• 検索結果がありません。

福 島 邦 夫

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "福 島 邦 夫"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

長崎大学教養部紀要(人文・自然科学篇合併号)第37巻 第1号 1‑11 (1996年7月)

平戸安満嶽縁起

‑近世初期松浦地方の山岳信仰‑

Hi ra do  Y as um an da ke  E ng i:

Th

e 

Mo

un

ta

in

 B

el

ie

f 

of

 M

at

su

ur

a

i n   t h e   E a r l y   E d o   P e r i o d

K u

n i

o  

F U

K U

S H

I M

A

日本の西端にある平戸諸島はかくれキリシタンの地として知ら

れている︒しかし︑十六世紀中葉以降︑キリシタン勢力が浸透す

る以前は山岳信仰が力を持っていたことは意外に知られていない︒

その中心は︑中部の安浦岳(標高約五三五メートル)︑および南

部の志々伎山(標高約三四七メートル)であった︒志々伎山につ

( ‑ )

いては︑既に紹介もされているが︑安浦岳に関しては今までほと

んど知られていなかった︒その理由は︑安浦岳には楊柳山西禅寺

という寺院があったが︑一度ならず二度にわたって大弾圧を受け

安浦岳を中心にご‑概略だけを述べてみるO一度目は1五五〇

年のポルトガル船来航︑フランシスコ・ザビエルに始まるキリシ

タンの布教の時である︒一五五五年には︑もう︑平戸領主︑松浦

道可公隆信はイエズス会インド管区長に宛て書状を送り︑平戸で

宣教師達を歓迎したいとの意向を伝え︑その文中︑桧浦の親族数

人が受洗したことを記したと云う︒ルイス・フロイスの﹁日本史﹂

によれば'それらは生月の龍手田一族であり︑フロイス自身も鹿

島で布教を行い︑キリスト教は拡大の一途をたどっていた︒もは

や仏教勢力との衝突は時間の問題であった︒再び︑フロイスの記

ヤスマンダキ述によれば︑平戸には安浦岳という名の著名な高僧が住んでおり︑

あらゆる他の僧侶の首領であった︒彼は常にキリシタンとその教

えに対する最大の敵であ‑︑彼の勧めで︑十字架は破壊され︑修

道士は追放されたという︒更にこの仏僧は殿様達と深い姻戚関係

にあって︑何をしても罪科は問われなかった︒常に修道士達はそ

の事を極めて遺憾に思っていた︒

ついに︑一五六三年︑肥州殿(隆信)にドン・アントニオは諌

言し︑それに従って肥州殿は安浦岳の所領を没収し︑僧侶(神官)

( 2 )

の頭を追放したという︒実に翌年の1五六四年のことであった.

そして︑その頃︑安浦岳の麓︑白石からロレンソという高名なイ

ルマンさえ出たという︒彼は元来︑盲僧であったが︑後に熱烈な

キリシタンとなり︑京都で活躍し名を残した︒一五九三年に長崎

で没したという︒盲僧というからには︑安浦岳の山岳信仰の側に

(2)

あったはずの人である︒その中からキリシタンの側に身を投ずる

人間が出たのである︒現在の山頂にも十字の石仏が残るという︒

その後︑一六〇〇年︑安浦岳中興開山︑善意の名が史料にあら

われる︒法印公鎮信は自ら︑法印と名乗り︑反対に仏教を再興し︑

手厚い保護を加えたのである︒近隣の諸公も︑仏弟子として安満

岳と仏縁を結ぶのである︒当時の平戸は︑中国︑ポルトガル︑イ

スパニア︑オランダ︑イギリス等の諸国の貿易船が港に出入りし︑

桧浦氏は貿易で栄えた頃である︒しかし︑鎮信は逆に慶長四年

(1五五九)頃から︑キリシタンの弾圧を開始し始め︑ここに周

知のキリシタン殉教の歴史が始まるのである︒政策はめまぐるし

く転換した︒翻刻する安浦岳縁起も寛永五年(一六二八)の銘が

あるので︑この頃書かれたものであろうと推測される︒

その後︑安浦岳は二度目の弾圧を受ける︒明治政府の廃仏穀釈

の嵐である︒西禅寺は廃寺とな‑︑仏像仏具は最教寺へ移され︑

大部分の文書は散供した︒白山権現は白山比売神神社と改称され︑

壱岐の神官︑後藤正恒氏が明治三年に社司に任命されたという︒0こうして安浦岳の歴史は最後の幕を閉じたのである︒

ここに翻刻する資料は︑そうした中でわずかに残されたF休岳

温知録第九jに載せられている﹁休岳縁起並口伝録﹂の1部であ

る︒(口伝録は紙数の関係上省略した.)﹃休岳温知録第九jは平

戸市蔵︑冊︑七十七頁︑縦二三・五cm︑横一六cm︑寛政八年

(一七九六)︑道盈記とある︒道盈の記すところによれば︑縁起の SB

原本は前々住︑順果が寛永5年(一六二八)に筆写したものをさ

( 4 )

らに正書したものという︒

縁起の内容も近世初期の典型的なもので︑秦荘の開山︑行基の

来山から説き始めるが︑休岳の名称は松浦氏存亡の危機を救った

ETCS烏が羽を休めた所である所から来たという伝承や椿の由来が説か

れ︑当時の松浦地方の民間伝承︑人々の自然観を良‑表している︒

また︑神功皇后や対馬の地名伝承も伝え︑白山信仰が同時に海民

の信仰であったことを示している︒更に白山妙理権現を臨済宗の

祖︑栄西の招来したものと説くなど平戸独特の興味深い記述もあ

る︒また︑十一両観音を本地としてその垂透を伊井諾尊と説‑な

ど神仏混清の様子は修験道の本来の特徴とも言えよう︒筆者個人

の興味を引‑のは︑新羅の僧︑元暁︑道昭といった名が登場する

点で︑当時の知識人であったであろう縁起の著者の仏教や修験道

の理解であり︑視野の広がりである︒様々な観点から︑本縁起は

興味を引き起こすであろうと思う︒

Ⅲ吉田収郎r式内社明神社志々伎神社j芸文堂刊︑昭和六十1年㈱ルイス・フロイスr日本史9﹂一四一‑1四二頁その他︑中央公論社刊︑昭和五十四年㈱浦恒一.r宗教史としての安浦岳j昭和四十六年九月稀︑私家版㈲福島邦夫︑平成七年度科学研究費︑1般研究(C)研究成果報告書﹁九州北西部離島における修験道‑平戸諸島の修験寺院の歴史民俗

(3)

( )

所願

) )

此 峯ヲ 安 浦 放下

ケ(シト)(フ)

ヤス

平戸安浦放縁起

薮ヨ鳳戎ル人乃チ霞二観ラ限里二揚

リノ

此風二時二王普迷フ也ミ下こ之町

飛ヒ 着

チャタシテ 駕言霊

V *

0

鳳日 風ノ本

体言熊

第山ノ雲ノ0見テ間二也 十事浮ウ古小見ル0

陀給フ

EF晟*S(5)7G‑,‑

jft7JE*i国昭闘

然嵩峰二皇

( )

( )

尊顕

御母︑

天給フ本 神0‑回二

七即王於テ

fe

戦鮎神也︒璽

也 棉 五 代 経テ

S

"

N

トシ

o陽 天神 照伊イ 大葬サ 神Z諾喜

調

メフ給︒

( ) ( )

便

野へ

飛∴

TO7

( )

シカリトイヘ(ドモ)

天 皇ノ 御 字二

熊 野ノ 本

宮三 顕こ 給フ

先正(

) ( )

()

,=、島ヲ

非ス大

葉云o (7)方ノ 集こ、蓋を生 之コ筑島ノ月 レ 有り紫享些葺多

㌔松ル少ナ久 XT

ニ由 QI 浦ノ m

ア,

来テ 見レ

(イチシロシ)㈱(エ)?

室筑葺酔

也石見也

○室o

塞マ三賓

是三聖殿 o後lJ′'‑

百音響三両

里ノ山ノ無

外二束儀 見方之 陸勝 大地 海利 十生

t ic a

聖之禅匙

劫初

坐片

断シ石ヲ之

此ノ嶋五一「 :■給フ以テ

峰ノ隣与島

2

空キ南ハ

;、聖二這‑c

依テ

界二剛世五 遊テ三音

味二菩力,

鳥富

()

リ/、ノ.

薩ド深夫応衆二間ク加力以テ

現ス海Z天供畦ヲ鷹(8)勲ヲ被芸苦ヲlレ+」巨

ヲテ観以

l「lー

尊号丈来所喜‡如ク迷二禦蒜ヲ

II‑n抜キ 故こ、

観ト

妄也者

想ノ0真ノ

顛観

者地O

o如シ

華怖

隈 肥 i q :

ナ ラ ス 巨

﹂ I ヲ N 4 q o 帥 シ ( ル ク )

種乱過去

( )

ヲテ形以

(

久遠(

m )( )

裟婆 )

3ヲ世間

( シ)

足傭

妄ト 染ト

念ト輿 磨.i o7.

息 滅ス

0

S X K S

染治

ノヲ

( ) ( )

本地之霊晦)臥

( ) ( ) ( )

( ) ( )

( , (

スル

()()

(*)>h6

恭惟

二此理 磨,菩大 成ス薩‑辛

o幻ノ薩ノ

揮、空冒勲?,̲

(4)

出居?満テ領ヨ澄テリ 知烹弼15老 現ノ持殊遥こ彼ノ〇也翁 端諦ス勝ノ西ノ峯二聖O 、 札o霊方,居?観弼㌢神 範妙地望ミ苦7日ト.」 ★右ハ羊蹄

同ナ理有ル見修在ノ

者大事ヲ給へ益変 也菩千祥ハ勤ス身 o薩里ノ雲神軌

峰二給フ見テ宇 泰○筑 澄加紫

登り賀ノ下リ

宙横

()

(

)

云フ理

o大 西菩

剃讐薩ノ 主輔フ 也リ也

云o

時‑白峰二気澄o行理一号

トハ

名ヲ

警大;

ノヽ

賓二山ノ登テ、自余夏草、大

養天禅乾山ノ自冒云フ菩奇

︿ ) S)

アウ

3E 3E

!

在菩薩妙(ナル)棉

≡鯉

︿ #

﹂ *

) サ

ク 喝

嘉 飢

ノ 衆

孤峯登︒

(ヨコタ)へエミヲ(フク)チ

( )

ト,.I /Iー

3言壬生,出‑

プ己三我レ偉イ卦ぢ願ク現ス面

老領ノ定二坤二天泰嘗二薩ノ眼乏

照留テ年也)身嬢

大棲ム二〇、

神ノ0子ヲ又 御宍其ノ生ウ匿し

シム

在言外ニ0峰こ 河,久別ノ漸クニッ

ノノ

烏有()反晴 ()

o主

ヤカラ(オノオノ)ノ

泰枝ヲ

ロ号後此レ大阿

相親妙音弥

ハノ

麿

地也︒

1

是妙

(A ) L

チナミニ

N

*

'

"

>

g

賓三

KA

5fc?給・r救三香呂

o観

建度シ何 立シ給フ行

ス 読

依テ基

平日 o像ヲ戸ノ本

盟西

(山崎頁と書き込み有り山峡専門かI福島)

( )

泰居テ箱),、王ノ王

澄ノ持河ノ御初

( ) ( ) ( )

l ( ) 便

(

)

( )

ルチ

( )

i

+

' .

t 輿

r J

缶神

()宣︑喰鮎

会西 スシテ(キタツ)チ

霊自二 磨ヲ山二年

裏○泰月

芸三豊:ノ霊譜琶ヲ崇霊二芸テ言

芸三聖導警部是ヲ笑ヲ也

。語ル含テ○

㌣芸蓬堊華‑蔓露:拙榊ニ

リ享化, JLLレI J ′

妻皐± ≡二享‡ ‑<‑.‑ ̄/Iテ0

き≡=芸二千‑JV̲一塁二「hfSu

'r i u口世ハ1妄鏡肇云朝雲華二碧:

勢ノ鳥ハ也在ノ文門者

国営○垂殊ノ戸二也椿ノ云ク々

天山二毎跡化挿テ。実,此ノ0山芋藍ヲ済,V、再再 鳥ハ所ノ便観行帰

伊二者自基ハ宅シ

o膏神

年三又行識ノ亀

五公ハ基如シ二

十=曲。JT二

感と0年7.

未享

路妻 歎喜 多シ

(5)

平戸安浦森縁起

'I*. IS& J‑^ll=v 取定

(ホド)ナク 桂

ワズカニ細 級

軍対給フ往 勢ノ馬ノ0書

二鴨豊霊力志

百瀬七山ノ神ハ 八ノ

十浦こ伊‑鎗神也︒

規繋 ツイテ 弊身,

ノノ 四

J

十四 八十

身二八般也

シテ化四

e Xi

先払

( )

セラル

( ) ( )

。ル然蓄膿ノ神ノ宮加 而テ棉空評皇護

( ) ( )

'

シフ度給︒

'

)

rg a E;

時ハ

ナカ 能不

*

>

,買三三也巻我力契 ス不o属ハ山諾ス

有り方徳ノー

(7クバ)シテスイ

( )

( )

とヨ冒o堅 崩是ヲ=̲̲.̲i

舵;然}¥,辛ノヽ

居(左に高山禅定

臥 シ テ

シト

0

モ 価

スト

日ク不変 賓二倍作

I

ク間ナ是ノ信

ター蝣" fま二'y‑一

神ト礼書神ハ縁

( )

云 云

︒ 傭

者度

剛童

巻 属 之 所 居こ

m 普

カツテ(ムカシと左に書込みあり)

( )

坐テ天 四拘ノ

方,輿

結依テ 界シ天

千‑益子整空微給フ云

FJWUu

( )

1和泉ナー1九

芸=至芸∴

聞品時高

至妙ノ其ソ。

3

0

限ル頭ノ寺こ勅ス也勤令書間夕博山中諾征時主済桧ノ有り風,貴余ニ

ヘメハ

〇㌢行竺テ竺ノ∴竺ヲ毎テ擁冒多二天妙尊ノ蔚ノ山国二名ヲ0待チ賊ノ依テ

ー・′ ≠ ̲ ̲ ・一

理聖久ク寺二後:也蒜依;福景音名先至二百

大福大同ク葉チ0人道鞠徳ノ鼠也船l十済

掛松 地諸

豊浦

瀬1

人帰

天康ノ

前 ノ 国

妙事‑良ラ両然萱致ス蒜護錘童理異時ノ王渡テ履其ノ給フ諸鴨博」一̲t 1 t 、̲一一.一一

・ 卜

ノノ ニハ

!、 ‥一禾ノヽ.旭ま′ 〈ル(TH

菩寺ト明白上山自体,建戯勧o佳‑臥云フ神側,,、依…社ニ∩.可I Tf・・T*T蝣・‑ 、

々門ノ自安吾シ禦璽シ登聖聖ノ聖聖鞠漕こ、ftJfn三芙

≡;≡;重蓋意m.蔓蔓二≡菜…三三 ̄享≡甘‑;̲享

也ヱ*,レ理建T廟ノ訊也̲…一テ陣腺̲山⊥ U^^MHKaS^i^i^ fr.^^HHi

:呈ノ芸ヲ悪霊ノ芸悪霊シ宗霊;聖霊t一神勧

ノ'キノ

薩 之 五

字ノ。是レ菩仁 I̲自薩ヲ書

志三:ノ*:9堊:蔓;慧ノ蓋寵菅;≡ノ蓋喜堊ノ難壷禁

自‑テ払̲ TP. ̲チ

ステカ

(カシトリ)I

l7

自‑ 〟 …^ l山越イ■ノ"!H tV IT間ノ

:ノ曇J/、喜蓋…‑喜昔堊i蓋ノ喜ノ≡;燕堊環)

一理O次二壇大テ故こ最本二護正均前御0‑

テテリ

ハキ

顛天o倉ノ福山頭二勧在前ノ太輿伊百鮎而テ有.,霊嘩対

○シ額二社両寺,宮就董請唐ノ回目合ヲ弊済振ル百此ノ所順馬ノ

(欄外に書き込み有︑異説云紀

良ラ

称シ

奉ル

(6)

非ナ

:!

同音法三観理澄ハ0 心三三華丁世二世菩阿泰 聖世在デ党首面妙泰

)

(

)

乳 ッ

BE

月登ル加数神ト客

所十o賀ノ名称シ神嘗 建八麿天御ヲ奉ル御山、

ニ立日

之妙

己■■:a

西十、過化凡国ヲ間ノ菩 方二万二未去ハ、夫隅享月ノ薩

イブカシイ

)

在王/l:ス来ハ正行也両数空顕山スTILr

弥普法基ハ0ィ竺ヲ娩錘シ、EEg利竟面ノ

()()

光明文

王殊ノ「ヵ

三三/>‑J‑三三空享≡じ【

芸漂星:軍票ク霊

数モ山ス

F二雪ニ

世二山来身 聞ク鉢、)門ト一芸

Oを代 法政こ、

身三観

経ハ遍ク投

一一地

ノこ

者ハ重 消音細ハ

寺号 害ぎ

経見︒

胞ド此

()

t

ここ(イハ)ク

( )

( )

0

詐害o

()多︒

年 戊 中 三

ノ心二悲ヲ彼等こ重富坐シ

()

( )

テ芸ニ≡F7.謹亭二孟

ネガワクハ アリトモナウテ

称シ福

京ノ寺

徳名 ニヨ(ツ)テナズケ

I

]

N

I

"

S

云聖 テハ

ツナシ

人二号ハ妙

,

チ i S I

V

()抑加

レ尊生ヲ即事天 作シ射全軌

道予湾票二

暑○

利墨ノ又事ナ如シ五 大如シ五、シ、(

城ノ、夜ヤ五二二藷. ‑イ̲̲ノ\

ヲハ(ゲツ)名月

蓋芳

舎西讐救フ及ヒ〇三憐悪o其:人ノ

竺チ警名,病遇;聖類ノ気書聖

( )

こヲ

(テラ)シフ

raisincjG5 菩薩名︒璽 ︿ 聖 ︒

0着キ拝事百舎

( )

鹿

n

)

生事︒

三虫 声日7 0

観凡

音夫ノ 経二肉 云壬限ヲ 昆ク以テ

病二合併 遇利幸

、国二薩

書限切ノ明ノ

ここ‑

ヨ舌スス

3B

SE接物

人民

赤血

参照

関連したドキュメント

(以下、福島第一北放水口付近)と、福島第一敷地沖合 15km 及び福島第二 敷地沖合

・ 11 日 17:30 , FP ポンプ室にある FP 制御盤の故障表示灯が点灯しているこ とを確認した。 FP 制御盤で故障復帰ボタンを押したところ, DDFP

2020 年度柏崎刈羽原子力発電所及び 2021

東京電力(株)福島第一原子力発電所(以下「福島第一原子力発電所」と いう。)については、 「東京電力(株)福島第一原子力発電所

安全第一 福島第一安全第一 福島第一 安全 第一 福島第一. 安全第一 福島第一安全第一

安全第一 福島第一安全第一 福島第一 福島第一 安全 第一. 安全第一 福島第一安全第一

①:固定ボルト確認(4本) ②:濃縮器加熱バスケット吊下げ ③:吊下げ後、固定ボルト取外し(4本)

安全第一 福島第一安全第一 福島第一 安全 第一 福島第一. 安全第一 福島第一 安全第一 福島第一