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芸術/文化をめぐる交渉 : グァテマラのインディ ヘナ画家たち

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芸術/文化をめぐる交渉 : グァテマラのインディ ヘナ画家たち

著者 古谷 嘉章

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 23

号 1

ページ 35‑93

発行年 1998‑10‑30

URL http://doi.org/10.15021/00004126

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芸術/文 化 をめ ぐる交渉

一 グ ァ テ マ ラ の イ ソ デ ィ ヘ ナ 画 家 た ち 一

古 谷 嘉 章*

Negotiating Art/Culture: Guatemalan Indigenous Painters

Yoshiaki Furuya

グ ァテ マ ラの観 光 地 の ひ とつ アテ ィ トラ ソ湖 地 方 の2つ の マ ヤ系 の コ ミ ュニ テ ィー は,「 マ ヤ の伝 統 的 生 活 」 を描 くイ ンデ ィヘ ナの 油 彩 画 家 の 存 在 に よ っ て知 られ て い る。 本 稿 は,彼 ら の絵 画 の 生 産 ・流 通 ・消 費 の プ ロセ ス を,「 イ

ンデ ィヘ ナ 芸 術 」 と 「イ ンデ ィヘ ナ文 化 」 を め ぐる 「交 渉 」(negotiation)の 場 と して 分 析 す る。 そ こで は,「 イ ンデ ィヘ ナ 画家 」 と して 「イ ンデ ィヘ ナ絵 画 」 を 制 作 ・販 売 す る こ とを余 儀 な く され て い る彼 らが,一 方 で,西 洋 近 代 的 な芸 術=文 化 シス テ ム に よる 「芸 術(家)」 と して の認 知 を 求 め つ つ,他 方 で, そ の よ うなか た ち で理 解=消 化 され て し まわ な い 差 異 を 生 産 して い る点 につ い て,同 様 に 「コ ンタ ク トゾー ン」 で絵 画 を 生産 して い る他 の 事 例 を も参 照 して 考 察 す る。

Two Mayan communities, Santiago Atitlan and San Pedro la Laguna, are located on Lake Atitlan, one of the most popular tourist spots in Guatemala. These two communities are famous for their profes- sional indigenous painters, who produce oil paintings depicting 'tradi- tional Mayan ways of life.' This paper will discuss the processes of pro- duction, circulation and consumption of those paintings, as sites of 'negotiation' about the meaning of Mayan 'art' and their 'culture

.' The Western art world has played a dominant role as gatekeeper in the recognition and disavowal of artists and works of art around the world. It works within the discourse of the modern 'Art—Culture

九州大学,国 立 民族学博物館共 同研究員

Key Words : Art-Culture System, negotiation, Guatemala, indigena, Maya, oil paint- ings, tourism

キ ー ワ ー ド:芸 術 一文 化 シ ス テ ム,交 渉,グ ァ テ マ ラ,イン デ ィ ヘ ナ,マ ヤ,油 観 光

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System' (Clifford 1988), which has long been hegemonic in the West's appropriation of non—Western objects. Even in this era of

`Postmodern' dissemination and decentralization this is still the case . The objects produced in the non-West have been either recognized and collected as `authentic' artifacts/works of art, or disavowed as 'inauthen- tic,' unworthy of collecting. The most salient problem of this whole system is the lack of reciprocity between dominant players and subor- dinate ones, and the fact that this inequality has been naturalized.

Mayan indigenous oil paintings are commodities in two different markets; they may be consumed either as `works of art' or as `tourist souvenirs.' The painters try to negotiate with potential buyers about the price and the artistic value of their work. However, their subordinate economic position forces them to compromise both artistically and economically. The most popular subject among the consumers (art dealers as well as tourists) is costumbre, the Mayan `traditional folk life,' and the painters cannot help but meet the consumers' demand. At the same time, painting costumbre is nevertheless the painters' conscious signifying practice, which produces differences, and as such is indigesti- ble for the Western discourse of art and artist. Thus, the indigenous paintings are commodities made for sale and, at the same time, creative expressions of the producers.

. This situation is not unique to Guatemalan indigenous painters. Art- ists, not recognized as such, in the non-West are producing their work under similar conditions. This paper examines three similar cases:

Australian aboriginal acrylic paintings; African `tourist art' and

`popular art' from Cote d'Ivoire and Zaire; and Balinese peasants' paintings in the 1930s.

All these paintings are `bicultural products,' born under the unequal distribution of power in `contact zones.' They are considered lacking in universal artistic value or are digested as an exotic but intelligible difference by the Western art world and tourism. Western painting techniques are borrowed by those painters, who appropriate them to in- vent new ways of representing their life, culture, tradition, or history.

Being made for sale, these paintings are subordinated to the market law of supply and demand, but these transactions are simultaneously cultural negotiations between contesting signifying practices.

This paper concludes with a few remarks on the importance of giv-

ing a voice to those unacknowledged producers of art, who are

negotiating, on a daily basis, their position as subaltern artists, in order

to explore the fertility of human artistic expression, once it has been

released from hegemonic Western artistic conventions.

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1.は じ め に

2.西 洋 近 代 に よ る 認 知 と 排 除   (1)Art‑Culture  System

  (2)モ ダ ニ ズ ム 芸 術 に よ る 流 用 と排 除   (3)Art‑Culture  Systemの 何 が 問 題 な の       か

3.グ ァ テ マ ラ の イ ソ デ ィヘ ナ 画 家 た ち   (1)ア テ ィ ト ラ ン 湖 地 方

  (2)観 光 産 業 の 表 象 す る 「伝 統 的 マ ヤ 文       化 」

  (3)画 家 と な っ た イ ソ デ ィ ヘ ナ   (4)イ ン デ ィ ヘ ナ 絵 画

  (5)絵 画 を め ぐ る交 渉

  (6)イ ソデ ィヘ ナ 画 家 た ち の選 択   (7)costumbreを 描 く こ と 4.芸 術/文 化 を め ぐる交 渉   (1)2つ の 市 場 の 間 で

  (2)ア ボ リジ ニの 「土 地 に 根 差 した 」 ア       ク リル 絵 画

  (3)ザ イ ール の 「別 の歴 史 」   (4)パ リの 「不 可 視 の世 界」

  (5)象 徴 的 か つ 経 済 的 な 交 渉 5.  お わ りに

  1.は   ●

  グ ァ テ マ ラ 高 地 の ア テ ィ トラ ソ湖 を 中 心 と す る 地 方 は,「 マ ヤ の 伝 統 が 息 づ く イ ソ デ ィヘ ナ 文 化 」を 対 象 とす る 観 光 地 と な っ て い る 。湖 の 周 囲 に 位 置 す る12の 村 の う ち,

ツ ト ゥ ヒ ル 語(tz'utujil)を 話 す マ ヤ 系 イ ン デ ィ ヘ ナ の 住 む サ ン テ ィ ア ゴ ・ア テ ィ ト ラ ン(Santiago  Atitlan)と サ ソ ペ ド ロ ・ ラ ・ ラ グ ー ナ(San  Pedro  la Laguna)で は, そ れ ぞ れ30〜40人 の イ ソ デ ィ ヘ ナ の 画 家 が 絵 画 を 生 産 し,そ れ を 販 売 し て 生 計 を 立 て て い る 。 本 論 文 で 考 察 の 対 象 と す る の は,こ の2つ の 村 に 住 む マ ヤ 系 イ ソ デ ィヘ ナ の 画 家 た ち と,彼 ら の 絵 画 で あ る 。 こ こ で 直 ち に,「 マ ヤ と は 」,「 イ ン デ ィ ヘ ナ とは 」,

「画 家 と は 」,「絵 画 と は 」 と い う難 問 に つ き あ た る こ とに な る が,そ れ が 何 で あ る の か を 意 味 づ け る,具 体 的 な 交 渉 の 場 で 展 開 す る,さ ま ざ ま な 言 説 の あ い だ の せ め ぎ あ い こ そ が,本 論 文 の 中 心 的 論 点 と な る 。

  販 売 を 目的 とす る こ の 絵 画 の 生 産 に と っ て,購 入 者 の 存 在,言 い 換 え れ ぽ 消 費 市 場 の 存 在 は 不 可 欠 で あ る 。 そ れ ゆ え に,そ の 生 産 は 不 可 避 的 に,そ の 流 通 と 消 費 の プ ロ セ ス に よ っ て 媒 介 さ れ て い る。 そ の 生 産 ・流 通 ・消 費 の プ ロ セ ス に は,さ ま ざ ま な 言 説 が 関 与 し て い る が,そ の な か で ヘ ゲ モ ニ ッ ク な 力 を も っ て い る の が,「 絵 画 」 を め ぐ る 近 代 芸 術 の 言 説 と 「マ ヤ 系 イ ン デ ィ ヘ ナ の 文 化 」 を め ぐ る 観 光 の 言 説 で あ る。 つ ま り,イ ソ デ ィヘ ナ の 画 家 と彼 ら の 作 品 を 分 類 し,意 味 付 け,収 集 す る ゲ ー トキ ー パ ー と し て 優 越 した 役 割 を は た し て い る の は,James  Clifford(1988)の 言 う,西 洋 近 代 が 生 み 出 したArt‑Culture  Systemで あ る 。 こ の シ ス テ ム は,歴 史 的 に は,た し か に 西

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洋1)か ら 非 西 洋 へ と一 方 向 的 に 強 制 さ れ て き た 。 し か し,そ れ が 非 西 洋 へ と た ん に 自 動 的Y'拡 張 さ れ て い る と み な す こ と は,重 要 な 点 を 見 逃 す こ と に な る 。 そ れ は,多 多 様 な 場 で 展 開 す る 具 体 的 な 交 渉 に お い て,さ ま ざ ま な 意 味 生 産 の 実 践 が 競 合 しあ い, そ れ を 通 じて ヘ ゲ モ ニ ッ ク な 言 説 が,押 し付 け ら れ,受 容 さ れ,反 駁 さ れ,翻 訳 され て い る と い う点 で あ る 。 し た が っ て,そ れ を 双 方 向 的 な プ ロ セ ス と し て 見 る こ と,つ

ま り 「交 渉 」(negotiation)と い う視 点 を 導 入 す る こ とが 必 要 に な る 。

  本 論 文 は,大 き くわ け て3つ の 部 分 か ら 構 成 さ れ て い る 。 第 一 に,西 洋 近 代 で 成 立 した 「芸 術 」 を め ぐ る 言 説 が,ど の よ うに し て 自 ら の 普 遍 性 を 装 い,非 西 洋 世 界 の 生 み 出 した モ ノ を ど の よ うな 差 異 と し て 「流 用 」(appropriation)し て き た の か に つ い て 検 討 し,さ らY',ポ ス トモ ダ ン と よ ぼ れ る 歴 史 的 状 況 の な か で,そ の 一 方 向 的 な プ ロセ ス が ど の よ うに 形 を 変 え つ つ も 連 続 して い る か に つ い て 考 察 す る 。 第 二 に,グ テ マ ラ の イ ン デ ィ ヘ ナ の 画 家 に よ っ て 絵 画 が 生 産 され,そ れ が 流 通 し,消 費 さ れ る プ ロ セ ス に つ い て,上 記 の2つ の 村 の 画 家 た ち の 仕 事 に 即 し,私 自身 の フ ィ ー ル ドワ ー ク2)に 基 づ い て 概 観 す る 。 そ こ で の 焦 点 は,画 家 た ち が ど の よ う な 条 件 の 下 で ど の よ うな 絵 画 を 生 産 し,そ れ が ど の よ うな 「意 味 生 産 の 実 践 」(signifying  practice)な か と い う点 で あ る。 第 三 に,非 西 洋 の̀contact  zone'3)に お い て 西 洋 の 技 法 を 用 い て 製 作 さ れ る 絵 画 が,ど の よ うな 意 味 で 「交 渉 」 の 場 と な っ て い る の か,そ こ で 何 が 「交 渉 」 さ れ て い る の か に つ い て,オ ー ス トラ リ ア,パ リ,ザ イ ー ル(現 コ ソ ゴ 民 主 共 和 国)な ど の 事 例 を も視 野 に 入 れ て 論 じ,そ れ ぞ れ の 事 例 に 特 有 の 論 点 と と も に,共 の 問 題 点 が 浮 き彫 りに さ れ る 。

  以 上 の よ うに,本 論 文 は 直 接 に は,グ ァ テ マ ラ の 「イ ン デ ィ ヘ ナ 画 家 」 と 「イ ン デ ィヘ ナ 絵 画 」 を 対 象 とす る 考 察 で あ る 。 しか し,MarcusとMyers(1995)が 指 摘 す る よ うに,「 文 化 的 差 異 ・同 質 化 ・異 質 性 に つ い て の 西 洋 に お け る 議 論 が,他 に も ま して 芸 術 界 で 展 開 し て 」 き た し,そ して 芸 術 が 「差 異 ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ ・文 化 的 価 値 が 生 産 さ れ 争 わ れ る ス ペ ー ス で あ りつ づ け て い る 」 の で あ れ ば,イ ン デ ィヘ ナ 画 家 や 彼 ら と 同 様 の ポ ジ シ ョ ン に い る 人 々 が 生 み 出 す モ ノ を あ ぐ る,様hな 意 味 生 産 の 実 践 の あ い だ の 「交 渉 」 は,絵 画 と い う特 定 の コ ソ テ ク ス トに 限 定 さ れ な い,よ りひ ろ い 射 程 と,よ り一 般 的 な 含 意 を もつ 「交 渉 」 で あ る こ と が,明 らか に さ れ る は ず で あ る 。

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2.西 洋 近 代 に よる認 知 と排 除

(1)Art‑Culture  System

  Clifford(1988)がArt‑Culture  Systemと よぶ西 洋近 代 で成 立 した シス テ ムは,非 西 洋 で生 み 出 され た モ ノを西 洋 が 分 類 ・収 集(そ して 展 示)す る イ デ オ ロギ ー的 か つ 制 度 的 シ ス テ ム で あ る。 そ こで は 「真 正 性 」(authenticity)と い う基 準 を み た す と西 洋 の専 門 家 が 判 定 した モ ノが,「 文 化 的 器 物 」(cultural artifacts)と 「芸 術 作 品 」 (works of art)の い ず れ か に分 類 され 収 集 され る。 言 い換 えれ ぽ,人 類学 的 に 「真 正 な文 化 」 の 一・部 と して意 味 付 け られ るか,「 真 正 な芸 術 」 の一 部 と して意 味 付 け られ た モ ノだ け が,西 洋 に よる収 集 に 値 す る。 そ こで は 四重 の排 除 が な され てい る。 第 一 に,い ず れ の 「真 正 性 」 の基 準 を もみ た さな い と判 断 され た もの は,文 化 的 に も芸 術 的 に も価 値 が な い と して排 除 され る。 第 二 に,「 真 正 」 な も の と して 発 見 され 救 済 さ れ るの は モ ノで あ っ て,そ の モ ノの 作 り手 で は な い。 第 三 に,(人 類 学 的)文 化 の 領 域 に分 類 され た もの は 芸 術 の 領 域 か ら排 除 され,そ の逆 も同様 で あ る。 つ ま り,文 化 的 に興 味 深 い モ ノ の領 域 と芸 術 と して優 れ て い るモ ノの領 域,人 類 学 の管 轄 す る領 域 と芸 術 が 管 轄 す る領 域,人 類学 博 物 館 の領 域 と美 術 館 の領 域 は,相 互 に 排 他 的 な 関 係 に あ る と され る。 モ ノは,専 門 家 に よ って別 種 の 「真 正 性 」 を 認 定 され れ ば 領 域 間 を 移 動 し うるが,移 行(あ るい は再 分 類)は 厳 格 に コ ソ トロール され る。そ して第 四 に, 最 も重 大 な意 味 を もつ 排 除 は,こ の よ うな分 類 ・収 集 を正 当化 す る根 拠 と して,特 定 の文 化 的 コ ソテ クス トを こえ た 普遍 的 な価 値 評 価 基 準 を具 えて い るの が 西 洋 の み で あ る と前 提 し,そ れ 以 外 の 価値 評 価 の 可能 性 を排 除 す る こ とであ る。

  この シス テ ム は,Clifford(1988)に よれ ぽ,20世 紀 初 頭 に西 欧 で 成 立 し,ヘ ゲモ ニ ックな 力 を もち つ づ け て きた が ,近 年,2つ の方 向か ら の批 判 に さ ら され て い る。

一 方 で,「 文 化 」 お よび 「芸 術 」 とい う概 念 が 透 明 な普 遍 性 を もつ も の で は な く,西 洋 近 代 の 歴 史 的 所 産 で あ り,そ れ は政 治的 ・軍 事 的 ・経 済 的 支 配 と手 を   xて 非 西 洋 に 強 制 され て きた とい う認 識Y'も とつ い て,こ の シ ス テ ムを 歴 史 化 し,そ の政 治性 を 問 う必 要 が 指摘 され て い る。 また 他 方 で,植 民 地 主 義 の 下 で,こ の シス テ ム に よ って モ ノ とそ の 意 味 付 け を 奪 われ て きた 人 々 の あ いだ に,そ の よ うな 分 類 ・収集 ・展 示 に 異 議 を 申 し立 て,モ ノ とそ の意 味 付 け を 奪 回 しよ うとす る動 きが生 じて きて い る。

  そ の よ うな変 化 に耳 を 傾 け る人 は,西 洋 の 芸 術 界(art  world),す な わ ち 「芸 術

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家 ・批 評 家 ・画 商 ・収 集 家 か ら な る シ ス テ ム 」(Sullivan  l995:257)の な かY'も, い な い わ け で は な い 。 芸 術 界 は 決 し て 一 枚 岩 で は な か っ た し,ポ ス トモ ダ ニ ズ ム の 洗 礼 を 受 け た 今 日,そ の 内 的 異 質 性 は よ り一 層 顕 著 に な っ て い る4)。 し か し,そ の よ う な 表 面 上 の 混 乱 に も か か わ らず,Art‑Culture  Systemが,い ま だ に 分 類 ・収 集 ・展 示 の ヘ ゲ モ ニ ッ ク な イ デ オ ロギ ー ・制 度 と し て 機 能 して い る こ と は 否 定 で き な い 。   1984年 ニ ュ ー ヨ ー ク近 代 美 術 館(MOMA)で 開 催 さ れ た 『20世 紀 美 術 に お け る プ

リ ミテ ィ ヴ ィ ズ ム:「 部 族 的 」 な も の と 「モ ダ ソ」 な も の と の 親 縁 性 』 と い う展 覧 会 に 対 す るClifford(1988)に よ る 批 判 と,主 催 者 側 の 美 術 史 家Rubinか ら の 反 論 に は, Art‑Culture  Systemを め ぐ る争 点 が 浮 き彫 り に な っ て い る 。 こ の 展 覧 会 の 主 旨 は,西 洋 近 代 芸 術 の 巨 匠 た ち の 作 品 を,そ れ と形 態 的 に 酷 似 した 「部 族 文 化 」 由 来 の モ ノ と 並 置 し て み せ て,そ の 「親 縁 性 」(affinity)を 強 調 す る こ と に あ っ た 。 そ れ に 対 し て, Clifford(1988)は,こ の 展 覧 会 が 語 る 唯 一 の 物 語 が 「発 見 と救 済 」(discovery  and redemption)の 物 語,つ ま り,非 西 洋 の モ ノ を モ ダ ニ ズ ム芸 術 家 た ち が 発 見 し救 済 し た と い う物 語 で あ る こ と を 批 判 し,そ の よ うな 語 り方 は,「 非 西 洋 の 部 族 芸 術 の 現 在 」

と 「モ ノ の 人 類 学 的 ・審 美 的 シ ス テ ム に も と つ く収 集 の も つ 政 治 性 」 と い う別 の 物 語 の 可 能 性 を 排 除 して し ま う と批 判 す る 。

  そ れ に 対 し て,展 覧 会 の 企 画 者 側 のRubin(ル ー ピ ソ  1995a;1995b)は,  Clifford の 批 判 は 的 外 れ で あ る と し て,つ ぎ の よ うに 反 論 す る 。 ま ず 第 一 に,芸 術 とは 地 域 ・ 時 代 を こxた 普 遍 的 な 概 念 で あ り,あ る モ ノ が 芸 術 作 品 で あ る こ と は,そ れ を 生 み 出

し た 文 化 的 コ ン テ ク ス トか ら独 立 し た モ ノ 自 体 の 属 性 で あ る。 そ れ ゆ え に,芸 術 を 生 み 出 す 普 遍 的 な 人 間 の 能 力 を 「部 族 社 会 」 に は 認 め よ う と し な いCliffordの 立 場 は, エ ス ノ セ ソ ト リズ ム で あ る。 第 二 に,こ の 展 覧 会 は,非 西 洋 の モ ノ を 「器 物 の ラ ン ク か ら主 要 な 美 術 の ラ ン ク へ と 引 き上 げ,芸 術 作 品 とい う地 位 」 を 与 え た 「近 代 の 芸 術 家 の 功 績 」 を 扱 っ た も の な の で あ る 。 し た が っ て,そ れ を 非 西 洋 の 部 族 芸 術 を 「盗 用 」5)し た 植 民 地 主 義 だ とす る批 判 は 不 当 で あ る 。 第 三 に,こ の 展 覧 会 が と りあ げ て い る 「プ リ ミ テdヴ ィ ズ ム 」 は,「 完 全 に 西 洋 の 文 化 現 象 」 と し て の モ ダ ニ ズ ム の 一 部 を な す も の で あ る か ら,西 洋 中 心 主 義 と い う批 判 は 当 た っ て い な い 。 第 四 に,展 か ら文 化 的 コ ン テ ク ス トが 排 除 さ れ て い る とCliffordは 批 判 す る が,「 プ リ ミテ ィ ヴ ィ ズ ム 」 に と っ て の 文 化 的 コ ソ テ ク ス トは,「 ピ カ ソ の ア ト リエ,そ の 環 境,当 時 の パ リ」 と い っ た も の で あ り,ア フ リ カ の 彫 刻 な ど が 製 作 さ れ た 文 化 的 コ ソ テ ク ス トで は な い 。

  要 す る に,Rubinは,  Cliffordの 言 う 「排 除 」 が 存 在 し な い と主 張 す る の で は な く,

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そ の よ うな 「排 除」 が正 当 な もの で あ る と主 張 して い る の で あ る。 つ ま り,彼 は,芸 術 が 時代 ・地 域 を こ え て普 遍 的 に 妥 当 す る カテ ゴ リーで あ る こ と と,展 示 の主 題 で あ る 「プ リ ミテ ィヴ ィズ ム」 が 西 洋近 代 の現 象 で あ る こ とを 理 由に,西 洋 に よ る非 西 洋 の モ ノ の収 集 を,普 遍 的 価値 に も とつ く 「発 見 と救 済 」 と して語 る こ との 正 当 性 を 主 張 す る。 そ こ で は,Cliffordの 言 う 「別 の物 語 」 は,初 め か ら門 前払 い を くわ され て い る の であ る。

  Rubinの 反 論 の 苛 立 った調 子 に見 て取 れ る のは,そ の よ うな 排 除 の 正 当 性 を 承認 す る こ とで 成 り立 って い た シス テ ム,つ ま り世 界 を 分 類 し収 集 す るに あ た って 西 洋近 代 にお い て 成 立 した人 類 学 と芸 術 の分 業 体 制 を 人 類 学 者 が 守 らず,真 の 芸 術 を 見分 け る 眼 を もつ 美 術 専 門 家 の領 分 で あ る芸 術 に容 豫 し よ う とす る こ とに 対 す る反 感 で あ る。

「プ リ ミテ ィ ヴな社 会 」 は人 類 学 の領 域 か も しれ な い が,そ こか ら芸 術 作 品 と して発 見 ・救 済 され た モ ノが属 す のは,芸 術 の領 域 で あ る。 自律 的 な 芸 術 の領 域 で は,作 品 が 製 作 され た 文 化 的 コ ソテ クス トは,そ の芸 術 的価 値 に 無 関 係 で あ り,「美 術 と器 物 を 区別 で きな い」6)人 類 学 者 が 口出 しす る能 力 も権 利 もな い 。 人類 学 者 が芸 術 品 を文 化 的 コ ソテ クス トに引 き戻 して,人 類 学 的 に 理 解 可 能 な もの に して しま うの は,そ の 作 品 に備 わ る芸 術 と して の価 値 を 殿 損 す る越 権 行 為 だ とい うわ け で あ る。 以上 の よ う なRubinの 主 張 は, Cliffordの 批 判 に 真 正 面 か ら答 え て い る とい う よ りは,そ の よ う に批 判 す る権 利 じた いを 否 定 して い る。

  この よ うな分 業 体 制 に 人 類 学 が 加 担 して きた の は 事 実 で あ り,芸 術 を 自律 的 領 域 と して設 定 す る こ とに人 類 学 は 異 議 を 唱 え る ど ころ か,そ れ を承 認 して き た。 人 類 学 が

「プ リ ミテ ィ ヴな社 会 」 を 「異 質 な 文 化 」 と して権 威 を も って構 築 し,人 類 学 が 収 集 して きた 差 異 の なか か ら,芸 術 界 が 芸 術 的価 値 の あ る もの を選 抜 す る とい う協 力 関 係 が成 立 して いた の であ る。Rubinは,そ の よ うな人 類 学 と芸 術 の分 業 体 制 を擁 護 しつ づ け る。 そ れ に対 して,Cliffordの 批 判 の 対 象 は,ま さに そ の 分 業 体 制 そ の もの ,つ

ま り前 述 のArt‑Culture Systemな の で あ る。 彼 の主 張 は,そ の シ ス テ ムに も とつ く分 類 ・収 集 ・展 示 が 問 題 を は らん で い る とい う こ と,そ れ に対 して現 実 に 批 判 が な され てお り,そ こに 現 れ て い る別 の可 能 性 に注 目す べ き だ と い うこ とで あ る。 それ は,つ ぎの よ うなMarcusとMyersの 指摘 と も重 な る。彼 ら に よれ ぽ,こ の20年 ほ どの 間 に, 人 類 学 とそ の対 象 との 関 係,芸 術 界 とそ の対 象 と の関 係 に お い て,さ らに また,人 類 学 と芸 術 界 が対 象 と して きた もの の 内部 に お い て,大 き な変 化 が 生 じて お り,そ の結 果,人 類 学 と芸 術 界 との 関 係 を新 た に作 り直 す 必 要 にせ ま られ て い るの で あ る(Mar‑

cus and Myers  1995)o

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(2)モ ダ ニ ズ ム芸 術 に よ る流 用 と排 除

  芸 術 に つ い て西 洋 近 代 が 生 み 出 した 言説 に お い ては,西 洋 で 成 立 した 「美 術 史 」 が 唯 一 の普 遍 的 な美 術 史 で あ る と され,古 今東 西 の個 々の 作 品 は,そ れ に寄 与 した り,

そ れ に 編 入 され るか ぎ りで,美 術史 的 に 意 味 を もつ もの とされ て きた7)。西 洋 近 代 の モ ダ ニズ ム芸 術 も基 本 的 にそ の 言 説 の 内部 に あ る。 しか しそ の 独 特 な特 徴 は,美 術 史 の 従 来 の 流れ と断 絶 し前 進 す る こ とを 自 らの存 在 価 値 とみ な した 点 に あ り,旧 弊 な社 会 体 制 と形 骸 化 した ア カ デ ミズ ム芸 術 を批 判 す るた めY',新 奇 で ラデ ィ カル な差 異 を 必 要 と した 。 そ して そ のた め に 脱 コソテ クス ト化 した差 異 と して 非 西 洋 を 流用 した の が 「プ リ ミテ ィ ヴ ィズ ム」 で あ る。 モ ダ ニズ ム芸 術 が非 西 洋 の モ ノに 見 出 した の は, 消 化=理 解 可能 な差 異(あ るい は 理 解 不能 とい うか た ち で消 化 可 能 な 差 異)で あ り, そ れ は 何 よ りも(本 来 の文 化的 コ ソテ クス トと無 関 係 に一 目瞭 然 であ る と され た)形 態 的 な差 異 で あ った 。 そ して,「 プ リ ミテ ィ ヴ ィズ ム」 の 語 が 示 す よ うに,形 態 上 の ラ デ ィカ ル な差 異 は,「 原 初 的 な も の]と して意 味 づ け られ た 。 つ ま り,そ れ は,原 初 的 な精 神 状 態 の所 産 で あ り,そ れ ゆ えに 「原 初 的 状態 」 か ら遠 く隔 た って しま った 西 洋 近 代 を 批 判 す る立 脚 点 と して流 用 され た の で あ る。

  近 代 以 降 の芸 術 生 産 と芸 術批 評 は,基 本 的 に ア ヴ ァソギ ャル ド ・モ ダ ニ ズ ム の価値 評 価 シ ス テ ムを 継 承 して い る。 そ こで の至 上 命 令 は,主 と して形 態 上 の実 験 的 革 新 を 不 断 に追 求 す る こ とで あ り,そ のた め につ ね に 新 しい差 異 を必 要 と し,そ れ を 食 い潰 して い かね ば な ら ない 。 そ こで は既 存 の作 品 の 反 復 に しか 見 え な い作 品 は意 味 の ない 停 滞 で あ り,芸 術 界 に と って 消化=理 解 可 能 な 新 奇 な 差 異 の み が,「 オ リジナ リテ ィ」

と して美 術 史 上 の価 値 を 付与 され る の で あ る。 そ の 結 果,Garcia  Canclini(1990:47) の言 う形 骸 化 した 「脱 出の 儀 礼 」(ritos de egreso)が 繰 り返 され る こ とに な った 。   現 在 私 た ち は,モ ダ ニ ズ ムを卒 業 して ポ ス トモ ダ ニ ズ ムの 段 階 に い る と言 わ れ る8)0

この語 が意 味 す る 内容 が 何 で あ れ,Garcia  Canclini(1990:25)の 言 うよ うに,「 この ポ ス トモ ダ ソ的 拡 散 と民 主 化 を め ざす脱 中心 化 の時 代b'育 って い るの が,人 類 が い ま だ か つ て知 らな か っ た よ うな 権 力 の 集 積 と文 化 の トラ ソ ス ナ シ ョナル な集 中 化 で あ る」 こ とは確 か で あ る。 芸 術の 生 産 ・流通 ・消 費 は,以 前 に も増 して グ ロー バ ル な資 本 主 義 の 市場 に従 属 す る よ うに な り,商 品 と して の販 売 価 格 こそ が 芸 術 作 品 の価 値 と な りつ つ あ る。 そ の な か で,「 芸 術 の 自律 性 」 とい う神話 は,資 本 主 義 市 場 と対 立 す

るの で は な く,ま さに作 品 の商 品 価 値 を 高 め るた め に機 能 して い る。 そ して 西 洋 の芸 術 界 が,商 品 価値 へ と連 動 す る芸 術 的 価 値 の認 定 権 を独 占 して い る こ とに 変 わ りは な

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い。 普 遍 的 芸 術 と普遍 的 芸 術観 の意 味 す る 内容 は 変 化 し,そ ㊧ 点 につ い て芸 術 界 内部 に お け る意 見 の 不 一致 は,以 前 よ り表 面 化 して きた か も しれ な い が,そ の前 提 自体 は 消 滅 したわ け で は な い の で あ る。 そ こで は,「 ニ ュー エ イ ジ ・プ リ ミテ ィ ヴ ィズ ム」

の よ うに,非 西 洋 の生 み 出 す差 異 を 「原 初 的 な も の」 と して 流 用 す る 「プ リ ミテ ィ ヴ ィズ ム」以 来 の 手法 が反 復 され る一 方 で,あ る種 の異 種 混 濡 的 な作 品 を 称 賛 す るな ど, 新 た なか た ち の 発 見 ・救 出 と排 除 の論 理 が現 れ て きて も い る9)0こ れ は 一 見 す る と, 従 来Art‑Culture Systemに よ る排 除 を支 え て きた 「真 正 性 」 イ デ オ ロギ ーに 対 す る批 判 の よ うに 見 え る。 しか し どの よ うな 異種 混 瀟 性(hybridity)が,オ リジナ ル な芸 術 的 価 値 を もつ 異 種 混 瀟 性 で あ るの か を判 定 す る の は,シ ュー ル レア リス トが モ ノの偶 然 的 並 置 に美 を 発 見 した と き と同 様 に,依 然 と して 西 洋 の芸 術 界 の側 の眼 な の で あ る。

Thomas(1996)が 指 摘 す る よ うに,「 批 評 家 や キ ュ レー タ ーが,自 分 の もの とは か け 離 れ た 土 壌 か ら生 じた 物 語 や 作 品 に 関 与 す る こ とをせ ず に,異 種 混 瀟 性 に 関 心 を示 す こ とで,文 化 的 差 異 を 承 認 す る 自 らの 能 力 を賛 美 す る こ とが で き て しま う」 危 険 が あ る こ とに注 意 せ ね ば な らな い 。

  モ ダ ニ ズ ム芸 術 が,都 合 の よい ア カデ ミズ ム批 判 をす る た め に 「非 西 洋 」 を 流 用 し た の と ま った く同 じス タ イ ル で,ポ ス トモ ダ ニ ズ ム も,「 非 西 洋 芸 術 」 を都 合 の よい 近 代 批 判 のた め に流 用 す る。 つ ま り,近 代芸 術 が 自明視 す る前 提 そ の も の に対 す る ラ デ ィカ ル な挑 戦 とな り うる差 異 を 毒 抜 き して,自 分 に都 合 よ く消化=理 解 で き る差 異 Y'加 工 してつ まみ 食 い して い る ので あ る。 そ もそ も1984年 に モ ダニ ス ト芸 術 家 に よ る 流 用 を正 当化 す る展 覧 会 が 開 催 され る とい うこ と じた い が,た とえ ポ ス トモ ダ ニ ス ト

的批 判 を呼 び起 こ した と して も,20世 紀 初 頭 と世 紀 末 の あ い だ に 断絶 よ りは連 続 性 の ほ うが 多 い こ とを窺 わ せ る に充 分 で あ る10)0

(3)Art‑Culture  Systemの 何 が 問 題 な の か

  芸 術 界 は,器 物(artifact)と 芸 術 品(work  of art)と を 対 立 させ,そ れ に 一 連 の 二 項対 立 を対 応 させ て,2つ の地 理=社 会 的 スペ ース を 分 離 して きた。匿 名/個 人 名, 集 合 的/個 人 的,伝 統 的/創 造 的,無 意 識 的/意 識 的,非 反 省 的/反 省 的,機 能 的/

審 美 的,な どが そ れ で あ る。つ ま り一 方 に,共 同体 に受 け継 が れ て きた 伝 統 の 内部 で, 互 い に 置 き換 え 可能 な人 々 が,慣 習 的 な機 能 を み た す 器 物 を,従 来 と同様 に反 復 的 に 製 作 して お り,彼 らは 自 らの製 作 活 動 につ い て 無 意 識 的 で,反 省 的 に考 え る こ とな ど な い 。 これ は,Price(1989)の 言 う 「非 芸 術界 」(nonartworld)で あ る。 他 方 に,独 特 な 個 性 を もつ 個 人 と して の芸 術 家 が,審 美 的 な 価 値 だ け を もつ創 造 的 な作 品 を意 識

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的 に製 作 して お り,彼 らは製 作 とい う行 為 自体 につ い て 充 分Y'反 省 的 で あ る。 これ が 器 物 と芸 術 の 二 分 法 が 描 く構 図 で あ る。

  前 述 のRubinの 反 論 に 見 て 取 れ る よ うに, Art‑Culture Systemは,非 西 洋 に 芸 術 が 存 在 す る こ とを 否 定 して きた の で は な い。 しか し,仮 に 非 西 洋 の器 物 が西 洋 に よ って 芸 術 品 の地 位 に 格 上 げ され た と して も,そ れ は,そ の 器物 を生 産 した人 物 を 芸 術 家 と して認 知 し,そ の 製 作 プ ロセ ス を芸 術 作 品 の製 作 と して 認知 す る こ とを必 ず しも意 味 しなか った の で あ る。Price(1989)に よれ ば,「 未 開芸 術 」 の 収集 家 に と って は,作 者 が 匿 名 で あ る こ と,つ ま り,作 者 が芸 術 家 と自認(自 任)し て い な い こ とが,そ の 作 品 の 価 値 を増 す 。 また 彼 女 は,収 集 家 が 自 らの作 業 を 「便 器 に対 す る デ ュ シ ャ ン (Duchamp)の 作 業 」 に類 した もの とみ な して い る と も指 摘 す る。要 す る に,非 西 洋 の製 作 者 の意 図 な ど ど うで も よ く,芸 術 と して発 見 す る西 洋 の創 造 的 な眼 だ け が 重 要 だ とされ て きた の で あ る。

  しか し他 方 で,近 年 の芸 術 界 は,モ ノ を芸 術 作 品 と して芸 術界 に編 入 す るだ け で な く,と き には,1989年 に パ リの ポ ン ピ ドゥ ・セ ソタ ーで 開催 され た 『大 地 の魔 術 師 』 (Magiciens de la terre)展 に 見 られ る よ うに,非 西 洋 で モ ノを製 作 して い る人 々の な か に も,芸 術 を 意 識 的 に創 造 す る名 を もつ 個 人 を 認 知 す る よ うに な って きて い る11)0 も し仮 に,問 題 が 非 西 洋 の 芸 術 家 を認 知 しな い のは 不 当 だ とい うだ け な の で あれ ぽ, 非 西 洋 に も西 洋 に も芸 術 家 の 基 準 に合 致 す る人 は い る し,芸 術 の基 準 に合 致 す る もの

は あ る とい うこ とを 承 認 し さえ すれ ば,そ の問 題 は 解 決 す る。 そ の よ うな認 識 に 立 つ 芸 術 界 は,一 握 りの 芸 術 家 を 匿 名性 か ら救 出 した こ とを 自画 自賛 し,そ の よ うな 認 知 を否 定 す る のは エ ス ノセ ソ トリズ ム だ と して批 判 す る。 しか し,芸 術 ・芸 術 家 とは 何 か を 決 定 し,芸 術 作 品 ・芸 術 家 を認 知 す る権 利 と能 力 を もつ の が,普 遍 的 美 学 を 体 現 す る西 洋 だ け で あ る とい う前 提 は,そ こで疑 問 視 され て い な い こ とに注 意 しなけ れ ぽ な らな い 。Rubin(ル ー ビ ン  1995a:41)は,「 我 々の 文 化 は,自 ら の も の と遠 くか け離 れ た 文 化 の 美 術 も含 め て,あ らゆ る美 術 を称 賛 す る唯一 の文 化 で あ る」 と述 べ る が,彼 の 言 う 「我 々 」 が 西 洋 を 指 す こ と は,あ らた め て 言 うま で もな い。 ま た, Price(1989:87)の 指 摘 す る よ うに,美 術 専 門 家 は,「 そ の 土 地 の 人 々や 作 者 す らそ

の[作 品 の]芸 術 的 価 値 が わ か らな い」 と主 張 してい るの で あ る。 彼 らの よ うに,芸 術/非 芸 術 の境 界 設 定 の 歴 史 性 と恣意 性 を不 問V'し た ま まな の で あれ ば,あ る特 定 の 作 家 や 作 品 を,ま るで 「名 誉 白人 」 の よ うに芸 術 界 へ と編 入 す る こ とは,な ぜ 西 洋 が 芸 術 を認 定 す る独 占的 特 権 を もつ の か とい う問題 を 糊 塗 して,芸 術界 が今 ま で通 りヘ ゲモ ニー を握 り続 け よ うと して い る こ との証 左Y'す ぎ ない 。 つ ま り消化=理 解 可 能 な

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差 異 の み を一 方 向的 に流 用 して い る こ ξに 変 わ りは な い の で あ る。

  「プ リ ミテ ィ ヴ ィズ ム」 が 西 洋 で生 じた 現 象 だ とい うRubinの 主 張 は,そ れ じた い と しては 正 しい 。 そ の よ うな 意 味 で は,そ れ 以 降 の美 術 史 に登 場 す る数 々 の 「イ ズ ム」 もひ ろい 意 味 で の西 洋 で 生 じた 現 象 で あ る。 しか し,ま さ にそ の よ うに言 うこ と で 明 らか に な るの は,能 動 的 主 体 が つ ね に 西 洋 で あ り,非 西 洋 は 受 動 的 な対 象 で あ る にす ぎ ない とい う前 提 で あ り,非 西 洋 の 人 々は,主 体 とな る能 力 を欠 いた モ ノ と 同 じ 地 位 しか 与 え られ な い とい う前 提 で あ る。 要 す る に最 大 の問 題 は,そ こ に相 互 性 が 存 在 しな い こ とで あ る。そ して それ に加 え て,そ の 相 互性 の欠 如 が 「非歴 史化 ・自然 化 」 され て い る こ とな の で あ る。

  では,西 洋 の 芸 術 界 に よ って 芸 術 ・芸 術家 と して一 方 的 に認 知 され て しま うこ とを 拒 否 しさえ す れ ば,問 題 が 解 消 す る の だ ろ うか?  仮 に そ うで あれ ば,美 意 識(審 美 観)の 文 化 的 相対 性 を 主 張 して,西 洋 の 美 学 の 強 制 を拒 否 す れ ぽ よい 。 「私 た ち は 芸 術 家 な どで は な く,私 た ち の 作 るモ ノは芸 術 品 で は な い」 とい う異 議 申 し立 て を す れ ば よい 。 非 西 洋 の 特 定 の 文 化 的 コ ソテ クス トの 内部 で製 作 ・使 用 され て いた モ ノを, 西 洋 の 芸 術 界 が 「部 族 芸 術 」 と して分 類 ・収 集 ・展 示 して しま った とい うケ ー スに お い ては,た しか に,意 図 に反 して芸 術 と され て しま った モ ノ を奪 回 し,ヘ ゲ モ ニ ック なArt‑Culture Systemの 外部 か ら意 味付 け を組 み立 て 直す こ とは 不 可 能 では な い 。 そ こに は,差 し戻 す べ き本 来 の文 化 的 コ ンテ クス トと,本 来 の生 産 ・流 通 ・消 費 の 回 路 が 存 在 す るか らで あ る。

  しか し,そ の よ うな 戦 略 は,つ ぎ の よ うな人 々 に とっ ては,現 実 的 解 決 策 と な りえ ない 。 西 洋 以 外 の 土 地 で,芸 術 家 と して 自己 を規 定 し,自 ら の作 品 を 芸 術 と して 製 作 して い る人 々の こ とで あ る。 グ ァテ マ ラの イ ンデ ィヘ ナ画 家 をは じめ 本 論 文 で扱 う画 家 た ちは,そ の よ うな 人 々で あ る。 そ の よ うな人 々 を,西 洋 か ら強 制 され た 「芸 術 ・ 芸 術 家 」 とい う概 念 の 犠牲 者 とみ な して,彼 らに対 して,借 り物 の概 念 を 捨 て てs彼 ら本 来 の 文 化 的 コ ンテ クス トに 回 帰 せ よ と言 うの は,新 た な 傲慢 さの表 れ で しか な い。

した が っ て,「 非 西 洋 に も芸 術 は あ る し芸 術 家 もい る」 とい うこ とを一 括 して 否 定 し さxす れ ぽ 問 題 は 解 決 す る と考 え る の は安 易 にす ぎ る。 彼 ら に と っ て,西 洋 の 芸 術 界 は,一 括 して拒 否 で き る よ うな対 象 で は な い。 彼 ら は,あ る特 殊 な 条 件 の 下 で,す で に そ の 芸 術 界 の 内 部 に い るの で あ る。 彼 らは,芸 術 ・芸 術 家 と して の 一 方 的 な 認知 を 拒 否 して い るの で は な い。 それ ど ころか,認 知 を求 め て い る。 しか し,芸 術 界 に よる 認 知 を 待 た ず に,芸 術 作 品 を作 り出す 芸 術 家 と 自認 して い るの で あ る。 そ の よ うな彼 らが,西 洋 の芸 術 界 に とって 消 化e理 解 が 困 難 な 厄 介 な存 在 で あ る こ とは確 か で あ る。

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芸 術/非 芸 術 の境 界 を設 定 す る シ ス テ ムに 相 互 性 が 欠如 して い る こ とを 露 見 させ て し ま うか らで あ る。 も し,芸 術 家 を 自認 す る人hの 全 員 を 西洋 の芸 術 界 が 追 認 し,彼 ら の作 品 を 芸 術 作 品 と して追 認 す る こ とが で き るな らば,事 態 を収 拾 す る こ と も可 能 で あ ろ う。 しか し現 実 に は そ うでは な い。 本 論 文 で 扱 う多 くの画 家 の作 品 の場 合,西 洋 の芸 術 界 は,芸 術 的価 値 の な い(観 光 客 相 手 の)商 品 に す ぎ な い も の と して,そ れ を 芸 術 界 に 編 入 す る こ とを拒 否 し,別 のか た ち で 消 費 して い る の で あ る。

  要 す るに 問 題 は,非 西 洋 に芸 術 と芸 術 家 の 存 在 を 認 め るの が不 当 で あ る とか,認 め な いの が 不 当 で あ る とい うこ とでは な い。 また,芸 術 の 内容 を変 化 させ て,い ま まで 芸 術 と して 認 知 され な か った もの を も芸 術 と して 認 知 す れ ば よい とい うこ となの で も な い。 最 大 の 問 題 は,普 遍 的 ・中立 的 な認 知 ・排 除 が 可 能 で あ る とい う前 提 に も とづ き,芸 術 作 品 ・芸 術 家 を発 見 す る とい う レ トリ ックを 用 い て,芸 術 作 品 ・芸 術 家 とい う価 値 を 製 造 して い る事 実 を 隠蔽 す る,相 互 性 を 欠 い た 認知 ・排 除 の シス テ ムな の で あ る。 つ ま り,よ り民主 的 な分 類 ・収 集 ・展 示 の シス テ ムを 西 洋 の芸 術 界 が 考 案 しさ xす れ ば,従 来 の シス テ ム の 引 き起 こ した 問 題 は 解 消 す る とす る考 え方 を棄 て な け れ ぽ な ら ない 。 どの よ うな もの で あれ,新 しい別 の 一 元 的 な 分 類 シス テ ム を一 方 的 に 適 用 し よ う とい う試 み は,同 じ問題 を引 き起 こ して しま うだ け で あ る。 生 産 ・流 通 ・消 費 とい うプ ロセ ス の な か で,西 洋 の消 費 者 側 の 意 味 付 け を,唯 一 の意 味 の あ る意 味 付 け と して 特 権 化 し,西 洋 が どの よ うに使 用 す るか が モ ノの 本 来 的 ・客 観 的価 値 な のだ とみ なす 分 類 ・収 集 ・展示 の シス テ ム は,そ れ 自体 が 問 題 の 原 因 だ とい う ことを 認 識 す る こ とが 必 要 な の で あ る。

  そ こで,2つ の 点 で の 視座 の転 換 が必 要 に な る。 そ の 第 一 は,モ ノで は な くて プ ロ セ ス に焦 点 を 当 て る こ とで あ る。 あ る モ ノは,芸 術 と して 生産 され る こ と,芸 術 と し て流 通 す る こ と,芸 術 と して 消 費 さ れ る こ とに よって,そ の 時 点 に お い て のみ,そ よ うに意 味 付 け る人 に と って の み,芸 術 とな る の であ る。 した が って,あ るモ ノが そ の 内在 的 属 性 に よ って 一 貫 して芸 術 で あ った り,あ るい は 芸 術 で な か った りす る の で は な い。 そ の モ ノ の当 座 の 意 味 付 け は,そ れ が置 か れ る,あ るい は,そ れ が通 過 す る コ ソテ クス トに依 存 す る。 しか し現 実 に は,誰 もが 平 等 に,あ るモ ノを芸 術 で あ る と した り,芸 術 で な い と した りで き る わ け で は な い こ とは,も ち ろ ん で あ る。Art‑

Culture Systemが い まだ に ヘ ゲモ ニ ックな 力 を も って い る とい うこ との 意 味 は,ま さ に モ ノを意 味 付 け る にあ た って の 不 平 等 が存 在 す る とい うこ とで あ る。 一 般 に,芸 術 作 品 とは,西 洋 の芸 術 界 に よ って 芸 術 と して使 用 あ る い は消 費 され る モ ノの こ と と さ

れ て い る の で あ る。

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  視 座 の 転 換 の 第 二 は,西 洋 の ヘ ゲ モ ニ ッ ク な 分 類 カ テ ゴ リー あ る い は 分 類 シ ス テ ム が,自 動 的 に 延 長 さ れ て い る と して 「自 然 化 」 す る 見 方,あ る い は 抽 象 的 ・無 媒 介 的 に 押 し付 け られ て い る と して 脱 コ ソ テ ク ス ト化 す る 見 方 を 批 判 し,そ れ が 具 体 的 な 個 hの 交 渉 に よ っ て 媒 介 さ れ て い る と い う点 に 注 目 す る こ と で あ る 。 そ の よ う に 見 る こ と に よ っ て,そ れ が ど の よ うな せ め ぎ あ い を 通 じて,今 の と こ ろ ヘ ゲ モ ニ ッ ク な 意 味 生 産 で あ りつ づ け て い る の か,そ こ で ど の よ うな 別 の 意 味 が(と くに 生 産 者 に よ っ て) 生 産 さ れ,そ れ が 排 除 さ れ て い る の か に つ い て 考 察 す る こ と が 可 能 に な る 。 そ し て,

そ の よ う な 交 渉 の プ ロ セ ス と,そ れ が 展 開 す る 「歴 史 的 状 況 」(historical conjuncture) に 注 目す る こ と こ そ が,い ま 必 要 と さ れ て い る 「コ ン テ ク ス ト化 」(contextualization) に ほ か な ら な い 。

  本 論 文 で 言 う 「交 渉 」(negotiation)と い う概 念 は,二 重 の 意 味 を 負 わ さ れ て い る。

まず 第 一 に,交 渉 と は,文 字 通 り,商 品 と し て の モ ノ の 生 産 ・流 通 ・消 費 の そ れ ぞ れ の 場 面 で の,売 買 に お け る(価 格 に よ っ て あ ら わ さ れ る)価 値 評 価 を め ぐ る 交 渉 で あ り,そ れ は 需 要 と 供 給 と い う市 場 メ カ ニ ズ ム に よ っ て 支 配 され る 。 も し価 値 評 価 に つ い て 合 意 に 達 し な け れ ぽ,そ の 交 渉 は 決 裂 し,売 買 は 成 立 し な い 。 第 二 に,そ れ は, Cliffordが 文 化 を 「交 渉 さ れ る 現 在 的 な プ ロ セ ス 」(1988:273)と し て,あ る い は, 博 物 館 を 「こ と な る 文 化 的 ヴ ィ ジ ョ ン と共 同 体 利 益 が 交 渉 さ れ る 場 」(1997:8)と

て と ら え る 必 要 が あ る と言 う と き に 意 味 し て い る こ と で あ る 。 そ れ は ま た,Marcus とMyersが 「諸hの 境 界[の 設 定 の 仕 方]に つ い て の 交 渉 」(1995:34)と 言 う と き に 意 味 し て い る こ と で も あ る 。つ ま り,交 渉 とは,あ る も の(モ ノ ・概 念 ・イ メ ー ジ ・ 表 象 ・ポ ジ シ ョ ソ な ど)を ど の よ うに 意 味 付 け,そ れ を 他 と ど の よ う に 節 合 す る の か

を め ぐ っ て の,複 数 の 意 味 生 産 の 実 践 の 間 の せ め ぎ あ い の プ ロ セ ス を 意 味 す る 。 後 者 の 場 合,そ れ は 閉 じた 市 場 の 需 給 パ ラ ソ ス に 従 っ て 展 開 す る わ け で は な く,し か も 交 渉 は 終 結 す る こ とが な い 。 以 上 の よ うな 二 重 の 意 味 を 「交 渉 」 と い う概 念 に 負 わ せ る の は,本 論 文 で 扱 う商 品 と し て の 絵 画 に お い て は,第 一 の 意 味 で の 交 渉 が,不 可 避 的 に 第 二 の 意 味 で の 交 渉 で も あ る と い う理 由 に よ る。

3.グ ァ テ マ ラ の イ ソ デ ィ ヘ ナ 画 家 た ち

(1)ア テ ィ ト ラ ン 湖 地 方

マ ヤ 系 イ ン デ ィ ヘ ナ の 村 で あ る サ ン テ ィ ア ゴ ・ア テ ィ トラ ン と サ ソペ ドロ ・ラ ・ラ

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グ ー ナ(以 下 サ ソ テ ィ ア ゴ お よ び サ ン ペ ド ロ と略)は,海 抜3000m級 の3つ の 円 錐 型 の 火 山 に 囲 ま れ た 「世 界 で 最 も美 し い 湖 の ひ と つ 」 ア テ ィ トラ ソ 湖(海 抜1562m)

の 南 岸 に 位 置 す る 。 こ の 地 方 に は ア メ リカ 合 衆 国 や ヨ ー ロ ッパ な ど世 界 各 地 か ら 観 光 客 が 訪 れ る が,観 光 の 主 た る対 象 は,湖 ・火 山 ・楢 や 松 に 覆 わ れ た 丘 陵 な ど の 明 媚 な 風 光,湖 で の 水 上 ス ポ ー ツ,そ し て そ れ 以 上 に,湖 の 周 囲 に 点 在 す る マ ヤ 系 イ ソ デ ィ

ヘ ナ の12の 村 へ の 訪 問 で あ る 。 現 在 の よ う な か た ち の 観 光 が 開 始 され た の は,1940年 代 頃 で あ り,そ れ 以 降,場 所 に よ り差 が あ る が,地 域 の 生 活 と経 済 が 観 光 と の 関 係 の

な か で 再 編 さ れ て い く こ と に な っ た 。

  湖 周 辺 の イ ソ デ ィ ヘ ナ の 村 々 は,言 語 集 団 と し て は,カ ク チ ケ ル 語(kaqchikel), キ チ ェ語(k'iche'),ツ ト ゥ ヒル 語(tz'utujil)に 属 し,上 記 の2つ を 含 め 南 岸 の3つ の 村 は ツ ト ゥ ヒル 語 圏 内 に あ る。 しか し相 当 数 の 人 々 が 程 度 の 差 は あ れ ス ペ イ ン語 を 解 し,成 人 男 性 や 若 年 層 を 中 心 に ス ペ イ ン語 と の バ イ リ ソ ガ ル の 者 も 多 い 。 今 回 の 調 査 は,す べ て ス ペ イ ソ語 を 用 い て 行 わ れ た 。 因 み に,初 等 教 育 以 降 は 原 則 的 に ス ペ イ ン語 で 行 わ れ る 。 湖 の 南 岸 の サ ソ テ ィ ア ゴ な ら び に サ ン ペ ド ロ と観 光 の 中 心 地 で あ る 北 岸 の パ ナ ハ ッ チ ェル(Panaj  achel)と の 間 で は,片 道 約1時 間 の フ ェ リ ー が 主 な 交 通 手 段 と な っ て い る。 こ の フ ェ リー は,約20年 前 に 就 航 し,10年 程 前 か ら 日 に 数 便 ず つ に 増 便 さ れ た も の で あ る 。 フ ェ リー は 人hの 日 常 的 な 足 と な っ て い る ほ か 観 光 客 も 利 用 す る が,観 光 客 の 多 くは,数 ヶ所 の 村 を 船 で 駆 け 足 で 巡 る 一 日 ツ ア ー を 利 用 す る 。 パ ナ ハ ッチ ェル に は,宿 泊 施 設 ・娯 楽 施 設(デ ィ ス コ な ど)・ 飲 食 店 ・土 産 物 屋 な ど

の 商 業 施 設 が 軒 を 連 ね て お り,経 済 は,ほ ぼ 全 面 的 に 観 光 や そ の 周 辺 的 活 動 に 依 存 し て い る 。 町 中 で 日常 的 に 多 くの 観 光 客 の 姿 が 見 ら れ,(白 人 お よび そ れ に 準 ず る 外 国 人 を 意 味 す る 「グ リ ン ゴ」 と い う言 葉 か ら 派 生 し た)「 グ リ ン ゴ テ ナ ン ゴ」(グ リ ン ゴ

の 村)と い う呼 称 が 冗 談 ま じ りに 使 わ れ る こ と も あ る 。

  サ ソ テ ィア ゴ と サ ソ ペ ド ロ は 陸 路 で も 結 ぼ れ て い る が,両 村 の 間 に サ ソ ペ ドロ 山 が あ る た め に,通 常 の 交 通 は,所 要 時 間30分 余 の 日 に 数 便 の フ ェ リ  yyよ る 。 サ ソ テ ィ ア ゴ の 人 口(1996)は,ム ニ シ ピ オ(郡)全 体 で 約34000人,市 街 だ け で 約26000人 あ り,人 口 の99%以 上 が イ ン デ ィ ヘ ナ で あ る 。 住 民 の ほ と ん ど は 農 業(お よ び 副 次 的 に 漁 業)に 従 事 し て い る 。 農 業 生 産 は 主 と し て 自 家 消 費 お よ び 村 の 市 場 で 売 買 さ れ る ロ ー カ ル な 消 費 用 で あ る が,作 物 に よ っ て は(例 え ば ア ボ カ ド)周 囲 の 町 村 や 首 都 へ の 出 荷 を 目 的 と し て 生 産 さ れ て い る 。そ れ に 加 え て,南 の 海 岸 地 方 に 位 置 す る コ ー ヒ ー や 綿 の プ ラ ソ テ ー シ ョ ンへ の 収 穫 期 の 出 稼 ぎ も,重 要 な 経 済 活 動 と な っ て い る 。 保 健 所 の 統 計 に よ れ ぽ,住 民 の う ち ツ ト ゥ ヒ ル 語 の み の モ ノ リ ソ ガ ル が 約70%,ツ ト ゥ ヒ 48

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ル語 とス ペ イ ソ語 の ノミイ リソ ガル が 約30%で あ り,ス ペ イ ソ語 しか 話 せ な い 者 は,1

%以 下 にす ぎ な い。 また 文 盲 率(ス ペ イ ソ語 の読 み書 きが で き な い)は 概 数 で,平 均 で74%(男 性60%,女 性80%)と な って い るが,も ち ろ ん年 齢 に よ る差 は大 き く高 年 齢 層 で高 い。

  湖 南 岸 へ の観 光 は,フ ェ リーの 便 数 も増 え た10年 ほ ど前 か ら,現 在 の よ うに 本 格 化 した 。 観 光 客 の 圧 倒 的 多 数 は,パ ナ ハ ッチ ェル に 滞在 して サ ソテ ィア ゴや サ ソペ ドロ を 日帰 りで 訪 れ る。 彼 らは,昼 前Y'到 着 して せ いぜ い1時 間 ほ ど滞 在 してつ ぎ の訪 問 地 へ 向 か う。 した が って,特 定 の 時 間 帯 に は メイ ンス ト リー トに数 十 人 程 度 の 観 光 客 が 俳 徊 す る姿 が 見 られ るが,午 後3時 もす ぎれ ば 皆 フ ェ リー で引 き揚 げ て しま う。 こ の よ うな 「時 限 観 光 」 は,1980年 代 の 内戦 状 態 下12)で も続 い て い た 。 当 時 サ ン テ ィ ア ゴには ゲ リラ掃 討 を 名 目と した 軍 の 駐 屯 地 が設 け られ,暴 行 ・窃 盗 ・誘 拐 ・暗 殺 ・ 虐 殺 な どを 引 き起 こ して 人hの 不 安 を 招 い て い た が,観 光 客 が到 着 す る時 間 に な る と 兵 隊た ちは,街 路 か ら姿 を 消 した とい うこ とで あ る。

  訪 れ る観 光 客 は,サ ソペ ドロに 比 べ て サ ンテ ィア ゴの ほ うが圧 倒 的 に数 が 多 い。 サ ソテ ィア ゴの方 が 観 光 客 を 惹 きつ け る もの が 多 い か らで あ る。 第 一 に,民 族 衣 装 の華 麗 さが あ げ られ る。 女 性 の上 衣(huipil)が サ ソペ ドロでは 市 販 の布 を素 材 と して い るの に対 して,サ ンテ ィア ゴで は,自 家 製 の 布 に 色 と りど りの 小 鳥 ・草花 を刺 繍 した もの で あ る。 男 性 もサ ソテ ィア ゴで は,特 有 の カ ラ フル な半 ズ ボ ソを は いた 人 々が 見 か け られ る の に対 して,サ ンペ ドロで は,民 族 衣 装 で は な い者 が圧 倒 的 に 多 い。 要 す るに,サ ソテ ィア ゴの方 が 「民 族 衣 装 の イ ソデ ィヘ ナ の村 」 とい う観 光 客 の期 待 に よ

り合 致 して い る の で あ る。 第 二 に,民 族 衣 装 や 民 芸 品 そ して 「芸 術 作 品」 を売 る店 が 20〜30軒 ほ ど もサ ソテ ィア ゴの メイ ンス トリー トに は 軒 を連 ね て い る の に対 して,サ

ソペ ド ロで は ほ とん どな い 。 第 三 に,サ ン テ ィ ア ゴ で は 民 衆 カ トリ シ ズ ム(Folk Catholicism)の 数 ヶ所 の 「信 徒 団 体 」(cofradia)が 見 物 の対 象 と して重 要 で あ り,

な か で もMaximonと よばれ る 「聖 人 」 の 像 が,木 製 の 仮 面 を つ け た エ キ ゾテ ィ ッ ク な容 姿 ゆ え に観 光 の 目玉 のひ とつ とな って い る。

  観 光 客 を 直接 に相 手 にす る商 売 に携 わ って い る一 部 の 人 々を 除 け ぽ,サ ソテ ィア ゴ の経 済 が観 光 に依 存 して い る とは 到 底 言 え な い 。しか し,土 産 物 店 の 商 品 の 大部 分 は, 村 内 で 生 産 され た もの(特 に 女 性 が 織 り刺 繍 した布 ・衣 装),あ る い は 他 の 地 域 の原 料 を加 工 した商 品(例xぽ ト トニ カパ ン製 の織 物 を使 っ た ベ ル トや サ ス ペ ン ダ ーな ど) で あ り,そ れ らを作 る仕 事 を内 職 とす る女 性 た ちに と って,現 金 収 入 の手 段 と な っ て い る。 自家 製 の織 物 な どを 自宅 で販 売 す る女 性 もい るが,観 光 客 が立 ち寄 る場 所 は,

(17)

(波止 場 か ら教 会 ・市 場 へ 通 じる)メ イ ンス ト リー トに沿 った 非 常 に 限 定 され た地 域 で あ るた め に,そ こに 店 を   :Z..た商人 に製 品 を売 り渡 す か 委 託 す る こ とが 多 い。 また 船 着 き場 な どで は少 女 た ちが,糸 を編 ん だ ブ レス レ ッ トや 素 焼 きの 笛 を売 り歩 い て お り,ま た 観 光 客 に 自分 の 写 真 を 撮 らせ て 小銭 を得 て い る。 そ れ に対 して 男性 は,観 光 客 相 手 の商 売(飲 食店 ・土 産 物 店 ・観 光 ガ イ ド ・画 家 な ど)に 従 事 してい ない か ぎ り, 観 光 か ら直 接 に得 られ る収 入 の 道 は 限 られ て い る。 こ の よ うに,観 光 が住 民 に とって

もつ 意 味,そ して,観 光 に と って住 民 が もつ 意 味 と い う点 に 関 して,女 性 と男 性 の間 には 相 違 が あ る。 サ ンテ ィア ゴに限 らず,グ ァテ マ ラに お け る 「イ ソデ ィヘ ナ観 光 」 に とっ て不 可 欠 の 要 素 は,そ の地 域 特 有 の民 族 衣 装 を ま と った女 性 と,女 性 た ちの 手 作 りの織 物 や 刺 繍 であ る13)nつ ま り,女 性 の活 動 が,そ の ま ま で 「エ キ ゾテ ィ ックな イ ンデ ィヘ ナ 文 化 」 を 体現 す る観 光 商 品 で あ る のに 対 して,男 性 の場 合 は,観 光 客 を 対 象 に した 新 た な 商 品 を 生 み 出す こ とを余 儀 な くされ るの で あ る。

(2)観 光 産 業 の表 象 す る 「伝 統 的 マ ヤ文 化 」

  ア テ ィ ト ラ ン 湖 周 辺 の 観 光 に と っ て,「 マ ヤ の 文 化 伝 統 が 生 き続 け る イ ン デ ィ ヘ ナ の 村 」 は 主 要 な 観 光 資 源 で あ り,そ れ に 「真 正 な マ ヤ 文 化 」 と し て の 御 墨 付 き を 与 え て き た の は,人 類 学 の 言 説 で あ る 。INGUAT(グ ァテ マ ラ観 光 協 会)の 作 成 した パ ン フ レ ッ トで も,そ の 点 が 充 分 に 強 調 さ れ て い る 。 そ れ に よ れ ば,「 マ ヤ 後 古 典 期 」 (1250‑1524)に 当 地 方 に は,サ ソ ペ ド ロ 山 の 麓 に 首 都 を お く独 立 政 体 が 存 在 し て お り, そ れ が1524‑25年 の ス ペ イ ン人 に よ る 侵 略 に よ っ て 征 服 さ れ,1547年 に は 修 道 会 の 手 に よ っ て,湖 畔 の 現 在 の サ ソ テ ィ ア ゴ の 位 置 へ の 住 民 の 再 定 住 が 行 わ れ,そ の 後 に, 修 道 会 に よ っ て 近 隣 の サ ンペ ド ロ と サ ン フ ア ン が 設 立 され た 。 そ れ 以 降,メ ソア メ リ

カ の 他 の 多 くの 地 域 と 同 様 に,カ ト リ ッ ク 化 が 進 み,そ の 結 果,マ ヤ 文 化 の 伝 統 と カ ト リ シ ズ ム と の 混 濡 の 所 産 と して の 民 衆 カ ト リ シ ズ ム が 形 成 さ れ,costumbre(伝 的 慣 習)と よ ば れ る 宗 教 的=社 会 的 シ ス テ ム が,人hYyと っ て の 「わ れ わ れ の 伝 統 」 と な っ て き た 。 そ う した 「マ ヤ の 伝 統 が 生 き 続 け て い る 」 と い うの が,観 光 パ ン フ レ ッ トの 提 供 す る 物 語 で あ り,そ れ は 例 え ば つ ぎ の よ う に 表 現 され る 。 「外 部 の 世 界 と の 接 触 に も か か わ らず サ ソ テ ィ ア ゴ ・ア テ ィ トラ ン で は,い ま だ に 伝 統 的 文 化 的 特 性 を 保 ち 続 け て い る 」。 「殊 に1950年 代 以 降 さ ま ざ ま な プ ロ テ ス タ ソ ト宗 派 や ネ オ 原 理 主 義 的 宗 派 が 出 現 し て き た と は いx.r住 民 の 相 当 数 はcostumbreに 忠 誠 を も ち つ づ け, そ の 儀 礼 的 側 面 に よ っ て,16世 紀 以 来 何 世 代 に もわ た っ て 受 け 継 が れ て き た サ ソ テ ィ

ア ゴ の 伝 統 的 世 界 観 が 保 存 さ れ て い る 」。 そ し てcostumbreの 中 核 を な す 役 職 者 た ち

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