M . グリ ー ン の 美 的 教 育 哲学
‑ リンカ ー ンセンタ ー イン スティテ ュ ー ト 「美的教育」 プロ グラムへの反映 ‑
桂 直 美
M axin e G r e e n els P h ilo s op h ァof A e sthetic E du c atio n ;
T h e Infl u e n c e o n the L in c oln C ente r I n stitute's
A e sthetic E du c atio n Pr og r a m
N a o m i K A TSU R A
1 . は じ めに
本 稿の目 的は、 米 国のリンカ ー ン セ ンタ ー を 舞 台と して 3 0 余 年にわ た っ て開 発さ れて き た 「 美 的 教 育」
の特 徴 を、 そ のプログラ ム の基 礎と な って いるマキシ
ン ・ グ リ ー ン の芸 術 哲 学お よ び「 美 的 教 育」 の哲 学 を 中心に読み解 くことであ る。 これ まで筆 者は、 米 国
1 9 7 0 年 代の 「 美 的 教 育」 カ リ キ ュ ラ ム開発につい て
研 究してき た. そ こ では、 7 0 年 代 「 美 的 教育」 が デ ュ ー イの芸 術 哲 学をそ の理論 的 基 礎と して いな が ら、 開 発
さ れ た カ リ キュ ラ ム の次 元では デ ュ
ー イの いう芸 術 作 品を経 験す る主 体の能 動 性 を 捉え ること ができ ず、 平 板な カ リ キュ ラ ム にな って し ま ったことを 指 摘し たl。
これに対し、 グ リ ー ン の 「 美 的 教 育」 論と リンカ ー ン
セ ンタ ‑ で の美 的 教 育の実 践は、 同様に 7 0 年 代に始 ま り デュ ー イの芸 術 論に深い影 響を受け、 学 校で の芸 術 教 育 実 践 をめ ざ して展 開し な が らも、 リンカー ン セ ンタ ‑ イン ス テ イテ ユ ‑ ト という社 会 教 育 組 織をベ ー スと して、 ア ー テ ィス ト と連 携し、 教 師と協 働で ワ ー クショ ッ プ形 式の授 業 を行う という独 特の教 育 方 法を 持 っ て お り、 7 0 年 代の美 的教 育と は大きく 違うもの と な って いる。 し か しこ のよ う な違いを、 単に実 施 組 織や人の違い に帰してし ま うことでは、 こ の 「 美 的教 育」 の特 徴は十 全に把 握さ れ ない。 そう し た教 育 方 法 を要 請す る ものと して の美 的教 育 哲 学の レ ベ ル で何が 違 っ て いるのか を明ら かにす ること が本 稿の課 題と な
る。
問 題の所 在: 芸 術 教 育の意 味
学 校 教 育におい て 「 楽しい授 業」 の言 説の氾 濫と 一 体と なっ て、 学 問 性や芸 術 性の追 求が お ろそかになり が ちで あ る という傾 向が 生 じて いるの では ないだ ろ う か。 とりわ け、 「 技 能 教 科」 であり 「 活 動 中心」 型の 授 業で あ る と考え ら れ る音 楽 科 教 育では、 も っ ぱ ら
「 楽し む」 が強 調さ れ た結 果、 芸 術 作 品の出 会いを通 して、 子どもの何が どのよ うに変わっ た か、 いか な る 成長を め ざ して いるのか が問わ れ なくなっ て いる傾 向
に あ る の では な い か とい う危 慎が あ る。 松 下 (2 0 0 3/ 2 0 0 6) は、 8 0 年 代、 9 0 年 代の 「 楽しい授 業 ・
学 校」 論が、 「 学 校 制 度の構 造 的な危 機や矛 盾 を 打 開 し よ う と す る関心にも 支え ら れ」 ており、 「 子ど も が 喜んで受け入れ るソ フト な管理の道 具と して の機 能」
をも持 っ て いくよ うになっ た と指 摘して いる2。 学 問 や芸 術に本 来 的に内在す る楽し さ と は異な る関心によっ て 「 楽し さ」 が強 調さ れて き たの であ る。 そのよ う な 享 楽 的な楽し さ が肥 大 化す る一 方、 芸 術 作 品との出 会
いと呼ぶほ どの芸 術 性の追 求は、 授 業 内で必ず しも行 わ れ なくな っ てき た と考え ら れ る。 さ らに、
一 定の
「 学 習」 が保 障さ れ な け れ ば な ら ない 「 主 要五教 科」 の授 業にたい して、 「 体 験」 を す ることで楽し み を得 ら れ る 「 技 能 教 科」 という誤った二分 法が あ る ゆ えに、
「 技 能 教 科」 と さ れ る音 楽 科 教 育や美 術 科 教 育には、
こう し た問題 点が 一 層濃 縮さ れて表れてくる といえ る。
こ の こと が、 芸 術 教 育にお け る知 性 的なアプロ ー チ を 封じて いる だ けでは なく、 芸 術 作 品との出会いを通し て学び手が ど う成 長して いくか を見と る視 点を封じ た ま ま、 楽し さ を追 求す る風 潮を助 長して いるの であ る。
「 美 的教 育」 の理念と カ リ キュ ラ ム
日本の学 校 教 育では、 その草 創 期か ら、 音 楽 科と美 術 科 教 育が独立の教 科 数育と して位 置づけ ら れてき た。
こ の 二 つの教 科 教 育が、 それぞれ音 楽、 美 術の専 門 家
の領 域を背 景と して存立 し、 「 芸 術 教 育」 を担う もの と さ れてき た。 し か し、 こ の よ う な分 科 的ア プロ ー チ
で はそれ以 外の芸 術 表 現 様 式が カ リ キュ ラ ム に入って
釆ないば か りでは なく、 個 別の実 技を習う時 間という 共 通理解が 生 じ る た めに、 そう し た実 技の向こうにあ る芸 術 表 現へ の アプロ ー チ が行わ れにく くな る。 目に
桂
見え や すい触 知 可 能な制 作 物やパ フ ォ ー マン ス によ っ
て教 科 教 育のプロセ スや結 果を捉え が ち と な るの であ る。 い いか え れ ば、 表 現 技 能や実 技と は相 対 的に独立 し た芸 術理解、 よ り深い理解に基づ いた表 現と 鑑賞と
いう、 芸 術 教 育と して の方 向性が探 究さ れにくかっ た といえ よ う。 そ の結 果、 「 芸 術 教 育」 は、 学 校 外で行 わ れ る よ り専 門的な習い事や音 楽 教 室な どに任さ れて お り、 学 校ではそれ よ り も、 すべ て の子ど もに楽し み と満 足を与え ることの でき る、 よ り大 衆 的な活 動型の
授 業が望ま しいと考え ら れ が ち と な るの であ る。
これに対し、 戦 後 米 国にお け る 「美 的 教 育」 の 一 連
の研 究は、 音 楽、 美 術、 ダン ス、 演 劇という よ うに専 門 家の活 動に併せて細 分 化さ れ た教 科 構 成を す ること
で見 逃してき た、 芸 術 作 品との遊 遁によ る 「 美 的 経験」
に着 目して き た
̀〜
。 芸 術 作 品そ のもの 「に つ い て」 の 教 育で は なく、 楽し む という主 観 的な経 験でもな く、
芸 術作 品と 主体の相互作 用がもた ら し得る 「 美 的 経験」
が即ち 生徒の成 長と して、 教 育の目 的と考え ら れ たの であ る。
本 稿の方 法と研 究 範 囲:
「 美 的教 育」 につい て は、 教 科の枠 組みの中で考え る従 来型の芸 術 教育か、 多 様な芸 術を包 含して実 践さ れ る総 合 芸 術 教 育か という領 域 概 念と して の議 論は存 在す る。 し か し本 稿では、 カ リ キュ ラ ム にお け る領 域
の次 元で論じ るの では なく、 それ を考え る基 礎と して の芸術 教 育 哲 学と して これ を論じ たい。 リンカ ー ン セ
ンタ ー イン ス テ ィテ ュ
ー トの美 的教 育は、 リンカ ー ン セ ンター か ら学 校に派 遣さ れ るテ ィ ー チャ ‑ ア ー テ ィ ス ト と学 校 教 師が協 働で ワ ー クショ ッ プ を実 施す る と
いう形 式を主 要なもの と しており、 7 0 年 代の 「美 的 教 育」 プログラ ムと見か け 上極めて異な るもの になっ
て いる が、 こう し たワ ー クシ ョ ッ プ形 式の実 践スタ イ ルを含め た リンカ ー ン セ ンタ ー の教 育プログラ ム に方 向 性を与えてき たもの と して、 グ リ ー ン の美 的 教 育 哲 学が あ る。 グ リ ー ンは、 こ の美 的 教 育プログラ ム の
3 0 年 来の理論 的な指 導 者であり、 現 在リンカ ー ン セ ンタ ー の座 付き哲 学 者 (philo s op he r‑in‑r e si de n c e) で あ る。
そ の著 作か ら、 「V a riation on a B lu e G uita r」 を 主要 な対 象と して検 討す る。 こ の書は、 リンカー ン セ ンター
に集った教 育 者た ち を対 象に、 毎 年の ワー クショ ップ プ
ログラ ムを念 頭におい て述べら れ た講 演の ア ン ソロジー で あ り、 芸 術 哲 学と して読ま れ る だ けでは な く、 教 育 方 法
にも言 及す る ものと なって いる た め、 リン カ ー ン セ ンター イン ス ティテ ュ
ー トの美 的 教 育プログラ ム ( 以 下L C I 美 的 教 育プログラ ムと略 記す る) の特 徴を 理論 的 基 礎の次 元で抽 出す ること ができ る と考え ら れ る。
次に、 これ と対応す る1 9 7 0 年 代型美 的 教 育力 リ キュ
直 美
ラ ム研 究に大き な影 響を持った 理論 的支 柱と して、 リ ー
マ ー (主 と して音 楽 科 教 育)、 アイス ナ ‑ (主 と して
美 術 教 育) の両理論を取り 上 げ、 これ との違いを描 出 す ることによ り、 L C I 美 的 教 育の特 徴を明 確にす る と同時に、 それ が今日の学 校 教 育に対して持つ示 唆に
言 及し たい。
2 . 美 的 教 育とは何か
経 験主義か ら学 問 中心主 義へ の転 換が唱え ら れ た 6 0 年 代の カリ キ ュ ラ ム開発 運 動の余 波の中で、 デュ ー
イの芸 術 哲 学、 s. ラ ンガ ‑ の芸 術 哲 学な ど を源 泉と し た哲 学 的 研 究と、 総 合 芸 術 教 育力 リ キ ュ ラ ムを研 究 発 展さ せ たのが、 7 0 年 代の 「美 的 教育」 論で あっ た。
こ の時 期に開 発さ れ た カ リ キ ュ ラ ム には、 包括 的な芸 術 教 育力 リ キュ ラ ムを め ざ し たC E M R E L ( 中央 中西 部 地 区 教 育 研 究 所) によ る 「 美 的教 育力 リ キュ ラ ム」 ヰ
や、 音 楽という単 独の教 科の中で の 「 美 的 教育」 の実 施を め ざ し、 B. リ ー マ ー が指 導 的に開 発にた ず さ わ っ
たシ ルバ ー バ ー デッ ト社の音 楽 教科 書5、 E. アイス ナ ‑ が中心 と なっ て開発さ れ た美 術 教 育プログラ ム 「ケ タ リング ・ プロ ジェ ク ト」 6 な ど が あ る。 音 楽、 美 術、 ダン ス、 演 劇な どの個 別の芸 術 領 域にと ど ま ら ず、 そ れ ら を総 合 的、 包 括 的に扱い、 あ るいは相互に関連さ せて取り 上 げ ることによっ て、 芸 術 作 品を芸 術 作 品と して アプロ ー チ し や すくな る という、 総 合 芸 術 的アプ
ロ ー チ が 「 美 的教 育力 リ キュ ラ ム」 に共 通す る顕 著な 特 徴であ る と言え る。 教 育 学 研 究 事 典にお け る 「美 的 教 育」 の項 目を執 筆し たアイスナ ‑ は、 「 美 的教 育と は、 音 楽 教 育 ・ 美 術 教 育・ 舞 踊 教 育 ・ 演 劇 教 育とい っ た、 専 門 家 組 織をもつ 人々がいる分 野の教 育 ( 教 科 教 育) と は異なり、 それ ら多 様な領 域の人々が 一 つの共 通の関心 を寄せ る、 研 究と実 践の領 域であ る」 と述べ る7。 他 方、 音 楽 科 教 育の領 域 内で実 施す る 「 美 的教 育と して の音 楽 教 育」 を提 唱し た リ ー マ ー は、 美 的教 育の要 件と して 「音 楽 教 育の本 質と内 容が、 芸 術と し て の音 楽の本 質と内 容によ って決 定さ れ る」8 こと を あ げて いる。 こ のよ うに、 総 合 芸 術 的アプロ ー チ と は、
必ず し も カ リ キ ュラ ム上の内容 領 域 区 分の次 元で定 義 さ れ るの では なく、 芸 術 教 育の目 的と方 法の次 元で新 しい類型 を め ざ し た研 究と実 践であ る といえ よ う。 そ の利 点は、 音 楽、 美 術とい っ た個 別の表 現 領 域を越え
て 「芸 術と は何か」 というメタ思 考を持つことによ り、
個々の作 品を芸 術と して経 験す ること を め ざ し や すく な る という ところにあ る。
第二 に、
一 つ の芸 術 作 品を表 現 的にして いる特 徴 的 な表 現 要 素に着 目し、 表 現 形 式の美 的な感 受を育てる という教 育 方 法上の特 徴が、 美 的 教 育の共 通 点と して
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