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=鴎「 小特 illif 束アジア 巻頭言東アジア比較文学史」の構想…・ 主

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ゴッホは文人画家か一一豊子憧のゴッホ観…・・・ 近世の韓・日儒教教訓書一一『東園新績三綱行賓闘 j f 本朝女鑑J r 本朝列女博 j を中心として.,.・ H ・ H ・ H ・..…EE 日出における継承と創造一一二代目円生から円朝へ....・H・-…延麗 E J [追悼・神田孝夫教授] わがコーチ,神田さんを憶う………・ 弔辞 神田先生に教えられたこと ………… 神田孝夫先生追悼記…・

葬士十銭

小特輯東ア ジア 外国語要約

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[Le Rand-Point]

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~-をえないはずだ。バシユラ l ルの二面性を見て、科学の人も文芸を たしなむし、そういううるおいがやはり必要なのだとして安心して はならない。他者に向けて何かを語る以上、どこかで個人を離れた 冷たい原理に訴えざるをえないはずであり、その原理は個人的主体 を離れたところにあるという、バシユラ 1 ル本来の根幹を見逃して はならないだろう。 本書では、著者自身が序章で「読者は第一章から順に読み進めて くだされば、パシユラ l ルの仕事のほとんどについてだいたいの感 じはつかめるだろう」と記しているように、パシユラ 1 ルの足取り が、主要な著作を手がかりにして、またそれぞれの時期の性格づけ を明確にしつつ、順を追ってたどられていく。著者の語り口は、序 章「ジャムとベンゼン」に典型的に見られる、パシユラ 1 ルへの暖 かな(!)眼差しを思わせ、心地よく読める。また、科学認識論、 とくにフランスのそれについてのコンパクトな背景説明が適宜なさ れており、その方面についての入門書ともなりえている(本書は 「現代思想の冒険者たち」という、一般向けの解説を念頭においた シリーズの一つである)。しかし、本書が呈示する科学哲学者とし てのバシユラ l ルの中に何よりも見なければならないのは、科学と いう文化について、たんにそれをを採るか棄てるかという不毛な扱 いに陥らない形での、ありのままの受容・消化・評価が、現代社会 の一つの重要な課題だということではないだろうか。

平川祐弘著

『オリエンタルな夢』

ー!小泉八雲と霊の世界ーーー (筑摩書房、 一九九六年)

稲賀繁美

一九九四年夏、スイスのロ l ザンヌ大学で、「裳術家のイメージ」 と題して国際美術史学会研究集会が開催された。その席でベルリン 自由大学のアンジェリカ・リ l ガ l がマルグリット・ユルスナ l ル の adoE58 許可自叩 gpzg 芯ョを論じた。多国智満子訳の『東 洋締諦」に「老絵師の行方」として訳出されている掌編である。質 疑応答となって、「画家が自分の描いた絵のなかの舟に乗って画面 のなかに消滅するという筋は、中国の道教の逸話に題材を求めたと ユルスナ l ルは自註をつけているが、直接の材源はラフカデイオ・ ハ l ンの「果心居士の話」だ、との推定が平川教授によって既にな されているが」と発言してみた。大学の階段教室いっぱいの聴衆が 一斉にさっと振り向いた様が、いまでもまざまざと思い出される。 学会の話題はとかくヨーロッパ美術に限定されがちで、極東から の唯一の参戸加者はいささか場外れとも見えかねない状況だった。そ れだけに、はるばるヨーロッパまで来た甲斐があったような気がし

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-【書評】平川祐弘 『オリエンタルな夢』比較文学研究、1997年8月、128-134頁

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-て、正直嬉しかった。これがきっかけで、リ l ガ l 女史やオスカ l ・ベッチユマンといった参〆加者とも親しくしていただくことにな った。平川論文を縁とした出会いであり、またそうした論文の存在 を少しでも海外に知らしめるお手伝いのできたことも、評者にとっ ては幸な経験だった。およそ外国でも通用するような情報というも のは、煎じ詰めてゆくと案外限られたものに目減りしてしまう。比 較文学・比較文化といった領域がそうした希少な流通貨幣を独占す べき領分だとは言わないにしても、何が選別に耐える材料かを恒常 的に吟味・試験する場たりえる(たらねばならない)宿命を背負っ ていることは疑えまい(ちなみにリ l ガ l 女史は、東京大学大学院 の比較文学比較文化課程に在学したコンラッド・キンスキ l の論文 ||ユルスナ l ルの物語の典拠としてア l サ 1 ・ウェイリ l の 『中国絵画研究入門』の註にある呉道子の有名な逸話を知っていた 可能性を示唆したもの||は読んでいた。つまり平川論文に到着 するまであと一歩のところで小生と出会ったことになる )oz この「果心居士の消滅」も今回の「オリエンタルな夢」にその日 本語版が収められている。著者はこの話題を、東京大学を退官する 直前の八王子大学セミナー-ハウスでの春の学科合宿の講演で取り 上げた。佐藤亜紀の「バルタザ l ルの遍歴』こそ登場しなかったも のの、アポリネ l ルの「オノレ・シュブラックの消滅」やマルセ ル・エメの「壁またぎ」まで動員されるその変幻自在の論旨には、 さながら見事な手品を見る思いだったが、実は当時すでに著者はバ ンク l ヴァ l で同様の趣旨を英文で発表していた。つまり用意周到 なる著者は、英語圏で自説の有効性を試験したあとになって、これ を(外国人留学生を含む)日本の大学院生相手に、おそまきながら 日本語で「再演」していたことになる 02 この平川氏の後塵を拝して、評者も一九九六年、ダプリンはトリ ニティ l ・カレッジで開催された「言語と映像第四回国際研究会」 の席で、同じ話題を違った角度から論じてみた。そんな屋上屋を敢 行したのは、ひとつにはハ l ンが暗い幼少時代の一時期を、ほかな らぬこのダプリンで過ごしていたからだ。だが、そのことをーー というより日本人作家小泉八雲ことラフカディオ・ハ l ンをーーー 知る者は、学会への参加者中には皆無に等しかった。 あえてハ l ンのこの小品を取り上げたのは、絵を語る絵解き文学 (エクフラシス)の研究という常套ではなく、逆に「文字による絵 画」を論じ、文学のなかに創造された虚構の絵画という不在のトポ スにみられるフィクションの構造を手掛かりにして、東西美学の交 流による変成の現場を浮かび上がらせよう、という趣向からである。 さらにはハ l ンが石川鴻斎の「夜窟鬼談』から再話した物語をマル グリット・ユルスナ l ルが利用したなら、今度はそうした論をなし た平川教授の仮説と論法とを利用して、再度の再話によって、言語 と絵画との相互関係という領域で新しい提案をしてみよう、という 魂胆も潜んでいたわけである。 (3) 西欧の読者を意図して練り直された「オリエント」の物語には、 東洋の文人画理念との微妙だが無視できない差異も匪胎されている だろう。平川氏はそれを西洋のミメ i シスの美学に対して東洋のア ニミズムの美学と大胆に対比する 。 「創造」の円 gtg に対して「発 生」胃 5EEC-】を立てるこうした論法は、分かりゃすくてインパク トもあるため評判にもなりやすいが、ときには危険な図式化として 論議や感情的な反発をも呼ぶ(一五九頁 ) c しょせん東洋と西洋は

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別だとする決めつけは、西洋人には「気韻生動」の東洋の美学は分 かるまいとする拒絶と締め出しの身振りの裏で、東洋に西洋に匹敵 するか、それを凌駕さえする「精神性」を授けるがごとき居直りを も匂わせるきらいがある。二十世紀初頭から日本の中国学者や、そ れを汲んだ中国人たちがなした東洋画優位説も、こうした西洋に対 する査んだ精神的コンプレックスと無縁ではなかった。西洋の聴衆 を排除した席でこの種の論法を振りかざすのでは、いかにも内弁慶 だが、逆に西洋の聴衆に同様の主張を納得させようとすれば、これ はひとりよがりなお国自慢とも誤解されかねぬ。ひいてはそれが、 西洋の学界が主張する普遍的な方法論や学問作法そのものへの異議 申し立てすら隠している場合もあって、ことは(表向きはそのこと を否認しながらも)不毛な神学論争の様相を呈する危険を秘めてい る。 むしろ評者としては、ユルスナ l ルの造形した「王仏」がひたす ら美の世界に陶酔して、現実には同性愛者の弟子「玲」の手を借り ねば日々の生活もままならぬ唯美主義者塞術家の面影を深く宿して いるのに対して、ハ l ンの「果心居士」が信長をも手玉に取る豪胆 な大酒呑みの策士の風格を備えている差異に注目したい。皇帝の命 で斬首されたはずの「玲」がその首に赤い襟巻きを巻いて、絵のな かから舟を漕いで師匠を迎えにくる趣向を、平川氏は「巧みな美化 であり、いたわりではあるまいか」と評価するが(一二三頁)、こ れはその直前に示された「弟子の血が緑の舗石につけた深紅の美し いしみ」の描写を「好きになれない」とする価値判断とも矛盾した、 自らを偽った判断ではあるまいか。ここにユルスナ l ルの三島由紀 夫との親和性を感じる点は評者も同感だが、これはむしろ悪趣味な 描写にみえる。が、重要なのは、ここでまだ画中の虚構の世界に通 じていない無知を暴露する王仏に対し τ 、弟子のはずの玲が主導権 を取って、この虚構世界への船頭役を堂々と演じる、という逆転だ ろ、っ。 ユルスナ l ルの描く世界は、ひたすらこの虚構の美のなかに逃避 する姿勢において、世紀末の美学を色濃く引きずっている。実際、 玲の妻が王仏の肖像のモデルとなることで生気を肖像に吸い取ら れ、やがて紅梅の枝に首を括って自死に至る経緯は、エドガ l ・ア ラン・ポ l の「楕円形の肖像」からエミ l ル・ゾラの『作品』を通 じてオスカ l ・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』に至る系譜 を踏襲している。切られた首といい、水が満ちた宮中でメドゥ l サ の蛇よろしく水中を漂、ユ臣官たちの弁髪といい、そのなかに睡蓮の ようにぽっかりと浮く皇帝の頭部といい(こうした要素も平川氏は きちんと列挙している l 一二四頁)、ユルスナ l ルの世界は、とり わけ今日から見れば、アール・ヌ l ヴォ l 風の装飾に東洋の味付け を施したというかぎりで、まことに典型的なオリエンタリズムの図 式に吸収されるーーなかでも漢詩を意識したと思われる対句の多 用は、文体評釈の対象たるだけの精巧さを湛えている。晩年のユル スナ i ルの未完の著作『牢獄回り』はこの「東洋趣味」の唯美主義 という限界を突き抜けているのか。その歌舞伎論はいかにミメ l シ スの美学を脱しているのだろうか。それを論ずるのは、この書評の 範囲を越える。 それではハ l ンにおける「オリエンタルな夢」とは、いかなる性 格のものだったのか。 - 130

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130-2 ハ l ンの英文は、朗読すると、聴衆を一種、磁力のようなもので 引き付ける 。 その様は、評者もまた右に述べたダプリンの学会で実 際に体験する機会を得た。例えば最初に信長のまえに示されたとき には値段もつかない名画であった果心居士の掛け物は、百両で買い 取られて改めて広げられると、やや色槌せて生気に乏しくなったよ うに見える。どうしたことかと 尋 ねる信長に、居士はぬけぬけとこ う答える 。 百両に値踏みされたのだから、今は百両の価値しかない 画面となっただけのこと、と 。 物語に聞き入っていた聴衆は、これ には声をあげて笑ってくれた 。 深刻ぶった「東洋の神秘」などとは 無縁の、 意 表をつく機知である 。 だがそれだけではあるまい 。 ここにはまた、作品の価値はそれを 鑑 賞 する者の眼力によって左右されるという、例えば岡倉天心の 『茶の本」がボストンの上流階級に伝えようとした教訓も共鳴する 。 義術作品の価値は作品に内在するのではなくて、鑑賞者との交感の うちにはじめて成就される、というわけだ 。 この趣向を原作から抽 出し、敷街し、活用したハ l ン 。 それに対してユルスナ l ルが伝え るのは、ひたすら現実を越え、鑑 賞 者を超越して孤立する美の世界 だ 。 絵に固まれて育った皇帝は、長ずるにおよんで帝国の現実を知 り、その版図のあまりの醜悪さ、その住民のあまりの猿雑さに樗然 とし、虚偽の美、絵画という架空の楽園を教えた画家の罪を糾す 。 この糾弾の長口舌を短編の中心に据えるユルスナ l ルと、説弁を弄 するしたたかな市井の居士の立ち回りを余裕たっぷり描くハ l ンと の選択の差。 いまひとつ、ユルスナ l ルとハ l ンの違いをきわだたせるのは、 「絵の魂」という考えの有無だろう。ユルスナ l ルも「画龍点晴」 (一五五頁)という言葉を知っていたに違いないことは、「王仏はい かにして救われたか」(原題直訳)の一節にみえる「王仏は彼が画 面の眼球に与える最後の 筆 致によって絵に生命を与える権能をもっ ていると言われていた」といった表現からも推測できる。だがそれ に続いて、王仏の描いた番犬を見れば盗賊も逃げ出すといった逸話 が示唆するのは、あくまで本物そっくりの集患に由来する威力で あって、それは伯牙の琴の 警 えが訴えるような、楽器に龍もる樹木 の 霊 といったものとは異質だろう 。 この「 霊 の世界」の評価が、平 川ハ l ン論の核心をなし、かっその評価の分かれ目ともなるようだ 。 本 書 と相前後して出版された平川祐弘編川町長 R83 名営再ミ 3 同 83~ 缶、。記抱 U 町内ロ hFh 急 S 札口定九円史認(白。 EO 江 gEW52) への 書 評 cesszpZ 向。 FHN ・52) でドナルド・リチ l は、「ヒラカワはハ l ンがイチカワ・コ l サイから盗みを働いたに ついては、いたってあいそが良いのに、マルグリット・ユルスナ l ルがハ l ンから彼女の『東方椅謹』のひとつを盗んだといって糾弾 している」と、やや神経症ぎみのコメントを入れている(ちなみに 本書には、ここまで紹介した論文が、やや短かい英文初出の学会発 表原稿に近いかたちで掲載されていて、その拡大版がすでに別途平 川・鶴田編『アニミズムを読む』(新曜社、一九九四年)に収めら れていることも、同 書 註に明記されている) 。 平川教授の意図がユ ルスナ l ルの「盗用」を難詰するというよりは、むしろハ l ン利用 の可能性を仮説として提出するにあったことは疑いないが、文学的

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処理としてユルスナ l ルよりもハ l ンの手腕に軍配をあげる傾きの あることは否定できず、またそうした著者の、いわば主観的な好悪 の判断が、むしろ拡大日本語版で付加される一方、註は簡略化され ていることは指摘しておきたい。 だがここで評者が注目したいのは、典拠の再話による文学的効果 の創出、影響・系譜の復元といった学術的操作と、作品の伝える 「霊」に重きを置く著者のイデオロギーとの聞を取り持つ、論理上 の双向性である。 3 「オリエンタルな夢」は、すでに定評ある平川氏の比較文学的研 究の手法とその手腕を堪能させてくれる、名人妻揃いのエッセーを 集めた著作である。「小泉八雲と霊の世界」では「子供を捨てた父」 という出雲の持田浦に取材した物語が、ハ i ンの亙忠大学での講義 「イギリスのパラッド」で取り上げられた「残酷な母」と関連づけ られ、孟蘭盆と万聖節との通底性からハ l ンの感応した霊の世界が 探られる。ハ l ンの神道理解の裏にはフユルステル・ド・ク l ラン ジユの『古代都市」読書の経験、といった平川氏自身が明らかにし た要素のみならず、カトリック作家クロ l デルや、自由思想家アラ ンとも連なる先祖崇拝への同感があったとされる。「祭りの踊り」 ではロティの「アフリカ騎兵」に見られるパンパラ族の踊りや、放 浪の楽師にして語り部たるグリオについての記述と、ハ l ンの日本 音楽への聞かれた感性とを繋ぐ触発の筋が辿られ、その「刺戟伝播」 の系譜のうたに柳田園男の「遠野物語』の世界、そして『雪国の春』 に収められた「清光館哀史」が記す、陸中小子内の盆祭りの採取風 景が吟味され、彼らの目と耳が捕えた「異郷のヴィジョン」への共 感ある記録に、著者は先祖の戸を聞く。 さらに「ハケルダマ」ではハ 1 ンのシンシナティ 1 時代のルポル タージュと島崎藤村の「千曲川のスケッチ』にみられる屠牛の場面 の描写手法の比較とい、三思外な視点から、藤村のスケッチがミレ l ばりの油絵写生になっているのに対して、シンシナティ時代の qgg 目。好みのハ l ンのセンセイシヨナル狙いの華麗なる原色の 声高な誇張描写が、日本での晩年には、あたかも単彩の墨絵を思わ せる低声の mzaq な境地へと昇華された様を物語る。 続く三編がいわゆる怪異談にちなむ話題で、「果心居士の消滅」 に続いて、その背景となる東西の美学的姿勢を対比する「日本文学 におけるアニミズム」が収められ、ついで「江戸風怪談から妻術的 怪談へ」では、ハ l ンの「子を捨てた父」と、その東京大学におけ る後任・英文教授、夏目激石の『夢十夜』第三夜における、背負っ た子供がほかならぬ「自分」の殺した子供だと悟らされるプロット との類似から始めて、激石の「第一夜」(全文が掲載されている) とハ!ンの「お貞の話」との符合、さらには「第五夜」と「策略」 (『怪談」に所収)との類似まで執揃に追跡し、「『夢十夜』で激石は ハ l ンに一矢報いるところがあった」とする推理を展開する。 ちなみにそこで取り上げられる激石『草枕』には、画工が写生帳 に附嵯に描いた世界を那美さんに見せて、「さ、この中へ御這入り なさい」と言うのに、娘が答えて「まあ、窮屈な世界だこと、横幅 ばかりぢゃありませんか。そんな所が御好きなの、丸で蟹ね」と 「言って退ける」場面がある。舟に乗せた魂送りとか、絵のなかの っ“ 丹、 u 3

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132-世界への「引っ越し」というモチーフにも、異界への通路への興味 という点で、案外激石とハ l ンには、通ずる節が見られるようだ。 最後に集められた三編のうち、まず「御神木が倒れた日」は、 「天皇陛下がお亡くなりになった」という一文から始まり、ハ l ン の「一六桜」と「怪談」に収められた「青柳の話」の樹霊に事寄せ て、この帰化作家が人と樹霊との交感を察知できる心の持ち主だっ たことを説き、そうした「アニミスト的な心情」の根幹をなす「神 道という原初的な文化」を跡づけ、かかる「まつりごと」の祭司と しての天皇家の位置を振り返る。つづく「夢の日本か現実の日本か」 は『英語教師の日記から」を題材に、そこでハ l ンが取材した松江 の生徒たち一人一人の実像を丹念に再発掘することを通して、ハー ンの創作家としての周到な材料集めと丹念な取捨選択の技巧を、現 実との子細な違いのなかに逆照射するのみならず、激石『坊っちゃ ん」のいかにも自己中心な状況把握との異同にも目配りして、ハー ンの観察の濃やかさを際立たせる 。 ところで著者はそうした入念な作業を、チエンパレン晩年のハ l ンへの冒漬的評価に対する「名誉回復」の試みだと規定するが、こ れは却ってこの学術的論考の射程を媛小化するものではないか。そ もそもハ l ンの一生は「悪夢に終わった」とするチェンバレン最晩 年のハ l ン評が、「ハ l ンの文学史上の死命をも制したほどの破壊 的効果をもっていた」(二九八頁)と言い切れるのか、評者として は疑念が残る 。 むしろ旧友に対する評価に惨めな改憲を加えるとい う「愚行」を犯し、またそれを没後に利用 (H 悪用?)されること になったチエンバレン晩年の悪夢(これは既に平川氏が『破られた 友情」で分析した通りだ)こそ哀しむべし、また晩年の英王堂やウ エイリ l の周辺や、その後の時代には、政治的のみならず、学問的 にも、ハ l ンへの手放しの称讃を跨わせる状況が、すでに押し止め がたく進行しつつあったのではなかったかっこ O 一頁)。 最後の「異文化を生きた人々」は、著者による問題編著の序章に 筆を加えたもので、ハ l ンという「極端」をひとつの範例として、 異文化理解のありかたを対比列伝として描き出してみせる。初出の いささか性急な筆致は、補筆によって均衡をまし、著者長年の謹蓄 を傾けた記述の密度と円熟には並々ならぬものがある。だが、評者 としては、「ハ l ンをリトマス試験紙として」異文化理解の適否を 論じる論法そのものに、いささか違和感字』替市じ得ない。 例えば札幌農学校の「クラ l ク先生」は祖国で「まったく無名」 なるのみならず「山師まがいの悲惨な晩年を送」り、また「熊本バ ンド」のジェ l ンズ大尉は帰米後、世間からは爪弾きにされ、妻か らも逃げられ、官 一 教師たちからは危険人物視されたこと、また、近 くはドナルド・キ l ン教授といった日本で高名な日本学者が、本国 では無名に近いことに、著者はすこぶる敏感なのだが、はたして帰 国後の悲惨が日本での影響力の是非を判別する基準となりうるのだ ろうか 。 またたとえキ l ン氏が印税収入の大部分を「研究対象国」 で稼いでいるのだとしても、それはひとりの外国人学者の誉れでこ そあれ、氏の学者としての評価にどう係わるのか、評者には理解し がたい 。 むしろ祖国と日本での評価の落差とその落差を生み出した 社会的機構こそ、比較文化的探求の対象とすべきものではあるまい 4M 「キリスト教宣教師が大嫌い」というハ l ンの「異常さ」がいつ のまにか乗り移って骨肉に染み入ってしまったことをあえて否認し qJ qJ

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ない著者は、宣教師の使命感や優越感を、ハ l ンは日本理解の妨げ となるものと斥けた、とし、その判断が正しかったことの証拠に、 一世を風廃した左翼系北米知識人、宣教師の息子たる E ・ H ・ノ l マンの日本語知識の「真相」を暴露せずにはいられない(こうした 図星に溜飲を下げる読者もあろうが、それはひとつ間違うと、かつ がれた有名人へのやっかみとも映りかねまい)。となれば、こうし た宣教師の子弟のひとりで、宣教に肯定的なライシャワーのハ l ン 評価が低かったのも、著者の指摘するとおり、まことに辻棲のあう 理屈だが、逆にだからといって、ハ l ンが理解できたことを理解で きなかった、という理由で比較する相手をおしなべて庇めるのなら ば、この対比列伝はいささか鼻白む結果ともなりかねまい。 路傍のお地蔵様に共感を寄せたハ l ンに対して、そこに病的な小 人しかみないロティ。日本人には宗教心がない、神道は宗教の名に 値しない、と当時の「宗教」の定義に沿ったーーその限りではす こぶる客観的だが、今から見返せばオリエンタリストとしての偏見 に浸っていたことはあまりにも明白な||判断を下し、日本の音 楽に親しめず、また非白人の現地女性との法律上の結婚は忌避した チエンバレンに対して、万事それとは好対照だったハ l ン。プロテ スタント社会の「罪の社会」に対して日本社会を「恥の社会」と図 式的に規定したル l ス・ベネディクトに対して、「ご先祖様の御遺 牌に対して申訳けがたたない」という(もとより「日本人」専売特 許ではないことは、平川氏自身、クロ l デルやアランを参照して立 証したはずの)道徳観を理解しえたハ 1 ンの希有な直観力:::。日 系人の犯罪発生率の低さもこうした「神道的」道徳観と関係がある らしい , が、ここには西欧至上主義への糾弾と、戦後日本の自虐的自 己意識(これはすでに戦後日本史の一部である)への反作用とが、 日本的価値観への共感的理解を西洋に向けて発信したひとりの英語 圏日本帰化作家の{杢挺的幸福を核として情緒的に癒着してはいない だろうか。 「研究対象国の長所を率直に認め、それを鏡として自国の短所を 指摘するだけの知的誠実さ」(一一二三頁)はたしかに大切な姿勢だ が、それはなにも(かつて優位にあった)西洋人にのみ要求される べき格率ではあるまい。ハ 1 ンの日本的霊性尊重も、それが国粋的 教条から自由たりえたからこそ尊いのだから。 [注] (1) 〉出向冊目 SHCommPROOBBO 己巧 gm'gpzmg 恥 15pg'Em 司 m 。巳ロ耳目(恥円四・ YNNh 川町たえ E285J ピロ∞一 一 p ・ 0 回目 ggE 〈母国主巴円。回門戸 O FF--PEg-問。ロ E 仏の NUBmEW 公一言釦吋 mw 詰ユ ZJ 問。ロ吋口∞ロ mw 円。け円白ユー z kpnHERES ロ。 Q 誌な EhbNd と足可的役品川門出向可。 R3 向、 H 』 MUhw 炉、 Hao ロ吋回一∞ 2 広広 UM-Fm 吋HMhwto ロ mw-∞門戸・ b-甘口門問。 mwoC 吋口冊 一 ロ釦円 -Fmw ロロ O 印 w-mvω0 ・日 u ・ωohH ・ (2) 出可巳 ga 名目凶印己 BEH0 ・ 2 吋 VO 吋百巴ロ UmwEM0212Hnoo 町民間当印凹時国 同 ob ・ 3 ・ E → 22EE ロヨ(包・)・弓ミロ可向。ロ門出句 msoon ご anFB 諸問的問 Nr 九円向可 QRE1FCE4 ∞円回目什〕『 O同.切 H1H 江田}戸。。 ]CSEm ・ 5cω ・ (3) なお同じ逸話を漫画という表象手段で効果的に映像化した例が、白 土三平の「妙活」(一九六三年、『大摩のガロ』小学館、一九九二年) にあるが、これについては四方田犬彦の『漫画原論』(筑摩書房、一 九九四年)の卓抜な分析も参照のこと。ただし四方田氏の著書で、ハ l ンの出典が「恵信僧都の話」となっているのはご愛嬬。またここで 白土はハ l ンのみならず司馬遼太郎の「果心居士の幻術」「飛び加藤」 (ともに一九六一年、『果心居士の幻術』新潮文庫、一九七七年)をも 参照しているようだ。 A 斗A q υ 3

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-¥ 3700E

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ISBN4-7704-0943-5

定価(本体3,700 円+税)

NO.70 1SSN 0437-455XAugust 1997

Hikαku Bungaku Kenkyu Studies of Cornparative Literature

Special 1ssue: East Asia

Kawamoto K.: [ForewordJThe Comparatiue History of East Asian Liter,αture in Progress…( 1 )

Nisrumaki 1.: 15 Van Gogh a Literati Painter?: On Feng Zi-Kai' s View ofVan Gogh ...・ H ・..( 4 )

巌基珠:近世斗韓・日儒教教訓書東国新績三綱行賞園 J r 本朝女鑑j f 本朝列女博 j 告封象」と主...ム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イ 29) Nobuhiro S.: Legacy and 1nvention in rakugo: From Ensh II toEnchõ... ・ H ・ H ・ H ・...・ H ・-・ (49) 初植民 iNμ 川河円い措沿い凶日 l lyt--f ι1uiυfj

比較文撃現

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1997 年 8月 Watanabe T.: On J.D.Salinger' 5 Down atthe Dinghy" : Salvation for an Infant' 5 Family…(67 ) Nakagawa K.: A Story ofMother and Son: Tsurumi Yuke' s Mother'" ………...・ H・...・ H ・-・ (90) [Tributes to Professor Kanda Takao] Kamei S.: Mr.Kanda as My Instructor………...・H ・..…・…・・………...・H・..…...・ H ・..…… (110)

Kobori K.: Memorial Address ……...・ H ・ H ・ H ・...・ H ・..…………・………...・ H ・ H ・ H ・...・ H ・ H ・ H ・..・・(114)

Komiya A.:In Memory of Professor Kanda Takao'" ・ H ・...・ H ・...・ H ・..……...・ H ・ H ・ H ・...・ H ・ "(117) Kotajima Y.:Professor Kanda in Taiwan …...・ H ・..…...・H ・...………...・ H ・...・ H ・'(120) Reviews Matsuura S.: Bashur舐u: Kagaku to Shi (Bachelard: Science and Poetry) by KanamoriO.

(123) Inaga S.: Orientαrll nα Yllme: Koizllmiycαkumo to Rei no Sekai(Dreams of theOrient: Koizumi Yakumo and his Ghostly World) by Hirakawa S....・ H ・...・ H ・ H ・ H ・..……(1 28) Sugawara K.:lbunkα eno Shisen:Atαrαshii Hikαku Bungaku no Tameni (Looking at Foreign Cultures: Comparative Literature Reconsidered) ed.by Sasaki H.…(134) Koyano A.:Can We Surmount Western Modernity?:An Essay on Two Books:lbunka eno Shisen ed.by Sasaki H. and Hikαku Bunglαku ωoMαnαbu Hito no Tameni (An Invitation to Comparative Literature) ed.by Matsumura M. ...・ H ・...… H ・ H ・-・(1 43) Ogawa T.: Aozαora: Furαnsu Shδchδshi toNihon no Shijin Tachi (Blue Sky: French Syrnbolist Poetry and Modern Japanese Poets) by Mizushima H.・・…....・H・....……・・・………...・ H ・....・ H ・...・ H ・-… H ・ H ・..…(1 50) Suzuki H.:~mae' deBllngaku ωo Toku (lnterpreting Literature through the Concept of'Arnae')ed.by Hirakawa S.and Tsuruta K....・ H ・...・ H ・...・ H ・-…(1 53) Kimino T.:W,αkakiPαruku /Miwαkll (A New Translation ofPaul Val駻y's Lα Jeune Parque / Charmes) by Nakai H. ……...・ H ・..…...・ H ・...・ H ・....・ H ・...・ H ・-…・(158) Chan J.: Aru Meiji-jin no Chsen-kan:Nakαrai 10sui to Nicch Kankei (Nakarai Tsui's View ofKorea) by Kamigaito K....・ H ・...・ H ・ H ・ H ・....・ H ・ H ・ H ・,...・ H ・'(163) 東大比較文祭合細部判 金 e'hw 切 tEr 」 va 止・ hEb -TJ (抹)恒文川 会ヨ 九 l i l l -l j 1 : i i l -j i l --i ; : i -2 ヲ, d-ヨ db Le Rond-Point KawarnotoK.: Exarniner's Comrnents on MS.Enomoto Yasuko' s Doctoral Thesis, “Western MusicandModernChina" ………....・ H ・-… ...(168) SashirnuraK.:MS.Enornoto's Thesis Defense…...・H・...・ H ・..…・ H ・ H ・...・ H ・ H ・ H・...・ H ・ H ・ H ・....・ H ・ H・ H ・....・ H ・'(1 70) Kot只jirnaY.: Notes on the Japanese Expression.Subekaraku"...・ H・..…・・……...・ H ・...・ H ・...・ H ・..…...・ H ・'(1 72) Mizuno T.: Reading Nakarai Tsui'sKosa Fuku Kaze(WindBlowing on the Western Desert)..・ H ・...・ H ・..…(1 76) 1 ) Society of Comparative Literature Abstracts h ド』 岬 HH 3f 八八五川{本体 一二 、じ OO 70

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ISBN4-7704-0943-5 C3390 +3700E

9784770409430

No.70 ISSN 0437-455X August 1997

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Hikaku Bungaku Kenkyu Studies of Comparative Literature Special Issue: East Asia

1923390037007

Kawamoto K: [Foreword) The Comparative History of East Asian Literature in Progress' .. ( 1 )

Nishimaki I.: Is Van Gogh a Literati Painter?: On Feng Zi-Kai' s View of Van Gogh ... ( 4 )

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Nobuhiro S.: Legacy and Invention in rakugo: From Ensho II to Encho ... · ... · ... ·(

49 )

Watanabe T.: On J.D.Salinger' s" Down at the Dinghy": Salvation for an Infant's Family ... ( 67 )

Nakagawa K: A Story of Mother and Son: Tsurumi Yusuke's Mother .. ·· ... · .... · .... · .... · .... ( 90)

[Tributes to Professor Kanda Takaol Kamei S.: Mr.Kanda as My Instructor ... · .... · ... · .. · .... ·(110)

Kobori K.: Memorial Address ... · ... (114)

Komiya A.: In Memory of Professor Kanda Takao" ... · ... (117)

Kotajima Y.: Professor Kanda in Taiwan · ... · .... · .. · .. · .. · ... ·· .. ··· .... · .. · ... (120)

Reviews Matsuura S.: Bashuraru: Kagaku to Shi (Bachelard: Science and Poetry) by Kanamori O. '''(123) Inaga S.: Orientaru na Yume: Koizll1ni Yakumo to Rei no Sekai (Dreams of the Orient: Koizumi Yakumo and his Ghostly World) by Hirakawa S ... · .. · ... ··(128)

Sugawara K: Ibunka eno Shisen: Atarashii Hikaku Bungaku no Tameni (Looking at Foreign Cultures: Comparative Literature Reconsidered) ed.by Sasaki H. '''(134) Koyano A.: Can We Surmount Western Modernity?: An Essay on Two Books: Ibunka eno Shisen ed.by Sasaki H. and Hikaku Bungaku wo Manabu Hito no Tamen; (An Invitation to Comparative Literature) ed.by Matsumura M. · ... (143)

Ogawa T.: Aozaora: Furansu Shochoshi to Nihon no Shijin Tachi (Blue Sky: French Symbolist Poetry and Modern Japanese Poets) by Mizushima H ... · .... (150)

Suzuki H.: 'Amae'de Bungaku wo Toku (Interpreting Literature through the Concept of 'Arnae') ed.by Hirakawa S.and Tsuruta K. ... · ... · ... ····(153)

Kimino T.: Wakaki Paruku / Miwaku (A New Translation of Paul Valery's La Jeune Parque /Charmes) by Nakai H ... · ... ·(158)

Chan J.: Aru Meiji-jin no Chosen-kan: Nakarai 10sui to Niccho Kankei (Nakarai T6sui's View of Korea) by Kamigaito K ... · .... ·.·, ... (163)

Le Rand-Point Kawamoto K.: Examiner's Comments on Ms. Enomoto Yasuko' s Doctoral Thesis, ·Western Music and Modern China" · .... ·· .... ··· ... · .. ··· ... · .. · ... · ... · ... (168)

Sashimura K.: Ms. Enomoto's Thesis Defense ... · ... ·· ... ·· ... · ... · .... ·(170)

Kotajima Y.: Notes on the Japanese Expression ·Subekaraku" ... (72)

Mizuno T.: Reading Nakarai Tosui's Kosa Fuku Kaze (Wind Blowing on the Western Desert) ... (76)

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