancing herself from disturbing memories and overeager to represent any traumatic internal conflicts as past events available for description by a subject who has since come to a sense of reconciliation. (139)

終末部のカズコの両親への慰めの言葉にも明らかな包み隠しがある。ソネはア イデンティティにかかわる苦悩を選択的に意識的に隠していると言える。 Beginning with the understanding that masking involves metaphorical dimensions that follow from the literal level, I want to propose masking as a double-sided trope that addresses the often difficult and painful strategies Nisei subjects have adopted to preserve a sense of dignity and selfliood. (117)

また, 日本人アイデンティティ保持においては,Yamamoto が指摘するとおり, 二世にとって,母なる文化や肉親との完全分離が起こりえない以上,棄却を意味 する心理上の“abjection" は,完全には起こりえないと考えてよい。

Japanese-Americans abjection cannot be read as unequivocal rejection of the Japanese self. If what is abjected cannot be completely extirpated from the self since the formation of that self depends on the process of abjection, it is also true that for Japanese Americans of the Nisei generation, complete disavowal cannot happen without a similarly complete break from the Japanese American community -often the only source of social acceptance - and from their Issei parents. (134)

第二に,前述の通り,作家の執筆活動に対する当時の冷戦時代のアメリカ社会 の圧力は明らかである。執筆上の外的制約の影響について,Ling が指摘した冷戦 構造の圧力の解析に見いだすことができる。

The specific context of this type of theme were America's need to refute Communist bloc charges of racial discrimination and class oppression in the United States, Japan's postwar alliance with America in the global contest

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with Communism, and civil rights agitation on the home front by African Americans. In this political climate, a few American publishers began to develop a market for Japanese-American and Chinese-American writers willing to function as cultural mediators and to tell stories of successful assimilation. (360-1)

国家,政治そして戦後補償運動へのソネの思惑や遠回しな抗議も推察できる。 "I used to think of the government as a paternal organization. When it failed me, I felt bitter and sullen. Now I know I'm just as responsible as the men in Washington for its actions. Somehow it all makes me feel much more at home in America. All in all, I think the Issei's losses during this war are greater." (237)

二世作家が同化物語を描いた背景には,戦後の日系人を代弁し,アメリカ社会 に対し日系人理解を図り,静かな抗議をする, という複雑な立場の影響があると 思われ,結果として難解な自己表出につながったと考えられる。

第三には,心理上の抑圧による表現の屈折について Sumida の指摘を取り上げ る。

I do not believe that Sone continued far beyond that postwar era and her youthful autobiography of 1953 to continue to mimic the jargon of her oppressors. Yet fortunately because of the change of terms from self-satire and protest to self-effacement and accommodation, Nisei Daughter is valuable at the very least for being an ingenuous and retrospective record, at its conclusion a demonstration more than an interpretation, of nisei history and its basis in experience. (236)

二世に対する外的圧力,特に強制収容による抑圧の甚大さをソネの表現上の落 差や屈折が証明していると考えてよい。書くべき事柄を慎重に選んでユーモア混 じりに記述しているのは明らかである。その中でも,自己の悲観的な感情を再刺 激しないように, 自嘲的な皮肉を繰りかえし用いたことは十分理解できる。 ソネ は心の傷に影響しないような事柄を選んで自嘲的に表現しているといえる。 Sumida は解説する。 The language and tones, the veiled sarcasms of Sone's writing become self-contradicting, undercutting, and uncertain, highly unlike the confident assertions she recollects thinking or saying even when she was six" (229).思春期以降 を描く筆致の落差は, ソネの収容体験の痛手の大きさを示すものである。結末表 現には幼い頃の多文化コミュニティへの回帰の思いも読み取れる。

第四の視点として,ソネはこの物語を自らの信仰上の理想に重ねて,最終的に "agape" の体現に高めようとしたとみることができる。主流のキリスト教社会への 統合への期待があったことがLim の解説に重ねれば十分理解できる。

Once Christian theology has transformed political, material reality to phantasms (denying physical imprisonment and racial prejudices which

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formed the experiences of Japanese Americans from 1942 to 1945 and affirming soul examination in their place), the narrator/daughter is able to erase the reality of the maternal presence, her Japanese blood, and transform her identity into a phantasm of American identity. (417)

白人社会,国家の基底をなすキリスト教は,同化の主要な道筋となったと考え られる。ソネにとって鉄条網の外の社会の小さな入り口は信者のコミュニティで あった。知人の遺書をあえて引用し, 日系人の苦難を神が与えた試練として受け 止めただけでなく,身近な人の戦死に象徴されるナショナリズムの犠牲をも「赦 し」によって打ち消し,主流社会の基調をなすキリスト教信仰に思いが集約され ていったことは明らかである。

I was convinced that this was not the end of our lives here in camp, but just the beginning; and gradually it dawned on me that we had not been physically mistreated nor would we be harmed in the future. I knew that the greatest trial ahead of us would be of a spiritual nature. I had been tense and angry all my life about prejudice, real and imaginery. The evacuation had been the biggest blow, but there was little to be gained in bitterness and cynicism because we felt that people had failed us. The time had come when it was more important to examine our own souls, to keep our faith in God and help to build that way of life which we so desired. (186)

この作品は,戦後,最終的に同化主義に落ちざるを得なかった二世娘の苦悩の 軌跡として読むことができる。しかしながら,同時に二世にとっての同化の過程 の複雑さが綴られているのだとも言える。同化に向かうには,二世は耐え難い抑 圧を強いられ続けることを証言しているのだとも言える。それは心理上の葛藤に よる苦しみと,戦争がもたらした外圧の傷の両方である。 二世の自己はアイデンティティの分岐意識やェスニシティ棄却に対しての罪悪 感をぬぐえないのである。同化しようとする自己は,その別の自己と向き合い, 戦いつづけることになる。現代の多文化共存の考えやェスニシティ主張の流れに 照らせば極端な同化主義は批判の対象だが, 当時の社会背景や作家の活動環境や その心情を考慮すると,二世作家が同化主義の流れに沿った結末で自伝を書いた のは無理からぬ事である。 作家が理想を作品の結末に込めるのも充分理解できる。キリスト教信者として の物語の完成がそうである。また,幼いソネに刷り込まれていたであろうあの多 文化共存の至福,そのなかに生きていたイノセントなYankee 娘への回帰の思い は拭い去れないのだと思われる。 さらには, 日本的作風への憧れか,厳選し抑え た表現や比喩を用い,読者の行間理解に多くを期待するのも,ソネが一世の母の 詩作の心に寄り添っていたからだと推測できる。 - 34

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おわりに これまでNisei Daughter の社会背景やその批評を通して,時代とともに作品が どのように論じられてきたかを考察した。また,作品の解釈を通してソネがカズ コを介して描いた二世娘の像を探り,表現に潜ませた意図を解析した。 さらに, ソネの筆致に大きく影響したと思われる要素を主に4 つの視点から取り上げた。 おわりに,ソネの筆致の落差の理由や,同化主義に追随するような結末の表現を 用いた,その戦略の背景について結論する。 ソネは確かに作品が読者に広く受け入れられることを意識していたが,同時に より深く懐疑的に読まれることも期待していたと考えられる。やがては極端な同 化主義の見直しがあり,批判的な読みがなされることを想定していたと思われる。 主流社会の白人読者獲得というハードルを越え,遠回しであろうとも日系人の 姿を伝え,読者の多くの気づきに委ね,差別を告発するチャンスを求めたと言え る。 ソネは執筆にあたって同化主義を認め受け入れていたと考えて良い。けれども 全面的に同調していたのではない。作品は二世の自己構築の過程における同化の 複雑さを強く訴え続けているのである。 戦略として自伝の利点を生かし,分裂した自己が時に離反し時に歩み寄るなか, 作家は自らの心の回復を図りながら慎重にエピソードを綴っていったことが理解 できる。仮面や自嘲といった巧みな表現手段の camouflage の陰に,このNisei Daughter の真の自己を潜ませておいたのである。 注

本稿は,拙著 [Camouflaged Identity - Truth behind Mask and Satire in Monica Sone's NiseiDau帥ter」 修士論文2006 鳴門教育大学大学院学校教育研究科教科・領域専攻 言語系(英語)コースをもとに再考したものである。

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