特別展「哲学者∼井上円了の世界∼」開催報告
著者
小林 健一
著者別名
kobayashi kenichi
雑誌名
井上円了センタ一年報
巻
28
ページ
97-123
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.34428/00011654
は じ め に 紋 別 市 立 博 物 館 で は ︑ 令 和 元 年 六 月 一 日 ︵ 土 ︶ ~ 六 月 三 十 日 ︵ 日 ︶ を 会 期 に ︑ 特 別 展 ﹁ 哲 学 者 ~ 井 上 円 了 の 世 界 ~ ﹂ を 開 催 し た ( ) ︒ 1 明 治 を 代 表 す る 哲 学 者 で あ り ︑ 東 洋 大 学 の 創 立 者 で あ る 井 上 円 了 は ︑ 全 国 巡 回 講 演 の 際 に は 紋 別 に も 滞 在 し ︑ 円 満 寺 と 紋 別 小 学 校 で 講 演 を 行 い ︑ 書 を 残 し ︑ 人 の 縁 を 作 っ た ︒ 円 満 寺 の 第 二 代 住 職 橘 薫 一 は ︑ 井 上 円 了 が 紋 別 を 訪 れ た 当 時 八 歳 だ っ た が ︑ 円 了 の 紋 別 訪 問 が 縁 と な っ て ︑ 後 に 東 洋 大 学 に 入 学 し た ︒ 東 洋 大 学 に 入 学 し た 橘 薫 一 は ︑ そ こ で 生 涯 の 友 と な る 勝 承 夫 と 出 会 っ た ︒ 詩 人 で あ り ︑ 東 洋 大 学 の 理 事 長 を 二 度 務 め た 勝 承 夫 は ︑ 文 部 省 唱 歌 ﹁ こ ぎ つ ね ﹂ や ︑ 有 名 な ﹁ 歌 の 町 ﹂ の 作 詞 者 と し て も 知 ら れ て い る ︒ 紋 別 小 学 校 創 立 六 十 周 年 の 時 に は ︑ 橘 薫 一 の 依 頼 に よ り 勝 承 夫 は 校 歌 を 作 詞 し た ︒ そ の 後 ︑ 勝 承 夫 は 渚 滑 中 学 校 ︑ 潮 見 小 学 校 ︑ 大 谷 幼 稚 園 等 の 校 歌 ︑ 園 歌 に つ い て も 作 詞 を 行 っ た ︒ 井 上 円 了 の 作 っ た 縁 は 紋 別 市 内 の 校 歌 ︑ 園 歌 に 繋 が り ︑ そ れ は 今 も 歌 い 継 が れ て い る ︒ し か し ︑ 校 歌 の 由 来 を 知 る 紋 別 市 民 は 多 く な い ︒ 井 上 円 了 没 後 百 年 を 迎 え た 本 年 ︑ 円 了 の 足 跡 を 振 り 返 り ︑ 円 了 と 紋 別 と の 関 わ り や 円 了 が 生 み 出 し た 人 脈 ︑ 校
特
別
展
「
哲
学
者
~
井
上
円
了
の
世
界
~
」
開
催
報
告
小
林
健
一
kobayashi kenichi歌 の 由 来 な ど を 紹 介 し ︑ 地 域 の 人 々 が 井 上 円 了 に つ い て 学 び ︑ 人 の 縁 に つ い て 考 え る 機 会 に し た い と の 思 い か ら 本 特 別 展 を 企 画 し た ︒ 特 別 展 の 主 な 内 容 に つ い て は 次 の と お り で あ る ︒
特別展「哲学者〜井上円了の世界〜」の会場風景
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lli,li-1 明 治 四 十 年 九 月 、 紋 別 を 訪 れ た 井 上 円 了 井い の 上う え 円え ん 了りょ う ︵ 安 政 五 年 二 月 四 日 ︲ 大 正 八 年 六 月 六 日 ︶ 哲 学 者 ︑ 教 育 者 ︑ 東 洋 大 学 の 前 身 と な る 哲 学 館 の 創 立 者 ︒ 妖 怪 博 士 と し て も 知 ら れ る ︒ 越 後 国 長 岡 藩 西 組 浦 村 ︵ 現 在 の 新 潟 県 長 岡 市 浦 ︶ に あ る 真 宗 大 谷 派 慈 光 寺 の 長 男 と し て 生 ま れ る ︒ 明 治 十 八 年 ︑ 東 京 大 学 文 学 部 哲 学 科 を 首 席 で 卒 業 ︒ 明 治 二 十 年 ︑ 二 十 九 歳 で 私 立 学 校 ・ 哲 学 館 ︵ 後 の 東 洋 大 学 ︶ を 設 立 ︒ ﹁ 諸 学 の 基 礎 は 哲 学 に あ り ﹂ と い う 教 育 理 念 の も と ︑ お 金 や 時 間 に 余 裕 の な い 人 に も 教 育 の 機 会 を 提 供 し ︑ 通 学 で き な い 人 の た め に 通 信 教 育 も 行 な っ た ︒ 円 了 の 支 援 者 の 中 に は 勝 海 舟 も い た ︒ 明 治 三 十 六 年 に ﹁ 教 育 的 ︑ 倫 理 的 ︑ 哲 学 的 精 神 修 養 ﹂ の 公 園 ︿ 哲 学 堂 ﹀ の 建 設 に 着 手 ︒ 明 治 三 十 九 年 に 学 校 を 退 隠 し た 後 は ︑ 道 徳 普 及 の た め の 修 身 教 会 運 動 と ︑ 哲 学 堂 の 拡 張 と 経 営 に 専 念 し た ︒ 社 会 教 育 や 生 涯 学 習 に 注 目 し た パ イ オ ニ ア で あ り ︑ 全 国 を 巡 回 し て 講 演 を 行 い ︑ 哲 学 の 伝 道 ︑ 日 本 人 の 精 神 ・ 道 徳 向 上 を 願 い ︑ 民 衆 に 教 育 の 機 会 を 開 放 し た ︒ 世 界 視 察 旅 行 も 三 度 行 な っ て い る ︒ 紋 別 と 井 上 円 了 と の 縁 明治 36〜38 年、45〜47 歳の時の井上円 了( )2
井 上 円 了 は 全 国 巡 回 講 演 に お い て 明 治 四 十 年 九 月 二 十 四 日 に 紋 別 を 訪 れ ︑ 古 屋 憲 英 医 師 の 経 営 す る 静 春 堂 ︵ 医 院 ︶ に 宿 泊 し ︑ 円 満 寺 ︵ 初 代 住 職 橘 智 照 ︶ と 紋 別 小 学 校 で 講 演 を 行 い ︑ 同 郷 の 高 野 庄 六 と も 会 っ て い る ︒ こ の 時 の 様 子 は 井 上 円 了 に よ る ﹃ 南 船 北 馬 集 第 二 編 ﹄ に 記 録 さ れ て い る ︒ 南 船 北 馬 集 第 二 編 明 治 四 十 年 九 月 二 十 一 日 ︒ 午 前 三 時 ︑ 釧 路 丸 入 港 の 報 あ り ︑ 夜 陰 を 破 り て 乗 船 す ︒ 前 田 ︑ 宮 崎 ︑ 吉 田 等 の 諸 氏 ︑ 霜 気 を お か し て 送 行 せ ら れ た る は ︑ 大 い に そ の 厚 意 を 謝 せ ざ る を 得 ず ︒ 十 一 時 ︑ 枝 幸 郡 枝 幸 村 ︿ 現 在 北 海 道 枝 幸 郡 枝 幸 町 ﹀ に 着 す ︒ 宿 所 は 藤 野 旅 館 な り ︒ 稚 内 よ り こ こ に 至 る の 間 ︑ 沿 岸 三 十 余 里 ︑ 一 帯 の 連 山 起 伏 せ る も 高 か ら ず ︑ 林 野 あ り て 耕 地 な し ︑ 満 目 蕭 寥 を 極 む ︒ 枝 幸 は 近 来 砂 金 を 発 見 せ し も ︑ 年 々 そ の 採 量 を 減 ず る に 従 い ︑ 衰 退 の 風 あ り ︒ 当 夕 ︑ ま た 天 空 遠 く 晴 れ ︑ 月 色 皎 々 た り ︒ ︿ 中 略 ﹀ 二 十 三 日 晴 れ ︒ 午 前 ︑ 小 学 校 に て 談 話 を な す ︒ 校 内 に 米 国 天 文 博 士 の 寄 贈 に か か る 図 書 千 巻 を 蔵 す ︒ 更 に 竜 寛 寺 に 移 り て 講 演 を な す ︒ 各 宗 寺 院 の 発 起 な り ︒ 午 後 一 時 ︑ 伊 勢 丸 に 投 乗 し 紋 別 に 向 か う ︒ こ の 間 ︑ 約 三 十 里 あ り ︒ 雄 武 ︑ 興 部 に 寄 港 し て 進 む ︒ 陸 上 は た だ 山 林 の 鬱 大正末ころの哲学堂( )3
明治 38 年ごろの紋別市街、中央やや左が静春堂医院、後方は 1〜3 丁目市街 明治 35 年夏の紋別海岸、弁天町付近 左端が円満寺 静春堂医院の外観 現在の消防署の場所に あった。 円了が明治 40 年 9 月に円満寺で講演を行った時の名刺( )4。 円満寺 静春堂医院
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求 克 亨 キ 呼 ほ 駒 と $士泊町五十三念地葱 た る を 臨 む の み ︒ 二 十 四 日 ︵ 秋 季 皇 霊 祭 ︶ 晴 れ ︒ 午 前 九 時 ︑ 上 陸 ︒ 紋 別 郡 紋 別 村 ︿ 現 在 北 海 道 紋 別 市 ﹀ 静 春 堂 に 入 宿 す ︒ こ れ ︑ 医 師 名 古 屋 憲 英 氏 の 宅 な り ︒ 昼 夜 と も に 円 満 寺 に て 開 演 す ︒ 住 職 は 橘 智 照 氏 な り ︒ 静 春 堂 上 は る か に 知 床 岬 を 望 み ︑ 眺 望 す こ ぶ る 佳 な り ︒ 知 床 岬 遠 与 雲 斉 ︑ 紋 別 湾 頭 望 欲 迷 ︑ 風 歇 朝 来 秋 水 穏 ︑ 静 春 堂 上 見 漁 鮭 ︑ ︵ 知 床 の 岬 は 遠 く 雲 に も 似 て ︑ 紋 別 湾 の ほ と り か ら は る か に 見 て み ま ご う ば か り で あ る ︒ 風 も や ん で 朝 と も な れ ば 秋 の 澄 ん だ 水 も お だ や か に ︑ 静 春 堂 の 上 か ら は 鮭 漁 が 見 え る の で あ っ た ︒ ︶ 当 時 ︑ ま さ し く 鮭 漁 の 時 節 な り ︒ 二 十 五 日 晴 れ ︒ 午 後 ︑ 小 学 校 に て 開 演 す ︒ 同 郷 人 高 野 庄 六 氏 に 解 逅 す ︒ 当 夜 ︑ 晩 餐 会 あ り ︒ 席 上 ︑ 村 田 氏 の ﹁ ア イ ノ ﹂ お ど り を 演 ぜ ら れ た る は ︑ 大 い に 旅 鬱 を 散 ず る に 足 れ り ︒ 当 地 開 会 に 関 し 特 に 尽 力 あ り し は 橘 ︑ ︹ 名 ︺ 古 屋 両 氏 な り ︒ 二 十 六 日 晴 れ ︒ 朝 ︑ 紋 別 を 発 し ︑ 馬 上 に て 行 く こ と 七 里 ︑ 湧 別 村 ︿ 現 幸町 3 丁目に移転(明治 29 年)した後の紋別小学校
在 北 海 道 紋 別 郡 湧 別 町 ﹀ に 入 る ︒ 途 上 ︑ 野 広 く 林 深 く ︑ 往 々 紅 葉 を 見 る ︒ い た る と こ ろ み な 牧 場 な り ︒ 南 船 北 馬 集 第 二 編 に 登 場 し た 紋 別 の 人 物 古ふ る 屋や 憲け ん 英え い 甲 府 出 身 の 医 師 ︒ 祖 父 ︑ 父 と も に 漢 方 医 ︒ 根 室 よ り 紋 別 に 移 り 住 み ︑ 明 治 十 九 年 に 病 院 ﹁ 以 仁 堂 ﹂ を 開 業 ︒ 明 治 二 十 一 年 に 紋 別 郡 一 円 の 村 医 に 任 命 さ れ る ︒ 明 治 二 十 七 年 頃 ︑ 現 在 の 消 防 署 の 場 所 に 二 階 建 て 洋 風 建 築 の 医 院 ︵ 静 春 堂 ︑ 古 屋 医 院 ︑ 紋 別 病 院 な ど と 呼 ば れ た ︶ を 開 設 ︒ ﹁ 静 春 堂 ﹂ 医 院 の 名 前 は 古 屋 が 公 医 を か ね て 個 人 病 院 を 開 業 し た と き の 医 院 名 と 推 測 さ れ る ︒ 明 治 三 十 七 年 ~ 四 十 年 に は 道 議 会 議 員 も 務 め た ︒ 大 正 八 年 逝 去 ︒ 橘た ち ば な 智ち 照しょ う 明 治 五 年 生 ま れ ︒ 加 賀 国 浜 松 ︑ 專 通 寺 第 十 六 代 橘 智 仙 の 次 男 ︒ 明 治 二 十 五 年 八 月 ︑ 東 本 願 寺 に て 得 度 ︒ 京 都 に 学 ぶ ︒ 明 治 三 十 七 年 来 紋 ︒ 明 治 三 十 八 年 五 月 舟 見 山 圓 満 寺 開 基 住 職 拝 命 ︒ 明 治 四 十 三 年 東 本 願 寺 第 三 代 門 跡 大 谷 光 演 法 主 の 御 来 山 を 仰 ぐ ︒ 昭 和 九 年 御 堂 改 築 ︵ 現 御 堂 ︶ ︒ 真 宗 大 谷 派 北 海 道 教 区 会 議 員 等 歴 任 ︒ 昭 和 十 年 七 月 ︑ 第 二 代 橘 薫 一 に 譲 職 ︒ 昭 和 十 六 年 逝 去 ︒
高た か 野の 庄しょ う 六ろ く 嘉 永 六 年 ︵ 一 八 五 三 年 ︶ 新 潟 県 長 岡 で 生 ま れ る ︵ 井 上 円 了 と 同 郷 ︶ ︒ 明 治 二 十 四 年 に 一 族 で 紋 別 に 移 住 し ︑ 主 に 漁 業 経 営 を 行 な い ︑ 加 え て 農 業 ︑ 畜 産 ︑ 商 業 等 も 幅 広 く 手 が け た ︒ 人 柄 と し て は ︑ 面 倒 見 が よ く ︑ 政 治 力 も あ り ︑ 大 勢 の 人 間 を 束 ね る 器 を 持 っ た 人 物 で あ っ た ︒ 高 野 は 利 益 を 地 元 紋 別 に 残 し ︑ 各 種 事 業 を 展 開 し ︑ 後 の 紋 別 の 経 済 発 展 に も 大 き な 影 響 を 与 え た ︒ 大 正 元 年 ︑ 商 用 の 帰 路 脳 溢 血 で 亡 く な っ た ︒ 紋 別 市 立 博 物 館 の 展 示 室 に は ︑ 高 野 が 明 治 二 十 六 年 に 建 て た ﹁ 高 野 番 屋 ﹂ の 一 部 が 再 現 展 示 さ れ て い る ︒
明治 40 年9月、井上円了が紋別の円満寺において講演を行った時に、橘院主の 依頼により揮毫した「ふなみざん」の山号額( )5。明治四十年歳在丁未、舟見山、 圓満寺山主嘱 圓了道人書、井上圓了 文学博士 明 治 年 9 月 ︑ 井 上 円 了 が 紋 別 の 円 満 寺 に お い て 講 演 を 行 っ た 時 40 に ︑ 円 満 寺 住 職 橘 智 照 師 の た め に 揮 毫 ( ) ︒ 6 明 治 四 十 年 歳 在 丁 未 ︑ 大 道 由 来 孝 与 忠 佛 門 所 説 亦 相 同 真 宗 遺 訓 君 知 否 王 法 為 先 是 祖 風 ︑ 為 橘 雅 兄 圓 了 道 人 ︑ 井 上 圓 了 甫 水 明 治 年 9 月 ︑ 井 上 円 了 が 紋 別 で 宿 泊 し た 静 春 堂 医 院 を 経 営 す る 40 古 屋 憲 英 氏 の た め に 揮 毫 ( ) ︒ 7 明 治 四 十 年 歳 在 丁 未 ︑ 北 見 地 は 鬼 す む 里 と 思 ひ し に 佛 に 近 き 人 心 哉 ︑ 古 屋 国 手 の 為 に 圓 了 道 人 ︑ 井 上 圓 了 甫 水
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井上円了が古屋憲英に宛てた手紙( )8 紋別滞在中の御礼と近況等について書かれている。 拝は い 啓け い 先せ ん 般ぱ ん 御お ん 地ち 滞た い 在ざ い 中ち ゅ う ハ 非ひ 常 じ ょ う な る 御ご 尽じ ん 力り ょ く ト 過か 分ぶ ん ノの 御ご 優ゆ う 待た い ニ 預あ ず か リ 萬ま ん 謝し ゃ 此こ の 事こ と ニ 御ご 座ざ 候そう ろ う 其そ の 後ご 無ぶ 事じ 昨 日 き の う 網 走 あ ば し り ニ 滞た い 在ざ い 根ね 室む ろ 行い き ノ 便び ん 船せ ん 待ま ち 居お り 申も う し 候そう ろ う 御お ん 地ち 村そ ん 長ちょ う ︑ 校こ う 長ちょ う ︑ 高た か 野の 君く ん 等な ど 々な ど 宜よろ し ク 申も う し 上あげ る 可べ く 被く だ 下さ れ 候そう ろ う 当ま さ に 今こ ん 後ご 修しゅ う 身し ん 教きょ う 会か い 設せ つ 立り つ ノ 誰す い 寽こ 更さ ら ニ 御ご 尽じ ん 力り ょ く 被く だ 下さ れ 度た く 萬ま ん 望ぼ う ノ 至いた り ニ 御ご 座ざ 候そう ろ う 旨し 趣し ゅ 書し ょ 一い ち 葉よ う 封ふ う 入にゅ う 候そう ろ う ニ 付つ き 御ご 参さ ん 考こ う ニ 相あ い 備そな う 可べ く 被く だ 下さ れ 候そう ろ う 先ま ヅ ハ 不 取と り 敢あえ ず 先せ ん 日じ つ ノ 御お 礼れ い 迠ま で ニ 如か く の 此ご と く 候そう ろ う 也な り 草そ う 々そ う 拝は い 具ぐ 明 治 四 十 年 十 月 二 日 井 上 円 了 古ふ る 屋や 国こ く 手し ゅ 殿ど の 奥お く 様さ ま ヘ 宜よろ し ク 申も う し 上あげ る 可べ く 被く だ 下さ れ 候そう ろ う 猿さ ろ 間ま 湖こ 上じ ょ う 行こ う 邉 北 九 月 転 蕭 疏 荒 草 沙 原 一 望 虚 尽 日 猿 間 湖 上 路 秋 風 躍 馬 入 常 閭 北 の 田 舎 の 九 月 は ︑ ま す ま す 寂 し く ︑ 荒 草 の 砂 原 は 見 渡 す か ぎ り 何 も な い ︒ ひ ね も す サ ロ マ 湖 上 の 道 た ど る ︒ 秋 風 の 中 ︑ 馬 を 駆 っ て 常 呂 に い た る ︒ 能の 取と ろ 湖こ 東と う 所し ょ 見け ん 渓 雲 醸 而 気 濛 々 九 月 山 林 己 帯 紅 能 取 湖 東 尋 学 舎 爐 邉 温 酒 酔 秋 風 谷 間 の 雲 は 醸 し た ご と く 気 も う も う ︒ 九 月 の 山 林 は 早 く も 紅 葉 に な っ て い る ︒ 能 取 湖 の 東 の 学 校 を と め ゆ き ぬ ︒ 囲 炉 裏 辺 に 酒 を 温 め て 秋 風 に 酔 う ︒ 右 ハ 高 頭 君 ニ 供 し 申 候 甫 水 れ 瓜 ぇ れ ^ 翌 り
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池 澤 亨 追 想 録 井 上 円 了 が 紋 別 を 訪 れ た 明 治 四 十 年 ︑ 当 時 八 歳 だ っ た 後 の 円 満 寺 第 二 代 住 職 橘たち ば な 薫く ん 一い ち は ︑ 後 年 ﹃ 池 澤 亨 追 想 録 ﹄ ( ) に お い て ︑ そ の 時 の こ と を 回 想 し 文 章 を 寄 せ て い る ︒ 9 ﹃ 池 澤 亨 追 想 録 ﹄ 十 八 ペ ー ジ よ り 抜 粋 圓 満 寺 住 職 橘たち ば な 薫く ん 一い ち ︿ 中 略 ﹀ 明 治 四 十 年 九 月 二 十 四 日 は 秋 季 皇 霊 祭 に 當あ た つ て ゐ ま す ︒ こ の 日 の 朝 定 期 船 伊 勢 丸 は 文 學 博 士 故 井 上 圓 了 先 生 を 乗 せ て 紋 別 へ 入 港 し ま し た ︒ 上 陸 し た 博 士 は 同 日 と 次 の 二 十 五 日 の 二 日 間 紋 別 村 の 小 學 校 及 び 圓 満 寺 で 前 後 四 回 の 講 演 を さ れ 非 常 な 盛せ い 會か い を 呈 し ま し た ︒ 當と う 時じ の 交 通 不 便 な 村 と し て 博 士 の 講 演 等 は 實じ つ に 珍 し く 啓 蒙 上 大た い 變へ ん な 役 割 を 果 し た に 相 違 あ り ま せ ん ︒ ︿ 中 略 ﹀ 2 紋 別 市 内 の 校 歌 に つ な が る 井 上 円 了 と の 縁 紋 別 市 内 の 五 つ の 校 歌 ・ 園 歌 の 由 来 後 に 円 満 寺 の 第 二 代 住 職 と な る 橘 薫 一 は ︑ 井 上 円 了 が 紋 別 を 訪 れ た こ と が 縁 と な り 東 洋 大 学 に 入 学 し た ︒ そ し て ︑ 大 学 の 同 期 で ︑ 生 涯 の 友 と な る 勝 承 夫 と 出 会 っ た ︒ 大 学 卒 業 後 ︑ 橘 薫 一 は 出 版 社 の 講 談 社 ︑ 博 文 館 を 経 て ︑ 紋 別 に 帰 郷 し 円 満 寺 の 第 二 代 住 職 と な っ た ︒ 勝 承 夫 は
卒 業 後 ︑ 報 知 新 聞 社 の 記 者 を し て い た が ︑ 退 社 し ︑ 作 詞 家 と な っ た ︒ 昭 和 二 十 七 年 ︑ 紋 別 小 学 校 創 立 六 十 周 年 を 記 念 し て 校 歌 作 成 の 機 運 が 高 ま り ︑ 橘 薫 一 は 親 友 で あ る 勝 承 夫 に 依 頼 し た ︒ そ の 年 の 八 月 ︑ 勝 承 夫 は 作 詞 構 想 の た め 紋 別 を 訪 れ ︑ 市 内 や 学 校 を 視 察 し て 作 詞 を 行 い ︑ 作 曲 を 下 總 皖 一 に 託 し 校 歌 は 完 成 し た ︒ そ の 後 ︑ 潮 見 小 学 校 ︑ 渚 滑 中 学 校 ︑ 大 谷 幼 稚 園 等 の 校 歌 ・ 園 歌 が 勝 承 夫 に よ り 作 詞 さ れ た ︒ 井 上 円 了 が 紋 別 を 訪 れ た こ と に 始 ま る 縁 は ︑ 橘 薫 一 と 勝 承 夫 と の 出 会 い を 生 み ︑ 二 人 の 友 情 を 介 し て ︑ 校 歌 ・ 園 歌 へ と つ な が っ た ︒ 井 上 円 了 が 作 っ た 縁 は ︑ 紋 別 市 内 の 校 歌 ・ 園 歌 に 姿 を 変 え ︑ 今 も 歌 い 継 が れ て い る ︒ 橘た ち ば な 薫く ん 一い ち ︵ 明 治 三 十 三 年 九 月 二 十 七 日 ︲ 昭 和 五 十 三 年 九 月 十 日 ︶ 円 満 寺 第 二 代 住 職 ︒ 小 樽 生 ま れ ︒ 四 歳 の 時 に 紋 別 に 移 り 住 む ︒ 八 歳 の 時 に 井 上 円 了 が 紋 別 を 訪 れ た こ と が 縁 と な り ︑ 真 宗 京 都 中 学 を 経 て ︑ 大 正 九 年 東 洋 大 学 に 入 学 ︑ 印 度 哲 学 倫 理 学 を 専 攻 し た ︒ 卒 業 一 年 前 の 大 正 十 二 年 に は ︑ 当 時 の 東 洋 大 学 学 長 境 野 哲 に よ る 大 学 幹 事 解 職 に 始 ま る 学 校 騒 動 ︵ 境 野 事 件 ︑ 東 洋 大 学 紛 擾 事 件 ま た は 騒 擾 事 件 と 呼 ば れ る ︶ に お い て ︑ 橘 薫 一 は 学 生 に よ る 学 長 排 斥 運 動 の リ ー ダ ー と し て 陣 頭 に 立 っ た ︒ メ ン バ ー の 中 に は 生 涯 の 友 と な る 勝 承 夫 ︵ 作 詞 家 ︑ 後 の 東 洋 大 学 理 事 長 ︶ ︑ 柳 井 正 夫 ︵ 後 の
東 洋 大 学 校 友 会 副 会 長 ︶ ら も 含 ま れ て い た ︒ こ の 騒 擾 被 疑 事 件 に よ り 橘 ら は 刑 務 所 に 三 か 月 入 る こ と に な り ︑ 放 校 処 分 と な る が ︑ 学 長 が 岡 田 良 平 に 代 わ っ て 放 校 は 取 り 消 し と な り ︑ 翌 大 正 十 三 年 に 大 学 を 卒 業 す る こ と が で き た ︒ 卒 業 後 す ぐ に ︑ 出 版 社 の 講 談 社 に 入 社 し ﹁ 講 談 倶 楽 部 ﹂ の 編 集 等 に 三 年 ︑ そ の 後 博 文 館 に 移 り ︑ 雑 誌 ﹁ 朝 日 ﹂ の 編 集 長 ︑ ﹁ 広 辞 苑 ﹂ の 基 に な っ た ﹁ 辞 苑 ﹂ の 編 纂 等 に 携 わ っ た ︒ 昭 和 十 年 ︑ 紋 別 に 帰 郷 し ︑ 円 満 寺 第 二 代 住 職 と な っ た ︒ 井 上 円 了 の ﹁ 建 学 の 精 神 ﹂ を 敬 愛 し ︑ 昭 和 二 十 八 年 東 洋 大 学 校 友 会 紋 別 支 部 を 設 立 ︑ 会 長 を 務 め た ︒ 同 窓 の 人 材 を 当 地 方 の 発 展 に 生 か そ う と 常 に 情 熱 を 持 ち ︑ 当 時 は 支 部 会 員 が 当 市 教 育 界 の 重 要 ポ ス ト を 担 っ て い た ︒ 昭 和 二 十 七 年 四 月 か ら 昭 和 三 十 八 年 九 月 ま で 十 一 年 間 に わ た り 教 育 委 員 ︵ う ち 三 年 間 は 委 員 長 ︶ を 務 め ︑ 道 立 紋 別 南 高 校 の 設 立 に 尽 力 し た ほ か ︑ 博 物 館 建 設 準 備 委 員 等 を 歴 任 し た ︒ 文 化 面 で は 北 潮 文 化 懇 話 会 を つ く り ︑ 版 画 家 の 棟 方 志 功 や ︑ 陶 芸 家 の 河 井 寛 次 郎 ︑ 濱 田 庄 司 ︵ の ち の 人 間 国 宝 ︶ を 招 聘 す る な ど 紋 別 の 文 化 向 上 に も 貢 献 し た ︒ 勝か つ 承よ し 夫お ︵ 明 治 三 十 五 年 一 月 二 十 九 日 ︲ 昭 和 五 十 六 年 八 月 三 日 ︶ 詩 人 ・ 音 楽 教 育 者 ︒ 東 京 都 四 谷 生 ま れ ︒ 東 洋 大 学 卒 業 ︒ 旧 制 中 学 時 代 か ら 詩 人 と し て 活 躍 し ︑ 東 洋 大 学 在 学 中 に は 正 富 汪 洋 主 宰 の 博文館時代の橘薫一
﹁ 新 進 詩 人 ﹂ に 参 加 し ︑ 宵 島 俊 吉 の 名 で 詩 を 発 表 し た ︒ 大 正 十 年 に 井 上 康 文 ら と ﹁ 新 詩 人 ﹂ ︑ 大 正 十 二 年 に は 東 洋 大 学 出 身 の 岡 本 潤 ︑ 角 田 竹 夫 ら と ﹁ 紀 元 ﹂ を 創 刊 し た ︒ 昭 和 二 年 に 東 洋 大 学 を 卒 業 し た 後 は 報 知 新 聞 社 に 入 社 し 記 者 と な る が ︑ 昭 和 十 八 年 に は 退 社 し ︑ 文 筆 活 動 に 専 念 す る よ う に な る ︒ 昭 和 二 十 七 年 八 月 八 日 ︑ 校 歌 の 作 詞 構 想 の た め 紋 別 を 訪 れ た ︒ そ の 後 ︑ 東 洋 大 学 理 事 長 ︑ 日 本 音 楽 著 作 権 協 会 会 長 等 を 歴 任 す る ︒ 詩 集 に は ﹁ 惑 星 ﹂ ﹁ 朝 の 微 風 ﹂ ﹁ 白 い 馬 ﹂ ﹁ 航 路 ﹂ な ど が あ る ︒ 童 謡 ﹁ 歌 の 町 ﹂ ﹁ 生 活 の 歌 ﹂ ﹁ 若 い 合 唱 ﹂ な ど の ほ か ︑ 全 国 の 小 ・ 中 学 校 ︑ 高 等 学 校 の 校 歌 の 作 詞 を 数 多 く 手 が け る ︒ 現 在 ︑ 紋 別 市 内 の 小 学 校 で 使 用 さ れ て い る 音 楽 教 科 書 に お い て ︑ 同 氏 が 作 詩 し た も の は ︑ 二 年 生 の ﹁ こ ぎ つ ね ﹂ ︑ 五 年 生 の ﹁ こ き ょ う の 人 々 ﹂ が あ る ︒ ︹ 出 典 : ﹁ 紋 別 市 立 紋 別 小 学 校 九 十 年 史 ﹂ よ り 一 部 修 正 ︺ 勝 承 夫 が 校 歌 等 を 作 詞 し た 北 海 道 内 の 学 校 一 覧 ・ 私 立 紋 別 大 谷 幼 稚 園 ︵ 紋 別 大 谷 認 定 こ ど も 園 ︶ ・ 稚 内 市 立 北 小 学 校 ・ 紋 別 市 立 紋 別 小 学 校 ・ 稚 内 市 立 稚 内 東 小 学 校
・ 紋 別 市 立 潮 見 小 学 校 ・ 名 寄 市 立 名 寄 中 学 校 ・ 紋 別 市 立 渚 滑 中 学 校 ・ 道 立 名 寄 高 等 学 校 ・ 紋 別 市 立 鴻 之 舞 中 学 校 ・ 道 立 美 深 高 等 学 校 ・ 興 部 町 立 興 部 小 学 校 ・ 夕 張 市 立 夕 張 等 一 小 学 校 ・ 道 立 興 部 高 等 学 校 ・ 釧 路 市 立 景 雲 中 学 校 ・ 道 立 釧 路 商 業 高 等 学 校 ・ 旭 川 市 立 青 雲 小 学 校 ・ 道 立 千 歳 北 陽 高 等 学 校 ・ 旭 川 市 立 大 有 小 学 校 ・ 道 立 森 高 等 学 校 ・ 旭 川 市 立 東 五 条 小 学 校 ・ 私 立 創 成 高 等 学 校 ︵ 学 生 歌 ︶ ・ 旭 川 市 立 正 和 小 学 校 ・ 旭 川 市 立 聖 園 中 学 校 ︹ 出 典 : ﹁ 勝 承 夫 詩 集 下 巻 ﹂ よ り ︺
勝承夫による紋別市立紋別小学校校歌の自筆原本(10) 紋 別 市 立 紋 別 小 学 校 校 歌 作 詞 勝 承 夫 作 曲 下 總 皖 一 一 港 に 朝 の 潮 満 ち て 響 く エ ン ジ ン 出 船 の 汽 笛 い つ も 希 望 の 光 を 衝 い て ゆ こ う 進 も う 元 気 よ く わ れ ら 新 し い 日 本 の 力 二 雪 降 り 積 も る 冬 の 日 も 通 う こ の 道 世 界 に つ づ く 明 日 の 文 化 の 夢 湧 く と こ ろ の ぼ る 力 も た く ま し い わ れ ら 紋 別 の 少 年 少 女 三 日 方 の 風 の お と ず れ に ひ ら く 初 花 晴 れ ゆ く 航 路 清 く ゆ た か な 友 情 こ め て 築 く 校 風 美 し い わ れ ら 栄 え ゆ く 郷 土 の 誇 昭 和 二 十 七 年 十 月 十 二 日 制 定 左2枚:柳井正夫、橘薫一、細野哲雄、田岡の4名が、勝承夫に宛てた寄せ書 き。《表面》は複製(11)。 右2枚:橘薫一、柳井正夫の2名が、勝承夫に宛てた寄せ書き。《表面》は複製。 ※柳井正夫・・東洋大学校友会副会長(12) . , ' , " J' 召~ ?“ ’ •は ・ 一 頃 ( ? ス か t 石 乃 ・ -? ` 吊 心?主‘•
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︽ 表 面 ︾ 東 京 都 杉 並 区 成 京 八 七 五 勝 承 夫 先 生 紋 別 市 橘 薫 一 ︽ 裏 面 ︾ 君 の 校 歌 千 五 百 人 の 歌 声 を き い た よ ゆ か い だ つ た よ 正 夫 ● 君 を 偲 び つ ゝ 柳 井 と 共 に 一 杯 や り つ ゝ あ り 橘 さ 紋 別 の 毛 蟹 思 い 出 し て 下 さ い ︒ 細 野 哲 雄 柳 井 先 生 酒 う ま い と 呑 ん で く れ ま し た 田 岡 前ページハガキ(寄せ書き)左2枚の記載内容 前ページハガキ(寄せ書き)右2枚の記載内容 ︽ 表 面 ︾ 東 京 都 杉 並 区 成 京 二 ノ 八 七 五 勝 承 夫 様 紋 別 市 幸 町 一 丁 目 橘 薫 一 ︽ 裏 面 ︾ 前 略 去 る 十 九 日 柳 井 君 突 然 来 紋 久 し 振 で 友 情 を 満 喫 楽 し い 日 を 送 っ て ゐ ま す 流 氷 の 海 吹 雪 く 戸 外 丁 度 何 も 彼 も あ つ ら い 向 の 接 待 但 し 美 味 い 魚 も 蟹 も 取 れ ぬ の が 残 念 で す 彼 も 中 々 元 気 御 安 神 ︵ 心 ︶ 下 さ い 橘 よ う や く 此 の 地 に 来 る ︒ 大 学 の 入 学 試 験 観 察 を よ い 口 実 に し て 札 幌 よ り 長 駆 し た 次 第 ︒ 今 日 で 四 日 め の 滞 在 ︒ 二 日 目 に 紋 別 小 学 校 に て 卒 業 式 に 臨 み 君 が 作 つ た 校 歌 を 可 憐 な 子 供 た ち の 口 か ら き き 涙 ぐ ま し く な つ た ︒ 昨 夜 は 校 友 集 り 痛 飲 は 想 柳 儘 に 任 せ る の み ︒
勝承夫による紋別(大谷)幼稚園〔現在の紋別大谷認定こども園〕園歌の自筆原 本(13) 紋 別 大 谷 認 定 こ ど も 園 園 歌 作 詞 勝 承 夫 作 曲 小 村 三 千 三 一 輝 く 海 が 前 に あ る 大 き い 空 が 上 に あ る ラ ン ラ ン ラ ン ラ ン ラ ラ ほ が ら か に 夢 が 子 ど も の 胸 に あ る 紋 別 の 子 の 胸 に あ る 二 光 が そ そ ぐ こ ど も 園 そ よ 風 か お る こ ど も 園 ラ ン ラ ン ラ ン ラ ン ラ ラ あ た た か く 燃 え る 力 が わ き 上 が る 大 谷 の 子 に わ き 上 が る 三 氷 の 風 に 吹 か れ て も 吹 雪 の 道 に こ ご え て も ラ ン ラ ン ラ ン ラ ン ラ ラ 元 気 よ く み ん な 仲 良 く 歌 お う よ 大 谷 の 子 は 歌 お う よ 昭 和 四 十 五 年 四 月 一 日 制 定 勝承夫による紋別(大谷)幼稚園〔現在の紋別大谷認定こども園〕園歌の覚書の 自筆原本(14)
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,, ~、:!).';f,! Iら ., 9 i前ページ手紙の記載内容 東 京 は も は や つ つ じ ど う だ ん の 季 節 で す が ︑ き ょ う は ま た 冬 の さ な か の よ う な 寒 さ で 炬 燵 に う ず く ま っ て 雨 の 音 風 の 叫 び を き い て い る 始 末 で す ︒ さ て 先 日 ︑ 家 の 中 を 整 理 し て い た ら 同 封 の よ う な 古 い ハ ガ キ が で て き ま し た ︒ 今 や 柳 井 亡 く ︑ 細 野 も 逝 き 感 慨 無 量 で す ︒ 西 川 悦 巖 も ○ ○ ○ ○ も お ら ず ︑ 小 生 ら 幸 い に 生 き て 会 え る の は 何 よ り の 悦 び で す ︒ 上 京 の 日 取 り が 決 ま っ た ら 教 え て く だ さ い ︒ 尚 何 の お も て な し も 出 来 ま せ ん が 拙 宅 に 泊 る こ と も 考 え て 下 さ い ︒ 東 京 は 最 近 も の す ご く 変 っ た の で 老 人 の 一 人 歩 き ︵ 二 人 歩 き か ︶ は 危 険 で す ︒ 古 い ハ ガ キ そ の 時 に お 目 に か け よ う と 思 い ま し た が ︑ き ょ う 何 と な く オ ホ ー ツ ク の 海 を 偲 び ペ ン を と っ た の で 同 封 し ま し た ︒ 勝 承 夫 二 伸 園 歌 歌 っ て い る こ と と 思 い ま す ︒ 小 村 君 の 故 郷 三 浦 三 崎 に ﹁ 歌 の 町 ﹂ の 碑 が 建 ち ︑ 五 月 十 四 日 建 碑 指 揮 の 予 定 ︒ 小 生 も そ の 日 は 出 席 の 予 定 で す ︒ こ の 頃 ︑ 電 話 が 便 利 に な り ︑ 手 紙 を か く の が 億 劫 に な っ た ︒ 汐し お の 香か の 何な に か 身み に 沁し む 北ほ っ 海か い の 霧む 笛て き を 遠と お く 朝あ さ 床と こ に き く 勝 承 夫 紋 別 市 立 潮 見 小 学 校 所 蔵
3 明 治 の 先 駆 者 井 上 円 了 の 足 跡 学 校 法 人 東 洋 大 学 発 行 ﹃ 井 上 円 了 の 生 涯 哲 学 の 伝 道 者 を め ざ し て ﹄( ) の 掲 載 内 容 に よ り 解 説 パ ネ ル を 作 成 し 16 た ︒ 本 報 告 で は 内 容 は 割 愛 す る ︒ 4 書 家 井 上 円 了 井 上 円 了 の 書 幅 ( ) を 展 示 し ︑ 書 家 と し て の 井 上 円 了 の 魅 力 を 紹 介 し た ︒ 16 明 治 三 十 七 井 上 圓 了 號 甫 水 無 藝 庵 拙 筆 廛 弧こ 都と 冬ふ ゆ 尓に 無なき ニ 人ひ と 到いた る 時と き 有あ り レ 残ざ ん 雪せ つ 体た い 静しず か ニ 帰き ス 井 上 甫 水 道 人 書 大 正 三 年 歳 在 甲 寅 談 怪 我 甫 水 圓 了 即 是 怪 門も ん ニ 無な ク 二 來ら い 馬ば 一 終おわ ル 二 歳と し 静しす か ニ 一 身み 環めぐ る 二 雲う ん 山ざん ヲ 一 萬ば ん 事じ 輕か も シ 甫 水 井 上 圓 了 道 人 書
口
5 そ の 他 の 展 示 物 井 上 円 了 の 著 作 と し て ︑ ﹃ 南 船 北 馬 集 第 二 編 ﹄ ( ) ︑ ﹃ 仏 教 活 論 序 論 ﹄( ) ︑ ﹃ 妖 怪 学 講 義 ﹄ ( ) を 展 示 し た ︒ ま た ︑ 17 18 19 井 上 円 了 の 略 年 譜 ( ) を 展 示 し た ︒ 20 6 講 演 会 令 和 元 年 六 月 二 十 二 日 ︵ 土 ︶ ︑ 紋 別 市 立 博 物 館 郷 土 学 習 室 に お い て ︑ 東 洋 大 学 の 三 浦 節 夫 教 授 に よ る 講 演 会 ﹁ 明 治 の 先 駆 者 ・ 井 上 円 了 ﹂ を 実 施 し た ︒ 五 十 一 名 の 参 加 が あ っ た ︒ な お ︑ 本 講 演 会 は 東 洋 大 学 社 会 貢 献 セ ン タ ー 講 師 派 遣 事 業 の 協 力 に よ り 開 催 し た も の で あ る ︒ 明 治 四 十 四 辛 亥 之 歳 號 甫 水 井 上 圓 了 瑞ず い 氣き 朝あさ ニ 浮う ク 五ご 雲う ん 開か い 詳しょ う 光ひ か り 親した し ク 吐は く 萬ま ん 年ねん ノ 枝え だ 井 上 圓 了 呈 書 大 正 二 年 歳 在 戌 午 號 甫 水 井 上 圓 了 妄も う 念ね ん 波は 技ぎ 心し ん 海かい ノ 情じ ょ う 先ま ず 至いた ル 二 七し ち 月が つ ニ 一 於お い て 二 分ぶ ん 明め い 此こ の 時とき ニ 一 殖し ょ く 取し ゅ 眞し ん 情じょ う 且か つ 絶た え 對た い 岸が ん 改 あ ら た め て 有あ り 二 興きょ う 聲せ い 一 甫 水
謝 辞 本 展 の 開 催 に あ た り ︑ 次 の 方 々 な ら び に 団 体 等 よ り 資 料 提 供 ︑ ご 協 力 を い た だ き ま し た ︒ こ こ に 記 し て 深 く 感 謝 申 し 上 げ ま す ︒ ︻ 資 料 提 供 ︼ 橘 家 様 とー一ゴ:==
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円 満 寺 様 古 屋 英 樹 様 東 洋 大 学 井 上 円 了 研 究 セ ン タ ー 様 中 野 区 立 哲 学 堂 公 園 管 理 事 務 所 様 学 校 法 人 紋 別 大 谷 学 園 様 紋 別 市 立 紋 別 小 学 校 様 紋 別 市 立 潮 見 小 学 校 様 ︻ ご 協 力 ︼ 小 川 昭 一 郎 様 古 屋 正 徳 様 渋 田 喜 久 子 様 【 註 ︼ ( ) 主 催 は 紋 別 市 教 育 委 員 会 ︑ 紋 別 教 育 文 化 振 興 会 ︑ 東 洋 大 学 校 友 会 紋 別 支 部 ︒ 後 援 は 学 校 法 人 東 洋 大 学 ︑ 東 洋 大 学 校 1 友 会 ︑ 学 校 法 人 紋 別 大 谷 学 園 ︒ 協 賛 は 北 海 道 新 聞 社 紋 別 支 局 ︑ 株 式 会 社 北 海 民 友 新 聞 社 ︒ 開 催 期 間 は 令 和 元 年 六 月 一 日 ︵ 土 ︶ ~ 六 月 三 十 日 ︵ 日 ︶ ︒ 会 場 は 紋 別 市 立 博 物 館 ・ 市 民 ギ ャ ラ リ ー ︵ 北 海 道 紋 別 市 幸 町 三 丁 目 一 ︱ 四 ︶ ︒ 会 期
中 ︑ 二 十 六 日 間 で 二 四 〇 〇 人 の 入 場 が あ っ た ︒ ( ) 写 真 提 供 : 東 洋 大 学 井 上 円 了 研 究 セ ン タ ー 2 ( ) 写 真 提 供 : 東 洋 大 学 井 上 円 了 研 究 セ ン タ ー 3 ( ) 橘 家 所 蔵 4 ( ) 円 満 寺 所 蔵 5 ( ) 橘 家 所 蔵 6 ( ) 古 屋 英 樹 氏 所 蔵 7 ( ) 古 屋 英 樹 氏 所 蔵 8 ( ) 橘 家 所 蔵 ︒ ﹃ 池 澤 亨 追 想 録 ﹄ 池 澤 憲 一 編 ・ 発 行 / 昭 和 十 四 年 八 月 二 十 日 発 行 ︒ 井 上 円 了 が 紋 別 を 訪 れ た 時 の 様 子 を 9 紋 別 の 人 物 が 伝 え る 貴 重 な 史 料 と な っ て い る ︒ ( ) 紋 別 市 立 紋 別 小 学 校 所 蔵 10 ( ) 橘 家 所 蔵 11 ( ) 橘 家 所 蔵 12 ( ) 学 校 法 人 紋 別 大 谷 学 園 所 蔵 13 ( ) 学 校 法 人 紋 別 大 谷 学 園 所 蔵 14 ( ) 橘 家 所 蔵 15 ( ) 橘 家 所 蔵 16 ( ) 東 洋 大 学 井 上 円 了 研 究 セ ン タ ー 所 蔵 ︒ 井 上 円 了 編 ・ 著 ︑ 明 治 四 十 二 年 一 月 十 日 修 身 教 会 拡 張 事 務 所 発 行 ︒ 井 上 円 了 17 が 明 治 三 十 九 年 か ら 大 正 七 年 に 行 な っ た 全 国 巡 回 講 演 ( 巡 講 ) の 記 録 を ま と め た も の ︒ 巡 講 の 目 的 は 国 民 道 徳 の 向 上 の た め で あ り ︑ 修 身 教 会 の 本 山 と な る ﹁ 哲 学 堂 ﹂ の 拡 張 と 充 実 を 目 指 し て 活 動 し た ︒ 第 二 編 に は 宮 崎 県 ︑ 大 分 県 ︑ 紋 別 を 含 む 北 海 道 ︑ 豊 前 ・ 豊 後 ︑ 熊 本 県 に お け る 足 跡 が 記 録 さ れ て い る ︒ ( ) 東 洋 大 学 井 上 円 了 研 究 セ ン タ ー 所 蔵 ︒ 井 上 円 了 著 ︑ 明 治 二 十 年 二 月 哲 学 書 院 発 行 ︒ 日 本 の 伝 統 宗 教 で あ り ︑ 自 分 自 18 身 が 幼 少 期 よ り 身 近 に 接 し て き た 仏 教 を 東 洋 の 哲 学 と し て 評 価 す る と と も に ︑ 明 治 以 降 ︑ 衰 退 し て い く 日 本 仏 教 の 再 興 と 近 代 化 を 強 く 主 張 し ︑ 発 表 当 時 ︑ 大 き な 話 題 と な っ た ︒ 円 了 の 代 表 作 の ひ と つ に あ げ ら れ る ︒ ( ) 東 洋 大 学 井 上 円 了 研 究 セ ン タ ー 所 蔵 ︒ 井 上 円 了 編 ・ 著 ︑ 明 治 二 十 九 年 六 月 十 四 日 哲 学 館 発 行 ︒ 人 々 か ら ﹁ 妖 怪 博 士 ﹂ 19
の 愛 称 で 呼 ば れ た 井 上 円 了 が ︑ 東 京 大 学 在 学 中 よ り 取 り 組 ん で き た 妖 怪 研 究 は ︑ い わ ゆ る 〝 化 け 物 〟 に 限 定 さ れ る の で は な く ︑ こ っ く り さ ん ︑ 幽 霊 や マ ジ ナ イ な ど の 俗 信 ︑ 天 変 地 異 や 精 神 現 象 な ど ︑ こ の 世 の あ り と あ ら ゆ る ﹁ 不 思 議 ﹂ な 現 象 を 対 象 と し て い る ︒ 井 上 円 了 の 代 表 作 ﹁ 妖 怪 学 講 義 ﹂ は ︑ 迷 信 を 社 会 か ら 取 り 除 き ︑ 合 理 的 思 考 を 普 及 す る こ と で 日 本 の 近 代 化 を 目 指 し た 円 了 の 妖 怪 研 究 の 集 大 成 と も い え る ︒ ( ) 三 浦 節 夫 著 ﹃ 新 潟 県 人 物 小 伝 井 上 円 了 ﹄ ( 平 成 二 十 六 年 五 月 二 十 四 日 新 潟 日 報 事 業 社 発 行 ) 一 〇 二 ペ ー ジ ~ 一 〇 七 20 ペ ー ジ の 井 上 円 了 関 係 年 譜 を 参 照 し パ ネ ル を 作 成 し た ︒