海岸構造物による海岸地形の変化
一青森県大利海岸の場合一
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I 研 究 目 的
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を鑑止するために生じ て い て , 構 造 物 の 土 予 測 で そ し て 下 手 間 で 大
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Oこの海岸の西端には昭和47年 に 関 根 換 話 が 建 設 さ れ , 漁 i 巷の東側で:土堆鞍作用によって,か な り 汀 縁 が 前 進 し , 方 西 閣 で は 大 規 模 な 海 牢 侵 食 が 生 ヒ た っ そ し て , 昭 和 6 2 i f . には
つ 去 の は 港 で あ る 関 根 浜 港 が 建 設 さ れ , 西 側 め 畏 食 に ま す ま す 拍 車 が か か っ た っ し か し , 東 舗 で
は , るはずであるのに,
に つ い て , そ し て 原 子
にある。
の!京凶について現地ヂーターをもとに明らかにし,今後,こ かを推iR
Jしようとするものである。
どのように変化して行くの
立 研 究 方 法
昭和 23 年 , 4 4 年 , 48 年 の 2 万 5 千分の l の 地 形 図 と 昭 和 56 年 , 62 年 の 5 千 分 の l の航空写真を 馬 い て 汀 様 変 化 の 解 析 を 行 っ た 。 研 究 方 法 の 内 容 と し て は , 対 象 地 域 の 範 圏 内 ( o 1 )に, 100m
間 隔 で 汀 線 量 護 を 読 み 取 り , 昭 和 23 年と 4 4 年 , 昭 和 4 4 年とを S 年 の そ れ ぞ れ の 地 形 聞 を , ま た 昭 和 何年と 62 年の航主写真をえ較して行う方法であるつまた,研究対象地域グ) 1
を確かめるため,
した調査結果を
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を比較
した。以上の解軒の結果を取りまとめ, 土 品
を行い,このテーターを更に機証して, つ い イ 推i W J を立ててみた
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図 2. 昭 和 2 3 年から昭和 4 4 1:手までの汀線変化(漁港ができる前の汀線変化)
1 1 1 大利海岸の汀線変化
( 1 )湖岸構造物ができる以前の大科海岸の汀線変化
昭和 2 3 年と 4 4 年の地形回をそれぞれ比較して得られた結果が図 2 で為るつこのグラ?を見ても わかるように,構造物ができる以前は,全掠的に堆積域よりも母金主主の;まうが多く見られること に気が付く。このように,堆積域よりも段食域の;まうが多いのは,
形や海岸沖に海或谷があ勺て士者会が深海へと常に失われているためであると考えられる
c( 2 )関根漁港ができる前後の大利海婦の汀線変化
昭和 44 年と 48 年の地形図をそれぞれ比較して得られた結果が図 3 であると二のグラブの特徴 ! i , 関根漁話の東{制では堆積域が正い範関で広がっていて,西側では激し L きれてい
ることで、ある。ニオし i , ま 2と比較してみてもはっきりとわかるコなぜこのような結楽に なったのかは次に示した通りである
G構造物の建設によって ぎれるため,構造物
の上手側では のってき し,これに対して下手 1~,IJ では た
ため,侵食が生する
o以上より,この大手 J I 海 岸 汁 i 庄の沿岸涜は,東から間へ出}かうていることが 推測できる
Oこのことを証明したのが,昭和田年 7 丹 i こ蹴子力船母培建設のため行勺た
なかにある, る。これによると 4月:二観訴したもの以外:土すべて,
イは東から西へと移動している。したがづて,
鴨東から院に向かって 卓越していると言うことができるのまた,
噛ついて,研究対象地肢の海去の岩盤露出状
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関 3. 昭 和 4 4 年 か ら 昭 和 4 8 年までの汀線変化(漁港がで、議る前後の汀線変化) 1
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5月に実詫きれ
らも検討したいと
ることにより,
さ ht ニ おける
東 f W j では,
これによると,
食・堆積現象につい したハ
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漁港のすぐ間側に(土佐食域が岸まで j 自 そして,
いて,
二こからも,
していることか;'})かる 国 3 を比較してみる
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とカ f わかる九 いる
東から揺にむかって卓越し
研 究 対 象 地 域 の 海 i 長同(土,
いずれにせよ,昭和弘年から
部に i えれている しかし ー持って
もあるが,
く原凶していることが以上より知ることができる《
( 3 )原子力船母港がで怠る前後の大利海岸の汀線変化
ゅの図を見てみると して得られた結果が図 4である。
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や は り 侵 食 が 目 立 う て い る こ と が わ か と罪、子力船母港西 m l j では,
で、ある
カ ; J f 長持傾向を示すはずである 本来なら
この国で在自 る 。 しかし,
この原司{ま毛 している。
では侵食穎向を この関 4の;京子力
のに,
この語、きが謹設されたため,
詔手 0 5 7 年に建設されたものて・¥
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図 4. 昭和56年から昭和 62~手までの汀線変ィヒ〈態子力船の母蕩がて$る前後) 8
‑ 窮和 23 章容 昭和 44 空 手 昭和 44 年 昭和 48 年 昭和 56 年 昭和 62 年
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Km 図 5. 昭籾 23 年~昭和 44~手,昭和 44年~昭和 4U手,昭和 56年~昭和田年の汀線変化
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W 今後の大利海岸の汀線変化
図 5は , 昭 和 23年 か ら 仏 年 句 昭 和44年から 48年 , 昭 和 田 年 か ら 62年 の そ れ ぞ れ の 汀 様 変 化 を つ の グ う ワ に ま と め た も の で あ る む こ の 菌 か ら , 海 岸 講 造 物 が で き る 前 後 で
j土汀線変化にはかな
り の 違 い が あ る こ と が わ か る また今今後,この大手 J I 海 岸 は 全 体 的 に 。 昭 和56 年から
よりもも勺と{受食が激しくなるのではないかと患う。これは,次に述べる理由からである。
の東側にある石持詩、港が現ヂ t ,故誇工事中であり,現主:ある議時唱の東南
)1に
認 設 さ れ て い る
cこの よって,石持漁港が拡張 ~i しるのであるから,当然,ここで j 芝断される j 主 砂 の 量 も 賄 え る わ け で あ る こ こ で 連 断 さ れ る え る と は う こ と は . { i
持漁港よりも西矧の地域、つまう僻究対象地域への漂砂の量か;';'I}~ る
jうことである〉よ
ηて ー j票砂の量が減れは\侵食が現ヂi:U_L に i~fI:しくなって行くっこのまま, ニ グ ) i I i H ‑ 山ーこなにも予を加え なけれ L : f , 二 i 自(成してしまい,そして, のi り 号 式 ー ミ ; t : し 寄 せ て く る で あ 山 県 東 部 に あ ろうコこれを│坊ぐには,やはりなんらかの予令加えなければ、ならない
fこ こ い
る 宮 崎 ・ 堺 海 岸 を 事f i j l Jに し て 考 察 し た い と 思 う こ れ ら の 海 岸 に は そ t ぞれ, 市 張 j 魚
; j J が あ り 。 こ こ で も こ れ ら よる となっていた
と;苦堤を設置したこ二の付i 来 , を建設すればト ンボ口が形成き t し で は 治 法 効 果 が 低 い た よづも r ] '
いことがわかった。そして。離;存堤と i 替 堤 を 組 み 合 わ せ た と こ ろ そ の 背 後 の n
たコ今法令大利海岸もこのよう;二離岸堤と濯堤をつまく組み台わせて1fくことにより,今後い そ う 設 し く な る 侵 食 を く い と め る こ と が で き る の で は な い の か と 思 う
μそれ:ま毎次の理i むから で み る っ そ れ は . f 吉年
i束 の 流 れ る 方 向 で る ご 本 論 文 の 研 究 対 象 地 域 で ; ム 京 か ら 同 に r i l ]か/ノて 宇越しているが,街究対象地域の西経にある大'出から正津
111に か け て の 海 岸 で は 句 沿 岸 i 乏の方 r i l J
;土,西から東に向か勺て流れている土このように大手IJ 海岸と烏沢弘l::~~ .正出
JI!i f t f : 岸 の 拍 車 流 が ち うどぶつかる地点が出戸/1 1 の 河 川 部 で あ る の で こ の 付 近 を
rt心 に 離 t f 長およ
噂トンボロが、形成されるのではないかと思う
V 卒 者
①大手
JI海岸に, きる以前の汀掠変{ヒの状況は毛 I 法棺域よりも L i うが多く見られる
cきる 総変化の状況は,市] で惟平安土まが広い
lHJで広がり, これに対して西 f~U では今殺しい佼食活動か確認されて可ゐるっこれは,
誌 に よ っ て 沿 岸 注 砂 が 阻 止 さ れ る た め , 関 桜 漁 港 の 東 側 で は 沿 岸 流 心 の り て き た 砂 か 堆 摘 し ー れ に 対 し て , 西 側 で は 漂 砂 の 1 演中台が i 主 総 え た た め に , 民 会 が 生 じ た の で 来 る
63~
③大利海岸に,原子力船時港ができる前後の汀識変化の状況は,原子力船母港の西 i 員
IJ,東 f 闘のど ちらも侵食傾向を示している。本来ならば, は海岸講造物の上手鱒であるので,堆積傾向を
~すはずであるのに,侵食傾向を示しているのは,次に述べる環器からである o 昭和 57年に石持
納屋に石持漁港が建設きれたため,東から流れてくる沿岸諜砂がここで遺産号されたためである
O岳今後の大利海岸の汀線変化は次のように推測することができる。現在,石持議室港が改修工事中 であり,この改修工事によって,今まで、以上に遮断される諜砂の量が増えるわけであるから当黙,
漂砂の量が減少するので,ますます侵食が激しくなって行くであろう。
⑤今後,ますます激しくなる大利海岸の侵食を食い止めるためには,離岸堤と活堤をうまく組み 合わせてトンボロを恕或させて行く方法が最も効果的である。
{ 参 考 文 舷 1
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荒巻主主(日 7 1 )
C 宇多高明(1 9 8 6 ) 小Jl I
O
宇多高明(1 9 9 0)
。宇多高明,野口 L I J
土木技術資料 2 8 ‑ 1 , 8
~1 3
と今後の対策のあり方について 海岸, 3 0 , 14‑75
‑堺権岸にお;する海浜変形の実態
地形, 1 1 4 , 3 3 7 3 4 7
O 漁港泊村建設技術研究所 ( 1 9 9 0 ) 調 査 研 究 報 告 書 恥 3
O 斎 藤 晴 雄 , 宇 多 高 明 , 綱 田 政 弘 沢 田 善 治 , 林 秀 治 ( 1 9 8 5 ) :
IJ、 J I I 謀議海揮の海持母食とその 予測 第 3 2 国海岸工学講議会論文集. 380‑384
O 佐藤昭二. 1
日I 閥輝夫,田中日 J I 男,入江功(1 9 7 2 ) 小川原掲海岸の諜砂について 第 1 9 国海岸工学講演会論文集 1 1
O
ジャパンテクノ口ジ ( 1 9 7 9 ) 関根漁港漂砂調査報告書
む 害 品 l f 多(1悌 9 ) 海際構造物と海岸変形 地形, 3 ‑2 , 127‑134 ( 1 9 8 3 ) 関根浜およびその周
O