DOI: http://dx.doi.org/10.14947/psychono.34.37
身体特徴の違いが生む空間知覚の個人差
田 谷 修 一 郎
大正大学The individual differences in spatial perception caused by
the differences in our bodily features
Shuichiro Taya
Taisho University
The goal of our visual system is to extract the information from the retinal images that would be useful to ex-plore the environment. Our body, which is a “tool” to exex-plore the environment, has a variety of individual differenc-es. Thus if our visual system is optimized to each of our bodily features the optimization must lead the individual differences in our visual perception and cognition. In this talk I reported that the evidence of such optimization by showing the stable individual differences in the stereoscopic depth perception, namely correlation between inter-ocular distance and stereoscopic depth perception.
Keywords: individual differences, inter-ocular (-pupil) distance, stereopsis, spatial vision, illusion
は じ め に 視知覚の目的は網膜像情報に基づいた外界の復元であ り,我々の視覚系は様々な情報を手がかりにこの目的を 達成している。右眼と左眼の網膜像のズレ(網膜像差) は外界の奥行きについて方向(凹凸)と大きさ(奥行き 量)の情報をともに含む有力な手がかりであるが,原理 的には,網膜像差にもとづく奥行きの復元には観察者の 右眼と左眼の間隔(眼間距離)の情報が必要である。も し視覚系が実際に眼間距離の情報を奥行きの復元に用い ているならば,網膜像差から復元される奥行き量は各人 の眼間距離に依存して異なることが予測される。 本講演では,上記の予測に一致してステレオグラムに 知覚される奥行き量が観察者の両眼間距離と相関するこ とを示した実験結果について報告した。網膜像差から奥 行きを復元する際に両眼間距離の情報が必要となること は両眼と刺激の位置についての幾何学から導かれるが, この点については講演時間内では十分に説明できなかっ たように思う。本稿では講演の補足資料としてこの網膜 像差の幾何学を中心に解説する。 網膜像差の幾何学を理解するためには刺激までの(推 定された)距離を用いて網膜像や網膜像差の大きさから 外界の物体の大きさや奥行き量を算出する「スケーリン グ」の働きを理解することが重要であると考える。そこ で本稿ではまずスケーリングのメカニズムについて,錯 視と大きさ恒常性の関係を題材に解説する(なお,ここ で紹介する「蛙の手錯視」は本講演のもうひとつのテー マである知覚における身体の制約にも関連すると考えら れる)。 大きさの恒常性 網膜に映る物体の大きさ(v: 視角。単位は度)は, 物体の実際の大きさ(s)と視距離(D: 観察者と刺激 の間の距離)の関数として次のように記述できる。
( )
π s v 360tan 1 D 2 - = (1) 式(1)は大雑把には視距離が半分になれば網膜像の 大きさも半分になるということを意味している。しかし 私たちは視距離が異なるからといってそれほどものの大 きさが明らかに異なるとは感じない。たとえば親指を立 てて右腕を真っすぐ伸ばし,同様に親指を立てた左手の 拳を右腕の肘あたりに添えたとき,手前(左手)の親指 Copyright 2016. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: Department of Humans Science,Taisho University, 3–20–1 Nishi-Sugamo, Toshima-ku, Tokyo 170–8470, Japan. E-mail: [email protected]
は奥(右手)の親指のおおよそ2倍の大きさで網膜に投 影される。しかし(是非実際に観察して確かめて欲しい のだが)両者の網膜像の大きさにそれほど激しい違いが あるようにはとても思えないだろう。このように網膜像 の変化の大きさに比して知覚される大きさがそれほど違 わらず安定していることを「大きさの恒常性(size con-stancy)」 と よ ぶ(Mckee & Smallman, 1998; Ross & Plug, 1998)。
大きさの恒常性は,我々の視覚系が視距離を考慮に入 れて網膜像の大きさから外界の物体の大きさをスケーリ ング(scaling: 換算)することで成立するメカニズムだ と考えられている(e.g., Mckee & Smallman, 1998)。つま り網膜像の大きさ vが視距離Dの関数となるのであれ ば,視距離 Dを勘案すれば(式(1)を逆向きに解けば) 網膜像の大きさから物体の外界の大きさsがわかるとい うことだ。 視覚系が実際に視距離を用いて網膜像の大きさをス ケーリングしていることは,距離の情報が乏しい環境下 では大きさ恒常性の働きが弱まり,網膜像の大きさがそ のまま見えの大きさに反映されるといった実験結果から 支持される(Holway & Boring, 1941)。また,先述の右手 と左手のデモを片目で観察したり,写真に撮ったものを 見たりすると,両目で直に見た場合より網膜像における 指の大きさの違いが明らかになる。これは水晶体の調 節,両眼の輻輳や網膜像差(後述)といった奥行き手が かりがそうした観察条件では利用できず,対象までの距 離がつかみにくくなることから大きさのスケーリングが 不完全となるためと説明できる。 大きさの恒常性を支えるスケーリングの働きは様々な 錯視の原因となっているというのも,異論はあるもの の,研究者間で広く同意を得ている説明である(一川, 2012; Ross & Plug, 1998)。この手の説明で最も有名なも のはグレゴリー(Gregory RL)がミュラー・リヤー錯視 の説明に適用した「遠近法説」だろう(Gregory, 1963)。 遠近法説では,ミュラー・リヤー錯視図形の主軸の長さ が外交図形において内向図系よりも長く見えるのは,図 形の矢羽の向きが遠近法情報として視覚系に解釈され, ふたつの図形を異なる距離に定位して大きさのスケーリ ングが行われるためだと説明される。同様の説明は,ポ ンゾ錯視やポッケンドルフ錯視,垂直水平錯視など様々 な古典的幾何学的錯視に適用することができる。 幾何学的錯視はおそらく複合的な要因で生じており, 単純に大きさスケーリングの働きだけで錯視の生起を説 明 す る こ と は 難 し い(Mckee & Smallman, 1998; 鈴木, 2008)。しかし網膜像の(画像平面上の)大きさが等し い物体が異なる距離に定位されたときに大きさが違って 見えることは現象としてかなり頑健である。例えばFig-ure 1左は平行透視で描かれた直方体であるが,手前の 面Aは奥の面Bよりもやや小さく見える。面ABの大き さは描画面上では等しいが,実際の空間におかれた立方 体を見るときには面Bは面Aよりも小さく網膜(画像平 面)上に投影されるはずである。それにもかかわらず面 ABが同じ大きさで描かれているということは,面Bは 面Aよりも大きいはずだ。そういった「実際の」大きさ についての無意識的な推論が,面の見かけの大きさを変 えているのである(なおこの図に描かれた直方体は 「ネッカーの立方体」同様に面AとBの前後が逆転し得 る多義図形となっているが,面Bが面Aより手前にある と解釈されるときには両者の見かけの大きさが逆転す る)。この図の場合面 ABを結ぶ線分が見かけの大きさ に及ぼす(例えば検出器間の相互作用のような)スケー リング以外のメカニズムの影響も疑われるが,よりシン プルにステレオグラムを利用して四角形に距離差をつけ ても同様の見えの大きさの違いが生じる(Figure 1右)。 またこのような大きさの錯視が生じているとき,初期視 覚野の賦活範囲が(刺激の実際の大きさではなく)見か けの大きさに相関することが報告されており,大きさ恒 常性の概念に神経科学的根拠を提供している(Murray, Boyaci, & Kersten, 2006)。
空間知覚における身体の制約
筆者は最近大きさスケーリングの異方性に起因すると Figure 1. Examples of size scaling illusion. Left: When the surface A looks closer than the surface B, the further surface B
思しき錯視を発見した(Figure 2)。Figure 2右の写真は Figure 2左の写真を上下反転しただけのものであるが, 多くの人は右側の手の形が全体に奇妙に歪んで見え,特 に反転像の指の長さは正立像に比べて短く見えると報告 する(「蛙の手錯視」(田谷,2015)。なお余談だがこの 錯視は当時「手の魅力判断の男女差」をテーマにしてい た卒論生の実験刺激選定中に偶然見つけたものであり, 錯視の名称は反転像に知覚される歪んだ手の形状が「カ エルのようだ」という,別の学生の言葉に基づく)。 筆者の考えによれば蛙の手錯視はおそらく非典型な観 察条件下で大きさスケーリングがうまく働かないことに 起因する。下に指を向けた手のどこが非典型的なのかと 訝しまれるかもしれないが,事実指先が下に向けられた 手の像そのものが非典型的なわけではない。例えば対面 に座った人がテーブルに手をおいたとき,その人の手の 網膜像は指先が下に向いたものとなる。錯視画像(Fig-ure 2右)において錯視の生起にクリティカルな条件は 指先が下に向いていることだけではなく,それに加えて 指先が奥に向けられていることである。観察者が自分自 身の手をこのような条件下で見るには,腕を捻ってかな り不自然な(非典型な)姿勢をとる必要がある。 ここで改めて手の正立像(Figure 2左)をよく見てみ ると,画像上の指はかなり短く,手の甲は太く写ってい ることに気づくだろう。これは先に述べた網膜像の大き さと距離の関係によるものであるが,この写真の指の短 さが気にならないのは大きさスケーリングの働きのため である。つまり「指が短く写っているのは遠くにあるた めであり,手の甲が大きく写っているのは手前にあるか らだ」といった無意識的推測のためである。蛙の手錯視 は,この推測に用いられる奥行きの前後関係が逆転する ために生じると考えられる。つまり典型的な見え(対面 に座った人の指先がこちらに向けられている場合)にお いて指先は観察者の近くに,手の甲は遠くに置かれてい るはずである。この場合距離に基づくスケーリングの働 きは遠くにある(ゆえに投影像の小さな)手の甲を大き く,近くにある(ゆえに投影像の大きな)手の指を小さ く復元することになる。しかし「蛙の錯視」における手 の画像の客観的な前後関係はそのような典型的な観察条 件とは逆転している。つまり実際には指は遠くに,手の 甲は近くにあるため,画像上では指は小さく手の甲は大 きく写っている。それにもかかわらず視覚系は典型的な 観察条件に倣って(遠くにあるはずの)指を小さく,(近 くにあるはずの)手の甲を大きく,想定するそれぞれの 距離にもとづいてスケーリングする。この結果,上下逆 さにした手の像では奇妙に指の短く甲の膨らんだ歪んだ 手(「蛙の手」)が知覚されるのである。 蛙の手錯視と同様に非典型な観察条件がスケーリング の働きを鈍らせる例として「股覗き」がある(Higashiyama & Adachi, 2006)。脚を開いて股の間から顔を覗かせて刺 激を観察した場合,やはり大きさのスケーリングが上手 く働かなくなる。また,身体(関節)の可動性が視知覚 に影響を及ぼす例は上記以外にもいくつか報告されてい る。例えば刺激として右手と左手の線画像を様々な角度 で回転させて呈示し,それが右手と左手のどちらかを描 いたものか判断させる心的回転課題では,画像の回転角 度と反応時間の関係が右手と左手の可動範囲に依存して 非対称となることが示されている(Sekiyama, 1982)。ま た同様に,特徴的なポーズをとった身体像を刺激として 2枚の画像の同異判断を求める課題では,実際にとるこ とのできるポーズ刺激のほうが,関節の可動範囲を考え るととることの不可能なポーズの刺激を呈示したときよ りも反応時間が短くなることが示されている(Reed, Stone, Bozova & Tanaka, 2003; 井上・北崎,2010)。これら の結果もまた内在化された身体の可動性(身体図式)が 視覚判断に影響することを示唆する。 このように私たちの視知覚・視覚認知が我々自身の身 体によって制約されていることを示す例は多い。ところ で身体には身長や体格などに大きな個人差があるが,も し視覚が個々人の身体特徴に最適化されているならば, 我々の視覚には我々の身体特徴に基づく個人差が生じる はずである。実際,筆者はそのような個人差が存在する ことを示すいくつかの実験的証拠を得ている。以下にそ の詳細を解説する。 奥行きの恒常性 「私たちの右眼と左眼は平均して約 6 cm離れており, このために右眼と左眼の網膜像にはわずかなズレが生じ る。視覚系はこのズレを奥行きの手がかりとして利用し ており,これを網膜像差と呼ぶ」といったことは大抵の 知覚心理学の教科書に書かれており,空間知覚を専門と Figure 2. The “frog hand” illusion.
しない人でも網膜像差(左右眼間の網膜像のズレ)が奥 行きの手がかりとして有効であることや,この手がかり を利用して例えば現在大衆娯楽として定着しつつある 3D映画の立体感が生み出されているのだということは 知っているだろう。しかしなぜ「左右眼間の網膜像のズ レ」が奥行きの知覚を生むのかということについてはあ まり理解されていないように思う。まずはこのことにつ いて簡単なデモを使って少し詳しく解説したい。 先ほど大きさの恒常性の例で示したように右手の親指 を立て体幹と垂直になるように真っ直ぐ腕を伸ばし,同 様に親指を立てた左手の拳を右腕の肘のあたりに添えて ほしい。その状態で,左目をつむり,右眼だけで見たと きに左手の親指が右手の親指を隠すように両指と視線の 位置関係を調節しよう。右手の親指は左手の親指によっ て完全に隠されただろうか?ではその姿勢を保ったま ま,今度は右目をつむり,左目をあけてほしい。すると 右目を開けて観察したときには左手の親指に重なって見 えなかった右手の親指が左側(鼻側)に「移動して」見 えるだろう。網膜像差とはこの網膜像のズレ(親指の位 置の違い)のことである。このズレの大きさは,右手と 左手の間の距離(奥行き量)に相関する。例えば上記の ポーズをとったうえで両手の拳がつくほどに左手を右手 に近づけて左右の目を開閉すると右手親指の「移動量」 はかなり小さくなることがわかるだろう。視覚系はこの 相関関係を外界の奥行きの推定に利用しているのであ る。さらに網膜像のズレの方向も奥行きの前後関係と紐 づいており,注視点より手前の物体の網膜像は「耳側 に」,注視点よりも奥にある物体の網膜像は「鼻側に」 ズレる。この関係は外界の奥行きの前後関係(凹凸)の 判断に利用することができる。このように,網膜像差と は,網膜像のズレの大きさと方向が外界の奥行きの大き さと方向に連動することを利用した手がかりである。 網膜像差は有力な手がかりではあるが,この情報だけ では奥行きを一意に特定することはできない。その理由 のひとつは外界の物体から得られる網膜像差の大きさは 視距離に依存するためである。このことは,そもそも網 膜像差が網膜像の(ズレの)大きさに基づいた手がかり であることを考えると直感的に理解しやすいだろう。網 膜像の大きさだけでは外界の物体の大きさが特定できな いのと同様の理由で,網膜像のズレの大きさだけでは外 界の物体の奥行き量もまた特定できないのである。 ある奥行き量dの物体がもたらす網膜像差の大きさδ は,視距離Dおよび観察者の両眼間距離Iの関数として
次のように記述できる(中溝・下野,2001; Ono & Com-erford, 1977)。 = ( + )( はラジアン単位) δ Id δ D D d (2) 式(2)は外界の物体から得られる網膜像差の大きさ が観察者の眼間距離に比例し,(Dに対してdが十分に 小さいとき)視距離の自乗に反比例することを意味して いる。外界の奥行き量と網膜像差の大きさが一対一に対 応しないことはこの式から明らかであろう。 ところでこの式を奥行きdについて解くと次の式(3) が得られる。 ( はラジアン単位) = -δDδ2 δ d I D (3) 式(3)は,視覚系が視距離と眼間距離の情報さえ得 ることができれば網膜像差のみに基づいて外界の奥行き を正確に復元できることを予測する。実際,視距離に関 する情報が豊富な場面では観察者は視距離が異なっても (つまり同一刺激から得られる網膜像差の大きさが距離 によって変わってしまっても)刺激の奥行きを一定に知 覚できることが示されている(中溝・下野,2001)。こ の結果は視覚系が距離情報を用いて網膜像差をスケーリ ングしていることの証拠と考えられる。このような,網 膜像差の大きさは距離に依存するにもかかわらず知覚さ れる奥行きが安定していることを奥行きの恒常性(depth constancy)と呼ぶ(中溝・下野, 2001; Ono & Comerford, 1977)。 立体視と両眼間距離 網膜像差の大きさは外界の物体の奥行き量と一対一に は対応しないこと,その理由のひとつは網膜像差の大き さが視距離に依存するためであることを述べた。しかし 式(3)にも示されるように,網膜像差の大きさは視距 離だけでなく観察者の眼間距離の関数でもある。このこ とをFigure 3に基づいて考えてみたい。 Figure 3は奥行き量dが等しい物体を,同じ視距離で 観察したとしても,眼間距離が大きな観察者 Liは眼間 距離が小さな観察者Siよりも大きな網膜像差を得ること を示している(α+β>α′+β′)。このことはつまり外界 の「ヴェリディカル(veridical)な奥行き」(中溝・下野, 2001)を知覚しようとする場合,観察者LiとSiでは網膜 像差から外界の奥行きを換算する際のスケーリング・ゲ イン(倍率)を異なるように調節する必要があることを 意味する。より具体的には,眼間距離が小さくなるほ ど,同じ大きさの網膜像差から大きな奥行きを復元する ようにゲインの調整を行う必要がある。このことは式 (3)からも明らかである。 このような眼間距離に応じたゲイン調整を視覚系が実
際に行っていた場合,次のふたつのことが予測できる。 ひとつは,実物体に知覚される奥行き量は観察者の眼間 距離とは相関しないということである。もうひとつは, ステレオグラムのような網膜像差が固定された刺激を同 一距離で観察するときには,物理的には同じ刺激を見て いたとしても観察者の眼間距離が大きくなるほど知覚さ れる奥行き量は小さくなるということである。これらの 予測は直感的にわかりにくいので,条件を単純化して考 えてみたい(Figure 4)。 奥行き量100 mmの物体を同一の視距離から見た時に 眼間距離の大きな観察者 Liが得る網膜像差は10 mm, 眼間距離の小さな観察者 Siが得る網膜像差は5 mmで あったとする(Figure 4左)。この時両観察者がヴェリ ディカルな奥行き(100 mm)を知覚するためには観察 者 Siは20倍のスケーリング・ゲインが必要であるのに 対し,観察者Liは10倍にゲインを調整することになる (逆に,こうしたゲインの調整を行わなければ両者は同 じものを見てもその知覚奥行き量が異なってしまうこと になる)。つまり同一の実物体を同じ視距離から見ると きに,その物体がもたらす網膜像差の大きさは幾何学的 には観察者の眼間距離に比例するが,ゲインが適切に調 整されていればそのような網膜像差の個人差にもかかわ らず知覚される奥行き量は一定となるはずである。これ が予測のひとつ目である。次にそのようなゲインの調整 が行われている場合,ステレオグラムのような網膜像差 が一定の刺激を見るときに何が起こるか考えてみたい (Figure 4右)。観察者Siの調整後のゲインは20倍,観察 者Liのゲインは10倍であった。ところでステレオグラ ムとは立体物を見るときの左右眼の網膜像のズレを模し た一組の絵であり,当然ながらこれを観察するときに生 じる網膜像のズレ(網膜像差)は観察者の眼間距離Iに 依らず一定である。仮にステレオグラムが 10 mmの網 膜像差をつけて描かれているとすると,観察者Siはこれ を20倍のゲインでスケールするために200 mmの奥行き を知覚するが,観察者Liは10倍のゲインでスケールし 100 mmの奥行きを知覚することとなる。要するに,ス ケーリング・ゲインの大きさは眼間距離と負の相関を示 すため,観察者の眼間距離が大きくなるほど同一のステ Figure 3. The relationship between the inter-ocular
distance and the size of retinal disparity.
Figure 4. A schematic illustration for how the individual difference in inter-ocular distance changes the “scaling gain” and the stereoscopic depth estimation.
レオグラムから知覚される奥行き量は小さくなる。これ がふたつ目の予測である。 筆者はこれまでに上記ふたつの予測を確かめる実験を ふたつ行っている(田谷・塚本,2014; Taya, 2014; 田谷, 2015)。これらの実験で共通の方法は,観察者の眼間距 離を瞳孔間距離計の測定値により定義し,各観察者の刺 激(ステレオグラム・実物体)の奥行きの見積もりを再 生法で評価して,両者の相関を見るというものであっ た。 ひとつ目の実験では50名の男女を対象に,PC画面上 に呈示したランダムドットステレオグラムを視距離 50 cmからアナグリフ(赤緑眼鏡)で観察したときの奥 行き量と観察者の眼間距離の相関をみた。ふたつ目の実 験では40名の男女を対象に,やはりPC画面上に呈示し たランダムドットステレオグラムを視距離60 cmから偏 光メガネ方式で観察したときの奥行き量を測定した。ま たふたつ目の実験では同じ観察者に,ステレオグラムを 模した実物の立体刺激についても奥行き量の見積もりを 求めた。 この結果,ふたつの実験で共通して眼間距離と知覚奥 行き量の間に負の相関が認められ,眼間距離が大きな観 察者ほどステレオグラムの見かけの奥行き量を小さく見 積もることが示された。一方,実物体の見かけの奥行き 量は観察者の眼間距離とは相関しないことが示された。 すなわち,これらふたつの実験ともに,眼間距離に応じ たスケーリング・ゲインの調整が行われると考えたとき の予測とおおよそ一致する結果が得られたのである。 予測外の結果として,特に眼間距離が小さな観察者で は顕著に,ステレオグラムに知覚される奥行き量は幾何 学からの予測値よりも数倍大きく見積もられることがふ たつの実験で共通して示された。このような奥行きの過 大視が生じる原因は不明であるが,可能性のひとつとし て視覚系は奥行き量をヴェリディカルに復元するより も,奥行きの有無を確実に判断できることを優先してい るのかもしれない。生存のうえでは奥行きの大きさを正 確に知ることはそれほど重要ではなく,凹凸の有無を確 実に判断できたほうが例えば背景に紛れた捕食者・被捕 食者を見つけるうえで有効であろう。このために,とく に眼間距離が小さく故に網膜像差が小さくノイジーにな りがちな個体はスケーリング・ゲインを大きく「過調 整」して,確実に凹凸を判断できるような方略を採って いるのかもしれない。 お わ り に 視覚の恒常性を支えるメカニズムである距離情報を用 いたスケーリングの働きについて概説し,それが各個人 の両眼間距離に応じて調整された結果,網膜像差にもと づく奥行き見積もりに個人差が生まれることを示した。 そもそも我々の視知覚が環境とのインタラクションのた めに進化してきたものであると考えるなら,環境と直接 接触する身体が私たちの知覚と認知の振る舞いをどのよ うに制限しているのかについて明らかにすることは重要 であろう。そして視知覚が環境に適応した結果各人の身 体に最適化されていると考えるなら私たちの身体特徴の 個人差は測定誤差ではなくひとつの独立変数として扱う べきものとなるだろう。 引用文献
Gregory, R. L. (1963). Distortion of visual space as inappropriate constancy scaling. Nature, 199, 678–680. Higashiyama, A., & Adachi, K. (2006). Perceived size and
perceived distance of targets viewed from between the legs: Evidence for proprioceptive theory. Vision Research, 46, 3961–3976.
Holway, A. H., & Boring, E. G. (1941). Determinants of appar-ent visual size with distance variant. The American Journal
of Psychology, 54, 21–37. 一川 誠 (2012).錯覚学―知覚の謎を解く 集英社 (Ichikawa, M.) 井上康之・北崎充晃 (2010).生体力学的制約が身体認 識の視点依存性と倒立効果に及ぼす効果.心理学研 究,81, 105–113.
(Inoue, Y., & Kitasaki, M.)
McKee, S. P., & Smallman, H. S. (1998). Size and speed con-stancy. In V. Walsh and J. J. Kulikowski (Eds.), Perceptual
constancy: Why things look as they do. Cambridge:
Cam-bridge University Press, pp. 373–408.
Murray, S. O., Boyaci, H., & Kersten, D. (2006). The represen-tation of perceived angular size in human primary visual cortex. Nature Neuroscience, 9, 429–434.
中溝幸夫・下野孝一 (2001).視覚系による絶対距離情 報を用いた奥行きのスケーリング.Vision, 13, 163– 180.
(Nakamizo, Y., & Shimono, K.)
Ono, H. & Comerford, J. (1977). Stereoscopic depth constan-cy. In W. Epstein (Ed.), Stability and constancy in visual
perception: Mechanisms and processes. New York: Wiley, pp.
91–128.
Reed, C. L., Stone, V. E., Bozova, S., & Tanaka, J. (2003). Body-inversion effect. Psychological Science, 14, 302–308. Ross, H. E., & Plug, C. (1998). The history of size constancy
and size illusions. In V. Walsh & J. J. Kulikowski (Eds.),
Per-ceptual constancy: Why things look as they do.Cambridge:
Cambridge University Press, pp. 499–528.
Sekiyama, K. (1982). Kinesthetic aspects of mental representa-tions in the identification of left and right hands. Perception
鈴木光太郎 (2008).オオカミ少女はいなかった 心理 学の神話をめぐる冒険 新曜社 (Suzuki, K.) 田谷修一郎・塚本成美 (2014).立体視における眼間距 離情報を用いた奥行きのスケーリング(日本視覚学会 2014年冬季大会抄録集).Vision, 26, 51–52.
(Taya, S., & Tsukamoto, N.)
Taya, S. (2014). People with wider inter-ocular distance see less depth in random dot stereograms. Perception, 43(Sup-plement), 167.
田谷修一郎 (2015).蛙の手錯視: 身体像に対する大き さスケーリングの視点依存性(日本視覚学会2015年 冬季大会抄録集).Vision, 27, 54.