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工業都市・群馬県太田市の発展と社会基盤整備―戦前の都市計画事業を出発点として― 利用統計を見る

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全文

(1)

前の都市計画事業を出発点として―

著者

朝海 彩子, 松浦 茂樹

著者別名

ASAKAI Ayako, MATSUURA Shigeki

雑誌名

国際地域学研究

16

ページ

45-72

発行年

2013-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004401/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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はじ め に

工業都 市・群馬県 太田市の発展 と社会基盤整備

一戦前の都市計画事業を出発点として ー

*  ″ 子 樹 彩 茂 海 浦 朝 松 群 馬県 太 田市 は、 東 京 から 北西 へ 約86km に位 置し てい る ( 図1 )。 市 の東 側 は大 泉 町・ 邑 楽 町・ 栃 木県 足利 市、 西側 は伊 勢 崎市 、 南 側は埼 玉県 熊 谷 市、 北 側 は桐生 市 ・ み どり市 に面 し てい る。 地 形 を みる と、 標 高30 ∼110m の平 坦 部が 大 き く占 め、 北西 部 に は海抜235.8m の 金 山 と、 八 王 子丘 陵 が走 っ てい る。 また 南に は利 根 川、 北 に は渡良 瀬 川が 流 れ てい る。 太 田市 は、2005 (平 成17 ) 年3 月28 日、 旧太 田 市 と市 に 隣接 す る 尾島 町 ・新 田 町・ 薮 塚 本 町 の 一 市 三 町 が合 併 し、 面 積 は176.49 kmと なっ た。 そ れ以 前 、 旧 太 田 市 の面 積 は97.96km' 、 旧 尾 島 町 の 面 積 は19.34km' 、旧 新 田 町の 面 積 は38.22km' 、 旧薮 塚 本 町は20.97km' で あ っ た。 さ て太 田 市 は、 富 士重 工、 旧 三 洋電気 、 三 菱電 気 な どがあ る 工業 都 市で 、 今 日 も活発 に工 業生 産 が 行 わ れ、 その 製造 出荷 額 を2010 年 度で みる と、 全 国 で 第15 位、 関東で は市原 市、 横 浜 市、川 崎 市 に 次い で 第4 位 の位 置に ある 。 だが 内 陸 部にあ り、 工 業 材料 ・ 製品 の 移出 入に 重 要 な役 割を果 た す 港 湾 はない 。 さ らに新 幹 線 も なく、 高 速 自動車 道 路 も近年 まで 整備 さ れて こ なかっ た。 この よ う な地 域が なぜ 、工 業 都 市 とし て発 展し た の だろ うか 。 興 味 深 い こ と は、太 田 市 で は既 に 戦 前、 計 画的 に工 業 都 市 整 備 が 進 め ら れ てい た こ と で あ る。1939 昭和14 ) 年、 商工 省 は「 工 業 の 地 方分 散 に 関 す る件 」 を 通 達 し た が、42 年 「 工 業 規 制 地 域 及 び工 業 建 設 地 域 に 関 す る 暫定 措 置」 を 実施 し、 工 業 規制 地 域 と工 業建 設 誘 致地 域 を 設定 し た 。一 方、 内務省 は「 新興 工業 都 市 建 設事 業」 を 推 進 し、 全 国 で23 都 市 を新 興工 業 都 市に 指定 し た。 こ の23 都 市 の 中 に太 田市 も入っ てい る 。 そし て 大 規模 な都 市 計 画が 策 定 さ れ、土 地整 理事 業 が推 進 さ れてい た。 工業 都 市 とし て の戦 後 の発 展 も、 戦 前 のこ の都 市 計 画事 業 を ベ ー スに し て進 め ら れた と考 え てい る。 戦 前 の都 市事 業 か ら みてい こ う。 図1  群 馬 県 太 田 市 位 置 図

* 元東 洋 大 学 国 際 地 域 学 部 学 生:Graduate of Faculty of Regional Development Studies, Toyo University * * 東 洋 大 学 国 際 地 域 学 部:Faculty of Regional Development Studies, Toyo University

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1。戦前の耕地整理法によ る都市計画事業

1 。1都 市 計 画 的 耕 地 整 理 事 業 太 田 は、 もと も と 日光 例 幣 使 街 道 の宿 場 町 と し て 栄 え たが、1889 (明 治22 ) 年 の 町村 制施 行 時 に 人口 約3.200 人、戸 数631 戸 の 太 田町が 誕 生し た (図2 )。 太 田の 近代 交通 の 整備 につ い て みる と、 東 武 鉄道 が太 田 まで 通じ た の は1909 明 治42 )年 で あ り、13 (大 正2 )年 に 桐生 線が 開 通し た (図3 )。 こ の 後、 電化 が 図 ら れ、 浅 草 から 太 田の先 の伊勢 崎 ま で電化 と なっ たの は27 昭和2 ) 年で あ る。 一 方、 高崎線 が 走る 埼 玉県 熊谷 との 連絡 の ため に は、 利 根川 で の架 橋 が 必要 であ る。 1884 (明 治17 )年 に 有料 の 「船 橋」 がっ く ら れ、1919 (大正8 ) 年 に は、 こ の 橋 は埼 玉県 に 移管 さ れ無賃 橋 となっ た。 そ の翌 年 に は全 長619m 、 幅員4.5m の 妻沼 大 橋が 完 成し た。 図2  明 治23 年9 月 の 太 田 町 概 況 図 ( 出 典 : 『太 田 市 史  通 史 編  近 現 代 』 太 田 市 、1994 年 ) 図3  東 武 鉄 道 敷 設 進 行 図 ( 出 典 :『太 田 市 史  通 史 編  近 現 代 』 前 出 )

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交 通 の 整 備 が 進 む 一 方 、 中 島 知 久 平 率 い る 中 島 飛 行 機 製 作 所 の 発 展 が あ っ て 人 口 は 増 大 し 、 都 市 計 画 的 整 理 事 業 を 実 施 し よ う と の 地 元 の 取 り 組 み が 、1924 ( 大 正13 ) 年 頃 か ら 始 ま っ た 。 都 市 計 画 的 耕 地 整 理 事 業 と は 、 地 主 が 組 合 を つ く っ て 土 地 整 理 事 業 を 進 め る こ と を 基 本 と し 、09 ( 明 治42 ) 年 成 立 の 耕 地 整 理 組 合 法 を 準 用 し て 手 続 きや 技 術 的 手 法 を 用 い 行 う も の だ っ た 。 本 格 的 に 事 業 が 開 始 さ れ た の は 、31 昭 和6 ) 年 か ら で あ っ た 。 さ て 計 画 的 耕 地 整 理 事 業 に つ い て 、当 時 の『上 毛 新 聞 』(1931 年3 月11 日夕 刊 )1)の 記 事 に よ る と、「 太 田 町 の 都 市 計 画 前 提 に 大 耕 地 整 理 組 合 を 組 織  八 瀬 川 、 道 路 等 の 幅 員 拡 張 す る … … 今 回 政 府 に 於 い て 、失 業 救 済 農 山 漁 村 の 臨 時 対 策 低 利 資 金 の 融 資 貸 付 を為 す を 好 機 と し て 大 耕 地 整 理 組 合 を 組 織 し 、 予 算 十 五 万 円 を以 っ て 之 が 完 成 を 期 す る 事 に 決 定 し 、 不 日 認 可 の 指 令 に 接 す る と 共 に 、 直 に 工 事 に 着 手 す る 予 定 な る … … 」 と あ る 。 1929 年10 月24 日、 ア メ リ カ ・ ニ ュ ー ヨ ー ク の ウ ォ ー ル 街 で 株 価 が 大 暴 落 し 、 こ の 頃 の 日 本 は 大 恐 慌 と な っ てい た 。 政 府 は 大 恐 慌 対 策 と し て 「 失 業 救 済 農 山 漁 村 経 済 更 生 計 画 」 を 実 施 し 、 臨 時 対 策 低 利 資 金 の 融 資 貸 付 を 行 っ た 。 こ の 資 金 に よ り 、31 年3 月 、太 田 町 は 独 自 の 都 市 計 画 を 樹 立 し 、 都 市 計 画 的 耕 地 整 理 事 業 が 開 始 さ れ る こ と に な っ た の で あ る 。 大 耕 地 整 理 組 合 を 組 織 し 、 道 路 ・ 河 川 の 改 修 と 新 設 事 業 に 取 り 組 む こ と に な っ た 。 ま た 、『上 毛 新 聞 』(1932 年10 月15 日 夕 刊 )2)は 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「 太 田 町 の 都 市 計 画 進 抄 新 田 郡 太 田 町 の 都 市 計 画 に 依 る 耕 地 整 理 組 合 の 第 一 期 工 事 で あ る 町 の 北 裏 高 山 通 り の 大 道 路 は 既 に 完 成 し て 、太 田 大 間 々 県 道 即 ち 太 田 中 学 校 の 前 面 通 り か ら 太 田 足 利 線 ま で の 六 間 道 路 の 両 側 に は 、 沸 々家 屋 の 新 築 が 開 始 さ れ 将 来 の 住 宅 地 域 と し て 面 目 が 一 新 さ れ た が 、 第 二 期 工 事 と し て 来 月 か ら 着 手 さ れ る 区 域 は 、 太 中 校 を 中 心 と し て 浜 町 の 隔 離 病 舎 付 近 の 道 路 開 設 と 、 六 丁 目 永 盛 橋 の 下 流 の 改 修 、 宝 泉 村 藤 阿 久 に 至 る 三 新 線 と 隔 離 病 舎 付 近 か ら 妻 沼 街 道 に 至 る 一 線 と牛 沢 線 等 の 新 設 で あ る が 、 第 三 期 に は 町 の 西 北 端 交 通 路 の 新 設 で 、 之 に 依 っ て 現 在 の 太 田 町 は 三 倍 乃 至 四 倍 に 拡 張 さ れ、 北 裏 の 住 宅 地 と対 比 し て 西 南 方 は 工 場 地 帯 と し て 将 来 嘱 目 せ ら る ヽこ と で あ ら う 。」 こ の こ と か ら、 こ の 事 業 が 将 来 の 住 宅 ・ 工 業 地 域 の た め 住 宅 地 の 造 成 や 道 路 整 備 等 の 大 規 模 な 事 業 を 行 い 、 都 市 基 盤 の 整 備 を 図 る も の で あ っ た こ と が 分 か る ( 図4 )。 整 理 地 区 の 面 積 は150 余 町 歩 で 、 太 田 町100 町 歩 、 新 島 ・ 大 島 ・ 藤 阿 久 の 一 部 な ど で 約50 町 歩 で あ り、 組 合 員 は 約460 名 で あ っ た 。 1931 ( 昭 和6 ) 年 の 秋 頃 か ら 着 手 さ れ36 年3 月 に 完 了 し た が 、 大 き く 第1 期 、 第2 期 、 第3 期 に 分 け て 行 わ れ た 。 経 費 に つ い て み る と 、総 予 算150,000 円 で 、そ の 内 訳 は 収 入 と し て 農 業 事 業 国 庫 補 助 金25.000 円 、 太 田 町 費30,000 円 、 大 門 通 り 並 木 敷 売 却 代 金30,000 円 、 日 本 勧 業 銀 行 よ り 借 入 金65.000 円 、 支 出 と し て 工 事 費84.155 円 ( 主 な 費 目 と し て 道 路 費50.300 円 、 溝 渠 費17.755 円 、 橋 梁 費8.100 円 、 開 田 費2,500 円 ) 他 で あ っ た 。 1 。2 耕 地 整 理 事 業 の 概 況 【第1 期】 1932 (昭 和7 ) 年1 月20 日に 起 工し 、 同 年10 月 まで の期 間で あ っ た。 太 田 市街 の北 裏 ・入 町・ 八 幡 前の水 田に街 路 を 縦横 に建 設 し、幹線 として 高 山前 を通 る 東西 道路(通 称 北裏 通 り、4間幅 )と、

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図4  耕 地 整 理 事 業 で で き た 市 街 地 の 街 路 樹 (1926 ( 昭 和11 年 )3 月 現 在 ) (出 典: 『太 田市 史 通史 編 近現 代』 前 出) 太 田駅 か ら北 方熊 野梅 山下 へ達 す る道 路 が整備 さ れた。 ま た、 八 瀬 川 は蛇 行 し、 両 岸 が土 手 で崩 れやす かっ た ため に改 修 さ れる こ とに なっ た。 川 幅 を4 間(7.3m) と し、 七 ヶ村 堰 か ら 永盛 橋 まで の 約900m は金 山石 を組 んで 一 直線 と し た。 両岸 に は3 間ずつ の 歩 道を設 け、 桜 を 植 えた。 水 面 に はボ ート を浮 か べ、 舟遊 び に利 用 する こ とと なっ た。 【第2 期 】 1932 年11 月 か ら34 年 まで 行 わ れた。 ま ず、 太田 中 学校 ( 現太 田 高校 )を 中心 と する 六丁 目南 裏 から藤 阿 久 の 間、 浜 町 の東 西 道路 (現 バ ーバ ンク 通 り)、 牛 沢 方面 道 路 な ど を新 設 し た。 また、 第1 期 か ら続 く八 瀬川 の 永盛 橋 下流 域 の改 修、さ らに 妻沼県 道 を北方 へ 延長 し て熊 野へ 達 する 道路(現 平和 通 り ) の新設 など が行 わ れた。 【第3 期 】 1934 年 から35 年 の1 年 間行 わ れた。 八 幡 山前 から 太田 中 学校 東 側、 浜 町、 新 井へ と抜 け る 道路 が新 設 さ れ た。 ま た、 大 門 通 りは堤 と並木 が 撤去 さ れ道 幅 が拡 張し た。 大 光 院東 側 の道路 も拡 幅し 新 設 さ れ、 金 山線 とし て一 直線 に なっ た。 【事 業 の 結果】 120 本(う ち幹 線5 本)の道 路 が新 設 さ れ、橋梁 は20 ヶ所 架設 さ れ た。 また、八 瀬 川 の改 修( 直線 化 ) や 桜並 木 の造 成 な どが 進み、 都 市化 の 基礎 が 出 来、 か なり の水 田・ 桑畑 が 宅 地に 転換 し た。 なお 人 口 は1920 (大 正9 ) 年 に5.803 人 だっ たの が、30 ( 昭和5 )年 に は7.304 人に 増加 し た。

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2。中島飛行機株式会社の発展

耕 地整 理 法 に基 づ く都 市 計 画事 業 が 竣功 す る 少し 前 の1935 ( 昭和10 ) 年3 月、 太 田町 は都 市事 業 を管 轄 す る内務 大 臣 に都 市計 画 法適 用 を 申請し た。そ の 目的 は交 通系 統の 整備 、 区画 整 理そ の他 の 施 設計 画 の樹 立で あっ たが、 そ の背 景 に は太 田町 に工 場 のあ る 中島 飛行 場 株式 会 社の発 展 があ っ た。 申請 理 由書 に は、 次の よ うに 述べ ら れ てい る3)。 「 中 島飛 行 機 株式 会 社 ニ アリ テ ハ、 最 近 町 ノ東 端 二工 場 ヲ拡張 改 築 シ 事業 ヲ拡 大 シ、 材 料 及 製作 品 ノ 輸送 等 二交 通 頻繁 ヲ極 メ、 特 二 軌近交 通 機 関ノ 完備 二 伴ヒ、 町ノ 内外 ヲ 問ハ ズ交 通系 統ノ 整備 ヲ 期 ス ルコト ハ 喫緊 ノ 要務 ナリ 。」 なお 、都 市計 画 区域 は太 田 町を 中心 に新 田郡 島之 郷村 ・宝 泉 村 ・沢 野村 ・ 九合 村、 山田 郡韮川 村 の5 ケ村 を包 括 す る も の だっ た。 同 年5 月、 内務 大 臣 か ら 都 市 計 画指 定 の 告示 があ り、36 年8 月 に は都 市 計 画 区域 指 定 の告 示 があ り、 新 た な都 市 計 画事 業 が 進め ら れた。 そ の状 況 を 述 べる 前 に、 中 島飛 行 機 株式 会社 の発 展 を みてい こ う。 2 。1 中 島 知 久 平 と 中 島 飛 行 機 の 誕 生 現 在の 富 士重 工業 の 前身 であ る 中 島飛行 機 の創 設 者・中 島知久 平 は、1884 明 治17 )年1 月11 日、 農 家 であ る 中島 粂吉 ・い つ の 長男 とし て、 太 田 町近 傍 の利 根川 沿い に あ る尾 島村 (現太 田 市)押 切 に 生 ま れた。98年、尾 島尋 常 高等 小 学校 を 卒業 す るが、家 庭事 情 か ら太 田中 学校 へ の 進学 を断 念し た。 そ の後、家業 を継い だ が軍 人 を 目指 す ため、1902 明治35 )年8 月15 日に上 京 を決行 し、そ の翌 年12 月21 日に は海 軍機 関学 校に 合格 し た。 この 在学 中 に飛行 機 に興 味 を持 つ よう になっ た。 03年 に ア メリ カ合 衆 国の ラ イト兄 弟 が、世界初 の 動力 飛行 機 の飛 行 に成 功し た こと を知っ たこ とに よる。1907 (明 治40 )年4 月、海 軍機 関 学校 を卒 業 し海 軍 機 関少尉 候 補 と なっ た。 10年3 月 か ら軍 艦「生 駒 」 に乗 船 する こ とに な り、 同 年5 月 に は英 国 に派 遣 さ れる こと に なっ た。 その 際、 フ ラ ンス の 航 空 技術 を視 察す る ため 一人 願い 出 てフ ラ ン スに残 り、 機 体 工場 や 飛行 場等 を視察 し た。 こ の視 察 に よ り、 大 艦 巨砲 よ り も飛行 機 に よる機 雷 攻撃 の 方が 有益 と 考 える よう に なっ た。 そ の後1911 年 の7 月 か ら翌 年 の6 月 まで 、 海 軍大 学 選 科 生 とし て 飛行 機 研 究 に専 念 し た。 こ の 間に 日本初 の飛行 船 を 完成 させ 、 日本 で3 番 目の飛 行船 操 縦員 と な り初飛 行 を成 功 させ た。 こ れ に よ り、大 尉 に昇 進 する こ とと なっ た。 同 年12 月、「 臨時 軍用 気 球研 究会 」の御 用 係 に任命 さ れたが、 こ の 会 は、09年7 月 に勅令 に より設 置 さ れた 日本 航空 界最 初 の組 織 であっ た。 ま た、12年6 月 には、 設 立 さ れた「 海 軍航 空機研 究委員 会 」の 委員 と な り、実 地研 究 を担 当 し た。 同年7 月 か ら5 ヶ月 間4)、 アメリ カ合 衆国 に 出張 し、 カ ーチ ス飛 行 機工 場で 飛 行機 の 製作 と 整備 技術 の研 究 を行 っ た。 こ の経 験 に よ り、 中 島知 久 平 は 海 軍で の 飛行 機 に 関 す る 第一 人 者 と なっ た。 1913 (大 正2 ) 年5 月 に は飛 行 機 造 修工 場 の 主任 と なり、7 月 に は海 軍 製 で初 の 飛 行 機 を完 成 さ せ た。 翌 年1 月 か ら9 月 まで「 造 兵監 督官 」 とし てフ ラン ス出 張 を命 じ ら れたが、 この 出張 で は、発 注 し た飛行 機・発 動 機 制作 の 監 督 とヨ ーロ ッパ 航 空界 の視 察 を行 っ た。 帰 国後、 横 須 賀鎮 守府 海 軍工 廠 造兵 部 の飛行 機 工 場 長 とな り、 自 ら考 案し た「 中 島式 ト ラ ク ター機 」や 改 造 ・改 良機 を製 作 して いっ た。 1916 年4 月 か ら海 軍 技術 本 部会 議員 に就 任 し、10 月 に再 び 渡 欧 を命 じ ら れ た。 こ の 頃、 中 島 は 民 間航空 機 産業 の必 要性 を考 えて い たが、 当 時、 海 軍や 政 府 は「 大艦 巨砲 主 義」 に よ り飛行 機 を 軍

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事 力 と し て は 考 え て い な か っ た 。 そ の た め 、 海 軍 を 退 役 す る こ と に し 、17 年3 月 末 、 病 気 を 理 由 に 休 職 届 け を 提 出 し 帰 郷 し た 。 帰 郷 し た 中 島 は 、 飛 行 機 製 作 の た め に 海 軍 時 代 の 部 下 や 友 人 を 技 術 者 と し て 集 め た 。 資 金 は 知 人 を介 し 、 神 戸 の 肥 料 問 屋 ・ 石 川 茂 兵 衛 に 援 助 し て も ら う こ と と な っ た。 ま た 、 利 根 川 河 川 敷 に 飛 行 場 を 建 設 す る た め の 許 可 の 取 得 も 進 め た 。 1917 年5 月 、 尾 島 町 前 小 屋 の 岡 田 権 平 宅 の 養 蚕 小 屋 を 借 り 、「 飛 行 機 研 究 所 」 の 看 板 を 掲 げ 、6 名 の 仲 間 と 共 に 始 め る こ と に な っ た 。 同 年6 月1 日 に は 予 備 役 編 入 と な り、 同 年12 月10 日 に は 太 田 町 の 大 光 院 に あ っ た 博 物 館 用 建 物 を 借 り 、 研 究 所 を 移 し た 。 こ の 建 物 は、 東 武 鉄 道 が 太 田 町 に 寄 贈 し 、 博 物 館 に す る 予 定 で あ っ た が 、 中 島 は、 太 田 町 長・武 川 六 太 郎 に 建 物 借 用 の 申 し 入 れ を し た 。 こ の 際 、 武 川 は 、 寄 贈 者 で あ る 東 武 鉄 道 社 長 ・ 根 津 嘉 一 郎 の 元 を 訪 れ 相 談 し た と こ ろ 、 根 津 は 「 ど う せ 潰 れ る だ ろ う か ら 、 家 賃3 円 を 貰 っ て 貸 し て お け ば よ い だ ろ う 」 と 答 え た とい う5)。 1918 ( 大 正7 )年4 月1 日、名 称 を「 中 島 飛 行 機 製 作 所 」と 改 称 し た 。 し か し 、そ の1 ヵ 月 後 の5 月 、 神 戸 の 豪 商・川 西 清 兵 衛 の 出 資 を 得 て 「 合 資 会 社 日 本 飛 行 機 製 作 所 」 を 設 立 し 、「 中 島 飛 行 機 製 作 所 」 の 看 板 を 下 ろ し た 。 1918 年7 月 、 日 本 初 の 民 間 飛 行 機 「 中 島1 型1 号 機 」 が 完 成 し て 試 験 飛 行 を し た 。 だ が 、 墜 落 ・ 大 破 し 、 そ の 後 も な か な か 飛 ば な か っ た 。 し か し 翌19 年2 月 、「 中 島4 型6 号 機 」 が 完 成 し 飛 行 に 成 功 す る と、 早 速 陸 軍 か ら 偵 察 機 兼 練 習 機 と し て20 機 の 注 文 が き た の で あ る 。 同 年4 月 に は 、 利 根 川 河 川 敷 に 建 設 し た 尾 島 飛 行 場 の 開 場 式 が 盛 大 に 行 わ れ た 。 太 田 に あ る 工 場 か ら 尾 島 飛 行 場 ま で は8km あ っ た が 、 飛 行 機 は 解 体 し て 荷 車 に乗 せ て 人 力 で 運 搬 し た 。 2 。2 中 島 飛 行 機 の そ の後 の 展 開 1919 (大 正8 )年12 月、経営 方針 の 違い から川 西 と手 を切 り再び「 中 島飛 行 機製作 所 」と なっ た。 こ の後 、陸 軍 から の注 文 は続 き、また海 軍 か らも注 文 があ り、中 島 飛行 機製 作 所 は大い に発展 し た。 後、31 昭和6 )年12 月 に は「 中 島飛行 機 株式 会 社」 と改 称 し た。 中 島飛 行 機 は、1925 (大 正14 ) 年 から発 動 機 につ い て は 東 京府 内 ( 現 在 の杉 並 区 上井 草) に 設 置 し た東 京工 場で 生 産し た が、 機体 は大光 院東 の細 長い 谷 間の 敷地 に ある 太 田工場 (呑 竜工 場) で 製作 し てい た。生 産 の増 加 と と もに工 場棟 など の増加 を繰 り返 して い たが 手狭 とな り、34 昭和9 ) 年 初 め か ら太 田町 の 東 端 に広 大 な用 地 (24 万7.500m' ) を得、 新 工 場 の 建 設 を始 め、 同 年11 月 竣 功 し た。 移転 時 の従 業員 数 は2,121 人 であ っ た。 そ の後 も拡 張 工事 が行 わ れ、38 年に ほ ぼ完了 し た が、 そ の 敷地 面 積75 万ha 、 従業 員 約2 万4 千 人 に発 展 し た。 そし て旧 工 場 等 も合 わせ、 太 田製 作 所 と なっ た。 1937 ( 昭和12 )年 に は、 日中 戦 争 が始 まり、 軍部 か ら の発 注 は 一 層増 大 し た。 この た め、39 年 から太 田 町 隣接 の小 泉 町 ・大 川村 (現 在 の大 泉 町) で 小泉 製 作所 の 建 設 が始 まり、41 年12 月 まで に 海 軍機 関 連の業 務 を この 製作 所 に移 転し た。 この 時、小 泉 製作 所 の従 業員 は5 万5 千 名 で あっ た。 小 泉製 作所 の従業 員 輸送 の た め、 太 田 か ら小 泉 に至 る鉄 道 が東 武鉄 道 に よっ て敷 設 さ れた のは、41 年6 月 で あ る。 ま た、 太 田 病 院が太 田 製作 所 内 に39 年 か ら41 年に かけて 建 造さ れ た。 一方、太 田製 作所 と小 泉製 作所 の 間 に130 万ha の敷 地 を もつ太 田飛 行 場 が、1941年2 月 に完 成し た。 飛行 場 と 両製 作所 の 間 は専 用 道路で つ な が れた。さ ら に43 年2 月に は、尾 島町 に 部品 工場 が 完成 し、

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44 年 に は、太 田 製作 所 だけ で従 業員 数は5 万 人 を超 え た。また 中島 飛行 機 株式 会 社 は、伊勢 崎、前 橋、 大 宮、 宇都 宮 など に も製作 所 ・工 場 を整備 し てい っ た。 こ の よう に、 中 島飛行 機 株式 会 社 の急 激 な発展 の 下、 太 田 町は 当会 社 の企業 城 下 町、 軍 部都 市化 し てい っ た が、 そ の発展 を支 える 新 たな都 市 計 画が 策定 さ れ事 業 が進 め ら れてい っ た。

3。 新興工業都市建設

3 。1新 興 工 業 都 市 建 設 計 画 の 策 定 1930 年代 に入 る と中 島 飛行 機 は、 周 辺16 町村 を含 む 人 口30 万 人 の新 興 工業 都 市 の 創 造 を 目指 す 構 想 を打 ち 出 し た6)。 中 島 飛行 機 が 構想 を打 ち 出 し た理 由 は、「 同 社 の新 工 場建 設に 伴 っ て の物 質 や 飛行 機 輸送 が増 え、交通 体系 の整備 が必要 に なっ たこ とな どが 理 由で あっ た」と言 われ てい る7)。 交 通 体系 の 整備 に は太 田町 だけ で な く、 近 隣町村 の 協力 が 必要 で ある 。 ま た、 中 島 飛行 機 が今 後発 展 し てい く ため に も、 太田 町 内 だけで は 十分 で は なく なっ てい た の だろ う。 新 工業都 市構想 は、 この ように 中 島飛行 機 が打 ち 出し た も のだ が、 太 田町 に とっ て も中 島飛行 機 の 発 展 は重 要 で あっ た の だろ う 。 1935 ( 昭和10 ) 年3 月12 日、 太 田 町 長・ 武 川 六 太 郎 は、「都 市 計 画 法適用 申請 書」 を 内務 大臣 ・ 後 藤文夫 に提 出し た。 こ の 申請 書の 内容 は以 下 の とお り で、新 た な都 市施 設 の設 置 と計 画区 域 の拡 大 を要 請し た8)。 「 我 が太 田 町ハ 近 時著 シ ク 町勢発 展 シ、 殊 二各 種機 関 ノ完 備 二伴 ヒ、 町ノ 内外 ヲ問 ハズ 交 通系 統 ノ 整備 、 或 ハ区 画整 理 ヲ期 ス ルノ 緊要 ナル コト ヲ認 メ候 然 ルニ、 既 設 市街 地 ヲ シテ 自然 ノ推 移 ト膨 張ト ニ 放任 セ ン カ、 将来 交通 ・衛 生 ・保 安 ・ 経済 等各 方 面 二亘り 支障 弊害 ヲ 醸成 シ、 前 途寒 心 二堪 ヘ サ ルモ ノ有 之候 依 テ本 町 二於 イ テハ 弥々 其 ノ都 市ト シ テ機 能 ヲ発 揮 セシ ムベ ク、 諸 般 ノ施 設計 画 ヲ樹 立 シテ 之 ヲ 合 理 的 二統 制 シ、 以 テ 永遠 公共 ノ 安寧 ヲ 維持 シ其 ノ 福利 ヲ 増 進致 度候 間、 是 非共 都 市計 画 法 ヲ御実 施 相 成度、 茲 二町会 ノ 議決 ヲ以 テ 此段 及 申 請候也 追 テ計 画 区域 ト シテ新 田 郡鳥 之 郷村 ・宝 泉 村 ・沢 野村 ・ 九合 村、 山田郡 韮 川村 ノ 五 ケ村 ヲモ抱 括 シテ 其ノ 区 域 ヲ定 メ候 間 申添候 」 また、 申 請す る にあ たっ ての 理 由書 につ い て は、 以 下 の とお りで あ り9)、 中 島飛 行 機の 発 展 が交 通 を中心 と し た新 たな都 市 計 画 を必要 と し てい るこ と が分 か る。 「我 が太 田 町ハ …… ( 略 )… … 尚 中 島飛行 機株 式 会 社 ニ アリ テハ 、 最 近 町ノ 東 端 二工 場 ヲ拡 張改 築 シ事 業 ヲ拡 大 シ、 材料 及 製作 品 ノ輸 送 等 二交通 頻 繁 ヲ極 メ、 特 二軌 近交 通 機 関ノ 完備 二 伴ヒ、 町 ノ 内外 ヲ問 ハズ 交通 系 統ノ 整備 ヲ期 ス ルコト ハ 喫緊 ノ要 務 ナリ 。 顧フ ニ、 既 設市 街 地ニ シ テ自 然 ノ 推 移 ト膨 張 トニ 放任 セ ン カ、 交 通 ・衛 生 ・保 安 ・経 済等 各 方面 ヲ 観察 ス ルニ、 幾多 情弊 ノ 伴ヒ シ コ ト アルハ 先 進都 市 ノ実 例 二徴 シ明 瞭 ナ ル所 ナリ。 但 テ本 町 二於 イ テハ、 将 来都 市 ト シテ 機 能 ヲ発 揮 セ シムベ ク、 諸 般 ノ施 設計 画 ヲ樹 立 シ之 ヲ合 理的 二統制 シ、 以 テ 永遠 二公 共 ノ安 寧 ヲ維持 シ、 其福 利 ヲ増進 セ ント ス」 こ の よ う な地 元 の要 求 の 下、 都 市 計 画群 馬 地 方 委員 会 は1938 年11 月15 日、 都 市計 画 区 域 の拡 大 を決定 し、 同 年12 月8 日、 新 たに 休泊 村、 小 泉、 大 川村 が 編入 さ れ た。 さら に1939 年3 月 に は

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中 島飛 行 機 株式 会 社 の飛 躍 的 発展 に伴い 、 太 田 都 市 計 画区 域 は12 ヶ 町村 に拡 大 し た。 そ れら の 町 村 は 次の 通 りであ る 。 新 田郡 太 田町、 島 之 郷村、 宝 泉村 、 沢野 村、 九 合村 、 木崎 町、 尾 島 町、 世 良田村 粕 川、 山田郡 韮 川村 、 休 泊村、 邑 楽 郡小 泉 町、 大川 村 太田 町 を中 心 と する 大都 市 計 画 と なっ た の だが、1939 年6 月、 幹 線道 路 とし て62 路 線 が 内務 省 に よ り指 定 さ れた。 さら に、1940 年3 月13 日付で 金 山、 天 神 山、小 泉 城 趾 跡 など、 金 山丘 陵や 寺 社 の他 、 古墳 や 城跡、 館 跡 な ど6 ヶ所 が風 致 地 区に 指定 さ れ た。 そ し て同 日付 で「 太 田都 市 計 画新 興工 業 都 市建 設土 地 区 画整 理」 が、 内 務省 に よ り告示 さ れ、 さ ら なる 軍需 都 市を 目指 し て新 興工 業 都 市建 設 事業 が 進 めら れて い くこ と と なっ たの であ る (図5 )。対 象 とな る地籍 は約1.154 万1 千 坪 (約3.800ha) で、 そ の 設計 方針 は次の よ う なも のであ っ た1o)。 「 一、 街 路 ハ都 市 計 画ト シテ 決 定 セ ルモ ノ ニ依 ル ノ外 、 土 地 ノ状 況 ヲ 精査 シ テ 其ノ 配 置 ヲ定 ム ル モノト シ、 其ノ 幅員 ハ特 別 ノ事 情 ア ル場合 ヲ除 クノ 外、 総 テ六 米以 上 ト ス ニ、 公 園緑 地 ハ総 地 籍 ノ三 %以 上 、 小 学 校敷 地 八 本 区域 内 二二 十 三 校 分保 留 ス ル モノ ト シ、 土 地 ノ状況 ヲ 精査 シ テ適 当 二之 ヲ 配置 ス ルモ ノト ス 三、 画地 ハ土 地 用 途ヲ予 想 シエ 場、 住宅、 商店 二適 応 ス ル様決 定 ス ルモ ノト ス」 この よ う に、 街 路 は自 動車 交 通 に備 え6m 以 上 とし 、 公 園緑 地 は総 面 積 の3 %以 上 、 小 学校 敷 地 とし て23 校 分保 留 し、 区 画 は工 場、 住 宅、 商店 ( 商業 ) に適 応 す る よ う行 う こ とで あ る。 街 路 の う ち 規模 が大 きい もの は、 知事 に よっ て 執行 さ れる こ とと さ れた。 こ れ に よ り、 大 太 田 市建 設 を 目指 す「新 興工 業 都 市 建 設 土 地 区 画 整 理 事 業 」 が、40 年 度 か ら6 ヶ 年 計 画 とし て街 路 事 業 と共 に 開 始 さ れ た。 総 事 業 費 は1.193 万5.548 万 円 で あっ た。 同 心 円 状 ・ 放 射状 ・ 碁盤 目状 の 街路 の 造成、 太 田 飛行 場 の建 設、 太 田 ・小 泉・ 尾 島の 各 制作所 の立 地 など を骨 図5  太 田 新興 工 業 計 画 区 域 (1936 、40 年 ) ( 出 典 : 『太 田 市 史  通 史 編  近 現 代 』 前 出)

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格 とし た。 区画 整理 地 区 は、 工 場 ・住 宅 ・ 商店用 地 に適 応 する よ う決 め ら れた。 し かし、 具体 的 な 用 途 地域 は定 め ら れず 戦後 の都 市 計 画を待 た ねば なら なかっ た。 3 。2 新 興 工 業 都 市 建 設 事 業 の 進 展 1940 昭和15 )年4 月15 日、 区 画 整理 の 中央 部基 点 と なる2 つ の 道路 が完 成し た。 当 時 の 『読 売 新 聞』(同 年4 月12 日付 ) に は次 のよ う に述べ ら れてい る11)。 「 十 五 日 に完 成 太 田 の二 道路  太 田都 市 計 画実 施 第 一期 事業 たる 土 地 区画 整 理準 備 は、 近 く太 田 及 び小 泉 の両 町 に大都 市 計 画事 務所 の 開 設を まっ て着 手 さ れる が、 こ の区 画整 理 の中央 部基 点 と なる県 道 太 田尾 島線 の改 修 及 び中 島専 用 道路 の 開馨 は十 五 日完 成 する 。 県 道 は、 太 田 と尾 島 を つ な ぐ主 要 道 路 で … …そ の工 事 費 は 八 万 一千 円、 ま た専 用 道 路 は 太 田飛 行 場 を中 心 とし た南 北 直線 道路 で、 南 部 は長 さ一 千 五百 米、 幅五 十米、 工 事 費十 万 円、 北 部 は長 さ 一 千 百米、 幅五 十米 、工 事 費十 万 円で、 県 道の両 側 は住 宅街 及 び 商店 街、 専用 道 路 の両 側 は工場 従 業 員 の住 宅街 を予 定 さ れて ゐる 」 とあ る。 記 事 に よる と、 土 地 区 画 整理 事 業 は、 大都 市 計 画事 務 所 が 開 設 さ れ てか ら行 わ れる とい うこ と で あっ た。 そ れに先 立 ち、 区 画整 理 の基 点 となる 県 道太 田 尾 島線 の改 修 と中 島専 用 道路 の新 造 成が1940 年4 月15 日 に完 成し た。 中 島専 用 道路 は、 太 田 製作 所 や小 泉 製作 所 と 太 田飛 行場 を 結 び飛 行 機 を 輸 送 する ため の 道路 で あ り、 そ の 幅 員 は50m と広 い も の だっ た。 ま た、 専用 道路 の 両 側 に工 場 従業 員 の 住宅街 を造 成予 定 と もある 。 中 島飛行 機 が今 後 も発 展し 、 そ れに 伴い 太 田 も発 展 す る た め に事 業 を行 っ た のであ る 。 こ の 後、1940 年8 月2 日、 内務 省 は県 に対 し て 総 面 積517 万7.000 坪 ( 約1,708ha) の土 地 区 画 整 理 の強 制 執行命 令 を発 し た。『上 毛新 聞』(40 年8 月3 日付 ) に よる と次 の よう であ る12)。 「 太 田 町新 工業 地帯  区 整の 強制 執行  二 日内務 省 の命 令 大都 市 計 画本 格化 工 都 太 田 の 画期 的 躍 進 を 図 る べ き 太 田都 市 計 劃 新 興 工業 都 市 計劃 土 地 区 劃 整 理 の 強 制 執行 命 令 は、二 日内務 省 か ら県へ 正 式指 令 があ っ た、 総面 積 五一 七万 七 千坪 、 工事 費五 一 四万 八千 円で、 昭 和 十五 年 か ら十 九年 まで五 ヶ年 間に完了 の予 定で あ る… … なお 既 に 強制 執行 命令 が 出 た小 泉 町は 実施 設計 を 完了、 近 く着工 の 手順 となっ て居 り、 大川村 は 設 計準 備 を 進め て ゐる ので、 今 回 の指 令 と相 侯っ て、 愈 々 本格 的 太田 都計 事業 が 始 めら れ る わけで あ る。」 こ れに よ り本 格的 な 区画 整理 事 業が 行 わ れる よう に なっ た。対 象 地 区 は、 太田 ・ 九合 ・ 沢野 ・韮 川 の 旧1 町3 ヵ 村 に わ たっ た。 総面 積 は約517 万7.000 坪(約1.708 万m2 )で、 工 費 は514 万8,000 円 であ っ た。 工 期 は40 年 か ら44 年 まで の5 ヵ年 継 続事 業 であ っ た。そ の 着工 に先 立 ち、1 町3 ケ 村 は合 併し た。 都 市 計画街 路事業 1940 年7 月、「 太 田都 市 計 画街 路事 業」 が 開始 さ れ た。対 象 街路 は 表1 にみる6 路 線であ っ た。街 路 延長 は2 万3,402m (23.4km ) であ る が、 こ れを 道路 幅員 別 に整 理 し たの が、 表2 であ る。 施行 期 間 は、40 年 度 から45 年 度 まで の6 ヵ年 であ っ た。 こ の6 路 線 の 経費 に つ い て は 表3 に みる とお り、 総 事 業 費245 万4.000 円 であ る が 、 財 源 の約7

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割 が中 島飛 行 機 から の寄 付 であ る。 新 興工 業都 市 構想 を 打 ち出し だの は中 島飛 行 機で あ り、 また道 路 整備 は 中 島飛行 機 の発 展 に とっ て重 要で あ る から、 こ の事 業 に寄 付 を行 っ たの だろ う。 中 島飛 行 機 た めの都 市 計 画事 業で あ り、 太 田町 に とっ て中 島飛 行 機 の影響 力 は大 きかっ たので あ る。 太 田町 か ら八方 へ 延 びる県 道は、 狭 く 曲が り く ねっ た道 が多 かっ たため 、拡 幅 ・改 修 ・直 線化 を 行 な うこ とに なっ た。 また、 太 田 町周 辺 は2 本 の大 環 状 線 と10 数 本 の放 射 状街 路 の 新 設 が計 画 さ れた (図6 )。 小 泉 ・大 川 地 区 と 尾 島 地 区 は、 中 島飛 行 機 の 大工 場 建 設 に 伴い 、 方 形 や 碁 盤 目状 街 路 の建 設 が計 画 さ れた。 町村 合 併 前述 の とお り、 太 田 は新 た な大都 市 計 画 を樹 立し、 新 興 工業都 市 建 設土 地 区画 整理 を 進 めた。 そ の た めに は、 広域 行 政 に よる都 市的 発 展 と住民 福 祉 ・生 産拡 大 の重 要性 が 増 し、 太 田町 と近 隣村 と の合 併 が 必要 に なっ てい た 。 なぜ、 合 併 が必 要 になっ たの か、 その 理 由の1 つ に は、 当 然 のこ と な が ら中 島 飛行 機 が 関連し て い た。中 島 飛行 機 の大 発展 に よ り、 人口 が 増大 し 住宅不 足 と な り対 策が 必 要 になっ てい た。 また、 交通 網 の整 備や 街 区整 理 を行 う 必要 もあ っ た。 し かし、 そ の 達成 は太 田 町 域 だけ で は難し くなっ て い た。そ の た め、 太 田町 ・九 合村 ・ 沢野 村 ・韮 川村 との合 併 が計 画 さ れ る こ とに なっ た (図7 )。 そ の他 の理 由 とし て、 産 業 ・経 済面 で太 田 町 を中 心に 観 光・ 商工 業 ・通 勤 な ど4 力町村 は相互 依 存 の 関係 にあ っ た。ま た、中 島飛 行機 の 工場・住 宅 等 の進 出で 太 田町 と も互い に 提携 の 必要 が あっ た。 交 通面 で も東 武 鉄道 、同バ ス 路線 、一般 交 通路 も通 じ てお り、太 田 と3 力村 の 関係 は密接 で あっ た。 こ れら の理 由 に より、1940 ( 昭和15 ) 年1 月16 日、第2 次太 田 町 が成 立し た。 人 口4 万187 人、7.613 世 帯 と な り、県 下最 大 の 町 の誕 生 と なっ た。 こ の合 併 は、 新 興 工業 都 市 太 田 の基 盤 形 成 に貢 表1  太 田 都 市 計 画 街 路 事 業 街路 線名 延 長(m) 工 事 費( 円) 2,1,1号 線( 飯 田・古 戸 間) 4,124 332,030 2,1,2号 線( 東 矢 島・尾 島 間) 4,613 482,675 2,1,3号 線( 東 矢 島・下 小 泉 間) 4,474 356,064 2,2,5号 線( 飯 田・下 小 泉 間) 5,634 403,002 2,2,11号 線( 由 良・尾 島 間) 4,225 339,928 2,3,2号 線( 飯 田・太 田 間) 332 540,301 合   計 23,402 2,454,000 ( 出 典:『太田 市 史 通 史編 近 現代 』 太田市 、1994 年、 より 作成 ) 表3  都 市 計画 街 路 事 業 経 費 内 訳 表2  街 路 の 幅 員 街 路 幅(m) 延 長(m) 21 760 20 2,914 18 7,803 15 11,407 11 518 ( 出 典 :『 太 田 市 史  資 料 編 近 現 代 』 太田市、1987 年 、 より作 成) (1) 総 事 業 費 ( 円) (2)財 源 総 額 ( 円) 工   事   費 2,220,615 県    負    担 570,000 事   務   費 218,385 中 島 飛 行 機 寄 付 金 1,800,000 事 務 所 建 設 費 15,000 地 元 町 村 寄 付 金 84,000 合 計 2,454,000 合 計 2,454,000 ( 出典 :『太 田市 史 通史 編 近現代 』 太田 市、1994 年、 より作 成)

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ベ ー1.1   ■-生 品 村 5 ○

r o ヅ ノ   ` 1 / ○ °^ W 。‘。 `■i 宝 泉村 叫 一 一 尾島町 / / S O o ' o `ヽ p nj 〃’ jlJ 川 川 川 川 川 川    /qd  >︱ ^ 0         3kin 二 図6  太 田 新 興 工 業 都 市 計 画 の 計 画 街 路 図 (1940 ∼43 ) ( 出 典 : 『太 田 市 史  通 史 編  近 現 代 』 前 出 ) \、 \ − − 皿 − − 小 泉 村 jJ ここ2 太 田 町( 第1 次)E 明 治22年 第2 次 太 田 町[EIE[1 昭 和15年4 月1 日[ Ξ:Ξ1 第3 次 太 田 町 昭和18年11 月1 日 図7  戦 前 の 太 田 市 へ の合 併村 ( 出 典 : 『太 田 市 史  通 史 編  近 現 代 』 前 出 ) /■ ' ヽ 献 し 、 戦 後 の大 合 併 へ の 先 導 役 と も なっ た。 さ ら に43 年 に は鳥 之 郷 村 が 加 わり、 人 口6 万3.225 人 の 太 田 町 が 生 ま れ た。 当 時、 全 国一 の 大 規模 な 町と なっ た。 挫 折 新 興 工業 都 市 建 設事 業 が 進 め ら れ てい る最 中 の1941 年12 月、 太 平 洋 戦 争 が 勃 発 し 日本 は戦 時 経 済 下 に入 っ た。 日本 の 飛 行 機 産 業 を代 表 す る まで 発 展 し た中 島 飛 行 機 株 式 会 社 は、 一 層 の 増 産 に励 ん だ が、 戦 況 悪化 に伴 い 日本 本 土 が 空 襲 に さ らさ れ ると、太 田 町 もそ の標的 となっ た。45 年2 月、 太 田 製作 所 は4 回の 空 襲 にあ い 大 損 害 を 被 っ た。 ま た45 年3 月 に は 政 府 の 航 空 機 工業 国営 化 方 針 に より、 中 島飛 行機 は、同 年3 月31 日付で 国 営企 業・ 第一 軍 需 工 廠 と な り、 太 田 製 作 所 は 「 第 一 軍 需 工 廠 第 一 製 造 廠」 と な っ て、 なお も生 産 を続 け よう とし た。 だ が 同 年8 月

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15 日、敗 戦 と なっ た。 新 興 工業 都 市建 設 事業 も、 戦 局が 悪化 し てい く中 で中 止 と なっ た。 4 。 戦 後 の 工業 の 復 興 と発 展 4 。1 旧 中 島 飛 行 機 株 式 会 社 の 解 体 と 新 産 業 の 登 場 戦後 、 太 田町 に は旧中 島 飛行 機太 田 製作 所 に占 領 軍が 進駐 し た。 旧 中島 飛行 機 株式 会 社 は敗戦 直 後 に社 名 を「 富士 産 業株 式 会社 」 に変 更し 、民 需 に 転換 し て存 続 を図っ た。 太田 飛行 場、 太 田 ・小 泉 両 工場 はGHQ に接 収 さ れた が、1945( 昭和20 )年10 月 に は 呑 竜工 場 で 自 転 車や リ ヤカ ー の生 産 を開始 し た。 翌年 に は電 気 部品 ・小 型 モ ー ター ・電 熱器、 さ らにモ ータ ース ク ータ ーの 生 産許可 を 得 た。 伊勢 崎 工場 で はバ ス ボ ディ ー を、 前 橋 本工 場 で は農 器具 ・ト ラク タ ー・農 耕機 を、 宇 都宮 本 工場 で は電 車 の 修理、 農 器 具 ・金具 を生 産し た。 こ れ らの 製品 は、 基 礎的 な 生活物 質が 極 度に不 足 し てい た 当時、 い ず れも飛 ぶ よう に売 れた とい う。 た だし 従業員 は敗 戦時 に全 国 で25 万 人い たが、46 年1 月に は3.197 名 に減 少 し た。 だ が、 財 閥解 体 に より1950 年 に は富 士 産業 (株 ) が 出資 者 と なっ て12 の 第二 会 社 が 設立 さ れ、 富 士 産業 か ら独立 し た。 そ の うち の一 つ が冨 士工 業 (株 ) であ り、 こ こが 中核 とな り財 閥再 結集 の 動 き の中 で53 年 に5 社 が合 併 し て富 士 重 工業 株 式 会社 の 設立 と なっ た 。 55年 に はさ ら に5 社 を吸 収合 併 し、 今 日 の富 士重 工 業株 式会 社 が発 足 し た。発 足 当 時の 従業 員 は5.643 人で あっ た。 一 方、旧 中 島飛 行 機株 式 会社 と深 い 関 わ りを もっ た工 業 とし てメ リ ヤス 工業 、 ボ タン 工業、 金 型 工業 が戦 後、 新 たに 興っ た 。 メリ ヤス 工業 は毛 紡 糸 工業 か ら発展 し たが、毛 紡機 の主 要 部 に必要 な 金 属 部品 の多 く は旧 中 島飛 行機 か ら放 出 さ れた もの を利 用 し たとい う。 また その 従業 員 は旧 中 島飛 行 機 の 離 職者、 そ し て復 員 者 達 で あ り、1945 年 の終 わり 頃 に は太 田 及 び 周 辺地 域 に 毛 紡糸 業 者 は200 名以 上 に もなっ た。 そ の翌 年5 月 に は 商工 者 の 認 可 を得 て、 組 合 員217 名 の「 太 田手 紡 糸 協 同組 合 」 が 結成 さ れた。 こ の 頃 か ら手 紡 糸 業 は 活発 化 す る が、 業 者 数 の 増加 に よ り競合 状 態 と なっ た。 ま た、49 年 の統 制 撤 廃や 紡 績機 の復 興 な どに よ り、 手 紡 糸業 者 は メリ ヤス 生 産へ と転 進 して いっ た。 メリ ヤ ス技術 は、東 京 から の疎 開者 に よっ て広 まり、手紡 糸 業者 は 彼 らか ら技 術 を習得 し てい っ た。1949 年8 月 に は、組 合 員25 名 の「太 田 メリ ヤ ス工業 協 同 組合」が創 立 さ れ、同 年10 月 に認 可 さ れた。 こ の協 同 組合 や他 の 関 連組 合 に より、 太 田の メリ ヤ ス業 は発 展 して いっ た。 その 背景 に は、 周辺 地 域 に養 蚕 ・製 糸業 地 帯 があ り、 原料 が 入手 し や すかっ たこ とが あげ られる 。 ボ タ ン工 業 は、1946 年、 大 隈樹 脂 工 業 株式 会 社 の創 業 者 ・ 大隈 金 六 が、 旧 中 島 飛 行 機 にあ っ た 機械 と材料 を購入 し た こと か ら始 まる 。購 入 し たプ ラス チ ッ ク(樹 脂 )工 作 機 とプ ラス チ ッ ク材 料 に よっ て ボ タ ンの 製造 を 始 め た。 48年 か ら49 年 頃に な る と、 軽 工 業 が発 展 し、 衣料 関係 の 生 産 も 増加 し た。 こ れに より、 ボ タ ンの需 要 が増 加 し発 展 する こ とに なっ た。 金型 工業 は、 高度 な金 型 技術 を持 っ た旧 中 島飛 行 機の 従業 員 が独 立 し、 地 元企業 と共 にプ レ ス金 型 や 器具 等 の生 産 を行っ た こ とが始 まりで あっ た。 この 地 元企業 も、 かつ て は中 島飛 行 機 の協力 工 場 であ っ た。

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4 。2自 動 車 産 業 の発 展 太 田市 の基 幹 産業 とし て 発展 し た のが、 富 士重 工 業株 式 会社 であ る 。前 身 の富 士 産業 ( 株) 時代 の1947 年 に は「 ラビ ット ス クー タ ー」 が 生 産、販 売 さ れる と、爆発 的 な人 気 を博 し た。「 ラ ビ ット」 の 名 はス クー タ ーの代 名 詞 と まで な り、57 年 ∼59 年 に は全 盛 期 を迎 え た。 そし て大 衆車 ス バ ル の 開発 成功 に よ り自動 車生 産 会社 へ と転 換し た。 そ の 経緯 を み る と、1954 年 に は、 大 衆 車「 スバ ル」 の 前 身 であ る「P-1」 試作 車 を 完 成 さ せ た。 翌 年5 月、 通商 産業 省 (現 経 済産 業省 ) が「 国民 車 構想 」 を発 表し たが、 富士 重 工業 は軽 四輪 車 の 開発 を 目 指 す こ と に なっ た。 そし て58 年3 月3 日、 日本 初 の 本 格的 な軽 乗 用 車「 スバ ル360 」 が 発 表 さ れた のであ る 。 1958 年7 月、GHQ に 接 収 さ れてい た旧 中 島飛 行 機 の太 田 製作 所 が接 収 解 除 に なり、 国 に 返還 さ れる こ とに なっ た。 富士 重 工業 は太 田市 や群 馬県 の 支援 の も と、国に 返還 の 申 請を行 い、60年8 月、 大 蔵省 ( 現 財務 省 ) か ら の払い 下げ を実 現 さ せ た。 同年10 月 に新 工 場 が完 成 し た こ とに より、 太 田 製作 所 と伊 勢崎 製 作所 を 統合 再 編成 し て群 馬製 作 所 とな り、新 工 場 は群 馬製 作所 本 工場 となっ た。 こ れに より、 富士 重 工業 株 式会 社 は太 田 の基 幹 産業 と なり、 太 田 は自 動車 産業 都 市へ と変 貌し てい っ た。 こ れに合 わせ、1960 年代 の 高 度経 済 成 長 期 に なる と、 金型 の需 要 が急 激 に 伸 び、 金 型 企業 が 確 立 し た。 70年 代 に 入 る と、 太 田 の 株式 会 社 荻 原 鉄工 (後 の オギ ハ ラ) と 大 泉 の株 式 会 社 宮津 製 作 所 の2 大 企業 が発 展 し てい っ た。 両社 の発 展 に よ りそ の後、 太 田 ・大 泉で は金型 工業 産 地 が形 成 さ れる こ とに なっ た。 また工 業 団地 が整 備 さ れ、 富 士 重工 を はじ め 三菱 株式 会 社、 旧 三洋電 気 株式 会 社 などが 進 出し、 操 業 を 開始し てい っ た。 太 田市 は 日本 有 数の工 業 都市 へ と成 長し たの だが、 そ の状 況 につ い て事 業 者数 と従業員 数の推 移 で み たの が 図8 であ る 。 また、1955 年 から2005 年 に至 る 工業 製 品 出荷 額等 に 占め る主 な業 種 割合 の 推 移を み たの が図9 であ る。 出 荷 額が順 調 に増 大 し てい く中 で 輸送 用機 械、つ ま り自動 車 が今 日、 ほぼ3 分 の2 を 占 めてい る 。 こ の よう な工業 都 市 に発 展し た背景 に は、 太 田市 に よる 積極 的 な企 業誘 致 があ っ た。 ま た第 三 セ ク タ ーとし て株 式 会 社 太 田 国際 貨 物 タ ー ミ ナル が 設 立 さ れ、2002 年 度か ら 内 陸通 関施 設 であ る 東 事業所        人 ・jWWW 1,400 −1,200 − 1,000 −800 − 600 −400 − 200 −22.106 ここ 皿 乙:j,uuu −20,000 −15,000 −10,000 −5,000 ノてニニ`

16,495^ ,261 / ・,,ダ回国 4,341 /

眉目ヨレ

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-1955   1960   1965   1970   1975 畷回 事業所数 → 一従業員数 事 業所1,2001,000800 0   0   0 0   0   0 6   4   2 0 0   0   0   0   0   0   0 人 0   0   0   0   0   0   0   0 0   0   0   0   0   0   0   0 Z   Z   Z   タ   タ   タ   Z 0   5   0   5   0   5   0   β 4   3   3   2   2   1   1   5   0 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 畷四 事業所数 → 一従業員数 図8 (a)太田 市の製造業 の事業所数 と従業員数 の推移 図8 (b) 太田市 の製造業の 事業 所数と 従業 員数 の推 移 注1  す べ て の 事 業 所 を 集 計 。 ( 出 典 :『太 田 市 統 計 書 』、『太 田 市 勢 要 覧 』、『統 計 お お た 』 よ り 作 成 ) 注1  従 業 員4 人 以 上 の 事 業 所 を 集 計 。 ( 出 典 :『 太 田 市 統 計 書 』、『 太 田 市 勢 要 覧 』、『統 計 お お た 』 よ り 作 成 )

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0 % 注1 注2 注3 注4 1 0 % 2 0 % 3 0 % 4 0 % 5 0 % 6 0 % 7 0 % 8 0 % ・ 食品 nit 維・衣 服 等 口 木・パ ルプ・紙・mm El 化 学・ゴ ム・づラス チック  ・ 金 属  口 機 枝 ■愉 送 用 機械 口そ の 他 9 0 % 従 業 員4 人 以 上 の 事 業 所 を 集 計 数 字 は 各 年 度 総 出 荷 額 に 対 す る 百 分 率 ( % ) で あ る 。 機 械 は 一 般 機 械 ・ 電 気 機 械 ・精 密 機 械 を 合 算 し た 。 そ の 他 に は 皮 革 ・ 窯 業 を 含 む 。 図9  太 田 市 の 工 業 出 荷 額 に 占 め る 主 な 業 種 別 割 合 ( 出 典 :『太 田 市 統 計 表 』、『太 田 市 勢 要 覧 』、『統 計 お お た 』、『風 土 記 太 田 』 よ り 作 成 ) 1 0 0 % 京 税 関派 出所 の設 置 に より、 関税等 の 徴収 ・ 輸 出入貨 物 の 通 関な どが行 わ れてい る。 さ ら に社会 基 盤 整備 が行 わ れた。 こ の状 況 をみ てい こ う。 5 。 太 田 市 の誕 生 と 首都 圏整 備法 の 指定 1948 年 には 市政 施行 とな り、 人口5 万1,000 人 の太 田 市が 誕生 し た。 そ の後 、 町村 合併 促 進法 に 基 づ き57 年 に は休 泊 村・ 強戸 村 が、 さ らに56 年 か ら の新 市 町村 建 設 促 進法 に より、60 年 に は矢 場 川村 の う ち本 矢 場 と 植木 野 の2 大 字 が、63 年 に は宝 泉村 そし て毛 里 田村 が 編入 合 併 と な り、 新 太 田市 は面 積97.49km' 、 人口8 万5.838 人 と なっ た。 太 田市 は、1955 年 、 産 業 都 市 の建 設、 市民 福 祉 の増 進、 企業 誘致、 教 育 文化 ・ 保 健 衛生 ・ 社 会 福 祉 等 の完 備 に よ る 近代 的 文化 都 市 を 目指 す 等 の「 太 田 市 建 設計 画 」 を 策定 し たが、59 年 度か ら は10 ヶ年 計 画と し て「 新 市 建 設基 本計 画 」 に基 づ き整 備 を 図っ てい っ た。 そ の計 画 目 標 は 次の5 項 目で あ る。 一、 雇用 の増大 と 所得 水 準 の向上 = ゝ 一 一 ―.. ゝ 農業 ・ 商業 ・ 工業 ・ 観光 ・交 通 な ど産業 基 盤 の整 備 道路 ・ 街路 ・ 上水 道 ・土 地利 用 (用 途 地域 ) な どの都 市基 盤 の 整備 四、 教育 ・ 住宅 ・ 福祉 施 設 の整備 と増 強 五 、 財 源 の拡充 強化 ・ 行 政 経費 の節 減 な ど行 財 政 の健 全化 計 画 は、「 工業 誘 致 に よる 産 業 振興 で 都 市 を改 造 し、 農 業 ・工 業 ・ 商業 両 全 の総 合 的 近代 都 市 の 創 造 を 大 き な ねらい 」13)とさ れ てい る が、 戦前 の太 田 市 の 産業 構 造 を 踏 ま え工 業 の 発 展 を期 し て い た。

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首 都 圏整備 法に よる 市街 地 ( 都市 ) 開発 区 域の指 定 1956 ( 昭 和31 ) 年、 政 治 ・ 経 済・ 文化 の中 心 に ふ さ わし い 首 都 圏 の 建 設 と秩 序 あ る 発 展 を図 る こ とを 目的 とす る首 都 圏整 備法 が 公布 さ れる と、 太 田市 は 市街 地 開発 計 画の 指定 に 向け熱 心 な運動 を 展 開し た。 こ の法 律 は東 京・ 埼 玉・ 千 葉・ 神奈 川 ・茨 城 ・栃 木 ・群 馬・ 山梨を 首都 圏 とし 、 こ の 区 域 を 既 成 市 街 地 ・ 近 郊 整 備 地 帯・ 市 街 地(都 市)開発 区 域の3 地帯( 東 京 を 中 心 に 同 心 円 状 ) に 分 け た( 図10 )。 既 成 市街 地 に つい て は東 京 と神 奈 川 の 一 部、 近 郊 整 備 地 帯 に つ い て は 東 京 ・ 埼 玉 ・ 千 葉 ・神 奈 川 ・ 茨 城 の 一 部、 都 市 開 発 区 域 につ い て は埼 玉 ・ 茨 城・ 栃 木 ・ 群 馬 ・ 山梨 の 主 な 都 市 が設 定 さ れた。そ し て、基 本 計画・ 整 備 計 画 ・事 業 計 画( 毎 年 度 ) か ら な る計 画 を 策 定 し 、 そ れ を 実 施 す る 基 本 法 と な っ た。 首 都 圏 諸都 市 の 都 市 計 画 は、 こ の 計 画 に 適 合 す る よ う 定 め る必 要 があっ た。 首都 か ら80km 圏に あ る太 田 市 は、1958 年 の 第 一 次 基 本 計 画で は工 業 を 中 心 と す る 市 街 地 を推 進 す る 地 区 と 位 置付 け ら れ てい たが、60 年4 月30 日、 太 田 ・ 大 泉 地 区 の 名 称 で 首 都 圏 F イIL /ノ‘' 『 III ?I ″ />.. /" ゛r ≫Hfi リ ブ い ≒ へ J こ ・ 一 首 都 圏 区 域 IlIlFl 既 成rtilil地 「 でTH 近 郊 整 備 地 帝 函 ・ 4 初 の 耐h 地 開5 £区 域1 こ ≡ 昭和 牌 以降虻大した豺開寵区壊 一 一 一 都 県 界 Ei・] 近 郊 緑 地( 呆 全 区 議 図10  首 都 圏 整 備 計 画 ( 出 典 :『太 田 市 史  通 史 編  近 現 代 』 前 出 ) 整 備 法に基 づ く首都 圏 で4 番 目の 市街 地 (都 市) 開発 区域 の指 定 を正 式 に受 け た。 この 区 域に 工業 団 地 ・住 宅 団地 の造 成 を中核 とす る新 市街 地 の建 設 を行 う と と もに、 区域 内既 存 工業 地 の 整備充 実 等 も行 い、 こ れに より、「 太田 ・大 泉 地区 」 を工業 都 市 とし て発 展 させ る 計 画で あっ た。 具 体的 な 整備 方針 と して、 次の4 項 目が示 さ れ た。 ①  開発 の中 心 を 太 田市 南 東 部 か ら大泉 に わた る東 武 小 泉線 両 側 区 域 とす る。 宝 泉 は 住宅 地 区、 尾 島 は工業 ・住 宅地 区、 そ の他 は 農業 生 産地 区 とし、 農 耕緑 地 の保 全 を図 る。 ② 人 口 規 模 は、 居 住 人口21 万 人、 区域 外 人 口4 万 人 の計25 万 人 と す る( 目標年 次1975 年 )。 こ の 内、工 業 開発 に よ り導入 さ れる 人口 を12 万 人 と見 込 み、第2 次・第3 次 人口 の定 着 を図 る。 ③ 土 地 利用 は、人口25 万人 規 模 に対応 する よう、総合 的 な都 市 施 設の 整備 を 考慮 し て計 画 する。 工業 地区 は、 旧 中島 飛行 機 太 田工場 ・小泉 工場 ・飛行 場 跡地 等 の90 万 坪 を中 心 とし、 太 田・ 大 泉 ・宝 泉 の商業 地 ・住 宅 地等 を併 せ て約730 万 坪 の造 成 を図 る。 ④ 整備 計 画上 考慮 すべ きこ と とし て、 区 域 内 の土 地 利用 計 画 を 策定 し 地 域性 を決 定 す るこ と。 また、 道 路 整備 と区 域 内街 路 の 整備 を行 う こ と。 鉄 道・ バ ス路 線 の 強 化 ・充 実 を 図 るこ と。 公 園 ・緑 地 の整備 を図 るこ と。 さ ら に、 上 下 水 道・ 工業 用水 の 確保 ・ 整備 に 努め る こ と。 排 水 ・ 汚物処 理 の 整備、 集 団 住宅 の建 設、 防火 建築 帯 の 設置 を考 慮 する こ と。 学校 等 教育 ・ 文

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化 施 設及 び医 療施 設 の整 備 を行 うこ と。 そ し て、 公営 市場 の 整備 を 行 うこ と。 地 区指定 とこ れら の整 備 計 画に よ り、 工 業 団地、 道路、 工 業用 水 など、 工業 都 市 に向 け て整備 が 進 め ら れてい くこ とと なる 。そ の整 備 に対 し 国 は資 金の あっ せ ん、 進 出企 業へ の 税軽 減 に対 する 地 方交 付 税 で の補 填 な どで 援 助 を行 っ た。 太田 市 はこ れに 整合 す る 都市 計 画 を 策定 す る こ とに な り、 新 市建 設都 市 計 画 は64 年 度 か ら後 期5 ヶ年 計 画 に変 更 さ れた。 変 更 後 の基 本 理 念 は、「一 大 飛躍 的 発 展 を 図る ため、 産 業 開発 を積 極 的 に推 進 する 」 で あ り、 具 体 的 には、 工 業 団地 の造 成 と企 業誘 致、 街 路 網整 備、 また 公立 商・ 工業 高 校 誘致 ・新 設、 公 営住 宅 の 増 設、 さ らに上 水 道・ し 尿処 理場 ・ ご み処 理場 の完 備 等 が主 要事 業 と なっ てい た。 なお 首 都 圏市 街 地 開発 計 画 の 指 定 地 区 は、70 年 か ら「太 田 館林 地 区」(図11) へ 拡大 し た。 太 田市 に よる 工業 誘 致政 策 1960 年4 月、 首 都 圏 整 備 法 に 基 づ き市 街 地 開 発 の 指 定 を 受 け た 後、 太 田 市 は 翌 年7 月「 太 田 市 工 場 設 置 推 奨 条 例 」 を 施 行 し た。 こ の 条 例 は、 産 業 の 振 興 に 貢 献 す る 工 場 設 置 者 に 奨 励 金 を交 付 す る もの で あ っ た。 交 付 の 条 件 と し て、 投 資 額100 万 円 か 常 用 従業 者10 人以 上 のい ず れか を満 たす 輸 出 品等 の 工 場 に対 する もの で、 事業 開始 か ら3 ヵ年 と なっ てい た。 首 都 圏 都 市 開 発 区 域 太 田 、 館 林 地区 19.14". i.m 人 図11  首 都 圏 年 開 発 区 域 「 太 田 館 林 地 区 」 ( 出 典 :『太 田 市 新 総 合 建 設 計 画 』 太 田 市 、1977 年 ) し かし、 こ の条 例 は1963 年3 月28 日 に廃 止 さ れ、 新 た に「 太田 市工 業 誘 致条 例」 が 公布 さ れる こ と になっ た。新 条 例 は産 業振 興 を図 る ため、 工 場 を新 設 ・増 設 ま たは住 居 地域 にあ る既 存 工場 の 工業 地 域へ の移 設を 促 進す る もので あ っ た。 太 田市 は「 太 田市工 場 誘 致委 員 会規定 」 に基 づ き、 工 場 適地 の 調査 ・資 料 整備、 道路 ・河 川 ・排 水路 の整備 、 工場 敷 地の 斡 旋 など を実 施し た。 誘致 企業 の第1 号 は「太 田 市工 業 設置推 奨条 例」施 行前 の1959 年3 月の 先崎 加工(株 )であ っ た。 そ れ以 降、1988 年 まで の 誘致 企業 は表4 に示 す。 なお 、 米 軍 基 地 は1950 年代 終 わ り に なる と縮小 し 始 め、57 年 か ら59 年 に か け て 旧 中 島飛 行 機 製作 所 の 太 田工 場 ・ 大 泉工 場 ・ 尾島 工場 は接 収 解 除 と なっ た。 ま た69 年 に は太 田 ・大 泉 飛行 場 が 返 還 さ れた。 こ れら の土 地 は工 業 団地 とし て 整備 さ れてい くこ と と なる。

5。 社会基盤整備

工 業 発 展 に向 け て 社 会 基 盤 整備 を行 う必 要 が あ る が、 そ の ため「 太 田市 建 設 計 画 」、「 太 田市 新 建 設 基 本 計 画」 に 続 き、1970 年 か ら「 太 田市 総 合 建 設 計 画 」、1976 年 か ら「 太 田 市 新 総 合 計 画 」、1986 年 か ら「 第4 次太 田 市 総 合 建 設計 画」、1997 年 か ら「 第5 次 太 田 市 総 合 建 設 計 画 」、2007 年

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表4  誘 致 企 業 一 覧  (1989 年 現 在 ) 番 号 名 称 操 業 年 月 所 在 地 主 な 製 品 1 矢 崎 加 工 ㈱ 1959年7 月 西 矢 島 プ ラスチック製 品 2 しげ る 工 業 ㈱ 1960年9 月 由   良 自 動 車 部 品 3 フラン スペット㈱ 1961年4 月 内 ヶ 島 ベッド 4 ㈱ 藤 平 染 工 1961年9 月 高   林 毛 糸 染 色 5 群 馬 日 本 電 気 ㈱ 1962年5 月 西 矢 島 パ ソコン 製 品 6 第 一 製 造 ㈱ 1962年7 月 新 道 町 自 動 車 部 品 用 鍛 工 品 7 旧 中 メリヤ ス 工 業 ㈱ 1963年8 月 市   場 ニット 8 ㈱ 川 上 鉄 工 所 1964年1 月 植 木 野 ビ ニ ー ルレ ザ ー 加 工 機 械 9 ミシュラン オ カモトタイヤ ㈱ 1964年4 月 植 木 野 自 動 車 タイヤ 10 山 陽 電 機 ㈱ 1966年3 月 高   林 電 機 溶 接 機 11 ㈱ 柳 田 鉄 工 所 1966年6 月 矢   場 プレ ス金 型 12 金 井 車 輪 工 場 ㈱ 1966年9 月 矢   場 自 動 車 用 車 輪 製 造 13 盟 和 産 業 ㈱ 1967年2 月 矢   場 自 動 車 内 装 部 品 14 ㈱ 油 田 硝 子 工 業 所 1969年3 月 別   所 ガラ ス切 断 、研 磨 15 和 泉 鋼 業 ㈱ 1969年4 月 内 ヶ 島 鉄 鋼 箔 、板 加 工 16 日 本 発 業 ㈱ 1969年7 月 高   林 自 動 車 部 品 17 ㈱ 城 南 製 作 所 1970年4 月 矢   場 自 動 車 部 品 18 ㈱ 玉 川 繊 維 工 業 所 1972年8 月 矢   場 プレ スフェ ルト製 品 19 ィフ 同 潤 ㈱ 1972年12 月 小 舞 木 町 ニット 20 東 芝 シリコーン ㈱ 1974年4 月 西 新 町 シ リコーン ゴ ム・ワ ニ ス・オ イル 21 ㈱ 新 潟 鉄 工 所 1977年1 月 西 新 町 産 業 用 ディー ゼ ル エン ジン 22 ㈱ 明 電 舎 1977年4 月 西 新 町 発 電 機 、発 動 機 他 23 ㈲ 関 信 電 機 製 作 所 1978年4 月 西 新 町 誘 導 電 動 機 、モ ーター 組 立 24 三 和 シャッター 工 業 ㈱ 1979年10 月 東 新 町 スチ ー ルドア 25 ㈲ 初 谷 鉄 工 所 1979年11 月 東 新 町 コン ベヤ 部 品 26 ㈱ 東 西 工 業 1979年11 月 東 新 町 冷 凍 機 27 ㈱ 加 藤 製 作 所 1980年11 月 東 新 町 パ ワー シャベ ル・クレ ーン 28 日 産 ディー ゼ ル 工 業 ㈱ 1981年4 月 東 新 町 トラックエンジン 、ミッション 29 ㈱ 赤 坂 工 機 1981年5 月 市   場 プレ ス金 型 30 ㈲ 木 村 工 業 所 1981年6 月 東 新 町 金 型 31 太 陽 ア ル タイトエ 業 ㈱ 1981年9 月 東 新 町 家 庭 用 厨 房 用 品 32 ㈲ 山 田 鉄 工 所 1982年8 月 東 新 町 プレ ス金 型 33 ㈱ 大 川 工 業 所 1983年11 月 西 新 町 ディー ゼ ル 部 品 34 田 中 ガラス ㈱ 1983年11 月 西 新 町 自 動 車 用 窓 枠 ガラ ス 35 第 一 化 研 ㈱ 1984年6 月 植 木 野 成 形 品 36 ㈱ 大 出 工 業 所 1984年7 月 東 新 町 建 設 機 械 、フレ ー ム 37 岩 上 鋼 材 ㈱ 1984年11 月 東 新 町 厚 鋼 板 熔 断 38 ㈲ニ コー 1985年8 月 市   場 印 刷 機 械 部 品 39 ㈲ 久 保 田 精 工 1985年11 月 東 新 町 プレ ス金 型 40 埼 玉 電 機 ㈱ 1986年3 月 安 良 岡 電 気 器 具 部 品 41 ウ ル チック㈱ 1986年4 月 市   場 コン パ クト ディスク 42 矢 萩 工 業 ㈱ 1986年12 月 西 新 町 モ ーター 、電 子 サ イレン 43 金 属 溶 材 ㈱ 1988年8 月 西 新 町 溶 接 棒 44 ㈱ 石 井 機 械 製 作 所 1988年10 月 東 新 町 印 刷 機 械 45 ㈱ 深 井 製 作 所 1988年12 月 東 新 町 農 業・産 業 機 械 部 品 ( 出 典 :『 太 田 市 史  通 史 編  近 現 代 』 前 出 か ら 「新生 太田 総合 計 画」 が 進め ら れた。 こ れらの 計 画内 容 につい て は 要点 を後 述 する が、 は社 会基 盤 整備 の状 況 を みてい こ う。 こ こ で 5 。1 都 市 計 画 道 路 1930 年代 の「都 市 計 画的 耕地 整 理事 業」に より、120本(内 幹線5 本)の 道路 が新 設さ れ た。 また、40 年代 の 「太 田都 市 計画 街 路事業 」 に よ り、2 本 の 大環 状 線 と10 数本 の 放射 状街 路 が計 画 さ れた。 戦 況 の悪化 に より、戦 前 の計 画 は頓挫 する こ とに なっ たが 、こ れ らの新 設 道路 が基 盤 と なり、戦 後、 新 たな都 市 計画街 路 が 計画 さ れ た。

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1963 ( 昭和38 )年 に 策 定 さ れた 『新 市 建 設基 本 計 画』 に よる と、 都 市 計 画街 路 は、24 路 線 で 総 延 長 が82,088m であ っ た。 こ の う ち、70 年 まで に4 路 線 (8.398m ) が 完成 し、 他 の路 線 も ほ と ん ど造成 を完了 し てい た。 この24 路 線 に は 国 道 と県 道 が含 まれ てお り、 両 方 と も交通 上 の 問 題 があ っ た。 こ の問 題 の解 決 のた め、 国 は新 た な道 路 の建 設 を実 施し たが 、 太田 市 は国 の施 策 に対 応 する ため新 た な街 路 の建 設 を推 進 する必 要 があ っ た。 国 道122 号線 は太 田 ・ 足 利線 と合 流 す る 熊 野 地 区 にお い て、 交 通渋 滞 が特 に 激 し か っ た。 こ の た め、 国 は122 号 線 バ イ パ ス の建 設 を 計 画 し、1969 年 か ら用 地買 収 を行 っ て い っ た。 総 延 長5.310m のバ イ パ ス建 設 は、 工 区 を3 分 し て行 わ れた。 第1 期 工 区 は、 安 良 岡地 区 か ら石 原地 区 間 の1.800m であっ た。 太 田市 は、国の 計 画に対 応 す る ため70 年 に 策定 さ れ た 『太 田市 総合 建 設計 画』 に基 づ き、 街 路計 画 を 進め てい っ た。 ま た、1976 年 に 策定 さ れた 『太 田市 新 総合 建 設計 画』 に よ る と、都 市計 画 道路 が29 路 線 であ り、 国 道 ・県 道 の整備 に 即応 し て推 進 さ れた。 本 町地 区 の太 田 中央 通 り線、 内 ヶ 島地 内、 細谷 地 区 内の 道路 が整備 さ れてい っ た。 道路 事 情の 緩和 の た め太 田環 状 線で は、 内 ヶ島 内 の立 体交 差事 業 が着 手 さ れ た。 さ らに この 頃、県 内幹 線 道路 とし て、 関越 自動 車 道、 上武 国 道、 東 北縦 貫 自動 車 道等 を主 体 とし た 高速 道路 建 設 が進 め ら れてい た。 こ の ため、 太 田 市 は前橋 ・ 高崎 を 中心 と する県 央 地域 と を連絡 す る幹 線 道路 の建 設 が課 題 と なっ てい た。 1986 年 に 策定 さ れた 『第4 次太 田 市 総 合建 設 計 画』 に よる と、 国 道 ・県 道の 未改 良路 線 の整 備 を促 進し、 域 内交 通 と通 過 交通 の分 離 を図 る こ とに なっ てい た。 都 市 計画 道路 につ い て も、 未整 備 路 線 を整備 する と と もに、 新 たに4 路 線 を計 画し、 域内 交 通の 円滑 化 を図 っ ていっ た。 ま た、 交 通 渋 滞解 消 の た め交 差 点 等 の立 体 交 差化、 東毛 幹 線 ( 国 道354 号 バ イパ ス )、 上 武 国道 及 び 北 関東 横 断 道路 等 の建 設 が促 進 さ れた。 1996 年に 策 定 さ れた 『第5 次 太 田市 総合 計 画』 に よる と、 都 市 計画 街路 は48 路 線で あ っ た。 幹 線 道路 の 整備 とし て、 東毛 幹線 を主 要 幹線 道路 とし て整 備 を進 める こ とに なっ てい た。県 道整備 事 業 と幹 線 市 道整備 事 業 にお い ては、 中 心市 街 地へ の 通過 交 通の 分散 排 除、 地 域 間交通 の 強化、 市 内 交 通 の 円滑 化 が 行 われ た。 そ の 後、 見 直 し を 経 て現 在 で は、98 路 線、244.76km (太 田 都 市計 画 で90 路 線、218.08km、藪塚 都 市計 画 で8 路 線、26.68km) が都 市 計 画決 定 さ れ、整 備 が進 め ら れてい る。 5 。2 都 市 用 水 上水 道 敷 設 太 田で は、1930 年 代 まで 生 活用 水 や 工 業 用水 とし て井戸 水 を利 用 し て い た。 し か し、 中 島飛 行 機 の発 展 に よる工 業 用水 需 要 の高 ま りや近 代都 市 へ の発 展、 町民 の 生 活の た めに上 水 道 の敷 設が 重 要 視 さ れるこ と に なっ た。 1937 ( 昭和12 ) 年2 月、 太 田 町 は上 水 道敷 設 が緊 急 課 題で あ る とし、 水 道調 査費 を 予算 化 し た。 そ の後 、水 源を渡 良 瀬川 伏 流水 に求 め る上 水 道建 設案 を 策定 し て内 務省 に 提 出し た。 翌3 月、 専 任 技 師が 着任 し て 実 地調 査 ・測 量 ・ 設計 を行 っ た。 10月 に目 論見 書 が完 成 し、 町 議会 で 可決 さ れた。 県 を通 じ て 内務 ・大 蔵両 大 臣 に施工 ・ 起 債の 許可 を 申請 し たが、 当 時、 日中 戦争 が勃 発し 事 業 の認 可 が危 ぶ ま れた。 し かし、 工業 用水 不足 が 中 島飛 行 機の 生 産に重 大 な影響 を 及ぼ す とし、 政 府 は国 策上 の要 請 もあ り同 年12 月2 日付 で 申請 の認 可 指令 を行 っ た。

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こ れに よ り、太 田町 は翌1938 年1 月、役 場 に水 道課 を 設 置し 資材 調達 を 進 めてい っ た。同年4 月9 日、 配水 池 建 設地 で起 工 式が 行 わ れ、39 年9 月 に工 事 が終了 し た。水 源地 は、 群馬 県 桐生 市広 沢 町 七丁 目新 堀 、 渡良 瀬川 右 岸 の含 水松 林 地帯 の地 下 水 とし た。毛 里 田 村大 字 吉沢 か ら県 道 桐生 線 に 沿 っ て導水 管 が 設 置さ れ、自然 流下 に よっ て 南金井 ポ ンプ 場 へ 原水 が 送ら れた。 配水 池 は八 王子(水 道 山) 中 腹 ・標 高102m にあ り、 比 高66m の貯 水 池 に揚 水 さ れ た。塩 素滅 菌 さ れた 水 を 貯水 池 か ら 自 然圧 に よ っ て流 下 さ せ、 配水 管 で 各 地域 に配 水 さ れ た。 配水 管 の 総延 長 は1 万9.462m で、 要 所 に 制水弁 と136 個 の 消火 栓が 設 置 さ れた。 事業 の総 予 算 は57 万2,226 円 で あ り、 そ の 内22 万1.726 円 は1937 年 度 分、 残 り が38 年 度分 の2 ヵ 年 継 続事 業 で あっ た。 収 入 は、 町 債41 万 円、 中 島 飛行 機 から の 寄付 金11 万 円、 町 費 繰入 金4 万9.076 円 、 雑 収 入3.150 円 の計57 万2,226 円 であ っ た。 つ ま り約2 割が 中 島 飛行 機 か ら の 寄付 で あ っ た。 支 出 は、 工 事 費55 万 円、 公 債費2 万2,226 円 の計57 万2,226 円で あっ た。 当初 の 給水 区域 は、 市 街 地 を中 心 とし た太 田 町 全 域 であ っ た。 給 水 人 口 は1954 年 度 に おい て、4.000 戸・2万 人 を計 画し てい た。 そ の 後、給水 区 域 は43 年 まで に 高林 地 区・中 島飛 行 機小 泉 製作 所・ 大 川村 全村 へ 拡張 さ れ、 当 時県 下 最大 の 規模 を 誇っ た。 戦後 に な る と、1957 年4 月 の強戸 ・休 泊2 ヵ 村 の合 併 に 伴い、 同年12 月 か ら 第1 次拡 張 計 画が 実 施 さ れた。 62年 に事 業 が完 成し 、 給水 人 口 が5 万人 と なっ た。 こ の事 業 の 間、60 年 に矢 場川 村、63 年 に宝 泉 村 ・毛 里 田村 と合 併 し、 需 要 が さ らに 増 大し た。 そ の ため、64 年1 月 か ら 第2 次拡 張 計 画 が実 施 さ れ、70 年 に 完 成し て 給水 人口 が12 万 人 と なっ た。 そ の 後、1970 年6 月 か ら72 年 まで 第3 次 拡 張 計 画 が 実 施 さ れ た。 また、72 年4 月 か ら76 年3 月 まで 第4 次 拡張 計 画 が 実 施 さ れ、 水 源地 を 利 根川左 岸 ・尾 島 町 区 域 に求 め た。 79年4 月 か ら81 年3 月 まで、 第4 次拡張 計 画 の第1 次変 更事 業が 実 施 さ れた。 こ の事 業 に より、 工業 用水 道を 転換 活 用 し、 給水 人 口 が16 万1.600 人 と な っ た。 さ ら に、83 年6 月 か ら 水 源 地 を渡 良瀬 川 とす る 第5 次 拡張 計 画 が実 施 さ れ、 給 水人 口 が20 万5.000 人 となっ た。 工 業用 水 道 最 初 の工 業 用 水 道 は、1960 年 に 首都 圏市 街 地 開発 地域 の 指 定 を受 け た太 田 市 ・大 泉 町 ・ 尾 島 町 の1 市2 町 の共 同事 業 とし て築 造 さ れた。 63年9 月 に一 部事 務組 合 が 設立 さ れ、 同年12 月 から66 年3 月 まで 事業 が 行 わ れた。築造 費 は5 億2,500 万 円で あっ た。水 源 は利根 川左 岸 の提 内 地(伏流 水 ) で 、取 水 地 点 は太 田市 大字 古戸 字 上川 原 地先 であ っ た (図12 )。 また、県 営 の 工業 用水 道とし て 建 設さ れ た東毛 工業 用 水 道 は、1975 ( 昭和50 ) 年 に築造 を開始 し、78 年10 月 か ら供 給 が 開始 さ れ た。 水 源 は利 根 川 の表 流水 で あ る。 給 水 区域 は 太 田市 ・館 林 市 ・境 町 (現伊 勢 崎市 )・ 大泉 町 ・千 代 田町 ・邑 楽 町で あ る。 5 。3 高 速 道 路 太 田市 は、 長い 間、 高速 道路 の恩 恵 を受 け るこ とな く工業 都 市 とし て発 展し て きた。 近 隣で の 高 速 道路 へ の連 絡 は、1987 年 に完 成し た東 北 自動 車道 の館 林 イ ン ターチェ ンジであ る 。し かし 、 ここ は太 田市 か ら約20km の距 離 と離 れてい たため、 工 業 都市 と し ての発 展 に対 し 高 速 道路 の効 果 は低 い と考 え ら れる 。 一方 、1970 年 に 市 北 部 を通 る 北 関 東 自動 車 道 が 計 画 さ れてい たが 、2008 年3 月

参照

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